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はてなキーワード: 心の問題とは

2022-06-07

母親になって後悔してる』という本を出す事、それを大っぴらに持ち上げる事に子供立場から疑問を呈する意見に対し

「思う事すらも許されないの?」って、そりゃあ「思う」だけなら内心の自由は無制約なので別にいいと思います

こういう人達って大抵他の話題では内心の問題と表に出した表現とをしっかり切り分けられているのでなんで混同するのか不思議で仕方がない

2022-05-14

びっくりした反論

以前、性的視線がどうこうという内容を増田に上げたことがあって、そのとき自分の主張をざっくり書くと

「内心の問題じゃなく、単純に相手不快に思う視線を投げかけるなってだけの話じゃん」

というもの

このエントリの、今は消えてしまったトラバで仰天した内容の反論があって、心底驚かされてしまった。

その論旨は、確か

「それは視線の送り方が分からない、発達障害者に対する差別になるからやめろ」

だった。

いやもう、呆れたね。

読んだ当時はゴミカス、クソがしか思わなかったし、今もそう思ってる。

だってこれ、自分加害者であることを棚に上げて被害者仕草してるってことだろ?バカじゃねーのっていう。

ちなみに男の発達障害者って、本人的に大人しくしていてもキモがられることが多いから、小中高とクラスバイキン扱いされてきた可能性が高い。

だけど、その恨みを今頃になって女やフェミにぶつけてどうすんだって話でもある。みっともない。

そもそも他人になんの興味もないくせに「みんな俺のことを分かってくれない」とか、身勝手にも程があるだろ。

というわけで、開いた口が塞がらない逆ギレトラバだった上に、ものの数日で削除されて「はあ?」と思ったわ。

書いた内容読み返したら恥ずかしくなって消したとかなら、少しは神妙なんだろうけど。

2022-05-03

https://anond.hatelabo.jp/20220502205204

いや、さすがに「差別主義者」という内心の問題理由に入場を禁止するのは駄目だろ

入ってからの具体的な行動を禁止するなら分かるけど

2022-04-27

エロくある v.s. エロくみる

自分からエロくあるのと、他人勝手エロく見て消費するのと。

ふたつの違いが本気で解らん。

本人が望んでエロく見せている・あるいは見せていないファッションがあって。

周りに、エロ目線で見ている・またはエロ目線で見ていない人がいる。

でも、服の上に「エロくしてます」ってラベルが貼ってあるわけじゃない。

「私はエロく見せてます」って明言してるわけでもない。

現代日本価値観では、「セクシーな格好ですね?」と聞くこともできない。

中学校卒業アルバムに、クラスメイトデフォルメした絵を描いた。

デフォルメなので、目は強調してある。鼻は省略した。当然、胸も写真とは違う表現になっている。

かに、「これ、エロ過ぎるんじゃないの?」と言われた。

果たしてエロく見せたのは絵師の俺なのか。

それとも読者の彼女勝手エロく見たのか。

どうやって判別すればいいんだろう?

ここに、ある女性がいる。

今日は「私はいま、エロくある」と主張する。

次の日に、まったく同じ格好で、「私はいまは、エロくない」と主張する。

・・・彼女エロくあったり無かったりしているのだろうか?

もし、どう「思う」かでエロさが変化するならば、主体的エロさは、服飾メーカーが手出しできない概念だ。着る服の調整では、主体的エロさはなんら変化しない。本人の心の問題となる。

「思う」ことでエロさが変わらないとするならば、エロさは客観的な見た目に依存する、という事になる。ほとんど何を着てもエロくない人が存在し、逆に何を着てもエロい人が存在しうる。

2022-04-21

anond:20220418210759

仮想敵を頭の中で作るより、「なぜその仮想敵自分は作ってしまうのか」を考えた方がいいよ。大体が自分心の問題だったりするから

2022-04-02

[] そのにひゃくごじゅうご

スナヤマーッス

 

今日は連翹忌というらしいです

なんでも高村光太郎さんの亡くなられた日を高村光太郎さんが好きだった花の名から取ってそうされたんですって

名前だけ聞いてもピンとはこなかったのですが、智恵子抄の作者だと言われて「あ、この人か」と思えたものです。

まぁ私が智恵子抄しか知らないだけなのですが。

東京に空がないという言葉があるのもその作品です。

ですが、それはとても重要言葉だったのかもしれませんね。

どこから見ても同じ空じゃないか、空は繋がってるじゃないか、では説得しきれない部分があるという話です。

感情というか、好みというか、心の問題というのは難しいですね。

まぁこ解釈で合ってるのかは微妙ですけれど。

 

