「対立軸」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 対立軸とは

2017-09-10

5分でわかるカタルーニャ住民投票独立問題

このへんの話。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170907/k10011129891000.html

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170908/p2

事情に詳しくない人からすると「なんでそんなにカタルーニャは熱くなってるの?」って感じだろうと思うので、簡単に解説したあとで補足説明をつけます。

5分でわかるまとめ

補足説明

背景を説明するためには、時代をいっきに40年ほどさかのぼ必要があります

1975年に、スペイン総統フランシスコ・フランコが亡くなりました。その結果スペイン王政復古し、現国王の父であり当時国王だったフアン・カルロス1世のもとで民主化への道を歩んでいくことになります。この王様、退位前の数年間はひどく評判が悪かったんですが、民主化に反対する軍将校が起こしたクーデター鎮圧したことで即位直後は民主化守護者としてたいそう人気がありました。ちなみに現国王のフェリペ6世は当時10歳にもならない子供だったので深夜に行われた国王クーデター首謀者との会談の席ではおねむだったのですが、船を漕ぐたびに「おまえは王様になるんだから王様のつとめをよく見ておきなさい」と父君に優しく揺り起こされていたそうです。なにそれ萌える

閑話休題。このフランコ政権ですが、典型的な「スペイン単一民族国家だもん!」派の政権でした。彼が在世中はカタルーニャ語バスク語をおおやけの場で用いることはひどく抑圧され、内戦前のカタルーニャ州政府首脳陣は殺されるか投獄されるか亡命するかという感じでした。そのフランコが死んだことで、亡命州政府トップスペインに帰国し、民主化が進展します。このときフランコ体制下で抑圧されてきた「スペイン多民族国家になるべきだもん!」派が一気に声をあげはじめます

(ここでいう「民族」ってのは、英語ネーションにあたる、スペイン語のnación、カタルーニャ語のnacióのことで、「自分で国を作れる権利や能力のある集団」みたいな感じなんですよね……うまく説明できないんですが。なので移民とかは勘定に入れてません。この文脈だと「国民」と訳した方がいいのかも。「スペイン単一民族国家だよ」というのは「スペインにいるのは『スペイン国民』だけであり、カタルーニャ人バスク人もひとしく『スペイン国民』だよ」ということで、カタルーニャ人たちは「スペインには『カタルーニャ国民』や『バスク国民』もいるんだ」と主張してるわけですね)

民主化したからにはちゃんと民主的な憲法を作らないといけませんが、これが紛糾します。単一民族国家というのはフランコだけの思想ではなく、熱心なスペインナショナリストフランコ死後も消えてなくなりはしなかったわけです。彼らは頑強にスペイン統一、つまりスペイン単一民族国家であることを守ろうとします。一方でこれまでさんざん煮え湯を飲まされてきた地方の側もそれでは収まりません。そんななか、妥協として制定されたのが1978年憲法でした。条文の英訳をウィキソースからコピペします。

Section 2

The Constitution is based on the indissoluble unity of the Spanish Nation, the common and indivisible homeland of all Spaniards; it recognises and guarantees the right to selfgovernment of the nationalities and regions of which it is composed and the solidarity among them all.

太字にしたところはテストに出るので覚えておいてください。ここではスペインひとつネーションからなり、不可分であること、そしてネーションの他にいくつものナショナリティ存在することが謳われていますナショナリティっていわれると普通は「国籍」って意味なんですが、この文脈では「準ネーション」みたいな意味だと思ってください。つまりネーションひとつしかないけど、準ネーションっぽいものはいくつもあるよ! ってことですね。

(ところで、この憲法からもわかる通り、スペイン連邦制国家ではありません。連邦制かと見紛うばかりに地方に権限委譲がなされてはいますが、それでも「連邦制=国の集まり」ではなく「スペインは不可分のひとつの国!」ということになっているのです。これを専門用語自治州国家体制といいます

この憲法にのっとってカタルーニャ自治州の地位を得、フランコ体制下で迫害されていたカタルーニャ語を復活させるための政策に着手します(これを「言語正常化」といいます)。使用弾圧されただけでなく、工業化が進む中でスペインの他地方からの移民が来て、カタルーニャ語を解さない州民が増えていたのです。また、なにせ相手は数億人の使用人口を誇る言語ですから、話者数数百万人のカタルーニャ語など放っておいたら自然淘汰されてしまいかねません。州政府公教育カタルーニャ語を導入し、様々な場面でカタルーニャ語使用を義務づけ、カタルーニャ語使用助成金を出し、結果として今ではほとんどの州民がカタルーニャ語スペイン語の見事なバイリンガルに育つようになっています

助成金は、たとえばパソコンのOSのカタルーニャ語訳とかに出されています。数億人が使ってるスペイン語経済的にペイするのですぐに翻訳されて、なおかつ州民はみんなスペイン語ができるので、放っておくとみんなそっちを使っちゃうんですよね……)

ところでこの憲法、実はもうひとつトラップがあります。それは公用語について定めた条文です。

Section 3

C1. Castilian is the official Spanish language of the State. All Spaniards have the duty to know it and the right to use it.

C2. The other Spanish languages shall also be official in the respective Self-governing Communities in accordance with their Statutes.

C3. The wealth of the different linguistic forms of Spain is a cultural heritage which shall be especially respected and protected.

そう、カスティーリャ語(つまりスペイン語)は、スペイン市民(たとえバスク人カタルーニャ人であっても)にとって知る「義務」があり、使う「権利」がある唯一の言語なのです。逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲になります

この時点で、たとえばカタルーニャ州が州内の教育カタルーニャ語だけで行おうとしたら違憲です。カタルーニャ州が州民に高度なバイリンガル教育を施しているのは、理想が高いのではなくそうせざるを得ないということです。またカタルーニャ州言語政策も、たとえば「お店のメニューカタルーニャ語を使う義務」「商品のラベルカタルーニャ語を使う義務」「企業広報活動カタルーニャ語を使う義務」といったものを法で定めたりしていますが、これは個々人に対する義務ではないのでギリギリ合憲ということになっています。なっているはずでした。

ところで、カタルーニャも極楽ではなく、何をするにも先立つものがいることには変わりありません。つまりお金です。ところが、スペイン自治州には基本的徴税権がありません。バスク自治州ナバラ自治州には歴史的事情(ありていに言うとスペイン継承戦争官軍についた)によって徴税権があり、その一部を国庫に納入していますが、カタルーニャあくまで国が徴税して配分するお金を受け取る立場です。そしてカタルーニャスペイン全体でみても豊かな地域であり、多くの税金カタルーニャから徴収され、多額の税金カタルーニャ還元されています

しかし、その収支が赤字だということが大問題なのです。カタルーニャから徴収される税金は、カタルーニャ交付されたり還元されたりする際に8%ほど目減りしていますしかも、これだけ払っていながらもインフラ整備は後回しにされているのです。カタルーニャだけ高速道路は有料で列車老朽化も放置、EUから勧告されたカタルーニャ高速道路整備も中央政府拒否っておきながらマドリードなどカスティーリャインフラはしっかり整備しています。他州より高く払っているのに他州より低いサービスしか受けられないのは何事だと、カタルーニャ州民が怒るのももっともです。

こうした状況を受け、2000年代に入ると自治憲章(要するに自治州の憲法ですね)改正の動きが活発化します。自治州議会は、徴税権やカタルーニャネーション(nació)であることを盛り込んだ憲章草案を可決しますが、中央政府(当時は左派社会労働党)との交渉徴税権は削られ(かわりに公平な交付金の支給を約束。結局実施されてませんけど)ネーション条項は前文のみ。妥協のすえ2006年にようやくスペイン国会を通過して新自治憲章が成立します。

これに待ったをかけたのが国民党(現・与党)です。彼らからしてみれば、「一地方の自治権強化はスペイン統一に反する」というわけですね。彼らはこの自治憲章が憲法違反だと憲法裁判所に提訴、これに対抗してカタルーニャではデモが盛り上がり、「我々には自決権がある」という主張が登場します。そして2010年憲法裁判所は自治憲章の多くの条文に違憲判決を下しました。しかもその判決は、これまでカタルーニャが行ってきた自治権強化政策を否定し、自治権をより縮小する方向のものでした。カタルーニャ語を行政において優先させる規定違憲となり、カタルーニャネーションとした前文は、スペインにおいてネーションはただひとつとして法的拘束力はないとされたのです。そしてこの違憲判決に基づいて、カタルーニャ学校ではスペイン語で教えるべし、という判決も出されました。

ここまで妥協しても憲法違反になるのか……という絶望が、一気に民意を独立へと傾けていきます。それまで20%前後を行ったり来たりしていた独立への支持率が、この違憲判決を境に一気に30%を超え、2013年には60%に達しました。今の憲法がある限り、スペイン国家に留まっている限り、カタルーニャ自由にはなれない、と多くの人びとが考えるようになったのです。移民の子だってカタルーニャ暮らしているわけですから独立に傾きます

2014年カタルーニャ自治州は「法的拘束力のない」住民投票実施を計画しますが、違憲とされて差し止めが命じられました(提訴したのはもちろん中央政府です)。じゃあ非公式の模擬投票やろうぜ、と言ったらそれも違憲とされて差し止め命令が出されます(模擬投票も認めないなんて表現の自由に対する攻撃だと国際的に抗議が殺到した模様)。結局自治州非公式の投票を決行しましたが、中央政府憲法違反の投票を強行したとして当時の州首相らを刑事裁判にかけますちなみに裁判期日として指定されたのは、フランコ政権によって内戦前最後カタルーニャ自治政府首相が銃殺された日でした。煽り力高い。州首相だけでなく州議会議長まで訴追するよう憲法裁判所は命じています民主主義とは。

このような国民党政府対応が火に油を注ぐ結果となり、今回の住民投票実施に至るわけですが、この期に及んでなお国民党は「カタルーニャ自治州に毎週会計報告を義務付け、違反した場合交付金を停止する」と表明したり(http://www.pressdigitaljapan.es/texto-diario/mostrar/775503/)、プッチダモン州首相を訴追する準備を進めていたりして(http://www.politico.eu/article/catalonia-independence-referendum-spain-the-carles-puigdemont-factor/)、まあある意味通常運転です。「やっぱスペイン国家の枠内では自治権保証されないじゃん……」とカタルーニャ人に思わせるだけの簡単なお仕事こうして着々と独立に向けたフラグが立っていくのでした。

スペイン政府オプションとしてカタルーニャ自治州政府の停止も視野に入れているという報道があります。根拠となるのはスペイン憲法155条です。

Section 155

1. If a Self-governing Community does not fulfil the obligations imposed upon it by the Constitution or other laws, or acts in a way that is seriously prejudicial to the general interest of Spain, the Government, after having lodged a complaint with the President of the Self-governing Community and failed to receive satisfaction therefore, may, following approval granted by the overall majority of the Senate, take all measures necessary to compel the Community to meet said obligations, or to protect the abovementioned general interest.

