はてなキーワード: いつかきっととは
自分でも何を聞いているのか、ちょっと頭がおかしいんじゃないかと思ったけど、なんだか言わずにはいられなかった。
疲れてたんだと思う。仕事も人間関係もぐちゃぐちゃで、なんか心がカラカラになってた。いつもの帰り道、ふと目に入った雑貨屋に吸い寄せられるように入って、気づけばそんな言葉が口をついて出ていた。
「えっと…幸せですか?」店員の女の子は、最初は少し戸惑ったような顔をしていた。でもその後すぐに、「あ~、そこにあると思います」と、雑貨の棚を指さしてきた。店員さん、面倒くさそうだな、と思いながらその方向を見ると、可愛らしいキャンドルや置物が並んでいた。
「そういうことか…」と、軽く自嘲する私。しかし、ふと店員さんの方に視線を戻した時、彼女の表情が変わっていた。さっきまでの面倒くさそうな感じが消えていて、真剣に、ちょっと考え込んでいるようだった。
そして、店員さんは私の目をじっと見つめ、「…あなたの心の中にないなら、ないですね」と、柔らかく微笑んで言った。
その瞬間、なんだか胸にズシンと響いたんだ。冗談で始めた会話だったのに、彼女の言葉がまっすぐ心に突き刺さった。「あなたの心の中にないなら、ないですね。」彼女は笑顔でそう言ったけど、その言葉の重さに気づかされた。
私はしばらくその場で立ち尽くした。頭の中で彼女の言葉を繰り返している自分がいた。心の中に、幸せがない…確かに最近は、そんな感覚だったかもしれない。どこかに置き忘れてきたような感じ。目の前のことに追われて、自分自身を見失っていた。
「そっか、心の中にないなら、ないよね」私は独り言のようにつぶやいた。
「そうですね。でも、いつかきっと、見つかりますよ。」店員さんが優しく言ってくれた。なんだか、それだけで心が少し軽くなった気がする。小さな笑顔が自然と出た。
R.I.P. 迎田良子さん
「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】
https://news.yahoo.co.jp/articles/8bb2d6cf595ffedc5bfdf45ad29546aca08b0474
というニュースが話題になっている。 迎田良子さんというパーキンソン病の人が、スイスで積極的安楽死したという話だ。
迎田良子さんは暴力家庭に生まれ、 高卒とともに家を出て、 日本語講師として海外で仕事をしていた有能な女性だ。 ヨーロッパ各地を渡り歩いたという。 しかし50代でパーキンソン病を発症し、 婚約していたフランス人男性にも捨てられた。 そして日本に戻り一人過ごしていたが、パーキンソン病からくる長年の苦しみから解放されるために 安楽死を決意。スイスに渡って安らかに死んだ。 婚約していた男性に看取ってくれるように連絡をつけていたらしいが、 直前になって拒否され、一人で死んだ。
遺骨はレマン湖に撒かれた。 レマン湖は男性とデートした思い出の場所だったらしい。
おれはどうも、この社会で生きていくことが難しいようだ。 この社会で生きていくのはどうしても辛いから、 今ある少ない貯金が尽きたら自殺しようと思っている。 実家に帰ってきたのは、心の整理をつけるためである。 親もおれがいきなり死んだら、心の整理がつかないだろう。 だからすでに、お金が尽きたら自殺するということは伝えてある。
しかしおれはこの社会で生きるのが辛くてそれから逃げたいだけであり、 自殺の苦しみを味わいたいわけではない。 楽になるために苦しむということは嫌だ。 でも安楽死ならどうだろうか。 楽に死ねるだろう。 それがおれの望みだ。
費用は200万円程度らしい。 あとは、英語でコミュニケーションがとれること。 幸い、今ならば200万円は工面出来る。 英語も問題ないだろう。 安楽死するために英語を勉強したわけではないが。
この人生は最悪だった。 思うに、おれは劣った人間との相性が最悪だ。 相手がコンプレックスを抱えていると、衝突することが多い。
ご存知のとおり、 おれの人生は最後の最後、高専とかいう知的障害学歴のクズに破壊された。 結果、おれはもうこの社会で生きていくことが不可能になり、 金が尽きたら自殺するほかなくなった。 この詳細は、おれが死ぬ前にでも書き残そうと思う。
結局このクズも、学歴コンプレックスの塊なのだ。 優秀なおれに出会ってしまったことでそのコンプレックスはより強くなり、 おれに対して粘着し、人生を破壊してやろうと思うようになった。 そしてそれは成就された。おめでとう。
