はてなキーワード: アンソロとは
十年ほど前にとあるアニメ作品に沼落ちして同人誌活動を始めた。
このジャンルで出会ったすばらしい相棒(友人)の存在が大きい。
数十冊の同人誌を発行したわけだが、満足したのでジャンルを離れることを決意した。
一種類あたり十冊から数十冊の余剰在庫というのは同人活動がうまく回っていたことの証左だが、ちょっと大変だ。
最初はそれほどでもなかったけれど、積み重なればいつの間にか段ボールで部屋が圧迫されていた。
甥っ子が年末に遊びに来ることになったので、いい機会だから在庫とはお別れ。
コロナ禍で気の狂ったようなアンソロを出したのも今はいい思い出。
手元に一冊ずつ残して残りの在庫はすべて廃棄する予定。
年内に作業が終わるといいな。
ちゃんと物考えて喋る絵師はAIバトルに参戦して信用を失いたくないので黙っている印象。
むしろ絵を描きもしない見る側の奴が絵師の代弁者になって争っているのでもうこれわかんねえな、前まで反AIって自称してた奴に反AIって言ったら激怒されたし何だこれ。呼び方変えたとこで民主党が民進党になるくらいのもんだろ実際。
そもそもネットの話をを鵜呑みにして盆踊りするインターネットデマダンサー以外の絵師はだいたい表に出さないだけで、実物のAI触って何ができるか/できないかの判断がもう終わってるんだよな。
私がAIについて初期からずっと「良し悪しは分からないけど技術は止まらない、筆動かせ」みたいなスタンスだから頑張れば説得できると思われているのか、大して絵を描きもしないのに通話に来て「あなたの絵が盗まれる!」「批判しないとAI推進派だと思われても仕方ないですよ!」みたいな不安を煽る話を作業中に熱弁する人がちらほら居る方がAI問題よりずっとストレスで困る。
熱量のある狂人を出禁にする方が怖いのでアンソロでお世話になった方々のどこかの作業通話に行くか、と思ったら案外周囲にも類似物が居るらしいのでユートピアはあんまり無いらしい。
かなり邪魔なASMR音声だと思いながら適当に相槌で流しているけど、人が集まると湧いてきてAIの話を始めるのが本当にストレスになってしまって最近はAIの話が始まったら作業が忙しいと嘘をついてスピーカーミュートにしている。
AIを使うと冷却する時に異常な高温の水が生まれるから環境は壊れ地球上の水が無くなるとか、海外ではAIが厳罰化されたので日本でももうすぐ実刑になるとか、AI絵師の○○(名前聞いたことすらない)がいかに悪人だとか、AI絵師の実態を見るためにAI絵師のフリをして潜入してとんでもない物を見た!嘘松レポートみたいな話を他の通話参加者の話を遮ってまで発表されている時、わざわざ言わないだけでちゃんと引いているからね。
なんかtwitter(X)でまたこの手の議論が再燃してたので、思うところを書いてみる。
個人的には「表紙の原稿料くらい払ってあげなよ」と思うけど、払わないのもまた理屈としてはわかる。
まず一般的に、漫画編集部がどんな時にお金を払い、どんな時に払わないのか、以下にざっと整理する。
(※勿論例外もあるが、古くからある出版社の多くはこのようなシステムになっていると思う)
→漫画雑誌の表紙絵などを依頼される場合、当然、原稿料が支払われる。勿論連載原稿にも原稿料が支払われる。
→アンソロジーコミックなど、自著以外の単行本の表紙イラストを依頼されて描いた際にも、ちゃんと原稿料が支払われる。
③自著の単行本の表紙、本文の描きおろし、修正作業などには原稿料は支払われない。
→???
今、③が問題になっている。
なぜ③で表紙の原稿料が支払われないのか?
