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はてなキーワード: アニメ作品とは

2020-02-28

2年越しで待っていた舞台が公演自粛を発表した


 現在進行形コロナウイルス感染拡大防止のため、様々なアーティストライブ舞台が中止、自粛され、学校でさえしばらく休校となった。そんななか、私が今まで応援していた、所謂推しが出演する舞台もとうとう公演自粛が発表されてしまった。それ自体に怒りが湧くことなんてないし、寧ろよく決断したと思う。私はネットニュースSNSしか舞台知識など知らないが、今回のようなウイルス感染での公演中止には災害時の保険などは適用できないらしいし、そうなると劇場キャンセル料や売り上げが出るはずだった公演グッズ、果ては出演者のギャラのことを考えると運営の方々の苦労は想像もできない。

 それをわかっていても、それでもやはり、受けたショックが大きくて、私は推しTwitterも、顔すら見るのが辛くなってしまっている。それくらい、今回中止になってしまった舞台を楽しみにしていたのだ。だって、その舞台が私を推し出会わせてくれたから。

 その舞台は今作が二作目で、前回の第一作公演は2年以上前になる。元々はアニメ作品原作で、所謂2.5次元舞台だった。私は今のように2.5次元がこんなにも広く認知されていない10年以上前から、それこそ自分中学生の頃から2.5次元を追いかけていて、今の2.5次元作品ブームもあり、観に行った舞台は数えきれないほどになっている。けれど、何故かそれまでは特定キャストさんを好きになることはなく、ただひたすら2.5次元作品を楽しむために舞台へと足を運んでいた。そんな時に出会ったのが今回の舞台であり、推しとなるキャストさんだった。原作アニメも1、2回観た程度だったというのに、舞台初日最前列を引き当ててしまった私は、公演終了後には円盤を予約していたし、帰りの電車推しプロフィール検索過去作品出演歴まで調べていた。そこで以前観劇したことのある舞台推しが出ていたことを知り、どうしてもっと注目していなかったんだ、と激しく後悔したりもした。それくらい、舞台の上の彼は私にとって輝いて見えたのだ。正直、彼が演じていたキャラクターが元々好きだったわけじゃなかった。なのに、なぜかすごく惹かれたし、舞台上で喋って、歌って踊る彼はそのキャラクターのもののように感じたのだ。

 それからすぐに彼のファンクラブに入り、出演する舞台には可能な限り全て行った。周囲にも推しができたことを話し、職場で「今度舞台を観に行くんです」と話すと「ああ、○○くんが出るの?」と必ず聞かれるようになったほどだった。職場上司も同僚も先輩も後輩も、彼の顔は知らないが名前だけは全員知っていた。ひと月に一回以上のペースで推しの出演する舞台映画舞台挨拶を観に行き、それを9ヶ月続けた時は最早誇りさえ感じた。そこで予定が合わず連続記録は途絶えたが、それでも数ヶ月に何回かのペースで推しの出演する作品は生で観劇していた。勿論、彼が出ない2.5次元作品も変わらず好きで観劇に行っているし、連続記録は現在更新中だ。

 推し出会ってから推し推し認識してから毎日がすごく楽しかった。ストレスが多く、離職率の高い職場に勤めていたけれど、あと何日頑張れば推しに会えると思えば乗り切ることができた。そんな存在を教えてくれたあの舞台に、あの作品には感謝してもしきれない。

 その舞台は、年末になると同じ2.5次元のいくつかの舞台と合同でカウントダウンイベントを開催している。私は大阪在住である関東で開催されるそのイベントに毎年通い、推しと共に年越しをすることができていた。数年に渡って開催されているそのイベントに、推しは毎年同じ作品キャラクターとして出演している。けれど、その作品第一作が終了して一年経っても二年が経とうとしても、同じイベントに出演している他の作品のように、第二作、第三作が制作されることはなかった。ある年、イベントの物販に並んでいると、後ろに並んでいた二人組の女の子の会話が耳に入ってきた。

「○○と○○(今回イベントに参加する別の舞台)はわかるけど、●●(私の推しの出演する舞台)はわかんないよね」

「歌とかね。コーレスどうする?」

 屈辱だった。でも、それでも仕方がないのかな、と思ってしまうほど他の作品との扱いに差を感じていた。それから物販を無事終え、ランダム系のグッズのトレーディングスペースに足を運ぶと、交換の声掛けをされた。

「誰をお探しですか?」

「○○くん(推し)です」

「…誰ですか?」

「●●の、●●(キャラクター名)の役の子なんですけど」

「……この中にいますか?」

 すごく悔しかった。ちなみに、彼女の持っているグッズの中に推しはいなかった。

 会場に入ってからも、他の作品団扇ペンライトを持っているお客さんの方が圧倒的に多かった。そのなかでも必死に声を出したしペンライトを振った。やっぱり推しは素敵だったし、キャストさん全員が楽しそうで、私まで嬉しくなってしまった。そんななかで、その年の秋に新プロジェクト始動することが発表された。勿論驚いたし、すごく嬉しかった。やっとだ、ずっと待ってた、そんな気持ちだった。近くにいた同じ作品ファン女の子と抱き合って涙を流して喜んだし、何があっても絶対チケットを取ってやると胸に誓った。

 カウントダウンイベントから数ヶ月後、新プロジェクトアニメ原作2.5次元舞台との合同ライブだと発表された。そして、アニメの新作映画の来場者特典に最速抽選申し込み券がついてくると発表され、映画館に通い詰める日々が始まった。結果、10数枚の申し込み券を手に入れた私は無事ライブの昼夜公演全通が決定し、職場には早々にその日程は何があっても休みを取る旨を伝えた。本当に楽しみにしていたし、しばらく数ヶ月後に控えるライブのことばかりを考えて過ごしていた。

 けれど、ライブを目前に控えたある日、超大型の台風が接近しているというニュースが入ってきた。進路予想図によると開催場所は直撃、しかも海に近い会場だったためかなりの危険があるということだった。日に日に大きくなっていく台風に、注意喚起をする報道に、私はひたすら進路を逸れてくれと祈るしかなかった。しかし、祈りは届かず前々日の夜に開催中止が発表された。私はその時職場におり、Twitterでその知らせを聞き、その場で号泣してしまった。「ずっと楽しみにしてたもんね」という上司言葉が一層辛かった。

 その後、会場で無観客ライブ実施しその様子を生配信すると発表された。私は一人で家でその配信を見ていたが、オープニングでキャストさんが現れた瞬間、枯れたと思っていた涙が再び溢れてきて止まらなくなった。あんなにも声を上げて泣いたのは初めてだった。観客のいない、恐らくスタッフさんやマネージャーさん達なのであろう少数の歓声が聞こえるライブはそのまま進み、終盤に差し掛かった頃。突然、画面が切り替わり、舞台の最新作の制作決定が発表された。そこで、私はまたしても声を上げて泣いた。嬉しさ半分、どうして私は会場でこの発表を聞いて、ファンの皆で喜ぶことができなかったんだという悔しさ半分だった。

 そうしてライブは終了した。翌日は原作アニメライブだったのだが、そちらの方は無事に開催されたと聞き、またしても少しだけ涙が出た。私が会場に向かいライブを楽しむために取った4連休はこうして終わった。二週間ほど後にメールで届いたチケット払い戻しのお知らせを見て、チケット封筒に入れ、郵便局の窓口で差し出した時は、手の震えが止まらなかった。

 それからしばらくして舞台の詳細が発表された。第一作は大阪東京にて公演があったが、今回は東京公演のみであるということで、私はまたしても東京遠征計画を立て、どうせなら千秋楽を何としてでも観劇したいと思った。そこで、2/28千秋楽の3/1までの3日、計5回観劇できるようチケットを押さえた。二年と少しの月日を経て再びあの舞台の新作を見れるんだという喜びは大きく、初日終了後のTwitter上での評判も良かったため、私の期待は最高潮にまで達していた。元々、あまり積極的アピールできるようなタイプではなかったが、思い入れのある作品だったため、推しに対して初めて手紙を書いたりもした。その数は5枚にも及び、封筒に入りきらずに少し苦労もした。

