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はてなキーワード: 一浪とは

2019-06-05

anond:20190605103417

いや、そうとも限らん。

俺は京大文系で院まで行ったが、学部入試は楽勝したものの、院に入るのに一浪して、入っては見たもの修論が書けずに脱落した orz

2019-04-15

anond:20190414111853

こういう、親の都合で子供の夢を断念させるのが一番ダメな親だ。

俺もサラリーマンだが一浪させるよりは現役でと思って私立医学部に行かせたが何とかなってるよ。

親として最後の務めだ。頑張って稼げ。

2019-04-14

子供理科一類転向させる方法

子供(高1)が医学部検討してる。

が、子供学力では、まあ国公立医学部は無理だ。

「頑張って、私立医学部に、行けるかどうか」だろう。(防衛医大が、、あるが)

某鉄●会で、まん中よりやや下程度。

で、私立医学部なんかに進学した日には、6年間で3000万円!

ここんとこ給与減らされて年収750万円程度、一馬力のリーマンには無理で御座います

が、「親の大半が医者」という某中高一貫校(これで判る人には判る)に行ってしまったので、それに「感化」されてしまい、本人は医学部を考えてるようだ。

リーマン自分には、職業としての医者の魅力がサッパリ判らん

そもそも、某中高一貫校に行ったのは「自宅に一番近いから」であって、「医学部進学実績が多いから」じゃない。

その意味では、医学部より東大実績を重視する別の中高一貫校の方が、良かったんじゃないかとも思う。

で、「はてなー」に相談だが、子供希望進路を「東大理科一類」に何とか変えさせる、うまいプロモーションは、無いかね?

理科一類なら、まあ一浪すりゃ受かるだろう。

理科一類なら大学学費用はせいぜい500万円、3000万円との差は大きい。

理科一類からAI研究してみないか?」とか「データアナリストにならないか?」とか、何か響くプロモーションは、無いか

2019-04-04

孤高の天才大学生一浪)が、就職活動の終了を告げた・・・

一浪「僕にとって、面接に落ちるということは、一つの死を迎えることと同じですよね、就活生にとっては。僕がどんな状態であっても、じゃあそこでもう御社ではないよって言われたら、これはもうそこで終わりですよ。」

積み重ねてきた面接は、数十回。稲妻のごときエントリータッチタイピング。広大な業界範囲エリア51。華やかな活動の影には孤独葛藤があった。

一浪「あそこの空間しかからないことって必ずあると思うんですよ。会場でしか感じられない、感覚、においだとか雰囲気だとかね。あそこでしかまれないものって必ずあると思う。」

戦い切った後に映ったのは、泣き顔だった。

一浪「いや、もう相変わらずですよ。だってもうしょうがないもんね。」

―――最後は笑って終えたいという風におっしゃっていたのですが、実際どうでしたか

一浪「いや、理想はそうだったんですよ。それは夢に近い理想。笑って終えるというのは。でも、現実はなかなかそうはいかなくて、寂しく終わっていく。やっぱこれまでに培ってきた成果、それを伝えられる会話能力。これを人事は見ていたんだなって思ってます。やっぱり日々、懸命に生きたい。それを重ねていく。懸命に生きられる何かを、モチベーションを見つけていくというのが、生きていく意味だと思うので、それを重ねていきたいなと思いますね。」

  • また、新たに見つけるっていうこと?

一浪「ま、新たに見つけるのか、見つかるのか、それは分からないですけど。そのために一歩、踏み出すということですよ。」

説明会に向かっていく一浪。彼の道は、これからも続いていく。

2019-03-31

anond:20190328144612

信じられないかもしれないが、医学系に一浪二浪はざらだし、そういう場において一浪なんてのは特に問題視もされないというのが現状だ。それに、一浪たから下のレベルに……なんて考えを持ってる人間もそういない。だから、落ちたなら~人生辛いよという考え自体に「?」となる可能性がある。

それこそ、元記事にある、根本的な認識ギャップだ。

2019-03-30

anond:20190330151450

はいはい、現役時代京大受けて落ちて、一浪してセンター試験で失敗して、足切り怖さで志望先を変えた俺がコメントするわ。

まず、大学ってのは入ることよりも、そこで何を学んでどう自分ビルドアップするかの方が余程大事京大を引き摺ってこの先低迷する位なら、これから学業なり、他に学ぶことなりに集中すべきだよ。

ただし。東大京大ってのは、やはり内部でもある意味特別扱いというか、同族意識というか……が強いところ。その中に入ると、まあ何かしらか安心感はあるよな。東大出身者で言うと、たとえば某大臣自分付きの新聞記者に、

「君、何期?」

って訊いていた、という有名な話がある。この大臣は、自分が出た東大法学部以外は大学じゃない、位に思っていて、そんな自分に付く記者東大法学部でない筈がない、という前提でこう訊いていたらしい。

この話を聞いて、へートーダイってなあすごいところですなー、位に思っていたのだけど、あるとき、俺が一緒に仕事していた京大出身の某研究者二名が、

「○○さんって京大××(学部学科)らしいですよ」

「へー、何期や?」

とか話しているのを聞いて仰天したことがあった。この二人はそういうことに全く頓着しない感じだったんだけど、やはり同族意識というかね……そういうものがあるらしいですよ。

から、その中に入りたいという思いが強いなら、仮面浪人してみる選択もあるかもしれないわな。ただ、これにやたらにこだわる東大京大出身者って、俺が知る限りたいがい無能な連中だったけどさ。

anond:20190328015628

都内勤務医の娘、月7,8万の塾通い、私立中高一貫校卒業一浪して地方国立医、親の金で散財。田舎出身、小中高は公立して地元国立医、ブランド品に興味なし。どちらが優秀だろうか。

下方婚するよ

一浪してこの春から医者です。女医です。

夫とは国試浪人時代結婚しました。

ほぼほぼ収入も同然な中、交際歴3年以上とはいえ、国試浪人生と結婚を決めた夫の腹のくくりかたもすごいなと思う。

男女逆だった場合にそれができる女性はどのくらいいるんだろう?

夫は最初から専業主夫希望(厳密には在宅で臨時収入を得る暮らし希望)。私もそれでいいと思ってる。なにしろ私より家事炊事育児が長けているので。

まれ持っての「専業主夫向き」「後方支援向き」の人って居るんだな、と夫に出会ってから思う。私と出会う前も、実家専業主夫業みたいなことをしていた日々がすごく性に合ってた、と度々言っていたし。この一年は二人して無職暮らしてて楽しかったけど、いよいよ始まる専業主夫生活も楽しみみたい。

学歴で言えば夫は高卒。私はこの先大学院にも行くかも知れない身、という感じ。

医師としての仕事が始まれば、下方婚スタートです。

「女は下方婚しない」ってあちこちで散々書かれてるから、「ここにいるよ」と言いたくて、ここに書いてみました。

それでも「釣り」って言われちゃうかな。もしも実在する下方婚を全て「釣り」と断じた上で、「女はみんな下方婚しない!」って言われるようじゃ、ちょっともう無理かな。

私が出せるのは私1例分が限界なので。とりあえず、ここに1例あるよ、ってことで。

から大黒柱です。頑張れるかなあ。

2019-03-29

anond:20190328015628

東京大学だって田舎から出てきた人もいれば貧乏だって居るし、東京出身貧乏だって居る。

から都落ちしたのが原因って言うのも雑な気がするんだよなあ……

この増田は仮に理Ⅲに行ってても、なんだかんだ少数は普通にいる地方出身東大生とのカルチャーショックで似たようなことになってたのではないかと思う。

「下手に一浪」したのが云々って言ってる人も居るけど、諦めて都内普通大学に行ってたらなおさらだろうし。

2019-03-28

腐女子のゆくえやいずこ

大学生の時、美術サークルに入っていた。

私は、元々美大受験をしたがあっけなく落ち、その後は美大に再挑戦する気が失せて、一般受験勉強を始め、一浪して都内の某私立大学文学部女子大生となっていた。

美術サークルには、必ず一定数の腐女子存在する。(また、伝染もする。)

