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はてなキーワード: 言い伝えとは

2024-11-17

から言い伝えを守り人格形成されるのとAIの言うとおりにして人格形成するのを比較して

AI先生の方が薄っぺらく感じちゃうのが人情よな

結果的に同じことをしたとて

何かしらの真髄は人から暗黙的に盗み取るのが職人らしさを感じて粋なのである

2024-10-20

anond:20241020224455

喪中の家に賀状を送ると、送った人が喪中になるという言い伝えがあるからだよ。

2024-08-16

山崎合戦

戦国の将明智光秀乾坤一擲の戦

その戦ぶり冴え渡らず

古来より言い伝えられる

しかしただ敗者に弁はなし

真実はもうわからない

山崎の地に行けば今もその当時の面影あり

摂津から京へと向かうとき

人はまだこの地を通るのは

変わらない

2024-08-14

心霊写真って

死後に人間には見えない可視領域外エネルギーと化した存在が、カメラセンサーに感光したってことなのかな

でも仮にそうだとすると、それを認識するってことはエネルギーを吸収して温度が上昇するわけで

幽霊が出ると寒くなるっていう言い伝え矛盾するよな

矛盾が発生するってことは、つまり幽霊ってやつは存在しないってことになるんじゃないか

2024-07-26

そもそも日本人同族どころか末の妹や弟を平気で奴隷にできたのにわざわざ黒人奴隷にする必要なんてないんだよね

アジア倫理観の低さ舐めてんじゃねえぞ?

自分之妻をぶっ殺して偉い人に食わせた」という故事が超名シーンとして長年言い伝えられるようなクソみたいな階級社会暮らしてきてんだよ!

猛暑日本ではビキニアーマーを正装にしたら良いのでは?

コナンといえばザ・バーバリアンですよね

そして、フランク・フラゼッタですよね

フラゼッタの絵に初めて出会ったのは小学生低学年ぐらいだったでしょうか

親戚からスーパーマンアメコミをもらったりしたのが切っ掛けでした

ビキニアーマーどころかトップレス女性が川で怪物たちから逃げているところを、筋肉ムキムキマンが救う、その彼の背中が強調された絵だったと思います

当時の私は大興奮でした

トップレスのねーちゃんにも大興奮でしたが、やっぱりムキムキマン背中がいいですね

やはり、描いても楽しい題材です

そんな私も、今では立派なキモいデブオッサンになってしまいました

しか現在無職です

余りの日本の夏の暑さに、クーラー稼働させつつも、パンツいっちょでキモいデブオッサン集合住宅の、この世界の片隅でひっそりと暮らしているのです

さて、問題なのは外に出るのが面倒だということ

チャイムが鳴っても居留守を使うことが多いのですが、出たくてもいちいち服を着るのが面倒なんですよ

パンツいっちょで玄関に登場してもいい、なんならフルチンでもいい、というならやりますけど

スーパーコンビニに買い物に行くのも億劫なんですよ、服着なければいけないか

パンツいっちょで買い物できる世の中にならないですかね

そういえば、中国のタワマンなんかは、寝間着とか着たままで外出するのがステータスだっていたことあります

要は、高級住宅街でも部屋着で歩けるぐらい、この世界は俺の室内なんだ、という主張がカッコイイといいます

まり、俺もパンツいっちょでスーパーで買い物するということは、中国流の金持ちアピールにもなるのではないか

いっそ、女性下着スーパーで買い物してもいいようにすれば、猛暑日本の夏も快適になるのではないだろうか

下着は良くないですね、水着とかビキニアーマーとかがいいですね

日本の古来から言い伝えに、パンツじゃないから恥ずかしくない、というのもあります

ビキニアーマーといえば、鳥山明の絵も好きでしたね

トカゲ?に跨ったビキニアーマーアラレちゃんの絵とかプラモもあった気がしま

なんなら、自分が率先して手本になるべく、ビキニアーマーを装備して外出するのもいいかもしれません

私は体重が100kgぐらいあり、巨乳には自信があるんです

そんじょそこら貧乳女子には余裕で勝てる自信があるんです

男女平等時代ですからね、男性オッパイデュエルで勝つことだって時代としてはアリだと思うんですよね

でも、その前にデパート下着売り場で、初めてのブラを店員相談するところからスタートですかね

アラフォーという周回遅れに遅れたスタートですが、立派な乳を育てていきたいですね

2024-07-15

最近ウルトラマンワンパターンやな

1. この土地には古くから言い伝え怪獣封印されている、と活動家ポジキャラが騒ぐ。

2. 信じない開発・企業側の人間無視して工事を始める。

3. 実際に怪獣が暴れ出す

4. ウルトラマンが助けにくる

5. 怪獣を再び封印する

この手のエピソードがどのシリーズにも1話はある。

2024-06-29

anond:20240627045444

7つの海の怪奇⑦ 消えた船から届く手紙!?

