はてなキーワード: アニメ作品とは
10年ほど遊戯王のかなりマイナーな分野を探求してきた者です。元々はアニメ2作目の最終盤をみて、そのなかのCMであった遊戯王オンラインにハマったのがすべてのきっかけでしたね。そこからシンクロモンスターをテーマにした5D'sとZexalと来て、たどり着いたのがかの有名なArc-Vです。記憶を掘り出しているのでかなり偏りがありますが、思い出補正込みで書いていきます。
さて、この作品は賛否両論どころか、おそらく日本の糞アニメ史上の末席を汚すような作品です。遊戯王OCGという列車を運ぶ車輪の一部でありながら、その実態はとうもろこしのようにグズグズな有様です。ですがそこらのアニメ作品とは一線を画すのは、その尺の長さに加えて「主人公以外が素晴らしい」という点でしょう。脚本全体が酷いのですが、なぜか主人公に関連しないところばかりに光るものがあります。にもかかわらず、その逸材達がことごとく主人公にとっては噛ませ犬であったりするため、酷評に至っていると思われます。そのアンバランスさが、同時期に放映されていた鉄血との相乗効果も相まって、実に刺激的です。
主人公の榊遊矢(以下、遊矢)はデュエリストとしてはとても平凡な少年。彼は行方不明になった一流デュエリストの父親の言葉を受け継ぎ「エンタメデュエル」なるものを心情としている。ある日、彼は謎の力「ペンデュラム召喚」を身につける。それはその世界の誰も知らない召喚方法で、未知のカードで構成されていた。彼はその力と仲間と共に4つの世界を渡る旅に出る。
このアニメでは、過去作品のリメイクカードや召喚方法、スターシステムを採用しています。正直これでコケること自体が難しいのですが、それでもコケました。
この作品の最大の売りにして最大の失敗は、遊戯王OCGで採用されたペンデュラム召喚そのものだと思います。遊戯王ではアニメの新シリーズが出るたびに新しい召喚方法が登場しますが、中でもこのペンデュラム召喚は曲者です。
簡単に言えば「どんどんモンスターを手札やエクストラから出す」というものです。制約はありますが、後半は主人公補正でほぼ無双状態。
ただでさえ何をしているのかさっぱりわからない遊戯王で、このペンデュラムは本気でよくわからない。モンスターが魔法カードになるとかエクストラから出てくるとか、OCGをちゃんと理解していないと多分無理でしょう。それにカードの絵柄がごちゃごちゃしているので本気で見ずらい。視聴者の中には、最後までペンデュラムが何なのかわからない人もいることでしょう。まあそれは過去作品も似ていますが。
最終的に他の召喚方法と比較してペンデュラムを持ち上げようとした結果、単なる無双状態を引き起こしたあげく、他の召喚方法ででかいモンスターだすだけのよくわからない戦い方となってます。別に面白いとは思えませんが。
この作品の価値低下を最大限補助しているのが、よりにもよって主人公とは。声優の演技力が低いとかではありません。むしろちゃんとしているから困るんです。
主人公の遊矢は「エンタメデュエリスト」を自称しています。彼いわく、「デュエルで笑顔に」が心情です。この言葉、100回は聞きます。そして一度たりとも実行されたことはありません。
遊矢のいうエンタメデュエルとは、どうやら華やかな演出による楽しいデュエルらしいのです。全員ボコボコにするだけですけどね。
前述のペンデュラム召喚は遊矢が得意とする戦法ですが、これはモンスターの大量召喚を可能します。そこから各種の強力なモンスターへと繋げるのが遊矢のスタイルなのですが、別に笑顔にする要素なんてありません。視聴者にとってのみ新カードのお披露目があって嬉しいとは思います。しかし対戦相手からすると大量のモンスターがでてきて、さらに極悪なモンスターで壊滅させられるという経験をするのみ。エンタメを自称するためか遊矢は「レディース&ジェントルメン」と声高に叫んでから、えげつない展開をするのですが、視聴者にとっては「これから対戦相手をフルボッコにします」としか聞こえません。
例えば、敵役として登場した融合次元のエド(GXの人気キャラ)に対しても似たようなことを叫びながらフルボッコにして、なぜか負けたエドは遊矢のデュエルに楽しさを覚えた様子で改心してしまいます。視聴者からしてみればこのデュエルのどこに感銘を受けるのか、皆目検討がつきません。素晴らしい展開とか考えつくされた伏線とか、驚きの勝利方法とか。そんなのではなく「力こそパワー」で殴ってくるだけの遊矢に共感する人っていたんでしょうか?
あと、度々登場する父親との思い出の「スマイル」(?記憶おぼろげ)というカード。実際なんの意味もないカードです。使う場面も限られるし、使っても意味がないことが殆ど。でも遊矢はたまに使いますし、スマイルが切り札のような雰囲気を出します。でもなんの価値もないカードなんです。演出目的としても不自然すぎて気持ち悪い。
この作品では実態を持つフィールドを生成して行われるアクションデュエルが多用されます。まあそれがどうでもいい。ようは街なかに溶岩が出現したりするんですが、別にそれがなにかおもしろいわけではない。確かに空中を移動したりする要素はあっても、面白いとはいえない。作品の骨子の一つであるのに、その要素が殆ど生かされていない。5D'sのライディングデュエルとは正反対なんです。その中でも特に不評なのはアクションカード。
アクションカードはフィールド上に無作為に落ちているカードで、拾った人が誰でも使用可能。大抵はダメージ軽減の「回避」です。そしてそれを最も多用するのが主人公の遊矢。
遊矢の切り札はほぼこの回避です。ただ落ちているカードを拾うだけ。それまでの主人公にあった、あっと驚く回避方法はありません。
「ちゅどーん」
こればっかり。面白さを心情とする主人公が、劣勢では常にワンパターン。なにこれ?ちなみにこのシーンは本当に飽きるほど出てきます。というか遊矢のデュエルでこれがない回はあまりありません。ようは勝ち筋がなく、その場しのぎでしかないデッキと脚本なんです。
恐ろしいことに主人公が直接絡まないデュエルはめちゃくちゃ面白い。そのデュエルを盛り上げる登場人物も個性豊かで際立っています。
主人公が何考えているのかわかりませんが、それ以外はちゃんと自分のスタイルが存在します。黒崎は復讐と妹のため。社長は世界を救うため。権現坂は仲間のため。ジャックは王者であるため。
例えばジャック・アトラス。5D'sでは主人公のライバルであり天然な面もありますが、今作では一貫して王者です。主人公の遊矢が「自称エンタメデュエリスト」であるのに対し、彼のデュエルは本気で面白い。「キングのデュエルはエンターテインメントでなければならない」という台詞がありますが、全くぶれない。遊矢と似て圧倒的な力で対戦相手をねじ伏せるスタイルであるにも関わらず、付け焼き刃ではないきちんとした王道を行きます。デッキ自体が自分の象徴であるレッドデーモンズを中心に組まれており、それを展開しつつ防御や攻撃を丁寧に処理していきます。大げさな演出も含め、ちゃんとデュエルできる数少ない逸材です。
ジャックVSセルゲイとかいいですよね。ジャックの堂々としたデュエルと、セルゲイの偏執的なまでの美学がぶつかります。自分が一番、自分が勝ちたい、絶対に負けない。そういう自我がはっきりした同士がきちんとデュエルして勝敗を喫するという、ひどく一般的な構図が、この作品には殆どありません。それが叶う場面が時々あるから評価が難しいんです。
まあ基本的にその全てが遊矢にとっての噛ませ犬でしかないので、最高の材料を使って泥団子を食べている雰囲気を味わうのには最適です。
酷い脚本だって短い期間なら許せるものです。でもこのアニメは3年間続きました。アホみたいな脚本に3年間です。それに付き合った自分はもっと馬鹿ですね。
最初の2クールで異世界に行く人員を選別する予選みたいなものが行われますが、これがムダに長い。こんな2クールかける意義が全然わからないほど内容が薄っぺら。そしてシンクロ次元編が異様に長い。まあこれは監督やスタッフが元々5D's作っていた関係なんですが、それにしても長い。おかげで融合やエクシーズが薄い薄い。融合次元が敵の総本山なのに、結局尺が足りないのか飛び飛びな印象でしかないんです。
最終的に遊矢は世界の敵として君臨します。ペンデュラム自体が忌むべき存在だったというオチですが、アニメの質も同時に呪われていました。
ただ、主人公が悪になってしまう経緯ってもっとキチンとしてほしいんですが、当然この作品にそれを望むことはできませんでした。各種の伏線はあるものの、遊矢の戦いが世界を救うための行いという側面があってこその悪堕ちなわけです。はっきりいえば遊矢は声のでかいだけのモブ。それが悪堕ちしても虚無感しかありません。
主人公としての信念は他人の言葉をただ繰り返すだけ。中身が本当にないんです。しかもそれを劇中のジャック・アトラスから「誰かからの借り物の言葉でデュエルをするな」と言われている。いや本当に視聴者が思っていることをずばっといってくれるキングです。素晴らしい。そう、作品自体が遊矢を主人公と認めていないんです。にもかかわらず遊矢は一切成長することなくそのまま悪堕ちします。成長した末にではありません。なんとなくです。
本当に何がしたい作品なのか見当がつきません。
まあ他にも、顔がそっくりではないそっくりキャラとか、悪役としては随分小物なハゲオヤジとか、同時期放映の鉄血でも散々な社長役だった細谷さんとか。ツッコミどころ満載ですが、そこそこ面白い作品ですよ。Arc-V。
に続き備忘録として簡単な感想と一緒に当時見ていた作品を書き記してみたい。
志村貴子さんの名前に惹かれて見始めたけど、やっぱり1クールであの内容をアニメ化するのは尺が足りなさすぎて無理だったと思う。声優さんのキャスティングは好きだったけど。
最初は特殊な武器を使った能力バトル物?と思わせておいて、1クール目の終盤でロボットアニメである事が発覚する作品だった気がする。3DCGアニメだけどキャラクターは皆可愛らしい感じで結構僕の好みだった。
インチキアメリカ人口調で喋るCV細谷佳正さんのキャラとか強烈で中々印象に残っている。ラスボスを倒した後のエピローグで「これからどうすんの?」→「皆で旅に出ようか…」って感じの終わり方だったような記憶がある。
監督を務めた桜美かつしさんは評判が悪かったけど、このアニメは殆ど文句を見ないほど良い出来だったと思う。僕は桜見かつしさんが以前監督を務めた某アニメも個人的には好きでした。
魔女のお姉さんが遠くから田舎にやってきてホームステイするって感じの作品だったと思う。ほんわか出来る穏やかなノリで好きだった。放送当時最終回を見逃してしまったけど、この前一挙配信があって嬉しかった。
イケメン達が能力バトルする漫画のアニメ化作品。女の子達も可愛い。モブは本当にモブって感じ。人気のある声優さんをとことん集めたなーって思える豪華な声優陣。
原作について気になる話も聞いた事があるけど、アニメを見る分には関係ないから気にしない。ラックライフのEDテーマがどれも本当に良いんですよ。三期まで作られたのはやっぱり人気があったんだろうなと思う。
大人気ダークファンタジー漫画の二度目のTVアニメ化。どこまでアニメ化してたっけ?モズグス様の声が小山力也さんで滅茶苦茶強そうだなぁと思った。
魔女シールケのお師匠様フローラさんの声がPS2版と同じ島本須美さんだった事に放送当時感動した。ドラゴンころしの正に鉄塊を何かにぶつけたようなSEが好きだった気がする。
リバイバルという少しだけ過去に遡る事の出来る能力を持った主人公が、小学生の頃に何者かに殺害された同級生を救うために大人の頭脳を使って必死に頑張る作品。
とにかくヒロインの女の子が可愛い。OPとEDも作品の雰囲気にマッチしていて素晴らしい。アニメ放送中原作が未完だったため終盤はアニメオリジナルの展開になったらしいけど、アニメだけを見ている分には違和感無く楽しめた。
1クールでよくこんな濃密な作品が出来るんだなぁ…と今でも感心する。ヒロインの女の子はそうなっちゃうんだ…という展開は当時中々反響があった覚えがある。
大丈夫!私が来た!が決め台詞の異能力ヒーロー学園漫画のアニメ化作品。タイムボカン24の中でネタにされていた事もあって期待しながら見た。
