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はてなキーワード: 血液型性格判断とは

2023-05-28

anond:20230527184404

正式な診断なんてないよ。

HSPって血液型性格判断と同じようなもの

これを提唱したエレイン博士が作った20だか25だかのチェックリストに当てはまるとそうですよ、という程度の占いレベル

専門家はこの概念を使わない。

たまに金儲け主義精神科医がこれの診断とか言ってるけど、トンデモ医だから

臨床心理士やってるけど、患者から「私HSPなんで…」って言われると、「あっ…」ってなるくらいめんどくさいやつ。

HSP障害ではない」というのが悪い意味で独り歩きしていて、実は発達障害なのに「私はHSPなので発達障害者扱いしないで!」という厄介さんが増えて困ってる。

チェックリストに当てはまることって、ASDADHDにも当てはまる項目もあるのだが、それを認めたくない奴が都合よくHSPを使う。

HSP自称する人はヤバいやつ」の認識が広まってほしい。

2021-07-03

なぜ、電源タップケーブルで音質が変わると思ってしまうのか

一部のオーディオマニアは、電源タップケーブルを「良いもの」に変えると音質が向上すると信じている。

常識で考えて、そんなわけはないのだが、なぜ彼らはそんな荒唐無稽妄想を抱いてしまうのか。(たとえばケーブルによって変わる電気的な特性は、導線の抵抗値くらいしかないが、それは部屋の温度が数度変わるのと同じ程度の影響しかない)

ここでは、そんな彼らの多くが共通して信じている理論の紹介と、なぜ人はそういうニセ科学を信じてしまうのかについて説明する。

きれいな電気」という概念

オーディオに関する非科学を信じる人の多くが共通して持っている考えは、電気には「きれいな電気」と「そうでない電気」があるというものだ。これはちょうど、飲料水に「きれいな水」と「そうでない水」があり、きれいな水を飲むと健康に良いと言うようなものだ。電気場合は当然、「きれいな電気」で駆動したスピーカーからは「良い音」が発せられると彼らは主張する。

彼らによれば、家庭用の電源や大衆向けオーディオ機器流れる電気は「きれいな電気」ではない。それをオーディオマニア向けの高額製品を使って変換したり、「不純物」の少ないケーブルを通すことで、スピーカーに「きれいな電気」が流れるらしい。

この理論の秀逸なところは、その単純さにある。本来、音質を決定づける要因は無数にあり、それらは複雑に影響しあっている。それらをすべて把握することは容易ではない。しかし、「きれいな電気理論」なら、

「高額オーディオ製品を通す→きれいな電気流れる→音質がよくなる」

となり、単純明快だ。水質と健康アナロジー理解やすいのもポイントだ。

安易理屈がつけられるものを信じようとする」という思考停止

オーディオオカルトに限らず、多くのニセ科学共通するのが、問題を過度に単純化して説明を試みる点だ。マイナスイオン身体に良くてプラスイオン身体に悪いし、血液型性格判断診断なら人間性格は4種類に分類できるし、波動測定装置を使えばあらゆる食品身体にいいかどうかたった1つの指標で判定可能だ。

もちろん、「問題単純化して説明する」というアプローチ自体は間違っていない。たとえば、力学で摩擦や空気抵抗が非常に小さいならば、それらは無いものとして考える。疑似科学問題は、その理論を立証する過程実験者の主観排除するしくみが備わっていなかったり、そもそも理論中の概念が適切に定義されていなかったりする点だ。オーディオ場合で言えば、音質の評価は聴者の主観対象製品への先入観に大きく依存するし、そもそも「よい音」とか「きれいな電気」の実態も正確に定義されていない。

から、この種の「きれいな電気を流せば音質がよくなる論」は疑似科学である

なぜ、オーディオマニアはこのような疑似科学を信じるのか?結局、人は安易理屈がつけられるものを信じるということだ。オーディオ機器の内部構造やそれらの音質に与える影響を正確に理解するには、どうしたって大学レベル物理工学知識が要る。一方、オーディオマニア理論なら

これだけの理解で済む。一部の人達にとっては、小難しい数式を出されるよりも、こちらの方が説得力があるのだろう。 

ただ、事実はこの説明の通りにはなっていない。ケーブルや電源タップの変化をブラインドテストで聴き分けられた人は、この世に存在しない。結論としては、音質の向上を期待してそんなところに金をかけるのは、馬鹿げていると言える。