 

怪奇⑤で紹介した『魔のバミューダ三角地帯から、そう遠くない海上に、コロンブス時代から“呪われた島”として船乗り達に恐れられている島がある。

セントクリストファーネビス。神をも恐れぬ海賊達も、その名を聞いただけで震え上がったという、幾多の船乗りの血を吸ってきた島だ。

ここは、正確にはセントクリストファー島とネビス島という二つのからなっていて、前者はこの未開の地を最初に踏破したコロンブスファーストネームからつけられている。もう一方のネビスの由来にはさまざまな説があるが、ポルトガル語の雲(nuvens)が転じたというものが有力だ。というのも、ネビス島には常に山頂を雲で覆われている活火山・ネビス山があり、原住民ですら一生のうちにその山頂を見ることはない。言い伝えでは、山頂は「天に消えた大陸」に繋がっていて、それを目にすることは即ちその大陸への移動(つまりは死か)を意味するという。場所柄、怪奇①の『アトランティス大陸』を思わせる伝説でもある。

どんなに周囲が晴れていても、どんなに風が強くても、この雲は消えない。また、時折島全土を丸ごと覆うほど雲が巨大化する時もある。

そして、最も厄介なのが、この雲の一部がちぎれ、海上に漂い出す時なのだ

 

1777年7月ジョーンズ船長率いる英国公認海賊船「黄金の猟犬」号は、アフリカ大陸奴隷仕入れを終えてジャマイカに向かう途上にあった。

カリブ海に入る直前、航海で三度目の嵐に襲われたものの大きな被害もなく切り抜けた。とはいえ航路の大幅な変更を余儀なくされ、寄港予定のセントルシア島よりかなり北寄りの「風下の島々」に辿り着くこととなった。呪いなどを信じない英国人のジョーンズ船長は次の寄港地をセントクリストファーネビスに決める。

こうした寄港地の変更は、当時はよくあることであり、敵国船などに出会わない限りは大きな問題とはならない。しかし「黄金の猟犬」号とその乗組員にとっては、この決断が致命的となった。

“呪われた島”に近づいた時、数人の乗組員は既に異変に気づいていた。ネビス島はすべてが雲に隠れて姿が見えず、雲の一部は巨大なジニー(風の精霊)が伸ばす手のように船に忍び寄ってきていた。しかし、必死進路変更を訴える乗組員の声を聞き入れず、ジョーンズは船を伸びてきた雲を掻き分けるようにしてセントクリストファー島の港に入港させた。

この時点で、既に積荷として船内に詰め込まれていた奴隷ほとんどが変死している。脱水症などで奴隷輸送中に死ぬことは日常茶飯事ではあるが、入港の前は100人弱の生きた奴隷がいたというから、それがいっぺんに死んだとするなら異常な数だ。

入港後、船から降りた者は誰一人船に戻らなかった。そう大きくない港の集落の中でほとんどが行方不明になり、稀に遺体発見される場合は全て無惨な姿に変わり果てていた。いずれも同じく上半身下半身が真っ二つにちぎれたまま事切れていたという。

船も港から出ることはできなかった。どういうわけか一夜にして港は封鎖された池となり、日を追うごとに干上がって塩湖となった。船に残った乗組員は船から出ることも叶わず飢えと渇きで死んでいった。

まり黄金の猟犬」号の乗組員(と奴隷)は全滅したわけだが、ここまで詳細な死の記録が残ってるのは、なんと英国王室宛に乗組員からの救助要請手紙が届き続けていたかなのだ手紙1777年8月から翌78年の11月にかけて、7回にわたって届けられている。この文書英国王立古文書館に現存していて、他の文書と筆跡などを比較・鑑定した結果、間違いなく当時「黄金の猟犬」号に乗っていた記録官の文字であることが確認されている。

手紙は誰がどう届けたのか。そもそも書いた乗組員はどうやって(少なくとも1年強)生き延びていたのか。謎は尽きない。

 

最後に筆者の想像を述べておこう。

ネビス島の“雲”は噴煙なのではないだろうか。ネビス山は活火山であり、規模の差こそあれ、絶え間なく噴火を続けていた、その噴煙が多い時、つまり大きな噴火の時に島に近づいてしまった「黄金の猟犬」号は、噴火に起因する大規模な地殻変動に巻き込まれて、再び出港できなくなったのではないか。船体に積み込まれていた奴隷から先に死んでいったのは、噴煙による酸欠あるいは一酸化炭素中毒であろう。

セントクリストファー島には「大塩池」という湖のような大きな池が存在する。かつて湾であった場所が隆起して海から隔絶されたような場所だ。筆者はこの池の底に、かの船は眠っているのではないかと考えている。

