はてなキーワード: 環境破壊とは
ハーゲンダッツのアイスについてくるプラスプーンまで自粛されているのに、今日気づいた。
自分が世間からだいぶ取り残されている衝撃と、スプーンなくてどうすんの?という衝撃のマリアージュ。
ってかダッツの蓋はプラじゃねーんですか、と。
間伐材なんかの商品にならない所をMOTTAINAIしたワリバシさんと同じだろうもん、そもそも袋が。
そんでダッツはどうやって食えばいい?
お家じゃなかったからスプーンとか無い、会社にマイスプーンとか持っていかない、洗剤つけて洗う方が回り回って環境破壊です、高火力で燃やして温水プールを沸かせばいいだろ、それが一番エコだろ現代の技術だと、この頭お花畑サンがとか言っとくまでがテンプレ。
と思ってたら木っていうか草のスプーン恵んで貰えた。それダッツじゃないメーカーのでないかね?くれるなら貰うが。
あとブリックのジュースのストローが紙もどきになっててクソ不味かったし最後ふやけた。でもストロー入ってる袋は紙じゃなかった。
パンの原料である小麦を始めとして、農作物を育てるには、窒素・リン・カリウムの肥料の三要素が不可欠だが、ハーバー・ボッシュ法は、窒素を供給する化学肥料の大量生産を可能とし、結果として農作物の収穫量は飛躍的に増加した。このためハーバー・ボッシュ法は、水と石炭と空気からパンを作る方法とも称された[5]。
化学肥料の誕生以前は、単位面積あたりの農作物の量に限界があるため、農作物の量が人口増加に追いつかず、人類は常に貧困と飢餓に悩まされていた(マルサスの人口論)[13]。
しかし、ハーバー・ボッシュ法による窒素の化学肥料の誕生や、過リン酸石灰によるリンの化学肥料の誕生により、ヨーロッパやアメリカ大陸では、人口爆発にも耐えうる生産量を確保することが可能となった[13]。これは1940年代から1960年代にかけて起きた、18世紀の農業革命に続く「緑の革命」の先駆けとなった[14]。また日本などでは従来肥料として用いられてきた屎尿による寄生虫の感染も避けられるようになった。
ハーバー・ボッシュ法は同時に爆薬の原料となる硝酸の大量生産を可能にしたことから、平時には肥料を、戦時には火薬を空気から作るとも形容された。硝石の鉱床が無い国でも国内で火薬の生産が可能となり、その後の戦争が長引く要因を作った。例として第一次世界大戦において、ドイツ帝国は海上封鎖により、チリ硝石の輸入が不可能となったが、戦争で使用した火薬の原料の窒素化合物の全てを国内で調達できた(火薬・爆薬を参照)。
本法によるアンモニア合成法の開発以降、生物体としてのヒトのバイオマスを、従来よりもはるかに多い量で保障するだけの窒素化合物が、世界中の農地生態系に供給され、世界の人口は急速に増加した。現在では地球の生態系において最大の窒素固定源となっている。さらに、農地生態系から直接間接双方の様々な形で、他の生態系に窒素化合物が大量に流出しており、地球全体の生態系への窒素化合物の過剰供給をも引き起こしている。この現象は、地球規模の環境破壊の一端を成しているのではないかとする懸念も生じている[15]。
ハーバーは本法の業績により、1918年にノーベル化学賞を受賞したが、第一次世界大戦中にドイツ帝国の毒ガス開発を主導していたために物議を醸した[16][17]。またボッシュは実用化の業績により、1931年にノーベル化学賞を受賞している。
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「その意見はすでにあるよ」ってことならそりゃあるでしょうね・・・って感じだし、正しい意見だとも思ってない。
そもそも一例として出しただけでヴィーガンに物申したいわけじゃないよ。活動を肯定も否定もしないので特に勉強する気もないです。疑問に思っただけ。
主題としてはこれに限らずこういう考え方をやめたいなあという話です。
主題ではないけど、考えたので書く。
意見したいとか反論したいとかではなく自分の考えをまとめたいだけなので、
光合成はなんだろう。エネルギー源が動物の食物連鎖とは異なる?
