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はてなキーワード: パニック発作とは

2024-11-13

小中不登校高校中退大学中退

自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき心因性頻尿になって外に出られなくなった。

金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。

それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自自分に何が起こったのか理解できなかった。

学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。

学校に行けなくなった。

学歴主義権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。

私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、

リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。

そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校不登校になって、高校も退学した。

大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、

中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で

MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。

田舎を出て、東京で姉と二人暮らしをすることになった。

大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。

自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。

復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。

私の時代不登校発達障害時代最先端社会問題で、まだ数が少なく、学校大学側も対応に苦慮していた。

体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。

大学地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学勉強し、

ヴェーバーやデュルケム、フーコーマクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。

大学時代地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワーク初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。

それから何冊か自分ネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、

自分文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。

しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。

大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。

毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。

ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分計算し、心が折れた。

何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。

大学中退後は、大学時代にできなかったことをしようと思い、

画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真けが自分が唯一続けてきたものだった。

それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。

父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。

父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳年金を取得した。

初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分家具を買っていいことに気づいた。

家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。

友人が美術館バイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。

が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。

休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館スタッフを少しやって、年末年始地元に帰った。

両親に、戻ってくるように言われた。

父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。

利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない

人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。

私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。

地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。

それからバイトを増やしたが、結局駄目になって初夏に辞めた。

すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。

小さめの不動産会社事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。

私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援ギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。

課税世帯なので、返済する必要はないか安心して、説明された。

自分決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、

それを使い生活保護でもやっていける物件引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。

就労移行支援は少し通ったが、この時間バイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。

並行して勉強を進め、基本情報技術者試験合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社資料作りのバイトをし、

その間にMOSExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。

翌年バイト契約終了になったので、ネットワーク仕事チャレンジすることにした。

人生で初めてのフルタイムバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。

柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。

価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。

それから3ヶ月ほどは、毎日法人向けのNW開通をしていた。

薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。

ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。

毎日現地作業員電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。

障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。

ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。

ネットワークエンジニアになりたかった。

諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワーク仕事をやることになった。

今度は客先常駐仕事に出る前に第一陸上特殊無線技師資格を取った。

高校数学赤点だったので、選抜試験養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。

そのあと1時間半ほどかかる場所夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。

夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。

心が折れて、障害者雇用仕事を探し始めた。

大手IT企業の子会社で、採用仕事をした。面接はいずれIT仕事を回してくれると言っていたが、

一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。

障害者雇用契約社員として、またIT企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、

今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。

ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。

今の案件は年内で終了するらしい。

数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。

貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。

まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、

リモートから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。

私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと

自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。

から、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。

今の時代障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。

何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、

マイノリティ自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。

社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。

今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。

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私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。

人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。

特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。

私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから

小中不登校高校大学中退でも、なんとか生きてるよ。

…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。

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追記

思ったより反響があって驚きました。

タイトル自分人生象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という

素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。

励ましの言葉アドバイス叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます

わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。

障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。

ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。

カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります

高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語IQ動作IQ結構な隔たりがありました。

当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。

一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。

今は人から障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。

慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦しか生きていけないと思います」という

大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に

自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。

大学でも発達障害中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので

これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります

自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。

人を観察して、絵文字顔文字ちゃんと使って明るく取っつきやすイメージを持ってもらえるよう修正し、

見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって

人格の中に融合されたのかな、と思う部分もあります

人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが

とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います

お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。

まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。

人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまものですが

そのように思う瞬間はあっても、絶対客観性を失わないようにしようと常に思っています

同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。

自分もまだまだこれから乗り越えなければならないことがたくさんあります

同じように大変な境遇の方の励ましになったらいいなと思います

2024-10-10

結局さ、「可哀想でしょ?自分」 なのかな。

風呂キャンセル界隈。別に明日も出かけないんだからいいだろ、二日入ってなくても。

さっきテレビで、ラーメン食べるときチャーシューから食べれば太らない!?みたいなテーマ番組がやってたから、ぼーっと見てた。いや、胡散臭すぎるだろ。麺を先に口にした場合、体がデンプンに反応し、インスリンの量が急上昇して太りやす状態となる。チャーシューから食べると糖の吸収が穏やかになる。とのことらしい。チャンカワイが三日間9食ラーメン食って、少し体重減ってたけど そりゃ、間食抜きである程度量の決まっているものを三食(例えラーメンだとしても)食えば体重が減るだろ。てか、ラーメン食べるときに胃の中が空っぽ状態じゃなきゃ意味なくない?知らんけど。例え体重は減ったとしても、体の状態は最悪で早死にルートであろう。(笑)意味の分からない番組だったか最後まで見てないから、詳しくは知らない。なんかこんな感じで、一生頭の中がどうでもいいことでグルグルしている。ラーメンの次はこれ、Xで見た中学生の娘に縮毛矯正をさせるべきか?のポスト。ぼくも中学生の時に、母親から進められて縮毛したなと。それでいうと、歯列矯正も。約10年弱位かけて綺麗な歯を手に入れ、口開けて笑えるようになった。今となっては、めちゃくちゃやってよかったことだしさ もちろん有難いと思ってる。でも、当時自分意志ってあったっけ?自分意志根底はいつも母がいて、怒られないために行動している。ということに気付いた時、絶望した。そんで、いつのからか「親に怒られること」を回避する癖がつくようになってた。したい、ほしい、好きなものも言えなかった。そんなぼくを、何をしているかからない子供、何考えてるかわからない、おかしいって言われて、親戚間でもボロクソに言われてる。従兄弟たちが話聞いてくれたりしたこともあったけど、裏では更生施設ぶち込めば?とか辛いアピールかよ。とかラインでやり取りしてたもーん。ガーン。軽い気持ちで母の携帯を見たら、パニック発作起こしたが、まあ知れて良かったのかもね。尚更、(するつもりもないけど)誰も信用できないな。いつか、お前らの所有物じゃねえんだよ、意思あるんだわ って言えたらいいけどさ。

人生に呆れ、生きる活力がない、現状どうにかしたいけどマイナス思考が止まらない。どうしたらいいのかわからない。常人からしてみたら、こんなの「分かってもらえなくて死を願う生存本能抗う特別人間」とか他責(←これら、実際に言われたことで~す)とか思いますよね、日記から許してくれ。ここでやっと吐き出せるんだ。

2024-03-31

中途半端延命されてしまって辛い

教員暴言不登校フリースクールに通うように→中学卒業通信制高校入学→圧倒的に自由環境安心して3年間過ごす→卒業→何もできない無気力メンヘラの完成←いまここ

本来不登校になった時点で死んでたはずなのに、中途半端フリースクールを見つけてしまったせいで生存してしまった パニック障害PTSDも躁鬱も治ってないのに学生じゃなくなってしまった

私みたいなどうしようもない人間と関わってくれる友達もできてしまった 死んだら友人が悲しむと理解してしまった 惰性でも生きなきゃいけない

なのに圧迫面接パニック発作トラウマ仕事が決められない とかこんなに言い訳してる自分が本当に醜いし愚か やっぱり死んだ方がいいのでは?

