はてなキーワード: マイナスイメージとは
いまはネット上に結婚や家庭の運営、子育てについての知見があふれていて、10〜20年前にくらべてみんなの理解度がぐんと上がっている感じ。
いずれは自分がしたり、されたりする可能性が高い、もしかしたら子育て以上に?避けがたみの強い人生イベントなのに。
ネットのヘビーユーザーやネイティブ世代がもう少し年とってきたら、もっとみんな漫画とか体験談とかTipsとか、愚痴とか怨嗟とか笑い話とか可愛い話とか泣ける話とか、いっぱいあげてくれるかな??
それとも、もうそういうインターネッツある??(あんま見ないけど小町とか??
そんで介護が身近になって、理解度もあがって、社会のしくみとか空気も変わって、楽しい介護ショップ(ジーチャン&バーチャンホンポみたいな?)とかもできて、
そしたら、もう少しみんなでラクに、楽しく乗り切れるようになる部分もあるんじゃないかな〜〜、なってくんないかな〜〜と淡い期待をしている
もちろん介護にまつわる悲惨な事故や悪辣な事件、ヤングケアラー問題、介護従事者の就業環境とか、問題は山積みだ。
そーゆーことの報道は絶対必要。でも、そこだけが広まって、介護=3Kの極みみたいな、ざっくりしたマイナスイメージと不安ばかりが先行してる気がする。
子育て同様、介護もエクストラハードモードから比較的イージーモードまである。
頼りにならない病院や、クソみたいなやべー施設もあるけど、いい病院とか素晴らしい施設、先人たちが積み上げてきた知識とか知恵、活用できる制度とか親身になってくれる専門家、めちゃんこ助けになってくれる人もいる。
やってられっか!!くそが!!みたいなことも多いし大変だけど、かけがえない言葉も、忘れたくない瞬間もある。なくはない。
すくなくとも3Kだけで切って捨てられるような営みではない。
命とか人間の尊厳についてしっかり考える機会になるし、自分自身に向き合うことでもある。
ただ良くも悪くもとてもプライベートな体験だし、千差万別で、一般化して語ることは難しい、
あと、子育てほどポジティブにシェアできないってのはあるかなあ?
そして今まさに介護に悩み、苦しんでいる人には、とりあえずひとりじゃないよって伝えたい!
「170cm以下は人権無い」とか、
世の女性は身長の低い男性の事を馬鹿にしている…という根も葉もない話が、まるで事実のように広まっている昨今。
…とはいえ、事実はどうあれこういうネガティブな話の方が広まりやすいのは分かる。
でも、一部の女性の意見だけを鵜呑みにしてほしくない、そう思っていない女性だって沢山居るという事を分かってほしい。
例えば自分の知人女性達は「最近身長170cm以下の男は人権が無いって言われているらしいよ」という話をした所、「何て酷い事を!」ととても憤慨していた。
知人女性Aさんは「身長が低いと子供のように感じてしまって異性として見る事が出来ない」(例えるならロード・オブ・ザ・リングのホビット族が子供に見えてしまうような?)と言っていたけれど、
それでも身長が低い男性の人格や人権について発言者の人格を疑うような酷い事は決して言わなかったし、
知人女性Bさんは「男の価値は身長じゃない。背が低い男でも立派な人は沢山居る」「背が小さい男はコンプレックスを抱えているから短気でうるさい奴が多い」
と、低身長男性の人柄について偏見を持ちながらも男性としての価値と身長には因果関係は無いという考えを持っていた。
「背が低い男性は子供のように見えてしまう」「背の低い男性はコンプレックスを抱えている人が多い」
そんな偏見を持っている女性は確かに居る。その事実は否定出来ないし、その人の考え方を強引に変えさせる事も出来ない。
けど、それがどうした?男性の価値は身長では決まらない。人間の価値はそんな物では決まらない。
コンプレックスなんて誰だって抱えている。人柄に問題が無い完全無欠な人間なんて世の中そうは居ない。
旨味調味料の話になるといちいち湧いてくるこういう主張、なんでわざわざ発言するんだろう?
