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2024-10-25

anond:20241025111346

同意

アドバイスしてるけど、結局どうすればサークル入れるの?

軽くググるジモティー、つなげーと、LaBOLAとかのサークル募集してるサイトは出てくるんだけど、こういうのって急に参加したら浮かない?大学時代に未経験スポーツサークル見学行ってめちゃくちゃ放置された苦い思い出が蘇るんだけど・・・

2024-10-24

anond:20241024122331

これ書いた増田なんですけど、山上たつひこ男性器を別のもの大根とかピストルとか)で表すってのを初めてやった人でもある(らしい)。

江戸時代春画かに前例がありそうではあるけど。

自分で書いといてなんだが、「日本漫画史上最も重要ギャグ漫画10選」というのは難しいでしょうな。

ギャグ漫画からベスト10人を選出する以前に、何をギャグ漫画というのかの定義が難しい。

私は大学時代に「ドラえもんギャグ漫画じゃない」と友達に言われたことがある(大学生の会話か)。

どうも彼の中でギャグ漫画というのは、漫☆画太朗作品や「すごいよマサルさん」のような読者を笑わすことだけに特化した漫画のことを指すようだった。

彼が間違っているともいえない。実際、なにをもってギャグ漫画とするのか、線引きはむずかしい。

Dr.スランプギャグ漫画だろうけど、じゃあ鳥山明ギャグ漫画家なのか。江口寿史はどうなの?福本伸行は?

ろくでなしブルース」も「カメレオン」も「今日から俺は!」も自分ギャグが好きなマンガとして読んでいたけど、じゃああれはギャグ漫画なのか。

よつばと!」のような日常系ギャグ漫画なのか?「彼岸島」は?「孤独のグルメ」は?

というわけで「日本漫画史上最も重要ギャグ漫画10選」というのは、どうやっても異論が出てしまう。

自信をもって10選に入ると言えるのは、山上たつひこ以外では吉田戦車ぐらいか

ちなみに一番好きなギャグ漫画家は澤井啓夫です。

2024-10-23

インスタグラムをやめた

僕はInstagramをやめた。社会人2年目の男で、高校大学時代にはInstagramが主要なSNSだった。周りでは、フォロワー数や、投稿に載せている服や小物のブランド価値いくら飲めるかを競ったような飲み会ストーリー、泊まった宿のグレードの高さ…などで、人をランク付けするような風潮があるように感じた。そして現実では、それが、まるでその人の価値を決めるかのように話されていることが嫌だった。インスタが派手だから、で始まる交友関係があるのに対して、地味なインスタで声かけがあることはない。僕自身最初は頑張って他の人のストーリーをチェックしてリアクションして、いいねして、出かけたら友達を載せて…を頑張っていたけれど、もう疲れた

インスタをはじめて、人のプライベートを追うことがどれほど時間無駄かに気付けた。

そもそも自身劣等感を持っていた上でインスタのランク付けのようなものを気にしていたわけではなく、むしろ、そうしたランク付けに夢中になっている人たちを見ると、違和感を感じることが多かった。例えば、誰かが誰かへ体も顔も加工した写真に「この人はいつもキラキラしてていいね」と言ったり、「あの人はちょっと地味だよな、フォロワーも少ないし。」と言ったり、インスタグラムを通じての評価が当たり前のようになっていたのが嫌だった。

から、「やりたくなければ辞めればいいじゃない」という声が聞こえてくる前に、私はInstagramをやめた。Instagramをやっていないという、少数派になった。

結局、僕は自分選択に後悔はしていない。SNSをめぐる環境は変わらないかもしれないが、少なくとも自分の心は軽くなった気がする。

大学時代恋愛して結婚たかった

もう恋愛セックス結婚というイベント20代前半に終わらせたかった。30代にもなってこんなことしたくねえよ

大学時代恋愛してそのまま結婚たかった

俺35だけど未だに出会いがない。童貞女性との距離の詰め方もわからない

まだ20代前半パワーで学生時代女性出会ってそのまま結婚たかった。そうしたらもう恋愛せずに済むから

もう今から恋愛して結婚までいく方法がわからない。気力もない。

本当に後悔してる。

周囲から浮いてる人の対処

特に学生時代グループ内で浮いている人がいた時に周りはどうしたらいいか教えてほしい


自分グループではないけど、大学時代に仲良い人たちのグループにそういう人が混ざってて、その人が喋るたびになんとなく盛り下がっちゃうので周りから見ててちょっとヒヤヒヤしていた

最初声かけられた時にマンガの話で盛り上がってグループにいるようになったけど、グループが固まったらその人だけ2ちゃん(当時)やらないとかで根本的に文化が違かった、みたいな


また別の話だけど、中学時代いじめられてる女の子がいて、けど席も近いし私は普通に接してたの

そしたらいきなり親友!と無理矢理腕を組まされ、逃げると学校の前の交差点で一緒に帰ろうと張っている、みたいなことをされたことがある

同じ部活にまで途中入部してきていつも一緒、仲良しグループに無理やり入ろうとしてくるからみんなゲンナリ

もちろん好きなものも全く違うので、話をしていて楽しいとかはない


それぞれアンマッチだったんだろうとは思うんだけど、学生という狭い世間ではどうするのが正解だったんだろうとたまに考える

2024-10-20

実家から近い地方大学に進学してしまたことの後悔に苦しんでる

今29なんだけど、実家から近い地方大学に進学してしまたことの後悔で死にたくなってる。学力的には関東圏の国公立にも行けたんだが、親から仕送り学費支援一切しないよと言われ、ビビって実家から通える大学にしてしまった。

何を後悔しているかというと、まず大学の規模が小さいので、入りたいと思えるサークルが無かった。適当運動サークル入ったけど、別に大して好きでも得意でもなく、活動も活発では無かったので、すぐに行かなくなってしまった。大学の立地的にも、近場にも殆ど飲食店レジャー施設がなく、かなりつまらない立地だった。(大学から徒歩圏内飲食店が2軒あるだけだった。)そして、実家から通っていたので、精神的な開放感が全くなかった。何をするにも親の目が気になり、親にいっちょ前に色気づいてると思われるのも恥ずかしくて、髪を染めることすら出来なかった。

いま大学生活景色を思い出すと、灰色で思い出されるくらい、虚無で寂しい生活だった気がする。写真フォルダを見返してみると、大学時代に撮った記念写真、院までの6年間で20枚も無かった。とにかく家と学校の往復で、毎日5限が終わるのを待っていた感じ。

自分能力性格問題も大いにあると思う。というか、自分自身の能力の低さが殆どなのかもしれない。別に自分が器用で愉快な人間だったら、どんな環境だろうと楽しめたんだろうと思う。

でも、不器用不愉快自分でも、都会の大学に進学して一人暮らししていたら、好きなサークルで仲間と忘れられない青春を送って、思い出すと恥ずかしくなるような青い恋愛もして、大学終わりに近場の居酒屋で飲んで、そのまま家で朝までゲームして、社会人になった今でも定期的に集まったりして…

そんなあり得たかもしれない別の人生を思うと辛くてしょうがない。

いい年していつまで青春コンプレックス抱えてるんだよって、自分でも思うけど、この後悔が死ぬまで続いて、どうあがいても挽回不能だと思うと、人生リセットボタン押したくて仕方がない。

ほんと人生って難しいし怖い。

その時は一生懸命生きてても、そもそも選択肢を誤っていたら、その後悔が一生つきまとってしまう。

2024-10-18

anond:20241017235116

ハトよめ次点か〜〜〜〜

なしてさ!(キュッ)

大学時代に男女問わず大笑いしてみんなから引っ張りだこになってた作品だったから残念

(みんな=ブルーピリオド作者のOB

「バカ」と「アホ」の面接の回とか謎に深くてちょう好き

一夫一妻の悲哀

大学時代の同期に、「なぜ人は同時に2人以上のパートナーを持ってはいけないのか」について真剣に悩んでいる同期がいた。美女だった。

こんな美女なら確かにそんな悩みを抱いても仕方ないと思いつつ、内心私は引き気味だった。

ところが今、私も同じ気持ちになっている。

適齢期になった私は、婚活パーティーに出ていい感じの異性とLINEを交換した。今3人と続いている。3人とも二十代半ばの素敵な相手だ。それぞれにいいところがあって選びきれない。

誰かを選べば誰かを切り捨てることになる。相手は悪くないのに、自分が一人しか選ぶことができないからだ。それは同時に相手を深く傷つけることにも繋がるだろう。事実、3人とも私と知り合ってから婚活相手探しを一時休止したり、以前よりペースを落としたりしているようだ。私といい感じだから付き合えると見ているのだと思う。私だって全員と付き合いたい。しかしそれは倫理に反するのだ。

冒頭の同期の言葉真意がようやく分かった。当時はモテる女の奇妙な言動だと思っていたけれど、あれは彼女なりの優しさと葛藤の表れだったのだ。今更になって気付くとは。もう遅いが、彼女と友人になりたいとさえ思う。

どうして沢山の相手パートナーにしてはいけないのか。女性特に一人の相手しか選べないのか。世に素敵な異性はたくさんいて、その全員を好きになったとしても。心がバラバラに引き裂かれそうな辛さを味わっている。