2024-06-23

anond:20240623063135

日本列島移住してきた人々の開拓事業国生み言い伝えただけ」

小説、昔話の類に過ぎない」

「神の伝説ってことにして国民統治する方便に使っただけ」

っていう神話に対する指摘に「けしからん😡」でしか返せてないの、さすがにレスバ敗北と言わざるを得ないのでは

2024-06-20

なんかの作品

冒頭に遊園地 金のやり取り 荷物すり替え

みたいな流れがあったんだけど 作品名が思い出せない

コンフィデマンスJPとかリーガルハイみたいなやつだったような

いいねいいねおれうまいねえ

人間からない

足が勝手ラーメン屋に向かって

食うて替え玉しちゃったよね

猫のように見えるが、これは『便所みたがり』という人の排便を覗きたがる恐ろしい妖怪じゃ。言い伝えによれば、気が済むまで人が排便する姿を眺めた後、どこかへと去っていくそうじゃ。

爆乳を前にした俺あまりにも非力

セックスなしでいいか漫喫代わりに部屋で漫画読ませてくれる女友達ほしい

あとまんこはキツめがいい

乳がデカイだけの女をフォローするのはやめにしよう

アイフォン使ってて人生辛いは甘えだろ

セックスしようと思う

土下座すればいいんだろ

さすがに冗談だろ

さすがに嘘だろ

悪い冗談はよせよ

死ぬなんてないだろ

一生生きれるだろ

視点でいままで生きてきたものがなくなるのか

悪い冗談はよせよ

墜落事故 溺死事故 病死

じゃあ死んだあとはどうなるんだ

2024-03-20

anond:20240319171811

2028年3月20日、ワイの日記やで。

この4年間で起こった事は、まるで古い伝説の中から飛び出してきたような出来事ばかりやった。マハカルの大乱動が世界を揺るがし、時空の裂け目が現実と幻を曖昧にした。マハカルは、古代から伝わる言い伝えにある、世界の秩序を一変させる天災のこと。その影響で、ワイとフェミちゃんは、神秘的な力が溢れるパラダシアへと導かれたんや。

パラダシアでの生活は、初めは戸惑いの連続やった。ここでは、チャクラの流れを整えることで物質を操る術や、心を静めることで見えない力を引き寄せる禅の技法日常茶飯事。ワイは、神秘の力を操る術師、カルナマスターのアショーカに師事した。彼から、パラダシアの根底流れる力、バラマナ秘密を少しずつ学んでいったんや。

しかし、学びの日々の中でも、フェミちゃんのことは常にワイの心を占めていた。彼女が求めた女性が救われる世界、その真意理解することは、ワイにとって大きな目標となったんや。

現在、ワイが住むセリアタウンは、パラダシアにおける学問技術の中心地や。この町では、伝統的な知識現代発明が見事に融合しており、特に、時空を超える研究が盛んに行われている。セリアタウンの図書館では、マハカルの大乱動以前に遡る古文書や、異世界知識に関する膨大な記録が保管されており、ワイはそこで多くの時間を過ごしている。

フェミちゃんとの冒険から始まったこの旅は、ワイを未知の世界へと導いてくれた。パラダシアでの経験は、ワイの人生に計り知れない価値をもたらしてくれているんや。

2024-03-08

「泥のように眠る」の「泥」は生物ことなのか?

まず、土と水の混合物という意味での「泥」(以下「ドロ」と書く)ではない、生きものとしての「泥」(以下「デイ」と書く)については、中国唐代の沈如筠が書いた『異物志』という書物で紹介されているという。

泥为虫名。无骨,在水则活,失水则醉,如一堆泥。

泥は虫の名である。骨がなく、水に在ればすなわち活き、水を失えばすなわち酔う、一堆の泥のごとし。

南宋代の『能改斎漫録』、明代の『夜航船』などにも同様の記述が引き継がれている。なぜ「水を失えば酔う」のかといえば、言い伝えによると「デイ」は身体から酒を分泌しているので、周囲に水が無くなると自分の酒で酔って、ドロのようになって死んでしまうかららしい(が、この言い伝えソース不明なので信用できるかどうか)。おそらくナマコクラゲのようなものを指しているのではないかと思われる。

「酔如泥(泥の如く酔う)」という表現の初出は『後漢書』の周沢伝だ……という説が一般的なのだが、現在の『後漢書』の原文にはそういった表現はない。この周沢はとても生真面目な人で、祭祀管理する「太常」という役職に就いてから毎日のように斎戒をしており、彼が病に倒れたときに妻が見舞いにくると「斎戒中に妻子と触れてはいけない」と言って妻を投獄してしまうほどだった。そこで人々は「生世不諧,作太常妻,一岁三百六十日,三百五十九日斎(この世に生まれて楽しくないのは太常の妻になることだ、1年360日のうち359日は斎戒しているからずっと会えない)」と歌ったのだった。

