はてなキーワード: ジンクスとは
それぐらいハグプリASMは大人にとっても面白くて全ての点でバランスが良かった。もちろん個人としてはエコーがいないとかマリンのセリフが少ないとかは正直寂しかったけど、それは老害的な考えであって、ちびっ子には一切問題なかったはず。東映がハックされた時にデパプリの代原として放送される映画として全ファン納得のチョイスだと思ったよ。
しかしF、どうなんだろうな!さらに5組増ってもう戦闘もワンカット切るかもしれないよな。スカプリ勢が主役なんだろうけど、トロプリとかオールスターズやってない勢が満遍なく活躍してくれたら俺は嬉しいよ。エコーもオールスターに2回に1回呼ばれるという謎のジンクスがあるから今回は是非出てきて欲しい。
オトナプリキュアに繋がったりしないかな。キュアウイングに他のチームがビックリするくだりあるかな。追加戦士間に合ってんのかな。でもまあなんにせよ子供が楽しむのが一番だからな。春のカーニバルとか俺はあんまりだったけど娘は好きだし。どんな作品でも娘と見に行くんで頑張って作って欲しいわ。楽しみにしてるで〜
これ繰り返しいわれてるけど
要約するとASDや頭のよろしくないお方によくみられるこだわり行動をなくす努力だろ。
ああいうお方は靴・靴下は必ず右から先にはかないと一日機嫌が悪い、とかいう
子供によくある意味不明なこだわりを大人まで保持してたりする。
そんで投票したら負けだの就職したら負けだの結婚したら負けだの子供産んだら負けだの信じられない不合理をいいだすことさえある。
昔はジンクスとか礼儀、同調圧力に従って見せるという形でかろうじて根拠がなくもなかったのかもしらんが、
今の世の中で客観的にみて無駄なものは自分で発見して捨てるよう努力すべきですよ…的なこと
https://www.moneypost.jp/999170
秘書室の社員から『なぜ早く食べたのか』と言われ、『会長が弁当箱の蓋を開けてから蓋を開け、会長が箸を置いてから箸を置くように』
箸の上げ下ろしまで社長(でさえない会長か)に従うのマジで無駄だから辞める努力しような
軽度知的なのかな
この話の内容は、元々裏切るつもりが1ミリもない人間でも裏切るときは裏切るということ
そして、この女は内心相手を損得で選んだとしても相手から裏切られない人間だった、つまり普段の振る舞いが誠実な可能性すらある、その実績があると推測できる
女性と比較すると再就職のハードルも低いから元から不誠実な人間であれば既に相手から離婚を言い渡されている可能性が高い
A:「損得で人を切って選んだ清志(仮)」より
B:「損得を超えて(離婚せずに)選んだ元夫」のほうが高そうに思えるよ。
この部分の前提Aと推測Bの間には、論理的つながりも、推測できる事情も本文にはない(ジンクス的な超常的な意味で言ってるのかも。にしては言葉が強いw)
希望的観測にすぎんよな
そんな憶測で、この女に
「損得計算で人を選択をした者は、損得計算で切られる時は切られる」
ってのを理解してなさそう。
その後の元夫を選んだ場合について、
離婚しなければ「損得計算を超えて元旦那を選んだ」ということになる。
そのメリットも考えてね、というのが俺のいいたいこと。
この増田の主張とは、
「このABが真だと仮定した場合、損得計算をすると旧夫を選ぶのが最善となる」という話なので、上の迷信説を取ったとしても「相手を損得計算」してることには変わりないことになり、新夫を選ぶのも損得、旧夫を選ぶのも損得だという話になる
またメリットとなることを薦めるにしては条件が狭い。
新夫に特殊な欠点がないと仮定して合理的に考えると、世帯収入3000万の家庭(裏切るか分からない、家事外注)と世帯年収1500万の家庭(裏切るか分からない、家事夫)では、後者よりも前者の方が介護にかけられるお金の余裕があり、貯金額も多くなるため、「病気でカタワになった時にうんこ漏らしても誰かが面倒を見てくれる」ことの安定性は前者の方が高い。
よく『2』が至高だとか『3』が至高だとかって以下のジンクスとパターンなんじゃないか説
なお詳細な作品名を出すと誹謗中傷とかで怒られるので言わないでおく(調べてないと嘆くならどうぞご勝手に調べてください)
初代から正統に進化させるのが『2』、そこから全く別の新開拓をしようとするのが『3』
新開拓のベクトルがおかしいと『2』が至高になったり、退化させてたやつが一発逆転で『3』で至高になることもしばしばある