2020-09-07

読書効能でっち上げるのはやめよう

嘘はよくない。

読書で読解力が上がるとか、教養が深まるとか、そういう根拠の無い嘘を広めるのはやめよう。

根拠のないことで他人批判したりするのは単なる差別だ。血液型性格判断他人判断するようなものだ。

2020-07-22

オタクジェンダー規範に関する研究を読もう

twitterでたまに、男オタクは女や非オタク男と比べて「男は仕事、女は家事」のような性別役割分業を支持する割合が高く保守的である、という結論の棒グラフが回ってきているのを見かける(例:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/phanomenologist/status/1228500960588124163)。あれはしばしばフェミニストによって「男オタク女性蔑視の表れ」のように引用されるが、そもそもどういう文脈で出てきた棒グラフだったかちゃんと確かめた人はいるのだろうか? そして、あのグラフをめぐって学者同士の意見対立していることはどのくらい知られているのだろうか?

ということで、以下であのグラフが出てきた文脈を紹介してみるよ! なお、増田は男オタクだけど、統計とか専門外だよ!

あの棒グラフの出典は、社会学者北田暁大による若者趣味に関する研究の一節である北田 2017: 291)。だがもちろん研究というものはそれだけで完結するものではなく先行研究の積み上げた文脈のもとに成り立つものだ。そして北田(2017)が特に目の敵にして批判しているのが、心理学者山岡重行による研究である山岡2016年単著において腐女子心理学的に分析し、腐女子恋愛観だけでなく彼女たちに向けられたイメージについても論じた(山岡 2016)。

山岡研究はどう評価すればいいのか難しい。確かに興味深い点が多く、たとえば2015年時点でもオタクに対する否定的イメージ存在し、そのなかでも腐女子は同じオタクから否定的に見られているということを学術的に明らかにしたこと山岡 2016: 99, 132)などは、オタクあいだでは公然事実とはいえ一定の意義があるだろう。しかし一方で、男オタク腐女子は相性が良いんだからもっと恋愛すればいいのにというようなアドバイス大きなお世話というかソバイスの極みであり、腐女子心理について質問調査のみに基づいてものを言うのはいいとしてもBL作品構造を論じる上でテキストクリティークを欠いていることは理解しがたい(山岡 2016: 229-230)。山岡データに基づく研究重要性を主張するが、物語構造などの質的な面に踏み込むのであれば、数字で示されたデータだけでなく様々なテクストに当たって読み込むという人文学的な手法採用する必要があるはずだ。心理学実証研究としては面白いが、実証以外の部分で余計なことを言い過ぎている、という評価をするのが最も良いだろうか。

では、それを批判した北田研究はどのようなものなのだろうか。実はこれ、読んでみるとわかるがかなりのツッコミどころの塊なのだ

まず、北田がこの調査で用いた方法論について確認してみよう。北田依拠しているのは、2010年練馬区1988年1990年まれの男女に対して行った調査である。つまり2020年現在アラサーに対して10年前に行われた調査に基づくデータである。このデータは、北田が中心となっている若者趣味についての共同研究の一環として採られたものであり、北田(2017)が収録されている本に収められた他の論文も同様にこのデータを出典としている。

北田は、東浩紀(2001)のデータベース消費論に依拠しつつ、男オタクの消費が東の言うようなデータベース消費である一方で女オタクすなわち腐女子(ここ、「ん?」と思う人が多いだろうけどとりあえず脇において続きを読んでほしい)の消費が関係性消費である、という先行研究提示される図式を踏襲する形で分析を進めていく。当然、ではこの論文で言う男オタクと女オタクってのはどんな集団を指すんだ、腐女子かどうかはどうやって決めるんだ、という操作定義が求められるわけだが、北田がどんな定義をしているのかを以下で見てみよう。

北田はまずオタク操作定義を示すが、この時点で首を傾げてしまう。たとえば「ライトノベルが好きだ」という質問はいいとして、「マンガきっかけでできた友だちがいる」や「アニメきっかけでできた友だちがいる」という項目は、そりゃそれに当てはまるオタク大勢いるだろうがコンテンツきっかけでできた友人がいるかどうかはオタクとしての本質に何も関係ないよね? もちろんこの研究では若者趣味というテーマを掲げていて、趣味人間関係がどう連関しているかという点も研究対象に入るわけだからそういう質問項目が悪いわけではないのだが、それをオタク定義に使われると困惑するほかない。やめてください! 友達がいないオタクもいるんですよ!