原作漫画を読んでいないのが先の展開を一切知らない新鮮な気持ちで視聴出来たのは良かったと思う。やっぱりこのアニメも主題歌がどれも好き。現在四期まで放送されているけどやっぱり人気があるんだなぁと思う。
キャラクターは轟くんが特にお気に入りだった。ジャンプで熱気と冷気を一人で操る事が出来るキャラといえばフレイザード様が思い浮かぶけど、味方になるとこんなにカッコ良くて頼もしいキャラになるとは驚いた。
放送当時マクロスシリーズ最新作だった作品。今度のマクロスが主人公がダンスで戦うのか!?と1話から度肝を抜いてくれたのは非常に印象深い。その後ダンス要素はあんまり無かったけど。
最新作だけどFを見ている事を前提に作られているような気がした。ヒロインは歌うけど「歌姫」ではない、ジーナス家の人間は登場するけど「天才」ではないなど、シリーズのお約束をあえて外してきている感じがした。
とにかく歌姫・美雲さんの存在感が凄かった。メインヒロインでは無いにも関わらず、OPでも作中での楽曲でもこの人が中心的存在だと一発で分かる歌唱力を披露してくれた。 歌唱担当のJUNNAさんは当時15歳だったらしい。
レーザーをまるでスロー再生のように視認出来るキャラが居るなど、地味にマクロスパイロット最強候補が居る作品ではないかと思う。2クール目からはよく敵本拠地に潜入するアニメだったような気がする。ヒロインが2人とも好きだった。
1話がエッチそうだったのでそこから釣られて見てしまった。その後はあんまりエッチでも無かったけど…。主人公がショタ化して声が南央美さんになる回が好きだった覚えがある。
大人気異世界ファンタジー。主人公が酷い死に方をしては時間を逆戻り、また酷い死に方をして…という作品。可愛らしいキャラデザに反してあまりにグロテスクで痛々しい描写が多いので、可哀想で見ていられない時がある。
頑張ってようやく状況を改善し主人公のスバルくんも前向きになったと思ったら、もっと酷い事が起きたという展開の繰り返しでお話が進んでいく感じ。先が気になる面白い作品であるのは間違いないけど、人気の高さに驚く事がある。
青い髪の女の子レムが作品で一番人気のヒロインらしい。僕は主人公のスバルくんを拷問にかけ殺さないように挽き肉にした怖い女の子という印象がある。とにかくバッドエンドでのスバルくんは酷い目に遭いすぎて悲しくなってくる。
先日4年振りに二期が製作されて、あまりの作風の変わらなさに少し安心してしまった。一期と二期の間に劇場版が二回作られた事と本当に人気の作品なんだなぁと感じる。もう4年前の作品という事にビックリですよ。
EDの曲がとにかく熱いボクシングアニメ。この作品が作られている時に内海賢二さんと永井一郎さんが鬼籍に入られたらしい。若い頃の会長と猫田さんの声がそれぞれ宮野真守さんと吉野裕行さんだったのは意外な感じだった。
大人気戦う変身少女シリーズの第一弾。放送当時見ていなかったのでこれが初めて見るプリキュアだったけど、人気が出るのも納得の作品だった。
その後のシリーズではおなじみとなる要素がまだこの頃は取り入れられていないので、今改めて見ると逆に新鮮な気持ちになりそう。
とまらない未来を目指してゆずれない願いを抱きしめて色褪せない心の地図を光にかざそうとするアニメ。原作はなかよしで連載された少女漫画作品だけど、アニメは後半から漫画と違う方向の話に進んで新鮮だった。
イーグルという第二部から登場するキャラの出番が漫画と比べて大分多かったのが嬉しい。ラスボスを演じるアニメオリジナルキャラの声は高畑淳子氏で非常に存在感があった。アニオリが多いアニメって今見ると懐かしい感じ。
緒方恵美さんのエメロード姫とイーグルの完璧な演じ分けには驚かされた。OPは有名な一つめと三つめに挟まれた二つめの「キライになれない」が僕は一番好きだった。
ふたりはプリキュアの続編でプリキュアシリーズ第二弾。追加戦士のシャイニールミナスが登場して当時人気を博したらしい。
内容はよく覚えていないけど正直マンネリのような物は感じた覚えがある。それでもクイーンとジャアクキング様の戦いに終止符が打たれ世界に平和がもたらされたのは良かったと思う。
ふたりはプリキュアシリーズの三作目。当時はマンネリと言われてシリーズで一番セールスが振るわなかった作品であるらしいけど、僕はプリキュアシリーズでこのSSが好きだった。主役二人が前作と似ている事は否定出来ないけど。
まず主題歌の全てが素晴らしい。ガンバランスdeダンスは続編の5にも引き継がれた初期のプリキュアを代表とする名曲ではなかろうか。勿論OP曲も素晴らしい。ひたすら前向きで応援してくるあの曲が僕はシリーズで一番好きだ。
敵にコメディ要素が増えたのも面白い。その代表的なキャラはやはり後半に出てくるキントレスキー様だろうか。敵でありながら自然に主人公のお父さんの経営するパン屋さんにジョギングで訪れパンを食べて帰る姿には驚かされた。
初代プリキュアのキリヤ君で一度通った道でもあるけど、敵として現れたキャラが本格的に味方になってくれる初めてのプリキュアでもあったと思う。人間の情に絆され味方になってくれた満と薫は今でもSSファンに高い人気を誇る。
個人的な好みだけどこの作品で主人公の咲が恋する舞の兄和也さんがカッコいい。歴代プリキュア男性キャラの中でもかなり好きなキャラだった。作品としてはラスボスだと思われたキャラが実は…という意外性が最後まで面白かった。
以前見た事がある作品だけどやっぱり地上波で放送してくれるというのは嬉しいし有り難い事だと思う。
ガンダムに並ぶリアルロボットアニメ作品として名高いボトムズシリーズの第一作。OP「炎のさだめ」は歌詞だけでもある程度作品の雰囲気が把握出来る名曲。EDの切なくて湿っぽい雰囲気も好きです。
ウド編までは以前DVDで見た事があったけど、そこから先は未見だったので新鮮な気持ちで楽しめた。ミリタリー的な作品としても大人気だけれど、離れてもお互い恋い焦がれる男女を描いたラブストーリーの話だと思う。
主人公キリコはああ見えて19歳の青年なのでお酒を飲んだ事が無く、初めてお酒を飲んだ時むせてしまうのが可愛らしかった。宇宙船の中で二人きりで良い雰囲気のキリコとフィアナをもう少し長く見ていたかった。
終盤クエント星についてから進んだ化学は魔法と見分けが付かないという事なのか、妙にファンタジーチックな描写が増えて驚いた。初代ガンダムもそうだけど、SF作品の終盤でいきなり幻想的な展開が始まるのはお約束なのかな。
最終回でキリコとフィアナが同じカプセルの中で眠りについて作品が〆られる所を見て、やっぱりこの作品はラブロマンス物だったんだなぁと改めて思った。続編や前日譚もいつか見てみたいけど…どうも悲しい展開が待っているらしい。
アルティメット・スパイダーマン ウェブ・ウォーリアーズの続編。スター・ウォーズの後、スパイダーマンが帰ってきました。映画のスパイダーマンシリーズに出て来ないヒーローやヴィランも沢山出てきてそういう意味で面白かった。
このアニメのお陰でその後実写化されたマーベル・コミック原作の映画に「あ、アルスパで見たあのキャラだ!」と思えるようになった。コミカルに戦うスパイダーマンを見ているだけで楽しいアニメでした。
アルティメット・スパイダーマン VS シニスター・シックスの後番組として始まった。スパイダーマンの次はアベンジャーズ、という訳でこの頃は丸2年アメリカ産のTVアニメを見て喜んでいた。どれも面白かった。
よく覚えていないけど、時期的には映画より先にサノスやウルトロンとアベンジャーズの戦いを描いてた気がする。アベンジャーズが分裂した際に、スパイダーマンがゲストとして登場した時は嬉しかった。1話限りの出番だったけど。
高橋留美子先生の短編集をアニメ化した作品。OPの曲が好きだった。
原作の掲載誌が青年誌という事もあってか、サンデーで連載している他の高橋留美子作品のアニメより生々しく重い話が多かった。高橋留美子先生という人はこういう話も描ける人なのか…とこの時驚いた。
出演されている声優陣の顔触れが非常に豪華で、これまで高橋留美子作品のアニメに参加した人も多数参加されている所も見所の一つだった。
宮崎吾朗監督と川崎ヒロユキさんがタッグを組んで生まれた作品。原作は外国の児童文学らしく、台詞回しも外国の本を翻訳したような感じで何とも独特。
個人的に宮崎吾朗監督の作品の中で一番好きだった。OPもEDも良いんですよこのアニメ。ボーイ・ミーツ・ガール物やロミオとジュリエット物としても素敵な感じ。鳥女がホラー作品並に怖かった。
ファンタジーな世界での戦記物作品。内容はよく覚えていないけど、主人公の声が岡本信彦さんでヤン提督みたいな雰囲気だった事は覚えている。
抜けもあるかもしれないけれど、とりあえずこんな感じだったと思う。2016年は今振り返っても本当にアニメが多い年だったんだろうか。
何より驚いたのは、リゼロが話題になったのがもう4年も前という事だった。4年って、あっと言う間ですね。怖いですね…。
【訂正】
機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争が地上波で再放送されたのは2017年でした。
最近「あれ、あのアニメってもうそんなに前だっけ…?」と思う事があって、とてもショックを受けた。
そこで、あれは何年前の事だったか…とすぐ思い出せるように、備忘録代わりに数年前見ていたアニメのタイトルを簡単な感想と一緒に50音順に書き記してみようと思う。
シリーズファンには不評だったらしいが、ロゴスは初アクエリオンだった僕は問題なく楽しめた。
作品の後半に登場する主役機の名前は「アクエリオンディーバ」なのだが、何故番組名が「アクエリオンロゴス」なのか最終話で分かるシーンはグッと来た。
この作品のお陰で、僕は長年積んでいたアルスラーン戦記を崩し一気に読む事が出来た。
初期EDのアルスラーン殿下が非常に可愛らしく、僕はしばらくの間小林裕介さんと花江夏樹さんの事を女性ではないかと思っていた。
藍井エイルさんのラピスラズリはCDも買った。ところで、このアニメで使われたKalafinaの楽曲は以前発売されたアルバム「Seventh Heaven」に収録された物とそっくりだと思った。
OVA版でうしおの声を担当した佐々木望さんが今作でも終盤重要な役割にキャスティングされているのにはニヤリとした。
林原めぐみさんの演じる白面の者、斗和子はイメージが原作を読んで感じた雰囲気にピッタリだった。主題歌もどれも好きだった。
大人気アニメ。視聴したのが結構前の事なので内容を大分忘れている。
六つ子が皆で麻雀をやる回が好きだった記憶があるけど、あれは一期だったか二期だったかよく覚えていない。
一期は概ね好評だった印象があるが、僕は一期より二期の方が好きだった。
僕はこの作品に登場するモビルスーツ・グレイズがガンダムシリーズに登場する機体の中で一番好きで、初めてガンプラに手を出してしまった。
これまで高橋留美子作品に出演した声優陣が多数出演なさっていて、そういう意味でも楽しめる作品。主題歌がどれも好きだった。
結局原作の最終回までアニメ化する事無く一旦終了してしまったけど、犬夜叉の続編が始まってしまったので続編は望み薄かもしれない。
アニメオリジナルエピソードに結構尺が割かれており、原作読者には賛否両論らしいけれどアニメから入ったファンには概ね好評らしい。
今でも血界戦線ファンの間でアニメ肯定派と否定派が喧嘩をしている所を見かけて嫌になる。僕は終わってみればアニメはアニメで悪くないな、と思った。
1クールロボットアニメ。fhánaの主題歌が本当に素晴らしい。
進化する毎に弱くなっていく主役機を始め色々と突っ込まれる駄目な所も多い作品だけど、僕はそこまで嫌いじゃなかった。
今思うとラブコメ作品でOPもEDも男性ボーカルが歌う作品って珍しいんじゃないだろうか。コミックスも買ってみたけど、内容はほぼ原作通り?だったんだろうか。
声優さんに釣られて見てしまったミュージカルアニメ。もろに女性向けの作品なんだろうけど、最新作まで全て見てしまった。
シリアスな話をしていた筈なのにシームレスにミュージカルパートに入る所が歌劇的で面白い。この作品もやっぱり主題歌が好きだなぁ。
あれです。あの、エッチなアニメです。エロに釣られて見ました。
所謂モン娘アニメの火付け役?はこの作品って事でいいのでしょうか。記憶だとパピちゃんがエロかったような気がします。
ブラック・ジャック先生が若かりしころの姿を描いた漫画のアニメ化作品。当然作者は手塚治虫先生ではない。
この作品を作った人は手塚治虫先生の作品が好きなんだろうなぁ…と作品内のオマージュ要素を見て何となく思った。
ブラック・ジャック先生が「若い頃の自分を思い出している」という形で大塚明夫さんがナレーションを担当しているのはグッドだった。ところどころ女性向けっぽい描写もあった気がする。
パンチ一発でどんな奴でも倒せてしまうとんでもなく強いヒーローが主役の奴。
作画がとんでもなく良くて国内のみならず国外でも非常に高い人気を誇るとか。その反面二期は色々と評判が良くないらしいけど、僕は二期も好きです。
声優の古川慎さんの名前を初めて知ったのはこの作品からだったと思う。EDを森口博子さんが歌ってたりして2015年のアニメなのに凄いなぁと思った。
所謂赤ルパン。見始めたのは途中からだったけれど、一応最後まで視聴出来た。やっぱりルパン三世のテーマは何十年経っても色褪せない名曲だと改めて思う。
宮崎駿氏が手掛けたシリーズの中でも評判の良い回も見れた。ただ宮崎監督はこのルパン三世 PART2を快く思っておらず、その当てつけでああいう話を作ったと聞くと複雑な気持ちになる。
所謂緑ルパン。記念すべきルパン三世シリーズの第一作目。OPが3種類もあるけれど、どれも個性的で素晴らしい。EDもいいよね。
1クール目は現在のルパン三世に比べるとシリアスな印象が強く、ルパンも義賊というよりプライドが高い悪党という感じ。
2話にしてルパンが処刑されたと思い涙を流す不二子ちゃんなど貴重な所も見える。番組の後半からはファミリー向けというのか、皆が知っているいつものルパンになる。ルパンって本当カリオストロの城っぽいノリが多いと思う。
所謂ピンクルパン。赤ルパンや緑ルパンを知っていてもこれを知っている人はあまり居ないと思う。結構人を選ぶらしい。
OPはルパン三世のテーマとかかじゃないんだけどルパンのイメージに合致しててとても良い感じだと思う。番組の後半から明らかに作画の雰囲気が変わるからそこから人を選ぶ感じかな。
PART2と比べると山田康雄さんと納谷悟朗さんの声が大分しんどそうな感じだった。最後に山田康雄さんが演じたTVルパンって事でどうしても哀愁のような物を感じてしまう。
魔法少女物。90年代ってこういう作風が流行っていたんだろうなぁという感じがする。これも主題歌がどれも好きだった。
ネットでは暗い作品として有名だけど、実際に見たところ前半は割と普通の魔法少女物で後半から露骨に暗い雰囲気になったと感じた。
現在放送中のヒーリングっど♥プリキュアもこんな感じの作品にならないよな…と不安半分期待半分で見ている。
ある年代よりの下の人間には「タイトルと主題歌は有名だけど実際に見た事は無い」ってアニメの結構上位に入りそうな作品だと思う。
ピョン吉の声がのび太のママ役の千々松幸子さんで、ひろしの母ちゃんの声がのび太くん役の小原乃梨子さんな事に結構衝撃を受けたでヤンス。
ひろしの母ちゃんはひろしがどんなに悪い事をしても決して怒らない良くも悪くも優しい人なんだけど、ひろしが他人から馬鹿にされた時だけは鬼のような形相になって怒る人なのは、何というか生々しい母ちゃんって感じもした。
登場するロボットがマクロスそっくりだなぁと思ったら、マクロスと同じタツノコプロが作っていたアニメ。とにかく音楽の雰囲気がお洒落で素晴らしい。
ルーク・スカイウォーカー以外で島田敏さんが主人公を演じている数少ない珍しい作品でもあるんじゃないだろうか。
異星人が敵として登場しながら宇宙では殆ど戦わずほぼ地球での戦闘がメインという珍しい作品。スパロボのα外伝が好きな人なら雰囲気を好きになりそうだと思った。勿論僕は好きになった。
窪田正孝さん主演のドラマ版デスノート。視聴者が原作漫画や実写映画を見ている事を前提に意表をついてくるような展開が面白かった。
夜神月は天才高校生では無く凡人大学生、ミサミサは人気アイドルでは無く地下アイドルなど、原作と似て非なる設定から展開されたオリジナル展開は新鮮だった。
特に物語の終盤で父総一郎に自分が殺人鬼キラである事を見破られてしまった月が、父の遺体からデスノートを引き剥がし我が物とするシーンの迫力は…このドラマ版ならではの物だと思う。
ニアとメロが二重人格設定で原作とはまるで別物だったのだけはどうにか出来なかったのかなと思ったけど、どうにか出来なかったんだろうから仕方ないと思う事にする。
化物語などで知られる西尾維新先生の小説の実写ドラマ版。とにかく新垣結衣さん演ずる掟上今日子さんが可愛い。
原作小説は読んだ事は無いけど、西尾維新先生の作品が初めて実写化されたというのはやっぱり感慨深い。とにかく新垣結衣さん演ずる掟上今日子さんが可愛い。
また続編を作ってもらえたら嬉しいけど、5年も経ったから流石に無理かもしれない。でも逃げ恥だって続編が作られたんだからこっちも原作ストックがあるならまたドラマ化して欲しいと思う。
上川隆也さんがもっこり男の獠ちゃんことシティーハンター冴羽獠を演じるドラマ作品。
シティーハンターの続編エンジェル・ハートは未だに未読だけど、上川さんの演じる冴羽さんはかなり雰囲気がハマっていたと思う。
ところで北条司先生の作品っていつも父と子の愛情が物語のテーマになるのは偶然では無い気がする。
スパイダーマンのTVアニメーション作品。所謂サム・ライミ版のスパイダーマンしか知らない人は本作を見て実写映画版とのノリの違いにビックリすると思う。僕はビックリした。原作コミックの雰囲気にはこちらの方が近いのかもしれない。
とにかくスパイダーマンが陽気でお喋りな性格で、毎回大変な事件に巻き込まれるも軽快にお喋りをしながら解決していく。最初は映画版と全然雰囲気が違うな…と思いながら、慣れてからは楽しんで見ていた。
余談だけど、このアニメ版スパイダーマンを見て「スパイダーマンはこんな奴じゃない」と馬鹿にする人も結構居たんだとか。サム・ライミの映画がいかに日本でのスパイダーマン像を固めたか、この一件で分かった気がした。
スター・ウォーズのアニメーション化作品。時系列的にはEP3とEP4の間の話らしく、銀河帝国によるジェダイ残党狩りが盛んな時期の事なんだとか。
スター・ウォーズ/クローン・ウォーズというアニメの続編にあたる作品らしいけど、この作品単体でもスターウォーズのスピンオフ作品として楽しめた。それでも前作から続けて見た方がきっと面白かったんだろうなと思う。
アニメ作品という事で子供も見る事を考慮しているのか、ライトセーバーで人の体を切断するような残酷なシーンは無かった。それでも、ヌルヌルと動くライトセーバーを使った戦闘シーンは非常に迫力があった。
抜けがあるかもしれないけど、ひとまずこんな感じだろうか。
こうやって並べて書いてみるだけでも、「あれ、これもう放送して5年以上経つんだっけ…?」と感じて怖い。時間が過ぎ去るのは本当に早い物だと思った。
スクエニが女性向けに製作したアプリゲーム「ワールドエンドヒーローズ」が2020年8月20日にサービス終了する。それに伴ってメインストーリー、サイドストーリー(キャラクター15人の過去や心情にフォーカスした物語)が全話解放された。
私が主張することはただ一つ。
オフライン版でもいいからワールドエンドヒーローズを読んでください。お願いします。
私もかつて友人に勧められた時、「女性向けゲームかあ…」とか「どうせ今流行りの乙女ゲームみたいなキャラ萌えストーリーなんだろうな」とか、完全に舐め切っていた。最初の数ヶ月はログインだけしていた。
舐め切ってた。面白すぎる。
今までやったゲームで一番面白いストーリーだし、一番キャラクターが人間として魅力的だった。
「名作」と呼ばれるアニメ作品などにも全く引けを取らない面白さだった。友人には本当に感謝している。
他作品の名前を挙げて「これが好きな人には絶対刺さる」と言えばきっと理解されやすいが、それはネタバレになりそうなので言えないのが心苦しい。
様々な理由が重なり、ユーザーの力及ばずサービスは終了するが、ワヒロを知らない人は是非ストーリーを読んで欲しい。
知っている人は、ただの女性向けだと思って舐めないでください。
絶対読んでください。
・ヒーロー=圧倒的力を持つスーパーマンではなく「特別な力を手に入れた人間」であることが好き
・「ヒーローはみんなを守ってくれるけど、ヒーローのことは誰が守ってくれるの?」というテーマが描かれる物語が気になる
・キャラに人気や出演の格差がなく、全員の背景や心情がしっかり描かれる
・人の葛藤や闇がしっかりと描れるのが好き
・伏線回収がすごい話を読みたい
ワヒロは女性向けと称されてサービス開始したものの、本当の魅力は上記にある。
メインキャラに女性が1人もいないので、その点に関しては女性向けと言っていい。だがユーザー視点である「指揮官」とのイチャイチャはゼロ。むしろほとんどのキャラは指揮官に対し「お前いたの」くらいの扱いなので、男性も是非プレイして欲しい。
詳しい内容はネタバレになるので、公式サイトを前情報としていただきたいが、少しでも「読んでみたい」と思ってくれた方へ向けて簡単なあらすじを以下に記す。
勢いに任せて書いた拙い文章をここまで読んでいただき、本当に本当にありがとうございました。
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1世紀前、隕石と共に出現した喰核(しょっかく)生命体「イーター」。星の核を蝕むイーターに対抗するため、地球は人間に「血性」という力を与えた。
血性を持ち最も力が発揮される年代である少年たちはやがて「ヒーロー」と呼ばれるようになり、対イーター機関である「ALIVE」がヒーロー活動・教育を支援する学校をいくつか指定した。
都内23校のうち、5校が特に優秀とされ、そこに所属するヒーローがストーリーのメインキャラとなる。
変わり者が集まる「崖縁工業高校」
豪華絢爛な「ラ・クロワ学苑」
不良たちが集う「風雲児高校」
15人のヒーローがそれぞれの信念、それぞれの想いを抱きながら「世界の終わりのヒーロー」として立ち向かっていく物語。
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こういう人はいた https://anond.hatelabo.jp/20180123200155
pixivに大好きな二次創作がいくつもあるけれどそういえばブクマはしていない。
気難しい同人女性の話を見聞きして(変なタイミングでファンコールをもらうと作品を消すとか、特定カップリング好きじゃないと関わりを嫌がるとか)何もなければ静かにしていようと思ったのはある。
自分自身に限って言えば、「消費」しかできないほど感性が乏しいというのもある。アニメ作品を見たとしても感想を言語化できないから、Twitterでは他人の呟く解釈を見る。Twitterが消えると作品を楽しむ手がかりも消えてしまうから悲しい。
二次創作も解釈の形だと言われるけど、読解力が低いから二次創作の漫画や小説だけ見てもただ突き放された気分になって、どういう感想を抱けばいいのか、「いいね」を押していいのかもわからない。そんなとき「こんなことをしているキャラが見たくて書いた」とか作者が説明していると理解して安心する。そういうヒントも本人のTwitterで見つけることが多いからTwitterが消えると悲しい。
メッセージを送った人たちはお返しをしていないように見えて、実はpixivで「いいね」や非公開ブクマをしているのかもしれません。
twitterでたまに、男オタクは女や非オタク男と比べて「男は仕事、女は家事」のような性別役割分業を支持する割合が高く保守的である、という結論の棒グラフが回ってきているのを見かける(例:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/phanomenologist/status/1228500960588124163)。あれはしばしばフェミニストによって「男オタクの女性蔑視の表れ」のように引用されるが、そもそもどういう文脈で出てきた棒グラフだったかちゃんと確かめた人はいるのだろうか? そして、あのグラフをめぐって学者同士の意見が対立していることはどのくらい知られているのだろうか?
ということで、以下であのグラフが出てきた文脈を紹介してみるよ! なお、増田は男オタクだけど、統計とか専門外だよ!
あの棒グラフの出典は、社会学者の北田暁大による若者と趣味に関する研究の一節である(北田 2017: 291)。だがもちろん研究というものはそれだけで完結するものではなく先行研究の積み上げた文脈のもとに成り立つものだ。そして北田(2017)が特に目の敵にして批判しているのが、心理学者の山岡重行による研究である。山岡は2016年の単著において腐女子を心理学的に分析し、腐女子の恋愛観だけでなく彼女たちに向けられたイメージについても論じた(山岡 2016)。
山岡の研究はどう評価すればいいのか難しい。確かに興味深い点が多く、たとえば2015年時点でもオタクに対する否定的イメージが存在し、そのなかでも腐女子は同じオタクからも否定的に見られているということを学術的に明らかにしたこと(山岡 2016: 99, 132)などは、オタクのあいだでは公然の事実とはいえ一定の意義があるだろう。しかし一方で、男オタクと腐女子は相性が良いんだからもっと恋愛すればいいのにというようなアドバイスは大きなお世話というかクソバイスの極みであり、腐女子の心理について質問紙調査のみに基づいてものを言うのはいいとしてもBL作品の構造を論じる上でテキストクリティークを欠いていることは理解しがたい(山岡 2016: 229-230)。山岡はデータに基づく研究の重要性を主張するが、物語の構造などの質的な面に踏み込むのであれば、数字で示されたデータだけでなく様々なテクストに当たって読み込むという人文学的な手法を採用する必要があるはずだ。心理学の実証研究としては面白いが、実証以外の部分で余計なことを言い過ぎている、という評価をするのが最も良いだろうか。
では、それを批判した北田の研究はどのようなものなのだろうか。実はこれ、読んでみるとわかるがかなりのツッコミどころの塊なのだ。
まず、北田がこの調査で用いた方法論について確認してみよう。北田が依拠しているのは、2010年に練馬区の1988年~1990年生まれの男女に対して行った調査である。つまり、2020年現在のアラサーに対して10年前に行われた調査に基づくデータである。このデータは、北田が中心となっている若者の趣味についての共同研究の一環として採られたものであり、北田(2017)が収録されている本に収められた他の論文も同様にこのデータを出典としている。
北田は、東浩紀(2001)のデータベース消費論に依拠しつつ、男オタクの消費が東の言うようなデータベース消費である一方で女オタクすなわち腐女子(ここ、「ん?」と思う人が多いだろうけどとりあえず脇において続きを読んでほしい)の消費が関係性消費である、という先行研究で提示される図式を踏襲する形で分析を進めていく。当然、ではこの論文で言う男オタクと女オタクってのはどんな集団を指すんだ、腐女子かどうかはどうやって決めるんだ、という操作的定義が求められるわけだが、北田がどんな定義をしているのかを以下で見てみよう。
北田はまずオタクの操作的定義を示すが、この時点で首を傾げてしまう。たとえば「ライトノベルが好きだ」という質問はいいとして、「マンガがきっかけでできた友だちがいる」や「アニメがきっかけでできた友だちがいる」という項目は、そりゃそれに当てはまるオタクは大勢いるだろうがコンテンツがきっかけでできた友人がいるかどうかはオタクとしての本質に何も関係ないよね? もちろんこの研究では若者と趣味というテーマを掲げていて、趣味と人間関係がどう連関しているかという点も研究対象に入るわけだからそういう質問項目が悪いわけではないのだが、それをオタクの定義に使われると困惑するほかない。やめてください! 友達がいないオタクもいるんですよ!
そして北田は、上記のような質問で定義した「オタク」を更に「二次創作が好きか否か」で分類する。つまり、オタクを「二次オタク」「非二次オタク」に区分し、それをさらに男女で分けるわけである。そしてこの「二次創作好き」というのを定義する指標として「マンガの二次創作(同じ登場人物で、原作のストーリーとは違うストーリーを考えたり読んだりすること)に興味がある」(北田 2017: 270)というのを持ち出している……えーっと、これだと、『銀河英雄伝説』も『炎の蜃気楼』も『東方』も『アイドルマスター』も原典はマンガではないので当てはまらないのではないか? この調査の後にヒットした『ラブライブ!』も『艦隊これくしょん』も『刀剣乱舞』も『ユーリ!!! on ICE』も、いずれも原作はマンガではない。仮に私が当時練馬区に住んでいてこんなアンケートを渡されていたら、「私が買っているのはアニメ作品の二次創作なんだけど……」と回答に悩んでいたことだろう。「作品」「コンテンツ」とでも言い換えれば済むところをなぜ「マンガ」と表現したのか理解に苦しむ。ゲームを全部ファミコンと呼ぶおかんかよ(この喩えもいい加減古くなってきたな……)。
さらにこの調査は、「二次創作が好きな女性オタク(女性二次オタク)」と「二次創作が好きではない女性オタク(女性非二次オタク)」を区別しているが、肝心の二次創作の中身については区別していない。つまり、BL同人を読んでいようが男女カプの二次創作をしていようが「女性二次オタク」だし、商業BLや一次創作同人専門の読み手で二次創作に手を出していなければ「女性非二次オタク」である。つまりこれは、二次創作が好きなオタクを析出することはできても、本質的に腐女子を析出できる調査ではありえない。もちろん同じことが男オタクにも当てはまり、女キャラが無駄に淫乱になって男相手にサカる同人誌も女キャラ同士がプラトニックにイチャイチャする同人誌も同じ「二次創作」である。種つけおじさんレイプと百合を区別できない質問項目をもとにデータベース消費と関係性消費の対立みたいなこと言っていいのかな……いやダメでしょ。
だが北田の定義のおかしさはこれに留まらない。彼はなんと、「二次創作好きでオタク度の高い女性を『腐女子』という言葉でまとめあげることにはもちろん問題がある。二次創作好きとBL好き、やおい好き、女オタクなどの差異を孕んださまざまな概念が交差する地点に『腐女子』概念は存在している」としつつも、便宜的に「『二次創作好きで、オタク尺度が高位2層である女性』を、操作的に腐女子と」定義している(北田 2017: 307)。はぁ???
言うまでもなく、腐女子の全員が二次創作に興味を持つわけではなく、二次創作に興味を持つ女性オタクの全員が腐女子でもないのだから(男女CPや百合の愛好者はどうすればいいんだ)、この段階で北田が研究対象を正確に捉えられていないことがわかる。「BLが好き」という質問項目を入れてないのに「腐女子」の操作的定義なんてできるわけないだろ! この問題については山岡からもtwitterでツッコまれているほか(https://twitter.com/yamaokashige/status/1131363111636615168)、「興味」と「嗜好」を区別すべきだとも批判されている(山岡 2019: 21)。妥当な指摘だろう。意地悪なこと言うけどさ、これを注に放り込んでるのって悪意ありますよね?
