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2020-07-10

地元で唯一無二の存在の圧倒的超名門トップ出身だけど世間が思うほど神ってない

東大たまに二桁、京大5人、一工5人、地帝40人くらいのとこ(関東から必然的に地帝の数は少なくなる)。

地元じゃ神みたいなもんだけど、学年平均くらいの頭だと現役時点じゃ地元駅弁中央大(非法学部)くらいしかからない。

嘘だと思うだろうけどこれ本当の本当。

早慶とか現役だと学年最上位いないと無理。ていうか一浪早慶ですら上位層になる。

地元県の最高エリートでもこんなもんなんです。

2020-06-21

京大卒50代のリアル

京大卒50代のリアルを書いてみる。

リアルなのでマウントする意図は全くない。というか読んでもらえれば分かるが、自慢にはならない。

現在スペック

52才男。京大卒。

3LDKマンション住まい

社員20人のIT会社役員創業ではなくて雇われの身)。

年収は1100万円、会社から900万円とそれ以外のブログ収入等で200万円。

家族は、妻、高校生男子女子の4人。子供は2人とも偏差値70台のトップ高校

大学に入るまで

中学まではクラスで3番目ぐらいの成績、まぁ「頭いい子だね」ぐらい。

高校地方公立高校高校ではほとんどトップ

一浪して京大工学部へ。

大学時代

まり真面目に勉強しなかった。

一人暮らしアルバイト満喫した。

大学4年時に大学院に行く人も多い中、怠惰大学生活を終えようと思い、誰でも知ってそうな外資系IT企業内定

就活は苦労しなかった。行きたいと言えば内定がもらえた。学部卒でそのまま就職

会社に入ってから

最初に入った外資系IT企業12年で退職した。最後の方の年収は34才で800万円ぐらいかな。

この会社はよくある大企業でよくもあり、悪くもあった。

辞めてから、知人数名と会社を興すがあまりうまくいかなかった。

8年ほどもがいたけど、結局辞めた。

別の外資系IT企業転職。この頃、年収は1000万円。

3年ぐらいたって転職した外資系企業日本から撤退することになって、行くところが無くなった。

この頃が一番きつかったか

大学4年時の就活の時のようにはいかない。

しろ45才で京大卒、IT知識マネジャー経験はあるとは言え、変にプライド高そうなおっさんが行くところはあまりない。

LinkedIn経由で外資系プロジェクトマネージャーには誘われるけど、面接行っても連敗した。

そうこうしているうちに、先輩の会社のところに引き取ってもらった。

年収は減ったが、あまり変な人間関係に悩まされずに、のんびりと仕事をしたかった。

現在仕事

IT系のマネージャー職。部下もいる。

管理業務主体だけど、プログラミング自体もすることあるし、小さな会社なので基本、なんでもやる。

年齢と立場もあって、誰かから怒られることはないし、プレッシャーとかストレスはあまり感じない。

同期との比較

京大の同期は大手に入った奴が多い。

そういった奴は部長子会社社長かになっている。年収も多分1500万円から2000万円ぐらいはあるだろう。

俺は、年収で言えば同期と比べると中の下ぐらいか

普段生活資産など

住んでいる3LDKマンションは4000万円で買って、ローンの残りは1500万円ほど。貯金は800万円ほど。

貯金から借金を引いたら借金の方が多いが、毎年200万円ぐらい減っている。

多分、借金120万円ぐらい減って、貯金が80万円ぐらい貯まっているんだろう。

お小遣い制とかではないので、毎日に食べたいものに好きなだけ買っている。

朝はコンビニパン、昼もお惣菜屋さんのお弁当が多い。夜は家で食べる。

スタバとかも毎日行く。ほとんど気にしたことないが、平日は毎日平均2000円は使っているか

酒やたばこギャンブル風俗には興味がないのでそういったところでお金は使わない。

投資とかブログ趣味なので、副業を兼ねている。

服はユニクロブランド物はほとんど持っていない。

スマホ格安スマホだか、iPhoneを16万円で買った。

車は普通の国乗用車250万円で買って8年になる。駐車場保険車検とかで年間40万円ぐらいか

旅行は夏にキャンプ、冬はスキー家族で年間15万円ぐらい使っているか

5万円ぐらいなら欲しいと思った物は普通に買う。

高級レストランとか高級ホテルには行ってみたいけれど、それほど興味がある訳でもない。

総じて貧乏性なので、お金を使うのは食べたいものを食べることぐらいか

京大出てよかったこ

何かの機会でどこの大学を出ていますか?という話をしたときに「京大です」と言えることぐらいか

それで「ええー。すごい。頭いいんですね。」となるけど、それ以上の話にはならない。

たまに新卒面接をすることあるけど、自分よりはレベル低いんだろうなと思ってしまう。

結論

京大出てもこんなもの

俺が京大の中で能力低かったからかもしれないが、年収が高いわけでも、何か凄い業績を残したわけでもない。

でも、普通に暮らせているし、京大出てよかったなと思っている。

2020-05-08

就職氷河期

一浪での2010年卒。バブル崩壊後の第一世代に比べたらマシだと思うけれど、前年の友人の話が嘘みたいに通用しなくて苦労した。

いわゆる関関同立に通っていて、前年までは大手企業複数内定が当たり前の風潮だった。

産近甲龍の友人たちも同様に大手メーカー第一地銀内定を続々と決めていたので、就活とはそんなもんなんだろうなーと思ってた。

リーマンショック後、そんな安易展望はおおいに打ち砕かれた。採用枠が前年比半減ぐらいならまだ良い方で、6-7割減なんてところも多かった記憶がある。

なんとか地場大手メーカー内定を得たものの、それが唯一の内定で、後は惨憺たる結果だった。同期は何でこの学歴でこの会社なの?と思うようなやつも多かったので、岡村さんの理屈ある意味では正しいのかとしれない。