2024-10-16

私は友達にとって「友達」でしかない

幼稚園時代からの付き合いの友達がいる。

彼女とは幼稚園から中学校も一緒で、高校は別の学校だったが、大学でまた同じ学校に通うことになった。

高校時代特に受験シーズンになってからは忙しくあまり連絡を取っていなかったのでお互いの志望校すら知らなかったが、受験会場でたまたま出会った時は本当にびっくりした。

他にも受ける大学が被っていたので試験会場まで一緒に行ったら受験番号が前後だったこともあった。

大学時代学科は違ったものの、同じ授業を取ったり空きコマを一緒にして遊びに行ったりもした。

授業が厳しくお互い留年と隣り合わせな危機もあったけど、何とか乗り越えて無事に卒業出来たのは彼女がいたからだと思う。戦友のようだった。

社会人になって私が一人暮らしを始めると、彼女はその3年後に私の隣駅で一人暮らしを始めた。

「私が近くにいるから」という理由でその周辺で家を探したいと話してくれた時、私はとても嬉しかった。

でも家が近いからといって頻繁に会うわけでもなく、それはそれで私たちらしい距離感でいる。

私は彼女のことを自分の一番の理解者だと思っているし、彼女からも昔同じようなことを言われたことがある。

でも私は彼女にとって「友達」の役割しかできない。


私達は歳を重ねていって、周りは結婚したり、子供を産んでいたりもする。

お互いに彼氏が出来たり別れたりで、将来を見据えた付き合いをするような相手はなかなかできない。

私はそれでも良かった。結婚願望も子供が欲しい気持ちもないから。

でも彼女はきっとそうじゃない。

彼女恋愛相談を聞いていると、「あなたのこと大切にしねえ男なら必要なし!!!!!!何なら私の方があなた幸せにできる自信が大いにある!!!!」と思うことがある。

恋愛で上手くいかず心に傷を負い、自己肯定感がどんどん下がっていく彼女そばで見ているのはとても辛い気持ちになった。

「もう良いじゃん、もしこのまま良い人が現れなかったらマンションでも買って一緒に住まない?」

こんな冗談を言いたかったけど、私は言えなかった。

何故なら彼女はきっと、それを望んでいないから。

彼女が求めているのは、やっぱり自分幸せにしてくれる「異性」なんだと思う。

自分のことを好きだと言ってくれる人がいればいい。こちらが相手に求める条件とか言ってられない」ということをポロッと口にしたことがあった。

そんな自分に自信がないような発言すんな!!と思いつつ、それでも、傷ついて「私が相手に条件を求めるなんて烏滸がましいのかもしれない」という気持ちにまでなっていても、彼女の心の隙間を埋められるのは「異性の誰か」なんだと思う。

私は彼女に対して恋愛感情があるわけではない。

だけど、私が埋められる隙間はないのかもしれないと思うと、やっぱりどこか寂しい気持ちになる。

私は彼女友達だけど、それ以上でもそれ以下でもない。


私が直接彼女幸せにしたかった。

2024-10-15

anond:20241015190913

自分の家庭の未来を見ているようだ。我が家も負けていないぞー。

俺も妻もある程度実家が裕福かつ過保護に育てられた。また、自身がそれなりの学歴収入のある共働き世帯

大学時代にお互い一人暮らしをしてお互いにゴミ屋敷を作ってしまった経験がある。

そこからの親の対応が異なっていて、妻の方は母親実家と行ったり来たりする生活をすることで定期的にゴミ屋敷を片付け、問題解決したんだよね。

その結果、妻は家事を覚えるチャンスと意欲を逃し、俺は数年ゴミ屋敷に住みながら、もがきながら少しずつ家事を学び、大学院での引越しを気に片付けや掃除の習慣を確立した。

その結果、今は料理洗濯掃除、洗い物、ゴミ捨て、風呂掃除、洗車(妻の車も)といった代表的家事はもちろん、ゴミ箱への袋のセット、郵便物郵便受けから取る、宅急便ダンボールを開けて中身を整理、とかいった地味で名前のない家事、数ヶ月に一回レベルレア家事、などなども含めて基本的100%俺が家事負担している。

何なら食べたあとのお菓子の袋とかをゴミ箱に入れる習慣や、脱いだ服をカゴに入れる習慣もないので、俺が拾っている。

妻は自分能力に揺るぎない自信を待っているし、仕事に誇りを持ってる。それだけの仕事をしているか家事に回す体力や気力が残っていないとよく言う。

でも本当に仕事のできる賢くて聡明な人って妻みたいな生活スタイルでは無いと思うんだよなあ。

途中交渉して家に入れるお金を妻の方が1万多くすることでとりあえず無理矢理自分を納得させたけど、本当は家事20%くらいで良いから妻にも分担して欲しいんだよね。そのためなら俺が家に入れる額を倍にしてもいい。

今は子どもがいないけど、とっくに欠点可愛いと思える段階は過ぎているし、本格的に不満だ。

2024-10-12

大学生パチンコパチスロをやるな

大学時代パチンコパチスロで作った借金さっき返済し終わったから書く。書き殴りの駄文からそこはすまん

大学時代パチンコパチスロにハマった

元々チー牛趣味なので好きなアニメの台を打ちに行ったのが始まりだった。

ビギナーズラックってほんとにあるんだなと今になれば思うけど、1000円が1万円になった。

そっからは転がるように転落。

気がつけばサンドに万札突っ込むのは躊躇わないのに晩飯に500円出すのを渋るようになった。

バイトと親の仕送りでどうにかギリギリ…って時に新台10万負けた。

5万以上入れてからは正直記憶がないし、単発で10万入れて1000円ちょっと返してもらうという馬鹿時間を過ごした。

最近は決済アプリで金借りが出来たりする。学生扶養ギリギリまでバイトしてたから30万まで借りれた。消費者金融避けて実態消費者金融のとこで借りてるんだから笑えるよな

人は借金すると限度額まで借りるって聞いてて、正直そんな人を馬鹿にしてました

簡単に30万限度額まで借りてました。ほんとに怖い。

俺は依存症じゃないし笑とか思ってたけど、講義サボって打ちに行ったり、大学研究すらやらない時期もあった

手元に5000円しかない時に1パチで増やそうともした。

親に嘘ついて金もらって打ったこともあったな。いまだに言えないけど、早いとこ親孝行でなんかして気持ちだけでも返したい。

せいぜい30万の借金で〜〜って思われるかもだけど、誰にも言えない恥ずかしい借金って情けなくなるしほんと恥ずかしいよ。辛いよ。しんどい

パチンコパチスロ打つ友達との会話とか並び打ちとか確かに楽しいけど、絶対他のことした方がいいぞ。

レア確率とかモード推測できて何になる?パチ屋以外でなんか役に立った?

パチスロとか演者かになるならともかく、その時間バイトしたほうが期待値高くない??

ぶっちゃけたまたまスロで勝ちまくって奇跡的に返済できた依存症脱出出来てない新卒だけど、まず学生パチ屋入るな。近づかな。

入ってもいいけど毎日行くのやめろ、途中で金下ろすのもやめろ。天井狙いする立ち回りならそもそも打たねえ方がマシな場合多いぞ。

つんなら財布の中身の軍資金でやりくりしろ

生活を削るな

俺も依存から脱出できてない自覚ある。

今も打ちたい台とかあるし、SNSで流れてくる勝ち報告見ると明日行くかーとも思うよ

でもあんなの一握りだぞ

おんなじ日に何万人とやってたまたま上澄み引けた人が自慢してるだけだぞ。お前がそうなれる自信はどっから来てんの?

遠隔とか店長スイッチとか信じてないけど、賭け事は基本胴元が勝つように出来てるんだから辞めとけ

サンドに突っ込む1万を口座に叩き込んだ方がマシじゃないか

社会人になって自分で稼いで突っ込んでるならともかく、親に何か施されてる間は賭け事なんてしない方がいい

俺みたいになるな

俺も最初3万とか借りて限度額まで借りたんだぞ

親に言えねえ金の使い方はするな

これ読んだ賭け事やってる学生が少しでもマシな道を歩めるように祈ってる

日本児童ポルノ垂れ流しが性犯罪者を生んでいる

以前四谷大塚児童多数の下半身などを盗撮し、住所氏名学校など個人情報と共にロリコン仲間十五人に共有し、、待ち伏せ輪姦等の性犯罪計画で盛り上がっていた塾講師の森崇翔は、大学時代には小学生の教え子を性奴隷にする小説執筆し、ドラえもんのしずかちゃん入浴シーンを無くさないで大事にしていこうと署名活動をして、ツイッターではおぎの稔、くりした善行初音ミク結婚したひと等にフォローされているアンフェ表現の自由戦士だった。

2024-10-11

ぬるま湯アカデミアとJTCを駆逐したい

最近Twitter(X)で「アカデミアはぬるま湯だ」と嘆くツイートを目にして、思わず共感してしまった。ああ、私だけじゃないんだな、こう思っているのは、と少し心が軽くなった。