2024-03-11

昨日不思議体験をした

パニック発作か何かで呼吸が苦しく、眠れなかったのだが

「このディレクトリCPU熱量の順番にソートする」

という意味不明呪文をなぜか頭の中で唱えていて、そうしたら発作が治って寝られた

脳をリプログラミングするとき意味不明言語になるのかね?

2024-03-03

anond:20240303132824

IQが低い男と結婚して、IQが低いASDADHD持ちの息子がうまれてきたら、完全にお終いだもんなあ

ASDADHD持ちがうまくいっているケースってIQが高い、容姿が少なくとも偏差値40以上、のケースしかないと思う

ASDADHD持ちだからこそ高IQ容姿偏差値40以上必須いかないと厳しいよね

これだけ頑張って高IQ結婚しても息子のASD遺伝の発現の仕方が重度の感覚過敏や重度のパニック発作だった場合マジで終わりです

女性だとASD持っててもそんなに他害として発現しなくて、それが女性ホルモンの恩恵(?)などと言われることがあるけど、息子だとまれに大地雷

2024-02-26

anond:20240226115404

処方された量しか使ってない

最初自分でやめようとした時は全身が痺れたり眠れなくなったりパニック発作が起きたりした

なので一錠を8等分ぐらいにして、最初は7/8、次は6/8、次は5/8みたいに徐々に減らしたらなんとかやめられた

今は無くても寝られる

2024-01-14

anond:20240114133501

狭いとパニック発作を起こすから乗れない。JAL貴族が乗るヒコーキだと思ってるのでANAに乗るよ。

2024-01-09

anond:20240108232405

過去に2回、本気で救急車を呼ぼうか悩むレベルの強烈な腹痛に襲われてその場で動けなくなったけど、そうは思わなかったな

かわりにどう思ったかというと……

「早く、早くこの痛みの波が通り過ぎてくれーーー!」

神様に祈った(無宗教なのに)

参考にはしないでほしいのだけど、自分はそういうとき痛みのあまりパニック発作を起こしかけるからソラナックス頓服で飲んで、ついでにロキソニンムコスタのセットを飲んで、あとは体をひたすら温めて耐えたよ

一人暮らしで強烈な痛みに襲われたとき不安感はめっちゃ分かる

2023-12-03

真面目な大学生が堕ちて夜遊び、精神疾患になって休学するまでの話

今日は前に進む決意をした。

休学してからずっと「退学して就職」か「復学」の2択しかないと思ってたけど、小さなことがきっかけで「別の大学通信課程に入り直す」という選択肢に気づいた。本当にやりたかった事をもう一度目指す、それがこれからの私の道だと思ってる。

そんな小さな決意をしたついでに、入学してから休学するまでの事を書き留めておこうと思う。これは自己満足備忘録。もしもこの駄文を見る人がいたら、物凄く不愉快にさせてしまうかもしれない。でも許して欲しい、こういう人間が今この世に実在していること、これからやり直そうとしてることを。

私は幼少期から真面目な人間だった。

常識マナーに囚われたつまらない子供で、白黒はっきりしていない物事気持ち悪かったし、嫌いな物はとことん嫌いだった。自分中心に生きていたらいじめられてしまって不登校に。

そこから人間関係が怖くなって、周りの目ばかり気にするようになった。そして地元で最底辺と呼ばれるような高校に入って、友達ができて、恩師と出会った。楽しい高校生活の中で、とある学問勉強したくなり受験を決意した。

…というのは建前で、本音親族からの期待の目だった。「真面目だった私子ちゃんなら良い大学に入れる」「大学に入ってこそ」と古い価値観を幼少期から植え付けられていた私には、失望されるのが怖かった。

必死努力して合格した第一志望の大学

正月の親戚の集まりで褒められて、両親に渡される「合格祝い」と書かれた大金

そして比較される高卒の親戚。「私子ちゃん大学合格してすごいけど、親戚くんは……」

これで良かったはずなのに、気分が悪かった。

そうして低すぎる自己肯定感を背負って、大学一年生が始まった。完璧主義が悪い方向に働き、「全科目A以上は取れないとダメだ」と自分を追い込み、朝6時に家を出て夜の21時に帰宅する生活だった。見た目に関しても周りから浮かないように必死で、服を毎月買いまくり周りと比較しては死にたくなった。

思えばここら辺から異常だったんだと思う。

私は「学校は小さな世界で、その外には大きな世界が広がっているから、学校人間関係に囚われる必要は無い」というスタンス高校生活を過ごしてきた。しかし、大学に入った途端「大学世界の全て」になってしまった。外の世界が見えなくなった。

1人で授業を受けていることに対して何か言われるのが怖くて、友達を作ろうと必死だった。やっとできた友達は授業中にずっとスマホ、周りの人間もみんなスマホ。当たり前の景色なのに、「なんでここの人達大学に入ったんだろう?」と疑問に思ってイライラするようになった。

必死に話を合わせて笑って、「高校の頃はこんなじゃなかったのに」「情けない自分になった」なんて何度も思った。真面目にメモを取ってると、「真面目だね〜〜」なんて言われて、浮くかなって不安になって、メモを取るのが怖くなった。高校時代の友人からの遊びの誘いを断るようになり、大学勉強や浮かないファッションを探すのに必死だった。

がむしゃらに駆け抜けた数ヶ月、前期の終わり前に家族が亡くなり、ショックで2週間ほど外に出られなくなった。ここでS評価が取れないのは確定してしまった。一気にやる気がなくなり、手を抜いてテストを受けた。単位ひとつも落とさなかったけど、Sは2科目しか取れなかった。

そして夏休みに入った直後、はじめてのパニック発作が出る。何か調子が悪いんだろうと思っていたが、その後も大学の事を考えると過呼吸になる。メンタルクリニック受診したら、パニック障害の診断が下った。

そして休む間もなく後期が始まる。

その頃にはSNSで仲良くなった同じ大学の人たちと関わるようになった。6人くらいで形成された学部混合のグループの中で、愚痴や悩みをツイートして、慰め合う。そんな関係だった。

ずっと居場所がないように感じてた大学にようやく居場所を感じた。

ただ、私があまりにも弱すぎた。

その友人たちに合わせて、授業を飛んだりピ逃げするようになり、見た目も勧められるがままに金髪にして、高校の頃の恩師にドン引きされた。

未成年飲酒なんか大っ嫌いだったのに、みんなと一緒にいる為には……! と何度もお酒を飲んだ。周りに合わせて大量に飲んでは、記憶飛ばしたり、帰宅後に吐くような日々。

どんなに楽しんでも孤独感と疎外感が強くて、常にみんなについて行くことに必死だった。授業中Twitterが見れないと不安で、ずっとスマホをいじってた。単位を落としそうになったら救済を求め、行こうとしたら発作が出て、もう滅茶苦茶な生活になってた。

