はてなキーワード: 女性専用車両とは
「男女7歳にして席を同じくせず」
と書かれており、性に目覚めた男女を同じ席に座らせるなんてことはあってはならないのです。
それくらい、男の性欲は強いのだと、女は理解すべきだし、
朝夕の通勤・通学ラッシュ時間帯に登場した「婦人専用電車」が最初とされている。
乃木将軍もかつて学習院女学部の生徒が電車に乗ると男子が女生徒の体に触れたがって困ると電気局員に語られたと記憶するが、
近来不良学生が山手線沿線より市内各女学校に通う女学生の乗車するを機とし
混雑に紛れて、或いは巧妙なる手段を以て誘惑し、逸らすとも女生徒の体に触れて、其の美しき姿を見るを楽しみとする風がある。
彼らは此の女学生の満載せる電車を称して「花電車」と呼んで居るが、今回中野昌平橋間に各駅から
婦人専用電車を朝の八時半前後と午後の三時半前後の数回運転せしむることに決定し、
此の電車を女学生が利用する様にお茶の水附属女学校、女子学院、千代田女子学校、雙葉女学校、三輪田女学校、精華女学校等に対し通知し、
来る三十一日より実施することになった。
女性専用車両に座っておりふと足元を見まわして気づいたがびっくりするくらいいわゆるヒールパンプスの客が少ない。
数えたら15人中1人だけが3cmくらいのヒールパンプスで、残りはフラットシューズかスニーカーだった。スニーカー人気がすごい。もうちょっと母数を増やそうと見回して20人まで数えたところでようやくもう一人ヒールパンプスがいた。2/20。とても少ない。服装がわりとかっちりしたビジネスカジュアルでも足元はスニーカーでしかもちぐはぐではないという人がかなりいる。
コロナ前はもうちょっとヒールで通勤する人間がいたような気がするが、自分もすっかりフラットシューズだけになった。ヒールを履く人はわかると思うが、あれは慣れなのでしばらく履かないともうしんどい。ただの通勤で履かなくていいなら勘弁していただくと助かる。
ただ、もちろん通勤ではなく通学の学生さんもいるし、会社のデスクの下にパンプスがあり社外ミーティングなどの時は履き替えてジャケット着るという慣習もおそらくまだあると思うので、オフィス内だともうちょっとパンプス率は高いと思う。
日本人の姿勢の悪さは有名だったが、しゃきっと背筋を伸ばして大股で歩く女が増えた気がする。足元はスニーカーが多い。悪名高い背筋の曲がったへっぴり腰の日本人女性の姿勢は好きでもないヒールパンプスのせいだったんじゃないだろうか。
「女性はAED使用時の接触・露出について訴えてくるかもしれない」問題。
はっきり言ってこれまでの過激な女性たちの行いと、それが作り上げた規範が浸透した結果でしょ。
もうね、男性の中には染みついてるんよ。「うかつに、知らない女性に近寄るのは危険だ」って規範が。
#metooもそう。いつまでたっても具体的定義の定まらない「セクハラ」概念もそう。
どんどん中身が増えていく「性的被害」だの「女性差別」もそう。
SNSでは女性から暴言を投げつけて、返信帰ってきたら「女性への誹謗中傷、差別」ってことも日常茶飯事。
「ペンス・ルール」「ハラミ会」なんてのもあったけど、このAEDの件もその延長でしかない。
調子に乗りすぎたんですわ。
アンバー・ハードの件も記憶に新しいし、要は信用されてないんですわ。
この現状に対して、「なんで男はAED使わないのだ!」とか「見殺しだ!」とわめいたってしょうがない。
言い換えるなら、良心を向けるべき対象として認知されてないんだから
大体、人に何かをしてもらおうってのに、高圧的に責め立てるなんてどういうつもりなんだ?
え?すべての女性がアンバー・ハードみたいなやつじゃないって?私は何もしてないって?
