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はてなキーワード: メタとは

2024-10-29

バーチャルボーイ史上、もっと重要ゲーム19選

ゲームボーイ史上、もっと重要ゲーム10

https://anond.hatelabo.jp/20241026213447

ゲームボーイアドバンス史上、もっと重要ゲーム10

https://anond.hatelabo.jp/20241029214132

お次はバーチャルボーイの19選をやるぞ。


マリオズテニス任天堂

ギャラクティックピンボール英語版)(任天堂

③テレロボクサー任天堂

レッドアラーム英語版)(T&E SOFT

⑤とびだせ!ぱにボンハドソン

⑥T&E ヴァーチャルゴルフ英語版)(T&E SOFT

バーチャルプロ野球'95(コトブキシステム

バーティカルフォース英語版)(ハドソン

⑨V・テトリス英語版)(BPS

マリオクラッシュ任天堂

⑪スペーススカッシュ英語版)(ココナッツジャパンエンターテイメント

ジャックブラザース迷路でヒーホー!(アトラス

バーチャルフィッシング英語版)(パック・イン・ビデオ

インスマウスの館(英語版)(アイマックス

バーチャルボーイワリオランド アワゾンの秘宝(任天堂

スペースインベーダー バーチャルコレクション英語版)(タイトー

バーチャルLAB(英語版)(J・ウイング

バーチャルボウリング英語版)(アテナ

SDガンダム DIMENSION WAR英語版)(バンダイ


英語版が多いですね。

バーチャルボーイ向けで発売されたタイトルは、実はこの19本で全てです。

これらを全てプレイした上で、ここから10選なり5選なりを選べる方がいらっしゃいましたら、こちらはけちょんけちょんに貶していただいて大丈夫です。

なおVRは各社参入してますが全体的に市場を作れない徒花に終わりそうな気がしています

メタAppleに、大企業死屍累々

首筋にジャック作ってプラグイン最近脳波ヘッドギアから遠隔操作する方が主流か?)できるようになってはじめて勝負できるようになるのかなと思ってます

生きてる内には難しいかもですが。

anond:20241028181233

この手の増田ブコメトラバで、一所懸命メタ読みのコメントばっかり書いてるやつ、普通に文章を読むセンスがないんだろうなと思う。

スタートレック(全938話)史上、最も重要エピソード10選

anond:20241012181121

スタートレック現在正式名はスター・トレック)は50年の歴史があるうえに、1話完結のエピソードが多い。シリーズの入門ガイド意味もこめてやってみた。

はてな界隈スタートレック全話追っかけてる人は少ないだろうし、シリアスファンはてななんて見てないだろうから自分価値基準で好き勝手書かせてもらう。

すごく偏ってると思う人もいるだろう。私もそう思う。海外のこの手のランキングでは常連エピソードも入ってない。思うところがあれば、ぜひ書いてほしい。

なお、全938話は2024年9月末時点での話で、10月から『ローワー・デッキ』の新シーズンが始まったので話数はまた増えている。

アンドロイドのめざめ』 (The Offspring) 新スター・トレックTNG)第3シーズン16話 / 1990年

スタートレックSFドラマとして最も輝きを放つのは、銀河存在する人間以外の存在を通じて、人間とは何かを描くときだ。それはあらゆるSF作品共通の魅力でもあるが。

本作は人間に造られたアンドロイドデータが、自らの子孫を造ろうとする物語AIの子供との「ファーストコンタクト」を通じて、子供を持つということが、個人にとって、種にとってどういうことなのかが描かれる。

本作には、派手なアクションシーンもSFXもない。しかし、その物語は喜びとユーモア発見に満ち溢れ、重い悲劇として幕を閉じる。それは家族を描くキャラクター劇であり、SFであり、力強い人間ドラマだ。

最もスタートレックらしい一篇は何かと言われたらこれを推す。

ゴリラ惑星』 (The Galileo Seven) 宇宙大作戦TNG)第1シーズン13話 / 1967年

スタートレック立ち上げ最初の年に、スタートレックらしさというものを決定づけた重要な一篇。怪生物の住む惑星に不時着したクルー脱出するために取る行動を描く。

スタートレックの原型は西部劇(幌馬車劇)と言われるが、これはまさにインディアンに囲まれた幌馬車の設定を宇宙にしたもの

しかポイントは、主役がミスタースポックであるという点。感情がなく論理で動くヴァルカン人(と地球人ダブルである彼は、助かるために論理に従うか、あるいは……。

本作は異星人の視点人間感情と理性の葛藤を描き、このモチーフは以降繰り返されることとなる。また作品シャトルのセットを導入し、物語舞台を増やした一作でもある。

過去から来た新兵器』 (The Slaver Weapon) まんが宇宙大作戦TAS)第1シーズン14話 / 1973年

宇宙大作戦打ち切り後、少々品質を落としたアニメ継続となった本シリーズだが、名作はいくつかあった。しかし本エピソードちょっと違う視点で選出している。

これ、実はラリィ・ニーヴンというSF小説家が書いた『ノウン・スペース』というSF小説群のにある短編の一つを、そのまんま映像化しているのだ。出てくる異星人も借りてきたもの

ニーヴンを知る人も少なくなっただろうが、アシモフハインラインの後の世代で、ハード科学設定とエンタメとしての面白さを融合した作品を書き、SF界の潮流を作った人と言える。

本作は、スタートレック世界観が他作品をまるごと呑み込んでも成立しうる、緩く、包容力のあるものだと示した。ローワーデッキハチャメチャコメディスタイル可能になったのも、ある意味この作品のおかげ。

『恐怖のコンピューター M-5』 (The Ultimate Computer) 宇宙大作戦TOS)第2シーズン24話 / 1968年

宇宙大作戦にはTV史上初めて白人黒人とのキスシーンを描いた『キロナイドの魔力』という記念碑作品があるが、人種問題を深く描いた作品というと、こちらを推したい。

黒人天才科学者が自らの知能と感情を転写し開発した自動航行AI。それに船を委ね、演習に参加したエンタープライズだが、AIは次第に狂いだす。

本作のAIは自らの判断絶対の自信を持ち、誤りを認めようとしない。博士AI擁護し、次第に我を失っていく……と言うプロット

AIの恐怖を描いた先進性はともかく、本作が人種問題作品であることは、日本に生きる我々には少々理解が難しい。

この物語暗喩するのは、飛び抜けた能力社会から評価を受け、地位を得たマイノリティの苦しみだ。常に完璧を求められ、ひとつの失敗で社会から振り落とされてしまう、隠れた差別を描いている。

この複雑な問題1968年TVドラマに持ち込んだことこそ、評価されるべきだと思う。

『恐怖の宇宙時間連続体』(Cause And Effect) 新スタートレックTNG)第5シーズン18話 / 1992年

タイムループもの」といえば誰もが1作ぐらい頭に浮かぶだろう。映画『恋はデ・ジャ・ヴ』など様々な傑作がある。

しかし、それらの作品の多くは、「なぜ」タイムループが起きるのかを説明しない。なぜか寝て起きるとループしてたり、なぜか恋が成就するとループを抜けたり……。

スタトレ世界タイムループを描いた本作が優れているのは、その「なぜ」が明確に定義されており、それを解決することが物語目的になっている点だ。

突如として起こる反物質爆発で時空ループが生成されると、キャラ達は過去に戻される(都合よく前のループ記憶を保持したりしない)。

そこから毎回、艦のクルーたちは僅かな違和感から少しずつ状況を理解し、「なぜ」かを探り、回避するための答えに近づいていく。

ご都合主義的な「ふしぎな現象」はなく、戦うべき悪役もいない。ハードSF的な状況で、知力に頼ってロジカル物語を進めていく。しかしこれが最高に面白いのだ!

