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2020-06-14

anond:20200614185914

こんだけ頑張って書いたんだからちょっとくらいイキってもいいですか?いいよ。

昨今のインフルエンサー概念興隆に伴って、SNS動画配信サイト情報発信啓蒙活動を行う人々は増えてきており、上っ面だけキラキラさせた目を引くようなサムネイル視聴者の下世話な感情に訴えかけるどぎついタイトルコンテンツバンバン打ってPVフォロワーリツイートチャンネル登録者再生回数稼いで私たちソーシャルメディアプロモーションドクターズは世の中をより良くしていってます!みんな応援してね!あっどうもどうもホニャララ医さん、ご無沙汰してますぅ↑↑↑↑↑いや〜あの動画めちゃくちゃよかったっすねぇ〜、なかなかバズっちゃってるんじゃないですか?そうだ、今度一緒にコラボ企画やりましょうよ、えっ!ホニャララ医さんってナンタラ医さんと繋がりあるんですか!?私あの人の隠れファンで、ええ、今度飲む時に紹介してくださいよぉ、ガハハハハワハハハハ、みたいな、大学卒業したのに部活動サークル活動内輪ノリが抜けきってないまま人前に出ちゃってますけど本当にそれでええのんかと思わされる医者も目立ってきていますよね。

もちろんこの人たちも半分趣味でやっているところがあるのでしょうし、予防衛生の概念ますます重要視されてきています。華々しいエンタメの裏側じゃないですけど、依然として厳しい状況におかれている病院現場では熱心に診療活動をされているのだと思いますしかし、どうも私には、彼らとrei氏のやっていることにあまり差異がないように思われるのです。(念のため付け加えておくと、こうした情報発信は私の領域ではない、私には私にしか解決できない他の問題があるという信念のもとに働いておられる方もいることは充分承知しております。)

理解能力に大きなばらつきがあるたくさんの人たちに向けて情報を送り届けるときに必ず立ち現れてくる、分かりやすさと厳密さのどちらに重きをおくか問題は、永遠にして普遍的課題でありますが、おもしろおかしくて覚えやすキャッチーコンテンツは瞬間的な消費には耐えたとしても長期的には多くの面で弊害を生じさせるのではないか、と私個人は考えています。ただでさえ医者は人々に対して権威的上流知識階級であるという印象を持たれているのですからあんまりにもあんまり情報発信批判しこそすれ、発信する側に加担してしまうのは、職業倫理よろしくないと思います医療従事者は自身潜在的パターナリズム意識的であるべきだ。迂遠な言い方になってしまいましたが、つまり、本職の医者積極的糾弾していくべきrei氏の文章をなんでただの医学生の俺が糾弾しているんだよ、おかしいだろ。だって2018年から存在しているrei氏のツイッターアカウントは6万フォロワー超えてんだよ、何個も何個もツイートをバズらせてて、しかも今流行りの発達障害に関するライフハック本をKADOKAWAから出そうとしていて、それで日本全国に30万人近くいる医者の誰も知りませんでした今初めて存在を知りましたって、んなわけあるか。6万フォロワーあるある芸人なんて全然有名人じゃねーよとおっしゃるのであれば俺は振り上げた握りこぶしをそっと下ろすしかないが。そりゃインターネット論客みたいな、能力が及ばなくてアカデミアにも進めずかといって地域根付くこともできなかったしょっぺえしょっぺえ小物を相手にするのは常識を備えたまともな大人がやることじゃないかもしれないけどさ、時代は少しずつしかし確実に変わりつつあって、インターネットに居場所を持つ人はどんどん増えてきてるわけ。そういう状況下で、いい加減なことを無責任に言い散らかすような存在無視しちゃいけなくなってきてるんだよ。自分医者として働いてて、患者が「僕チー牛顔なんで〜、モテないんすよね〜、やっぱ先進国の女はチー牛顔を求めてないし〜」なんて言ってきた場合、どっから説明したらいいか頭抱えちゃうでしょ?増田キレすぎワロタとか草生やしたり冷笑する暇あったらその廃用症の脳細胞に鞭打ってちょっとくらいは想像してくださいよ。こんだけ俺のパーソナリティを開示してるんだからさ。今のうちに意味不明な言説の芽は叩き潰す。そういう感じのモチベーションで書きました。ここまで言えばわかってくれますか?今のインターネットの、目も当てられないくらいの、情報汚染リテラシーの欠如、質の悪いコンテンツの氾濫、尊き価値創造営為へのリスペクトを失った盲目消費者絶望ですよ、絶望。あぁ、もうさ、これ書き始めたの土曜日で、そっからほぼぶっ続けで書いてたらもう日曜日が終わっちゃいそうなんだよ。このnote以外にも、頻繁にrei氏は論文を紹介するnoteを書いていたり他のアカウントにこんな論文もありますってリプライを送っててさ、もうやってらんないよ。どうしたらいいの?誰か教えて。

あーあ、柄にもなくID真っ赤にして怒鳴り散らしてしまった。もっと優しく温和な人間になりたいナ。そろそろ試験勉強に戻らないといけないので、それでは。

2020-04-22

anond:20200422191106

あなた自分の言ってることあんまり理解してないでしょ?

あなたが羅列したものの中でかろうじて進化に関連があるのは「家族の子育てに参加する個体」だけね。

血縁の子孫は当然自分とも遺伝子を共有してるわけで、その子孫の適応度を高めることに協力するインセンティブがあるし、血縁者の繁殖に協力する遺伝子が生き残る可能性はある。

でもその説で行くと「生殖も巣立ちもしない一人っ子」はホントになんの存在意義もないことになるけどいいのか?(笑

生殖も巣立ちもしないおじさん・おばさん達、甥や姪の成長をサポートするために自分独身でいるのね。だから結婚しないんだ。スゴーイ(棒

  

そのほかはホントに出鱈目の数珠繋ぎで呆れるわ。なんかもっともらしい単語意味理解せづにくっつけてるだけだろ。

種内競争活性化で同種の生き物の淘汰圧進化に関与してる?なにそれ?その理屈ちゃん説明できる?

次世代に生き残る個体にとって、同種の他個体は他種の競争者やその他の環境要因(気候、植生、捕食者・獲物の密度等)と淘汰圧として何の違いもないぞ。

したがって「種内競争(者)」の存在進化の方向に何らかの影響を持つと考える根拠は何もない。

生殖しない個体自身に至っては次世代に残らないんだから当然進化に何の影響もないぞ。

  

そもそも進化というのは、生き残り・生殖成功した個体の子孫の頻度が世代を追って高くなるという現象であり、そこには「何かを生み出す営為」も「意味のある "Trial and Error"」もまったく存在しないぞ。

結果として「生き残った者」も「その他大勢」も単なる結果であって、「進化」や「その他大勢」が「適者」を生き残らせようと意図したり、生き残らせるために存在したり、生き残らせる役に立ったわけではないし、進化が適者を生み出すための Trial というわけでは絶対にないぞ。

生き残るべくして生き残った個体は、たとえ「その他大勢」が全く存在していなかったとしても生き残っていたぞ?なぜ「その他大勢」に意味があると言える?