 そして、私が初めて観劇する予定であった日程の二日前。政府から活動自粛要請により、その日をもって公演を自粛するという発表が公式HPからされた。私はその日少し用事があり、その発表を知ったのは二時間後のことだったのだが、言葉を失くすとはこういうことなのか、と実感するほど何も言うことができなかった。間もなく公式Twitterからその日のキャストさんの集合写真コメントが載ったツイートがされ、皆が「素晴らしい舞台でした」「ありがとう」などとリプライを送っている様子を茫然と眺めていた。私のなかではまだ始まってもいなかった舞台が、直前になって終了してしまったという事実は受け入れがたくて、今もまだ、胸の中に引っかかったものが取り切れない。だって、二年も待っていたのだ。一度ならず二度までもこんな思いをするなんて思っていなかったのだ。

 誰が悪いわけでもない。それこそ、このまま公演を続けてもしお客さんのみならずキャストさんにまでコロナウイルス感染患者が出れば、大きな問題になってしまう。きっとキャストさんだって運営の方だって、去年の台風による開催中止の件もあり、最後まで走り切りたかたことだろうと思う。そんななかで政府の発表から開催自粛決断するまでの迅速な判断は素晴らしかったと思う。けれど、だからこそ、私はこの気持ちをどこにぶつければ良いのかわからないのだ。誰も悪くないから、私はこの気持ち昇華できずにいるのだ。

 Twitterを眺めていると、舞台キャストさんのツイートブログが流れてくる。すごく楽しかった、お客さんと一緒に作り上げた舞台だった。というコメントに、私も参加したかった、参加できるはずだったのに、と思ってしまう。世間が大変ななか、きっとキャストさんや運営の方はもっと色々な面で大変であろうなか、気持ちの切り替えができない自分がすごく嫌になる。

 脚本家さんのコメントや、キャストさんたちのツイートには、何度も「また会えますように」という言葉が出てきた。これは私の勝手な考えなのだが、きっと、その可能性は薄いんだろうと思っている。だってチケットが余っていたのだ。千秋楽公演はさすがに完売していたようだが、それ以外の公演は劇場リピーターチケットと称して販売を続けていたし、こんなに良い作品から是非みんなで買おう、なんていうファンツイートも流れてきていた。ブームもあり沢山の2.5次元作品が上演されるなか、次回作の見込みが高い作品の筆頭に挙げられるのは千秋楽ライブビューイングが実施される作品であることだと私は思っている。しかし、その作品ライブビューイングの実施はなく、動画配信サービスでの生放送を予定していた。それもまた、開催自粛に伴い中止となったのだけれど。となれば、私の中でこの作品はもう二度と観ることができないものになってしまったのだ。

 それでも、もし最新作の制作が決定すればそれはすごく嬉しいと思う。けれど、それを素直に観劇できるかと言われればすぐには頷くことができない自分がいる。去年、こんな思いは二度としないだろうと思っていたのに、同じ気持ちを二度味わってしまっているのだ。最新作が出ても、もしかするとまた開催中止になってしまうかもしれない。また同じ思いをしなければならないのかもしれない。そんな考えが真っ先に出てきてしまうのだ。

 開催自粛が発表されてから数日が経ち、それでもこんな気持ちを引きずってしまっている今の私にとって、推しはその気持ちを思い出させてしまう引き金になってしまっている。彼がツイートをするたび、彼の顔を見るたびに今回だけでなく去年のことも思い出してしまい、どんどん気持ちが落ち込んでいってしまう。それが悲しくて、辛くて、入っていたファンクラブももしかすると退会してしまうかもしれない。

 何度も言うが、今回の件も、去年の件だって誰も悪くないのだ。誰も悪くないからこそ私は辛くて、一人でうじうじしている自分自身がすごく嫌なのだ

 既に予約が開始となっているこの作品円盤も、私は会場で予約する予定だったため間違いなく購入すると思う。けれど、本編を観るまでにはかなりの時間を要すると思うし、もしかすると観ることができないまま、持っているだけになってしまうかもしれない。それでも良いやと思えるくらい気持ちの切り替えができるように早くなりたいし、ならなければいけないとも思っている。ただ、ここにこうして吐き出した後はしばらく何も考えたくない。色々考えてしまうと、また気持ちが沈んでいってしまうから

2020-02-26

アンチ思想過激化させる

って実際そうだと思うんだよね。所謂荒しにかまうと掲示板が荒れる」みたいな

荒しの居る掲示板って基本的に賑やかなんだよね。荒らしは害に見られがちだけど、時にはその掲示板自体延命して成長させる。

アンチ無視しよう」「荒しにかまうのも荒し」というある意味批判的な態度も同時に必要で、それによって荒しが良い感じに栄養になる。

全然関係ないような話になってしまうけど、自分が好きなアニメ作品3つは、基本的に全部放送時はアンチスレを見てたし書き込んでいた。

やっぱり大好きだからこそ引っかかるものがあって、粘着してしまう。そしてその引っ掛かりがあるからこそ、その作品が気になる。

日本アニメ制作会社グローバル展開と韓国産漫画の本格進出

先ほどクランチロールクランチロールオリジナルとして8つのアニメ作品配信することを発表した。

以下の8つだ。


“In/Spectre”

Tower of God

“Onyx Equinox”

“The God of High School

“Noblesse”

Meiji Gekken: Sword & Gun (Working title)”

“FreakAngels”

“High Guardian Spice


まだまだ作品内容がわかっておらず、なんとも評価しがたい作品も多い。

しかし、以下の3作品はすでWEBTOON(韓国系漫画プラットフォーム)として欧米アニメファンの間ではかなり広範に知れ渡っている。

Tower of God

The God of High School

Noblesse

既にRedditTwitterではかなり話題になっており相当な数の視聴者が見込まれる。

reddtiではPVだけですでに800コメント以上ついている。

特に注目すべきなのは、これらの作品日本アニメ制作会社が制作するということだ。


Tower of GodTELECOM ANIMATION FILM

The God of High SchoolMAPPA

NoblesseはProduction IG

がそれぞれ制作する。

恐らくクランチロールコネクションによって実現した案件だろう。

MAPPAは近年グローバル進出を目指しているように見え、以前NETFLIXでYASUKEの制作担当しているとニュースがあった。


果たしてどのように転ぶかはわからないが追って進展を見守りたい。

いずれWEBTOONやMANGA Plus周りの話もしたいところだが今回はこの辺で。

2020-02-22

追記】「ドラえもん のび太と竜の騎士」と「風の谷のナウシカ

追記鉄人兵団も改めて見てみた。

かにあちこち台詞回しにナウシカっぽさが感じられるし、改心後のリルルの言動は明らかにナウシカモデルにしていると感じられる。修理中のリルルとしずかちゃんのやり取りは、クシャナと風の谷のじいや達のやり取りを彷彿とさせるようでもある。

竜の騎士キャラデザインや背景、BGMなどにナウシカっぽさが見えたが、鉄人兵団心理描写にその影響が強く出ているなと思った。

トラバにもあるけど、私も竜の騎士鉄人兵団宇宙戦争の三作がドラえもん劇場版の中で別格に好きです。

ストーリー展開にはアラやご都合主義もそりゃあるけど(ロボット達が鏡面世界に気づくの遅すぎだろ、とか、タイムマシンはさすがに禁じ手だろ、とか)子どもの心をあんなに惹きつける作品はやっぱりなかなかない。

鏡面世界食べ放題バーベキュー、私もやりたかったなー。

----

アマプラを物色していてふと目に入った「ドラえもん のび太と竜の騎士」、そういやこれ子どもの頃大好きで何度もビデオ見てたなーと思い出して30年ぶりぐらいに見てみたら、ものすごく「風の谷のナウシカ」でびっくりした。

