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はてなキーワード: 研究対象とは

2023-03-17

anond:20230316150015

被験者実験参加者(subjects→participants)

も追加で。論文書くときに良くこれで怒られたんだよなぁ

英語圏では,「被験者」という言葉対応する“subjects”が,主従関係を暗示するという理由で,現在は“participants”などと呼ぶことが多い。日本語の「被験者」にはそのような含みはなく,中立的意味使用されていると思われるが,本規程では,より客観的な印象を与える「研究対象者」という用語を用いることにした。ただし,それぞれの分野で一般的呼び方存在する場合はそれにしたがった。すなわち,実験研究では「実験参加者」とし,フィールド研究では「研究協力者」とした。

公益財団法人 日本心理学会 倫理規定より引用

2023-02-21

anond:20230221153112

バカみたいでしょ。でもこのバカみたいな物を頑張って使い物にする過程とかも研究対象にしているのが工学なんだよね。

SpaceXみたいにアホみたいに失敗することで最後成功させるやりかたも研究されているし、Jaxaみたいにひたすらパーツの精度を上げて成功させる研究もされている

2023-02-09

[]数学を最大限日常に活かす

Q: 真実情報の希少性が高まっている。数学理解することが重要だという意見もありますが、なぜでしょうか?

数学は、情報評価と伝達に厳密かつ客観的方法提供することができるため、しばしば真実理解するための鍵と見なされる。数学では、厳密な論理法則定義に基づいて、文が真か偽かが証明されるため、曖昧さや混乱、誤解の可能性が低くなる。また、数学証明独立検証することができるため、複数の人が結果の妥当性を確認し、同じ結論に到達することができる。

情報簡単に手に入るようになった現代では、真実と誤った情報を切り分けることがますます難しくなってきている。数理的手法を用いることで、何が真実で何が真実でないかという共通認識確立し、情報の正確さを評価する根拠とすることができる。

しかし、注意しなければならないのは、数学誤報問題解決する魔法のようなものではないということだ。他の分野と同様に、数学人為的な誤りや偏見操作の影響を受ける可能性があり、他のタイプ情報と同様に、数学情報評価には警戒心と危機感を持ち続けることが肝要である

 

Q: では、数学的な情報ヒューマンエラーバイアス操作にはどのようなものがあるのですか?

数学的な情報には、ヒューマンエラーバイアス操作など、いくつか挙げられる。

数学情報評価する際には、このような誤り、偏り、操作潜在的な原因を認識することが重要である。これは、数学モデル仮定方法、結果を批判的に検討し、複数ソースから独立した検証を求めることによって行うことができる。さらに、基礎となるデータ方法を透明化し、オープンにすることで、より正確で信頼できる数学情報表現が促進される。

 

Q: AMSからよく本を買いますが、AMSは信頼できるのでしょうか?他に信頼できる出版社はありますか?

AMS(アメリカ数学会)は、数学および関連分野の質の高い研究出版していることで知られる、評判の高い数学出版社である。その書籍ジャーナルは、数学者やその他の研究者に広く利用・引用されており、品質と厳密性の面で高い水準を維持しているという評判を得ている。

しかし、最終的には個々の著者の仕事依存するため、どの出版社も、作成するすべての出版物の正確さと信頼性保証することはできないことは知っておく必要がある。しかし、AMSのような出版社は、査読編集監視など、出版物の品質妥当性を保証するための手順やプロセス確立している。

その他、評判の高い数学出版社には、シュプリンガーエルゼビアケンブリッジ大学出版などがある。これらの出版社も、出版する資料品質信頼性を確保するための手続き確立しており、その書籍ジャーナル数学界で広く利用され、尊敬を集めている。

特定出版物を評価する際には、著者、出版社ジャーナル書籍シリーズの評判、作品自体性質制作に使われた方法などの要素を見ることが有効であるさらに、査読済みの論文専門家意見など、独立した情報源を探すことで、提示された情報信頼性妥当性をより包括的かつ正確に理解することができる。

 

Q: 私は個人的に、人間意思決定、すなわち、人間いか合理的に行動するかに興味があります。そのようなことを分析するために必要数学の分野にはどのようなものがあるのでしょうか?

数学人間意思決定研究重要役割を果たし、この現象分析するために数学のいくつかの分野が使われている。重要な分野としては、以下のようなものがある。

これらは、人間意思決定研究に関連する数学の分野のほんの一部に過ぎない。使用する数学ツールは、研究対象特定問題分析対象意思決定状況の種類によって異なる。

 

Q: 因果推論はどうでしょうか?

