はてなキーワード: スーパーナチュラルとは
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「命の恩人のいうことは聞くもんやで」
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どうやってウリ坊はおっこの命を救ったのか?
ウリ坊は物理的・ニュートン力学的作用を、現実に存在する物体に及ぼすことはできない。
鯉のぼりを操ったり雑巾がけをしたりトカゲを石の落下から守ったりできる美陽(白ワンピース)とは違う。
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可能性A
もっともらしい説明は「その時不思議なことが起こったから」であろう。生と死の境目に位置したものについては干渉することができるとか何とか。
実際、ノベライズではそんな感じのようだ。
小説版はおっこ一人称であり、ウリ坊がそう説明した、ということだ。
だが、我々は「信用できない語り手」という概念を知っている。
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可能性B
・ウリ坊はおっこを救っていない
主人公や主人公の相手が実はとっくに死んでいた、幽霊だった、というのは「(ネタバレ)」「(ネタバレ)」などいくつか先行作品がある。
マンション引き払い、転校手続きなどを小学生一人で実行できたとは思えないことから、これには一定の説明力がある。
ただし、大女将、春の屋スタッフ、宿泊客「だけ」に見える幽霊というのはあり得ても、学校の先生、同級生全員、秋好旅館のモブスタッフあたりにまで全員見える幽霊というのはさすがに無理がある。
B-2
・おっこは偶然助かった。
スーパーナチュラルな要素なく、偶然助かった。ループものでいえば100000000000000000000回に1回助かった、みたいな。
B-2-1
・おっこが助かったのは偶然であり、ウリ坊は自分が命の恩人であると騙しておっこに旅館の若女将役を務めさせようとした。
だが、ウリ坊が嘘をついたと決めつけてよいのだとすると、何でもありではないか? スマートではない。
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そもそも「命の恩人のいうことは聞くもんやで」の謎について考えていた。
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「(おっこの)命の恩人(であるワイ)のいうことは聞くもんやで」
との解釈が間違っていたとすれば?
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「(Xの)命の恩人(であるY)のいうことは聞くもんやで」
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C
「(大女将の)命の恩人(であるウリ坊)のいうことは聞くもんやで」
たしかに自分がおっこの命の恩人であるとは言っていない。物理的にも不可能だ。あらためて述べるが、プリンも食べられない幽霊であるウリ坊にトラックにはねられた人体を動かす力があるわけではない。
だが、幽霊になる前、たしかにウリ坊は若き日の大女将を救っている。
とはいうものの、大女将の命の恩人だとして、なぜ?という問いが
D
「(おっこの)命の恩人(である祖母)のいうことは聞くもんやで」
たしかに 一龍斎春水の声で「織子ヨ春の屋の女将になっておくれ」との台詞はない。
だが、幽霊であるウリ坊にとって、声帯を用いて発せられた明示的な言葉と、内心の声の区別がつかないという可能性もあるのではないだろうか。
ウリ坊が大女将の内心の声を「いうこと」と表現したとすれば・・・
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ウリ坊単独でおっこを救ったのではないとしても、勝手に自然に偶然に助かったのではなく、ウリ坊が何らかの存在の助けを借りておっこを救ったとしたら、
ウリ坊がおっこを救ったとも言えなくもない。
それは両親や大女将(の生霊。美陽タイプのニュートン力学干渉能を持つ)かもしれないし、春の湯(概念)かもしれない。
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続く
神様なんて実際いないわけじゃん。でも宗教とか祈りとか、人間の中の存在というか思想風景っていう意味では、もう有史以来かれこれ数千年単位で行われてきた訳で、実際何かの意味はあると思うんだ。(確か)マイケル・ジャクソンがインタビューで言ってるのを見て、『既存の宗教は信じてないけど、スーパーナチュラルな存在は認める』とか、僕も云うことがある。そうはいっても、一通り宗教概論とか、いろんな書物の勉強はしたんだが。でさ。最近なんというか啓示を受ているような気がするのよ。神様、っていうと語弊があるけれど、なにか超常的な意識をそう呼んでいるだけで、気に入らなかったら好きに読み替えてくれ。
