2024-10-02

たとえば暑苦しい気候会社員がそれでもジャケット羽織るのは、全くもって気が狂っているとしか思えない。自分もそれは望まない。

さりとて環境にそぐわない服装要求される場面は多々ある。良い悪いの問題ではなく、いくら暑くともTシャツ一枚で冠婚葬祭に赴くのがズレているのは間違いない。

自覚的であれ無自覚であれ、そういう場面でズレてるとつまらない損をする。馬鹿げたナッシュ均衡でも、崩そうとするよりはそれに従ってテキトーにやり過ごそうとするのはそうおかし心理でもない。

人生時間も、(大抵の人間にとっては)一日に絞り出せるやる気も有限だ。アイデンティティなりポリシーなり生きがいなり、よほど強い関心がある訳でもなければラクな方を選ぶ。こういう態度が現状を補強するんだろうなという自覚に蓋をしながら。

普通」ではない人間を炙り出す対象となるのは自分だけではない。自分選択だけではなく、鬱陶しいと思っている風習であってもそこから逸脱した他人白眼視する事さえある。馬鹿げたコードだとは思いつつ、それに敢えて反発するのもラクではない。

ある種のコードだけでは見極められないヤバいだっていくらでもいるだろうけれど、少なくともそこで擬態すらしないような人間判別出来る。逆にそういうとこばっかり見てるとヤバい奴が「まとも」に見えてもしまう。

無自覚でやってるのなら物を知らない奴という事だし、自覚的にやっているのならメンドクサイ奴なんだろう。現状を変える勝ち筋が見えているのならともかくとして。

安全圏の部外者が画面越しである種の内輪ノリ非難するのと、自分の身を以て抗議するのはまるで違う。おれはその手の「メンドクサイ」人間に対する忌避感はあまりない。単に現状を変えようとするコスト怠惰という錘も含め)が変えて得られるものよりも高くつくと見積もっているのだと思う。

ただその手の奴を強く嫌う人間も少なからずいるようで、そういった連中はむしろ積極的にその構造を補強しようとしているのかもしれない。おれは「べき」に抗議するよりも、そうやって「べき」をそれとなく支持する奴の方がめんどくさいと思う。

TPOに応じたコードには煩わしさと、良い悪いは別にしてこういう特定機能がある。どこまで共有されているのか分からないような美意識も。

実在するかは知らんけど、初デートサイゼリヤを選ぶの選ばないのというのもそういう事なんだと思う。

単純にケチであるとか見栄の感覚ギャップだとかの問題ではなく、よりメタ的な部分で品定めするのもそうおかしな事ではない。

初めてのデート格安チェーンを選ぶという、コードからのズレをどう評価するのかという。

ただデートなら集団ではなくあくまタイマンな訳で、そこはやっぱり「社会マナー」と違うよなって思う。

双方が「普通」のデート作法を煩わしいと感じたのなら、日本中会社員いっせーのでスーツを脱ぐよりも遥かに簡単だ。

そこでズレがあったのなら擦り合わせる事も出来るし、どちらかが我慢する事だって出来る。

よほど相容れずに別れたところで、別に日本社会のはみ出し者になる訳でもない。

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