私は現代アートファンで、漫画なども好きだったが、キャラクターに入れ込むことはほとんどなく、ましてや男性同士のカップルなど心の底から興味がなく、ストーリーの巧みさや世界観に惹き込まれる方だったので、美しいイラストネタのもの面白い漫画以外の二次創作には興味がなかった。

美術サークル腐女子は、やや地味だけどそれなりにお洒落若いお姉さんといった人が多く、彼女達がニコニコしながら推し男性カップルについて男性器がどうだの卑猥な話をするのはギャップがありつつも、かわいらしささえ感じられた。

しかし、今や、彼女達は大学卒業し、来月から社会人5年目。

未だにTwitterで繋がっているが、腐女子生活については卒業するどころか、給料を得て財力を増し、コスプレ同人誌などに巨額を投じている様子が毎日綴られている。

人の趣味勝手だし、嫌なら見なければいいとは思うが、アラサーにもなりながら、腐女子であるのは、なんというか、率直に言って気持ち悪い。

作品ファンであるはいい、キャラクターが好きなのもいい、でも、男性カップル発情していて、且つそれをほぼ公にしているのは気持ちが悪い。性癖暴露しあって仲良くなり、猥褻な話を当たり前のようにしている彼女はいしか更に歳をとり性欲が無くなっても男性カップルに入れこみ続けるのであろうか?

腐女子はい腐女子でなくなるのだろうか?

anond:20190328015628

親の期待通りに勉強して甘えて一浪しちゃったりしなければ下のレベルと一緒の時間を過ごすことも無かったのにね。

落ちちゃったなら落ちたなりに考えを変えていかないと人生辛いよ

2019-03-17

anond:20190316112313

うちの大学にも夜間があって俺は昼間も夜間も受けたことがある。そして昼間の方に進学し、今は卒業を控えている4年だ。

俺は一浪とき全然勉強しなくてどこにも受からなかったから仕方なく夜間を受けたんだがそれも受からなくて二浪することになった。さすがに二浪ときはそこそこ勉強たか一浪とき夜間で落ちた大学に昼間で入学することができた。

大学に入ってから夜間の同年代の方とも話す機会があったけど全員が昼間に対して引け目とか対抗心とかそういうのを持っているみたいだったよ(全員と言っても俺が話したことのある同年代の夜間主の人は3人だけだが)

日が落ちた大学で俺が帰路を歩いているときに今から授業に向かうと思われる夜間の人達とすれ違うと、一浪ときもし夜間で受かっててそのまま進学したら人生どうなってたんだろうなと考えることがあった。履歴書に夜間と書く必要はないか就職で不利になることはない、昼間の学生と同じ水準の講義を受けることができるから学業面では変わらない、って事実を理性ではいくら理解していてもきっと心の奥にはなにか引っかかるものが残ったんだろうなと思う。

増田最初から夜間部への進学も想定して大学受験に臨んだのなら別だけど、もし俺のように昼間の大学への進学しか考えてなかったのに受験がうまく行かなくて急遽追加募集夜間部を受けたりしたなら余計にちょっと考え込んでしまう瞬間もあるだろうなと思う。というかいろいろ考えた末の日記が元記事なんだろう。

でも事実だけを考えてみると、夜間でも新たな出会いとか充実した経験を得られるチャンスは昼間と全く変わらないだけあるんだと思う。周りから評価も昼間と変わらないと思うし実際自分が夜間の人と出会ったときも夜間の人なんだ~以外の感情はなかった気がする。というかどういう感情だったか思い出せないくらいどうでもいいことだったと思う。

っていうのは綺麗事すぎるか。夜間なんだ…って思われることは多少あるかもしれない。でもそれって自分が楽しければ十分カバーできない?

から昼間主に進学したかったけど夜間主に進学することになった学生デメリット自分の心の奥のちょっとした引っかかりだけなんだと思う。逆に人によってはそれが一番解決することの難しい問題であり、それを解決するには充実した大学生活を送る以外の方法はないんじゃないだろうか。

親に迷惑をかけまくって二浪させてもらって昼間の大学に進学してヘラヘラ過ごしてきた俺に言われるのはムカつくかもしれないけど、四年間耐え忍ぶって発想はすこしもったいないんじゃないかと思った。だってそういう自分心持ち以外には夜間のデメリットってなくない?普通に昼間主に進学するのと同じ志でいればいいと思う(たぶんそれが一番難しいんだけど)

四年間楽しい大学生活だといいね。俺は入学から卒業まで一貫して劣等生で努力もしなかったことをやや後悔してるからぜひ勉強を頑張ってください。昼間も夜間も人生の中でどれだけ充実した四年間を送れるかは自分にかかってるのは同じだよ。

2019-02-06

低スペ息子が親の資産を食い尽くして天寿を全うするパターン増えてね?

多分俺がそうなる。学生時代の友人連中もことごとくこれ。

親はなぜか優秀なんだよ。しょせんはサラリーマンだけどどう計算しても生涯賃金10億は稼いでる。ついでに東大卒

友人たちの親も同じようなもんで、2代目開業医だの朝日新聞だの三菱重工だのそんなん当たり前。当然、高学歴だし裕福だった。

家はデカいし別荘持ちだし何よりどの家も教育に対する投資を惜しまなかった。

友人連中と俺は私立中学に進学したとき出会った。

で、俺達がどうなったかというと万引きもせず普通に楽しくゆるく学生生活を過ごして一浪マーチとかニッコマ

マジ。ネットだと「教育投資を惜しまない裕福な家に生まれ育ったのに早慶行けない奴は障害者」とか切り捨てられるけど、全然そんなことはない。同じ境遇で俺ら程度の大学行くハメになった奴なんてむしろマジョリティ女の子なら偏差値50程度だけどなんかちゃんとしてそうな名前女子大に現役進学してお茶濁したり)。 

でも悲壮感は特になくて、親も親で「受かってよかったなおめでとう」なんてニコニコ笑ってるだけだから資格取得で頑張ろうとか全然思わなかった。友人連中もやはり同じ。

案の定大学入ってから留年しない程度に講義をサボってアニメ見てシコシコしてラーメン食べてヌルバイト趣味程度にやってたら3年経ってた。

就活では俺、友人連中みんな見事に中小企業行きとなった。

これでもまだ危機感は覚えない。

なにせ都心通勤可能圏に実家があり、そこには金融資産たんまりの親が住んでいる。「生きるために無心になって働く」なんて境地には到底至れない。会社辞めてえ〜とかアホ面下げて猫背で働いてなんとなく時間がすぎる毎日。幸いにも、俺も友人連中もバイト以下のクソ意識が許される環境だった。会社ではニヤニヤチンタラしてる。眠くなったら便所で寝てる。これなら勤まるはずだよ。

さて、そんなふうにして俺たちは昨年30歳になった。俺や友達連中の半分くらいは結婚予定がある。ただ、みんな年収400万〜450万程度。もう10年勤め続けても500万くらいで頭打ちじゃないかと思う。

これじゃあ結婚するにしても共働きマストで、子供なんか絶対無理だ。

でもまだ焦らない。焦れない。

なぜなら、住宅ローンの頭金や自分の老後資金はどうせ親が全部なんとかしてくれるだろうとわかっているからだ。

それでもなおお金は余るだろう。薄給ながら意識低く適当が許される会社で働きながら、マイホームを手に入れ、嫁と面白おかしく遊びながら余暇満喫する。

こんな生活はもう約束されてしまっているのだ。

子供も作らず、親の資産を食いつぶす。

最後には何も残らない。

親が40年以上かけて築いてきたあらゆるモノを子供が綺麗に費消して最期は全部無に帰する。

やや裕福な家に生まれた男で俺らみたいな奴は多いぞ。

ずーっと学生気分なのよ。

でも努力能力以上に良い思いさせて貰えてるから克己心も芽生えない。

ガチ田舎なんかによくいるらしいけど、高校卒業して即地元零細企業勤めて結婚して子供3人生んで何台も車持っててチューニングに金かけまくってて家族旅行しまくってて〜、みたいな元ヤンに凄く感情移入する。

あの人たち常に親から資金援助してもらってるんでしょ?

