「国民感情」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 国民感情とは

2017-09-01

追悼文をやめて得たかったもの

追悼文をやめて何を得るのか

わかりきったことだ

追悼文をやめて得たかったもの

それは日本人の支持だ、票だ

政治家である以上絶対必要ものだろう

ブコメにも散見されるが、何を得たいのか本気でわからない人はイデオロギーに染まり視野が狭くなっている

自分思想信条を抜きにして、何が目的か、だけを考えれば自明ではないか

現状、韓国及び朝鮮への国民感情は完全に冷え切っている

口には出さないだろうが

朝鮮人虐殺してくれてよかった」

とさえ思ってしま人間は、きっと、私が思っている以上にこの日本にいるのだろう

都知事はそういった、韓国を軽視することで喜ぶ日本人…すなわち静かな大衆へ向けてメッセージを送っているにすぎない

2017-08-18

https://anond.hatelabo.jp/20170818221258

あそこは、ダメダメもなにも、いわゆる世界共通認識する国家とは違う存在ある意味「真の民主主義」(=ポピュリズム真骨頂)だな‥何せ、法より国民感情が優先なのでしたっけ‥プロパガンダが得意な国から容易に操作される国民でもあります

2017-06-29

日本は一度失敗したらやり直せないってよく言うけど、

何年も前のことを未だにネチネチ突いたり、おまえがいうな理論がまかり通ったり、本人以外の近縁者にも責任を取らせる風潮が根強かったりで、

まさにその通りだなって思う。

これが国民感情だっていうなら残念だ。

2017-06-26

なぜ日本で基礎研究が軽視されるのか、2つの記事で腑に落ちた気が

先日ホッテントリ化した、口は悪いけど舌は鋭い増田

はてなの中高年は今井絵理子の発言を理解できない

あいつらは「批判」をすっごい悪いことって意味で使ってるの。
批判」は和を乱すとか喧嘩を売るって意味しかない。ケチをつける。因縁をつける。人の気分を悪くする。
批判は、すごくネガティブな、ピースフルでない、縁起の悪い行いなわけ。喧嘩とかケチ付けってことなわけ。

と、ここのコメントの1つ

研究者の頭脳と時間を、違うことに使いすぎている - 日経テクノロジーオンラインブコメ

基礎研究と応用研究政治家アカデミズム算数ドリルがまだ区別できておらず「基礎なんかすっ飛ばし最初から応用問題が解けた方が効率よいし偉くね?」って本気で思ってそうなくらい、基礎研究軽視だからなー
2017/06/24 17:10

2つが脳味噌の中で化学反応して、

なんで歴代ノーベル賞受賞者の面々が口を揃えて異口同音に「日本は基礎研究予算かけなさすぎ」って叫んでるのに、政治が一向に基礎研究への予算配分増に対して及び腰なのか、
一方で金欠だ振興費はもう頭打ちだと言う割に「チョコレートで脳が若返る」とかいう明治PRにノせられスライドだけ無駄に立派なトンデモ似非研究内閣府が飛び付いて、予算がすんなりタンマリ通るのか、自分の中で勝手に謎が氷解した。

いつもなら「選ぶ側の政治家科学研究学問に対して無知無理解から」「真偽を判断するだけの科学リテラシー知識が無いから」で済まされて、最終的に「日本の政治家がバカばかりなのが悪い」と結論づけられるが、
多分それだけじゃない。使ってる言語体系と価値観の相違も勘定に入れるべきだったんだ。

何が言いたいの?

まり内閣府の皆さんや現行の政治家の皆さんの多くが「基礎研究」「応用研究」の頭に付く「基礎/応用」という修飾語を、我々と違うニュアンスで捉えてるかもしれない、ってことだ。