嘘つけよ。今まで性犯罪者じゃない男性たちにやってきたことを思い出せよ。
女性専用車両を一度たりとも利用したことない者、賛同したことすらない者だけがモノを言い給え。
とはいえ私も鬼じゃない。どうすればいいか、その解決方法を教えよう。
簡単なことだ。頭を下げてお願いするんだよ。
「AEDが絡む救助案件では決して訴えません」と示すんだよ。もっと具体的には、女性の側から「良きサマリア人の法」制定を訴えるんだよ。
デモもやったらいい。「フラワーデモ」なんてのをずっとやったり、「コンビニ本がなくなった記念デモ」なんてのをやろうとしてた行動力があったらできるだろ。
「男性を敵視していない」「男性にも助けてほしい」ということを、行動で示すんだよ。
それができなきゃ、まぁ状況は変わらないね。
札幌地下鉄の専用席に座っていた自衛官がそれを注意してきた高校生に暴行したニュースがあったんだが
ただその前の高校生の行動は正しいと持ち上げる風潮には賛同できない
もしこれが高校生側が席を譲って欲しいとのやり取りならば
ただただ可愛そうとしか言いようがないけど、
協力依頼として指摘や注意するにしてもそれは駅員や車掌等の役割であって
気持ち的に該当しない人が座ってほしくないと
注意したくなる心意はわかるけれど
気持ち的に正しくて被害者側だからといって注意行動に正当性が生まれるわけじゃない
専用席には健常者は座ってはいけないとか存在しないルールを叫ぶ人もいるし
当方弱者男性。先日、野暮用で柄にもなく若者の街である渋谷を訪れた。
仕事は想定より早く終わったので、そこはかとない居心地の悪さから一刻も早く退避するために、さっさと駅に急ぐ。
安物の中華製bluetoothイヤホンを耳にぶっ刺して、雑踏をシャットアウトする為のエクストリーム・メタルを大音量で流す。
タイミング良く到着した電車にサッと乗り込む。目の前にあった片手で数え切れる程度の数の空席のうちの一つを選んで座る。
仕事の疲れもあり、乗り込んだ直後には気付かなかったのだが、数分も経たないうちにある違和感を覚えた。
「あれ?この車両、女性しか居なくない!?」「やべっ!女性専用車両か・・・?」内心、めちゃくちゃ焦った。
やかましいメタルが殆ど聞こえなくなるぐらいまで、イヤホンの音量を一気に下げて、落ち着く為に軽く深呼吸をする。
顔をむんずと上げて、眼球をグリグリ左右に動かして、車窓や壁にその手のステッカーが貼ってないか必死で探すが、まったく見当たらない。
両隣の女性も、向かいの女性も、自分の存在を別段気に留める様子もないが、念の為に「〇〇線 女性専用車両」と手元のスマホでググる。
「〇〇線の女性専用車両は、平日の7時〜9時半に運行中です。」現在、休日の夕方。うーわ良かった、やっぱ単なる偶然か・・・
「おい、ビビらせんなよ・・・」と、マスクの中でため息を吐きながら、周りをよく注意しながら見回すと、斜め向かいに韓国系の黒髪マッシュ?男子
(最初に一瞥した時点ではショートの女性に見えた)が座っており、更にその向こうの出入り口付近には茶髪のイケてる感じのおっさんがこちらに半分背を向けて立っていた。
要は、焦った俺が自分以外の男の乗客を見落としていただけだったのだが、それを差し引いても、自分含めた男3人以外の乗客は老いも若きも全て女性だった。
こんなことあるんやな。東京暮らしはそこそこ長いが、こんな経験は初めてだった。路線や時間帯によってはあるあるだったりするんだろうか。
とりあえず一安心すると同時に「東京にはこんなにも多くの女性が居るのに、誰一人として俺の話し相手すらしてくれんなぁ・・・」
という、我ながらメチャクチャ気持ち悪いグロテスクな思考が、仕事終わりで疲れた俺の頭の中にモクモクと充満し始めた。こらマズい。
「ま、仕事終わりの電車でこんなキモい事ウジウジ考えてる奴、そらモテるわけないわな。」と、他人事のように無理矢理自分自身を突き放した。
中絶賛成派のためにもこういうバカは黙っていた方がいいと思う。こう言う誰が悪いと言う話でもない人権の対立案件では、損害の重篤さが比較される。
この場合は胎児と母体よね。で、妊娠出産に伴う死亡率は、日本では10万人当たり3.1人、つまり0.0031%なわけ。日本の交通事故死亡率がだいたい0.0025%だから、まあ、だいたいとんとんなわけよ。自動車がこの程度の危険では廃止にならないように、この程度の損失では、女性は危険を主張できないわけ。これを受忍限度というのよね。
身体性、と言うのでも、負担は最終的には身体性に帰することが出来るので、それだけでは無効よね。女性専用車両でも、女性保護のために男性は余分に身体的なストレスを被っているわけよね。寿命が短い人たちに負担をかけて平気なわけだから、女性たちは。じゃあ、自分たちがより弱い存在に対して負担を求められることもありますわね、と言うだけの話よ。
痴漢防止のポスター貼るのひとつだって、男性たちは大反対したんじゃん?ちゃんと抵抗しない女が悪いって。抵抗した女、虐殺されて死んだじゃん?