それと同時に俺らみたいな家に生まれちゃんと難関大に受かって日経225企業かに就職して高スペ女と結婚して子供作ってお受験させて〜みたいな満点ルートをまんまと歩んでる同年代は本気で尊敬する。そのモチベーションはなんだよ。

2019-01-19

何がしたいのか分からないまま人生が終わった

小さい頃から逃げてばかりいた。

近所の子供たちが遊んでいるのを離れたところから見ているだけの自分に、親は「よして」と言うように教えてくれた。漢字で書くと「寄せて」になるのだろうか、仲間に入れてほしいというような意味だ。ついに一度も言わなかった。

家の中でばかり遊んでいた。本もゲームもそれなりに与えられてたので退屈はしなかった。テレビアニメ特撮をやってるときだけ見ていたが、ドラマ歌番組には興味がわかなかった。

幼稚園小学校は真っ暗なジャングルだった。そこら中に猛獣が潜んでいて、油断すると噛みつかれる。顔も名前もわからない「ともだち」たちから笑われ、小突かれ、追い回された記憶ばかり残っている。

教室にいると何が飛んでくるかわからいから、隠れ場所を探して校内をさまよった。目を閉じたら何をされるかわからいから、まばたきするのも怖かった。

このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないという親の判断進学校を目指すことになった。進学校が何なのかもよく分からなかったが、言われるままに頑張った結果まあまあそこそこの私立に引っかかった。

公立を知らないので私立がマシだったのかどうかは分からない。同級生は相変わらず猛獣の群れだったが、目立った不良グループとかはいなかった。大きな図書室があったので、空いた時間に通いつめた。帰り道にあった古本屋お気に入り場所だった。家からバスで一時間くらいかかったが、本を読むには丁度よくて時々乗り過ごした。

せっかく入った進学校だが、勉強を頑張った記憶は無い。授業中は教科書落書きばかりして、溜まった妄想秘密ノートに描き連ねた。入学後に部活を選ぶ機会があったが、入ろうとした部の先輩に初回で約束をすっぽかされてそのまま無かったことになった。中高一貫だったので何の区切りもなくただ学年の数字だけ増えていった。

高校を出たら大学へ行くものらしいとは聞いていたが、受験の仕組みとかはまるで理解しておらず模試センター試験区別もついてなかった。どの大学に行きたいのかと言われても特に思いつかなかったので、自分の成績で向いていそうな学部適当に受けた。

一浪して隣県の国立に入り、仕送りもらってアパート一人暮らしを始めた。山と田んぼばかりの実家と比べるとずいぶん都会だったが、主に利用したのはスーパー百均古本屋古ゲーム屋くらいだった。アルバイトはせず、与えられた金額範囲いか生活するかばかり考えていた。

講義はどれも興味深かったし、図書館も大きかった。パソコンインターネットにも初めて触れた。けれど溜まっていくのは雑学ばかりで、何を目指して進めばよいのかが分からないままだった。

この頃には周りの人間猛獣ではなくなったが、自分から近づく気にはなれなかった。声をかけてくれる人もいてサークル活動などもやってみたが、結局はどの付き合いも長続きしなかった。人と関わって舞い上がる自分への嫌悪感と、夢や目標をもって進む人への劣等感で押しつぶされそうだった。

ノート落書きは続いていたが、書けば書くほど自分空っぽさを見せつけられた。オリジナルだと思っていた設定もデザインも誰かの真似でしかなかった。愛も理想言葉だけで、何一つ信じてなんかいなかった。

つまづきながら単位は取っていったが、論文が書けなかった。研究したいテーマなんて何一つ思いつかない。自分がやりたいことも、やるべきことも、できることも何も見えなかった。院に行けるような頭が無いのは分かっていたし、学んだことを社会で役だてるイメージもまるで出来なかった。

あてがわれた研究室で無意味に悩んでくすぶって、二回留年してから卒業した。教授に与えられたテーマそのままに本とネットでかき集めた文章をつぎはぎしただけの卒論を提出して、実家へ逃げ帰った。

家でただ寝ているわけにもいかないので就職活動をはじめたが、大卒肩書きしかない、やりたい仕事もできそうな仕事も分からない人間を雇ってくれる会社など見つかる訳がない。取りあえずどこでも良いので働いてみてから考えればという助言に従って、隣町の食品倉庫で時給労働をすることにした。取りあえずのはずだったが、そのまま十数年たった。

肉体労働苦痛だったが何年かすると慣れた。基本的には書かれた数字にあわせて箱を動かすだけなので頭を使う必要は無い。周囲に人はいるが朝の挨拶トラブルの報告以外で話すことは無い。毎日たくさんの箱が出荷されていくが、買い手のことはラベルに書かれた名前しかからない。ただただ箱を運び続けている。

学生アルバイトでも務まるような仕事から給料もその程度だ。実家住まいのおかげで多少の貯金はできたが、病気などで大きな出費があれば簡単に消し飛ぶだろう。別の仕事を探すべきだったが、こんな簡単仕事ですら苦労する自分に他の仕事などできるだろうかと思うと身動きが取れなくなった。

日々の暮らしのものには不満は無い。食べるには困らないし、仕事上のストレスくらいなら家でお菓子を食べてゲームしていれば解消できる。会社以外で人に会うことがないので服にも身だしなみにもこだわる理由が無い。特に行きたい場所もないし会いたい人もいない。飲まないし打たないし買わない。

このあいだ四十歳になった。独りのまま四十を過ぎると妖精になるなんて言ったもんだが、実際に妖精郷というのはこんなふうかも知れない。苦労が無い代わりに、新しいことも起こらない。小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの時間

今週は先週と似たような週だった。来週も同じだろう。来月も、来年も、かわりばえのしない日々がただ続いていく。そうする内にいずれ親が倒れる。そして自分が。人生に残された大きなイベントは、もうそれくらいしか無い。

すでに自分人生は終わった、と思う。死んでいないだけで生きてもいない。小さな目標はいくらでも立てられるけど、それが他の何かにつながっていくことが無い。

自分は何がしたいのか、考えても結局わからないままだった。空っぽのまま生まれ空っぽのまま死ぬのだと思うと、少し寂しい。

2019-01-17

無題

自分の性欲マジで死ねと思う。

そう思っておきながら性欲の向いてる相手に向かって性欲向けてごめんなさいみたいなLINEした自分馬鹿すぎるしキモすぎる。

マジで死んでくれ。

.

