はてなキーワード: 無作為とは
文化庁のAIと著作権についてのパブコメの結果が話題ですね。自分も2万件超のコメントの一つです。副業程度の収入を得ているアマチュア絵描きとして、生成AIには何らかの規制が必要であるという立場でコメントを送りました。
主要な問題としてコメントに書いたのが、生成AIの学習に海賊版(違法アップロードコンテンツ)が使われている問題です。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoseido/r05_07/pdf/94011401_01.pdf
文化庁PDFの30〜32ページに海賊版、つまり違法にアップロードされた書籍、写真、動画、絵などをAI学習に用いることについての意見が並んでいます。文化庁の見解としては、生成AI事業者が海賊版であると知ったうえでコンテンツを学習に用いた場合、事業者は権利侵害の責任を問われる可能性があるとの考え方のようです。
現行の生成AIは海賊版の学習なんてしているのか? 確実にしているようです。画像生成AIのひとつNovelAIが、海外の無断転載の温床であるDanbooruから学習していると公言したりとか、MetaがAI学習に使用したデータセットが膨大な海賊版書籍によるものだったとか、さまざまな話題があります。
もとより、ウェブには権利者に無断でアップされたもの(創作物だけでなく写真なども含む)が溢れかえっていることは周知の事実です。ウェブから効率よく膨大な学習データを求めれば、そうしたコンテンツが混ざってくることは当然なわけです。それを承知のうえで、生成AIの開発は行われている。
これはクリエイターや企業の著作権にとどまる問題ではありません。海外では、画像生成AIの学習データに児童ポルノや個人のプライバシーに関わる画像が含まれていることも指摘されています。自分の知らないところで自分の写った写真がウェブに放流されAIの学習対象になっている、ということもあるのです。
「たとえ海賊版や個人情報でも学習データにするだけなら違法ではない」と反論がありそうです。
ですが仮に、ある漫画家が「海賊版サイトで漫画を読みまくって漫画を勉強しました」と発言したら、とうぶん仕事を失うでしょう。違法行為であるかは別として社会的、倫理的に許されない行為であることは明白だからです。
となれば、生成AIの学習に海賊版を用いることも同様に許されないでしょう(特に、AI肯定の立場から言われる「人間の学習とAIの学習は同じ」という見方ならば)。
クリエイターが、海賊版を学習したAIをそうと知って自身の創作に使うことは、間接的な海賊版の容認とも見なされるかもしれません。
非倫理的な学習方法によって成り立っているのが生成AIの現状です。批判的な立場からクリーンな学習データによるAIが求められるのはこのような理由もあるわけです。
残念なことに、生成AIを肯定・推進する立場の人々はこの学習データ問題に触れたがりません。自分の見てきた範囲ですが、本や記事やSNSで、ここに真摯に向き合っている人はいません。
「ディープフェイクや特定個人の模倣などの悪質なAIの使い方だけが問題だ」という主張をし、その範囲では厳しく批判をする人はいます。もちろん悪質な使い方は許されません。しかし、自身の使っている生成AIがその学習の成り立ちから非倫理的である可能性には触れません。認めると面倒なことになるのがわかっているからでしょう。
反発の声を都合よく切り取り、身勝手に新技術を忌避している反AIというくくりで片付け、本来の問題から目をそらしているのです。
生成AIの開発者も利用者も、まずこうした事実を認めて、横暴なやり方で莫大な学習データを確保し、その問題は無視して利便性のみで強引に生成AIを普及させているという現状に向きあうべきです。
学習データの無作為な広範さが、ディープフェイクなどの悪事を容易にし広めていることも認めないといけない。そこから改めて、あるべき生成AIのあり方を考えないといけません。
許可を得たクリーンな学習データのみを使用し、データの概要は開示すること、これが必要です。
AIの普及が避けられない、技術の進歩は止まらない、と言うのなら、その過程で誰かを踏みつけにしない努力も払うべきです。生成AIを批判する人の大半は、技術の発展に反対しているのではなくその過程の理不尽に反対しているのです。
人はなぜワクチン反対派になるのか ―コロナ禍におけるワクチンツイートの分析―
https://www.t.u-tokyo.ac.jp/press/pr2024-02-05-001