舞台は艦のセットのみ、登場人物レギュラーのみというミニマル作品だが、スタートレックSF性、センス・オブ・ワンダー代表する1作だと思う。

『終わりなきはじまり』(What You Leave Behind) スタートレックディープスペースナインDS9)第7シーズン25-26話 / 1999年

スタートレックフランチャイズ化は、TNGによるリバイバルを経て実質このDS9から始まった。いままでと違ったスタトレを作ろうという意欲に富んでおり、非常に作家性の強いシリーズだ。

未知の世界を訪れる宇宙船でなく、未知の存在が訪れる宇宙ステーションを舞台とし、全7シーズンの後半では巨大な宇宙戦争を連作として描いた。最近の『ディスカバリー』などのシリーズも、本シリーズがなければ成立しなかった。

その総決算と言うべきこのシリーズ最終話は、単体で観るとなると評価が難しいが、173話の積み重ねの末の1話としてみると、ずっしりとしたものが心に残る。

DS9シリーズで初めて黒人俳優を主役とし、戦争犯罪植民地主義のもたらす被害ストレートに描き、舞台となる異星の宗教と重ね合わせることで人間信仰心をも題材にした。

更には、「これは一人の狂った黒人の観た夢なのではないか……」というメタレベル視点すら取り入れ、多様な視点と重層的な葛藤、その先にある善とは何かを描こうとした。

シリーズに長く付き合うことでもたらさせる重い感動を体験してほしい。

『遠隔起源説』(Distant Origin) スタートレックヴォイジャーVOY)第3シーズン23話 / 1997年

ヴォイジャーハードSF的な物語よりも、キャラクターの成長やモラルに焦点を当てた傑作が多いが、敢えてSF的なセンス・オブ・ワンダーに満ちた本作を推す。

ネタバレしてしまうが、これは「恐竜人類」の物語であり、「ガリレオ・ガリレイ」の物語だ。

遥か昔に宇宙に出て進化したある種の恐竜と、銀河の反対で出会ってしまった宇宙ヴォイジャー。それを、なんと恐竜人類側の視点で描く。

故郷の星に、自分たちとは異なる知的種族がいたという事実を知った科学者の知的興奮と、その発見社会から拒絶され、迫害される恐怖。

SFの根幹である科学のもの主題にし、人間科学関係性に向き合った、ひとつの到達点。深い感動をもたらしてくれる傑作だと思う。

『命と人生』(Life, itself) スター・トレックディスカバリーDIS) 第5シーズン10話 / 2024

スタートレックエンタープライズ』以降停止したTVシリーズを、配信に適した連続フォーマットで復活させ、『ピカード』などのシリーズの端緒になった『ディスカバリー』の最終話

連続劇で見せるスタトレにはまだ課題が多く、特にディスカバリーシーズン4,5、ピカードシーズン2などは間延びして物語の行先がわかりづらいという批判があった。

しかし、それらの連続劇も、最終話に来ると、そこまで迷走していたテーマが急にシャンと鮮明になり、ああ、なるほどこういうことだったのか、という感動をもたらす。

特にエピソードディスカバリーグランドフィナーレとなるだけあって、描かれるものも壮大だ。銀河知的生命発祥の謎を求めて行われるトレック(旅)である

しかしその結末、謎は解明されることはない。その代わりに提示されるのは、「真実を求めるトレック」とは何なのか、という命題だ。

それは生きること、そのものである

『The Devourer of All Things, Part II』(日本タイトル未定) スター・トレックプロディジー(PRO)第2シーズン10話 / 2024年

スター・ウォーズマーヴェル作品ガンダムのような複数作品ひとつ歴史を形作るシリーズの楽しみは、クロスオーバー、そして「設定の穴が埋まる瞬間」だろう。

子供向けのCGIアニメシリーズとして作られた最新作であるプロディジーは、この設定の穴埋めを、他のどんな作品よりも見事にやって見せた。

新スタートレックヴォイジャーディスカバリーピカードなどの実写作品の設定を少しずつ掬い上げ、時に大胆にプロットに取り込んで、独立して楽しめる作品になっている。

その頂点がこのエピソードだ。シリーズを通じてのマクガフィンであったヴォイジャーキャラクター、チャコテイの姿が見えた時は、その絵だけで感涙してしまった。

実にオタク的な楽しみだが、フランチャイズ作品に長く付き合ってきたものけが味わえる、究極の悦楽がここにある。

プロディジー日本語版は、2024年10月時点では製作されていない。英語版だけならNetflixで子アカウントを作り、基本言語を「English」」に設定することで観られる。

両性具有ジェナイ人』(The Outcast) 新スタートレックTNG)第5シーズン17話 / 1992年

はっきり言ってシナリオの全体的な完成度は高いとは言えない。その質についても、表現手法についても注文の付く作品であるしかしどうしても外すことができない一篇がこれ。

1960年代宇宙大作戦人種性別による差別のない理想世界を描いたスタートレックは、1990年代になりその理想のほころびを正直に描くように変化した。

本作で暗喩されるのは、性的マイノリティの直面する差別であり、同時に女性の権利でもある。

物語では、両性具有種族の星に生まれた「女性」が、女性であると言うだけで罪とされ、矯正を施されようとする。

それは90年代に入るまで見過ごされてきた同性愛者への差別と、「治療」という名の暴力告発である

矯正の場へと連れていかれる彼女最後に、法廷の場で叫ぶ。「私は女だ!」と。

自らの性を自らの物として誇れない、自由に語ることもできない、あらゆる属性の、抑圧された人々の叫びが、そこに込められている。

新スタートレック日本吹き替えは名優揃いで品質が高いが、これだけは英語版で観てほしい。その叫びは、魂の演技だ。


以上。すげー長くなっちゃいました。誰も読んでくれないかな。

今回入れていないランキング定番としては、タイムトラベルの古典的傑作『危険過去への旅』(TOS)や、エミー賞ノミネートされた世界もっと儚いロケット打ち上げシーンが見られる傑作『超時空惑星カターン』(TNG)がある。

SFらしさが感じられるエピソード中心なので、人気の高いボーグのような強大な敵との対決とか、クルー同士のファミリー劇的な人情エピソードはあまり入らなくなってしまった。

また、『エンタープライズ』(ENT)、『ローワーデッキ』(LD)、『ストレンジニュー・ワールド』(SNW)の作品も入らなかったが、もちろん傑作、快作はいくつもある。

ENTバルカン人の設定を完成させた『バルカン夜明け』3部作LDアニメならではの手法連邦バルカンクリンゴン若者たち生活を描き交錯させた『wej Duj』、SNWは過去作の設定を活かしつつ現実21世紀社会情勢を24世紀の世界へと繋いで見せた第1話ストレンジニュー・ワールド』や、アースラ・ル・グイン小説『オメラスから歩み去る人々』のオマージュである『苦しみの届かなぬ高さまで』を推す。

2024-10-27

インターネット時代の「新しいB層」が選挙明暗を左右する

 本日衆院選。今はまだ早朝なのでどんな結果が出るのかはわからない。が、これから出る結果を見た際に、インターネット時代の「新しいB層」を取りこめたか否かで各党の明暗が分かれたという分析に至る可能性が極めて高いだろうと予想している。

 「B層」という言葉小泉政権時代に生まれた。郵政民営化国民に支持してもらうに際し、広告代理店小泉政権の主な支持層として想定したのがB層である

 構造改革肯定的か否か、IQが高いかいか、この2つで縦横の軸にして国民を4つのグループ(A層~D層)に分け、構造改革肯定的(あるいは中立的)でIQが低いグループのことをB層と呼んだ。

 具体的な人物像としては、主婦子供シルバー世代など、具体的なことはよくわからないが小泉総理キャラクターを支持しているような、マスコミに流されやす人物B層として想定される。

 一方で、今自分話題にしている「新しいB層」はこの本来意味でのB層とは異なる。20年近くが経ち、インターネットは完全に普及し、状況は変化している。

 本来B層マスコミに流されやす人物のことだったが、自分の言う「新しいB層」とはインターネットに流されやす人物のことである

 彼らは主にSNS動画サイトを通じて情報を得る。

 もちろんインターネット上での政治的言説には多様性がある。そのため単にインターネットに流されやすいといってもなにか特定政治的傾向を示すことはなさそうにも思える。しかしそうではない。

 インターネットに流されやすい人に共通する特徴として、「インターネット情報を得ている自分」に対してアイデンティティのようなものを感じているというのがある。あるいは、インターネットに対して我々意識というか部族意識というか、そういうものがある。

 その結果として、インターネット対置される既存マスコミに対して不信感や敵意を持っているのがこの「新しいB層」の最大の特徴である

 『インターネット既存マスコミ』という対立軸はそのまま『現役世代シルバー世代』という対立軸スライドする。『インターネットを使いこなす若者既存マスコミに流される老人』というイメージだ。そのため、この「新しいB層」はシルバー民主主義批判世代対立的な言説を好む。

 本来意味での「B層」と、「新しいB層」は想定される人物像が大きく異なる。

 「B層」が「よくわかんないけど抵抗勢力と戦う小泉総理カッケー」というようないかにもアホっぽい人を想定していたのに対し、「新しいB層」はもっと自らの知性に自負がありそうなタイプを想定している。肌感覚として、実際に学歴社会的地位の高い人も多く含まれていると感じている。

 年齢層としても、「B層」が主婦子供・老人だったのに対し、「新しいB層」は若者・現役世代リタイア後の高齢者を想定している。ここにリタイア後の高齢者が含まれるのは意外かもしれないが、リタイアして自由に使える時間の増えた高齢者Youtube政治動画ばかり見るようになるというのはよくある話なのでこうなる。おそらく、リタイアした高齢者からすると政治動画の視聴は社会との繋がりを感じさせてくれて寂しさを癒す効果があるのだろう。

 本来の「B層」と全く違う人物像を想定しているのに何故わざわざ新しい「B層」と呼ぶのか疑問かもしれない。これは、この「新しいB層」こそが今最も狙ってアプローチやすい、操作やすタイプからだ。

