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2021-05-23

発達の偏りというか短期記憶問題がある気がする

以下はチラ裏身の上話なので時間無駄になる(予告)

自己判断だけどなんとなく自分はややADHDっぽい性質があると思ってる。20年ぐらい前に安易リタリン出すタイプ精神科医生活上の困難を相談したら、あんまり深く検査もしないでADHDでしょうねとか言われたことがあったレベル。でもセカンドオピニオンを求めてちゃん検査する大学病院行ったらリアルに鼻で笑われたから投薬とか受けてないけど。

社会人になってからタスク管理全然できなくてミスして怒られてばっかりで、鬱っぽくなって自分ADHDかも?と疑って受診したのが始まり。何も覚えていられないから細かいタスクまで全部テキストに書いて毎日何度も見返してた。時間感覚全然ないことにもその頃に気づいて、自分がさっきまで何してたのか、何でこんなに時間たってるのか分からないこともしょっちゅうあった。何時までに何をどれだけやるのかっていう計画性とか時間見積をする習慣が本当に全くなくて、これを少し身に着けて日々繰り返すことで少しずつ普通にこなせるようなってきた。(でも休日になると子供の頃と同じ暮らしに戻る)

自分場合はよく過集中しちゃうんだけど、それって「今は先に○○しなきゃ」っていう短期記憶がすぐに揮発しちゃうのも一因かなと思ってる。視界に入ってないものは何でも本当にすぐ忘れる。本読むのが苦手で、前のページまでに何書いてあったか覚えてられなくてストーリー全体像が頭に入らない。深く練られた物語とか伏線とか推理小説とか大抵くみ取れない。1日3回飲んでる薬があるんだけど、さっき飲んだのかどうか思い出せないことがしょっちゅうあって、飲んだ記憶がさっきなのか昨日なのか本気でわからないなんてのもザラにある。深夜になって、今夜の夕飯が何だったのかを思い出すのも10秒ぐらい悩んで頑張ってようやく思い出せる。

仕事の打ち合わせなんかしてるとき、細かいToDoとか懸念点とかの話がたくさん出てくるけど、3つ目ぐらいになるともうワーキングメモリからあふれるのが分かる。最近では「あっ今何か忘れた」って感覚すらある。(シナプスが切れた感覚とでもいうのかな?)怖くてひたすらメモするからメモが大量に膨らんでそれの整理に追われて疲れ果ててる。毎日何も抜けないようにするなんて無理で周囲からトレースに物凄く助けられてる。

でもなぜか学歴はそんなに低くなかった。子供の頃は勉強する意味も分かってなかったし授業も一切聞いてなかったし、なんか怒られるからただやってた。テストでいい点とりたいと思ったことも無かったか万年学内で劣等生だったけど、高校卒業してから仕方なく大学受験のために自分参考書買ってマイペースで独学したら結構楽しくて、人並み程度の点は取れるようになって一浪してちょっとましな大学入った。みんなが言ってる勉強ってこういうこと頑張ってたんだなってここで初めてちゃん理解した。

思い起こせば幼稚園から大学卒業まで、犬猫みたいに瞬間瞬間を主観的直感的に本能で生きてて、同級生がそれぞれどんな性格の人だったかほとんどわかってなかったことにも気づいた。他人にも感情があって、他人立場から見て自分の振る舞いがひどいものだ、っていうことを理解したのは社会人になって数年たったころだった。孤独耐性がかなり強いし友達と呼べる人は今はいなくて、大学の知り合いと年に1回連絡とるかとらないかぐらいしか関係は残ってない。

こういう頭の悪さって家庭環境とか遺伝関係あるのかなと思う。父親はかなりアスペ疑惑の強い友達いない嫌われ者だし、母親は部屋散らかってて掃除しないAC気味で離婚した。兄弟DVキチガイでこれまたアスペ疑惑20年ぐらい毎日自分が殴られてた。こんな家庭出身自己肯定感は地に落ちてるし子供とか死んでも要らない。相方はいた方がいいとおもうけどまあどうでもいい。生きていくのしんどすぎわろた

子育て中の親が「うちの子脱線ばっかりして宿題しない」とかいうのを目にすると、例えばこんな感じで無自覚記憶が飛んでるのかなと思ってる。自分がいつもどんな行動パターン時間無駄にしたり何かを忘れたりしているのかを、まず本人が時系列で振り返って自覚したり、それを改めたいと自発的に思わない限り改善は難しいんじゃないだろうか。

2021-05-15

   あまり知能の高くない三流大卒父親高卒母親に下に生まれ昭和63年から保育所に入れられていたが、そこでの水泳などのプログラム

    保育士などが強制しても全くしなかった。平成2年に小学校に入るが勉強漢字の書き取りと簡単算数程度で体育は見学ばかりだった。

   平成4年から登校拒否率が増えて、ずっと自宅にいた。平成6年に田舎に転校になるが、教育ほとんど参加しないとされ、父親DVで、母親出稼ぎして

    借金をして遊んでいて家にいなかった。平成8年に中学校に入り、サッカー部ランニングを成し遂げ肥満から痩せたがサッカーにはついていけなかった。

   中3までは勉強ができなかったが、家族喧嘩して勉強して見返してやろうとし勉強するようになり、学年100位くらいから学年7位の成績になって卒業した。

   地区公立高校トップ合格し、平成11年の高校での成績も体育以外はオール5で、平成12年冬開催の進研模試偏差値85を出した。平成12年の高2から

    Z会添削を受けるようになり、基礎講座では全ての成績が良かったが、10月頃に勉強のしすぎで精神失調した。平成13年になって通信添削東大対策講座になったが

  数学の難問以外がほとんど点数にならず、田舎高校では東大など無理だと担任等にこぼすようになり、現役不合格平成14年に福岡予備校に行き、

    都会で一浪して東大模試でA,B判定をとり、平成15年に東京大文科一類合格を成し遂げた。

2021-04-27

ひろゆき小馬鹿にする奴多すぎて我慢ならないから書く

お前らひろゆき知的ポテンシャル舐めすぎ。はっきり言ってバケモノだぞ。

ひろゆき東京城北エリア屈指の名門(歴史込みだと渋幕とか桜蔭より格上)である都立北園高校出身なんだが、実はその秀才集う名門校にあってもトップクラスに頭良かったと見ていい。

ひろゆき卒業した1995年の名門北園高校合格実績データがここにある。

http://web.archive.org/web/20150821013122/http://www.geocities.jp/hmyk95/kanagawa1995.html