進化が『3』まで続く場合、『4』となる存在で新開拓して大失敗することもよくある
実質二部作・三部作で終了していたものを無理やり新しく作ろうとするとたいてい失敗するパターン
特に元々作っていた会社が無くなっていて別の会社が作ってるなんてことがあったらもっと危ないことが多い
本来別のゲームとして作っていたけどそれを無理くりシリーズとして組み込んで失敗しちゃったパターン
シリーズ名が一種のブランド力を持ってたものの、それだけで売れると思ったら大間違いな作品はよくあること
最初から神ではなかったものがシリーズを重ねるごとにクソになっていき、『3』になってクソゲーのラインに到達したというパターンもある
年末年始暇なんでブックオフで安売りしてたぼくたちは勉強ができない(ぼく勉)を買ってみた。
増田でボロクソに言われてたのは覚えてたけど、漫画を一通り読んでネットの感想も色々読んだうえである程度は言われてもしゃーないなと思った。
全体的に読者の期待を裏切った結果なんだろうなという印象。
せっかくなんで何をどう裏切ったのかについて自分が感じた感想をまとめる。
ぼく勉は見立てと対比を多く使っている。
具体的な手法でいえば緒方理珠が唯我成幸への恋心を明確に認識したシーンでUターン禁止の標識を同じコマに入れるという方法を取っていたり、桐須真冬と唯我成幸の指導方針が真逆であることについて、床の線と足の並びを平行に描いて「(お互いの指導方針が)平行線」などと言わせていたりする。
このような見立ては手法のみならず設定自体にも取り入れられており、例えば主要なキャラは童話やアニメのキャラクターに見立てられている。
キャラ | 童話・アニメ |
緒方理珠 | 親指姫 |
古橋文乃 | 眠り姫 |
武元うるか | 人魚姫 |
桐須真冬 | アナと雪の女王(エルサ) |
小美浪あすみ | ピーターパン(ティンカーベル) |
唯我成幸 | 幸福の王子 |
対比については例えば桐須(キリスト教)←→唯我(仏教)のような指導方針の違いや名前の由来の対比については作者が言及しているが、
その他にも将来の進路についてヒロインごとのグループによる対比が見られる。
将来の進路 | キャラ |
才能と希望が一致せず希望を選ぶ | 緒方理珠、古橋文乃、桐須真冬※1 |
才能と希望が一致せず才能を選ぶ | 武元うるか |
才能と希望が一致 | 小美浪あすみ※2、唯我成幸 |
※1本人の発言。また一生徒であり指導方法を学んでいない唯我成幸ですら達成できた緒方理珠と古橋文乃の成績を向上させることに失敗しているため。
※2小美浪あすみは受験科目の理科分野が苦手であるが、作中で患者の診断については得意であることが示されている。したがって研究側としての才能はないが、現場の医師としての才能はあるものと思われる。
追加ヒロイン枠である桐須真冬、小美浪あすみはそれぞれ同じグループのキャラクターの将来のロールモデルとして見立てられている。
すなわち桐須真冬の存在は緒方理珠と古橋文乃が自分の才能がある分野ではなく、自分が希望する進路を選んでも幸せになるということを示唆しており、
小美浪あすみの存在は父親のいない唯我成幸の代わりに、父親と対立したとしても父親の背を追うことは間違いではないのだということを示唆している。
この漫画のテーマの一つが幸せになることであり、この2つのグループは将来幸せになることが示されている。
では自分の才能と希望が一致しておらず、才能がある分野を進路として選んだ場合のロールモデルのない武元うるかは将来どうなのか、というのがこの漫画の結末に当たる唯我成幸から婚約指輪を送られる部分であり、これを以て将来幸せになるということが示されている。
この点、作者は古橋文乃ルートで武元うるかに失恋ごときで不幸にさせるなと言わせているが、将来ではなく現在での描写であり、また幸せとは言わせていない点に本旨があろう。
ぼくたちは勉強ができないというタイトルの通り勉強ができないというのは前提としてあるが、ここでいうできないこととは勉強以外でキャラクターが抱える問題であり、主として家族に関連する問題である。
キャラ | できないこと |
緒方理珠 | 人の気持ち(特に亡くなった祖母の)がわからない |
古橋文乃 | 父親や親しい人と向き合えない |
武元うるか | 恋愛をうまくすることができない |
