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はてなキーワード: 研究対象とは

2020-09-21

国と研究者個人選択

国などのお金海外留学し、学位がとれたら、給料の高い海外企業就職するといったのが、研究者個人選択しとしてはベストとなる。

スキル的に海外通用するかわかるので自信につながるし、国内大学やら企業やらの待遇考えると、選択肢として魅力ではない。


ここで国の利益とぶつかる。

リソースをかけた優秀な人材海外に出ていく。


海外と同等の待遇を用意すればいい、という意見はあるだろう。だができるのならとっくにやってるはずである

既存企業スキルを活かせてないというのもある。


短期的には個人選択を優先すればという話になるが、長期的には、海外に出ていくしかない人材税金つぎ込めないという話にならないか



ニュース話題となる研究対象が、大規模な計算リソースを持っているアメリカ企業クラウドでなければできなかったりする。

国などの研究から利益を上げようとするアメリカ企業という構図にはまっている

海外技術にいち早くキャッチアップし、より良い成果を出すというのも研究対象だが、出した論文利益を受けるのはアメリカ企業日本国内企業ではないという状況もある。

2020-09-14

anond:20200912141626

自分なら、「リメイクするならジェンダー規範現代的にアップデートするのは当たり前。これはポリティカル・コレクトネス問題で、好き嫌いではない。PCに『押しつけ』『強制』の側面があることは否定しないが、誰だって他者が共有すべきと考える規範正義を何かしら持っているはず。過去作品のものを改変するのはやりすぎだが、これまでも差別用語修正は当然のように行われている」と言い切るだろう。もっと炎上するかもしれないが、グダグダしただらしない弁明は無用になったはず。

というか津田さんはメディア研究しているはずなのに、「Twitter議論しちゃダメ絶対!」の大原則がなぜ守れないのだろうか。Twitterは告知とグチの言いっぱなしのためのメディア。いまはなき北田さんにせよ千田さんにせよ、何で社会学者に限ってTwitter議論ちゃうんだろう。コミュニケーションとかを研究対象にしているのに。

2020-09-12

anond:20200912212313

それは一部の悪い例だけ抜き出して見せただけだな。

思想の中にも、そういう扇動洗脳に適した、そういう発想を内面化させやすい、他人支配するのに使われる思想がある。

それが君の挙げたファシズム共産主義国粋主義といったものだ。

それらは思想としては現代ではまともに取り上げられないかタブー視されている。研究対象としてはともかく、実用としては問題外のものをわざわざ引っ張ってくるのは悪意的だ。

から先の増田でもそれらの思想は列挙していない。

2020-08-23

知的生産技術アップデートしたい

パソコンからスマホに変わったのと、エンタメの方が重要度が高くなっており、

かなり昔に一時期流行っていた知的生産技術というのが話題にのぼらなくなった。

軽く検索したところだと、KJ法京大カードグラウンデッド・セオリーアプローチ、MAXQDAなどのQDAソフト、といったものから進んでいない。


Web記事を読み、それを真似て文章を書いていると、佐藤郁哉の「7 つのタイプの薄い記述」に陥っていることが多い。

ちなみに「7 つのタイプの薄い記述」は下のようなものだ。

読書感想文型    主観的な印象や感想を中心とする、私的エッセイに近い報告書論文

ご都合主義引用型 自分の主張にとって都合のよい証言の断片を恣意的引用した記述が中心のもの

キーワード偏重型    何らかのキーワード的な用語ないし概念を中心にした平板記述報告書論文

④要因関連図型    複数の要因間の関係を示すモデルらしきもの提示されているのだが、その確実な根拠となる資料データほとんど示されていないもの

ディテール偏重型   ディテールに関する記述豊富だが、全体を貫く明確なストーリーが欠如している報告書論文

引用過多型     「生なま」の資料に近いものを十分な解説を加えずに延々と引用したもの

自己主張型    著者の体験談主観的体験が前面に出過ぎており、肝心の研究対象の姿が見えてこない報告書論文


こういったのに陥らないような方法が編み出されているのであれば、知りたいと思った次第だ。

2020-07-25

ここからしてひどい

研究対象としてもまり面白くないか、その実態明らかでなかったんだ。

anond:20200725105900

三角寛に騙されていた

お前らサンカって知ってるか?

なんでも日本にも昔、戸籍がなく住居も持たず、定住生活日本社会距離を置いて、

山中から山中渡り歩く漂泊民がいて、それをサンカと呼んだらしい。

サンカ存在民俗学者にも一応知られていたが、まとまった資料もないし、そもそも社会距離を置くそ性格から

日本の歴史にも関わってこないか研究対象としてもあまり面白くないから、その実態は明らかでなかったんだ。

ところが、昭和時代三角寛というジャーナリスト作家の男が現れて、サンカテーマにした小説執筆して商業ヒットを飛ばす。

更に三角寛はそれまで集めた資料を整理してサンカ社会研究という、サンカ研究書を出版するんだな。

俺はそれを読んで、へーそんな集団がいたんだ。と思っていたんだ。昨日まで。

ところが、昨日の夜酔っぱらっていてふとサンカのことを思い出して、wikipediaサンカの項を読んでみたんだ。

すると、三角寛の本はデタラメでっち上げ学術的には決着ついてると書いてあるじゃないか

なんてこった!俺はこれまでずっと三角寛に騙されていたのか!

ジャーナリスト戦前から金さえ儲かればなんでもいいウソつきのクズばっかりじゃねぇか!

思えば、昔の人も今の人も大して変わらないよな。

なんか昔の作家和装とかしてちょっと格式高そうだから、信じてしまうとこあるけど、クズの嘘つきの詐欺師もいっぱいいるんだよな。

そりゃ学術進歩するもんだから、昔の人の研究現代の水準からみてレベル低いとこあるのは仕方ないと思う。

でも、まさかそんなすべてがでっち上げデタラメなんて不誠実なマネしてるとは思わなんだ。三角寛死ね

2020-07-22

オタクジェンダー規範に関する研究を読もう

twitterでたまに、男オタクは女や非オタク男と比べて「男は仕事、女は家事」のような性別役割分業を支持する割合が高く保守的である、という結論の棒グラフが回ってきているのを見かける(例:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/phanomenologist/status/1228500960588124163)。あれはしばしばフェミニストによって「男オタク女性蔑視の表れ」のように引用されるが、そもそもどういう文脈で出てきた棒グラフだったかちゃんと確かめた人はいるのだろうか? そして、あのグラフをめぐって学者同士の意見対立していることはどのくらい知られているのだろうか?

ということで、以下であのグラフが出てきた文脈を紹介してみるよ! なお、増田は男オタクだけど、統計とか専門外だよ!