そして北田は、上記のような質問定義した「オタク」を更に「二次創作が好きか否か」で分類する。つまりオタクを「二次オタク」「非二次オタク」に区分し、それをさらに男女で分けるわけである。そしてこの「二次創作好き」というのを定義する指標として「マンガ二次創作(同じ登場人物で、原作ストーリーとは違うストーリーを考えたり読んだりすること)に興味がある」(北田 2017: 270)というのを持ち出している……えーっと、これだと、銀河英雄伝説』も『炎の蜃気楼』も『東方』も『アイドルマスター』も原典マンガではないので当てはまらないのではないか? この調査の後にヒットした『ラブライブ!』も『艦隊これくしょん』も『刀剣乱舞』も『ユーリ!!! on ICE』も、いずれも原作マンガではない。仮に私が当時練馬区に住んでいてこんなアンケートを渡されていたら、「私が買っているのはアニメ作品二次創作なんだけど……」と回答に悩んでいたことだろう。「作品」「コンテンツ」とでも言い換えれば済むところをなぜ「マンガ」と表現したのか理解に苦しむ。ゲームを全部ファミコンと呼ぶおかんかよ(この喩えもいい加減古くなってきたな……)。

さらにこの調査は、「二次創作が好きな女性オタク女性二次オタク)」と「二次創作が好きではない女性オタク女性二次オタク)」を区別しているが、肝心の二次創作の中身については区別していない。つまりBL同人を読んでいようが男女カプの二次創作をしていようが「女性二次オタク」だし、商業BL一次創作同人専門の読み手二次創作に手を出していなければ「女性二次オタクである。つまりこれは、二次創作が好きなオタクを析出することはできても、本質的に腐女子を析出できる調査ではありえない。もちろん同じことが男オタクにも当てはまり、女キャラ無駄淫乱になって男相手にサカる同人誌も女キャラ同士がプラトニックイチャイチャする同人誌も同じ「二次創作である。種つけおじさんレイプ百合区別できない質問項目をもとにデータベース消費と関係性消費の対立みたいなこと言っていいのかな……いやダメでしょ。

だが北田定義おかしさはこれに留まらない。彼はなんと、「二次創作好きでオタク度の高い女性を『腐女子』という言葉でまとめあげることにはもちろん問題がある。二次創作好きとBL好き、やおい好き、女オタクなどの差異を孕んださまざまな概念が交差する地点に『腐女子概念存在している」としつつも、便宜的に「『二次創作好きで、オタク尺度が高位2層である女性』を、操作的に腐女子と」定義している(北田 2017: 307)。はぁ???

言うまでもなく、腐女子の全員が二次創作に興味を持つわけではなく、二次創作に興味を持つ女性オタクの全員が腐女子でもないのだから(男女CP百合の愛好者はどうすればいいんだ)、この段階で北田研究対象を正確に捉えられていないことがわかる。BLが好き」という質問項目を入れてないのに「腐女子」の操作定義なんてできるわけないだろ! この問題については山岡からtwitterでツッコまれているほか(https://twitter.com/yamaokashige/status/1131363111636615168)、「興味」と「嗜好」を区別すべきだとも批判されている(山岡 2019: 21)。妥当な指摘だろう。意地悪なこと言うけどさ、これを注に放り込んでるのって悪意ありますよね?