・「基礎研究」と「応用研究」(大学研究機関
・「基礎問題」と「応用問題」(数学問題集

似てるようで全く異なる両者を、同じ意味イメージしていらっしゃる可能性が非常に高いかもしれない…ってことだ。

まり

「基礎研究というものは、延々と3+(-4)=-1… みたいな、計算ドリル初歩の練習問題を繰り返してつまづいている段階であり、それすらすぐ正答できないという事は無知で後進的で恥ずべきこと。
 基礎なんかはもうとっくに出来てる前提で、応用研究問題)がスラスラ解けるようになる事が到達目標であり良いこと。だから限られた研究予算は、基礎研究問題)なんかをいつまでもダラダラやってる子(大学)よりも、
 成果がすぐ見える応用研究問題)をいっぱい手がけてる優秀な子(大学)に優先して配分するよ!」…という盛大な勘違い価値観のまま、表彰対象を選んでる可能性がある。

…いやそれも「連中が無知なのには変わりないだろ」と突っ込まれるかもしれないが、純粋に知らないのと、知ったつもりで誤解したままなのでは話が別だ。
もし「基礎<応用」という上記のニュアンスで捉えている人が多かったら、科学者の"基礎研究大事しろ"の声が政治家に届かない理由も分かる。

"基礎研究なんて膨大な無駄の中からほんの少し凄いものが出てくるって世界(id:k_oniisan)"っていう正論も、「基礎の段でつまづいてるような出来の悪い子が、こづかい減らされるのを恐れて出来ない理由言い訳を並べている」
しか受け取られていないかもしれんわけだ。たまーに偉いノーベル賞受賞者先生擁護して同じことを言っても、「出来の悪い子を、自分の身内やお友達や生徒だからって庇い立てしてるだけだ」と見做されているわけだ。

他方、基礎を終わらせて、もしくは基礎を飛び級して、成果の出る研究、金になる研究、応用研究軸足を移し、先駆けて沢山手がけている子こそが優秀であり、高効率であり、限られた科研費の優先投資先として
相応しいのだと。そういうロジックで選んでるのだとしたら、民間企業協力のキャッチーな予備実験や仮説もどきの方が最先端研究だと持て囃されるのも実に納得だ。

そりゃ平行線にもなるわ。

書いてて絶望的になってきた。自分だけの思い込みかもしれないけど、これで科学立国とかマジで無理ゲーじゃね?

2017-06-28 追記

思った以上に賛否色々とブコメトラバを頂き、話題をすぐ畳むのが勿体なくなったので折角もう少し風呂敷広げてみよう(広げた後に収拾する気があるとは言ってない)

予算」という言葉も同じく、科学者-政治家間で定義がすれ違ってる説

id:outalaw 「予算」という言葉がすれ違っていそう。科学者たちは恒久的な人件費を含めているが、行政は一時的な雇用費や物品費こそ予算と捉えており、行政のいう予算は横ばいだが科学者のいう予算は減り研究時間も減っている。
id:death6coin トランプアメリカもっと低い次元にいそう/http://www.nistep.go.jp/archives/32530によれば予算的には減っていないが出どころが変化しており、研究者に成果へのプレッシャーがあるのではないかとの分析がされていた。

確かにその可能性も高そう。年度毎に補助金申請書を書き直さなくてもよい永続的フロー保障される事を要求する研究者サイドと、◯期活動分のキャッシュを確保することに奔走し、科研費増なんて出来るわけがない現実を見据えてる政治家サイド。
かたや「基礎研究への予算が増えない」と嘆き、かたや「予算は水準維持してる」と主張するのも、どちらかが嘘付きって事ではないはず。おなじ「金」のことを話してるんだからすれ違うはずがないと思いきや、両者の中で定義が違うままと。
で、河野太郎の研究者の皆様シリーズもまた、ブクマ上位によく来る人気エントリだが、結局できる事は"成果を生まない大型プロジェクトをつぶしてほかのことに振り替えるか、または成果を生まない研究者予算をほかに振り替えるか"
実際上記の通りプレッシャーかかってます

元々長期的視点つのが苦手な上に、科学技術振興予算の上限まであっては、短期的に金になる成果を優先せざるを得ない

*id:kaeuta 馬鹿にしたい気持ちはわかるが、今の政権経済産業寄りという点に尽きる気が。国民感情的に「膨大な無駄」が許される状況ではなく、基礎研究がすぐに金を生まない以上、金になりやすい応用研究が推進されるのだろう
*id:mainasuplus 増田にもあるけど、短期的に金になると想定される分野にしか研究費を突っ込みたくないのだろう。基礎研究文系学問研究費が落ちてこないのはほぼこれに尽きると思う。