検索してみたら、監督芝山努氏と宮崎駿氏は東映の同期入社組なんですね。

さら芝山氏は高畑勲氏と一緒に仕事したこともあるようで、それでなんとなく腑に落ちるところはあるのだけども。

にしても似方がすごい。

竜の騎士団のデザイン

鎧と兜は土鬼(アニメではトルメキアの下級兵)、胸の紋章はペジテ。

乗用の小型竜はトリウマ。

地下世界郊外には、ちょうど風の谷の郊外にもあるカッパドキアのような砂漠光景が繰り返し描かれる。

ドラえもんの地下世界は高度に科学文明が発達した社会で、街並みは近世ヨーロッパ20世紀当時のSFっぽさを付け加えたような雰囲気だ。そこにトルコ的な何かは見えない。

未開の部族が住む秘境も点在しているが、それもアフリカ中南米原住民文化ベースになって描かれているものだ。

すなわち、わざわざカッパドキアモチーフあんなに時間をかけて画面に出す必然性は何もない。にもかかわらず何度も出てくる。

ドラえもん一行が、地上人に脅威を知らせるべく竜の騎士の家からひそかにタケコプターで逃亡するときの情景は、BGMも含めてまるきりオマージュナウシカが風の谷の住民達に脅威を知らせるためペジテのブリックからメーヴェで飛び立ったシーンのオマージュだ。これをオマージュと言わずして何を言うかというぐらい、立派なオマージュだ。

上人を守りたいドラえもん一行と、地上の覇権を取り戻したい竜人達は最終的に全面戦争を始めることになる。

ここにも一瞬オマージュがある。

風雲ドラえもん城に竜人達が攻城櫓を運ぶシーンが、酸の海でクシャナがあの娘の帰りを待たないで進軍を始めたときと同じだ。これも状況がそっくりBGMも。

そしてそこにクライマックスとなる天災(風の谷のナウシカのほうは人間引き起こし天災なので本当は人災なのだけど)が訪れ、両軍ともに戦争どころではなくなる。

キャラデザイン風景BGMのみならずストーン展開のこの重なりよう。

意図しないとここまでの重なり方はしないと思う。

ただ最後ドラえもん人類科学技術の粋であるところのひみつ道具バンバン使って本来なら絶滅していたはずの恐竜を安住の地へと導き、竜人達の始祖の神となってしまう。自然破壊してるわけではないにしても自然の摂理に強く介入する行為であることに間違いはなく、人類自然の営みを支配コントロールすることの是非という点ではナウシカではなくクシャナ寄りの価値観と行動だ。ここがナウシカとは決定的に違うとこで、まあそこはドラえもんが『ドラえもん』というアニメ作品主人公としての役割をきちんと果たしているということで、どちらが正解でどちらが間違いという話ではない。

この相似、たぶんいろんな人が言ってることだと思ったんだけど、ちょっとググった程度では見つけられなかった。

芝山氏は何を思ってこんな作風にしたのだろう。この作品だけでなく当時のアニメはみんなナウシカ二番煎じみたいな作風だったのだろうか(そんなこともなかったと思うのだけど)。

それが知りたいな、と思った。

そういや鳥山明氏も宮崎駿氏に影響を受けたって聞くよね。ドラクエ2の三人にはナウシカデザインが色濃く反映されているという話は有名だと思う。

2020-02-13

映像研の感想

酔っ払っている。

映像研。

今、アニメ6話まで見たところ。

原作漫画アニメを本格的に見る前に5巻まで読んだ。

で、原作を踏まえてアニメを見た感想

こんなに「愛」に溢れたアニメはないんじゃないか

作中で3人の少女は、アニメを作ろうと奮闘する。

設定を作り、動画を割り、資金環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。

で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。

しかし悲しいか漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。

そこで今回のアニメである

完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。

それだけじゃない。

アニメ制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場感覚アニメの作り手自身が持ち込んで足している。

決して「現実をナメるなよ」というニヒリズムや諦念ではない。

強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。

映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。

「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」

粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ

祝福をもって、受け入れられたのだ。

そして、アニメプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。

他でもない、原作者・大童澄瞳氏、その人である

エンディングアニメーターとして参加したことがその証左だろう。

原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。

で、このアニメは、アニメからの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。

エンディング動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。

(おそらく、浅草氏に近い画的資質を持つ人なのだろう)

それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。

これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。

原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、

「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。

それでいて、そのラブレター勇気づけられたことに感謝も示す。

偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬しかないでしょ。

アニメの作り手は原作に、原作の描き手はアニメの作り手に、

お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。

その結晶が、このアニメ作品なのだとしたら。

それが傑作に、ならないわけがない。

余談

それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。

そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。

アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。

そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。

アニメ映像研は、そういう作品だと思う。

映像研の感想

酔っ払っている。

映像研。

今、アニメ6話まで見たところ。

原作漫画アニメを本格的に見る前に5巻まで読んだ。

で、原作を踏まえてアニメを見た感想

こんなに「愛」に溢れたアニメはないんじゃないか

作中で3人の少女は、アニメを作ろうと奮闘する。

設定を作り、動画を割り、資金環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。

で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。

しかし悲しいか漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。

そこで今回のアニメである

完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。

それだけじゃない。

アニメ制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場感覚アニメの作り手自身が持ち込んで足している。

決して「現実をナメるなよ」というニヒリズムや諦念ではない。

強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。

映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。

「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」

粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ

祝福をもって、受け入れられたのだ。

そして、アニメプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。

他でもない、原作者・大童澄瞳氏、その人である

エンディングアニメーターとして参加したことがその証左だろう。

原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。

で、このアニメは、アニメからの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。

エンディング動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。

(おそらく、浅草氏に近い画的資質を持つ人なのだろう)

それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。

これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。

原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、

「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。

それでいて、そのラブレター勇気づけられたことに感謝も示す。

偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬しかないでしょ。

アニメの作り手は原作に、原作の描き手はアニメの作り手に、

お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。

その結晶が、このアニメ作品なのだとしたら。

それが傑作に、ならないわけがない。

余談

それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。

そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。

アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。

そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。

アニメ映像研は、そういう作品だと思う。

2020-01-10

責任を取らない日本人

なんでこんなに杜撰対応をするんだと責任追及が世の中でよく言われるが

いじめ問題悪化させた学校側や先生、そして行政の大切な書類を保管せず隠滅した職員

まぁ日本人全員に言えることなんだけど、なぁなぁの建前と本音物事を動かし

そして、責任を誰も取らない、誰も取れないように曖昧にすることで全員が保身をしているのだろう

サイコパスというアニメ作品において犯罪者犯罪係数が上がり逮捕されるという世界観

犯罪犯罪と思わないよう細切れに各人員が少しずつ関わることで実行部隊全体像を知らないため犯罪係数が上がらず

犯罪者として検挙ができないというギミックの話があった。

行政も同じである程度早く業務プロセスを回すために多少の忖度が常日頃からされているとは思われる。

昔はそれを悪用した場合、上のもの責任を取っていた。しかし、今は上が責任を取りたがらなくなった。

からこそ、責任逃れのメソッドけが残り、

全員が知らず知らずに悪事に加担しているような構図になっているのだろう。

杜撰だとか間抜けだとか世間事件について話題に挙がるが、

ワザとそうしているのだから、当たり前だろう。少なくとも間抜けなのではない。

まぁ、だから〇〇の事件は××が責任を取れという話をしたいのではなく、

自分がそのような無自覚犯罪者にならないように注意しようと思ったことと

もし責任が生じた場合にはしっかりと取れるような人間でいたいと思っただけである

2019-12-27

数字の語呂合わせだけで表せるアニメ作品一覧

  • 4
  • 7
  • 9
  • 43
  • 100
  • 193
  • 251
  • 415
  • 644
  • 692
  • 819
  • 1005
  • 1812
  • 4685
  • 5810
  • 8888
  • 9071
  • 08555
  • 51517
  • 56483
  • 96422
  • 150406
  • 591000
  • 810000
  • 898256
  • 5105105
  • 8739168
  • 8902104
  • 8910000
  • 9071346
  • 83210968
  • 151008100010

2019-12-02

サムライ8のレビュー

 実際のところ、ジャンプ本誌で連載が始まった時点ではこの漫画を読む気にはなれなかった。

 既にAmazon上のレビューに書いてある通りである物語の中で語られる様々な専門用語世界観に対する長大説明、作者のエゴ、長年看板作家として一線を張り続けてきたプライド裏目に出ている――などなど、実際にここまで既存レビューが指摘していたかはともかく、本誌連載当初の時点での僕自身評価も、これらのレビュアー意見とそう変わるものではなかった。読みにくく、物語は柔らかさを主張しているようでその台詞回しは硬質で、目がところどころでセリフに行き詰まる――