この「三百五十九日斎」のあとに「一日不斎酔如泥(残りの一日は斎戒せずに泥のように酔っている)」という文章がくっついていることがあるのだが、それがどうも後世に補われた部分らしい。より正確には唐代後漢書注釈(李賢注)に「『漢官儀』にそう書いてあった」と書かれているとのこと。

たとえば唐代詩人李白は、

三百六十日 日日酔如泥 雖為李白婦 何異太常妻

私は360毎日泥のように酔っているので、あなた李白の妻だと言っても太常の妻と変わらない

と周沢の逸話を踏まえた詩をよんでおり、唐代には「酔如泥」という言い回しが広まっていたことがわかる。周沢が1世紀の人なので、ざっと700年くらいが経っている計算になる。

で、この「酔如泥」の「泥」は実は「ドロ」ではなく「デイ」を指しているのだ!……という説はどうやら中国でも根付いているようで、先述の『能改斎漫録』や『夜航船』においても「デイ」の説明と周沢の逸話併記されている。だが併記されているだけで何か解説が述べられているわけではない。

現代中国ネット上でも「実はドロではなくデイのことなんだよ」という雑学ネタ散見されるが(ということは中国人の多くも「ドロ」のことだと思っているのだろう)、いずれの記事も「古い本のなかでデイという生物が紹介されてるよね」「昔から『酔如泥』という言い回しがあるよね」「だからこの泥というのはデイのことなんだよ」というちょっと怪しげな論法であり、やっぱりウソ雑学なんじゃねーのと疑う気持ちを抑えきれない。

ちなみに日本ではどのように受容されていたのかと思って検索してみたが、天保年間に出された『燕居雑話』のなかで、『能改斎漫録』などを引用しつつ「蟲名とせしもたしかなる所見なし」「さして難解ことにはあらぬを斯る迂遠なる説を本説とするも奇なることなり」などと書かれていたのを見つけたので、昔の人もそう思っていたんだなあと感慨を覚えるなどした。

ともあれ、本当に「酔如泥」の「泥」が「デイ」に由来するとしても、その「デイ」の名前は「ドロ」に由来するのだから、どちらにしても酔った人間を「ドロ」にたとえているのと変わらないのではないかと思う。

さて、「泥のように酔う」についてはいろいろとわかったが、「泥のように眠る」はどうなのか。

中国語で検索してみると近いのは「酣睡如泥」だろうか。「酣」は「宴もたけなわ」の「たけなわ」のことで「まっさかり」という意味。つまり「酣睡」は「熟睡」という意味になり、全体では「泥のように熟睡する」という言い回しになっている。しかし、こちらの表現については「この泥とはデイのことである」という言説は見つからなかった。おそらく「酔如泥」よりも遥かに歴史が浅い表現なので、あんまり語源が気にされていないというか、「デイ」にまつわる語源説明するなら「酔如泥」のほうが例に取りやすいということではないか

もちろん「泥のように酔うのがデイに由来するのだから眠るほうもデイに由来するのだろう」という類推は成り立つだろうが、逆に言えばそれ以上の根拠はないということだ。つまり「泥のように眠る」には「泥のように酔う」とは別の語源があってそちらのほうは根拠も確かなんだぞ、というミラクルはなさそうである

2024-02-16

味の素を使わなくても料理はできる」

旨味調味料の話になるといちいち湧いてくるこういう主張、なんでわざわざ発言するんだろう?

味の素がなくちゃ料理ができないなんて誰ひとり言ってないのに、「俺は昆布いりこを使ってるけどね」となぜか少しマウント気味に自己主張する。

いや、みんなも使ってますよ。味の素肯定だって味の素以外の選択肢を持っていないわけではない。味の素昆布いりこ鰹節ほんだしめんつゆヒガシマルと同列の選択肢ひとつに過ぎない。

材木を使わなくても鉄骨鉄筋とコンクリートで家は建てられます!」って言ってるのと同じ。知ってますよと。あえて材木を使わない理由の方を言ってよと。

肯定派と否定派の違いは〈調味料選択肢味の素あるかないか〉でしかなく、ほかの条件はイーブンなのだから否定派は「味の素選択肢から排除した理由」だけを主張すれば十分なのだが、なぜかあえてそこは避ける。

理由簡単で、説明できないからだ。

味の素を使わない根拠あやふやからだ。

から言い伝えとか、ネットの噂とか、自然食品信仰とか、あるいはもっとぼんやりしたマイナスイメージとか、言語化するのが微妙根拠でなんとなく雰囲気的に遠ざけているだけだからだ。あるいは、無意識に避けてしまっていることに気づいていないかだ。「舌が痺れるから」「後味が悪いから」なんて主張もあるが、それは入れ過ぎです。