〈研究の内容〉
本研究はまず、2021年1月から12月までに収集された「ワクチン」を含む約1億件のツイートを収集し、機械学習を用いて「ワクチン賛成ツイート」「ワクチン政策批判ツイート」「ワクチン反対ツイート」の3クラスタを抽出した。次に、「ワクチン反対ツイート」を多くつぶやいたりリツイートしているアカウントを特定し、「ワクチン反対ツイート拡散アカウント」として定義した。そして、「ワクチン反対ツイート拡散アカウント」を多くフォローしているユーザを「ワクチン反対派」として定義した。
上記プレスリリースの中で「賛成」というワードは4回しか使われておらず、そのいずれにも「賛成派」の定義を示す文というものは存在しない。
幸いにも元論文がPublicで公開されているため、主にMethod項を見てまとめていきたい。
1. 「ワクチン」「vaccine」を含む日本語ツイート98,805,971個を取得する。
3. ツイートのクラスタリングを行い、20種のクラスターが作成される。
4. 上位3つ(検証ツイートの99%・リツイートの98%を占める)のクラスター(「ワクチン賛成ツイート;pro-vaccine tweets」「ワクチン政策批判ツイート;opposition to the government’s vaccine policy」「ワクチン反対ツイート;anti-vaccine tweets」)を検討する。
5. 上記3クラスターのツイートを行ったアカウントとRTしたアカウントを集計する(「ワクチン賛成ツイート拡散アカウント:1,382,065」「政府批判拡散アカウント:248,699」「ワクチン反対ツイート拡散アカウント:196,936」)。
6. 上記3種のアカウントからそれぞれ50,000アカウントずつ無作為に抽出し、フォロー中のワクチン反対ツイート拡散アカウントの割合を算出する。
7. "ワクチン反対ツイート拡散アカウント/総フォローアカウント"の割合でソートし、上位25%(全体の12.3%以上)を"High anti-vaccine group"、下位25%(全体の0.24%未満)を"Low anti-vaccine group"とする。
ということで増田冒頭の「フォローアカウントのうち、ワクチン反対ツイートをした/RTしたアカウントの割合が少ないアカウント」ということになる。
これを「賛成派」という言葉で表現するのは実態を表しているようにはみえない。
しかし、元論文においてはこのような表現がほぼされていないといっていい。
基本的に日本語プレスリリースにおける「反対派」「賛成派」は上記メソッドで出たHigh group/Low groupとして表現されている。「反ワクチン性が高いグループ」「反ワクチン性が低いグループ」といったところ。
ただ、「ワクチン反対派」に類するフレーズは度々使われている(元からしてHigh/Low anti-vaccine groupだし)。
一方のLow groupでは、anti-vaccineに対してpro-vaccineという表現が使われている。が、ほぼ全ての用法で発言・ツイートに対してのみ使われており人に対して使われるケースは殆どない(イントロダクションに一回だけある)。
論文では誤解がないような表現にしているにも関わらずプレスリリースで「賛成派」という適切にはみえない表現を使うのはミスリーディングと言われても仕方ないのではないかと感じる。
Toriumi, F., Sakaki, T., Kobayashi, T. et al. Anti-vaccine rabbit hole leads to political representation: the case of Twitter in Japan. J Comput Soc Sc (2024). https://doi.org/10.1007/s42001-023-00241-8
こんな見やすいサイトを作るスキルがあるならさっさと損切りして別のサイトを作った方が身のためです。
政治を扱う口コミサイトはかなりハードルが高い。維持管理コストが半端ないからだ。
アンチ自民、アンチ共産といった人達はdappiや桜ういろうのような工作をする人間がかなりいる。政治の話題は党派性に凝り固まったコメントだらけだというのは、はてな見ていたらわかるだろう。
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一方、内容の信憑性の保証には検証の手間がつきまとう。内容が真実であることを保証するようなソースは世の中に存在しないことを頭に入れておく必要がある。