京大でもそのようなことがあった。 こいつは学歴コンプレックスではないが、 自分の容姿や能力にコンプレックスを抱えていた。 それ故に、そのどちらも優れていて、 必死に努力しているようには見えない おれが憎かったようだ。
おれは劣ってる人間に対しては無関心だ。 関わっても得がないとか、損得勘定の問題ですらなく、 ひたすら興味がない。死んでほしいとも消えてほしいとも思わず、 ただ、見えなくなる。 しかしこの無関心が、相手にとってはひどく傷つくらしい。 そして、それが相手の中の敵対心に火をつけるという仕組みのようだ。 めんどくさすぎる。 それは、そちらのせいでしょう。おれのせいではない。 あなたが劣ってるから悪いんです。 ギフテッドに生まれなかったあなたが悪いんです。 いちいち絡まないでほしい。
今後も、こういうことがいちいち起こるんだろうかと思うと もう耐えられない。 おれはもうこの社会で生きていく気を失ったと思う。
おれの夢は、知床で熊と一緒にコーヒーを飲みながら 世間話をするような生活だ。 人間から離れ、山の中でひっそりを暮らす。 そういう生活が叶わないならば、もう、生きる気はない。 ベーカムにも期待しているが、おそらく実現は遠く、間に合わないだろう。 自然の中で熊と囲碁をしたかった。
おれのように社会適合出来ない人間が安楽死出来るような社会になれば 多くの人が救われることは間違いない。 しかし、安楽死には当然、慎重な議論が必要である。 ある難病患者の女性は、積極的安楽死が認められてしまうと その楽な死を選ばないことを自己責任に転嫁されてしまうことを恐れている。 これは例えばだが、用意された楽な死を選ばないのだから生命維持装置の費用は自費にしろとか、 そういう論調が生まれることもあり得るだろう。 確かに、それは恐ろしいことだ。 難病になることは不運であるから、これは国が救うべきだ。
だから、必要なのは積極的安楽死を飛び越えた「超」積極的安楽死である。 超積極的というのは、難病であるとかそういう理由は必要なく、 単に生きるのが辛いことを理由にして安楽死するということだ。 ようするに、今自殺によって実現されている死を薬による安楽死に置き換えるというものだ。 試験での失敗を苦にして自殺するのもいいだろう。 恋人に捨てられたから自殺もいい。 整形手術に失敗したから自殺もいい。 おれのように、社会に適合出来ないから自殺しますも当然許されるべきだ。 生と死には対称性がなければいけない。
大人は、「まだ若いから」とか「これからきっと良いことがあるから」とか言って あなたを生かそうとするだろうけど、それは あなたを自分の老後を支える駒として見ているからだ。
この国の現状は、今は辛くても頑張って生きていればいつかきっと良いことがあると 思えるような状況ではない。 だから、うまく行かなかったら即死ぬという選択肢がないと不公平だ。 また、失敗したら気軽に死ぬことが出来るからこそ、 人間は現世において挑戦することが出来る。 日本人のチャンレンジ精神が低いのは、高齢化社会による社会保険料の問題と、 拳銃の所持が許されていないために自殺が簡単でないことのせいだと思う。 そういう意味では、日本こそ、積極的安楽死が必要な国だといえる。
超積極的安楽死は犯罪も減らすだろう。 貧困になった人が誰しも強盗や窃盗をしたいわけではない。 生きるために仕方なくやっている人もいるだろう。 でも超積極的安楽死があればそういう人たちも、 他人に迷惑をかけるより 死を選ぶのではないだろうか。
回転焼きか大判焼きか今川焼きかってシリーズ対決になるようで、
それはそれでいいんだけど全部絵柄が一緒って言うのが笑っちゃったわ。
わざとよね。
じっくり回転して焼きあがる回転焼きなので、
焼き方は違えど回転焼きが一番違うのかしら?って思うけど
実際のところはよく分からないわ。
大人になったら違いが分かるかと思ったけれど案外そうでもないみたいね。
大人になったらって言えば、
麺だけを楽しめば言いじゃないって思っていた時代が私にもあって
急にいつだったかしらね?
ザ虎舞竜じゃないけれど
薬味と仲良くなったのよ!
あれは好みでその時使うか使わないかは絶対に言わないよ絶対にって槇原敬之さん方式でやるんだけど、
店員さんがせっかく小皿に盛ってくれたのを形を崩さずに残しちゃうと
ちょっと箸で崩して使ってないけど使った形跡を残しておく季節もあったのよ。
私も大人の階段登るシンデレラ形式のそれなんてエイチツーオーさん?って思っちゃうほど、
それがちょうど1年前!