ということで本日は【事前の打ち合わせよいか】でいきたいと思います

事前の打ち合わせよいか!事前の打ち合わせヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-03-07

戦争反対三国志戦国時代が好きは両立するのか」を書いた元増田

皆さんのブコメや反応を見ました。

うーん意外と? 線引きすればいいだけ、という反応が多いような気がして、ドライなんだな。って思いました。

あと、ミステリーサスペンスを楽しむのと、現実殺人ダメなのと同じとかという意見には違和感しかなかったです。

小説フィクションからモデルになるような事件はあったかもしれないけど、小説の中で死んだ人は現実には存在しないですよね。

フィクション現実区別がついていないという意見もありましたが、史実に基づいた話のことについて書いたつもりだったので、それも違うなと思います

心の問題。そうですよね。

自分の中の矛盾は、歴史モノは本当は殺された人がいるにも関わらず、

その人達を「あえて見ない」ことにし、登場する英雄たちの行動や勝利、あるいは敗北でさえ娯楽として、消費してしまたことにあると思います

日本で人気のある武将では織田信長が1位になったりしますが、延暦寺の焼き討ちはシンプル虐殺では...?と思います

現在ウクライナ侵攻では、ほぼリアルタイム被害にあった方々の声を聞き、破壊された街を見ることができます

いか戦争悲惨であるかを目の当たりにします。

当然のように、戦争には反対します。被害者の方々に同情します。

であるならば、歴史モノに対しても、そうであるべきだったと思います

当時も多くの被害者がいただろうけど、その人達の声が聞こえてくることはありません。

美味しいところだけを食べ捨ててしまった。という罪悪感。

現在ウクライナ被害にあわれている方々には、こんな議論本当にどうでもいいことだと思います。ごめんなさい。

2022-02-17

こっちは性欲の貧困からなあ。

生理貧困があるなら、

性欲の貧困もあるだろ?

 

いったいどれだけのお金が浪費されてることやら。

お金どころか人生を捧げることすらあるし。

まあ、多少の快楽はおまけでついてくるが、

注ぎ込んでいるお金に比べて

リターンしてるとは、とても思えない。

もちろん、これは性欲に縛られていなければ、

という仮定の話ね。

 

実際には性欲に完全に支配されているので、

性の貧困なんて自覚症状は男には全くない。

生理貧困なんてワードが登場することで、

はじめて男にとってのその対義語は何か?

って、考えでようやく思いつくもの

 

男はどんだけのお金注ぎ込んでるのかね?

性欲というものに。

月々、何千円では済まないだろうな。

そして、女はそのことに対して、

軽々しく「自制心の問題だろ!」

なんてことを言うわけだ。

だったら、お前らも自制心で生理止めてみろよ。

って話だよな。

2022-02-16

ストレス不眠症になっても本人が楽観的ならそのうち眠れるようになるし

そこで不安が増していくタイプ悪化する

マジ心の問題

2022-02-12

anond:20220212125338

本当は頑張れないし何もしたくない(できない)のに以前は無理して頑張ってただけでは?

薬のおかげで無理がきかなくなっただけで、前のまま頑張り続けてたらどこかで限界がきてポッキリ折れてた可能性もある

療養期に以前と同じレベル仕事がこなせるわけないんだから治療のことだけ考えなよ

あと一応セカンドオピニオンで他の病院にも行ってみては?

心療内科心の問題身体症状(腹痛とか胸のつかえとか)に現れるタイプを主に取り扱ってるから

精神症状がメインなら精神科にかかってみるのも手

2022-01-22

最近暴落資産が減ってちょっと不安が出てきた

資産が4800万になってしまった。もう生きていけない……

半分冗談だけど、お金ない頃は数千万もあったら一生余裕で安泰だと思ってたのに、実際はこんだけ金があっても一抹の不安がつきまとう

金がいくらあっても安心できないのは、金が問題なんじゃなくて自分心の問題だったのだ。みたいな使い古された言い回しが頭を過るものですが、それが腹落ちするのに時間お金もかかりすぎてコスパ悪い

なってみんとわからんものとはいえ、だれでもアッパーマス超えれるよ、みんなもお金をためて金だけで不安が消えることがないことを体験しようね!などとは気軽に言えない、そんな今日このごろの日本の傾き方ですはい

チャオ!

2022-01-16

ガンダム』を20年近くやってきて、はっきりと行き詰まりを感じた


──「富野由悠季世界」展を拝見して、富野由悠季監督キャリアあらためて振り返っていただくと、ご自身でも言及されているように『機動戦士Vガンダム』以降のお仕事フェーズが変わったのではないかと感じられます。それまでほぼ毎年のようにオリジナルアニメの新作を手掛けていた富野監督が、新作から数年遠ざかり、久々に発表された作品が『ブレンパワード』でした。ガンダムシリーズから新たな路線に踏み出したのは、何がきっかけだったのでしょうか。

富野:『ガンダム』を20年近くやってきて、はっきりと行き詰まりを感じました。行き詰まりを感じた一番の理由が「ニュータイプ論みたいなものを立ち上げておきながら、それをハウツーとして示すことができなかったこと」です。『ガンダム』をやっているうちに冷戦は終わったのだけれども、じゃあ冷戦が終わったからと言って世界中がまとまっていくかというと、まとまってはいかなかった。具体的に言うと、それぞれ主要国家トップにいる人物たちが、必ずしもニュータイプ志向を持ってる人ではなかったという現実を突き付けられたからです。それで挫折するしかなかったということです。

 だからもう『ガンダム』をやっていられないと思った。あと、『ガンダム』は構造だけで見ると、旧来の戦記物に則っているわけだから戦記物ができる人や好きな人に任せれば良いと思いました。20年くらいやってきて、戦記物はやっぱり体力的に若くなければできないということもあって、年を取ってから戦記物フォローしていくには、古代史を扱うような歴史的な学識を持つ必要があるということが分かってきた。そこでどうしようかなと考えたときに『ブレンパワード』に行きついたということがあります

――今、富野監督は「ニュータイプ論のハウツー確立しなかった」ことに挫折を感じたとおっしゃいました。富野監督は人々の多くをニュータイプにしたかったということなのでしょうか。

富野:いや、多くの人だけではありません。人類のものニュータイプにならないと、これ以後一万年という単位人類は存続しない、人類を存続させるためには人の革新……というよりも、社会革新をしなければならないんだと考えています。ですから総体ニュータイプにならなければいけないということです。