2. With a view to implementing the measures provided for in the foregoing paragraph, the Government may issue instructions to all the authorities of the Self-governing Communities.

ぶっちゃけこのオプションが採られた場合投票は物理的にはできなくなるでしょうが、まあスペイン国家とスペイン憲法へのヘイトをためるには十分すぎるほどなので、余計に独立への意志を強めるだけですよね……という辺りが現状言えることです。部外者としてはワクテカが止まらない祭り出来事ですが、楽しむためには背景知識必要だろうと野暮を承知解説してみました。部屋を明るくして画面から離れて住民投票をお楽しみください。

参考文献

この増田のパクr……ネタ元です。どれもネットで読めます

違憲とされたカタルーニャ州法の条文が詳しい解説が。

スペインにおける地方分権についての基本書。

現代カタルーニャ入門書

インド系カタルーニャ人独立派についての記事

そもそもなんでカタルーニャスペインの一部になってるの? とか、カタルーニャの栄光時代はいつだよ……ジャウマ1世の時か? とかの疑問が湧いてきた時にオススメです。住民投票は……住民投票は今なんだよ!

2017-09-05

対立軸

あくまでもアメリカ北朝鮮ブレインストーミングしてみると、

アメリカ北朝鮮
二大政党制一党独裁
感情的(※トランプ政権限定理性的
多数派少数派
多民族国家単一民族国家
金持ち貧乏
戦争を望んでいない好戦的
現実志向正論志向
資本主義共産主義
世界中コネあり世界孤立
コネ主義実力主義
日本のケツモチ中国がケツモチ
情報公開主義秘密主義
浪費好き節約第一
覇権零細弱小国
リソース豊富リソース貧弱
国民幸福第一国民無視
キリスト教が主(プロテスタント清教徒キリスト教ローマ・カトリックバチカンイエズス会?)だけ例外的許可
身内を粛清(※トランプ政権限定身内を粛清
言論封殺(※トランプ政権限定言論封殺
極端(※トランプ政権限定極端(金正恩政権

細かく掘り下げると非常に対称的のように見えて、似たもの同士

北朝鮮大日本帝国の生き写しであるという見方もある

掘り下げるとまだまだあるかも知れませんが・・・

全ての人間の根源的な欲求生存

両方の陣営が持つ要素はどちらも重要

もうちょいバランス良く偏らないものですかね

理想的バランスが取れれば、どちらも理想的な国になるのですが・・・

2017-08-23

女を差別してるのは強者男性達だ

俺は2ch嫌儲板に生息している20代ジャップオスだ

最近俺のホームである2ch嫌儲板にて、嫌儲蔓延る俺のような弱者男性を汚い言葉煽り立てる通称まんナイトフェミニストのふりをして女を擁護弱者男性攻撃するが、その実態は単なる逆貼り厨のま~ん(笑)が大好きな精子ジャップオス)とフェミま~ん(笑)が非常に多い

それは男女の対立を煽るスレを立てて論争の場を作り出すケンモメンにも責任はあるけど、やはり一番責任があるのはこいつらまんナイトフェミま~ん(笑)だろう

俺が思うに、小林ギリ子なんかをRTしてるTwitterフェミま~ん(笑)界隈やガールチャンネルのババま~ん(笑)、果てはここはてなに生息するリベラル気取りのフェミま~ん(笑)やまんナイト達は、対立軸の設定を間違っていると思うわけだ

俺達弱者男性は近年根底から問題提起されている制度的かつ文化的蔓延した男尊女卑を作り出した元凶ではない

その元凶24時間戦えますか?的マッチョイズムを是として昭和ジャップランド建設してきたジジイ共であって、俺達弱者男性はむしろそうしたジャップバブルの時代於いては、こうしたジジイ達にフィギュア萌え族等と蔑称を与えられ差別されてきたことは歴史証明しているではないか

直近の話題をあげるなら、あの牛乳石鹸CMだってそうだ

あのCM企画した奴は弱者男性なのか?

そいつ年収200万そこそこで毎日うどん食べてる俺達弱者男性の仲間だと思うか?

男尊女卑に関して言えばマスメディアの影響を無視しては語れないはずだが、マスメディアに勤めている人間年収200万そこそこで毎日うどんすすってるか?違うだろ?

あとホモソーシャルって言葉があるけどさ、ああい関係性が顕著に現れる集団って例えばラグビー部だったりサッカー部だったり所謂卓球バドミントンを陰のスポーツとした時に陽のスポーツに分類されるスポーツマン達が挙げられるわけだが、そいつらってかつてファギュア萌え族と侮蔑された俺達弱者男性の仲間なのか?違うだろ?

はっきり言うけど日本蔓延る「男尊女卑」を牽引してきたのは俺達弱者男性の対極に位置する、こうした強者男性達だろ

そんなの俺達弱者男性社会に大した影響力を有してないんだからちょっと考えれば当たり前の話なんだよ

俺達にはそんな社会全体の流れを作り上げるようなエネルギーはないんだよ

うどん一杯で得られるエネルギーには限界があるんだよ

ここまで読んだらもういい加減理解できただろ?

フェミま~ん(笑)やまんナイト共は俺達弱者男性を叩くのを今すぐ止めろ

もう社会になんの影響力も持たない弱者を虐めるのは止めろ

もっとこう体育会系のさぁ、女性性的に消費するのが日課ですみたいな広告代理店社員とか野球選手とかタレント俳優アイドルお笑い芸人とか秋元康とか責めるべき奴はいっぱいいるじゃん

そいつらを殲滅してこいよ

ばーか

追記

ジャップオスにやたら拘る奴がいるけど黒人自分のことニガーとか言うのと同じだろ

それはもうこっちの文化しか言いようがないっすわ

文句つけてる奴はもしかして自虐史観ガーとか言っちゃうタイプ同類

2017-07-28

ゾイドの生みの親の話嫌い

田中圭一連載】ゾイドが僕らにくれた“無限想像力”――帰還した“生みの親”が次世代に託す「最後仕事」とは?【若ゲ特別回:傑作ロボット玩具ゾイド」】

http://news.denfaminicogamer.jp/manga/170727

これすごくいい話であるかのようにまとめられているけど俺はこの漫画お話嫌い

俺がマスコミ玩具好きで憧れていたのに貶されてヤダというのもあるけれど

テレビキャラクター玩具オリジナル玩具って対立軸を設定すること自体に無理を感じるし

今のゾイドの展開見せといてそれ言うの?ってなる

玩具メーカーオリジナルキャラクター!!」

まず田中圭一の歳考えると1980年から展開のダイアクロンは……というのはおいといて

変身サイボーグテレビキャラの変身セットをあれもこれも出してたでしょ

テレビヒーロー網羅する気だな!って勢いで

あれがテレビキャラクター玩具でなければなんだったんだよ

まあテレビキャラクター玩具よりオリジナルエライだって話でそんな絵は出せないんだろうけど

この時点で欺瞞を感じる

「発売から30年以上経っているのにちっとも古くないデザイン

「「普遍のものさし」なればこそ」

それはモチーフ問題であってテレビキャラクター玩具であるか否かは関係ないでしょ

30年前のトミカプラレールは本物の車や列車デザインが古くなったから古く見える

今じゃレトロって冠が付いてしまうし日本以外ではほぼ通用しない

ここに見た目の普遍性はまるでない

でもトミカプラレールテレビキャラクターではないよね?

もしもゾイドの見た目のデザインが古くないとしたら

それは恐竜動物という各人が持つイメージが古びにくいモチーフ選びやそのアレンジデザインがすごいんであって

オリジナル玩具であること(テレビキャラクター玩具ではないこと)はまったく関係ない

短いページにまとめるためにしても良くない流れ

だいたいにして「玩具メーカーオリジナル玩具」って何を指すの?

オリジナルといいつつもテレビでやってないだけで

作家漫画家ブレインに雇って詳細なストーリーや設定が決められて

幼年ホビー誌とかでジオラマストーリー漫画が連載されてることが多いじゃん?

それってストーリー想像してどうのこうのと矛盾しないの?

あとそういうオリジナル玩具が後からアニメ化されることもあれば

逆にアニメありきで始まった玩具アニメが終わっても玩具だけでずっと続いてることだってあるよね

じゃあ「オリジナル玩具」ってのはどこからどこまでを指すの?

テレビキャラクター玩具」じゃなければ全部「オリジナル玩具」なわけ?

先の変身サイボーグだってオリジナル玩具」のGIジョーテレビヒーローの服を着せるような玩具だけど

じゃあニューGIジョーや変身サイボーグオリジナル玩具なの?テレビキャラクター玩具なの?

俺には両者の境目はとても薄くて企画によっては混ざり合って進行しているように思える

からこの二つの対立軸設定は変だと感じている

テレビキャラクター玩具は「番組が終わったとたんその玩具価値は下が」るという話もあったけど

じゃあろくに展開されないオリジナル玩具価値はどうなのさ

具体的には30年以上の歴史を持っていて最初の7年くらいはアニメ無しで展開してたオリジナル玩具

それから9年くらい休眠して再開時にテレビキャラクター玩具として展開するようになってそれも7年くらいで終わったとこまではまあ良かったのに

そこから今までの10ちょっとで復刻やリメイク企画始動させるも毎回1~2年で展開が終わってしまって

それからちょっと期間を空けてまたリメイク企画を始めて……を何度も繰り返している一方で

この玩具メーカーからライセンスを受けた他の模型メーカーが出しているまったく別のリメイクプラモ長期間ヒットし続けていて

そのプラモ企画が大きくなればなるほどに本家メーカーリメイク企画は埋もれてすぐ終わってしまう負のループに陥り

数少なくなったファン失望させ続けている元人気玩具シリーズ価値はいかほどで?

もう底値で価値が下がりようのない現状を見てもオリジナル玩具最高って言えんの?