 でも、何故なのかこうも思えたのである。「連載話を一週間ごとにバラバラに読むのではなく、コミックスの形でしっかり腰を据えて読むことができるのであれば、これはひょっとすれば面白い作品に映る可能性を秘めているのではなかろうか」と。そして、実際にようやくコミックスを手に取りこの作品を読んだ時点での感想を述べさせてもらうならば、その予感は正しかったのである

 物語星間飛行どころか銀河航行ですら可能となった近未来であり、一部の人々は生身の身体を捨て自身サイボーグ処置を施し強かに生きている。そんな世界において、自身に巨大な生命維持装置を直結させ、無数のチューブ接続していなければ生きられない少年ハチマルが主人公である。もちろん、この作品タイトル黒澤明監督による『七人の侍』の文字りとなっている。

 極めて脆弱身体を持ちつつも、幼い頃から身体虚弱さのために熱中することとなった)全没入型VRゲームによって鍛えられた勝負勘と、反射神経は余人を凌駕する(アニメ作品オーバーマンキングゲイナー』のエピソード彷彿とさせる)主人公にとって、この「サイボーグを是とする世界」は極めて相性が良く、やがて彼は類稀なる自身戦闘センスを開花させていく。

 ここでポイントとなるのは『三身一体』のキーワードである。本編において、「ロッカーボール」と呼ばれるエネルギー体によって自己改造を施したサイボーグ戦士のことを「侍」と呼ぶのであるが、この侍は単独では秘め持った力を十全に発揮することができないのである。ここでポイントとなるのが先程言及した『三身一体(勿論、これはキリスト教における神学概念である三位一体」をアレンジしたキーワードである)』という言葉で、侍は単独ではなく、追従型の動物を象った戦闘補助パートナーであるキーホルダー」と、侍の力の源であるロッカーボール」に対する強い探知力を持った「姫」の両者と共にあることで、初めて「三身一体」となり力を発揮できる、といった物語構造が示されているのだ。

「姫」は戦闘能力を持たないため、必ず侍と対になって守護される必要があり、そのために侍は自身の心を極限まで純化させ、「姫」を護衛する必要があるのである。この「純化」のプロセス少年漫画媒体にうってつけで、いわば虚仮の一念によって主人公は「強がり」を純然たる「強さ」へと純化していくのである。この辺りに少年漫画誌に長年連載を続けていた岸本氏のストーリー構築術の妙があると思わされる。

長くなったが、この作品に向けられたネットの悪評の多くは、これをコミックスという媒体で腰を据えて読むことによって引っくり返ること請け合いである最近では某レンタルショップにおけるレンタルサービスもあることだし、是非ともコミックス媒体において、諸氏にはこの漫画に対する改めての評価を行ってほしいと思う。

2019-12-01

アニメーターに「愛情」を求めるのは間違いだし、そもそも仕事に「愛情」を求めるのが間違い

アズールレーンアニメーター炎上してるが

そもそも凡百のオタクくんたちはメクラであるとかそういうことは置いておいておくとしても、

そもそもアニメーター、というかアニメーターに限らず演出家でさえ基本的傭兵のようなものしかないのだから愛情」を求めるのが間違ってる

アニメーターにとってアニメ作品なんて大体が自分著作物でもなく、映像にしたらほんの十数秒分のしか関わらないことも多い、そんなドライ関係しかそこにはない

彼らはあくま職人であってそこにはスキルがあれば良いだけだ

必要なのはアニメーションに対する姿勢だけで作品に対する愛情必要とされるべきではないのだ

しかしたら普通の「オタク」のように作品愛着があったりこだわりがあったりするかもしれないが、それはおまけ、制作者側からサービスに過ぎない

こういう「仕事に対しての愛情がないのか!」とか抜かす輩がもちろんオタクくんたちだけではないのは知っている

しろ日本社会蔓延ゴキブリの中の一群がオタクの顔をして現れただけだろう

愛社精神やりがい、「お客様神様e.t.c………

似たような心性でもって発されるゴミワードはいくらでもある

そんなのはクソ喰らえしかなくて、結局は仕事待遇との相関によってバランスが取られるべきでしかない

もちろん仕事愛情を持って取り組んでいる人間も少なくないだろうが、それは経営者消費者に対する労働者からの温情でしかなく、加点対象にこそすれ減点対象にすべきではないのだ



まぁどうせオタクくんは「でも作画崩壊してる!」と騒ぐのだろうが、それは冒頭で置いておいたメクラなオタクという話になるだけなので、そちらは相手にする必要もないだろう

その言葉を好き好んで使うこと自体馬鹿証明しかならないのだから

2019-11-22

いま熱心にフェミ左翼立場からオタクを叩いてるのは実はオタク

誰かが言わないといけないことだけれど、だれも言わないから言う。

いま熱心にオタクを叩いてるのはオタク論客ばかりだよ。



それも一番オタク差別に直面した30~50代

そもそもオタクバッシング論客の面々を見ればわかる。

オタクを熱心にバッシングしている論客たちの過去を。

BL好き腐女子エヴァ大好き左翼エロゲアイコンだった学者

どう見てもオタクである。ただし同時に結構歳が行ってる。

まり、いまの中学生高校生とは関係ない世代だ。

おじさんおばさんのオタクの一部が、差別自意識を拗らせた結果おかしなことになっているという話だと思って聞いてほしい。

彼らは、エヴァ放送時に、衝撃を受けてこんなアニメがあるのかと驚いた世代だ。もうちょいわかりやすく言うと林原めぐみ直撃世代か、そのもうちょい前。

深夜にアニラジを聞きながら、エヴァを延々と語り、オタクの仲間内で、「この作品なら一般人に見せてもばかにされないんじゃないか」とかひそかに期待していた世代だ。

同時にあの時代オタクは、自分肯定して生きていくことが厳しい時代だった。

オタクと呼ばれると、どんなに社交的で、どんなに良い人格で、どんなに収入があっても、社会的信用が失われる時代だ。このあたりの空気を知りたいというひとは、

https://togetter.com/li/1220676 このあたりのまとめがマイルドに教えてくれる。

もっと空気感だけ味わいたいなら、飛んで埼玉! の空気感。バレた瞬間最下層民になるって時代

からアニメ好きは必死になって趣味を隠し、隠れキリシタンならぬ、隠れオタクという言葉普通に流通していた時代だ。

声優ソング歌詞を見たら、みごとに「生きにくいオタク共感を呼ぶ曲ばっかり」だ。

自分らしく生きていくということを大変だけど頑張ろう、っていう曲だ。

そんな時代に作られた林原めぐみの「don't be discouraged」は、差別の垣根を越えて、「ゲイオカマの心をガッチリとらえた」という現象まで起きた。新宿二丁目では涙を流して歌う人物もいるそうだ。「生きにくい世の中だけど、勇気をもって好きなことに邁進しよう。理解されなくてもきっといいことがあるよ」というのは、まさに被差別属性を持つ人々の心をとらえるだろう。そんな時代だった。

僕らが生きたのは「好きなものを好きというだけで多大なリスク覚悟せねばならなかった」という時代だ。

余談になるが、当時の深夜アニラジというのは、精神を病んだオタクの駆け込み寺にもなっていた。声優さんにガチの人相談が舞い込んだ時代だ。

学校オタクだと馬鹿にされてつらいとか、いじめられているとか、そういうはがき普通に舞い込み、それを声優さんがガチに回答するような、かなり狂った時代。あの時代オタク空気はまさにどんよりとした息苦しさをまとい、まさに被差別階層様相を呈していた。それにしたって、なんで声優さんラジオ人生相談をするんだ、と言われるかもしれないが他に相談できる場所がどこにもなかったのだ。親も、教師も、友人も、兄弟も、警察も、政治家も、すべてがオタクにとっては敵だった。もう顔の見える敵ではない存在が、漫画家声優しかいないというのは、あの時代体験したものでないとわからないだろう。当然ネット環境もない。