保守速報やハフィントンポストのような最初から中立性を投げ捨てているただのブログや、赤旗や聖教新聞のような新聞を標榜した機関紙どころか、産経、朝日、毎日、東京といった大手新聞社ですらデマに近い内容を平気で流している。最近では望月衣塑子氏の東京新聞を引用したTwitterにコミュニティノートがついたのが記憶に新しい。情報の信憑性を「↑」「↓」で評価しようものなら前述した定量評価と同じで組織力を表すだけという結論に行き着く。従って「いいね」で評価する以外の方法を考える必要があるが、そこにはコストがつきまとうし、それをユーザーに委ねれば工作員の活動の場を増やすだけである。
比較的党派性に偏りにくいのは国会での質問回数や出席回数や質問内容だがまとめたサイトはすでにある。
コストがかかりすぎるので、事業として成立させるには相応の収入が必要だが、ユーザーへの嫌がらせにしかなっていない最近のテキスト広告は将来性がないし、政治をテーマにしたサイトに積極的に広告入れたがる企業は少ない。
繰り返しになるが技術は悪いと思わない。ただテーマが泥沼にハマるタイプのものなので早々に撤退し、学んだ技術を活かして別のものを作るのが良いと思う。
タイトル通りの話を吐き出したい。
しょうもなく普通のことだが、自分自身含む家族がいつかor突然死ぬかもしれない事実が恐ろしくて、生きるのが怖くなってしまった。
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20代前半まで死ぬことばかり考えていた。自己肯定感が低かったおかげで、他人に迷惑をかけてはならない=自殺不可という考えが強くて生きながらえた。
せめて貯金して、生活に余裕が出来たら募金や寄付をして死ぬ日を待とうと決めていた。
若かりし頃には自傷も自殺未遂もした。黒歴史ではあるが、必死に生きていたんだよなと抱きしめてあげたい。
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まあ、よくある話で恥ずかしいが、躁の時に婚活して現夫に出会い自己肯定感を享受し、毒親(過干渉否定型)の洗脳が解け、子も誕生した。
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現実的には面倒な毒親の問題を抱えているし、おおげさかもしれないけど毒親に洗脳されてた過去が悔しくて悲しくて涙が止まらない夜がある。
子は赤ちゃんなので、夜泣きや諸々で体力面も精神面もゴリゴリ削られてギリギリなんとか生活できている日々。
育休中なので、復職したら仕事と育児と家事をやっていけるか?という不安もでっかい。こんなへなちょこな自分に「人間」を育てることができるかどうか?という恐怖も常にある。
子育て世帯への風当たり、政治も世間も強ない?なんで??こんな社会でマジでやっていけるか?まあ子のために地べた這いずり回る勢いで頑張るけどな!まじクソ!だから少子化なんだ!と無計画に子を作ったがゆえの無知で不満が爆発してたりもする。
だが、幸せだ。どんな悩みや葛藤や苦しみがあろうと、私を大切に尊重して愛してくれる夫がいて、なにをしたって可愛い子がいて、とても幸せ。
お金持ちにならなくても、イケメンと結婚しなくても、宝くじが当たらなくても、こんなに幸せになれるんだな。
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脱線しすぎた申し訳ない。普通のことだろうが、夫と子が死ぬかもしれないことが、自分自身が死んでしまうかもしれないことが怖くてたまらない。
病気か事故か、はたまた事件か。どうしたって治らないマイナス思考が妄想を繰り広げる。
この妄想、家族が寝静まった夜に咽び泣くほどのもの。アラサーがなにやってんだか。今も色んな起きもしないような、でも可能性はゼロではないことを想像して泣いてる。
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夫がいなくなったら、どうしよう。私は夫のいない世界で生きていけるだろうか?子のために踏ん張らなければいけない。でも、夫がいない世界で生きるなんて考えられない。
結婚など一生しない、こんなクソみたいな人間が誰かの人生を奪ってはいけないと強く決心していたくせに、転がり落ちるように結婚してこのザマだ。
いっそ不倫でもして、私の知らないどこかで幸せになって、寿命全うの老衰で死んでくれたりしないだろうか。