アニメから始まってシリーズを定着させて今なお玩具メーカー主導でアニメ無関係世界を広げてる玩具

アニメが無くても30余年の時を経て今復活して展開しているオリジナル玩具がある世の中で

昔すごかったけど今は…なゾイドを題材にオリジナル玩具すごいって言われても説得力がまるで無い

本当に玩具がすごいならマスターピース第三弾や新作玩具の話をしてくれよ

でも実際に動いてる企画スマホゲーでしたとさ(電ファミだからスマホゲーやってないと取り上げてくれないというのはあるけど)

から俺はこの漫画お話大嫌い

2017-07-26

対立軸からの叩き合いの流れ、生産性なくてマジ消耗戦

子連れvs冷たい店側とかさ

そうじゃないだろって

そういう対立発言を疑問も持たずにする人は、立場変われば理不尽攻撃をする側にいると思う

2017-07-13

朝日新聞勘違いしてませんか?

 象徴なのは原発政策だ。

 なし崩しの原発回帰を進める安倍政権に対し、民進党脱原発依存の旗を高く掲げれば、

鮮明な対立軸を示せるはずだ。

 そのことが分かっていながら、電力会社労組などへの配慮を優先し、政策あいまい

する。大きな民意を見失っていることが、党勢低迷の根本的な要因である


(社説)民進党 勘違いしていませんか:朝日新聞デジタル

自民党が支持されてるのは経済でしょ

民進党最低賃金のアップと労働環境をよくする政策アピールすべきだ

2017-06-30

なんとなく死にたいのわけ

なんで死にたいなんて思うんだろう。一人夜中にポツンと何もない自室で椅子に座ってぼんやりとしている時、朝目覚めて外に出るまでの三十分間等々。どうしてか死にたいと思う。どうしてかなんて言っているけれど本当はその原因が分かっているような気もしていて、それでも夢みたいになんだかぼんやりとしていて時間が経てば晴天で、低気圧がやってくればまた雨が降ってそんなことを考えての繰り返し。本当はいつも曇りみたいにどんよりしてるけど、何だか仮面を被っていろんな風に頑張ってる。そういう生きづらさがあるのかな。きっとそうだ。

どうして死にたいんだろう。世の中には恵まれているのに死にたいと感じる人が多い。日本では特にそういう人が多いと聞くけど、どうしてだろう。何が不満なんだろう。何が怖いんだろう。何をしたくないんだろう。きっと何かを拒んでいるけど、それを受け入れないといけない環境にいて、そして誰もその気持ちを汲んではくれないんだろう。そして苦しい。認めてもらえない苦しさ。分ってもらう前に順応を指示される暗黙の日本典型的な善と悪と英雄を作り上げてそれを祭り上げる世界。そしてそれを自分のみならず他者に望む世界。そういう望みあいに疲れてしまったのかもしれない。往々にして人に対して感じる不満は自分への不満だったりする。人に対しての希望もまた自分への希望で。人はそうして互いに自分押し付けあって、押し売りして生きていかなくちゃいけない。それは特に日本では共通認識常識のように何か目に見えない糸でもあるのか、なにか集団的に抱いている希望のようなものがある。それが古き良きと称される至言たるものなのかは分からないが、そこに違和を感じた人間は生きづらい。この際何も正しくなくて何も間違ってないと言えれば、堂々と言えればいいのに。何も区別などしなくて、徳のあるなし、善と悪、あるべき姿あってはならない姿、対立軸なんてなければいいのに。せめてそれを共通の何かではっきりと示すのならそれは法律でもうお腹いっぱいだ。

何だか時々ここにいると具合が悪くなる時がある。ひどく自分が醜く、他が美しく、そこに向かって努力する美徳が目の前にいつもちらついているような、そんな世界他者から映しだされ垣間見るとき、すごく気分が悪くなり、悲しいようなやるせないような、とてもとても深い深い気持ちになる。

そういう時決まって、久しぶりにつけたテレビニュースで、なんてことのない交通事故ニュースを見て、「すごい。」と車の衝突による損壊状況に驚く父のわきで、なんだか画面に目を向けるのが苦しくなって、右耳から入ってくる死亡という文字何だか視線を変に泳がせながら僕はご飯を食べていて、何だかそんなよくある話を急に想像してみたりして、胸の奥がぎゅっと縮んで苦しくなる。いつもロボットみたいに淡々としているくせに。

結局のところ何を置いて生きていけばいいのか僕は分からないのだ。だからはいつも当たり障りのない生き方を演じている内に、いつのまにか体のいたるところがオートマチックへと化して、そして最後には正真正銘のロボットになる。

この先の途方もなく長い人生のことを考えると頭が痛くなる。運の悪いことに100歳まで生きてしまったらどうしようか。あと80年も生きなくてはいけないではないか。少なくとも長寿は全く持って僕に健康的じゃない。どうやって人生をやり過ごしていこうかと考えてしまう。

ただ僕にはまだ家族がいて、この世に存命している。そして僕はいつかその恩を返したいが、どう返せばいいだろうか。母や祖母は「あなたが自立して幸せ暮らしてくれればいい」と言ってくれるが、僕には到底、少なくとも後者の部分は主観的には難しいかもしれない。ごめんなさい。でも、お母さんやおばあちゃんたちが生きている間は僕はなるべく恩を返したい。そうなれるように努力してみるよ。

何ができるだろうか。こんなどうしようもない人間に何が出来るんだろうか。それを探すのが生きるということなら、僕にはとても難しい。

死にたい」と希死念慮もつひとたちを理解できないという人がいる。そして自殺絶対悪だと言う人がいる。うちの兄はそうで、実際に自殺をした同僚の葬儀に出席し、泣き崩れる母の姿を見てそう思ったみたいだ。僕の母もまたそれには賛同しているようだった。むしろ僕がそのことを、それだけがすべてではないと言った時に、ものすごい反発を受けてそれ以上は僕も何も言えなかった。母が言った、「自殺してそのあと取り残された人に対して想う気持ちあんたにはないの?」という言葉に対して、なんと言っても屁理屈になりそうで、伝えられなさそうで、何も言えなかったのだが。僕の中でこういうものの考え方は正直決着をつけたり答えを求めるのはあまり必要だとは思っていないからかもしれない。だからこそ、それを否定する人にたいして、もっと弛緩してと訴えるのもこの件においては難しいことも分かっている。だが、敢えて考えるなら、僕は死にたいと思って自殺をする人に対して想う気持ちも持ってほしいと思った。それは自分がそっち側の人間からということかもしれない。あるいはまだ他人事想像の域を出ていないからかもしれない。だが、どうか、自殺した息子に取り残された遺族に対して同情と憐憫の念を持ち、ともに泣き、想像することができるのなら、自殺した本人のことも想像してほしい。何故やめる。なぜみんなそこで思考をやめてしまうのか。いや、そうやってストップをどこかで価値観によって歯止めを聞かせなければ際限がないという不安は分かる。だから人は決めたがる。答えを見つけたがる。だが、それもいいとしても、ただそれはそれとして、そうじゃない、もっと想像をしてほしい。思考をしてほしい。毎日のように流れる死亡者ニュースも、想像も出来ないような場所で起こる悲惨実態を、綺麗に見えるものの側面を。もっとよく想像してほしい。そしてどうか決めつけないでほしい。そうしたうえで答えが見つかったと思えばそれは運のいいことかもしれないし、悪いことかもしれない。何故ならそれを証明することが恐らく叶わないからだ。自分という人間人生正当化してもそれは答えと思っている本人とってしか答えにはならないからだ。

思うに人生はやっぱり苦しむことだと思った。それは僕にとっての人生の形で恐らくこれからも昔から抱いてきたようにこの印象は変わらないと思う。どんなに幸運で、幸福で、満たされたと感じてもそれは、一時のものでまたすぐに欲しくなるのが人間だと思っているからだ。結局のところ僕は任げがよく分からないのだ。僕は僕という一人の人間を通してしか人間を語ることはできない。そしてこれは先入観とも価値観ともいってこれは絶対的に取り払うことの出来ない壁だと思っている。一方でこう生きることを運命づけられているという粋な言い方もできるだろうか。つまりいくら推論をかざしたところで無駄に終わる可能性の方が高いのだ。この手の考えは特にそうだ。企業会計監査のように正確さを求めるような類ではない。

からある程度僕は僕として生きていくことを開き直って、仕方ないにしても認めていかなくてはいけない。僕が僕と言う人間の醜さから世界の醜さを見出すような愚かな人間であっても、僕は己を巣食う愚かな人間を自らが救ってやり、時には救われる覚悟も持たくてはいけない。決して足元をすくわれないように。

初めから愚かな人間からこそ、僕はこう愚かなことを考えているのだと認めてやるのだ。

セカイだとかタシャだとか、ほかのものに何かを求めることははなからやめて、自分愚か者だということを認めて、いっそ認めず自分だけを頼りに生きたっていい。

生きれれば何よりではないのだろうか。もし、生きれるならそれは何よりだろう。そう言い聞かせていくしかないのだから。僕らには生きていくしか道は残されていないのだから。そうだろう。そうだろう。

僕らは生憎生きることを許された身分で、愚か者であっても決して罪人ではないのだ。だから、。

2017-06-29

ラジオ小西克哉が言うてたけども、アメリカでは共和党シンパ民主党シンパの間の生活スタイルの差が思考の違いを生み分断を広げているのが困るねと問題視されていて、アメリカ政治哲学業界では調査研究が盛んに行われているらしい。

例えば、ホールフーズマーケット or ウォルマートみたいな生活スタイルの差が、思想メンタリティの差を広げてしまうことで、コミュニケーションポイントが無くなってしまう、という割とお先真っ暗感の強い話。

確かに「貧/保守/全体」 vs 「富/グローバル/個」みたいな分断はすっかりインターネットではお馴染みの対立構造だし、両者の橋渡しが可能となるコミュニケーションがどんどんなくなってきてる実感はある。

アメリカのことだけじゃなくて近頃は日本でも世界中の他の国でも、話し合いのしようがない分断はあちこちで目にする。それこそバニラ・エア事件でも同じような分断が見えるし。

バニラ・エアの件は、あれがLCCじゃなかったら一方的飛行機会社けが炎上してたと思うんだよな。「貧・全体」という視点によって対立軸になって、結果的に分断を更に深める役に立ってしまっている。単に 全体vs個 じゃないから話がややこしくなるというか。

自分比較的「富/グローバル/個」の側に偏ったスタンスなのだが、こちらサイドの謎の頑なさにも正直へきえきすることも少なくないんだ。落としどころを見つける気があるのかお前らという感じで。

これ、日本研究者もだれか手を付けてないんだろうか。何となく日本の法哲・政哲系の研究者が手を付けると、例のごとく説教くさい左巻きのこしか言わなかったりしそうな悪い予感はあるが…。小西さん研究者名前上げてたか原典当たるかなぁうーん英語読むの面倒くさいんだよな。