桐須真冬 | 家族の反対を振り切って選んだ道が向いていないと思っている |
小美浪あすみ | 子供の頃から憧れた居場所(父親の診療所)を継げない |
唯我成幸 | 周りの幸せを優先して自分の幸せを追い求めることができない |
これらのできないことを各キャラの長編(①など番号を付された連話)で唯我成幸が尽力して克服するというのが基本的な流れになっている。(武元うるかと唯我成幸は長編がない代わりに本編の終盤がその流れに当たる)
この点武元うるかの恋愛ができないことについては他のキャラも同じではないかという批判があり、なんなら成就していないのだから他のキャラこそ恋愛ができないのではないかという指摘もあり得る。しかし武元うるかの場合は恋愛的なアプローチに失敗することが多々あるという点で他と差別化されている。
つまり他のキャラクターの場合、唯我成幸の気を引こうとして主体的にアプローチをした際にはドキドキさせたり意識させたりして成功しているが、武元うるかの場合は好きな相手を唯我成幸ではないと言ってしまったりプールで溺れさせたりするなど明確に失敗してしまうことが多々ある。つまり作中での描写の問題であり、そのため恋愛ができないのは武元うるかなのだ。(メタ的に言えば克服できなかったものをそのキャラの問題にするのは最後まで問題を抱えたキャラがいることになるため読後感が悪くなるという問題もあろう)
上記のようにして各キャラが進路を選び、できなかったことを克服することでぼく勉のキャラは幸せになり、その幸せになった将来の姿が本編最終話に当たる150話で書かれている。
この話が卒業後すぐではないのは、緒方理珠と古橋文乃と違って将来像のロールモデルがいない武元うるかにとってはこの最終話こそが将来の幸せを保証するものだからである。
つまり付き合い始めてすぐではなく数年後の将来においても、唯我成幸は他のヒロインたちからの誘惑を振り切って武元うるかを選び、お手製の婚約指輪を渡してプロポーズをする。
このエピソードを以て将来に渡って武元うるかが幸せであることが保証され、同時に将来においても唯我成幸にとって武元うるかを選ぶことが彼自身の幸せであることが保証される。だからこそこの最終話は恋人になってから数年後の話であり、恋人がいるにも関わらず他のヒロインから誘惑されるという一見陳腐な展開が必要なのだ。(あのような陳腐な展開でなければならなかったかは別として)
ぼく勉はこのように緻密な構造で作られている作品である。(構造を元にした話自体が緻密とは言っていないので誤解のないことを望む)
簡潔にまとめるならば、作品全体を通して周囲の人間を幸せにしてきた一方で自分の幸せをないがしろにしていた主人公が、最後の最後で今まで幸せにしてきたキャラに背中を押されて自らの幸せのために好きな相手に告白をして、恋愛がうまくできなかった女の子と共にできないことを克服した、という結末になるように作られている。
また見立てと対比の話に戻れば、人魚姫と幸福の王子という他の4作と対比して不幸な結末で終わった童話をモチーフにした2人が、童話と違って幸せな終わりを迎えたという形にもなっている。
作中のキャラの配置やモチーフなどを考えればこのようなストーリーを作者が想定しており、その結末になるように連載を進めていたことが読み取れる。
さて、ここまでぼく勉という作品の作りを辿ったが、最終的に作者である筒井大志は他のキャラのパラレルストーリーも描くことを選択した。
作者のインタビューを聞くと編集との雑談の中で増刊で描けないかと言ってみたら本誌でやることが決まったとのことであり、連載中に急に決まったことがわかる。
このような形で決まったものであるから当然様々な弊害が生まれている。
例えば物語の構造として今まで幸せにしてきたキャラに背中を押されることができなくなってしまっているため、主人公の告白の重みがなくなってしまっている。(武元うるかには幸せにしてやるという決め台詞を言っておらず、逆に幸せにできないかもしれないけれど自分の幸せのために付き合ってほしいという告白になっている。つまり幸福の王子というロールから脱却している)
また武元うるかには恋愛というできないことが残ったままになってしまっているため、上で書いたような克服できなかったものをそのキャラの問題にすると、最後まで問題を抱えたキャラがいることになるため読後感が悪くなってしまうという弊害がそのまま生じている。この点古橋文乃ルートのセリフを反例として挙げられることが予想されるが、上記の通り現在の時間軸であり幸せと言わせていない点に本旨があると考えられ、また結局のところできないままであるという問題は何ら解決していない。