カモン!薬味!カモン!って感じの
うまい!ラーメン!うまい!のネタでしかない「うまい」で挟まれた表の看板のラーメン屋さんがあるようにそう
私もカモン!薬味!カモン!って
でも未だにあんまり私が好んで食べようと思わないものがあって、
めんまなのよね。
食べられないわけではないけれど、
好んで食べようとは思わないぐらいの感じ。
あってもなくても私はどちらでもいい女性専用車両4コマの人のように思うの。
もしかしたら
メンマ!私!メンマ!って挟まれても嬉しい季節が到来するかも知れないから、
でもあのラーメンのあの
メンマ以外にも刺して盛ってやって来る板海苔もあんまりよく分からないけれど
いつかきっと私もラーメン屋さんに盛ってやって来る板海苔が好きになる季節が到来するかも知れない、
ラーメン刺し板海苔!私!ラーメン刺し板海苔!って挟まれてもいい感じなぐらい、
あとラーメンどんぶりの器を一周する丼からひらひらと垂らして盛ってくるチャーシューもいつか好きになる季節がくるかも知れないので
ひらひら1周盛りチャーシュー!私!ひらひら1周盛りチャーシュー!って囲まれても
それなんてエブリリトルティング?って信じ合える喜びをいつか感じるときがくるかも知れないので、
何事も全否定することを全否定するわけにはいかないことも無いことも無いなとは思わないのよ。
嫌い嫌いをアピールしても何も得することがないじゃない。
饅頭以外は!
あれは饅頭大好きだけど、
じゃ落語の登場人物の人たちがあいつに意地悪して嫌いな饅頭を差し入れしてやろう!って
嫌いって言っておけば良い作戦なのよ。
でもあいつに意地悪してやろう!って思われるぐらいあいつも嫌なやつだってそのベースが悲しいので、
そもそもとして嫌われない行動を常日頃に持っておいて
人当たり良く過ごすのが
今日の私の新聞紙の占いの一位に書いてあった私の星座ではない良さそうな占い結果だったの。
だから、
少しぐらい言っておくべきでも良かったのかしら?
隣の席の薬味を使わない人を見るともったいないなーって思っちゃうの!
薬味好きになって欲しいなって思うの。
うふふ。
カールスモーキーじゃない方の石井さんのベーコンの香りが香ばしいわ。
なかなか食欲をそそる感じがして
そんな鰯気に鳴ってなくて今度温めてみようかな?って
今朝ちょっと寒かったので
急須で淹れるとたくさん出来るので
水筒のボトルにいくらか詰めて持ってきて出先でも楽しめるホッツ緑茶ウォーラー!ってところかしら。
今日の私のラッキーアイテムはホッツだったのでちょうどいいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
シャープペンシル機能だけ使いたい温存しておきたいからって筆箱に入れておくスペースはマジでどうしようかと考える5秒前なんだけど
インクのさー
私が愛用しているのは0.7ミリの細さの太さの細くもなく太くもない中間ぐらいのを使っているんだけど、
まあ使っている頻度も高いから擦れることもないのよね。
それをメインに使っている生活を送っているので
たまに活躍するそのシャープペンシル機能を含むプラス3色ボールポイントペンのそれは
本当にたまに使うから
そんでいつも擦れるから
ぐるぐる試し書きを紙の端っこにして
試し書きで一生終わりそうで
また取り出して同じ事を繰り返す。
インクが擦れて出ないのによ!
そうなると
シャープペンシル機能だけでスタメン入りさせているスターティングメンバーには入れるベンチの数も椅子も少ないので、
引き出しの奥に入れておきたいところなのよね。
でもたまーに
本当にたまーに
捨てられない事情なのよね。
マジックとかだったら
「ごと」捨てられちゃうけど
いかんせんシャープペンシル機能だけがあるから唯一の機能活躍の場がいつかあるかも知れないことを期待しているそんな世の中よ。
だいたいはボールポイントペンの消えないタイプのペンで書くことが多い山脈に向かってヤッホー!ってシンプルに叫んじゃうけどね。
学生の頃とは違って
9回裏二死満塁!逆転ホームラン級のホームランバーを私も初打席ホームラン狙えるかと思ったけど
なんか高いオニギリを例えば百貨店とかの良い海苔を使っているおにぎりだと
海苔と言えども厚みを感じる
そう!そうよふくよかな豊満な海苔の風味を味わうことができるぐらいに
初回買って見て初打席で上手いことホームランなんて打てるわけないのよ。
そのぐらい
鉛筆機能とボールポイントペン機能と使いの割合が逆転サヨナラ満塁ホームランってところかしら。
そうそう!
今シーズン私も秋刀魚定食秋の祭典スペシャルを幾つ食べられるか秋刀魚の食べた本数をホームラン数になぞらえて
今シーズンのホームラン数を発表すると2本しか打てなかったわ!