――富野監督ガンダムシリーズニュータイプを新しい感覚を持つ人類として描いています。劇中では、ときには距離時間を超えてさまざまなことを感知したり、意思疎通をしたりする。具体的にはどんな人間の到来を期待していたのでしょうか。

富野:それについては、実はこの数年で具体的にニュータイプが現われたということが分かりました。

――なんと…! それはどんな人なのでしょうか。

富野将棋藤井聡太竜王とか大谷翔平選手です。将棋野球世界勝負事です。何億通りの手がある中で、藤井竜王は勝つ手を選ぶことができる。僕は将棋のことがまったくわからないけれど、「この人がニュータイプなんだ」ということがわかった。それに気づかせてくれたのは先代の竜王であり、永世七冠である羽生善治さんの言葉です。羽生さんは、藤井竜王のことを「自分があまりたことのない局面でも対応力というか、適応力みたいなものが高い」と評していまする。天才が、新たに現われた天才のことを評価しているんですよ。

 大谷選手大手術を受けた後でも基本的身体ケアをつづけ、社会人としての基本としての勉強をつづけていますしかも壁を相手に投球練習毎日つづけている!! 彼のスポーツマンとしての基礎の積み上げこそニュータイプ的と言えます時代の移り変わりとともに、レベルの違う才能と人物が出てくるんだと感じられる好例です。ほかにも、工学の部分でも蒙が啓かれるような事例を承知しています。それは電動航空機の開発です。まだ決して大型機ではないのだけれど、それがすでに開発されているということは、僕のような世代にとってはもう腰が抜けるような事例でした(2018年7月JAXA、航空系企業、電機系企業経産省航空機電動化コンソーシアムを設立)。工学電気関係では、そういうことが起きている。そういう開発者たちは30代や40代だろうと思うけれど、彼らのような人たちに続く若い世代は、さらに違うものを作ってくれるでしょう。

――新しい想像力を持った人たちが、新しい時代を切り開く。富野監督が待ち望んでいたのはそういう方々だったんですね。

富野藤井聡太竜王大谷選手を見ていると、ギトギトしていないでしょう(笑)。ギトギトした人間が何億人もいたら、地球が潰れていくんです。ニュータイプにならなければ、地球保全できないという考え方は、つまりそういうことです。おそらく、あらゆるジャンルの新進、若手の世代はこういう人たちがいるだろうと思います。僕がとくに想定しているのは現代コロナ禍を経た、現在5歳や6歳の子どもたちです。免疫学的にも、彼らの中からニュータイプが出てくるのではないか。そういうふうに期待をしています

ブレンパワード

ブレンパワード

ブレンパワード

ブレンパワード』 ©サンライズ

ブレンパワード』以降は、「当たり前に暮らすということの重要性を、アニメでもやるべきなんじゃないの?」という思いが大きくなった

――『ブレンパワード』についてもう少しお聞かせください。『ブレンパワード』の制作前は、ニュータイプにたどり着けなかった挫折感があったということですが、その中で富野監督が『ブレンパワード』にたどり着いたのは、どんなことがきっかけになったのでしょうか。

富野挫折から、僕は鬱病を患ってしまって、一年近くほとんど外に出られなかったんです。そこからリハビリをしていく中で、何を考えるかというと「なんで人間は鬱になるのか」ということでした。そこでたどり着いた答えは、健全、つまり普通生活をしないと鬱になってしまうんだということです。それだけのことだと思ったんです。この健全とは何かというと、自分ひとりだけの問題じゃなくて、親子関係子どもから両親がどう見えているか、周囲の人間関係も含めてのことです。普通であるということ。そういう当たり前の環境を維持するということ、それが人の暮らしにとって一番大事なんだということがわかった。

 そのとき企画していた作品タイトルが『ブレンパワード』だった。ブレーンという言葉を使うことで、知的な方向に行こうと思っていたんだけど、「いや、そうじゃないんだ」と。知的な回路を形成するためには、当たり前の健全生活をしていないとやっていけないんだとわかった。じゃあ、その最もシンプルな話、つまり親子の関係を正面切ってやってやる、と思ったわけです。それで主人公たちの家庭環境主人公の伊佐未勇とクインシィ・イッサーの姉弟は、研究者である父母から顧みられなかった)やジョナサン(・グレーン)みたいなキャラクター(優のライバルジョナサンは母のアノーアに屈折した愛情を抱いている)ができあがったんです。だから東京水浸しになっている、みたいな話がやりたかったというわけではないんです。

――地球の各地が自然災害で荒廃しているという『ブレンパワード』の世界観は、当時としてもインパクトがあったと思います

富野:なんでああいう設定がいるのかというと、要は「アニメとしてのだまし絵」なんですよね。その設定があったほうが、アニメっぽく見えるからあくま技法論にすぎなくて、別に水浸しになった事件を描くわけではない。そうではなくて、ものすごく簡単に言っちゃうと「ママは僕のことを優しく育ててはくれなかった」という親子関係のことをドンとやっちゃうことが、一番良いことなんですよ。そういうものアニメとして描く中で、もう少しだけ、リアルもの接触できる作品を作れないかと思っていたんです。