正直に言うと、私はアカデミアが苦手だ。「頑張る」のハードルが驚くほど低く、しか特権意識だけは人一倍強い。生産性を感じない人が多い。

大学時代から私は研究が好きで、文系分野でトップを目指して走り続けた。修士課程の頃には実績の数も抜きん出ていて、周囲から「優秀な若手研究者」として評価されていたし、私自身も博士課程に進んでからもこのままトップを走り続けるのだろうと、漠然と信じていた。

博士に進んでからは、視野を広げるために積極的に他分野の講義民間企業インターンに参加し始めた。就活はしない予定だったが、アカデミアでのポジション確立されたら外の世界を知る機会はもうないだろうと思い、社会勉強のつもりで足を踏み入れてみた。

そこで私の人生は一変した。

まず最初に、インターンでは今まで出会たことのないような優秀な学生出会えた。全国から集められた優秀な学生たちはキラキラとやる気に満ち溢れていて、ストイック能力が高かった。今までアカデミアで出会たことがないタイプの人たちだった。彼らと出会って、外の世界にはこんなに優秀な人たちがいるのかと驚いた。

私はアカデミアにいる人が好きじゃなかった。なんだかじめじめしていて、ガッツが足りず、本気を感じない。コミュニケーションもどこかおかしいし、全体的にバランスいびつで、言葉は悪いけど「社会不適合者」が多い印象だった。

インターン出会った人たちは爽やかで元気よく、アベレージの高い人々だった。頭も切れて体力もあり、歯を食いしばってでも努力して大きなことを実現してくれそうな雰囲気だった。

できない理由を並べ立ててはすぐばてる、「精一杯頑張っている」と言いながらそのハードルが低いアカデミアの人たちとは全く違った。

私はこのインターンを通して、外の世界の魅力に気づいてしまった。

他分野の講義では文系学問の舐めっぷりを実感することになった。理系講義では内容が濃いのはもちろん、毎回の課題の多さと試験がしっかり行われている点に驚きがあった。

私のいる文系分野では毎週の課題基本的になく、期末に既成事実作り程度の2000字のレポートが1つ出るくらいだった。まさか「しっかり勉強している学部」では1回の講義で3000字のレポートが出たり、期末が試験プレゼンレポートの3つでセットだったりするとは思わなかった。

理系と比べて文系は本当に「何もしていない」に等しいなと痛感した。大学時代でかなり差が開いているだろうなと思った。もちろん、他の文系学部ではしっかり勉強しているところもあるのだろうが、私のいた学部はゆるかった。

他分野の講義を受け始めた当初は、あまり実学っぷりに、世の中にはこれほど社会に役立つ学問があるのか…と驚いたりしたものだが、そのうち理系にも世の中の役に立っていない(と言われそうな)分野はあるのだなと気づきはじめた。今まで文系ばかりが「役に立たない」と批判されがちだが、理系にも似たような問題を抱えている分野があるのだと知った。「文系理系わず、役に立たない学問はある」と結論付けた。

このように過ごしていると、今まで身を置いてきたアカデミアがだんだん矮小に見えてきた。

本気をやっていないな、と思うようになった。

表向きは研究価値を声高に主張するものの、実際にその価値説明する能力に欠けているところ。「学問価値自明のものだ、蒙昧め」と言わんばかりの閉鎖的な特権意識。外の世界説明責任を感じておらず、接点を持とうとしないところ。

もっとアカデミアは外の世界に開かれるべきだし、適切な評価基準に基づいて判断されるべきだと思う。しかし、現実はそうならないだろう。これ以上頑張りたくないだろうから自分たち権利を守るために、自分たちが頑張らなくて良いように抵抗するんだろうな。

外の世界では、世の中を実際に良くするために歯を食いしばってでも本気をやっている人がいるのに。

最終的に私は、アカデミアの甘さが嫌になり、博士課程まで進んだにもかかわらず民間就職することに決めた。しかし後悔はない。外の世界の方が、優秀な人はたくさんいるって分かったから。

民間就活ではJTCにも嫌気がさした。

社員たちは平々凡々で自立心がなく、組織従順自分から何もしない。それでも特権意識だけはある。一体今まで何を成し遂げてきたんだろう、と疑問に思うようなふわふわした話し方と、しまりのない表情の社員が多かった。私は自立して明確な成果を出しながら走りたいと思った。

結局、私に初めて衝撃を与えたインターンから内定をもらった。そこは世界舞台に、本当に優秀な人たちと働ける環境だった。

出会った社員たちは全員がストイックで、甘えがなくて、数多くの修羅場をくぐり抜けたかのような覚悟と本気を感じさせる人たちだった。この場所なら、ベストを尽くしてもっと強くなれると思った。そして世の中のために実際に役に立てるような気もした。

研究とは離れてしまう。これから人生どうしようかな。

私は今まで研究に本気だったから、何をしていこうかまだ分からない。

本当のことをいうと、アカデミアがもっと優秀な人たちがいる環境だったら、残りたかったな。研究自体は好きだったから。

アカデミアに優秀な人間が集まるようには、私の仕事ではできないだろうから、せめて外の世界アカデミアがもっと開かれるように、そして甘えた人々が引き締まるような働きかけをしていこうかな。それに加えて、JTCの社員たちにももっとシャキッとするように変革を起こせたらな。こういう仕事ならきっとできると思う。

でもこれって、闇落ちだよねと思う。アカデミアやJTCを許せないというネガティブ感情で動くのだから社会のためにも私のためにもならないな。

これから私、どうやって生きていったら良いんだろう。

柔道選手の回想を聞いてほしい 1


増田の人に聞いてほしいことがある。昔の記憶だ。

子どもの頃から俺はおかしかった。別に、変な子どもとか言われたことはない。むしろ褒められることの方が多かった。学校の成績はイマイチだったが、運動芸術の成績はよかった。

自己紹介必要最小限にしたい。今は四年制大学スポーツを教えてる。幼少期から柔道をやっていた。中学校全国大会で結果を出して、スポーツの名門高に進学して、同じく名門大学に進学して、卒業後はパチンコ機器メーカー入社(スポンサー契約)してプロになった。

柔道プロ制度はない。あくまで「それ」で食ってるという意味

それが、もう20年以上前だ。人生はあっという間である

回想を始めたい。パチンコメーカーの次の転職先を主題に据えて話をする。

新卒入社した、そのパチンコメーカーとの契約期間は3年だった。最終年度になると、次の道を考えないといけない。一応、次期も残れるだけの実績は出したものの、新しい、次のステージに挑戦しようと考えていた。柔道は、野球サッカーに比べると現役でいられる時間が少ない。体をたくさん動かす分、選手生命が短いのだ……。

当時は、全日本の強化選手(A指定)だった。合宿にはフルで参加していて、オリンピックに出場する連中とも交遊があった。あの頃は、井上康生全日本主将を務めていた。彼が不在の時は俺が副として動くこともあった。ウザいかもしれんが、ちょっとくらい自慢させてくれよ。こういう場で文章を書く機会は滅多にないんだから

※ところで、この日記はとても長い。ゆっくりまれることを推奨する。

次のステージについて悩んだ結果、選んだのは……学校先生だった。大学時代に保健体育教諭の免状を取っていた。いざという時に潰しが効くようにと、大学時代のコーチが勧めてくれた。今でも感謝してる。

どこの学校にしようか思案したところ、やはり地元がいいと思った。出身高校柔道部の監督相談したところ、広島県の東の端っこにある高等学校指導者を探しているということだった。

さっそく面談アポを取り付けてくれて、その高校の現監督と面会すると、すごく驚いてた。まさか強化選手高校教師転向するなんて思ってもみなかったんだろう。

トントン拍子に話は進んで、その翌年度から、俺はその高校の保健体育の教諭(兼柔道顧問)として赴任することになった。

指導者としてのミッションは『古豪復活』だった。その高等学校は、昭和40年代まではすべての体育会部活インターハイ活躍していた。

だが、『何か』があって進学校路線へと方針転換し、スポーツ推薦枠を徐々に減らしていったところ……平成に入る頃には、ほぼすべての部活が市内大会ですら勝てない状況になっていた。それでいて、進学校路線にも失敗していた(学内の最優秀者の進学先が広島大~関関同立くらい)。

そんな状況で、柔道部を立て直すのが俺に課せられたミッションだった。正直難しいと思われたが、チャレンジする価値はあると思っていた。



とまあ、そんな経過で柔道顧問としてキャリアスタートを切ったものの、部内はひどい状況だった。柔道部も地区大会まりとは聞いていたが、冗談抜きでレベルが低かった。心・技・体以前の問題である

部員の多くが高校から柔道を始めていたし、運動センスが抜群の子はいなかった。そして、柔道の何を教えても、どれだけ丁寧に教えてもダメだった。心構えは、まあいいよ。徐々にハートを鍛えていけばいい。ただまず、基礎体力の時点で問題があった。

例として、ベンチプレスだと80kgを上げられる子が1人しかいなかった(それは乳首が大きい子で、皆からあだ名苗字2字分+チクビだった。当時は高二)。ほかの子は概ね40~60kgといったところか。マトモな高校選手であれば、体重70kgくらいの子でも……ベンチ100kgは難しくとも、訓練すれば半年以内に達成できる。

800m走にしてもそうだ。なんと、150秒を切れる子が1人もいなかった。ゼロである(参考までに、当時26だった俺の記録がほぼ130秒。高校の頃は118秒がベスト)。