性欲があったところでいいことはほとんどない。

勉強にはぜんぜん集中できなくなる。

自分に自信が全然ないのでモテようと努力することがバカバカしく感じる。

からバカガイジだ言われて育ってきたせいもあるだろうけど自分バカガイなのはよく知ってる。

幼稚園から中学まで新潟でも横浜でも虐められて育ってきたからそれくらい知ってる。

ASDの診断がギリギリつかなかっただけでスコア平均値より高かったことも知ってる。

僕はギリ健ブスハゲメガネガイジ以外の何者でもない。

何者でもないから、他の何者かになりたくて勉強している。

だというのに。

性欲が邪魔をする。

ASD気味で集中力がないのに人一倍性欲が強いせいでブーストがかかってる。

.

お前はそこそこの大学に行けたんだからウダウダいうなと言われた。

旧帝以外の大学しか文系で、一体どれほどの価値のある勉強が出来るというのか。

そもそも一浪国立落ちの人間存在価値はあるのか?

これから時代法務要因はまっさきにAIに取って代わられるというのに。

東大でもない人間に一体何ができるというのか。

院でロンダするっつったってそこまで能力のある人間じゃねえ。

人間じゃねえから努力するしかねえ。

今僕はどれだけの努力が出来ているか

考えているか

動いているか

諦めてないか

全部ノーだ。

動けよ。今すぐ動けよ。

あらゆることを悲観視して味方のいない狭い部屋に閉じこもってんじゃねえよ。

外に出ても味方なんかいねえけどよ。

.

死にたい

比喩でも冗談でもなく普通に死にたい

もっとカジュアルに死へ向かう支度をしたい。

もっとカジュアルに死へ向かう議論をしたい。

僕が家族に与えてきた損失やこれから社会に与える損失を勘定して、一番マシなタイミング死にたい

しかしたらそれが今かもしれないんだから考えるなら早くしたい。

でも仕事学業サークルに家のことにでそんな時間は全くないんだよな。

帰ってきてもすぐに寝るだけ。

移動時間も本を読んでる。

勤勉か? でも大抵そんなに集中できてないんだよな。

浪人してる間に外界に触れてなかったか感覚バカなっちまったのか

ちょっと気を抜けば三人の女性が頭ン中をグルグル出てくるんだよな。

そのうち一人はもうこれ以上性欲を向けたくない相手もっと理性的な話をしたい相手からどうにかして浮上しないように努めてるけど、

それは即ち他二人の女性を無理やり脳内召喚する行いなわけで、

結局あとになって妄想が終わった後に僕のメンタルが受けるダメージの総量は変わってないんだよな。

しろあの二人へ向く僕の気持ちが精鋭化されすぎてあまりにも怖い。

多分もう最初みたいに、出会った時にあった属性のみの状態に向いてた自分感性感覚を取り戻すことは絶対に出来ない。

意識があまりにもかけ離れた姿に変容してしまった。

.

んなこたどうでもいいんだよ。

ともかく僕は死にたいんだ。消えてなくなりたい。

でも絶対からも歓迎されないだろうし、人が死ぬということがあれだけしんどかったのに、死してなお人様に迷惑をかけるのは絶対に嫌だ。

なんなら全部の人間関係を清算しきってから知らない国に高跳びして蒸発してしまおうか。

多分そんな度胸も行動力もないからこんなところでウジウジしてんだよな。

明日かに殺されねえかな

.

他人に性欲を向けてる人間死ぬほど嫌いだ。

双方合意の上だったらまだいいがそんなことは大抵ないだろう。

興味のない他人から向けられる恋愛感情ほどキモものはないらしい。

クズの本懐に出てきた。

あれ作者女の人だよな。

多分女の人ってそう言う風に思うんだろうな。

というか、女の人が本来人間としてのあるべき姿(視界が性欲で汚れてない精練生き方が残されてる生き物)であるわけで、そういう目を通して見た世界だと、やっぱり知らん人に性的眼差しを向けられるのは気持ち悪くて当然なんだろう。

.

大事に思っている友人が男性性の暴力的な部分に打ちのめされて泣いていた。

僕は何も声を掛けることができなかった。

彼女彼女女性性という性別のみを勝手に消費されたことを極めて遺憾に思う。

今すぐそいつを殺してやりたい。

痴漢なんかする人間は全員死ねばいいと思う。

勝手赤の他人女性性のみを見つめて暴力的に消費しようとする愚かな連中だ。

理性の機能していない愚かなジャップオス共だ。

では僕はどうだろう。

僕はジャップでオスだ。

同意のない相手一方的に性欲を持っている歩く公害だ。

異性に一方的に性欲を持つとか生きてる価値ねえだろ。

死んでしまえ。

.

ヘイトスピーチは魂の殺人だが僕が女性に向ける性欲も魂の殺人だろう。

僕は加害性のある人間が嫌いだ。

男性性には加害性がある。

から僕は僕が嫌いだ。

このエントリを貼り付ける先には男性だっているが、彼らと話している時はあくまで男同士の会話であって、そこに性欲がどうこうと介入するものではないだろう。

僕は性欲に汚れた瞳を通さないで話す気さくな男性が友人として好きだ。

から彼らもまた性欲を持つ同じ男性なんだと思うと胸が苦しくなる。

僕は自分の加害性を自覚してるんだから自分は早く死んでしまえと思う。

潜在意識を理性で押し込めることなんか人間には出来ないだろう。

それが出来るような立派な人間たちが社会トップだったら、上級国民接待舞妓が出てきたりなんかしねえんだよな。

不倫だなんだで文春砲を打たれることもない。

どれだけ頭脳を磨いたって、どれだけ高尚な研究に打ち込んだってジャップオスはジャップオスなんだよな。

気持ち悪い。

.

ガルチャンかどっかで、去勢したオカマでもジャップオス特有の加害性が抜けてないと純女バカにしてるところを見た。

うん、男で産まれた時点で負けなんだなって思った。

負けというか産廃というか。

女性を産むために出てくる1/2のロス。

効率悪いなー最初から女だけ生んでくれよ。

男に生まれるくらいなら最初から殺されとけばよかった。

女に産まれたかった。

2019-01-13

ぶっちゃけ学歴コンプある人いる?

早慶受けて保険マーチ落ちて一浪して結局は日東駒専に通った

自分には能力がないと裏付けされたようでつらいんだが...三連休とかで色々考える時間があると自己否定感がハンパない

学歴コンプある人いる?ない人はどうして気にならないの?

2019-01-03

京大までの受験の思い出(失敗編)

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

https://anond.hatelabo.jp/20190102174908

ダメだった身で恐縮だけど、見てたら俺も自分語りしたくなったので。

中学受験

小学校首都圏某県の公立に通っていた。長男にはありがちだと思うが、低学年のころより通信教材をさせられたり、あちこちの塾にお試しで通わされたりしていた。

中学受験も完全に親の意思によるものである勉強別に好きではなく、塾では机に落書きをしたりしてあまり授業を聞いてなかった。だから当然成績は振るわず、ある日テストで50点をとって(自分ではそれでも上出来と思っていたのだが)ブチ切れた母の命により、それ以来は学校が終わると直帰し祖母らの監視下で勉強強要させられる日々が続いた。志望校も全て親が決め、いざ受験期になっても明日どこの学校を受けに行くのかさえ把握していなかった。

とはいえ元来陰キャ友達も少ないことから自分だけ別の中学に行くことに未練はなく、また特段この学校を受けたかった!というのもなかったため親は恨んでいない。まあクラスメートからいいねと言われるのは気分が良かったし、(勉強は嫌だけど)親に怒られるのも嫌だからしょうがないか、ぐらいのもんだったと思う。むしろ中学受験は大なり小なり「させられるもの」だと長らく思っていたので、東大編の元増田や知り合いの子供が純粋自分意志中学受験をしたというのを聞いてびっくりしているくらいだ。結局(親の)第一志望の御三家は全く歯が立たず、第三志望?くらいの中堅校(中高一貫)に入学

中学高校時代

中学に入る前後から弟が病気で入退院を繰り返すようになり、親や祖父母はそれにかかりきりになった。お陰でこっちはこれまでと打って変わって完全放任。ゆるい文化部に入って暇を持て余した俺は、当時流行っていたMMORPGメイプルストーリーとかそういうやつ)にドはまりした。当然勉強は全くせず、テストは常に一夜漬け。成績は最下位スレスレ状態が高1の終わりまで続いた。相変わらずクラス友達はなく、図書室にこもっていたお陰か現代文だけは良かったが、文筆家になる気はなかったし歴史とかの暗記系が大嫌いだったので理系選択

高2になって、見かねた親が東大生の家庭教師をつける。俺が京大へ興味をもったのは、その先生の「京大単位が空から降ってくる(けど東大単位が逃げてゆく)」という言葉だった。折しも本屋大賞だかがきっかけで森見登美彦を読み始めた俺は、自由楽園としての京大への憧れを一気に膨らませた。当時の京大ホームページアクセスすると大学京都の町並みの影絵だけがボーンとあり、それを横にスクロールしていゆくと最後入口が出てくるといった具合で、他の「普通の」大学とは違うその作りに大いにワクワクした感覚を今でも覚えている(どこかに画像が残ってないだろうか)。

同時に両親とも激務で働く姿を見ていた俺は、会社員自由のない苦痛に満ちた職業というイメージ漠然と持ち始めた。そして自由自分のやりたいことのできる職業大学教授という安直な発想から研究者(当時は「研究」が何かも知らなかった)の道を志す。そのために必要要件も何人かの研究者の略歴を見て「早慶以上で博士課程まで行けばなんとかなる」という勝手イメージを抱き、結論として「京大に入る(滑り止め早慶)」ということだけを目標に高3に突入した。

大学受験(現役)】

再び受験生となった俺は、MMOを休止し何となく予備校に通い始める。当時クラスメートたちは進度の遅い高校カリキュラムを見限り、授業中も内職して予備校の教材をやっていた。だから自分もそんなもんかと思って高校課題は真面目にやってなかったのだが、5月定期試験で相変わらず下から一桁番目の成績だった俺は担任からこっぴどく叱られる。

「お前に学校予備校勉強を並行してやるのは無理だ。予備校を辞めるか、さもなくば学校を辞めて大検を取れ」

恐れおののいた俺はとりあえず担任の教科(数学)だけ予備校を外し、そこから漸く(自分なりに)真面目に勉強をするようになった。

学科は(高校の教科で言う)物理が好き&理屈ばっかりではつまらないという理由工学部物理工学科を選択首都圏学校だったので京大志望はクラス自分一人で、ちょっと一目置かれていた(単にハブられてただけかも)。しかし当然ながら、京大試験問題は難しい。特に積み重ねと言われる数学絶望的だった。でも当時はそこまで深刻には考えてなかったように思う。物理は高3になるまで運動方程式も知らなかったけど、一歩一歩ものにできている感覚があった。化学予備校の教材が奇跡的に分かりやすかった(何せ浪人時代予備校を変えたけど、化学はこっそり現役の時の教材で勉強していたくらいだ)。当時京大では理系でも国語二次試験があって、読書趣味から現文が感覚で解けてた俺には有利だった。元増田の通り、センター数学足切りしか使われないから出来なくてもノーダメージ。あとは英語センター地理を合わせて総合力で何とか、という作戦だった。

高校である教師が言っていた。

現役生はあらゆる点で浪人生より不利だが、唯一有利な点は『落ちたことがない』ということだ。

高3の俺は正にその状態だったと思う。模試でD判定をとっても、周囲が「E判定は良い判定」とか言い合ってるのを聞いて安心していた。試験前日も風邪リスクなど考えず、噂の折田先生像がいつすげ替わるのか番を張っていた(夜になって諦めたけど)。今から見れば完全にただの馬鹿だった。

そんな根拠のない自信は、試験帰りの新幹線慶応に落ちたことを知り、補欠だった早稲田にも繰り上がりはなく、そして3月10日を迎えて完全に打ち砕かれた。後日はがきで送られてきた俺の点数は、合格最低点に(全教科計1000点満点で)80点以上足りなかった。

大学受験浪人)】

私大早慶以外にも何校か受けており、そのうち1校には辛うじて受かっていた。浪人生活はとにかく苦しいと聞く。しかし極限まで肥大化した京大-自由楽園-への憧れと、早慶未満→研究は無理→会社員自由のない人生というイメージから俺は進路に迷った。結局家族で唯一理系だった祖父の「受かった大学師事したい先生がいるならよいが、そうでないならもう一年頑張ってみては」という言葉におされ、俺は浪人生となった。

もう現役のころのような希望はなかった。予備校京大クラスはそこにしかないため、満員電車を乗り継ぎ片道1時間半かけて都心の校舎に通った。中学受験ときは決まった休憩時間には遊べたが、浪人の間はあらゆる時間勉強に費やさなければならないのが本当に辛かった。趣味読書も一切禁じた。もし落ちたら奴隷のような一生しか歩めず、それだったらもう死ぬしかない。そう思いつめているせいか夜はなかなか寝付けず、自習時間や週末に眠り込んでしまうことも度々あった。クラスメートと一切話さず(結局誰一人名前も知らなかった)、昼休みは机に突っ伏していた俺は相当浮いていたと思う。

それでも振り返れば、この一年で俺の馬鹿は(お勉強の面では)だいぶ治ったと思う。物理は難度の高い問題をこなし、得点源といえる域になってきた。化学は詳しい理論(π電子とか)は理解できず丸暗記だが、現役時代と合わせて知識量はそこそこあるはず。国語感覚を廃した分析的な読みを一から勉強し、地理と合わせてセンターで大幅な特典増が見込めた。数学はやはりしんどいが、どうにか100/250点とれれば総合合格点に届く計算だった。

試験前日、俺はやっぱり眠れなかった。ホテルの有線音楽で聞いた『一年生になったら』がずっと頭の中を流れていた。興奮は当日になっても続き、寝不足による不調は感じなかったが、2日目の最後理科試験問題を開いて絶望した。物理が例年よりも簡単すぎる!差別化を図れる唯一の手段を封じられ、動揺した俺は同時に出された化学で手こずりまくった。絶望感とともに帰宅した俺は、迎えてくれた家族の態度から早慶に落ちたことを察し、今度こそ人生が終わったと泣いた。そこから3月10日までは後期(京大にはないので他所)の勉強をする気力も起きず、抜け殻同然の日々を過ごした。

ここでいつか使おうと思って、結局使えなかった話のネタを供養したい。俺は出願期間が始まって速攻で願書を出したから、京大受験番号は(学科を表す千の位+)8番だった。たしかその年の工学部の倍率は2.5倍くらいだった気がする。迎えた3月10日ホームページで見た合格者の番号は

1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 9, 11, ...

あの時同じ部屋にいたはずの10番は、今何をしているだろうか?