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子が死んでしまったらどうしよう、私はもうきっと、子がいなかった頃の夫とのふたりの生活に戻れない。
どこに行っても、何を見ても、何を食べても、なにもしなくても、家族3人で過ごした時間を思い出して泣いてしまう。
きっといつまでも前を向けない私は、夫の人生の足でまといになる。そのうち、夫も失うだろう。私はもうひとりぼっちで生きてはいけない。
結婚したものの、子は持たぬ!責任負えん!お金かかるし!夫とふたりで少し贅沢な人生を送るのだ!とかほざいてたくせに、流れるように子を持つことになってこのザマだ。
子、本当になんでも受け止めるから健康に育ってくれ。後天的障害とか、ニートとか、犯罪者になるかもとか、いろんな不安はあるけど、もう全部とっぱらって生きていてほしいと今願っているよ。
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死にたい毎日は楽だった。親も嫌いだけど見捨てられないから早く死んでほしいと願ってた(これは今も)し、自分自身もできるだけ早く死にたかった。
いつも具体的に死を想像しては心を落ち着かせていた。ニュースで無差別殺人や自然災害をみても、目の前で飛び降り自殺を見た時も、羨ましいとしか感じなかった。
死体写真を見るのも好きだった。早くこうなりたいと、心が踊った。
死への恐怖がなくて失うものがない人間って無敵なんだと思う。まさにそれだった。
私はコンナゴミクズガイキテテゴメンナサイ精神だったおかげで他者に危害を加えず済んだが、いわゆる「無敵の人」に近い状況だった。何かが少し違ったら、私も無差別殺人や両親惨殺を実行していたかもしれない……。
これは同情ではなく恐怖。こういう人間はたくさんいる。私がそうだったように。
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この前の地震も、電車で無作為に刺される事件も、事故に巻き込まれて死んでしまった親子も、全てが自分ごとで想像しては怖くて辛くて苦しくて涙が止まらない夜がある。
できるかぎりの地震対策はした。電車内でなにか起きればすぐ逃げれるよう、乗車時はベビーカーから抱っこ紐に変えている。
でも、どれだけやっても足りない。横断歩道を渡る前にどれだけ左右確認をしたって、視覚外から猛スピードで車が突っ込んできたら?たまたま道を歩いている時とかに爆発事故に巻き込まれたら?どうすれば死なずに、できれば健康に生きていける?
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死に惹かれ、死を調べ、死を妄想し、死だけを願い生きてきた過去の代償か。
生きたいと願う今、生きていてほしいと願う家族がいる今、こんなに生きたいからこそ「死んでしまうかもしれない妄想」が生活のあちこちで無意識に浮かんで、怖くてたまらない。
調べ尽くしたり妄想し尽くしたから、とてもリアルに想像できてしまう。あの亡くなったかたが、私だったら、夫だったら、子だったら。耐えられない。
もし現実になった場合、それでも生きていかなければならない。私も夫も、子も。
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とはいえ繰り返しになるが、私を大切に尊重して愛してくれる夫がいて、なにをしたって可愛い子がいて、今私はとても幸せ。
幸せなのに生きるのが怖い、こんな未来がくるなんて想像できなかったな。
私も含め、みんなこんな世界でマトモに生きてるなんてすごいよな。
概要:はまぐりに聴覚はないとされている。まぁ音なんか聴こえたところではまぐりの生存になんぞ一切寄与しないことであろう。
しかしながら、彼らが住まう海中は本来非常に騒がしい場所である。年末にも関わらず静謐とした著者の台所ではまぐりの故郷の音を聴かせることで、我々の感じ取る音ではないにせよ、何らかの刺激を受容することによる活動の変化が観察できるのではないか。
ボウルBにはYouTubeで適当に拾った海中のライブカメラ音声を聴かせる。
実験結果:
ボウルBの群はボウルAと比べて足をウニウニさせたり水管から水を吐く動きを見せた。
有意差があったと思いたいがボウルAも元気になったので冷蔵庫から常温に出して元気になっただけのようだ。
なお、味はボウルBの方が有意にしょっぱかったです。
俺の働いてる市の生保受給者は人口の1.5パーセント前後。うちの受診患者を無作為に調べてみても、大体そのあたりの数字に落ち着く。