予算は限られてて、社会保障費並の伸び率で野放図に増やすわけにはいかない。じゃけんせめて、振り分ける対象の厳選仕分け優先順位付けくらいきちんとしましょうね~ という大筋は正しい。
が、それでも「基礎研究に割り振る比率はもう十分与えたから、与えられた枠内で工夫するか減らすかしてね」には強く反対する。

また抽象的な例え話に飛ぶが、国民政府も喉が渇いてて、収穫すればすぐ生食できて喉が潤う万能フルーツ『成果』の大規模栽培を皆が渇望しているわけで。
収量予想や収穫期限コミットまで厳しくガン詰めされているので、使える湯水(金)も限られ、なおさら『成果』を優先栽培する以外に選択肢はないわけで。
でも、その『成果』を栽培するにあたって必須となる土づくりと肥料、その名も『基礎研究』…これは今すぐ食えるモノじゃないし成功保障も低いから、金かけるのは後回しにしてね。そう言ってるわけだ。
もしこれから科学事業を再び仕分けていくにしろ、まかり間違って奇跡が起き科学振興予算が倍増するにしろ、上記の思想ベースである限り、どれだけ湯水の如き金があっても、きっと土壌と肥料最後まで後回しで、
皆こぞって効率良い『成果』の密植技術開発に明け暮れるのだろうね。やがてサイエンスという土壌は、キャパを超えて過剰密植された『成果』に養分を吸われて徐々に痩せてゆき追肥もされないので
最期は何も生えない不毛の大地けが残りましたとさ。めでたしめでたし


省庁や官僚役人は流石にそこまでバカじゃないし正しい意味知ってるけど、敢えて政治家への啓蒙放置して状況を利用してるよね

これには強く同意する。事業仕分けとかで管轄範囲権益を侵さない限りは、知った上で正しく確信犯として野放しにしてる感


「基礎」って言葉が誤解を招いてるから、別の語に置き換えよう(提案

ボケ痴呆認知症」っていう事例もあることだし、たか言葉遊されど言葉遊び、形からでも変えてみる意味はあるかもね。
但し、「障がい者子どもメクラチビゴミムシダマシ」のように、無理に言葉狩りして理念が追い付いてない、仏像彫って魂入れずだと反感を買うおそれもあるね

2017-06-02

韓国慰安婦合意なんて破棄すればいいのにね

正直、日本以外の国から信用を失うなんてないと思う。

この場合日本が悪くて国民感情がこじれにこじれてる事案だからで、自分の国との合意はそう簡単に破棄するような国じゃないって、他国はわかってるし。

2017-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20170525161136

思うんだけど、特定の分野の専門家のくせに、自分の専門外の分野に偉そうに口出しするやつってはてなどころかテレビタレントとか一般にもいっぱいいんじゃん。

ネット界隈だど、例えば韓国が「国家間約束はしたが国民感情が許さない」と言ったり、豊洲移転の話で「安全データがあっても安心がないので移転できない」とか言うのを見て「感情論否定するのは理屈でモノを考えられないバカのすること」みたいな偉そうなこと言うやつがいるでしょ。

ところがそういうやつらが例えば「LGBT権利を認めるか」とか「女性の性被害をどうするか」とかいった話題になると途端に「国民感情ガー」とか「生物本能ガー」とかすげ曖昧感情論的なことを根拠に話をし始めたりするわけ。

自分の知らないところは黙っとけばいいのに、自分はなんでも知ってるふうに思って口を出そうとするから無自覚ダブルスタンダードができるんだよな。

要するに、みんなバカってことさ。

2017-05-08

ネトウヨ中国によっていきそう

な気がしている。

韓国は毛嫌いしてるけど中国ちょっと国民感情的にも違うのでね。

左翼ますますお株奪われるな。

2016-11-09

政治AIができたとしてその判断基準ってなに? 国民感情ビッグデータとして食わせるの?

2016-07-10

自民反自民支持率を割り出して、その割合に応じて自民と民進で議席を配分すりゃいいだけだろ。

なんで全員が投票する必要あるん?