「その他大勢」はただ存在したという事実があるだけで、どこにも意味はないぞ。

まるで「進化」や「その他大勢」に意味があるというようなセンチメンタリズムは見当違いで、進化というものに対する誤解を助長するだけのものだぞ。

anond:20200422160753

生殖しないまま死ぬとしても、群れの中で子育てに参加する生き物だっている。たとえば狼の群れは家族生活して、結婚してない年長の兄、姉みたいな存在もいるんだよ。そういうわけで、彼らは明らかに次世代再生産」に関与してるよね。また、たとえ「一匹狼のはぐれ者」であっても、種内競争活性化させることで、次世代生産をする他の同種の生き物に対して淘汰圧として関与する場合だってある。進化に関与しないとはとうてい言えない。

そもそも進化自体が、多様性の中における「適者生存なのだから、「万の無駄打ち」の上に「一つの当たり」を生み出す営為だ。結果として適者とならなかった「その他大勢」も、種としての膨大なTryErrorの一つであり、意味のある存在だよ。あなた意見は完全に的外れだ。

2020-02-16

anond:20200216141132

このシリーズ個人的に辛かったのは以下の事柄

テレビ

テレビが何かわからない。いや、わかるんだけど、例えば古いテレビと今のテレビ全然形違うじゃん。

昔のテレビの足はなぜ四つ足ですらっと長いのか? 昔の真空管や配電の機械ってとっても重い。それをすらっとした木製の四つ足で支える意味がわからないし、薄型で軽量になった今こそ細い足で支えるべきなのに、実際にはどっしりとしている。

そして大抵テレビというと番組付属する。「テレビ見る」はテレビを見るという意味ではない。テレビ番組を見るということだ。そしたらテレビテレビではない。ではテレビはなんなのか? そして、今はパソコンスマホテレビ番組見るんだが、私たち営為としては「テレビを見る」という営みと質的差異はない、あるいは少ない。わけがからなくなって俺はテレビ朝日を見る、とかネットフリックスを見る、永谷園CMを見るとか、かならず具体的なものをさすように言語表現するようになった。

手書き

これの意味がわからない。手で書く、という意味はわかる。一般的には印刷を用いないで書くことだろう。

ところが、たとえば砂浜に尖った流木で書くのは手書きか? 指で砂に字を書くのは手書きか? と考えるとわからなくなってくる。この二つ、似てるけど営みとしては異なる。

前者は流木書きで後者手書き(あるいは指書きといってもいいかも)とするべきで、そしたら鉛筆ペン文字を書くことはは手書きじゃないんじゃないのか。より手で書きうる手段があるのに手書きってのはおかしいんじゃないのか。

筆で書くことを手書きというか? 多分いう。文字だったら。抽象的な前衛書画は?

パソコンは手で打っているか手書きじゃないのか。この文字は俺の手で書いてる。

もう手書きという日本語は全く信用ならなくなってしまい、仕事では、手筆を以ってする、ゲルインクで書いた書類atok作成した文章みたいな日本語表現している。

印刷物の校正は頭がスッキリする。手書き校正メモ、と、印刷された本文、とは意味合いとしてスッキリ弁別されている。仕事がわかりやすい。ずっとやっていたい仕事だ。

2020-01-27

なんで俺たちって必要以上に犯人探ししちゃうんだろう

武漢の新型ウイルスニュースを見ていると、新種の病気なんだからある種どうしようもない部分がある。

だけれども、すぐに中国対応日本対応、あるいは特定為政者風邪をひいてしまった特定の誰か、旅行者悪者にして語りがちだ。

感染はただただ自然営為だが、そこに過度に人間責任があるように語られる。

もちろん対応の中でやっちまった人もいるかもだが、そんなものネットで論ってもしかたがない。防疫に直接はなんらも寄与しない。

と頭で思っていても、ついつい「こいつ何やらかしてんだ」みたいに心では思ってしまうところがある。

ネットに書いたり煽ったりはもちろんしないんだけど。

こういう心理の持ち方を改善していくにはどうしたらいいんだろ。

2020-01-16

すぐに元に戻さな

消しゴム落としても拾わない

学生時代消しゴムを机からよく落としていたのだが拾わなかった。

なんでかというと、文字を間違えたら拾えばいいわけで、それまでは消しゴムの出番がないからだ。

もちろん掃除などの時間が迫れば拾うべきだろうが、それまでに誤字は出来するのでそこで拾えばいい。

ところが友人が先に拾ってしまう。申し訳ないのでいつも上記説明するのだがなかなか難しい問題だ。

皿を洗わない

皿を洗わない。なんでかというと、もうあと何回かは確実に使えるからだ。

一番洗わないのは茶碗で、ご飯を食べきった後は乾燥しており衛生的にも問題ない。

汁椀も洗わない。乾燥してるなら問題ない。特に箸も洗わない。乾燥しているからだ。

なぜこうなるかというと、皿を洗うのが面倒だからだ。

そして洗剤も節約できるし時間節約できる。1週間くらい洗わない。

同じ理論バスタオルにも援用できる。特にバスタオル問題で、一回だけで洗濯するのは無駄であると考えている。

容量が大きすぎるのだ。だから5回使ってから洗濯する。8回くらいでもいいかもしれないと思っている。

ここでの観点は、乾燥しているか? と不衛生が過ぎ体調を崩さないか? という2点だ。

場合によっては軽く水洗いで済ませて継続して使用する場合もある。

ファスナーを閉めない

なんでかというと、開けて、物を入れて、閉めて、開けるからだ。

それなら閉める必要がない。また開けるからだ。

特に、上に向いて開いているバッグやカバンは、重力関係で内容物が溢れることはない。

ということでファスナーを必要以上に閉めることは時間無駄であると考えている。

ファスナーを閉めないとなんらかの問題をきたす場合は、ファスナーを閉めるべきだ。

一方で、ズボンのファスナーは閉める。なぜなら見られた場合不快感を与える場合が多いからだ。

比較問題で、カバンが開いていても不快感は低いが、パンツズボンから中身が見えていたら不快に思う人は多いだろう。

こうした観点問題ないと思うもの判断は30年以上生きていて基準を設けている)は開けたままにしている。

最悪、家の鍵も閉めなくてもいいのではないかと思う。なぜならまた開けるのは確実だからだ。

そして、泥棒がいるとして、私の家がピンポイントで施錠されていないことを認知することが極めて困難だからだ。

必要以上に除雪しない

積雪地帯では時間のある人々が異常なほどに除雪を尽くす。

そういう人は大抵イルミネーションとかしている。

それはいいとして、雪はやがて解けるのだ。そんなものに過度の労力を割くことはない。

これと関連して、寒冷地であっても手袋を装着しない。帽子も。またすぐ脱ぐからだ。ただし、寒すぎる場合は一考の余地があるだろう。

洗濯物を畳まない

洗濯はする。衛生的に。ただそれを畳まない。なぜならすぐにまた使うからだ。

晴れ着やおしゃれな服などはしまうけれども、日常で使うものしまわない。

本にしおりを挟まない

本にしおりを挟むという営為は、文化的所作という観点を除けば全く愚かな行為だ。

なぜなら挟んだ後またとるからだ。そしてまた挟む。さらにいうと、読了すると挟まなくなる。

そもそもどこまで読んだか覚えてないのならば、それはそこまでちゃんと本の内容を覚えていないからそうなるわけで、しっかり本の内容を理解しているのであればしおりがなくても続きを読み続けられるはずだ。

ちょっと手前から助走しながら新しい箇所を読み進めることもあるだろう。むしろその方が理解が進むのではないか

こうした観点からしおりの弱点はもっと見直されてもいいだろう。

1階に住む

日々階段エレベーターで移動するのは時間がかかる。その時間有意なこと、あるいは妄想や休息ができる人であれば問題ないだろう。

だが多くの人は、自室と地上との行き来において、活動も休息もできないぶら下がり状態時間を過ごしているのではなかろうか。

それならば1階に住むべきだ。家賃も数千円安いことが多い。自室との行き来の時間も、数千円安家賃も、積み重ねが効いてくる。

ただし、治安問題で2階以上に住みたい人も多いだろう。その場合のこの限りではない。自分で考えて生きればいい。

観覧車に乗らない

遊園地は恐ろしい場所だ。かつて施川ユウキが初期の漫画コラム欄で確か書いていたと記憶しているが、遊園地は出発点とゴールが同じ場所になる遊具が多すぎる。

観覧車ジェットコースターメリーゴーランドなど、行って帰ってくる遊具が多く含まれている。

これは問題である位置が変わらない。初めからそこにいて、ただ佇立して止まっていればいいのだ。時間無駄である

ただし、途中の景色や興奮を楽しめるのであれば遊園地面白い場所だ。この観点判断するとよい。

では何をしているのか?