2024-02-14

anond:20240214212133

そういうのは男には必要ないっていうイニシエから言い伝えなんだと思う

2024-02-12

anond:20240212223326

昔、職場再婚の時の祝い金をせしめた奴がいた。

一回目の離婚後に散々他人に当たり散らしていたくせに、そして「朝礼時に皆の前で受け取る」のがルールなのに「再婚なんでそういうのはいいです」とかぬかしやがって。

みーんな馬鹿らしくなって廃止

トータルでは赤字だったけど、くだらない慣習がなくなってむしろ安心した。↑のクソ野郎の件は皆で言い伝えてるけど。

2023-12-24

anond:20231224161646

箸持てない人間犯罪者級の扱いする奴って忌み箸も全部クリアしてるのかな

持ち方に関する嫌い箸

握り箸

二本の箸を鷲づかみにして食事に使う所作

我流でもって指を操り、箸を動かすことになるが、箸をまだ持ち慣れない幼児にこそ多く見られる稚拙な使い方でもあるため、年長の子供や大人所作としては他者に受け容れられない。

また、古来、食事の途中で握り箸の形に持ち替える行為攻撃の準備と見なされるものであったこから今日においても受け容れられない。

食器を持っている側の手で箸を握り持つ所作を指す場合もある。

拝み箸

両手で箸をはさみ、拝むようにする所作

横箸

箸を二本揃えて、スプーンのように食べ物を掬い上げる所作。箸を舐める所作

違い箸(ちがいばし)

種類・材質の異なる箸を一対で用いる所作火葬後の遺骨を拾うときには違う箸を一対にして使う。

返し箸・逆さ箸

複数人で食べる料理を個に取り分ける際、箸を上下逆さにして用いる所作自分の手が触れた場所料理を掴む事になる上、箸の上部が汚れ見栄えが悪くなるためマナー違反とされる。取り箸を使うのがマナーである慶事用の箸には両端を細くしてある──つまりは、食べる側にしてある──ものもあるが、これは神仏と食事を共にするという信仰的意義が籠められた造形であって、逆さにして使うために作られたものではない。

懐石における八寸では品ごとに取り箸の上下を使い分ける返し箸を用いる。

左箸

箸を左手で持つ所作。箸の置く向き、椀の置く位置作法があるように、箸は右手で持つことが作法とされる。

ちぎり箸

箸を両手に1本ずつ持ってナイフフォークのように料理をちぎる所作

竹木箸

不ぞろいの箸で食べる

使い方に関する嫌い箸

編集

突き箸・刺し箸

料理に箸を突き刺して食べる所作。見た目が悪いだけでなく、火の通り具合を疑っているようにも見られる。

仏箸(ほとけばし)・立て箸

箸をご飯に突き刺して立てる所作仏式葬儀とき、枕飯を死者に捧げるやり方。

合わせ箸

から箸へ料理を渡す所作火葬後の遺骨を拾うときには箸から箸へ遺骨を渡して後に骨壺に納める。「拾い箸」「箸渡し」とも言う。

叩き箸

箸で食器を叩いて音を立てる所作。人を呼ぶ目的でそれをしたり、食器打楽器代わりにして遊ぶ行為は、マナーを著しく踏み外していると見なされる。なお、「茶碗を叩くと餓鬼が来る」という言い伝えがある。

振り上げ箸

箸を手の甲より高く振り上げる所作

指し箸

箸で人や物を指し示す所作

持ち箸

箸を持った手で同時に他の食器を持つ所作

受け箸

箸を持ったままでおかわりをする所作

寄せ箸

遠くの食器を手元に引き寄せるために箸を使う所作

空箸(そらばし)

食べようとして料理に箸を伸ばしたにもかかわらず、口に運ぶことをやめて箸を引いてしま所作。やっていることは、供された食物を毒入りと疑ったときに古の人が執る仕草と変わり無いため、食の提供者に対して失礼な振る舞いである。

迷い箸(まよいばし)

どの料理を口にしようかと迷い、料理の上であれこれと箸を動かす所作。「惑い箸(まどいばし)」「なまじ箸」とも言う。

移り箸・渡り

おかずを食べた箸で(間に飯を食べないで)またおかずを食べること。現在では嫌い箸とみなされない。加えて、いったん箸を付けたにもかかわらず、その品を食べずに他の品へと移る所作をも指す。

挵り箸 / せせり箸 (せせりばし)