いつの間にやら
私の楽しみにしていた秋の食の祭典のスペシャルが最終回で終わっていたのよね。
時すでにお鮨!
秋刀魚だけど!
いやー終わっていたとは、
いやー終わるとは思っていなかったので
ワンチャンあるならワンチャンって言うのは王貞治元監督のことで
そのワンチャンも私が打席に立ったら秋刀魚ホームランをかませ!って
秋刀魚にかけて美味しい柑橘類と言えばカボスだけどスダチのときもあるから、
私はボディーランゲージのサインでワンチャンにスダチって合図をもしかして私の合図を効いてくれるかも知れないワンチャンにかけて
「ワンチャン」イコール「もしかして」にも等しい値を叩き出しているのかも知れないわ。
そんなことでは秋刀魚ホームランはカボスだろうがスダチだろうが
美味しく食べられたらそれでホームランの値打ちは変わらない値に等しいので
ワンチャン美味しい!ってなるのよね。
秋に擦れたインクのボールポイントペンに思いを馳せながら食べる秋刀魚のホームラン味は
うまい棒のホームラン味を手渡して少年の病気の治り具合をそのうまい棒ホームラン味にかけるのよ!
だから私はその少年の病床の病室の窓から見える向かいの棟の病棟の壁に
絵描きさんが書いている
枯葉が落ちないように
少年はあの枯葉が落ちたら退院出来るんだ!って思っている逆を行く
絵描きさんに壁に葉っぱが落ちないように絵で絵の具で葉っぱを描いてもらうのよ!
秋は美味しい物尽くしね!
でも少年は葉っぱが全部枯れ枝から落ちた頃には退院出来るんだ!って思っていたのに
いつまでも落ちない絵で描かれた葉っぱをみて
濃い濃いソースの日清焼そばUFOをそっと差し入れしたいと思うし、
きっと少年も元気になると思う!
次はうまい棒の秋限定アースウィンドアンドファイアー味を差し入れするわ。
うふふ。
納豆巻きも巻くのが手間だけどそれを越える美味しさがあるわよね。
飲み頃になった温度でいただく
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ちょっと前に出た同性婚の司法判断をまとめたり性的少数者の現状についてまとめ、共生社会の実現のために何が必要かについて記事を書いた。
幾人かのLineグループでのたわいのない会話で無茶苦茶茶化した。のちにそいつらの一人がそっちの気があると分かった。あ~あ。
大学生の時、選挙権を行使すること、あるいは権利を行使することがなぜ必要なのかについて調べ、どう中学生に教えるかレポートを書いた。
統一選はめんどくさくて権利の行使を放棄した。というか選挙権を持ってから投票したのは初めの一回だけだ。
最近プラスチックの環境汚染や地球温暖化についてのウェビナーに参加し、国内外の対策や現状について最新の情報にアップデートした。
カフェで飲み物を頼んだ時、わざわざ紙ではなくプラスチックのストローを取った。家族がリビングに集まっているのにわざわざ自室にこもって冷房をつけてゲームした。
今日仕事で結婚と仕事、女性の権利について調査して、コラムっぽいものを書いた。
なんでもかんでもspoilするのが癖になっていて、仕事でまじめなことをする度に真逆のことをしないと心のバランスが保てない。
いつかきっとsocialな場で俺のそういう一面が出てしまうと思うが、それが俺の社会的な寿命なんだろう。まあlineでやらかしたけどね。あ~あ。
仕事辞めよう辞めようと思ってたけど、今は繁忙期だし、新プロジェクト始まったし、新人入ってきたから教育しなきゃだし、別の奴が辞めたから仕事巻き取らないとだし、とタイミングがなくて辞められずにいた。仕事でも人生でも俺の都合のいいように周りは止まってくれることなんかほとんどないわけで、結局周りがどうこうじゃなくて俺がどうするのかを今、決断するしかないんだよな。
正直、仕事としては新プロジェクトがかなり難しい局面ではあるんだけど引き継ぎ資料はもう準備してあるし、2か月は有給消化しながら引き継ぎ、補助業務はやっていくつもりだし。部長からはこのプロジェクトが終わってからにならないかって言われたけど、このプロジェクトが終わったら本当に何のあとくされもなく辞められる保証もない。
もういつかきっと今以上にいい時期が来るに違いない、なんて希望を抱くのはやめだ。
お疲れ。
何がしたいは、コレっぽっちもないくせに
何がしたくないかは、沢山ある
はてなブックマークでスター乞食ブコメでスターをもらいたくない
Twitterで漫画のスクショを大量に貼って「漫画がうますぎる」みたいなどうとでも捉えられて汎用性のある広い褒め言葉を書き散らかす行為が嫌い