これらの弊害は作中のテーマとしてそれまで書き続けていたことを自ら否定したものであり、それぞれの読者が気づいていたか気づいていないかは別として、無意識的に期待していたものを裏切ってしまった。
無意識的に期待していたものを裏切った上でさらに個々の話でも、特に緒方理珠と桐須真冬について、読者の期待を裏切ってしまった。このように読者の期待を繰り返し裏切ってしまったことが今も批判される原因だろうと感じた。
結果としては自分の考えたストーリーがどのキャラを好きな人にも受け入れられると信じきれなかった作者の敗北だろう。
作中で武元うるかに失恋ごときで不幸にするなと言わせていたが、好きなキャラが失恋したらファンは喜ばない、不幸になると作者自身が思いこんでしまったのは皮肉である。
・最終回で無限の未来があると言い、実際の作中のほとんどの女キャラクターが触れていると恋人になるというジンクスを主人公と成就させているのに、主人公以外の彼氏がいる女キャラクターは主人公に触れていないのは些か逃げ腰ではないかと感じた。
・単行本最終巻の作者コメントの僕(作者)が描いたぼくたちは勉強ができないはこれで終わりというコメントはあまりにも無責任過ぎる。お前以外に本物を描くやつも描けるやつもいないんだよ。
特に後者の点でボロクソに言われるのはしょうがないなって感じがした。あやふやな土台の上に二次創作は実らないんですよね。悪いけど。
もしそういう物語構造なら、うるかは1話から出ているとは思うが、それはともかく、これだけ独自に考察することが、まずもって素晴らしい。/「ボロクソ」は、うるか好きをこじらせた増田がいるから…。
冗談はさておき1話から出ていないというだけで否定することができる強度の構造ではない。あらゆる要素がそう物語っているので。逆に1話から出ていなければならないということもないだろう。
才能がある分野ではなく自分のしたいことをするべきというのがこの作品の主張なのであって、その点はセンター試験合格で緒方理珠と古橋文乃が衝突を繰り返していた桐須真冬を和解するという形で結実するのだから、衝突のない分野に進みその主張とは直接関わらない武元うるかが1話に出ていないのも不自然ではないだろう。
当初勉強と恋愛の二本柱で進めて行くつもりだったが勉強要素が不人気か何かで早々になくなったために、勉強要素を担っていた2人が恋愛要素も担っているという誤読が生まれたのではないだろうか。
後段の件はちょっと調べたけどうるか派はそりゃキレて当然じゃねえかな……。(私が読んでボロクソと言ったのとは違うので必ずしも恨みの結果ではないと思うが)
パラレルは完全に逃げだったけどなぜパラレルやったかって「真冬先生が一番人気になってしまったから」だよ。先生を真エンドにはしにくいので全員分描いて一番最後に真冬編を持ってきて読者の人気に応えた。
パラレルやった理由がそうなのは火を見るより明らか(順番通りなら桐須真冬→小美浪あすみになるはずなのに人気を鑑みて桐須真冬を最後にしているから)なので、この増田でも別になぜしたのかとか言ってないよ……
真エンドにしにくいもなにも、話を曲げて人気が高いキャラのエンドにするようなラブコメはほとんどない。ぼく勉の場合は桐須真冬人気を惜しんだ作者が話を曲げて描くことにして、その結果期待を裏切ってしまったのだろう。
これ(最終巻でヒロイン全員どのルートでも幸せになることを僕(作者)が保証するなどという作者コメントがある)は言われそうだと思っていたが、ではその幸せとは何なのか。
できないことはできないまま残った上で、それでも別の幸せを得られるよという話でしかないだろう。
それが今まで描いてきたこととなにか関係があるかといえば何も関係はない。
幸せになるのはそうなのだろう。でも漫画で書かれてたできないことはできないままだ。それが変わることはないし、代わりに見つけた幸せを得た姿を見ることもできない。
ではその保証にどんな意味があるのだろう? 私はないとしか思わない。