味の素がなくちゃ料理ができないなんて誰ひとり言ってないのに、「俺は昆布やいりこを使ってるけどね」となぜか少しマウント気味に自己主張する。
いや、みんなも使ってますよ。味の素肯定派だって味の素以外の選択肢を持っていないわけではない。味の素は昆布やいりこや鰹節やほんだしやめんつゆやヒガシマルと同列の選択肢のひとつに過ぎない。
「材木を使わなくても鉄骨鉄筋とコンクリートで家は建てられます!」って言ってるのと同じ。知ってますよと。あえて材木を使わない理由の方を言ってよと。
肯定派と否定派の違いは〈調味料の選択肢に味の素があるかないか〉でしかなく、ほかの条件はイーブンなのだから、否定派は「味の素を選択肢から排除した理由」だけを主張すれば十分なのだが、なぜかあえてそこは避ける。
親からの言い伝えとか、ネットの噂とか、自然食品信仰とか、あるいはもっとぼんやりしたマイナスイメージとか、言語化するのが微妙な根拠でなんとなく雰囲気的に遠ざけているだけだからだ。あるいは、無意識に避けてしまっていることに気づいていないかだ。「舌が痺れるから」「後味が悪いから」なんて主張もあるが、それは入れ過ぎです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/45027695e530e051763275a72d54d44c1509526a
昆布(自然?)と味の素(化学?)が対立概念である、という図式をスンナリ受け入れている人々が多いようだけれど、そういう人々はいまだに味の素を石油化学合成食品だと考えているのだろうか。
味の素が化学合成を中止して発酵製法に切り替えたのは1973年のことだ。
1973年5月14日にMSGの最終晶析、23日に最終分割を行い、試運転開始以来10年10カ月にわたり続けてきた合成法によるMSG生産に終止符を打った。
(※MSG = グルタミン酸ナトリウム)
60年代~70年代の日本では公害が大きな社会問題となっていて、石油化学工業全体に対する消費者からの風当たりは非常に強かった。四大公害病(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)を小学校で習った人も多いだろう。
味の素の基幹工場は、ほかならぬ四日市市にある。上の資料でも、石油化学製品を過剰に警戒する消費者の忌避感に逆らえなかった苦衷が(かなりあけすけに)綴られている。
1960年代前半には高い評価を得ていた技術が、わずか10年余りのうちに一転して受容されにくい技術になった。その背景には、化学に対する消費者の劇的な意識変化があった。化学合成技術を最先端技術としてもてはやす時代から、公害の元凶として排撃する時代に変わったのであれば、食品を化学合成で作るというコンセプトは受け入れられない。
「化学調味料は得体の知れない身体に悪いモノ」という風評やマイナスイメージは70年代にはすでに一般的だったのだ。時代はPCBや水銀やカドミウムが重大な食害事件を起こしている真っ最中である。化合物食品や食品添加物に対する不信感は、現代のオーガニック信仰などとはまったく次元の違う切実さがあったはずだ。
味の素の失敗は、せっかく製法を切り替えたのに商品名を変えなかったことに尽きると思う。すでにブランドを確立していて手放しがたかったのだろうが、味も成分も商品名も同じままだったら、誰も作り方が変わったなんて思わない。新・味の素とか味の素ネオとか、あるいは全然違う名前をつけた化学じゃない方の旨味調味料を売り出して、オリジナルの味の素は静かにフェードアウトさせるべきだったろう。令和の今に至っても味の素を「化学調味料」「化調」と呼ぶ人がたくさんいることが失敗をよく物語っている。
味の素系のブクマでコメントを見ていると「親が味の素を嫌いだったから自分にも使う習慣がない」という2世アンチも散見される。事実を知らないまま「味の素は悪者」というイメージだけが親から子へ、子から孫へと語り継がれてしまった結果である。
古いイメージをアップデートできていないだけならまだいい。それは無知なだけだ。