書き起すと……

学年346名

東大0、京大0、一橋0、東工大0、地帝0、筑波1、埼玉大8、千葉大2、横国0、電通1、学芸2、水産大1、都立大0、

早稲田3、慶応0、上智2、ICU1、理科1、明治11立教6、法政10中央14、青学3、学習院1、

芝浦4、成蹊3、成城1、明学3、武蔵4、國學院3、武蔵工3、日大30、東洋26、駒澤7、専修8人

なんと、ひろゆきはここから一浪中央学習院合格の快挙をやってのけた。

マジである。しかガリ勉してない。

リアル胴上げされたんじゃないかってレベルの突き抜け方。はっきり言って超人的なことやってる。適当勉強して秀才同級生ほとんどをゴボウ抜き。

こんなん凄すぎるだろ……。

2021-04-05

才能ある人は努力が報われていいな

おれはDTM勉強を三年間やっていたけどぜんぜん作曲できるようにならなかったし

小説書こうとしても完成させられなかったし

一浪したけど日東駒専レベルしか行けなかったし

彼女作ろうとしてもできなくて未だにいたことないし

イラスト教室に通っても途中で挫折したし

プログラミング勉強したらすぐ頭痛くなったし

就職活動してもいいところには引っかかりもしないし

仕事がんばっても給料あがらないし

ブログ書いてもまったくはてブされないし

ツイッターネタツイートしてもぜんぜん拡散されないし

なにやってもイマイチな結果しか返ってこない

才能ある人は努力したら報われるんだからそりゃ楽しいだろうな

才能ある人が羨ましいわ

2021-03-09

底辺

これから先どう生きて行けばいいのかわからない。

大学受験に失敗し一浪したものの全く勉強に身が入らず無駄に1年が経ち、母の溜まりに溜まった借金を返す為に就職せざるを得ずやむなくスーパー契約社員として働くことに。

Twitterでは同年代若者受験合格報告ツイートがちらほら。見るたび自分との差が感じられ劣等感が襲ってくる。

毎日もっと勉強しておけばよかった」と後悔する。しかしいざ勉強するとなると全く理解できず挫折していた学生時代自分バカさ具合にため息が出る。

夢も目標も無く毎日無気力に過ごした結果がこのザマ。きっとこれから先ずっとこの生活が続いていくのだろうと考えると怖くてたまらない。

かといってここから抜け出そうという行動力も気力も無い。完全に詰み。

2021-02-19

anond:20210219143631

すぐに退学する人のほうが金銭的にも時間的にもダメージ少ないかいいんじゃない

自分の知り合いにもMARCH中退したのが二人いるけど二人とも一浪して入って4留して8年目で辞めていったよ

二十代後半で大学中退者として社会に放り出されるよりは二十歳そこそこくらいのが取り返しがつくはず

2021-02-03

灘高といっても現役で東大受かるの結構難しいんだぞ。断じて余裕ではない

トップ層→理3or理1or海外

何を持ってトップとするかは基準によるが、受験勉強トップは理3に首席合格しがち、数オリ物オリ勢は理1かな。たまにMITとか行くグローバルなやつもいる。


平均層→頑張れば理1に現役で行けるけどちょいきつい(一浪すれば大体行ける)