さらに、男オタクに関しても、「二次創作好きオタク男性ディープ男性オタク」(北田 2017: 294)と記述している。当たり前だが二次創作にはたいして関心もないがディープオタクはいるだろうと言わざるを得ない。声優のおっかけを熱心にやっているオタクディープオタクではあるかもしれないが二次創作が好きなオタクとはいえないだろう。

総じて、北田研究は、オタクとしてディープであるか否かとか腐女子であるか否かといったことを、すべて「二次創作が好きか」で測ろうとしている。だがそれはとんでもない勘違いである二次創作好きな人ディープオタク腐女子であることとの間にはある程度の相関関係はあるだろうが、あくま論理的には一対一で対応しているわけではないのだからディープオタク定義したければ注ぎ込んだ時間やカネや知識量を、腐女子定義したければBL趣味の有無を、それぞれ尋ねるべきだったのだ(特に客観的な測定が困難な「ディープオタク」と違って、腐女子かどうかは「BLが好きだ」という項目を入れた上で性別と組み合わせれば一発で判定できるのだから、ここで手抜きをしているのは許しがたい)。

少なくとも山岡の著書にはパッと見で「おかしいぞ?」と思うような操作定義あんまり見当たらなかったのに、北田論文操作定義はパッと見でもわかるツッコミどころが多すぎる。これもうどんグラフ出されても信用できないでしょ。データの処理とか以前に操作定義おかしいんだもん。

で、北田にさんざんdisられた山岡は別の著書(山岡 2019)を発表して北田反論している。個人的にはその議論はおおむね妥当であるように思えたので、詳しく知りたい人は山岡(2019)を読むか、彼のtwitterを見てほしい。私は統計とか詳しくなくて、前提となっている操作定義おかしさは指摘できても、標準得点に差があることは「対極にある」ことを意味しない(https://twitter.com/yamaokashige/status/1125940271298990080)とか、このへんはまったく気づかなかったので。

最後に、北田山岡のどちらの研究おかしい、と思ったポイントがあるので言及しておく。

北田データ練馬区若者から採ったものであり、山岡データ都内複数私立大学学生から採ったものである。つまり東京圏居住しているか、通える距離に住んでいる若者データに偏っており、さら後者大学生のみのデータとなっている。これが血液型性格判断の話であればいいかもしれないが(よくないけど)、オタク文化拠点東京などの大都市に集積していることと、就労等によって趣味との関わり方が変化すること、そして趣味学歴が及ぼす影響を考えると、東京圏若者」のみに焦点を合わせて「オタク」の全体像を論じることは適当ではない。そこで集められたサンプルは、オタクコンテンツが身近に溢れていて可処分時間が多く学歴も高いオタクサンプルに過ぎず、オタク代表例とも若者代表例ともいえない。

とはいえ、では他にどういう調査のやりようがあったのか? というと、思いつく計画がどれも高額の研究費を要求するものになってしまって個々人の研究ではなかなか厳しい。少なくとも、東京だけでなく日本全国(最低でも、大阪札幌などの東京以外の大都市圏)からサンプルを抽出することは必要だろうし、そのサンプル調査には大勢非オタクも引っかかる以上はサンプル数もそれなりのものにする必要があるだろうし……こういう大がかりな質問紙使った研究ってやったことないかイメージ湧かないんだけどどんくらい金かかるんだろう。

それと、北田山岡統計データを重視しているので、あえて質的研究には踏み込んでいないのだろうが、それでもやはりいずれの研究当事者の言説分析を欠いていることは大きな欠点であろう。オタク自分たちについて膨大な自分語りを残してきており、それを悉皆調査すべきだとは無論言わないが男オタク腐女子自分たちのことをどう語っているのかも踏まえた上で論じられればなお良かったんじゃないかな。もちろんそれは大規模な質問調査並にめんどくさい手続きであり、代表性とかどうやって保証するんだ、という感じではあるのだが、せめてオタク自身の手になる非学術的な文献はもっと多く引用されていてもよかったのではないか。それは一歩間違えば大塚英志(2018: 136-140)が指摘するような当事者営為無視した簒奪的な研究にもなりかねない、と思う(もちろん彼らは文化のものを論じているわけではないので、文化を論じる研究者に求められるほどの慎重さは要求しなくてもいいとは思うが)。

いやでもやっぱりこれ北田(2017)のほうがひどいわ。山岡(2016; 2019)の操作定義を見てると、彼自身オタクではないにせよ、趣味によってつながる人間関係のありようみたいなのを肌感覚でわかってるって感じがするけど、北田定義トンチンカンなんだもん。もしわかった上でやってるならクソだけど、仮に本気でああい定義を持ち出してきたんだとしたら、それはもう根本的に趣味でつながる人間関係がどんな感じなのか肌でわかってないってことだよね。趣味人としてのリアルからかけ離れすぎてるんだよな。