月曜日のたわわだってハートクローゼットだって、やめてと言う女性の声を潰そうと反対勢力がゴミのようにわいてるじゃん?電車で痴漢が起こっても女性専用車両にデモする男がいるんじゃん?冤罪が怖いってキレる男がいるんじゃん?おじさんだって女が不親切だ、説教されなれてないからだ!って女が物分かり悪いからって説教しようとしてたじゃん?
プロチョイス派はまったく感情論でしか反論できておらず、「私はそれは嫌だ」としか言っていない。と言うか、そうとしか言えないことが、中絶の自由を含む女権至上主義が、根本的に人権思想と齟齬を発生させていることの現れだろう。理屈で反論できているならばしているはずだからだ。これは中絶の問題だけではなく、トランスジェンダーの問題等、女権が他者の基礎的人権を著しく毀損していることの現れであり、もはや女権の一点突破では人権侵害が許されなくなってきていることにもつながっている。
語るに落ちるとはこのことである。思想信条は個人の自由であるので動機がミソジニーであろうがミサンドリーであろうが関係のないことだ。それはどのみち当人を含めて証明可能性は無いのだ。人権思想に則って論理展開をしているのであれば、その齟齬を提出すればいいのであって、しかしフェミニズム関連ではほぼ100%毎度毎度このようなリアクションばかりである。こちらがミソジニーであろうがそちらがフェミニズムであろうが裁かれるのは行為だ、思想ではない。現に胎児を殺していることが批判されているのである。
生物種としての普通の営みである。私は出産を強制したとしても、マクロでの影響はほぼ無いと思っている。ほとんどの女性が出産していた昭和30年代40年代50年代のデータにおいても男女の寿命格差は同程度だった。出産を間に組み込んだとしても女性は死ななさすぎるのである。寿命格差の是正と言う意味では、もっと死ぬべきだろう。数年単位で寿命が短い(身体が弱い)男性に対して、最悪徴兵制およびそのバリエーションのような女性のみが受益者になる負担を押し付けることが受忍限度内であれば、胎児の生存権との比較で、出産で女性が死んでもそれは受忍限度内である。それが嫌ならば妊娠しなければいいのだ。
私は別に同罪でもいいのだが、根本的には胎児の生存権とのコンフリクトが誰との間で発生しているかの問題だ。中絶が殺人だとした場合、殺人の企画者(両親)と実行者(医師)が殺人罪になるのは当然である。問題はその企画者に男性が含まれるのかどうかである。男性の同意が必要である場合は、当然、企画者に含まれ得る。しかし多数のフェミニストが主張するように、男性の同意が必要なければ、当然、それは女性のみの責任に帰せられる。セックスは関係ない。それは2人の成人同志の合意によるものであり、社会やまして胎児には関係のないことだからである。私的契約なのだから、その範囲内であらかじめ条件や約定をつけておけばいいことであって、生物の構造上、女性が妊娠から逃げられないと言う事実それ自体は、男性には無関係である。女性が自身でそれを踏まえてうえで自己防衛するべきことであり、胎児にその負荷を負わせるべき理由は何もない。つまり中絶に関しては関係者すべてが罰せられるべきであって、男性と医師は場合によっては無関係者でいられるだけだ(非合法の飲み薬などで堕胎した場合)。ただし女性だけは逃げられない。
これは女性専用車両などでアプリオリに痴漢案件とは無関係のゲイ男性などが負担の強制からは逃げられないのと同じことで、他人様に負担を強制させておきながら、自分が選んだ結果で生じる負荷からも逃れたいと言う女たちはまさに「どの面下げて」と言う話である。