2017-06-23

日本ミステリ略史

日本ミステリ史をまとめようとしている人を見たので自分でもやってみようと思った。

箇条書きでも大体分かるだろう。あと本格中心なのは許してくれ。

探偵小説輸入の開始

http://fuboku.o.oo7.jp/e_text/nihonbungakukouza_19270530.html

神田孝平訳「楊牙児奇獄」1877

黒岩涙香翻案『法庭の美人』1888

須藤南翠『殺人犯』1888(『無惨』に先立つ創作) "まづ未成品で、単に先駆的なものしか見られない"(柳田泉


黒岩涙香『無惨』1889 "日本探偵小説嚆矢とは此無惨を云うなり"

・"日本最初創作探偵小説" (乱歩)

・「探偵叢話」連載開始(都新聞) 1893 ……探偵実話の流行

ドイル「唇の曲がった男」翻訳 1894

映画「ジゴマ」公開 1911


雑誌新青年』創刊 1920 "第一の山"(乱歩

・当初は翻訳を重視

横溝正史(1921)、水谷準(1922)、甲賀三郎(1924)、小酒井不木(1925)、大下宇陀児(1925)、夢野久作(1926)など登場

乱歩二銭銅貨」1923 "これが日本人創作だろうか。日本にもこんな作家がいるであろうか"(森下雨村

http://www.aozora.gr.jp/cards/001826/files/57173_58183.html


戦前探偵小説最盛期 "第二の山"(乱歩)"第一の波"(笠井

浜尾四郎殺人鬼』 1931

大阪圭吉デビュー 1932

・『ぷろふいる』創刊 1933

木々高太郎デビュー 1934

小栗虫太郎黒死館殺人事件』1934

夢野久作ドグラ・マグラ』 1935

・蒼井雄『船富家の惨劇』 1935

横溝正史真珠郎』1936

久生十蘭魔都』1937

◇「本格探偵小説

http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20081205/1228485253

甲賀三郎「印象に残る作家作品」1925 が初出 http://kohga-world.com/insyouninokorusakukasakuhin.htm

小酒井不木当選作所管」1926 (「本格」「変格」使用

・当時の「探偵小説」という語の広さ……「本来の」探偵小説detective storyとそれ以外を区別

・"理知的作品"と"恐怖的作品"、"健全派"と"不健全派" 1926(平林初之輔

探偵小説芸術論争 1934-36(甲賀木々

・本格・変格論争 1931(甲賀、大下)


戦時下の中断

乱歩 少年探偵団(二十面相)シリーズ中断 1938

乱歩芋虫発禁 1939

・"探偵小説全滅ス"(乱歩) 1941


戦後ミステリ復興 "第三の山"(乱歩)"第二の波"(笠井

・横溝『本陣殺人事件』1946

・横溝『蝶々殺人事件』1947

・横溝『獄門島』1948

安吾不連続殺人事件』1948

高木刺青殺人事件』1948

雑誌宝石』創刊 1946

・『宝石第一公募 1946(香山滋飛鳥高山田風太郎島田一男

大坪砂男天狗」 1948

・『宝石』第四回公募 1949(鮎川哲也土屋隆夫日影丈吉

中井英夫虚無への供物』1964(構想1955-)

◇「探偵小説」→「推理小説

当用漢字表制定 1946.11

日本探偵作家クラブ設立 1947

講談社「書下し探偵小説全集」1955-1956

・清張『点と線』1958 (表紙に「推理小説https://www.amazon.co.jp/dp/B000JAVVEU

講談社「書下ろし長編推理小説シリーズ」1959-1960?

日本推理作家協会成立 1963

参考…

甲賀三郎『音と幻想』1942 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007753808-00

雄鶏社推理小説叢書」1946.7-

安吾推理小説について」1947

安吾探偵小説を截る」1948

安吾探偵小説とは」1948

安吾推理小説論」1950


松本清張点と線』1958

・「社会派推理小説」、清張ブーム

心理的要素・動機の重視、小説としての充実重視

・"探偵小説を「お化屋敷」の掛小屋からリアリズムの外に出したかった"(清張)

◇「本格冬の時代」?

・謎解きの興味の強い作品は絶えていない……『本格ミステリ・フラッシュバック

・清張は謎解きを排斥していない。「新本格推理小説全集」1963 "ネオ・本格"

・「現実離れ」の作品が世に出にくかった……らしい https://togetter.com/li/300116

風俗を描いただけの謎解きの要素の薄い作品が氾濫していた……らしい?

"社会派ということで、風俗小説推理小説かわからないようなものが多い。推理小説的な意味で言えば水増しだよ"(清張)

複数対立軸? http://d.hatena.ne.jp/noririn414/20070314

リアリズム――非リアリズム

・「おじさん」――「稚気」

・都会・洗練――土着

海外ミステリ――国内ミステリ

サブジャンル・隣接ジャンル

歴史ミステリハードボイルドエスピオナージュ、「冒険小説」、伝奇小説SF、……

・ここ掘ると全体が何倍かに膨れ上がるから触らないよ


◆「新本格」以前の非・サラリーマンリアリズム系譜 "2.5波"(笠井

桃源社「大ロマンの復活」1968- (国枝史郎小栗虫太郎海野十三久生十蘭香山滋……etc

・『八つ墓村』(漫画)1968-

中井英夫虚無への供物文庫入り 1974

・『犬神家の一族』(角川映画)1976

雑誌幻影城』1975-1979(泡坂妻夫連城三紀彦栗本薫竹本健治……etc)"探偵小説復権"

笠井潔バイバイエンジェル』1979

島田荘司占星術殺人事件』1981

江戸川乱歩賞青春ミステリ……小峰元アルキメデスは手を汚さない』1973、梶龍雄『透明な季節』1977、栗本薫ぼくらの時代』1978、小森健太郎『ローウェル城の密室』(最終候補)1982、東野圭吾放課後』1985


◆「新本格ミステリ」 "第三の波"(笠井

綾辻行人十角館の殺人』1987.9

・「新本格」の公称は『水車館の殺人から……講談社文三によるブランディングの側面

◇「新本格」に顕著な要素(佳多山大地)……

・〈青春ミステリであること

・本格推理形式の先鋭化・前衛化が著しいこと

古典的天才探偵復権

大学ミス研のコネクションを軸とした作家の発掘

講談社――島田荘司――宇山日出臣――京大など

東京創元社――鮎川哲也――戸川安宣――早稲田立教など

公募による「新本格作家の発掘

鮎川哲也と13の謎 13番目の椅子 1989

鮎川哲也賞 1990-

・『競作 五十円玉二十枚の謎』1993

・『本格推理』1993-2008

・創元推理短篇賞 1994-

メフィスト賞 1996-(『姑獲鳥の夏』1994)

2017-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20170603150128

前にも書いたことあるんですがね、別に異性愛から贔屓されてるわけじゃないんですよ

例えば結婚に至る前の恋愛とか、社会的には何ひとつ保護なんかされてないですから

不妊選択子なしや老齢での再婚といった例外はあっても、高い蓋然性子供が生まれからこそ、

役所に届けを出した男女(それも一対一)の関係のみが社会的保護対象になっているわけです

LGBTの人はよく「異性愛vs同性愛」の図式でとらえがちなんですが、これは間違ってます

本当の対立軸はそこじゃなくて、「人口再生産を前提とする関係vsしない関係」の対立です

しない関係異性愛だろうが同性愛だろうが、平等価値がないだけなんですよ

この考えに立つ限り、そこで同性愛だけ贔屓してやる必要がないんです

別に同性婚を認めないとは言ってない

同性婚は認めて、相続とかもできるようにしましょう

今はなかなか難しい部分もあります養子もそのうち認められるようになるでしょう

しかそのままで子供が生まれない関係を認める以上、今ある控除とかは削りまくって

代わりに子持ち家庭の支援に振り分けるしかないでしょう

愛し合う2人が社会的に認められますよ? 病院の付き添いも行けますよ? で、これで本当に満足ですか?

(追記)

煽り気味になってしまったので、少々真面目に。

現状の結婚制度は「カップル支援」と「子育て/人口再生産の支援」がごっちゃになっていて、

故に異性愛かつお役所に届けを出したものだけを保護するシステムになっています

まり対立軸は「異性愛vs同性愛」ではなく、「再生産に貢献するvsしない」というのが正確です。

別に異性愛でもただの恋愛保護されているわけではありません。

もちろん子なしの家庭はありますが、それはあくま例外という扱いでしょう。

役所に子作り申請書だの、子なし許可願だの出すわけにもいきません。

よって、今のシステム文句をつけるとすれば、「異性愛だけ贔屓するな!」ではなく、

そもそも再生産とセットにする必要が本当にあるのか?」でしょう。

ここで同性結婚を認めてしまうと、再生産を暗黙の了解としたシステムの中に、

同性愛けが無理矢理ねじまれるという、やや歪なことになってしまうのではないかと思います

確かに日本を含む東アジアでは、結婚しない子供が生まれにくいのは事実です。

しかし、「カップル支援」だけであれば、異性間のそれに限る必要はないのではないでしょうか?