こんな状況で、この部員達約15名(+女子マネ3人)を、最低でも中国大会まで導かねばならないという……正直、難しかった。柔道プロとして言わせてもらうと、不可能に近い。

難しいのはそれだけじゃない。どれだけ心構えを説いても伝わらなかった。なんというか、やる気とかいレベル以前に、人としての器量というか……そういうのが圧倒的に足りてない。

困難な物事でも、ひとまず取り組んでみるとか、目標達成のために努力を積み重ねるとか、そういう志をもって挑んだ経験がないのでは? と感じるような子ばかりだった。

柔道の子だけじゃない。学校全体でそうだった。本校は、「中高一貫教育により、6年間を通して自ら考え、自ら動き、目標へと達するだけの力を陶冶できる人間を育てる――」と入学パンフレットで謳っていた。そんな生徒は皆無だった。惜しい子はいたのだが。

校則は厳しかった気がする。月イチの全校集会の後、生徒らが体育館前でクラス単位で並ばされて、髪型制服など、生徒指導担当教師陣が細かいチェックを行う。俺の出身校も、服装マナーは厳しい方だったが、ここまでではなかった。

こちらの高等学校偏差値は、40~45くらいだった。そこまで高い方ではないが、かくいう俺も、中学高校テストは平均50点未満しか取れなかった。里香なんかは14点だったこともある。国語濃緑濃緑すら怪しかった……。

柔道青春を捧げていた。それ以外はどうでもよかった。勉強の成績は最低だったけど、高校大学も、ほかのスポーツ特待生と一緒に先生方の温情で卒業させてもらった。

でも、確かにバカだったけどさ。当時、柔道関係書籍は年に五冊以上は読んでたし、毎月発行の『近代柔道だって、全ページの隅々まで目を通してた。

何が言いたいかというと、向上心である。たとえ下手くそでも、誰かに馬鹿にされようと、負けまくったとしても、そんなの関係ない。もっと上に行きたい、勝ちたいという気持ち向上心がない若者未来なんてあるか。

俺は油断していた。百年以上もの伝統がある高等学校だったら、多くの生徒はきっとポテンシャルがあるに違いないと高を括っていた。見通しが甘かった。

それでも一生懸命に教え続けた。暖簾に腕押しだったけど。指導を続けたのだ。怒りを我慢する場面は多くあった。指導者として悔しい思いもした。

当然、結果は出せなかった。他校との合同練習も、ローカル大会公式大会の結果も散々だった。おおよそ、彼ら柔道部員はこんな調子だった。

試合の度に勝敗分析シートを作るよう求めたが、半数は作らない

・提出があっても、ほとんどが小学生中学レベル

・合同練習では中学生に普通に負ける

公式大会直前の練習に来るのは部員の6割

テスト間中柔道場に基礎トレに来るのは1人だけ

 ※ベンチプレス80kgのチクビの子最後設備の測定限界の160kgまでいった。

  彼は柔道ではなくウェイトリフティングの道を歩むべきだった。

俺のストレス有頂天だった。我慢できないところまで来ていた。

なぜ、こいつらはやる気がないのだろうか。成績がいいとか、地頭があるとか、機転が利くとか、そういう能力の話ではなくて――"生きる力"とでも言えばいいのか。そういうのがなかった。



ストレスを抱えていた折、ついにやってしまった。あれは秋頃だったか。県大会があったのだ。高三が引退した後、最初にある十一月の新人大会だった。

大会は二日間あって、初日団体戦予選だったと記憶している。当校の成績はひどいものだった。リーグ戦があって、出場校が4校ずつに分かれて戦うのだが、普通に全敗だった。最初に戦った学校は、数年に一度は全国優勝者を出すほどのレベルだった。全員もれなく数十秒以内に瞬殺された。

チクビの子は、四十秒くらいは戦えていた。対戦相手は、彼と同じ高校二年生で、81kg級のスラッとした体形の選手だった。俺の記憶だと、ケンカ四つでガッチリと組み合った後、チクビの子バタバタ大内刈りをしかけた。全く効いてなかった。

その直後だった、内股で吹っ飛ばされていた。相手の右脚が彼の股下に入ったのを捉えた次の瞬間、その肉体が空中二回転半して畳にめり込んだ。

かに戦った2校も、全国レベルに準ずるところだった。そのうち1校は、毎年安定して県内ベスト4に入る伝統校だった。もうひとつは、偏差値70の私立高校で、全国有数の進学校である。なんと、この学校は週に2回しか柔道練習をしないらしい。それでいて、団体戦個人戦も、毎年ほぼ県内ベスト8に入る成績だった。

この2校には、当然コテンパンにやられた!……いいところがほとんどなかった。三部トーナメント行き確定である。一日目の全試合が終わった後、怒りの気持ち我慢しつつ部員全員に静かな檄を飛ばした。惨めな気分だった。

成果があったといえば、上のチクビの子(T君)が1回だけ勝った。体重相手の方が重かった(T君は当時85kg、相手は100kg級)。人生で初めての指導者としての喜びだった。

彼は寝技が得意だった――厳密には、運動神経が絶望的だったので寝技しか残ってなかった。寝技には運動神経は関係ない。ほぼ努力で上手になる道ができる。相手と密着している分、計算がしやすいのだ。立ち技だと、コンマ数秒の遅れで技の威力に変化が生じる。

毎日練習では、何度も何度も得意のパターンを繰り返した。俺が何回抑え込んでも、関節を極めても、締め技をかけても、決して諦めなかった。送り襟締めや袖車締めで落とした(※頸動脈の圧迫で意識がなくなる)回数は50回を超えている。

夏場にあった合同合宿だと、T君が他校の選手寝技で抑え込まれている時、竹刀背中や太腿を何十発もぶん殴ったっけ……「どうしてそこで力を抜くんやっ!?」と何度も指導した。

T君はそれに応えた。土中から這い出たばかりのカブトムシとか、成虫になろうとして藻掻いているハナムグリ芋虫みたいだった。精いっぱい、本気で動き回っていた。とにかく、妥協だけは絶対しないように教えた。

振り返ってみると、彼に柔道を教えていた期間は一年半もないんだな。たったそれだけである。ヤツは諦めなかった。妥協することはあったけど、俺の指導最後までついてきた。

そりゃあ、T君が情けない試合をした後だと、ブン殴ったことが何度もあったよ。鈍くさいし、柔道はボテボテしてるし、平々凡々の才能だった。でも、あいつはスゴイ奴だったよ。柔道を選んでなければ、別の道でインターハイに出ていたかもしれない。



さて。県大会一日目が終わって、部員一同は広島市にある古びたホステル宿泊することになっていた。ただ、女子マネ×3と引率教師である俺は別のホテルになった。

一応は、監督意見だった。この3人は一年生で、最初の泊まりなので配慮必要ということだった。最初宿泊が、あの年季が入ったボロホステルというのは、確かに……と俺も感じた。

女子マネ3人のうち、2人は双子だった。二卵性だから顔はそこまで似てない。お医者さんのご子息と聞いていた。このうち妹の方(マネ子とする)は、相当マジメな子だった。よく気が利くし、頭の回転が早いし、学業成績は最優秀である学内では清楚キャラで通っていた。実際、練習前には必ずお茶くみをしてくれる。

ほかの2人にしても、こんな弱小柔道部のマネージャーを半年も続けてる時点でひた向きだと思う。普通だったら辞めてるよ。半年間でほとんど勝ててないんだから。県大会個人戦だって、誰一人として出場できなかった。

責任を感じていた。柔道部が結果を出せない原因は俺にだってある。それが申し訳なかった。それで、姉妹のうち妹の方だけ、俺の宿泊部屋に呼んで話をすることにした。

この不甲斐ない状況について話を聞いてみると、彼女も思うことがあるようだった。会話をしたのは数十分である

マネ子の意見

・たしか柔道部は勝ててない

・でも私たちが選んだ道だから。途中でやめない

・新入生への部活説明の時に、柔道部が一番楽しそうだった

私たちサポートできるところはぜんぶやりたい

先生が話を聞いてくれてうれしかった

マネ子は、半分涙を流していた。こんな子がマネージャーで本当によかった。

ところで、俺がいた高校柔道部は、全国でも上から数えた方が早かった。いわゆるガチのところである女子マネージャーなど存在しようがない。いや、男子校から本当に存在しようがないのだが。

気が付くと、マネ子の髪を撫でていた。それから何を思ったのだろうか、そのままグイっと彼女の頭を、俺の肩のあたりまで引き寄せた。変な雰囲気になってた。マネ子は無抵抗だった。左手で胸のところまで引き寄せると、暖かい感触があった。

の子の顎を右手の指先で持ち上げるようにして、キスをした。抵抗はなかった。ベッドの上に押し倒して、後は流れだった。体のいろんなところをキスしながら触っていったけど、本当に無抵抗だった。たまに、俺の肩を猫の手でちょんと押すくらいだった。そのままずっと、ペッティングみたいなことを続けた。

このくらいの年齢の子って、あんまり柔らかくはない。女の子はやわらかい、といった世間イメージは正しくはない。柔らかいのは大人の女性である未成年はそこまで柔らかくはない。