因果推論もまた、人間意思決定研究に一役買う数学重要な分野なのである因果関係の推論は、変数間の因果関係を決定するプロセスであり、介入や政策変更が特定の結果に及ぼす影響を研究するためによく使用される。

人間意思決定という文脈では、経済成長健康上の成果、政治的成果などの結果に対するさまざまな意思決定や行動の因果関係理解するために、因果推論を用いることができる。これにより、研究者は、異なる意思決定潜在的な結果を理解し、証拠に基づいてより多くの情報を得た上で意思決定を行うことができる。

観察研究ランダム比較試験、道具変数法などの手法がある。各手法にはそれぞれ長所短所があり、どの方法選択するかは、質問される特定事柄と利用可能データの種類によって決まる。

線形回帰モデル構造方程式モデルベイジアンネットワークなどの数理モデルは、変数間の関係を表し、データに基づいて予測を行うために、因果推論でよく使用されるものである。これらのモデルにより、研究者は因果関係の強さと方向を定量化し、介入や政策変更の効果について推論を行うことができる。

 

Q: 想像力を高めるために、量子力学勉強した方がいいという話もあります。一方で、いろいろなことをやろうとすると時間が足りません。効率よく数学勉強するコツはありますか?

数学勉強は、確かに視野を広げ、想像力を高めることができ、効率的にアプローチする方法もたくさんある。ここでは、役に立つかもしれないいくつかのヒントを紹介する。

これらのヒントを参考にすることで、数学勉強している間の時間と労力を最大限に活用し、より深く理解することができる。

 

Q: 数学知識を使いたいのですが、一部の人大学卒業していないので、自分能力証明する形で数学を使うことはできません。社会的弱者数学武器に生き抜くとしたら、どのような方向性提案しますか?

数学は、伝統的な大学学位を持っていない人にとっても、個人的・職業的な成長のための貴重なツールとなりえる。

学歴関係なく、人生キャリアを向上させるために数学知識活用する方法はたくさんある。重要なのは自分数学スキル実用的かつ有意義方法で応用する方法を見つけることである。また、データ分析ファイナンシャルプランニングなど、興味のある分野のオンラインコースを受講したり、資格を取得したりして、スキルさらに伸ばし、雇用可能性を高めることも検討できる。

 

Q: ギャンブルで勝つ、Youtuberになる、など、変わったキャリアを目指す人たちがいます。この人たちはどうやって数学を活かせるでしょうか?

数学の強い理解が役立つ型破りなキャリアはたくさんある。以下はその例。

重要なのは数学スキル有意義実用的な方法で応用する方法を見つけ、時間をかけてスキルを向上させ続けること。

2023-02-06

数学の分科のうち数論幾何研究にあたって必要知識が最も多いと言われていますが、必要知識量がこれに匹敵してするものはありますか?ある場合はその中でももっとも数論幾何場合とは研究に要する前提知識において重複が少ない分科をあげてください。

数論幾何匹敵すると言われている学問としては、代数学解析学があります。また、数論幾何とは別の枠組みで研究されている分科としては、トポロジー微積分学などがあります。数論幾何とは研究に要する前提知識において重複が少ないと言われている分科としては代数学トポロジーが挙げられます

いや数論幾何にはトポロジーどころかホモロジーとか普通に必要じゃん何言ってんのこのクソアホAiは。

俺は数論幾何とは結構研究対象が食い違ってる中でそれを研究してたら天才と言われる数論幾何とタメを張れる数学学問領域はあるかって聞いてるんだよ

解析学も、代数学も、トポロジーも、数論幾何という高みから見たらそれを理解するための踏み台たたき台しかねえ。下位互換学問勉強等の最終目標にしたって仕方ねえんだよ。大は小を兼ねるってやつだ。

同じような知識必要とする学問だと多少異なってても現に天才と言われてるやつに実績で敵う可能性は低いからな。毛色の異なる分野で対抗する方が賢明だし、それを探すには前提知識の重複具合を基準に考えるのが手っ取り早い。

2023-01-26

自分メモ ルッキズム違和感

以下の1~5で見た目で判断することが不当なケースはどれか

  1. 採用面接面接官が一番見た目が好みの相手を選び採用した
  2. マッチングアプリ婚活者が一番見た目が好みの相手を選び交際を申し込んだ
  3. ペットショップで客が一番見た目が好みの猫を選び購入した
  4. 大学チューリップ研究者が一番見た目が好みのチューリップを選び研究対象とした
  5. 車屋で客が一番見た目が好みの車を選び購入した

ルッキズム問題になるのは1が主だと思っていた

しかし2について主に問題にする人が多い?