Twitterで「自己陶酔」なる大なり小なり全ての物事に見え隠れする要素をこれ見よがしにあげつらって笑う行為が嫌い
けど、今この僕の書き込みのように「俺は俯瞰的に物事を見ているから、君たちとは違うんだよね」と言いながら、その中身は承認欲求ビンビンの情けない腰振り雑魚チンポ揺らしてる行為が一番醜い
Twitterで目立ってる奴らが妬ましい
でも、それ以上に、そんな彼らのことを斜に構えて分析面して、
「俺だってやれば出来るけど、プライドが許さないんだよね」みたいな顔して何もせずにただただTwitterを眺める自分が一番大嫌い
俺もみんなみたいに友達を作って仲良くワイワイしたい
ひとりはさびしい
なのにすぐ他人を妬ましく思い、自分に無いものを見るたびに羨ましくなる
そのくせ、具体的な行動は何もせず、あれは酸っぱい葡萄だから食べなくてイイと理論武装して満足する
そうして最後までいれればいいけど
イワクラと吉住の番組で何故か一週飛んで後編が放送された小籔さんゲスト回
高校三年間がコロナ丸かぶりで全く行事を経験せずに卒業することになり立腹している子に対し
「『この世代だけが持ってるエピソードトーク』を持ってると考えたら、選ばれし3年間
言っていた
なるほど
でも、ふと思ったけど「団塊ジュニア」とかの世代は人生まるごと不遇で目も当てられなくて、エピソードトークどころでは済まない人も多い
不遇は人生のほんの一部分だったらネタとして使えるけど、生涯通しての場合は憐憫を誘うものでしかない
次、
「最近話題になったニュースで腹立つなってことありますか」というイワクラの質問に対し
(一回ニュースになったら)『あんなんなんねや、やめとこ』って普通なるもんやん
と言っていた笑
ほんと意味わからんよな。承認欲求強過ぎて後先考えないんだろうな
とも言っていて
報道されることでフォロワーが出てしまうのは今始まったことじゃないんだ
その「事件」の良し悪し関係なく(ランドセル贈り魔とかも流行ったよなあ)
次、は小籔さんの発言じゃないけど
「(漫画編集者が面白いと思った作品を上司に認めて貰えないという悩みに対して)時代が追いつくっていうのが本当にあるんだなと身を持って体験しているから
自分が面白いと思った事を貫けるかどうか…貫き続けれてばいつかきっと」
と吉住が言っていて
「時代ってなかなか追いつかないよな。ほんと10年かかるよな」って個人的に思った
今もてはやされている音楽シーンの人達は、10年前にネットで流行った人達なんだもん
関係ないけど、この番組で出されてるお菓子食べてる人初めて見た笑
流石小籔さん。kawaii
https://anond.hatelabo.jp/20220304184302
shields-pikes 過去の読み切りから追ってるけど、ずーっと「コンプレックス」をテーマに話を書いてる作者だよね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4716259749275314210/comment/shields-pikes
これも、「そうかぁ?」と思ったので、タイザン5名義で読める読み切り作品を再読してきた。
『讃歌』(DAYS NEO)、『同人政治』(となりのヤングジャンプ)、『ヒーローコンプレックス』『キスしたい男』(ジャンプ+)
で、再読して、やっぱりそうだよな……となったのだが、自分は、タイザン5の一貫したテーマは「救済」だと思う。
いかにして人は救われうるか。どうしたらその瞬間を、説得力やカタルシスをもって描けるのか、という部分が焦点になっている。
より突き詰めて言えば「どんな状態で発せられる、どんな言葉なら、『嘘』でなくなるのか」が、読み切り4作品で見える、タイザン5の「テーマ」だ。
ハッピー星人は、説得力のない、しずかやまりなや東くんにとって「嘘」である、綺麗事しか言えない(理解できない)状態から始まる。
なので、テーマは1話で描かれている通り(もちろん、テーマというのは必ず1話に描かれているものだ)。
「たくさんお話して、もっと君を知って、いつか、いつかきっと、しずかちゃんをものすごい笑顔にしてみせるっピ!」
【公式】タコピーの原罪【上巻発売記念PV】 - https://youtu.be/vsPbfdv41-w
ちょっとした出会いがあって、それならたまに家に来てくれたらいいよその分お金渡すから。
という関係の同い年の友人ができた。
諸事情で休職中ということで、見た目もすごく好みだったので金で割り切れる簡単なセフレができるならいいと思った。
そもそもアプローチは向こうからで、お金なんていらないから会いたいって言っていた。