日本人女性の平均のおっぱいサイズを調べるために全員のおっぱいを測る必要ないじゃん。

1000人も調べて、平均とればよくね?

そもそも、二院制とか意味あるの?

解散がない参議院議員のほうが国民感情に流された議論になりにくい、専門的な議論を尽くせる、みたいな理由だった気がするけど、参議院議員こそ芸能人とかスポーツ選手とか当選してるから説得力なくね?

現行制度だと、必ず投票に行く組織票ノイズデカいから、せっせ投票率を上げる必要があるんだろうけど、そもそも制度設計に無理があるだろ。

紙に名前書いて人が数えるとか、いま21世紀だぞ?

50個もボタンがあるクソ仕様テレビリモコンをこういう時に活用すりゃいいだろ。

2016-07-07

真夏の夜の淫夢ロンドンパンクは同じだ

緒言

 ついさっき、こんなエントリーを見かけた。

私は淫夢を憎んでいる - はてな匿名ダイアリー

http://anond.hatelabo.jp/20141116192322

 これは1年半ほど前に書かれた文章で、当時はまだ淫夢コンテンツが隆盛の頃である。それが今更になってTwitterで密かな話題となっていた。この文章を見た瞬間に「俺も持論を展開したい!」と子供染みた高揚感に襲われたので、一つ、書いてみる事にした。

 その持論とはパンクロック淫夢根底では同じ現象であるというものだ。ただ、それを解説する為には、まず淫夢というコンテンツのものについて考えなければならない。

淫夢というコンテンツ

 ここで指すところの“真夏の夜の淫夢(以下、淫夢呼称)”とは、2001年コートコーポレーションから発売された「BABYLON STAGE34 真夏の夜の淫夢」とその他関連したゲイポルノビデオの内容を大手インターネット動画サイトニコニコ動画」に転載した一連のコンテンツである。そもそもは、プロ野球選手多田野数人氏がこのビデオに出演したとされるスキャンダル2002年の夏頃に週刊誌インターネット等で報じられ、それを面白がった2ちゃんねるユーザーがこれを「ネタ」とした事に始まる。要するに、このコンテンツはかなり息の長いものであり、その歴史は14年にも及ぶ事になる。

 一方で、淫夢日本に於けるインターネット文化メインストリームに飛び出してきたのはごく最近である。例えば、ニコニコ動画流行を発生される端緒となったMAD動画である霊夢 so クッキー☆」が投稿されたのが2010年10月30日のことだ。流行の原因はひとえに萌え文化に食い込んだ事にある。当時流行していた東方Projectに乗っかり、馬鹿にするような形で、淫夢は知名度を上げた。そしてこの動画淫夢要素として登場したのが通称野獣先輩(役名:田所浩二)」である最初にこの動画を見ると恐怖と嫌悪感を覚えることだろう。最初アニメキャラのMADなのに、動画後半でガタイの良い野性的な男が突然喘ぎだすのだ。インパクトは大きいが、初めてこの動画淫夢に触れた人間は到底笑う事ができないだろう。

 そう、冒頭のエントリーでも言われていたように、淫夢コンテンツは「人を遠ざけること」を以て成立していた。そして、同時に人気のコンテンツに対して「喧嘩を売る」ことも淫夢を支える原動力となっていた。ところで、冒頭のエントリーでは「理解されることを嫌う」という部分に主軸が置かれていたが、「風評被害」などの全方位爆撃と言われるような無差別迷惑行為が行われる原因には余り言及されていない。そもそも、意味もなく「風評被害」を撒き散らしてコンテンツ占領する事は、淫夢の大きな特徴の一つであるしかしこれを単に「定型文を楽しみたいがため」であると考えるのは早計である。このような無差別破壊行為を行う危険分子には一つ記憶がある。それは1970年代後半のロンドンパンクである

ロンドンパンク淫夢

 パンクロックと言われて皆さんは何を想像するだろうか。まずもってハードコアロック想像する人が大多数であると思う。次にセックスピストルズ連想する人が多いだろう。ここでイギー・ポップ想像された方は私と趣味が合うので、酒でも飲み交わしたいところだ。それはさておき、パンクロックというのは至極曖昧な分類である結論を言えばハードメタルロック特にパンクではない。パンクロックとは、超絶技巧進化しすぎたロックに対する反骨として、若者たち楽器を取って破壊的な演奏をしたことに始まる。パンクロックは常に若者と共にあった。その中でもロンドンパンクセックスピストルズパンク代名詞的に語られる事が多い。そして、今回淫夢ムーブメントと対比して語るのも、ロンドンパンクであり、セックスピストルズである