養子を育てるから今の結婚制度に入れてくれ、という意見もありますが、これはよくない気がします。

なぜかというと、養子を育てる選択肢も、育てずに2人で暮らす選択肢排除するべきではなく、

また制度上両者に差をつけるべきでもないと思うからです。

そういうわけで、今の結婚制度同性結婚のみを認めるのは適当ではなく、

再生産を前提としないカップルも含めて承認するシステムリメイクを要する、というのが結論です。

2017-03-31

菊池誠どうしてこうなった

菊池誠という人がいて、一時はてな論壇においてそれなりの存在感を放っていた。

現在では一山いくらネトウヨおじさん程度にしか認識していない人もいる。もはや過去の人であると断ずる向きもあるだろう。

しかしながら、彼について再考することで、論壇で今も跋扈する科学非科学という対立軸を新たに捉え直す機会を持てる気がする。

というわけで彼の言説とその評価の変遷を追っていきたい。

菊池誠とは何をしていた人なのか。

2000年代後半。ニセ科学批判という社会運動が産声を上げた。

これは、自然科学に関する嘘をエビデンス棍棒で殴打するというシンプルかつ大変に社会的意義のある運動で、その倫理的な正しさからはてな市井で好評を博した。

この運動には様々な人が加わり、皆それぞれの専門分野に関する多種多様な嘘デタラメを殴り倒していた。

また専門分野のない人は、非専門分野に関する言説の妥当性をいか評価すべきかということについて学んでいった。

よくわからんという人はid:NATROM先生がたくさんいたと考えてください。

当時その運動の中心にいたのが菊池誠である

ニセ科学ニセ科学批判

ニセ科学とはなにか。誰が、なぜ吹聴するのか。このあたりは先人の素晴らしいテキストが山程あるのでそちらを参照するのがよい。私も一応書く。

ニセ科学とは自然科学に関する嘘である

ニセ科学批判対象となったニセ科学は多岐にわたる。多岐にわたるがざっくり2つに分ける。

証明されていないことを証明されたと言うか、証明されたことを証明されていないと言うか、である

科学的知見というものは往々にしてひっくり返るので、この宇宙を縛る法則から演繹していった時に実はニセ科学が正しかったということは有り得る話である

しかしながら個人霊感で獲得した宇宙の真理よりも、定められた手続きを踏んで得られた結論宇宙的には間違っていたとしても)の方を評価するというのがニセ科学批判スタンスだ。

ニセ科学主体も様々である

営利企業大学教授特定肩書のない個人的ブログ政党や国そのものである場合もある。

彼らは何故嘘をつくのか。その動機を大きく4つに分ける。経済的利益金銭)・社会的利益名誉)・思想利益党派性)・倫理的利益善意の施し)である

どのニセ科学もこのいずれか、もしくはそれらの組み合わせから生み出されていると分類できるだろう。

例えば近藤誠武田邦彦動機は金と売名だし、安倍晋三下村博文共和党言動党派性の発露であり、有象無象ブログ代替医療他人の癌を根治しようと試みるのは無知に基づく善意による。

ニセ科学批判はこれらの動機や背景を問わずに殴りつける。

ニセ科学批判党派性から最も遠いところにいるとは菊池誠言葉であるが、定義上これは正しい。

また、個々人のレベルで見ればその批判対象選択において党派性が働くこともあるだろうが、運動総体として捉えればそれは働かない。

組織を持たない草の根運動であるため、一貫した思想により運動員を抑えつけるということが原理的に不可能からである

運動自体に対して外部から党派性を見出す人は多々いるが、それは往々にして自身党派性を表明しているに過ぎない。

例えばid:finalventにはニセ科学批判左翼的活動に見えるそうだし、反原発派の中の放射能デマを吹聴するクラスタから当局におもねった保守的運動である批判されている。

ニセ科学は大きくデマという概念内包される。デマの分野を自然科学に絞り、真実性の判定に科学手続きの有無を利用している場合それをニセ科学呼称すると言い換えても良い。

ここからニセ科学批判方法論を他分野のデマの払拭に利用できるのではないかと考えられる。特に人文科学系や社会科学系等の他分野の学問においてはその応用が容易いだろう。

例えば歴史学における歴史修正主義である

ニセ科学人文科学社会科学系のデマとは地続きの問題であり、ニセ科学批判ニセ科学だけを取り扱うのは、単にそれが自らの領分からというだけである

ニセ科学批判参加者自然科学系以外の言説に対して取るべき態度は、専門分野外の自然科学系の言説に対して取るべき態度と同一でなければならない。

そうでない時、その価値判断には先の4つの動機のいずれかが作用しているのである

「えー、じゃあさじゃあさ、なんで菊池さんはネトウヨおじさんなんて扱いを受けるの?だってさ、人が科学事実を前にした時にどういう要因が認知を歪ませるのか、またその考え方は自然科学分野以外でも応用できるってことを誰よりも分かってるはずでしょ?ネトウヨなんてポジショントークが凝り固まって人型を成しているような存在じゃん。おっかしーぜ、それ。一個人党派性から逃れることは出来ないにしても、自覚を持っていてその都度自己補正に努めればそこまで極端なことにはならないでしょ。オレ、納得できないなー」

そうだね、たかし君。じゃあ次の章では菊池誠の言説とその捉えられ方の変遷を時系列に沿って見ていこうか。それから菊池誠言動が本当にいわゆるネトウヨ的な物なのかということもちゃんと検証してみよう。

kikulogとtwitterから見た菊池誠

さて、ここから菊池誠とその周囲の言説を掘り返し、断片的な事実を拾い上げ、時系列を整理し、推論を検証し、STS辺りも総括し、ニセ科学批判史とも絡め、最初テーマに関して結論を出さなければならない。

でもなんか今週入ってから超体調悪くて、鼻は詰まったり止めどなく流れたり、体はとにかく熱っぽくて横になっているのも辛い。

よく考えたら私は菊池誠親族でも知人でも生徒でも何でもないわけで、果たして病体にムチを打ってまでこの駄文執筆に労力を割くべきなのだろうか?ここは潔く挫折する。

でもこのテーマ自体は割と意義があると思うので誰か調べてまとめて書いといて欲しい、個人的にはid:ublftboさんが適任かなと思う。でも多分やらないだろう。面倒くさいし。

(4/2追記)

どうやらこの記事の続きは執筆されないことが確定したため、以下に執筆時の構想諸々を記しあとがきに代えるものとする。

・7年ぶりくらいに菊池先生名前を目にしたら、なんか凄い扱いになっていたので驚いて、矢も盾もたまらなかった。

菊池誠に対する周囲の評価の変化点は2つくらいありそうだと思ってる。震災それから1年以上後。

2009年から現在に至るまで菊池誠ネトウヨおじさんではない。ただ看過できない発言は多々あるし、愛想を尽かす人もいるだろう。これは年を追う毎に悪化しているように見える。今の立ち位置id:hazumaちょっと似てる。

2009年頃と現在で、周囲から投擲される評価は明らかに変質しているわけだけど、それは菊池誠と周囲のどちらかあるいはその両方が変わった/変わっていない結果なのかという大枠の問いがあって、これは菊池誠が変わったというよりは、周囲に今までいなかった(少なかった)人種が現れたからだと思う。

・逆に言うと震災以前にもある種の題材を絡めてその手の人種と邂逅する機会があったら、今よりもっと早くこうなっていたと思う。今の状況はなるべくしてなったと言える。

どうしてこうなったかは意思疎通が上手く行かなかったから。上手く行かない原因は個人でなく構造求めないと仕方ない。専門家と非専門家の間にはクッションが必要になると思うんだけど、IKEAが布にガラス片を詰め込んでこれはクッションですと言い張ったり、あるいはクッションそのものを用意しなかったりするから専門家自身が夜なべしてクッションを作らないといけない。彼らは裁縫専門家ではないので、その出来は個々人の技術によって大きくムラが出る。ところでIKEASTSである

STSとは、何の生産性もなく相対主義ぶって科学者を腐してあてこすりで飯を食ってる人間の屑が集う旗印である、というのがこれまでなんとなく聞いていた印象なんだけど、いくらなんでもそんなものが何十年も学問として存続するわきゃないと思う。思うので、この際ちゃんと調べて、その社会的役割と意義と実際のところを自分の中で明らかにしておきたかった。震災時に(震災時でなくとも)彼らが求められる役割を十分に果たした結果がこれなのか、あるいは十分に果たせなかった結果がこれなのか。またそれはなぜなのか。

・つまり不幸な例であるところの菊池先生の件を足がかりにして、自然科学分野における専門家と非専門家とのディスコミ問題をアレできるんじゃないかと思ったというところが発端です。

ブクマニセ科学批判ってもっとからあったでしょと言う指摘があったんだけど、前出の"ニセ科学批判史とも絡め"というところで今現在ニセ科学批判とされる運動の形はいつごろ成立したのかも調べておきたかった。書籍で探すと、訳語としてニセ科学を当てはめてる物は結構からあるんだけどこれは定義が今と違っていて、今使われている意味でのニセ科学という用語webだと2004年が初出だと思う。ニセ科学批判についてはgoogle先生になんとなく尋ねるレベルでは天羽さんとかid:kamezoさんの2005年位のログしか出てこない。水伝での田崎さんと天羽さんは運動の拡大に大きく貢献したよねとか海外情勢(主に米キリスト教福音派系の)はid:Kumicitさんの忘却からの帰還が強かったとか、ニセ科学批判史は最終的に年表にしたかった。

以上が主観的になんとなく思いついた推論なので、これらを補強あるいは反証する材料を沢山探して、結果何かがまとまる予定だったのだということを言い残したかっただけの年度末だった。

2017-03-25

政治対立軸

意見や参考資料になるものが欲しくて書いてみる。

最近政治を見ていて思うのだけど、日本政党政治には第三極が足りない気がして。


1)自民政治主導・コミュニタリアニズム・中規模の政府官邸主導による強力な変革力と推進力・人治的

2)民進&共産(?)→行政主導・リベラリズム大きな政府行政力の向上による高度な福祉国家官僚

3)第三極司法主導・リバタリアニズム(?)・小さな政府法律のこまめなアップデートによる個人自由の最大化・法治


ものすごく雑に分けたけど、こういう勢力による切磋琢磨があると良いように思うのだけど。

2017-02-08

リベラル保守グラドルについて

リベラル:「18才以上で自己決定して出てるんだったらいいじゃないか

保守  :「自分の娘だったら、平気でいられるか?」

 

というところだな。

そういう対立軸が、最近多いような気がする。

2017-01-20

映画館でわざわざ観る必要がない問題

映画作品disる気は毛頭なかったしありがちな話題なのでスルーだろうなと思って投稿したらやたら盛り上がったので続きを。

よくわからないけど、対立軸みたいなのを感じたのかな。

http://anond.hatelabo.jp/20170118083140

映画館は衰退してないよとデータで示した方ありがとう

ただ、ブクマコメント欄トラバなどを読んでるとやはりある種、衰退してる感は否めない。そう感じる人も多いのではなかろうか。

作品性以外の要素、音響設備コミュニケーションツールとしての映画館を楽しみとしている層の増加である

結構なことで否定すべきものは何もないが、おそらくここ2〜3年でキネマ旬報廃刊になるのだろう。

映画会社努力によりエンターテイメントとしての映画は盛り上がっているのは間違いないが、芸術性として評価すべき映画はやはり廃れる運命にあるのだ。

何かが失われている流れに気がつかない人もいるのだろう。

まりはそういうことなのだ。良い映画映画館ではもはや見つからない。月定額のネット配信で丹念に鑑賞しまくるしかない。

2017-01-11

慰安婦像問題韓国右派左派

韓国政治は、保守右派)と進歩左派)の対立軸となっている。

両方共、歴史問題では日本に厳しいのは同じ。

主に北朝鮮への対応で主張が分かれている。財界が支持してるのは保守

 