【その後】

結局俺は最低点には17点届いていなかった。そして死ぬだけの覚悟があるはずもなく、併願した某私大に進学した。この大学に現役で進学し、新歓の時期ばったり会った高校クラスメートの「一浪して○○大!?」という言葉が今も胸に突き刺さっている。

……とまあ、受験生を奮い立たせる目的ならこういう風にBad endで終わった方が良いのかも知れないが、どっこいこれもN年後の今では良い思い出である。あれから俺は京大とは別の国立大の院に進学し、今は民間企業への就職を控えつつ博士課程を終えようとしている。結局私大生活も十分すぎるほど自由だったし、現状研究者も中々自由が効かなそうだし、企業でも上手くマッチングすればかなりやりたいことが出来そうだった。後に残った傷といえば、森見登美彦が読めなくなったことぐらいである。

もちろんこんなのは結果論しかいから、これを読んでる受験生は悔いのないよう今の信念を貫いてほしい。しかしもし将来(受験に限らず)苦い思いをすることがあったら、それがどのようにして「良い思い出」に変わり得るかのヒントとして次の言葉を思い出してほしい。

人生には割と結果オーライな所があって、今の状態が悪いと過去の一つひとつがその原因のように思えてくるが、逆に今が良ければそれらにも意味があったんだと思えるようになるもんです。

これは今の大学である先生が仰っていた言葉だ。過去未来を決めるのでなく、未来過去意味づけるというとまるで(京大編の元増田の)「汗をかけ」へのアンチテーゼみたいだが、そうではない。大事なのはもし受験不本意な結果に終わっても、その後人生で「成功」するチャンスはまだまだ残されているよということだ。私大の院で着実に研究者への道を歩んでいる同期がいる。生涯の伴侶を見つけた後輩がいる。サークル趣味が高じてプロになった先輩がいる。俺だって京大に落ちなければ、今の研究(超絶面白い)には出会えなかっただろう。どんな道でもとにかく今が楽しいという状態にさえ持っていければ、きっと明日だって「落ちたことにも意味があった」と僻みなく言えるようになれるだろう。

全ての受験生と、かつて受験生だった皆が、新時代を迎えるこの年に「成功」出来ることを祈っている。

文教大学までの受験の思い出

私は高校中退のあと大検を取って、二浪してたまたま受かった文教大学に入りました。

高校受験

ADHDの症状のためかなんなのか自宅ではまるで勉強ができず、三年間で家でやったのは県立高校過去問だけ。

ただ知能テスト?の結果は学年で一番とかだったので授業態度や提出物等はボロボロものの、なんとか偏差値60ぐらいの県立高校入学

最近親に「勉強のやり方がわからなかった」という話をしたら、どうも話が噛み合わないのでよくよく聞いてみると塾とかで丁寧に指導してもらえばもっとできたのではと思っていたらしく、「いやいや毎日コツコツ机に向かって勉強するっていうのができなかったんだよ」と言ったら少し驚いていた。

そんなんで入った高校適応できるはずもなく1年で中退大検予備校には通うもまたもや家では過去問だけをやってなんとか合格

大学受験

しか大学はそう甘くはなかった。現役の年齢では手も足もでず、一浪するも全滅。親から圧力とかの恐怖心もあって予備校に通う電車の中で「試験にでる英単語」だけはやり、例によって赤本アタック

正直もう体力も精神力限界に近かったが、5校受けた中で「こりゃダメだな」と思った文教大学情報学部になぜか受かっていた。合格発表も見に行けず家でゴロゴロしていたのだが、親が「大学から何か来てるわよ」というので見てみたら、入学書類だった。

最後に】

運かなぁ。

2018-12-12

医学部入試高得点を取るために

男性である

・現役である一浪ならまだセーフ、二浪以上はきつい)

・その地域出身過疎地だとなお良い)

・もしくはその地域に親戚がいる

・親が医者(継ぐ必要があるとドロップアウトしにくいため)

・前期で東大京大の他学部受験していない(単に高偏差値帯の滑り止めとしている人はモチベーションが保てずドロップアウトやすいため)

医学部を志していた時に聞かされた話

2018-12-03

勉強するのが格好悪いという呪い

ちょっと流行ってた増田を読んで自分にも思うところがあった。

まさにこれ。

小中とそういう環境で育って来たんだけど、うちは貧乏だったけど親が教育熱心だったか大学に向けて勉強はしていた。

でもサッカーして貰ったりキャッチボールして貰ったりとかは全然なくて、運動部に入ったりとかしても落ちこぼれだった。

まあそれは根性足りなかったのかもしれんが。

高校公立だけどそれなりのところに行って、ようやく勉強評価されるようになったけど、やっぱり部活とかで成果出してるやつの方が評価高くて

勉強もいいけど、あくまでサブでやってそこそこ結果出すのが格好いいみたいな。

実際部活も頑張ってて勉強もそこそこやってるやつの方が多かったし。

俺は結局勉強でも中途半端浪人しちゃったけど、一浪東大に入れたから、やっぱり人生変わったんだとは思っていて、親にも感謝している。

でも、やっぱりそれまで育った価値観から逃れられてなくて、向いてないのに華やか(?)なサークルに入って、そこでまたちょっと落ちこぼれてたりした。

勉強が一番重要で、それをやってればいい、って信じようとはしているけど信じられない、みたいな。

運動コミュ力では落ちこぼれなのに、そこで評価してもらいたい自分から逃れられない。

から勉強とかキャリアアップに全力に出してるやつにかなわないし、どこかそれは格好悪いとか思っちゃう

理性ではそれが正しいはずとわかっているのに。

そんなだから就活も力を入れきれずに失敗して不本意な結果に終わっちゃう。

皮肉な事に、そういう不本意状態から目を背けて現実逃避してる時が、一番勉強とかが捗る

結局頑張って転職して現状はけっこう満足いくものになった気がするけど、周りの人の向上心についていける自信がやっぱりない。

頑張らなきゃいけないところ、ちゃん努力が実を結んだところ、それが分かってても別の場所で受け入れてもらいたかった自分から逃げられない

ひたすら格好悪い。

山月記の虎よりもなお悪い。

勉強が格好悪い世界幸せに生きている人ももちろんいるから、それがゆがんだ価値観だとかは思わない。

でも、そこでは落ちこぼれている人間が逃げ出したはずのその価値観に囚われているのは我ながら滑稽だ。

2018-11-18

「人との繋がり」の大切さを軽視したHikakinに大変失望した

例のPremiumの動画についての件。

いや、俺は別にPremiumがどうとかはどうでもいい。金銭感覚は人に依る。

問題は以下の、

高校生にとってラーメン一杯、友達と行く1回のゲーセン

どれだけ大切な時間か…YouTubeなんかに使うくらいならそっちにお金かけたほうがいい

個人的には思います。」

というユーザーコメントに対しての返信。

『そういう普通から逸脱した人が僕は成功すると考えてます!』

俺はこれに大変失望した。幻滅した。

Hikakinに対して抱いていた「尊敬」が一瞬にして「憎悪」に変わった。

普通から逸脱する」こと。

それが「成功」に繋がる、と言った意見

そんなわけないだろうが!

いや、「普通」、つまり常識なんかを疑い、新たな道を見つけること、これは確かに成功に繋がることがある。

例えばベンチャー社長なんかがよく言っている通りだ。

だが、言及元のコメントで言えば、「Youtubeより、友達との大切な時間に金をかける」ということを「普通」として、それから「逸脱」した方が良いと言っている。

友達」より「動画」を優先しろと。

もう一度言う。

そんなわけ、ないだろうが!!!