ロジックとしては簡単で、「自著の単行本絡みの書き下ろし報酬はすべて著者印税に含まれる」ということになっている。
書き下ろしで小説を出版する場合、書き下ろしの本文原稿だからといってその原稿に「原稿料」は出ない。印税がもらえるだけ。すべての報酬は印税にくるまれている。
ただし、「雑誌」に連載した場合は印税とは別に原稿料がもらえる(これはマンガ家も同じ)。
ちなみに小説単行本の表紙や挿絵を担当するイラストレーターは、勿論「原稿料」をもらえる。だが「印税」はもらえない。
そういう仕組になっている。
要するに、印税が発生する仕事に原稿料は発生せず、原稿料を貰うような仕事には印税は発生しない、という感じになっている。
「雑誌の表紙絵などを描いて原稿料をもらい、その時の原稿を単行本表紙に流用する」という裏技ならある。
これで間接的に単行本の表紙に原稿料を発生させることが出来る。
ただ、これも売れている作家だから出来るような方法かもしれない。
「いやいや、そもそもなんでちょっとのお金をケチるんだよ。商品の大事なパッケージ部分なんだから、普通に表紙に追加のお金出せよ」と感じるかもしれない。
もし単行本の書き下ろしに原稿料を払うようにするとなると、その編集部(もしくは出版社)が取引するすべての作家に同じ待遇を始める必要がある。
一人だけ特別に払うというのは難しくて、場合によっては出版時に交わす契約書の文面を修正する必要も出てくるかもしれない。
今後制度が変わるにしても、編集部の垣根を越えて(あと更に上層部の人とかも含めて)コンセンサスをとるのに時間がかかると思う。
だから、現状はとりあえず
「既に表紙の原稿料を払ってくれるのが判明してるところ」を選んで仕事をするしかないと思う。
最近できた新しい出版社や編集部は、最初から古い出版社とは違う方式でやっているから、
しかし、そうやって仕事先を選べる作家というのも、結局「力のある作家」に限られる……。
原稿料って原稿に支払われるお金じゃなくて原稿をお借りすることに対する原稿使用料が本当のところだからでしょ 雑誌もアンソロも
これはそう。勘違いされやすいけど、出版社が言う原稿料というのは「依頼料(請負料)」じゃなくて「掲載使用料(レンタル料)」みたいな扱いに近い(だから雑誌とかアンソロなど、他者の著作物に寄稿する時に発生する)。
だから、もし自著の単行本の表紙原稿に出版社からお金を払ってもらおうという場合、それは「いわゆるいつもの原稿料」とは全然別の名目として払われる可能性がある。(宣伝協力の謝礼金とか?)
自著の単行本に原稿料が発生するというのは原稿料の定義上ちょっと変な話になってしまうので、支払いの名目を工夫して建付け上の整合性をとる感じになると思う。
一方で、作家にとって原稿料って「労働の時間対価」的な感覚が強いから、こういう話を聞いても「いや何をいってんの?」ってなるのもわかる。
マジで、何なの?
特に女性向け界隈の字書きってすぐ文庫サイズで本出したがるけど、読みづれーし高いし良いことなさすぎる。
いや分かるよ、商業フォーマットへの憧れっつーか、要はあの「っぽさ」が再現できるのが嬉しいんだろうなってのは、理解する。
しっかりカバーかけて、パッと見だと商業の文庫本と大差ないところまで「っぽく」したがる人多いもんな。
でも、正直そこが字書きのキモいところというか、字書き特有の変な自意識のデカさが出ちゃってるところだなって思う。
まず、二次創作の作品を商業フォーマットに乗せることの怖さというか、文庫本の形態をとることで読み手の意識ハードルが上がるってことを想像できていない。
人気作品の更なる普及のために文庫版がある。ラノベとかはまた別だけども。
つまり文庫サイズの小説ってのは、一般文芸でヒットを生んだプロ中のプロ達が洗練された文章を日々展開している、そういうフォーマットなわけ。
読み手は日頃、文庫サイズでそういう文章を読んでいる。だから、あの形式で読む文章へのハードルが無意識のうちにめちゃくちゃ上がってるんだよな。
その上で、二次創作同人誌の、まぁお世辞にも洗練されているとはいえない文章を文庫で読まされるときの、集中の出来なさといったら無いですよ。
