はてなキーワード: 富野とは
ガンダムは戦争賛美ではないと言ってる奴こそ「見てないんじゃないかな」と言うべきだろう。
「戦争を描いちゃうとどうしても格好良くなっちゃう。ロボットも本当は格好良くなんてしたくないけど格好良くなっちゃう。キャラクターに戦争反対をいくら口にさせても見た目が格好いいから結局戦争賛美みたいになっちゃう」って
格好いいメカ同士の戦闘を描こうとしたらその時点で絶対に戦争を賛美することになる。
それを「ない」と言い張るやつの言葉はもう一切合切信用しなくて良い。
持論が先に存在してそこに都合の良い確証バイアスをかき集めることに必死なだけで、結局何も考えず何も語ろうともしてないのだから。
なんで鬱展開がオタクに嫌われるかって
エロゲで「こんな客を無視した展開できる俺らまじクリエイタ~」みたいな
ただこれが出来る俺ら凄いだけで生み出された数々の無意味鬱展開があったから
例えばアベンジャーズインフィニティ・ウォーはヒーロー負けてガモーラ殺されて人間50億人ぐらい殺されて終わって一年以上続きが見れない超クソ鬱展開だけど、
だからこそものすごい気を使ってやって、次回作は超明るいアントマン2だったり超無双映画のキャプテンマーベルだったりするのよ
そんでEndgameでは開始20分ぐらいでサノスぶっ殺して復讐完了するスピード展開っぷり、そーいうアフターケア、鬱展開にしたからこその超楽しいお話を後でやるから、物語の“谷底”が成立するんだけど、
日本のアニメ業界、そういうことを一切せず、ただ急に鬱展開にすりゃシリアスになってすごいみたいな
無責任で無意味で、ただクリエイターがこれが出来る俺らまじサブカルチャー作ってるぜ~みたいな、意外性以外感じられないクソみたいな鬱展開をいろんなアニメでずーっとやり続けて、
だからアニメで鬱展開が始まると、エヴァとか富野とか影響を受けたアニメとか、エロゲアニメみたいな、あっこのアニメ何も考えずに鬱展開初めた、あーあーこの後何も考えずに適当につまんない話が続くなーってわかっちゃうわけよ
だから鬱展開は嫌われる
信用がない
アヴェンジャーズインフィニティ・ウォーが成立したのは、10年と20作品という“信用”があったから成立したわけよ
なぜ日本のアニメ業界で鬱展開が嫌われるかって“信用”が無いから
それ程に90年代~00年代で鬱展開を多用し無責任に放り投げた実績がある
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D4プリンセスとか、明らかにシリアス展開を見たいと思って見てないのに、
Wind -a breath of heart-はなんか急に鬱展開になってテレビ放送終わったからな
ナメとんのかってマジで思った
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富野由悠季に影響を受けたのか
エヴァに影響を受けたのか
あの頃はマジでアニメでクソ鬱すれば一流クリエイターの仲間入りや!
みたいなゴミみたいなやつがたくさんいた
そういうのを10年ぐらいやってたから
見るのやめよ
ってなるわ
そういう事散々やってきたのに
今更ちゃんとした鬱展開です!信用してください!とか
信用できるか
ほんとまじで、そういうクソ鬱が見たくてみてるわけじゃねぇのに
外道!祖母の死を有料記事にして稼ぐクズw #炎上 #もこう #コレコレ 暴露系YouTuber必至w - 玖足手帖-アニメブログ-
自分の親族の死をコンテンツにするグダちんってやつ。端的に言って気持ち悪い
はてブから姿を消したid:nekoraさん、今度はグダちんに粘着する。
かねてよりネトウヨ的中傷コメントをあちこちで乱発していたid:nekoraさんが、通報の甲斐あって強制プライベートモード措置となり、はてなブックマーク上から姿を見なくなって幾年月。
もはや「あの人は今」的なid:nekoraさんは何してたかというと、富野信者ブロガーのグダちん氏にブログで粘着してました。
id:nekoraさんと言えば有村悠にも同じような調子で一挙手一投足をネチネチネチネチと長年絡んでおり、有村に親でも殺されたのかと言わんばかりの粘着ぶりを見せていたが
グダちん氏と言えば親や同人仲間を自殺で失っている事で有名なんだが
幾らメンヘラでもそのグダちん氏に対して執拗な追い込みをかけるid:nekoraは端的に言ってヤバいんじゃないでしょうかと。
別に私が特別人望厚い訳ではなく結婚式は通常そんな感じだ。未婚中年の彼には縁のない話と思うなかれ。自称鬱の40代パラサイトシングルフリーター中年男と結婚する女性など居ないと考えるのは浅はかというもの。世の中にはイカレた変わった好みの女性は意外に居て、小学生無差別殺傷事件の犯人、宅間守ですら獄中結婚しているのである。さすがに殺人鬼の死刑囚に比べれば人糞製造機などまだまだ無害で可愛げがあると言えなくも無くも無いのではないかと思わないでもない。希望はある。
よくこんな事書けるなこいつ。
id:nekora さんははてなブログからライブドラブログに移ったけど、
まず大前提として「シャアが来る」はシャアのテーマ曲であり、歌詞的に一兵士(おそらくアムロ)がシャアと対峙して焦るけど何とか生き延びる…といったもの
───
アムロがシャアとララァの位置を察知、とりあえずシャアをライフルで狙い撃ちにしようとする。
なんとこの時、シャアはアムロに狙われてる事に気づいていない!
目の前で何か突然爆発(ビットがビームに当てられて爆発した)が起こったので「ん"っ?」と何も気づいていないシャアが富野カットインで映される
③退かないシャア
ガンダムの動きが前とまるで違う事に気づきながらも、なんか突撃するシャア
ララァは大佐が突撃する前に「引いてください」と忠告までしているが、聞く耳持たずといったところだ
結局あれってなんで今の俺達にとって不自然に感じるかっつうと破壊の規模が意外に小さいことなんだよな。
富野も安彦も最大の破壊は広島、長崎でそれ以上の本当の人類滅亡の破壊に関してはフィクションの世界だった。
馬鹿でかい質量をおとして主要国の首都を消し飛ばしても所詮は他人事だろと。
911とかウクライナを経てそれはある意味真実だったということもそうでもないこともあきらかになったわけで、これからのフィクションの作家はそれを踏まえて作らないといけないことになった。
シン・エヴァンゲリオン劇場版とかすずめの戸締まりとかで東日本震災をやっとなんとか消化できたわけだけど、これからはそれプラスこれなわけだ。
超一流はやりがいがあるっておもうのかな。