ところがこれが夜間だと、その割合がぐっと跳ね上がる。
「日中の外来に来てくださいねー」と言っても無駄。次にお会いするのはやっぱり時間外。
午前1-5時あたりは元々患者の少ない時間帯である。生保患者はなぜか、この時間を狙ったかのように集中する。
ちなみに一般人で変な時間に来る人は、ホンモノ(本当に病気がある場合)が多く、こちらも身構えてアドレナリンが出るのだが、
生保だと軽症であることがほとんどで、仮眠時間を取られ体力が削がれる以上に気力が萎えること甚だしい。
時間外のうち救急車で来る人は1-2割だが、生保に限れば4-5割程度になる。
自宅で気分不良?たいがい酒酔いか過量内服、それかいつもの不定愁訴である。酔って転倒する奴も多いな。
週に3回とか普通。日に二回もたまに。
「あそこじゃ十分診てくれなかった」と日に複数施設をハシゴする者も。もちろん全部時間外なのは言うまでもない。
残念、それを決めるのはセンセイたちの仕事です。
きついから入院させてくれ?だってあんた検査も診察所見も全部正常ですやん。
以前救急外来から引き取った生保患者、次の日には勝手に帰ってやがった。
病室に仲間を呼び込んで苦情が来たり、トイレで煙草吸ったりする者も。
生保が診察券を出すところを目にしたことがあるが、財布の中は「○○整形外科」「△△ハートクリニック」「××内科」…と診察券でパンパン。
方々で鎮痛剤や向精神薬を過剰に処方されてるのは明白。
以前、生保の医療費が3倍というニュースがあって、怪我や病気が多いからそのくらいは普通なんて言われてたけど、
ここで、困った人が普通よりちょっと多いだけか、一部の人間が極端な悪さをしているだけで多くの生保患者は日中普通に受診してるんだろ?
という声が聞こえてきそうである。そうであればよかった。
俺の通常外来に来てる生保患者の大半が服薬もきちんとしてないし、予約した時間に来ないし、とにかく病気に対する意識が薄い。
それを指導するのがお前の仕事だろ、って?ええ。頑張ってましたよ、これまではね。でももう飽きた。
いままで何してたの、って感じの人ばっかだし。慎ましい難病患者、貧困患者、高齢者、なんてのは幻想。
もうこいつらに必要な医療といったら、疫病の感染源にならないとか、不慮の事故で死なないとか、その程度っしょ。
Y本病院みたいに囲い込んでカテーテルの実験台にしたとか、いいじゃん。もうどっかで囲い込んでくれ。そして外に出さないでくれ。
俺が助けたいのは善良な人間なんだ。ちゃんとした人たちのためなら、当直明けの勤務だって頑張れる。でももう無理。
てなわけで今年いっぱいで辞める旨を院長に伝えてきた。病理、放射線、臨床検査などの、診察のない部門での再出発を考えてる。
最近増田で話題になるゲームにハマるのは低学歴かどうかの話だが、自分の体感では学歴はあまり関係ないように思う。
自分はsmart卒、周りは公務員が多い環境だが国公立大卒、早慶その他有名私大卒、文系理系、高卒、性別問わずゲーム(スマブラ、マリカー、モンハン、バトロワ系FPSその他いろいろ)にハマっている人は結構いる、というか聞けば何かしらやっている。
マッチングアプリを見ても何かしらのゲームをやっている人は少なくない。
何千何万という統計データがあるわけではないのでn=1に毛が生えたようなものではあるが、自分の周りを見る限りではゲームは低学歴がやるものという話は当てはまらない。
ゲームにはまるかどうかの因子としては本人の知的レベル云々ではなく、年代や属しているコミュニティや各々プライベートの時間をゲームに割けるかどうかではないだろうか。
学生なら進学校(自称進学校を含む)に通っていたら本人の趣味趣向はさておき必然的に勉学を優先せざるを得なくなる。
社会人になったらなったで上司や同僚との付き合い、恋愛、婚活で優先度は上げにくい。
結婚した後も子育てなんてしていたらゲームどころかスポーツやアウトドアといった配偶者の理解を得やすい他の趣味をする時間すらも取れないだろう。
自分を取り巻く環境は定時上がりが当たり前で自分の時間を作りやすく、趣味の2つや3つは並行的にできるためゲームをしている人が多いのはそのせいではないかなと思ったりもしている。
そもそも現実の社会人のうち高学歴と言えるのは数%しかいないわけで、無作為抽出でテレビゲームやっていますか?と質問を社会人にぶつけたらいわゆる低学歴と呼ばれる人がボリューム層になるのは当たり前になる。