文庫サイズであることがノイズになるっていうか。比較対象が商業の文庫作品になるわけだから、とにかく細かいアラが目立つ。気が散ってしょうがない。
字書きの多くは自意識過剰だから、↑のような文句を見ても「まぁ私の文章は文芸寄りだから大丈夫」とか思うのかもしれないけど、私が読んできた限り、文庫サイズ同人誌の9.5割はぜんぶ読みづらかったですよ。
webで上手いなって思ってた人でも、やっぱり文庫で読むと引っかかったし違和感があった。結局文庫では読めなくてweb再録してからやっと読んだ話とかもある。
この辺の感覚に関しては、絵描きのほうが暗黙的に弁えられていると思う。
たとえばジャンプコミックスのフォーマットで同人誌を作ろうって思う絵描きなんてほぼいないと思うんですよ。
あのサイズ、あの紙質で、カバーかけて、「っぽさ」を全開にして作ることもできるけど、絵描きはそれやらないでしょ。でかいアンソロ企画とかはまた別として。
だってあれこそ、日本漫画界のプロ中のプロ達が日々戦っているフォーマットであって、あの形式によそのキャラ借りた自分の二次創作漫画を乗っけたときの、商業作品との比較や見劣りみたいなことを考えたら恐ろしくて、とてもじゃないが同人誌にあの形式を選択しようとは思わない。烏滸がましいという感覚がある。
だから二次創作やるなら黙ってB5かA5で、ひと目見て同人誌と分かるような本を作るんだけど
字書きの文庫サイズ同人誌ってのはつまり、やってることそれと同じですからね。
本人は完成した同人誌の商業作品っぽさにテンション上がってるのかもしれないけど、実際には商業ベースに寄せれば寄せるほど見劣りしかしないわけで。
その辺の想像ができずに文庫サイズを選択したがる自意識込みで、文庫サイズ同人誌をキツいと思ってしまう。
これが本当に「良いことないな」って思う要因の大部分なんですけど
7、80ページある絵がプロ並みに上手い絵描きの骨太な同人誌が900円とかで買えるのに、文庫サイズのアラが目立つばかりの字書きの同人誌が1500円とかするの、バッカじゃねーの!?と思う。思うだろう。言えないだけで結構な数の人がたぶん思ってるんじゃないか。
じゃあ買わなきゃいいじゃんって話ではあるけど、イベントに出ると、付き合いで同ジャンルの相互フォローの本を買わざるを得ない場面があるじゃん。
その時に、相手の本が文庫サイズだと心からア゛〜〜〜……って思う。
これを買わされる人の気持ち考えたことあるか?そこまで自分の文章に自信あんの?って、思う。
字書きは変に背伸びせずに、A5サイズ2段組で本出しといてくれないか。
あのお馴染みの形態で出してくれればこっちも「あ、これは同人誌だな」という意識をもって、期待値ハードル下げて気楽に読めるし、何より安いし、小説同人誌は結局のところあれがいちばん読みやすいって。
ちなみに文フリとかに出してる一次創作の人たちの文庫サイズ同人誌はあまり気にならないです。
あれはアマチュア文芸作品として見れるというか、それこそラノベとかティーン向け文庫を読む感覚に意識をチューニングできる。
なのに増える一方な状況、何とかならないものか。
自意識のデカい字書きはこういうの見たらすぐにアンケートとって「文庫サイズの同人誌、どう思いますか?」などと肯定意見を乞いそうだけど
ああいう肯定意見って同じ書き手(文庫同人誌作る側)の意見も入ってくるから結構信用ならんと思ってる。
アンケートとるなら「読みづらい・やめてほしい・高いと思う」の数がどんだけあったかの方を見てほしい。
割合ではなく、そういう層が「いる」という現実がもう少し明るみになってほしい。
つーか正直なことなんて言えるわけないんだよな。正直に言えてたらこっちだってイベントで文庫サイズの同人誌3冊も買うはめになっていない。
べつに作者に恨みがあるわけではないから、そりゃ気も使いますよ。
あと最後に、これは完全なる愚痴だけど、文庫サイズ同人誌ばっか出しておいて「読んでもらえなくてつらい」的なことを嘆く字書き、お前もう船降りろ。
アンソロの主催をすることになったので、すっきりした気持ちで挑むための愚痴吐き&厄落とし。
私…週一ワンドロ運営をしている
主催…普段は別ジャンルにいる。ワンドロに参加してくれたことがない