『美味しんぼ』には、露骨に旨味調味料を貶めるエピソードがある。山岡たちは(現在は味の素が発酵食品だと知りながら)わざと「化学調味料」という言葉を使い、味の素が化学合成していた時代のままの主張を展開する。まるで電気自動車の排気ガスが汚いと言っているようなものだ。
味の素の味が嫌いなら使わなければいいし、昆布の味が好きならば昆布を使えばいいし、「身体に悪いって言ってる人がちょいちょいいるから」くらいのよくわからん理由で使わないのもその人の自由だと思う。
私は基本的に増田に追記ってしないんだけど、スカタンなブコメひとつだけ晒し上げときます
安全とわかっているのだけど、遠慮したいのだね。味の素を愛好していた歌手・タレントの方が「がん」で亡くなった。生前に特製ソースと謳って、味の素を大量に投入していたのテレビで観ていた。
できる対策はやって、たくさん謝って、なげやりにならないを中学くらいからずっと心がけてるよ。
というわけで開き直るほうがわるいので、増田がなにか頑張る必要なし。
嫌なら離れればいい。
逆にADHDにいいたい
「~~なんだからしょうがないじゃん」とかいうな、オマエみたいなやつのせいでマイナスイメージが濃くなっていくんだよ
とにかく謝れ。まず謝れ。反省しろ。申し訳ないと伝えろ。やらないのはただの傲慢。
それから対策を一緒に考えろ「紙にかく」「貼る」「アラームをかける」「リストをつくる」これで8割なんとかなる。やらないのは怠惰。
それからふてくされるな。ふてくされてえのは相手だバカ。責めたら悪者みたいになるんだぞ、あっちは。パニクってすぐ泣くお前のかわりに事後処理をすすめてくれてるのは誰だよ。
暗い空気を作るな。ハキハキ喋ろ。空気の嫁なさはこういうときに使え。
どんなにミスを繰り返して情けなくて死にたい気分でも「次こそ失敗しないでしてみせる!」と真剣な顔で努力放棄する気はないとちゃんと伝えろ。
爆破による人工地震実験によって明らかにされた明石海峡大橋直下の地質構造
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390282680578442880
>>1995年に京都北部―淡路島西部断面に沿って, 一連の爆破実験がおこなわれた. 明石海峡大橋の基礎部での観測記録はS/N比が乏しいものであったが, 波形処理により, 爆破震源からのS波を求めることができた.
この実験とかも全く報道されなかったの考えると、「実験直後に大地震→調べて元凶だとバレるとヤバい→隠蔽して調査させない。真相は藪の中」って可能性が濃厚。
人工地震は可能だし、行われていたし、ちょっとでも失敗すれば、大地震が起こることも分かってた。
まあ、現状では、日本各地で人工地震実験をしまくった挙句、日本の地盤はボロボロ。
特定の場所を狙って起こすのは難しいかもしれないが、無差別に起こすなら簡単だろう。
といっても、阪神淡路大震災の時は、村山富市内閣の支持率がヤバかったときで、誰かが計画的にやったとしても、自民ではないはず。
菅直人政権時代に起きた2.11に関していうなら、もう一時的に支持率が伸びても、事態が収まれば終わりだし、失敗すれば逆に大ダメージになることが分かっていて、しかも、何が起こっているか分かっている層には、下手に支持率が下がると、政府はそうした大犯罪に手を染めるという恐怖まで植え付けるから、後の政権に有利になるだけなので、やるように嵌められた可能性が高いが。
そういう大災害レベルでない災害に関しては、政府にやる動機があるとは思えないが。
大災害レベルだと、国民が団結して、政府は大々的な政策を取れて、政治指導者の支持率が伸びるけど、そこまでの災害や事故でないものが頻繁に起こっても、精神的に不安定な人を不安にさせ、自殺や自暴自棄な事件を誘発する可能性がある程度。
大したことじゃないのにうるさく騒げば、ヒステリックで何するか分からない政権というマイナスイメージが付くだけ。
数字に表れるから、時の政権にとってはマイナスにしかならないだろう。
まあ、恐怖で脅して支持させたり黙らせるために、こういう陰謀論で脅すための手段である可能性はある。
政権の容疑を否定する者は、政権に好意を持っているからそのままで良くて、疑う相手だけ脅せればいいわけだから、陰謀論の疑惑だけ広めて、自分達で否定するという。