朴槿恵大統領セヌリ党保守政党

野党共に民主党進歩政党共に民主党合併する前の民主党には盧武鉉元大統領が。

 

新聞メディア日本の、朝日毎日左派)VS読売産経右派)の対立軸のように論調が分かれている。

保守とされてるものは、朝鮮日報東亜日報中央日報の三大紙。

特に朝鮮日報朴槿恵政権を支持する記事を書き続けていた。今の読売新聞みたいな感じ。

から慰安婦像問題でも朴槿恵政権が決定した日韓合意尊重するような論説を書く。

 

ただ中央日報系列に、朴-崔スンシルゲートを追及しているJTBCテレビがあったりもして保守色は弱い。

 

進歩左派)に立つのは、ハンギョレ京郷新聞

ハンギョレなんかは日韓合意に強く反対しているし、慰安婦像問題でも日本政府批判急先鋒

 

市民団体にも、右派左派がある。

慰安婦像設置した市民団体左派系。日本官邸筋は「像を設置したのは親北朝鮮派だ」と不快感左派系市民団体野党共闘する形で朴槿恵弾劾を主導した。

右派系市民団体は、逆に朴槿恵大統領支持を表明。カウンターデモを繰り返している。

 

2016-08-22

シン・ゴジラは、 『特撮好き』なら失神レベルの大傑作で、『一般人』なら視聴に耐えうる娯楽作

シン・ゴジラの真価は、これから広がるであろう一見さんによる批評の中にこそ有る。

まり、「満点からマイナスされうる特撮映画」が帰ってきた、と言う意味だ。

1週間ほど前に話題ゴジラを見に行った。面白かったは面白かった。

が、事前ハードルが上がりすぎていたのか、粗(に私には見えた)の部分が結構気になってしまい、正直世間で言われている程に「大傑作」にはあまり見えなかった。

シン・ゴジラそんなに言うほど面白いかあ??

シン・ゴジラには、決着のカタルシスが無い。

確かにその通りで、それは欠点だ。

それは、長年特撮ファンが受けたくても受けられなかった指摘だ。

特撮ファン向けの映画から一般人向けの映画に

「まあ、子供向けの怪獣映画にしては良く出来てたよね」という感想からの脱却。

対象年齢を考えても酷い」とか「大人の視聴に耐えうる人間ドラマ」とか

そういった「オヤクソクを共有している視聴者」向きの話じゃない。

まり、「ファインディング・ドリーと比べて」とか

ゴーストバスターズの脚本比較して」みたいな、

一般的な映画と比肩しうる水準に特撮映画を押し戻した。

からこそ「大傑作」であり、それ故に「まあまあ面白かった」という感想が併存しうる。

今あるものでやるしか無いんだ。

特撮は、リソースがないことをイイワケにしてきた過去がある。

平成に入ってからゴジラをどれでも良いから観て欲しい。

シン・ゴジラ比較するべくもないヒドイ作品ばかりだ。

一般人から見れば。

最近は「ゼロからプラスして積み上げる特撮映画」しか無かった。

「(全体の質はハリウッド比較しようも無いけど)特撮部分は良かった」

「(全体の質はハリウッド比較しようも無いけど)ドラマパートはヒドイ」

みたいな「邦画予算規模で制約の多い特撮映画において」という限定が常についていた。

シン・ゴジラは、正面からそれを覆してみせたと思う。

イイワケの無い、特撮映画としてのゴジラ

粗はある。荒削りでもある。

世界最高峰の映画では無く、手を入れるところもまだまだある。

それでも恐らくは邦画現場における特撮映画のベストを尽くした映画だと思う。

それは特撮ファンなら邦画の環境に絶望せずに希望を見いだせる一筋の光であるし、

一般人から見れば、「怪獣映画だけど面白いらしいよ」と観に行ける映画になってる。

まり何が言いたいかというと

日本特撮映画として100万点」のシン・ゴジラで終わるならソレまでだ。

でもきっと「世界の映画の中で70点」のシン・ゴジラだと評価してもらえる。

怪獣を通じて、日本災害を正面から描き、国のあり方をポリティカル視点から捉える。

世の中は稼いだもの正義で、投資してもらえるのは評価された作品だけだ。

その意味で、きっと一般人からみても、投資に一口のれる出来じゃないだろうか。

おまけ

ダシに使ったので、不満点に共感しつつ、違う視点提供しておくよ。

映画観に行った後のファミレスでダベってる感じで読んでもらえればと思う。

(人は感じたことが全てであり、反論しようとは思っていない)

登場人物ゴジラへの理解度が要所要所で不自然に高い』

主人公矢口会議中に巨大生物言及するのだが、この時点で矢口がそう判断に至った材料は精々ネットの動画程度であり、あそこでアレを「生物」と考えるのはかなり不自然だ。

この時点では矢口は単なる夢想家レベルである

矢口の人物像について、多少のフォローはされている。

シン・ゴジラ主人公である長谷川博己演じる内閣官房副長官矢口蘭堂は、

竹野内豊演じる内閣総理大臣補佐官国家安全保障担当)の赤坂秀樹から

会議結論ありきで進んでいる。かき回すな」と助言を受けている。

また、エレベーターの中で、立場が上の人間に対して「楽観やこうあって欲しいという願望が、先の大戦で何百万人も殺した」とワリとハッキリ苦言を呈している。

矢口生物と断定しているのではなく、「巨大生物の可能性を俎上に載せないのはマズイ」と判断しているのではないだろうか。

ネット上の映像フェイクであれば、それを作った人間動機テロで無いことを確認するまで安心しないタイプ

ニュース映像での「巨大生物尻尾」について、ニュースの真偽を問うシーンがないのは映画の都合だと思う。

ニュース第一報だと見るのが妥当なシーンだし、それならアレは何のジョークだと笑うのが現実的ではなかろうか。

同種の別個体については、検討は並行で続けているが、映画の都合でカット、じゃないかな。

個体だとすると、観客は「ゴジラ対究極生物なのか?」という疑念を抱きながら観ることになり集中力が削がれる。

『人の死の描き方について』

(一つは倒れるマンションから逃げ遅れた家族、一つは溢れた川から逃げる男性、もう一つどこかで同じことを思った気がするが覚えていない)

 この点はあまり大きな不満という程では無いのだが、どうにもモヤモヤとしてしまった部分だ。

たぶん、残りの一箇所は、自衛隊戦車が潰れるシーンか、注入第一部隊の全滅の部分じゃないかな。

マンション荷物を詰めていてマンションごと押し倒される家族、川からの逃げ遅れ(たぶん画面の奥側に向かって走る男性)は、

災害の描き方の問題で、ゴジラによる人死を描いているわけではないと思う。

あの一連のシーンで感じる「いまどこに災害が近づいてきているか一般市民には把握できない」という恐怖は演出として一貫していると思う。

(状況把握のしようがなく、気がついた時にはもう遅いという恐怖は、5年たってやっと直視できるようになった映像だと思う)

ただ、予算の都合による表現の制限を感じる部分ではある。

病院とか今まさに災害現場は出てこず、災害が通り過ぎた後の映像だしね。

密室俯瞰した映像に寄る災害描写は、予算制約を逆手に取った脚本の作り方の問題であり、

その意味で「巨大不明生物がなぎ倒したビルにも当然人が残っている」というのを伝える手法に限界があったのかな、と思う。

ほぼあの家族しか直接の被害は確認できないのに、それ以後の緊迫感は違う。

だけど、アレ入れて欲しくない、というのも判る。

石原さとみキャラが明らかに浮いている』

浮いてると思うよ。これはシナリオの歪みが集中してるせいだと思う。

これ、後でちょっと付記するけど、「シナリオの都合の上で」リアリティラインは高く見えるようにしてあるんだと思ってる。

例えば、東京駅前に当然あるはずの広大な敷地について劇中一切言及されていない。明らかに不自然。

筋論として、日本が米国に頼り、米軍日本国内武力行使する、という流れのハズ。

仮にも主権国家に対して、他国が熱核攻撃を短期間に強行する理由がない。

米軍による強行じゃなくて、国連安保理での決議言うてたし)

日本が壊滅するまで自由にさせておき、主権が及ばないところに出てから攻撃になるはず。

ちょっと日本以外のまとまりが良すぎるというか、世界があまりにも日本に対して冷淡すぎる。

日本に核攻撃」という荒唐無稽な一手と、

ゴジラを生み出したのは、牧元教授という日本人では?」という点、

外務省駐在武官無視して政権が直接軍事について外交を行うと言う部分を抑えると

祖母が原爆による被害者であり、日系人アメリカ政権に対して一定の譲歩を引き出しうる通常外交ルート外の存在は、

石原さとみ演じる米国大統領特使のカヨコ・パタースン以外であっても、

やっぱり荒唐無稽に見えるだろうし、どうしても浮いてしまうのは仕方がないと思う。

彼女シナリオの不備による歪みを一手に引き受けて浮いているのだと思う。

まあ、じゃあどう直せば良いかって言うと、アメリカ側を描くには予算が足りなそうだな……

『ヤシオリ作戦について』

ゴジラ原子炉載せて、排熱への対処(生存本能)で進化するって道筋つけると、焼却 or 凍結ってのは判りやすい。

シナリオの都合でアメリカに熱核攻撃を担わせると、日本特撮的な花である爆発(焼却)を使うのは難しい。

そもそも「カタルシスを得られない」ということそのものが、演出意図なのではないかなと思う。

一応、血を流すことから排熱に血流を用いているのではってのは合理性があるし、血液凝固材も30種類?試して効くのは確認してる。

元素変換する相手ならどこに投与しても一緒って意味では、口に見える部分に引っ掛けて体内注入するってのは効果的とも思う。

仮定仮定を積み重ねて、地味な作業原子炉の終息にもってくってのは、福島第一原発事故対応への直喩だろうし。

「ショボい」処理で、しかも「まだ終わってない」ってのを、東京駅に凍結させたゴジラで示しているのでは、と。

政府冷温停止宣言したのも、冷やし続ける必要があるってのも、同じ構図だよね)

 加えて、ヤシオリ作戦に関しては、矢口の陣頭指揮の部分にも中途半端さに違和感があり、これまで徹底して「対策室で対応する政治家」を描いてきて、結局最後は「主人公現場の陣頭指揮を取りに行く」というのを描くのか、というのに少し落胆した。