オンリー開催決定までの流れ
Twitterにて
私「別ジャンルの周年記念イベントいいなー。と思ったら自ジャンルもn周年だ」
私「n周年なの去年だったわ」
↓
2ヶ月後
↓
5ヶ月後
開催一週間前
↓
開催前日
Aさんが主催の依頼でオンリー内で使用できるアバターを配布する。
↓
開催
当日
主催の頒布物…ネットプリント(ハガキ一枚)(告知で使ったものと同じもの)、
自ジャンル初のオンリーで、前例を作ってくれたことに対する感謝はある。けど、人に必要以上の労力を割かせておいて、自分は何?数ヵ月何をしていたの?と、聞きたいけど、聞けない。そんな仲じゃないし。失礼だし。
反差別アンソロの件でかなり精神的に参ってるので書き殴り日記。駄文で冗長、婉曲的です。事実誤認があったらすみません。
検索に引っ掛かりたくないのでグループ名をAとします。大体この件を知ってる人には名前も詳細もばれてると思うので。嫌だけど。
自分は三年前からAをゆるゆる追いかけてきた。もともとゲームが大好きでなんとなく見始めた動画が、いつの間にか楽しみになっていた。
ファンアートも描いた。本人たちのガワを使って自分の好きなシーンを書いて、誰かにこの動画面白かったよね、が届くのがうれしかった。実際好きな絵描きさんのところには、「あなたの絵がきっかけでAを見始めました!」とか、「あなたの投稿で(メンバー名)に興味がわいて見てます!」というようなコメントも見られた。自分の絵は稚拙で影響力もさほどないのだが、ファンアートってこういうものだ、とうれしくなり、誰かの興味を引くかも、と描くときもあった。動画を見るのが楽しい。メンバーが楽しそうにしているのを見るのが楽しい。ファンアートが楽しい。同じファンの人の呟きを見るのも楽しい。なんて楽しいコミュニティだろうか。
昔はしょっちゅう荒れるクリエイターの界隈にいた。学級会、大手絵師とその意見を絶対とするアカウントたち、いつも苦言を呈している人、本人に凸る人、本人の個人情報撒く人。クリエイター自身は好きだがファン同士でうまくやっていけなかった。ところがAの界隈はどうだ、ほどよい距離感でみんな穏やかに生きている。やさしい人がたくさんいた。楽しい人、面白い人、絵がうまい人。今まで歩いてきた界隈はそんなに多くないけど、きっとここは清流の水源に最も近い場所だと思った。
5月14日の夜。ふとTwitterのおすすめタイムラインを見て、あのツイートが目に付いた。初めは、自分の描いたファンアートを自分用にまとめて本にしたのかな、と思った。でも違った。表紙に書かれた文言を何度も読み直す。これって、Aを使って反差別を主張しているの? Aはそんな事一度たりとも言ったことがないのに? なんでAを題材に作ったの? なんで公開垢で投稿したの? 頭の中にいろいろな感情が駆け巡った。界隈のことを考えた。荒れる、と思った。私は少なくとも、このツイートを見て酷い嫌悪感を抱いた。誰か同じことを言っていないだろうかといろんなワードでパブサしたが、特にツイートは見つからない。まだこのツイートは拡散されてないし、寄稿者っぽい人が引用RTしてるだけ。いくつか本当に目を疑う文言もあるけど…このままみんながスルーしていれば、界隈で学級会…みたいにはならないかも。ーーでも、ALTにガッツリグループ名書いてない?見つかるのも時間の問題では?現に今自分のおすすめTLに流れてきてるわけだし。ていうか何だよおすすめTLって。どういうしくみだよ。泣きたくなった。どうかおおごとになりませんように、と祈って寝た。
翌朝、件のツイートに一つだけリプライが増えていた。話を広げたくない。実在人物でこういうアンソロを作って公開するのはやめた方がいい、鍵垢にしてほしい。そんな内容だったと思う。ああ、よかった、自分以外にもこれに疑問を持つ人がいてくれたんだ。ファンアートは自分の主義主張を乗せるものではないと思う。楽しさを表明するためのモノじゃないだろうか。自分は事態が良い方向になるようにと祈りを込めて、鍵垢でそのリプライに20数個目のいいねを付けて外出した。