全力でゴロゴロしたりオナニーしたり友人や恋人と過ごしたり、論文書いたり講演の準備したり読書したり、元に戻す(元に戻る)必要性のないジャンルのことを優先してやったほうがいい。

2019-12-02

anond:20191202095105

間違いを見つけることは人間という動物が呼吸や歩行と同じぐらい得意なこと。

知性皆無の営為だよ。

知性がないからそこから先に進めない。

2019-10-22

解釈」の名のもとに行われる誤読について

って長々能書きたれなくても、このシェイクスピア学者のひとのツイートに尽きるんだけどさ。


https://twitter.com/Cristoforou/status/1083954729388920833


でもインターネットを見てみれば、「『ハムレット』でハムレットはお父さんを殺した」級のチャランポラン解釈があふれている。

なんでだろう。

それはたぶん読解を解釈と、さらには解釈二次創作と取り違えているからだ。


基本的には物語には筋がある。

ハードコア作品だと筋がないものもあるけれど、大衆に向けて発信されるものはだいたいわかりやすプロットへと還元される傾向にある。

プロットは要するにアクション=目に見える事実の積み重ねであって、

普通に読んでいけば誰々が何をしてどうなったか顛末を取り逃すことはない。

たとえば、『ハムレット』を普通に読んでいたら wikipedia の「あらすじ」欄にある以外の展開は読み取れず、間違っても「ローゼンクランツとギルデンスターンハムレットを巡ってコイン投げの賭けをしていた」なんて言い出しはしない。

物語を読めない人というのは私たち想像以上にこの世に溢れていて、このレベルで間違える人もときどきいるけれど、まあ少なくともあなたは間違えない。


で、やっかいなのはプロットの「展開」には「目に見える事実」以上のものも含まれていることだ。

あるキャラセリフがどういう意図で発されたのか、その身振りにはどういう意味が込められているのか(あたりまえだが、それらは作者自身意図からは切り離されている)。

言語によって明確に説明されていない部分。

そこを私たちは奔放に「解釈」しがちだ。

特にふせったーなんかでは、ある一場面を切り取って過剰なまでにそこに説明をつけようとする人たちがいっぱいいる。

そういう人たちの「解釈」は一見もっともなように思われるけど、実はちゃん作品と照らし合わせるとトンチンカンだったりする。

なぜなら彼らの「解釈」は作品内部の文脈無視したものであるからだ。


物語をきちんと読解するのは実はむずかしい作業だ。

からケツまでテキストを精読して、その流れと内部のロジックを過不足なく把握せねばらない。

個別物語内部にあるリソース分析するのが読解であり、それらを用いて家を建てるのが解釈だ。

しかし、ここに狡っ辛い読者がいる。

狡っ辛い読者はあ外部からトラックで建材を積んで物語世界へやってきて、地盤風土関係なくあらかじめ設計されたデザインに基づいて家を建てようとする。

勘違いしないでほしいが、解釈レイヤーにおいては外部から持ってきた知識材料を使うのは犯罪ではない。

批評とはそもそも物語世界と外部である我々の現実を橋渡しする行為であり、そこにはもちろん物語世界外部の知識理論が使われる。

だが、繰り返すが、それはあくま解釈レイヤーにおいて。

読解段階で物語世界無視するのとは話が違う。


狡っ辛い読者は物語内部のロジック無視し、プロット曲解し、事実をゆがめる。ありていにいえば、自分の読みたいように読む。その歪んだ見方をあたか物語のものであるかのように謳う。

彼らにとって物語とは自分たちから見える世界従属物でしかない。他者が書いたものであるにもかかわらず、彼らはそこに他者を見出そうとしない。


そんなもの解釈ではない。解釈ではないのだが、不思議なことに今のインターネットでは解釈としてまかりとおっている。

序盤で「二次創作」だと言った気がするが、考えてみると二次創作者たちに失礼なものいいだったかもしれない。

二次創作原作世界尊重してこその営為からだ。

ではこうした狡っ辛い読者たちの行うおぞましい「解釈」をただしくどう言い表すべきなのだろう。


解釈自由だ」という紋切り型の裏にはある不文律が隠されている。

解釈の前段階である読解は不自由だ」。

きちんと物語プロット認識したうえで成り立つの解釈であり、評論であり、批評だ。

その基本のキさえできないなら、評論解釈に手を出すべきではない。

逆にいえば、そこさえクリアできれば遥かに豊穣で自由世界に手が届くのだ。

恐れるな、だが謙虚に、だよ。ワトソンくん。

2019-10-13

anond:20191013115023

在宅評論家にそんな知的営為ができるわけないじゃん

ロジハラやめろや反民主主義やぞ

2019-07-07

自称批評家今日も決めつける

今日SNSには全身に「正義」を武装したレフェリーたちが溢れている。

彼らは反論のしにくい「正論」を振りかざす。

槍玉に挙がった人々は、完膚なきまでに叩きのみされる。果たしてこの営為は、社会を良くしているのだろうか?

個人的には、自己顕示欲を満たす為に正論ばかり言う人は好きではない。

だって上から目線評価を下す側になってしまえば、自分だけは安全圏に身を置くことが出来るからだ。

2019-07-05

anond:20190705095110

この増田、そうとう考えて書いてるなと思う。

あるいは欲求のままに書いたのであっても、その欲求普段から研ぎ澄まされていたものであり、良く練られ良く思考された欲求と思う。

以下に順を追ってみて行こう。

踏み役の本田翼

今回のメンツの内、身体に直接触れている女性陣のなかで、増田から直接顔を見ることができるのは本田翼に限られる。

ご存じの通り、本田翼は屈託のない笑顔が素敵な、硬めの役柄も柔らかめの役柄もこなせる可愛らしく美しい女性だ。

そんな本田翼が、おそらく明け透けな笑顔で「あんバカ?」と言いながら踏んでいる。

しかしたら笑顔可愛い女性が真顔になっている、というギャップを愉しんでいるのかもしれない。

増田はその顔を見たいのだ。とにかく、顔が見えるということがこの場合本田翼役割だ。

ということで、増田の顔のタイプ本田翼なのだろう。

そして、踏んでいる。踏んでいるのだ。何を踏んでいるかはここでは解らない。だが、確かに踏んでいる。

本田翼の脚を皆さん見たことあるだろうか。最近ではラインモバイルCMなんかでお目にかかったことも多かっただろう。

モデルやっていただけあって白くて奇麗なわけだが、ややもすればネットでは「太い」とか揶揄される。

だが、これがちょうどいい、と増田は考えているに違いない。俺もそう思う。全然太くないから。アクセス稼ぎのネットの焚きつけには辟易しておる。

橋本環奈大原優乃

身長が近い同世代をそろえてきた。大原優乃は他のメンツと比べると格が落ちるのではないかと気をもむ諸賢もおろう。

だが考えてみてほしい。ここでは筆者の主眼はむっちりとした太ももやその他身体との接触にある。

そして如上の通り身体性のバランス問題がある。どっちかが極端に大きかったり小さかったりするのが、増田快楽ノイズとなって差しまれるのだろう。

たとえばヘッドホン音楽を聴いていて右だけ音量が大きいような、そうした事態を避けたいわけだ。

そうして筆者はその左右にむっちりタイプ美女を得た。

ここでも脚の果たす役割は大きい。増田身体の上から押さえこむような、両脚からの力がかかるはずだ。

柔らかな太ももふくらはぎを全身で堪能することが叶う。

また筆者は二人の胸部への関心も失わない。腕四の字の先、引っ張られた両腕は二人の胸元へもたらされる。

第一趣旨である脚への嘱望に止まらない意欲に、理想の構築の確からしさがある。

こうした構成を為すためには、実際には大原優乃の果たす役割は大きい。

首元の広瀬すず

頸を足で締める役には広瀬すずが選ばれた。

増田の頸を締める、増田にとってのベスト広瀬すず

ここに私が贅言する余地は少ない。広瀬すず美脚からだ。

2015年佐々木希に替わって広瀬すずロッテFit'sのCMで、可愛らしい制服姿で美脚披露して以来、体感二年に一回くらいのペースで広瀬すず制服姿で全力ダッシュする的な場面のある映画製作されている。太すぎず細すぎない、太ももからふくらはぎ、足首に掛けてメリハリのある健康的な脚(俺は特にふくらはぎが良いなぁと思う)。