そんななか、差別に直面し苦闘したオタクたちはオタクと呼ばれるのを極端に恐れていた。

「俺はオタクじゃない。マニアだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」

「俺はオタクじゃない。ゲーマーだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」

「俺はオタクじゃない。アニメ好きだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」

とかオタクバレしたときには、よく言ったものである

オタクってキモいよね」と言われたら、正体を隠して「そうだねえキモいよね」と内心冷や汗流しながら相槌を打ってた時代だ。



当時、いじめられ、差別され、迫害され、バカにされていたオタクたちの一部が、「なぜ自分たちが差別されるのか」を必死になって考えるというのは、もうこれは宿痾の妄想のようなものである

そんな中、一つの逃げ道に走ったオタクがいる。それが現在左翼系でオタクバッシングをやっているオタクである

オタクダメな奴らだ」とサブカル内部からオタク批判することで、一般に認められようとする道を選んだ人間だ。

彼らの言い訳は「左翼思想からサブカル的にオタク分析するためにオタク文化にかかわっている」というものだ。

自分たちがアニメゲームマンガラノベを見るのはサブカルチャーの研究をやっているからだ。だから恥ずかしくない」と理論武装しなければ、好きなものにかかわることができなかった。

大学サークル棟や居酒屋で、現実に起きた現象アニメ作品をひたすらに絡めて、融合させて、一つの社会的事象としてとらえようと躍起になった時代だ。

具体例を挙げると、地下鉄サリン事件オカルトSF作品の影響を無理やりくっつけてトンチンカン批評を、朝生みたいにオタク同志で語り合ったものだ。

それを見ていたクリエイターが「いまのオタク作品も作らず、ただ批評ばっかりしてる」と嘆いていた時代。ただ楽しむではなく、「学問批評という行動によって、ただのキモオタブヒブヒ言う声ではなく、この作品社会に与える影響や、社会的意義がどんなものか、左翼思想合致するかチェックしている」という言い訳自分に用意した。

彼らは、何の理屈もつけずにオタク文化を楽しむオタクを「ダメな奴らだ。キモイあんな奴らと一緒にしないでくれ」と、さげすむ自意識を持っていた。しかし、オタク文化は好きで好きでたまらなかった。

その鬱屈した倒錯は、傍から見ればただの変態所業でありながら、それでも本人たちは大まじめだった。

左翼思想フェミニズム思想を身にまとい、あのコンテンツはここがダメ、あそこが左翼思想から見るとダメ右翼だ、女性差別だ、と言いながらアニメゲームマンガを消費したのだ。

かにも別の一派がいて、無理やり学問こじつけて、オタク文化を鑑賞し、「CLANNADは人生」とか「fateは文学」とか馬鹿じゃないのかという発言が飛び出すこともあった。ネット議論する際に「銀英伝」や「マブラヴ」で、政治を語り分析する人間ゴロゴロいた時代

あれは、「馬鹿」だったのではなく「そうすることが差別を避けつつコンテンツを楽しむ作法」だったのだ。


しかし、時代は加速した。オタク文化的にかなりの大成功を収めた。

オタク候補が30万票や50万票取って、自民党議員バッヂをつけてしま時代だ。民主系や、社民系ではなく、よりにもよって自民党である。確実に時代は変わった。それも劇的に変わってしまった。(オタク政治いか冷遇され続けてきたかは、それだけで10文字を超えるエントリーを書かねばならないが、今回は割愛する)

要するにオタクコンテンツ一般趣味として認められつつある時代になったということだ。

そうなると何が起こるか?

いちいち思想アニメを絡めて面倒くさい批評を書くよりも、萌えキャラがなんか頬を赤らめて「ばか」とつぶやくSS漫画twitterにあげるほうがRTいいねが数万単位で跳ね返ってくるようになった。

このアニメリベラル思想に対して間違っていないか、とか考える面倒くさい学術オタよりも、SNS萌え絵をアップして焼肉画像を上げてる大学絵師のほうがよっぽど尊敬を集められる時代になった。

いまの時代萌え漫画を読んだり、コミケに行ったりする程度で、「あいつはキモイオタクから石を投げよう」みたいなやつはかなり減って、大勢オタクである公言できる時代になった。これは若い人達ほど顕著である他人にどうみられるかを一番気にして、自意識をこじらせる男子高校生女子高生たちが、人前で、FGOだのアイマスだのバンドリだののアプリイベントを周回している時代だ。

オタク差別から逃れるためにくだらないうそをつかなくてよい時代が来た。

しかし、この時代はある一部のオタクたちには実に生きにくい時代になった。オタク趣味低俗だ、腐敗してる、萌えなど女性差別だと繰り返しバッシングしながら、それでも萌えアニメ恋愛ゲームを消費せずにはいられなかったオタクたちだ。これには女子も含まれる。女子でも乙女ゲーとかそっち系のほうは「恥ずかしいもの」としてバッシングされた過去が間違いなくある。腐女子を恥ずかしいものとしてとらえてバッシングしたのは、「そういう意識が高い系のオタク女子オタク」だったし、「腐女子の中でも様々な争いがあった」ことは間違いない。

「お前らがキモいから差別されるんだ」というわけだ。

彼らは、同胞オタクを常にバッシングしてきたせいで、オタクにもたらされた「自由オタク文化を楽しむ」という時代に参入できない。今更「実は俺も萌えキャラ大好きなんだよ~! バンドリ周回してる! アイマス最高!」とか職場人間に言えない人生を送ってきてしまった。

ネット空間においてさえ「こんなもの女性差別だ。左翼思想の面から許容できない人権侵害だ。オタクオタクダメにした。オタク社会を俺が浄化してやる」ぐらいの発言をしてきた人間だ。

彼らもこっそりオタク文化を楽しんではきた。しかオープンに楽しむなんてことはできなかった。それが許される時代が来てもできない。

からこそ、全力でオタク文化が一般になるのを阻止しなくてはならない。

そうでなければ自分のゆがんだ自意識が、ただの卑屈さの産物であると認めなければならないからだ。

林原めぐみ作詞した歌詞のように、ドタバタ前向きに差別を恐れずに自分肯定しながら生きていくということができればどんなに良かったろう。

しかしそれがいまだにできない。あの時代えげつない苛烈さ、報道政治も、だれもオタクを守ってくれない。その時代ゆえの後遺症だ。


彼らの学歴はかなり高い。社会的地位も相当ある。

だいたいは左翼的なシンパシーを持ち、左翼思想自分を固めてきた。

左翼思想フェミニズムが、彼らをオタク差別から守り、他のオタクと異なり特別たらしめている自意識だ。

それを用いて、オタクだとカミングアウトするのが明らかに不利益しかならない時代を、何とか生き抜いてきた世代だ。

必死左翼理論自己演出で、オタク差別されないように自分を防御してきた世代だ。

世の中のオタク表現を常に探し、「これは左派思想合致しないか規制すべき」とオタクバッシングするのは、「自分キモオタとは違う良いオタクだ」と差別を逃れるために左翼思想を選んだから