昼、界隈はすでに火の手が上がっているように見えた。いろんな人がこの件に触れている。ああもうだめだ、と思った。このまま延焼を続け、やがてこの界隈をよく知らない人も野次馬精神の人もやってきて、好きなだけ意見という名の薪を投げて、次の日には忘れて暮らしていくのだろう。今も焼かれている村に住んでいた人たちなんてお構いなしだ。私は明日もここで暮らすつもりでいるのに。アンソロ寄稿者の多くは、Aのファンというわけではないらしい。アカウントを覗いたときAのファンアートはほとんどなかった。何もかもを呟くわけではないし今日び別垢の存在も大きいけど、本当に彼らがAのファンなのか、私は疑っていたかもしれない。彼らは自分の意見の狼煙が、より高くより遠くへ届くようにと、偶然そこにあったAのファン界隈という潤沢な森を選んで火種を落としたのではないか?--そんな根拠のない憶測までしていた。多分疲れていた。
いろんな意見が飛び交っていた。全部にダメージを受けた。自分がツイ廃であることをこの日ばかりは後悔した。
Aって反差別とか掲げてるグループなんだ→ちがうよ…一番危惧してたことが起こってるじゃん
反差別と思われたくないって何?→本人たちが表明してない思想を持っていると勘違いさせるものはそれがどんな意見であろうとよくないと思うんだよ…
nmmn界隈よくわかんないけど~→じゃあなんで来たの…ほっといてよ…
アンソロ参加者へ誹謗中傷→マジでファンのイメージ悪くなるからやめてくれ
だけど、フォローしている絵描きさんたちがぽつぽつと、しかし一言二言だけ、意見をツイートし始めた。「実在の人物はキャラクターじゃないよ」 「ファンアートはこういうことを気を付けてる」 「楽しく絵描いていこうね」私はそれに救われた。森の中でまだ焼けずに残っていた集落で、まだこの明かりはともっている。ひとつひとつにいいねを付ける。鍵垢にして閉じこもってしまった家々もあった。自分の絵を今一度顧みて消す人もいた。炎は確かに私の住む森を焼いたが、住人たちは生きていた。三年間かけて穏やかな人たちで形成してきたTLは私の心を救った。
延焼はだいぶ遠くへ行ってしまった。「Aが炎上!?原因は!?」みたいな早計な記事ができてたり、まとめサイトにまとめられてたりするが、今はたぶん、Aのことは関係ない思想とか主義とかの議論がボヤになっているぐらいだろう。私は絵を描いている。描きたいシーンがたくさんある。祝いたい記念日も、話したいこともたくさん。
本人たちももう見ているだろうな。「公開したやつより拡散したやつの方が悪い」みたいな意見もあったけど、もうどうでもよくなってしまった。本人たちがまた楽しくしてるところを見られたらそれでいい。
私は祈る。多くの人の「祈り」が宿ったツイートが森を焼いたことが、どうかあの人たちに1㎜でも伝わりますように。一連の流れを見て、「A界隈ってこういう人たちなんだ」 「Aってこういうグループなんだ」じゃなくて、「みんながみんなこういう人ってわけじゃないよね」 「界隈の人たち大変だっただろうな」と思ってくれた人が、どこかにいますように。そう思ってくれた人に幸せが訪れますように。そしてこの出来事をみんなが忘れて、でもやっちゃいけないことがあるってことだけ覚えて、明日も好きを表現していられますように。
長らく読み専腐女子だった私。
人気カプだから、漫画にも小説にも、プロ作家含めて上手い人だけでもめちゃめちゃたくさんいた。
ふつうの仕事についてる人も初心者から上級者までいろんな作品を作っていて。
大好きな作品がたくさんできた。
創作できる人はすごいなー。と思っていた。
いやになるほど苦労した、でも楽しかった。
10冊しか売れなかった、でもプロの本に混じって買う人がいてくれたのがすごいと思った。
いい体験だった。
でも、他の人の推しカプに以前のように夢中になれなくなってしまった。
大好きだった作品もなんだか色褪せて見えて。
自分で創るけど、下手だし遅い。
他の人のを読んで夢中になれてたあの頃に戻してくれ…
夢中だったあの頃の思いが戻ったら、
カプオンリーとか、webイベントとか、お題を決めたアンソロ作るとかを、やってみたい。
熱意を持って創作をしていれば他の描き手・書き手さんも意外と優しい。やろうと思えば今でもできるのだろう。