 パンクロックの特徴の一つとして、演奏適当で、歌も酷く、歌詞過激、という部分がある。最早そこに芸術性などなく、ただ単調な破壊行為のみが残る。そういう音楽である。そして、ロンドンパンク全盛期(のみならずパンクの曲)の歌詞を聞けば分かるが、その内容は全方位爆撃という言葉に等しい。そしてそれが流行した背景には当時の社会情勢があった。1960年代以降のイギリスと言えば「英国病(もしくは"Sick man of Europe")」と呼ばれる長い停滞の時代にあった。特に1970年代後半は労組賃上げ交渉のために社会機能が混乱に陥り、それが更に深刻な影響をイギリス全体に与えていた。

 淫夢流行の端緒となったのは「霊夢 so クッキー☆」であるとの持論を先程展開したが、それでも淫夢アングラ文化である事に変わりは無かった。淫夢一般的にも受け入れられるようになったのは2013年2014年ごろの事である2014年の冬には女子中高生流行語として「微レ存」(“微粒子レベル存在している”という内容の淫夢用語)が取り上げられているなど、ある程度社会に影響を及ぼす立場淫夢というコンテンツが進展している事が分かる。

参考:「Ameba」が2014年「JCJK流行語ランキング」発表 流行語1位は「ダメよ~ダメダメ」、「かまちょ」「KS」など新しいJCJK語も上位に 流行っていたモノ・コト1位は「壁ドン

https://www.cyberagent.co.jp/news/press/detail/id=9551&season=2014&category=ameba

 さて、2010年から2014年の間に何があったかと言えば、2010年ごろから尖閣諸島問題が表面化し、更にGDPでは日中順位が逆転、対中関係政治的にも国民感情的にも急激な悪化の一途を辿った。2011年には東日本大震災とそれに伴う原発事故が起こり、それ以来日本社会に大きな影を落とした。2011年から2012年に掛けては円高が続き、日本経済は大きな不況に陥った。そもそもバブル崩壊以後の日本経済は停滞を続け、災害リスク政治不信など、社会情勢はとても良好とは言えなかった。要するに、日本英国病と何ら変わらない状況に陥っていた。(もしくは今も陥っている。)

 当たり前だが、人間はそういう状況で不満を溜め込むものである淫夢はそういった不満の捌け口となる「パンク的」なコンテンツとして、この頃から急激に勢力を伸ばしていった。淫夢というコンテンツが「人を遠ざける」事を絶対の掟とするのは、この攻撃的な性質と表裏一体である。そして、今度は「攻撃する事」そのもの淫夢価値として利用されるようになった。

 ニコニコ動画に於ける淫夢というコンテンツの裏にはニコニコ動画運営に対する反骨精神が常に見え隠れしている。例えば「ニコニコ本社爆破シリーズ」や「ニコファーレ」を淫夢動画占領するなどといった行為にそれは顕著であるニコニコ動画では卑猥動画は削除されるようになっている。淫夢を題材にした動画もそういった理由で削除される事が多く、「ホモコースト」と呼称されている。ここでのニコニコ動画運営ある意味既得権益層として扱われている。そして、淫夢というコンテンツに集った人間抑制する「大人」として常に反骨の対象となっている。この構造ロンドンパンクでも同じだった。有名なセックスピストルズ契約を中途破棄した大手レコードレーベルEMIに対して中傷を加えるような楽曲EMI』を制作し発売している。

 かつては純粋同性愛者に対する侮蔑意味から成り立っていたコンテンツも、近年では方向性が変わり、日本社会全体に対する皮肉や激しい中傷が込められたものとなっている。

ロンドンパンク終焉淫夢の衰退

 ロンドンパンクは一瞬にして終焉を迎えた事で知られている。例えばセックスピストルズアメリカツアー中に解散し、それからロンドンパンクブームは急激に終息へと向かった。結局はバンドメンバー喧嘩別れなのだが、一般的には「セックスピストルズ時代に果たした役割は終わっていたから」と解説される事が多い。これは何を示すのか。