――人間関係の中でも一番シンプルな「親子関係」に焦点を当てることで、普通のこと・健全もの模索しようとしていたんですね。

富野:先ほどの質問に基づいて言うと、『ガンダム』は旧来のメカもの戦記物体裁に則っている部分があるんだけど、『ブレンパワード』以降は基本、心の問題……つまり「当たり前に暮らすということの重要性を、アニメでもやるべきなんじゃないの?」という思いが大きくなっています。僕が「『ガンダム』の富野」だったことで、ずっとそれができなかった。『ガンダム』の後期では自分プロダクションを立ち上げて、新たな作品出資しようと考えたこともあったけれど、僕にはそれをするだけの能力がなかった。実務者になれなかったという自分能力論もあったうえで、スポンサー理解してもらえるように、永野護くん(メインデザイン)に手伝ってもらったりして、なんとか『ブレンパワード』をかたちにした、ということです。だから中途半端なところはあると思いつつ、とにかく『ガンダムから脱出するための作品でもあったとは言えます

ブレンパワード

ブレンパワード

ブレンパワード

ブレンパワード』 ©サンライズ

思想理念があったから、技術者たちを動かすことができた。だからアニメのことだけを考えていたらダメなんです

――『ブレンパワード』ではメインデザインいのまたむつみさん、永野護さん、音楽菅野よう子さんといったベテランだけでなく、脚本浅川美也さん、カナン・ギモス役の朴璐美さん、のちの『∀ガンダム』ではデザイナーとしてゲーム業界から安田朗さんといった才能を、アニメ作品に起用しています。その背景には、富野監督にとってはどんな思いがあったのでしょうか。

富野:これは『ガンダムから教えられたことです。僕がやったことではなくて、当時の録音監督松浦典良)の采配で古谷徹さん(アムロ・レイ役)と池田秀一さん(シャア・アズナブル役)を呼んでくれた。他の声優さんも、声優専門ではない方が多かったんです。そういう人選を見せられていましたから、それこそ20年30年経てば今度は僕がやらなければいけないことだろうと、当たり前のように思えたわけです。それでやってみたというだけのことです。むしろ思ったよりも、それが成功していないという意味では、本当に人を見る目がない、育てる力がないという自覚をしています

――富野監督作品参加以後も、みなさん大きな活躍をされています

富野:結局、上手く行っている人たちっていうのは、もともとそういう才能を持っていたんですよ。全部、彼ら彼女たちの力なんです。僕が彼らに刺激を与えたとか、インプットしたという記憶あんまりありませんね。人を育てるということは、本当に難しいことです。これはわからないんですが、おそらく触っちゃいけないんです。触らないで、出会ったとき関係で、その人の持っているものを見つけだす。それ以上のことをしては絶対にいけないんです。これは実をいうと、愛の問題もつながってくるんです。

――愛ですか!!

富野:愛し合っちゃうと、一点しか見えなくなるんです。正しく接することができなくなる。その瞬間にとらわれてしまって、相手が今後どうなっていくのかを考えられなくなる。正しい距離感で、この先を考えて相手と正しく接していくものでしょう。ちゃんと愛を育むことが大事なんです。

――そういった愛のお話教育論にもつながりそうですが、そういった考えは、富野監督アニメ制作の中でお気づきになり、考えを深めていかれたのでしょうか。

富野:もちろんです。僕は基本的に絵を描けないし、原画動画を今もチェックしているのですが、腹が立ちますもん。「なんでアニメーターは画が上手なんだろう」「なんで線が綺麗に描けるんだろう」って。しかも、彼らは平気で何十枚も描いてくるんですよ。

――ははは。

富野:でも、そういう優れた技術を持っている人たちがいるから、僕は作品を発表できるのであって、技術を持っている人たちの総代に立つには、技術論ではなくて、理念を持たなければいけないわけです。そういう思想があったから、ここまでやって来られたんでしょう。

――思想があるから、約50年にわたるキャリア監督として活躍してこられたとおっしゃるわけですね。

富野思想理念があったから、技術者たちを動かすことができた。だからアニメのことだけを考えていたらダメなんですよ。「マンガ絵が好きだからって、マンガが描けると思うな」という考えにもつながります。この話って、何にでも通用するでしょ? 僕が文化功労者のお礼のコメントの中に「アニメストーリーテリングは万能である」と書いたけれど、そういうことなんです。あれは良い文章になったなと思っています。僕がアニメ制作を通じて描いてきた思想は、どんなものにも通じる。それがあるから作品公共的な意味が出るんだと思っています

第3回へ続く(第3回は、1月22日配信予定です)

2021-12-31

anond:20211229154012

喫煙がかっこいいと思うかは他人の内心の問題でしょう。

そこに踏み込む必要はない。

2021-10-26

anond:20211026113511

心の問題かよ。そんならそうと、わかりやすい書け。

「どうやって注文していいかわからん。」などと明確に書くから、注文方法がわからないのかと思われて当然。

anond:20211026070342

そういう問題じゃねえんだよなあ。

なんならぶっつけでも注文方法で困ることは無いだろうって理解はしてるんだよ。

でも「なんとなく分からない」から入りづらくなるんだよな。

頭じゃなくて心の問題なわけ。

わかる?