「外見で判断することで不利益を被る対象存在するならばそれは差別であり避けることだ」というスタンス拡張していくと、3とか4まで容易に拡張できるなあ

地味な動物植物論文少ないからな……

2についてだが、自由恋愛であるかぎりルッキズムは避けられないのでは?あとでこれについて書かれた本を探して読む

2023-01-22

数学者無名具合に疑問

第一線の数学者は他のどの科学者よりも難しい問題を達成していると思うのだが、特に現代数学において誰でも知っているというような人が全然いない事実にひっかかるものがある。

マルクスみたいな経済学者とか、ファーブルみたいな生物学者など、他の学問には数学者よりは高度なことはしてないというのに一般の人でも知っているという人がいるのに、これはどういうことなのか。

数学者で有名といったら、せいぜいピラゴラスといったような古代人、現代数学でいえばリーマンとかラプラスとかだ。

これらの人物共通するのは小学校から大学までのカリキュラムで扱う理論公式発見者かどうかということに過ぎない。

特に古代人が考えたことは現代から見れば易しいものなので義務教育の内容に採用されやすい。だからあのへんの時代人物数学者でも知名度が高い人がいることになる。

ようするに言いたいのは数学者の有名無名はただ単に教育制度次第になっているということだ。

高度な現代数学でも岡潔望月新一と有名な人はいるじゃないかと言う人もいるかもしれないが、あれらが有名なのも、実績の価値が正しく一般の人にも伝わって認知度が高まってきたというものではない。

岡潔なら統合失調症だったなかで戦時下を生き抜いたこと、望月新一なら自分コネを使って論文掲載させたこと。

そういう生き様センセーショナルなところがもっぱら庶民の関心を呼び起こしているに過ぎないのだ。

ポアンカレみたいな「未解決問題を解いた人」というわかりやすラベリングを持った人間が有名なのも本質的には上述したのと同じところにあるのだろう。認知している人の多くが業績の概要価値だけでも正しく理解してるか疑わしい。実績の内容に関する関心ではなく、未解決問題を解いたという一点で共通認識化されているように思われる。

ちょっと単純化が過ぎるかもしれないが、数学以外の科学者土俵はもっぱら実験実証なかにあると思う。

実験により、何かをしたらこういう結果が出た、という目に見える因果関係を把握する力さえあれば誰でもその分野の大学者になれる素質はあるとさえ言える。

もちろん実際に誰もが知ってる大学者になれるかどうかはもちろん有用な結果をはじき出す実験にこぎつけられたらという話になるが、どちらにせよ彼らは比較的易しい具象の中で研究対象と戦っているということには違いない。

一方で数学ときたら現時点で新規性のある高度な数学論文をしたためるには何万ページという論文が語る知見に対する確かな理解の積み上げが無いと無理だろう。

理解する過程においても数千ページ目にあたるある論文理解できないとなったときどこに理解の欠落があるか今まで読んだ論文から探しなおさなければならないわけである

理論構造自体も目に見えるようなわかりやす因果関係から成っているのではなく、抽象的なわけだから知識の欠落がなかったとしてもその理解純粋に難しい。

しかし高度な論文作成はその先にあるのだからこの数学研究というものは果てのない作業なのである

望月もそのような作業を経てついにはIUTの創出という高みに至ったはずである

そして望月以外にも当然少なくとも月ごとには相当数、同程度の高みから発した高度な内容の論文が公開されているはずだが彼らの中から一般人にも有名という人は現れて来ない。

ようするに現代数学者天才である。あの手の分野の数学者受験勉強を全くせず東大に悠々と合格するような人間がざらであるらしい。もっと現代数学者絶対数が少ないのだから「ざら」というのは数ではなく割合問題なのであろうけど。

そんな数学よりは高度な理解力を要しない学問では誰からも知っている人が出てきているのに、現代数学ではせいぜい専門家の間で有名という程度にしかなれないというのは理不尽なことだと思う。

私にはそれほどの数学の才能はないので数学ができる人間に対して劣等感がある。

から劣等感元凶である彼らにはせめてとことん栄誉ある立場にあってほしいのだ。

彼らすら大して評価されないのでは彼らと違って能力のない私には何も救いがないではないか

あるいはこういうことなのかもしれない。既存知識理解するという力と新しい見識を発見する力というのは異なるものなのではないかと。

まり数学の功績は高度な理解力の上に成り立っているものだけども、高度な理解力をもった彼らがもし別分野を志していたとしたら果たして一般の人の記憶にも残る大学者になれていたのかどうか。

現代数学者チョムスキー生成文法もその理論を考え出した背景にある理論も含めてその気にさせれば簡単理解してしまうだろうが、かといってもし彼らがチョムスキーと同時代に生まれ言語学を志していたらチョムスキーを出し抜いてあのような文法理論創造できたのだろうか。漢字世界白川静みたいな業績を打ち立てることができただろうか。丸山真男のような戦後思想史巨人になれただろうか。

理解力は結局脳の処理能力という量的な要素に還元されるものに思われるが、理論創造というものはどのような分野にしても大胆なひらめきがものを言い、これなるもの量化などもちろんできない、一種特殊能力なのではなかろうか。