医学部なら京都府立医とかは現役で大体行けるが、阪大医は浪人しないと無理(関西だと阪医のすぐ下が京府医になってしまうがこの2校はレベル差が結構あるので...)。

2021-01-22

家族という帰属組織卒業について

母子家庭で育った。


子供の頃から母親に口うるさく勉強しなさいと言われ

勉強する意味もわから勉強に励んでいた。おかげで中学時代は成績自体はそこそこだった。

たが高校時代思春期の頃に自分の将来についてちゃんと考えることが出来なくて

成績は急落、一浪した。母子家庭一浪、それを許してくれる母親感謝し心を入れ替えて勉強した。

全ては自分のため、そして家族の一員として期待に応えるためだった。翌年、志望校には合格できた。


以前の自分家族の期待には応えるように行動していた。実際自分は、自分自身よりも他人のために行動するときのほうが集中していた。

だがその結果、自己肯定する能力は人より劣ってた。就活も苦労した。拠り所を家族のためだと思って頑張った。やがて内定は得られた。


自分には趣味があった。他人には話しにくい趣味だが自分思春期の言いようのないストレスのはけ口として

何度も心の支えとして機能していた。生憎 お金はそこまでかからないので中高大になってもそれを続けていたし

就職してからは、友人とも会うこともなくなり益々のめり込んでいた。どこかで常人閾値を超えてしまっていたようだ。

数年前にその知見を活かして本を出さないか出版社から打診があった。あの日青天の霹靂のような瞬間を今でも覚えている。

二つ返事で執筆開始。好評だったのかその一冊以外にもその後も何度か仕事があり、現在リーマンと二足の草鞋で活動している。


その当時の話だが、出版したことが嬉しくなって母親に話した。しかし母は別にその趣味理解は示さなかった。それ自体別に良いのだ。

それよりも今度帰ったのなら一緒にゴルフでもしないかと誘ってきた。どうやら一緒にコースを周るのが夢だったそうだ。

執筆があるからと断った。生憎 ゴルフには全く興味がなかった。母親の思い通りに、家族帰属意識を持たない故の行動だった。

母は兄弟姉妹のなかで唯一 このようなわけの分から趣味を持った自分理解できなかったと思う。母の描く理想にはなれなかった。

家族を離れ地方就職一般的社会の荒波に揉まれ自分は、いつしか家族感謝はしても併合する気持ちが無くなっていた。


話は変わるが自分進撃の巨人エレンに非常に共感している。自分自由のためになら何だってする精神は日々の生活で活かしている。

例えば自分会社で、献立が決まった弁当を頼むことがない。必ずコンビニで買う。理由自分で食べるものは、自分で選びたいからだ。

献立の決まった弁当は、考えることを止めた人間選択だと本気で思っている。もしその日死んだら絶対にその事で自分は後悔すると思う。

たとえ自分が選んだ事で不幸が生じても、その選択を選んだ事自体に後悔はしない。同僚にこの話をして理解してもらった事はないが気にもしない。


冒険の反対が「母」というのは正しいと思う。家族という帰属組織の中で生きていた自分にとっては15年くらい

住んでた6畳半のアパートは正に牢獄のようなものだったと振り返れる。敢えて嫌味のようにその事を告げるつもりはない。だが未だに牢獄の中で

生活せざるを得ない母には同情している。せめて役割めいた母ではなく、本名で向き合えたらもっと話せるのになと思う。難しいんだけどね。

2021-01-18

リボ人生絶望して発狂しそう

約30年間自分無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我精神がとうとう崩壊した。

現在どうしていいかからない状態なので吐き出させてほしい。

俺と同じようなタイプの人がいるかからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。


俺には少し年の離れた兄がいた。

その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。

両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。

それは所謂普通人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、

自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。

でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、

人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。

自分勉強運動もできる、天才特別人間である勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は

人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。


中学高校では、吹奏楽部に入った。

当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、

今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。

吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性身体的なアドバンテージや、

大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。

勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルキープし、そこそこの大学に入れた。

テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的タイプだったし、

志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。


当時もまだ自分特別人間だという自負は変わらず、

ハンカチ王子まーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。

運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。

兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。

ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。

俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。


大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。

高校までの自分理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。

学校勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。

大学勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。

そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。

交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。


そのうちに、ストリートアートの才能がある人物出会って、イベントをやる事になった。

結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。

実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。

あげく、彼とはイベント打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。

絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、

自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。

同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。

彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。


二十歳を過ぎてから六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。

知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。

そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランク人達馬鹿にしてた。

でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。

今日〇〇の社長キャバクラから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。

その人達ですら、自分事業を作り上げて必死改善して、本来尊敬すべき人だった。


まりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローン借金してインドで1ヶ月ワーホリした。

俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。

一浪した就活では、人材大手のRから内定を得ることができた。

面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。

そういうところだけ器用な自分気持ち悪かった。

今思えば入社前のこのタイミング軌道修正する最後タイミングだったように思う。


入社したRでは、退社した人材起業したり有名企業要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。

自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。

だが、現実は甘く無かった。俺の営業成績はすごく悪かった。

そもそも自分理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりもつまらなかった。

転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。

当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。

そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから職種全然違うし。

同期たちは努力ホスピタリティーやら自分長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。


今まで努力反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。

自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、

何の成長性もなく、ただただ自分現実と向き合ってないだけだった。

みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、

中途半端な器用さと自尊心と恐怖心から自分は逃げ続けた。

自分限界に挑戦しないか自分能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。

周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない

より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。


アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事とあるクリエイター出会った。

大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。

その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才ノブレス・オブリージュみたいだなと思った。

IQゆえの他者社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才証明だったのだ。

天才友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間から

自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。

話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆人生だった。

自分コミュ力友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。


意を決して、精神科を訪ね、IQ検査を受けた。IQ120弱くらいだった。

天才メンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。

天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。

だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。

天才特別だと言い張っていたのに、そうでない人生今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。

IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。

検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。

本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、

何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。

会社から逃げるように独立起業する事にした。


人材系のビジネスをやろうと思った。

幸い、人材系のエージェント採用代行は独立ハードルが非常に低かった。

仕事上の取引先ではあるが、コネクションもある。

同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、

それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。

本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。

勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。

賭けに負けても死だが、勝負しなくても死だったから。

特別人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者馬鹿にし、虚構優越感に浸り、

両親の呪詛成就させ、なんとか生きてきた。

生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。


独立はうまくいかなかった。

あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。

大手看板が外れて、だれにも相手にされなくなった。

経営関連の庶務雑務の多さも想定以上だった。

元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。

余裕の無さが更に成功を遠ざける。

うまくいくはずが無かった。

更にコロナ拍車をかけた。

どんどん追い詰められていった。


その頃兄はフリーランスエンジニアとして生計をたてていた。

兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミング勉強をして実力をつけていた。

いくつかの現場経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。

子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。

兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。

情けなさと申し訳なさが加わり、更に精神的にはキツかったが、

金銭的にはどん底から少し這い上がれるかと思った。

でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。


求職者企業面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。

目から鱗だった。考えた人は紛れもない天才だと思った。

人材業界ビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。

既存人材紹介業は、求職者入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。

年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。

求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。

人材系のエージェント採用代行は独立ハードルが低いというのは、それが由縁だ。

中小企業や、スタートアップベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。

加えて、エージェントはとにかく求職者入社すれば高額な手数料が得られるので、

求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要人材か」を無視して、

内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。

まりエージェントが売上を追求すると、求職者企業利益を損なうケースが出てくるのだ。


3万円もらえるという転職サービスでは、企業面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。

企業エージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。

これは、既存転職市場人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。

このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。

転職市場人材業界パイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊イノベーション

最初は思わずネガキャンした。悔しかたから。でもどうしようもなく憧れた。

どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。

自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。

仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブ感情無限ループしている。


一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。

それでも、特別人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、

という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。

ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。

自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする

このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・

という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。

2021-01-05

20代後半でVtuberをはじめた友人と仲たがいした

元・友人は今でもVtuberをやっている。私は性根が腐ってるので供養としてここに書き散らす。

登場人物は全員、女。文章はクソ長い。

追記】思ったより読まれていて自分の悪文が恥ずかしくなったので、半分の長さに整えた。1万文字バージョン読んでくれた人ありがとう、書き殴ったの読ませてごめんなさい。

【友人と仲たがいという敗戦ダイジェスト

スポーツをやってた。サッカーってことにしておく。(例えに良いので)

大学時代友達でつるんで、チームを作ってた。

チームの中には大学1回生の時から付き合いがあるCがいた。

そいつVtuberになって活動をはじめて、練習をすっぽかすようになり「サッカー大会にはもう出なくていいのか?」と聞いたら「がんばる」と言っていたが音信不通に。

サッカーがんばろーぜ!」って盛り上がってたのは私だけだったようだ。つまり片想いでフラれて今これを書いている。

長文読みたくない人向けに、↑ただこんだけの話だとお伝えしておくな。

あとはこれを書いてる私の性格の悪さだけが感じられる、くわしーい仲たがいの流れ。

【年齢とか意識して就職を目指す】

チームのメンツは全員20代後半。その中で、

私は新卒カードブラック企業に切る→給料未払い起こされて退職生活保護手前のフリーター

Cも一浪一留大学中退してのフリーター

履歴書のみで見れば(成人してからまだ若いのに学校会社リタイア経験があるという点で)お世辞にも優良とは世間から思われないであろう2人。私はCに仲間意識を持っていたし、時々将来のこととか生活の行く末を、チームの中でもCだけと語り合うことがあった。

私とCのなりたい職業は同じで、昨年私がなんとかその職業につけた。サッカーコーチの職だ。

それをきっかけに年齢やら職業意識したCは、私に「まだ募集があるようなら、私もその職場で働きたい」と、場合によっては紹介を希望する発言があった。私もCが同じ職場で働けたら楽しいだろうなと思ってた。

就職も見据えて大会に出るのを決める】

履歴書の内容がよろしくないので、せめて面接で話せる経験を増やそうとCと話し、田舎大会より少し大きい大会に出ることにした。サッカーコーチ目指してます! とか言って、アマチュアサッカー大会すらほとんど経験したことないってどうかと思ったので。

【Cに声かけを頼まれる】

Cは大学でも寝坊レポートギリギリ提出をするタイプで、普段大会1か月前からしか本腰の練習をはじめなかった。しかし今回は大会半年からしっかり体づくりや練習をしたい、サボりそうであれば声をかけてくれと本人も意気込んでいた。