でもアンソロやイベントを主催するのは、大変なことだ。他の人のこういう作品が読みたいと強く思うからこそできる。
そこまでの気持ちはない。
一作一作が思いを込めてつくられた一期一会の宝物なのだと思う。
なんか違うって思いたくない。
どうしたらまた夢中で読めるのだろう。
両親は共働き。
2歳か3歳くらい、歩いて喋れるくらいから保育園へ通っていた。
そこに始まり、おおよそ常識と呼ばれるものは親に教わっていないことを後に知る。
特に洗顔・歯磨き・手洗い・うがい。あと交通ルールと他人の家でのふるまい。そもそも親がしているのを見ないのでなかなか習慣付かなかった。
小学校に上がり、数字がただそこにあるものではないことを知る。みんな当たり前に20くらいまで順番に数えられる。その前提からスタートしてる衝撃。幼稚園はお勉強があるらしいが保育園は自由だったからなぁ……。絵本好きだったので文字は読めた。
家でTVは付くものの、時間的に終わってたり、そもそもアニメ見てると怒られてたために小学校内で誰とも話が合わない。
たまにドッジボールに誘われてもぶつけられるのがメインであるため次第に参加拒否。あとバラエティ番組の真似が流行っていて、雑巾を人の口に突っ込んで笑いまくってる人たちがいて、アレとは少しでも関わらないでいられるように避けまくっていた。
あるとき何の気の迷いか、父が古本屋でときめきトゥナイトの4巻?とかを買ってきてくれた。マンガというものを初めて知る。読み方がわからないし中途半端巻なので何も分からない。
小3か、セーラームーンが好きな子と知り合えたためセーラームーンだけ視聴許可が出る。学童でセラムンの話をするか児童館の本を読んで過ごす。
アニメは引き続き禁止だったが、ニチアサは親が寝てるため見放題だった。当時やってたのは美神とかたるるーとくんとか。ママレードボーイはOPは覚えてるんだけど中身を一切覚えてない、やはりエロは強い。
小4か小5くらいに学校にマンガを持ってくる不逞の輩が出現し、クラス中でマンガが流行る。
マンガとの初めての真っ当な触れ合い。
ただ学校は当然マンガ禁止なので、放課後、親が帰ってくるまでの間に借りたマンガを隠れて読む。
マンガという共通の話題で人と話せるようになったが、「あいつが触った本は汚い」といった言われ方をされるようになり、借りられなくなり放課後古本屋に入り浸るようになる。
そういえば当時「横断歩道の白線からはみ出たらがんになる」というルールが流行っていたらしいのだが、私には「白線を踏むとがんになる」と伝えられていた。地方によってルールが違うタイプかと思っていたけど、白線に乗るのが正ルールなのは全国共通っぽい。まぁつまりそういう扱いだったってこと。
まぁそんな感じで「常識」「普通」を知らないために、どうしても日常のあらゆることで齟齬を起こすしつけ込まれてバカにされる。
そして変人、おかしい人、問題児といったレッテルを貼られ何においても仲間外れにされる。
小5頃から、絵を描かせてスゴーイと言いながらプークスするような女子のイジメが始まる。絵を人前では描かなくなるが、手を変え品を変え「ちょっと親切にして裏切って反応を楽しむ」「おだてて木に登る猿を見て嘲う」みたいな手口のイジメが私に対して流行るようになる。
修学旅行の班決めがその最たるもので、班決めを嫌がる私の態度辺りから親が中受を決意。
で塾に通うようになってからラノベの存在を知る。スレイヤーズ。オーフェン。
富士見ファンタジア文庫にハマり、塾をサボって本屋の文庫本コーナーで何時間も立ち読みするようになる。
教育ママが激しくなり、叩かれながら必死で勉強する(なお母は今「親が子に手を挙げるなんて信じらんない」とワイドショー見ながら憤っている)。
再度マンガゲームアニメラノベが禁止される。父が気まぐれで買ってくれたときめきトゥナイト4巻?、前後をこっそり買い溜めてあと2冊でフルコンプとかのところ、あえなく捨てられた。
ゲームは触れる機会がなかったのでその時点では特になんてことはなかったのが、ポケピ・テトリス・たまごっちといったキーホルダータイプのゲームに触れてしまいアウト。
借りたテトリスが見つかり母親に金槌で壊されてしまう。塾の友達には無くしたと言い張り、弁償しろと言われるも無視して逃げ回り縁を切られる。