ただ、自分の育った家庭が極貧だったせいか貧乏な人間を見るのが苦手だった。
ストレスで酒を毎日飲むその男の姿を見て、対価はあるにしろ金を渡してみたかった。
毎月6万円。年収800万円の外食をしない、少食で固定費も少ない、掛けるとしたら美容費用くらいの寂しい女にとっては大した出費ではなかった。
男は大体週に一度来た。最初は居心地悪そうだったが、好きに過ごせと放っておいたらその内昼寝もするようになった。
皿を洗ったり、私の髪を洗ったり乾かしたり、一日中べったりくっついてきて、キスやセックスや添い寝をして3日ほど泊まって帰って行く。
お金を渡すときは指示していないけど正座して座って、情けないような寂しいような目をして「ありがとうございます」という。
大した金でもない。月の半分女の相手して6万円じゃ労働としては赤字なんじゃなかろうか。
気楽にやっているといいんだけども。
最近はソファに丸まって昼も夕方もぐーすかよく寝るので犬のようだ。
彼の見た目が好みで相手からアプローチをされてそれを断ってこの生活を提案したこと。
いつかきっと復職して若い女でも見つけてこの生活もあっさり終わるであろうこと。
さみしいけど仕方がないこと。
わかっていて全部やっている。
いつだって手放せるようにさみしさとずっと仲良くして行く。
ああさみしい
追記:
以前ヒモみたいなものができた人間の話を増田に書いたものです。
さまざまなご意見頂けてすごく助かりました。
あれから1ヶ月だか数ヶ月だか経ったのですが、今月でヒモがヒモでなくなります。
ヒモになる前から勉強していた資格類も一通り取れたようで、今は大卒の初任給ほどの収入ですが出来てもうお金はいらないとのことでした。
応援していたことだったので、それはよかったと心底喜んでお祝いしました。
もうお金はいらないから、5月の私のマンション契約更新タイミングスタートで同棲を申し込まれました。
収入はまだしばらく私の方が倍ほどあるので、家賃や光熱費は私が7割負担ならと承諾しました。
今後も、忙しくて一緒に食事が出来なくても自分以外の誰かが作ってくれる手料理を頂けると思うととても幸福感があります。
仕事くらいしか出来ない女だったので、突然のことのように家族みたいなものができた奇跡を感じます。
ただこれも、私が平均より少し金を持っていた人間だから奇特なタイミングがあって、相手の優しさと歩み寄りがメインでつくてくれた関係性だと思います。
子供向けアニメと特撮を、四十路ババアになっても息子と一緒に今日も全力で鑑賞しています。ひとつぶで二度おいしい人生ってすばらしい。
息子は男女の違いを理解し、ピンクを嫌がる年頃になりまして、見るのはもっぱら男児向けなんですが、友人の娘にあわせプリキュアとか見る機会があり。
あー女児向けの魔法少女かーなつかしいなー自分も子供のころミンキーモモやマジカルエミとかみたっけなぁーとか呟きながら鑑賞して、その趣の違いに驚いたので。
まずプリキュアの「変身」について。
いやこれ、「変身」じゃなくて「変装」じゃないの? コスプレだよね?
バイキンマンの方がまだ中身を隠す努力しているんじゃないかというガバガバっぷり。いや、大人の汚い心がそう見せているのだろうと必死に自分を納得させて、なるたけ幼女の気持ちを思い出しながら見続けて、違和感を感じました。
その違和感を以下モモと比較しながらつらつら書きたいと思います。
(すみません、モモを知らない世代の方の方が多いでしょうが、80年代に制作された魔法少女アニメです。魔法の国のプリンセスであるモモは、魔法の国を救う為の使命を帯び人間界に降り立ち、プロフェッショナルな大人に変身する魔法を使って夢を忘れた人間に再び夢を見る事を思い出させる仕事にあけくれる物語です)
大人の目線からみたら十二分に子供ですが、低学年の目線では「大人」です。
え? って思われるかもしれませんが、胸もふくらみ手足も長くなり幼女とは明らかに違う生き物になっている少女達は、「小さい大人」なんです。
「だからなに?」と思われるでしょうか。
大人のお姉さん達が、素敵な可愛い洋服を身に纏い、悪いやつらをやっつけてくれる。そりゃあもちろん応援します。でも それは大人の世界の話で、自分たちの世界の話ではないのです。プリキュアたちが学校でするような当意即妙な会話など、身の回りには存在しませんし。
それと共に「悪いやつらを腕力でやっつける」という展開。
むしろ、その爽快感を捨ててしまったらストーリーはひどく退屈なものになるでしょうし、男児向けはそれでいいと思っています。