しかし、それがもはや無用時代になっても続けている。

若い人たちは彼らを見たら、「こんなことをしなければ生きられなかった悲しい時代があったのか」と思ってほしい。

「好きなものを好きというだけで多大なリスクを払わなければならなかった時代」があったことを少しだけ思い出してほしい。


追記 確かに主語が広すぎたと反省している。ただ、はてなとかで率先してオタクを叩いてるひととかはに、かなり当てはまるのあるケースだと思っている。

2019-10-28

宇崎ちゃん献血ポスター問題への私のお気持ちの表明

私(男性自身現在お気持ちの整理です。

漫画アニメ作品は好きなものが多い。ただ宇崎ちゃんは読んだことがない。男性向けR18エロコンテンツは実写も漫画イラストゲームも嗜む。おっぱいに貴賤なし。

セクシャルハラスメントジェンダー問題には関心はあり、マイノリティ弱者とされてきた人達へは大きな配慮必要だと思っている。

ポスターの絵は、おっぱいを強調してるなと感じる。その点で、私はエロい要素があると感じる。

 ただしそのエロいと感じた要素は、公共空間にあっても私はあまり気にならない程度。実在モデル2次元モデルかは関係なく。

 だけど献血ポスターとしてはちょっと攻めてるかもなーとも思った。嫌悪感不快感を抱く人もいるだろうなと容易に想像できる。

ポスターの宇崎ちゃんセリフは、本人とセリフ対象センパイ)の性格関係性が許容されている作品なんだなと私には想像できた。

 ただ目線ポスターを見る人(私)を向いていることもあって、上記のような想像ができても自分が煽られてるようにも見えて正直イラッと感じた。

 宇崎ちゃんセンパイ性格関係性をあまり想像しない人・想像することに慣れていない人なら、もっと不快に感じる人がいてもおかしくないかなと思った。

上記の絵・セリフに感じたことは、ポスター自体があまり目に触れないようであれば、私はあまり気にしなかっただろうと思う。

 一方で、献血公式キャンペーンとして採用されたという点で、強い嫌悪感不快感を覚える人たちがある程度いるだろうと想像もできるし、

 その感情不思議ではなく共感もできる。ただし、共感=同感・同意ではない。そういう感情を持つことを理解でき尊重したい、という意味

 また、嫌悪感不快感を感じた人達が、感じたことを表明することも尊重したい。耳を傾けた方が良いと感じる主張も多いと私は思う。

 ただ、規制撤去を求めるような主張はもっと慎重になった方が良いのではないかと感じる。

・あのポスターキャンペーンに用いることが(環境型)セクハラに該当するかは、セクハラに限らずジェンダーハラスメントに関する問題議論が多く挙がる現在

 許容できる人・否定的な人・中間的な人など見え方が様々に広がってるのかなと想像して、線引が難しい時期なのかなと感じる。だからこそ問題化したのかなと思う。

 最終的には、献血運営主体である日本赤十字社自主的判断を私は尊重したい。

建設的な議論は大いにあって良いと思う。双方が相手側に耳を傾ける、という前提において。

以下、もうちょっとかい点について。

・「おっぱいを強調している」ということに関して、巨乳キャラであることが問題化されているように私には見える主張もあるが、

 貧乳キャラであっても貧乳なりのおっぱいの強調というのはあり得ると私は思う。おっぱいを手で隠しながら恥じらう表情とか。

 なので、巨乳性的であると扱うことの是非という問題化の仕方は、ポスターへの批判側・擁護側どちらも問題を小さくとらえてるように私は感じた。

私自身はポスターの絵に対して、性的な要素を強調していると感じたこともあり、

 擁護側の中に「全く性的ではない」との主張をはてブコメントツイッターで見かけることがあるが、そう主張する全員が純粋にそう考えてるのか疑問を持ってしまう。

 これはおっぱいの強調という部分だけではなく、宇崎ちゃんの表情に対しても思う。 私はエッチな表情にも見えるなと感じる。

ポスター批判批判する人(≒擁護、と言っていいのかな)の中には、今回のポスター自体問題フォーカスを当ててる人達だけでなく、

 ポスター批判の中でも特に目立つ弁護士氏等に対して、他のセクハラジェンダー問題への言及との矛盾批判する人達もいるように見受けられるが、

 はてブコメントツイッターの短文中ではどちらにフォーカスを当ててるのか私には一見してわかりにくく、よく両者を混同してしまう。

 結果として「このコメントの主張は無理があるんじゃ…」と混乱して噛み合ってないように感じることも多い。

あくまでも個人的な印象に過ぎないけど、議論が長引くにつれ、

 「相手が折れることはあっても自分が折れることは無い」と強く思っている人達の声がより目立つようになるのかなと感じる。

 中には自分が折れないためことを正当化するためにより主張を補強したり、相手を責める隙を見出すことが目的化してるように見えてしまうことも私にはある。

 ちょっと話題から脱線気味になるけど、今回の問題に限らず様々な社会的政治的問題でもよく見られる光景だと私は感じる。

2019-10-27

センスコンテンツ

ジャンルわずエッチ漫画が好き。

多分あの弁護士が見たら発狂してモンスター化してしまう。

エッチ漫画に限った話ではなく、良い作品を見つけるにはセンス必要で、沢山漫画小説映画等を読んだり見たりしているからといって良い作品を知っているわけじゃない。

このセンスを磨くには作品の好きだった所を書いてちゃん言葉にして覚えておくこと。

話のあらすじを説明できるのとはまた違う感覚なのを気付いていない人が恐らくセンスが無いような気がする。

ここはまだ何の根拠もない感覚的な意見なので変わるかもしれないけど。

話は変わって2次元キャラクター性的なことを嫌悪している人達のこと。

嫌味ではなくそういう人達アニメ作品や、成人向けのコンテンツを作ってもらいたい。

どんな作品になるのだろうか。

特に性的表現キャラクターに敏感な人が作る成人向けの作品が気になる。

男性器(ペニ)を女性器(マン)に挿入する所は暗喩を使って間接的に表現するのか?

大変興味があるので作っていただきたい。

2019-10-18

性的かどうかはしらんけど

原作知らないので、人を馬鹿にしたような顔で「センパイ、まだ献血経験なんですか?ひょっとして注射が怖いんですか?」とか煽られるのは不快

セクハラとかじゃなく、単純にそれで献血に行こうと思わない。

安易アニメコラボ短期的にはファン献血利用が増えて好影響はあると思うけど、

この漫画アニメ作品の文脈を知らない人から見れば「なんなのこれ?」って感じの印象を持たれてしまうと思うので

単純にアニメキャラを利用した広告は、安易に使うのは効果の面から疑問。

2019-10-17

anond:20191017185949

多分、弁護士の方がここで問題にしたいのは『』の部分だけだ。献血を促すこと自体文句を言っているわけではない。ポスター採用されたキャラクターの造形に問題があるという話で、漫画アニメ作品採用されることに不服があるわけではない、と思いたい。このていで話を進める。

以降の発言全部、この前提が間違っているか無意味だよ。

献血ポスターに憤る人たちへ

献血ポスターに憤る人たちへ

献血ポスターイラスト問題が、連日タイムラインを賑わせている。私のタイムラインでは大元ツイートは流れてこなかったが、オタクオタク献血賞賛し、"環境セクハラ"をこき下ろすツイートがちらほら見られた。シンプルによくわからん、と思った。私自身もオタクから人のことを言えないのかもしれないが、オタクオタク賞賛するのが好きすぎる。献血は確かにえらいが、そんなに過剰にオタクだけ褒めそやすのはどうなのか?それにセクハラは色々な問題を抜きにしてもまず透明化したらダメなのでは?とさまざまな思いが巡り、このオタク献血賞賛ムーヴがどこから来たものなのか調べることにした。

先に結論を述べておくと、「二つの議論を一緒くたにして考えるからダメなのだである

この一文だけで察してくださる方もたくさんいることだろう。そんな方にとっては、以下の文章にさして内容はないと思う。煮るなり焼くなり好きにしていただきたい。

さて、今回の件の発端となったのは、恐らく弁護士のこの方による引用リツイート

https://twitter.com/katepanda2/status/1183729350207623169?s=21

渦中のポスターは、漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」のヒロイン、宇崎花ちゃん献血コラボキャンペーンポスターである

文字通り絵に描いたような爆乳で困り眉の女の子が、挑発するような台詞・表情で』献血を促している。

多分、弁護士の方がここで問題にしたいのは『』の部分だけだ。献血を促すこと自体文句を言っているわけではない。ポスター採用されたキャラクターの造形に問題があるという話で、漫画アニメ作品採用されることに不服があるわけではない、と思いたい。このていで話を進める。

話は変わるが、Twitterランドスラム街である。日々クソデカ主語極右極左クソリプパクツイデマツイお気持ちマシュマロと戦うオタク諸君はこのあたりよくご存知のことであろう。こんな環境で、果たしてまともな議論ができるだろうか?できるわけないのである揚げ足取りは腐るほどいるし、文脈が読めないまま発言の一部のツイートけが一人歩きしたり、過激思想を持った影響力の強い人々が発信する偏った意見が多くのRTいいねを獲得していたりするのだから。一つの議論をまともに話そうというのがそもそも無理な話だ。

ここで話を戻そう。

先のツイートは、一見すると問題提起に見えなくもない。いや、そのつもりがあってしているのかもしれない。この弁護士さんはフェミニストの方々の間では有名な方だと聞いた。だとしたらこの方の主張は、『環境セクハラ配慮しないポスターを貼るのは無責任だが、日本環境麻痺していてそれを問題にする人もいない』であろうと思う。

環境セクハラと言っているものそもそも微妙意味が違う気がする(気になったら各自調べてください)のだが、今回のを要約すると"生きているだけで目に(女性が客体である)性的イラストが目に入ってくる"というところだろう。

私はこの主張にのみ関して言えば、議論されるべき問題であると思っている。女性身体の過度な客体化とアニメ文化が密に結びついた日本では、驚くほど性的アイコンが強調されたイラストがそこら中にあふれている。性的アイコン巨乳とか服の上からでも分かるマン筋とか、困り眉赤面涙目とか、濡れてんのか?みたいなピタピタの服によるわかりやすいボディラインとかそういうものである。生きていれば上述のアイコンの何かしらを目にしたことがあるだろう。それこそ都会ならば場所や時を選ばず、どこにいても見られる。コンビニエロ本撤去が少し前に話題になったが、あの区画に限らず様々な場所にあの手のイラスト漫画があふれているのだ。意識して見てみるとわかるが、そのイラストに感じる独特の「気持ち悪さ」はよっぽど理解がないと感じ取れないかもしれない。それだけ、この国の女性客体化思想は深く深く根付いてしまっている。

とまあこんな具合に、この問題一朝一夕140字ちょっとでは到底語りきれない深刻な問題なのである。そして悲しいかな、今回の件について、この文脈議論を展開している人はあまり見られない。

萌えアニメキャラ献血ポスターに使うのの何が悪いのか?」

オタクの血はいらないということか?」

セクハラだかなんだか知らんが献血量が減ってないならなんの問題もないし知ったこっちゃない」

コミケでのオタク献血の貢献度を知らないのか」

「我々はオタク献血で命を救われた。オタク献血に行くことのなにが悪いのか」

表現の自由がないじゃないか

こんなもんであるそもそも論点がズレていることに、一体この話題に参加したオタクの何人が気づいているのか。指摘しているツイートも少なからずあったが、そちらはバズらずじまい。なぜだろう。原因はわからない。

そもそもこの問題の要点は『性的アイコンが強調されたポスターセクハラだ』であり、『オタクが悪い』『アニメキャラ(クソデカ主語)はポスターに相応しくない』とは誰も言っていない。誰も言っていないのに、勝手オタクの好きなもの批判された、こき下ろされた、エログレーゾーンアニメキャライラストを全て規制しろということか、表現不自由だと逆ギレしているのである

何故?これもわからない。表現の自由が誰かを不快にするのを厭わず行われるべきだというのなら、なぜ「表現不自由展」はあんなにバッシングを受けたのか。人に不快感を与えるという点でそこに上も下もないと思うのだが。

結局日本右寄り日本男性視点優先の社会構造が浸透しすぎており、女性視点気持ちはほぼ透明化されているということなのであろうが、このあたりは話しだすと論文一本じゃすまないので今回は割愛しておく。右寄り日本男性というカテゴリー微妙なところだ。男性というだけで生きやすい国なのだ、ここは。

一方で、もし発端の弁護士の方にアニメキャラ全般こき下ろす意図があるとするならば、それはそれで問題である。過度なミサンドリーという点でもそうだが、このご時世、アニメイラストというだけで拒絶反応を示していてはキリがないし、正当なフェミニズム思想反論材料にならない。アニメイラスト不快、というだけでは「個人問題」になってしまうのだ。とにもかくにも、今回の件は議論にするには材料や前提となる問題提起の部分が弱すぎた。

長々書いたが結局のところ、今回の騒動

性的アイコンが強調されたキャラポスターが誰にでも見えるところにあるのは不快だしハラスメント

ポスターアニメキャラ採用されることはなんの問題もなく、それを規制することは表現の自由侵害である

という二つの問題がごっちゃになったまま拡散され、憤るオタクたちが様々なツイートをし、歪みに歪んで広まったというわけである。繰り返すが、誰もオタクダメともオタクの血が不快とも言っていない。だから「女は献血への貢献度が低いくせにごちゃごちゃ言うべきではない」とか、「巨根男性ポスターについてたら男は嫌だろ?」とかはまた全然別の議論を立て直さなくてはいけないのだと思う。このあたりはミソジニーミサンドリーが混ざりすぎて本来目的を失っているようにも見える。個人の快・不快ではなく、議論フラット目線で行いたいものだ。私自身それができているか甚だ不安ではあるが、特大スラム街Twitterにいるともう何が何だかからない。そしてその辺りを踏まえて、発端の方のツイート個人の快・不快帰結するものかどうかについても、議論すべきかもしれない。私は社会全体の問題だと思うけれど。

ついでに今回の問題をこねくり回したツイッターの人々を十把一絡げに「オタク」と言ってしまったが、これも本来良くない話だ。まさにクソデカ主語。目につくツイッタラーが皆オタクに見えてしまうのは、ツイ歴五年になるクソオタクこと私の決定的に良くない点である反省

さて、散々色々とりとめなく書いたので、このあたりで渦中のポスターのメインキャラについてもひとこと。

失礼ながらタイトルも知らなかったのだが、「宇崎ちゃんは遊びたい!」はTwitter発の漫画作品らしい。現在ニコニコ静画などで連載しており、コミックスも三巻まで出ているようだ。以下あらすじ。

一人でいることが好きな先輩を「ぼっち」扱いするウザい後輩が絡んでくるドタバタラブコメディ。非日常的な要素はなく、基本は主人公ヒロインを中心に大学での青春を描く。

ヒロインショートカット巨乳八重歯、~ッス口調、アホの子というキャラクター性を持つ。ただし他の女友達と過ごす時や独白では標準語で話す。(Wikipediaより引用)

清々しいほど分かりやすオタクの好きなやつである。私も好きである属性は盛りすぎてもいけないが、あって悪いことは一つもない。かわいいことはいいことだ。こんな後輩欲しかった。いつか思う存分揉めると、その柔らかい触り心地を夢見て大学生活を送りたかった。

この宇崎花ちゃんは今回なにも悪くない。だから過剰に擁護すべきでも、過剰にディスる必要もそのいわれも全くない。じゃあ誰が悪くて、なにがいけなかったのか。今回の話はこのあたりが議論されるべき点だったと思う。そしてすでに意見を述べている人々は、反対意見の人々の意見も詳しく聞いてみるべきだ。

最後に、今回の件で一つ良かったことがあるとすれば、献血に興味を持つ人が少なからず増えた点ではないだろうか。結果的に宇崎ちゃんポスター本来目的を大幅に逸れて拡散され、献血を広めることになった。そして宇崎ちゃんの読者もさらに増えたことだろう。よかったね。

献血人類のために必要不可欠な活動であることはわかっているつもりだし、今更その重要性について語る必要はないだろう。ツイッタラー各位は特に、今回の件で献血に救われた人間の話をたくさん見たことと思う。私はウッキウキカントリーマアムをもらいムシャムシャ食べながら献血を待っていたら、ヘモグロビンと鉄の量が足りず献血ルームから追い出されてしまったが、今後も献血をする人が増えるよう祈るばかりである

キモオタクより

2019-10-04

anond:20191004094216

ラピュタに限らず、世の中のアニメ作品に出てくるのはほぼ100%美男美女キャラでしょ。

そのモテテク通用するのは「ただし美男美女に限る」からに決まっている。

2019-09-24

友人と趣味について語り合うのがしんどい

仲のいい友人と趣味作品について語り合うのがいい加減もうしんどくなってきた。

大学入学当初から仲良くしてる子で、お互いに同学年で休日に遊びに行くような深い仲で付き合えてる子はその子にとって私しかいないし、私にとってもその子しかいない。(1年前まではもう一人合わせた3人で仲良くしてたんだけど、一人が大学やめて音信不通になってしまった)

もともとお互いにアニメとかが好きだったこともあって仲良くなった子で、入学当初は彼女オススメ特撮作品を観て私がハマったり、逆に私が進めたアニメ作品彼女がハマってくれたりと楽しく一緒に作品を観て、それについての語り合いをしたり、オススメ作品の紹介等で盛り上がっていた。

ただ、2年生になって、例の子音信不通になった辺りからだんだん話が弾まなくなってきた。好きなものジャンルこそ同じだったものの、細かいところで趣味が合わない私たちは徐々に会話の雰囲気が前のように明るいものから、二人して言葉を選ぶようになった。