さらに、男オタクに関しても、「二次創作好きオタク男性≒ディープな男性オタク」(北田 2017: 294)と記述している。当たり前だが二次創作にはたいして関心もないがディープなオタクはいるだろうと言わざるを得ない。声優のおっかけを熱心にやっているオタクはディープなオタクではあるかもしれないが二次創作が好きなオタクとはいえないだろう。
総じて、北田の研究は、オタクとしてディープであるか否かとか腐女子であるか否かといったことを、すべて「二次創作が好きか」で測ろうとしている。だがそれはとんでもない勘違いである。二次創作が好きな人とディープなオタク/腐女子であることとの間にはある程度の相関関係はあるだろうが、あくまで論理的には一対一で対応しているわけではないのだから、ディープなオタクを定義したければ注ぎ込んだ時間やカネや知識量を、腐女子を定義したければBL趣味の有無を、それぞれ尋ねるべきだったのだ(特に、客観的な測定が困難な「ディープなオタク」と違って、腐女子かどうかは「BLが好きだ」という項目を入れた上で性別と組み合わせれば一発で判定できるのだから、ここで手抜きをしているのは許しがたい)。
少なくとも山岡の著書にはパッと見で「おかしいぞ?」と思うような操作的定義はあんまり見当たらなかったのに、北田の論文の操作的定義はパッと見でもわかるツッコミどころが多すぎる。これもうどんなグラフ出されても信用できないでしょ。データの処理とか以前に操作的定義がおかしいんだもん。
で、北田にさんざんdisられた山岡は別の著書(山岡 2019)を発表して北田に反論している。個人的にはその議論はおおむね妥当であるように思えたので、詳しく知りたい人は山岡(2019)を読むか、彼のtwitterを見てほしい。私は統計とか詳しくなくて、前提となっている操作的定義のおかしさは指摘できても、標準得点に差があることは「対極にある」ことを意味しない(https://twitter.com/yamaokashige/status/1125940271298990080)とか、このへんはまったく気づかなかったので。
最後に、北田と山岡のどちらの研究もおかしい、と思ったポイントがあるので言及しておく。
北田のデータは練馬区の若者から採ったものであり、山岡のデータは都内の複数の私立大学の学生から採ったものである。つまり、東京圏に居住しているか、通える距離に住んでいる若者のデータに偏っており、さらに後者は大学生のみのデータとなっている。これが血液型性格判断の話であればいいかもしれないが(よくないけど)、オタク文化の拠点が東京などの大都市に集積していることと、就労等によって趣味との関わり方が変化すること、そして趣味に学歴が及ぼす影響を考えると、「東京圏の若者」のみに焦点を合わせて「オタク」の全体像を論じることは適当ではない。そこで集められたサンプルは、オタクコンテンツが身近に溢れていて可処分時間が多く学歴も高いオタクのサンプルに過ぎず、オタクの代表例とも若者の代表例ともいえない。
とはいえ、では他にどういう調査のやりようがあったのか? というと、思いつく計画がどれも高額の研究費を要求するものになってしまって個々人の研究ではなかなか厳しい。少なくとも、東京だけでなく日本全国(最低でも、大阪や札幌などの東京以外の大都市圏)からもサンプルを抽出することは必要だろうし、そのサンプル調査には大勢の非オタクも引っかかる以上はサンプル数もそれなりのものにする必要があるだろうし……こういう大がかりな質問紙使った研究ってやったことないからイメージ湧かないんだけどどんくらい金かかるんだろう。
それと、北田も山岡も統計的データを重視しているので、あえて質的な研究には踏み込んでいないのだろうが、それでもやはりいずれの研究も当事者の言説分析を欠いていることは大きな欠点であろう。オタクは自分たちについて膨大な自分語りを残してきており、それを悉皆調査すべきだとは無論言わないが男オタクや腐女子が自分たちのことをどう語っているのかも踏まえた上で論じられればなお良かったんじゃないかな。もちろんそれは大規模な質問紙調査並にめんどくさい手続きであり、代表性とかどうやって保証するんだ、という感じではあるのだが、せめてオタク自身の手になる非学術的な文献はもっと多く引用されていてもよかったのではないか。それは一歩間違えば大塚英志(2018: 136-140)が指摘するような当事者の営為を無視した簒奪的な研究にもなりかねない、と思う(もちろん彼らは文化そのものを論じているわけではないので、文化を論じる研究者に求められるほどの慎重さは要求しなくてもいいとは思うが)。
いやでもやっぱりこれ北田(2017)のほうがひどいわ。山岡(2016; 2019)の操作的定義を見てると、彼自身がオタクではないにせよ、趣味によってつながる人間関係のありようみたいなのを肌感覚でわかってるって感じがするけど、北田の定義はトンチンカンなんだもん。もしわかった上でやってるならクソだけど、仮に本気でああいう定義を持ち出してきたんだとしたら、それはもう根本的に趣味でつながる人間関係がどんな感じなのか肌でわかってないってことだよね。趣味人としてのリアルからかけ離れすぎてるんだよな。
あと北田の研究がひどすぎるからって社会学全般が悪く言われないといけない理由はないので念のため。北田の研究は別に社会学者なら誰もが参照してしかるべきみたいな位置づけのそれではないので……
よく分からんのだが、その北田氏の研究がいい加減なものだとしても
2007年の練馬区の若者においては、漫画やアニメが好きで二次創作を好む男が
これ、回答の平均値じゃなくて標準得点を元にしたグラフなのよ。標準得点をもとにそんなこと言えるか? って山岡が批判してるからそれ読んで(https://twitter.com/yamaokashige/status/1126035720122953729)。
ワイが間違ってたわ。言えるっぽい。すまん。
続きはanond:20200722142616で。
タイトルの通りで、上記のURLにて本日21時から「少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR YOU-完全版」が生ライブ配信(アーカイブなし)(アーカイブありでした)されるのでダイレクトマーケティングする。
暇だったら老若男女問わずぜひ見てほしい。
上手いこと文章をまとめる能力がないので箇条書きにて簡単に説明とおすすめポイントを並べていく。
「少年ハリウッド」とは、作品名および作品の主人公となるアイドルユニットの名前である。
同様の名前を冠した作品が舞台、小説、アニメに展開されたメディアミックス的なプロジェクト(『少年ハリウッド』自体の初出は2011年の舞台公演)なのだが、
主にアニメである『少年ハリウッド - HOLLY STAGE FOR 49 -』(2014)『少年ハリウッド - HOLLY STAGE FOR 50 -』(2015)を念頭に置いて触れる。
あらすじ等を書くのが苦手なので、アニメ公式サイトの作品紹介の一部を引用すると、
このお話は、劇場"ハリウッド東京"を拠点に活動するアイドルユニット「少年ハリウッド」が巻き起こす、ドタバタ青春アイドルサクセスストーリー! ……だったらいいのにな
ということらしい。
Makuake|TVアニメ「少年ハリウッド」第26話を完全版にさせたい!応援プロジェクト|マクアケ - クラウドファンディングにて資金を募り、
『少年ハリウッド - HOLLY STAGE FOR 50 -』26話「少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR YOU-」に新作パートを追加する形で完全版の映像を作ろう、という企画の成果物であり、主に映画館でのイベント上映で流される
『少年ハリウッド』26話自体はアイドルのライブ公演を再現しており、尺の都合上ダイジェスト版のような形式を取ることになったが(とはいえ作劇上の瑕疵は全くなく、必要十分な量なのだが)
完全版になることで約1時間のライブ公演1回分をまるまる描き切った。
全編ほぼすべてが観客目線で描かれており、3DCGによるダンスもなく、生歌(CD音源でない歌)もあるというかなり臨場感のある仕上がりで、この世に数多あるアイドルアニメ(のライブ回)と比べても独特な作品となっている。
クラウドファンディング自体も、6000万円弱集めたということで当時少し話題にもなった。(支援者一人あたり平均1.8万円程度)
それには2種類あって、1つ目は脚本家の持っているアイドル哲学(アイドル観)。
それが作品中に存分に投入され、かつそれが独りよがりなものではなく、各回の脚本はもちろん、全体の構成、そして「少年ハリウッド」の楽曲の歌詞において効果的に作用している。
アイドルという嘘。アイドルの"死"(解散、引退)。ファンとアイドルとの距離感。センター交代。
「ドタバタ青春アイドルサクセスストーリー」なんて嘯くのも当たり前で、ドタバタというよりジタバタだし、青春という言葉のイメージほど爽やかでもないし、そんなにサクセスもしていない。
むしろアイドルの限界や終焉を匂わせるような題材を好んで扱っているふしがある。闇を見せるからこそ希望が見える。有限だからこそ美しい。
アイドル禅問答のようなこねくり回しが、脳に一度馴染んでしまうと逃れられない魅力を生み出している。
「少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR YOU-(完全版)」は最たるものだが、他にもテレビの音楽番組を通しで再現してみせた第10話「ときめきミュージックルーム」や舞台劇をやった第5話「エアボーイズ」など、一風変わった回。
全編に渡って抑制的なテンションを保ち続ける演出とそれを支えるリアル寄りのキャラクターデザイン。
そうした斬新さとこだわりを感じさせる作風は、脚本の妙に引けを取らないこの作品の美点だと言える。
この作品に登場する(関連する)楽曲の作詞すべてを担当するのは、原作者でありシリーズ構成・全脚本も担当した橋口いくよ氏。
「少年ハリウッド」楽曲の歌詞もまた、アニメ本編と同様に橋口いくよのアイドル哲学をよく表現する媒体になっていて、両輪をなしていると言っていい。
アイドル哲学の良さは上記したが、特に「永遠 never ever」や「ハロー世界」はまさにアンセムといった出来だ。
メイン楽曲の作曲を80年代~90年代にかけて活躍した作曲家の林哲司氏が担当されていて、キャッチーかつ少しレトロな曲調が聞いていて心地よく、どことなく郷愁を誘うので何回も聞いてしまう良さがある。
「少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 49-」特集 林哲司インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
(声優が豪華)
曲のことばかり褒めたが、もちろん歌もいい。
このとき重要なのが、表向きに言っていることが必ずしも本音とは限らないということだ。
故に真っ向から反論しても実は無意味であることがインターネットではまれによくある。
「女さんは萌えアニメにさんざんポリコレ棍棒を振るってきたんだ」
これは嘘だ。
では本音は?
「女オタクの台頭に危機感を感じている」というのが萌えオタの偽ざる本音だろう。
数々の状況証拠が娯楽作品のターゲットが萌えオタから女オタクへシフトしていることを示す。
このままいけば萌えオタ向け作品はなくなって女オタク向け作品ばかりが世間に溢れてしまう。
それだけは、なんとしても阻止しなければならない。
どうして、このようなことになってしまったのだろうか?
萌えオタがよく口にしていた理屈に「硬派厨は口は出すが金は出さない」というものがある。
しかし萌えオタ向け作品において、シリアス展開が採用されることはよくあることだ。
それならば萌えオタが金を払わないから罰としてシリアス展開が差し込まれているとでも?
業界にそうしたジンクスがあるから萌えキャラであったりシリアス展開であったりが採用されるのだ。
ともあれ「硬派厨は口は出すが金は出さない」という理屈を採用するのであれば「萌えオタは口は出すが金は出さない」という理屈もまた成り立つ。
言い換えると「萌えオタより女オタクのほうが金払いが良い」だ。
新しいジンクスによって古いジンクスが更新され萌えオタは時代の流れに取り残される。
シリーズ物は硬派から萌えにシフトすワンオフは除く。る一方で、萌えから硬派へのシフトはほぼない。
これと同じ構図が今後は
の間で起こるようになるだろう。
今後、一部の萌えオタ向け作品は女オタク向けにシフトしていくだろう。
萌えオタと女オタクとでは例えばアイドルや偉人など趣味の領域が被っているのだ。
反対に「割の良さ」の差から女オタク向け作品から萌えオタ向け作品へのシフトは起こらない。
そのため萌えオタは「萌えオタは女オタク向け作品にケチをつけてないのに、なんで女オタクは萌えオタ向け作品にケチをつけてくるのか?」と困惑することとなるだろう。
ところで、萌えオタと女オタクの金払いの差はどこから生まれるのか?
そこには「買い支える」という意識の差を指摘することができる。
貧困JKがワンピースの公式コラボカフェへ通うことが「無駄遣い」とバッシングされたのだ。
男オタクと女オタクの「意識」の差があぶり出された好例と言えよう。
どういうことか説明しよう。
萌えオタには「面白ければ細けえことはいいんだよ」という意識がある。
この萌えオタ特有の「粋と感じたら金を払う」という意識が悪い方向に作用しているのだ。
かつて萌えオタが硬派厨に言っていた「硬派厨は口は出すが金は出さない」という言葉が今では「萌えオタは口は出すが金は出さない」というふうにブーメランとなって帰ってきたのだ。
ついでに、これは私見だが萌えオタより女オタクのほうがある意味では格上の存在だ。
萌えオタは性癖などとイキっているが一般的には擬人化・美少女化といった工程を必要とする。
一方で女オタクはどうやらそのような脳内変換(「俺にはこれがこう見えているのだが?」的なイキリ)を必ずしも必要としない様子なのだ。
今後、萌えオタ向けが女オタク向けへとシフトしていくと見てほぼ間違いないだろう。
だが、それは悪いことなのか?
ロボットプロレスを真面目にやる、美少女動物園を真面目にやる、イケメンパラダイスを真面目にやる……、ということをやればいいのだ。
何事も中途半端は良くない。
イケメンとはなにか?
パラダイスとはなにか?
ロボットプロレスや美少女動物園と同等以上に困難な問いかけである。
イケメンパラダイスの意味を真剣に考えた上で表現すれば、きっと名作を生み出すことができる。
時流を受容せよ。
結局のところ萌えオタは女オタクの存在自体が気に食わないのだ。
娯楽産業が萌えオタの相手をしていたのは割の良い仕事だったからだ。
ほかになにかもっと割の良い仕事が見つかれば、そのなにかに乗り換えるのは当然だ。
この渇望の差があるうちは女オタクのほうが勢いにおいて勝っていると見て間違いないだろう。
しかし、やがては女オタクも舌が肥えてきて、グルメ的要求を繰り返すようになる。
かつての萌えオタがそうであったようにだ。
「俺達/私達を馬鹿にしているのか?こんなものでは満足できないぞ!」
今、萌えオタがその渦中にあるように。
同人女界隈でバズってる例の漫画で、私は限りなく「おけけパワー中島」側の人間だった。
「もどき」と見出しにつけているのは、私がジャンル内で全く存在感が無かったからだ。七瀬や友川のように陰ながら誰かに影響を与えていたとも思えない。
私は、ただ綾城ポジとリア友だっただけの、いわゆる底辺ヘタレだった。
私は文字書きで、友人は絵師だった。あの作品になぞらえて私を中島、友人を綾瀬とする。
軽率に布教した某アニメ作品が綾瀬のストライクゾーンに当たり、彼女はこちらのジャンル沼に転げ落ちた。
綾瀬は元々絵が上手く、萌えが爆発すると筆が止まらないタイプで、毎日推しのカラーイラストや漫画をアップしていた。そんな様子だからフォロワーはあっという間に増え、気付けば5桁に突入していた。
一方の私は綾瀬に布教したのは良いものの、ドヘタレの底辺字書きに過ぎなかった。フォロワーの多さがすべてではないと思うが、2桁だった。
さらに、腐女子のくせにCP萌えせず単推しとなり、原作の隙間を書くような日常話をべったーに上げていたくらいの活動だったため、需要が低く読む人もかなり少なかった。腐女子が多い界隈では、私のような非CP者はいてもいなくても変わらなかった。それが漫画ならともかく、字書きとなればなおさら読まれない。
私は友人の作品が好きだったのでたくさんRTしてリプライも送った。リアルで会った時も感想を言っていた。
優しい友人は、私の小説をRTしてくれて「最高だから読んで下さい!」などと友人のフォロワーに向けて言ってくれた。するといいねRTがパラパラとついた。綾瀬を通して私を知ってくれた人が、「好きです!」とコメントをしてくれた上でフォローもしてくれた。その人、仮に田中さんと呼ぶが、田中さんとは相互になれた。それでもフォロワー数は2桁のままだったが、田中さん1人でもそう言ってくれたのは初めてで嬉しかった。
友人が見落とした、あるいは合わずRTしなかった作品は、全くと言っていいほど人に読まれなかった。
私としては、まあそんなもんだよな、私自身に知名度ないしな、と思っていたのでさほど気にしていなかった。この時は。
友人は、このジャンルで本を出してみたいと言った。同人人生で初だった。私は別ジャンルで出したことがあったため、そんな友人をサポートした。必然的に合同スペースで出ることになった。
友人がイベントの参加意志を示すと、あらゆるところから声がかかったようだった。アンソロへの寄稿、ジャンル内プチオンリーのグッズや特大ポスターの描き下ろしなど引っ張りだこだった。純粋にすごいと思った。
さぎょいぷしながら両者とも無事に脱稿した。綾瀬は自分から申し出て、私の本の表紙も描いてくれた。本当に嬉しかった。たくさん寄稿を抱えつつ全部こなしていたから、本当に神絵師なんだなと思った。
そして迎えた当日。
友人の頒布数が100とすると、私は1以下だろうと覚悟していた。実際そうだった。覚悟通りだが切なかった。
何よりもショックだったのは、友人以外から「私」を認識しされなかったことだった。
スペースに来た人からはほぼ「誰だろう」という目を向けられた。「好きです!」と直接言ってフォローしてくれた田中さんですら、中島という存在を認識していなかった。
田中さんがスペースに来て名乗ってくれたので、「中島です!」と言ったが、ものすごく怪訝な顔をされた。「誰なんだろう?」と言いたげな表情だった。もちろん相互になっていたのである程度の会話はしたことがあった。
驚きのあまり、「Twitterでお世話になってます」の言葉が咄嗟に出なかった。私はすぐに切り替えて「すみません、綾瀬は今席を外してるんですよ〜」と伝えた。彼女は笑顔になって、「じゃあこれ渡してくれませんか」と差し入れを取り出した。私の頒布物をスルーし、友人の本を買って行った。
その後、綾部が戻ってきた後、プチオンリー主催者が御礼としてひとりひとりのスペースを回っていった。主催者はテンション高く綾瀬に普段の感想と存分な感謝の念とアフターの誘いを伝えたのち、私の方をちらりと見て、誰だろうという顔をしつつ「プチオンリーご参加ありがとうございます」と社交辞令を一言だけ述べて去っていった。
来る人の9割9分が綾瀬に声をかけ、中島である私のことはチラッと無関心な目線を向けていった。片手で余るくらいの人は私の本も買ってくれた。
両手両足で足りないくらいの人数が、綾瀬表紙本文中島の本を手に取り、パラパラとめくったあと「なんだ小説か」という顔をして戻した。そしてメイドインオール綾瀬の本だけ買っていった。
友人の初イベントの空気を悪くするわけにもいかす、ずっとニコニコしていたが、正直かなりキツかった。
相互の田中さんにすらイベントに参加していることを認識されてないのだから、「私」へ声をかけてくれる人は誰もいない。さらに、表紙がイラストで本文が小説だと、一瞬手にとられて戻される率が普段より高かった。これも堪えた。1人だけの参加ならともかく、隣で飛ぶように売れている綾瀬の本を目の当たりにしているからだ。
イベントは終了し、アフターに行く綾瀬を見送って、在庫を担いで帰っていった。
あの漫画のように「このジャンルの人は私に感謝してくれてもええんやで」とでも言える性格なら良かったが、無い周囲の目を気にしていたため、私が綾瀬を誘ったことは一切口にできなかった。
ジャンルの神になった綾瀬を見て、素直に友人として嬉しい私と、私がいなければハマってなかったかもしれないのに…と後ろ暗い思いを抱く私の両方の側面があった。
あの漫画の中島の発言はかなり叩かれていた。でも私は、あそこまで言い切れる中島が羨ましかった。「は〜コイツ何言ってるの?」と思われたとしても、「思われる」ということは認知されるということだ。勝手な想像だが、あの漫画の中島はジャンル内でもそこそこの存在感がありそうだった。
Twitter内で流行っているおけパ中島への考察や妄想でも、「ギャグをよく書くが時折深いシリアス作品を書いてそれが泣ける」とか「毒マロが来てるけど綾瀬には言わない」とか「交流上手で友達が多い」とか色々言われていて多くの共感を集めていたが、どれも私には当てはまらなかった。中島ポジのくせに中島にもなれなかった。パワーがない。
いくら神の友人でも、ジャンルで空気だった私は、怪訝な目線しか貰えなかった。もしかすると、「怪訝な目線」というのが勘違いで、「コイツがあのヘタレ中島か…」と思われていたのかもしれないが。
「私が綾瀬さんを誘ったんです!」と公言し、綾瀬の作品に馴れ馴れしいリプライを送りまくり、他の人にも似たような対応をしていたら、何か変わっていたのだろうか。
たぶん変わらないだろう。絵師と字書き、神とヘタレの差が埋まるはずがない。
あの漫画を読んで、私は中島のなりそこないだなと感じて、ただ悲しくなって終わった。
綾瀬とはそれから声優のトークショー等何度か公式絡みのイベントに一緒に行ったが、そこでも綾瀬に声をかける人を大量に目撃した。私は横で見守るだけだった。そんなことがずっと続いた。
しばらくするとジャンルが完結し、私の中では区切りがついたのと、別のジャンルが気になったため、私は綾瀬に今までの御礼を伝えて静かにジャンルを離れることにした。綾瀬の好みには合わないと分かっていたため、私の新ジャンルは布教しなかった。
ジャンルから離れる少し前に、「また本出そうかな」と呟いたら、田中さんからいいねが飛んで来て「楽しみです」とリプが来たのが一番意味が分からなかった。本は既に出していたが、それを認識しないほど私が取るに足らない存在だったのだろう。
綾瀬は未だにそのジャンルの神であり続け、底辺の私は色んなジャンルを彷徨っている。
初めまして。
先日ふとした出来心でツイステッドワンダーランドに関するお気持ちブログを読んでしまい、それ以来色々と考えてしまっている別ジャンルの腐女子(いい歳)です。
まずはじめに、私のスタンスとこの文章で何が言いたいかという結論だけ先に書いておきます。
私はツイステのことを特別好きでも嫌いでもないし、作品自体になんらかの罪があるとは思っていません。(そのうち気が向いたらやってみたいなと思っています)
その上で、
「この作品はコンテンツとして公式に供給されているものだし、それを楽しむことは何も悪くない。しかし作品の性質上、苦手な人にとっては極めて苦手なものになると思うので、楽しんでいる人もちょっとだけ、苦手な人に配慮してあげたらいいんじゃないか」
と思っています。
ツイステファンの皆様がこれからも楽しく遊べたら、そしてツイステが苦手だと言う方の毎日が少しでも楽なものになればと願っています。
私が言いたいことは以上なので、ここで引き返していただいて全く構わないのですが、色々と考えたので以下に雑考も置いておきます。
どうしてそういう思いに至ったか、が気になる人はどうぞ。長いです。
私自身は特別ディズニー作品に思い入れの深い人間ではないのですが、ツイステが発表された時は、それでもかなり驚きました。
ディズニーアニメといえば、「おとぎばなし」、「メインキャラクターは可愛い動物やプリンセス」、「海外アニメ特有の絵柄」といったイメージが強く、実際にこれまで公式に配給されるコンテンツはその大枠を出ないものであったと思います。
これに対し、ツイステはそうした従来のディズニーアニメ作品のイメージをよくも悪くも覆すものでした。
(※ディズニー作品でも実写映画はもうちょっとダーク&アダルティな雰囲気のものも多いと思うので、ここではツイステと、ツイステの中でモチーフとして使用されているディズニーのアニメ作品のみに絞って考えています。)
ディズニーアニメとは、「大人も子どもも楽しめて、教養やユーモアに富み、映像は美しいか、または可愛らしい。血が出ない。グロくない。一般的な感覚ではエロくもない。子供をメインターゲットとしつつ大人の鑑賞にも堪える全年齢作品」だと思っていましたので、「そうした作品群を原作(モチーフ)とした、サブカル的な作品が、公式コンテンツとして配信された」というのは素直に驚きです。
ひと昔前、ディズニーには「著作権にめちゃくちゃ厳しい」というイメージがありました。
近年はディズニーに限らず、版権元がファンアートに寛容な雰囲気が広がっており、ここ数年の間にはディズニー関係のファンアートを目にする機会が大幅に増えた(体感)と感じています。
ですが「ディズニー作品は手を出してはいけない聖域あるいはハザードゾーン」というのが暗黙の了解、もとい暗黙の常識だった時代は確かにありました。なので、いかにも女性オタクに受けそうな(というと語弊がありそうですが、私自身女オタクで別に女オタク蔑視はしておりません)、二次創作が盛り上がりそうな毛色の作品を、あのディズニーが、公式コンテンツとして出してきたのは驚きを通り越して衝撃です。
こうした驚きを経て、私が次に思ったのは「この作品、面白そうだけどヤバそう」でした。
なぜそう思ったのか、というと、居並ぶ美麗なイケメンたちを見て「これエロ同人とか描く人が出てくるよね?」と咄嗟に思ったからです。
エロ同人が悪いとは言っていません。好きです。
ただ、「ディズニーのエロ同人がまかりとおる時代になる」なんて一昔前なら考えられないことでしたから、エロ同人もたしなむ年代物の腐女子として、素直に「ヤバくね!?」と思ったのです。
そして、ディズニーはそういう日本のオタク文化をも許容するのだろうかと驚き、首を傾げ、同時に「この作品を蛇蝎の如く嫌う人も出てくるだろうな」と感じました。
以前拝読した「お気持ち」ブログで、「ツイステはキャラクターの性的搾取」という文言を目にしました。
その意見の正誤、公式のコンテンツが性的かどうかはさておき、あたりを見回してみると現に「ツイステキャラに性的な目を向けている人」が少なからずいるということは間違いではありません。
もちろん、すべてのツイステファンの方がそうではないと思いますが、事実としてツイッターのTLには「●●くん、えっち」「R18同人誌買いたい」という声が、ごく普通に流れてくるようになりました。
元々そういうTLですので、それ自体に驚きはありません。
公式はそれすら意識して売り出していると思いますし、「そりゃそうなるよね」という感想です。
あんな美麗なキャラ達を並べ立てられて、ストーリーもよいという評判。
それを受けて、このサブカル大国で世のオタク達が何をし始めるのか、天下のディズニーが想定していないわけがない。
個人的には、ツイステを発表したことで、ディズニーはツイステに関して「多少のことは許容する」という方針なのだと解釈しています。
ですから、二次創作してる人を白い目で見ることもないですし、楽しみたいように楽しめばいいと思う。
でも一方で、「従来のディズニー作品が好きだった、ツイステは受け入れられない」人の気持ちを考えると、辛い気持ちになります。
(※従来のディズニー作品が好きで、ツイステも好きになれる人は今一点の曇りもなくハッピーだと思いますので、ここでは考慮していません。)
子供の頃から慣れ親しんだ大好きなキャラクター、をモチーフとしているキャラクターがいる。
そこまでは多分許容範囲でしょう。でも、それを「えっちだ」と言ってはばからない人がいる。
中には「原作は知らないけど」と言っている人もいるかもしれません。
「原作もツイステも好きで楽しんでる人」にとっては問題ないかもしれませんが、「原作は好きだがツイステは苦手な人」にとっては、その状況は辛いだろうなと思います。
「AはBをモチーフとしたキャラ」と、「BはAのモチーフになったキャラ」では主体が違いますよね。
元々Bが好きな人からしたら、なんでこんなことに、となるのは、自然な感情かなと思います。
さらにAが有名になって一人歩きし始めて、AもBも知らない人にAの情報だけが残る、ということにもなり得る。それは悲しいし、悔しいですよね。
でも、公式という一次ソースが提供しているものを消費者が消費して楽しむことは何も悪くないのです。
では怒っている人は何に怒っているのだろうと考えると、私は、「ツイステを公式のものとして送り出した公式」に腹を立ててる人が多いんじゃないかなあと予想しています。
与えられたコンテンツを楽しんでる人たちが悪いわけでないとしても、作った公式が、それに乗っかる世の中が、悲しくてしんどくて、結果的に多少的外れな言論になったとしても、吐き出したくてしょうがなかったんだろうなと思います。
ディズニーアニメ同様、「子供をメインターゲットとしつつ大人の鑑賞にも堪える全年齢作品」にカテゴライズされるだろう作品です。
オタクになっても、腐女子になっても、その作品は私にとって特別な存在であり続けました。
キャラクターを擬人化(美形化)した二次創作を読んでみたこともあるし、それはそれで楽しんでいました。
でもそれには「二次創作だったから」楽しめていたという側面があります。
なぜなら、「原作者は絶対にそんなことをしないはず」と(勝手に)信じているからで、私も私の好きなジャンルで公式がツイステのようなコンテンツを出してきたら恐らく発狂します。
(ネタ、ギャグの一環で片付けられるジャンルであれば別かもしれません。)
言葉が悪くなってしまいますが、「ツイステでディズニー作品が汚されてしまった」と感じる人は、「ディズニー公式のコンテンツとしてこういうものはありえない」と(勝手に)信じていたのだと思います。
今まで「ありえない」と思っていたものが、公式的には「(実は)アリだった」というのがここへ来て明らかになった。「勝手に信じて勝手に裏切られただけ」という人もいるとは思いますが、私個人的には、ディズニーはそう信じさせるムーブをしてきたと思っています。ですから裏切られたと感じる人がいても無理はないと思うし、そういう人達にはお気の毒と言うより他にありません。
公式が敵に回ると本当にひたすら辛いんですよね……だって、どんなに嫌でも公式なんだもの。
二次創作だったら「二次創作だから」で目を瞑れることも、公式にされたらしんどい。逃げ場がない。
そういうモヤモヤを抱えて、でもどうすることもできない人達がいるということを頭の片隅に置いてみませんか。
「みんな住み分けるべきだ!」とは言いません。ただ、「住み分けたい人が自主的に住み分けられるように、手伝ってあげられませんか」と申し上げたい。
フォロワーさんたちがどんどんハマっていった結果、TLがツイステ関連ワードで溢れ、本来探したい情報が埋もれるという現象は私のTLでも既に起こっております。
今はワードミュートしていますが、他の方が指摘されていたとおり、タグや作品名の表記なしで回ってくるファンアートは防ぎようがないのです。
私はツイステが特別好きでも嫌いでもないので、周ってきたら「最近本当多いな…(アカウントごとミュート)」で済みますが、ツイステが苦手な人にとっては、それらを一瞬目にすることさえ苦しいと思うのです。
「勝手に苦しんでいるだけ」「嫌なら見るな」と思う人もいると思います。その言い分も、分かります。
でも、楽しんでいる側は特に困っていないのですから、「嫌な人には届かないようにしてあげる」くらいの配慮はしてあげてもいいと思うのです。大した手間ではないし、タグをつけておけば探す側にとっても容易で一挙両得ですよね。
ちなみに外野的には、ファンアートの投稿時にはキャラ名だけでなく作品名も一緒に入れてほしいなと思います。
(キャラが多いうえ、あだ名で呼んでいる人もいたりすると、ワードミュートでは拾い切れないのです。)
最後にもう一度、ツイステファンの皆様がこれからも楽しく遊べたら、そしてツイステが苦手だと言う方の毎日が少しでも楽なものになればと願っています。
なんでこんな自分にとって毒にも薬にもならないことをとくとくと考えてしまったかというと、昨年、大好きだったとある作品のとんでもない続編が発売され、「公式がこれを公式のコンテンツとして出してくるのか」と憤怒と憎悪を滾らせてしまった自分の気持ちを思い出して、「ツイステが苦手な人」に共感しすぎてしまったのです。
辛いうえに、気持ちを吐き出したら反対意見がどっと押し寄せて、なおさら辛くなったよね。そう思ったらますますしんどくて、その気持ちもわかるよ、そう思っちゃっても仕方ないよって、聞こえなくても言いたかった。
そのブログによって傷ついたツイステファンの人もいるでしょうから、どっちが悪いとかいうことではないんですが、吐き出さずにはおれなかった人の気持ちもわかるんです。
ミュート徹底してもトレンドに上がってたら防げないし。でもツイッターやめられるわけでもないし。自分の問題でしかないけど、辛いものは辛いですよね。
最近ツイステのお気持ち表明がたくさん流れてくるので俺も俺も〜!という気持ちで自分の考えを文章化してみる。
前提として自分はディズニーアニメもTDRもディズニーヴィランズも手下もツイステも全部好きなディズニー信者なのでかなり偏った視点かつツイステが好きな人・嫌いな人のどちらが良い悪いを判断するものではなく個人の感想です。
シナリオの読み込みが甘いとことか知識不足なとことか間違ってるとことかあるかもしれないけど許して!
※ツイステ本編のネタバレを含む※
①ツイステと"ヴィランズ"について
自分は子供の頃からVHSでディズニー映画を死ぬほど見て育ってて、ダークでカッコいいヴィランズがめちゃめちゃ好きだった。(今も大好き)そのせいもあるのか今ではどのアニメやゲームでも外道クズ悪役ばかり好きになるし、改心して主人公の仲間になる敵にキレ散らかしたりしている。
そんな外道好きの視点から見るにツイステのキャラクターはそもそも"ヴィランズ"では無いと思っている。
まずツイステッドワンダーランドという作品はディズニーヴィランズをモチーフにしているものの、作中で「ヴィランズ」という単語が出てくるのは冒頭の学園長のセリフとチュートリアルのサブタイトル「だけ」なのに注目してほしい。
この世界ではディズニー映画で悪役を演じたキャラクターたちが「グレートセブン」と呼ばれ、過去の偉人として伝説が残っている。(現在は故人らしい)この「伝説」として残るエピソードは概ね映画の中での行いのことなのだが、明らかに「悪行」の部分を伏せている、もしくは無かったことにしている。
例えばハートの女王なら「自分勝手な法律を作って国を支配していた」のが「厳格な法律で国民を統制していた」になり、スカーなら「兄を殺しハイエナを利用して玉座を奪い取った上に国を荒廃させた」のが「実力で王の座を手に入れ嫌われ者のハイエナも差別せず共に暮らした」になり、アースラなら「願いと引き換えにアリエルを陥れて海の王国を乗っ取ろうとした」のが「不幸な人魚を自分の魔法で助けた慈悲深い魔女」になっている。
美しさに嫉妬して白雪姫を殺そうとしたことも、国を乗っ取るために催眠術で国王を操っていたことも、甥を殺すためにタイタン族を蘇らせたことも無かったこととされる、故に伝説上の彼ら彼女らは「ヴィランズ」ではなく「グレートセブン」とされているのだ。
これらの歴史改変が見受けられるのを、「ヴィランズ側の解釈だから偉人とされているのでは」と考える人もいると思うが私は違うと思う。
仮に「ヴィランズ側の解釈」とするなら本人の悪行も込みで賛美されるべきではないか。
ではなぜそうではないのかというと、作中の世界の倫理観は現実の世界と同じだからではないかと思う。
ツイステの世界では人を傷つけることも殺すことも「悪いこと」だし、卑怯な手段を取れば糾弾される。善悪の判断基準は現実世界=プレイヤーと同じ、つまりは勧善懲悪のヒーロー側の視点のままなのである。
登場キャラクターは素行の悪さは目立つものの基本的に善人であるし(性格が最悪な奴はいる)、倫理的に超えてはいけない一線は絶対に超えない。
この"作中のキャラクターは基本的に善である"という設定と"ディズニーヴィランズをモチーフにした作品"というコンセプトのズレが一部のユーザーの期待を裏切っているところがあると思う。(当初は自分もヴィランズ要素外見だけじゃねえかと思っていた)
広告では「ディズニーヴィランズがモデルになったゲーム」と銘打っているので、悪逆非道のヴィランズファンからすると既存キャラのガワだけ使って一般受けするように作り替えているように見えると思う。
なんかよく分からなくなってきちゃったけど、総合すると「ツイステはヴィランズを元ネタにしているが、作中のキャラクターはヴィランではない」ということを主張したい。
というかあの程度のヤンチャ具合で邪悪さのかけらもないのにヴィランズとか言われても納得いかねえ(悪役ガチ勢厄介オタク)
ただ冒頭で「ヴィランズ」という発言をした学園長だけは「悪」を賛美するような独白をしているのと、「グレートセブンは本当は悪人だったが、何者かが意図的に悪行の部分を伏せて善人として言い伝えている」ということを示唆する描写が「主人公の夢」という形で挿入されるので、ツイステの世界にも邪悪なヴィランズは存在している。
個人的には今後のシナリオ展開次第で学園関係者が何か企んでるとか、グレートセブンが実は外道だったことがバラされるとか、そういう展開が来るんじゃないかと期待してる。来るといいな。
昨今のお気持ち表明乱立について
あくまで一部の過激派に限ったことなのだけど(保険)、ディズニーをきれいなものとして扱いすぎているところがあると思う。
オタクにすり寄るのをやめてほしいというのは正直その気持ちはとてもよくわかるし、手下の時に散々嫌な思いをしたのも当時しんどかったので分かる。
でもディズニーってもともとそんな素晴らしいものか?と思う部分もある。(ここは自分の主観かなり入ってるが)
自分がディズニー映画、特に「ディズニークラシックス」と呼ばれる手描きのアニメ作品を好きなのは、素晴らしいアニメーションと心躍る音楽、キャッチーな歌踊りで軽快に進むストーリーとかを総合して好きなんだけど、ディズニー作品の良いところって「アニメ作品」としての完成度が高いだけでシナリオ面はそうでもないと思っている。
名作と謳われる長編映画は軒並み童話のストーリーほぼそのままだし、オリジナルで作った作品は結構コケてるのが多い。宝島を元にしたトレジャープラネットも、シャーロックホームズをオマージュしたオリビアちゃんの大冒険もライト層の知名度はお察しだし、童話が元じゃないオリジナルストーリーの長編映画で人気が出たのはCGアニメに移行してからのものが大多数を占めている。
ミッキーやドナルドたちの短編映画だってコメディとはいえ爆発オチとか「そうはならんやろ」みたいな展開あるし。
往年のディズニー映画が名作と言われているのはあくまで「アニメーションの技術」の部分で評価されているんであって物語としての評価ではないと思っている。
昔のディズニー映画見て泣くほど感動したり教訓があったり展開が秀逸だったりするか?と疑問を持つし、逆にいえばその誰でも知っているストーリーを借りてすごい映像を作ることがディズニーの強みじゃないのだろうか。
そのアニメーションの技術も当時は競合相手が居なかったからという理由で、技術が発達した現代で映像だけを基準にするならディズニーだけが飛び抜けてすごい訳ではない気がする。
幼少期に神童と持て囃されていたけど成長するにつれて凡人と気付くみたいな…?
少なくとも自分はディズニークラシックスのアニメーションが大好きだしこれからもずっと好きだけど、ディズニーはあくまでアニメスタジオから始まったことを忘れて昔は良かったのに!って言ってる信者が多くなってきたと思う。
ディズニーはアニメを作るのは天才だけど社会倫理に精通して配慮している企業でもなければ子供たちの教育期間でも世界の思想を代弁する組織でもない。
ただ好きな作品やそれを作っているところが素晴らしいところだと思いたい気持ちも分かるので折り合いつけられるようになると気が楽になると思う。
③ツイステとTDRについて
パークのオタクとツイステのオタクが常にヒリついてることについて、これは手下初年度の惨状を見てきた側からすると過剰防衛になるのも納得してしまう。が、攻撃や中傷して良い理由にはならないので駄目。
特にDハロ(ハロウィンにパーク内で仮装ができる期間)はツイステ関係なく毎年荒れるしトラブル炎上学級会は起きるしOLC(TDRの運営)の動きには期待できないし今年も開園してDハロ実施されるとしたらメモ帳スクショ注意喚起が回るのが目に見えているから警戒するのも分かる。
それに去年の仮装可能作品一覧の中に「アプリのリリース前にもかかわらず」ツイステがあったので(後に修正されて除外された)ので今年やるなら絶対に入るだろうしそれを入れるOLCにもあんまり信用がない。
ただ「パーク内でツイステをみたくないから」という理由はただの個人の思想であり公式のルール違反ではないからファンに強制することはできないししてはいけない。
同じく痛バやグッズの持ち込みに関しても公式がダメと言わない限り外野が文句をつける権利はない。
外野が文句を言って良いのは公式のルールで明確に禁止されている事だけなのだ。(開園ダッシュ・自撮り棒を伸ばす・小学生以上が仮装期間以外に仮装をする事・乗ってはいけない場所に乗る事等)
自分は仮装も痛バも好きじゃないし(ツイステに限らずミッキー等の既存のディズニーキャラでも)、パークで遊んだり楽しむことよりも自分の写真を撮ることが目的になっているゲストのことも出来ることなら見たくないけれど、自分が自衛するしかないと割り切っているつもり。
ルールを守って迷惑行為さえしなければ誰であってもパークに来ることは妨げられない自由であるべきだ。
ルール違反をしていないなら胸を張って楽しんでほしいし、パークのファンも腹立たしいことがあっても文句を言う前にそれが「公式が決めたルールに違反していること」なのか「マナーとされる暗黙の了解に背いていること」なのか一度考えてほしい。
(ただしドンキのコスプレ衣装着て制服ディズニーとか言ってる成人オメーはダメだ)
(あとハロウィンは行きたいけど仮装期間中には行きたくないので昔みたいに期間区切ってくれOLC)
以上ツイステとディズニーの両方が好きないちオタクの感想お気持ち表明おわり!
正直なところツイステリリース前はリリース日時どんどん遅れるわ公開前からグッズ展開しまくるわ露骨にハリポタをパクるわで運営に不信感しかなかったけど、本編を自分の目で見ずに批判はしたくなかったのでちゃんと最新話まで読みました。まだメインストーリーが半分も公開されてないから現状で判断するのは難しいけど、映画の小ネタとかキャラデザ・シナリオ担当の枢やなのTwitterでのDヲタムーブとかでそこそこ好印象だから今後に期待したい。
これから書くことは、新海誠の描く女の子の気持ち悪さをディスるとかそういうことではありません。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の発動により、人々が経済的に困難な状況に陥り苦しみを体感しました。人の往来が規制されるだけで、どんな過酷な事態が発生するか私たちは痛感しました。
そんな経験をした直後に、あの忌々しいアニメ映画がリリースされるなんて、これほど国民感情を刺激する出来事はありません。
関東を海に沈めて数十万人の命を奪う元凶となった男が、女とデートしていい感じになって、このあと絶対セ〇クスするんだろうなと、匂わせるラストシーンははらわたが煮えくり返り、ネットで誹謗中傷をして自殺に追いやりたくなる胸糞の悪さです。
擁護派は「3年間かけて徐々に水没したのだから死者はいない」と言います。
しかし、たとえゆっくりゆっくりと風呂に水を張っても、いつかは浴槽から水はあふれて流れ出すのです。
東京には多摩川水系、荒川水系、利根川水系、鶴見川水系と言った多くの河川が流れています。これらが一斉に増水し、氾濫を起こす悪夢を想像してください。
国も河川が氾濫したときの死者数を想定しています。国土交通省の試算によると荒川が氾濫した場合3500人が亡くなるとされています。すべての河川の想定を合わせると大変な数になります。水害は様々な被害を及ぼします。令和元年の台風19号は汚水を逆流させ部屋を糞まみれにしました。また地盤の緩いところで土砂崩れを発生させるなど、多くの災害を発生させています。そう言った様々な事象を想定すると死者の数はもっと膨れ上がります。
映画にはレインボーブリッジが水没しているシーンが登場します。レインボーブリッジと言うのは橋桁の高さが約50mあります。それが水没したと。つまり海面が50mは上昇したということです。
ここで海面50mが上昇したときのシミュレーションをご覧ください。
リンク「Flood Maps」
http://flood.firetree.net/?ll=35.7174,139.7531&zoom=10&m=50
ご覧の通り東京だけでなく、海抜が低い埼玉県や千葉県、群馬県、茨城県までもが海の藻屑となります。
電車が止まって会社に行かなくていいなど、甘いものではありません。
どれだけの打撃があるでしょうか?
緊急事態宣言の1か月でどのような生活の変化があったか、だれもが知っていると思います。
セックスは生きた人間としかできません。しかしそのために他の命を犠牲にして良いのでしょうか?
見ていて耐えられるものではありません。
アニメ作品について「三話までは見てから判断しろ」という言説がある。
私はこれに強く反発する立場だ。
盛り上がる場面に来るまでは直接的に面白さを表現できない場合でも、面白くなりそうな予感を表現できているべきだろう。
いわゆる「ツカミ」の部分ということだ。
それに失敗している作品について面白くなるところまで我慢する義理はなかろう。
三話まで見ないと面白さがわからないような作品を作るというのは三話まで見る人をターゲットにするということだ。
逆に言えばそうしない人を切り捨てるということだ。
もちろんそのようにターゲットを設定するというのならそれでもよいのだが、ツカミの失敗を三話まで見ないやつが悪いかのように言う人が少なからずいることに辟易としている。
作品が私をターゲットにしておらず私がその作品を面白いと思わない。
たまーに聴きたくなる、視聴したくなるのでメモ的に。
増田の仕様的にリンク数上限が9つぐらいらしいので今回はこれぐらいで。
この楽曲以前はアニメ系のOP/EDのPVのフルバージョンがYoutubeにアップされるパターンは余り無かったと思う。
(バンド系で自分の公式チャンネルを持つところは例外になるが……)
この楽曲の圧倒的な視聴数により、他のアーティストもフルバージョンでのアップロードもありなんじゃないかと思ったところも多いだろう。
凝ったPVの出来の良さ。
300万視聴数目前!(この記事をアップしてしばらくすれば突破するかな?)
ヒット作となったアニメ『SSSS.GRIDMAN』のテーマに沿った内容の考えられた歌詞の素晴らしさをポップに歌い上げているPV。
説明不要とは思うがアニメ『血界戦線』の第2話から公開され話題になり、ここ数年でも珠玉の出来と思われるアニメのEDの一つだと思う。
「UNISON SQUARE GARDEN」の楽曲の中でも高い人気を誇る曲で、視聴数も4000万に達する勢いでまだまだ伸び続けることだろう。
独特の言語センスの歌詞と、高いレベルでの演奏スキル、アニメのEDと同様に踊るように動き続けるベースの田淵が必見!
アニメ『城下町のダンデライオン』のED。
発表&発売後しばらく経った後にライブバージョンを公開するようなパターンも増えてきていますね。
アニメ『プリパラ』のポップやメロディアスな楽曲とはまた違ったライブ向けの明るい楽曲。
「声優とアイドルのハイブリッドユニット」である「i☆Ris」は、正面からの固定カメラでのフォーメーションやダンスの振りが確認できる「Dance Ver.」の公開に積極的で、プリパラ以降のシングル曲の楽曲のほとんどは「Dance Ver.」で公開されていると思うので、楽曲だけでなく、彼女達のダンススキルの高さも確認できるPVは、また別の楽しさがあるかと。
近年最大級のヒット作品となったアニメ『鬼滅の刃』のOPなので、誰でも知っていることだろう。
PVではなく正確に言えば企画系の動画になるが、ピアノのみ伴奏の中で歌い上げるLiSAの歌声に酔えるものとなっている。
「水瀬いのり」の場合は、アニメ『ViVid Strike!』のED「Starry Wish」を紹介するのも手の一つだったのですが、出るイベント・テレビなどで「Starry Wish」ばかり歌わされる時期が多かったので、敢えてこちらをチョイス。
「AnimeJapan 2020」や「Comic Market 98」などの大型イベントがコロナウイルスの影響により自粛&中止となりました。秋に予定されている「東京ゲームショウ2020」も今年はオンラインでの開催を検討とのこと。
この夏に予定されている「Animelo Summer Live 2020 -COLORS-」や、KADOKAWA系レーベルが一大結集する予定の10月開催の「らのすぽ」も状況次第では微妙なところではないでしょうか……。
アニメ業界的には、この2020年春放送のアニメ作品のいくつかは完パケレベルで完成していない作品のアニメ放送が遅れるという状況にもなっています。放送予定作品も放送時期の変更なども多数みられました。
それはさておき、従来なら大型イベントで開催されるステージや、販売ブースなどで発表される予定のアニメ化情報ですがイベントが中止になってしまったので、いくつかの情報は散発的にネットで発表される形となっています。
チェック漏れもあったりするかもしれませんが、整理する意味でまとめてみました。
(増田の仕様上、一記事でのhttp・httpsのリンク数上限があるので、http・https抜きになっています)
ラノベのアニメ化作品、異世界もの、周辺作品などなど……直接的には「なろう系」とは関係ない作品の情報もあったりします
アニメは普段見ないんだけど、この前「メイドインアビス」を勧められたので見た。面白かった。
昔、「魔法少女まどか☆マギカ」も勧められて見たし、「輪るピングドラム」も同じようにして見た。どっちも面白かった。
だけど、本筋とは別のあの日常部分というかキャラ同士でわちゃわちゃしながら他愛もないことを言って突っ込んだり楽しんでる風のノリがけっこうきつかったのも事実だ。
他のアニメ作品もそうなんだろうか?
実写映画は和洋を問わずかなり見るほうなんだが、ああいうラノベノリというかそういうシーンは一部の邦画を除いてはほとんどない。
あの身内だけに通じるような独特なノリってのははたして必要なんだろうか?
見ていてけっこうな気恥ずかしさを毎回感じたんだが、たくさん見れば慣れるのかな。