顔面で愉しむのはそうしたタイプの脚が望ましいのだろう。ふわり、と脂肪が多いと可動性が狭くなるし、締める、という営為がぼやけてしまう。

程良く引き締まった脚だからこそ堪能できる物理的な余地があるのだろう。

永野芽郁立ち位置

永野役割は、こんな増田を見て幻滅する、というところにある。

精神的な部分に依拠した欲望を、増田永野に対して抱いていることがわかる。

元気で素直そうな女性ドン引きさせたい。

ここでは永野増田に一切触れずに、増田の心を踏みつける。

そうした役にふさわしい女性として、増田永野を選んだ。

事態は実は込み入っている。永野結構脚が奇麗なのだ

色白ですらりとしている。連続テレビ小説モバイルCMなんかでも見ることができよう。

足部なんかも色っぽい。

増田はそうした女性物理的に用いない贅沢を描くのだ。

まぼろし

暗転後の女性? 陣は、しっかりと前半部の要素を受けた構成になっている。

IKKOのすごさは各種のドキュメンタリーを見てほしい。そんな人物が、増田シチュエーションを暗転させる。

アジャコングについてはフェイスペイントを施してリングで戦った点に注目したい。増田本田翼の顔を見られる位置にあった。やはり、踏みつけている顔、というのが《本田アジャライン》のテーマになるのだろう。

北斗晶安藤なつ。どちらもパワフルな女性だ。レスラー北斗はもちろん、安藤も行ってQなどでそのパワフルさで笑いを摂る場面がある。ここも橋本大原好対照だ。柔らかな衝撃の裏返しのパワフルな関節技。ここでは腕ひしぎによる重圧こそがテーマとなっていよう。

北斗安藤に対して、非戦闘員であるマツコ・デラックスは何ゆえにここに配置されたのか? やはり、顔への脚締めは純粋な圧迫だけではないのだ。脚の質感や長さ、筋肉脂肪バランス。首四の字は脚を堪能するために配備されている。広瀬対置されるマツコのおかげで、私たち増田の首四の字における主眼を明確にできる。

ゆりやんバラエティで見ていて思うのだが、自分仕事ってものを解って振る舞っている。増田もそれを解っている。だからあなるわけだが、永野が思わずドン引きするのと対称的に、ゆりやん作為的に「美味しい」行為選択しうる心理的余裕がある。ここに対称のエッジを研ぐ増田真意があるのではなかろうか。

まとめ

いかがだっただろうか? この増田、ふざけているように見えて、どっしりとした構成を以て増田投稿していると看取される。

そのテーマは脚にある。何となく、この増田の嗜好が見えてこよう。本田広瀬、あるいは永野みたいな脚が好みなんだけれども、場合によっては橋本大原のような柔らかそうな脚も良い。その場合理想としての腕ひしぎ。そして反転後の人選も、しっかりとベクトルを逆向きにできている。

天然で書いていても、狙って書いていたのだとしても、いずれも良く思考されている。すごいなぁと思う。

2019-05-23

ヴィーガンの倫理

安心してちょうだい元増田ちゃんあなたは死ななくていいわ。誤解なのよ。

あなたがどういう道筋でその“正しいヴィーガン”にたどり着いたのかはわからないけれど、私の知る範囲で(倫理的)ヴィーガンの主張のなかにその結論肯定するものは無いわ。早まらないで。

功利主義に基づく倫理的ヴィーガン観点からあなたの誤解についてお答えするわ。

飼育屠殺動物を苦しめるから畜肉を食すべきではない わかる

功利主義的には「苦痛の総量を減らす、または苦痛快楽の収支がプラス(快楽苦痛を上回る)になる」のが倫理的に良いことなのね。最大多数の最大幸福

細かく言えば「苦痛快楽」とは別の指標を用いた功利主義もあるけれど、動物倫理場合はもっぱらこれ。

したがって、畜産において“飼育屠殺による動物苦痛”が、人類の得る利益(快楽または苦痛の低減)を上回る場合、“畜肉を食すべきではない”と判断できるわ。

逆に、動物苦痛人類利益に比して十分に小さい場合、それは倫理的に許容されうるわ。

同様の理由たまご乳製品も食すべきではない わかる

同上

ただし、たまご乳製品はそれ自身苦痛を感じる能力を持たないため、畜肉と比べると倫理的ハードルは低いわ。

例えばジャイナ教非暴力重要教義の一つなので必然的菜食主義だけれど、苦痛を与えずに絞った乳は飲むわ(ラクト・ベジタリアン)。

同様の理由動物を利用する衣料品医薬品使用するべきではない わかる

同上

衣料品場合動物を苦しめずに済む代替品が豊富にあるならば、あえて動物性の衣服を着るのは倫理的肯定しがたいわね。

医薬品場合、主に動物実験に関する問題ね。この領域動物倫理的にかなりホットよ。

功利主義的な動物倫理においては、動物実験は必ずしも否定されないのよね。まあ論者にもよるけど。

動物実験における動物苦痛と、完成した医薬品による人間苦痛の低減。これの比較後者が十分に大きければ正当化され得るってわけ。

意思に反して命を奪ってはいけないので狩猟された肉や魚も食すべきではない わかる

もたらされる苦痛や死が“意思に反して”いるかどうかは、功利主義的には必ずしも重要ではないわ。

意思に反”することで、苦痛がより増えるのであれば考慮に値するといった程度かしら。

そして“命を奪う”ことそのもの倫理的評価は同上。

例えば、糧を得る唯一の方法狩猟であり、それをしなければ(人が)死んでしま場合狩猟による動物殺害倫理的正当化され得るわ。

同様の理由採集することによって植物の命を奪う野菜も食すべきではない わかる

植物は(少なくとも痛みが神経系によって発生するという生物学的知見を踏まえれば)苦痛を感じないため、功利主義的には道徳的考慮対象ではないのよ。

ちなみに、倫理的考慮対象となる立場を「道徳的地位(Moral standing)」と言うわ。

「何が道徳的地位を持つのか」というテーマは分野や論者によって異なっているわ。功利主義場合、「苦痛を感じる能力を持つ」ことが道徳的地位を持つ条件ね。

厳密に言えば動物でも苦痛を感じない、例えば海綿動物(きわめて原始的動物群。神経を持たない)、も功利主義的には道徳的地位を持たないと言えるのね。

また、道徳的地位は持つ/持たないの2択ではなく、強弱も存在しているわ。功利主義なら苦痛を感じる能力の程度ね。

例えばエビ1匹を殺すより、ヒト1人を殺した方が倫理的に悪いと判断できるわけ。

これは個々の人間にも適用でき、健常な成人を殺すより新生児や重度の知的障碍者を殺す方が倫理的に悪くない(もちろん両方悪いが、比較すればそうなる)。

功利主義者がリベラリスト(の一部)、特に障碍者支援者などから嫌われるのことが多いはこれが理由ね。

落ちた果実採集することによって本来その栄養を得るはずだった生物の命を奪うことになるので食すべきではない わかる

同上

命を奪うかどうかにこだわってるようだけれど、功利主義的に重要なのは苦痛よ。死は苦痛の一形態たり得る資格を持つというだけ。

功利主義安楽死だって肯定できるのよ。状況によるけれど。

自然破壊につながる水道水ミネラルウォーターを飲むべきではない わかる

地下水の利用は自然破壊につながるので湧き水は飲むべきではない わかる

川の水や雨水を利用するのは生態系に影響を与えるので飲むべきではない わかる

んー?ここら辺は倫理的ヴィーガンよりも環境主義ヴィーガンの主張に似てるかしら。

でも環境主義ヴィーガン場合畜産養殖(の一部)による環境負荷を語ることが多いから、ヴィーガンの主張としてはあまり見ないわねこれ。

水資源の利用による環境破壊はあるにせよ、この書き方だと曖昧過ぎるのよねえ。元増田ちゃんもうちょっと具体的にお願い。

なお、功利主義的に答えるなら、その営為で発生する苦痛人間快楽(または苦痛の低減)を上回らない限りOKってことになるわ。

酸素を吸収し二酸化炭素排出するのは生態系に影響を与えるので呼吸すべきではない わかる

地球温暖化寄与している二酸化炭素化石燃料などの地下資源由来で、地上で吸って吐いてした分はほぼ無関係よ。

陸上炭素循環は(長期的に見れば)収支が釣り合っていたのだけれど、地下に封印されていた(炭素循環の外側にいた)分の炭素放出されたことで、プラスに傾いちゃったわけ。

家計で言うなら年収200万円(手取り)で年間支出が200万のご家庭に、月々1万円の副収入が加わって年12万円の余裕ができましたって話よ。呼吸は年収に含まれ支出炭素固定(主として光合成による)で、化石燃料副収入