(そういった事情を考慮しないとしても、古橋文乃ルートの最後で唐突に今まで一切書かれていなかった平行世界解釈を語らせるなど言い訳をするような作風を鑑みると、読者に批判された言い訳として書いたものと見るのが妥当だろう。そもそも当然のこととして作中から読み取れないことを考慮する必要はないので本文では触れなかった。もちろんファンが作者コメントに救いを求めるのは自由であるが)
オレオレFCが最終節で大分に快勝。大分戦の初勝利を果たし、5年連続のJ1残留を果たした。通算成績は10勝15分け13敗の勝ち点45の17位で5年連続の残留を決めた。前半から積極的な攻めを見せたオレオレは吉田のハットトリックや山本、今季限りで現役を引退するMF加藤のラストゴールで有終の美を飾った。
FW吉田が最終戦でハットトリックを決め、清水FWチアゴ・サンタナと並び、14得点でクラブ初の個人タイトルとなる得点王に輝いた。引き分けでも残留が決まる可能性はあったが、「ホームですし、“引き分けたら残留はない”という気持ちで戦いました。みんなの思いがつながったゴール。本意な成績ではなかったけど、最後に勝てて良かった」と安堵の表情を浮かべた。
阿野燿大監督は「本拠地でずっと悔しい思いをしていたので、最後勝って残留という目標を達成できてうれしい」と笑顔を見せた。
今季は開幕6試合未勝利を喫したが、4月の横浜Fマリノス戦に勝利すると、5月29日の川崎フロンターレ戦までクラブ記録を更新する10試合負けなしを記録した。しかし6月の清水エスパルス戦に敗れると、03年のベガルタ仙台に並ぶ19試合未勝利を喫し、10月1日の京都戦後に、相田満博前監督を解任。阿野監督が残り4試合を戦った。一時、J2降格圏の19位に転落したが、12日の柏レイソル戦で勝利してからは3連勝、4試合負けなしで今季を終えた。
19試合以上未勝利を喫したチームは全て降格していたが、オレオレFCはJ史上初めて、そのジンクスを破って、残留を果たした。
ジャニーズJr.(以下、Jr.)を応援する者たちの動きが活発になってくる秋。
そう、秋はJr.大賞(以下、大賞)の季節。
集英社が発行するアイドル雑誌「Myojo」の一企画ではあるが、大賞の花形部門「恋人にしたいJr.」で一位になった者はデビューできるなんてジンクスがある。(先日配信デビューが発表されたTravisJapanのメンバーも、前回大会では全員がトップ10入りした)
Jr.の応援をするまでは「Myojoを買った子が好きなJr.に投票するんだろうなあ」くらいに思っていたが、現実はこのSNS時代をフル活用した戦いであった。
実質人気No. 1を知らしめるための「恋人にしたいJr.」のほか、「いちばんオシャレ」「美形」「美声」「リア恋」「頭が良さそう」のような、ランクインがそのまま新しい仕事につながりそうな花形部門から、「私服がダサそう」「出前を運ぶのが早そう」「ケンカが弱そう」のようなちょっとネタっぽいものまで。
投票対象が高校生限定の「生徒会長になってほしい」みたいな部門も。
どの部門も、まずランクインするだけで名前と顔がセットで掲載される。実質人気投票のようなものなので、今後のMyojoにおけるページ数にも影響しているように見える。
部門によっては同じ集英社の他雑誌でも取り上げられたり、バラエティにちょっとだけ出演する時も「○○なJr.1位!」の肩書きがついてお茶の間に認知されやすくなる。
オンライン予約は0時に瞬殺、書店でも首都圏では購入制限を設けるケースが多い。
もちろん投票券の転売は行われるのだが、「ライバルに投票させない」ために、手に入りやすい地域の人が買い占め、同じ人を応援してる者同士で融通しあうなんてこともある。
投票は建前上「一人一票」ではあるが、名前と住所がセットでなければOKらしい。
そのため、一人一冊のライト層から5〜10冊程度の複数買い、なかには3桁、4桁投票を宣言する者も出てくる。真偽はさておき、前回は山積みされたMyojo画像も出回っていたよ。
紙の応募券貼り付けが必須なので、投票用紙はひたすら手書き。数年前まではタレント名の記入が求められていたので、ゴム印を用意してる猛者たちを見かけていた。今は番号記入になったのでだいぶ楽になった模様。
封書で送るためミニレターが活用されている。この界隈にくるまでミニレターの存在すら知らなかった。
部門がたくさんあるので、投票したい人とマッチしない部門が出てきたりもするけど、自分の不要は誰かの需要ということで交換に使う。
「いい匂いがしそうに○○くんの名前を書くので、恋人にしたいに□□くんの名前を書いてもらえませんか?」といった感じ。