 なにしろ「新しいB層」は既存マスコミに対して不信感を抱いている。つまり、いったんノせてしまえばその後マスコミ批判されても「またマスゴミ印象操作してるよ」「既得権益層にはよほど都合が悪いようだな」という具合に批判を無化するどころかより支持を強固にするブーストにすらなる。支持者の反マスコミ感情セルフ情報隔離として利用できるのだ。

 そして、上手くノせて支持者に取り込むのも、インターネットの味方でマスコミの敵という姿勢を見せることで比較的容易だ。「これを見ているあなたネット自立的情報を得ている。口を開けたままマスコミ洗脳される情報弱者とは違う」というメタメッセージを直接言葉にせずとも発して受け手プライドをくすぐるのが肝要だ。マスコミに流される人を馬鹿にしつつ自分インターネットに流される人は無数に存在するのだ。

 ちなみに話は変わるが、マスコミ不信をマスコミ側の努力払拭することはできない。マスコミに不信感を持つと自らが情報強者になったような幻想を得られて気持ちいいため、どうやっても反マスコミ言説は人気であり続けるだろう。

 ここまで読んで、「その新しいB層ってつまりネット右翼のことじゃないの?」と思った人もいるかもしれない。これに関しては、完全なイコールではないが重なる部分が非常に大きいというふうに考えている。

 一般ネット右翼というと嫌韓反中感情が強く差別的言動を取りがちな人がイメージされる。しかし、ここで「新しいB層」と呼んでいるのはあくまインターネットアイデンティティのようなものを感じていて既存マスコミへの不信感が強く、世代対立的言説を好む人のことであって、韓国中国になにかしらの大きな感情を抱いているとは限らないし、差別的言動を取るかどうかも人それぞれだ。

 ただし、何故ネット右翼が韓国を嫌っているのかというと、別に元々韓国に対して悪い感情を抱く経験があったわけではなく、インターネットを通じて「マスコミは報じないが実は韓国はこんなに酷い」という言説に触れたのがきっかけというケースが多いだろう。マスコミ在日支配されているという陰謀論ネット右翼に好まれていることからもこれは伺える。つまりネット右翼もベースにあるのは差別意識ではなく、反マスコミ感情とそれを通じて得られる情報強者幻想と言える。

 よって、ネット右翼と「新しいB層」はイコールではないが、ネット右翼は「新しいB層」の中に含まれているとみなすことは可能だろう。

 スマホを誰もが持つようになり、インターネットがほぼ完全に普及してからそう日が浅くはない。にも関わらず今このタイミングで「新しいB層」の話をするのは、やはり都知事選での石丸伸二氏の躍進の影響が大きい。

 「新しいB層」は決して新しい存在ではなく、以前より存在した。しかし、この層こそが狙うべき票田であると白日の下に晒したのは石丸氏の功績と言えるだろう。

 今日衆院選はその都知事選後初の国政選挙となる。自分は「新しいB層」の影響を強く感じられる選挙結果が出ると予想しているが、実際にどうなるのか注目だ。

 また、今後の日本政治の動きについても、「新しいB層」の影響に注目していきたい。

 例えば、ホッテントリ高市早苗総理誕生現実味を帯びてきたという記事が上がっていて、ブコメでの論調としては「裏金マイナスイメージがあり厳しいだろう」というものが目立ったが、高市氏は「新しいB層から熱烈に支持されるタイプ政治家なので、もしも実際に総理になった場合想像以上に高い支持率を得るかもしれない。その場合、岸田前総理、石破総理共通する失敗として「新しいB層」を取り込めなかったことが挙げられることになるだろう。

2024-10-24

ヤングサンデー史上最も重要マンガ5選

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ヤンサンだけは、当時欠かさず購読していた俺が書かないと、という義務から書いた。

異論は受け付ける。順不同。

ザ・ワールド・イズ・マイン新井英樹

この作品を世に遺せたことだけでも、ヤングサンデーという雑誌存在した価値がある。世界規模で暴力正義等価値に描いた、怪作にして超名作。マクロ視点テーマ性や劇的なストーリー展開と、市井の人々のエゴディテールたっぷりに描いたミクロ視点の描き込みの両立が天才的。「宮本から君へ」はモーニング連載だが、この作者で一作だけ選ぶならこれだと思う。

殺し屋イチ山本英夫

のぞき屋」の頃から片鱗が見えてはいたが、変態的なキャラクター造形と淡々とした描写が素晴らしい。そして前作から画力進化にも驚く。海外でも評価が高い。この作風スピリッツ連載の次の怪作「ホムンクルス」へと繋がっていく。

Bバージン山田玲司

ヤンサンは、山田玲司を育てた雑誌でもある。個人的には『アガペイズ』の方が圧倒的に好きだが(最高傑作だと思う)、知名度重要作品としてはこっち。オタクモテ男に変身していくHowToマンガの側面もありつつ、純愛志向することでバブル期の軽薄な恋愛観へのアンチテーゼになっているメタ的な作品。ちなみに作者はヤンサン廃刊後、「山田玲司ヤングサンデー」という人気のYouTubeチャンネル運営していて(後から出版社公認に)、マンガ評論がかなり面白い

「ムジナ」相原コージ

共著の「サルまん」を除けば、これが相原コージ最高傑作だと思う。白土三平的な王道忍者マンガと、「勝手シロクマ」「コージ苑」的な不条理ギャグと、「サルまん」的な実験アプローチとを高度に融合して、両立どころか鼎立させた奇跡的な作品

ANGEL遊人

遊人は、青年誌エロマンガにおいて未到達だった性表現の境地を切り拓いたので、漫画史的にも取り上げる必要がある。散漫なストーリーはともかく、今見ても女の子の絵が抜群に上手いし、性的描写のお下劣さが限界突破している。新宿風俗店イラスト無許可で使われ続けてて可哀想

次点

最初ベスト10作品にしようかとも思ったが、逆に絞るのが難しかった。

本当は、柏木ハルコ作品を入れたかった。

原秀則作品

冬物語シーソーゲーム、SOMEDAYなど。ヤンサン看板作家だとは思うが、これといった新規性は感じられない。

柏木ハルコ作品いぬ、よい子の星、ブラブラバンバン

どれも安定した名作揃いで、ほぼ外さないのが凄いのだが、逆に言うとヤンサン時代には、まだ突出した作品がない。

海猿

他誌で『ブラックジャックによろしく」があるからなー。名作だが、ドラマ化されるまでは割と知られていなかった。

移籍した作品

アオイホノオおやすみプンプンDr.コトー診療所クロサギイキガミ土竜の唄などの名作・人気作が、廃刊と同時に他誌へと移転している。本当に、こんな良い作品が集まってた雑誌廃刊にするとか、何考えてんだよ……。

これらをヤンサン作品として見てる人はもういないだろう。

おしゃれ手帖

よくある不条理ギャグと思わせつつ、後半から哲学的ヤバい展開。しりあがり寿弥次喜多に通じるところがある。

長尾謙一郎作風は、ヤンサン以降の「ギャラクシー銀座」などで完成されたので入れなかった。

ちなみに作者は、最新作ではギャグを完全封印して、爽やかな青春空手マンガ三日月ドラゴン」を書いていて、これもめっちゃ面白い

お〜い!龍馬

前身の「少年ビッグコミックから移籍だし、代表作は他誌で『あずみ』があるからなー。

同じ月を見ている

土田世紀は他誌の「編集王」かなー。

デカスロン度胸星

ここは、かなり迷ったが、入れなかった。作者で入るとしたら、「へうげもの」「望郷太郎」かな。しかし、とんでもない傑作SFになる可能性を秘めていた度胸星を未完結で打ち切った当時の編集部の罪は重い。

北崎拓作品(なんてっ探偵アイドルクピドの悪戯など)

絵は可愛いのだが、どれも作品としては小粒。

月光の囁き

喜国雅彦は独特すぎて扱いづらい……。「月光の囁き」はシリアス路線作家史的には価値があるが、基本的ギャグ漫画。どうなんだろう。

他の作品ブレイクした作家の初期作

忘却のサチコブレイクした阿部潤帝一の國などで知られる古屋兎丸さそうあきらなども、漫画家としての初期は、この雑誌で育てられたという印象が強い。

ジョーカー2を観に行ったつもりが鏡を覗き込んでいた

というのは比喩だけど、そんな映画だった。

ここから恐ろしくネタバレをする。

前評判しっちゃかめっちゃかになっているジョーカー2を観た。ジョーカー1とはほとんど別物だと言っていいような変な映画だった。

記憶がおぼろげで悪いけど、1ってたしか馬鹿にされて虐げられて抑圧されてギュッッッッッッッッッッッとなったアーサーがとうとう弾けて、あとはもう空想をヒュンヒュン加速させながらあちこちで殺しをやりまくるみたいな話じゃなかったっけ。