ちなみに、畜産による温室効果ガス放出(主としてメタン)への寄与はけっこうな割合(確かCO2換算で全体の約14~18%くらい)。あなたが牛ならゲップをやめるのは倫理的かもしれない。

全部わかる

人間らしい、正しい、善なる気持ちを持っていればわかるはずだ

あら?もしかして倫理学の方だった?功利主義は結果主義の一分野なので“気持ち”なんてほとんど関係ないもの

倫理主義は、雑に言うと「動機が善ならば善」というもので、良かれと思ってやれば善であるっていう素朴な倫理なのよね。

最近見直しが進んでるって話だけど、あまり勉強してないから詳しくないのよ。この分野。

呼吸し、水を飲み、命ある動植物自然から奪い、貪る者は悪魔

みんな死のう

死なない者は悪魔

功利主義からはまず導かれない結論なので、やっぱり徳倫理主義なのかしら。

でも、良かれと思って“呼吸し、水を飲み、命ある動植物自然から奪い、貪る”なら、徳倫理主義的には善なのよね。

ここまでは功利主義観点から答えてきたけれど、やっぱり本人の倫理的観点考慮しなきゃ片手落ちよね。

でも困った。元増田ちゃんがどんな倫理的基盤でヴィーガンになったのか、わからないわ。

最初の方の考えは倫理的ヴィーガンに対するよくある誤解またはジャイナ教当たりの非暴力主義Plant thoを混ぜこぜにした感じ。中盤は環境主義っぽいけど問題視する部分がズレてるし不明瞭、後半はさっきも言ったけど徳倫理学っぽいけどなんか違う。

うーん、ネットからいろんな主張(誤解や曲解を含む)を集めてきてパッチワークした感じなのかしら。

ヴィーガンへのバッシング目的で書かれたなら「藁人形乙」で済むけれど、真剣に悩んでいるなら誠意ある回答が必要よねえ。


けっきょく“正しいヴィーガン”が何なのかはわからなかったけど、変な結論から脱却するための私的おすすめ方法を3つほど挙げてみたわ。

良ければ死ぬ前に試してみてちょうだい。チャオ!

(1) ヴィーガン辞めちゃう

辛いならヴィーガンなんてやめちゃっていいと思うの。割に合わないわ。もし心苦しいなら減肉食主義(Reducetarian)くらいから始めてみたら?

私も環境主義観点(スパイスとして功利主義も一振り)からSemi-vegetarianやってるけど、あまり縛り無いから楽よ?

ヴィーガンから偽善だなんだ言われるかもしれないけど、まあいいじゃない。自分が納得すればいいのよ。

(2) 勉強する

ヴィーガンやるなとは言わないけれど、何かしらの倫理的または論理的支柱がないと厳しいと思うの。

元増田ちゃんの考えを見るに、あまり一貫した基盤を持っていなさそうだし、環境問題についても詳しくなさそう。体系立てて学ばないと混乱して変な結論にたどり着いちゃうものよ。

いろんな視点、論者ごとに調べてみて、自分に合う立場のものを探してみるといいわ。まずは模倣からよ。

おすすめピーター・シンガー。「すごいなあ。ぼくにはとてもできない」ってなるわ。

(3) 食生活ヴィーガン(Dietary vegan)になっちゃ

食事だけヴィーガン健康目的が多い。一番気楽なタイプヴィーガン動物倫理とかうっちゃってる(またはつまみ食い)。毛皮のコートも着ちゃうかも。時たまニセ科学に両足突っ込んでるから注意。

やめたいときにやめられるし、始めたいときに始められる。亜種として一時的ヴィーガン(Part-time vegan)なんかもあるわ。

ちょっと一週間くらいヴィーガンになるかー」とかできちゃう。「それヴィーガンなの?」という気持ちに蓋ができるならおすすめ

2019-04-15

anond:20190413114026

 私は現役東大生だが、

 「現役東大生だが、上野千鶴子祝辞ゴミだと思う」(https://anond.hatelabo.jp/20190413114026)に反論を試みたいと思う。

 ここには上野氏の祝辞https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html)がほとんど引用されていないので、論旨が追いづらいかも知れないが、読んでくださる諸氏にはご容赦願いたい。

 以下、引用中略は[……]、上野から引用は「」、上記はてなから引用は四角い枠と “ ” 、私自身の強調は[]で示した。



ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?

 この後に述べられている通り、「医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、何らかの説明が要る」。そして平均としては確かに1程度である女子医学部にだけ特別に入りにくい)ので、他の大学より遥かにマシだとはいえ、このデータには読み解くべき何かがあることになる。


↑ここまでの話をまとめると、私立医学部ではどうやら不正入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大医学部問題[……]で、東大入学式祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?

 東大は(権利問題として)特権的学府ではなく、他の最高学府と並列の、ただの[大学]だ(事実問題は置いておいて)。だから、他の大学の話は、東京大学という固有名において確かにそれだけ関係が薄いし、しか大学であるという点において強く関係している。他の大学との交渉も避けられない状況、そして例の不正が、入学試験という、どの[大学]にもある制度於いて発生した不正である、ということに鑑みると、やはり他大入試不正無関係であるとは言えないだろう。


↑ここ統計データを示せよ。なんで女子差別されてる話は具体的な数字しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字さないんだよ。

 これは、追記

https://anond.hatelabo.jp/20190414151912

により推察されているとおりだと思う。


↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。

 女子学生偏差値のほうが上だというのは、東京大学受験者を母集団とした時の偏差値のことで、偏差値正規分布性差はないというのは、母集団を全体とした時の話である。そのくらい、現役東大生なら読み取りましょう。


↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。

 大学進学率の男女差の原因分析は、統計一本では不可能だ。たしかに、その差が統計的に有意かどうか示されていないのは穴かも知れない。原因が性差別によるものだということも、根拠は示されていないのもそのとおりだ。だが、それは先にも指摘したように統計のみによる分析ではない。他の統計フィールドワーク社会学的な先行研究などを踏まえて、より厳密な研究において慎重に示されたものだろう。それが省略されたものだと読むのが適切だろうと思う。

 まあ、なにか根拠を示して欲しいとは思うが、そこは論文を読めということを世論誘導しているのだろう()


↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。

 そう……彼女はここに於いてことごとく結論を省いているのだ。それを私が補うこともできようが、それは実に恥ずかしいのでしない。とにかく、その空隙はみな、彼女の策略だと読むことができる。……できる、というのが曲者であり重要で、テクスト読解における著者の意味論的意図をどう扱うかという問題に繋がるのだが、とりあえずここでは、そのように[読める]ということはそのような解釈を受け入れて良いと言うことでもあると述べておこう。


↑てか普通に考えたら 第一女子安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ

 ここは正直、言っていることがよくわからない。第一及び第三を原因として第ニは導き出される、ということを言いたいのだろうか?それを指摘すれば丁寧だったかも知れないが、特に指摘する必要はない。

 ここで示されているのは、①女子安全志向(ゆえ男子と比べ偏差値的の高い人が東大受験する)、②女性比率が二割以下であり、偏差値の高低に性差はないため、男子と比べ(略)、③女子男子より四年生大学進学率が低く、大学受験自体への逆風がある、ということだ。追記にある、③への疑問はもっともで検証必要かも知れないが、大学進学をdiscourageする気風がある中で尚、東大進学を果たす人の集団がそうでない人の集団に比べ優秀であると推測するのはそう不自然なことではない。

 東大の「1.03」という数字不正の影を見るかどうかはわからないが、少なくとも医学部女性を入れにくくする何か(不正に限らず)が働いている、と疑いを抱く読み解きはおかしものではないだろう。


↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。

 確かに論理的にはそこからそれは導き出せないが、これは論理的な筋を追う文章ではなく、レトリックとして、別の事例に於いてしかし同様の自体が起こっていることに結びつけ、全体の帰結を引き出している、ある種の帰納的な修辞だ。繰り返すように、これは論文ではなく演説である


↑どうやって?

 差別に満ち溢れた社会の中頑張って勉強してきて。


↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


 確かに画一化。まあしかし東大男子が全体の傾向として異性にアトラクティヴなものとして映るというのは間違いではないように思う。


↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


 男子大学生は東大生であることに誇りを持っていることは傾向として否定できないと思いますけどね。

 統計的傾向は個人説明し切ることが出来ないが、かと言ってそれ自体否定できるものではない。

 そもそもここでの画一化は突然ではない。初めから、男女という、大きな別々の傾向性を持つ、二つの、緩やかな集団の話をしている。



〜同様のため中略。極めて不毛。〜



↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ[……]が正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。

 [どのように]見られているか明確に言わない、というのはやはり演説的(というか普通意味で)レトリックであろう。文学於いて、全てゴテゴテ説明したら品がないし衝撃を薄めてしまうのと同じかと思われる。

 高学歴男性批判なのだから、『彼女頭が悪いから』における見方一定価値を置いていることは明白であるし、“性への圧”をかけていることを批判しているのだから、その抑圧的な側の“性への圧”になるのは当然だ。“圧”をかけねば批判できないのだから


男子サークルって書き方からして完全に男子悪者にしてるけど他大学女子競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能だってあるだろ。性差別か?お?

 そのような事例は、全体の傾向からして少数派である判断たからだろうという反論と、他大女子がそのような行動をしているというのならば、やはり女子勉強が出来ると魅力が減るという偏見存在証明することになるという反論の二つが想定できる。


↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?

 原因ではなく、東大於いて性差別が存在していることを、別の形での表出を例示することで補足的に示している。

 “時代性が交絡するようなデータ”というのが何を指しているのかよくわからないが(学部などの学内女性比率データと、学部長などに女性が極めて少ない上東大総長に女性がいないことを示すデータ、という2つがあることか、それぞれのデータが何年度の調査であるのか示されていないということなのではないかと思う)、両者は比較されていないので、双方共に有効データであれば問題なし。


↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。

 これも文意がうまく取れなかった。

 上野氏の話の内容が“祝辞で喋る”のにふさわしいかどうか、というのであれば、個人スタンスによると思うので割愛。私の意見結論だけ言えば、全く問題ないと思う。……少しは気の毒と思うけれど。素朴な親御さんにとっては。


↑これ普通に気になるな

 気になりますよね。


↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれ環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。

 闘ってきた、ということは事実記述。恵まれ環境がそれを支えてきたかどうかとは別の問題。もちろん、その闘争も、努力のみならず、阻害しない環境が最低限整っていたというのは間違いないと思う。


↑冒頭で不正がある話したの私立医学部だけだろ。

 不正入試だけではなく、大学における女性差別という[がんばってもそれが公正に報われない社会]がある、という話。


↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?

 傾向は個人説明しない。

 加えて、それでも、努力が[東大合格]という結果に対しての最低限、報われる環境という必要条件を満たしていたことは、観測選択効果により論理的に明らかである


↑これはまあそういう意見もあるよね。

 そうですね。


↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?

 学問の話だけではない。普段生き方価値観の話だろう。

 第一ブラックホール観測は、恵まれない人々を貶めない。むしろ間接的にではあれ勇気を与えることもあろう(嫉妬深いポスドクを苦しめるかも知れないが……)。

 この言葉は決して、能力の使途範囲積極的規定しようとするものではない。「弱者」を貶めるために使うな、と言っているのだ。そうしなければ、差し当たり何に使っても構わない。「弱者」を助けるため[だけ]に使えなどとは言っていない。

 そして、ここは確かに難しいところだが、社会的「強者である東大生が持つ、大きなリソースが「弱者」に分配されれば、社会状況は良い方向へと一歩進むだろう。そのためにも、その力を「弱者」のために使ってほしいと、[お願い]しているのだ。命令でも、べき論でもない。これは[自由意志]に訴えるしかないのだから


結局東大生弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?

 おそらく全ての人は、あるところに於いて強者であるとともに、また別のところでは「弱者である。絶大な権力を持つ政治家社会関係の多くの場面で「強者」だが、病院に行けば脆弱身体医者晒しいるかも知れない。東大女性だって社会通念に於いてはそれが負の属性であるかもしれないが、知性を持つという事実於いて強者」でもある。「弱者」というのはここでは女性という属性のことだけではない。みなが持ち、みなが足蹴にする可能性のあるものだ。


↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?

 [「弱者である]ということは差別を受けるということと等価ではないだろう、当然。分かるよね?

 ……付言するなら、「弱者である自己否定否認して「強者」に成り上がることだけがこの社会に生きる唯一の道だというなら、それは極めて殺伐とした恐ろしい世界だということだ。相対的に見て、ある能力に乏しい存在であるということは、[悪]を意味しない。そもそも能力の優劣自体も、極めて価値論的な事態なのだから


総評として、全称記号任意記号恣意的混同によってデータ自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。

はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点から評価のつもりでも、科学世界を脅かすありふれた権威主義愚か者集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。

 統計根拠を一々述べ立てるアジなんざ、アジとしての役割を果たすわけないのだ。全称命題存在命題とを断りなく混在させているのは事実だが、どれがどちらかというのはきちんと読み解けば理解できるものだし、そこで意味されている内容も至極真っ当なものばかりだ。根拠が常に明示されているということが学問第一条件ではないし(科学方法論に於いて絶対かも知れないが、それでも初めは根拠の見当たらないところから探求はスタートするのである)、目の前に立っている人間がいつも親切に根拠を示してくれると思うなら、それは歩行器に頼り切って自分は歩けると錯覚してしまっている憐れな赤ん坊しかないだろう(そんな自意識的な赤ん坊はいないけれど)。

 それに、学問営為実践と不可分であるような領野などいくらでもある。工学社会実装を常に見据えてあるだろうし、医学看護学臨床心理学などは常に目の前に他人がいて、それにどう働きかけるかという視点がなければ成立しない。クローズドスキルだけでは学問は成り立たない。倫理学者が、平気で己の立てた操に反しているならば、それこそ非倫理的だろう。厳密にいうならば、程度の差こそあれすべての学問日常接続しているはずなのだそもそも、このスピーチ学問的に水準以上の盤石さの上に成り立っているものだと思われるわけだし。

 権威主義を警戒する姿勢は全く健全ものであるが、目先の手触りのザラツキに神経を逆撫でされて走り出してしまうのはいただけない。きちんとテクストを読み解いてから非難に当たるべきだろう。そのようなあり方こそが学問的な……という以前に、真摯姿勢による対応だと思われる。

2019-04-09

anond:20190409112928

彼らにしてみれば、セックスと呼んでいるものは、女体を使ったオナニーに過ぎないんだよ。

僕らのように、セックス精神的な営為とは捉えていない訳。

こういう事言う人がどの位精神性の高い生活をしているのか知らないけど。そりゃ付き合いたくないだろうという感じしか無い。

anond:20190409111716

彼らにしてみれば、セックスと呼んでいるものは、女体を使ったオナニーに過ぎないんだよ。

僕らのように、セックス精神的な営為とは捉えていない訳。

2018-09-28

運と自己責任

 TLを眺めて、お前ら実は面白い話をしてるんじゃないのか? ということに思い当たったぞ。

.

 つまりだな、運が悪いことは、自己責任じゃないこととイコールなのか?

.