などと思いながら、ちょっとずつ服を脱がしていった。その時のマネ子は、体操服のような簡素恰好だったのを覚えている。すぐに脱げた。

胸は大きくない。でもきれいな形だと思った。お互い、完全に裸になる前に明かりを消した。それから、肢体のいろんなところに触れたり、舐めあったり、くすぐったりした。マネ子は、俺に合わせて動くこともあったし、微動だにしない時もあった。全体的に反応は微かだった。

ひどいことをしている認識はあったが、それでもセックスの相性はよかったと思う。彼女は、最初の方は緊張してたけど、少しずつほぐれてきて、会話をしても大丈夫になった。お互いに唇をすぐ近くまでもってきて、囁くように会話をした。

マネ子は気分が乗ってきたみたいで、行為最中にいろんなことを言ったり、いろんな体位をやってくれた。最後の方はイチャイチャとしていた。会話を思い出してみる。

「ねえ。せんせー。ゴム、まだ持ってます?」

「持ってる。財布の中」

「なんで持ってるんですか笑 彼女さんいるんですか?」

「いないよ」

「えー、だってH慣れてるじゃん」

「慣れてないよ。下手くそだろ」

「……ほんとですか?」

「うん、本当」

うそだー」

「本当だよ」

マネ子にまたキスをすると、態勢を変えて、ベッドの中で真上に乗っかった。

顔を近づけて、両手でマネ子の頬に軽く触れて、しばらくずっと舌を絡め続けていた。舌を抜いた時、彼女がまっすぐ延ばした舌先で唾液がうねるみたいに躍動した。それからマネ子にまっすぐに乗っかって行為をした。俺はマネ子を知ったのだ。

行為が終わると、この子は暗闇の中で俺の眼をずっと見つめていた。俺はそのままベッドを出て、もう一度、財布のところまで歩いていった……。



次の日の朝、初めてあの子を見たのはホテルの朝食をとるスペースだった。ビジネスホテルよりは少し立派なバイキング方式だったっけ。

マネ子は、別に何でもないって顔をしてた。当時の俺は若かった。罪悪感はそこまでなかった。マネ子は本当に普通の様子で、俺や、マネ子の姉とも普通に会話をしてた。

の子たちとの朝飯を済ませてから、サッとチェックアウトをして、みんなを(広島市内の実家から借りてきた)自家用車に載せて会場に向かった記憶がある。

大会二日目は、これまでの中で最大の成果だった。リーグ戦で全敗した関係で、三部トーナメント行きになったのだが、なんと……ここで優勝してしまったのだ!! 嘘ではない、事実だ。ノーシードからきっちり4回勝って、優勝トロフィーを手にした。

T君が活躍したのもあるが、ほかの選手も本気で頑張っていた。あれだけ練習したというのに、リーグ戦での完全敗北が響いたのだろう。心に火がついたといっていい。三部トーナメントの出場校について、選手の半分ほどが白帯だったのもある。

柔道場合、一試合時間野球サッカーといった団体スポーツに比べて短い。試合必要なスペースも100㎡以下である。このように、各校の試合回数をできるだけ多くする配慮ができるのである

ここでいったん切る。

次です

https://anond.hatelabo.jp/20241011192838

大学時代ATMの仕組みを知らないのかお金に困っている学生お金を渡していた子がネット記事になってた。

ATMにほしい金額を入れるとお金が出てくるんだよ〜とか言ってたけど、今はホームレス用の炊き出しをしてるらしい。

いいよな、金持ちは余裕があって。

2024-10-10

小説 階伯(かいはく)をAI生成してみた。朝鮮半島南部日本固有の領土

もう10年近く前になるでしょうか。テレビ善徳女王や階伯(ケベク)を見ていました。そこで気付いたのですが、全く史実考慮せず、ドラマを作っているところです。

両方のドラマに、階伯(ケベク)も金庾信も出てきますが、全く別人のような扱いです。それは当たり前で、記録が残っていないからです。階伯など日本書紀しか残っていないに等しいです。

また、花郎世紀という偽書可能性の高いものからドラマを作っているということも知りました。こんなことができるのなら、東日流外三郡誌大河ドラマができてしまます韓国ドラマのすごいところです。

そこで、なぜ日本では、善徳女王や階伯(ケベク)のようなドラマができないのかと考えました。まあたぶん、歴史ドラマは大きく史実から外れられないとか、「自虐史観」があるのかなと。

紫式部なら創作もある程度許されるんでしょうかね。しかし、日本ドラマでは時代考証をある程度以上はやってます。階伯(ケベク)のように火薬が爆発したりしない。7世紀火薬があるのか?。

ダムの乱を起こしたピダム善徳女王が恋仲になるなんてシナリオが許されるのなら、階伯(かいはく)と金庾信が幼馴染でも問題ないですよね?w だって、記録無いし。

イスラエルユダヤの地だったら、朝鮮半島南部倭人の地のはずw。

生成にはGPT-4oを使用しましたが、下記の文章見出しを少し直し、はてな表記にしただけで、生成文そのままです。アメリカ等の歴史教科書では、朝鮮半島南部倭人が住んでいたということを認めているので、すんなり生成されたのだと考えています。本当は、倭人とういう朝鮮半島南部から九州北部あたりに分布している海洋民族がいただけなんじゃないかと思います。そして、その人らが大和政権に取り入れられ、日本という国が成立したんじゃないでしょうか。

ということで、日本側の見解としての階伯(かいはく)と金庾信の話を作ってみました。以下に本編です。

小説 階伯(かいはく)

現代日本東京 宮内庁

東京の秋の夜、薄い雲が月明かりをぼやかし、冷たい風が皇居の周囲を包んでいた。歴史学者、宮内敬一は、しなやかな動きで宮内庁の厳重な警備をかいくぐり、特定建物へと静かに忍び込んだ。彼の胸中には、ある確信があった――かつて日本に伝来し、その後散逸したとされる「百済本紀」が、ここに隠されているはずだ、と。

数年前、宮内韓国古書店で、偶然ある巻物の切れ端を目にしていた。その破片には「百済本紀」の名がかすかに読み取れ、彼の興味を大いにかき立てた。百済王国歴史を記したこ書物は、日本朝鮮半島との関係を解明する鍵となりうる、極めて貴重な歴史資料であるしかし、日本の記録にはどこにもその存在は記されていない。宮内は、この謎を解くべく独自調査を進め、ついにたどり着いたのが、ここ宮内庁だった。

彼の手元には、長年の研究から得た宮内庁内部の古文書倉庫レイアウトが詳細に記されているメモがあった。限られた時間の中で、どの棚にどの文書が保管されているのか、緻密に計算されていた。

暗い廊下を抜け、幾重にも鍵がかけられた古文書倉庫の扉の前にたどり着く。宮内は冷静に暗号を解き、精密な動作で鍵を解除した。倉庫の中はひんやりとした空気が漂い、古びた紙の匂いわずかに鼻をくすぐる。長い棚が並び、そこには時代ごとに整理された膨大な古文書が眠っている。

宮内目的の棚へとまっすぐに歩み寄る。近づくほどに心拍数が上がり、手の平にはじっとりと汗が滲む。ついにその時が来た。彼の手が、一冊の古びた箱に触れる。箱の表面には、薄れかけた文字で「百済本紀」と刻まれている。

慎重にその箱を開け、中の巻物を取り出すと、千年以上の時を超えてその姿を現した。封が施されていたはずの巻物は、思いのほか保存状態が良く、宮内の震える手の中でゆっくりと広げられていく。巻物に記された文字は、古代朝鮮半島漢字表記であり、間違いなく「百済本紀」だった。

宮内は息を呑み、震える声で「これが…ついに…」とつぶやいた。目の前に広がるのは、歴史が語りたがっていた物語だった。これまで失われたとされてきた百済の記録が、自らの手の中にあるという事実に、彼はただ打ち震えるばかりだった。

だが、その瞬間、背後で微かな音が響いた。宮内は瞬時に振り返り、身構えた。

宮内の背後で響いた音は、冷ややかな静寂を切り裂くかのようだった。警備員か、それとも何者か別の存在か――宮内心臓は、緊張のあまり大きく脈打った。

「誰だ?」宮内は小声で問いかけるが、返事はない。身を低くし、ゆっくり視線を巡らせた。そのとき、微かな足音が再び聞こえた。かすかな光が倉庫の奥から差し込み、宮内の視界に誰かが近づいてくるのがわかった。光に照らされたその姿は、想像していたような警備員ではなかった。

スーツ姿の男が、静かに歩を進めてきた。その目は鋭く、宮内を捉えて離さない。そして、男の口元にかすかな笑みが浮かんでいた。

「探していたものが見つかったようですね、宮内先生

その声には、明らかに宮内の行動を全て見透かしているかのような冷静さがあった。驚きと同時に、背筋に冷たいものが走る。

あなたは…誰だ?」宮内は巻物をそっと戻し、箱を再び閉じた。手は汗ばんでいたが、その目には確固たる決意が宿っていた。

男はゆっくりと近づきながら、まるで狩りを楽しむかのように言葉を続けた。「私の名前は名乗る必要はありません。ただ、あなたが何を求めてここにいるのかは、もう全て知っている。そして、それが公に出てはならないということも」