10年経って今更悔やむとかはないけれど、生まれた年(自分場合浪人のせいだけど)でこうも環境が変わるのは実に不公平なことと思う。

2021年卒の就活生の悲痛な叫びを多く目にしたので、何となく当時を思い出して書きたくなった。

2020-05-07

anond:20200506202455

東京藝大って結局、一浪以上してセンター9割取れないと、合格できない訳で。ある意味センターで9割取れたら一般企業のSPIでも、合格圏内・一次合格ラインクリアでしょう。そういう大学は、残っていくべきだよな。

2020-05-04

何もしてこなかった大学三年目の絶望

僕は旧帝国大学の3年生。私立中高一貫校を出て一浪後に今の大学合格した。客観的に見て恵まれ環境で育ってきたのは間違いないだろう。

そうなのだ。恵まれているのだ。大した悩みなんて無いはずなのだ。それなのに、死にたくて死にたくてしょうがない。自分死ぬ勇気もないから、何かが自分を殺してくれるのを待っている。

ああ、二年はあっという間だった。自分無能さを知るのが怖くて怖くて、何に対しても真剣に取り組むことができなくて、気づいたらもう三年生。二年間、見るのはスマホの画面ばかりだった。スマホ依存する自分が嫌いで、それでもスマホから目を離すと死にたくなるから、ずっと無味乾燥な画面を目で追い続ける。そんな日々。

そうして二年の日々を空費している間、同じ年に入学した人たちは多様な変化を遂げていた。

難しい本をたくさん読んで学問知識をどんどん深めていく人。月に何十時間バイトをして仕事経験を積む人。サークル趣味に打ち込んで強固なアイデンティティを築いている人。

彼らのような充実した大学生活が僕にもありえたかもしれない。それなのに、今となっては一生届かない。

え?今から一念発起すれば間に合うかもしれないだって?無理だ。もう取り返しはつかないんだ。僕はどうしても小さなプライドを捨てられない。自分だって彼らに追いつくことができたはずなんだ。そうじゃなきゃいけないんだ。そんな思考に取り憑かれている。どうしても振り払うことができないんだ。心の奥ではそんなことはもうできないってわかっているのに。現実の彼らに追いつけない自分を僕はどうしても許せない。現実意識した瞬間に死にたくなる。だからスマホに逃げる。そうしてますます自己嫌悪が募っていく。

もう勝ち目のない戦いから降りたい。勝てない自分を許したい。けれども、どうやらそれがどうしてもできないらしい。きっとこれからもずっと僕は自分が嫌いで退屈なスマホいじりに逃げてまた自分が嫌になる。そんな人生の繰り返しに違いないだろう。

虐待とか生活苦とか何か苦しさに理由があればまだよかった、と思うときがある。自分の苦しみに意味を見出せるからだ。

特に何か理由もあるわけではないのに精神をすり減らすのは心底疲れる。なんとなくだけど、30歳になるまでに自殺するような気がする。いや、自殺結構するほどの実行力が自分にあるとも思えないな。死という形でこの苦しみが終わるならそれでいい、と思うのだけれど。

2020-04-30

anond:20200429194230

(※解説追記

字下げ増田が今よりも調子が良かった(?)頃に書いた日記の断片を見つけた。

2002年4月10日から2003年3月11日まで,九州北部の某予備校で寮に入って勉強し,一浪の末,ついに東京大学文科Ⅰ類に合格した。

寮での生活規則正しいもので,出発前の僕の生活とは正反対のものであった(一年前の日記を参照)。おかげでスランプ体調不良もなく無事に受験生活を終えることが出来た。

僕の人生でこの一年ほど充実した一年はなかったであろう。一年前,入寮した時はウツであった。何せパソコンがないのである

直ちに禁断症状が現われた。しばらくは勉強できず,書店で「2ちゃんねる」という本を買って読んだり,プリントの裏にモナーの絵を書いたりしていたのであった。

しばらくすると,寮の生活に慣れた。これほどよい生活はない。早朝起床,散歩に朝食,登校して授業ないしは自習,下校して夕食,入浴,そして夜自習して就寝。

これを一ヶ月ばかり繰り返すと,精神・体調ともに安定し,頭はスッキリし,プラトンのいうイデア世界透視できるようになるまであと一歩という,清澄健康な心身の状態に到達していた。

また,現役時代と違い,予備校でのそれ相当のレベルの授業に毎日欠かさず受けることにより,学力底上げ精神の安定がもたらされ,7月のYゼミ東大プレではA判定で成績優秀者ランキングの上位に掲載された。

また8月の河合OP駿台実戦でもA判定を得ることができた。秋のOP,実戦では解答欄ミスが目立ちB判定と不本意に終わったものの,12月のYゼミ東大プレでは総合300点近くを達成し,全国で50位になった。

センターは645点で不本意に終わったが,その後の追い上げによりセンターでのビハインドカバーできるくらいの二次力をつけ,結局合格した。とにかく最高の一年であった。

これほど生活メリハリがあり,また自分でよく考えて受験計画立案と実行をおこない,それを完遂して見事合格したという経験は以後の人生のための大きな糧となるであろう。

2020-04-24

イキリ理系が見苦しい

一浪して、某有名理系大に入った。

その大学では授業を一緒に受ける少人数のグループがあるそうで、先週自分グループがわかった。

同じグループにどんな人がいるか気になったかTwitter検索かけてみたら、3件ヒット。

内2件は新設アカウントツイートほとんどなかったけど、残りの1件がなかなかに見苦しい投稿ばっかりだった。

全く関係のない話の中で無理矢理理系用語ねじ込むタイプ文章

もうイキってるのが透けて見える。

見てるこっちが恥ずかしい。

こんな奴ばっかりだから理系気持ち悪いって言われるんだよ。わかれ。

一部の本物理系が論理的な話し方する一方で大量の似非理系が本物のフリして見え見えにイキるからキモいって言われるんだよ。

恥ずかしいよ。

2020-04-06

好きな人がいること

僕は今年から大学回生だ。

そんな僕には好きな人がいる。同じクラス入学当初から気になっていて5月には既に好きになっていた。

なんなら入学からTwitterを知っていて顔も見たことがないのにツイートの内容がユーモアに溢れていて面白く、性別も分からなかったのに友達になりたいと思っていたほどだ。

彼女とは入学後すぐに仲良くなった。趣味もある程度合うと思う。当時これはワンチャンあるのではと心のどこかで思ってしまっていた。

彼女音楽をやっていた。彼女聴く音楽はすぐに好きになった。

しか現実はそう甘くなかった。

僕の大学では一年生が主体になるお祭りがあり、そこでは有志で集まった一年生による劇が行われる。彼女はその劇のいわば主人公に抜擢された。

その劇の監督も相当彼女のことが気になっていたらしく、二人は仲を深めていき僕の入る隙間は無かった。

本気ならもっとアタックしろと言われるかもしれない。しかし当時の僕に彼と競り合って彼女を奪い取れる自身はどこにも無かった。

特に何の凄みもない、顔も全然カッコよくない僕は一浪して当時は1bitほどのコンプレックスを抱きながらなんとか大学に入った。

対照的に彼は僕と比べ物にならないほど頭が良く、雰囲気もいい、顔もいい、音楽にも堪能。

性格は少しガキっぽいが僕から見ると雲の上の存在に思えた。

かくして二人は付き合った。

唯一の救いは周りの誰にも好意がバレていなかったので、二人とも仲良く友達としてやれたことだ。

毎週のように二人を含めた仲の良い友達で集まってご飯を食べて夜な夜な喋ったり、みんなで写真を取りに行ったり一緒に授業を受けた。

前で二人にイチャつかれるのは気持ちの良いものでは無かったが、幸せそうな彼女を見れて僕も幸せだった。

そんなこんなで僕も良い加減諦めて次のステップに行こうと決心し、秋〜年末ごろにはバイト先の女の子を好きになりかけた。

でも好きになれなかった。確かに可愛いし優しそうで愛嬌がある人なのだが、僕は彼女のことを諦めきれなかった。

年が明けると男の方が音楽に熱中するからか何なのか分からないが彼女とあまり連絡を取らなくなったそうだ。

そして2月には実質的に別れを告げたそうだ。

僕は意味がわからなかった。あんなに仲良くしていたのに。お似合いなカップルだと思っていたのに。

二人ともあんなに幸せそうだったのに。こんなに呆気なく終わる恋愛もあるもんなんだな。

彼には非常に強い憤りを覚えて取り乱したこともあったが、後々冷静に考えて僕が憤るのはおかしいと思った。

2月下旬彼女を含めた僕と仲の良い数人でスキーに行った。

この時僕は彼女アタックしようと決めた。彼女の横顔、彼女の声、彼女言動全てが愛おしく思えた。

やっぱりまだ全然きじゃん。

その後は積極的タコパ鍋パなどに誘った。

そして二人でデートに行った。この上なく楽しかった。

3回目のデート告白するというのが通例と言われる。僕もそう考えていた。

しかし、この一年でお互いのことはよく知っているし、これ以上先延ばしにしても意味がないと思った。

何よりもこの気持ち彼女に伝えずにはいられなかった。

こたえは「考えさせてほしい」だった。

正直7割くらいいけるんじゃないかと思いあがっていた僕がバカだった。でも彼女は僕の思っていた何倍も真剣に考えてくれていた。

僕はもうこれは振られても良いやと思ったくらい嬉しかった。

・実はまだ彼とキッパリ別れられていないこと

・一度友達になった人を彼氏としてみるのは難しいこと

・まだ彼氏として僕はみれないということ

正直に言ってくれて僕は嬉しかった。

その後も僕は誘い続け、彼女は二つ返事で応えてくれた。

カフェに行った。その後ファミレスで閉店まで喋った。

僕のバイト先の飲食店に行った。すっごいサービスされて恥ずかしかった。

街にも繰り出した(まだコロナが耐えていた頃)。帰るのは日付が変わる頃になっていた。

昼間から6時間半も通話しながらあつ森をした。

真夜中にも通話しながらあつ森をした。

本当に楽しかった。彼女と一緒にいられるだけでこの上なく幸せだ。間違いなく世界一可愛い

写真が大好きな僕は彼女写真も沢山撮らせてもらった。僕より彼女を可愛く美しく撮れる人は居ないと思った。

流石に気持ちいか

でも本当に彼女が好きなんだ。

食べ物好き嫌いは僕の歴代友達トップだし、めっちゃ昼夜逆転しがちだし、すぐ引きこもってろくなもの食べなくなるし、そんなに真面目でもないし、たまに何考えているのか分からない。

でもそんな全てを引っ括めても彼女が大好きだ。

まだこたえはもらっていない。

正直まだ友達しか見てくれていないと思う。

から一方的な感じが否めない。彼女からLINEが来ることは殆どないし、何かに誘われることもない。

どう思っているのかは彼女しかからないけど。

でもそんな感じがする。僕はどうすれば良いのだろう。

手を繋いだら良いの?もっと物理的に近づけば良いの?

僕はそういうことは付き合ってからするものだと思っていた。けど男らしさがない僕は少しくらいそういうことをしても良いのかもしれないか

恋愛って難しいな。。。こうやって手探りで見えない霧の中を進むのも悪くないかもしれないけど。

LINE既読が付くだけでドキドキするし、返信が来ると飛び上がるほど嬉しい。

彼女と会う予定ができたらその為なら何でも頑張れると思える。

彼女は本当に何でこんなに可愛いのってくらい可愛いし、そこら辺の男が寄ってきそうで不安しかない。

サークル飲み会に行かれるだけでも嫉妬ちゃうし、とっても心配になってしまう。

心配しなくて良いようなことでも心配になるし、ヤキモチもやく。

勝手に振り回されてバカしかないけどこれが僕なんだ。

はいつまでもアタックし続けるよ。(いい意味でね)

明日彼女を含めた友達と僕ん家でご飯を食べる。

幸せ人間だ僕は。

2020-03-15

anond:20200315220142

一浪20歳までもう一ヶ月切ってるからいろいろ自分でやりたかったんだけど...スポンサー意向理解はできるが…

2020-03-09

偏差値65の県立高校受かって鼻高々だったけどマーチ全滅した

地元で神扱いされてるようなとこ。全盛期は東大10人、早慶150人受かってた。

まり秀才秀才褒めそやされて入学するもんだから、俺もみんなも学年平均いれば現役早慶はかたいと確信して3年間過ごしてきた。

担任先生が「学年平均じゃ現役早慶はほぼ無理。MARCHも大半落ちる。平均見ると現役で國學院あたり行くか、一浪してMARCHだな」と言ったことがあるけど、ハッパかけるための大嘘だと思ったから鼻で笑ってた。

そしたら早慶上智MARCH部落ちたよ。ニッコマ落ちた奴でもちょいちょい受かると噂されてる中央文ですら落ちた。受かったのは日大経済

卒業式出てわかったけどMARCH全滅がマジョリティだった。恐ろしい。恐ろしい。

うちの高校おっちゃんおばちゃん世代では東大より凄いって思われるようなところなんだぜ?

それともMARCH難化してる?

今、高校合格実績調べてみたら

東京一工2,早稲田30,慶應10MARCH250人だった。

なんでこれで平均MARCHからんの?

2020-03-02

自分も同じく中高一貫校出身で6年間鼻毛ほども勉強やってなかった

誇張抜きで小学6年の学力のまま高校3年になった。

中学2年か3年の頃に受けさせられた「県民テスト」なるもの順位は同学年の地元県民全体の下位1割に入ってた。

東大5人くらいしかからない偏差値55くらいの一貫校に通う身分ではあったけど、中学受験経験者でこの結果はありえないほどヒドいものらしい。中卒でヤクザになったり、九九が怪しかったりする人も受けるテストだったから。もし高校受験やり直すとしたら、学年の半分が中退するような超絶田舎の最底辺県立高校くらいしか行けないくらいの学力だったようだ。

で、高校2年の終わりに受けた河合全統記述模試では英国社の主要3科目ですら偏差値38、国士舘大学E判定だった。

同級生で俺と同じくらいヤバい奴はたくさんいた。東大二桁必ず出るような中高一貫校通う友達にもここまで落ちぶれた連中はたくさんいた。

大学受験ではやっぱり大半が浪人してた。

俺の学校の落ちぶれ仲間は3割くらいが現役マーチor早稲田合格、残りの7割が一浪マーチor早慶合格って結果になった。

東大二桁校の落ちこぼれ友達は3割が現役早慶マーチ受験ほとんど)、7割が一浪早慶に落ち着いた。

ちなみに俺はMARCH早慶全滅したもの東京学芸合格して浪人回避

こういう巻き返しは文系特有のもんかと思ってたけど、現役のとき中央理工にも落ちた奴が二浪東邦医学部受かってたから必ずしもそういうわけじゃないのかも。

多分、駒東とか麻布とか開成レベルになると小学6年レベル大学受験に臨むハメになった層でも最終的に浪人一橋とか国立医とか結構受かっちゃうんじゃないかと思う。

anond:20200301173451

全落ちして一浪した増田だ。その不安を消すには、勉強し続けて努力する自分肯定できるようになるしかない。

今やるべきことは1に勉強、2に勉強、3も勉強、遊びながらでいいから、とにかく今から勉強しろ

中学レベルからやり直すとなると、予備校始まってからだともう時間がない。

他の浪人(予定)は大抵「4月から頑張る」メンタルだし、中学受験したなら地頭はいいはずだから、今からやれば十分に間に合う。

恥も外聞もかなぐり捨てた勉強をしないと、今後1年間無駄に終わる。

研究者になるにしても、民間公務員就職するにしても、学歴必要だ。

「何もできない低学歴」よりは「何もできない高学歴」の方が大分マシ。

18歳の時点で進路選択を迫られる不安はわかる。

しかし、年を取ると自分の向き不向きがある程度分かる、というか決まってくる。進路選択大分楽になる。

まり身構えずに生きている人が大半で、そういう人でもなんかしらの職について生きてるし、増田ももっと肩の力を抜いていい。

2020-02-18

anond:20200218172301

少子化から大学なんて人数より枠のほうが多いぞ

どうしてもそこにしか行きたい学部がないのなら

一浪してそれまでにADHD診断書とって大学申請して別室受験したらいいんじゃね

それと明日までに「コロナじゃないかととても気になるので

ずっと鼻水すすってる人を隔離してほしい」って電話で申し出れば

(会場になった大学に人がいるのはたぶん遅くても18時までだろうけど)

実際は単に寒い気温からかい部屋に入って鼻の内側に汗をかくような感じの単なるアレルギー反応で

ティッシュもってないからすすってただけだとおもうけど

受験生は神経過敏になるものだししょうがいね

2020-02-13

34歳が親から15万の仕送り

俺にはひとり姉がいる。

姉は今年34歳になるのだが、無職で、親から仕送りをもらっている。

姉は1年前まで働いていた。

私大文学部一浪入学。在学中、母親から「なんでもいいか資格を取れ」という言葉無視して遊んでいた。

文学部というのは、就活で苦労する。母も文学部出身だったので心配だったのだろう、在学中に「資格を取ったら一時金をやる」と宣言。金で釣ろうとした。その言葉でやっと動いた姉は、なにを考えているのか色彩検定を受けてきた。曰く「これも資格だ」と。母は就活プラスになる資格を取ってこい、というつもりで言ったのだと思うが、親心は何も伝わっていなかった。母は一時金を渡して、それきり資格資格と言わなくなった。

姉の就活は難航した。しかし、最後最後で1社だけ受かった。そこそこお堅い企業事務職。ほっとしたのも束の間、3年で辞めた。お局に虐められたらしい。母は「せっかく入ったお堅い企業なのに…」とガッカリしていたが、なんだかんだサッサと次の職場を見つけて、転々としながらも働いていた。

母はやたらと姉の進路に口出しするが、口出しせずとも姉は自分自分人生を歩める力を持っていた。ガンコで親の言うことは聞かないが、頭は回るし、口が立つし、仕事はできる。

姉は自分の足でしっかり自分人生を歩んでいる。

何も心配することはないのだ。

そんな姉が、1年前、また仕事を辞めた。

その時はいつもと様子が違った。いつになっても、転職活動を始めないのだ。

無職中に結婚をした(!)。人の良さそうな旦那を見つけて、幸せそうにしている。

無職中にウサギを飼い出した。ウサギはすぐ死ぬ弱い生き物らしく、様子がおかしい時は深夜にタクシー飛ばし動物病院に行く必要があるらしい。大変だ。

最近ゲームにハマっているらしく、デスストランディングの豪華版(2万円くらいする)を予約していた。

旅行も行く。ネットで知り合ったオタク友達と、脱出ゲームコラボカフェだと、楽しそうにTwitter写真をあげている。

俺は、姉貴は間違っていると思う。

自分の稼いだ金ではないから。

自分の稼いだ金なら、どう使おうと姉の勝手だ。

しかし姉の遊ぶ金は、60を超えた親父がシニア枠でせっせと働いて稼いだ金なのだ

うちは資産家なんかじゃない。父はただのサラリーマンだ。父は必死に働いていた。平日は残業のない日は無い。土日も電話一本で職場に戻る。腰を壊し、鬱になった。それでも働き続けて、早期退職を促されることもなく、今もシニアでせっせと働いている。

俺は、姉貴は間違っていると思う。

でも、一番間違っているのは、姉貴に仕送りを渡す母なのだ

母は言う。姉の旦那はそこまで高給取りじゃない。姉の収入がないと家賃が払えないだろう、と。

なぁ母さん、それは、姉の人生なんだよ。

お堅い企業を辞めたのも、姉。

転職を繰り返したのも、姉。

はいいが給料はそこそこの旦那を選んだのも、姉。

ペットOK3LDK賃貸物件を選んだのも、姉。

すぐ死ぬウサギを飼い始めたのも、姉。

働かないで、生活が苦しくなるのは、姉が選んだ道なんだよ。

そう電話で言ったが、「かわいそうだから」の一言があったのみで、母の考えを変えることは出来なかった。

今、俺も鬱になって、仕事休職してる。

最近ようやく「そういえばアンタ、休職続きだけどお金大丈夫?」と聞いてきた(姉には辞めた月から仕送りしているのに)。

俺は「貯金があるから、しばらく大丈夫」と答える。

母は言う「そうね、アンタはしっかりしてるから」。

2020-02-01

お題:変なプライド

一浪目:「浪人してFランとか恥ずかしいか絶対受けない」

二浪目:「二浪してFランとか恥ずかしいか絶対受けない」

ひきこもり10年目:「取り返しのつかない事をしてしまった。Fランでもいいから行っとけば良かった」

「今からでも行く気ある?」

絶対無理。恥ずかしい」

2020-01-28

モラトリアム期間長すぎ問題

一浪+留学一年とかやると頭がガキのままで

25歳くらいになってしまうのよな。

真面目な高卒(殆ど居ないけど)とかと比較すると、

精神年齢が取り返せないレベルで差が開く。

端的に言うと前者は恐ろしく「幼い」。

地頭良ければまだましだけどさ。

ものになるのは30越えてからとかザラ。

人生100年時代とはいえ、これはいかがものか。

本人の為になってないからなぁ。

2020-01-20

anond:20200120052018

私立医学部学費出せるって時点で普通の家庭じゃないからね。

千万だよ?

あと私立学費出せるなら別にもう一浪してでも国立に…なんて考えないだろ。

どこの大学出ようが医師免許に変わりはないし。

2020-01-19

「姉は大して苦もなく医者になった。」

姉は昔から「お勉強」はできるけれど、世間知とか常識かにはあまり聡くない、いわゆる天然なお嬢さんだった。

小学生くらいの頃から医者になる」と公言していて、周囲もそれが当然と考えていた。頭がいいのもあったし、なにより勉強に関しては誰より律儀だった。

不真面目な学生だった俺はなんであそこまで毎日真面目に机に向かえるのだろう、と不思議だった。


彼女県内でも一番といわれる高校(もともと男子校で、姉の入るタイミングくらいに共学化された)に進み、そこでもしゃかりき勉強に励んだ。

成績も「医学部には普通に入れる」くらいをキープしていたらしい。

俺も親も姉も普通に現役合格するものと思っていた。

だが、落ちた。

姉は本気で悔しがっていた。

俺は「やはりお医者さんになるのは大変なんだな」くらいにしか思わなかった。

姉は浪人し、上京して予備校通いを始めた。

そして翌年に私立医大合格した。

そうしてつつがなく医学部卒業し、今では立派に医師として働いている。


から見たらさして波乱のない人生だ。

世間の人もそう言うに違いない。頭の良い子ども勉強をして医学部合格医者になる。なんのひっかかりもない。

でも、例の一連の入学試験性差別報道に触れ、その考えが間違っていたと知った。

姉は下手したら人生を潰されていたのだ。

十分な能力があるにも関わらず、夢を諦めることを強いられてかもしれないのだ。

高校時代の姉は(少なくとも俺からしたら)勉強ができた。ものすごくできた。でも「ものすごくできる」では足りなかった。

おそらく、姉と同等に成績が良かった同級生男子たちは普通に現役で医学部に受かっていたことだろう。

でも姉は「ものすごくできる」以上を要求された。

そして、それに応えた。


姉は昔から俺のことをよく褒めてくれた。

彼女にはないアート方面の才能(もちろんさして大したものではない)を持っていた俺を「すごいね」と何度も讃えてくれた。姉としての欲目もあったかもしれないが、そういうことを素直に言うタイプでもあった。

一方で俺は姉をどこかで見下していた。姉ほど勉強ができなかったというコンプレックスが一番大きかったかもしれない。同じ中学に姉と入れ替わりで入学した年に、かつて姉を受け持っていた教師から「おまえはお姉さんほど頭良くないんだな」と蔑まれたのが不快記憶として残っている。

そういう比較を拭いたくて、生活人としての姉のおっちょこちょいぶりやおっとりした性格家族内のジョークとしてよくイジっていた。両親も「お姉ちゃんはそういう子だからねえ」と俺のイジりに乗っていた。母は「本当の意味で賢いのは○○(俺)くんのような子なの」とよく俺を贔屓にした。

からすれば俺は親の寵愛をいいことに暴君のように振る舞うわがままなクソガキ、という印象だったかもしれない。

でも、仮にそう考えていたとしても、それを口に出すようなことは絶対になかった。いつでもやさしかった。

俺の制作物を「すごいね」と褒めて、友だちにまで自慢していた。うちの弟はすごいんだよ。


今ならわかる。

本当にすごいのは姉のほうだった。

俺が現在所属している業界にも性差があることは否定できない。自分が男であることが陰に陽に有利に働いていたんだな、という場面は思い出すだにいくつかある。

自分業界で生き延びるのは大変だという自負があり、それに比べると医者は安泰でよろしゅうございますね、というようないじけがどこかにあった。

姉にとっては安泰でもなんでもなかった。俺よりよっぽど激しい戦場で戦い抜いてきたのだ。

あの一浪二浪になり、二浪三浪になったら、姉の人生はどうなっていただろう。

姉が医学部合格したとき母親が親戚だか誰だかに先生はもう一浪したら絶対(当初の姉の志望だった)国立もいける、っていうんだけど、本人が絶対受かったところに入学したいっていうから……浪人がよほどイヤだったんだろうね」と漏らしていたのを思い出す。

姉は知っていたのだ。

どの程度までかはわからないが、医学部入試からくりを知りながら、それでもなお試験に挑んでいた。


俺には無理だ。


謝りたくなった。

知らなくてごめんなさい。

からなくてごめんなさい。

でも、姉にしてみたら謝られたところで意味不明だろう。

他人からしたらそれでも全部話して謝ればいいだろ、と思うかもしれないが、

俺と姉はそういう「真剣人生の話」を語り合ったことは一度もない。

姉弟仲は悪くなくて、むしろ良いほうだと思うのだけど……わかるかな、とにかく「そういう話」はしない間柄だ。

から、できない。


から増田に吐き出すことにしたのです。

2020-01-03

姉に嫉妬されて辛い

私は姉が苦手だ。嫌いとは少し違う(はず)。

姉は昔は自慢の姉だった。積極的委員長なんかを引き受けるタイプの子どもだった。私はどちらかと言えば引っ込み思案な方だったし、3つ上の姉はなんでも私よりよくできるように思えた。二重飛びのやり方も姉に習ったし、ドリルの丸つけもしてもらった。しかし親の転勤を受けて転校してから、姉はクラスいじめられるようになってしまったらしい。それから彼女は変わってしまって、自分に自信がなく臆病な性格になってしまった。

私は幸にして転校先にもよく馴染み、高校は姉より良い学校に進学することができた。この辺りから姉は私に露骨嫉妬感情をぶつけてくるようになった。姉は一浪し、希望大学には入れなかった。それでも私よりランクの高い大学を出て大学院まで進んだくせに、私のことを嫌に羨ましがる。かわいいからいいよね、世渡りうまいからいいよね、賢いからいいよね、彼氏いるからいいよね、資格を持ってるからいいよね… 私はダメから

こんなことを会うと必ず言われるようになってしまった。ダメじゃないよ、と言ってもまた別の地雷を踏んでしまうこともあるし、対処法がなんとか話を逸らして逃げるしかない。とにかく辛い。私は自分が恵まれていて酷く狡い人間のように感じてしまう。たしかにそうなのかもしれないのだけど、本当にそうなのだろうか?私が努力して積み上げてきたものに対して、ずるいずるい、いいよねいいよね、と言われるのはかなりキツイ。不当に得たものではないのに。たしかに運や巡り合わせによって得られたものもあると思うけれど、別にそれだって卑怯手段によるものではない。わたしは正当な手段を経て、努力を重ねて欲しいものを手に入れてきた。姉と私で確かにまれ持ったものに多少の差異はあったかもしれないが、私にないもので姉にあるものだって沢山あるし、姉が虐められたのも私の責任ではないし私だって虐められたことは数回ある。何がいいんだよ。私が私の地獄を乗り越えて闘ってなんとかやっと手に入れて、失わないように、失わないようにと抱えているものを、指差して欲しがらないで欲しい。私だっていつ失うか、常に怯えているのに。

兄弟嫉妬する人の話はよくきくが、嫉妬される側の話はそんなに聞かない。みんなどうしているんだ?距離を置くしかないのか?