大学以前からの友人たちにもドン引きされてたけど、大学で居場所が無くなるよりはマシだと思った。そしてテストにも遅刻しかけて、修得単位は16。終わったと思った。

そのまま冬休みに入って、また飲みに行ったりする日々。どんどん心の調子が悪くなって、薬を増やした。良くならなくて、また流れるように2年前期が始まる。今期こそ真面目にやろう!と思っていた。

しかし、5月から、本当に大学に行けなくなってしまった。布団から出られない、外にも出られない。ご飯も食べられなくなり、トイレに行くだけで床を這いつくばって10分。自分でも何が起きたかからなかった。情けなかった。死にたかったけど、死ぬ気力すらなかった。

絶望的な2ヶ月をすごして夏休みに入り、休学を決意したが、8月半ばに突然元気になった。あまりにもパワーが溢れるもので、大学に行きたくて仕方がなかった。でも夏休みでやってないし……ってことで、ずっとダンベルを握りしめてた。とにかくトレーニングエアロバイクを漕ぎながらアニメを見る。最高!!!!!元気!!!!!周りが大丈夫なの?とか言ってたけど、全然問題ないと思ってた。やっと素の自分に戻れたと思った。

……で、10月に入り、また死にたくなった。

布団から出られない、ご飯が食べられない。生きてる心地がしない毎日絶望感、希死念慮

飛び降りようとしたタイミングたまたま高校時代の友人が心配して家まで来てくれて、号泣しながら話を聞いてもらったりした。それでも死にたくて、死ぬ手段をずっと考えてた。

大学の友人が1人、物凄く心配してくれていた。

気分転換に飲みに行こう」と言われ、復学後のことも考え何とか準備をして飲みに行った。またいつも通り煽られるまま飲んで、気がついたらその人とラブホテルにいた。訳がわからないまま豪華な天井からぶら下がったシャンデリアを眺めていた、あの光は今でも脳裏に焼き付いている。飲みに行きまくってる癖に男性経験殆どないようなものだったので、相手必死に挿入しようとしても入らなかった。あまりの激痛に叫んでしまい、ハッと酔いが覚めて、もう帰ろうと言ってホテルを出た。最悪の気分だった。本当に死んだ方がいい、このまま電車に飛び込もう、と思ったけれど、山手線にはホームドアがついていた。ここが私のどん底だったと思う。本当に最悪だった。

早く病院に行けよ、という話だが、私はメンタルクリニックの定期受診の日を待っていた。予約の電話をするのがめんどくさかったからだ。

そして定期受診当日、なんとか向かうと、担当先生が見たこともない表情で私の話を聞いてくれて、双極性障害と診断された。

薬を増やして数週間、効いてきたのか調子が良い。躁状態ほど明るくないが、鬱状態ほど暗くはない。

ゆっくりと過ぎ去る日々を落ち着いた気持ちで過ごせている。

落ち着いてる今だからこそ、自分が何故あそこまで周囲の目を気にしていたのかよくわからない。

自分を曲げてまで周りに合わせることも、本来大学目的が見えなくなってしまたことも、何もかも、馬鹿馬鹿しかったなと思う。何より、大学以前の友人は変わらず気にかけてくれて、ずっと仲良くしてくれていたのにそれが見えなくなっていたことが情けない。20歳になってからは、お酒殆ど飲まなくなった。友達と会う時も、着飾りすぎるのをやめて、自然体で公演を散歩するような過ごし方をしている。これからも、目の前のことに必死になって自分本来目的を見失うことがあると思う。でもこんな地獄みたいな経験をしたからこそ、去年〜今までのような事にはならないと思う(思いたい)。

人生は失敗ばかりだけど、失敗から反省することで成長できるとよく聞く。それを信じて、大事ものを見失わずに程よく頑張って生きていきたい。

自分が全てを忘れないために勢いで書いてしまったので、あまりにも駄文だと思う。不愉快にさせていたら申し訳ない。

これを読んでいる人も、読んでない人も、みんなが幸せ毎日を過ごせますように。

2023-11-20

強烈な腸の痛み

・たぶん便秘

・1ヶ月ぶり2回目

・前回同様、今回も「冷え」と「ストレス」があった

・腸が蠕動運動しようとしてるんだけど、固いかまりが中で詰まって動けてない感じ

・あまりの痛みに動けなくなり、すぐにソラナックスロキソニンムコスタを服用(パニック発作誘発阻止)

・毛布を何枚も被せた布団の中で湯たんぽを抱えてうずくまる

・2時間程度で痛みが和らいできた

・もう二度と同じ目にあいたくない

・不溶性食物繊維を摂りすぎてるせいもある?(ロールドオーツ 70g/日、オクラなど野菜たくさん)

・ロールドオーツの量を増やす下痢モードに移行してしま

過敏性腸症候群悪化してるだけの可能

・実は過敏性腸症候群の薬物治療を受けたことが一度もない

・消化器内科に行ったほうがいいのか

十中八九過敏性腸症候群だと思うけど、この激痛っぷりからして万が一なにか重大な病気発見されたら怖い

・ゆーて、二度と同じ思いをしたくないなら消化器内科に行ってみるべきなんだろうか

・来週、主治医相談してみる

2023-10-31

パニック障害になったので書き散らし

東海オンエアのニュースを見ながら「うわ、流行りに乗ってるみたいで嫌だ」と思ったので書き散らす。

以前、だれだかアーティストががトランス言及したとき当事者の友人たちが周囲の人間に「ああ、今話題のあれね」って反応されて嫌だったと言ってたがこういう気持ちだったのかなあ〜なんて思っている。

わいのスペック

20代後半女

新卒2年で自律神経失調症適応障害睡眠障害不安障害社会からドロップアウト

約2年半のニート療養薬漬け期間を経て、現在事務OL

社会復帰に関してはいわゆる「理解のある彼くん」がいたことと運がよかっただけ。

今の勤め先が片道1時間くらいの場所にある。

それがある日急に、ヒソヒソされたり見られたりしてる気がして(統失前兆)、動悸発汗吐き気が酷くなって(パニック典型例)あ、これはマズイってなった。比較的軽度の時点で自分を疑ってメンクリGO

先生いわく、よくあるパニック発作だね、らしい。よくあるんかい…。

かい定義は置いといて、雰囲気洋画ホラーとかの「見つかったら死ぬ…息を殺せ…!ドキドキ…!」みたいなシーンになることが多々あって、そのピークが10分くらいだと発作の感じに近い。