だとしたら、2はアーサーが看守や囚人からヌメッとチヤホヤされながらガチ恋女とヌメヌメ愛し合い、歌を覚え、歌いまくり、寝ながら歌い、空想の中で歌い、電話口で歌い、なんかもうあちこちで歌い、その合間に裁判台に立たされたり殴られたりする、そんな映画だった。

とにかく歌の挟まり方がすごい。映画一本の中に、阿漕youtuber広告ぐらいギチギチに歌が挟まっている。ロバートコント柳田節」ぐらい歌う。歌が終わるとどうなる?知らんのか、次の歌が始まる。

でもホアキンガチ恋女役のレディガガも歌がうまいから、評判より全然楽しめるもんだな、と思った。3曲目ぐらいまでは。なにせ1曲1曲の演出カロリーが高いので、すぐお腹いっぱいになるのだ。そもそも歌を見にきたわけじゃないし。それでも歌はお構いなしに出てくる。二郎ラーメンわんこそばをやっているような気分だ。「もう歌の口じゃないんだけどな」と思っていても「アイヨ歌一丁!」と強制的に歌をねじまれる。アーサーの歌わんこそばストップはない。

さらに1と違うのは、全体的にアーサーが受け身なことだ。感情はしっかり出す。けれど、行動はどこか後手に回っている。質問されたから答える、囚人キスを頼まれたからするガチ恋女が火をつけたから一緒に逃げる、法廷に立たされたから喋る、というように起点が他者や状況に置かれがちなのだ

頼みの空想も、今回はそこまで現実干渉してこない。いっぺん法廷でキレて暴れたときちょっと気持ちよかったが、それも所詮空想の中だけの出来事だった。だから、観客はほとんどの時間を「様子がおかしいけれど害はない、等身大のアーサー」と過ごすことになる。そして、彼の行動が「アーサーってそういうもんだよな」という我々の予想を超えてくることはほぼなかったように思う。

まりジョーカー1のようなムチャクチャ破滅が彼自身の手で引き起こされることはなく、代わりに本人は歌ってばっかりいる、そういう変な映画なのだ

火をつけたのはガチ恋女だし、裁判所に突っ込んだ車は信者のものだ。インパクトのあるシーンはことごとくジョーカーの手を離れて始まっている。裁判が突然の爆弾カー突入強制終了になったときは流石に「ウオーッ!これだこれ!ゴッサムティ法律はねェーッ!」と客席から立ち上がりかけたけれど、その後の展開で「あっ普通に法律とかあるんすね」「失礼しました」「そっすか……」とすぐさま心を着席させることになった。ここまでくると製作から意図的カタルシスを取り上げられているような気さえしてくる。

そしてある意味、それは当たっていたのかもしれなかった。物語の終盤、別れに際して歌おうとするガチ恋女にアーサーが言うのだ。「歌はもういい!歌うな!話せ!」みたいなことを。

ここで初めてアレッ?と思った。なんとなくそれまで、ジョーカー(アーサー)になんも面白いことをさせず、ただ歌わせるだけの映画を撮った製作陣にある種の無邪気さを感じていた。このナンセンスさは彼らの読み違え、あるいは天然ボケなんだろうと、無意識に考えてしまっていたのだ。

けれどそれなら「もう歌うな!」なんて客席の9割の人間が思っていそうなことを台詞にするだろうか。まるでこっちの考えが読めているようにも見えてくる。もしかして彼らは、ジョーカーを暴れさせずに歌わせてもそこまで面白くないことを最初から分かっててこれを作ったんじゃないだろうか。

そう考え始めた途端にいろいろなことが腑に落ちてきた。作中、アーサーは恋愛に溺れる以外はほとんど何もしてないのに、周りが勝手に感化されて狂ったり崇めたりする。そして、ジョーカーがただの人間アーサーだったとわかると潮が引くように離れていく。その心の動きが、映画館の席についてからここまでの自分の心境といやにぴったり重なっているのだ。

勝手に期待して近づいて勝手失望して帰っていく、ジョーカー2の大衆と今ここにいる自分とfilmarksの低評価レビュアーたちはきっとそう変わらない。そして、思い返せばこの映画はずっと「シラフのアーサーと狂った取り巻き」に焦点を当て続けていた。

結局のところ、「おもんない取り巻きばっか映して何がしたいねん、はよジョーカー暴れさせろや」とぼやきながら、自分はずっとスクリーン大映しになった鏡を見つめ続けていたのだ。

ジョーカーはいろんな人間に「自分ジョーカーかもしれない」と思わせた。けれど、ジョーカー2は「お前ジョーカーちゃうで」「自分ジョーカーやと思いたいただの取り巻きやで」「あとジョーカーも蓋開けたら多分そんな大したことないで」という常温の現実をバシャバシャと浴びせてくる。

そういうメタだと捉えれば、この映画面白かったと思う。実際のところは知らんけど。ジョーカーは1も2も一回ずつしか観てないかうろ覚えだったり的外れだったりするかもしれないし、ひとまずこういう印象を受けたとだけ言いたい。他の感想も気になってきたな。

2024-10-22

自分欲望を貪り食って心を底から震わせてる時は自由意志を感じる。人生この一点さえを見失わなければ生きるに値すると思える。

生活に追われて何をしてても「こんな事してる場合だろうか」って気分になる時はあらゆる物事が無感動に思えて、まあ結局自然法則操り人形だしなって感じる。

この反復横跳びを繰り返してると、本当に、心底大事だと思っていたものすら結局気分に踊らされてるに過ぎないんだろうかって気持ちになってくる。

全体的に後者へ傾いていって、生の実感を蝕んでいく。こういう事考えてると意識現実感が薄れて、起きながら夢見てるような感覚に陥る。

いや、このメタ思考すらも運命予定調和で。

そのメタメタ思考も。そのメタメタメタ思考も。そのメタメタメタメタ……

おかしなるで。

2024-10-21

追記】求む!自民野党も支持してない場合投票

元増田だけども、ブコメ増田見てもこれだなって選択肢は無かったな   

なので、色々考えた結果、今回の投票白票とさせてもらいます

自民党野党ともに政治家として政党としてしっかり働いてると思わないから、その不満を表明する意味での白票

白票を投じる行為について、学術的な視点からは、政治的不満や投票者の意識を示す有効手段とされています日本選挙研究に関する査読付きの論文では、投票率が選挙正当性に影響を与えることが確認されています白票投票率にカウントされるため、選挙全体の参加者数を増やし、結果として政治家政党に対するプレッシャーを与える役割を果たします。

https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jaes/

また、選挙における投票行動に関する国際的メタ分析でも、参加者数の増加が政治家政策戦略に影響を与えることが示されています特に白票無効票が増加することで、現行の政党候補者有権者ニーズに応えていないというメッセージが明確になり、次回の選挙に向けた改革政策見直しが求められることになります

https://www.cambridge.org/core/journals/government-and-opposition/article/what-affects-voter-turnout-a-review-articlemetaanalysis-of-aggregate-research/2CCC1F9A8B742953B2D10C87C13D9F12

見た感じ一番多い意見は、現状に満足してるなら自民党、現状に不満なら野党って意見

この考え方の人多いみたいだけど、俺はこういう選び方しないか

というのも、俺は既に民主党政権交代経験してるんだよね

その政権交代で当時の“現状”に変化があったかと言うとないんだよw

政権交代すら“現状”の変化には不十分だってのが自分が直面した現実だよ

後は、自民党が勝ち続けてるからやりたい放題、腐敗が生まれてるわけで、野党でしょって意見

これも俺は無理だね

だって、今の自民党一強の形になってるのって、民主党下野してバラバラになった上に、野党同士の調整もなく再編もされてないからじゃん

矜持のない政党を支持して自民党の対抗勢力にしたって、揺り戻しで安倍長期政権自民党一強を生み出すことになるのは、歴史証明してるのに同じような選択肢を取ることは出来ない