 淫夢に目を移してみよう。2010年頃、ニコニコ動画淫夢流行りだしたとき流入してきたのは所謂「はぐれ者」のような人間だった。彼らは「人に理解されない」という事を自覚している。そこでそれを逆手に取って、「絶対理解されないコンテンツ」で活動する事にしたのだ。淫夢が隆盛すると、淫夢という荒削りだったコンテンツにも多くの優秀なクリエイターが参入してきた。彼らもまた社会のはぐれ者だったが、その技術力によって淫夢というコンテンツニコニコ動画の中で確実に育っていった。そしてすぐにも一般的人間にも受け入れられるコンテンツへと淫夢は成長した。

 近年のアニメ文化にも同じ現象が見られる。元々深夜帯のアニメは「はぐれ者」の為のコンテンツだった。しかし、深夜アニメコンテンツとしての成長とともに、十分一般大衆に受け入れられるようになってきた。しかし一方でそれは“古参”のオタクと新たにアニメを視聴し始めた人間の間に溝を生む事になった。近頃では、社会的弱者というよりは立場の強い者でもアニメを見るようになったので、そういった人間の行動がオタクの内輪で問題になる事も多くなってきた。(ラブライブに関する騒動など。)

 淫夢でもこれと同じ事が、より急激なスピードで起こった。淫夢大衆化が進み過ぎて、比較的容易に理解されるコンテンツとなってしまった。動画コメントにも「掟」を破るようなものが出てくる。また、淫夢動画自体攻撃する側からされる側へと変化していった。そうなると、過激作品を作る意味もなくなっていく。淫夢に関連する動画を作っていたユーザーは更に先鋭化した動画へと転向するか、もしくは全く違うコンテンツに乗り換える事を余儀なくされた。もちろん、動画を作る人間が残されたユーザーに居なかった訳ではないが、理解しがたい価値からまれる笑いを作り上げる事は難しくなった。現在淫夢では、無意味誹謗中傷を繰り返すタイプコンテンツと、「現場監督」などの更に理解しがたいコンテンツへと興味が進展している。一方でコアな視聴者層流出も止まらず、最盛期にはニコニコランキングのその他カテゴリ10位以内を常に占拠していたが、今では半分にも満たないことが多くなった。

 セックスピストルズの解散理由であるところの「役割が終わった」とは、言い換えれば過激な事をしても面白くなくなったということである自分自身メインストリームに近づいてしまった事により、メインストリームに対する攻撃を加える事が最早できなくなった時点で、ロンドンパンク現在淫夢というコンテンツ終焉や衰退へと向かう事は規定路線であったということである

淫夢日本社会に残したもの、これから果たす役割

 攻撃的で人間を遠ざけるようなコンテンツは何も淫夢だけではない。2ちゃんねるの「なんでも実況板J」発のコンテンツには類似した攻撃性、特殊性を持ったコンテンツが多く存在している。一つは野球選手を題材としたカッスレなどの誹謗中傷を行うコンテンツである。もう一つは聞いた人も多いと思うが唐澤貴洋弁護士に対する一連の誹謗中傷である。どちらも淫夢より更に先鋭的であり、社会に与える影響もコンテンツの規模に比して大きい。後者特に爆破予告やGoogleMapの書き換え騒動などで、社会に対して影響を与え始めている。

 そしていずれも淫夢コンテンツに集っていた人間ユーザー層が被っているという事が重要である。そして、これから淫夢と同様に勃興していく可能性を秘めている。それはつまり淫夢というコンテンツはもしかするとこれから起こる日本社会全体に対する反抗的ムーブメントの始まりに過ぎないかもしれないということだ。淫夢というコンテンツは「因縁を付けて他のコンテンツ占領する」という重要特性を発現し、それが日本アングラインターネット文化に与えた影響は大きい。