発狂して泣きわめいたりはしないけどとにかく「やばい、今ここで死ぬ」って思う。

空いてれば多少平気だけど、ラッシュや混雑の電車は本当に無理で立ってられなくなる。気絶するか降りるしかない。気絶するわけにもいかないので何度も途中下車をする。下車したって復活しなきゃ電車は乗れない。

ちなみに今のところ密閉空間が本当にダメ広場は割と平気。

内服薬と頓服薬を貰って誤魔化しながら出社してたけど朝起きた瞬間に発作がおきて体が出社拒否してるんだって分かって、その日は休んで病院行ったよ。

統失パニックの薬はそれぞれ違うと説明をうけて今後こうしようね〜という話を聞いて診断書取って帰宅した。(病院会社の近くで昼休みなんかにこっそり行ってたので彼くんに付き合ってもらって泣きながら電車に乗った)

勤め先、全然ブラックじゃない。人もみんな優しい。仕事楽しい。でもダメなもんはダメだった。なる時はなるよね、としか言えない。なにかが我慢できなかったんだと思う。でもなんだかよくわからない。

在宅に切り替えて、ビニール袋にトイペ敷き詰めてゲロゲロ胃液吐きながらキーボード叩いてた。

新卒の時は死にたくて辛かった。今は死にたくないか自分って病気だって感じて辛い。

パニック障害は人口の4.7%くらいいるらしい。結構多い。メンクリ患者って見た目はみんな結構普通なんだけど自分と同じなんだなぁっていつも思う。

あーあ、いやだいやだ。

2023-09-26

anond:20230926094220

知覚できる感覚の限度を超えるからだと思う

全ての感覚を処理しようとすることで軽いパニック発作を起こす

から別のことを考えて脳の注意を逸らすか

絶対数自体を減らす

 

敏感な奴って普通に複数人から同時に話しかけられるだけでパニックになったりするし

2023-09-25

毎年今頃の時期になると謎の体調不良になる。原因はわからない。夏から秋にホルモンの変化で鬱になるのかも?

初めて夜中にパニック発作救急車に乗ったのも今頃だった。マイルスデイビス死す、ってニュースで言ってたからよく覚えている。

2023-09-22

3年間で0から350冊くらいまで本を読んだ話し

文章支離滅裂になるかと思うけど、許してほしい。

近々図書館司書さん達にお礼を言おうと思っている。その前にでも自分の頭の整理のために書いておきたい。

そして誰かの参考になればいいな思う。

タイトルの通り自分は3年前まで本が全くと言っていいほど読めなかった。本を開いても1~2行読んで「あ~もう無理」って感じですぐ閉じて、すぐ自己啓発youtubeに逃げていた。当時だと西野亮廣与沢翼メンタリストDaigo、よくわからない弱小自己啓発youtuber、俺的名言集など。

今でこそ笑い話だが、当時は「こんなに役に立つ情報無料で見られるなんて、youtubeってマジ天国じゃん! これを吸収して俺は人生を逆転するんだ!」とか本気で思っていて、与沢翼がアップした1時間尺くらい(人生本質とか何とか)の動画×5本くらい(10本くらいあったが途中で断念した)を1つ10時間くらいかけて見て、ノート一言一句書き写すとかっていうことをやっていた。

今考えたら馬鹿まりない。でもそういう知的レベルだった。

「本なんて読まなくても、youtube動画を見れば人生逆転できる!」って本気で信じていた。

そして自分はそんな自分のことを「俺、周りよりも頭いい!」と思い込んでいた。

今思えば、陰謀論者みたいだな。

ちなみにその時の自分は37歳。男性彼女なし。

高卒。ここまで正社員経験無し。公務員試験受験に落ちてから、ずっとコールセンターフリーター人生

それ以外の仕事倉庫作業新聞配達、どぶ板営業

そして35歳で借金風俗など)による自己破産

仕事も降格1回。会社もクビ2回。ナンパにも10年くらいハマったり。ってくらいに馬鹿である

毎日AV見てオナニー

あと、精神3級レベル精神疾患を持っている。

どうだ?

みんなよりもクソな人生だろう。

メンタルヘルス精神医学系の本を何冊か拾い読みした結果、おそらく自分にはADHDASD系統性格傾向があると思われることがわかった。だがこれはあくまで「傾向」だ。でも少なくとも100%定形ではないだろう。自分感覚だと3割くらいはその気があると思う。

話を戻す。

書いた通りのバカで、でも謎に「いつかは人生逆転してやる!」って息巻いていた。

でも実際はなかなか行動に移せず、その鬱憤を自宅に帰ってきてはyoutube自己啓発動画を見て「俺はやれるんだ!」って自分を高めては、翌日また現実世界に打ちひしがれて帰ってくる・・そしてまたyoutubeを見る、という日本全国どこにでも居そうな陰キャ生活を送っていた気がする。

図書館に行くきっか

そんな自分図書館に通うきっかけとなったのはパニック発作

仕事プレッシャー職場人間関係からなるストレスから発症したと思う。

(日付を見て気づいたが、ちょうど3年前の今頃だったと思う)

http://www.toyama.med.or.jp/wp/?page_id=1347

※「パニック障害」ってどんな病気? ~公益社団法人富山県医師会

症状としては死への恐怖が一番強かったかな。

主治医に診てもらっても、自分の辛さがなんだか伝わっていないような気がして。とりあえず薬を出されて終わり。そんな感じだった。

「めちゃくちゃしんどいのに、お医者さんは何もしてくれない。それなら自分で調べるしかない」

それが図書館に行くことの始まりだった。最初ポジティブ理由でもなんでもない。

「この病気自分で調べなきゃ自分が死んじゃう」そこがスタート地点。

最初メンタルヘルスうつ病パニック発作パニック障害とかの本をとりあえずひたすら読んでいった。

本の読み方とかもよくわからずに。ただむさぼるように読んで行った記憶がある。今の症状について、医者からほとんど何の説明もなかったからだ。だから知識が欲しかった。

本を読みいろいろな知識を得ていくうちに「あれ? 本ってもしかして人生を逆転出来るツールなのでは?」と思うようになる(単純)

ちなみに、この時の自分読書の本当の凄さにはまだ気づいていなかった。

ただなんとなく、当時見ていた自己啓発youtubeよりも多種多様情報図書館にはあるな。これを頭に入れることが出来れば、自分は今のクソみたいな環境から脱出出来るのでは? 