野党はやっぱり改革して、内輪の盛り上がりや結束を重視する体制を変えて、対抗勢力無党派層の支持を集める形にならないとダメだと俺は思うね

野党に入れたら、現状の野党を追認することになっちゃうじゃん

anond:20241020155518

2024-10-20

話に入ってきてメタ的に叩いて勝った気でいる子いるよな

議論する気はないけど、かまってはほしいのかな

2024-10-19

anond:20241019000648

メタアナリシス(多数の論文のまとめ)なんかで「エビデンスレベルが高い」とか言うのが眉唾過ぎるだけ

断言するが数十年以内に「無根拠信仰だった」と否定されるよ

医療そもそも試行回数が少なすぎるから、かなり非科学的な信仰に引っ張られる世界

入試偏差値が高いというだけで医学部理系最高峰とか言い出すのがそもそもおかし

東大入試でも最高点は理三じゃなくて理一というのが定番だし

2024-10-15

anond:20241015111703

ドラえもん無能やで

メタ視点無能というだけでなく、作中でも無能扱いで「ドラミちゃんと交代すべきでは?」という話もある

2024-10-14

anond:20241014141340

60年代重厚さ、70年代シリアスさをダサいものとしてペラさを追求したのが80年代

坂本龍一土地根付いた情念たっぷり安里屋ユンタペラペラ無国籍電子音楽リメイクして激怒された逸話があるが

村上春樹ペラさがカッコいいという時代価値観を共有してたはず。

電子音楽はそれ以前のアナログ音楽メタ位置付けられてたこともありペラくしても芸術として成立してたと思うけど

80年代日本文学ロシア文学じゃなくアメリカ文学に手本を求めただけで

アメリカっぽいのカッケーが成立してただけっぽい。

まあそれが日本人だし、国民作家になってるのもわかる

ハンガン世代になるとナショナリティちゃんと向き合ったりしてるので

ノーベル横取りされるのもいたしかたなし。

[] 『スクールバック』におけるevilとは何か

18話の豊先生の扱いは少し気の毒だったな。決定的にギルティと断じれるほどのことはやってないし、むしろ見方によっては善良な言動しかしていないようにも思えるけれども、作中での評価は「だるい」、「うざい」、「キショい」などと散々だった。挙句に「近寄らんで~きしょ~」と生徒に面と向かって言われる始末である

人情機微を繊細に描く本作において、豊先生に対する生徒たちの態度は多少ゾンザイにみえる。過剰な言葉を投げかける生徒が諫められることもなく朗らかに去っていく構成は、爽やかな描写に反して後味の悪さを感じた。“豊先生はそんな扱われ方するのも仕方ない”という“含意”がなければ成立しないほど雑な扱われ方だ。その“含意”が何かを考察するなら、これは豊先生が“本作におけるevil”に抵触たからだと思う。

まず、本作における“good”とは何かから考える(※ここでいう“good”というのは、界隈が使うevil対義語として私が便宜上使っているだけの胡乱な表現

本作における“good”の象徴伏見さんであることは明らかだろう。けれども作中での伏見さんの活躍実質的には微妙ものが多い。各エピソードの主役たちは何らかの課題や悩みを抱えているけれども、伏見さんは何か直接的にそれらを解決してくれるわけではない。いや、間接的に貢献しているかすら微妙ときもある。

しかし、それでも伏見さんが“good”の象徴たりえるのは、本作の作品紹介を読めば輪郭が見えてくる。

伏見(ふしみ)さんは、とある高校の用務員。背は高め。仕事熱心。缶コーヒーが好き。そして、丁度いい距離感私たちと話をしてくれる。 今、“自分大人だ”と思い込んでいる人に苦しめられている。今、自分がどんな大人になったらいいのか迷っている。 ちょっとでもそう思っていたら、ぜひ伏見さんに会いに来てください。ホッとしたり、気づきがあるかもしれませんよ。

引用の「丁度いい距離感」という所がミソだろう。つまり本作における“good”とは「丁度いい距離感」のこと。逆に言えば「丁度いい距離感ではない」こと、それに類する言動をする者がevilというわけだ。

近すぎるとevilだが、遠すぎるとgoodというわけではない。

以上を踏まえると、本作の1話なんて典型的に思える。本エピソードの生徒は中盤、痴漢被害に遭う。これは犯罪という時点で勿論evilではあるのだけれども、「丁度いい距離感ではない」という点においても本作のevil抵触している。そして被害にあった子に対して、両親たちはデリカシーに欠けた言葉を投げかける。身内関係であるからこその近さ、そこからくる両親なりの慰めの言葉ではあっても、それは当人が求める「丁度いい距離感からくるものではなかった。

そして遠すぎる場合evilとまでいわないがgoodともいえないよね、ということも提示する。被害に遭った生徒は自ら犯人を捕まえたため、その勇気を褒めたたえる人もいた。しかし、それは表面上の言動と態度から逆算したもので、行為のものに対する上澄みの評価だ。痴漢被害者への丁寧な気遣いをする者もいたが、これも紋切型であり寄り添ったものとはいえない。

じゃあ、何て言えばいいの?と思うのだが、当人自身よく分かっていない。当人が本当に悩んでいる核たる部分は、是非善悪とは別のレイヤーにある。しかも極めてプライベートミクロであるため、明確で普遍的な回答がない。だからこそ苦悩の袋小路に入る。

そんな苦悩に対して本作(伏見さん)は「何とも言えない」という選択をした。「何とも言えないこと」に対しての答えが「何とも言えない」というのは逃げというか、そもそも答えになっていない。けれども、その時の生徒にとっては“個”と向き合い「丁度いい距離感」で接してくれた結果、と受け取られた。

先生がキショい(evil)な理由

先生は常にニコニコとしながら、誰にでも分け隔てなく好意的対応をする善良な教師のようにみえる。けれども、これは誰にでも“いい顔”をしつつ、“個”と向き合わない不誠実な人物……という解釈もできる。つまり「丁度いい距離感」に対して無頓着であるため、“本作におけるevil”に抵触しているわけだ。

作中でのやりとりを挙げるならば、豊先生好意を持っている生徒が「(背が高い人が豊先生の好みだったら)牛乳を大量に飲まないとなあ」などといった軽口に対して、豊先生は「今のサイズ感が可愛いから、今のままでいいと思うよ」と返す。「(牛乳を飲みすぎて)お腹こわさないようにね」という気遣いも忘れない。その生徒が自身好意を持っていることを踏まえたうえで軽口に軽口で返した形だ。こんな調子で、豊先生八方美人の節がある。婚約者がいる立場でありながら、自身好意を持っている女生徒への対応は軽薄にみえる。知り合いの異性にも当然のようにプレゼントを贈ったりする。

けれども客観的にみて、それらをギルティとするのは決定打にかける。他人好意に対して毅然とした態度をとらないというのも実際には一長一短で、豊先生個人でどうにかできない範囲も含まれている。豊先生の振る舞いは節々に粘度を感じるよう描写こそされているものの、それでもって悪徳と断じるべきかは疑問が残る。けれども、何度もいうように“本作におけるevil”とは「丁度いい距離感ではない」こと。その点において豊先生無頓着であることは否定できない。なので生徒に「近寄らんで~きしょ~」と言われ、続けて「大人なんやから ちゃんとしいや~」などといわれる。

面と向かって「きしょ~」とか言ってくる若輩に大人としての在り方を説かれる筋合いはないとは思う。ただ、一応これも先ほど引用した作品紹介文から読解できる。

伏見(ふしみ)さんは、とある高校の用務員。背は高め。仕事熱心。缶コーヒーが好き。そして、丁度いい距離感私たちと話をしてくれる。今、自分大人だ”と思い込んでいる人に苦しめられている。今、自分がどんな大人になったらいいのか迷っている。 ちょっとでもそう思っていたら、ぜひ伏見さんに会いに来てください。ホッとしたり、気づきがあるかもしれませんよ。

「“自分大人だ”と思い込んでいる人」とは、つまり理想的ではない大人」と言い換えられる。

本作における「理想的大人」の象徴伏見さんとするならば、その逆のような存在が「理想的ではない大人」といえるだろう。つまり「丁度いい距離感」で私たちと話をしてくれないのはevilから先生はキショいし、「“自分大人だ”と思い込んでいる人」 だからちゃんとしいや~」ってわけである

最終的に「彼女がいるのに生徒や伏見さんに色目使ってた男」と評された豊先生は「エエ~……」と困惑するしかなかったが、仕方ない。豊先生の扱いは、本作の通底するテーマ価値観からみれば筋は一応通っている。それにしたってどうなんだと思わなくもないけれども、それは私の咀嚼と消化の問題でもあるから片隅に置いとく。

余談:伏見さんが理想大人(のように振舞える)構造

伏見さんが“good”の象徴理想大人メンター存在でいることができる理由ってなんだろうか。メタ的な推測になるが、まず「学校の用務員」という立場がある。

学生たちにとって、自身の抱える課題や悩みを打ち明けられる大人は少ない。主に両親や教師になってくるが、両親は身内であり近しい存在からこそ、かえって言えないことや言いにくいこともある。教師あくま仕事の一環として生徒と接するというフィルターがあるし、それも一人や二人ではなく数多ある生徒に対応しなければならない。他にもやらなければいけない仕事だっていから常に全力で応えてくれるかは難しい。

いや、そもそも本作において学生の抱える葛藤は、是非善悪だけでは語りきれないものが多い。そんなことで白黒ハッキリついて解決するのなら悩んでいない。そんな悩みに対して親身になってくれないのは嫌だが、がっぷり四つでも困るのだ。そんな悩みを抱える学生たちにとって丁度いい距離感で接してくれる大人がいたとすれば、それは酷く理想的うつることだろう。そのために学校の用務員という設定にしたのが絶妙だ。学校にいながら、親や教師が取りこぼしがちな生徒の機微個別に拾うことができる。心のケアをする必要のない立場からこそ、それをわざわざやる伏見さんの善性が際立つ。