あと北田研究がひどすぎるからって社会学全般が悪く言われないといけない理由はないので念のため。北田研究別に社会学者なら誰もが参照してしかるべきみたいな位置づけのそれではないので……

追記

よく分からんのだが、その北田氏の研究がいい加減なものだとしても

2007年練馬区若者においては、漫画アニメが好きで二次創作を好む男が

それ以外と比べて保守的男尊女卑傾向だ、って事はとりあえず事実、って事になるのでは

anond:20200722104112

これ、回答の平均値じゃなくて標準得点を元にしたグラフなのよ。標準得点をもとにそんなこと言えるか? って山岡批判してるからそれ読んで(https://twitter.com/yamaokashige/status/1126035720122953729)。

ワイが間違ってたわ。言えるっぽい。すまん。

続きはanond:20200722142616で。

文献一覧(あいうえお順)

2020-07-13

表現の自由大事と思ってる者がポリコレ民に聞きたいんだが

エセ科学はどうでもいいのか?

正直自分は、科学統計的否定されてる某血液型性格判断とかとてもとても許容できない。

だけど基本使ってる本人達は「科学的に正しくないかもと薄々思ってるけど楽しい面白い)」と思ってるし、それを否定するのは自由侵害と思って邪魔したりや規制して欲しいとも思わない、ようにしてる。

だけど何ら根拠の決めつけや差別ってポリコレ民的にアウトじゃないのか?

そうなると宗教や各種占いその他もろもろはどうなの?

さらには根拠のない放○脳とか反ワクチンとかどうなの?

はっきり言ってこれらは人を傷つけたり人権侵害レベルのものも多くあるから正直規制して欲しいとも思いたくもなる。

自分自分主義表現の自由」と「科学的に正しくないもの排除規制すべき」というジレンマでいつも苦々しく思ってんだけど、ポリコレ民にはそういうのないの?

自分が嫌いだからダメ」って安易に言ってるだけじゃないの?

2020-02-13

anond:20200213103833

あらゆる人間には差があるのに何で人種かいう3種類しかない分類にこだわるんですか?血液型性格判断とか好きですか?

2019-12-26

anond:20191226201018

女性マイナスイオンとか血液型性格判断とかマクロビとかデトックスとかそういうデマが大好きなんだ。

まり男女関係なく人間デマが大好きなんだよ。

いま君が挙げた事例のなかにデマが混じっているよ。探してみよう。

2019-10-19

女性は察しが良い」という神経神話女性暴走させる

「スケベな男の子の考えなんてみーんな分かってるんだからね!」とか言って自信満々に見当違いな結論に達してるのが現状じゃん。

男性女性気持ちが分からないけど女性男性本音理解してる」みたいなのは差別的神話だと認めようぜ。

血液型性格判断を信じて「あの子ってA型からこういうとこあるよねー」とか言ってんのと変わらないという自覚を持とう。

それからでないとまともな議論はできない。

2018-06-19

ネタ以外で血液型性格判断信じてるアホいるのか?

そんなのO型ぐらいだろ

2017-12-11

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

2017-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20170529112716

そういやはてなの嘘松認定シリーズの中に

血液型性格判断はみんな話のタネにしているだけなので、ガチ判断に使ってくる奴なんかいるわけがない。よって嘘松」

ってのがあったな

2017-04-27

血液型性格判断には根拠がないという疑似科学

B型です。(血液型性格判断には根拠がないという「情強のオレカッケー」の方には意味のない情報ですが。)

さて、「情強のオレカッケー」の方々は、おそらくネットちょっと調べて「血液型性格判断には科学的根拠がない」みたいのをちょっと読んで「オレカッケー」になってしまったんだと思います。ですが残念ながらそれは情弱疑似科学典型です。「血液型性格に関連がないという十分な(生物科学的根拠がある」と「血液型性格に関連があるという十分な科学的根拠がない」とは全く別だからです。(もしかしたらオレカッケーの方々には理解できないかもしれません。情弱なので。)