 せめて矢口本人が言うように「自分現場にいる事で出来た微妙判断」が描かれていればスッキリはしたかも知れない。

一応は、逃げ遅れた人がいるかもしれないけどやる?とか、線量が予定よりも多いけど続行するのか?とか、判断はあったと思う。

どっちかというと、多分最初に感じたであろう「え?総理大臣は逃げるの?残らないの?」みたいな感覚

「いや、指揮官は後方に控えてないと死んだら終わりだから」に観客の気持ちを変えたかったんじゃないかな、と思う。

それでもまあ、良くあるヒーロー映画みたいにゴジラに触れるような最前線までは最後まで行かないし、良かったんじゃないかな。

(良く言われる「陣頭指揮」を観客がどう捉えるかが、映画を見た後で変わったのではないか

『「国」のアピール

 総体としての「日本」とゴジラとの戦いを描くのがテーマであるのであれば、

 あそこまで「東京」のみの話に終始したというのはどうなのだろうと思う。

正直に言えば、予算の都合で、東京のみの話にしないと収拾が付かないと思う。

ただ、あれは東京一極集中への軽い皮肉にも見える。

福島第一原発事故」が「東京駅」で起こったとして、煽りじゃなくて日本としての機能がどうなったか考えるとゾッとする。

その俺の思いと重なるが、何度も「経済的」な話が出てくる。

経済的には莫大な損失とか、熱核攻撃を受けて世界から支援を受けないと復興できないとか。

損得勘定で熱核攻撃を仕方がないと受け入れる「論理」と、象徴的な意味で核攻撃を受け入れられない「感情」との対立軸にも見える。

「国」とは何なのかを観る人に問うシナリオになってたんじゃないかな、と。

まあ観たひとに届かないのであれば、そりゃ成功してないわけだけど。

その他のダメ出しポイント

まあ、観たひとに届かない思いは独り善がりなワケでダメなんだと思うけど、

最初に書いたように、そういう「普通の映画のダメ出し」してもらえるところにシン・ゴジラ価値がある。

と、思うわけで、やっぱり気になる点を俺も最後に列挙して置こう。

東京駅のど真ん前の話が無い

東京駅の正面真っ直ぐに、東京の中心である大きな空間がある。

熱核攻撃をあの付近で行うことに対して、日本人が触れないってのはあり得ない。

「彼らはここがニューヨークでも同じことをするそうだ」とはセリフにあるけど、あれ「ワシントン」じゃないんだよね。

あくまでも経済の中心であるというセリフであって、象徴的なんだけども)

陸上理由が判らない

突然地上にさまよい出た、排熱の為に進化した、冷却のために海に戻った。

突然さまよいでることも、デタラメに動くのも、再冷却の為に海に戻るのも災害っぽい。

鎌倉から上陸する理由がわかんないんだよね。

進化の方向性として陸上に特化してしまったとして、海水を捨てて地上に出てくる理由不明

牧元教授が好きにした結果、ゴジラを生み出して、意思を方向づけたなら判らなんでもないけど。

配偶者を原爆で亡くし、国と核を憎んだ牧元教授なら、先の大戦の直接の責任者である国の象徴にまず向かい、その後アメリカ上陸を目指すのは理にかなっている)

国連安保理が核攻撃容認するのが判らない

途中、スパコン計算能力貸して欲しいって海外の研究機関に依頼するときに、

一旦「ウチの技術を盗むかもしれないから断ろう」みたいなセリフがあるんだけど、

もしも「間に合わなかったら首都が熱核攻撃を受ける」みたいな状態なら、

「ひとを信じよう」みたいなのんびりした話にはならないと思う。

人類ってそんなに日本に冷淡なの?と言う。

秘密裏国連安保理が熱核攻撃容認するって、日本外交ゼロってことになる)

(そうすると、フランスと裏取引する外交技術との整合が取れない)

駆除一本槍なのに違和感がある

シナリオ福島第一原発事故念頭に置いてるからなんだろうけど、

ゴジラに対して調伏(焼却or冷却)しか選択肢が無くなってるのに違和感がある。

最初に言ってたけど、追い出すか、退治するか、保護するか。

保護が無理、退治が難しそうなら、通常は追い出しの手段検討するんじゃないか

餌で釣るのか、行動パターンを読むのか、押し返すのかは別にして。

追い出しにリソースが避けないって言う描写は欲しかったかな……

(これはほとんど「他の個体についての言及がない」ってのと同じポイントだな)

とは言え、

映画を見ながら、実際に災害になったらどう逃げようか俺は考えた。

かなり踏み込んで災害を描いてるような気がするけれども、どうかな。

2016-08-15

プレ・シン・ゴジラとしてのザ・ワールド・イズ・マイン

トシモンの出てこない「ザ・ワールド・イズ・マイン」という感想が一部にはあるけど、

言及されてる記事が少ない気がするのでちらっと書いておきます

パクリがどうとかではなくて、シンの「得体の知れない脅威に向き合う日本」「政治劇」など、

かなり構成要素と配列が似ているのでシンが好きな人は気に入るかもしないので読んで欲しいなと思ったしだい。

ヒグマドン(怪獣)」「トシモン(殺人鬼)」「日本(人類)」という対立軸で描かれているんだけど、

そこからトシモン」を抜くとほぼシン・ゴジラのスジになる。超おすすめ

ただし「ザ・ワールド・イズ・マイン」は絵柄がポップじゃないし、グロいので、万人受けはしないかも。

庵野監督も絶賛していた、という話もありますので、引用元の一つではあるのかもしれません。

2016-08-05

ズートピア面白さって何

多様性重要視できる社会大事→わかる

その解決方法マフィアと手を組む事やグレーな事、悪には悪で戦う→わからない

ものすごいつまらなかった

対立軸善悪ではなくて強弱しかない(肉食は強いとかそういう話ではない

善悪曖昧だと言いたいのは分かる、でも明らかにウサギは善ではない

結局羊は話し合いじゃなくて力でねじ伏せられただけ

いや結局のところ意味ないじゃんというか、なにがしたいのか

あれの何がいいのかわからない

あれはエンタメじゃなくて明らかにアメリカ白人黒人人種問題だと思った

羊=黒人トランプを好きそうな白人が好きそう

2016-08-01

相模原事件の、今までの若者特有犯罪との相違点について

秋葉原事件後、似たような自暴自棄から暴走がちょくちょく出てるけど、

正直、てんかん暴走自動車のほうが死者が多いので、

このまま中間層は使い潰されて死んでいくんだろうなーと思ってた。

ところが、相模原事件で新たな可能性が出てきた。

社会正義による殺戮を行うキチガイである

 

 

ある意味、某中東の「やれば48人の処女あの世セクロスできる権利

という謳い文句と変わらないのだが、

自分勝手理屈自分勝手に行動するから、恐ろしくタチが悪い。

そして何より問題なのは、クソ真面目に働いてすり潰されていった中間層には、とてつもなく相性がいいってことだ。

これは私見だが、秋葉原事件は、自分を見てくれない世界への叫びだったと思ってる。

こんなに頑張ったのに、どうして認めてくれないの、と。

ところが、相模原事件

こんなに悪い事を放置してるのはいけない、なら、排除するのは正しい事だ!

と、自分勝手判断して実行した。

 

 

もうこれはキチガイ判断であり、

問答無用鉄格子に入れる案件だと思う。

だが問題は、事件発生の土壌である

犯人社会正義のために殺人を犯したサイコパスだと思うが、

犯人は、生まれながらのサイコパスではない。

犯人リア充カテゴリの住人であり、友人からバグちゃった」という証言から

後天的サイコパスになったのは間違いないだろう。

そして、サイコパスを育てた土壌が、昨今のブラック企業である

 

 

明らかに過酷な条件で、低賃金で働かされ、問題放置されたまま仕事が続いていく。

問題解決を図るが、ことごとく失敗する。

別の仕事で再起を図るも、これも出来ない。

不況、というより20代若者たち未来への閉塞感。

この末にあるのは、自分を終わらせる自殺か、暴走する秋葉原事件のような他傷への道しかないと私は思ってた。

ところが、相模原事件で新たな可能性が出た。社会正義による殺戮である

60年代大学闘争のようなイデオロギー対立ではなく、この社会に属する者として、より良い方向に持って行こうとする、混じりっ気なしの善意なのだ

その為なら、この身を喜んで犠牲にしようという、尊い自己犠牲なのだ

狂っている。

 

 

社会に属する者として正気を保ちながら、狂気しか言えない行動を実行してのけたのだ。

この事件がただの殺戮でない事は、職員を生かしていた事からも読み取れる。

もしただの快楽殺人者なら、職員患者関係なく実行していただろう。

だが彼はそれをせずに、とても良い笑顔SNSにアップして犯行を始め、終えた後、通報とほぼ同時刻に自首

やりきった笑顔護送されていった。

 

 

ここまで書いて、ガチ吐き気がしてきたけど、後少しだけ。

よくネット上で「富める逃げ切り団塊世代vs借金を擦り付けられた若者世代

なんて対立軸が出てきたけど、この対立は、あくま政治的対立していく者だと思っていました。

ですが、現実には数の暴力によって政治家は抑えられ、

立場的にますます追い詰められていきました。

これを解決するのは、いわゆる少人数による大人数への暴力行為なのですが、

戦後犯罪最少記録を更新し続ける「おとなしい若者」には絶対不可能だと思っていました。

だが、相模原事件で新たな可能性が提示された。社会正義自己犠牲である

これって本当に恐ろしいですよ。

マジメなあの子が、なんてレベルじゃないです。

仕事感覚殺人を行うキチガイが生まれるってことなんですから

そして、それはブラック企業で慣らされた若者世代にとって、とても容易に現状を変革できる手段なんです。

超えちゃいけないラインガッツリ超えてます

 

 

これを解決するには、現状の職場問題解決する事なんですが、

そんな事は絶対不可能です。

となると、本当にやるかやられるか、なんですよ。

今後、増えていくんじゃないんですか?