Cは他のメンバーへの教え方がうまかったり、良いテクニックを持っていたのでチームでも慕われていた。チームの皆は「体力づくりやってますか、先生?」「先生は今がんばってる最中ですもんね~」とか言って声をかけてた。

チームとしては週末にグラウンドに集まって練習してた。

大会2か月前にVtuberになったC】

大会2か月前、CがVtuberをはじめた。

正直にいえばその時点でメンバーの皆が「ん????」と思った。

Cには幼なじみがいて、バーベキュー好きな人らしくCを含めて「バーベキューの会」を開いていた。手先が器用なその人は、最近Vtuberにはまったのをきっかけに、自分でもVtuberモデルを作ったのだった。そして「バーベキューの会」のメンバーにもモデル提供し、Cもモデルを貰っていた。

Cは「基礎体力作りとか、モチベがあがらないからさ。筋トレ動画とか、ドリブルとかシュート練習動画を上げることでモチベを維持しようと思う」とチームにV名などをLINEしてきた。

Vtuber活動にのめりこむC】

CはVtuber活動にのめりこんだ。

CのVじゃない個人Twitterつぶやきが私のタイムラインに流れてきて、生活の合間の時間は全部、機材の調達撮影動画資料作りに費やしているのが垣間見れた。週に3~4本は動画投稿していた。

キャラプロフィールには「大会に出るのですが、体力がヤバめ……。一緒に体力づくり&もっとボール友達になりましょう!」と書かれおり、キャラとしての定番挨拶も「みなさーん、ボール友達してますか~?」だったが……。

肝心の動画では「30分、筋トレします!」→自分筋トレグッズ語りを25分、残りの5分で「雑談多めになりましたね。ちょっと集中!」と、ゆーっくりとした有酸素な腹筋を数回して終わり。

ドリブルシュート練習動画では、自分が憧れてるプロ選手フォームの美しさを語る以外は、ほとんどボールは蹴らずに鏡を見ながら「体の重心が……」「いやもうちょっと足を……」と時々つぶやくのみ。30分間ほぼ無音・無言。ボール友達、おまえが一番できてないぞ……という感。

ちなみに動画説明欄には「ボールを蹴る音、ASMRにもどうぞ」と書かれていたため、ASMR好きの私はASMR(をがんばって撮ってるYoutuber)をなめるなと静かに怒っていた。その怒りは一番どうでもいいのだが、その内、「#30日間おすすめプロテインについて語るチャレンジ」「ホラーゲーム実況します!」という、定番Youtuberな流れになっていった。

【Cとチームの温度差が出る】

しかモデル作者の幼なじみさんやそのフォロワーがCを褒め、グッドボタンを押していくので、Cは大満足の様子。

チームの私たちは黙って静かに見守っていた。逆に誰も何も言わなかったからか、Cはなぜかチームの私たちは、誰も動画を見てないと思ってたようだ。

チームのメンバーは呆れはしたが、「でも今回はCもちゃん大会に出たいはず、本当にがんばらないといけない状況になったら、Cもさすがにがんばるでしょ」「やればできる子なはずだし……」と、まだ『仲たがい』まではいかなかった。

甘かった。

【仲たがいの決定打1】

決定打になったのは、全部で3点あってその1。

Cに「私たち動画を見ている、このままでは良くないと思う」と伝えた。

「もともと就職の話もあってCをメインに予定を組んでたから、このままだと大会への出場キャンセルも考えることになる。大会4日前のキャンセル期限までに決断したい」「できないことはできないと言ってほしい。それで友達やめるとかはない」と釘をさした。

Cは「こういうことをはっきり言ってくれる友達を持てて良かった。今、LINEを読んで泣いてます動画投稿頻度は落とします。できないならできないって言うし、正直に素直になります。私も自分人生をかけるつもりです」と返してきた。

このやり取りの翌日。

大会が近づいてきたので、実況プレイはお休みして、練習動画だけにします~」とは言っていたが、いつも通り筋トレという名の雑談動画を上げたCがいた。

更に数日後に投稿された動画では、よりによって家の階段から落ちて足をくじいたと告白。家の階段から落ちたのも、実況プレイをしていたゲームをやりこんでいて、徹夜して、寝不足が原因で足を滑らせたそうだった。

「全治2週間ぐらいなんでまあ……大丈夫です!」と語るC。

しかこちらにはまったく連絡なし。

「いやいや? それなりの怪我で、大会出場に関わりそうなのに、なんでこっちに一言も報告してくれないんだ?」となる私たち

これでCを心配するよりも、その誠実性の無さ(&先日LINEで泣いたとまで言ったのはなんだったのか)に抑えようのない怒りを持ってしまった。

【仲たがいの決定打2】

更に数日後。Cは夜更かしをしていることをTwitterで語っていた。

足をくじいたからどうせ練習できないしと言って、生活リズムおかしくなるレベルで、ずっとぶっ続けで野球ドラマを見ていた。

そしてくじいた足が治った頃(※大会6日前)に動画を上げ、「野球ドラマなんですけど、体力づくりの練習法が出てきてて、ありだなと思ったんですよね。今からこれやって、体づくりはじめます!」と動画で言った。

まず大会2週間前~1週間前の貴重な時間を、ドラマの視聴でつぶしたという事実

またその練習法をやってるメンバーは実はチーム内に既にいた。そいつは1年前からコツコツやってて、やっと実践に活かせるようになってきた感じだった。そういうメンバーがチームにいるのを、Vtuberとして生活しすぎて、忘れたらしかった。

なんというか……本当にチームの人間動画を見ているのも忘れているらしかった。そういう言い方をするのは、そのメンバー努力を軽んじてるようにも聞こえた。Cはメンバーに対して、悪く受け取るなら『自分が参考にするところはない』と軽い見下しを持ってるのかと思った。

しかった。Cとチームをやっていることが空しかった。また心が離れた。

【仲たがいの決定打3】

大会3日前。Cが音信不通になった。

大会の5日前にチームのLINEで「動画とか全部見てるよ。とてもメイン選手で出れる状態じゃなさそうに見えたけど、Cはどう思ってる?」と訊いた。

でもそのLINEは、いつもより既読が1足りなかった。Cの既読が付かなかった。

日付が変わる深夜0時までまった。絶対キャンセルできない日にもなった。チームのメンバーが知ってる連絡先に連絡したが、応答はなかった。

これで、チームの全員が怒った。Cとは7年ほど付き合いがあって、人生のそれなりの相談もし合う仲だった。Cが自分の向き合いたくないことと私たちを天秤にかけて、私たちを無くす方を選んだ事実がそこに転がってた。

2021-01-02

元旦浪人生ですが、結局緊急事態宣言の発出の有無に関わらず

大学入学共通テスト旧称大学入試センター試験)は予定通りの日程で実施される心づもりで準備しておけばよいということですね。

オーケーオーケー。しっかり勉強します。

あとほとんどのブクマカ勘違いされていたみたいですが、

誰が一浪だと言った?