血液型とフェノタイプに関連があるということに関しては少数ですが科学的と言えるデータがあります。例えば http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S002561961401043X 血液型と心疾患の感受性の関連を示した論文です。

血液型性格に関連がないと言うためには最低限次の2つを合理的説明する必要があると思います

①心疾患のような生存に関連するフェノタイプに差があるのに、それが進化過程で行動パターン形成に影響を及ぼさなかった理由

②例えばA型B型にフェノタイプの差がないのであれば、数十万年ランダム選択淘汰圧)でA型B型の数が同数になっているはずだがそうでない理由

血液型性格に関連があるという科学的なデータがない理由としては、そのコスト(数千万円✕数年)の割に、ビッグジャーナルには倫理的理由掲載されないリスクがあるからでは?と思っています情強先生方、どうぞ上記2点の反証をお願い致します。

2016-12-25

A型世界

血液型性格判断は嘘だ。

でも、血液型の話をするのはA型だと思っている。

A型が数人集まって血液型の話になってB型悪口を言って、A型の結束を固める。そのために血液型はある。

そんなA型から見た世界はこうだ。

A型→仲間。苦労話を分かち合う。一緒にいると安心する。

O型→仲間。大ざっぱでおおらかで包み込んでくれる。好き。

B型→分かりあえない。傷つけてくる。攻撃的。することが全部雑。

AB型B型に近いんだけど違う世界を歩いているので、逆に安心して見ていられる。

A型O型だけになったら世界平和になると思うんだけどどう?

2016-05-04

UFO怪談血液型性格判断ってテレビ特集されなくなったな

やっぱり科学的根拠が皆無のもの発言するのが駄目だって批判が多いからだろうかね。

そういえばアニメ昭和アニメばかり推す番組が長い間放送されてきたけど、いつからか無くなったよね。

柴田理恵が毎回同じ場面で泣くシーンが名物だったからね。俺はチャンネル変えてたけど。

日本アニメーションって会社ハウス食品とかが提供してるアニメがよく放送されてたけど、

実はこども劇場って関西(テレビ大阪など)で放送してたアニメ番組もいつの間にか立ち消えになっててその後番組には韓国ドラマ放送されてたりする。

テレ朝系で何時間SPクイズ番組もいつの間にか無くなって今あるのは外国人日本賛美とか外国に住む日本人が凄いとかそういう外国の目から見た日本人像みたいなのが

たくさん放送され出して最近違和感申し訳ない気持ちでいっぱいになってる。

申し訳ないって言うのは、自分は大した日本人じゃないのにテレビではやたら日本贔屓されてて日本人が美化され過ぎてるんだよね。

そりゃノルウェー国立バレエ団の西野麻衣子みたいな超の付く素晴らしい日本人ならともかく、何でもない様な外国の家でシェアしてる日本人とか日本人妻とか

まあ確かに面白い話も多いけど、そこまでして日本人は素晴らしいの!って言いたいのはちょっとした病気じゃないかと思えてならない。

じゃあ何でアルカイダに行った日本人は素晴らしいって放送されないんだろうね。

外国にいる日本人は素晴らしいんなら真っ先に放送しろよって思うわ。勿論アイロニーでだよ?

何かさ、最近安倍総理も在籍してて問題視されてるカルト団体日本会議日本人を賛美する番組を作れって強要されてんの?

それとも電通博報堂などの広告会社テレビ局圧力をかけて日本人世界で最高の民族だって中華思想を吹聴するように急かしてるの?

けどテレビでわざわざ特集するんだから、きっとUFOとか怪談とか血液型性格判断みたいに純粋気持ち日本人スバシイ!を放送してるって好意的に見るよ。

まあ、見ないけど(笑)