それくらいの解像度だった。

それから仕事帰りに、ほぼ毎日図書館に通うようになった。

たまたま18時に終わる仕事だったので、図書館直行して閉館の21時まで入り浸る毎日を過ごすようになった。

1冊読み終わったらまた1冊。そしてまた1冊と次々に違う本を読んでいった。

いわゆる「乱読」というやつである。ただその時は「よーし、乱読するぞ」なんて思っていなかった。

「目の前にモンスターが出てきたから、とりあえず倒す!」くらいの感覚だった。

幼少期に多少読書をしていたとはいえ、こんなにも本を読んでいない。ましてや大学にも行っていないし、仕事文章を読んでもいる訳でもない自分が、急に読めるようになる訳はない。

パニック症関連の本はある意味必要に迫られていたので、中身をなんとか頭に入れることが出来たが、当時の自分にとって自分に関連性のない分野の本は全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。

なので自分写真多めの本から読むことにした。

図書館には「旅」のコーナーがあるので、旅日記旅行記それから写真集、絵本など、文章が少なく、写真や絵が多い本から初めてみることにした。これが意外と自分には合っていて徐々に自分を本に慣れさせて行くことが出来た。

旅行系の本は結構充実していて「一度は行ってみたい世界絶景」みたいな本とか、「島、海、空」に特化した写真集なんかも何度も読んだ。とっても楽しかった(書きながら思い出している)。ああいう本はたぶん知らないうちに、自分の心を豊かにしてくれたんだなと思う。

それから宗教学入門書を読んだ。

俺の実家宗教が複雑に入り乱れており、新興宗教に入信した兄弟もいたような家庭だったので、宗教には興味があったんだ。

宗教学? 宗教を信じるための学問?」って思っていたくらいよく知らなかった。

その後も、少しずつ少しずつ。1日30ページずつとかではあるけれど、読書は続けていった。

その頃のジャンル宗教学人間関係、旅、メンタルヘルスハンディキャップ、働き方、思考方法など。

そうして徐々に、文字が多い本(いわゆる新書など)も読めるようになっていったと思う。

余談だが図書館環境も良かったと思う。自分が通っている図書館音楽が流れソファが用意され、読書をするには最高の環境だった。

読書をするためにわざわざカフェに行って、お金を払う必要がなかったのは大きい。

選書もとても良く、新しい本から古い本、海外翻訳本まで次から次に読みたい本が見つかる。こんな素晴らしい図書館出会えたのは本当に運が良かった。

3年後

そうして3年が経った今年。

3年前には本を開いても1~2行しか読むことが出来ず、youtube自己啓発動画に逃げ、動画の先にいる配信者を盲信していた自分が、今では読書を3~4時間は平気で行うことが出来るようになり、読むジャンル法律社会学経済学起業関連など、多少難しい本を読めるようにもなった。

それから、これまで乱読に近い読み方をしてはきたが、これがいわゆる「リベラルアーツ」という学問に当たるということも最近知った。

https://www.obirin.ac.jp/academics/arts_sciences/what_is_liberal_arts.html

リベラルアーツとは ~ 桜美林大学

そして自己啓発動画現在も見るには見るけど、以前と違い盲信することは無くなった。

Twitter(現X)のバズツイートや、インフルエンサー情報発信を見ても、安直に信じることも無くなったし、必ず別の可能性を考えられるようになったと思う。

自分にとって本を読むことは、偉人、先輩方との対話であり、その本が入っている本棚図書館偉人たち、先人たちといつでも話が出来る場所だと思うようになって来た。

何かを考えるときも「あの本にはこんなことが書いてあったよなぁ・・」と頭の中で引用出来るようになってきた。

頭の中に様々な専門家が常時いるようなイメージだ。口寄せの術。

この3年。変な自己啓発本やビジネス書の類(書店平積みされているようなやつ)は、ほとんど読んで来なかったことも大きい。

今までは「与沢翼のブチ抜く力」とか「西野亮廣革命ファンファーレ」「あなたを癒やす100の名言」みたいな本ばかり読んで、わかった気になっていたが、そのような本に盲信することはもう無いだろう。

ただ、おかげさまで有益情報はある程度取捨選択出来るようになったので、その意味では今後は目を通すことはあると思う。

岡田斗司夫図書館のことを「貧乏人が行くところ」と評したが、自分は「司書さんがプロ目線有象無象の中から、適切な本を選んでくれる最高の場」と言いたい。

最近は「得た知識抽象化していつでも引き出せるように」訓練している。

読書を始めたきっかけは精神疾患とはいえ、本が読めるようになったこと。

本当の意味で本が読めるようになったことに感謝したい。

また、読書のおかげで新たに人とのつながりも出来るようになってきた。これは予想外の副産物でもあった。

新しい人に出会った時に「本を読んでいます」というと、話が発展することが多くなったし(今までは、AVの話しやナンパの話し。風俗借金の話ししか持ちネタがなかった)、読書サークルなんかにも通えるようになった。

そして今までは読んだ本(学問)同士のつながりを感じることが出来なかったのだけど、リベラルアーツという言葉を知ったおかげで、これまでの読書が一本の線でつながるような気がしてとても嬉しいんだ。

今後も引き続き勉強をして行きたい。 あと今後は文学作品も読んでいきたい。

だいたい、みんな「読書」って言うと、小説などの文学作品のことを語る人が多い。

自分のようにリベラルアーツ系の読書から入って数を重ねる人は一般的では無いのかもしれない。だからこそ小説を読むのは知らない世界を知れそうで楽しみである

自分はこれまで、生活に苦労してきて、かつ学歴にもコンプレックスがあったりしたが。

ここから先の人生読書が出来るということを武器にして、豊かに生きていきたい。

そして「自分って高卒なんだよな。結局大卒には勝てないんだよな」

ってひがんじゃう自分がいつかいなくなることを願って。

最後

読書楽しい死ぬまで続けたい。これから自分に心の豊かさをもたらしてくれるものだと思っている。

そして読書ができる人は実はそんなに多くない。だいたいの情報youtubeなどのネットで得られる世の中だからだ。

電車に乗っても、子供から学生、そしてサラリーマンに至るまでみんなスマホをいじっている。スマホに夢中だ。

そんな中、自分リュックから本を取り出し、ひとり本を読む。 

youtubeの切り抜き動画や対談動画にも、有益ものは非常に多いが、元をたどると古典などの本から情報であることが多く、だからこそ読書他人差別化が図れるものだと思っている。

これからも続けて行きたい。

いつか、通信制でもいいので大学にでも行こうかな。そんなことを最近は思う。

最後まで読んでくれてありがとう

そして図書館司書のみなさん。ほんとうにほんとうにありがとう

9/24追記

いろいろな人が読んでくれたようで本当にうれしい。

書いた後に、改めて自分でも振り返ってみたが、これほどまでに読書継続できた理由ひとつは、やはり図書館環境がとても良かったこと。

それからオンラインで参加していた読書サークルに私よりも知的な方々が沢山いて(博士課程の学生や、大学講師など)、「このまま読書を続けたらどう変わって行けるのか」という、少し先の未来自分に見せ続けてくれたということが、大きかったんだという事にも気づいた。

読書サークル内では日夜テキストチャット議論のようなものが繰り広げられていて、最初は会話に全くついて行けなかったけれど、だんだん話していることが理解できるようになってきた自分が嬉しかったりした。