Hikakinがこれまでやってこれたのも「支援者」、「人の繋がり」があってこそだろう。

そしてHikakinもそれに応え得るために様々な活動を行ってきた。それには当然金銭コストが掛かるだろう。

Hikakinを中心としたオープンコミュニティみたいなもの形成されるために、Hikakin毎日様々なことをして、様々なもののために金をかけてやって来た。

そう言った、「人」の温かみに囲まれてやってきたはずの人間が、「友達」よりも「動画至上主義となり、言葉は汚いが『Youtubeの犬』に成り下がってしまたことに俺は大変失望している。

俺がわざわざはてなアカウントを作ってまでこの匿名ダイアリーにこの記事を載せようと思った理由はたった一つ、

この考えがユーザー特にそのメインである学生」に波及してしまったら大変まずいと思ったからだ。

それは、自分の話になるが、そんな「動画至上主義」が「学生」の自分社会から置いてけぼりにしてしまたからだ。

Youtuberが台頭し始めた頃、俺は丁度高校生になりたてだった。

もちろんHikakinもそうだが、はじめとかマホトとか様々なYoutuberがいて、俺はそれにどっぷりのめり込んでいった。

動画時間は短いようで、長い。平均10分の彼らの動画を夜に30本見るためには300分、5時間かかる。

実際はもっと見ていた。大体の人気のYoutuberをフォローしていた。

俺の人生が、俺の昼の時間までもが、Youtuberに浸食されている危機感に、俺は気付いていなかった。

休み動画を見ていた。気付けば、生身の友達の横で、まだ見ぬYoutuberを捜索していた。

元々高校に入る前からネットにはまり気味だった俺にも、高校ネット仲間、別にネットについて詳しくはなくても他の繋がりで仲の良い友達がわりといた。

部活に入っていなかった俺にだってクラス友達を作ることは簡単だった。

放課後に、部活に入っていない友達同士で色んなところに遊びに行ったり、食べに行ったりすることが、学校生活一番の楽しみだった。

楽しみだった。

いつからか、「あー、今日は帰るわ」と、無意識に口をついて出るようになるまでは。

俺が下校時まで、下を見ながらYoutuberの動画に笑い歩くようになるまでは。

もう俺は動画に「洗脳」されていた。

今思えば、どう見ても面白くない内容の動画が、学校での他愛ない雑談よりも「面白い」と考えるくらいには。

その先は言わなくても分かるだろうが、一日中スマホを見続ける俺から友達は離れていった。

「それでもいい」と思っていた。ここまでくれば明確に「頭がおかしい」、と今の俺でも思う。

受験になって、時間の大切さを改めて知るまで、正確に言えば、スマホ中毒だと俺を病院に連れて行った母とそこの医者に言われるまで、それは治らなかった。

スマホ中毒自体Youtubeに限ったことではなかったが、俺はそれによって初めて自分の異常さに気付いた。

大量にチャンネル登録していたそのアカウントは消した。今はサブ垢一つになった。

動画を見るのはすっかり一日一時間程度になった。俺にとってはかなりの進歩だと思う。

もう昔ハマっていたYoutuberを見ることもほとんどない。今でも面白いと思えるチャンネルしか見ない。

でも、フォローがやめられない。

いや、書いた通り日本Youtuberはほとんどフォローしていない。

海外だ。

英語が分からない俺にでも面白動画がかなりある

今の冷静な頭で、面白いと思える動画が、世界にはまだまだある。

言ってしまえば、「追っかけ中毒」は終わっていない。

あの頃に「友達との喋り方」みたいなもの、いやもっと根源的に言えば「友達の作り方」みたいなものをすっかり忘失してしまった一浪大学生の俺に、今も友達は一人もいない。

言い過ぎているわけではなく、文字通り友達が「一人もいない」。

俺の人生は、「インターネット」に壊された。

いや、正確に言おう、「友達より動画を優先した自分に」。

自業自得だった。

Hikakinのあの一言が、恐らく安易気持ちで返信したあのコメントが、そんな事態不特定多数に遭わせようとしている。

もう自業自得ではない。

あのコメントを見たユーザーが、Hikakinの考えは意識が高いな、じゃあ自分も…となり、俺のような事態になってしまったら。

その責任は、言うまでもなくHikakinにある。言い逃れはできない。

自らのリプライが、学生人生を壊してしまう。

そんな「影響力」が自分コメントにあることに、彼は気づいていない。

正直Hikakin活動については俺はかなり肯定的であったと思うが、今回の一言でさすがに幻滅した。

これからは堂々とHikakinアンチを名乗ろうと思う。

これを書くためにキーボードタイプしているこの手もまだ怒りで震えている。

これまでHikakinが行ってきた人道的な活動好意的交流については変わらず称賛したい。それは誰も文句が言えないことだと思う。

しかし、Hikakinよ。お前の影響力がどれだけか、まだ分かっていないのか。

そもそも小学生の夢がYoutuberって時点でヤバいのは分かる、だがそれは「個人」の影響ではない。

ただ、お前の「一言」には確実に大きな、莫大な力があるんだよ。

お前の普通を語るなよ。

『人それぞれいろんな考えやお金の使い方、自分への投資、あると思うけど』と言うなら、お前の普通社会普通と思うなよ。

『僕は~と考えてます!』という予防線は「普通」という単語を使った時点で矛盾してるんだよ。

お前は才能があったから、「コミュニティから逸脱しても、ネットで囲われることができたんだ。

大多数の人間には、「独り」から広げられる人脈はごく限られている。俺に限っては無かったんだけどな。

友達がいなくなる。

「それでもいい、『普通から逸脱する』ことが成功につながると、Hikakinも言ってた」

俺はそんなことを言い始める学生が一人でも現れたら、発狂しそうなくらい悔しくなると思う。

Hikakin、もし運命と偶然によってこの記事出会ったら、お願いします、どうかあのコメントを消してください。

俺は、どの学生にも「普通」の人間関係を築いてほしい。

君はそうは思わないだろうが、一億の凡人にとって、「友達」ってのは、未来を切り開く一番大事ものなんだよ。

2018-10-21

大学受験失敗、自業自得人生努力できない病

私は大学受験に失敗した。第一志望校に受からなかったとかそんなことではない。受けた大学全て、そう、全落ちしたのだ。

話は高3の4月からになる。同い年の友人が急死した。他の共通の友人は皆悲しんでいる様子だった(当然だ)が、私はその時ひどく冷静でいた。友人たちに対し適度に元気付けるように行動したり、死んだ彼女の分精一杯努力して生きようと意気込んでいた。今思い返せば自分無意識に空元気の状態だったのかもしれない。

そんな前向きな状態は長続きしなかった。夏休み明けから登校拒否になった。原因は分からないが、自己分析すると高校受験の時からの溜まり溜まったストレスが、友人の死をきっかけに爆発したのではないかと思う。それに部活での人間関係受験への不安etc、私の高校生活はかなりストレスフルだったと今改めて思い返す。母親に泣きつかれ父親に蹴られても学校には行けなかった。早期の時点で大学受験は諦め、とにかく卒業を目指すことになった。なんとか出席日数ギリギリ高校卒業することができた。

卒業後、私は学習塾に通い(予備校ではない、この時点でやる気のなさが伺える)大学を目指すことになった。周りに流されるままに。そう、私は一浪の末全落ちしたのだ。理由簡単、全く努力をしていなかったのだ。4月5月毎日ドラクエ7をやっていた。ドラクエを全クリすると今度はひたすらネット動画を観ていた。誰も叱る者はいなかった。親も塾講師も腫れ物に触るように私を扱った。志望校はたった2校だった。どっちも私立だったのでセンター試験すら受けなかった。当時私は大学に行きたい気ではあまりなかった。どうせ行っても上手くいか中退する未来しか見えなかったからだ。私は幼稚園の頃からずっとしくじり続けた。対人面でも勉強面でも。だからまた失敗するんだという固定観念に縛られていた。結果は一方は即不合格、もう一方は補欠候補に入った後不合格。当然の結果である

そして今年の4月からバイトを始めた。週4、5回4.5時間〜7時間働いている。だが仕事中色々思い詰めてしまって集中できない。何を考えているのかというと、何故頑張れなかったのか、底辺でも大学に入っていた方が良かったのではないかもっと早くストレスへの対策を出来たのではないのか、人生この先どうなるのか、などということだ。それから10月から通信制大学をはじめたがもう溜まっている。子供の時から何も変わってない。進〇ゼミや〇会や公〇、全部溜めて辞めていった。無駄にした親の金は一体いくらなのだろうか。

世の中の悩める人たち、安心したまえ。私よりクズ人間はいない。自信を持ってくれ。それしか私に出来ることはない。今日も私は全人類の引き立て役をする。

2018-10-17

おしえてドクターの人

 医学部入試で現役,一浪への加点が問題になっていて,昭和大の学長が会見でその理由を「現役のほうが伸びる」って言ってたのですが,これは医学界の常識ですか?同級生や周りのドクターみてどうですか?