2019-12-11

anond:20191210171417

「こんなに努力してるのに報われない!」ていう怒りが強そうだけど

努力したって他人よりできないことってあるじゃん

頑張ったら全員報われるんだったらプロスポーツ選手とか芸能人とかもっともっと多いし

頑張ってる子み~んな年収1億2億いってるよ

頑張っても報われないことがあることを受け入れたほうがいいよ

そして一浪して勉強頑張ったことと女は関係いから切り離したほうがいい

勉強頑張ったことで達成されるのって

あなた勉強頑張ったこと」「あなた社会評価される知識を身に着けたこと」だよ

2019-11-28

anond:20191127201601

だいぶ前に藝大デザイン科を卒業し、同窓任天堂いるから回答しておく。(ブコメだと書けないからね

デザイナーといっても様々でジャンルの幅が広いが、どのジャンルでも基本的教養重要

CG造形をやりたいということであるが、高校で学ぶような基礎教養一見無駄知識と思えるものでも後々重要になる。要求されるものについての文化的素養知識があるのとないのとでは大違いである。後々苦労する。なので高校で学ぶ学問を軽視してはいけない。独学では視野が狭くなる。無駄と思える知識まで広げておく必要があるので寧ろ、高校時代可能な限り学科はやっておくべし。私がいた頃は美校の試験学科の成績は実技と比して全然重視されていなかった(酷いものであった)が、試験勉強していないだけで教養がある学生は多かった。無駄なことまでアンテナを張って知的好奇心を養うことができるのは高校時代である。ちなみにその学科試験も昨今は重視するようなので怠らない方がいいと思う。

浪人時代というのは辛い。私の場合浪人の時は藝大一本に絞ったので後がなかった。学生証もなく、落ちたら身分のない年月がさらに続く。その危機感毎日絵を描いていた。一日一枚石膏デッサン。夜は水彩描いていた。日本画の模写もした。このようにして絵を描くマシンになり、見ないでもパジャントが描けるようになってしまった。モリエールマルスブルータスなど木炭紙に入れる比率を体で覚えてしまった。デッサンバカになった。学科なんぞやらない。絵しか描かなかった。二度ともうあの日々には戻りたくない。その一念でなんとか一浪で入ったはいいが、入ったら2浪生が一番多く、デッサン神様みたいなのまでいて、打ちのめされた。

そのような世界なので、実は芸大生は互いにビクビクしていた。自分が下手なんじゃないかと。自分の絵が下手くそに見えて仕方がなく、他人天才にビクビクしているのであるが、実はみんなが互いにそう思っていたというのはのちにわかった。実際、弱肉強食世界なので、下手くそバカにされる。なので精神を病んでしまう者も少なからずいる。が、概ねは互いに勝手にビクビクしているだけである

さて件の任天堂に行った同窓であるが、ゲームなんぞやったこともなく(当時はファミコンだった)「任天堂に決まったんだけど、俺よくわかんないんだよな、どうしよう」と困っていた。彼は院まで行ったのであるが、院では木工で立体作品を作っていた。入ってからしばらく周りから話が合わず浮いていて「やめたい」などとぼやいていたが、そのうち「俺の会社は〜」「俺がやったゲームあるからよろしくな!」などと言っていた。

まりゲームを初めから目指しているよりも、そのズレた新鮮な目線会社にとって、とても有益であったということ。

どちらかというと音楽が好きで、ファッションに興味があり、ハイデザインに興味があり、およそゲームとはかけ離れた分野の知識があったのが活かされたようだ。

まり、元に戻るが、広い視野を養うべき。映画を観て、音楽を聴き、友人と交流し、世間流行っているものに敏感になり、アートについて知識を深め、乱読で様々な本を読み、とにかくあらゆるジャンル知的好奇心アンテナを広げておく、それがデザイナーに最も必要資質なのである

そしてデッサンは1ピクセルの狂いもズレも許さない、水平垂直の狂いを許さな視点を獲得するために必要なので、そこもしっかり脳が魔改造されておくこと。魔改造されると、定規を持たなくても目視で大きさが把握できるようになるし、カメラ記憶が発達したりする。フリーハンドで直線も引けるし円も描けるようになる。それはCGを作る際におおいに生きてくると思う。

また自然観察する目を養う必要もある。そこにあるものの細部のディテールまで見なくても再現できる観察力を養う為にデッサンや水彩という訓練が必要なのである

なので、時間的制約や年齢的な制約よりも、何を学べたか重要なので、変な時間的制約は設けないほうがいい。クリエイティブ魂にはバイオリズムがあるのでスランプという谷間とアゲアゲな時をなんども繰り返して体験することの方が大切。

あとは・・・・運だ。

こればっかりはどうにもできない。

人生を決めつけすぎて、コケると人生の棒を振るので、その時その時で考えていけばいい。

実際は、どの大学出ようが、どこの会社行こうが、自分がうまくハマったとこで、表現をしていければいいと思う。

フリー仕事していた時は、出身大学なんぞ意識したことなかった。

社会に出たらその時の仕事内容でしか自分証明できない。もっと過酷砂漠である

頑張ってください。

2019-11-22

低スペ息子が親の資産を食い尽くして天寿を全うするパターン増えてね?