僕はなんていうか、死にそうな目にここ半年で何度かあったし、実際首くくってぶら下がったりしたんだけど、まぁうまく行ってない。そして今は中度の拒食症で、毎日一食食べてそれでおしまい。体重は15キロくらいへった。それでも生きてる。類は友を呼ぶっていうか、周りにいい友達も、よくできる友達も何人かいるし、その上で鬱持ちのひどいのもまぁほんの数人いて、そいつらとどっちが先に逝くか競争してるみたいなものだ。でも一回経験してみると、なるほどあいつはこういう気持ちでこういうことをしてたんだな、とわかってきたりして、それはそれで面白い経験なんだな。
話がそれた。啓示。なんか死にたいな〜って思ってすごい長い間歩き回ったりしてると『死ぬのはお前の勝手だよね』とか『狂うまではやってみないと面白くないんじゃないの?』とかフランクな口調で話しかけてくるのがいるわけですよ。たまにね。いや向精神薬とか飲んでないし、毎日会社でちゃんと働いてますよ。さっきも言ったけど、友達もそれなりにいるしさ。友達に話せないから増田にこっそり書いてる訳で。医者に行けとかつっけんどんに言わないでよ、ちら裏なことくらいはわかってるから。
この間、聞こえたのが、結構面白くて。『人に残された愛情は依存だけだ』って。あぁ、なるほどなって思った。僕らが具体的に感じられるものって確かに依存だけだ。愛してる、って言われても意味がわからなくて正直困るし、ただこの人は他の人に依存していることだけはよくわかる。それが性的な関係でも、お金の関係でも、ただ毎晩チャットするだけの関係でも、それが依存であれば具体的に『感じ』られるんだ。それ以外はほんとかどうか知りようがないじゃない?だから僕らは映画やら小説やら好きなんでしょ?本当と区別できないけど、手軽に気持ちを感じられるから。
じゃぁ、本質的に人間が生きていく上で必要なものって何かなって考えてみた。それが人の一番依存している=愛することができるモノコトなんじゃないかって。でもなんなんだろう?眠るとか食べるとかって欲求はあっても、今や僕ら無くても大丈夫な気がするなぁ。植物人間っていう状態があまり幸せな状態ではなくとも、有機物として食事をしない状態で続けられるでしょう?眠る、のは確かに少しずつは眠らないといけない。でも昔から言われているほどではないことがわかってきているし、ある種の薬はそういうのすら取っ払える。僕が生きていく上で僕は何に依存してるんだろう。そして、僕はまだ何か他のモノコトに依存したいのかな?
そう思ったら、僕はまた寂しくなった。
http://anond.hatelabo.jp/20070127050730
スピリチュアル・カウンセラーとか信じる信じない以前に、その残念なスピリチュアル世界観と、不思議系アイドルの語る不思議惑星とその不思議社会構造とに差異を全く見出せないのは僕のあたまがかたいせいなの?石頭だからなの?と漠然と思っていたけど、結構みんなそう感じているんだな。
アインシュタインの相対性理論を説明するのは僕には無理だけど、時間が過去から未来へと一元的に流れているものではないことぐらいは、もはや一般常識+αの範囲内だろうに。だから、たとえば過去からばかり転生されてくるってのは変なのね。前世は未来ってこともあっていいわけさ。スーパーナチュラルを身上とすべき世界観が、たかだか高校一年生の物理の教科書あたりの物理法則にことごとく縛られてしまっているというのはいかがなものだろう。
ちょっとそれを考えに入れて、前世、現世、来世の魂が転生を、しかもものすごく長かったり、逆に恐ろしく速い速度で時空を超えてありとあらゆる物質・非物質、エネルギー・非エネルギーのカオスで繰り広げられていると考えてみてはどうなんだろうか。物理学専攻のテクニカル・アドバイザーとかをブレーンに入れて。
でも、難しすぎてわかりにくいと商売にならないから、ロバート・A・ハインラインあたりを読んで少しでも世界観を広げてみてはどうかと。あ、そうだ。確か「ドラえもん」や劇場版「クレヨンしんちゃん」にもタイムパラドックスやパラレルワールドを扱ったエピソードがあったと思うんだが。制作テレ朝絡みだし。
なんてのはド素人の考え方で、ロジックは極めてゆるく、場当たり的にレトリックで華麗に回避というのがプロの詐欺師の手口なんだそうで。僕のように「一に譜読み二に譜読み三、四がなくて五に暗譜」というクラシック挫折型ロック人間には「楽譜なんかポテチも載せられるちょっと便利なコースターだろ」みたいな人のアドリブとかはどだい無理なんだな。へたするとビルの屋上とかでUFO呼んでる痛い人みたいになっちゃうのね。