交換するまでもないけど誰の名前を書こうかな?という人向けにSNSで拡散されるのが「ステマシート」と呼ばれる宣伝画像。
この部門にどれくらいふさわしいかを熱く語ったとエピソードや画像をコラージュしたものが多数投稿される。(これが回ってくるとああ、もうそんな季節か、となる)
SNSでは他にも「大賞垢」と言われる対策アカウントがグループごとに作られる。
投票の呼びかけはもちろん、どの部門に誰を投票するかの事前アンケートや、参加初心者向けのFAQ、結果発表までのメンタル維持に使われることが多い。
投票大賞のジャニーズJr.たちもこの季節になると対応は様々。
主要なジャニーズJr.たちは誌面でも『自信がある部門』というかたちで"立候補"を行う。
自信がある部門で名乗りを上げなくても投票は可能だが、去年まで立候補していなかった「恋人にしたい」に名乗りをあげられると「自信がついたのかな?」「ここが勝負どきなのかも!」のように反響も大きいく、投票する側の士気は大変左右される。
個人のブログなどでも「今年こそ」のように所信表明をする者、「楽しんで!」というあくまでライトなスタンスの者、誌面以外では特に触れない者。
「○○部門なら□□くん」と明示することで票を固めるような盛り上げ方をしたり、多数が同じ部門に名乗りをあげる個人戦に持っていったり、はたまた特に言及しなかったりと様々。
「戦略を立てたいからはっきり意思表示してほしい!」「お金もかかることなので煽らないでほしい!」と応援する者たちの反応も様々なので、この時期は些細なことで荒れることも多い印象である。
この界隈、数年後にはまた色々変化してそうだなと思ったので近年の様子をまとめてみた。
ガチ勢ではないので他にもっと興味深いエピソードがあったら逆に教えてほしい。
◆追記
> “恋人にしたい” “リア恋” 前者は花形なのに後者はそうでもないのか だれか説明よろ
どっちも花形部門だと(個人的には)思っているけど、恋人にしたいはTOP10まで発表(他部門は3〜5位くらいだったはず)されるから他部門との扱いがそもそも段違いなんですよね。
出勤するなりオーナーから電話。今日はどうせ暇だと思うから、派遣さんと上手く仕事を割り振ってやってっていう。そんな電話をオーナーがしてくる日ほど多忙になるジンクスが当店にはあるので、やばいって思った。
私と交代で帰るシフトリーダーが今日はかなり暇だったと言っていたが、連休中って昼はそんなもんだが、夕方からのお客様は大抵何があってもライフサイクルが変わらない人達ばかりなので、昼の様にはいかなさそう。
派遣T氏と初めてシフトに入る。Aさんが言うにはオーナーの前以外ではこの上なくやる気の無さそうな態度のチャラ男ということだったので、ウェーイ系とかが苦手な私はシフトがかち合いませんように……とびくびくしていたのだが、会ってみればむしろごく普通としか言い様のない人だった。確かにちょっとダルそうではあるが、やる気のない態度煮かけてはAさんの方が段違いで上である。
派遣T氏は最近当店に派遣されてくるコンビニ専門派遣の人の中では一番来る回数が多いのだが、夜遅くまで働いて翌日の早朝にも出勤してくるみたいな、かなりハードなスケジュールで働いているらしい。常にダルそうなのはシンプルに疲れているだけだからっぽいけれども、なんだかあまり生活に困って切羽詰まっている感がない。むしろお金に困ってはいないのに趣味で労働していそうな、高等遊民っぽい優雅な動きでフロアを歩き回りのんびりとフェイスアップなどをしていた。
が、そういう謎に優雅さを発するタイプの男性ほどわりと修羅場みたいな人生を歩んでいがちなんだよなぁ……というのが私の狭い観測範囲から導き出されたあるあるというか、ジンクスのようなものなのであり。 Aさんみたいに「チャラ男なんか人生の勝者じゃん、うらやまけしからんぞ!」みたいな事思って接すると、そのうち盛大に地雷踏み抜くと思う。
「俺、温めてなんて言ってないよ!」
と言い出したので、別に罪など犯していないのに謝罪して同じ商品の新品に交換した。たまにこういう自分で言った事を忘れて怒る客っているけど、そういうのにちょっとでも言い返したり自己弁護のような事をいっちゃうと非常に面倒臭いことになる(暴力を振るわれたりとか)ので、さっさとこっちが悪かったことにするに限る。合言葉は、客からいくら無能と呼ばれてもこっちはノーダメージ!