本作の描き方からくるデメリットとしては「一概にいえない事柄なのに、メンター言動ベストになってしまいがち問題」はある。まあ、これは学園もの教師もの共通デメリットではあるけれども(典型的なのだと『GTO』の主人公とかは解決方法ほとんど破天荒だったり非合法だったりするが、少なくともその作品世界においてはベストとなってしまいがち)。あと伏見さんを理想大人として描写しようとするあまり、それ以外の大人犠牲になってるというか、簡便に描写されている感はある。豊先生もその一人だなって印象。

2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

2000年代になると、日本映画ドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマ陳腐ものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理人情世界観でつくられた恐らく最後ドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸系譜なのである

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-10-12

週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ20

anond:20241102083243

◆再追記

anond:20241026155116←皆さんの意見を受けてリライトしました、よかったら読んでみてね

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選考基準独断偏見で、作者一人につき一作まで

強いて言えば後世の作家への影響、社会的な影響を重視

ランキングではなく、連載開始順に並べただけです

忌憚なき意見、待ってるぜ

1.ハレンチ学園 作:永井豪 1968年創刊号 - 1972年41号

黎明期レジェンド枠。サービスエロジャンプマンガの大きな側面を担っていた事実否定できないし、そもそもこの作品の売上が無かったらジャンプが存続してたかも怪しいので入れざるを得ない。

2.男一匹ガキ大将 作:本宮ひろ志 1968年11号 - 1973年13号

黎明期レジェンド枠2。ジャンプ黎明期の売り上げを支えつつ、不良系マンガを一大ジャンルとして確立させた意味で実は物凄く偉大な作品。これが無かったらろくブルも東リべも存在しない。

3.こちら葛飾区亀有公園前派出所 作:秋本治 1976年42号 - 2016年42号

ギネス記録である40年にわたる長期連載、そしてサブカルチャー全般積極的に題材として取り入れたことで現代日本風俗文化を凝縮したような史料価値を持つ作品になった点を評価したい。

4.リングにかけろ 作:車田正美 1977年2号 - 1981年44号

黎明期レジェンド枠3。売り上げもさることながら、見開きを用いたド派手な演出の数々や、「荒唐無稽能力バトル」というジャンル確立させた点を評価したい。(このジャンルパイオニアアストロ球団なのだが、後進への影響はこちらが上かなと思う)

5.キン肉マン 作:ゆでたまご 1979年22号 - (週プレNEWSで連載中)

リングにかけろ確立したバトルマン路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。初めてのジャンプ黄金期を作った作品で、キン消しをはじめ一般社会への影響力もすごい。いわゆる「友情努力勝利」はほとんどキン肉マンで作り上げられたといっても過言ではない。

6.キャプテン翼 作:高橋陽一 1981年18号 - (キャプテン翼WORLDでネーム連載中)

勝利友情といったそれまでのスポーツマンガの王道を抑えつつも、キャッチー必殺技を取り入れ実際のスポーツ以上のエンタメ性を付与した。マンガ史全体としてはドカベンがこのジャンルパイオニアだけど、ジャンプで言えばキャプ翼がそれ。海外で人気が爆発したほぼ初めてのジャンプ作品という点も重要。この作品がなければメッシサッカーやってなかったかも。

7.北斗の拳 作:武論尊原作)、原哲夫作画1983年41号 - 1988年35号

80年代ジャンプ象徴といえる作品。創刊以来、ジャンプの主たる系統であった劇画タッチハードボイルドな男向けの作風の最高到達点。

8.きまぐれオレンジ☆ロード 作:まつもと泉 1984年15号 - 1987年42号

ラブコメから選ぶならこれ。決して革新的な要素があったとは言えないが、当時のジャンプが唯一苦手としていた王道ラブコメで人気を得たことが重要。ポップ路線を持ち込み、ジャンプ紙面の多様性はより進むことになる。

9.ドラゴンボール 作:鳥山明 1984年51号 - 1995年25号

90年代中盤のジャンプ黄金期を牽引した作品であり、連載が終了してなおもジャンプ日本マンガ文化の頂点に君臨する作品。急激な路線変更、無理やり感ある後付け設定と引き延ばしなど、負のジャンプらしさをも象徴している。

10.ジョジョの奇妙な冒険 作:荒木飛呂彦 1987年1・2号 - (ウルトラジャンプで連載中)

国民作品として定着してきたのはここ数年って感じはするけど、現代異能バトルマンガはほぼ全てジョジョ3部の影響下にあると思うので入れざるを得ない。

11.SLAM DUNK 作:井上雄彦 1990年42号 - 1996年27号

バスケマンガ、いやスポーツマンガ史上の最高傑作勝利と成長の喜び、敗北と挫折の苦さがこれ以上なく詰まったタイムレスな名作。もし序盤の不良マンガ路線継続していたら日本バスケットボールの歴史は(恐らく悪い方に)大きく変わっていただろう。

12.るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 作:和月伸宏 1994年19号 - 1999年43号

特筆して後世への影響や売り上げがずば抜けている印象はないけど、DB幽白スラダン終了後ワンピナルトブリーチが現れるまでの柱としてジャンプ暗黒期を支えた世代代表として入れておきたい。

13.セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん 作:うすた京介 1995年52号 - 1997年40号

純粋ギャグから一作入れたかった。ナンセンスシュールさを主体としたギャグジャンプ誌上で成功させた最初マンガ下品さやエロさを排除した純粋面白さを追求した点が重要。その影響度は「マネもほどほどに...」という注意書きが当時の新人賞の要項に書かれるほどだったそう。

14.遊☆戯☆王 作:高橋和希 1996年42号 - 2004年15号

正直マンガ作品としての完成度は大したことない。だが集英社における映像媒体以外のメディアミックスとして最大の成功例であり、TCG日本に定着させた初めての作品であり、暗黒期の集英社(とコナミ)に莫大な富をもたらしたこと重要お金正義

15.ONE PIECE 作:尾田栄一郎 1997年34号 - 連載中

大河ドラマ的な作風であったり、連載中であったり、作画コストが高すぎたりで他作品へ与えた影響がまるで感じられない(マネしたくてもできない)点が評価を迷うポイント。それでもなんだかんだ国民マンガジャンプ看板地位は譲ってない。幼少期から温めた構想を週刊連載で30年かけてやる人間って歴史存在しないと思うので、そういう意味では既にマンガの枠を超えた注目度になりつつある。

16.HUNTER×HUNTER 作:冨樫義博 1998年14号 - 連載中

残酷で先の読めない展開、異常に複雑で難解な設定、それでいて少年マンガ的なシンプルな熱さを持ち合わせた稀有作品。「続きが気になるマンガ」を描かせたら冨樫以上の人間はいない。ハンタ最終回を読むまでは死ねない。

17.NARUTO 作:岸本斉史 1999年43号 - 2014年50号

まあ、国外で最も人気のあるジャンプマンガなので(適当)。

18.DEATH NOTE 作:大場つぐみ原作)、小畑健作画2004年1号 - 2006年24

サスペンス主体としたマンガとしてこれ以上ない完成度。ジャンプ作品を大別するとバトルものスポーツもの恋愛ものギャグもののどれかになるが、それ以外のジャンルで最も成功を収めた作品

19.鬼滅の刃 作:吾峠呼世晴 2016年11号 - 2020年24

ワンピース以降不在だった、圧倒的な看板力を持つマンガ趣味多様化出版不況といった逆風を跳ね返し、国民的な作品を生み出す力がマンガにまだあると示した功績がデカい。

20.チェンソーマン 作:藤本タツキ 2019年1号 - (ジャンプ+で連載中)

今のジャンプジャンルレス化している最大の要因はジャンプ+の影響であり、その代表格ともいえる藤本タツキを入れないわけにはいかない。まだそこまで顕在化してないけど、今後10年でタツフォロワー無限に産まれそうな予感がするので入れておく。

追記

一応30年くらい継続して毎週ジャンプ読んでます

ブコメでなんでこれ入ってないの?って言われた作品について

ブリーチ個人的にはリストに入れるべきか一番迷った作品るろ剣と入れ替えてもいいかも。売上的にも後世の影響的にも入っていいと思うけど、他の超長期連載作品と比べ終盤面白さを保ててなかったところがちょっとマイナス。実際掲載順もどんどん下がってたし

銀魂→人気売上的にはあり、メディアミックス成功度も高い。ただ銀魂がなかったと仮定した時のマンガ史的影響力があまり感じられないので外した

シティハンター→人気売上的にはあり、ただハードボイルドでもコメディでも上の作品複数あるように思う

テニプリ→正直候補に入れてなかったけど腐人気の拡大とテニス人口の拡大という意味ではたしかにアリだなと思った。入れ替えるならチェンソかデスノかな

ハンタより幽白→これ言うと公平性を欠いてると言われそうだが、俺は冨樫ジャンプ史上もっとも偉大なマンガであるという前提で全作品評価している。幽白は序盤の人情モノ路線打ち切り冨樫作家性が薄まっているように感じるため、より純度の高いハンタを選出。ただ未完に終わったなら幽白でもいいと思う

リンかけより聖闘士星矢→書いたように能力バトルマンガのパイオニア存在であることを重視した。1作家1作品縛りなければ入れてもいい

Drスランプ→1作家1作品縛りなければ入れてもいい

ひばりくん→もともとギャグマンガとして書かれた作品なので評価に迷う。入れ替えるならオレンジロードなんだけど、あえてオレンジロードを入れたのはジャンプギャグ要素を排した恋愛マンガをヒットさせたことによる後世への影響を重視したからなので...