2021-10-23

全盲でありながら耳も全く聞こえないし話すことも全く出来ない知的障害まで負っている。

そのため親に介助して生きていたという人が親に先立たれたも、まず親の死を認識できないかもしれない。どこかに出て行ってしまったと思うかもしれない。

さて数日経って不審がった大家通報を受け警察がやってくる。

ここから弱り目に祟り目としてこの障害者に待ち受ける悲劇は三つ。

これがシングルマザーの子供(5歳)という立場でその母親が亡くなったという場合なら、その子供は十分な哀れみのもとで保護されることはあっても「被疑者として」事情聴取を受けることはありえないだろうし、実名報道されたり被疑者として自由を奪われることもないだろう。

見た目で子供判断して被疑者扱いしないのであれば、同じように見た目で到底親の死が認識できないレベル障害者判断するなら被疑者扱いするべきではない。

子供かどうかも結局は戸籍書類と照会しないと確かなことはわからないのだろう。小人症かもしれないし。

でも引きこもりで親が死んで死体遺棄逮捕されている事例が多数ある。なかに障害者ゆえに引きこもりというカテゴリーに収まるしかない人もいるだろう。

それでも見た目で子供と分かる場合以外では逮捕してしまう。日本逮捕されると即報道機関FAXが送られるシステムになっているため逮捕とは同時に報道対象になるということである

子供に見える場合と同じように「逮捕前に」障害者手帳の有無とか調べてあげるべきなんじゃないの?

八尾市母子餓死事件別に子供犯罪者として報道されてはいない。死んでるからかもしれない。

しかしそうだとすると、親の死後即座に通報できないような障害者に与えられている選択肢は、死ぬ代わりに犯罪者の誹りを受けないか、生き延びる代わりに一瞬でも実名顔写真報道されて一生近隣等に陰口を叩かれるような立場に立たされるかの二つに一つであるということになる。

まり逆にいえば八尾市事件の子供がもし餓死する前に発見されていたら普通に犯罪者として実名報道されていたかもしれないのだ。理不尽このうえない。

なんか事件があったら近隣住民でも事情聴取を受けることはある。事情聴取イコール被疑者であることを前提として事情を聴いているのではない。

しか死体遺棄に関する同居人に対する事情聴取というのはまずはなから著しくこいつは被疑者である可能性が高いと見積もってきてるわけだろう。

個人個人犯罪者と疑われることに対してまで問題視してはきりがない。それはもう単なる内心の問題なのだから

しかし打ち切った事件に対して一捜査官に本当は犯人なんじゃないかとか思われるようなことじゃなくて、こういった事例に対して警察組織の正式意思として捜査官たちに疑われるようなことがあるならば、それはそういう仕組みに問題があるものとして糾弾改善がされるべきだと思う。

たとえば10月13日静岡県死体遺棄事件として引きこもり逮捕されている。

8日に引きこもり自ら119番通報し、発覚しているということで、逮捕までに5日の期間がある。

死後4日経っているという報道内容があったので、これはその5日間の間に調べたこなのだろう。

まり警察ははなからこの引きこもりを疑ってかかり、検死の結果4日経っていたということがわかったので放置とみなし逮捕したということだろう。

しかし4日程度逡巡としてありえるものとして見逃してくれてもいいものではないだろうか。もう弱い者いじめして実績あげたいだけなんじゃないの。

だいたい死体遺棄お題目というのがまず「国民一般的宗教的感情」の社会秩序としての保護かいうのであるのだが…

世の中でどれぐらい引きこもり死体遺棄があるのか、報道されたもの以外については調べること自体できていない。

まり報道されてはじめて国民存在認知されるようなものしかないのに、その国民感情保護するとはどういう論理なのだろう。

保護したいのならば報道しないようにする、つまり埋葬義務者が死体放置していたということについて警察発表を行わないようにするだけでよい。

わざわざ犯罪として定義したり裁かなくても保護することはできるわけだ。

それ以前に感情と秩序を結びつけてるのも引っかかる。何かについて人々がどう思うかというのは時の経過で自ずと変わってくるものだ。

保護するというのはそういった変質に対して人為的に介入して防ぐということである。「保護」してなければ死体遺棄に対する国民感情はとっくにポジティブになっていたかもわからない。少なくとも火葬散骨以外の埋葬方法(剥製にするとか)にも許容するような気質になっていたかもしれない。

感情を秩序として保護、という名で管理するから、いたずらに旧守され何も考えない人や老害ばかりが居心地よくそうでない人が息苦しさを感じる世の中になるのではないか感情保護するから、罰するべき基準となる感情自体が変わらない。これは、その時代時代に応じて多くの人が不快に感じるものを罰するというのとは訳が違う。多様性に対する強い規制に他ならない。(規制の仕方の構造刑法175条と似たところがある)

価値観多様性理解できない独裁者法律なのであるタイムスリップできるならばこんな条項作った人に文句言いたい。

衛生上の意義もあるという学説もあるが、それだったらまずごみ屋敷煽り運転とかと同じく法制化して罰するようにしないと公平じゃないと思う。

死体遺棄も罰してごみ屋敷の罰するならまだ筋が通るというわけであるしかそもそも死体放置して具体的にどんな病気のもとになるというのだろう。別にコロナ並みの感染症流行るとかでもないんじゃないのか。悪臭不快になるという話ならまず豚とか育ててる農家の近くに住んでる人はみんなその農家を罰してほしいと思ってもおかしくないな。ようは何が言いたいかというと衛生面でみても死体遺棄は罰するほどのことじゃないと思うわけ。