箸で食物を挵る(せせる。尖った物で繰り返しつつく)所作

楊枝箸(後述)のことを指す場合もある。

楊枝箸

箸を爪楊枝代わりに使い、歯間に挟まった食物をほじくり取ろうとする所作

涙箸

汁が滴りやす料理を食べる際、それを取った箸から汁を滴らせながら口に運ぶ所作

探り箸

汁椀の底に具が残っていないかと、箸を椀の中でかき回して探る所作

洗い箸

汁物などで箸を洗う所作

捥ぎ箸(もぎばし)

箸に付いた米粒などを口で捥(も)ぎ取る所作。これを行わないために食事最初には汁物一口すすって箸を湿らせるのが作法とされる一方で、汁をすする際には箸は用いない作法のため湿らないという矛盾がある。

舐り箸(ねぶりばし)

箸を舐る(ねぶる。舌で舐める所作

銜え箸 / 咥え箸 (くわえばし)

箸を銜える(くわえる。咥える。口に軽く挟んで支えること)所作

噛み箸

箸を噛む所作

掻き箸(かきばし)

食器に口を付け箸で食べ物を掻き込む所作、箸で頭などを掻く所作

橋箸・渡し箸

箸休めときに箸を器の上で横にかける所作

懐石での八寸や強い肴では取り箸が渡し箸で供される。

揃え箸(そろえばし)

箸を食器等に突き立てて揃える所作

直箸(じかばし)

複数人で食べる料理の際、取り箸を使わず個人の箸で直(じか)に取り分ける所作。自他の別は問わないので、自分のために取り分けることはもちろん、他人の分を取り分けることも該当する。ただし、懇意な仲同士や遠慮なく多くの料理を客に食べてほしいときには敢えて「直箸で」と勧めることがある。

日本独自の嫌い箸であり、中国台湾朝鮮など取り箸が存在しない地域では問題とならない[5]。*中国はともかく、香港では間違いなく取り箸の文化がある。

透かし箸(すかしばし)

骨付き魚の上側を食べた後、骨越しに裏側の身をつついて食べる所作

撥ね箸(はねばし)

嫌いなものを箸でのける所作

重ね箸

他にもあるなかで一つの料理ばかりを食べ続ける所作。「片付け食い」「ばっかり食べ」とも言う。

込み箸

箸を使って口の中に大量に食べ物を詰め込みほおばる所作

落とし箸

食事中に箸を床に落とす所作

2023-11-08

弁慶名前が付く場所

北海道

弁慶

源義経平泉で死なず、ここから大陸に渡ったという伝説から。なんで義経名前じゃないん?

弁慶

義経一行が一冬過ごしたと隠れ里という伝説。なんで義経じゃry

青森県

弁慶足跡

芭蕉の句碑の土台に空いた穴は弁慶足跡と言われるが、時代が合わないような。

山形県

弁慶
弁慶

明確な由来はよくわからなかったが、たぶん義経逃避行中に立ちよった場所なんだろう。なん義。

弁慶の硯石

逃亡中に生まれ義経の子名前を付ける際にここで墨を擦ったとされる。硯持ってなかったんか。

弁慶の投げ松

の子が生まれた祝いに峠からぶん投げた松。

宮城県

弁慶

頼朝軍勢から逃亡中に岩壁を馬で飛び越え、弁慶の馬の蹄の跡が残ったという伝説が残る。

東京都

弁慶

江戸時代大工弁慶左衛門が作った橋。武蔵坊弁慶とは無関係

弁慶

弁慶がここにある井戸から汲んだ水で墨を擦り、般若心経を書写したという伝説より。弁慶って普通に坊さんやってる伝説あるんだな。

茨城県

弁慶七戻り

岩が積み上がった天然のトンネル。今にも頭上の岩が落ちそうなので弁慶ですら渡るのを躊躇したから、と言われる。

石川県

弁慶

近くに瓶割坂という義経由来の坂があるが、こちらの由来はよくわからず。単に通ったから?弁慶坂多いな。

弁慶スタジアム

野球場愛称弁慶野球に興じたわけではない。

福井県

弁慶洗濯

頼朝からの逃亡中にここで弁慶洗濯したという伝説から。海なんだけど、海水洗濯したの?

兵庫県

弁慶足跡

大岩に空いた穴が足跡に見えることから。何故弁慶なのかわからないが、義経軍が進軍した場所かららしい。ちなみに近くに弁慶弁当と言われる岩もあるとか。さすがに岩は食べないだろ。

徳島県

弁慶の岩屋

古墳なのだが、怪力の弁慶が巨石を積み上げたんだろうと地元民が言い伝えた結果、この名が残ったそうな。

鳥取県

弁慶

出雲から投げたと言われる石。直線距離にして60kmほど。

人体

弁慶の泣き所

脛のこと。弁慶ですら強打したら泣くほど痛い箇所。

 

 

 