自分ひとりでは絶対にここまで来られなかったと思う。

いろいろな意味で運もあったのだと思う。

それは、素晴らしい図書館が近くにあったこと。

読書サークルたまたま知的で素晴らしい方がいらっしゃった事。

友だちが少なく、親の介護も無く、仕事要職についている訳でも無かったがために、逆にプライベート時間を、読書にフルベット出来たこと。などなど。

この文章を書いてからナンパをしていた時代毎日の様に行って、よくたむろしていたビル飲み屋カラオケホストクラブダンスクラブが入店していて、たまり場になっていた)に用事があって行ってみたんだ。

歓楽街ということもあり、相変わらずの雰囲気だった。

派手な服装女性と、その女性口説き落とそうとしている男性

酔いつぶれた若い男性

ウェーイって騒いでいる学生

エレベーターで降りてきた勤務終わりのキャバ嬢

怖めの車で迎えに来た怖めのお兄さん。

仲間で歩いているホストくん達。

そして女性たちに声を掛ける男性

この世界から抜け出せただけでも本当に良かったなと。それだけでも100点以上だと思う。

これから読書は続けていきたい。

ありがとう

2023-08-20

anond:20230819191615

被害被害者が傷付くだけじゃなく、敵国を支配する為敵国の女をレイプしたり、被害者の方がふしだらで恥と見られたり名誉殺人されたりする問題も孕んでる。

から根深問題なんだよ

強姦歴史」を読んでみてほしい

日本だって、ムラムラさせた被害者の方が悪い加害者無罪という判決が出たりした

被害に遭っても自分を恥じたり責めることなく、大した事ないと増田が思えるのも、先人が頑張った証かもしれないよ。

でも、性被害に遭ってからも平気だと思っていたら急にパニック発作起こしたケースもあるから気をつけてほしい

あと、皆にこちらを見てほしい。普通はこうなる  #性被害者のその後 タグまとめ http://archive.is/4onsZ

2023-08-16

苦手な音楽が苦手すぎて生活に支障が出ている

子どもの頃から感情的音楽が苦手で本当に困ってる。

どれくらい苦手かというと、聴いているうちに動悸が止まらなくなったり、ちょっとしたパニック発作みたいになったりする。

感情的音楽というと抽象的すぎるかもしれないけど、具体的な特徴を挙げるならば

って感じだと思う。基本的ボーカル問題になるけど、一部ノイズミュージックでも発作が出たりするので一概にどうは言えない。

多分、人が取り乱している/取り乱しそうな雰囲気 が怖いんだと思う。

もう少しわかりやすいように具体例を挙げると、(好きな方いたらごめんなさい)

有名どころだとこのあたりか。

他にも色々あるけど、今のところ一番苦手要素強いのは I Hate Sex というバンドと、Björkの Army Of Me (feat. Skunk Anansie) です。本気で失神するかと思った。

まあ苦手なら聴かなきゃいいんだけど、上に挙げたような曲って普通に町中で流れていたりして避けられないことがある。

最悪一人だったら急いで店を出たりイヤホンを着けたりすればいいんだけど、誰かと一緒に居るときだとどうしようもなくて本当に困る。意識しないようにすればするほど耳に入ってくる。

あとは、同期旅行の車内で誰かがずとまよのアルバムが流し続けていたときは本当に気が狂いそうだった。流している人に非はないわけで、「苦手だからアーティスト変えてくれない?」なんて口が裂けても言えないし、かと言ってイヤホンを着けるのも感じが悪くて申し訳ない。ひたすら耐え続ける他なかった。

なんでこんなに苦手な曲耐性がないのか、自分でも不思議でならない。

多分誰しも苦手な曲、好きじゃない曲の1曲や2曲あるんじゃないかとは思う。ただ、恐怖のあまり動悸がするとか下手すりゃ泣くみたいな話は周りで聞いたことがないし、ググっても出てこない。

から、周りに言い出すこともなかなかできないし、ごく親しい人に打ち明けても「なにそれ?」って感じであんまり理解を得られない。

まあ自分感覚おかしいんだし仕方ないと思いつつ、にしてもしんどい。さっきは急に心拍数があがったのでスマートウォッチアラートが鳴った。

同じような感覚の持ち主、あるいは苦手な音楽で苦しい思いをしている人、いませんか?

2023-08-14

anond:20230813114316

私は逆にガリ熱中症で運ばれた。何事も過ぎたるは及ばざるが如しですな。ただ増田と違うのは寝不足疲労MAXだったのに自分の体力を過信して、結果倒れたというダメっぷり。夜に運動してて熱中症で行動不能になったので「夜でも熱中症になるんだなあ。そりゃ屋内熱中症になる方が(高齢者には)多いし、当然かあ」とも思った。フラつき、猛烈な気分の悪さ(吐き気)を自覚したあとヤベェと思ってコンビニスーパーで体を冷やしたり、冷たい飲み物(よりによってアイスコーヒー)やアイスを食べたりしたけどダメでした。頑張って家まで帰ろうとして騙し騙しやってたが、その場から一歩も動けなくなって#7119に電話して「救急車呼んでいい」と言われたので呼んだらさ、救急隊の人からは「バイタル正常、ちゃんと受け答えできる、過呼吸気味だしパニック発作では?」みたいな扱い受けたけど、搬送先の病院救急からは「いや、これは熱中症でしょう」と言われてホッとした。「メンヘラが緊急性がないのにパニック救急車呼んだクソ迷惑」的な扱いにならなくて良かった。手足痺れてるし、吐きそうだし、そりゃ過呼吸にもなるってばもう! 生理食塩水(?)点滴とアセトアミノフェン点滴打って、夜勤看護師から「少し休んだならはやくベッド開けろや、こちとら救急やぞ、オラ」オーラを全開にされて、強制的タクシー呼ばされて無事に帰宅したよ。救急外来を守る看護師こわい(こっちも余裕なかったからムカついたけど、間違いなくコイツのおかげで救急がまわってみんなの命が助かってる)、あと熱中症こわい。ほんと、塩分水分以前にそもそも酷暑の中で無理しちゃダメよな。バカだったよ。

2023-08-13

anond:20230813184127

やっぱり、パニック発作が起きたらどうしよう?って思うわけ?まったく発作が起こる瞬間って予想できないんやろ?

2023-07-26

ポケモンスリープで寝れなくなった

当然だがこの内容には個人差があるので鵜呑みにしないように。

最近リリースされたポケモンの新作アプリポケモンスリープ

身の回り人間はほぼ全てインストールしているのではないか?と思うほど、圧倒的な普及率を誇っている。

当然自分ダウンロードしてみた。正直睡眠データ二の次で、好きなポケモンの寝顔が見たかったというだけ。(大体理由なんてそんなもんだろうが)

初日(チュートリアル)は良かった。

どんな感じなんだろう?と少し高揚感を抱きながら眠りについたため、8時に起床すればいいところを5時半に目覚めてしまうほど。

ふんふん、なるほどね。きのみを集めてもらってカビゴンにね…ほー、よく出来てるけど朝の時間にはちょっと忙しいな。

至って普通感想だ。この日までは良かった。

そして慌ただしい生活を終え、ついに寝るときがきた!