「公に出てはならない?」宮内は眉をひそめた。百済本紀発見が、なぜそれほどまでに秘匿されなければならないのか。宮内の中で、疑念と怒りが沸き上がった。「これは、歴史を明らかにするための重要資料だ。日本百済のつながりを示す、そして隠されてきた真実を照らす光だ。それを隠す理由がどこにある?」

男は薄く笑い、「それはあなたが決めることではない」と静かに言い放つ。「歴史は常に勝者が書くものだ。敗者の物語は、都合よく葬られることもある。あなたがこの巻物を公表することは、今の日本歴史観を揺るがすことになる。そう簡単はいかない」

宮内はその言葉に心の中で反発した。歴史真実でなければならない。たとえそれが現代価値観政治的意図にそぐわないものであったとしても。しかし、目の前の男は明らかにそれを理解しない、あるいは理解しようとしない。彼はただ、今の秩序を守るために動いている。

「では、どうするつもりだ?私をここで止めるのか?」宮内はあえて挑戦的な口調で尋ねた。

男は一瞬沈黙し、次に口を開いたとき、声は低く冷たかった。「あなたがどれだけの真実を知っていようと、我々はその真実を決して外に出すつもりはない。だから、これ以上深入りしない方が身のためだ、宮内先生

そう言いながら、男は静かに背を向けた。そして、出口に向かって歩き出す。彼が扉に手をかけた瞬間、ふと振り返り、「もしまだ、百済歴史に興味があるのなら…もう一度考え直すことだ。あなた研究も、命も、この国のために使えるはずだ」と含みのある口調で言い残し、倉庫から姿を消した。

宮内はその場に立ち尽くした。男の言葉意味を考えながら、再び視線を箱に向けた。手の中に収めた百済本紀は、歴史の失われたピースを埋める貴重な証拠だ。しかし、それを公開することが、彼の命を危険さら可能性があることも明白だった。

だが、宮内は一度決めたことを覆すつもりはなかった。彼は再び箱を手に取り、慎重にそれを自分のバッグに収めた。何があろうとも、この真実を守り抜く。それが、彼に与えられた使命だと確信していた。

倉庫を後にし、宮内は闇の中に静かに姿を消した。彼の手の中にある百済本紀が、これから日本朝鮮半島歴史をどう変えるのか――その答えは、まだ誰にもわからなかったが、確かに歴史は動き出していた。

宮内は暗い夜の中、宮内庁敷地を慎重に抜け出し、手に汗握るような緊張感を抱えながらも、自らの決意をさらに固めていた。背後で静かに扉が閉まる音を耳にし、彼は改めて周囲の安全確認した。振り返ることなく、冷たい秋の風に身を包まれながら、ゆっくりと歩を進めた。

百済本紀

百済本紀は、ついにその姿を現した。しかし、この発見は彼にとって、祝福されるものであるはずがなかった。目の前の謎めいた男が口にした警告は、無視できない現実として宮内脳裏にこびりついていた。彼は一つの歴史真実を見つけた。しかし、それがあまりに大きすぎる秘密であったために、彼は今、新たな危険さらされていることを知っていた。

「誰が…何を隠しているんだ…?」宮内は自らに問いかけながら、都心に戻る電車の中でじっと考え込んでいた。外の街の景色は、窓越しに次々と流れていく。煌々と輝くネオンと、高層ビルの明かりは東京の夜を彩っていたが、宮内の心の中は重苦しい暗雲が立ち込めていた。

彼は手元のカバン視線を落とした。カバンの中には、つい先ほど手に入れたばかりの「百済本紀」が眠っている。その重みが、今の彼にとっては異様に感じられた。歴史重要ピースを手に入れたにもかかわらず、その喜びはまるでなく、代わりに不安と恐怖が心を支配している。

「このままではいけない…」宮内は静かに呟いた。彼の頭には一つの考えが浮かんでいた。この文書を公開する前に、まず信頼できる誰かに相談し、協力を得る必要がある。単独で動くにはあまりリスクが大きい。だが、誰にこの話を持ちかけるべきか――それが問題だった。

彼の心にまず浮かんだのは、大学時代の友人であり、今や有名な考古学である佐伯真一の顔だった。佐伯日本国内外歴史的な発掘調査で多くの成果を上げており、特に日韓関係史の研究において第一人者とされている。彼なら、この資料重要性を正しく理解し、適切に扱ってくれるはずだ。宮内はすぐに佐伯との接触を決め、駅に降り立つとスマートフォンを手に取り、連絡を取った。

数回のコール音の後、佐伯電話に出た。

もしもし宮内か?久しぶりだな。こんな夜遅くにどうした?」

宮内は一瞬ためらったが、意を決して口を開いた。「佐伯、急ぎで話したいことがあるんだ。今すぐ会えるか?」

佐伯は少し驚いたような声で、「今か?何か大事なことか?」と尋ねた。

「…ああ、これまでの研究人生で一番大事発見をしたんだ。それも、とてつもない発見だ。今は詳しくは話せないが、どうしても君に見てもらいたいんだ」

佐伯はその異様な緊張感を察したのか、数秒の沈黙の後、「分かった。今すぐ都心カフェで会おう」と返事をくれた。

宮内カフェに着いたのは、電話からわずか30分後のことだった。深夜にもかかわらず、カフェは数名の客で賑わっていた。宮内は店内を見回し、奥の席で待っている佐伯の姿を見つけ、急いで席に向かった。

宮内、どうしたんだ?お前がそんなに慌てるなんて珍しいな」

佐伯心配そうな表情で宮内を見つめていたが、宮内は口を結び、静かにカバンから巻物の入った箱を取り出した。その瞬間、佐伯の目が一気に鋭くなった。

「これを見てくれ」宮内は低い声で言いながら、慎重に巻物をテーブルの上に広げた。薄暗いカフェの灯りに、古代文字が浮かび上がる。

佐伯は息を呑んだ。「これは…本物か?まさか、これが…」

「そうだ」宮内確信を込めて言った。「百済本紀だ。散逸したはずのものが、ここにある。そしてこれが、これまで語られてこなかった日本百済真実証明するものなんだ」

佐伯はしばらく無言でその巻物を見つめていたが、次第に表情が険しくなっていった。そして、静かに目を閉じると、ため息をついた。

宮内…お前、これがどれだけ危険ものか分かっているのか?」

宮内はその言葉に驚きながらも、佐伯に向き直った。「危険だと?これは歴史真実だ。それを明らかにすることが、なぜ危険なんだ?」

佐伯は低い声で答えた。「宮内、世の中には触れてはならない真実というものがあるんだ。この文書が公にされたら、ただ歴史教科書が書き換わるだけでは済まない。この国の根幹を揺るがすことになる。お前が巻き込まれたのは、単なる学問問題じゃない。もっと大きな、国家問題なんだ」

宮内驚愕し、言葉を失った。まさか、そこまでの影響があるとは想像もしていなかった。「そんな…一体どういうことだ?」

佐伯は再び巻物に目をやり、静かに言った。「これから先、お前がどう行動するかで、お前の運命も決まるだろう。だが、その前に…もう一度この文書を精査し、何が書かれているのかを完全に把握する必要がある。私も協力するから、一緒に慎重に進めよう」

宮内はその言葉に頷き、覚悟を決めた。「わかった、佐伯。まずは真実を解き明かそう」

二人は深夜のカフェで、百済本紀の解読に取り掛かることを決意した。しかし、外では彼らを見張る影が、静かに忍び寄っていたことに、まだ二人は気づいていなかった。

宮内佐伯と共に百済本紀の解読を進める中、ある一節に目を留めた。その古い漢字で書かれた文章は、これまでの日本朝鮮半島関係史を根底から覆すような内容を秘めていた。

佐伯、これを見てくれ」と、宮内は震える指先で指し示した。

そこにはこう記されていた。

百済国は、倭より来たりて、王を立て、その民を治む」

佐伯は眉をひそめ、しばらくそ文言を目で追った後、重々しい口調で言った。「まさか…これは、百済日本人――つまり倭人によって建てられた王朝だということを示唆しているのか?」

宮内ゆっくりと頷いた。「そうだ。そして、これが真実なら、朝鮮半島南部――百済領域は、かつての倭の支配下にあったということになる。竹島対馬どころか、済州島朝鮮半島の南半分までが、歴史的に日本領土であった可能性が出てくる」

佐伯はしばらく沈黙した後、深いため息をついた。「これは一筋縄はいかない話だな…。もしこの文書が公に出れば、歴史の再評価だけでなく、国際的領土問題にまで波及する可能性がある。サンフランシスコ講和条約定義された日本領土が、揺るぎかねない」

宮内焦燥感を抱えながら佐伯に問いかけた。「だが、どうしてこの『百済本紀』がここ日本で隠されていたんだ?なぜ誰も知らないんだ?」

佐伯は静かに考え込み、やがて低い声で話し始めた。「その答えは、戦後日本歴史にある。連合軍総司令部、つまりGHQが関与していた可能性が高い。特にマッカーサー日本の再建と国際関係の安定を図るために、歴史的な資料や記録を抹消または隠蔽したケースは少なくない。もし『百済本紀』に、日本朝鮮半島南部歴史的に支配していたという証拠が記されているとすれば…」