男の子たちは「自分も努力をすれば仮面ライダーやウルトラマンになれる」と考え問題を腕力で解決しようとするからです。腕力は努力すれば手に入ると思うことができる力です。(実際、うちの息子は毎日修行に励んで、いつかウルトラマンになるのだと宣言しています。男児向けストーリーでも修行や努力を推奨するものが多い。)
これは努力でなんとかなるものではありません。選ばれし勇者だからという、自分の努力や才能とは一切関係のないものです。たなぼたです。
モモが変身するのは「プロフェッショナルな技術と知識をつけた大人」です。
いつか、(そのために努力すれば)手に入れることができるもの。
「魔法で変身する」
ミンキーモモで一番好きだったのが、変身のシーンです。
子供から大人へ。今の自分とは全く違う、でもいつかきっとなれるモノへ変身する。
胸をどきどきさせながら、大人になったモモががんばる姿を応援していた自分。
そこには、自分の、いつか私がとびこんでいく未来の世界の物語がありました。
プリキュアには、素敵な、子供を励まし力づける物語や示唆がたくさんちりばめられています。 歴代監督が商業的にどれだけ魅力でも「大きいお友達」向けにならない様に努力されている事も。
なぜなら、成長した自分は、もう子供の頃に見た物語の細部や台詞は残念ながら覚えていなかったからです。
けれど、子供の頃に見たモモという物語の核になるメッセージは忘れてませんでした。
この点が、自分の(※イタコ中)物語ではないと感じた理由です。
浅い理解と罵られそうですが、幼女は浅い理解で生きる生き物ですのでご容赦を。
モモをつくった大人たちは、現実の世界で悪戦苦闘しながら、それでも、大人になることへの希望を届けようとしてくれたのではないでしょうか。
「過狩り狩り」という「良質なマイナー作品」を、「鬼滅の刃」という「大衆の心をわしづかみにする超メジャーエンターテインメント」へと飛躍させたものは、いったい何だったのか。
私は以前の記事で、「鬼滅の刃」がもたらす感動には、ナショナリズムのもたらす高揚感と共通するものがある、と指摘した。社会学者の大澤真幸さんによれば「国民=ネーション」という共同体が、「われわれという一体感=ナショナリズム」を持つためには、「我々の死者」という存在が必要になる。
「かつて自分たちのために力を尽くし、死んでいった人々=『我々の死者』がいた。自分たちもその思いを引き継いでみんなのために力を尽くし、後の世代へと引き継いでいく」という時空を超えた連帯感、「我々の死者」の連鎖こそがナショナリズムの本質なのだ。
「みんなのお陰で命を守れた」「ありがとう最期まで戦ってくれて 自分ではない誰かの為(ため)に」「君たちのような立派な人に いつかきっと俺もなりたい」
「みんなのために戦って命を捨てた『我々の死者』たちを決して裏切らない。彼らの犠牲を無駄にはしない」という思いの連鎖、絆の連鎖こそが「鬼滅の刃」のメインテーマ(主題)であり、それは作品の中で繰り返し、繰り返し、変奏される。
お願いだから人のために生きろ。その能力、財産、時間なんでもいいから人のために使える人間になれ。なにも全財産を投げうって募金をしろと言っているのではない。例えば人類の科学の進歩のために研究に身を投じるだとか、話を聞いて欲しそうな人がいたら聞いてあげるとかでいい。それで救われる人間は必ずいるし、絶対にお前に感謝する。畢竟人は一人では幸福になれないのだから、周りの人間に好かれるように努力しろ。無神論者が多い日本だからこそ言うが、常に神様に胸を張れるように生きろ。恵まれたものはそのちからを人から奪うためでなく人に与えるために使え。現代日本に貴族はいないが、ノブレスオブリージュはまさにこの精神だ。若いうちは意味がわからないかもしれない、でもいつかきっと気づく時が来るし、それは病床に臥せって死ぬ直前かもしれない。だからどうか、人のために生きろ。
湯沢町ではないが、新潟県内の若者の一人の気持ちだ。この一年と数ヶ月ずっと真面目に我慢していた。それが馬鹿みたいだ。友人との飲み会やおでかけもしていない。今まではライブだ舞台だテーマパークだとしょっちゅう行っていた県外へも一度も行っていない。祭りやイベントもない。あっても行っていない。県外に暮らしている友人が帰省してきても会っていない。今までの楽しかったこと、生き甲斐のような気持ちでいたもののほとんどを我慢して生活していた。
それでも、世間やテレビのニュースに影響された中高年たちには若者のせいで感染が広まっている、若者はコロナなんか気にせず出歩いている、と言われ続けてきた。そういう人たちも確かにいるけどそれは若者だからではなくてどの世代にもいる、と訂正しつつも受け流してきた。