多分俺がそうなる。学生時代の友人連中もことごとくこれ。

親はなぜか優秀なんだよ。しょせんはサラリーマンだけどどう計算しても生涯賃金10億は稼いでる。ついでに東大卒

友人たちの親も同じようなもんで、2代目開業医だの朝日新聞だの三菱重工だのそんなん当たり前。当然、高学歴だし裕福だった。

家はデカいし別荘持ちだし何よりどの家も教育に対する投資を惜しまなかった。

友人連中と俺は私立中学に進学したとき出会った。

で、俺達がどうなったかというと万引きもせず普通に楽しくゆるく学生生活を過ごして一浪マーチとかニッコマ

マジ。ネットだと「教育投資を惜しまない裕福な家に生まれ育ったのに早慶行けない奴は障害者」とか切り捨てられるけど、全然そんなことはない。同じ境遇で俺ら程度の大学行くハメになった奴なんてむしろマジョリティ女の子なら偏差値50程度だけどなんかちゃんとしてそうな名前女子大に現役進学してお茶濁したり)。 

でも悲壮感は特になくて、親も親で「受かってよかったなおめでとう」なんてニコニコ笑ってるだけだから資格取得で頑張ろうとか全然思わなかった。友人連中もやはり同じ。

案の定大学入ってから留年しない程度に講義をサボってアニメ見てシコシコしてラーメン食べてヌルバイト趣味程度にやってたら3年経ってた。

就活では俺、友人連中みんな見事に中小企業行きとなった。

これでもまだ危機感は覚えない。

なにせ都心通勤可能圏に実家があり、そこには金融資産たんまりの親が住んでいる。「生きるために無心になって働く」なんて境地には到底至れない。会社辞めてえ〜とかアホ面下げて猫背で働いてなんとなく時間がすぎる毎日。幸いにも、俺も友人連中もバイト以下のクソ意識が許される環境だった。会社ではニヤニヤチンタラしてる。眠くなったら便所で寝てる。これなら勤まるはずだよ。

さて、そんなふうにして俺たちは昨年30歳になった。俺や友達連中の半分くらいは結婚予定がある。ただ、みんな年収400万〜450万程度。もう10年勤め続けても500万くらいで頭打ちじゃないかと思う。

これじゃあ結婚するにしても共働きマストで、子供なんか絶対無理だ。

でもまだ焦らない。焦れない。

なぜなら、住宅ローンの頭金や自分の老後資金はどうせ親が全部なんとかしてくれるだろうとわかっているからだ。

それでもなおお金は余るだろう。薄給ながら意識低く適当が許される会社で働きながら、マイホームを手に入れ、嫁と面白おかしく遊びながら余暇満喫する。

こんな生活はもう約束されてしまっているのだ。

子供も作らず、親の資産を食いつぶす。

最後には何も残らない。

親が40年以上かけて築いてきたあらゆるモノを子供が綺麗に費消して最期は全部無に帰する。

やや裕福な家に生まれた男で俺らみたいな奴は多いぞ。

ずーっと学生気分なのよ。

でも努力能力以上に良い思いさせて貰えてるから克己心も芽生えない。

ガチ田舎なんかによくいるらしいけど、高校卒業して即地元零細企業勤めて結婚して子供3人生んで何台も車持っててチューニングに金かけまくってて家族旅行しまくってて〜、みたいな元ヤンに凄く感情移入する。

あの人たち常に親から資金援助してもらってるんでしょ?

それと同時に俺らみたいな家に生まれちゃんと難関大に受かって日経225企業かに就職して高スペ女と結婚して子供作ってお受験させて〜みたいな満点ルートをまんまと歩んでる同年代は本気で尊敬する。そのモチベーションはなんだよ。

俺なんて就業時間中に車の中でアイコス吸いながらこんな長文書いてるっていうのに。

2019-11-12

私は弱い

私は弱い

小学四年生から始めたテニスでは県大会まり

小中と進研ゼミに頼った

中学生では塾にも頼った

そのくせ高校はその辺にある自称進学校

高校では帰宅部バイトもしなかった

そのくせ模試で学年1位は取れなかった

現役では第一志望に落ち、大手予備校一浪した

やっとのことで進学した第一志望の大学では周りの力を借りて辛うじて留年せず

現在大学四年生研究室でも先輩の力を借りっぱなしだし、親の仕送りに支えられている

私は弱い

環境に助けられている

小学生から進研ゼミを購読させてくれて中学では塾に通わせてくれて高校では部活バイトもしなかったのに何も言わず現役で第一志望に落ちたとき私と一緒に泣いてくれて浪人を決めた時も何も言わずかに応援してくれ成績が上がらず心が病んだ私を何も言わず景色のいい公園に連れ出してくれて第一志望の大学に受かった時誰よりも喜んでくれて一人暮らしにも反発せず今も仕送りを続けてくれる両親

周りに大学に行った人がいなくて、大学ことなんて何も知らないからって言って俺の考えを全て尊重してくれる両親

出来損ないな私のことを助けてくれる学部友達研究室の先輩

私は弱い

両親にも友達にも先輩にも感謝しているのに、直接伝えることができない

私は弱い

私は弱い

私は弱い

小学四年生から始めたテニスでは県大会まり

小中と進研ゼミに頼った

中学生では塾にも頼った

そのくせ高校はその辺にある自称進学校

高校では帰宅部バイトもしなかった

そのくせ模試で学年1位は取れなかった

現役では第一志望に落ち、大手予備校一浪した

やっとのことで進学した第一志望の大学では周りの力を借りて辛うじて留年せず

現在大学四年生研究室でも先輩の力を借りっぱなしだし、親の仕送りに支えられている

私は弱い

環境に助けられている

小学生から進研ゼミを購読させてくれて中学では塾に通わせてくれて高校では部活バイトもしなかったのに何も言わず現役で第一志望に落ちたとき私と一緒に泣いてくれて浪人を決めた時も何も言わずかに応援してくれ成績が上がらず心が病んだ私を何も言わず景色のいい公園に連れ出してくれて第一志望の大学に受かった時誰よりも喜んでくれて一人暮らしにも反発せず今も仕送りを続けてくれる両親

周りに大学に行った人がいなくて、大学ことなんて何も知らないからって言って俺の考えを全て尊重してくれる両親

出来損ないな私のことを助けてくれる学部友達研究室の先輩

私は弱い

両親にも友達にも先輩にも感謝しているのに、直接伝えることができない

私は弱い

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