 Aくんは運悪く貧しい家庭に生まれたとして、運悪くろくな教育うけられず、運悪く周囲の環境が悪く、最終的に犯罪者になったとしてだ。それはAくんの責任なのだろうか。

 Bくんはキモくて汚いオッサンだとして、運悪くキモさや汚さを克服することが出来ないとして……普通キモさや汚さは行為解決できるが……しかし、たまたままれつき常軌を逸するキモさだったり、貧乏な育ちのせいでそのコスト負担する能力にかけていたり、つまり運悪く解決できないとして、それは障害者のように扱われるべきなのか?

 もしそうだとして、それが完全に運のためであり本人の営為でないことが証明可能なのか? もしくは運のためでないことは証明可能なのか? あるいは運が絡んだとしても、本人の責任であることに違いはないのだろうか。

 調べてみたら、なんかかなり新しい論文が、この問題倫理学無視してきたとか書いてたわ。

http://rci.nanzan-u.ac.jp/ISE/ja/publication/se32/32-02furuta.pdf

 まだ序文しか読んでない。

 どんな言い合いからでも発見はあるもんだ。

 まあ明確な答えはどうもないみたいだから、もう言い合いとかやめたほうがいいぞ。

2018-02-19

anond:20180219070454

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。

まあ私の文章煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。

あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。

これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初増田anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。

理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

そこからか。何のために研究雑誌Book Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャー学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分オリジナリティについても言及するよな。

あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html適当なUniversity PressのHPを開いて適当新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。

駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合学術雑誌書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣書評も見かける)、まともな研究書なら議論典拠は明示してあるんだから議論双方向性に問題はないでしょ。

三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いかタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズム起源流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄アイヌ台湾朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者けが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断たらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。

何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティ希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくま形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女学術業績としてカウントされるべき本を書いていますしか言いようがない。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。

「著書はオリジナル研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナル研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初増田anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナル研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナル研究書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナル研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。

後段、著書はオリジナル学術業績とはみなされないという理系ローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャー文系研究分野ではだいたい研究書はオリジナル研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナル研究業績です)、文系からするとその常識通用しない方が非常識ですよ。理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

院生だろうが単著論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者自分学生論文名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップ批判されるべきだけど、理系では自分指導してる学生論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。

その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。

将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語英語以外の言語で書かれた日本学論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人ポーランド語日本学論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人外国研究者がその国の言葉日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本アカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与ポーランドアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。

当たり前だけど西洋古代史の論文日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度研究先進である先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というもの存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本アカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。

で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージ貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。

根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たち言語研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたか英語日本語フランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。

私はここまで書いてきたような理由日本語論文を書くのも重要営為だと思う(加えて、執筆言語自国であることは東アジア欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本アカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。

2017-06-25

https://anond.hatelabo.jp/20170624233515

90年代から00年代にかけて、さんざん「巫女」「メイド」を記号的、かつ無意識に消費してきたんだから陳腐化するのも当然なのだと思う。

巫女」「メイド」に関心を示した層(あえて「オタク」という表現を避ける)は、何も考えず消費していた。だからこうなる。後述するとおり、これは仕方がないことなのだけれど。

この消費が続くとどうなるか、「巫女」「メイド」を扱う作品がどうなっていくのか。それをあの時代に考えていた者は少なかった。

未来視をせず、まったくただ消費するだけだった。焼き畑農業に近い。

自らの髄脳をただ刺激し、そのニューロンと、「巫女」「メイド」の記号とを焼き切ってしまって、10年代を迎えた。

あの時代に「萌え」という風が吹いていた点が、この問題助長していると感じる。

萌え」は思索をある種放擲する営為だ。何も考えず、リラックスして作品キャラクターに触れる。ストレス社会&大きな「物語」が消えた社会に生まれた、ふわり、とした感覚

巫女」「メイド」はそういう時代経験で消費されてしまった。

雨後の竹の子のように現れた「メイド喫茶」では、ふわふわオムライスが尊ばれたという。

これは、脳をふわふわさせて無意識快楽を得られる「萌え」の具現化として、妙にしっくりきていたと、今更ながら思う。


擦り切れた「巫女」「メイド」へのキャラクター付けをどうするか。あるいは昨今流行している「記号」をどう大切に扱うか。

大衆社会個人に出来ることは存外少ないのかも知れない。今も「萌え」の風はどこかで吹いていて、無思想快楽私たちを誘っている。

この記号が、数年後どうなるか? 作り手側はどう考えているのか? なんてことをちょっと心の片隅で考えながら、作品に触れるのが、視る側としてインスタントに出来る効果的な姿勢なのかも知れない。


偉そうに書いてすまんな。増田師匠筋に当たる人物から増田は偉そうに書けと言われてるんじゃ。

2016-12-26

キンキキッズの育成失敗感

特に堂本剛。今でも充分な実績あるけれど、もっと高みを目指せたのでは(その高みが何なのかはっきり言えないのだけれど)。

これは、ある種私たちテレビを見る側の「批判」が足りなかったのではないかと、ふと思うことがある。

批判」っていっても、ただダメだしするって意味ではなく、原義に近い意味

堂本剛というキャラクターを、もっとより高邁に。良いところと改善点を明確に言語で指摘する。

こうした営為が徹底的に不足していたのではないか。とふと思うことがある。

そんなこと言っても一般人が出来ることは限界がある。

まり何が言いたいかっつーと、ナンシー関が死なずにずっとキンキキッズ批判してくれていたらなーってこと。

死んだ人が生きていたら……って馬鹿臭いと思っていたけど、堂本剛との関係性におけるナンシー関には、惜しいと正直言わざるを得ない。

堂本剛全然変わったキャリアを生きていたのではないか

2016-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20161026143213

確度の高い推測に基づく計画経済こそが人類の究極の営為であり、

不確定要素の高い弱者という低偏差値が多いとそれだけでリスクが付きまとう。

から弱者が死んでくれる分には構わん。

これが強者結論だろ。

日本でも既に人口減少をポジティブに捉える流れがかなり大きくなってきている。

負債負債を産むぐらいであれば、負債の根っこを絶ってしまえばよいということだな。

2016-09-09

[]

横浜にある記念船日本丸横浜みなと博物館に行って参りましたわ。

みなとみらい駅エスカレーターが長くておそろしいおろそしいですわ。むきゅー。

みなと博物館の展示は、ほぼ黒船来航から始まったといえる横浜歴史を伝えています

まず黒船艦隊9隻の中にサラトガレキシントンがあって驚きましたわ。

レキシントンを沈めたのは東京湾のかたきを珊瑚海海戦で討つですわね。

まぁ、エセックス級になって復活しますけど。

後世と同名の船ではミシシッピも3隻の蒸気船の1隻として来ていました。

博物館ライブラリー横浜と船に関する本が集まっていて、名高いジェーン年鑑がないか探したのですけど、

横浜資料の「ちんちん電車の本に目を奪われてしまって、雑魚ナメクジに終わりましたわ。

そして、横浜に造られた大さん橋の展示には「大さん」という方が造った橋と勘違いしました。

音声解説によれば大桟橋のことでしたわ……そこは非常用漢字でも桟を使ってほしいですわ。

みなと博物館は船の復元模型が非常に多くて目を楽しませてくれました。

ですが、ガントリークレーンの動く模型は、吊り荷の下に人形が入る配置になっていて×ですわ。

ヒヤリハット報告書提出ですわ。

それと遠足のお子さまがたくさん見えられていたのでアクリルが脂地獄でした。

掃除の方の苦労が思いやられますわ。

特別展では2015年になくなった柳原先生絵画が展示されていて、

アンクル船長をみたら、あの人だとすぐに分かりました。

切り絵から油絵リトグラフ晩年まで新しい画材積極的に試している姿勢が素晴らしかったですわ。

博物館のとなりに係留されている日本丸入り口スロープをみて

バリアフリーかと思いきや、内部は急な階段に満ちていました。

車いすの方は甲板だけみるのでしょうか。

うっかり船にあがった鯖になりましたけど、さばかれはいしません、さばかれはいしませんですわ。

日本丸のあのマストに登って帆を広げたり畳んだりすると言われても、

悪い冗談しか思えませんでした。

しかも、船が動いていて傾いていて風や波をかぶっていて太陽がでていない場合でも

帆の操作をしているわけです。

日本丸をみて人間業の到達できる高さを知りました。

いまでも毎朝船内にある真鍮の部品が磨かれているそうで、記念船を維持するための

地元の方の営為にも頭が下がる思いでした。

2016-07-19

フランス語の知識は知識人常識

バゲットとバケットの区別などどうでもよいという反知性主義的な言説が散見されるサービスはてなであるが、この区別重要ものであることは論をまたない。以下にその理由混同の原因を示す。

混同が起こる理由


これはひとえに、フランス語発音英語発音混同することによる。

バゲットはフランス語のbaguette(発音記号:bagɛt)

バケットは英語のbucket(「バケツ」の意 発音記号:bʌ́kət)

両者はまったく意味の異なる単語である

混同が起こるのは、当然のことながら、話者がフランス語を知らないためである


区別必要である理由


たんに恥ずかしいというだけでなく、英語フランス語区別ができない人が発する言説の信ぴょう性に、深刻な疑義を生じる結果となってしまためである

以下に例を示す。

〔……〕4月に入ってからの、《Nuit debout》(ヌイ・デブ:起きている夜)という運動と関連のデモには特に関心をもっていた。

〔……〕《debout》の言葉からすぐに連想されるのは、「デブー!」が耳に残る《L'Internationale》(インターナショナル)の歌である

〔……〕

Debout ! les damnés de la terre !

〔……〕

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2016/05/nuit-debout-132.html 《Nuit debout》(ヌイ・デブー)のような運動日本にもあってよいんじゃないかと思った. 強調は引用者による。)



Nuit debout(nɥi dəbu)の正しい発音をあえてカタカナ表記すると、「ニュイ・ドゥブー」となる。

フランス語の"u"(ɥ)は日本語にない母音で、ウの口の形をして、イといおうとしたときの音に近い。「ウ」ではない。

"e"(ə)については、

音節母音で終わる音節のこと)の場合、「」に近い。これをけっして「」と読んではいけないことは、フランス語の初級クラスアルファベットを教える回(つまり初回)に、かならず教える。

deboutを、英語のdebut(dibjúː)から連想して「デブー」と読んでしま気持ちはわかるが、まちがいはまちがいである。


次の例。



戦後レジューム」ではなく「戦後レジームである

レジーム」は「和製英語」ではない。その語源フランス語のrégime(制度体制の意 発音記号:reʒimである

これを「レジューム」と発音してしまうのは、英語のresume(rizjúːm)が念頭にあるためと思われるが、当然のことながら、まったく意味の異なる単語である



結論


どれほど博学を披露し、先鋭的な知的営為を行おうとも、フランス語の初歩的な知識がないだけで、それは一瞬にして瓦解してしまう。

バゲットとバケットの区別ができない人間がなにか立派なことをいおうとしても、それはできないことは明白である

中等教育段階においてのみならず、大学進学後もフランス語を必修科目とし、正確な発音習得につとめることが必要理由がここにある。




追記 質問への回答



b:id:c_shiika

Comment allez-vous? から Comment を抜いた場合は「アレブ」って読めばいいのだろうか

正しい。

用例:

Allez-vous-en. Vous n'avez pas d'aptitude pour passer un temps agréable sur Hatena.

アレヴザン ヴナヴェパ ダプチチュード プール パッセ アン タン アグレアブル シュル ハテナフランス人的には「アテナ」))

和訳出ていきなさい。あなたはてなに向いていない。



b:id:theatrical

フランス語辞書何使ってる?


普段使いは以下のものでこと足りると思う。

https://itunes.apple.com/fr/app/dictionnaire-littre/id301211332?mt=8

http://www.lerobert.com/espace-numerique/telechargement/le-petit-robert-2016-pc.html

より精密に読む場合は、読むものの書かれた時代、調べたい分野にあった辞典を使う。

例:中世ルネサンス場合はAncien françaisやMoyen françaisの辞典がたくさんあるのでそれを使えばよい。

17世紀以降は、テクストが書かれた時代に発行された辞書を引いて、その時代認識されていた単語意味特定する。

2015-10-12

なぜ女性だけの会社が増えないのか

一億総活躍社会だそうだ。現在日本人口は1億3000万弱だが、一億となっているのは語呂だけでなく将来を見越した表現だろうか。

女性社会進出が叫ばれて久しい。女性の平均的な待遇の低さがクローズアップされ、それは全くその通りなので、同じ貢献度なのであれば同じ待遇にすべきだと思う。

ところで、比較的簡単な事務作業などを除けば、特に規模が小さければ小さいほど、男性ばかりの職場というのは掃いて捨てるほどあると思われる。一方で、女性ばかりの職場というのはどれほどあるのだろうか。男女の能力は同じなのだから、当然、その比率も同じに収束するはずだが、その様には思われない。今でも女性だけの会社となれば、その点だけで注目に値するような扱いを受けている気がする。もし、何らかの客観的統計があれば、教えて欲しい。もちろん、時間もかかるだろうが。

いうまでもなく、会社としての営為はその会社のみで完結しているものではないため、女性のみで構成されていると対外的差別的な扱いを受ける可能性があるだろう。しかし、サービス業であれば、本質的に男女の生得的な差(筋力とか)によって有利不利があるわけではなく、また、女性が中心の会社一定以上あれば、協業先にも困らないのではないかという気がする。

とすると、女性だけの会社の数がある閾値を超えていないことが一億総活躍社会を阻害しているのではないかと考えられる。但し、最近アファーマティブアクション的な政策には全く賛同できない。なぜならば、女性差別してきたのは、アファーマティブアクションで不当に不利益を受ける現在若い男性ではなく、決定権を持つ過去の中高年の男性からだ。もちろん、女性差別してきた決定権のある男性が「適切に」降格され、女性が抜擢されるのであれば、大いに歓迎だがそのような話は聞いたことがない。

また、最近は、AppleGoogleMicrosoft の例を挙げるまでもなく、いずれも女性が作り上げる可能性が十分あった IT 業界経済で大きな地位を占めているのに、なぜそのようなことにならないのだろうか。

2015-08-31

再構築までやってほしい

最近ホットになった話題で例をあげると「ゲームとかファンタジーでおばさんキャラがいない」という話題

もちろん指摘はその通りなのだろう。そしてそこには現代社会が抱える女性像が反映されている。社会学だとかフェミニズムだとか言われるような問題が横たわっている。

私の言いたい事は、知らぬ間に諸メディア形成されたイメージ偏り、あるいは社会において形成される「生きづらさ」などの構造をただ指摘する、それだけでは不十分だということだ。

メディアに表出されるイメージ改善点を見つける。違和感を見つける。営為としてよろしいことだ。ただ、それだけでは駄目だ。つまり「あれがおかしい、これがおかしい。ポリティカルコネクトネスに反する。」というだけでは駄目だということ。

なぜ改善すべき事態が起こっているのか? どうしたら改善できるのか? 改善すべきなのに、なぜ出来ない現状があるのか? 

これらを考えなくてはならない。実現するかはともかく、考えることが大切だ。

既成概念の誤りや不十分さを指摘するのは簡単なことで小学生でもできる。脱構築は簡単なことだ。気付きさえすれば表出できる。

しかし難しいのは再構築の方で、では、よりよく改善するにはどうしたらいいのか? これはなかなか難しい。難しいからこそ考えなばらなないし、難しいからこそやる価値がある。

おばさんキャラの話だと、ブコメで事例があがっていたり、おばさんが登場するこういう話なら面白い、などの指摘があった。肝要なのはこうした思考を持つことで、ただポリティカルコネクトネス齟齬を指摘するのでは不十分だということ。

最近ネットでは、誤りを指摘することだけで仕事した気になる中高生みたいな連中が(中高生含めて)多すぎる。その向こう側にある「なぜ?」あるいは「改善するにはどうすれば?」の再構築こそが大切なのだ

2015-08-29

プリリズはバックグラウンドが極限状況だからキャラがどんな悪いことしても「まあしょうがないかな…」ってなる。

アイカツバックグラウンド平時平時なので人間営為のものの罪業を浮き彫りにしてくるのが怖い。

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