弁慶名前付くの多すぎる。これ以外にもいっぱい。名前付いてなくとも弁慶伝説由来だったりするのもたくさん。

みんなに好かれてたんだなあ。

2023-10-13

「月にはウサギがいる」という伝承がある

アジア各地で古くから言い伝えられているらしい

この伝承は「月はウサギが住むことが出来る大地がある」という認識が前提にある

「空とはドーム状の天井であり、月は天井に描かれた模様である」という認識だとそうはならない

この世界観古代バビロニアのものだったか

私は現代人なので月は巨大な岩の塊と知っているが、古代人はどうだろうか

巨大……という認識があったのだろうか

「月の模様がウサギに見えるので、月にはウサギがいる」ということであれば、月にはウサギが一匹しかいないってことになる

「せいぜい1メートル以下の大きさの小さな円盤、あるいは球にウサギが一匹いる」という認識だったのだろうか

この認識は「空はドーム状の天井である」という宇宙観と矛盾するのかどうか

そういえば「竹取物語」のかぐや姫は明確に月の都の住人だったか

平安時代日本だと、都が存在できる程度には広い場所という認識があるということか

日記

2023-09-02

anond:20230902071029

今だと陰謀論と呼ぶのかもしれないが自分は酷い厨二病患者

自分ソースを調べて間違いに気づき始めた

ていうのを大学の頃やっていた。神話宗教歴史不思議言い伝えが生まれる背景についてだ

それで厨二要素を多くのマンガアニメファンがそうしているように俯瞰的に楽しめるようになったな

2023-08-07

原爆ダメって言い伝えるのはいいと思うけど、上が無能すぎて戦争続いたわけなんだし、上が下を駒のように使い捨てるのはダメですって伝えることもしないと

2023-07-10

anond:20230710103028

大昔の飢餓飢饉ときはそういうふうにして生き残った言い伝えがある。

また、別に日本人に限らない。

比喩ではなく、我々は死んだひとたちの命を食べて生きて繋いで来たのだ。

それを良いとか悪いとか感情的忌避するのは愚かなことだ。

また、その時代や状況で規定された常識否定断罪するのはもっと愚かなことだ。

2023-06-06

[] そのろっぴゃくはちじゅうご

レギオモンタヌーッス

 

本日日本においては楽器の日邦楽の日、いけばなの日、らっきょうの日など6の形や6と6の語呂合わせ、「6歳の6月6日から芸事を始めると上達する」という言い伝えに由来した記念日がございます

いろんなことがあるもんですね、7歳の7月7日は何かあるんでしょうか。まぁ、それは七夕ですね。

上達しやすくなるということですが、まぁ6歳という若さから始めて継続できているならある程度覚えそうなもんですけどね。

それはそれで期待しすぎでしょうか。

ともかく、計画的物事を行うことはとても大事です。

何事も計画を練って進めていきましょう。

 

ということで本日は【計画確認いか】でいきたいと思います

計画確認いか計画確認ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2023-05-14

https://mainichi.jp/articles/20230513/k00/00m/040/221000c

アイヌ伝承の地に大規模太陽光発電計画 北海道釧路保全策なく

北海道白糠町釧路音別町(旧音別町)の境界にある馬主来沼(パシクルトウ)西側民有地で、大規模な太陽光発電計画が持ち上がっていることが、関係者への取材で明らかになった。一帯はアイヌ民族伝統生活空間イオル」とされ、民族伝承も残されており、近隣に暮らすアイヌ団体幹部から懸念の声が上がっている。

 明らかになった計画は、馬主来沼の湖畔の西側に当たる釧路音別町の5ヘクタール強の原野国道38号南側海岸沿いに位置する。

 不動産登記簿などによると、2021年8月東京都港区会社(A社)が、紋別市会社から条件付きで買い取るとの所有権移転登記をした。条件は「本件土地状態が発電事業を行うのに適切であると、買い主が判断したこととあるさらに今年3月、売買により、関係があるとみられる港区の別の会社(B社)に所有権が移された。

 資源エネルギー庁再生可能エネルギー事業計画認定情報によると、この土地ではB社の名義で、発電出力1999キロワット太陽光発電が22年3月認定されていた。

 法人登記簿によると、A、B両社はともに「太陽電池及び関連部材に関する卸・販売輸出入業務」などを目的設立された。社員欄には、海外太陽光発電会社関係者とみられる名前がある。土地購入手続きなどに携わったという日本人女性毎日新聞取材計画が進んでいることを認め、「計画見直しは難しいと思います」と答えた。

 紋別市会社社長(78)は国道を挟んで北側原野(約66・7ヘクタール)と山林(約330ヘクタール)も所有しており、「山林は東京都中央区会社太陽光発電計画し、原野も別の複数業者が発電用地を確保しようとしている」と明かした。