2020-12-30

あらゆることにセンスがない

四半世紀生きてて前から薄々気づいていたんだが俺にはセンスがない。もうまるっきりない。

例えばスポーツ。一応小学生から硬式テニスをやっていた。小学生の頃は週に3回スクールに通い、中高大と部活としてやってきた。

結果、せいぜい県大会に行くのが関の山大学から始めた奴に抜かされた。

努力が足りないと言えばそれまでかもしれない。

そもそもテニスをやるには致命的に俊敏力がなかった。それを補うためにも予測を鍛えたりしたけど結局は勝てなかった。

その後は惰性で続けていたけど結局10数年続けたテニスをあっさり辞めた。

他にも絵描きとかゲームとか麻雀とか色んなことやったけど本当に鈍臭い。要領が悪い。上達しない。

から勉強はした。効率時間カバーしてなんとか一浪の末に医学部に入った(私立底辺校だけど)。多分唯一の小さな成功体験だろう。

結局この医学部センスの無さで留年した。

他の学生部活バイト恋愛勉強を両立させてる中、ずっと勉強してやっと卒業できた(成績は本当にギリギリ)

自分の中ではかなり努力してきたつもりだ。でもそれは他のやつにとっては当たり前に出来ることなんだ。それを認めるのが嫌で嫌で仕方なかった。

親の育て方が悪かったのか?と思うことも何度もあったけど高い学費を払ってくれて、また自分の我儘を許してくれる親には感謝こそすれど恨む気には1ミリもならない

自分センスの無さ、才能の無さが憎い。憎くてたまらない。そして才能な持ち主が羨ましくてたまらない。

深夜に眠れないといつもこんな事を考えてしまう。だから増田で吐き出しておく

明日から必死で頑張ってなんとか食らいついて行くしかないのだから

2020-12-28

食費月1万円の増田に「身体壊しそう」とかいうやつ、貴様らの食事のほうがよっぽど身体壊しそうなンだわ。俺が本物の科学的で合理的健康的な食事ってもんを見せてやります

anond:20201227223731

元増田disってたやつ来てください

俺が本物の科学的で合理的健康的な食事ってもんを見せてやります



大学に進学して一人暮らしを始めた19歳(一浪)の俺は貧乏学生で、外食しようにも金がねンだわだった。

まり自炊をしなければ飢え死ぬ

しか家庭科では非実用的なおままごとしか習っておらず、米を炊くことすらできない。

そこで俺は「食事」を学ぶところから始めた。

図書館栄養学についての本を読み、古今東西人間がどのような食事を行っていたか文化人類学から学んだ。

遠回りすぎるかもしれないが、なにか調べたい際には、地球常識文化について何も知らない宇宙人が一から調査するようにロールプレイングすると楽しい


これまではその場の気分でなんとなくウマそうなものを食うという猿畜生のようなことをしていたが、この調査のおかげで一日の栄養から逆算して何を食べるか考えるようになった。

そこで基準値として参考にするのが厚生労働省が5年ごとに改定する「日本人食事摂取基準」だ。

日本中専門家が集まり、喧々囂々と議論して作られた叡智の結晶がなんとタダで読める。正確には我々の税金で作られている。読まなければ損である

食事摂取基準学校給食病院実施される栄養指導根拠となる科学データであり、今年2020年はちょうど改定される年だったため一部界隈では4年ごとの祭典オリンピックのように盛り上がった。

我々のような非専門家凡夫どもはテレビ流れる「〇〇が身体に良い!」だとか本屋で並ぶクソみたいな「〇〇は絶対食べてはいけない!」といった情報右往左往せず、これに基づいて食事を行えば良い。

専門家無償で公開してくれる科学データに基づいた食事はしないのに、やれ農薬が、添加物が、化学調味料が、と言うやつ。まずは毎日野菜350gを摂ってくれ。


俺はさらなる情報を得るべくインターネット検索した。しかしその時代インターネットはすでに書き散らされたゴミ汚染されていたため、英語食事に関する疫学研究を漁った。

さらに住んでいた寮の部屋にはキッチンがなく、火を使うにはいちいち材料を持ってエレベーターで降りて共用部に行かなければならなかった。そのため、料理工程を極力少なくする必要性があった。

そのような中で生み出され、適時改良されてきたコストお金、手間)が極力かからパフォーマンス(味、栄養素)が高い最強の食事を教えよう。



精製されていない炭水化物オートミール 100g コスパと手軽さ

炭水化物パスタ100~180g GI値考慮したkcal/¥当たりのコスパでは最強 

緑黄色野菜ニンジン60g 業務スーパー冷凍野菜

野菜たまねぎ1/4 トマト缶1/2

魚:サバ缶1/2 気分に応じてイワシサンマ缶等で代替

肉:鶏肉 調理が面倒な場合プロテイン代替可 牛肉豚肉などの赤身肉は月一程度に控える 

果物バナナ1本 キウイ1個 冷凍ブルーベリー20g等 一日の果物摂取200g推奨 

飲み物水道水1.5L 牛乳200ml コーヒー週一

その他:無塩ミックスナッツ28g ヨーグルト100g キムチ30g 納豆一パック オリーブオイル15g 焼海苔1枚  オートミール用に乾燥ワカメ乾燥シイタケ、卵


まるで栄養摂取するためだけのエサのようだと思ったかもしれない。


その通りだ。

しかし、人間毎日ごちそうを食っていた時代なんてここ数十年だけだ。残りの数千年は毎日同じような質素食事を生きるために食い、行事のようなハレの日にだけ特別ものを食べていた。

良妻賢母教育を受けた専業主婦料理する近代都市部上級国民限定文化に過ぎない。

しかも、厚労省食事摂取基準世界保健機関が定める一日の塩分摂取推奨量5gを満たす食事は、プロ栄養士が設計し、給食のおばちゃん部隊大量生産を実行してようやく実現可能な代物であり、一般家庭料理では到底不可能だ。

だいたい、普段質素食事をして、たまに力を入れて作るごちそうやジャンクフードが身に染みて美味いのであって、毎日それらを食っていたら限界効用逓減の法則しかり、快楽は段々と小さくなっていくのに、デメリットだけは増えていくのでコスパが悪い。

こういうドケチ人間でも、旅行では外食中食をするが、最初快楽が大きくても長期の旅行場合はどんどん小さくなって最終的に残るのは胃もたれ脂肪だけだった。

そんな状態我が家に帰ってきて食うゲロみたいなオートミール安心感

学生時代毎日この食事で月1万円台後半、就職してからは白米を食べたり野菜の種類を増やしたり週一のごちそうを自炊、月一の外食をしたりしても月2万円前半でまかなえた。



毎日同じものを食べるのはいやだ?

人間は慣れるものだ。

毎日酒池肉林をしている富豪から見たら一般国民の食事は惨めでとても耐えきれないものに見えるだろう。

しかし、あなた毎日惨めで耐えきれないと思いながら食事をしているだろうか?

もし快楽を数値化できるとすれば両者は大して変わらないかもしれない。


それにパターン化は素晴らしい。毎日ゼロからレシピデッキを構築するよりも、構築済みの「型」を基準とし、調味料材料の一部を季節や気分、体調、割引に応じてカスタマイズしていくことで、献立を考える思考コストが大幅に削減される。お金時間、体力と同じように脳で計算する力は有限であり、できるだけ日常生活での消耗を減らし、浮いた分を自分にとって重要タスクに振り分けると良い。

一人暮らし自炊がめんどくさいという主張において根拠とされるのは、

・適切な材料を腐らすことなく常に冷蔵庫に補充し続けること、

・それらをいか調理するか考えること、

・そして実際に調理すること

の3つがめんどくさいというものだ。

この合理的食事においては日持ちする材料一定のペースで食べ続けるので補充も規則的になり、スーパーで何を買うか迷うことなくカゴにいれてすぐに終わる。

レシピも型に基づいて行えば良いので考える必要はなく、調理はタッパーに材料をぶち込んでレンジで蒸すだけだ。調理工程単純化されたことで、洗い物も僅かしかでない。

焼いたり茹でたりすると過程栄養が減ってしまう。蒸すのが手間でも栄養でも最強。



お菓子ジュース、酒といった嗜好品がないのはいやだ?

欲しくなるようなストレス下の環境に置かれていることが問題なのではないだろうか。

日常的に嗜好品ストレス解消しなければやっていけないというのはもはや依存である

健全環境下では月一、自分クリスマスケーキを食う程度のイベント毎で十分だ。



カフェイン毎日摂取しているとすぐに耐性がつき、ほとんど効果がなくなるので週一程度で十分だ。

タバコのように、最初は確かに効果があったのかもしれないが常用することで耐性が付きデバフだけは多くなる。ニコチン中毒者がタバコを吸って一時的デバフがなくなった最高の状態が、健常者の平常の状態となっているようなものだ。

丁度いい機会なので正月休みにはカフェイン断ちすることを勧めたい。数日は離脱症状頭痛吐き気で苦しむことになるだろうが、それに耐えきった後に飲む久しぶりのコーヒーの効き目に驚くはずだ。



これは娯楽においても同様で、大金を使ってもドーパミンの耐性が付き、同じものでは満足できなくなる。前回よりもっと高価なもの、刺激的なものを求めるようになるだけとなってしまう。

元増田に対して消費や浪費ができない生活なんてつまらなそうという意見があるが本当にそうだろうか。

人間なんて毎日最低5分から30分朝日を浴びてセロトニンを分泌させ、中強度の有酸素運動をするだけで楽しく過ごせる単純な生き物だ。最近コロナステイホームしているのでFitbit心拍数を計測しながらOculus Quest2でアニソンに乗ってビートセイバーしたり卓球したりして昔の王侯貴族なんかよりよっぽど快適に暮らせてる。地位財を追い求めるのを控え、非地位財を求めるとよい。

一生かかっても図書館の本は読み終わらないし、ネットでは世界中音楽が聞けるし、アマプラ映画ドラマアニメもまだまだ見ていないのがたくさんある。


幸せについて科学的に追求したい場合はWell-being studyを調べると良い。俺みたいな匿名個人説教体験談なんかよりよっぽど参考になるだろう。

有酸素運動の強度については、「今日は頑張ったなー」というような曖昧感覚ではなく、心拍数に基づいて行うとよい。数値化されることでゲーミフィケーションの仕組みが働き、やる気に繋がる。個人によるが中強度の運動心拍数120~140程度を中心に、高強度の運動心拍数140~170程度を全体時間の30%行うとさらに良い。

・このように自己定量化(Quantified Self)し管理することは、RPGゲームのようで楽しい。酒を飲んだ日の睡眠スコアが著しく低くなっていたりすると人体実験のようで面白く、たまに不摂生をしても「まぁよい。貴重なデータが取れたから今回は大目に見てやろう」ゴッコをしてポジティブに受け止められる。

有酸素運動時間についてはアメリカ身体活動ガイドラインは一日20分程度推奨、JAMA Internal Medicineの論文によると最大1日64分

https://jamanetwork.com/journals/jamainternalmedicine/fullarticle/2212267



人間の尽きることのない欲望を煽って儲けてる産業お金を費やしても満たされることはないんよ


元増田を「資本家が考える理想労働者奴隷」と評価する意見があるが、本当にそうだろうか。

労働ですり減った精神塩分油分糖分と消費浪費で脳内麻薬キメて、効き目がなくなればもっと稼ぐためにバリバリ労働に励む労働者のほうがよっぽど資本家にとっては理想存在なのではないか



イギリス食文化がマズいと言われているのは、産業革命により都市移住した労働者たちが、伝統的な食文化から断絶されたせいという説がある。

日本大学生(私大)への仕送り額は1994年12万5000円から毎年下がり続け、今では8万3000円。

これから一人暮らし貧乏大学生が外食牛丼屋等)やコンビニ弁当カップ麺をかっ食らうというステレオタイプも廃れていき、自炊を強いられるようになるだろう。


家庭科が男女必修になってからも未だに良妻賢母教育時代のまま、手間暇かかるコスパの悪い塩分過多の家庭料理の作り方を教えている。おそらく多くの生徒が初めて生きるために料理することになる一人暮らし生活に適合した知識ではなく、使えない。

今ではメタアナリシスを中心としたエビデンスに基づく最適な食事についての情報簡単に手に入るようになった。昔は食材栄養素を知りたくなったら辞典を引かなければならなかったが今ではGoogle検索すればすぐに出てくるし食事摂取基準目標としてアプリで個々の栄養別に計算することができる。


現在社会状況に適合できていない近代食文化ではなく、これから上記に類するような”科学的で合理的健康的な新しい食文化”がゆっくりと普及することになるかもしれない。多くの人たちにとっては食に対する冒涜であり、貧困がもたらした退廃のように見えるだろう。

しかし、少なくとも現代金銭時間知識的に余裕がなくまともな食事を行えない者たちにとっては一つの選択肢として十分に検討価値のあるものであり、精神の安定を助け、健康寿命を伸ばすことに役立ち、高齢化に伴う医療費問題人手不足解決にも寄与することになるだろう。

事情でこのような食事をする必要に迫られている人間面白そうだからやってみたいという奇特人間日常で得られる快楽パフォーマンスを最大化したい人間などは、ぜひ実践してその過程の中で見つけた苦痛なところ、改善できるところをアレンジしてほしい。そうした人々の営みを経て”食文化”が洗練されるとよい。

2020-12-16

ジャイ子結婚する世界線時系列

原典によれば、のび太1964年8月7日まれとされている。(ただし、掲載誌掲載年の影響を受ける場合がある。)

また、のび太小学4年生の時の19年後すなわち29〜30歳の時に結婚し、また、

1988年 しゅうしょくできなくて自分会社をはじめ

1993年 会社丸やけ記念

1995年 会社つぶれ借金取りおしかけ記念(ジャイ子と1子が写っている)

という経過を辿ったとされる。

また、文献によれば、のび太一浪人のすえ補欠合格大学に進学している。

単純に当てはめるならば、

1988年3月23歳)=大学卒業

1988年2324歳)=会社設立

1993年28〜29歳)=会社丸やけ

1993〜1994年(29〜30歳)=ジャイ子結婚

1995年(30〜31歳)=借金取り。少なくとも1子誕生

となる。

2020-12-09

anond:20201208155032

公立小中高、しか高校総合選抜というカオスから現役合格旧帝大行ったけど、そういう自分に酔ってるところはあるな、正直。高校とき部活関係で付き合いあった同じ市内の進学校私立のやつが大学受験失敗して一浪の末にMARCH行ったの見て、密かに爆笑したし、逆に、大学の同期の中高一貫から来たやつには、お前の中学時代同級生テキヤになったやつはいないだろう、所詮温室育ちが、と軽んじてるし。

学歴社会をうまく生き抜いたことが、自分に謎の自信を与えている。まあ、それにはいい面も悪い面もあるけどな。

2020-12-01

同じ棟の4人

私は首都圏マンションで育った。平成初期に建てられた分譲マンションは同世代が多く、私の住む棟は平成3年生まれが私含めて4人いた。30歳を目前にしてそれぞれの人生を振り返ってみた。

1.優等生女子

中学時代水泳部部長を務め、行事ごとにリーダーシップを発揮してキラキラしていた子だった。地元一番の進学校へ進みそのまま首都大に進んだ。小学校先生を目指していたが試験に通らず、現在都内ホテルで働いている。

2.女子(私)

中学時代はとことん地味だった。高校受験都内進学校御三家)へ進み、現役で学習院へ進んだ。外資系人材企業就職して数年でメンタルを壊し、現在SE

3.元気な男子

野球一筋の男子いじめっ子だった。頭は当然悪く、地元偏差値40くらいの高校へ進んだ。指定校推薦で体育系の学校日体大?)へ進み、今は駅ナカにあるマッサージ店で働いている。

4.地味な男子

元気な男子に虐められていた。地元一番の進学校優等生女子と進み、一浪の後中央大へ進んだ。三菱系の企業へ入り、アメリカ現地法人で働いている。

地味な男子が一番楽しそうに生きていた。いじめっ子は楽しそうに働いており、親と同居している。優等生女子キラキラしてるけれどたまにつらそうな投稿をしている。私は身の丈にあった生活をしている。昨年末中学同窓会に誘ったのに誰も来なかったのは、何かしらのコンプレックスがあったからかもしれない。

2020-11-25

anond:20201125214201

一浪して一留して卒業した人間から呪い

おめでとうは言わない

就職はするだろうか

この時期だと就職は決まっただろうか

就職決まってたならああ氏ねくそ氏ね畜生

なんだっけ

ああ、就職やら入社やらに際し自分を見つめろとか言う罰ゲームがあることがあるが、あまり自分客観視しないほうがよい

他の人と比べて2年余分にかかっているという負い目を感じることがこの先数年はあると思うが(30歳過ぎたら平気になるぞ)、それは歩みが遅かっただけで、必ずしも劣っていることを意味しない

2020-11-13

男性の正直な本音を教えて欲しい。

身バレいから多少フェイクを入れて書く。

最近趣味を通じて出会った歳上の男性と、何度かデートを重ねていい雰囲気になってる。この前話してるうちに、ひょんなことから学歴の話になった。

私は正直、普通男性が聞いたら引きかねないような大学を出ている。田舎の人が聞いたら「じゃあ変人ってことかしら」って思うようなところだ。まぁ出ているだけで大した人間ではないのだが、肩書きとしては機能してしまっている。

そして相手は、一浪してあまり偏差値の高くない国公立を出たそうだ。大学の最寄り駅の話題になった時に、「俺本当は第一志望はここじゃなかったんだけど」からスタート。おっと、雲行きが怪しいぞ。

どうやら本人的には大学受験の結果は不本意ものだったらしい。アラサーになっても開き直れてないようだ。これはもしかして、音に聞く「学歴コンプレックス」なのではないか。私は自分出身大学を言えなかった。

本当に交際するなら、きっと言わなければいけない時が来る。その時彼のコンプレックスを刺激してしまわないだろうか。

アラサーになっても学歴コンプレックスって治らないものなのか?そして、年下の彼女が落ちた大学出身だとやっぱり気になるんだろうか。

2020-10-29

総合商社「現役立教法?総合職採用するわけねーだろ失せろ」

総合商社一浪慶應法?最低限うちに相応しい知能ではあるな。とりま面接おいで」

これ凄くね?

2020-10-21

中流家庭で育ったけど、自分貧困層になりそうで嫌だ。

都内の親元暮らし国立美大大学四年生。一応目標は院進してドクターになる事(その先はしらん

けどドクターになってどうすんだ??美術系なんて全く食えない。特に自分ファイン系だからなおさら。非常に困った。

困ったけど何故か焦りは無い。なんでだろ。

うちの大学の8割は就職しないからかな?不思議となんとかなる気がする。

弟は地方国立大。兄弟そろって国立親孝行ですわ。(なお自分も弟も一浪

なので家計も逼迫してないと信じたい。かじれるスネがあると信じたい。

一応中流家庭だったか旅行はよく行ってたし、外食もよく行く。学校でもまわりは中流以上だから気軽に友達飛行機とって海外行ったりした。

車も一応外車で、保険も出してくれるからよくドライブ行ってる。

この生活が今後できるのか、、?

ある程度の贅沢を知ってしまった身として貧困は耐えられない。

車は安いのは無理。

気軽にグリーン車乗りたい。

海外旅行は最低2年に一回行きたい。

鰻は月1じゃないと、、。

けど働きたくない。どうしよ。

一応貯金は250万あるから積立nisaを始めて気を紛らわし、宅建勉強をして親のアパート経営を引き継ぐ方針で生きていきます。なんとかなるやろ。

取り敢えず、院試勉強しますね。

俺が本当に逃げたかったのは母親だったのかも知れない

19歳で大学進学のために京都に来てから、早くも二十年近くが過ぎようとしている。もともとのきっかけは本当に些細なことで、高校二年生のころ当時のクラスメイトに「京大受けてみようかな」と言ったところ「絶対に無理」と言われて、天邪鬼だった(いや、今もだけど)私は「それなら受かってやるよ!!」と心に何故か硬く決意したのでありまして。でも客観的にみればその友人の言ったことは甚だ正しく、なんとなれば当時の私の学力と言うと惨憺たるもので、高校の学年内順位なども辛うじて下から四分の一にいるかどうか。通っていた高校も曲がりなりにも「進学校」の枠に入ってはいものの、当時(おそらく今もだと思うけど)札幌に四つあった東南西北麻雀かよ、と思うけど本当にその四つがあった)の進学校のうちではドベで、北大への進学者数こそ多い(それだって今振り返って考えるにつけ、すごいことだと思うけど)ものの、東大京大といった「いわゆる」難関大学への進学者は数年に一人くらい。まあそりゃ「無理」と言われるわという状況であったのね。ここまでの流れ、「それでもなんとか受かった俺すげー」みたいないけすかない感じにしか読めないな。すまん。違うんだ。そこは本題じゃない。なのでここを省略すると、現役のときは華麗に落ち、かつ後期受験の申し込みを前期受験前にしておかなくてはいけないことをしらず、後期受けようと思っていた、北大受験すら出来ず(自業自得という言葉がこんなにも当てはまる状況他にある?って思った)、一浪確定。親に泣きついて予備校に行かせてもらい、ファンキー講師陣に必死でついていくこと一年代ゼミ英語講師(だけじゃないけど)は本当にファンキーで、セックスピストルズでかっこ良かったのはシドじゃなくてジョニロットンだったということを繰り返し述べていた)。そのおかげで本当にギリギリ合格したと言った塩梅センター自己採点やってたとき(何故か妹と妹の彼氏(これも未だに何故かよくわかってないが俺の高校同級生)がいた)どんどんバツがついていくものから、私も周りも顔が青ざめていくのは正味の話悪夢しかないのではないか。二度と経験したくないし、この世から大学受験というシステムは無くした方が良いのではなかろうかと思ってますけれども閑話休題

んで、京都に来てから。もちろんこれまで本当に過保護に育った人間には寮生活ってのはペットだった猫がいきなり野良に放り出されたくらいな無謀な状況ではあったのだが、やることなすことにだれか、というか親の監視が無いことに異様な解放感を感じた。

堕落ではあるもの楽しい日々がきちんとそこにあり、毎日誰かとたくさん話をし、価値観が変わっていきながら、でもそれをちゃんと嬉しいこととして捉えられていた。人生で一番泣くことが多かったのもこの時期だし、まあなにかと閉じ込めていた感情が多かったんだなと改めて。周りにいた人たちがめちゃくちゃエモーショナルであった影響も、もちろん有ると思うけれども。

長々と前段が続いたが。

最初、私が京都に来たかった、と言うよりも「地元を離れたかった」のは、友だちもいねえし、黒歴史残ってるしで、そんなところから離れたいということかと思っていたんだが。今振り返ってみるとおそらくそこは理由の一個ではあるけれど、大きな要因ではなかったなあ、と思っている。

ここで、また冒頭のことに戻るのだが、何故京大でなくてはいけなかったか、と言うことが、わりとこの話の主題にもかかってる。

俺の母親死ぬほど世間体を気にする人で、ひと昔前の言葉を使うなら、いわゆる「教育ママ」みたいな人やった。

今になれば、彼女がそう考えるに至った経緯もわからんくもないのだが、当時はよくわかってなかったし、母親の元から離れてようやく「監視管理」をされていたのだと気づき、それがどんだけ嫌かもわかった。

うちの母ちゃん母子家庭で、母方の祖父はもともと病弱ではあったらしいが戦争行って帰って来て母親子供の時になくなったらしい。

それから生活保護を受けたりして、まあいわゆる「普通ではない」生活をして来たのが、俺に対する教育だったりに現れてんやろな、と後に振り返って思うし、そこは「子ども自分のような「「惨めな」」生活を送らせたくない」という気持ちがあったのもめちゃくちゃわかる。もちろんあとになって少しずつ理解できた話に過ぎないけれども。

ただ、それと関連するのかそうでないのかはわからないが、俺の母親は「通常そうなることが望まれてる」ルート以外の道を俺が辿ることに、異常な嫌悪感を持つ人であった。

極端な例えだが、俺がヘテロでなければ、あの人は納得しなかったと思う。タトゥーを入れたら、俺のことを拒否したと思う。法律婚をしないことにも違和感を感じたと思う。

なんとかわかってもらいたくて(甘かった)、きちんと真摯に向き合って話をしたこともあったけれども、最終的に彼女から返って来る言葉は「私はあなたの親なのだから」という、一つも意味を持たないものしかなかった。

うちの母ちゃんは「性別に関わらず家事はしなさい」と言って、洗濯料理掃除、全部教えてくれた。今も改めて思うけども、その価値観はとても正しいと思う。大人になってから話した時に「結婚前に男性から良いように扱われて本当に辛かった」と話してくれた。聞いた時は俺も辛かったし、許せねえと思ったんだ。311以降に「初めてデモに行ったよ」と話してくれたことも嬉しかった。「もしかしたらようやくお母さんと和解できるかも」と思ったから。

でも、それはすべて「対他人に関して」のことで、彼女にとってはいつまでも俺は「かわいいゆうちゃん」でしかなかったとわかって「理解し合える」「親とはいえそれぞれ別の人間として付き合える」という望みを捨てた。

一個言いたいこととしては、「俺はあなた感情ホストクラブではない」と言うこと。

あなたの期待通りに動かないといけないなら、そんなことはできないよ、と強く思った。

お互いに理解して、別々の人間として尊重あいたいな、と思っていたけれど、少なくとも俺の親子関係のケースでは無理だった。

悲しいけれど、もう放って置くのが精神衛生上良いのだろうと思っている。

京都に来れたのは、そういう意味で本当に良かったと思う。

しんどい経験を経て来てたのは知っているからあまり強く言いたくはないけど、彼女子ども支配下に置きたかったんだなあと改めて思う。

母親が死んだとしてもなんの感情も湧かない予想を確信しているし、でも、それが少し寂しい。わかりたかった。

2020-09-16

27歳男性結婚どうすれば

一浪して学部に入り卒業一年語学留学,その後大学院修士課程...。来年27歳になる。博士課程行きたいけど所帯持ちたいなら就職するしかないのか...!?

2020-09-15

anond:20200915153729

一浪した人は人生に対する覚悟が違うって大学先生がおっしゃってました。

多感な時期に1年も自分人生と向き合う時間が取れた人間は、人として大きく成長するのかもしれません。

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