 パンクロックが「タブー無視した過激表現」という点で後の様々なコンテンツに影響を与えたように、もはや淫夢というコンテンツ日本の文化に与える影響は無視できないものとなっている。冒頭の記事で「ニコニコ動画を滅亡させるもの」として記述されていた淫夢は、果ては日本一種意味で「壊す」コンテンツとしての役割を担う可能性がある。淫夢ニコニコ動画であり、日本でもあるのだ。つまるところ、今起きている淫夢というコンテンツ拡散はこのコンテンツ特有事象ではなく、もっと巨大な社会的情勢の要請から来るものであるという事だ。

 では、我々は次に何をすべきか。社会を食い潰しながら、次々と勃興しては衰退する攻撃的なコンテンツを前に、それをどうするべきか。淫夢風評被害を広める人間が悪い訳ではない。唐澤貴洋に殺害予告をする人間が悪い訳でもない。そしてパンクロック演奏した人間が悪い訳でもなかった。彼らに対して批判を加える前に、彼らに対して何ができるのかを考えてみてほしい。

2016-04-19

被災の度に自衛隊礼賛、被災地支援をってさあ

これこそ他山の石って感じがしてならない

被災地から離れた場所に住んでるから地震自体全くなかったので実感がわかないというのもあるだろうが

あれ、裏で国民感情扇動してうまいことやろうとしてる政治家かいるんじゃないの?

募金するならちゃんとした組織を選んでしなければ...って、そこまで調べてまで募金しようとは思わないんだよなあ。募金って端金の処理の手段の一つであって目的ではない。

ネットがなければ、全く関係ない他人に対してどうしてそこまで能動的に接したいと思うんだろうなあ。ツイッターみてると、支援がしたいというよりは、被災地支援積極的な「ワタシ」を見て!と主張してるようにみえてならない

2015-12-02

妄想ミャンマー国軍保守派幹部との一問一答

おことわり

http://anond.hatelabo.jp/20151201220634を見たのでなんとなく書いてみた。

なお、筆者はミャンマー情勢に大して関心を持ってないので、日本語新聞日本語ニュース番組程度の情報しか得ていません。以下の内容はその限定的情報テンプレ応答に放り込んだだけです。

本文
  • Q:どういうことなのか
    • A:国軍国民から嫌われていることがはっきりと示された。それなのに、次の選挙で勝たねばならない。
  • Q:与党の失政を待つということか
    • A:いささか消極的な言い方に過ぎる。我々の既得権に手を付ける「改革」には異議を唱えるし、水面下での抵抗にも努める。
  • Q:失政を起こさせる、と
    • A:もちろん、我々がわざわざ悪役を引き受けて、与党の株を上げてやるつもりはないから、表面的に譲歩する可能性はある。原則同意して実行で足を引っ張るという方法だ。まあ、与党が自滅する可能性も高いと見ているが。
  • Q:それはどのような可能性があるか
  • Q:本当に対立を煽らないのか
    • A:やろうと思えばやれる。例えば少数派の過激勢力に武器を渡すとか、そういう勢力の仕業に見せ掛けたテロを起こすとか。だが、発覚した場合リスクを考えると、当面は現実的ではない。それに他にも手はいくらでもある。
  • Q:たとえばどのような手が
    • A:簡単な物としては情報操作だ。「彼らの言い分に大幅に譲歩した政策政権が用意している」といった噂を流す。簡単で効果的な手だ。実際にそんな政策があっても、なかっても、どちらに転んでも政権ダメージになる。
  • Q:どちらに転んでも、というのが分からない
  • Q:仮定の話でなく、実際に噂を流しているのではないか
    • A:発端が自然発生だったのか、我々が流した物なのかは大した違いはない。人間、悪いニュースには常に敏感であり、勝手な尾ひれを付けて拡散したがる生物だ。社会不安の芽が既に存在している以上、よほど強力な統制を行わない限り、噂は広がり続ける。
  • Q:政権に協力するシナリオはないのか
    • A:先ほど話した表面的な譲歩はともかく、それ以上は特に考えていない。軍の権益温存に全面同意するというのであれば、まあ、考えないでもないが、そこまで分かりやすい「変節」を国民が見逃すとでも思うのかね?
  • Q:次回総選挙でも勝てなかったらどうするのか
    • A:どうもしない。それは単に「失政」による評価の下落が足りてないというだけの話だ。軍が一丸である限り「改革」は絶対成功しない。であれば、次の次の選挙まで待てば十分だろう。
  • Q:軍は本当に一丸なのか
    • A:痛いところを突く。確かに改革派と呼ばれる分子がいないわけではない。だが、勢力はそれほど大きくない。軍の大半は権益死守に同意している。
  • Q:次の選挙与党議席を減らせば、そういう余地が出るのではないか
    • A:仮定の話になるが、可能性だけならば考えられる。
  • Q:そうなったらどうするのか
    • A:仮定に仮定を重ねる話で答えにくい。その時の国際環境国民感情次第だ。君たちが期待するような派手なクーデターを行って政権転覆、といった話にはならないと思う。