2018-10-16

医学部入試問題解決するたったひとつの答

すべての大学入試一浪まで、それ以降は入学を認めない

併願を認めるが、どこかの大学合格した場合は必ずそこに入らなければならない

一浪以降は入学を認めず、専門学校に通うか高卒社会人となるものとする

最近学び直しだ生涯学習だと主張する人もいるが、大抵の人間人生はそこまで余裕のあるものではない

どうせ日本人一般的に何浪するものでもないし、ストレートで入った人間が一番価値のあることも変わらない。それは就職だって一緒

これは大学から社会人までリニア設計になっている日本特有でのみ通用するが、それゆえに日本特有問題解決する唯一の解となる

2018-10-03

全ては手に入れられなかったけれど

僕はQUEENファンなのだが、I WANT IT ALLという曲が好きだった。この曲の、特にブライアンメイのソロの部分~Not a man for compromise and where’s and why’s and living lies~「妥協したり、場所理由のために生きたり、偽りの人生を生きるような男じゃない。だからこそ全てを賭けて何もかも手に入れてやる」・・・そういう歌に、当時15歳の僕はひどく感銘を受けた。何度もこの歌を繰り返し聞き、辞書の側面にこの歌詞を書き込んだ。そして人生に夢も希望目的意識も無い偏差値45の私立高校生だった僕は、人生目標として独学による早稲田大学合格を打ち立て、何を思ったか高校中退してしまった。校風が合わないこともあったが、自分を追い込み、それこそ全てを賭けるに相応しいと思ったのだ。しかし高い意識目標とは裏腹に自堕落受験生活。元々要領が悪く遅々として進まない独学に焦りを感じ、代ゼミ社会科目の単科でリズムをなんとか維持するも、現役は全落ちし、一浪の果てに偏差値50の私大法学部しか引っ掛かからなかった。しかし、(方法方向が間違っていても)それなりに努力していた僕の姿を見ていた父の言葉は優しかった。「もう1年やってみるか?」泣きながら自宅の窓から外を眺めていた僕はその優しい言葉にとても惹かれたが、自分学歴面のハンデや就職時年齢を考慮して、今後受験を続けては人生へのリスクが高すぎると判断し、コンプロマイズ(妥協)の道を選ぶことになる。偏差値50の私大へ進むよ、と答えた時、僕のI WANT IT ALLは終わり、僕の心は死んでしまった。

早稲田だろうと滑り止めだろうと、どの大学に入ったとしても、大学へ入った時点で偏差値呪縛やしがらみから解き放たれて大学生活を充実させるべきなのは間違いない。今では心からそう思うし、妥協して腐っている新入生には、偏差値呪縛から解放されて人生を楽しんで欲しい。しかし僕にはそれが出来なかった。話しかけてくれる数少ない人達好意を踏みにじり、常に孤独を選んだ。そして心が1度死んでしまうと、頭が何かを理解しようとすることを拒否してしまうのだ。高い教科書を何冊も買い読もうとしても、講義いくら受けても、言葉言葉の間に繋がりが見いだせず、混乱しか引き起こされなかった。次第に大学へは通わなくなり、1日のほとんどを自室から出ずに過ごすようになる。1度も大学へ行かないまま2年前期が終わったとき、僕は「ヨシ、もう死のう。友人もいない、勉強もできない、頭も死んでいるし、どうせ妥協した人生だ。僕の負けだ。もう死のう。」と思い立ち、同じ旨の遺書を書き置きし、身辺整理してから実家を出た。家族迷惑がかからないどこか遠くで自殺しようと、ひたすら電車を乗り継いだ。電車が止まれ路地公園で凍えながらうずくまり、朝になるとまたひたすら電車であてもなく遠くへと揺られた。九州へたどり着き死に場所を探していたときの事だ。ある駅のマクドナルドで座っていると、隣に明らかに知的障害のある若い男とその父が座った。その父は、食事をしている我が息子に愛しそうにカメラを向け、楽しそうに、笑顔写真を撮り出したのだ。その親子の姿に私は衝撃を受けてしまった。なんという父親の愛だろう。もし僕に障害のある息子が産まれたら、この父親の様に心の底から息子を愛せるだろうか。そこにあるのはただひたすらな無条件の愛だった。自分の両親顔が浮かび、次の瞬間僕の目からは涙が止めどなく流れ、いてもたってもいられずすぐに席を離れた。泣きながら公衆電話を探し、実家架電した。「今から帰るよ。ごめん。」と。自宅へ帰ると泥のように眠った後、今後のことについて話した時も父は優しく「もう大学は辞めるのか」と尋ねてきた。僕はもう迷わずこのまま通う事を選んだ。大成功けが人生では無い。あの親子のおかげでそれを本当の意味理解し、心の再生は近づいていた。大学では相変わらず孤独だったが、それからは全ての講義に欠席せず、聴講したのを録音して更に講義録を作り、試験対策も死に物狂いでやった結果、本当にスレスレで4年で卒業できた。留年が無く卒論必須ではない法学部からこそだったと思う。しか就職活動は完全に捨ててバイトサークル等もせず、卒業だけを目指していたので、卒業して無職になってからは、今後の人生方向性は定まらず、これにも困りきってしまった。なにしろ受験大学勉強だけしか知らず、その他は中学生時間が止まっているのでやりたいこと、人生目標なんてものは無い。呂律は回らない、言葉は詰まる、人生経験は何一つ無い。そのため就職活動は困難を極めた。臆病で説明会面接で行った会社インターホンを押せずに帰ったりもした。結局数社説明会を受けたりボロボロ面接をしただけでやめてしまい、困った事になったなと思いつつも1年ほどダイソーの釣具で海釣りばかりしていた。けれど何か人生軌道修正をする糸口が欲しいと思い、就職活動の練習のために一般教養科目だけで受験できる公務員試験受験した。これがトントン拍子に進んでしま採用されることになり、現在はもう5年が経とうとしている。面接相手が、実際の職場で会うことはまず無い公務員試験だと、堂々と話すことができたのだ。それに法学部出身故の法律素養が意外と仕事や昇進で役に立ち、年齢的には結構早く昇進もさせてもらっている。何がどこで繋がり役に立つかは、なかなかわからない。確かに僕の人生妥協の先にある人生だが、これは妥協や敗北ではなく、小規模な成功と換言できるのではなだろうか。大大大勝利だけに囚われて孤独で苦しい人生から抜け出せなくなるより、戦略的人生スライドさせていくことも、ひとつ人生としてはありなのではないかと思った。

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