せいぜい立ち小便と同じ軽犯罪格下げしていいんじゃないの。

2021-09-08

anond:20210908103417

そりゃメディア問題…って言っちゃうとなんでもそうだもんな

邪魔じゃなきゃいいとは言ったけど、もちろん健康になってくれればそれに越したことはないよ

でもそういう人って太ってる人よりももっと深い心の問題だと思うんだよ

ここで「不快から痩せるのやめろ」って言ったところで変わることはない。痩せることがいいことだと思い込んでるから

太ってる人は太ってることに多少なりとも嫌悪感を抱いてるから発破をかければ動いてくれる。途中で諦めちゃったりしても、動こうという気持ちが大切なんだと思ってる

拒食症の人に対して俺ができることは何もない

病院に行ってくれと言うしかない

から邪魔にならなければいい

2021-08-14

anond:20210814201622

それは違うな。「上手い」っていうのはプロ風俗嬢技術とは違う種類のことだ。もちろん、プロ風俗嬢は、

仕事として、疲れないように、トラブルがないように、お客が満足するように工夫された技巧を使うので、

勉強して損はないが、家庭の味とはまた異なる。

個人的関係で「上手い」というのは相互に反応が良い、感度が良いということで、それは毎日少しずつ訓練すると

向上する。最終的に触って触られて気持良いと感じるのは脳や神経なので、心の問題でもある。

官能問題なので、味とか手触りとか香りとか音とか音楽とか色とかそういう要素もある。

お腹が減ってるかどうかに関係あるので、その前に食べる食事なんかも関係あるんだよ。

2021-08-13

自分の「怒り」と「我慢」に対する自己分析もどき

 短気のくせに我慢しまくり問題我慢してないor我慢できないときもあるけどね

 短気だからこそ「我慢のはじまり」が早い、がマジで問題


 我慢のはじまりが早いってのは、短気ゆえに「怒り」を抱くのがとても早いことが原因の大きなところ。とはいえ、短気というのはコミュニケーションを妨げる分かりやすい「害悪であるので、短気だからといって即なんでも表に出して怒っているわけではない(これは良識ある人類ならみんながそうしてるよね案件)。

 ちょっとしたことで「は?」となるものの、それをすぐに外には出さない(ようにしている)けど、すでに「怒り」は感じているので、「ちょっとしたこと発生→は?→我慢開始!」がマジで人より早いんだろうなという自己への解釈がある。


 少し話はそれるけど「気になることはその場で指摘」っていうのが人間関係を円滑に進めるために大事だなぁと思うところなんだけど、その、自分の「気になること」っていうのが他人にとって「それは別に気にしなくてもよくない?」という案件だったとき、そう返されるのって不愉快なっちゃますよねって話で、これはまぁ、

 「気になることその場で指摘」に対して「それを言い出すこと自体が気になることなのでその場で反論」という構図が出来上がると、いや〜これはもうね、ここで短気なところが出るんだけど「私が不快だと思ったので不快なのですが?」という気持ちなっちゃって、「それセクハラですよ!やめてください!」つった相手が「別にこれはセクハラじゃなくない?」って返してくるのと同じじゃない?って話。

 「お前ガッツリ、ケツ揉んできたやん」ってこっちは思ってるわけ、でも相手は「腰の下の柔らかい脂肪を掴むことくらい、コミュニケーションの一環では?」って返してきたらもう社会的地位抹殺でしょこんなのって話なんだけど。

 すみません、いま「怒り」出て、自分がさも「正しいこと」を言っているかのような、極論を出して正当性を異常にアピールしていたきらいがありますねこれは。


 いやこれねぇ「被害者意識」高いってのも、あるのかもって感じましたね、「いま胸…見てましたよね?…ドコミテンノヨォ〜〜〜〜〜!!!!!!!」みたいな所が自分にはある、あると思いつつ、「そういうところ、人とコミュニケーションを取る上で邪魔になることがあるから我慢しようね」って言い聞かせてるところもある。

 なんなら「他人自分に対して我慢をしているところがあるのだから自分も何かしら我慢をすべきなのだ」とも、言い聞かせています

 地球上でみたら自分の怒りはまぁまぁだよ、何者かに故郷の村を焼かれた少女とかの怒りに比べたらさ、こんなん「イチャモンレベルなんだわ、と自分をしつけている節はとってもあります


 でも半径10㎝以内で1番怒ってんのはアタシなの!!!!!!!!!!!!

 アタシが!アタシの感じた不快で!アタシが怒ることを!何と比べる必要がある!?という「アタシだってつらいんだから理論も、まぁ持ち合わせています、悲しいことに。


 コロナ跋扈する昨今、ウイルスへの恐怖よりも「コロナ禍なのに【そぐわない行動】をしている人間」を見る「とても我慢をしている人間の目」の方が怖い。

 自分が「我慢」というものを知っている(と思い込んでいる可能性もあるけど)からこそ、他人我慢配慮というか、気を使わなくてはいけないのでは?という強迫自分自分にしている。


 自分が「怒りにつながる事象」50で「我慢できネェ〜!コイツ、殺っちゃっていいッスよねぇ〜?」ってなってるとして、「怒りにつながる事象」150でさえ「我慢我慢気持ち落ち着けて…」って深呼吸してる人もいるかもしれないと思うと、その150を自分が与えている場面もあるのでは?と思うと、自分我慢が足りてないのではないか?と疑ってしまう。「実はこの人は、我慢をとってもしているのでは?」と他人を疑う上で、自分はどうか?と自分審査してしまう。


 短気かつ繊細ゆえに、ものすごく生きづらい人生なのかも、と自分自分を憐れむようなきらいもあり、「自分我慢をいっぱいしているからえらい」と勝手に思い込んでるようなところもあり、「短気じゃなければ我慢自体をしなくていいのでは?」という気持ちも、あり…