中学受験は成功し女子校へ入学。親の帰宅までアニメが見られるようになる(黙認)。遅ればせながら友達からポケモンの存在を教わりハマり、休み時間にやらせてもらう。また別の友人からコバルト文庫と京極夏彦を教わり、また別の友人から封神演義(アンソロ)を教わる。図書室で小学校の比にならない蔵書量に感動し入り浸る。月曜日はお昼を減らしてジャンプを買いキャッキャする。
休みの日に遊びに行こうと誘われて行ったのが作者サイン会で、サイン本は残念ながら母に見つかりライターで着火・水道水で消火の上ゴミ箱に投棄された。
ネットは父の気まぐれ(いい方)により1日1時間制限で許可。1時間なので基本は学校のPC室。家にパソコンない子が携帯から夢小説読み過ぎて請求がン万来て親に怒られたみたいな話も聞いた。自分は携帯禁止。
毒吐きネットマナーでマナーを学び、18禁サイトでアクロバティックな性癖を巡り、自分でもとほほのHTMLを見ながらテキストサイトを運営し、レンタルBBSを設置し、絵茶をし、小説やマンガを書き、友達と「ファンに家特定されてストーカーされて警察沙汰」みたいなネット噂話とかしながらお互いのサイトを巡り合う。
小学校時代を知る人がいないし、話が通じないからとイジメてくる人がいない。エロ話を茶化してくる男もいないしまさに天国。
やっと人と人並みにコミュニケーションが取れるようになる。
親は敵だったので反抗期はかなりアレだったものの、オタクとしては幸せな中高生時代を過ごし、大学進学。
酒も飲めずTVの話題も分からず現実の恋愛もオシャレもしない女にできる会話はない。(オシャレは禁止されてなかったけど、やろうとしてたら禁止されてたと思う)
ストイックに勉強だけするなら大学ってのもありだと思うけど、友達欲しがったのが色々と間違いだった。
ネットに入り浸り、人間観察「何が普通で何が普通でないか」「空気を読むというは具体的にどの状況でどういった行動を取るのか」の研究を始める。
バイトという実戦も繰り返し、結果「最低限の偽装はできるが『なんかおかしい人』であることを悟られないのは無理」という結論に。
そもそも我慢してウェイの言う『普通』をするメリットがないことも多く(例えば女らしくするとセクハラされやすくなるし、みんなで一人の欠点を嘲うのに楽しさや仲間意識を感じられない)、あと「『普通』じゃない人間が生理的に無理」という一定数の人に普通らしくふるまって見せるのはかえって逆効果であることもあり、今や偽装すら放棄してヤバい人のレッテル貼られたまま過ごす立派な社会不適合者に成長。
あとバイトで金を稼いだので特に合意なくマンガアニメゲーム解禁ってことにした。部屋が埋まるほど買ってるので反動〜〜ってなってる。
という訳で、結局のところ親がガチの「生活の常識」を教えないといけないのと、マンガアニメゲームを禁止すると小学校という最初の社会で孤立して深刻なコミュニケーション欠陥を抱えるので、なんでもかんでも制限するとこうなるよの悪い例として展示しとく。
鳥山明持ち上げがそろそろ食傷気味、という増田が出てきて(そりゃ出てくるだろう)思い出した記憶
ご存じの通りドラゴンボールは連載前半はそこまで上位独占ではなく、手堅い中堅の位置づけだった
サイヤ人編あたりから人気が上がり出し、フリーザ対決あたりでトップ
キャラ人気でいうと明らかにベジータでやおいのお姉さまたちが食いつき、
マジュニアと孫悟飯のカップルからマジュニア人気がなんかおかしくなり、
他のジャンプの人気作品、幽遊あたりのお姉さま方の燃料源の連載終了とほぼほぼ一致していた
他ジャンプ作品が消えてしゃぶれるものがなくなった時期になってベジータに食いついたんだなというタイミングで変わってて、
「やおい書きのお姉さま方の気持ちって本当に都合よくコロッコロ変わるんだなあ」と強く印象に残ってるのを覚えている
もちろん、作品として盛り上がったピークがあのへんなのは間違いないのだが
男の身でふゅーじょんや青磁のアンソロを買いまくってた(同人誌即売会に行けるほど行動力も金もなかった)側としては
なんかこう、わだかまりがあったのだった
ってどう思う?
