はてなキーワード: 伴奏とは
殺害予告と取られかねない、つーか殺害予告未遂の話だから通報とかされたら怖いけど故人だし大丈夫っしょ、と思ったらまだ生きてんの?死亡確認されてないだけなの?わかんねーよ、世代の分け隔てなんて関係ねーよ
まぁ一応伏せ字にしとくか。
友達いないし、そもそも楽譜読めないし楽器も弾けないのにバンドとか音楽やろうとするバカっているじゃないですか。
それ俺ね。
で、運転中とかにメロディーとかフレーズがフッと浮かぶことがあって。
大体は昔聴いた曲の一部を思い出してるだけで、後から気づいて「フンフンフーン、フフフフフーン…ってこれ、devoのモンゴロイド~!」ってなったりするけど。
でもその時は違ってて。
というのも、
タンタンタン、タンタンタン(ピッキング)ダンダンダン!ダンダンダン(ストローク!)
っていう、リズムだけの何かが浮かんできて。
「安倍晋三○す…安倍晋三○す…(ウィスパー)安倍晋三○す!安ー倍晋三○す!(シャウト!)」
9文字だけの歌詞、コードも糞もない伴奏(ハンドルバンバン叩いて歌ってた)、それでいて静と動がハッキリしていて盛り上がりがあり(radiohead)
何より歌詞が殺害予告ってのが意味不明で危険でバカバカしくて反社会的で、すっかり気に入ってしまった
そもそも殺害予告だし、じゃあtor噛ませて匿名化しようにも、殆どのサイトでtorが規制されていたので諦めた。
そうこうしてるうちに、相模原の障害者殺人、ALS患者の殺人事件が発生した。
その影響もあり、安倍晋三○す、というフレーズは素晴らしいが、誰であれ、やはり殺すのは良くない、と考えるようになり、
ただ、どっちにしろ脅迫と取られそうなので発表の機会もなく、たまに鼻歌で歌う程度だった。
で、今回の襲撃な。死んでるか死んでないかしらんが、少なくとも殺され(かけ)たわけで。
うっかりtorでアップ出来ちゃってたら、今頃容疑者扱いされてたんかな~なんて。
死んでたら遠慮なく安倍晋三○すできるけどどうなんすかね~?
昨日水曜日のダウンタウンでやっていた「マツケンサンバを踊りながら泣くことなど出来ない説」。
マツケンサンバIIが流行ってCDがリリースされた2004年当時、俺は就職活動中の大学生で、将来に不安を抱きながら日々を過ごしていた。そんなとき、ラジオで、テレビで、カラオケで、マツケンサンバIIを聴くたび、その時間だけでも不安な気持ちが和らいだんだ。
社会人になって20年近く経つけど、マツケンサンバIIを聴くと大学生活とか部活とかの思い出がよみがえって泣けてきちゃうよ。
あと地味に伴奏もかっこいいんだよな! よく聴いてみてほしい。腰元ダンサーとか照明とか紙吹雪とか舞台演出も含めて、みんなでがんばって幸せ空間を作ろうとしていて、実際、曲の間は幸せな時間に包まれていて、個人的な思い入れもあるけど、この要素でも泣けちゃうなぁ。
https://anond.hatelabo.jp/20220621150930 を書いていると好きなエロゲソングを沢山思い出した。数が多いので作編曲者ごとに分類する。
さすがに作編曲者までは記憶していないのでWebで調べながらまとめる。YouTubeに公式がアップロードした音源があればURLを書いておく。
書式は、
音楽のことを知らないので客観的には変なことを書くと思うが、わたしがこう思った、わたしがこう感じた、は事実なので気にせず書いておく。
その他の好きな曲は、[見上げてごらん、夜空の星を]Winter Diamond、[空と海が、ふれあう彼方]Step into the Ocean
その他の好きな曲は、[ウルトラ魔法少女まなな]Blue Planet、[空と海が、ふれあう彼方]Step into the Ocean、[初恋サクラメント]青空の約束
その他の好きな曲は特になし。
その他の好きな曲は、[失われた未来を求めて]Salut.soleil!
その他の好きな曲は、[WHITE ALBUM2]心はいつもあなたのそばに
その他の好きな曲は特になし。
その他の好きな曲は特になし。
その他の好きな曲は、[夜が来る!]A night comes!、[大番長]Dash! To Truth、[大帝国]The Day Takeoff
その他の好きな曲は特になし。
その他の好きな曲は、[銀色、遥か]夢の季節へ、[銀色、遥か]銀色、遥か
その他の好きな曲は、[素晴らしき日々 ~不連続存在~]ナグルファルの船上にて。
その他の好きな曲は、[彼女のセイイキ]冬に咲く華、[ちいさな彼女の小夜曲]マリンブルーに沿って、[ちいさな彼女の小夜曲]キスのひとつで
水泳の授業の後は数人のいじめられっ子が全裸で廊下をさまよっている
廊下歩いてる女の先生を数人で囲んでボコる。助けに来た体育の先生もまとめてボコる
いろんな用事でお金を持って登校する日は校門前でカツアゲしてる。教員は談笑しながら遠くで眺めてる
始業式や終業式では、生徒が壇上に乱入しないよう、壇の前に男の先生10人くらいがズラッと並んで通せんぼしている
保険の先生が「みなさん同年代の平均よりも虫歯が多いですよ!」と毎年言っている
道徳の授業で「シカトは存在を無いことにする最悪のいじめです!みんなどう思いますか」と先生が言い、毎日ボコられてるいじめられっ子が「ぼくもそう思います」と答える。みんな爆笑してる
授業が進まないので教科書が最後まで終わらない。中1の数学は円錐の体積の求め方を教わらずに終わった(ぼくは学習塾に行ってる子にやり方を教えてもらった)。しかも中2でフォローもなかった。中3の因数分解は「宿題のプリントでやっといて」で終わった
3年の春にすごく体が大きくて体罰しまくる先生が赴任してきて、しばらく不良が大人しくなったが、その先生と不良がなぜか仲良くなって夏頃には元通り荒れ放題になる
男の先生が女子生徒の尻を撫でて捕まる(これは流石に一度しかなかった)
定期テストの答案が強奪されて、一クラスみんなの成績が前回のテストと同じ点数になる(これも一度しかなかった)
合唱コンクールで男子が誰も歌わず、伴奏してた子が泣き出して中断になる
修学旅行でいじめられっ子を木刀でしばきまくる。そのための木刀はいじめられっ子自身が選んで買う。
ポケモンごっこでは「10万ボルト」や「冷凍ビーム」を出せない子が後でボコられる。そのためいじめられっ子たちは「シュババババ」と効果音を出したりポージングの創意工夫で10万ボルトを表現してる
授業中にポケモンごっこが始まり、机の上で"はねる"よう命令する
先生が授業中いきなり泣く
インフルエンザの学級閉鎖がおわっても半分くらいの子は2、3日休んでる
バスケの授業ではいじめられっ子同士で1on1させる。下手なので笑ってる。
野球の授業でピッチャーとキャッチャー以外の全ポジションをいじめられっ子一人に担当させてアホほど走らせる
給食の牛乳パックの口を開けて、下級生の教室に投げ込む(投げるとき爆弾だー!と言って投げる)
自分が"担当"してるいじめられっ子の陰毛が一番最初に生えると、大人を"担当"していじめてるからすごいという理屈で、皆から尊敬される(いや、これは小学校の思い出だ)
昼休みの教室は中から鍵をかけてイジメ部屋にしてる。先生も、中に入れないことを知っているので、昼休み明けの授業は少し遅めに来る
頭いいやつが3人転校して出て行ったけど、みんなのちに医者になった(親が偉い)
知的障害持ってる子へのいじめ日記が爆サイで実名で連載されている
卒業式はOBのバイクが20台くらい校庭に入って爆音鳴らしてる
いじめられっ子の卒業アルバムを破る。破れたページをみんなに配って共有の思い出の品にする
茨木のり子の「自分の感受性くらい」を習ってから3ヶ月くらい、不良が「ばかものよ」と言ったらいじめられっ子がところ構わず「はい!」と叫んで返事する遊びが流行った
複数のいじめられっ子の誰が早く・大きく返事できるか競うバリエーションもあった
市が有名な詩人の出身地であることから、教科書に載っていない色々な詩を教わったり、生徒が詩作する授業が月イチくらいであった。あるときぼくの詩が学年で一番になって、不良になんとなく目をつけられてる雰囲気になったので、次の授業から手を抜いた
家庭科の授業では壊れたミシンが異常に多くて、4人で一つを使う(今思い出すと、"壊れたミシン"もなぜかきちんと棚に収納されていた。先生が、指導しやすいように、あえて少数のミシンしか出さなかったのだろうか?)
近所の知らない家の庭に教科書を捨てすぎて苦情が来る
不良が彼女のためにいじめられっ子を10人くらい集めてポルノグラフィティの「アゲハ蝶」を合唱させる
朝の十分読書の取り組みが始まるが、雑談してる生徒が多すぎて自然消滅する
いじめられっ子の双子(別々の部活に所属してる)がいつの間にか入れ替わってる
たくさんのチンパンジーと触れ合えた濃密な三年間でした。
リア充たちが楽器を振り回し歌い上げるその姿を観続けて幾星霜。
奴らがスポットライトを浴びキラキラ輝けば輝くほどオーディエンスの瞳孔は開きボクたちは暗闇へ包まれて誰の目にも映らなくなる。
あゝボクたちは楽器ができない。もしもピアノが弾けたならボクたちも少しは輝けるのだろうか。
ボクたちが楽器をやろう音楽を作ろうとするときに、陥りがちなのは頭の中のメロディや音を再現しようとすること。
それは諦めるべきことでボクたちにそんな才能がないことはボクたち自身が一番知っていることじゃないか。
こんなポエムのようなエントリに興味を持っている時点でキミはボクと同じ側であり才能のないクリエイターだ。
なぜ頭の中のメロディを再現できないのか、なぜ再現する方法を教えてくれないのか、なぜ再現してはいけないのか。
それはキミに才能がないからで、そしてボクにそれをキミへ教える才能がないからだ。
ボクたちは才能のないクリエイターだからできないんだ。
ボクたちはメロディなんて作れない、伴奏なんてできない、リズム感は絶望的、何なら音痴ですらある。
ボクたちは音楽がやりたいのに、この無駄にあるクリエイティビティを発揮したいのに、音楽に必要な要素が尽く欠けてしまっているんだ。
しかしそういうクリエイターはボクとキミだけじゃない。才能がない中で音楽をやれている人は確実に存在する。
・・・どうやって?
才能がないのであれば才能がある人が作った演奏データを活用すると良いんだ。
それこそが通称《MIDIパック》。
無償のモノも存在するし様々な音楽ジャンルに合わせた演奏データの集合体だ。楽器という括りで配布されているMIDIパックもある。
基本的には1小節〜4小節で構成されていて、小節単位で入れ替えたり切り貼りするんだ。
自分がキモチの良い音の並びをMIDIパックを活用して作ることでキミは作曲の第一歩を歩むことができてしまう。
才能のないボクたちはMIDIパックで音楽をやれば良いんだ。
DTMをやろうとググって居ると必ず出てくる楽器音源プラグイン。
ピアノ、ギター、ドラム、管楽器etc...膨大に出てきてどれが良いのかわからない。
これらを選択するための結論は1つ。良さがわからないなら使うな。
ボクたちは楽器音源プラグインの良さすらわからない。
膨大にある楽器音源プラグインの優劣すら判別が付かないので判別すること自体を諦めよう。
そんなキミへオススメなのはシンセサイザー。才能のないボクらにとっての福音だ。
先のMIDIパックでキモチの良い音の並びを作ったらシンセサイザーへ流し込み、シンセサイザーへあらかじめ備えてあるプリセットサウンドを変えてコレだと思った音を探す。
無償のソフトウェアシンセサイザーだって存在する。
無償で人気なのは「Dexed」というソフトウェアシンセサイザーで、初音ミクの服装の元ネタでもあるFMシンセサイザー「YAMAHA DX7」の音を再現することを目的として開発された。
Dexedはネット上へ膨大に情報が存在しており、才能ある人が解説していることをそのままやれば良い感じの音が鳴る。
Dexedとネット上の情報があればピアノからギター、ドラム、管楽器の音も再現できるので楽器音源プラグインの良さすらわからないボクたちの福音だ。
音楽制作環境、いわゆるDAW。
CubaseやLogicなど有名なDAWは多く存在するもののライセンス料は高価であるしボクたちが使うには高機能過ぎる。
Reaperはライセンス料が安く、なんならライセンス料を払わなくとも課金してねとスプラッシュが表示されるだけで使い続けることが出来る。
マルチプラットフォーム対応で、WindowsやMacのほかLinuxまでサポートされているのは珍しい。
欠点は楽器音源が付属しないことだけれどDexedがあるボクたちには何ら気にならない欠点だ。
こちらもDAW。
Reaperよりもライセンス料は高価なもののシンセサイザーをイジり倒すための機能が非常に豊富。何ならモジュラーシンセを内蔵していて何でもできる。
ライセンス料が未払状態だと保存ができないのが最大の欠点。
MIDIパックとシンセサイザーで音楽できることに目覚め楽しくなりすぎたのであればBitwig Studioは良い友になる。
ちなみに開発者はAbleton Liveを作っていたので「おっ?」と気になる人も居るかも知れない。
何気にコイツもマルチプラットフォーム対応でWindows、Mac、Linuxで動く。
前述したYAMAHA DX7再現のソフトウェアFMシンセサイザー。
無償のDX7系ソフトシンセならほぼ例外なく言及されがち。
今の時代Youtuberがシンセサイザーを教えてくれるので楽しく学べるかも知れない。
マルチプラットフォーム対応。
こちらも有名な無償のソフトウェアシンセサイザー。
前述したBitwig Studioの開発に関わっていた人が元来有償だったソフトシンセを無償化したもの。
非常に多機能なソフトシンセであまりにもやりすぎるとCPUへ負荷が掛かり過ぎてファンが唸るほど。
SurgeとDexedがあればDTM初心者はほぼ困らないと思われる。
マルチプラットフォーム対応。
近年EDMシーンでは定番と言うか当たり前というか使われていない楽曲を探すほうが難しいウェーブテーブル方式のシンセサイザー。
無償で使えるものの有償版は単にプリセットサウンドが無償版よりも多いというだけなので機能制限されているわけでない。というか有償版も十分に安いので課金してあげてね。
今の時代シンセサイザーをVtuberが教えてくれるので楽しく学べるかも知れない。
マルチプラットフォーム対応。
ゲーム系素材を配布する英字サイト。
クリエイティブ・コモンズベースのフィルタで検索を掛けることができCC-BYなMIDI素材(基本的に楽曲素材)を発掘でき自由に使うことが可能。
MIDIパックはgoogle:MIDI Pack Freeとかgoogle:MIDI Pack Blueprintとかでググると有償であったものがキャンペーンで無償配布されていることがよくあるので定期的に探してストックしておくと良い。
生音系の楽器音源プラグインも紹介しようかと思ったけれど好みが分かれすぎる上に、何ならファイルサイズが巨大だったり高負荷なものが多いのでブクマカとかTwitterユーザーあたりが言及してくれるんじゃないかと他力本願で行こうと思う。
昔懐かしいサウンドフォントとか今紹介しても良いんだろうかとちょっと悩んでしまった。
楽器できなくてDTMやるにしても流行りの音源とか大容量サンプルじゃなくて自分でリズムパターン組んで作って覚えていく方が楽しいと思うんだけどな…
キックとスネアとベースだけあればとりあえず聴けるものになるんだから最初は妙にオシャレなメロとかコードとか入ったMIDIパックとかいらんと思うよ
リズム系のMIDIパックもあるので初心者はそれを活用すると良いと思ってる。
言ってみればMIDIパック使うってのは写経みたいなものなので。
よくYoutubeの配信とかで使われてるフリー音源のEDM風4つ打ちオシャカワBGM作りたいんだけど
あれってどういうソフト使えばつくれるん?
ReaperとVitalがあればできる。
何ならリンク先のVtuberがそういう系の作り方を紹介しているので最近のYoutubeは何でもある。
「Kawaii HipHop DTM」とかでYoutube動画を探すと様々なチュートリアルがヒットするのでオススメ。
平均年齢高めのはてな諸兄なら、なんとなく覚えている人も結構いると思うが、今ほどシンセサイザーが発達する前の昭和の歌番組は、伴奏やジングルのためにお抱えのミュージシャンが多数出演するという、現在では考えられないほど贅沢な造りだった。
なおかつ演奏者の調達の都合(まとめて声掛けできる)からか、それが歌番独特のサウンドを生んでいた。
そのサウンドを自分の耳で聴いた感じや、当時の関係者が昔どこかのサイトに書き残していた情報によると、どうやら楽器編成は以下の通りのようである。
さて、「自分の耳で」と書いたが、これは別にyoutubeに上がっている昭和の歌番組のアーカイブだけが頼りではない。
というのも、このサウンドは平成を通じて令和の現在に至るまで、着実にアップデートしつつ受け継がれているからだ。
個人的には主にアニメやゲームとかの2次元コンテンツ関係で見る機会が多いので、以下全てそっち系から、古い順に曲紹介である。
昔と違って予算の関係もあるのか、曲によっては弦やリズムセクションが打ち込みだったり、更にはブラス隊まで打ち込みになってそうなのもあるにはある。
ただ最近のシンセ音源はかなり高品質なようで、そこそこ「生っぽい」感じ。
ともかく、いずれの曲も華やかなトランペット、印象的な旋律を奏でるヴァイオリンがとても魅力で、上手いアレンジだとピアノの立体感、サックスの艶、トロンボーンの直線的で力強い咆哮、ヴィオラ・チェロの全体を包み込むような響きも楽しめる。
聴き慣れてくると癖になるサウンドだし、何よりバンドやユニット以上に「プロミュージシャンが集まって奏でている」迫力がひしひし伝わってくるのも良い。
なので、今は色々厳しい話も多いと思うけど、細々でもいいから無くなってほしくないサウンドだ。
あと、個人的に当時の昭和の歌番のサウンドが途方もなかったと思うのは、予算や人の都合からか、レコード(CDすらない時代)の原曲と同じかそれに近い楽器編成を実現できない場合でも、番組ではレコードと同じに聞こえた点。
少なくとも素人の視聴者には違和感ない程度に一緒に聞こえるというのは、個々のミュージシャンがちゃんと歌手の個性とか歌の性質を理解し、音に仕上げていたことを意味するわけで、これこそプロの技だよなあと感心してしまう。
この熱いレビューを読んで、まともなシンセサイザー触ったことがなく細かい部分はよくわからんがピアノ奏者が感じたセンヴィーの感想を共有してみる。
やっぱりまず気になるのが鍵盤で61鍵の5オクターブ鍵盤だね。
タッチ感はリアル鍵盤に比べると非常に軽く安っぽい。とは言ってもおもちゃ売り場にあるようなアンパンマンとかハローキティのようなトイピアノよりは断然良い。
鍵盤の幅や長さは標準的でトイピアノみたいに大人が和音を弾くのがツライってことはない。
リアルのグランドピアノとかって鍵盤が電子キーボードよりも重いわけだけど何で重いかって言うと重力使って連打できるようにしてあるから重い。
そしてあの重さによって繊細な叩く強さを調整しやすくしているのだけど、センヴィーというか鍵盤が軽い電子キーボードはピアノ奏者からすると連打がしにくい。
トリルなんかすると鍵盤が指へ追従して来ないことへ凄く違和感があるのだけど、世の中にはキーボーディストって言われる電子キーボード奏者も居るのでこれは慣れの問題もある。
鍵盤の表面のサラサラとした加工は結構高印象だった。プラスチック製鍵盤ってツルツルしていることが多いんだけど、激しく弾いて手汗かき始めるとツルツルした鍵盤は妙に手へ吸い付いちゃって嫌なんだよね。
その点このサラサラとした加工はプラスチック製鍵盤にありがちな妙な吸い付きを抑えるだろうから悪くない。
ピアノ奏者って鍵盤を上から下へ押して弾いていると勘違いされがちなんだけど、実はイメージとしては鍵盤を引っ掻いて弾いているんだよね。引っ掻いているとき手汗で吸い付いちゃうとブレーキが掛かってしまって上手く弾けないんだ。
次は音の種類の話で、私が一切弾いたことのない音がいっぱいあって楽しいのはもちろんなんだけど、ピアノ音のバリエーションいっぱいあってピアノ奏者からしてもこれは非常に楽しい。気分によってピアノの音を変えられるのは良いね。
流石にリアルピアノには劣るけど音のクオリティもまったくオモチャっぽくなくて良い。音色選択の8番に入ってたAdvPianoPadってのが面白くて、単音でメロディ弾いてると普通のピアノなんだけど伴奏で和音を弾くとフワァっとゴージャスな音が重なってくるんだよね。
楽器店の店頭に置いてあったセンヴィーにはペダルが付いてなかったんだけど店員サンに聞いたらセンヴィーはペダルに対応していると言いつつ取り付けてくれた。差し込み口があるので当然だけどダンパーもしっかり効く。
そして元増田が言っていたシンセサイザー機能の部分だ。
申し訳ないけれどシンセサイザーにはまったく詳しくなくて全部の機能を試すことは出来てないんだけど、物凄く機能がいっぱい付いてるのはわかった。
私みたいにシンセサイザーまったく詳しくなくてもノブを回せば初期状態であっても取り敢えず音が変わってくれるだけでありがたい。
初期状態で割り当てられてる機能はノブを回すとミョンミョンするカットオフって機能なんだけどコレはピアノ音よりもいっぱい色んな音が鳴る電子音みたいなものに向いた機能だね。ピアノはそんなに音が変わらない。
私が気に入ったセンヴィーの機能はリズム。
これ良いね!色んなジャンルのリズム隊が鳴ってくれるんだけど練習にも息抜きにも丁度良いわ。これだけで買う価値があるんでないか?と思うくらい豊富なバリエーションがあるから私がやってるピアノ教室に起きたくなってしまった。
しかも電池で動くんだよねセンヴィー。持ち運びが出来ると。
そう考えるとボーカロイドみたいに歌ってくれる機能も子どもたちの興味を惹けるのではないかと頭の中でソロバンを弾いてしまう。
価格は五万五千円、今回行った楽器店のキャンペーンでは1%のポイントと消耗品の割引付きなので実質五万円を下回る価格に。
よしココは度胸が大事だ。
「すいませーん。このカシオのキーボード欲しいのですがぁ?」
「あーお客様・・・すみません売り切れです。いま入荷待ちなんです」
「えっ・・・」
買えなかった😫
ピアノは弾ける・楽譜は読めるけど、耳コピできない・やったことない・やってみたい・できるようになりたい、と思ってる人のために簡単な手ほどきを書く!
有名な米津玄師「Lemon」のコード譜(伴奏するのに最低限必要な情報だけのメモ)を、ボクと一緒に作ってみよう!
https://www.youtube.com/watch?v=SX_ViT4Ra7k
「♪ゆめな~」
この時最初に注目すべきなのは、「一番低い音」。左手が弾いているかなり低い「ソ#」の音だ。
このソ#が聴き取れたらコードは半分わかったようなものだ。一番低い音はたいていの場合、コードのルートだからだ(もちろん例外はある)。
ルートとは、その和音のスタート地点のことだ。根音(こんおん)とも言う。どの和音にもスタート地点があり、この「根」に枝葉が生えて多彩な和音になる。
コードの名前は必ずこのルート音を最初に書き、その後ろにバリエーションを書くことになっている。「根っこ+枝葉」だ。
たとえばCm7(シーマイナーセブン)だったら、Cがルートで、mと7がバリエーションだ。
つまり、レモンの一番最初のコードは、ルートはわかったけどバリエーションが不明なので、とりあえず「G#ナントカ」である。
さっそく俺たちのコード譜に鉛筆を走らせる情報が出てきたぜ? 早いだろう?
(ちなみにこのルートの音、低音で鳴っていると和音が安定するという特性を持っている。だから一番最初に低音を聴くわけよ。)
今のところ判明しているのはまだルート単音だけなので、次に枝葉を生やして和音にしていこう。
まず確実なのは、「5度」だ。完全5度という言葉を知っている人もいるかもしれない。
ドから始まるドレミファソラシドの音階で5番め、スタート地点から距離にして半音7個分上の音だ。ド+ソ、レ+ラ、ミ+シ(いずれもナチュラル)などが5度の和音だ。
大半のコードはこの5度の音を含んでいて、枝葉というよりはもはや「幹」に近い存在なので、ルートがわかれば5度も半自動的に決まる。
今われわれが注目しているG#ナントカの場合、ルートのソ#に対して5度の音はレ#だ。
ためしに、「♪ゆめな~」に合わせて、左手で低めのソ#を弾きながら、右手では鍵盤真ん中あたりのソ#とレ#の和音を弾いてみよう(ソ#とレ#どっちが上でも構わない)。
違和感はないけど、物足りなさを感じたかもしれない。ルートと5度だけじゃ何かが足りないのだ。
ルートと5度は半ば自動的にわかった。これにもうひとつ「3度」の音が加わると、三和音(またの名をトライアド)というコードの基本形が完成する。
さあここからがコード探しの入り口だ。なぜなら、3度はそれほど自動的には決まらないからだ。原音と楽器の音を比べながらの判断が必要になる。耳コピらしくなってきたぞ。
3度にはふたつある。長3度(ちょうさんど)と短3度(たんさんど)だ。
長3度はルートから距離にして半音4つ上、短3度はルートから距離にして半音3つ上を言う。
たとえば、ドから見ると、ナチュラルのミが長3度、ミ♭が短3度。
たとえば、ラから見ると、ナチュラルのドが短3度、ド#が長3度。
長3度を含んでいれば、そのコードは「メジャー」だ。ド+ミ+ソの和音ならCがルートのCメジャー。ただし、いちいちメジャーとは言わず「C」とだけ書く。明るい響きの和音だ。
短3度を含んでいれば、そのコードは「マイナー」で、ド+ミ♭+ソの和音なら「Cm」と書き、シーマイナーと読む。暗く哀しい響きの和音だ。
このように、生えてきた枝葉がコードの性格を決定していく。枝葉や前後関係に工夫をすると、メジャーほど明るい笑顔ではなくほほえみのようなコードとか、物悲しさの中に芯の強さを秘めたようなコードを作り出すことができる。
さて、では、今注目しているレモンの最初の「G#ナントカ」はメジャーなのかマイナーなのか?
曲に合わせてG#(メジャー)の和音、もしくはG#mの和音のどちらかを弾いてみればいい。しっくり来たほうが正解だ。
さっきのように左手で低い方のソ#を弾きながら、右手は真ん中へんで和音を弾く。
G#(メジャー)はソ#+ド+レ#。
G#mはソ#+シ+レ#。
「♪ゆめな~」
どっちがしっくり来た?
G#(メジャー)は「気持ち悪い!」っていう感じで、G#mのほうは「正解!」っていう感じだったでしょ?
つまり、米津玄師レモンの最初のコードは「G#m」で決まりだ。
このように、弾きながら「ドンピシャで合ってる!」とか「合ってる感じはするけど物足りない」とか「気持ち悪い」といった印象を聴き取ってコードを特定していくのが耳コピという営みだ。
さて次回は、トライアドの続きをやりつつ、3音じゃ表現できない和音も説明しながら、レモンのAメロくらいまで耳コピを進めていくぞ。
昔過ぎて初めて聞いたのがどこなのかすらわからないが、何年か前にドキュメンタリー番組を見ていたらそっくりな曲がBGMとして使われていて、「これだ!!」と思った(一瞬だったので結局何の曲かは分からず)ので、自分の脳内で勝手に作られたメロディーではないことは確か。
ドキュメンタリー番組のBGMに使われるくらいなのでそれなりに有名な曲なんだろうとは思うけれど、知ってるのはメロディーだけで検索のしようがない......
知ってる人がいたら教えてほしい。
https://soundcloud.com/anonymousdiary/hatena
追記:
知ってる部分は8小節だけで、そこがイントロなのかサビなのかはわからず、歌詞のある曲なのかインスト曲なのかもわからない。自分が生まれたのは21世紀初頭で、初めて知ったのは2010年前後くらいだと思う。
残念ながら『ぼくたちの失敗』でも『時代』でもなかった。トラバ・ブコメありがとう。
教えてもらった『ぼくたちの失敗』がいい曲だったので、これを聴きながらまた頑張って探してみます。
2021年10月25日に先行配信が開始され今日CDが発売される、槇原敬之の復帰作『宜候(ようそろ)』。
(引用という形式ですが、考察として歌詞を書き起こしている都合上、このエントリはすぐ消します。)
こんな素敵な曲なのにネット上でも思ったより反応が薄いのが驚いている。
一方で、仕事中にもかかわらず号泣してしまうほど刺さってる人も居る。俺のことや。
歌詞提供しているのは、尾崎豊・村下孝蔵・玉置浩二・浜田省吾をプロデュースしている音楽プロデューサーの須藤晃。
https://www.youtube.com/watch?v=vjyQTWT-Oe8
歌詞が伝わりやすいよう、敢えて伴奏はピアノだけという最小限のスタイル。
まずは何も言わず配信サービスで聴いてくれ。冒頭35秒だけでいい。
話はそれからだ。
私は普段、歌詞考察・歌詞解説といった野暮なことは一切しない。
その作品に出会った際に各々が感じた時のフィーリングや気づきこそが宝物だと思っているからだ。
たとえ善意でも、ネタバレによって公式の意図と違う形で聴き手に伝わってしまうのはファンとして本意ではない。
ましてや、私個人の解釈というフィルターを通すと全く違った風景で見えてしまうだろう。
「説明しよう!」と割り込む人は、その作品に邂逅した時の感動を減らし自論を押し付けてしまうことになるかもしれない。(本稿の私のことである。)
「今のは何が面白かったの?」と解説を求めると白けてしまうだろう。
もしかしたら自分の前では二度とジョークを言ってくれないかもしれない。
ガルパンおじさんが「ガルパンはいいぞ」としか言わないのは、単に語彙力が足りないからだと思っていた。
しかし、実際に観てみるとそういった優しさからだったのだと今なら分かる。ガルパンはいいぞ。
だが、この忙しい現代社会。
また、曲の背景に想いを馳せるためには少しばかり教養も必要となる。
(YOASOBI「夜に駆ける」の原作小説「タナトスの誘惑」を読んで納得して
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「どちら様かは存じませんが
そのサングラスやめなさい
悪い輩(やから)に見えたら損よ
その目を私に見せなさい」
ばあちゃん 俺に微笑みかけて
かすれた声で叱ったよ
出会いと別れを 繰り返し
「もう慣れたわよ」と言ったけど
「やっぱり一人は つらいから
誰かの傍にいなさいね」
ばあちゃん遠くの空を見て
小さな声でつぶやいた
「夢なんて叶わぬうちが花だけど
待ってるだけでは駄目だから
行きたい場所を目指しなさい」
「橋の袂で声かけられて
赤いかんざし褒められた
あの日の私が一番綺麗
忘れられない思い出よ」
ばあちゃんはにかみ謝った
「ごめんなさいね こんな話」
「毛皮も指輪も 押し入れの中
どこに置いたか 忘れたわ
一度ハワイに 連れてってくれ
息子に頼んでみたけれど
伊勢神宮さえ 行けなくて
膝が悪くて 行けなくて」
「先頭に立たないように気を付けて
争いごとは やめなさい
いつまでたっても あいこでしょ」
「今度訪ねてくれるなら
どちら様かは存じませんが
これも何かの縁でしょう
「人生は思うようにはなりません
それでも希望を持ちなさい
神様なんていないけど
変わっていくものを嘆くより
変わらぬものを愛しなさい
笑う門には福来る
-------------------------
さて、以降は2回以上聴いた人に読んでもらいたい。
答え合わせをしましょう。(抜け・漏れや解釈違いがたくさんあるはずなので、どうかコメントで補足お願いします。)
歌詞の大部分が、お節介な性分の認知症の「ばあちゃん」が孫(孫と認識されていない)に向けて語りかけるセリフである。
(叙述トリックで多用される「信頼できない語り手」の可能性も考慮せねばならない。なんせ認識が歪んでいるのだから。)
一見すると(前半はともかく)後半は思い出すままに過去を語ったり、
人生の先輩としてアドバイスを始めたり脈絡が無いように思われる。
しかし、言葉のひとつひとつに含蓄や温度感があり何故か聞き流せない。
「出会いと別れを繰り返し」:記憶を失う(別れる)→自己紹介(出会い)のループを指すのだろう。
後半で自分の孫に「どちら様かは存じませんが」とまた語りかけるので、「ばあちゃんまたボケとるわ!」とツッコんでしまう。
「やっぱり一人は つらいから 誰かの傍にいなさいね」と語りかけられても、
「ばあちゃん、いま孫がそばにおるんやで…」とさみしくなってしまう。
ところで、こういった違和感がないだろうか。
・ハワイに行けなかったら妥協点で伊勢神宮が来るのおかしくない?
・というかハワイに連れて行ってもらいたかったら息子より先に夫に頼めよ
・孫のことは何度も忘れてるのに、若い頃に口説かれたことは「忘れられない思い出よ」?
・なぜサングラスをかけるだけで「周囲から悪い輩(ヤカラ)と認定される」と思い込んでいるのか?
(グラサンといえばローランの民からすれば陛下の象徴と言っても過言ではないだろう)
こういった違和感や疑問を紐解き、一本の補助線を引けば、
ハマらないと思っていたパズルのピースが繋がり、この歌詞の全体像が視える。
それを前提にもう一度聴いてほしい。
「先頭に立たないように 気を付けて
争いごとは やめなさい」
この歌詞が異様に生々しく感じないだろうか。
まるで親しい人が先頭に立ったせいで亡くなったかのような物言いである。
→軍艦じゃんけんの掛け声「せーんそっ(戦争)」を嫌ったのではないだろうか。
「グー・チョキ・パー」は「軍艦・朝鮮・ハワイ(軍艦・沈没・ハワイの地域もあるらしい)」に置き換えられている。
小学校の時に「不謹慎だ」と先生に叱られた人もいるのではないだろうか。
実際、その後にお土産としてお寿司を細かくリクエストしている割に、「軍艦巻き」は入っていない。
「一度ハワイに 連れてってくれ
息子に頼んでみたけれど
伊勢神宮さえ 行けなくて」
→夫が居ないので息子に頼んでいる。おそらくハワイで亡くなった(と聞かされており、真偽は不明)。
そもそも、「ばあちゃん」は太平洋の地名でハワイぐらいしか知らない可能性も高い。
なぜなら当時のメディアは時の政府の統制下にあり、大本営発表を検証せず偏向報道をするプロパガンダの道具となっていたからだ。
国威発揚のため、日本軍の勝利を事実以上に喧伝し、大敗の事実を隠蔽する構造であった。
真珠湾奇襲の報道は大々的に宣伝したので、その印象が強いのではないか。
さて、ばあちゃんはハワイに夫を弔いに行きたいが、それが無理ならせめて国内で、
ということで日本全国最高位の神社である伊勢神宮にお参りしたいわけだ。
戦後世代にとっては戦没者を祀るのは靖国神社というイメージが強いが、
戦前世代にとっては伊勢信仰が普通であったようだ。現在も神社本庁の本宗は伊勢神宮。
(ちなみに作詞の須藤晃は富山県出身。槇原敬之は大阪府高槻市出身。)
「夢なんて叶わぬうちが花だけど
待ってるだけでは駄目だから
行きたい場所を目指しなさい」
→これは解釈が分かれるところか。素直に歌詞通りに受け取っても良い。
膝を悪くしてしまい二度と夫の弔いという夢が望めなくなってしまった悔恨にも解釈できる。
「橋の袂で声かけられて
赤いかんざし褒められた
あの日の私が一番綺麗
忘れられない思い出よ」
→孫(俺)のことは何度も忘れるくせに、「忘れられない思い出よ」。
その理由は、夫と過ごした時間が少なく他に思い出が無いからではないか。
・「毛皮も指輪も 押し入れの中」
GHQ連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの印象によるものではないか。
「変わっていくものを嘆くより
変わらぬものを愛しなさい」
→生きている人より、亡くなった夫への執着を感じないだろうか。
ここの「あなた」は孫(俺)に語っているように見えるが本当にそうだろうか。
夫に似た孫の姿を通して、
過去の思い出の姿の夫に、
ここにきて思い当たる。
「その目を私に見せなさい」と言われサングラスを外し、孫の目を見る描写。
ここでばあちゃんは若き日の夫を思い出す。
それをきっかけにこの歌詞のセリフのような回想が始まったのがこの曲じゃないだろうか。
タイトルが「ばあちゃん」じゃないのは、一人称が「俺(孫)」に固定されてしまい
メインディッシュにもなれず世の中の隅っこで苦い人生を送ってきた「ばあちゃん」の象徴として「わさび」がタイトルとして選ばれたのだろう。
5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。
・すぎやまこういち(1931年東京都生。作曲家。日本バックギャモン協会会長)
・植松伸夫(1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリーで活躍し、1986年スクウェア入社)
(要約)
すきやま:
だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、
あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。
ドラクエやると、やれCDブックだアニメだときて、レコードもブラスバージョンやエレクトーンバージョンやピアノバージョンが出て、
そうなると色んな出版社がピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。
植松:
すきやま:
どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね。
植松:
まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)
すきやま:
でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。
植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?
植松:
60近くはあるかもしれないですね。
すぎやま:
60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?
植松:
1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。
すぎやま:
働き者だなあ(笑)
植松:
曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。
すぎやま:
植松:
そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?
すぎやま:
そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。
その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。
でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。
植松:
作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。
そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。
だから作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、
自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。
30曲に抑えようとしたんですよ。IVのときもちょっと多いと思ったんです。
今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまいますね。
すぎやま:
僕も曲を絞り込むときは断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。
前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。
でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。
植松:
すきやま:
働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから、
それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。
スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。
植松:
今回そのアイルランドのリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れますと
ユーザーの意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)
別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。
以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンのときとかって難しいじゃないですか。
すぎやま:
ちょっとやりにくいよね。
植松:
いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位で民族音楽好きだから
入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。
先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、
すぎやま:
植松:
日本人だったら日本の音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。
日本に昔からある音楽が自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、
一度「雅楽(古来の宮廷音楽の総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製の管楽器)を習いに行ったことがあるんです。
そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、
ブライアン・イーノのシンセサイザーの音楽に近い印象があったんですよね。
すぎやま:
笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。
植松:
そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。
雅楽は朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、
逆にヨーロッパの民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。
自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、
最近は自分が日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。
すぎやま:
僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。
和風喫茶やレストラン、エアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。
アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人になっちゃうでしょう。
僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。
町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、
ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。
植松:
バッテンなんですよね。
すぎやま:
植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。
で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。
「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、
西洋音楽のエフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。
それは江戸時代の三味線や琴の音楽でしょっちゅうやってることなんだよな。
「ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、
そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代の音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。
あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。
で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。
植松:
ミとファの半音でメロディと伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。
自分でもああぶつかってるな、クラシックの音楽のテストなら絶対にバツだなと思っても、
その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。
すぎやま:
それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。
いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。
それが前後の関係や音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。
ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。
ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら
植松:
難しいですよね。音楽を学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。
どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。
小中学校を通して音楽というものを学校の教育に取り入れて100点取った人は偉い、
大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。
すぎやま:
音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、
植松:
すぎやま:
笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。
だからファイナルファンタジーとかドラゴンクエストの音楽というのは大事なんですよ。
植松:
ドラゴンクエストの音楽が好きになってコンサート行きますよね。
すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。
それはものすごい影響力だと思うんですよね。
子供がオーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。
そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。
すぎやま:
他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。
だから、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。
植松:
すぎやま:
しかし、いつもゲームの音楽作るときに、昔の大作曲家の作品聞くじゃない。
とてもかなわないなと思うことが多いね。
植松:
すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)
すぎやま:
昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。
チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。
植松:
チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。
すぎやま:
とんでもない大天才だよね、あの人は。
あの時代で20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションのうまいこと。
植松:
この前、西田敏行がロシアに行ってチャイコフスキーの足跡を辿るという番組をテレビでやってたんですよ。
僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーはホモであるというのを聞いて、
「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)
すきやま:
その良かったというのはどういう意味なの?
植松:
チャイコフスキーも人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。
すきやま:
モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。
植松:
チャイコフスキーにしろモーツァルトにしろ、メロディが非常にわかりやすいんですよね。
クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。
すきやま:
ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。
植松:
すぎやま:
植松:
だからドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。
すぎやま:
ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。
他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)
植松:
すきやま:
だからそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。
吟遊詩人がマップの中のトルコやアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、
それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。
植松:
すぎやま:
増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。
植松:
一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。
どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。
すぎやま:
植松:
すぎやま:
ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。
植松:
いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。
すぎやま:
でもなんかすごく多い気がしたな。
植松:
実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。
すぎやま:
チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。
植松:
あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。
すぎやま:
植松:
ヘタクソなやつが最後はコンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、
最初はメトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後はドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、
あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。
すぎやま:
グリークとかチャイコフスキーのピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。
植松:
そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。
すぎやま:
植松:
息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。
すぎやま:
作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから。植松さんはドラクエは上がったの?