 何か大きなバックボーンがあれば、いちいちクヨクヨしなくていいのにな〜と思うので、「毎月口座に10億円振り込まれ人生」とかだったら「まぁ毎月口座に10億円振り込まれからアタシはその程度じゃ怒らないけど〜♪」みたいな人生になりたい気持ちがフツフツと湧いてきましたね。

 繊細な心の問題!と思いつつも、毎月10億円が心の余裕につながるんじゃね!?と思ってしまうところは、きっと私が俗物からなのだろうと思うと、解脱ってぇモンをしてみてェ〜!!!!!!!!!!!!!!!!!と感じました。おわり。

2021-08-10

anond:20210810111944

また的外れ皮肉だな。

黒人差別差別する側の心の問題、あるいは社会的構造問題だけど、犯罪女性が狙われるのは物理的な問題なんだよ。

肉体的に弱いから狙われるわけ。もっともっと原始的で、だからこそ変えがたい問題

それは「男女差別意識を変える」とかでどうにかなる問題じゃないの。

肉体的に女性の方が弱いのは(傾向として)変えられない事実で、犯罪者がそこを狙うのも自然

黒人差別フェミサイド全然話が違う。

2021-07-28

考えていることを文字にするのは大切だとわかっているけど、自分自分思考が幼いとか、いわゆる中二病くさいとか、そういう恥ずかしさもあって、なかなか実行できないでいる。それでさら心理的ストレスというか心理的な状況が悪化して、手がつけられないような状況になることを繰り返している。今も悪い。

外形的な環境関係なく心理状態が悪いんだ、と自分自分に言い聞かせているが、けっしてそんなことはないことは自分が一番良くわかっている。もし今とてもたくさんお金を稼いでいて、しかも人から尊敬されるようなことをしていたら、もし今文句のつけようのないような奥さんとか家族なんかがいて、幸せ暮らしていたら、自分の心は決してこのような文章を書くような状態には陥っていないと思う。

オリンピックを見ていても何をしていても、結局は現実逃避をしていて、その結果現実さらに悪くなるということを何回も繰り返している。なんとかならないかなーと思いつつ、自分アクションを起こさないことにはなんともならないことはよくわかっている。それができないでこの一年間、心は一時期に比べてストレスが少ない状態であったにもかかわらず、やはり一定うつ状態からは抜け出せずにひたすら苦しんでいた。

人と会っていないし人の情報を得てもいないのに、嫉妬し、執着し、落ち込むことばかり繰り返していた。人と劣等感優越感で勝負しても必ず負けて心がとんでもなく傷つく。そしてそれをわかっていながら何もできず、やはりうまく生きられない。

極度の人に対する気の遣いようというか、臆病さがあり、それによって配慮をすることで得をしてきた面ももちろんあるが、自分に余裕がない状況になるたびに人からの連絡を無視したり、不義理をしてすべき連絡をできなかったりという面で損のほうがよほど多い。もっとしぶとくならなければ生きていけないとわかっているが、自分性質なのでなかなか治すことができない。

この世に対して深い恨み、無力感絶望感を抱いているのに、死ぬこともしない。

死ぬことができないのには2つ理由があって、1つ目には家族が気の毒ということと、2つ目には一度自殺しようとしてできなかった経験から少し自分自殺能力に疑問があること。自分が死んだあとには自分にとっての世界存在しないか家族ことなんて考えても仕方ない、と頭ではわかっているが、やはり自分が死んだことを知らされる親、姉、祖父母、おばのことを考えると、さすがに申し訳ないと思ってしまい、極限のストレス状況ではない今の状況ではなかなか踏み切るところまでいかない。家族はみんな、自分東京出世することやお金持ちになることを望んでいるわけではなくて、単に元気で暮らしてくれたらいいと思っているだろう、ということもある。もし出世お金持ちになることを希望しているのであれば、それは明らかに自分能力では不可能ことなので自殺したほうがいいということになるが、そうではないのであれば、生きていたほうがいいということになる。自分としてはもちろん、生きていることそれ自体が本当につらく、耐え難い苦しみの連続しかないので、死ぬほうが百倍楽なのだが。家族が、自分に対して元気に暮らしてくれればいいと期待すればするほど、自分自殺に踏み切れず元気がなくなり、不幸が重なっていくという一種パラドックスというか皮肉的状況にある。

常に強い劣等感に苛まれ、かつ何をしても絶対にうまくいくことはないという強力な固定観念があるので、生きることはただ辛い。どれだけ辛いかは本当に筆舌に尽くしがたい。生きているだけで、針の山を無理やり歩かされているような気持ちがする。自分としては、生きるのに向いていない遺伝子個体というのもやはり一定割合エラーの一つとして生物群の中に出てくることはまったく不自然ではないし、それが自然淘汰として自殺することも合理的と思う。それができないからつらいのだ。毎秒毎秒、塗炭の苦しみ。それも何にもつながらない苦しみだから余計に苦しいと感じる。何か成功に向けての苦痛とか終りが見えている苦痛ではなくて、ただ出口のない、無駄な、理解もされない苦痛