動物の食料と違って太陽がある限り枯渇しないから環境破壊にならない?とかかな。
(このへんの目的が人によって違うのが難しいと感じるところ。「動物が痛い思いするの可哀想」から「地球の未来のために」まで広い。)
(以下、全部やめたい考え方)
アニマルライツの文脈なら自然ではないからダメって感じだろうけど、自然を定義しているのが人間なのが不思議なんだよな。
たぶん「できることからやっていこう」という精神なんだろうけど、ちょっとずつすり減るのと一気に破綻するのとで何が違うの?ってなって元記事冒頭に戻る。
宝くじで儲けた人間と変わらんし、つまり批判するようなことでもない。
まああれは金持ち主導のまやかしであることは否定しないし、ビットコインなんて実態がないどころか、ただの環境破壊コインである。
なんで比較しないと気が済まないの?比較しないでやばいはやばいで認めることができないよね。自覚にすら難があるなんて先に進めない国だよね。すぐ後進国と比較してマシとか言い始める。それ意味ある?
しかも日本の経済規模で比較したい相手はヨーロッパとかの先進国だと思うんだけど。
電気が通ってない国と比べて教育がまだマシみたいなこと言って意味ある?内戦やインフラ問題や民族問題がある国と教育比較するのってそういう国をバカにしてるの?先進国が侵略したり自分達は環境破壊して発展してきたくせにそういう国にだけ環境保護コストかけたり条件が全然違うじゃん?マシでもなんでもないよね
電気が通ってて不当な扱いを他国から受けてなくて教育の規模や生活のレベルが高い国と比較するべきじゃない?しかも後進国は経済成長率が伸びる余地がある。未来がある。発展した後の国なのに教育が終わってるのとは全然違うんだよね
逆にそれなら何の問題があるんだろう
末端の、この前何も知らずに適当に企業を選んで適当に入社した人間が可哀想だから、環境破壊に資金を与え続けて環境には破壊されてもらおう!!
やばすぎないか
不買運動は立派な運動。大切な意思表示。これ私刑とか言ってるのは小学生レベル。
ショッピングは投票。社会的に問題のある企業の製品が蔓延るのを黙って見ているのは正しい消費行動とは言えない。
例えば動物虐待をする企業から商品を買えば、動物虐待行為に資金を与えて加担してるのと同じこと。環境破壊してる企業や差別的な企業から商品を買えば、環境破壊や差別に資金を与えて加担してるのと同じこと。より社会に適合した、環境にいい、社会にあるべき企業の良いものを買おうとするのが当たり前。
社会が、バレなければ悪どいことをしてもよく、稼げて生き残れるという環境を与えることになる。
消費者が存在して欲しいものにしかお金を払わないとわかれば、稼げないとわかれば悪いことはしなくなる。
企業の新陳代謝を極度に恐れるから今のような古い体制の保守的な大企業ばかりになって、新しい企業や新しい業界が育たない。
末端なんてすぐ逃げれるでしょ。
不買運動は立派な運動。大切な意思表示。これ私刑とか言ってるのは小学生レベル。
ショッピングは投票。社会的に問題のある企業の製品が蔓延るのを黙って見ているのは正しい消費行動とは言えない。
例えば動物虐待をする企業から商品を買えば、動物虐待行為に資金を与えて加担してるのと同じこと。環境破壊してる企業や差別的な企業から商品を買えば、環境破壊や差別に資金を与えて加担してるのと同じこと。より社会に適合した、環境にいい、社会にあるべき企業の良いものを買おうとするのが当たり前。
企業の新陳代謝を極度に恐れるから今のような古い体制の保守的な大企業ばかりになって、新しい企業や新しい業界が育たない。
デモも権利なんですけどね。勝手に自分一人で権利放棄して政治参加を放棄するのは勝手ですけど、デモは自分の権利を行使してるだけなんで。買い物して商品受け取ってるのと同じなんで。
普段そんな本読まないけど折角のGWだからユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を読んだ。
この本を知ったのは中田敦彦のyoutubeチャンネルに投稿されてた書籍解説動画が切っ掛け。
(URL:https://m.youtube.com/watch?v=fud4-L2lnqQ)←一時間で見れるよ。面白いから見よう!