仮に無作為抽出した結果、社会人の学歴の分布とゲームをやっている社会人の層の学歴の分布が一致しなかったとしても、学歴と余暇の時間の相関や生活実態、コミュニティの所属状況などその辺りのデータも含めて検討して初めて証明できる話だと思う。
犯罪行為でもない趣味を捕まえて高尚だ下劣だとやるのは辟易しているので○○という趣味をするのは低学歴という話は無くなってほしい。
絵を描くのって本当にセンスが要るなって思う。
特徴を捉えつついかに描くか、いかに描かないかという取捨選択が難しい。
例えばステーキを描くとする。誰だって見たことはあるだろうから、頭にはなんとなく浮かぶ。
遠近感を意識した皿を描いてみる。これまあ記号的だしなんとなく皿だと分かる。フォークナイフも添えれば尚更。
その上にやや歪んだ楕円ないし四角を描いてみる。皿の上にあるから料理ではあるのだろうけど、これでは全くステーキには見えない。
とりあえず立体感を出すのに、側面との境界に線を引いてみようか。しかし端から端まで描いてしまうと、食べ物というよりはなんか謎の物体っぽい。しかしどこかで線を途切れさせるにも、適切な場所が分からない。
他にステーキの特徴といえば筋繊維のキメか。刃牙みたいに細かく描こうとしても、グチャグチャになって更によくわからなくなる。しかしざっと描くにも適度なデフォルメの塩梅が分からない。
あとは脂身か。赤み部分との線の濃さで脂身だと認識させたいが、これも境界に線を引くべきか否か、引くとしたらどの程度引くのか。試行錯誤しても上手くいかない。
湯気でも立たせてみようか。温泉マークの波線みたいなのを描くと、小学生が描いたウンコのイラストみたいだ。雲みたいなモヤモヤのタイプならまだマシかもしれない。でも湯気の立ち方を無作為にバラすのは難しい。これはまあ湯気を実際に観察するなり、セオリー通りの表現を真似するなりすればまあ……って感じかもしれない。
こういう特徴を上手く表現したりだとか、光沢をつける場所と描き方のセンスだとか、輪郭の線を適度な所で途切れされる感覚だとか、センスが問われるようなあって思う。これは線画?の話で油絵みたいなのだとまた少し変わるのだろうけど。
SNSとかで人の上げた絵の練習見てても、こういうのが最初からある程度出来てしまう人と出来ない人がいる。
まあスタート地点のセンスに差があるのは言わずもがな、これって練習でどうこうなるもんなんだろうかって思う。
上手い人はやっぱりどんどん上達していくし、そうでない人はやっぱりいつまで経っても自由帳の落書きっぽさが拭えない。節々で練習の形跡を感じたりはするんだけど。
前知識
・イベント参加者は自身のアカウントを登録し、イベント期間中そのアカウントの配信にリスナーから投げられたギフト数がカウントされ、上位者には賞品がある
・全ユーザーはギフトイベント期間中、特設ページから毎日1個ずつイベント参加者限定の無料ギフトを受け取ることができる。有効期限は1日
・イベント特設ページに配信中の番組やランキングが表示されるなど、無料ギフトはギフトイベントの勝敗を決めるだけでなく、新規リスナー獲得や新しい生主を知る機会にもなっている
・ユーザーはギフトを投げることにより恩恵が得られる(無料ギフトだと微細ではあるが)
・一方、そのときどき配信してるイベント参加者に無作為に投げるユーザーも多数いる
・上3項から、長時間配信できるイベント参加者は無料ギフトの数において基本的に優位
・サブアカウントによる無料ギフト稼ぎもイベントルールで禁止されている
・そのイベント参加者はほぼ24時間配信開始・終了を自動で行っている様子
・その配信中ギフトが投げられた場合、イベント参加者かリスナーがコメントでお礼する、これだけで進行する
・イベント参加者本人によるアクション(配信画面の変化や本人によるコメント)が全くない配信も複数あるようだ
・この方法で無料ギフトを相当数稼いでいる(商品圏内ではないもののランキング上位で、他のイベント参加者に流れていれば賞品圏内の順位がひっくり返るくらい)
その配信を見に行き、ギフトに対してお礼を言っていたリスナーに直接コメントで聞いてわかったこと
・お礼を言ってる人はいちリスナーでありイベント参加者とは別人とのこと(上述の中の人に含まれてるかは不明)
・そのときイベント参加者は不在だったらしい(居たら何かしら反応するよね)し実際最初から最後まで不在のこともある
なのでアカウント共有ではないし規約違反でもないというような物言いだった
思ったこと
・ニコ生みたいな場所で「『配信者が開始終了だけしてそれ以外は不在・動画ループだけ流してるような配信』を配信者の了承の上で他人が進行させる行為」ってアカウント共有に近くない?