高校とき倫理の授業で「絶望死に至る病」という本を習ったが、自分はそれを聞いて、机に落書きで「死に至らない病」と書いた。そうかんたんに死ねいか絶望というのは更に強いのだ。もし死ねるなら、絶望はそこまでひどくはない。元の本の趣旨は、絶望というのは人を死に追いやるほどの強力なもの、という意味が込められていると習った。しか自分感覚としては、死ねいからこそ絶望は更に深まりもっと強力に襲ってくる。夜が明ける前が一番暗いし、日が沈む前が一番太陽が輝いているように、死を手前にしたところが一番しんどいのではないかと思う。勇気があって飛び込んでしまえる人はいい。その度胸もなく、かつ自分うつ状態から引き戻す力もなく、絶望的なリンボー永遠に苦しみ続ける感覚。それが16歳か17歳のときだっただろうから、少なくとも12,13年以上、自分絶望にかこまれ死ぬより苦しい思いを毎日、これでもかというほど味わって生きてきたことになる。もちろんそんなことは自分だけではないからそれを美化するつもりはない。また、幼い心で何か死ぬことを美化していたという面があったのか、と今振り返って反省してみるが、けっしてそんなことはなかった。死ぬことは当時から最悪の選択肢であり、人生における敗北であり、弱者の逃げでしかないことはよく理解していた。それでもなお、あまり人生は辛く、とにかく敗北でも弱者でも逃げでもなんでもいいか死にたい。考えというよりも、感覚として死ぬことを求めている。のどが渇いたり、性欲がたかまったりするのと同じように、本当にもう無理でつらすぎるから死にたい、なんでもいいか死にたい、という強い希死念慮。それが間断なく、24時間365日襲ってくる。もしそれが抑うつ状態や軽度のうつ病の症状であったとするなら、12歳頃の子供の時から今まで、人生の大半、3分の2程度まではうつ状態であったということになる。自分としてはこれがうつ状態とは思っていない。それが平常。

主に外形的な要因で、時折、希死念慮が薄くなる躁状態ときがあったが、これがまともな人間普通状態にあたるのだと思う。自分にとってはそれは本当に数少ない異常状態で、絶対に長続きすることはなかった。神様が慌てて帳尻を合わせてきて、その小さな成功を取り消して、その後には2倍、3倍の失敗と苦しみを必ず与えてきた。

心の問題から離れて、外形的なほうで、なぜ人生は常にうまくいかないのかという点について。人生がうまくいきさえすれば、外形的になにもかもが思い通りに行けば、自分心の問題はかんたんに解決すると思う。劣等感でひどく歪んだ性格や強い希死念慮うつ状態が平常状態というおかし心理的特性を考えてもやはり、希死念慮に至るきっかけは常に外形的なことだったと思う。例えば部活もっと活躍できれば、体育で体がもっと動けば、受験もっとうまくいけば、就職が失敗しなければ、もっと女の子モテていれば、もっと友人に恵まれていれば。外形的な、というのはそういうことを指している。

もともと自分能力も低く、外面から見てもさほど恵まれていないし、それらを磨くという努力も怠ってきた。それが一つの原因としてなにもうまくいかない、という無力感絶望感をコツコツと毎日休みなく蓄積してきた。そもそも自分は長期的な努力が苦手だ。かんたんに言えば怠惰だ。それにもともと持っている才能や外見やスキルもないから、当然うまくいくはずがない。世の中は持って生まれもの勝負しないといけないという意味で公平で、結果においては公平公正ではないから、当然勝者は常に勝ち続け、敗者は常に負け続ける。有るところにはなんでもあるが、ないところには、本当に、徹頭徹尾、なにもない。本当に何もない。もちろんそれが世の中のあり方だし、みんなそれを前提に生きている。それに文句をつけるのは筋違いだ。

また、2つ目の理由として、何かしらの才能のかけらとか持って生まれものがあって、そこの上にきちんと努力をして、成功確率を5割とか、ある程度のところまで高めても、運によってそれが左右されることももちろんわきまえている。運というのはなかなかくせもので、見た目上の確率が5割でも、実際には10割負け続ける、いわゆる持っていない人も世の中にはたくさんいる。そしてこれまでの人生から統計的に考えて、自分がその一人であることも疑いようがない。絶対に、何をしても、うまくいくことは有り得ない。少しでもうまくいきかけると、神様が慌ててやってきて失敗にする。それだけを繰り返してきた。でも、もちろんこれも同様に世のあり方だから、それに文句を言っても仕方ない。それはつまるところ天に唾するということであって、この世そのもの、というのは変えようがない。世の中すべて、というのはそれを感覚で捉え、見ている自分自身そのものから、この世のあり方に文句をつけるのは自分の命に対して文句をつけるのと一緒。

そして自分は、何をしても、決してうまくいくことは絶対にない、ということを何度も味わった失敗からかんたんに学び取り、また世の中のあり方に文句をつけることは自分自身に対して文句をつけることと同じであることもまたかんたんに学び、その場合死ぬことが唯一の正解だということも学んだ。死ぬことが一番の正解という考えに最終的に至ったのが16歳か17歳のときだったはず。その時の絶望は今でもよく覚えているし、また残念ながら今でも考えはなんら進歩しておらず、その後何回もの挫折や失敗を繰り返して、むしろ確信は深まっている。

死んだ人だけが良い人間で、生きている人間はみんなどこかおかしい。頭がとても悪いか、人のことをなんとも思っていないか、とにかく人の心を持っていない人間。本当に良い人間はみんな自殺してしまった。狂ったような響きだが本気でそう信じている。

自分のような人間は生きていても何も為すことはないのだからさらっと死んでしまうのが一番なのだ本生まれてきたのが不幸だったと割り切るしかない。なにかうまいことや響きのいい言葉を言おうという意図ではなく、本心から、生まれてきていいことは何一つなかった。

人生で得たもの毎日のようにやってくる鈍くて絶対に消えない心理的苦痛と、死ぬことが唯一の解決なのに死ねない無力感、というか絶望感。

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