はてなキーワード: 宣伝文句とは
昔は親しみやすいキャラで売っていたのに、今となってはアンカーマンなる肩書で小難しい顔して「大石の視点」と称し誰もが思うような月並なコメントを流している。
一方で新型コロナワクチン関係では明らかにデメリットを強調した報道演出となっており、事実を報道しているという体での事実の取捨選択にバランス感覚は乏しい。
すっかりいわゆる反ワクチン界隈に祀り上げられる人間となってしまい、彼のコーナーに出てくる人間もその界隈が目立つ。
彼のコーナーの宣伝文句である「物事の核心に迫る」とはなんだったのかと思わされる。
段々と上記の傾向が気になってきて、現在はこの人の顔や声、コーナーに当たるとチャンネルを変えるようになってしまった。
毒にも薬にもならないコメントだけならまだしも、特定の方向にアンカリングを試みるアンカーマンは情報番組の顔としてはひたすらに危うい。どうしてああなってしまったのだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20240122183330 の続き
ウイスキーの製造に使う大麦麦芽は成長を止めるためと貯蔵のために乾燥させられている。この乾燥に用いられる燃料のうち伝統的な燃料がピート(泥炭)である。このピートを燃料とするとピートの香りが麦芽に移りこの麦芽を使ったウイスキーにはピーティと言われる香味(燻製のようなスモーキーさとヨードチンキや正露丸のような薬品香)がもたらされる。その香りはピートを燃焼させたときの燻煙に含まれるフェノール化合物によるものであるが、その麦芽に含まれるフェノール化合物の割合をフェノール値と言いppmを単位として示される。このピートはスコットランドに広く存在するがアイラ島のピートには海藻由来の成分が多く含まれ特に薬品香を強くもたらすと言われる。このピートで乾燥させた大麦麦芽を使った原酒は程度の差こそあれアイラのみならず多くのスコッチウイスキーに使わている。また日本のウイスキーにも広く使われている。
ウイスキーがどれくらいピーティかは実際にはフェノール値だけでなく蒸留のどのタイミングの蒸留液をどう使うかや熟成に使う樽によっても変わるのであるが便宜的にフェノール値を用いてほぼ0の場合をノンピーテッド、それから順に(人によって違うが)10ppmぐらいまでをライトリーピーテッド、25ppmぐらいまでをミディアムピーテッド、50ppm台までをヘヴィリーピーテッド、その上をスーパーヘヴィリーピーテッドとしてウイスキーを区分することがある。ただ特にフェノール値が非常に高いような場合、例えば150ppmのウイスキーを飲んでも50ppmの3倍スモーキーだと感じるようなことは(増田の経験上は)ない(多分それを目指して作っていないと思う)。フェノール値はあくまで目安である。
ウイスキーには様々な成分が溶けているがその中には冷却すると目に見える澱や白濁の原因となるものがある。この原因となる成分を除去するためにウイスキーを冷却して濾過するのだがこの成分にウイスキーの香りや味わいの成分が含まれるとして香味が薄くなるのを避けるためにこの冷却濾過をしないウイスキーがある。このような冷却濾過しない製法もしくは冷却濾過していないウイスキーそのものをノン・チルフィルタードと言い、一般にラベルにNon-Chillfilteredと書かれている。冷却濾過は大量生産するウイスキーの味の均一化という側面があるとも言われる。
スコッチウイスキーの蒸溜所は地域別(ハイランド、スペイサイド、ローランド、キャンベルタウン、アイランズ、アイラ)に分類されることが多い。ここではスペイサイドとアイラの蒸溜所の一部を紹介する。ここに挙げた蒸溜所はすべてモルトウイスキーの蒸溜所である。
日本のウイスキーはスコッチウイスキーから大きな影響を受けている。そのため法律に基づく部分を除き日本では用語等はジャパニーズウイスキーとスコッチウイスキーで同じ意味で使っていると言えるのであらためて説明しない。日本のウイスキーについてオーセンティックバーで見ることが多い銘柄のうちいくつかを紹介する。