あの棒グラフの出典は、社会学者北田暁大による若者趣味に関する研究の一節である北田 2017: 291)。だがもちろん研究というものはそれだけで完結するものではなく先行研究の積み上げた文脈のもとに成り立つものだ。そして北田(2017)が特に目の敵にして批判しているのが、心理学者山岡重行による研究である山岡2016年単著において腐女子心理学的に分析し、腐女子恋愛観だけでなく彼女たちに向けられたイメージについても論じた(山岡 2016)。

山岡研究はどう評価すればいいのか難しい。確かに興味深い点が多く、たとえば2015年時点でもオタクに対する否定的イメージ存在し、そのなかでも腐女子は同じオタクから否定的に見られているということを学術的に明らかにしたこと山岡 2016: 99, 132)などは、オタクあいだでは公然事実とはいえ一定の意義があるだろう。しかし一方で、男オタク腐女子は相性が良いんだからもっと恋愛すればいいのにというようなアドバイス大きなお世話というかソバイスの極みであり、腐女子心理について質問調査のみに基づいてものを言うのはいいとしてもBL作品構造を論じる上でテキストクリティークを欠いていることは理解しがたい(山岡 2016: 229-230)。山岡データに基づく研究重要性を主張するが、物語構造などの質的な面に踏み込むのであれば、数字で示されたデータだけでなく様々なテクストに当たって読み込むという人文学的な手法採用する必要があるはずだ。心理学実証研究としては面白いが、実証以外の部分で余計なことを言い過ぎている、という評価をするのが最も良いだろうか。

では、それを批判した北田研究はどのようなものなのだろうか。実はこれ、読んでみるとわかるがかなりのツッコミどころの塊なのだ

まず、北田がこの調査で用いた方法論について確認してみよう。北田依拠しているのは、2010年練馬区1988年1990年まれの男女に対して行った調査である。つまり2020年現在アラサーに対して10年前に行われた調査に基づくデータである。このデータは、北田が中心となっている若者趣味についての共同研究の一環として採られたものであり、北田(2017)が収録されている本に収められた他の論文も同様にこのデータを出典としている。

北田は、東浩紀(2001)のデータベース消費論に依拠しつつ、男オタクの消費が東の言うようなデータベース消費である一方で女オタクすなわち腐女子(ここ、「ん?」と思う人が多いだろうけどとりあえず脇において続きを読んでほしい)の消費が関係性消費である、という先行研究提示される図式を踏襲する形で分析を進めていく。当然、ではこの論文で言う男オタクと女オタクってのはどんな集団を指すんだ、腐女子かどうかはどうやって決めるんだ、という操作定義が求められるわけだが、北田がどんな定義をしているのかを以下で見てみよう。

北田はまずオタク操作定義を示すが、この時点で首を傾げてしまう。たとえば「ライトノベルが好きだ」という質問はいいとして、「マンガきっかけでできた友だちがいる」や「アニメきっかけでできた友だちがいる」という項目は、そりゃそれに当てはまるオタク大勢いるだろうがコンテンツきっかけでできた友人がいるかどうかはオタクとしての本質に何も関係ないよね? もちろんこの研究では若者趣味というテーマを掲げていて、趣味人間関係がどう連関しているかという点も研究対象に入るわけだからそういう質問項目が悪いわけではないのだが、それをオタク定義に使われると困惑するほかない。やめてください! 友達がいないオタクもいるんですよ!

そして北田は、上記のような質問定義した「オタク」を更に「二次創作が好きか否か」で分類する。つまりオタクを「二次オタク」「非二次オタク」に区分し、それをさらに男女で分けるわけである。そしてこの「二次創作好き」というのを定義する指標として「マンガ二次創作(同じ登場人物で、原作ストーリーとは違うストーリーを考えたり読んだりすること)に興味がある」(北田 2017: 270)というのを持ち出している……えーっと、これだと、銀河英雄伝説』も『炎の蜃気楼』も『東方』も『アイドルマスター』も原典マンガではないので当てはまらないのではないか? この調査の後にヒットした『ラブライブ!』も『艦隊これくしょん』も『刀剣乱舞』も『ユーリ!!! on ICE』も、いずれも原作マンガではない。仮に私が当時練馬区に住んでいてこんなアンケートを渡されていたら、「私が買っているのはアニメ作品二次創作なんだけど……」と回答に悩んでいたことだろう。「作品」「コンテンツ」とでも言い換えれば済むところをなぜ「マンガ」と表現したのか理解に苦しむ。ゲームを全部ファミコンと呼ぶおかんかよ(この喩えもいい加減古くなってきたな……)。

さらにこの調査は、「二次創作が好きな女性オタク女性二次オタク)」と「二次創作が好きではない女性オタク女性二次オタク)」を区別しているが、肝心の二次創作の中身については区別していない。つまりBL同人を読んでいようが男女カプの二次創作をしていようが「女性二次オタク」だし、商業BL一次創作同人専門の読み手二次創作に手を出していなければ「女性二次オタクである。つまりこれは、二次創作が好きなオタクを析出することはできても、本質的に腐女子を析出できる調査ではありえない。もちろん同じことが男オタクにも当てはまり、女キャラ無駄淫乱になって男相手にサカる同人誌も女キャラ同士がプラトニックイチャイチャする同人誌も同じ「二次創作である。種つけおじさんレイプ百合区別できない質問項目をもとにデータベース消費と関係性消費の対立みたいなこと言っていいのかな……いやダメでしょ。

だが北田定義おかしさはこれに留まらない。彼はなんと、「二次創作好きでオタク度の高い女性を『腐女子』という言葉でまとめあげることにはもちろん問題がある。二次創作好きとBL好き、やおい好き、女オタクなどの差異を孕んださまざまな概念が交差する地点に『腐女子概念存在している」としつつも、便宜的に「『二次創作好きで、オタク尺度が高位2層である女性』を、操作的に腐女子と」定義している(北田 2017: 307)。はぁ???

言うまでもなく、腐女子の全員が二次創作に興味を持つわけではなく、二次創作に興味を持つ女性オタクの全員が腐女子でもないのだから(男女CP百合の愛好者はどうすればいいんだ)、この段階で北田研究対象を正確に捉えられていないことがわかる。BLが好き」という質問項目を入れてないのに「腐女子」の操作定義なんてできるわけないだろ! この問題については山岡からtwitterでツッコまれているほか(https://twitter.com/yamaokashige/status/1131363111636615168)、「興味」と「嗜好」を区別すべきだとも批判されている(山岡 2019: 21)。妥当な指摘だろう。意地悪なこと言うけどさ、これを注に放り込んでるのって悪意ありますよね?

さらに、男オタクに関しても、「二次創作好きオタク男性ディープ男性オタク」(北田 2017: 294)と記述している。当たり前だが二次創作にはたいして関心もないがディープオタクはいるだろうと言わざるを得ない。声優のおっかけを熱心にやっているオタクディープオタクではあるかもしれないが二次創作が好きなオタクとはいえないだろう。

総じて、北田研究は、オタクとしてディープであるか否かとか腐女子であるか否かといったことを、すべて「二次創作が好きか」で測ろうとしている。だがそれはとんでもない勘違いである二次創作好きな人ディープオタク腐女子であることとの間にはある程度の相関関係はあるだろうが、あくま論理的には一対一で対応しているわけではないのだからディープオタク定義したければ注ぎ込んだ時間やカネや知識量を、腐女子定義したければBL趣味の有無を、それぞれ尋ねるべきだったのだ(特に客観的な測定が困難な「ディープオタク」と違って、腐女子かどうかは「BLが好きだ」という項目を入れた上で性別と組み合わせれば一発で判定できるのだから、ここで手抜きをしているのは許しがたい)。

少なくとも山岡の著書にはパッと見で「おかしいぞ?」と思うような操作定義あんまり見当たらなかったのに、北田論文操作定義はパッと見でもわかるツッコミどころが多すぎる。これもうどんグラフ出されても信用できないでしょ。データの処理とか以前に操作定義おかしいんだもん。