 不動産登記簿によると、山林は22年11月、「売買代金完済」を条件に、東京都中央区会社所有権移転の仮登記が行われていた。紋別市会社社長は「近くに送電線があり、計画太陽光発電と聞いている」と明かした。さら西側丘陵地では、別の会社が設置した二つの太陽光発電が稼働しており、一帯は適地とみられる。

 白糠町馬主来沼の東半分を囲うような形で町有地284ヘクタールを「馬主自然公園」として保全に努める。対照的に、西半分にあたる釧路音別町側は保全の手は打っておらず、計画が進めば、沼の西にかけての多くがソーラーパネルで覆われる可能性がある。

 白糠アイヌ協会の天内重樹会長(38)は「寄り鯨が集落飢餓から救った伝承のある土地で、アイヌ民族にとってはかけがえのない生活空間。守りたいのはやまやまだが、どうすればよいのか」と話す。

 道東では釧路湿原国立公園の南側周縁部の原野でも、大規模な太陽光発電計画が水面下で進み、予定地には絶滅危険視されるキタサンショウウオも生息することから自然保護団体などから懸念の声が上がっている。【本間浩昭】


馬主来沼(パシクルトウ)

 白糠町釧路音別町にまたがる周囲約4キロ海跡湖で、ヘラジカの角のような複雑な形が特徴。平均水深1・7メートルと浅く、冬には結氷する。縄文海進が約6000年前に終わり、海退の過程砂丘海水をせき止めて形成された。国指定特別天然記念物タンチョウの飛来地で、環境省選定の「日本生物多様性保全重要湿地」の一つ。北海道の「すぐれた自然地域」にも指定されている。


「造ってほしくない」戸惑うアイヌ民族

 フンペ(アイヌ語で「鯨」)が漂着したことをパシクル(カラス)が教え、集落コタン)が飢えから救われたとの言い伝えが残る道東馬主来沼(パシクルトウ)。その西側釧路音別町で、大規模な太陽光発電計画が進んでいた。伝統生活空間イオル」の一角侵食されかねない事態に、アイヌ民族は戸惑いを隠せない。

 「寄り鯨」の伝承裏付けるような出来事だった。昨年11月26日。沼から東に約3キロ離れた和天別川の河口近くに1頭のミンククジラが打ち上がった。死後かなり経過し、「海岸には腐臭が漂っていた」と白糠アイヌ協会の天内重樹会長(38)は語る。「数年前のフンペ祭りの前日にも打ち上がった」という。一帯は、海が急に深くなっている海底地形や海流などの影響で、古くから鯨が漂着しがちな海岸線らしい。

 この地に大規模な太陽光発電計画されていると天内さんが聞いたのは1年ほど前。いったんは計画が立ち消えになったと聞いて「ほっとしていた」が、半年ほど前から再び業者が動き始めたと知らされ、「できれば造ってほしくない」と危機感を募らせる。

 白糠町は、沼の東側を囲む形で約284ヘクタールを「馬主自然公園」として保全する。昨年には太平洋を見渡す高台に、国のアイヌ政策推進交付金を得て、鯨の恵みに感謝する古式舞踊「フンペリムセ」(鯨踊り)発祥の地として、展望台やモニュメント広場駐車場などを整備した。毎

9月の第1日曜日には、寄り鯨の恵みに感謝を捧げる「フンペリムセ」が奉納される。

 一方、沼の西半分を占める旧音別町側は1968年音別町自然公園条例を制定、沼周辺を町立自然公園指定し、国道38号沿いに駐車場説明板、周辺展望台を兼ねた休憩舎などを整備したが、面積は0・78ヘクタールにとどまっていた。

 音別町2005年釧路市との合併で、白糠町を間に挟む「飛び地」に。条例新市に引き継がれず、自然公園でもなくなった。「馬主来沼の存在重要視されなくなった」と言う住民もいた。

 音別町史にはこうある。「夕日が西山に沈む頃。白糠町側の高台に立って当町方向を眺めるとき、パシクル沼の水面に映る夕映え風景は、まさに一幅の名画を見る感がある」。釧路市は15年に選定した「音別八景」の一つに「パシクル湖畔の夕日」を選んだ。


 沼周辺は、アイヌ暮らし必要動植物の入手に欠かせない伝統生活空間イオル」とも位置づけられている。類いまれ景勝地とされる一帯の景観が「メガソーラーの海」に変わる可能性がある。【本間浩昭】

anond:20230514040002

現代科学的に考えればない

から輪廻転生があると言ってる人間現代科学否定してることになる

物事客観的事実ではなく主観で考えてるんだよ

宗教なんかがそれ

客観的事実ではなく、昔の偉い人がそう言っていたとか、こう考えたら楽になるとか、そんなんばっかり

「昔の言い伝えは正しい」という全く科学的じゃないことを根拠としてるからなぁ

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