・最低2アカウントあれば不特定多数から無料ギフト回収できるわけから、サブアカウント複数作るより効率的だよね?
・この方法で賞品圏内の順位が変わるくらいの無料ギフトを稼いでいいの?
・これで生じた差のために、推しの上位入賞を願って有料ギフトを投げるリスナーは必要以上に懐を痛めなきゃいかんの?
余談
・ギフトに対するお礼コメントが「プログラムである程度ランダムに生成してるような定型文」ぽいのばかりだった
https://togetter.com/li/2222597
例の問題はこれ
仲の良い男女8人が旅行をしておりました。
女5人、男3人が2人部屋4つに別れ、女2人部屋が2つ、男2人部屋が1つ、男女の部屋が1つできました。
各々が部屋に入り落ち着いたころ、仲居さんが部屋を訪ねました。
この問題を解説するために、男女や部屋ではなく、箱に赤い球と青い球を入れる類題に変換する。
変換したパターンは以下の2題
問1
赤玉5個と青玉3個を、2個ずつ4つの箱に入れました、赤玉2個が2箱、青玉2個が1箱、赤玉と青玉1つずつが1箱です。
ある箱から取った球が赤玉だった時もう一方の球が青玉である確率は?
答え1
これは1/5
問2
赤玉5個と青玉3個を、2個ずつ4つの箱に入れました、赤玉2個が2箱、青玉2個が1箱、赤玉と青玉1つずつが1箱です。
この4個の箱のうち、箱Aには必ず1つ以上赤玉が入っています、箱Aの赤玉が1個である確率は?
答え2
これは1/3
要するにこれ、
この文章をどう解釈するかによって問1と考える人と問2と考える人に別れるということ。
この問題が問1であるためには、「全ての部屋、全ての人が同様に返答する可能性があり、その確率は全て等しい」という前提が必要になる。
その前提を踏まえると元の問題の通り、部屋の中から聞こえる声は8パターンあり、そのうち3つの可能性が消せた、という話になるため答えが1/5となる。
が、
男性や他の部屋の女性が「今手が離せないからあなたが開けてー」と言っていた世界線と今回の女性が発言した世界線が同一の確率で起きた事象と考えることが妥当なのか?と思うと、そんなはずはない。
登場人物8名すべてが「今手が離せないからあなたが開けてー」という可能性が等しくあったとは考えられない。
とすればこれは、「部屋の中の少なくとも1名が女性であることが分かった」以上の情報を持たせてはいけないのでは、という解釈になる。
つまりだ。
この問題は、「無作為にピックアップした人が女性でした」で終わればそれでよいところを、必要以上の詳細なハプニングを書いてしまったため、「無作為なピックアップと考えるのは無理がある」という解釈を発生させてしまったところに問題がある。
要するに悪問なのだよ。
まとめ中にも「こんなにも同様に確からしさが感じられない問題はじめて見ました」ってツイートがあるが、そこが本当に問題。
解答の説明に「この女性が5人のうち誰かは同様に確からしい」と書いてあるけど、全ての女性が同様に声を発するという前提がない限り「どのパターンも同様に確からし」くないからね。
「部屋を開けて1人を見ました」と意味が変わってくる。
検出によるバイアスに疑念が生じるほどのディテールを書くと数学では悪問になる。
そこの前提の確率を確定させられないなら、問2パターンと解釈して答えは1/3と答えるしかないよね。