もともと日本のウイスキーの定義は酒税法で定められたものだけで非常に緩く輸入した原酒を日本で瓶詰めしただけのウイスキーがジャパニーズウイスキーと称されて販売されたり、酒税法上の焼酎が海外でジャパニーズウイスキーとして販売されたりしていた( https://toyokeizai.net/articles/-/216248 )。その問題への対処として業界団体である日本洋酒酒造組合が「ウイスキーにおけるジャパニーズウイスキーの表示に関する基準」でジャパニーズウイスキーを定義した( https://www.yoshu.or.jp/files/libs/550/202303291553482719.pdf )。この基準の施行前に販売していたウイスキーについては経過措置により従前の表示が認められているが2024年3月31日で経過措置の期限となるためもしかすると一波乱あるかもしれない。
その3へ続く https://anond.hatelabo.jp/20240122184434
昨年2023年ちょうど1月、婚活目的でマッチングアプリを使用し始めた。
それに加え、相談所を使う利点がないと判断した。理由は以下の通り。
言わずもがな。数十万する。
相談所の成婚率は10%〜20%とネットでは見るが、注意すべきは相談所の定義する「成婚」の概念は入籍ではなく、
成婚退会後高額な成婚料を払うことになるのだが、その後に婚約破棄することは十分にありうる。
そして、相談所は成婚退会後に婚約破棄したカップルのデータについては何ら公開していないのだ。
誰がどう調査して「相談所で結婚したカップルの離婚率は10%」という数字が出たのか、根拠がどこにもない。
宣伝文句と捉えてよさそう。
ところで、離婚理由に関する公的な統計はないけれど、司法統計では「性格の不一致」が離婚理由として最も多い。
(ただ司法統計は離婚調停のように法的手段に出た場合の統計なので、そこまでに至らない協議離婚の場合を含めた場合までは分からない)
仮に性格や価値観の不一致が最も多い離婚理由だとしたら(というか一番多い理由だと個人的には思っている)、
3ヶ月とか6ヶ月そこらで相手の普段の地の性格を理解して、自分が受け入れるには、短すぎる期間だと思う。
相談所でいい人見つけたと思ったけど破談したというケース、案外あるんじゃないの?
結婚相談所は3ヶ月とか6ヶ月で結婚相手を決めないといけない。
短期決戦であるゆえ、条件を明確にしないと成婚退会のゴールがはっきりしないから、どうしても条件先行になる。
ただ、人との生活なんて条件だけではないと思うのだよね。
だから、相談所で良い相手に巡り会えるなんて、ごく小数の人にしかできないと思う。
というか、3ヶ月とか6ヶ月で会員が成婚してもらわないと相談所しては商売が成り立たないのだろう。
もう書いた通りだけど、ネットの婚活情報なんて大半は結婚相談所のステマというか、宣伝だ。
結婚相談所は元手なしで出来る商売で、ネットで集客するようだから、そうなるよな。
なぜ、「2020年の離婚件数÷2020の婚姻件数」のように同年の数字で計算するの?
2020年に婚姻したカップルがその年に離婚すればその計算式でいいけど、違うでしょ・・・。
2020年に離婚したカップルはそれ以前(2000年かもしれんし1980年かもしれんし)に結婚してると思うけど、
少子化もあるのか婚姻件数は年々減少傾向にあって、分子は大きくなる傾向にあるのでは・・・? え、違う?
ペアーズを使った。
1年間で会った人数: 10人
そのうち交際に発展した人数: 2人
交際に発展した1人とは6月頃に婚約し、結婚指輪も買い、両親への顔合わせと式場選びまでしたものの、
重大な持病を婚約後まで隠したことが発覚し、その上、お相手の両親がやたらと二人の関係に介入する人たちだったので、我慢ならず関係を絶った。
お互い子供がほしいことで意見一致してたが、お相手の女性は子供ができにくい体質らしく、それを婚約後まで隠していた。
問い詰めると「だから何?」という横柄な態度で、悪びれる様子は一切なかった。
交際中はこんなふうじゃなかったんだけど?
あと、お相手の女性の両親が介入しすぎる件については、彼女(僕の婚約相手)が親の言うとおりにするだけで反論も親には一切せず、
配偶者になるであろう僕の想いは全然斟酌しない人だから、ああ、これは止めた方がいいなと。
まー、くせの強い人が多い。
あと、30代後半以上になると「男は女性に奢りなさいよ」オーラ満載の女性の割合が増える。
何で?
自分の気持ちを伝えて「いつも僕が出してるとお金がなくなっちゃうから、時折は出してほしいな」と伝えると、
それ以降は割り勘にしてくれるようになった。
まだ前途は分からないけど。
" アプリはなー、持病持ち、複雑な家庭事情、宗教の子が普通より多かった印象ある。相談所だと隠せないような地雷持ち率がやや高い"
"結局6か月で婚約まで行って合わない所を見抜けずに破談してたら増田の腐す相談所と同じじゃない?"
なら、自分の自由にできるアプリのほうに利点がありそうですね。
というか、大抵の相談所は3ヶ月だから(6ヶ月の延長期間を設けてるところもあるが)、相談所なら余計に分からんかっただろう。
アプリも相談所も同じとあなたが考えるのなら、ガチガチのシステムやルールがある相談所よりアプリのほうが良くないか?
"結婚相談所の成婚退会率が10〜20パーセントを低いという割にアプリのスコアは11パーセント(もう1人は進行中)"
計算の仕方がおかしいです。成婚退会率は「出会った人数」で計算するのとは違うと思いますよ?
"結果は同じでも、数十万円払わずに済んだことを正当化するのに必死な面が窺える。増田にとっていちばん大事なものはお金なんだね。"
思ってませんね・・・。
本文を読んでいただければ分かると思いますけど、カネだけ書いてるわけじゃないでしょう。
あと、相談所で婚活しても、婚約破棄は普通にありうることだと思うよ。
消費者やマーケットが、「密猟ウナギが混ざってる店からは買いたくない」「偽装うなぎや脱法うなぎは買いたくない」「高くてもいいので確実な非密猟うなぎだけを食べたい」と強く主張・実践していることだね
うなぎを売ると、密猟じゃないですよね?と問い合わせ殺到するとか、安さよりも保全が大切だと国民の多数派が考えているとか。
そしたら、「密猟ウナギ不使用」がその企業の宣伝文句・マーケティングとして有効になる。企業は利益を出さなきゃいけないので「持続的ウナギ」「正規ウナギ」を必死で売りますよ
エシカルビジネスしか利益が出ない社会だとね、そんなに難しくないんですよ
日本は倫理的・物理的に問題があっても気にしない、社会の仕組みを知らない頭や教養が足りない、正義を感想だと思ってるクソみたいな顧客でマーケットが構成されて利益が出るからねビジネスでどんどん犠牲が生まれる
ただの宣伝文句やろなあという話
日本法人謝罪「バービー」抱き合わせの「オッペンハイマー」がヒットだが…
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/76335
映画業界通によれば、ユニバーサルが満を持して公開した「オッペンハイマー」は、バービー人形の世界を実写化したコメディー映画「バービー」(ワーナーブラザーズ)との抱き合わせ。
2作品を同日に観られるようチケットを発売する「バーベンハイマー」(Barbenheimer)と呼ばれる鑑賞方法が功を奏した、と見ている。
もっとも、これに悪乗りしたワーナーブラザーズは7月31日、「バービー」に合成された原爆投下を想起させる画像の投稿に対し、同作品の米公式アカウントで好意的な反応を示した。
この映像は、原爆投下を想起させる背景に(オッペンハイマー役の)キリアン・マーフィーが右手を上げて喜ぶ(バービー役の)マーゴット・ロビ―を肩に乗せているもの。
「オッペンハイマー」は、公開と同時に副次的な現象を起こしている。
原爆第1号を投下実験したニューメキシコ州トリニティ・サイト周辺地域に住む住民の被爆者補償運動が再燃したのだ。
1945年7月16日午前5時29分、アルバカーキーから203キロ離れた実験地「トリニティ・サイト」*1で人類初の原子爆弾が投下された。
(略)
高さ30メートルの鉄塔の上に固定されて投下された原爆は、「アントロポセン」(Anthropocene=人新世)の幕開けでもあった。
当時は、原爆実験周辺の村落住民が被爆したという話は聞かなかった。
しかし、その後110キロ離れたトゥラローサ(Tularosa)に住む住民の中から脳腫瘍や唾液腺ガンに罹る者が続出した。
米国には「放射線被ばく補償法」(Radiation Exposure Compensation Act=2022年制定)があるが、トゥラローサ住民は法定適用基準を満たしていないとの理由から補償を受けていない。
そうした動きに追い風となるプリンストン大学、コロラド大学ボールダー校などの科学者が共同で行ってきた研究成果が7月20日公表された。
それによると、トリニティ・サイトで投下された原爆は4日後には2400キロ離れたカナダ東部トロント郊外のクロフォード湖にも拡散されていたことが判明した。
ひええええ
「制作者の作品に込めた執念などはまるっきり分かっていないのだろう。第2次大戦とは何だったのか、原爆が投下されてどのくらい人が死んだのか全く知らない無知な人間たちが、うようよいる」
高齢者たちは世界に先駆けて原爆を製造した古き良き時代を描いた映画を満喫しようとした。
中にはバービー人形のようなカラフルなドレスや「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーが描く第2次世界大戦時のファッションで映画館に出掛ける者もいるという。
Z世代にとっては、原爆開発をめぐる科学者同士の裏切りや当局が狙うスパイ追及といったサスペンス映画だ、とするユニバーサルの宣伝文句に飛びついたのだろう。
これはどれも近代化の最大のポイントで、現在につながっている。
したがって死んだほうを気にかける人間は少ない。
日本は日本人の間だけで西南戦争とか起きたので。何もなかったわけではない。これには官軍墓地はあるけど、この時代は原爆はなかった。
まあお金があれば映画見に行くけど、あいにくと持ち合わせがない。インフレで食費が上がっているし。
バービーを責めて核武装はやろうとする日本、ただただ卑怯なんじゃないか?
映画「バービー」上映禁止、中国の「九段線」ゴリ押しで南シナ海に不穏な空気
ベトナムが不安を抱く「挑発行為」、中国に何が起こっているのか?
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/76031
わざとなのかな?
ここ数年、ネットのアマチュア作家の間では「本格ファンタジー」というジャンル・概念が断続的に話題に上っている。
「RPGをベースにした軽薄な『なろう系』のせいで『本格ファンタジー』が衰退した」
と強硬に主張するいわゆる「本格ファンタジー派」と、それ以外の人間との間で激しい議論が交わされている状態だ。
だが、この本格ファンタジー論には、本格ファンタジー派の攻撃性の強さを抜きにしても、そもそもの基礎に複数の大きな問題が存在するように思う。
本格ファンタジー論の抱える根本的な問題を、同じく「本格」を冠するジャンルでありながら似て非なる歴史をたどった「本格ミステリ」と比較することで、明らかにしたい。
本格ミステリというジャンルは、ミステリ(推理小説)のうち、謎とその論理的な解決を重視するもの、と定義されている。
本格ミステリには、名探偵や不可能犯罪など非現実的な要素があるものも多い。そのため、社会問題を中心に扱う社会派ミステリが台頭した一時期には、幼稚で時代遅れのものとされた(もちろん、冬の時代にも本格を書き継いでいた作家は存在した)
だが、島田荘司のデビューと、島田の推薦による京大ミス研出身者を中心とした作家群を「新本格」として売り出す講談社の販売戦略が(「人間が書けていない」といった批判もありつつ)大成功。これにより本格ミステリが復権することになった。
以降は、エンタメ小説の定番ジャンルとして、現在に至るまで根強い人気を保っている。
本格ミステリにも、容疑者X論争など定義に関する議論は多い。だがその多くは境界線上の具体的な事例を発端にした話(〇〇は本格か?)であって、中心となる定義(「謎とその論理的な解決」)そのものに対しては大きな異論はあまり出ていない。
一方本格ファンタジーには、今のところ言語化された定義自体がほぼ存在しない。一般的に使われる「本格ファンタジー」という言葉は、単なる誉め言葉・宣伝文句以上のものではない。
「本格ファンタジー」派にしたところで統一的な見解があるわけでもなく、個々人が様々な主張をしている。その声を最大公約数的にすくい上げたとしても、せいぜい「よくできたシリアスなハイファンタジー」という程度の話になるだろう(実際には、ハイファンタジーに限らずローファンタジー、エブリデイマジック、幻想小説なども含むという主張すらある)
そこには「謎とその論理的な解決」レベルの具体性もない。何が「本格ファンタジー」なのかもはっきりしないまま、本格ファンタジーの復権だけを訴えても無益ではないだろうか。
本格ミステリは、ミステリ内の具体的なサブジャンルの名称であるが故に、一時期は「本格」=幼稚という転倒した評価を受けることにもなった。だが「本格ファンタジー」の場合、そのような価値の凋落は本当に存在したのだろうか。
仮に、コミカルな内容・文体であったり、T・CRPG的な要素・感覚を含んだりするファンタジーは全て「本格ファンタジー」ではないとしよう。そうしてみると、たしかにここ数十年の国内小説では非本格ファンタジーの方が、商業面でははるかに優勢だったように見える。
だが一方で、なろう系にせよそれ以前のラノベファンタジーにせよ、それらが本来の「ファンタジー」とは良くも悪くも異なるものであるという認識は、市場の問題とは無関係に(ラノベ・なろう読者を含む)社会全体で強固に共有され続けてきた。大きなシェアを誇りながら依然として激烈に続いているなろう系叩きも、そのような思想を背景にしているものと思われる。
ここで重要なのは、なろう系やラノベファンタジーを「偽物のファンタジー」として指弾する人々が、必ずしも「本格ファンタジー」の愛読者とは限らないということだ。自分は実物を一度も読んだことはないが低俗ななろう系・ラノベファンタジーとは全く異なる素晴らしい「本物のファンタジー」がどこかに存在するはず、という来歴否認めいた頑なな本格ファンタジー幻想が、彼らの言動を強く支えている。
結局のところ、過去から現在に至るまで「本格ファンタジー」という概念自体の価値はほとんど毀損されていない。である以上、逆に新本格ミステリのような華々しい復活劇も演出しようがないということになる。むしろ、実態から離れて高まり過ぎた本格ファンタジーの権威こそが、現実の作品としての本格ファンタジーが読まれることを妨げているのではないか。
上で挙げたような問題を踏まえた上で、では現在の「本格ファンタジー」というジャンル、あるいは文学運動はどうあるべきなのか。
それを考えるのは、本格ファンタジー派ならぬ増田の仕事ではない。だがひとつ言えるのは、自分たちが本当は何を望んでいるのかを再確認すべきだろうということだ。
なろう系のシェアを切り崩せればそれでいいのか。
それとも、特定の種類のファンタジーが読まれるようにならなければいけないのか(自分の作品は本当にそこに含まれるのか)
webだけの話ではなく、市場にも具体的な影響を与えたいのか。
口下手、愚鈍、声が通らない、語彙力がない、という典型的なコミュ障。
「音読すると言葉がスラスラ出るようになるし、語彙力が付くし、前頭葉が刺激されて頭の回転が速くなるよ!」とかいう宣伝文句に釣られて、毎日1〜10分、長い時は30分ほど音読を実践した。元々読書が好きなので苦はなかった。
streaksっていう習慣管理アプリを見ると今日で180日、約半年間実践していたことになっていた。
だがどうにも効果が感じられない。
相変わらず言葉に詰まることが多いし、自分の言いたいことを上手く表現できない。頭の回転が早くなったとかもってのほかだ。
強いて言うならちょっと声の通りが良くなった気がするけど、別にイケボになったとかそういうレベルではない。
かすれて聞き取りづらい声が、少し聞き取りやすくなったってくらい。
ネットで音読について調べるとびっくりするくらいポジティブなことばかり書いているので、今回はそのアンチパターンとして書き記しておく。