佐伯は目を宮内に向け、厳しい表情を浮かべた。「GHQはそれを脅威と見なして、抹消を命じた可能性がある。サンフランシスコ講和条約日本固有の領土定義された際、その基盤に揺らぎが生じることを恐れたんだろう。もしこの文書が明らかになれば、国際社会において、日本朝鮮半島南部済州島領土として主張する正当性が浮上しかねない。それは、当時の冷戦構造の中で、極東の安定に重大な影響を与えたはずだ」

宮内はその言葉に打たれた。「つまり、これは単なる歴史の一資料ではない。戦後日本朝鮮半島領土問題、そして国際政治に直接関わる爆弾だということか…」

「その通りだ」と佐伯は冷静に応じた。「だからこそGHQは、この文書を表に出させなかった。百済倭人設立した王朝であったという事実が認められれば、日韓歴史認識や領土問題根本から覆されることになる。現代竹島を巡る領有権問題など、取るに足らないものに見えるほどの衝撃が走るだろう。済州島釜山、そして南半分の領有権を巡って、新たな国際的な論争が生じかねない」

宮内佐伯言葉に深く頷いたものの、その重みを改めて感じていた。この「百済本紀」は、ただの古文書ではない。それは、日本朝鮮半島領土問題を再燃させ、国際情勢に大きな波紋を広げかねない爆弾だ。

「だが、これは真実だ」と宮内は力を込めて言った。「歴史を捻じ曲げてはならない。これが隠されてきた理由が何であれ、私たちの使命は、真実を明らかにすることだ。たとえそれがどれほど大きな影響を及ぼそうとも」

佐伯は厳しい表情を保ったまま、静かに宮内の目を見据えた。「宮内、お前の決意は分かる。だが、この文書を公にすることで、国内外にどれだけの波紋が広がるか、お前自身理解しているはずだ。日本政府だけでなく、韓国政府も黙っていないだろう。いや、それどころか、国際社会全体がこの文書に注目し、外交的な大混乱を招くことになる」

宮内は一瞬言葉に詰まったが、再び口を開いた。「それでも、歴史真実であるべきだ。この文書を隠し続けることは、日本学問的誠実さをも裏切ることになる。それに、これまでの研究者たちが解き明かそうとしてきたことを、我々が踏みにじることになるんだ」

佐伯は深く息を吸い込み、しばらくの間、何かを考え込んでいた。そして、ゆっくりと口を開いた。「分かった。お前の信念を否定するつもりはない。ただし、慎重に動こう。急に世に出すのではなく、まずは信頼できる少数の専門家に見せ、段階的に議論を進めるべきだ。この資料が持つ意味を、慎重に検討しなければならない」

宮内はその提案に頷いた。「ああ、そうしよう。まずは、私たち知識経験でこの巻物を完全に解読し、それから信頼できる専門家に見せる」

二人はその場で、新たな行動計画を立てた。百済本紀の解読を進め、文書の真偽を確認した上で、専門家との協力を仰ぐ。そして、その真実を公にするための準備を進めることにした。

しかし、彼らがその場を立とうとした瞬間、外の窓に気配を感じた。宮内は一瞬、外を見やったが、何者かの姿がカフェの外にちらりと映った。黒い影――まるで監視するように、静かに彼らを見張っているようだった。

佐伯…」宮内不安そうに囁いた。「外に誰かいる。もしかすると、もう動き出しているのかもしれない…」

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2024-10-03

仮想通貨マルチ商法多すぎじゃない?

Fラン大卒のせいか卒業以降マルチにハマる同窓生がそこそこいる。

この10数年で包丁やら化粧品やらサプリやらの勧誘を何度か受けてきたけど、最近仮想通貨マルチってなんなんだ。

今年だけで4人から勧誘を受けた。

内容としては、

コインチェックビットフライヤーとは異なり、人が作業するのではないDex利益を出す

②年利は20〜40%(NVIDIAより高い!?)

Dexシンガポール台湾エンジニアコントロールしている(人いるじゃん)

④もうすぐ日本でも登録を受けて一般的リリースされる(マルチに入らなくても買えるという意味らしい)ため、高い利率を見込める購入権が買えるのは今だけ

(一般的リリースやんない方が長く儲かるのでは??)

細かな差はあれど、共通するのはこんなところだった。

詳しくはこれに載ってるよ!と渡してきた書類特定商取引法37条の文字があるにも関わらず、

マルチじゃん、と言うと「違うよ!そういう怪しいのじゃないよ!」というまさかのお返事。

4人目の時は興味本位セミナーに出る約束をしてしまったが、面倒なので飛ぼうと思う。

かろうじて生きてるゼミLINE名前出して注意喚起しといたけど、「それ私もやってる!怪しいのじゃないよ💦」などという返信がついてきた。

余談だが、勧誘してきた4人とその返信をした1人あわせて5人中4人が大学時代遊ぶ金欲しさキャバ嬢やってた女なので、私の夜職への偏見は深まるばかりである

LINE内での私の発言には泣いている絵文字リアクションがいくつも押され、地銀就職たかつてのゼミ長が県警の詐欺注意喚起ページを無言でアップする流れで終わっているが、グループ内の友人3人から自分勧誘を受けたがスルーした&関わらない方が良いという個別LINEをもらった。

わざわざごめんね。

マルチ商法で仮想通貨やらNFTやら買わせてくるやつ、むしろ詐欺じゃない可能性ってあるもんなの?100%詐欺だろ。

Xやインスタじゃオイルマルチ話題だけど、地方では仮想通貨マルチが大流行中だよ〜〜

2024-10-02

婚活相手マルチ商法未遂)された

ちょうどビットコイン流行っていた頃の話だが、ビットコイン特に関係が無い

社員数がグループ全体で10万人を超える大企業本社正社員、1年目

当時、大学時代から彼女と別れて失意の中登録したペアーズ

プロフに「最近投資に」という文言がある時点で察するべきだったが、よく知らなかった

会社の寮から徒歩で3km移動し、サシ飲みの会場へ

徒歩?wと聞かれたが1年目にタクシーを呼ぶ発想はない

チェーンではあるが個室の居酒屋でとりあえず初対面

まあまあ好みの地味顔スレンダーだった

儲け話を切り出されるが、「それってどういうロジックで儲かるん?」と聞き返すとはぐらかされる

もっと先に気付けよと今なら言えるが、とりあえずその時点でマルチ直感

幸いにして男は存在せず、最後まで1:1で好きに会話できた

ビットコイン関係で「金持ち父さん貧乏父さん」の解説動画を見ていた俺に隙は無かった

金の生み出され方を知っているのか?儲けるとはどういうことか?と知性のマウントを取る

女タジタジ

ランボルギーニにもたれかかったよくわからんヤンキーおっさん写真で何で俺がなびくと思ったのか謎である

とにかく明日、あってほしい人がいる!と強弁されたが

どうせ場所を変えたら暴力ちらつかせて無理やり契約とかさせるだけだろ?幸い周りがガヤガヤしてるんで有効活用させてもらうぜ

そもそも会う必要ない、今ここで、お前が解説してくれればいい」と譲らず、相手相手で「私では難しいか上司的な人物説明させる」と譲らず、千日手となる

結局解説されることはなかったのだが、まあ頑張って解説されたとしても粗を指摘しまくって泣かせるだけだと思う

あのさぁ・・・お前如きの知能で俺を儲け話に乗せられる訳ないだろ・・・せめて東大卒くらいは連れて来いよ

そう、俺は怒っていたのである

お前如きが俺を騙せると思っていたことに
解説できるほどの知識もつけずマニュアルも持たず覚えず、材料と言えば怪しげなランボルギーニおじさんの写真程度の徒手空拳で俺に相対するほどナメられていたことに
マルチ商法するにしてもその商法に対する熱意が無さすぎること(商売ならもっとちゃんと騙しに来いや)に
「金とは何なのか」という哲学的会話を楽しめるとウキウキ気分で来た俺を待ち受けていた現実