生活保護が同人誌出すな!とは思わないよ。推しカプへの熱意/創作意欲は止められないだろうし、二次創作だとしてもそういう活動が少しでも社会復帰に繋がればいいと思う。
でもそれって個人誌で良くない?
アンソロは…流石に金儲けでしかなくない!?って思っちゃう。執筆者の方々は主催の状況知ってるの?私だったら嫌だけど…私の心が狭いだけ?
界隈の大手を引き連れて通販のみ、推しの誕生日にお祝いを兼ねて発行するって…推しの誕生日を利用してるの不愉快だなあ
てかどうやって刷るんだろう。立て替えゼロ円印刷?直近にあるイベント出ないのはなんで?金無いから?その状態の人がアンソロ?生活保護の時ってそういう収益ってどうなるの?アンソロの売上が今後の生活保護費になるってか(笑)
やってられっかクソがよ
完全にただの愚痴。
二次創作の同人誌を作り始めて少しづつ人との交流が増えてすごく楽しい反面、壁打ちなら感じなくていいストレスが増えた。
今は3人で仲良くしてるんだけど他の2人が全然スケジュールの管理が出来なくて締切を守るのも苦手なタイプ。何冊か合同誌を出しているけどスケジュール管理も編集も入稿もイベント当日の頒布管理も通販管理も全部私。もちろん印刷代金の立替も私。
出来る範囲の事だし他の2人の作品も好きだから私が雑務を負担してスケジュール管理が苦手な2人の作品が世に出るなら…と思ってやってたけど続くと不満は出てくる。
今は一緒にアンソロの主催をしてるけど、分担された業務を本人たちが把握してないしアンソロの雑務をやる気持ちはもちろん自分の原稿の締切すら守る気がないようにしかみえない。
アンソロの企画の方が先だったはずなんだけど気がついたらアンソロの締切1週間前にやる別ジャンルのイベントに2人で申込みしてた。鉄を熱いうちに打ちたいのはわかるけどアンソロの主催なのに優先する気がないのは本当に悲しい。
スケジュール管理出来ないのは知ってるけど何度も本を出してるし1週間でアンソロの原稿が完成しない事くらいわかると思うんだけど…他に描きたいものが出来てしまったら欲求に抗えないものなの?私は今のジャンル以外全く興味がないからわからない。
アンソロだって私だけがやりたくて2人を巻き込んだわけじゃないんだけど、そう思ってるのかな…。
わかってて一緒に企画やってるのは自分だし、別に2人と揉めたいわけでもないし、普通に遊ぶだけなら今も楽しくて好きだけど、もう二度と一緒に本は作りたくない。
横だけど、一部が序章、1~7章、終局と9つにわかれてるのね。序章はまっさきにアニメ化済み(ブルーレイ発売中)。
6章はアニメ映画(円卓)。7章もアニメ映画(バビロニア)。終局はお芝居ステージ。←これ後半二つ逆だっけ?
で、残った部分だけでなく9つ全部を序章から含めて偶数章と奇数章で分けてコミカライズ同時進行させてる。
すごいめずらしいんだけどそうでもないとおいつかない。
で、本編は一部がおわったあと1.5部で外伝みたいな形のが5こくらいあって、
これがそれぞれ別の漫画家が同時進行コミカライズ。アガルタは完結した。CCCコラボセラフと剣豪七番は連載中。
さらに二部はいま7章まですすんだけどあまりメディア化してない。(フェスで6章アヴァロンのみ朗読劇にした)。
さらにさらに、三部にあたるかもしれない「奏章」がはじまって、1章まですすんだとこがFGO本編。
スピンアウトというか個別シーズンイベントので鳴鳳荘など二冊のノベライズ。
全般のスピンアウトコミックとして四コマアンソロ。作家別アンソロ。英霊食紀行。
まあ本屋さんも大変だなあとおもうわけです
==
他に聖杯戦争システムのものはたくさんあって、アポクリファ(東欧を舞台にしたアニメ)、