ここで2回目の起動。

うとうとと緩慢な動きを見せるポケモンたちの姿が目に入った。

するととある解説ネロリ博士から入る。

ポケモンたちが疲れてるみたい。たくさん休んで元気を回復してあげよう」(こんな感じの内容だったと思う)

その言葉が重くのしかかる。

自分がきちんと睡眠を取らなければ、その日1日しんどい状態ピカチュウフシギダネ(チュートリアルで貰えた2匹)はきのみを拾い続けるのか?

寝なければいけない。

それが思考いっぱいを埋め尽くした。

たかゲーム存在に本気すぎないか?という意見はごもっともだ。

しかしどうも自分架空キャラクターに入れ込みすぎるきらいがある。

いじめを受け不登校気味になった時、社会からの隔絶を感じ閉じこもっていた自分を救ったのはどうぶつの森だった。

恋人に振られ傷心を癒したのはギャルゲー女の子たちだった。

あとは普通漫画とかゲームとか小説とか、割と入り込んでしまう。

そんな自分感性から約束時間に眠りポケモンたちにきのみを拾ってもらうというシステムは少々重荷だった。

多分精神状態が良ければ、頑張って寝なきゃ!ぐらいだったのだろう。

しかし残念ながら現在心療内科に通い薬を貰う生活半年ほど続けていた上に、ちょっとナーバスな時だった。

『寝れなかったらどうしよう』

ポケモンスリープ眠るを押したけど、バックグラウンド処理は良くないらしいからもうさわれない』

『寝付けないからASMRとかせせらぎとか聞きたい』

『それをしている間に時間けがすぎていく』

もう完全にパニックだった。

ベッドの上で苦しみもがき、襲い掛かろうとしてくるパニック発作を寝る前に飲んだ薬で抑え込んでるような感覚

そのおかげで悟れたのだ、自分が今パニックに陥っていることを。

ポケモンスリープ眠る状態を解除し、一目散にアプリを落とした。

約束時間通りベッドに入ったが、時間はとうに1時間以上経過していた。

それ以来、眠るをしなかった日が出来てしまったためアプリを付けれないでいる。

どういう仕様なのか正直よく分かっていない。

自分が寝ていなくてもポケモンたちは疲れをとっていると思うのだが、ネロリ博士に「貴方が寝てないかポケモンも疲れが取れてません」と言われたら、多分発狂出来る。

これら全てはこのブログを書いた前日の話である

マジでパニックを起こしたショックやらポケモンたちへの罪悪感で今日一日寝込んだ。ポケモンスリープ閉じたらちゃんと寝れたか大丈夫

この文章を書いたのは、同じ気持ちの人がいればいいなあという共感のためのものだ。

ポケモンスリープは一切悪くない(当然)

もうちょっと精神健康になったら、やり直そう。

2023-04-19

パニック障害パニックになるわけではない

もう知ってる人もいるかと思うんだけど、ネーミング的に「ギャー!どうしよう!」みたいな暴れる発作っぽく思われがちだよね

実際はものすごく静かに「息が苦しい」「めまいがする」「手足が震える」みたいなのが起きてるから「今パニック発作起きてます!」って声に出して宣言しない限りは周りも分からないと思う

あと、どっちかっていうと心の病気っていうより脳の病気っていう方がしっくりくる感じする

いつ発作が出るか分からいから怖くて精神的に病む可能性は高くなると思うんだけど、精神よりも身体の症状が強く出てる人が多い気がする

呼吸困難症候群みたいな名前になってくれたらいいのにね…

2023-04-03

パニック障害

人生で一度もパニック発作の症状とか出たことないのに、最近妙に、いつかパニック障害になったらどうしよう(特にコンサートホールとか映画館に行くとき)と思う自分がいる なんで??

2023-02-19

anond:20230219151825

的外れな話をする。

 

増田は「駄目な自分であることに自分価値見出していないか

しかすると親に「お前は駄目な奴だ」、もしくは「お前は本質的に駄目な奴だから努力をし続けなければならい」と刷り込まれて育ってないか

 

増田自分必要以上に卑下する。

世の中そんなに上手く生きれる奴など存在しない。みんな多かれ少なかれコミュ障だ。

 

以下はあくまで私の妄想だ。

増田は「駄目な自分」じゃなくなるために二次創作婚活などをしてみるものの、最大の目的である自分は駄目な奴でなくてはいけない」という状態に戻るべく、

そこそこ幸せ状態であってもアラ捜しをし続け、自分ダメ出しをし続けて、「○○(二次創作による評価や夫)を手に入れたけど、結局のところ私はやはり駄目人間だ」という認知に帰ってきて、内心ではホッとしていないか

「駄目な自分であるべき理由」を後から無意識捏造していないか

そんなことあるわけないと思うか?

人間身体自分の心を守るためなら、熱を出したり赤面症にさせたりパニック発作を起こしたり多様な症状を引き起こす。本人自身は何故それが起こっているか理解していないにも関わらず。認知操作なんてお手の物だ。

 

増田は、心の底から自分自身幸福を望んでいる」と断言できるか。

自分幸せになるべき人間である」と信じているか

「なりたい」じゃなく、自分が真に幸せになる価値のある人間だと信じているか

 

渦中の本人が考える

「きっと○○が悪いから▲▲という悪いことが起こっているに違いない」

という公式は、一見尤もな言葉偽装されて、根本問題本質を欠くことがある。

 

上記に関して、もし少しでも「そうかも」と思うなら認知療法系のカウンセラーの戸を叩いてほしい。

本質」を抱えた人間が一人で内面に向き合うと大体鬱になる。

こいつ何言ってんだバーカと思うなら忘れてほしい。

増田幸福を祈る。

2023-01-01

anond:20221230234929

おれも父親死んだぜ。

30年間パニック発作で苦しんでたのがピタリと止まった。

父親なんて死んでナンボだよ。自由満喫しようや

2022-12-03

タナトフォビア持ち

死んだあとのことを考えると怖くて怖くてパニック発作を起こす

(パニック発作医学的に正しい呼び方かは知らないが、素人ということで許してくれ)

具体的には、恐怖に耐えられなくなって、奇声を発しながら衝動的に走り出す、大抵転んだり体をどこかにぶつけたりして、しばらくすると収まる

  

会社電車などの社会では我慢できるけど、そういう枷がない自宅だと我慢できない

  