最後八つ当たりですね 今にして思えば気付けよって話

アホな女と話していて腹も立ってきたので、酒も飯もそこそこに俺が席を立つとついてきた

あんまり飲み食いしておらず4000円

とりあえず俺が支払ってみると後ろで黙っている

糞が・・・ナメやがって・・・

店を出た俺、すかさず半額の2000円を要求 「あんだけ儲かってる儲かってるってアピってきたんだから金あるよな?」

女、まさかそこまでみみっちいことをされると思っていなかったのか豆鉄砲食らった鳩のような顔をするが2000円は出してきた

2枚の千円札をもぎとった俺、内心は失意の中だがとりあえずプラマイゼロにはなったので俺の勝ち!!!退散

そんなこんなで女の投資話にはさすがに警戒するようになりましたが、そもそもマルチを仕掛けてくる女はそれ以降登場せず、ちゃん結婚もできました

名も知らぬマルチ女、今何してんのかな、まだマルチやってるんかな?経験浅い中俺を引いて災難だったな、アバヨー

2024-09-30

おかーさんに言ってもどうせ何にもしてくれないしな

ぼーっとしてる時に浮かぶ考えの一つに「おかーさんに言ってもどうせ何にもしてくれないしな」っていうのがあって、

今までどうとも思ってなかったんだけど、冷静に考えてみたらこれなかなかだな。

母に打ち明けて解決したことって記憶にないんだもん。なんなら親身に話を聞いてくれるという印象すらない。

お腹痛いって言ったら気のせいだからビオフェルミン飲んどきなさいになるし、

アトピーかゆいって言ったらおかーさん悲しくなっちゃうから掻かないで、だし。

さらにヤベェことに、自分もう40代で、にもかかわらず、「母は助けてくれないし他の人も同様」で止まってる。誰かに助けてもらった記憶で上書きされてない。

強いて言えば大学時代保健室臨床心理士さんは月に2回、一回1時間ちゃんと話を聞いてくれた印象があるな。

心理士さんだから話聞いてくれるだけでこれと言って解決はしなかったし、あくま仕事上の付き合いだけど、話聞いてくれるのは嬉しかったな。

あー、その後20代後半で彼氏っぽい人ができて、彼も話を聞いてくれた印象があるが、あい奥さん子供がいて私のこと騙してたんだよな…。

だめだ。誰かに相談したらいいことが起きるというイメージがまるでない。

親身に話を聞いてくれる人はいないし、聞いてくれる奴がいるとしたらそいつは嘘つき、というイメージしかない。

相談…する…とは…。もしや世の人々は相談したら解決すると思って相談しているのか。

いや、いうて、相手メンツを立てるためとかに相談しているのであって、解決目的じゃないでしょ、みんなも。うん。

2024-09-29

尋常じゃない努力をした人が好き

なので、結構エピソードを集めている

坂本聖二(全日本スカッシュ選手権大会9連覇)……失神するまで練習して、失神したら水をかけて起こされた

木村政彦全日本選手権13年連続保持)……三倍努力

溝口和洋(槍投げ日本記録保持者)……12時間トレーニングして、動かなくなった箇所はテーピングして続けた

孫禄堂(近世大名手の一人)……寝ると練習時間が減るので、火をつけた蝋燭を持って寝て、垂れてきたら起きて練習した

シニアのおじさん……大学時代練習するとどんどん服が減っていくので、最後はみんな裸で練習していた

2024-09-28

anond:20240918115941

DV男に借金男と、クズ男を渡り歩きゴミ同然の扱いを受けるも、真面目なチー牛には見向きもしない模様

大学時代、元夫とは別の男性名古屋同棲していたという。

典型的DV男で、私はほぼ軟禁状態自由に外に出ることもできず、ずっと家に閉じ込められていたんです」

 そんな環境の中で、彼女の唯一の楽しみが「おっぱい活動」だったとか。

運命的な出会いの末、結婚に至った若い2人だが、お金の使い方や価値観の違いをめぐって2024年離婚

「彼からお金自由に使えないなら離婚しよう』と。私としては、離婚はしたくなかったのでびっくりでした」

https://news.yahoo.co.jp/articles/4ddd56756a9becd5a7755ff37e5fe95e56d03b09

2024-09-22

娘の彼氏YouTuberだった

どうやら将来の結婚視野に入っているらしい。

正直に言うと、反対だ。

これはハッキリと私の偏見しかない。

だが彼はこれまで確たる仕事に就いたことがないという。

20代後半に入りつつある青年で、やったことがある仕事といえば学生がやるようなアルバイトだけ。

そして現在大学時代に偶然バズったYouTuber稼業で飯を食べているという。

偶然と書いたが、本人は偶然とは考えていないようだ。

だが私が聞いた範囲の話では歴然とした運だ。

現在生活できる程度の収入があるのは単なる惰性でしかないとしか思えない。

これがまだ自分で頭と体を使ってバズらせて、その後もいろいろな工夫で動画配信軌道に乗せているとかだったら見込みがある。

しかし、たまたま軽いノリ配信してみたらたまたま偶然バズって、あとは惰性で続けているだけというのでは心配しかならない。

娘の結婚(するかもしれない)相手YouTuber

まあ、これも時代なのかなとは思う。

にしてもよりにもよってうちの娘、と……。

これはハッキリと私の偏見だ。

しかし、彼のように偶然の要素だけでYouTuberとして稼いでいる、お気楽自営業者結婚を考えるなどということ自体ジョークしか思えない。

2024-09-20

内面自分用にまとめるための日記友達との関係性。

最近SNSだけでの友達のうちの1人に、やたらと依存するようになって。

これはまずいなぁと思いながら自分のことを見返すと、今までの友達の作り方が下手だったんじゃないかと思えてきた。

今まで。

中学時代ニコイチ友達だったが、卒業と共に消滅

高校時代、おなじ。

大学時代、ほぼいないけどおなじ。ネトゲにハマってネトゲ グループオフ会に参加して彼氏ができる

社会人 リアルほぼなし ネトゲ 仲間のグループのみ

社会人2 大学時代彼氏とそのまま続行(現在まで)新しいネトゲSNSでのオタク仲間と

ネット上のキャラでの友達関係で、ニコイチ消滅トリオ消滅

とまあ、一回仲良くなると距離が近くなりすぎて、そこだけとしか遊ばなくなって、他を蔑ろにしすぎてなくなる。




うーん、下手だな。

友達関係がいい感じの状態ってどう言う感じだろう。

長年飾らずに話し合える人がいるといいよね。お互いの環境とか条件が違ったりしても、

そこそこの素直な感じで意見が言い合えて、飾らずに、ダサいところも知ってて

頼りすぎず、でもたまに頼って。。。。

趣味嗜好がやや路線的にはわかるけど、完全に同じじゃなくていい。

逆にさ、趣味嗜好だけで繋がった人って、ジャンルが変わっただけでバイバイしていくからうっすいんだよなぁ

勿体無いんだけど、話しかけても他にお熱100パーになるんで、いなくなっちゃうんだよなぁ。


つらつらと書いてみたが、ひとりぼっちになるのは寂しいと言うだけで、

まり乗り気じゃないところにしがみついてもしょうがないよね。

楽しそうな趣味グループに声をかけたいんだが、同じジャンルじゃないから弾き出されてしまう。

多分そこは自分の居場所ではないんだなぁ。


とりとめなくかいたけど、なんかSNSにどっぷりになってから、、、いや元から

リアル友達居なくなっちゃったな

ネット社会でさ、あまりに便利すぎて目の前のSNS友達に飛びついて、かっこいいところ見せて、レスもらって寂しさを紛らわせて生きてたけど

なんか、なんか、違うねこれ。

なんもないや、なんか。

何だったんかな

2024-09-19

秋葉原に行ってきた

アキハバラに行ってきたんですよ、アキハバラ

10年ぶりぐらいかな?いやー、正直驚いたね。駅を出た瞬間、ヨドバシAkibaの大きさに圧倒されてさ、こんなの昔あったっけ?って。

10年前は確か、こんなに大きな家電量販店はなかった気がするんだけどなぁ。

周りを見渡すと、すっかり様変わりしていて、なんだか一瞬ここが本当に秋葉原か疑っちゃったよ。

昔よく通ったあのパソコンパーツのお店、ドスパラとかツクモはまだ健在だったけど、全体的に商店街雰囲気が薄れてきてる気がする。

新しいビルがどんどん建っていて、特にアトレ秋葉原なんておしゃれなカフェ雑貨屋が入っていて、ここアキバ?みたいな感じ。

ラジ館もリニューアルされてて昔のくたびれた感じがなくなって、なんか都会的になっちゃったなーって思って歩いてた。

でもさ、@ほぉ〜むカフェは健在で、そこだけは全然変わってなくてちょっと安心したんだよね。

10年前もここでメイドさんに「お帰りなさいませ、ご主人様♡」なんて言われて照れ臭かったなぁ、なんて思い出しながら入店したわけです。

店内の雰囲気は相変わらず。

臭い学生時代タイムスリップしたみたいで、何だか目頭が熱くなってしまった。

そういえば、昔お気に入りだったももこちゃんはどうしてるんだろうなーなんて思ったけど、流石に10年も経ってるからね、居るはずもなかった。

メニューを見てみると、懐かしの萌え萌えオムライスを見つけて、迷わず頼んだんだ。あのケチャップハート描いてくれるやつ。

で、オムライスを食べていると、近くの席のオタクたちの会話が自然と耳に入ってきた。

彼らは熱心に呪術廻戦について話してて、五条悟の強さについてとか、アニメ作画が神レベルだとか、聞くつもりなかったけど、声がでかくてね、つい聞いちゃったよ。

その二人のオタクが話してる様子を見てたら、ふと大学時代自分と友人を思い出して、なんか微笑ましかったんだ。

俺と友人も昔はここでこうやって熱くアニメとかゲームの話してたなーって。

そう考えると、時代は変わってもオタク情熱は変わらないんだなって、妙に安心した。

オムライスは美味しかった。店を出て、ふと空を見上げると、秋だっていうのにまだ熱気が残ってる感じがして、その熱気がこの街には似合ってた。

アキバは変わってしまたかもしれない。

でも、根っこの部分は変わってないんだなって感じがして、なんだかほっこりしたよ。

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