上司人間扱いしなかったから、部下も人間扱いをせず、

粗大ゴミを廃棄するように、「大掃除」をするなんて事態が。

まぁ、なんというか、お先真っ暗ですね。ご愁傷様でした。おわり。

2016-07-15

赤い狐と緑のたぬきは、中国中東対立予言している。

赤い狐のアカ共産主義のことを、緑のたぬきの緑はイスラム教のことを表している。

宗教を禁ずる共産主義国家にとってイスラム教のような敬虔信徒体制維持のためには邪魔に思えることだろう。

今、ウィグルイスラム教徒弾圧されているのはその表れに他ならない。

 

さて、赤い狐と緑の狸は、きのこの山たけのこの里といった対立軸になぞらえることができる。

きのこの山たけのこの里が米ソ冷戦時代の名残であることは言うまでもないが、あk

2016-07-12

オタク論争:ラディカルフミニズムとリベラルフェミニズム対立

最近はてなの論争みてて思ったけど対立軸フェミニストvsオタクから

ラディカルフミニズムとリベラルフェミニズム対立に移ってるね。


ラディカルフミニズムに対する家父長制との共通点の指摘とかに顕著だけど。

それを未だにフェミオタクで括ってるので若干認識にずれが生じてる。


あと、はてサと呼ばれる人にミサンドリー(男性嫌い)的な意識が段々広まってて危機感を感じる。

女性ミソジニーに陥るように男性ミサンドリーになることもあるから気をつけよう。

しっかり、自分の心と向き合ったほうがいい。

2016-07-10

女はブスで不躾なぐらいな方が話しやすい。

女はブスで不躾なぐらいな方が話しやすい。世間一般的はいい女じゃないのかもしれないが、なんか気兼ねなく話せるフランクさが好きだ。

オタクはよく「オタサーの姫はブサイクだ」という。じゃあ、聞きたいんだけど、あんたらのコミュ力レベル自分が見とれるほどの美人と適切にコミュニケーション取れる?しゃべりすぎたり、上がったり、黙りこくったりで喋れるほど女に慣れてるの?オタサーの姫に手斧を投げるお前らのコミュ力は?

落ち着いて考えてごらんよ。オタサーの姫で美人で、女らしくてこっちの話やノリを大事にしてくれない子だったら、扱いづらいか気まずいぜ?オタサーの姫=ブスと言うイメージを悪く言ったり、それを聞いて卑下する女がいるから言うが、お前らはそもそもガチの姫は担ぐことさえできない弱者じゃん!

いやさ、さっき久々に女と話す機会があったんだけど、ブスでズケズケ男と喋れる人ってオタサーの姫だろうが、ビッチのなりそこないで飲食とか不動産とかに入っちゃった子だろうがしゃべりやすいなぁ~と。それで気づいたよ。女の子女の子してて少しでも長文になったり説明的なると拒む人よかやりやす

あと、ブスな女の方が服装だ何だでいちいち気にしないから楽なんよ。今日俺が来てる服なんか多分、キッチリしてくる人に会いに行くなら絶対着ていけないもん。開き直ってるし、ブーメランになりたくないかブサメン男子市民権比較的認めてくれる。美人ゴミ扱いだからそこからしておっかないw

そりゃ、僕だって美人とヤりたいし、美人匂い嗅ぎたいさ。でもさ、実際問題しゃべりやすくて、話が合うようなキャッチボールができて、見かけでさほど差別しないのはブスの方じゃない!ブスのほうが必死に生きてる感じがして好きなんですよ…努力方向性が違うだけだとは思うけどそう伝わるんだもん

女性からはやれ「セクハラ」だやれ「上から目線」だと言われそうだと自覚してたので、概ね想定内対応ですな。ただ、お世辞にも美人と言えないブスと抵抗感なく話が弾んだ時に「ブスの方が気兼ねなく話せる自分」に気づいちゃっただもんww

今思ってるのは3つかな。 1、美人下位互換がブスだと思ってたけど、ブスゆえの強みもあるなぁ… 2、男も意外と理解できてない 3、ブスとなら盛り上がれるけど、美人とは盛り上がれない人は女友達はできても、人肌恋しさは満たされんだろう

どうでもいいけど、僕が「ブスのほうが落ち着く」論を展開してるさなかにフォロワーが4人も増えた。いつもそうだ。薄々思ってたけど「あーこれ言ったら世界の半分を怒らせるだろう」って事を俺に言わせて、後フォローやら、「ぼくに憧れてます」だもん。たまには自分で言ってええんやで?  最終的には10人ぐらい増えました。

補足説明

女性からすごいブーイングを受けちゃったからちゃんと説明する。

美人ブサイクかは本人の態度にも、相手の態度にも作用する。

男は美人相手だと、相手女性だと気を使いすぎたり、美人の機嫌を損ねると(他の人が美人を大切にしてる・評判が波及するから自分が酷い目に遭う…という腫れ物であり、好かれたい相手なので…すごーく自分を出しにくい。

また、美人美人自分が選り好みできる立場発言力がある立場だと知ってるからやや傲慢。「自分をよく見せるために、相手に気を使う」必要はあっても、「相手フォローする必要がない」から、わかんないこと・ノリが合わない人・身なりが汚い人を弾く権利がある。

これは男性場合もそうで、男のイケメンはちやほやされるから仕事をしない」という証言も聞いたことがある他、ライオンに至ってはハーレムなだけではなく、メスがオスのためにエサまで取ってくるという至れり尽くせりになるそうな…。

一方で、ブスの場合そこまでの権利がないから「合わない相手にも合わせてくれる」可能性が高い。

特にスクールカーストにおけるメインの中でおもしろキャラ・好きな子がいてモテたかったブスはスクールカーストの上位に混ざっていたいから「気立てがいいブス」というポジション確立しておとなになるため、社会に出たり、大学サークルに入っても信頼度の高い位置になることがある。

特殊事情を伴うのはオタサーの姫で、容姿特にブスじゃなくても、ブスのような位置づけになることがある。

これは、女子の中で発言力を持てた美人ではなく、モテなかった美人であることがあるため、オタサーの姫はブスというより、ブスという位置づけにされた結果、ブスっぽい処世術を覚えた人である

しゃべる方男性側の視点としても美人のような権力排除の論理自分自身の無理に好かれようとする力みがなくなるからすご~くしゃべりやすい。

ちなみに、男にはこの「ブス」と言う位置づけの人はほぼ存在しない。「イケメン」の逆は「非モテ」と言う位置になる。

非モテスクールカースト的な社会から逸脱してしまうため、「好かれるブス」にすらならない。好かれようとしないで内輪で固まるからイケメンには媚びない。美人には媚びるけど、媚びてるのは敵に回したくないというだけ。

スクールカースト論を語る際、男性女性社会性は男は「内」と「外」で区別され、女性は「上」と「下」で区別できる。女性には「内側にいない」と言う選択肢はすなわちいじめや敵視の対象になるからハブられそうなときには「下」になるしかなくなって、「外」にはいけない。

クラスの群れから運動部文化部の群れ、さらには学外の群れや趣味友へとシフトしていく男の社会性は「内(クラス運動部の群れ)」と「外(文化部や学外活動の群れ)」に区別され外に行けば付き合い自体が疎遠になるが、女性場合「外」に行くと女同士になった途端悲惨な目に遭うから「内」に片足突っ込んだ状態じゃないとそもそも動けない。

結果として、非モテはブスのように「異性が話しやすい人」とも思われない「いい人(女子用語で言うどうでもいい人)」になるしかない。

ただ、男の「いい人」をきっちり拒みにいくか、多少なりフォローして「がんばれがんばれ」とするかが、美人とブス、ガチ姫とオタサーの姫、女優アイドルの違い。

から美人とブスという対立軸はけっこう使えるわけかただと思う…。

2016-07-01

白票議論サヨク投票クレクレ問題しかいからやめ!やめ!

http://togetter.com/li/993792

また

政治に参加する人間の方が偉い(が、政権与党投票するようなヤツはバカ)」のはてなーがウジャウジャ涌いて出てるわ

賢い/バカ対立軸しか捉えられないかグダグダの言い争いが果てしなく続く

政治に興味を持ってもらうっつー目的であれば白票も悪くはないがな

ただそんなの有権者選択自由だろ、白票棄権与党投票も全て

「アベ政治にNO!暴走を止めろ!」だけが唯一解としか思ってないお前らこそが選挙不信の元凶だろ

選挙に関心のない連中から言わせりゃ「勝手にやってろ」くらいにしか思わんわ



ってかさ、

投票にみんなで行こう!」

と呼びかける奴らがすでにバイアスかかってんだよね

若者投票に行かないからいまの与党がのさばっているのだ」

って認識だろ

まり

投票率が上がれば今みたいな状況にはならないはずだ」

という無根拠な期待を暗黙裡に含んでいる

よしんば投票率が上がっても、実は自公が伸びるだけじゃね?という可能性を誰も信じてない

まりにも楽天的な見込みなのだ

からこいつらバカなんだよな

そう考えればさ、

結局のところこいつらが言う

「無投票層は選挙に行くべき!」

という主張は、ほぼほぼ

「アベ政治暴走を許すな!投票野党に!!」

って主張とニアリーイコールなわけよ

まり要は

サヨク投票しろ無党派層ども」

っつーことなんだよ


からなんてことはない、

投票問題で騒いでいるはてなーの大部分は、

投票層をダシにしたサヨク野党投票運動を繰り広げているに過ぎないんだよ

そして

「なぜ無投票ダメなのか」

という問いは、

「なぜサヨク野党投票しないのか」

という本音部分の主張の偽装に過ぎないんだよ

その証拠に、

投票率が上がっても自公与党の票が積み上がることをこいつらは絶対に良しとは言わないぜ

BREXITの例を引くまでもないが、

投票の数で負けて民度ガー愚民ガーとか言う負け犬根性の染み付いた連中だよこいつらは

っていうか、お前らみたいな奴らの正体が割れてるから

投票層の連中には一向に響かないんじゃねーの

第一、

与党もどうかと思うが野党はそれ以上にどうかと思う

というのが無党派層大勢だろ

案外きっちり反映されてるんじゃん

民意

こういう民意のある日本が嫌なら、出てくなり新政党立ち上げるなり革命起こすなりなんなりしてみせろってんだよ、

・・・・・おっと、

そういうことが出来ないから、白票バカにして溜飲を下げるくらいしか能がないんだったな

うっかりだったわ

結論

白票論争に毛ほどの価値無し。

以上!

2016-06-11

選挙行くのがガチで面倒になってきた

そりゃ選挙国民義務レベルだとは思いますよ。でもさ、今度の参院選とか投票に行く意味何よ?

まあ、消費税再延期したか与野党対立軸なくなったし、憲法問題はそんなに国民大多数の関心事でもないし。

大体というか、ほぼ安倍首相に対する信任投票レベルでしょ。あるいは公明党が少し議席やすかどうかくらいで。

おおさか維新とか分からんけど、大阪のことは知らんし。おれは埼玉のことしか関心ないし!

そんなわけでめっちゃ選挙行く気起きない。

みんなが次の参院選ちゃんと行く予定? 行くとしたらどんな点にモチベーション持って行くの?

ただでさえ忙しい子育て世代はてな民とか、よく選挙なんて行く余裕あるよなあ。

俺もまだ月50時間程度しか残業しないけど、休日は疲れて昼まで寝てるし。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん