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はてなキーワード: 尺度とは

2018-11-06

男にとっての性欲と可愛い恋愛感情

最善の相で解釈するのであれば、ネットフェミニズムを主張している人の中には本当に『男性にとっても女性にとっても共通する、性欲とは無関係可愛い概念』が存在すると信じている人がいるように思える。

だが正直なところそれは幻想しか無いと増田は思うのだ。

なぜそう思うかを語ろうとすると男にとっての可愛いと性欲と恋愛感情を真面目に語ることになったので、性欲についてフェミニストに語らないお前らキモオタや男共は卑怯だへの返答も兼ねて書いてみようと思う。

1.男にとっての性欲

男の性欲は割と即物的であり、結局のところ男にとって性的行為で直接的に一番気持ちが良いのは『射精することそのもの』だ。それはセックスだろうがオナニーだろうが関係ない。(これ以外の副次的な部分、社会的な部分や支配欲的なところは存在するが、直接的には射精第一である。)

しばしば言われる『ブスとセックスするのは辛い』『結婚してから嫁が劣化(←この言葉は好きではないが)したので夜の相手が辛い』ということはつまるところ、

勃起させ、射精するための労力>射精による快楽』という構図になってしまたから言われるだけにすぎない。

女の性欲はもう少し複雑である、ということになっているはずだが、その点は深くは追及しない。

2.男にとっての可愛い

一般的な男にとっての”可愛い”は2種類しかない。『愛らしいという意味での可愛い』と『恋愛対象として高評価という意味での可愛い』だ。

(本筋から外れるが、女性の言う”可愛い”の意味もっと多いことそのもの増田理解している。ただ増田も含め、女性の言う”可愛い”の全体像理解している男は滅多にいない。女性から可愛い”と言われて戸惑ったりする男が多いが、これは『俺にとっては意味不明な尺度による”可愛い”かもしれないと思うと疑心暗鬼になる』ことによるものだ)

前者の代表例は『子犬可愛い』『子猫可愛い』であり、人間女の子であっても、5歳の女の子が健気に頑張っている姿を可愛いと言っているならばこちらの意味だ。

後者代表例は『新垣結衣可愛い』であり、ある程度成長した女性に使っているならばこちらの意味だ。

ただ、人間女性に使っている場合、前者と後者グラデーション気味になることがある。増田場合、成人した女性であっても『金田朋子ちゃん可愛い』は前者の意味をある程度含んでいるし、逆に未成年でも『4年前の生田絵梨花(当時17歳可愛い』は後者意味を明確に含んでいる。デビューした当時のまいんちゃん福原遥:当時10歳)可愛い』は100%前者である岩本蓮加(14)なら…分からない。

3.男にとっての恋愛感情

そして男にとって ──女はどうなのか、というのはいまだに分からない── 恋愛感情の一部に性欲は必ず含まれていると言っても構わない。恋愛感情=性欲ではなく、恋愛感情には性欲以外の部分もあるが、性欲を含まない恋愛感情は(おそらく)存在しない。つまり性欲⊂恋愛感情 である(←数学記号文字コード的に大丈夫?)。生田絵梨花可愛いと言っている男は、多かれ少なかれ『生田絵梨花デートして、その後セックスしている自分』を想像している。ただ、そのことに自覚的であるかないか、それだけの違いでしか無い。

そして前述したように、三次元では幼い女の子がどこまで恋愛や性の対象になるかについてはある程度遠慮している部分もある。だが、二次元相手だとその”遠慮”も無くなり、オタクの男が『木之本さくらちゃん可愛い』『高町なのはさん可愛い』と言っている時にはある程度は性的意識もある場合が多い。同人誌を見れば明らかである

…そんなわけなので、『エロ無関係可愛い』は存在するかもしれないが、それは特に二次元場合極めて限定的である増田は思う。ただ一方で、『性的であるから『それ以外の部分を無視している』わけでもない、ということを主張しておきたい。

anond:20181106111005

そうだった…>いつも褒めているとは限らない

貶す対象になる時も普通にあるからなぁ。

本当に大きな声のウザい連中ですよ。

それきっかけで普通に見てくれるようになるのはいいんだけど。そういう尺度しか測れない人が褒めても貶されてもウザいだけだからなぁ…

2018-10-28

anond:20181028144037

家庭を大事にする愛妻家でも良い父親になるとは限らないのか

もう子育て向いてる男性ってどういう尺度で選べば良いんだよ

頭の上に子育てスキル父性アビリティどんだけ付いてるか表示しといてくれよ

2018-10-27

人に愛されるには、まず人を愛せよ

というものの、人に愛された経験のない者は、自分を愛することができない、自分が愛されるべき存在だという実感がないから。

また、自分すらも愛せない人は、人を愛することができない、人は人を自分尺度しか見ることができないから。

そのようなわけで、もうどうすることも出来ないのだ。

2018-10-26

anond:20181026101306

かわいいコンテンツとして消費されてる感は否めないね。まあ、かわいそうコンテンツでもないんだけど。

人間も猫もそれぞれの尺度しか持ってないんだから、かわいがるにしろ同情するにしろ擬人化しすぎてもしかたない気がするな。

2018-10-24

anond:20181024190609

社会規範の上では上でも人間的な魅力では下でしょうね。

犯罪犯してるというのは、法律という補足的な尺度ダメということでしかなくて、真に重要人間性において自分より価値があることは明白でしょう。

2018-10-23

清潔感」という尺度はむしろ救い

ルックスや体型、持って生まれた才能や資産と違って、

努力が正しく評価されるのが清潔感という尺度のいいところだと思う。

体臭がーアトピーがーと言ってるやつがいるが、

アトピーだったら爪を切ることができないのか?服にアイロンをかけることができないのか?

体臭が気になるなら香水を使い給え。

いくら克服できない欠点があっても清潔感を決める尺度はそれだけに限らない。

だいたい、自分病気理解してもらえないのは、

ただ周囲とのコミュニケーションに失敗しているだけであって価値観問題ではない。

大丈夫清潔感は君の味方だよ。

2018-10-21

anond:20181021032948

明確な美人尺度普遍的ものではなく、所詮一時の流行であることは前提ではないのか。

お前はモナリザでヌケるのか。

今はやりのハイウエストのダサさに何も思わないのであれば、お前はクソなじじいか若いねー(ミサワ)」だ。

anond:20181021032639

まり明確な美人尺度がそこにはあり異常が検出できるから埋めるべく特徴を削っているわけだ

2018-10-15

anond:20181015152135

表向きは倫理理由としてあるだろうけどある程度個体数がいれば必ず何らかの尺度ピラミッドができて

ピラミッドを立てて維持するには個体数が必要からじゃない?

現代社会ではピラミッドの上の人たちが表立って「お前らは土台として必要だ」って表立って言わないだけだと思う

2018-10-13

おっさんだってかわいいものがすきなんだぞ

表象にたいしてどういう感情が示すかは千差万別なんだぞ

それを自分尺度常識だけで測ってもわからないことはたくさんあるぞ

他人想像するのは疲れるけど

2018-10-11

https://blog.tinect.jp/?p=53983

実用」「役に立つ」というのは、実質正体不明言葉なんですが、一見すると「共通尺度」のように思える言葉です。

お金とか、知力とか、体力とか、普遍的尺度に紐づけやす言葉です。

から、「自分には楽しめないもの」にケチをつけたい人たちは、「役に立つかどうか」という物差しを持ち出そうとする。

他人の「楽しい」が自分には理解できないからといって、他人の「楽しい」にケチをつけるだけのために

「それ、時間無駄じゃない?」とか、

「それ、何の役に立つの?」という質問を投げつけたりするんです。

世の中こういう人間比率高かった気がしたけど

2018-10-10

anond:20181010152800

お前はもうずっと増田で、「査読がないことは論文の質を決定する要素ではない」と言っているだけ。それに対して、高いレベル査読が行われていなければ再検証対象としての優先度は下がるし、再検証されない論文は被参照数が増えず、論文としての価値が低いと言っているわけだ。査読は優れた研究であることを同業者に認められるための条件の一つになるが、査読されていなければ再検証も行われず優れた研究と認められることは稀である。ゆえに査読されない事は、論文価値を実質決定する。

引用数にやたらこだわる人が多いと思ったらそういう理由があるのね。当たり前だけど、マイナー事象を扱っていればメジャー事象を扱ったものより被引用数は少なくなるから、それは直接価値を測る尺度にはならんよねって話をしてるわけ(この問題はとうぜん査読誌にも存在するよ。英語圏でも日本語圏でも、ナチスについての歴史研究とそのへんの小国歴史研究、読まれる頻度が高いのは研究人口からいって前者なわけで。まあ当の小国で出た論文に限れば頻度は逆転するわけだけど)。あと、論文の中でダメダメ研究引用した上で批判する、なんてのもよくやるよな(まさかやらんのか?)。このような研究分野において、被引用数は文字通りどれだけ多くの人に引用されたかという尺度に過ぎず、引用多寡は直接的には論文価値リンクしない……というのは流石に理性があればわかってくれるよね? まあ実質的リンクしている分野があるのは理解したけれど、他分野においてもリンクしている、あるいはリンクさせるべきだという主張はまったくもって理解に苦しむ。

そして、社会学においては、偉い先生が書いた査読もされない招待論文価値があるとみなされる構造問題があると言っている。当初から査読の有無は問題視されていない、論文クオリティ担保する仕組みについて社会学での在り方が、社会学者内でも文科省でも疑問視されている事を指摘されている。

偉い先生が書いた良い査読なし論文には、そのへんの若手が書いた微妙な出来の査読論文よりも価値がある、という話なので。そしてもちろん近年は査読重視にシフトしている、という話もさんざんなされているわな。同じ社会学でも世代とか環境によって「格」の考え方には差があるわけで、1人の学者放言に基づいて構造を云々してしまうのは到底科学的な態度とはいえない。まして、社会学限定するのではなく、「文系」というより広いくくりでの議論をしようとするならば。要するにきちんとリサーチしろと言っている。ろくに対象について調べずに的外れなこと言ってんじゃねーよバーカ、って言えばわかりやすい?

お気持ち明学問とは違って、理工学は先行研究との間の比較実験をして、実験結果について先行研究との比較を解析的に行う。先行研究との比較には、同様の実験を再度行う場合や、同じシステムを構築しなおす手間を含む。時には、予算時間も考えられない程かかる。

先行研究との比較ねえ。まず文系といっても色々あるので一概に言えないわけだが、たとえば歴史学なら先行研究引用されている史料はチェックするよな。文学なら、まあ文学といっても多種多彩だけど、刊本が容易に手に入る小説の内容についての分析なら手元か図書館に同じ本があるはずなんだから再検証は容易にできる。のでみんなやってるはず。逆に文化人類学なんかはフィールドワークデータ依拠する以上原理的に完全な再現不可能だけれど、そこは天文現象についての研究と同じだと思ってもらえれば。一回性の振る舞いを膨大に集めて理論を構築していくという意味で。社会学も、フィールドワークに基づいたやつなら文化人類学と同様だし、統計に基づいているなら統計に基づいた議論ができるよな。法学は、まあ、条文が目の前にあって、それをどう解釈すべきか、あるいは個別事件がまずあって、そこに条文をどう当てはめるべきか、という議論から再現性とかあんまり関係ないと思う。とまあこんなふうに、分野によって「再検証」のあり方というのは実に多種多様なのね。理系とひとくくりにされてはいても、工学天文学と生物学理論物理学と数学じゃあ「再検証」のあり方は違うっしょ? 理工系スタンダード研究のあり方、ということではまるでないわけで、そうなんですか理工系ではそうなんですね勉強になります、以上のことは言えない。

逆を言えば、文系場合は、査読の有無にかかわらずただ読むだけでいいという事だろう。論文の良しあしに関わらず、ゴミの山に埋もれるのは空しいな。そして競争もない。

ただ読むだけでいいというのが何のことなのかはわからないけれど、普通に競争はある。考古学なら新しい遺物発見されたとか、歴史学なら新史料を見つけたとか、そういうマテリアル新規性もあるし、独創的な理論解釈提唱したという意味での新規性もあるわな。そして同じ事象研究するにしても出来のいい研究と悪い研究とでは当然与えられる評価も異なってくるし、違う事象について研究していても同じディシプリンの中にいる以上出来の良し悪しというのはわかってしまうわけで(だから引用数を重視する文化存在しない。たとえどれだけナチス研究の方がそのへんの小国研究より注目されていようと、出来の悪いナチス研究と良く出来た小国研究なら後者の方に価値があるから)。

2018-10-09

anond:20181009112220

フィクション現実尺度を持ちこんであーだこーだ言う欧米こそ「劣った蛮族の国」なのでは?

出羽守が何言っても無意味

2018-10-08

みんな日本語学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系研究業績の大半は自国語だから

文系研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準から

インドサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも社会学には膨大な日本語研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書からから日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから論文執筆言語自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスアメリカ学者英語で書き,フランス研究者がフランス語で投稿し,ドイツ博士ドイツ語で教授資格申請論文審査を受け,ロシア院生ロシア語で報告している中で,なんで日本教授日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって歴史学だって文化人類学だって文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究あなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧学者と同じようにアフリカフィールドワークをし,日本語西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパ歴史を知りたいと思ったとしよう.あなた造作もなく,フランスドイツイギリススペインロシアや,そしてチェコポーランドポルトガルボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本歴史学の積み重ねてきた問題意識接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語文法記述した本も,ヨーロッパ小国言語の音声を論じた本も,中東言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EU制度アメリカ大統領選挙,韓国歴史認識ロシア愛国主義湾岸諸国君主制,どれも日本語最先端研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったとき書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジア言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧から翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパ小国書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラペラ入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパアフリカ社会ラテンアメリカ先住民近世朝鮮史東南アジア政治についての最先端研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカまれ英語ネイティブ白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人カタルーニャ言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブ西アフリカ地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパ前近代研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語最先端研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しか文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端研究の全てが英語提供されるわけではない.

なので文系では,英語理系ほど特権的地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウント和文論文勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルール文系押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本コンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパアフリカ部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリアハンガリー舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダ虐殺スレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解やすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域専門家が書いた本や論文和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史理解する助けになるだろうか.欧米フェミニズムについて日本語研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれ研究蓄積にあまり無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代日本医師ドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語外交学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのとき現在私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位貶める必要はないと思う.それは私たち社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語しか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.

追記

英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502

id:bocola 自分でも言ってるように査読しなの問題査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文信頼性担保するための手続きひとつであって,それが欠けている「からダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマン査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系ローカルルールで事前の査読必須なのはよくわかったけど,そのローカルルール文系敷衍されても困る.

id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.

追記

続きは anond:20181009084352 anond:20181009213503 で.

2018-10-03

結局ないのはカネなので

国立大学運営費交付金法人化する前のレベルに戻してあげてください。そのためには競争的な教育研究開発プロジェクトが無くなっても構いません。」と国民の皆様が声高に叫ぶことで、その他大勢凡庸大学教職員環境は若干改善するかも知れないが、トップレベル研究者の国外脱出ますます進み、目立つところの国際競争には負け続けるだろう。で、官僚議員も目立つところで勝たないとメンツが立たないと思っているタイプ人種なので、50番手100番手集団がちょいと順位を上げることを評価しない。というか多分それを評価する手段、もしくは、ナントカガク的に裏打ちされた、良い感じに計算すると少々の投資日本順位ジャンプアップする計算方法とか、そういうのを持ってないんだろう。

既にいろいろな先生方がいろいろな評価尺度議論をして分からせたがっているが、しかし分かってほしい相手ってのは結局縦軸か横軸がカネのグラフしか興味を持たんし理解もしないんじゃないの? A4横2~3枚くらいの量でさ。っていう諦観

競争資金の原資に当てることができる、科学振興納税かいシステムは出来ないもんなのかな。めっちゃリターンの良い返礼品つけまくってさ。ていうかそれだと多分大学教職員が率先して納税ちゃうかな。それもいいな。大手私大教員節税対策国立大が潤う。最高じゃないか。まあカネがループするから何かしら条件がつくんだろうけどさ。

支離滅裂文章増田に限る。誰も読まないし丁度良い。増田最高。酒呑んで寝る。

2018-09-28

アスペが昔の尺度では病気ではないが今は病気とされているように

KKO尺度が改められるうちに病気になるかもしれん

私は病気だと思ってます

2018-09-21

長らく続いたバンプフォロワーみたいなバンドブームでなくようやく別のブームが来たようだ。ここ数年はバンプシティーポップ(笑)を混ぜたような感じのが若干流行っていたっぽいし今でも流れは続いているっぽい。でもなんでこう半端なサブカル野郎達が好きになる音楽はこういうスカスカなやつなのか。大抵の人間の中身がスカスカからか。

一時期GReeeeNみたいなの流行ったけどそれを例示すればわかりやすいかな。結局それを一段(たった一段のみ)表現を深くしたのがシティーポップ(笑)の流れなんだろうし、結局ファンはまだスカスカ民族の層であることには変わりはないんだろうな。別にここで言う「人間の中身」というのは「いか精神的にいろんな論理武装を備えているかの量」的な尺度なので別にそれがミッシミシに詰まっていても現実社会では全く偉くはないんだけど。

なんで流行音楽って、わざわざ表現が浅いやつなのいちいち。なぜいちいち文化的に少しレベルが低いやつが流行ってしまうのか。それはやっぱ最初に書いたとおり「大衆文化的レベルいか統計的に売上がそうなっていってしまう」ってことに収束ちゃうんだろうか。どうでもいいな

2018-09-10

anond:20180910015135

こういう奴の意見見るたびに思うんだけど、「国によっては逮捕される」から何だ、と思うんだよな

国によって価値観多様性があるだろ

例えばフランスヌーディストビーチ合法からって日本で乳丸出しにしたら逮捕されるだろ

フランスヌーディストビーチに「国によっては逮捕される」って冷ややかな視線向けてんのかな、ちゃん

何が恥ずかしくて何なら恥ずかしくないんだろうな それを決めるのは誰なのか

もしかして感性フランスよりだからフランス価値観尺度にしてものを考えているのだろうか

からフランス違法だが日本合法」はだめで「フランス合法だが日本違法」はOKなのかな

だったらフランス行けよって感じだよな

それとも逮捕基準って全世界統一すべきなんかな

それって「文化多様性」とたぶん相容れない、どこかの価値観統一する愚行だと思うんだけど

ここらへん筋通してる奴いるのかな

2018-08-30

私の尺度

ホッテントリに上がっている増田の量が多い日は平和根拠はない。

2018-08-21

anond:20180821132537

右翼ばかり強制性を伴う批判をされて、左翼批判されてもそれに束縛されない」

といった物言いはあまりにも恣意的だろう。

実際には右翼左翼で互いに批判あい罵りあい潰しあっているんだから

全然恣意的じゃないだろ。

右翼がいつ、国会前で違法デモをやった?

自称カウンターデモ座り込みでつぶした?

メディアスクラムをやった?

「仲間内肯定されてるじゃん」の反論に「教科書には選択肢がある」を持ち出してくるのは

明らかに右翼的な思想にもとづいた教科書を作るのが正しいかどうか」という尺度だろ。

俺が強調しているのは「右も仲間内肯定して制止せず行動に移しているじゃないか」という点だよ。

左翼批判してくるだろうからこういうのは止めとこうか」という制止がそこにあるのか?

批判してくるだろうからやめとこうか」という制止は必要ないだろ。

問題相手批判選択肢のもの封殺する類の行動かどうかだろ。

右翼的な思想にもとづいた教科書を作る」ことは選択肢批判封殺しないが、

それを阻止するために過激な抗議行動をするのは選択肢を殺してるでしょうが

全く違う。

anond:20180821131452

右と左の「批判」は大いに違うだろうが。

左のそれは物理的な実力行使を伴うって言ってるの。

いま右と左で立場が違う点といえば与党側か野党側かというところで、

政府を止めるにはより大きな批判必要というのはあるだろうが、

からといって

右翼ばかり強制性を伴う批判をされて、左翼批判されてもそれに束縛されない」

といった物言いはあまりにも恣意的だろう。

実際には右翼左翼で互いに批判あい罵りあい潰しあっているんだから

おれ、「右翼の行動は正しい」なんて言ってないぞ。

「仲間内肯定されてるじゃん」の反論に「教科書には選択肢がある」を持ち出してくるのは

明らかに右翼的な思想にもとづいた教科書を作るのが正しいかどうか」という尺度だろ。

俺が強調しているのは「右も仲間内肯定して制止せず行動に移しているじゃないか」という点だよ。

左翼批判してくるだろうからこういうのは止めとこうか」という制止がそこにあるのか?

anond:20180821131055

からどっちも仲間内では肯定されてるしどっちも外野から批判されてるし

どっちも止まってないしあるいはどっちにも止まっている人もいるという話で

別に左右関係ねえだろってことなんだけど。

急に「右翼の行動は正しいか」みたいな尺度を持ち出すあたりお里が知れるぞ。

2018-08-19

anond:20180819054922

>> その「でっかいドンブリ」を大半の人は頭に思い描けないから <<

「fそもそもそういう目的のために使われてる評価尺度じゃないよ」というのが私の論旨だったのですが、

貴方には解釈いただけなかったようですね。残念。

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