早いもので私も20代の後半にさしかかり、恋人が後々結婚と子作りを希望しているためそりゃ~どんなもんかねと将来を思い描いてみた。が、育児をする自分を想像するだけで寝込むほど鬱になった。
元々子供を特別好きだということはないが嫌いというほどでもないと思っていたので、床に臥す程かと少々自分の人間性に自信を喪失した。
ミノムシのように布団にくるまりうーんうーんと思考を巡らせた結果、子供そのものではなく、子供(育児)に付随するアレコレが嫌なのかもしれない事に思い至った。
思考の整理もかねて下記書き連ねる。
子供好きな人から見たら不快になりそうなことが書いてあると思うので自己責任で読み進めてほしい。
◆
私が子供を持つことに抱くマイナスイメージは下記のようなもの。
・寝られない。
・うるさい。
など。
こうして書き連ねるとわかるが、これは別に主語が「子供」ではなくても普通に不快になることばかりだ。
具体的にはこうだ。
-
↓
辛くなったら適度に他人に協力を仰ぐ。もしくは外的サービスの利用を検討する。(パートナーの協力は前提だけどまだ足りないと想定しうるので)
恋人が「俺の収入だけで生活できる」と言っているので、自分の収入をサービスに充てることはできそう。
-
・寝られない。
↓
完全母乳とかの神話を捨てれば母親以外も授乳できるはずなので夜間にまとめて寝ることもできる。
私は完全粉ミルクだった(母親が母乳が出ず)らしいけど健康に育ったので大丈夫だろう。
-
・うるさい。
↓
よく考えたらそもそも大きい音が苦手なことに気づいた。(クラブ、映画館、耳の遠い高齢者も苦手だった)
全く聞こえないのは問題だが、静かにしてもらえないなら騒音の軽減のために音量調節機能のある耳栓を使用したい。
子供の声に耳栓なんて、、、子供の声が騒音だと思うなんて、、、という神話は忘れることにする。
-
↓
好き勝手動いてコントロールできないのは大人であれ動物であれ同じなのでそこについては諦めるべきだが、ならなぜ子供のことだけコントロールしたくなるかというと、子供が何か問題を起こしたときに親である私の責任になってしまうからということがある。
例えば公共の場所で子供が騒いだ時に睨まれるのは親のほうだ。親としては静かにさせたいだろうがそううまくいく時ばかりではない。
解決方法について「公共での子供の粗相はある程度は自然災害のように思って自衛するしかないのだとの共通認識で皆が生き、親が必要以上に自分を責めなくていい雰囲気にする」、、、と言いたいところだが、それは「空き巣に入られたのは鍵をかけなかったほうが悪い」と言っているようなヤバさも感じないではない。難しい。
鳴き声くらい出させてしまっても気にしないタフさも必要かもしれないが、より建設的な解決方法としては、「問題行動が子供本人にとってメリットがない状態」を作るよりほかはないと思われる。
当時幼心に「泣きわめいてもなんの意味もない」と思っていた記憶があるため、メリットがなければその行動をおこさないのではないだろうか。そんなに簡単な問題ではないかもしれないが。
だとして「この行動は本人に何のメリットが?」という問いかけは問題行動の解決に役に立ちそうな気がする。
-
↓
正直これが一番きつい。
好きでやっている趣味や好きな仕事だって気乗りしないときにやるのはつらいのだから、気乗りしようがしまいが毎日こなさなければならない育児がつらくないわけないが、「思ってはいけない、その大変さすら貴ばなければならない」という母性神話に呪われている。
このご時世「身を粉にして働くことが素晴らしい」なんて言おうもんならド・ブラック企業認定されてしまうと思うが、子育てに関しては「親なら自分が飢えてでも子供に食わすもんだ」とか本気で言う人間がいるのだから驚く。
好きで生んだとしても嫌なものは嫌、つらいものはつらいと言っていいのだと自分に言い聞かせるしかない。
理解していても解呪に大変な労力を要しているので、こんな馬鹿げた神話は金輪際誰も口にしてはいけない。
「好きで生んだんだろう」という言葉のナンセンスさよ。アーメン。
◆
ざっと洗い出すとこんな感じになった。
状況的に解決が可能なことばかりだし、一部自分の思い込みのせいだったりするので「子供という存在」そのもののせいではないことが分かる。
上記の問題さえクリアできるなら子供を持つこともいいことだなと素直に思える。愛する人の子、両親の孫は見てみたい。
私は現在未婚小無しなので想像の範疇を出ず、経験者からしたらつっこみたいことが山ほどあるかもしれないが、そこはご容赦いただきたい。
懸念材料をとっぱらって健全に子供が産みたいと思えるようになりたいだけなので。
その一方で、上記に書いたことは「子供のせい」ではないにしろ「子供がいると発生いしやすい状況になる」ことは間違いないと思うので、それをふまえてして子供を持たないという選択も全く大アリだと思っている。
解決できても解決そのものに価値を見出せないんじゃ意味がない。
どんな価値観、選択も間違いではないので、後悔の無いようにしていけたらいいよね~と思う。
ここまで読んでくれてありがとう。
[B! 鉄道] 【終点まで行ってみる】都営新宿線の終点、橋本に行ったら思ってたんと違いすぎた…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/rocketnews24.com/2023/10/11/2050558/
なんでこんなピキってるブコメ多いの?ほっこりブコメを期待してたのに…ピキってる本人か、その機序を理解できる人は増田に書いて欲しい
1個1個解説していくね。
都営新宿線は本八幡~新宿駅までで、新宿から先は京王線に乗り継ぎをしてるだけです。橋本駅は京王相模原線の終点なので、「都営新宿線の終点、橋本」は明確な間違い、もっと言えば「嘘」です。鉄道は鉄オタが多いジャンルなのでここでまず地雷が埋まってる。
ライターは「普段乗ってる都営新宿線から橋本まで行けるじゃん」って意味で「終点」って書いたんだろうけど、それなら「都営新宿線で行ける終点」とか「都営新宿線に乗ってたらたどり着ける終点」とか、ひと言補足を入れて「逃げ道」を作るべきだった。
これね、結構ライターでもやっちゃうのよ。「韓国人は怒りやすいと思ってたけど、全然優しかった!」「近所のラーメン屋、見た目が不味そうだったけど、入ってみたら内装綺麗だしおいしかった!」「ジャニー喜多川って性犯罪者だと思ってたけど、意外と優しかった」でも、なんでもいい。いや最後のはホントか。まあいい。
こういった、対象を褒めるためにしばしば使われる「~~だと思っていたら、実はhogehogeだった」構文は基本的に使わない方がいい地雷である。こういった構文は「マイナスイメージがプラスに変わりました」ということを言いたいことに使われやすいので、「~~」に当てはまる表現はほぼ100%褒め言葉ではない(まず「マイナスイメージを持っている」という表明自体が失礼にあたるということに無自覚なのがまずいのだが)。しかも、その「~~」は「書き手の主観」になりやすい。嫌な言い方をすると、書き手の偏見を露呈してしまいやすい構文なのだ。
私が想像する橋本駅は、のどかな住宅街の中にある何の変哲もない小さな駅である。素朴な駅名そのままに、駅の周辺にはコンビニとスーパー、近くに大きな建物はなく、何もないような場所……。
一般論として、地元をばかにされるという経験は、怒りこそすれ喜ぶことはほとんどない。たとえば自分の地元駅について、地元に住んでない人が「○○駅って、周辺にはコンビニとスーパーしかなくて近くに大きな建物もない、何もない場所なんでしょ?」って言ってきたら、事実かどうかはともかくとして「ケンカ売ってんのか?」となりかねないのは想像にかたくないだろう。この記事は、「他人から自分の地元をばかにされる」という、基本的には不快である可能性が高い経験を読者に思い出させてしまうのだ。
記事の流れを読めば、ライターが「心癒やされるのどかな場所」というプラスのイメージを抱いていたであろうことはわかる。わかるが、あまりにも表現が悪い。
なぜこのような事態が発生するのか。実は、記事の中にヒントは散りばめられている。
見知らぬ終点駅への憧れを抱いていたものの、家から片道2時間かけて「隣の県のちょっと栄えた街」に行ったという、あまり夢のない結果になってしまった。まあ、自分の勝手な思い込みと知識不足のせいなのだが。
これは推測にすぎないが、このライターはこう考えていたのではないか。
もしそうなら、その主張には少なからず説得力が出る。なぜかというと、主観的な感覚はツッコミが入りやすいが、主観的な経験は否定できないという特性があるからだ。むしろ、その経験が「わかるわかる!」だったり「へー、そうなんだー」だったりの共感や興味を引くような内容であれば、読者の心をつかむことができる。
そういった感情に由来する前提条件が、この記事では読者とライターでそろっていない。少なくとも揃えようとする意図を感じづらい。本記事の場合は、せめて冒頭で上記のような「自分は地方出身者だ。地方出身者にとって、電車の終点とは何もないが故に心洗われる場所である」みたいな文章を入れておくだけで随分違ったと思う。具体的な出身地と路線名を出すとよりいいかもしれない。「実家の最寄り駅は津軽線だが、その終点・三厩駅なんか本当に何もない。駅前にスーパーなんて存在しない、かろうじてファミマがあるけど駅から徒歩15分だ。しかしその分、景色が最高である」みたいなね。
ここまで読んで、「正直、考えすぎじゃない?」「作者のひとそこまで考えてないと思うよ」ってツッコミを入れたくなる人は少なからずいるだろう。俺含めてみんな正直あら探ししすぎだと思う。この増田を書いてる人間は、あの記事はいつものロケットニュースあるあるな「ライターの素朴な日常を記事にすることの、素朴な楽しみ」をうまくやってるのでおもしろく読ませてもらった。俺も橋本駅行ったことないしね。
ただ、最後に意地悪なツッコミをしておこう。本記事を執筆した御花畑マリコ氏の経歴は、ロケットニュース記載の内容を信じる限り以下の通りである。
83年生まれの牡羊座AB型。90年代の呪縛から逃れられない系の元オリーブ少女だが、なぜか最近は競馬とサウナが好き。姉妹サイトPouchからロケットニュース24に移籍した。常に甘いものを食っている。
83年生まれって40歳じゃん、それなりにライターとしての年月重ねてると思うんだけど、「書いてることが間違ってる」「主観的偏見をそのまま書く(ツッコミが入るの予想できそうなもんだろ)」「読者に共感してもらうための、主観的な経験の情報共有を怠る」という割と初歩的なミス・手抜きをやっちゃうのは、「半分炎上狙いだったのかな?」みたいな邪推をされてしまう可能性もあると思うんで気をつけた方がいいと思います。
好みのキャラクターも何人か居たので2.5周年というタイミングでとキャンペーンをやっていたのもあり
この機会に多少プレイしてみるかと思って数日触ってみたのでその感想
結論としては「自分にはこのゲームは合わないな」という感じだった
勿論良い部分もあったし、合わないというのは個人の主観や好みの問題なので
このゲームが面白く無いとは言わないがまとめておきたくなったので
これは単純に表示をもう少し大きくしてほしいなという感じだった
開催中のイベントとイベント一覧の自動スクロールの頻度も速くバナーが小さいのも相まって手動での切り替えに失敗して違う方を選択してしまう事も頻発した
任務はシミュレーションゲームのように1つのマップにプレイヤーコマと敵コマが存在し
1マスずつ進めて敵と同じマスに入ったら戦闘するというタイプなのだが
1マスずつ進めつつ敵との接敵で戦闘画面へ入り終了したらまたマップに戻り…というのを繰り返すので
1つの任務をクリアするために時間がかかったのがテンポが良くないなと感じた
任務ではキャラクターを強化するための装備品がドロップするので何度も周回する必要がある場合もあるが
各任務にはミッションが3つ用意されており、全てを達成すれば以後その任務はAP消費だけでスキップ可能というのは良い点である
しかし規定ターン数以内でクリアするというミッションを初見の特殊マスの挙動の影響で達成できなかったことがあり
これを達成するために再度挑戦する事になったのもマイナスイメージを持つ要因だった
任務では相手のタイプに応じてキャラクターの編成をする必要がある。これ自体はよくある物なので良いが
これに加えてマップの地形とその適正という要素があり得意苦手でダメージに差が出るというのが面倒だった
ゲームを始めたばかりで所持しているキャラクター数も少なく、任務毎に完璧に適応したキャラクターは用意できないので仕方ない面もあるが
有利なキャラクターを編成して楽々進行というのが上述の任務のテンポが悪く感じた事と合わさって不可能だった
面白くなる要素であるとも感じたので長期的にゲームをプレイしていたら感想が変わりそう
キャラクター毎に初期レアリティ(☆1~3)こそ存在するものの
ガチャや一部のクエスト、ショップ等で入手可能な神名文字を消費して神秘解放(上限突破)をすることでどのキャラも☆5まで上げられる
どんなキャラでも育成をすればそのキャラが活躍する場面を用意できるというのは非常に良い点ではあるが
各キャラクターが所有するスキルやパッシプを全て使用可能にするためには最低でも☆3にする必要があり
ゲーム開始直後で初期レアリティが低いキャラに世話になる機会は多いのだが
そのキャラクターの真価を発揮出来るようになるのはこのゲームをある程度続けた先なのが残念である
神秘解放だけではなく、キャラクターが持つスキルのレベルを上げるためには素材が必要となるが
この素材の入手量も最初の内は少なく、強いキャラクターでゴリ押しするというパワープレイができない
スタートダッシュを決めようと思った矢先に待ったをかけられた気になりもやもやしてしまった
おそらく期間限定のイベントの報酬でスキル上げの素材を大量に入手することは可能だと思うが
キャラクターの育成が進んでいない→スキップ可能になるイベント任務の進行度が低い→結果イベントを満足にプレイできない
と言った悪循環も発生したのでこの辺りでゲームを始めたばかりのプレイヤーには辛いなと思い始めた
過去に開催されていたが初心者向けのガイドミッションが常設化されているとのことで
これを基準にプレイして報酬をもらうというのは最初の進め方としてわかりやすかったが
全部で8種あるミッションは1種を完了しないと次の物が解禁されず
さらにそのミッションも解禁された後に日数が経過しないと完了させられない等不便な点が目立った
更に1つのミッションをクリアし次のミッションが解禁されたと思ったらミッション内容が似たものがあり
再度クリアし直す手間がかかったりと大変で
クリアすれば様々な報酬が貰えるのでクリアしたほうが良いしこれを目標にプレイするのが正しいと思いつつも
1つのミッションを完了するために数日かかり1やる気があるタイミングで一気にやりたいと思ったときに出来ないのは不便だと感じた
このゲームの一番のウリといえば絆エピソードとメモリアルロビーだと個人的には思っているのだが
このメモリアルロビーを見るために絆ランクを上げる必要があり、ランクが上がればステータスにボーナスが付くので出来るだけ早急に上げたいのだが
この絆ランクを上げる手段がカフェで贈り物を送るかスケジュールで表示されたキャラの中から選んで少しづつ上げるという物でありなかなか上がらない
特にカフェは本当に酷いと感じて、未所持も含まれる完全ランダムなキャラクターが4人表示されるので目当てのキャラクターの絆を上げるには招待するしかなく
その招待も20時間に1キャラのみと、複数のキャラクターの絆を一気に上げるということが不可能
折角キャラクターが増えたのにそのキャラクターの絆が上げられないのでエピソードが見られるどんなキャラかわからないという問題が発生する
これに関しても長期的にゲームをプレイしていれば所持キャラクターも増え、絆ランクを上げ終わったキャラも増加するので
新規で追加されたキャラクターを入手した直後に絆を上げるという事が可能になると思うが始めたばかりでこれが出来ないのは不親切だと思った
上記以外にも合わなかった部分はちらほらあるが主にまとめておきたいなと思った部分はこれくらいか
総じて新しくゲームを始めたばかりのプレイヤーには不便を強いられるが長くゲームを続ければ楽になるよくある物だが
その上でこのゲームは新規プレイヤーに強いられる不便の要素が強すぎて合わないとなった結果だ
キャラクターが魅力的、ストーリーが面白いと言った感想はよく見るが
そもそもエンタメが飽和している現代においてこれらの要素はあって当然の前提だと思っており