2015-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20151228165834

どっちかというと「科学的根拠のない血液型性格判断差別の温床となるから血税を使って喧伝するな」みたいなのに近いんじゃないかね。

そういう何の根拠もない迷信や慣習が差別の温床になってるという。

2015-12-02

もう限界が、勢い余って腕骨折

街の明かりが ♪ とてもキレイね、ヨコハマブルーライト・ヨコーハマー

明かりがキレイではなくて、暗くなると視力が落ちる、鳥目というヤツですよ

スマホブルーライトという怪しい光をオーラ血液型性格判断くらい怪しいものしか考えていなかったが

半年ごとにメガネを作り変えているとこのまま失明するんじゃないかと思って、スマホ増田卒業と思っていた矢先

対向車のライトが目に入ったあと、路面に視線を落とすと暗くて凸凹が見えない

明暗順応ってヤツだね

薄暮時/自転車前転/腕、骨折」、、、、字余り

スマホ使用量に比例して目のピントを調整する筋肉も固まるそうだ

視力が落ちると同時に、明るいところから暗いところへの切り替え応答が鈍くなる

誰だ!あんなところに縁石おいた行政!?フルスピードで前輪から突っ込んで前転しながら投げ出された

地面に激突するときハムッ」と言った声が出た

よろよろ、何か大変なことになった、あごと肩が痛い、しこたま打ったようだ、恥骨あたりも痛いぞ

しばらくしたら、ふらふらは収まったが腕が上がらない

近くに幸いなことに外科看板下げている医院があったので応急処置してもらってタクシー呼んでもらって帰る

明日、整形に行って精密検査してもらってくださいね」と

自宅に戻ってパンツを下げたら恥骨のあたりが腫れている、というか内出血のようにタプタプ

人間の体は良くできている、恥骨がガードとなってチンコを守るのだ

「2個ヨシ、感覚ヨシ、尿通ヨシ」指差確認して寝る

しかし夜中に急変してチンコが取れたら大変だ

救急隊が入ってこられるように、今日は鍵かけずに寝よう。意外と観察深く冷静な私

会社休んで整形に行ったら上腕骨の肩側のゲンコツの付け根にヒビが入っているって

恥骨は無事

ちなみにチンコは皮の部分が腫れてドス黒い赤に、でも先っちょの亀さんは変わらずピンクです

どうぞスマホでの増田の書き過ぎにはどなた様もお気をつけて

すいすい水曜日

2015-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20151101150210

若者というより、敗戦後の日本人気質だと私は思いますSNS環境が生まれその中で生まれまとめサイトという背景にたまたま居合わせたのが今の10代〜20代なのでは?だから昭和生まれ10代をタイムスリップさせてこの環境下に放り込んでも似たような結果の反応になると思います

マスメディアに対するメディアリテラシー教育義務化すべきですし、日本人GHQに侵されてから根本蔑ろにする国民性となってしまったんです。

血液型性格判断なんて根拠のないものをなんの疑いもなく信じているのが世界の中で日本人韓国人だけという事実物語っています

2015-03-25

トマス紙みたいに使ってる言葉や行動って、ある?

ぼくは大きく2つ。 

"安心安全"を一緒にして使うか(○○の安全そして住民の方々の安心とか、意味として分けて使うならセーフ)ってのと、血液型性格判断を信じないか(消極的否定でもOK)の2つです。

"安心安全"を一緒にして使ってるのを耳にすると、言葉意味や内容について頓着しない人かなと思って、その人の評価からポイントくらい引く感じです。逆に意味として分けて使ってる人は、そういうことに敏感そうだなってことで+2ポイントって感じです。

血液型性格判断は、信じてないってそぶりが見られたら+3ポイントです。その場の空気とかに流されず、理論的、科学的な判断する人かなーと思うので。

ただ、血液型性格判断積極的に信じてなくてもコミュニケーション有効ネタとして流通してるし、安易否定すると空気読まない感も出るので、あんまりよく分からないんですよねーとか言って話に参加しないとかの、消極的否定でもOKです。言いにくいからこそ、そういうそぶりが見えたら+3ポイント、話に参加すること自体は±0って感じです。

「リトマス紙みたいに使ってる言葉や行動」っていうのは、あまり文脈に左右されず、ある言葉や態度を見ることで相手への信頼感が増えたり減ったりする自分基準、というような意味で書きました。

そういうワードって、なんか皆さん持ってますか?

2014-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20141122180445

血液型性格判断については、

B型、それ以外、

という区分だけでいいと思う。ところでなんでB型ってまともな人が滅多に居ないの?

2014-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20141121140150

血液型には偏りがあるから、ある集団に たまたま AB型が多いことだって まれにあるさ。

そういうただの偶然を 取り上げただけなのに、

血液型性格判断」の話と結びつけるコミュニティは 健全なのだろうか?

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