植松:
実は最後のダンジョンの手前でFFVのアレンジCDの仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。
すぎやま:
上がってないの!?
植松:
今日までに終わらせるつもりだったんですけど。
すぎやま:
僕は対談頼まれたときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、
元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。
途中でやんなっちゃうゲームだと上がれないけど、やってて楽しかったから相当寝不足になりましたよ。
植松:
今回はアマチュアの勝利ですかね。スクウェアのメンツって、単独で独立して音楽で食っていけるか、
絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。
すぎやま:
植松:
いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。
すぎやま:
ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。
植松:
結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。
そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。
全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。
そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。
そういうことが5のチームには無かったんですよ。
とにかく最後の最後まで、〆切のマスターを任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、
そこらへんの適当なプロの人を集めて作っても、ああいう気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。
今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、
終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。
すぎやま:
結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、
好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。
植松:
妄想だぞ
↓
父は?
↓
父はミュージシャンだからなのかなんなのか知らんが 昔からモテてて外に女がいなかったことないよ 今も富豪じゃ無いのに女がいるよ
↓
何系の?楽器は?
↓
↓
↓
↓
ピアニストはボーカルと絡むし夜の店で弾く仕事あるけどギターは弾くのも聞くのも野郎ばっかでもてない印象あるから けっこう絞れてしまうかも
↓
↓
↓
↓
だよな。客すら女少ない。若者よりつかない。
↓
↓
↓
良いわけないじゃん
↓
フュージョンメインて変わり種だなと
↓
↓
ギター何使ってたん?
↓
知らね
2020-08-30(anond:20200830211103)
Apple Music は最近のヒット曲すら勧めてこないぞ
5年経過しても既に聴いているアーティストのアルバム曲とか勧めてくる。埋めるぞ?って思う
仕方ないので定期的に Billboard や音楽サイト回っている
世界的にラップが聴かれているから公式のプレイリストでもラップだけは悪くないけど
おうちではJBLのポータブルスピーカーでフツーに満足できるお耳なので特に困ってないです
↓
経歴からしてもガチテクニックあるというより伴奏者で芸能界とのつながりから 一般人向けの演目やってたか 「なんとかって許可でギター弾いてた増田さんが来店!」つって
↓
そのバンドもオッサン(おじいちゃん)以外は知らんと思うけどな
ただスタジオミュージシャンにならなかったという事は
まぁそういう事なんじゃね?
↓
音楽好きなところ親父が残してくれてよかったな。
もうかれこれ10年ほど前の話だ。
親の決めた糞つまらない私立一貫校に行かされたことを不満に思い、こんな学校には一秒たりともいたくないと帰宅部を選んだ。
だが、当時早熟だった私は部活に入らないことでコミュニケーション能力や上下関係、体力が身につかないことを恐れたため、帰宅部ガチ勢になることを決めたのだった。
まずは体力面。幸い近所にテニスクラブがあったため、祖父にお金を出してもらいスクールに通うことにした。これが週3回。自主練や筋トレもしていたので、テニス部連中と同じくらいには上達したし個人で大会にも出ていた。
次にコミュニケーション面。学校では部活に入っていないと人間関係が希薄になりがちだ。そこで、ピアノや書道など、学校で何かしら賞が取れそう&活躍の機会がありそうな習い事は継続し、年始の書初めで賞を取ったりピアノ伴奏をしたりと、そこそこ存在感をアピールした。
上下関係も学んでおかなければまずいと思ったので、
高校に入ってからはとあるチェーン店でバイトをした。団体競技がしたくなったのでテニスをやめ、ダンスを習いに行っていた。
大学でも似たような生活をしていたので、私は人生で一度も部活動をやったことがない。
就活では習い事を部活と偽ってエピソードを捏造したが、内定は貰えた。
だが、苦楽を共にした友達というものが学内に存在しないので、中高時代の友達で今でも仲がいい人は一人もいないし大学にもいない。
戸建てばかりが立ち並ぶ住宅街のど真ん中。昼は学校、後に仕事で基本的に家にいなかったし(家族も昼は仕事で家に誰もいないことが多かった)、何より自分も住宅街の幼稚園に通っていた身だから、そこまで悪い印象は抱いていなかった。
しかしコロナ禍、断続的に緊急事態宣言が出されるようになり、週のほとんどがテレワーク勤務になってから、気付いた。
ガキのギャーギャー泣き喚く声もクソうるさいし、先生がどいつもこいつもクッソ口が悪くて園児への最早暴言スレスレの叫びも、声量もキツイけどその内容がキッツい!!!毎朝始業時間頃に嫌がらせのように宗教じみた訓示を園児に暗唱させるのもキモすぎて吐き気がする!!
何よりこのご時世だからか、お歌と楽器の時間も窓全開だから、鼓膜にどストライクに響くレベルの騒音が30分〜1時間くらい鳴り続けるのが堪え難い!!メロディオンの音ってマジで発狂しそうなくらいうるさいの知ってる?しかも先生がピアノど下手くそで伴奏だけでも聴くに耐えないレベルなんだわ。イヤホンつけて会議やってても上司の声より耳に突き刺さる園児の大合唱とクソピアノ。この前AirPods買ったばかりだけど、1万円ケチらずにproにしておくべきだったわ。天下のApple様ですらキャンセルできるか怪しいレベルのノイズだけど。
正直仕事にならないレベルなんだけど、子どもは地域の宝でいかなる騒音も許容しなきゃいけないから苦情入れちゃダメなの?苦情いれたらあたおかクレーマー扱いされる?
子どもの遊ぶ声とかはもういいよ、うるさいけど、子どもは元気に遊ぶのが一番だからと思って我慢する。でもせめて演奏の時間だけは窓閉めてほしいですって言いに行っていい?コロナだから無理?部屋の中で何十人の園児がわーわーお歌を歌ってる時点で、もし誰かしら感染してたら、例え窓開けてても普通にうつるよね?
引っ越し、というか実家を出ることも考えた。でも職場へのアクセスも良いし、職場の近くは家賃が高すぎるし、何よりあと1〜2年で転勤になる可能性が高いから、契約年数とかも考えるとなるべく引っ越したくないんだよ。なんで後からやってきた保育園のために無駄に金かけて家出なきゃいけないのか分からんし。
==== =====
私は小渕さんの書く詩が苦手で、若いころに作った曲はともかく最近の曲はアラフォーが書いたと思うと特に恋愛系の歌詞にはゾワっとしてしまう。
コブクロの楽曲のほとんどが小渕さん作詞作曲なので、コブクロの歌詞のほとんどが苦手ということになる。
じゃあどうしてコブクロの曲を聴いてファンになるまでハマって今までライブに通い詰めてきたのかというと、曲のメロディーや伴奏、歌声が好きだから。
そして何より黒田さんの作った楽曲、詞が好きだから。(小渕さんの曲で好きな曲ももちろんある)
黒田さんの曲は人情的で、泥臭く足掻いていて、時にはとても繊細で臆病で、遊び心があって、そんな楽曲たちが大好きだった。
DOOR(https://www.uta-net.com/song/19060/)には何度励まされただろう?人生の節目には特に刺さった。
ライブで聴いた時の衝撃も忘れられない。力強い歌声と命を削って歌う姿には身震いした。
それに呼応するかのようにバンマスである福原さんのギターソロも特別熱がこもっていたように感じた。
そんなDOORとは変わってTo calling of love(https://www.uta-net.com/song/82451/)の繊細な詩と歌い方は涙が出そうなほど感動する。
CALLINGツアー(2009年)が初めてのコブクロライブ参加だったのもあり、最後のサビのアレンジには度肝を抜かれた。
バックバンドのピアニスト、よっしーさんの伴奏も好きで、弾き語り用の楽譜を買ってきてピアノで弾いた。
ピアノといえば休養前のツアー(2011年)、喉を患っていた小渕さんだけではなく黒田さんの喉の調子も悪そう、というか悪かった。
最初から声が出てなかった。正直聞くに堪えないくらい辛そうだった。
そんな中でのSTAY(https://www.uta-net.com/song/81761/)、よっしーさんが黒田さんの歌を庇うように力強い演奏をしはじめた。
その和音は黒田さんの声を掻き消すくらいに大きく鳴り響いて、大胆なアレンジも入れて。
でも黒田さんはそれに負けないよう声を張り上げて歌っていた。
2人のコンビネーションに目が離せない(耳が離せない?)ほど引き込まれた。
その後、最後黒田さんの歌から入って伴奏が追いつく箇所で(これはSTAYではなく流星かも?)、黒田さんの声が詰まって曲が止まってしまったときには素早く察知して溜めに溜めて様子を伺いながら伴奏を入れていた。
(それに対してMCの際に黒田さんが「変な入りしてごめんなさい」とよっしーさんに謝っていた)
サポートメンバーがここまでミュージシャンに寄り添って、大胆なアドリブ演奏をすることはそうそうないのではないか?(本当のバンドならともかくコブクロはデュオ)
そう考えるとコブクロとそのサポートメンバーには強い信頼関係が築かれているのだろうなと私は思った。
だからピアノ伴奏のみのOverflow(https://www.uta-net.com/song/29980/)をライブで聴きたかった。
話は戻って、CALLINGリリース時期(2009年)の音楽雑誌でのインタビューでTo calling of loveについて小渕さんがこう答えていた。
「愛されたいとか、●●されたいという受け身なところが黒田っぽい」(記憶が曖昧なのでなんとなくこんなことを言っていたなという意訳)
これを読んだとき、そんな人ならスキャンダルになるような問題を起こすようなことはないだろうな~とのんきに思ったのを覚えている。
……それでこれ。
黒田さんの詩に励まされてきた身としてかなりのショックを受けた。
報道を見て1日経ち、いったん冷静さを取り戻したところに福原さんのツイート。
「人生いろいろある」
https://twitter.com/gt_fukuhara/status/1392477617194868738?s=20
文脈的に黒田さんひいてはコブクロへの言葉と見受けられるけれど、人生いろいろあるのは奥さんとお子さんであるわけで。
福原さんのツイッター・インスタを見ているとコブクロにかなり熱量をいれてサポートしているように感じていたし、前述のようにコブクロとサポートメンバーには強い信頼関係があると思っていたから、山口メンバーに対してのTOKIO達のように、アンジャッシュ渡部に対しての児嶋さんのように、黒田さんのことを叱ってほしかった。被害者である奥さんとお子さんを慮ってほしかった。
ここまで全て私が勝手に思い描いてた人物像・組織図であって、そういう対応を期待したり、この件でたかがファンであるモブの一般人が裏切られたと思うのはおかしい話で、ましてや小渕さんではないサポートメンバーにそこまで求めるのだっておかしい。
リプライ欄に否定的なツイートがわずかながらあったけれど、福原さんの言葉に意見を述べるのはともかく黒田さんへの否定的な意見をそれこそサポートメンバーに送り付けるのはお門違い。
バンドマンはクソ
ああ、黒田さんを叱らなかったのってそういうことかな……と、自分の中で憶測が憶測を呼び勝手にまた傷ついて、そもそもそんな憶測だらけの勝手な想像でこの件を受けて裏切られたと思うのはお門違いで(以下略)
++++++++++++++++++++++
ということをコブクロファン会員サイトの交流系SNSに投稿しようとしたけど、投稿するのをやめました。(えらい)(でも吐き出したかった)(会員はやめる)
これを読んでくれた方はどうか、私の自分勝手に描いた人物像や関係を鵜呑みにしないでください。
特に福原さんはとばっちりで一般人のモブ1人に勝手に虚像を描かれてがっかりされているだけなので……
モブ1人ファン離れしても何の支障もないと思いますが、モブから見たら今まで何度も助けてもらった主人公に背中から刺された衝撃はでかく悲しいものです。
アイドルグループ「嵐」が2020年いっぱいで活動を休止する。最後のテレビ歌唱は12月31日の「紅白歌合戦」だろう。
おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソング」キャンペーンとタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。
本来ならば7月24日に東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間が一喜一憂しているはずであった。
嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。
また嵐自身の活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算、ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。
そして国家総力を挙げた一大イベントのアンセムと日本のトップアイドルの記念碑を兼ねたこの楽曲をトータルプロデュースし制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である。
まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。
米津は前年にもNHKのタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしとプロデュースを行っている。
結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。
バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンスを披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴的出来事であった。
おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会で使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。
ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱や伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。
(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)
また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙な塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井がラップ、二宮が上ハモ、松潤が下ハモ、相葉がファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数の素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルなパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。
なぜ米津玄師はカイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体をモチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。
同じくNHKのテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。
これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである。
「地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥を超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナーの冒険心を鼓舞する内容なのだ。
対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である。
さらに面白いのはこのカイトは最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界の一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情を吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。
つまりカイトとは未来に向かって邁進する人間そのものの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。
カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズでカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先からの視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。
人は絶えず不安や孤独に苛まれる瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分を形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイトの手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分がカイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以を垣間見た気がする。
「パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワードが散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調の関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調の同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。
これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。
そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉の意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。
パプリカとピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較的甘味があること等で区別されている。ピーマンが実像の象徴とすれば、パプリカは子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカの花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れない」である。僕の解釈では”パプリカ”もまた子どもや次世代を見守りかつて子どもだった自分に郷愁を寄せる歌である。
よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。
「カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。
「パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。
これに加えて5人組の子役集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。
「カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカ」から託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。
そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます。
様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂のアイドルが抱えるドラマテックな感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。
この物語は徳島の実家から独立しニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。
ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーがコンサートやテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズが存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。
オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループのメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的な人間の感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師が作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンスが米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。