で、北田にさんざんdisられた山岡は別の著書(山岡 2019)を発表して北田反論している。個人的にはその議論はおおむね妥当であるように思えたので、詳しく知りたい人は山岡(2019)を読むか、彼のtwitterを見てほしい。私は統計とか詳しくなくて、前提となっている操作定義おかしさは指摘できても、標準得点に差があることは「対極にある」ことを意味しない(https://twitter.com/yamaokashige/status/1125940271298990080)とか、このへんはまったく気づかなかったので。

最後に、北田山岡のどちらの研究おかしい、と思ったポイントがあるので言及しておく。

北田データ練馬区若者から採ったものであり、山岡データ都内複数私立大学学生から採ったものである。つまり東京圏居住しているか、通える距離に住んでいる若者データに偏っており、さら後者大学生のみのデータとなっている。これが血液型性格判断の話であればいいかもしれないが(よくないけど)、オタク文化拠点東京などの大都市に集積していることと、就労等によって趣味との関わり方が変化すること、そして趣味学歴が及ぼす影響を考えると、東京圏若者」のみに焦点を合わせて「オタク」の全体像を論じることは適当ではない。そこで集められたサンプルは、オタクコンテンツが身近に溢れていて可処分時間が多く学歴も高いオタクサンプルに過ぎず、オタク代表例とも若者代表例ともいえない。

とはいえ、では他にどういう調査のやりようがあったのか? というと、思いつく計画がどれも高額の研究費を要求するものになってしまって個々人の研究ではなかなか厳しい。少なくとも、東京だけでなく日本全国(最低でも、大阪札幌などの東京以外の大都市圏)からサンプルを抽出することは必要だろうし、そのサンプル調査には大勢非オタクも引っかかる以上はサンプル数もそれなりのものにする必要があるだろうし……こういう大がかりな質問紙使った研究ってやったことないかイメージ湧かないんだけどどんくらい金かかるんだろう。

それと、北田山岡統計データを重視しているので、あえて質的研究には踏み込んでいないのだろうが、それでもやはりいずれの研究当事者の言説分析を欠いていることは大きな欠点であろう。オタク自分たちについて膨大な自分語りを残してきており、それを悉皆調査すべきだとは無論言わないが男オタク腐女子自分たちのことをどう語っているのかも踏まえた上で論じられればなお良かったんじゃないかな。もちろんそれは大規模な質問調査並にめんどくさい手続きであり、代表性とかどうやって保証するんだ、という感じではあるのだが、せめてオタク自身の手になる非学術的な文献はもっと多く引用されていてもよかったのではないか。それは一歩間違えば大塚英志(2018: 136-140)が指摘するような当事者営為無視した簒奪的な研究にもなりかねない、と思う(もちろん彼らは文化のものを論じているわけではないので、文化を論じる研究者に求められるほどの慎重さは要求しなくてもいいとは思うが)。

いやでもやっぱりこれ北田(2017)のほうがひどいわ。山岡(2016; 2019)の操作定義を見てると、彼自身オタクではないにせよ、趣味によってつながる人間関係のありようみたいなのを肌感覚でわかってるって感じがするけど、北田定義トンチンカンなんだもん。もしわかった上でやってるならクソだけど、仮に本気でああい定義を持ち出してきたんだとしたら、それはもう根本的に趣味でつながる人間関係がどんな感じなのか肌でわかってないってことだよね。趣味人としてのリアルからかけ離れすぎてるんだよな。

あと北田研究がひどすぎるからって社会学全般が悪く言われないといけない理由はないので念のため。北田研究別に社会学者なら誰もが参照してしかるべきみたいな位置づけのそれではないので……

追記

よく分からんのだが、その北田氏の研究がいい加減なものだとしても

2007年練馬区若者においては、漫画アニメが好きで二次創作を好む男が

それ以外と比べて保守的男尊女卑傾向だ、って事はとりあえず事実、って事になるのでは

anond:20200722104112

これ、回答の平均値じゃなくて標準得点を元にしたグラフなのよ。標準得点をもとにそんなこと言えるか? って山岡批判してるからそれ読んで(https://twitter.com/yamaokashige/status/1126035720122953729)。

ワイが間違ってたわ。言えるっぽい。すまん。

続きはanond:20200722142616で。

文献一覧(あいうえお順)

2020-06-22

研究者研究対象罵倒するだろうか?

セキュリティが確保されていないソフトウェアに対して「ド素人」などという罵倒を平気で公然と吐く。

それは例えばクジラ保護するためにクジラ漁の船に酢酸爆弾を投げつけるような、活動家のたぐいであって、

なぜそのセキュリティは確保されなかったのか、どうすればよかったのかを追及する研究者ではないと思う。

2020-06-21

自分も専門じゃないから知らないけど、「フェミニズム」なる学問があると言うよりは、「フェミニズム」を研究対象として様々な学問見地による研究がある、と言う方が実態に即しているのだろうな。

物理学立場から宇宙研究をしています」と言うような。そういう研究を「宇宙論」と呼ぶのだろうし、そういう人を「宇宙論者」と呼んだり呼ばなかったりするのだろうけど、「フェミニスト」という言葉もそういうものなんだろうな。

その意味で、「学問としてのフェミニズム」と「運動としてのフェミニズム」の区別なんてないのだろうけど、「学者としてのフェミニスト」と「運動家としてのフェミニスト」にははっきりと違いがあり、しかししばしば両立するのだろう。

2020-06-11

ルッキズムがクソ

コロナで暇だから映画を見る機会が増えた。

この間もBSでぼーっと邦画を見ていたときのこと。

宇宙から来たという不思議ちゃん同級生少女に惹かれていく小学生男子の話だった。

行動も言動おかしいその娘は他の星から来たという。

本来の姿はヘドロが積み上がったような姿だと工作時間模型みたいのを作ってみたりもしている。

(細かいツッコミを入れると、生体を惑星間移動させられるような技術を持っている生物の見た目が原始的なのは矛盾が甚だしいからもうそろそろやめてくれ。)

ところが今は、ハーフのような高身長美少女の姿だ。

いやー、もうそうしちゃったらストーリー入ってこないだろ。

結局可愛いから美人からっていうふうにしか物事がとらえられなくなるだろっていう話。

最後宇宙人と心が通い合いました!みたいな美談風に終わるんだけど、本当にそうなのか?

もし本来の姿で町中を闊歩してたらどうなる?

言葉もままならないままにそんなの歩いてたら速攻射殺案件だろ。

そうじゃなければ捕まって研究対象になるだけ。

そしたら地球人は野蛮だってことになって宇宙戦争。それが現実

そういうふうにならないための擬態っていうなら、周りから注目されるような美人なっちゃダメだろうがよ。

結局この話は、地球人は見た目に騙される単純ないきものです。っていうことしか語れてないんだよな。

個人的には最後転校生存在がそれを裏付けるような暗喩に思えてしまって、真面目に演技している小学生バカにしている最高に胸糞悪い映画だった。

映画名前も覚えてないし、単独映画を吊し上げたいわけではないので思い出すつもりもないけど。

この映画に限らず、浅いストーリー登場人物の見た目だけでごまかすの本当にクソ。

そのくせ地球外生物と心通わせることができました!人間美しい!みたいなことを語られると本当に頭にくる。

所詮人間なんてルッキズム奴隷ですよ。

美男美少女なら何でも許せるし許される。誰かが違うと言ったって、それを支持する圧倒的多数の前では無力同然。

努力で埋められるって言ったって、同じ努力されたら何倍差が開くと思ってるんだよ。

だってトムクルーズに生まれてたら同じだけ努力できるっつの

ここだけの話、このままコロナ終わらなければみんな顔の半分をマスクで隠してる分フェアでいいよなーと真面目に思ってる。

これからの世の中、感染症匿名性も守ってくれるマスクって割と必須アイテムになると思うんだけどどうだろう。

とりあえず町中歩いている利害のまったくない人間相手に顔を隠してられるのっていいことしかないよな。

ルッキズムは滅びないだろうから、せめて普段から美貌を露出されることが恥ずかしい世界になってくれ。

コロナは嫌だけど、全員がマスク当たり前の世の中は正直いってとても生きやすいです。

2020-03-20

anond:20200320113503

差別への厳罰の有無と死刑への賛成反対がどう繋がるかよくわからないのだけど(差別への罰則死刑になる国が先進国であるのだろうか?)、以下の理由死刑には反対。

死刑の代わりに終身刑を作って社会から一生隔離するなら気にしない

冤罪量刑が不適当だったと後でわかっても死んでしまったら回復できない

殺人犯死刑にしても殺された被害者は生き返らないので被害回復できない。人体実験にならない範囲遺伝や生育環境を調べて殺人を予防するための研究対象になってもらい社会への償いとするのが良いのでは。

2020-02-25

そもそも社会学は人から嫌われる構造をしている

なんか社会学ネットでたたかれてる理由がよくわかってない人がいるみたいだけど別に難しい話じゃない。

なぜ叩かれるかって社会学がある特定集団社会構造や成り立ちを研究したりするからだ。

これってつまり「あの人たちは〇〇」ってレッテル貼る行為だろ。

ようするに差別入り口なんだよ。

社会学研究手法目的そもそもかなり危険と隣接してる学問だってこと。

こんな"あの集団はこういう人たち"なんて語るのは居酒屋愚痴レベルのもんで、テレビとかメディアでほんとは正々堂々と喋るような事柄じゃないわけよ。


最初期の社会学ってのは人間社会全体の社会構造とか成り立ちを議論してたわけ。

このレベルならあまり問題はおきない。

でも時代が下るにつれてその対象がどんどん狭まってきて現代社会学はかなり小さな集団まで研究対象になってきた。

もうここまでくるとそりゃ戦争よ。

やれあの人たちはこういう集団、この人たちはこういう集団

こんなもん嫌われない方が無理だろ。

しかもそれが実は何の根拠もなくて

統計データはない、分析してない、誰にもチェックしてもらってない、主観でだらだら喋り捲る、テレビとかネットメディアで影響考えずのべつまくなしべらべら喋る。

誰が好きになるんだよ。


自分のやってる学問がどれだけ危険なのかまず再認識して欲しいわ。

悪いけどこんなふざけたこいつまでもやってると社会学者のせいで大虐殺起きるぞ。

2020-02-21

ビッグバンセオリー

シェルドンレナード物理屋2人が主人公コメディドラマ

出てくる人物どいつもこいつもみんな物理屋。そしてみんな頭がおかしい。

主人公物理屋ということで画面のそこかしこに数式が登場するのだけれどもこれがずいぶん凝っています

以下6話まで視た感想です。

シェルドン研究テーマは何か?

QCD量子色力学)の漸近的自由性の証明です。2004年ノーベル物理学賞

(6話より)

ホワイトボードに書いてある数式は QCDベータ関数計算です。

彼女が数式を修正した後は β<0 になっています。これはQCDが漸近的自由性を持つ理論であることを意味しています。ちなみに部屋の左隅にある小さなホワイトボードにはQCD真空偏極による反遮蔽効果イメージ図が描かれていますこちらも漸近的自由性に関する図です。

この時代はいつなのか?

どうやらこの世界ではまだQCDの漸近的自由性が証明されていないようです。それではいったいいつ頃なのでしょうか?

何話か忘れましたが カビボ小林益川行列ホワイトボードに描かれている回がありました。時系列順に並べてみましょう:

どうやらシェルドンたちがいるのは1973年世界のようです。

史実によるともうすぐウィルチェック達が論文を出してしまうはずなのですが・・・

シェルドンは弦理論屋なのか?

公式ではシェルドンの専門はひも理論と書かれています

ひも理論一般の方向けの翻訳で、本来の訳は弦理論(げんりろん)です。 String Theory = 弦理論

ここでは混乱を避けるため単語を弦理論統一します。

さて、本題に入りましょう。シェルドンは弦理論屋なのでしょうか?

実は6話まで弦理論らしきものが出てきません。ずっと場の量子論計算しているのです。

しかもこの時代1973年です。この時代にいた弦理論屋とは何者なのでしょうか?

というのも、理論はもともとハドロン記述する模型として研究されていたものからです。現在のように弦理論が究極理論候補と考えられるようになったのは1984年第一ストリング革命以降の話です。時代背景を考えるとシェルドン南部後藤の弦でハドロン研究していると考えるとしっくりきます。彼がQCD研究する理由も、ボスハドロン8重項をホワイトボードに書いているのもこれで理解できます。彼の研究対象はハドロンなのです。

もっと直接的な証拠があります。第1話でこのような会話をしています: (https://www.youtube.com/watch?v=AF58gWwHOwY

レナード計算のつじつまをあわせるのに26次元でっちあげるような奴は・・」

シェルドンでっち上げではない!本当に26次元なんだ!」

26次元と言っています。これは面白いですね。もし現代の弦理論屋さんに「この世界は何次元ですか?」と聞くと10次元、もしくは11次元と帰ってくるのではないでしょうか。

現在の弦理論屋さんが研究しているのは超弦理論(10次元)やM理論11次元)、そしてシェルドン研究しているのは南部後藤の弦(26次元)なのです。

理解されない天才シェルドン

この時代において世界は26次元だと言い切るのはなかなかヤバい人ではないでしょうか。

先ほど書いたように弦理論が脚光をあびるようになったのは1984年以降です。

1973年は弦理論の暗黒期だったはずです。当時は弦理論は欠陥があると考えられていました。

米谷さんやシュワルツ重力子論文1974年であることを考えてもシェルドンはぶっ飛んでいるように思います

先ほど紹介したシーンでは「世界は26次元だ」と主張するシェルドンは頭がおかしいと思われているようです。一方で現代視聴者は、別に彼はおかしなことは言っていないことを知っているのです(26かはともかく)。この辺りの捻れが面白さを生んでいるように思います

南部10年早すぎた。

シェルドン10年早すぎた。

そしてシェルドンちょっとおかしかった。

シェルドン明日はどっちだ!?

頑張れシェルドン!早く論文さないとウィルチェック達に先越されちゃうぞ!

なんとも味わい深いコメディです。

2020-02-20

ゴリラって生理の時どうしてるんだろう

ココというゴリラがいる。

手話を使い人とコミュニケーションを取ることができる頭のいいメスだ。

ココは一緒に暮らしていた猫が死んで、悲しみ、死についての理解も示したそうだ。

そんなココに数年前、新しい猫2匹が与えられた。彼女は今も研究対象であるらしい。

そんなココもやはり生理の時は辛いんだろうか。

経血とかどうしてるんだろう。

コットン100%ものを使ってるんだろうか。

そういえばリカコは今元気だろうか。

当時は子供だったが今ならあの頃のリカコを抱きたいと思える。

2020-02-18

海外キャッチアップする科学技術政策から変われなかった

欧米ソの技術水準へのキャッチアップをしている時代は、なんで研究必要か考える必要がなかった。

また既に開花している分野を調査研究対象とすればよかったので、資源を分配したところが殆ど開花した。


今でも諸外国の動向を伺っている。

政府だけでなく、個人単位でもアメリカがこれから投資するのだから日本でも投資しなければならないというのは今でも起こっている。

ニュースでよく見るから流行に乗らなければ論文が採択されない、といった理由である

海外の先行研究がなければ研究費が降りないといったことも起こる。


他国研究費で稼ぐグローバル企業が出てきている以上、研究費は投じているのに将来につながらない。


国内技術の横断的な分析と、海外事情に惑わされない投資判断ができる組織必要ではなかろうか。

2019-11-28

anond:20191128133251

こういうの見てると、本当にこの人たちは研究費さえ貰えれば何でもいいんだなと思う。

しか研究において、とりあえず意味があるかどうかわからない新しい視点提供しておいて、その評価コミュニティに委ねるということはある。むしろそれこそが研究本質であるとも言える。

でも普通こういうことをSNSで書くかな? 文系研究者の研究倫理ってどうなってるんだろう。研究対象である人間侮辱しても、尊厳を傷つけても、研究が進めばそれでいいって考えなのかな。

2019-11-12

AVありがちなシチュエーションAV的展開を回避した話。

AV鑑賞が趣味だと知ってる友達にもなんとなく話しづらいのでここに書いてみる。パンツ脱ぐ展開にはならないし無駄に長い。

スペック→22、彼氏いない歴=年齢、推し三次元からと身だしなみは一応気を付けてる俳優ヲタク

先輩と急に飲むことになって、隣県まで飲みに行ったんだが、気付いたら0時過ぎてた。先輩はかなり酒強いし、自分もそれなりなんだが、その日は割とお互い酔っていた。実はすでに最寄りまで帰れない時間だけど、奢ってくれた先輩(実家住みの男)にこれ以上甘えられないしと思って、とりあえず自分は半分くらいのとこまで帰れる電車に乗ったが、そこでふと財布を店に忘れたことに気付いた。ICカードには電車賃くらいしかないし、キャッシュレス決済を嫌って導入してなかったことをここで初めて後悔した。とりあえず電車終点に着いてしまったし降りて、イートインできるコンビニで始発を待つかと思って30分ぐらい歩いてみたものの、椅子がなかった。しょうがいか駅前に戻ったら案外明るいしベンチあるし、ここで座って待っててもなんとかなるんじゃねと思ってたら、うとうとしてたらしい。

「死んでる?大丈夫?」って声かけられて起きたら、10くらい上に見える、眼鏡をかけた少し髪長めのスーツのお兄さんだった。「今日寒いしここにいたら死んじゃうよ」って言われて、事情を話すと、お兄さんは近くに住んでて会社の後輩と飲んだ帰りなんだけど、家に泊まりに来ると連絡してきた友達と連絡が取れなくて(どこかで飲んでて潰れてる?)困ってるらしい。コンビニのイートインを少し探した話をしたら、「南側コンビニにあったかも」と言われて一緒に行ってみたけど、深夜はどこもイートインの椅子撤去してるみたいだった。どうやらその駅は駅から近いとこに24時間営業ファミレスマックもないらしくて、「とりあえずどっか行こう」ってお兄さんが自転車の後ろに乗せてくれて、自転車の2人乗りとか小学生以来だなと思った。ただその日はあまりに風が寒くて途中で歩こうとなって、商店街があるあたりまで歩いたけどw年齢聞かれて答えたら「一回り下とか宇宙人だわ」って言われて、お兄さんは34らしい。今私が金髪から社会人とは思われなくて(髪色落ち着いてる時は社会人だと思われがち)、大学で何やってるとか就職はって話にもなって、私が進学するんだと言ったら研究対象の話を興味深そうに聞いてくれたのは嬉しかった。

そうこうしてるうちにカラオケの前まで着いて、お兄さんが中入ってくから着いて行ったら、深夜パック2人分を払ってくれた。受付で書いてた名字しか知らないお兄さんと2人きりとか大丈夫か?AV的展開にならないか??と一瞬思ったけど、その時けっこう眠かったので、とりあえず部屋入って寝転がらせてもらうことにした。お兄さんは相変わらず友達からの連絡待ってるけど来ないらしく、だらだらと喋ってた。お兄さんに名前聞かれたから「当ててみてください」って言ったけど、自分名前珍しいから当然当たるわけなくて、教えたら「珍しい」って言われたりしてた。そしたら突然私が気持ち悪くなって、「吐きそう」とだけ伝えて、トイレに駆け込んだ。先輩と飲んでた時もちょっと酔ったかなと思ったけど、吐くほどだと思ってなかったからびっくりした。そしたらお兄さんがトイレの外から「〇〇ちゃんいる?大丈夫?」って聞いてくれて、「吐いたけど間に合ったか大丈夫です」ってだけ答えた。ちょっと落ち着いて、うがいしてから部屋戻ったら、お兄さんがドリンクバーで水用意してくれてて、1杯飲んだらまた持ってきてくれて、とても助かった。起き上がってるのしんどかったし、表情もヤバかったのか、何十分か寝かせてもらった。(その間何かされたのかはわからん

途中でぺちぺちとお兄さんにほっぺたを触られて起こされて「5時になったら帰るわ」って言われて、その時で30分前くらいだったのかな。私は横になってたけど「もうちょっと飲みなよ」って水差し出してくれたり、熱ないかっておでこ触って確認されたりした。その後ちょっと元気復活してきたから喋ってて、「彼氏いないの?」「いないし、大学生なってからは何もないですね」「じゃあ好きな人は?」「5年くらい好きな人がいますね」「告白してないの?」「したけど振られ方が優し過ぎて諦められなかった」とかいう話もした。「おっぱい触らせて」とか言われたけどそれは断ったw

「あと10分だよ、人生でもう二度と会わないと思うし俺となんかしたいことないの?」って言われて、何を狙ってるのかよくわかんなかったから、「どういう系ですか?」って聞いたけど「あっち向いてホイとか」って言われたの面白かったw普通にしんどかったし「え、それは結構です」って言ったけどww「キスしていい?」って言われたのは「えー。っていうか吐いた後ですけど」「うわそれは嫌だわ。いや、いいって言ってくれたらしたけど」となった。

お兄さんが本当に帰るわって感じで立ち上がって、手を振られて振り返したら、「ちっちゃいねー」って手を合わせられたりもした。「持ち帰りたかったな」って言われたけど曖昧に笑って流した。(たぶんここでそういうノリに乗らなかったのは正解)そうしてお兄さんは帰ってった。

お兄さんには「帰れるなら早く帰ったほうが落ち着いて寝れると思うし楽だよ」って言われたけど、帰ってからもしんどくて、8時ギリギリまで寝てて、なんとか起きて電車乗ってバス乗って家に帰った。

いやまじで自分がこんなことするとは思わなかったなーっていうのが、率直な感想もっと貞操観念とか倫理観とかしっかりしてると思ってたのにwAVは見るけどこういうことされたいとかじゃなくて、好きな俳優を見てるのと近い感覚傍観者として楽しんでる感じだし。

しかしお兄さんが断っても無理やりしてくるとかいう人じゃなくて助かった。処女ファーストキスも守られた(はず)w本当は潔癖症から普通に知り合いと飲んでてボディタッチみたいなのもしんどいんだけど、お兄さんにはまあ嫌悪感はなく、それよりも助けられたって感覚のほうが強かったのか。

まあでもとにかく、しばらく酒は飲まないし、財布は忘れないように気を付けようという教訓。

2019-11-03

社会学がなぜ疑似科学だと言われるか。

わかりやすくいうと研究対象との距離の取り方を間違えたから。

政治運動の道具」にしすぎたからだよ。

とくにジェンダーはひどい。

フェミニストがそれをやりすぎた。

社会学は、理論実証がしにくい分野である

どんな仮説を立ててもそれを実証することは困難を極める。

1990年代オウム真理教とそれにまつわる報道がどんな社会的影響をもたらしたか

なんて命題再現性がないのは誰でもわかるだろう。タイムマシンを用意して過去に戻って何度もやり直すことはできないのだから

からこそ、研究対象については非常に繊細に扱わねばならない分野のはずなのだが、逆に「実証しなくてもいいんだな」とめちゃくちゃやりだしたのがラディフェミ一派。

オタク表現があると女性差別社会蔓延する」

とか、実証不可能なことを平然と主張する。

からオタク界隈は「うるせえ。疑似科学スカタン馬鹿ども。親の金大学まで行って疑似科学で遊んでんじゃねえ。疑似科学オタクdisしてる暇があったらいまからでも科学教科書を一から読みなおせ。疑似科学手法など高校生でも知っとるわい」と反発してる。

実証不可能」だけど、大学教授がえらそうに雑誌に書けば学問権威だけで真実っぽく世間に流布されるんだよね。それを、フェミニストたちは政治運動の道具として世界的に最大限に活用してきた。でも「実際には何の根拠もない」ってことがバレ始めてきた。再現性がないからって、適当理論を組み立てて、適当調査して(調査すらしてないこともある)、適当論文を書き(論文すら書かない奴もいる)、適当disる。これで社会学者が名乗れた。でも最近はこの構図も崩れ始めた。

社会学者もあんまりにも「実証不可能だし適当かいてもいいだろ。キモオタ相手だし」と油断しまくって粗製乱造しまくったせいで、「初歩的な間違い」や「捏造」が白日の下にさらされだして、社会学自体やばいんじゃね? と言われだしたからだ。

社会学自体はきちんとやればよい学問だが、なにぶん、構造上の問題で偽物がはびこりやすい。

当分ボコボコにされるのが良いと思う。根拠を求める批判に耐えられない学問など学問ではないからだ。

都合の良い政治の道具としての社会学ではなく、学問としての社会学再生に期待したい。


追記 農学に対して不適切表現がありました。修正させていただきます。美味しいトウモロコシ栽培世界平和します。

2019-09-09

anond:20190909113256

そもそも、ついてる肉に対して、摂取してるタンパク質量が少なすぎて、辻褄が合わないか研究対象になってるんだよ。

今分かっていないのは、腸内細菌が作り出したタンパク質を使えているのか、

腸内細菌の作り出したアンモニアからタンパク質合成をしているのか

ということ。ウシなどは後者方法タンパク質を獲得しているので、さらなる研究が求められている。

2019-09-07

行動主義心理学10分で理解する

はじめに

行動主義はJ.B.Watsonが最初提唱した心理学哲学だ。この哲学は、現代では下火のように見なされてたり、あるいは棄却すべき対立仮説のように扱われることが多い。

しかし、実際には認知心理学者、あるいは認知科学者が槍玉にあげる行動主義は、誤解に基づくものか、そうでなくても「その行動主義自称している行動主義者は現代はいないよ」と言わざるをえないような藁人形論法であることが少なくない。

そこで、行動主義誕生から現代的な展開までの歴史について、ごくごく簡単にまとめてみようと思う。

Watson の行動主義

行動主義は、Watson が 1913 年に提唱した。

Watson の基本的な主張は、ご存知の通り「心理学対象客観的に観察可能な行動に限る」というものだ。

当時の心理学は Wundt の提唱した「内観法」を用いて人間の持つ「観念連合」を記述する、というものであった (余談だが、内観法は単なる主観報告ではない。これもよくある誤解である。Wundt の提案した心理学は、繰り返しの刺激に対し、同じように報告するよう徹底的に訓練することにより、人間の持つ感覚の組み合わせについて首尾一貫とした反応を得ようという研究方針である)。

Watson が反対したのは、Wundt の方法である人間自己報告」を科学データとすることである。それに代わって、刺激と反応という共に客観的に観察可能事象関係研究対象とすべきであると主張した。Watson は Pavlov の条件反射概念を用いれば刺激–反応の連関を分析可能であるし、人間の持つ複雑で知的な行動も刺激–反応の連鎖に分解できると考えた。

また、情動や愛のような内的出来事は、身体の抹消 (内臓筋肉) の微細運動から考察された。Watson の心理学が「筋肉ピクピク心理学」と揶揄される所以であるが、現代身体性を重視する心理学認知科学を考えると、(そのまま受け入れることはできないにせよ) あながちバカにできない部分もあるような気がする。

さて、認知心理学者、認知科学者が批判するのは多くの場合 Watson の行動主義である場合によっては、次に登場する Skinner と Watson を混同して批判する。

注意しなければいけないのは、Watson の行動主義立場を取っている行動主義者は、この地球上にはもはや存在しないという点である。従って、Watson 批判歴史的な批判以上の何物でもなく、現代科学議論ではない。

では、行動主義を自認する現代研究者が寄って立つ立脚点は何なのか? その鍵になるのが、Skinner の徹底的行動主義である

Skinner の徹底的行動主義

Skinnerは、Pavlov の条件反射を「レスポンデント条件づけ (いわゆる古典的条件づけ)」、Thorndike の試行錯誤学習を「オペラント条件づけ」として区別し、概念、および実験上の手続きを整備した。そのためあってか、Skinner は20世紀で最も影響力のある心理学者 1 位の座についている。

Skinner は、科学目的を「予測 (prediction)」と「制御 (control)」とした。ここでは説明しないが、そのためにの強力な武器として概念としては「随伴性 (contingency)」、方法論として「単一事例研究」などを導入した。 彼の心理学は他の心理学とは大きく異なる用語法、研究方法を持つため、「行動分析学」と呼ばれる。

徹底的行動主義では、Watson が扱ったような客観的に観察可能な「公的事象」に対し、「私的事象 (ようは「意識」のこと)」もまた、同様の行動原理によって説明できると主張した。つまり、内的出来事も「行動」として捉えられる、ということだ。文字通り「徹底的」に行動主義なのである。実際に、Skinner の著書の中には「知覚」「感じること」「思考すること」といった、内的な事象についての考察も多く、それらは行動分析学重要対象であるとはっきりと述べている。

逆に Skinner が反対したのは、「心理主義的な説明である。心的な活動実在するし、それ自体研究対象ではあるが、「心的な活動によって行動が駆動される」という因果的な心理主義に対しては、Skinner は反対であった。つまり、「原因としての心的概念」の導入に反対したのだ。この点を間違えると、Skinner を完全に誤解してしまう。

ただし個人見解としては、行動分析学ほとんど顕在的な行動以外実際には扱っていないし、扱うための具体的な方法論を発展させてもいない。そこに関しては批判を免れないとは思う。

行動分析学の他に重要な特徴として以下の 3 つが挙げられる。

(1) 「反応」を運動パターンとして定義するのではなく、「どんな結果事象を引き起こすのか」から定義する機能主義
(2) 人間の営みを超えた真理探究ではなく、行動の予測制御という現実的有効性の上昇を目指すプラグマティズム
(3) 仮説構成体・仮説群から研究演繹するのではなく、実験結果から法則抽出する帰納主義

なお、帰納主義については「え?でも科学って演繹帰納の両輪で回ってるんじゃないの?」と考える人いるかもしれない。

Skinner は「行動について我々は知っているようでまるで知らない。そのような若い科学にはまず、具体的なデータ必要なのだ」と考えた。そのため、Skinner は環境 (刺激) と反応の間の関数関係データの蓄積を重視した。

まりあくまで当時の知的状況を鑑みての方針だったということは重要な点だ。

ちなみに、Skinner は自身の徹底的行動主義区別するため、Watson の行動主義を「方法論的行動主義 (methodological behaviorism)」と呼んでいる。

また、次に述べる Skinner の同時代の行動主義も、同様に方法論的行動主義とまとめられることが多い。

Skinner と同時代の行動主義 (新行動主義)

Watson のアイデアを発展的に継承したのは Skinner だけではない。

ただし、Skinner 以外の新行動主義に与している研究者は、現代には皆無なので、あくま歴史的な展開として捉えるべきである

Guthrie

Guthrie は刺激と反応の間にできる連合は「時間的接近」によって生じることを述べた。また、Hull や Tolman と異なり、心理学研究対象客観的に観察できる行動に限定すべきであるという姿勢は堅持した。

Hull

Skinner と大きく異なる点として、Hull は「仮説構成体による演繹」を重視した。「習慣強度」という潜在変数を導入したモデルを考案し、その潜在変数挙動の変化により行動の予測に挑戦した。

Hull の研究問題点は、いたずらに潜在変数いくらでも増やせてしまい、理論肥大化する危険はらんでいるためである特に Hull や Skinner の時代は、行動に関するデータがまだまだ少なく、行動研究には強固な地盤がなかったのである。Skinner は「理論必要か?」という論文理論研究批判していているのだが、Skinner が批判たかったのは Hull の心理学だったのである

Tolman

Tolman は刺激と反応の間に「仲介変数」を導入した心理学者だ。いわゆる S-O-R の枠組みである。彼は「潜在学習」の研究によって、「学習」と「成績」は必ずしも一致しないことを見出した。そのことから、刺激と反応の間には、それを仲介する隠れた変数がある、と考えた。

Tolman からすると、「感情」「期待」といった内的な出来事も、刺激と反応の間に存在する仲介変数である

現代視点で見ると、認知心理学下地になるアイデアを提出したのが Tolmanだ。

ところで、Tolmanと地続きである認知心理学もまた、徹底的行動主義立場からすると方法論的行動主義立脚した心理学である。そう、私たち現代心理学徒のほとんどは、意識せずとも方法論的行動主義なのだ

なぜか?認知心理学でも、公的事象と内的事象を分ける。内的事象には直接アクセスできないので、公的事象の「操作」と計測を通じて内的事象研究をする。公的事象操作 (実験条件) を通じて、内的事象定義を行う。これは、Stevens-Boringの「操作主義」と呼ばれる。操作主義では、操作と計測の対象公的事象であり、内的事象については「研究者間での合意」に基づいて議論される。つまり、例えば「この条件によって反応時間に変化があったら、作業記憶に影響があったということにしようね」というのが、研究集団によって暗に共有されている、ということだ。これが、認知心理学が「方法論的行動主義」と呼ばれる所以である

Skinner 以降の展開

1980年代以降、Skinner の弟子筋の研究者たちの間で、Skinner 以降の行動主義を巡って、研究方針多様化しつつある。その中でも最も影響力のある 3 つについて、簡単に紹介したい。

Heyes の機能文脈主義

Skinner の行動分析学プラグマティック科学であると言われているが、実は Skinner 自身は表立ってプラグマティズムに述べていたわけではない。例えば、近い時代を生きたパースジェームズデューイを直接引用して主張を行なっていたわけではない。一方、Heyes の機能文脈主義の特徴は、Skinner の徹底的行動主義の持つプラグマティズムをより明示的に推し進めた点にある。

Skinner は心的概念を導入することを否定した。私的出来事 (内的過程) は外的な行動の原因ではなく、それ自体独立した行動として捉えるべきだと考えたためだ。また、心的概念による説明は、行動分析学目的である予測制御寄与しないと考えたことも一因である

Heyes の場合、そのような概念でも、予測と変容 (influence) に寄与する場合は、十分に有用であると考える。

具体的には、「態度」を測る質問研究が好例だ。質問紙で測る「態度」は Skinner であれば「質問紙に回答行動」として見なされる。しかし、Heyes の場合「そのような研究問題点は、測ったところで、実際の行動を変容させるための操作変数が同定できないことだが、最終的に行動の予測と変容を目指すという目的がぶれない限り、足がかりとしては有用である」と主張する。

このような、伝統的な行動主義比較してある意味で軟化した態度を、Heyes は「行動主義心理学自由主義化」であると述べている。

少し脇道に逸れるが、Heyes は行動の「制御 (control)」とは言わず、「変容 (influence)」と表現する。これは、「制御」だと決定論的に操作できる印象を受けるが、実際の行動には確率的な変動性が必ずついてまわるため、表現を柔らかくする意図である

また、機能文脈主義では、研究の真偽の真理基準にも明示的にプラグマティズムを導入している。

行動主義科学には必ず目的がある (多くの場合、それは現実問題解決と結びついているが、そうでないものもある)。Heyes の標榜するプラグマティズムは、目的にかなうかどうかが、研究の真偽を決める、ということだ。

これは、「うまくいけばなんでもok」という主観主義ではない。問題解決としての科学として、発見というよりは創造プロセスで知見が生まれるということだ。ただし、解決されるべき「目的」の方はどうしても恣意的にはなってしまう、と Heyes は述べている。

Baum、Rachlin の巨視的行動主義

巨視的行動主義の特徴は以下の 2 つにまとめられる。

(1) 分析単位として「随伴性」ではなく「相関性 (correlation)」

Skinner はレスポンデント条件づけは刺激−反応という 2 項随伴性、オペラント条件づけは刺激–反応–刺激という 3 項随伴性によって定式化し、随伴性こそが考察されるべき基本単位であると考えた。

巨視的行動主義は、そうは考えず、よりマクロな「強化子–反応率」の相関性行動主義心理学分析単位であると主張している。

まりミクロな刺激と反応の関係を捉えるよりも、マクロ環境と行動の関係を捉えることを重視しているのが、巨視的行動主義である

行動主義心理学目的予測制御に置くならば、結局はマクロ記述で十分であり、その方が有用であるというのが彼らの主張だ。

(2) 内的出来事の導入の拒否

Skinner は外的な行動とは別に内的な出来事もまた行動として捉えられると考えた。巨視的行動主義ではそうは考えない。

彼らは、内的な出来事を「潜在的な行動 (covert behavior)」と呼んでいるが、心理学はそれを直接対象とする必要がないと論じている。なぜなら、潜在的な行動が実際に効力を持つならば、最終的には顕在的な行動 (overt behavior) として表出されるためである

このことを彼らは「時間スケールを長くとる (temporally extended)」と表現している。瞬間瞬間に我々には豊かな精神活動 (mental life) があるが、それを相手取らなくても、長い時間観察すれば、観察可能な行動として現れる、ということである

Staddon の理論的行動主義

Staddon の主張は、他の行動主義と大きく異なる。彼の場合は、心的概念の導入を許容する。そして、それを用いた「理論」こそが心理学必要であると考えた。その点は、実験結果から法則抽出する帰納を重視した Skinner の立場とは異なる。また、「心的概念による説明」は Skinner の反対した「原因としての内的過程」でもあり、それを採用する点も Staddon の特徴である

行動主義心理学目的は、予測制御だけではなく「説明」にもあると彼は主張した。Staddon の言う「説明」とは、概念同士の関係によって、現象記述することである。わかる人にとっては、David Marr の「アルゴリズム表現」の位置心理学位置づけている、と考えればすっきり理解できるように思う。

Staddon はやや言葉遣いが独特で、概念連関による記述を「メカニズム」と呼んでいる。そのメカニズムは必ずしも生理学的基盤を前提しないで、あくま心理学レベルでの記述である

ようは、行動のアルゴリズム的な理解なのであるが、事実 Staddon は「私の言うメカニズムとは、アルゴリズムのことである」とも述べている。

Skinner は反応率 (時間あたりの反応数) を分析の基本単位としたが、Staddon はより多元的である。ただし、なにを分析単位とするかは、それ自体研究立脚点を示しているものである。それを Staddon は「The model is the behavior」という言葉表現している。

それでは認知心理学となにが違うのか?と思われるかもしれない。Staddon いわく、行動主義心理学伝統的に堅持してきた「強化履歴」は理論的行動主義でも重要であるというのが大きな違いらしい。つまり、行動や内的状態は、それまでの環境との相互作用に基づいている歴史性を有しているとういうのだ。当たり前といえば当たり前なのだが、その点を強調するか否かである

また、Staddon は「動的過程 (dynamics)」を重視した点も特徴である。他の行動主義は、基本的には刻一刻と変化するような過程というよりは、安定した反応の推移を対象としてきた。ややテクニカル議論ではあるが、現代では複雑な時系列データを扱う方法もたくさん用意されているので、動的な過程を取り上げるのは科学として自然な展開であると思う。

一方、認知心理学では「コンピュータアナロジー」のように、入力–出力関係を固定して考えることが多い。動的に内的状態は推移していることを重視した点も、Staddon の理論的行動主義認知心理学を分ける特徴の 1 つであるしかし、個人的にはこの差異は徐々に埋まっていくのではないかという期待もある。

おわりに

以上、行動主義 100 年の歴史簡単に振り返ってみた。

色々なアイデアはあるものの、基本的現在「行動主義」を標榜している人がいれば、Skinner の徹底的行動主義である。Watson、Hull、Guthrie、Tolman に依拠している者はいない。従って、歴史批判ではなく、科学議論として行動主義批判したければ、Skinner を相手にするべきである

行動主義はとにかく誤解されがちである。それは行動主義心理学者サイドにも問題があるにはあるのだが、科学において、無理解責任基本的には不勉強側に帰せられるべきだろう。

個人的には、アンチ信者より詳しくあってほしい。認知心理学者も、自分たちが寄って立つフレームワーク出自はどこにあって、なにに対するアンチテーゼだったのかをきちんと理解してみたら、何か発見があるかもしれない。

2019-08-08

慰安婦研究者無能

慰安婦軍隊にくっついて行く売春婦世界中にいたであろうことは容易に想像でき、個人的には世界慰安婦事情に興味がある。

しかし、慰安婦研究者が話すのはいつも旧日本軍慰安婦のことばかり。

なぜ他国慰安婦については研究しないのか?日韓慰安婦問題については既に研究し尽くされてるように見えるので、

いい加減別のところの研究をするべきかと思うが、しないのはなぜ?

例えばイスラム国拉致されて強制的に「妻」にさせられる少女問題なんかは現在進行形で展開してる問題で、

研究対象にするべきだが、慰安婦研究者研究対象にすることはない気がする。

あいつらはなぜ研究の幅と視野が狭いのか、だれか解説リーズ

2019-07-02

シークレットガーデンが神ドラマすぎる、

この度、韓国ドラマファンから距離を置いてバリバリジャニオタになっていた私は、

久しぶりに「シークレットガーデン」を観ている。この作品は定価でDVDを買い、ファンブックやらサントラも買い、映像を持っていながら地上波でもBSでも3度くらい見た伝説作品字幕をみなくてもバッチリわかるくらい( 笑 )

DVDサントラ以外は売ってしまったしなんだか熱は冷めてしまったけれど、

BSで見ていた頃の木曜日のしあわせな気持ち、夜中に喘息の発作で救急病院に行ったときも、「シークレットガーデン」を観るためにがんばろうとベッドに横たわっていた自分を思い出した。

1話なんて、韓国ドラマヒロイン主人公)が報われず、苦しくて仕方ないものが多いが、ジャニオタになってからの苦しみに比べたら小さいものかもしれない。

ジャニーズ事務所に対しては

ややアンチ気味→事務所もすき!→いや、やっぱり信じられないわ(いま)

って感じの推移で気持ちが変動している。

事務所のおかげで奇跡があって、推しデビューし、メンバーが集まり、様々な作品が生み出された。それは事務所のおかげだと思うけれど、少しずつ周りを見れば考えられないことが沢山あって、肯定派が洗脳されているような気もして。自分はどうにか洗脳的な考えから抜け出した。

(未だに推してるし、ファンクラブ入ってるけど)

私の三日坊主で熱しやすく冷めやす性格でも、ずっと好きでいられるような気がしていたのに。

でも、いまの私の推しジャニーズ事務所にいないし、その人が好きなのは変わらなくて、昔のジャニーズ時代のものを見ても狂信的に「かわいい」とか言ってるから所詮こんなものだろうけれど、

でも、いまはまだ整理がつかない。

私の気持ちが固まる前にもしかしたら推しグループはなくなってしまうかもしれないし。できればそんなことになる前にオタクからソフトファンになりたい。

それにしても、ジャニオタになってからも、頑張って韓国ドラマを観ようと足掻いてはいたのだ。

「ああ私の幽霊さま」「未来選択」「ゴーバック夫婦」など観たけれど、それなりに好きなのに、いまいち気持ちは戻らなかった。その隙間にジャニーズが入り込んだ感じだ。

いまは、ジャニ断ちをしたくて。無理やりでも。ドラマの影響で自分研究対象にまでしてしまった朝鮮語から、なんとか韓国ドラマが好きだ!という方向に戻したいのだが、いまいちで、とりあえず「シークレットガーデン」を見始めたところだ。やっぱりおもしろものおもしろい。

まだ主役級じゃないイ・ジョンソクくん、「君を愛した時間」や「ピノキオ」ではユンサンヒョンさんがハ・ジウォンさん、イ・ジョンソクくんとそれぞれちょこっと共演してたなあ。なんて。思い返せばここの繋がりからカメオ出演したのだろうし、

このドラマ流行たことばも、シガ中毒ライムの着信音も、懐かしいし、なによりライム女性としての姿がかっこよくて、あいかわらずドギマギしてしまう。

中学生の私、ライムに憧れていたなあ。

って考えていたらジャニ断ちも夢ではないかも?

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