流石に書籍の内容は難しく、読了までに丸5日はかかったけれどその価値はある体験だった。結構難解かつグロテスクな内容なので余裕があるときにおすすめ。
読了後、内容の復習も兼ねて前に見た中田敦彦の書籍解説動画をもう一度視聴した。
俺はあれだけの濃密で膨大な内容を3本1時間の動画にまとめた中田の手腕に感心したし、YOUTUBE大学のファンなのでこのチャンネルやオンラインサロンを否定するつもりではないと予め記しておく。
また今回見たのが上の動画だっただけでこれからする主張は他のチャンネルの動画にも当てはまる。
その上で、解説動画を見ることは読書をすることとは別物、言ってしまえば別格の体験だと感じた。
以下その理由。
なお『サピエンス全史』読んでない人には伝わらないところが多々あると思うがご容赦を。読んでくれ。
中田敦彦の動画も話に出すから見てない人は下に行く前に見てくれると嬉しい。
それでは。
動画内で解説されていた本の内容をものすごく短くまとめると次のようになる。
20万年前に東アフリカで誕生したホモサピエンスは、認知革命で得た「想像上のものを実際にあるかのように扱う」能力を以て他人類を絶滅させ地球の覇権を握った。
その後、得た認知能力を基盤として農業革命と科学革命に至り飛躍的に文明を発展させていった。
しかし発達した文明がもたらした幸福と自由は人間以外の生物の膨大な犠牲の上に成り立っている。
また生化学や工学等の科学の進歩によって人間はいつか人間以上の存在を創り出し、地球の頂点の座を取って変わられるかもしれない。
とこのようになる。
以下は動画内では触れられていなかった内容の一部殴り書き。(再三になるが読んでない人はマジで意味分からないので注意)
・狩猟採集時代のサピエンスが世界に進出することで他生態系に与えた破滅的影響
・食糧の増加とそれに伴って増える食い扶持を満たす農業の無限地獄
・脳の記憶能力を凌駕する膨大な生産物を管理するための記憶媒体、文字。
・認知革命の虚構によって成り立った団結と秩序、そして差別とヒエラルキー。
・”貨幣”という概念のヤバさ(普遍的な転換性と信頼性及び浸透力)
・帝国の拡張と科学の発展によって人類史上初めて築かれた将来への信頼
・国家と市場経済が個人を支配する過程で奪い、与えたもの。時間、地域コミュニティ、人権、職業、想像上のコミュニティ、平和。
・神になった動物が問われる「我々は何を望みたいのか?」
軽く書き連ねるだけでもこれだけの内容が動画の中では触れられていなかった。
繰り返しになるが認知革命を軸としてサピエンス全史をまとめきったこの動画のセンスには脱帽するし、この動画を見ることで俺の中で新しい発見も生まれた。
だがしかし、これは認知革命一本だけでまとめられる程度の内容ではなく、認知革命も一つとして含めた様々な要素が複雑に積み重なった壮大な本なのだ。
”帝国”についての事前の理解がなければ、その後に続く科学×帝国×資本主義の最強コンボの強さが分からない。
狩猟採集時代のサピエンスの生態系破壊を知らなければ、環境破壊は産業革命以後だけの近代の現象と勘違いしてしまう。
中田敦彦はサピエンス全史が読まれない理由として「話が長く、脱線するから」と言っていたがその脱線は後の章への伏線であり、その長さは意味のある長さなのだ。(中田自身はそのことを百も承知だろう、とは思うけど)
膨大な内容を動画に納めようとすると、どうしても内容に影響のある圧縮をしなければならない
だからその動画を見ることは読書にはなりえない。これが理由のひとつ。
どういうことか、俺の読書を例に取る。