はだしのゲンジャンプ掲載された期間が短すぎる

サーキットの狼ジャンプ史においてレース漫画存在感がさすがに薄すぎると思う、必然的に後世への影響力も低く評価せざるを得ない

ヒカルの碁小畑で選ぶなら流石にデスノかな

漫☆画太郎画太郎ギャグ面白いけど汎用性や他作家への影響に欠ける。なぜなら絵柄ありきで、良くも悪くもマネができないから。俺がうすたのギャグを高く評価する理由は、ストーリーににも絵柄にも下ネタにも頼らない純度の高さ(=マンガにおける笑いの一般化)にある

呪術→はっきり言って候補にも挙げてなかった。同世代チェンソ鬼滅より明確に格下だし、そもそもコンセプトがジェネリックハンタしかない以上このリストには入れられない。冨樫になくて芥見にはある面白さがあるとするならば俺とは感受性根本的に合わない

男塾→あれは劇画タッチとバトルものという過去メインストリームメタにしたギャグマンガなので、他作品の影響を大いに受けた側。このリストには入らない

2024-10-11

ファイヤパンチ面白いじゃん

ジャンプ+において今日限定で全話無料公開してるから読んできた。

ファイヤパンチに関しては以前一話目がネットで話題となったときに目を通した程度で、つまり一話しか読んだことがなかった。

それを今になって、一気に最後まで駆け抜けてきた。

で、感想としての第一声は「面白いじゃん」だった。内容的には今さら古典的セカイ系!?と思わないこともなかったし、最後の終わり方なんて80年代日本SF小説を思わせる(小松左京的な)ものだったけど、登場人物には個性があって魅力的だし、メタ的な語り役を設けることで先の展開を読め難くしていたりとで大変楽しめた。

後半で宗教戯画しているのも良かったし、単純明快復讐譚を"少年誌"という縛りがある中でどう捻りを加えるか?といったところに映画撮影を持ってくることで捻りを加え、ジャンプに対するメタ視線を取り入れるところも巧い。

感情描写は絵でも言語でも上手いし、こりゃ売れるわけだと思ったね。

みんなもまだ読んでないなら読んでみては?

少なくとも、一読する価値はあると思うよ

2024-10-08

anond:20241008084623

いるみたいよ

スーパーナチュラルっていう男兄弟主人公アメリカドラマ

メタ的なキャラとして、その兄弟BL同人誌作ってる腐女子が出た事がある

あーやっぱ海外にもいるんか」と思った

2024-10-07

昨日深夜テンションで考えたゲーム

タイトル名: “The Last Nightmare2”

あらすじ:

The Last Nightmare 1”

1作目の「The Last Nightmare 1」では、主人公が自室の布団の中で目覚めるところから始まる。物語が進むにつれて、部屋の中で次々と怪奇現象が発生し、現実悪夢境界曖昧になっていく。最終的に主人公は、何者かに襲われそうになるが、その瞬間に目が覚め、全てが夢だったと気づく。「夢オチ」でゲームは幕を閉じる。

The Last Nightmare 2”

続編「The Last Nightmare 2」の主人公は、1作目を批判するプレイヤーだ。彼はゲームプレイしながら「夢オチなんてつまらない」と不満を漏らす。そんな彼は、1作目のように布団に入って眠りにつく。しかし、朝目が覚めると奇妙な出来事が起こり始める。

最初些細な違和感だった。電子時計が壊れたり、どこかでドアが勝手に閉まる音が聞こえたりする。これらの出来事は、前作「The Last Nightmare 1」で起こった怪奇現象と不気味に似通っていることに気づき始める。(1でアナログ時計→2でデジタル時計というようにして、少しずらす)

徐々に主人公は、まるで前作の出来事追体験しているかのように感じ始めるが、決定的に異なるのは「夢オチ」がやってこないことだ。最終的に、彼もまた謎の存在に追い詰められる。彼は前作の主人公が襲われる寸前に目を覚ましたことを思い出し、今度は自分も目覚めることを期待する。

物語が進むと、主人公は何かに襲われそうになるが、そこで目は覚めない。ギリギリのところで、今度は逃げることができる。しかし、彼は逃げ回るうちに次第に追い詰められ、家中を逃げ惑う展開に発展する。部屋のドアが勝手に閉まり、影が徐々に近づいてくる。追い詰められた彼がもう助からないと思った瞬間、目を覚まし、「夢」から現実に戻ることに成功する。

恐怖に満ちた瞬間、何かに追い詰められた瞬間、ふとんの中で突然目が覚める。夢だったのか現実だったのかも曖昧なまま、ゲーム強制終了する。

The Last Nightmare 3”

ゲームタイトルが「The Last Nightmare3」に変化する。

The Last Nightmare 3」では、プレイヤー自身主人公となる。ゲーム再起動すると、画面には単なるゲームメニューが表示されるが、徐々にプレイヤーに語りかけるような異常なメッセージが出現し始める。「あなたは『The Last Nightmare 2』のプレイヤーですか?」「これは現実ですか?」といった問いかけが続き、プレイヤーは不気味な感覚に襲われる。

プレイヤーゲームを進めると、今度は自分自身の部屋が画面に映し出され、まるで自分操作されているかのように感じ始める。怪奇現象ゲームの中だけでなく、プレイヤー現実世界にも起こり始める。突然、電子時計が壊れたり、物音が聞こえたり、画面の中と現実リンクしているかのように錯覚させられる。

(具体案(実装可能かは要検討):窓の開閉→ウィンドウの開閉、物音→イヤホンで音を出す、鏡にだけ映る幽霊的なものモニター幽霊を映すが実際にはもちろん何もない、鏡→モニター汎用性がありそう)

物語クライマックスでは、ゲーム内で何かに襲われる恐怖が高まりプレイヤーPCの画面上で追い詰められた瞬間、突然ゲーム強制終了される。画面がブラックアウトした後、PC再起動し、「これが最後悪夢だ」というポップアップメッセージが現れる。

このメッセージの後、PCデスクトップが何事もなかったかのように戻るが、プレイヤーは一度ゲームの中で見た「終わりのない悪夢」に引き戻されるような感覚を残し、ゲームが完全に終了する。

メタ要素:

• 「The Last Nightmare 3」は、プレイヤーを直接巻き込む形でメタ的な恐怖を演出する。1作目や2作目をプレイしているプレイヤーは、自分がその物語の一部であり、逃れられないサイクルに捕らわれていることを感じる。

ゲームの中で起こることと現実リンクにより、プレイヤー自身物語の一部となり、夢と現実境界曖昧になる恐怖を体験する。この三部作は、プレイヤーに「夢オチ」の概念現実感を揺さぶり、最終的にメタ的な恐怖で閉じ込められる構造を持っている。

実装が難しそうなところ:

3のメタ演出ではカメラを使った演出を使うと面白いしいい感じに怖くなりそうだから自然にそれを導入できるように工夫する。顔認識心拍数表示とか、悲鳴を出すと敵に位置がバレるとか。心拍計測は、ゲーム内で同じテンポ心臓の鼓動音を鳴らすとかすれば面白そう。テレビ画面にプレイヤーの顔を映す場面を作るとか。目を十秒間瞑ると文字が表示されるとか。そもそも3のギミック全般が難しそう。

2024-10-06

[]ノーモアヒーローズ

10時間エンディング見た

タイトルだけは知ってるゲームだったけど今回初プレイ

やりこみ要素はほぼ無視

ミニゲームちょっとだけ何回かやったりした

余計な寄り道しなかったら8時間くらいで全クリできてたと思う

パロディメタネタだらけだったなあ

もはやこのゲームオリジナリティよりパロディオマージュメタネタ割合がでかすぎた

あと悪乗りしすぎて内輪ネタまで出してきたのはやりすぎだと思った

開発者名前だしたり、デバッグ会社名前を出したり(ピー音で全部隠れてたけど

ひびき的にポールトゥウィンとかかなってかんじはした

ドットゲーの演出ダンガンロンパ思い出したな

アンダーテールやってた人ならそっちが浮かんだりすんのかな

バトルは専用ステージで決まった数の敵倒すってのを何十回もやる

あとボス

オープンわーるどっぽくなってるけど完全ハリボテだし、マップにあるのに入れないエリア大杉

リボテなのにやたら行き止まりとか陰になって見えないとことかあってストレスたまる

同じザコ敵と何度も戦うのもマジで作業しかないし

プレイ時間水増しがひどかった

カットシーンもセリフ飛ばせなくてかったるかったし

独特の雰囲気とかグロはやってくれてよかったけど

ゲーム部分が手抜きすぎって感じ

あ、よかったのは敵がノックバックするとこ

テイルズ攻撃しても全然敵がひるまなくて攻撃してる感なくてつまんなかったから、

ちゃんとこっちの攻撃がきいてる感じがするのはよかった

スーパーアーマーもほぼなかったし

ただカメラワークがねえ・・・

スティックカメラ操作するんだけど、自動でイー幹事にやってくんないのよねえ・・・・・

から攻撃連続でやってたらどんどん敵が画面から見えなくなったりしてすんごいストレスになる

攻撃右手操作してんのに同時に右スティック操作要求すんじゃないよ

デビルメイクライだとこんなことなかったんだけどすごかったんだなって

完結?といいつつラスト次回作を予感させる感じ バックトゥザフューチャーみたいな

娘のジーン?が金髪ツインテデフォルメでかわいかたかリアル3dモデルでみたいなあ

バッドガールがエロかわいかったけど父親ころされてからずっと引きこもってたし自分操作もできなかったから残念だった

2と3の間のトラビストライク素揚げインってのあるからそれをやってる

攻撃するためのエネルギーを充電するのがめんどかったなあ

充電手段カメラ操作する右スティックと同じってのがまたうざい

2024-10-04

anond:20241004081527

こういうのも本人はインタレスティングエピソードトークだと思って書いているのかと思うとメタに笑える

メタアナリシス」とかいデータの拾い食いを医者妄信している理由

あんデータ操作できまくりの怪しい研究手法を「エビデンスレベル最高」とか言って崇めてるの物理化学ではあり得ないけど、医者けがなぜかあんなのを最高の科学的根拠だと思ってる謎。

2024-10-02

たとえば暑苦しい気候会社員がそれでもジャケット羽織るのは、全くもって気が狂っているとしか思えない。自分もそれは望まない。

さりとて環境にそぐわない服装要求される場面は多々ある。良い悪いの問題ではなく、いくら暑くともTシャツ一枚で冠婚葬祭に赴くのがズレているのは間違いない。

自覚的であれ無自覚であれ、そういう場面でズレてるとつまらない損をする。馬鹿げたナッシュ均衡でも、崩そうとするよりはそれに従ってテキトーにやり過ごそうとするのはそうおかし心理でもない。

人生時間も、(大抵の人間にとっては)一日に絞り出せるやる気も有限だ。アイデンティティなりポリシーなり生きがいなり、よほど強い関心がある訳でもなければラクな方を選ぶ。こういう態度が現状を補強するんだろうなという自覚に蓋をしながら。

普通」ではない人間を炙り出す対象となるのは自分だけではない。自分選択だけではなく、鬱陶しいと思っている風習であってもそこから逸脱した他人白眼視する事さえある。馬鹿げたコードだとは思いつつ、それに敢えて反発するのもラクではない。

ある種のコードだけでは見極められないヤバいだっていくらでもいるだろうけれど、少なくともそこで擬態すらしないような人間判別出来る。逆にそういうとこばっかり見てるとヤバい奴が「まとも」に見えてもしまう。

無自覚でやってるのなら物を知らない奴という事だし、自覚的にやっているのならメンドクサイ奴なんだろう。現状を変える勝ち筋が見えているのならともかくとして。

安全圏の部外者が画面越しである種の内輪ノリ非難するのと、自分の身を以て抗議するのはまるで違う。おれはその手の「メンドクサイ」人間に対する忌避感はあまりない。単に現状を変えようとするコスト怠惰という錘も含め)が変えて得られるものよりも高くつくと見積もっているのだと思う。

ただその手の奴を強く嫌う人間も少なからずいるようで、そういった連中はむしろ積極的にその構造を補強しようとしているのかもしれない。おれは「べき」に抗議するよりも、そうやって「べき」をそれとなく支持する奴の方がめんどくさいと思う。

TPOに応じたコードには煩わしさと、良い悪いは別にしてこういう特定機能がある。どこまで共有されているのか分からないような美意識も。

実在するかは知らんけど、初デートサイゼリヤを選ぶの選ばないのというのもそういう事なんだと思う。

単純にケチであるとか見栄の感覚ギャップだとかの問題ではなく、よりメタ的な部分で品定めするのもそうおかしな事ではない。

初めてのデート格安チェーンを選ぶという、コードからのズレをどう評価するのかという。

ただデートなら集団ではなくあくまタイマンな訳で、そこはやっぱり「社会マナー」と違うよなって思う。

双方が「普通」のデート作法を煩わしいと感じたのなら、日本中会社員いっせーのでスーツを脱ぐよりも遥かに簡単だ。

そこでズレがあったのなら擦り合わせる事も出来るし、どちらかが我慢する事だって出来る。

よほど相容れずに別れたところで、別に日本社会のはみ出し者になる訳でもない。

2024-09-30

2024夏アニメ1話を見たひとこと感想

もう夏も終わったが、夏アニメ47作品1話を見た感想を書いていこうと思う。

レギュレーション

A群(2話以降も見たい)

B群(2話以降も見てもいい)

C群(2話以降は見なくてもよい)

D群(2話以降を見る気がしない)

まとめ

2024-09-29

キョンの事がいまいち好きになれなくなった

昔、涼宮ハルヒの憂鬱にハマっていた。

アニメエンドレスエイト消失映画も見たし、聖地も巡ったりした。

原作もくまなく読んで、伏線らしきところをチェックしたりもした。

色々あって、別のアニメが気になり始め、同時に原作刊行がゆったりめになったのもあり、ハルヒに触れなくなった。

最近、また再度興味が出て、最初から読み直してみているが、どうにもキョンに納得がいかない。

そもそもキョンが「10代の男子であることを考えて、なおかつ「素直にはものを言わない」(=いわば信用できない語り手)でもあるから、多少は仕方ない。

だが、どうにもそれを踏まえてもよく解らん、となる。

個人的にはどうにも長門の扱いが腑に落ちない。

特に顕著なのが消失の中での長門への感情

消失の受け取り方はそれなりに読者・視聴者でさまざまかと思うが、あれはラブストーリーだと思っている。

キョン長門世界改変を(エンドレスエイト等を踏まえての)バグである、またはSOS団活動を経ての感情の生まれであるとしている。

私は前者は確実にないだろう気がした。無論長門もそれなりに疲弊はしただろうが、「バグ」と片付けるのはどうなのかと疑問に思う。

後者SOS団活動を経て感情が生まれた、というのは「お前解ってて言ってるだろ」と思ってしまった。

長門は「キョン自分を選んでほしい」というように思っていたように、私には感じる。

初期の探索の時に、図書館カードを作ってくれた。それが嬉しかった。でもそれを「嬉しい」と実感し、伝えるまでにも時間がかかった。

ともあれ、その探索の時のカード発行とそれ以後に、長門の中で恋心が生まれたというのは、私の妄想ではないと思う。妄想だったらすまん。

しかし、キョンはかたくなに長門にたいして「バグ」「感情が生まれた」「疲れている」というふうに話す。

そうかも知れないけど、あんなふうに接している消失長門の恋心を解らんはずがない。おそらく、解っているうえでそう話す。

はいわゆる長門推しでもないし、キョン長でもない。だが、そんな私ですら「そりゃねえよ」と思ってしまった。

「気付いていながらスルーする」というのは、そういう気がないからと断るよりタチが悪いんじゃないかと思う。

私だったら好きな相手にその想いを気付かれながらも、その想いの存在すら認められなかったら悲しい気がする。

だいたいキョンはまだ高校生男子で、しかも素直ではない、かつかなり面倒くさい性格をしていることを鑑みればこういう態度も仕方ないだろうし、

メタ的に見れば読者への明言を避けたということもあろうとも思う。

だがやっぱり何度考えても「そりゃないぜキョン」という感情が出る。

ハルヒとの関係すらもあやふやに流されている中で、長門だけ明確に「ふってしまう」というのは出来なかったとしても、なかなかしんどい

とはいえ、巻を重ねるにつれある程度そういうモヤっとする部分は薄まっているので、新作は楽しみ。

ただ、やっぱり消失長門への感情は「そりゃないぜキョン」と思ってしまう。なぜ当時はさらっと読み流していたんだろう。

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