それでも国内、県内の感染者は増えている。でも、はやくこの時代を終わらせるためにと努力と我慢を続けていた。一人ひとりがそうしていればいつかきっとと思っていた。
しかし、明日からフジロックは開催される。私が我慢してきたことを踏み躙るように県外から客がくる。私だってこんな世でなければ行きたい。どうして、県内の人間が行くことを我慢しているのに県外の阿呆たちがそれを楽しむのだろうか。許せない気持ちしかない。
主催者に対してはどうして中止しくれなかったのだと怒りはあるものの、出演者やスタッフに関しては仕事であるのだから事情がある場合もあるだろうと怒りはない。
観客はどうだろう。ただ自分が楽しむ以外の目的で来る人しかいないだろう。どうしてそんなことができるのだろう。ワクチンを打ったとしても罹っている人もいる。陰性だったとしてもそれでも潜伏していたという例もある。変異種もある。何が対策だ。来ないのが一番の対策だろう。
チケットの払い戻しも行われているし、ライブ中継もされるのだ。家で騒げばよいだろう。生で観るからこその価値があることは分かるが確実に今じゃない。フジロックの未来へ繋げるためにチケットの払い戻しを行わずに自宅で楽しむという方もいた。その方は立派で正しい姿勢だと思う。
苗場の経済を回すため?それならばネット通販で何かを買うなり、募金をするなりしてくれ。何のためのインターネットだ。
また、東京五輪に関しては反対していたのにフジロックには賛成、参加するというお花畑みたいな人々もちらほら見かける。思考が分からなすぎて、気分が悪すぎて笑える。五輪が開催されたのだからフジロックもとは?何のために五輪の開催に反対していたのだろうか。五輪開催に関しては反対ではあるし、実際感染も広まっているが、無観客で行っていた五輪の方がまだましではないだろうか。
実際、フジロックの開催地が別の県だったら、疑問や怒りを感じるにしても、ここまで怒っていたかは分からない。私だって結局は自分が自分がと思う人間ではある。自分が我慢しているのにどうして、という気持ちが結局のところ一番ではある。でも、その気持ちを持つ人間は私一人でないはずだし、開催地がどこで同じ気持ちを抱く人間は必ずいるだろう。
フジロックには来ないでください。来る人間は全員地獄に落ちてください。人間一人ひとりはその行動で感染を広めることはできる、しかしちっぽけだからその責任を取ることなんてできないのだから。私はこれからも真面目に感染対策を続ける。
追記1 タイトルと内容の一部の言葉が乱暴で過激なので、自身のことを批判されていないにしても気分が悪いという方がいるかもしれないのはごめん。たぶんあなたのことは悪く言っていない。
追記2 フジロックに限らず、大型イベントは国内(新潟も)の感染者数が一番多い今やるべきではないと思う。ただ、地元で開催される全国から数万人という人が集まるイベント、ということでフジロックには個人的に特に怒りがあるだけ。たぶん、あなたの地元で同じようなイベントが同じように開催されたらあなたも思うところがあるんじゃないかな。
追記3 自分に関係ない地元の人間がどうなろうと関係ない的なコメントがあった。感染を広めることだけではなく、参加者自身が感染して苦しむこと、またそこから参加者の親しい人間たち、またその親しい人間たち…へ回してしまう可能性も考えてほしい。地獄に堕ちろなんて呪詛は吐いているけど、参加者たちが苦しむことも私は望まない。いい人ぶってごめんと思うけどそれもまた本心です。タイトルがしねころすの互いでないのは、いつかバチが当たれという意味を込めての地獄に堕ちろだから。
追記4 地元や主催者への抗議は済んでいます。それでも開催されるのだから、もう参加者へ来ないでと言うしかない。ここで前日になってから文句垂れている理由はそれ。
追記5 県内、または感染者の少ない地方から参加する人たちは自身が感染し、持ち帰る可能性が高いので感染者の多い所から来て広めてしまう可能性が高い人と同様におかしいと思う。
追記6 我慢しないで遊べば、という意見もあったけど、周りの目が気になること以前に私自身だけでなく家族や同僚、またその家族(特にその中にいるかもしれないご老人、疾患のある人、子どもや妊婦)にうつってしまったら…と思うと無理。
追記7 まあ、現在開催中なわけだけど、都会と地方(と限らず、まあ人によるけど)ではこの感染症に関する意識が違うので、村八分による感染者の自死、県外ナンバーの車への嫌がらせなどなどがあり、病気になって身体が辛いだけではないだけではないから来た人も地元の人も本当に気をつけてね。