2015-09-03

もしも、おでんポスターが赦されていたら。

オリンピックエンブレムの件。

あのセブンイレブンおでんポスター協会に赦されていたら、

少し違う流れになっていたんじゃないかと思うようになった。

もちろん公序良俗範囲だけど、エンブレムに対してパロディー二次創作大いに結構

というスタンスを取ることができたなら、

エンブレム国民みんなのものというメッセージを送ることができたなら。

あのおでんポスターが、一般受けしにくいエンブレム国民感情の距離を縮める、

接着剤になったんじゃないかという気がしてならない。

2015-06-05

クレーム対応忙殺される日本年金機構の職員が、その仕事のせいでうつ病発症したとしても、

国民感情としては「ざまぁwww」なんだろうな。

2015-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20150603221641

亀でスマンが、元増田だけどな、

韓国 米国 外交」とか「韓国 中国 外交」とか「米国 北朝鮮」とか「北朝鮮 粛清」とか「北朝鮮 人事」とかで、期間指定でググってみ

ここ1~2年で、急に緊張感が増してるの判るから

特に米国筋が一昨年あたりから警戒レベル上げてたのが、最近さらに上がってる。

やっぱ三男坊が無茶な人事してるの不気味なんだよ。

どうすんのかだけどな、オマエがどうするのか考える必要があるんだよ。

韓国嫌いから韓国は助けたくないなら、それもアリ。他国戦争に首突っ込むこと無いもんな。

その場合は、集団的自衛権とか論外かつ、アメリカにネゴっとく必要があるから自民党安倍細田派には選挙で票を入れちゃならん。

たぶん、今んトコ共産党一択になって、どちらかと言うとアメリカとネゴる為に、中国寄りの外交政策を支持する事になるはず。

その流れで、平和安全法制とかちゃんと見といて、誰が何言うか確認して、選挙で落としたり票入れたりする必要がある。

逆に、アメリカ抜きの安全保障とか無理筋だと思うなら、自民党に票入れて、かつ、暴走しないように危険なヤツは落とす必要がある。

その場合は、国民感情抜きにして、北朝鮮韓国間で戦争状態に入った時に、アメリカから要請で、たぶん自衛隊が出る。

わりと昔からロシア漁夫の利を狙って高みの見物決めてくるから、そっちも見とく必要はある。

さらもっと具体的に言えば、「オマエ自身」はどうすんのか?って話にもなる。

北朝鮮韓国戦争するのは(アメリカですら無理なのに)オマエには止められねえだろ。

で、今んトコ徴兵制は導入されねえだろうし、戦地に行くことはたぶん無いが、戦場になることは十分考えられる。

(具体的に言えば、近所に自衛隊レーダー基地とかあったら、ミサイル飛んでくるかもな。日本海側なら直接的に脅威に晒されてる)

引っ越しするのか、無駄だと思ってなにもしないのか、何なら国外避難できるように英語スペイン語日常会話ぐらいはできるようになっとくのか。

スペイン語なら日本語発音似てるからアンチョコ片手の日常会話はそこまで難易度高くねえよ)

そういう危機感を持っとく必要があるって話だよ。パスポートなきゃ国外脱出も出来ねえぞ。

自分には「どうにもできない」ってのと「できるのに何もしない」のは、違うぞ。

満州とか台湾とかの引き上げでも、準備してたやつから返ってきてるし、出遅れ人達は、やっぱ悲惨だったぞ。

2015-05-28

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん