はてなキーワード: アオイホノオとは
この記事はなんか「教養」を優先してばかりで「面白いから」見るべきアニメをめっちゃ見落としてる気がしてならんので補足したい。
その時点で厄介オタクだわ。
とりあえず先に一覧。次に解説
ラピュタ/トトロ/もののけ姫/ナウシカ/千と千尋/カリオストロの城
劇場版コナン時計じかけの摩天楼/ドラえもん のび太の魔界大冒険/ドラゴンボール超ブロリー/デジモンアドベンチャー/サマーウォーズ/時をかける少女/パーフェクトブルー/楽園追放/攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL/雲のむこう、約束の場所/シンエヴァ序・破
トップをねらえ/R.O.D/CCさくら/カウボーイビパップ/コードギアス/宇宙よりも遠い場所/プラネテス/ガールズアンドパンツァー
serial experiments lain/マクロス7/電脳コイル/スクライド/GUNGRAVE/ギャラクシーエンジェル/ぱにぽにだっしゅ/無限のリヴァイアス/まどかマギカ/ゼーガペイン
ラピュタ/トトロ/もののけ姫/ナウシカ/千と千尋/カリオストロの城
日本人の半分ぐらいは全部見てるんじゃないかと思うが、たまたまタイミングが合わずに見てない作品が1つ2つある人もいると思うが絶対見て欲しい。
千と千尋だけはストーリーラインがちょっと退屈かもしれないけど映像は凄いので見る。
他のジブリ作品は気になったら見ていけばいいのでまずはこの5+1は確実に抑える。
パロディに使われることも多いし。
1stガンダム→Z→逆シャアまでの時系列で展開される物語は単に続編って言うだけじゃなくて、作中時間が大きく流れることで描ける世界観の広がりがあるのでやっぱ見て欲しい。
Wはガンダムシリーズが派生の果てに手に入れた多様性の一つとして抑えて欲しい。
イケメンがバンバン出てくるアニメながら、戦争の時代の中で新時代の感性を持った少年たちがその中でもがくというシリーズの基本骨子を踏襲している所を感じるにはコレが手っ取り早い。
∀は多様に膨らんだガンダムシリーズの集大成としての、いわばガンダムを四季になぞらえたときの冬、人間に例えたときの壮年期を描くような作品であり、シリーズの生前葬を看取るような気持ちで鑑賞すると流れが見えてくると思われる。
劇場版コナン時計じかけの摩天楼/ドラえもん のび太の魔界大冒険/ドラゴンボール超ブロリー/デジモンアドベンチャー/サマーウォーズ/時をかける少女/パーフェクトブルー/楽園追放/攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL/雲のむこう、約束の場所/シンエヴァ序・破
ひとまずコナン、ドラえもん、ドラゴンボールは名作を一個ぐらいは見ておいてもいいと思う。
たまたま微妙なの引いてそれ以降見てない人とかもいるかもだし。
デジモンなんだけど、たしかにぼくらのウォーゲームは最高に面白いんだが、アニメ映画としての美しさは先に作った方の「ボレロのシーン」の方が上だと思うんだよな。
あとウォーゲームとサマーウォーズで展開を使いまわしつつもより大衆向けに作り直されている所も見比べて欲しい。
時かけ~エヴァ破までのは似たような作品があるから弾かれたんだろうけど、こっちも普通におもしろいので見ろって感じ。
特にパーフェクトブルーは突破力のヤバさにおいてパプリカや千年女優さえ大きく凌いでると思うので、アニメを楽しむにしろ「語る」にしろ抑えておくべき優先度は上な気がするんだよな。
エヴァは旧劇も見てほしいしシンも終わりまで見てほしいけど人を選ぶからひとまず外す。
トップをねらえ/R.O.D/CCさくら/カウボーイビパップ/コードギアス/宇宙よりも遠い場所/プラネテス/ガールズアンドパンツァー
歴史を語る上で重要じゃないからってことで外された感じなんだろうけど……巨人の星やガンバの冒険を令和になって見返すならその時間でこっちの中でまだ見てないの見たほうがいいでしょ……。
ギアスは中二病アニメの最高峰、宇宙よりも遠い場所は単純に名作、プラネテスは入ってない理由がわからないレベル、ガルパンはいいぞ。
serial experiments lain/マクロス7/電脳コイル/スクライド/GUNGRAVE/ギャラクシーエンジェル/ぱにぽにだっしゅ/無限のリヴァイアス/ゼーガペイン
下手に入れると本筋から迷子になるから外されたであろうアニメ達。
lainは不世出と言って良いほどのオカルトアニメで見ているだけで電波で頭がおかしくなる。
マクロス7もこれこそまさに不世出のオンリーワンとしか言いようがない狂った世界を展開しておりアニメという表現が秘めた可能性を感じ取れる。
電脳コイルはマイルドな攻殻機動隊と言った作品なのだが、この作品が出た直後ぐらいからデジタル技術やITが物珍しさを失い単品でテーマになりにくなっていった歴史的背景が面白い。
スクライド・GUNGRAVEは共に男の義務教育と言われるほどの意味不明な暑苦しさによりカルト的人気が今でもある。
ギャラクシーエンジェル・ぱにぽにだっしゅはどちらもパロディやコメディを扱った作品であり、内容にその当時に流行ったネタが込められていて年代を意識して見返すとリアルタイムとは違った趣がある。
リヴァイアスはロボットアニメと見せかけて宇宙空間で少年少女が蠅の王をやることで普通のロボットアニメを期待して見に来た視聴者に大きなトラウマを残す作品。
まどマギはそういった既存文脈をひっくり返して露悪趣味に転じる作品において最も成功した作品だと思われる。
ゼーガペインは「◯話まで見ろ」の最高峰の1つなのでぜひ主人公の妹が登場するところまで見て今後切り時を考えるときにより深く悩んでもらいたい。
お前が好きなアニメ並べてるだけだろって感じになっちゃった……。
でもさ、こういうのってまずは「自分が見て楽しいと思った作品」を紹介するのが大前提だと思うんだよね。
「白蛇伝や巨人の星見ようぜ!アニメの歴史学ぶために!」とか言われてもね……
あ、商用じゃないから書き忘れたけど「DAICONFILM」は見たほうがいいな。
アオイホノオのドラマの中で見るだけでもいいけどアレを見ておくと「どういう作画技法がオタクの間で人気が出るのか」がひと目で分かるから。
嘘といっても人をだまそうという大げさなものではなく、普通の人が誰でもするような虚勢、虚栄のようなものですが。
ですがほとんどの会話が京本との間であり、京本に対しては「京本の憧れの藤野先生」であろうとするばかりにことさらに虚勢を張っていて、発話のほとんどが本心と裏腹なことを言っています。なので本編にある藤野のセリフはほとんどが「嘘」です。
藤野が「嘘」をいうところの裏腹な本心が何かを追っていくことで分かりやすくなることもあるので、藤野の「噓」をたどって本編を追っていきたいと思います。
この記事内のセリフはジャンプ+に掲載された藤本タツキ「ルックバック」より、研究/批評の目的で引用しています。セリフの著作権は藤本タツキおよび集英社に属します。文としての自然さのために一部本編にはない句読点を補っています。
この問答の後にセリフはなく、二人で楽しく漫画を描いていた日々の回想が入ります。あえて問いに対する答えを文にするとしたら「あなたと一緒に漫画を描けるから。あなたが漫画を読んでくれるから。」とかでしょうか。でもそれだけなのでしょうか?それだけであれば、京本とは袂を分かち、しかももう読んでくれることもありません。
ここまで見てきた藤野の「嘘」と本心に着目するならばこうではないでしょうか:
無粋かもしれませんがあえて文にするならば「あなたと一緒に漫画を描けるから。あなたが漫画を読んでくれるから。そして、私は漫画を描くのが好きだから。漫画を描くのが楽しいから。」
あなたは失われてしまったけれども、漫画が好きだという気持ちを思い出したから、もう一度立ち上がって、漫画を描くことにした。そういう話だという風に読みました。
最初に読んだときは「5000円しか使わなかった」は文字通りの意味だと思いましたし、雪のシーンが事件直後にある意味もよくわかりませんでしたし、「なんで描いてるの?」の答は上で書いたようなことと思っていました。藤野の嘘とその本心に着目して読んだところ、ここまで書いたような解釈に変わりました。幾分解像度高く読めたのではないかと思います。
漫画家たちの中には「才能の違いを見せつけられた」「やってられない」など言って、
これついて、そんなこと言わなければいいのに、と思う。
昔、『シン・ゴジラ』が流行ったときに、庵野秀明監督と同大学同期で因縁を持つ島本和彦先生が
「やめろ庵野、俺より面白いものを作らないでくれー!」と感想を表明し、バズっていた。
うぬぼれ屋の主人公ホノオ君がすごいものを作っていく庵野君にボコボコにされ続けては悶えるというお馴染みの展開があり、
それを現実でリアルタイムでやるというネタであり、好敵手?への最大級の賛辞だ。
島本先生の漫画を読んでいないSNSの観客にもこのリアクションは面白がられ、
すごい庵野監督=小者っぽい島本先生 という構図が笑いの種となった。
島本先生のリアクション自体についてはハハハやってるやってると思いつつも「そういう認知」が「事実」として広まっていくと、
私はなんだか笑えなくなっていった。
というのも、私については単純に『シン・ゴジラ』よりも『アオイホノオ』の方が好きで、
作品レベル的なものも上に見えていて、才能的なものも上に見えていたからだ。
シン・ゴジラの観賞料が1万円だったらきついな
でもアオイホノオは全巻そろえて1万円払っても満足感しかないな
あとシンゴジラを二周目三周目する気は私はないけど
ということで、自分の中では「アオイホノオの方がすごい」という結論があった。
「庵野は天才」「俺より面白いものを作るな」的な発言をされていて、
「島本和彦は、庵野秀明より面白いものが作れない」という認定がSNSにおりていくのは…
やめてほしかったなー。
作者自ら『アオイホノオはシンゴジラより面白くないんです』と取れる発言をされると
一読者は何も言えない。
読者は全然そうじゃないと思っていても、あ、作者はそう思ってるんだ、なんか悲しいな、と思う。
もし作者が、創作家ならではの観点で本当にそのように見えていたとしても
ここに新刊を発売日に買い続けていた人がいる以上
審美眼が劣っているのかもしれないけど、
まあそんなわけで、追い続けているファンがいる以上
もし本当に思ってても、プロは言わない方がいいと思う。
ファンやファンでない人には全然劣ってるように見えてないかもしれないし、
あなたこそ真の才人、創作者として生活に潤いを与えてくれるヒーローと本当に思っているファンは、
同人絵描きさんに「本当に素敵です!」って言ったら「自分なんかゴミ絵しか描けなくて生きてる意味がない」って返されたあの時に近い。
アマチュア界ですら「そういうのは誰も得しないからやめよう」って常識化されてきたように思うのに、
今この時代にプロたちがしているのを見てなんだかなぁと思った。
もう一つ。
自分もある分野における専門職で、そこそこ重宝してもらっている。
一つプロジェクトが終わったときのお疲れさん会で別会社の作品の話になり、
私はそっちにいる同業の人の腕前を尊敬していたので
「あの人は天才ですよ」と褒め称えた。
べつに、自分を下げて褒めたわけではなく、単純に「あの人は本当にすごい。天才。尊敬する」と言っただけ。
すると何が起きたかというと
「え?そうなの?」「増田さんって、超すごいと思ってたけど中堅ぐらいだったの?」みたいな空気になった。
そのプロジェクトでは私の分野は私一人で回していたので、
内容レベルに対して詳しい人がいなかった。
みんな私の納品物を「すごい」「これなら勝負できる」と思ってついてきてくれていた。
だから「もしかして自分たちが作ったものは、あまりすごくないものだったのかな」みたいな疑念を抱かせてしまった。
実際は「向こうもすごいが自分も絶対に負けていない」と思っていただけに、誰も得しない発言をしてしまった。
さらに、そこに同席していた特に親しいわけではないマネージャーがその後、私が「天才」と褒めた方を雇ったと聞いた。
「すごい仕事をしてくれた増田さんが天才と褒めるのだからすごいに違いない。増田さんと同額程度だし」だったそうだ。
つまり、本来私のものとなる確率が十分にあった仕事を1つ奪われてしまったわけだけど、
まあ私の言葉を素直に受け取ったらそうなるよな…と納得してしまった。
(単純に、私の仕事の評価が低かった節も当然ある。その場合は私の発言が乗り換えの決め手になったのだろう)
1つ空いた雑誌の新連載枠に対して
「Aさんは天才です」と言った待機中の漫画家Bではなく、Aさんが引っ張ってこられた。
払うお金が同じぐらいなら、お試しや人脈拡大の気持ちも手伝ってそうなるのは自然なこと。
作品を好きになると、その作者や舞台裏をどうしても知りたくなったり見たくなったりする人いる?
漫画や小説だと、作者がエッセイ書いていないか探してしまう。映画だと裏側的なドキュメンタリーが無いか、とか。
庵野秀明がどういう人物か知りたくなって、夫人が描いている「監督不行届」や学友が描いている「アオイホノオ」を読んだ。
ジブリ映画が好きだ。どうやって作っているのか気になって、「夢と狂気の王国」や新作ができると放送される「ジブリ新作の裏側」的なドキュメンタリーを見た。
あとハガレンや銀の匙が面白くて百姓貴族を読んだり、エヴァだとほかに貞本夫人の子育てエッセイコミック読んだり、吉田戦車にハマってまんが親読んだり。
でもそういうの関係ない、作品が面白ければ作者なんて関係ねぇって人やエッセイは興味ないって人もいるよね。
あなたはどう?