そもそも私はあんまり作品について感想をいうのが得意じゃないし、「すごくいい!」と思っても長々と感想を言えるタイプじゃない。だから、具体的な感想を求められると困ってしまう。

彼女結構目の付け所が独特で、それ自体彼女のすごくいいところだと思うんだけど、彼女の独特な感想は私には正直ピンとこなくて、彼女感想を聞くことも苦痛になってきた。

そうこうするうちに、私の趣味結構変わって、私が以前おもしろいと思っていたジャンルのものに興味がなくなってしまって、もうすでに彼女オススメは観るのすら面倒になってしまった。

最初のうちは我慢して観ていたが、ある時から彼女オススメを教えてもらってもその場でタイトルを聞き流して観なくなってしまった。彼女はすごく不本意そうだったけど、正直私はもう彼女とは趣味も合わないし、彼女自身、私が好きなものにピンと来てなさそうだったこともあってお互いに映像作品について語り合うのはやめたかった。

まだ、彼女自分の好きなものに対する批評批判を聞くのが嫌いなタイプじゃなければ彼女の好きなもの批判したり、逆に私が好きなもの彼女批判を聞いて会話を弾ませることができたんだけど、彼女自分の好きな作品マイナス批評を見ても、「この人、わかってないな〜」としか思わないらしく、あまりその手の話で盛り上がれないことは明白であった。(ちなみに私は好きな作品批判を観るのは割と好きなタイプだ)

それでも彼女は今でも新しく色々と作品オススメしてくるし、私が最近見た映像作品感想をせがんでくる。

彼女は私がどうでもいい世間話をするとあからさまにつまんなさそうにしている、そして次には好きなものについての話をしたがる、でも、私はもうお互いのために好きなものについて語り合うのはやめたいんだけど、どうしたらいいんだろう。

2019-08-15

anond:20190815150741

ネガティブなことはあえて伏せておいて、お互いの芸術作品で協力できるといいのにね

韓国平和少女像日本アニメ作品をそれぞれ出品して国際芸術祭やれないか

anond:20190815122125

少年少女グループの性比も確かに現実的作品が少なくないが

そもそも田舎住民を充分にかき混ぜた状態ランダムに選んで主人公に据えるとき、 それが若年層である確率は実際の田舎の年齢層からすると低いはず

だのに田舎舞台としたアニメ作品主人公は若年層が多く、作為的政治的不正義な人選をしていると考えられる

もっとちゃんちゃん主人公になる場合が多いはずだ

若い子が主人公だったとき、その友人も若年層が多めになることは条件的確率を考えると異常だとも言えないが

2019-08-05

コンカフェバイトって実際どーよ

ま、コンカフェバイト考えるような層はこんなとこ見てないだろうけど。

給料

普通バイトよりはいいが、ガールズバースナックに比べると低い。

とにかく稼ぎたいだけならコンカフェよりそっちをおすすめする。

労働時間

シフト制で出勤日数や時間の融通はききやすいと思う。

そのかわり休憩時間本来つけなければならない準備、後片付けの時間の時給の付け方は甘い印象。

夜遅くどころか朝方まで営業している店もあるので、自分生活スタイル普段の体調に合わせて選ぶ。

特に早朝まで営業がある場合想像の何倍も体力的にも客層的にも酔っ払いが多くてしんどいものがあると思うので、ほんとに良く考えて。

夜弱い人はもちろん、メンタル弱かったり体調崩しやすい人はほんとにほんとに良く考えて。

客層

当たり前だけど男性が多い。

2~30代が多いけどそれ以上も普通にいる。

女性は20代の若い層が多い。

 

”コンセプト”にもよるがどこの店もアニメ漫画オタクが大半だと思う。

普段オタク自分の話を聞いてもらえないので、話したいタイプの人が多い。

でも自分から聞いてくれなんて言ってくるコミュ強客は少ないので、その話したいことを引き出すのはこっちの仕事

好きなものを勧めたい、よりは語りたいの方が強い人が多い。(=知識が求められる)

 

メイド系の客は自分をご主人様だと思ってるので上から目線で変わった客が多いイメージ

メイドやったことないから知らんけど。

キャスト

年齢は18~20代。

学生・昼職と掛け持ちの人もいれば一本の人もいる。

オタクが多いので性格面は多少クセのある子がいがち。メンヘラもまあいる。

顔面ピンキリ。でもまあバケモノレベルの子はさすがにいない。

 

ノリは店による。

自分にどういうのが合うのかは実際行ってみないとわからないと思うので行ってみるべし。

もし見学できるなら、個人的には営業中よりも営業外でキャストがどういう話をしているのかに注目してほしい。

たとえば営業終わりにその日見つけた反省点や思ったことをそれぞれ言い合えているならキャスト関係良好だと思う。

逆にお客さんの悪口大会が始まったり誰か一人のワンマンだったりすると良い店とは言えない。

 

趣味(好きなアニメ作品とか)が合うキャストが多い所は働きやすいと思う。

から特撮好きなら”特撮バー”とか、特化型の方が楽しく働けそう。

広く浅くタイプなら逆に”アニメバー”みたいにだだっぴろいコンセプトの方がいいかも。

運営

ちゃんと見極めないとヤバイ

給料未払い、オーナー飛んで行方不明、客が入らず突然の閉店、よく聞く。

しかもそういう店に限ってろくなキャストがいない。

まあ姉妹店があったり何年も続けてたりホームページちゃんとしてたりするところはよっぽどのことがない限り大丈夫だと思う。

新規店でオープンメンバーとして働きたいなら頑張って見極めて。としか言えない。

求められるもの

店によってどれを最重要視してるかはもちろん違う。

 

顔面メイクしてまあまあかなって程度あれば大丈夫。自信ないならメイク濃くしても違和感ないコスプレ系がオススメ。まあかわいけりゃ可愛いほど良い。

スタイル普通体型くらいなら全然OK。それ以上のデブぽっちゃり店にしな。

性格接客なのでテンションの高さが大事

トークスキル普段コミュ障でも問題ないけど店に立って会話できないならまず無理。ある程度会話できりゃとりあえずは大丈夫

酒:飲めるなら飲めるだけ良い。かといって飲めねえなら諦めろってことでもない。

趣味:やっぱアニメ知識は多少あったほうが良い。さっきは趣味の合う人がいる所が働きやすいって言ったけど、お店側としては幅広い層をカバーするためにそれぞれ違うタイプの子を求めてる。

その他:個人的には礼儀一般常識大事だと思うわ。

ぶっちゃけ人気が出るのってどんな子?

可愛い子は可愛いだけで存在価値があり、”推し”のお客さんも増える。

顔面かわいけりゃトークスキルなくても酒が飲めなくてもある程度人気出ると思う。

 

ということは、突出して美人な訳でもないけど人気のあるキャストは、トークスキルがあるか楽しくお酒が飲めるかのどっちかだと思ってる。

 

まあでも、コンカフェで”推し”という概念が強い店はオススメしない。

接客しづらいことこの上ないし。

メイド系はお気に入りキャストっているかもしれんけど。

その他

イベントだるい

辞めるのも普通バイトと違って個人大事になってくるので卒業営業があったりする。正直めんどい

からそっとフェードアウトしたい、いつでも辞めれる環境にしておきたい、なら振り出しに戻るけどガールズバーとかキャバかにしとけと思う。

ガールズバーにも店長クラスじゃなくても卒業営業あんのか?知らんけど。

大体こんなもん?

2019-08-04

山田太郎ヘタレなので何の役にも立たないとわかった

今回の事件でわかったことは、山田太郎は公金が投入される事業自民党政治家が難癖をつけても守ってくれないヘタレだということ。

今後、自民党大物議員からこういう意見が出ても、山田太郎事態を静観してすべて終わってから毒にも薬にもならないコメントTwitter投稿しておしまいだろうね。

2019-07-19

放火した動機宗教戦争かと思ったら違った・・・

被害に遭った場所京アニから作品の内容を巡る紛争だと思っていたけど、小説パクリが直接的なトリガーだったのね。

京アニ作品内のキャラクター同士の恋愛面のマッチングであったり、そっち方面だと思っていたけど。

アニメ作品熱狂ファンや筋金入りアンチが絡んでいる事件ではなかったみたい。

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