糞客ほど一見さんだ。その客もそうだけど、なんか本当にこっちが間違えて自分が正しいみたいな態度を自然にとるけど、もしかしてあちこちの店で同じ事をして店員に謝らせてストレス発散してるんじゃね? と疑ってしまうくらい、一度きりしか来店しないんだよなあ!
派遣T氏が帰ろうとしている時に、ちょうど私は事務所に置いてある自分の水筒の水を飲んでいた。狭い所でマスク外してすまんの。派遣T氏からオーナーへのちょっとした伝言をことづかる。それはいいけど、派遣T氏の私服姿が私と同世代以外の何物でもないのでちょっと驚いた。てっきり、もっと若いのかと……。
帰り際に派遣T氏が、
というので、店の出入口からちょっと出て花火を見た。わーすごくきれい! ということは、だ。これから当店、死ぬほど混む予感……!
という予感は的中し、花火大会が終わって少し経ってから、当店はめちゃめちゃ混雑した。派遣T氏と交代で出勤してきたのはまだ新人の高専五年生とオーナーで、高専五年生は今までにない混雑ぶりにかなりビビっていた。オーナーはこんな事滅多にないよねえw とキャッキャしていたが別に手伝ってくれる訳ではない。
「お弁当とおにぎりが並ぶのはまだですか? さっき品物は届いてましたよね?」
と聞いてくるし、ずっと品出し待ちで店内をぐるぐるしている。一方で、飲み物とおやつだけ買えればいいだけのお客様も多く、レジ待ちの列が長々とできる。
そんな訳で、私はレジと品出しの両方をしなければならずにわたわたとレジとフロアを往復していた。そのせいで品出しがやっと完了した時、その一部始終を見ていたお客様から、「わはーw」と言われた。
品出しを終えたらトイレ掃除とゴミ捨てをして帰る予定だったのだが、ものを買うお客様以上にトイレに寄るお客様とゴミを捨てるだけのお客様が多くて、作業がなかなか進まない。死ぬほど疲れた。
最近占い等が話題になっているが、個人的に前々から思うところがあったので吐き出しておく。
占い、宗教、おまもり、願掛け、ジンクス…そのあたりの「科学的根拠のない代物」について、他人がどう考えてるかが気になって仕方ない。
懐疑派:根拠がないので、基本信じない
娯楽派:根拠はないと思うが、娯楽として信じる(ことがある)
盲信派:完全に信じている(ことがある)
ただ盲信派も存在しているようで、この2つは一見区別がつかない。
そして私は盲信派が怖くて仕方ない。不気味なのだ…。
「几帳面だからA型だと思った」みたいな話題はいまだに出ると思う。
ここで内心「とはいえ血液型占いなんて何の根拠もないけど」と思ってるならいい。
ただ少し話しただけでは区別がつかない。本当に信じてるかもしれない。怖い。
お坊さんがお経を唱え、参列客が数珠を握って祈ったりする。
「あの人は天国に行ける」だの、死後の世界についての話題が出たりもする。
言うまでもなく、本質的には無意味である。故人に対して何の影響も与えない。無に帰しているので。
ここで内心「死後の世界なんてあるかわからんけど、生きてる人向けのイベントとしてはありだわ」などと思ってるならいい。
怖いのだ。他人の考えが。
というか一番は盲信派を装った娯楽派に困ってる。
心から信じている風を装わないでくれ。怖いだろうが。私を怖がらせるな。
ま、私もさすがに葬式の最中に「あの世? たぶんないが??」などという発言はしないけども。
その中にあまりにも堂々と占いのコーナーがあるもんだから、「この占いも何か根拠があるのだろう」って思いかねない。
私も実際小さい頃そう思っていて、「嘘っぱちじゃん」て気づいて失望した覚えがある。
それならでかい字で「妄想です」って書いてくれ。本気かと思うだろ。
怖いんだよ。とにかく。