数学はむしろ知見が論理的に緻密な状態でに充実に蓄積されているのに比べ、他学問の知見は相対的には雑駁というかなんというか、とにかくそういったところから新しい理論を考え出すのには数学以上に何かアクロバティックな部分が必要にも思える。

コペルニクスだったか海上水平線帆船が見えなくなる事実から地球が丸いということを歴史最初に悟った人物らしいが、彼のような発見は彼より多くの知識を持った、つまり理解している天文学者には出来ないはずだと朝日新聞の轡田だかい論説委員の本に書いてあったと思う。

本当だろうか。現代数学者がその時代に生まれても無理だったのだろうか。でももしそういう発見という意味での知性が特殊な力なのなら、ここは素直に認めておくべきことなのかもしれない。数学者こそ昔の偉人発見した事実ベース論文をしたためることができているだけで、彼らがいなかったらならば今のような仕事はまるでおぼつかないものになっていたかもしれない。

ただしコペルニクスデカルトみたいなあの手の啓蒙思想の潮流で偉人扱いされている人がもしも今生まれたら、史実でその発見をしたときインパクトと同じぐらいのインパクトを持った発見ができるのだろうかという疑問はある。

しかしできないのだとしてもそれは役割問題なのだということになるんだろう。コペルニクスにはその特殊能力をもって彼にしかできない発見をしたのだし、現代数学者も彼らの理解力をもって高度な論文を発表している。それでよしとするべきことなのだろうか。19世紀から20世紀イギリスでは優秀な人間天文物理学に行くものだという常識・慣習があったのも引っかかる。

学者としての優秀さというのは最終的には理解力のような計り知れるものではない、ひらめく力・直感センスで決まると認識があった証左なのだろうか。

そうであるなら私についてもまだまだ人生これからで、数学以外の学問でひらめきを発揮する道はあるのかもしれない。

そうだとすれば劣等感を抱く前提条件も崩れ、数学者一般に知られていようといまいが気にする問題ではなくなってしまうはずであるけれど、ここまで掘り下げて考えてしまったので、まあそれはそれとしてこの疑問は解消されるまでことあるごとに私を悶々と悩ませるには違いない。

まあそれでも既存知識理解することにおいては絶大な才能があること、つまり学者がどんな難解な理論提唱しようがたちまち理解してしまうという意味で、あらゆる人に対してタイムラグはあるにしてもそれを無視した見かけ上はどちらの方が物事をよく理解してるかということについては遅れを取ることがないという点にはやっぱり羨やむものあるかなノー勉東大に受かる素質というのも素直に?率直に?畏敬の念に駆られてしまう。

dorawiiより

2023-01-10

anond:20230110170239

登山道を行くだけならな。

研究対象分からんからなんとも言えんけど、

植生の研究とかで登山道外れたりもするなら低山でもそれなりの装備が必要

2022-12-11

anond:20221211012430

翻訳研究の方ではそうなってるのね。それは知らなかった。ただ、

特にTargetが複数言語であるとき権利者のAgentはAuthorizedなTranslatedなBase Text指定したりして、Relay Translationをむしろ範囲要求したりすることすらある。

というとき、その媒介言語はたいてい英語じゃないですか、それって英語帝国主義じゃないの? っていう異議が社会言語学からは出てくるところだと思う。

英語が中心だという前提で行動するのはよくない、もっと多様な言語尊重しないと」という立場と、「クオリティのためなら英語からの重訳でいいっしょ」という立場は真っ向からぶつかっていて、今回はその衝突の表面化かなって。

もちろんフランス語アフリカかに言語押し付けてきた側じゃないんですか? って言われたらそれはそうなんだけど、それは英語帝国主義の免罪にはならんからねえ。

このへん、増田としては、「実用的に考えれば世界のあちこち英語が通じるのは非常に楽チン」であることは認めるのだが、しかし、「英語を介して翻訳するのは元の言語への敬意に欠けるだろう。基本的に元の言語に敬意を払うべきだ」っていう考え方も支持するので、「凡人が海外旅行英語しか使えないのは仕方ないけど、きちんとした出版社がきちんとした学術書を出すなら原語から訳すべきだ」という主張になる。自分勝手と言われたらそうかもしれないが、まあ現実的研究対象国+研究対象国から移民がいる地域しか現地語喋れないんだよねぇ、語学苦手マンですまんな。

ちょっと前に、エヴァンゲリオン英語字幕話題になってたじゃん。カヲルくんの「好きってことさ」を従来の字幕では「love」と訳してたんだけど、新しい字幕で「like」になって、これは同性愛要素を消し去ろうとしている! ってポリコレ連中に燃やされたの。増田はあれを見て「英語帝国主義ポリコレ面してるの醜悪だな」って思ったよ。日本語辞書も引けない連中が英語版だけ見て字幕文句つけるのありえないでしょ、って思うんだけど(日本映画ファン英和辞書引いた上で戸田奈津子文句つけてたよね)、英語圏の連中はそれが当たり前だって思ってる。英語圏のリベラル連中ってポリコレがどうこう言ってはいるけど骨の髄まで英語帝国主義者なんだよな。

ちょっと脱線というか恨み言になっちゃったけど、要するに英語訳がまかり通って原文を尊重しないってのはこういう事態なわけで、日本人のオタクからこそピケティの重訳に怒ってるというのはある。「日本小説翻訳なんて、英語からでオッケーっしょw 日本語ムズいし、翻訳者確保できねーしw」ってフランス人に言われたくないもの。きちんと日本語から訳せ、俺たちの文化に敬意を払え、って言いたくならない? だったら我々もなるべく直訳をするべきじゃない?

ただ、これはもうほんとうに思想の違いなので「日本人だけど別に英語帝国主義でいいです。日本アニメ英語訳が標準でいいです、無理して海外オタク日本語勉強する必要ないよ」と言われたら、あっ、そう……ってなっちゃうんだけど、個別文化への尊重こそが人文系のコアにあるところなので、まあそれに同意する人文系研究者は少なかろうよ、とは思う。

2022-11-25

anond:20221120145527

麻婆豆腐から担々麺、汁なし担々麺へと研究対象を広げ四川に飛び立った奴なら知ってる

自分のことだけどw

2022-11-14

IBMは、半導体について何をしてるのか?量産せず、先端だけ研究開発して何処で稼ぐのか?

IBMは先端プロセス研究はしているが、量産を自前でやってない。

持っていた半導体工場譲渡してしまった。

研究した先端プロセスサムスンと協力して量産につなげている。

日本で2nmが立ち上がったとしても、IBMからするとサムスンに+日本が加わるような形に見えるだろう。


でもいまいちIBM意図がわかりにくい。

量子コンピュータに力を入れているので、半導体プロセス技術研究対象として持っておきたいっての、なんとなくわかるが、

量子コンピュータ特化プロセスにならないってあたりがわかりにくい。

いくら量子コンピュータアクセラレータ扱いで、通常ロジックプロセス制御チップ必要だといっても、だ。

2022-10-23

anond:20221023103510

夫は私の胸や性器を弄り、私の口に自分の指を突っ込みながら「話の続きだけど、生協学部生用の教科書発注忘れて朝から輪転機スキャナーフル稼働だよ」なんて言い、私は「馬鹿じゃないの?」と返しながら夫に愛撫する。私と夫は研究対象は異なるがお互いの分野に口を出し、結合しながら口論になることもある。

なんか怖い

1夫婦セックスを紹介しま

周囲やSNSセックスレス話題が重なったんだけど、そこで聞くのが「もう夫(妻)との間でのセックス想像つかない」というもの。そこで夫婦間でのセックスの一事例を紹介する。私はシンポジウムや授業で必要セックス連呼することはできるが、知人との会話やSNSなどプライベートで性の話はできない性格しかしここならいくらでもおおっぴらにできるのでね。

我が家子供2人の40代前半夫婦。私も夫も研究者であり教員夫婦間での行為は週に2、3回。交際期、新婚期、現在までペースは変わっていない。全くしない週もあれば、ほぼ毎日する週もあるので、週2、3というのはあくまで平均。誘いは夫6、私4くらいの割合。どちらかの「する?」または「したい」に対して「うん」または「いいよ」で始まる。夫や私は「これからセックス」という意識ハグキスをすれば勃って濡れて興奮できるタイプ人間らしく、所謂ムード作りは不要。夫は私の胸や性器を弄り、私の口に自分の指を突っ込みながら「話の続きだけど、生協学部生用の教科書発注忘れて朝から輪転機スキャナーフル稼働だよ」なんて言い、私は「馬鹿じゃないの?」と返しながら夫に愛撫する。私と夫は研究対象は異なるがお互いの分野に口を出し、結合しながら口論になることもある。私が1番感じるのは後背位。夫は正常位が好きなのでこの体位を繰り返す。私は体質的に達しやすいのか夫が達するまでに2、3回は達する。

こんな感じで、私にとってセックスという行為それ自体あくまで肉体的、性的快感を得るためのもの。ただ、達した直後の夫に抱き締められ「気持ちよかった?」と囁かれると胸がキュンとし、「うん…」と返すのである。しばらく無言で抱きしめ合うこの時間のためにセックスをしている。私にとっては事後の接触こそ愛を感じるため、性愛のためのセックスらしい。

セックスというのは、若い頃のようにムードのあるイチャイチャからまり無我夢中で求め合わなければならない、性欲解消ではなく愛を感じることが目的でなければならない、というセックスへの固定観念を取り払えばレスが解消できる夫婦は多いのではないか

Let’s make love

私よ、こんなことを書く暇があったら早く中間試験を作り、未読メールを処理しろ学生へ、期限超過の課題提出は一言添えろ!!!!!!!!!

2022-10-16

anond:20221015093655

女子校女子大女性だけの職場と、今まで実在する男性ほとんど触れてこなかった。

それでも、趣味研究対象としてる(とも言える)ので一家言あるつもりだったけど。

キモい

キモいキモすぎる

何が研究対象じゃ、流石にちょっとキモすぎない?

2022-10-15

anond:20221015093655

女子校女子大女性だけの職場と、今まで実在する男性ほとんど触れてこなかった。

それでも、趣味研究対象としてる(とも言える)ので一家言あるつもりだったけど。

エロゲいっぱいやってたから女心に詳しいって本気で言っている人見てしまった気持ち

やっぱりこう言う人が「男の内面解説しやる」やってるのか

ナゾ

公式に物申すのは腰が引けるけど… カップ表記はいささか度が過ぎるんじゃないか

そういう立場です、38歳。腐女子

女子校女子大女性だけの職場と、今まで実在する男性ほとんど触れてこなかった。

それでも、趣味研究対象としてる(とも言える)ので一家言あるつもりだったけど。

正直、コメントの流れにはビックリしてしまった。

私は両方あっていいと思う。欧米とは異なる多様性のあり方が、日本にはあると思うから

キャラクター設定カップ数を記載ちゃうマンガも、書いたりしないマンガも、どちらもあっていい。

だけど男性オタクたちが、どうしてあんなにカップ数を書かせたがったのかは最後まで解らなかったんだ。

彼にも聞いてみたけれど、肩をすくめるばかりだった。女兄弟に囲まれて育って、同性の友達ほとんどいなくて、流れ流れて女まみれの職場にたどり着いた彼に、男らしい考え方を聞いてもマシな応えが帰ってきた試しがない(笑。

いくつか仮説はある。

一つ。アンチフェミニストミソジニー、および腐女子を毛嫌いしてる人々の阿吽の呼吸による連携

ネットには昔からこういう人たちがいるし。増田でも多いので、これが一番可能性が高いと思うんだけど、面白くないから省略するね。

二つめ。女子カップ数を書くという行為を、あえてすること。しか男性皆んなで肯定することに何らかの快感を得ていたんじゃないかバストサイズを書かせるべく躍起になったのは、仕事を終えて一休みして後は静かに眠るだけの彼らにとって、男だけの連帯感情、見えない絆を確認できる貴重なチャンスだった。かも知れない。

三つめ。性的プライベート情報であるカップ数を、公然表記させることで支配欲が満たせる。コメントの人たちは会社セクハラしたり、電車痴漢したりは決してしないけど、しかしそれでも男性である以上、支配欲は持ち合わせてる。だけど、ケアしてくれる誰かはいない。抑えているつもりでもキミの密かな欲望は、ずっと出口を探してたんだ。

2022-08-13

anond:20220813054037

それ考えたら簡潔な言葉記載されていて数千年も研究対象になっておりまだ掘り下げられる漢文って凄まじいな

2022-08-05

シギの人文・社会ムラの住人たち

(※予め断っておくと、タイトルは誇張である。全ての人文・社会村がフシギというわけではない。したがって、以下の文章では適宜「一部の」という修飾語脳内で補って読んでもらいたいし、該当しない人文・社会学の人は頑張ってもらいたい。)

 現代ネット環境が普及したおかげで、自分が知らない学問について学んだことの有る人、詳しい人と繋がる機会が得られるようになった。学びの機会が増えることは、喜ばしいことである

 人文・社会系の学問を修めたと思しき人とも、接する機会、言葉を交わす機会が増えた。そんな中で「なぜ、この人(人文・社会ムラの人)は、こちらが質問したことに、素直に、具体的に答えないのだろう?」と、しばしば私は不思議に思う。

 私は理系学部出身から、疑問に感じることや無知なことについての質問というものは、する側の立場もされる側の立場も両方を経験してきた。

 学生院生時代学会や他大学研究室との交流などの機会に、私よりも実績やキャリアが遥かに上の教授研究者の方々と、質問されたり意見を交換したりする経験をした。

 はてなブックマークでは「『素人質問で恐縮ですが』という枕詞の後には、必ずクリティカル質問が来て殺戮される」という認識が主流のようだが、現実はそうではない。その人の専門分野ではないトピックについては、いくら凄い先生研究者であっても、本当に素人のような質問をしたり頓珍漢な発言をしたりすることは、決して珍しくはないのである

 こういう「初歩的な質問素人ならではの頓珍漢な発言を、しても構わないのだ」という空気は、けっこう大切なことだ。これによって、自由闊達学問議論を促したり、素人に分かってもらえるように自分説明能力を向上させる契機になるからである

 もちろん理系学部ムラにも、質問や疑問に答える際にイヤな感じの物言いをする人間が、全くいないわけではない。

「Molecular Biology of the Cellぐらい原文で読めなきゃダメだよ」とか「スネデカー&コクランの『統計学的方法』は難しいかな?君の頭じゃあ」とか。なんか思い出したら、腹が立ってきたな。それは兎も角。

 自分が学んだ学問分野に関係している専門家存在や、その人たちの活動内容や業績について質問されたのなら、それを答えればいいだけなのに、何故、人文・社会ムラの人は素直に答えないのだろうか?

 私は、もしも自分学生院生時代研究対象として用いていた生物やその周辺分野について質問されたなら、喜んで「あん参考書籍がある。こんな専門家がいる。こんな研究をしている/いた」と話すと思う。自分の専門分野や詳しい分野について、何も知らない人が興味を持ってくれて、質問してくれるのは、専門家や詳しい人としたら嬉しいし、舌舐めずりして答えたくなるものではないのか。

 しかし、どうも人文・社会ムラの人は、そうではないようなのである。一度など「知らないなら質問するな」と言われて、仰天した思い出がある。物事に関して知らないからこそ、詳しくないからこそ、質問というものはするのだと思っているのだが、人文・社会ムラではそうではないのだろうか。

 素人から質問されて「こんな人間質問対応するのは時間無駄」とか「質問意図別にある」とか「そんな物事/人間は、あなたが知らないだけでたくさん存在する(しかし具体的に示さない)」とか、そんなことを言ってはぐらかすことしか出来ないのなら、一般人から人文・社会系の存在価値・意義に疑問を呈されても仕方が無いのではないだろうか。

 人文・社会ムラは「一般人質問対応するのは時間無駄。答える必要は無い」と、自分たちはジャッジする側の立場と思っているのかもしれない。しかし、一般人から「人文・社会ムラの人には、質問するだけ無駄。この人たちは、質問しても何も答えようとしない。もしかしたら、学問的な蓄積が何も無いのでは?」と訝しまれ、ジャッジされる側になっていることに気づいた方が良い。

 ちなみに、これを書いている増田は、大学を出てから何年も経過した今頃になって、大学数学を学び直しているところである文字どおり初歩的な部分から学び直しているのだが、数学恐怖症だった私の頭のレベルに合わせて「こんな本が有るから読むと良い」と、具体的な形で質問に答えてくれた人たちには、感謝尊敬しかない。おかげで最近は、数学勉強面白くて楽しい質問した相手から一般人質問対応するのは時間無駄」とか「知らないなら質問するな」とか「あなたが知らないだけで良い教科書はいくらでもある(しかし具体的に教えない)」とか言われていたら、数学勉強面白いと思ったり、数学学問的な価値を知ることは無かっただろう。

 学問面白く、学ぶことは楽しい。少なくとも、専門家が、一般人質問に答えてくれる分野は。

2022-06-04

anond:20220528014545

体の結びつきを凹凸のそれに限定する(*)としたら、女同士はできないってことになるから

心の結びつきは、もちろん(見る側の知らないところで本当のが)あるかもしれないけど、

全般の傾向として、体の結びつきには嫉妬するけど、心の結びつきには嫉妬しない…のかもね?

言われてみれば確かに…と思って遅ればせながら思いついたこと書いた

でもこれ普遍的なことだし百合BLもとっくに研究対象から研究とか考察いっぱいありそう

(*)これは男はそうなりがちな考え方だと思うし、Vのリスナーそんなにアップデートされてる感じしない…

2022-03-15

どうやら、最新の研究では既往症を巡る各種ウィルスが新型コロナで複合的に悪さする現象確認されていて、

僕の場合20代罹患したB型肝炎ウィルスが急性期に活性化して肺炎を促進するとか、

かなり素人には理解し難い現象実証例として研究対象になるらしいのです。

https://twitter.com/johanne_DOXA/status/1485761392602861569

2022-02-14

anond:20220208171949

こころぴえん⑦

私には不思議だった。

先生も私もインターネット人格分裂症になっている。

私は先生研究対象にし仮説を立てるために複垢を捕捉していく。

先生先生で私を症例検証医師会に報告するために複垢を補足していく。

私は淋しいけれど賑やかな人間

先生も多分おなじ。

今、私も先生も淋しい笑い方をしてはインターネット人格を撒き餌している。

今日バレンタイン

先生、私はあなたを愛しています

2022-02-03

anond:20220203183848

研究者自分が最も上手くやれないことを研究対象にする、というのは有名な話。

2022-01-10

anond:20220110120337

調律ものすごく遅れたらしく、オルガンがミーントーンのままだったらしい。

  ってのも凄いですね。キルンベルガーとかは普及が遅れたのかな? (平均律が良いとは言ってない)  