まず俺は本を読んでいた5日間の中で50回以上google検索をした。
話についていく上でどうしても必要だった知識もあれば、本筋に関係ないけど興味本位で調べた単語もある。
前者は誰でも分かる平易な言葉に言い換えられていた。後者についてはそもそも出てこなかった。
ヒトラーやキリスト教の話は出てきても古代シュメール人や16世紀オランダの話が動画内になかったのは我々視聴者がそれを聞いてもピンと来ないからだろう。
シュメール人やオランダのことを知らなくても本の粗筋を頭に入れることはできる。
そういった”無駄”を削ぎ落とすことはは”わかりやすさ”への親切な最適化なのだ。
だがそれは同時に新たな知識との出会いの鍵を失うことを忘れてはならない。
だから解説動画を視聴者することは読書したことにはならない。理由のふたつめ。
俺は読書の途中で考えごとに耽ること度々があった。
食糧が増えることで人口が増加したのであれば(マルサスの人口法則というらしい)、食糧含め最低限度の生活が保証されている筈の先進国の少子化は何が原因なのか。教育コストや生活レベルの上昇によって現代人の考える”食い扶持”は昔のそれより遥かに大きくなったのか?
未来は好転するという思い込みが経済の好循環を創るのであれば悲観論が多数を占める日本の今後は?
↑これは悲観論を根拠に悲観論を唱えるマトリョーシカになって面白かった。
↑これを考えて結構自分なりに納得のいく結論が出たのでここに投稿している。
等々、本に関係のあることないこと色々なところに思考が飛んだ。
読破に5日もかかったのは難しかったのもあるが、この考える作業に時間を取られたのも大きい。
先ほど挙げた上2つはググったら同じことを言ってる人がいたし、多分これも探せば既出なのだろう。
というか当たり前のことをアホがドヤ顔でエウレカ!と叫んでいるだけなのかもしれない。恥ずかしくなってきた。
でも思索自体が楽しく脳味噌を鍛えられる体験だったし、その過程で更に洗練された他人の思考に出会うことができた。
何故なら動画は自分の思考が情報を受信することで一杯になってしまうからだ。
本を圧縮した密な情報を、語り部という他人のペースで受け取らなければいけないので脳の処理がそれ以外に使えなくなる。
文字という情報媒体は自分の読む速度に合わせて情報が入るので動画よりも、脳のメモリに余裕ができるのだ。
youtubeにも一時停止機能はあるが、手間で面倒なので考え事をするためにわざわざ動画を止める人は殆どいないのではないだろうか。
第一、書籍よりも情報が少ないのでそれを土台として思考するにも限られてしまう。
話は脱線するが中田のこの動画は「生物学」+「歴史」+「科学」をまとめた本書の外から見た独自性を動画の最初で触れたところが凄いと感じた。これのお陰で内容を理解する下地ができて、話がわかりやすくなっている。
持論になるが解説動画の価値、求められている「わかりやすさ」とは本の内容をいかに単純化するか、ではない。
その本に書かれていない情報を本の中身に追加し、不足を補うことで視聴者の理解の手助けをすることにあると思う。
またyoutubeの動画が視聴者と本の架け橋となるのは素晴らしいことだ。俺自身サピエンス全史を知ったのはこの動画が切っ掛けだ。
だから中田敦彦の動画は最高だ。それは揺るがない。あっちゃんありがとう。
ただコメント欄に動画を見ただけで終わってしまう人がいて、それが俺には物凄く勿体ないことだと感じた。
今回改めて気づいたのは読書という体験の複雑さと楽しさだ。作業ではなく体験として読書にはそこへ時間を注ぐだけの価値がある。