で、そのトリガーが大問題

死を連想想像させるもの、これの大半がダメ

ニュース(故人の生前インタビュー戦争報道、死者が語りかけるタイプ保険CM)、異世界転生系アニメ、「生まれ変わったら何になりたい?」みたいな話

これ全部家族が大好きなものなのよね

  

説明しても理解してもらえない可能性はあるけど、

理解してもらった場合キチガイ感覚に合わせて、本来なら楽しみたいそういうもの自粛してほしくないんだよね

でも理解したら大なり小なり遠慮させちゃうじゃん、そういうのが嫌

あと、理解した結果、自分と同じように恐怖感を抱くようになってしまうのも可哀そうだから、そういうのも避けたいな

  

理解はしてほしいけど、配慮してほしくない

あるいは配慮してほしくないことに配慮して配慮しないでほしい

2022-11-20

ホームレスから復帰した

しばらく前のことであるが、ホームレスになった。

IT企業派遣社員エンジニアとして働いていたが、パニック障害と鬱を発症して働けなくなった。

仕事をしばらく休んでもどうにも治らず、会社を辞めることになった。

この頃の貯金額は42万円程度だったと思う。

働かないと生きていけないので、自分の体に鞭打って、会社を探してテスターとして採用された。

三ヶ月間の試用期間でクビになった。休み休みだったし、鬱持ちの人を採用したくない気持ちはわかるので全く恨んでいない。

パニック障害電車に乗ることも電話することもできなくなった。

テスターをクビになってからしばらく引きこもりのようなことをしていて、お金が尽きた。

電気ガスが止まり水道が止まった。水道ライフラインから最後まで残してくれた。

今は冷静に「金のことは金の問題しかない」と思えるが、当時はそんなことに頭は回らず、残高は自分の残り寿命のものだった。

Suica を解約して数百円を得て、スーパーパスタを買って水でふやかして食べた。冷たい食べ物って不幸な気持ちになるんだな。

家賃滞納してもすぐ追い出されなかったのだが、いよいよそれも尽きた。ホームレス生活の始まりである

私は東京にいたので、炊き出しをしているという山谷にいった。炊き出しをもらうには別段チケットをもらう必要はなく、

そのまま炊き出しの列に並べば良いだけである。おばさんが事情も聞かずに温かいご飯をくれて、それだけで承認された気持ちだった。

かいごはんは人を幸せにする。自分好き嫌いなんか全く関係無く、ごはんが温かければ幸せになれるのだ。

ドヤで寝泊まりをして、だんだんドヤに泊まるお金も無くなっていき、ダンボール拝借して公園で寝るようになった。

ダンボール自体は快適なのだが、夜聞こえてくる若者の声が何より怖い。襲撃されるのではないかと常々警戒しなければならない。

眠りに落ちる前には「どうしてこんなことに」という思いが頭に思い浮かぶのが常だった。

しばらく公園で過ごしていたら話しかけてくる人が何人かいて、仕事福祉の窓口を紹介してくれるという。

これは手配師という人たちで働けそうなホームレス仕事を紹介してその上前はねる人々だった。

仕事のことを考えたらまたパニック発作が起こり、仕事をするくらいならホームレスのほうが幾分ましであるとしみじみ思い、話は受けなかった。

しか福祉のことも何やら話しており、そういえば私は福祉対象なのではないかと思い立ったのである

市役所福祉課の窓口で「食べるものが無いです、家も無いです」と伝えたところ、その場で2000円をくれた。

とはいえ私は生活保護の対象ではないという。数ヶ月前まで働いていたし、何より私はまだ働ける年齢である

今の一時的病気が治ればまた働けるのではないか、というようなことを伝えられた。納得するしかなかった。

「またここに来ればお金をもらえますか」と職員に聞いたところ、それは難しいという。

「どうしても現金が欲しいなら」と職員は言ってくれた。「大阪までの新幹線代を片道分ならお渡しできます」と。

まり私を大阪に行かせて東京都のホームレス減らしをしようという魂胆である福祉現場ではそのような状況のようだ。

インターネット上でそのような話は見聞きしないので、おそらくそ市役所の一部の職員ホームレス減らしのためにやっている施策であって、東京都の組織的ものではないのだろう。


大阪の人が優しいというのは、嘘であるしか東京ホームレスをするよりも物価が安く、なんとか生活できる。

ドヤも山谷より安いところもあり、邪知暴虐な人がいることを除けば私でも生活をすることができた。

いくつか仕事もした。おそらくインターネットの人々にウケが良いだろうという話が一つある。

ドヤの前で座っていると、同じような浮浪者風の男に話しかけられた。リュックサック堺区百舌鳥まで届ければ一万円をくれるというのだ。

おそらく怪しいブツだろうとわかったものの、私にとって法律重要度は下がっていたため引き受けることにした。

指定された住所に行って人を見つけてそのリュックサックを渡したら「いくら?」と聞かれて、何を聞かれているのかわからなかったが、

「一万円です」と言ったらその場で一万円札を渡してもらった。

だんだん身体にドヤの空気が染み付いていった。そしたら、パニック発作がでなくなっていった。

私の場合パニック発作は、仕事がうまくできない自分へのストレスだったのだ。

今の私は、もう私に何も期待していない。期待していないから落胆も無いというわけである

プログラミングは、人よりほんの少し得意だと思う。

それでもまた一から勉強した。当時は半導体不足前だったので Raspberry Pi普通に売っており、これを買って Python をやり始めた。

ドヤのテレビ接続してみたら、働いていた頃の画面と映りが全く違かったので笑ってしまった。いつぶりに笑っただろうか。

市役所福祉課でお願いしたら Python の教材を印刷してくれたので、それを読みながら勉強していった。

仕事に戻ろう」と思い始めた。まともな会社はきっと私を採用しないことはわかっていたから、スタートアップ企業を狙うことにした。

きっと世の中には、資金調達がうまくいってお金はあるものの人手が足りない企業があるはずだ。

探してみるとそのような会社結構あることがわかった(PRTIMES の資金調達記事ほとんど全部読んだと思う)。

面接時に私が泣いてしまうなどのトラブルがありつつも、無事とある東京会社採用された。

一部福祉の力を借りつつ、なんとか家を見つけた。会社からMacbook ProASUS の 27 インチ 4K モニターなどが支給され、

「これを売りに出せば数十万円得られるのに、どうして私に預けられるのだろう」と不思議にも思ったが、

だんだんシャバ空気を思い出して馴染んでいった。

久しぶりの自宅でごはんを食べる。サトウのご飯と卵を使ってチャーハン風の卵炒めご飯を作った。

まともな部屋で自炊したらさぞかし美味しいのかと思ったら、もそもそとした味で、そううまくいかないよなと笑った。

ふと炊き出しを思い出す。美味しいものもあったし、たまにはそうでないものもあった。

私のチャーハンごはんもあまり美味しくない。しかしそれでも、温かいごはんは人を幸せにするのである

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