でもオルガン音律ピッチの変更は大変でしょうから仕方がなかったんでしょうね。音楽史研究で古いオルガンピッチ音律重要研究対象になるそうですし。

2021-11-21

anond:20211121185155

崩し文字ってルールあるんじゃないの?研究対象になってるし、読むためのAI研究してる人もいる。

https://ledge.ai/tkasasagi-interview/

2021-10-24

anond:20211019123054

「捕まってないわよ。それどころか、将来は文学者研究対象にもなるし、紙幣肖像にもなるわよ」

2021-10-08

anond:20211007234035

とりあえずググってみたら1890年代くらいの文章がたくさん引っかかった。

島田三郎ほか『近世泰西通鑑』1884年

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/776556?contentNo=219

然レドモ此ノ陰謀最モ熱心ナル助成者ノ一人ハ「ノウゴロド」ノ大僧正「セッチン」ナルカ、「セッチン」ハ俗帝ニ反シテ其ノ管内ニ在ル所ノ衆多ノ法皇即チ道士煽動セリ

今回見つけた中では最も古かった。これはトーマスヘンリー・ダイアーの『History of Modern Europe』の翻訳で、原文では以下のようになっている。

But one of its most zealous supporters was Setschin, Archbishop of Novgorod; who incited the multitude of popes or priests in his jurisdiction against the "profane" Emperor.

天野為之『高等経済原論1891年

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/799370?contentNo=128

「グドウィン・サント」ヨリ成リ世界中最モ不毛土地ナリシ「フランダース」ノ「ペース・デ・ウエース」モ勤労ノ効ニ依リ豊饒ナル性質ニ変シ今ニテハ欧州最モ生産多キ土地の一ト為レリ

こちらはJ・S・ミル『Principles of Political Economy』の翻訳で、原文は以下のとおり。

One of the barrenest soils in the world, composed of the material of the Goodwin Sands, the Pays de Waes in Flanders, has been so fertilized by industry, as to have become one of the most productive in Europe.

最初の「One of the barrenest soils」については「世界中最モ不毛土地」と訳しているあたりに苦心がうかがえる気がする。

田口卯吉『史海 第7巻 光明皇后1891年

光明子は嘗て我邦土の上に生れ出てたる最も明敏なる婦人の一人に御座すなり

日本評論」誌による竹越與三郎『マコウレー』評

https://books.google.co.jp/books?id=y3ljPfzhz6EC&pg=PP11

加ふるに本書の主人公マコウレーは、著者が最も同情を表せる一人にして、其著作は著者が日夕誦読精通する所、其時代は著者が最も熟通せる所なりといへば、本書の著者が本書に置ける得意想ふべきなり。

竹越與三郎『マコウレー』は1893年刊行らしいので批評も近い時期に出たのではないか。「日本評論」は、後の日本評論社の雑誌ではなく、1890年から村正久が発行したという同名の雑誌のことと思われる。

森鴎外『月草』1896年

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/871718?contentNo=235

されどすべての文字上にあらはれたる人心の形象を文学なりとして、新聞紙最も重要なる文学の一つとせむは、文学の義をあまりに広く取り過ぎたるものにて、これがために青年文学会の進歩の多少障碍さらるべきは惜むべき事なり。

竹越與三郎『二千五百年史1896年

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993477?contentNo=128

良房藤原氏中、無学無術、最も拙劣なる政治家の一人なりき。

再び登場の竹越與三郎。今度は本人の文章である

外山正一『藩閥之将来 附教育之大計』1899年

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809188?contentNo=11

リーランド・スタンフォルド」大学ノ如キハ、千八百八十五年ニ「リーランド・スタンフォルド」氏及其夫人ヨリノ莫大ナル寄付金ニ依ッテ創設セラレタル大学デアルガ、今日デハ、米国ノ諸大学ノ中デ最モ盛大ナルモノノ一デアル



このように並べてみても、通説のとおり英語の「one of the most 〜〜」構文を直訳したものから「最も〜〜の一つ」構文が広まっていったように思える。つまり「誰が言い始めたの?」という質問に対しては「明治初期の翻訳家のうちの誰か」が答えになる。明治といえば、いわゆる言文一致運動があったように、まだ「近代日本語」自体が固まりきらず模索されていた時期であるし、またここに挙げた森鴎外田口卯吉・竹越與三郎・外山正一などは、いずれも英語の使える教養であるので、意識的に「直訳」的な表現を取り入れていったのだろうとも思われる。ちなみに、そもそも「〜〜の一つ」といった言い方自体が、英語の「one of 〜〜」から多用されるようになったという話もあるらしい。そうした文体は「欧文脈」「欧文直訳体」だとか言われて研究対象になっているので、気になるなら本格的に調べてみてはどうだろうか。

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