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2019-05-29

みんな愛されてるんだなあ

絶賛鬱である

もともと長年躁鬱を患っており、自殺願望も強い。が、必死に隠して生きてきた。しかし、対人ストレスが辛すぎてそろそろ隠しきれなくなってきた。

会社ミスも目立ち、上司と話をした。

増田ミスをするなんて珍しい。どうかしたのか」

と言われ、責められはしなかった。

言える範囲で話した。

すると上司はこう言った。

増田もっと自分のことを好きになっていいんじゃないかな。俺は自分を好きでいるようにしてる」

「人をもっと信じたらいい」

増田は褒められたら頑張るだろ」

増田努力を好きになってやれ」

優しい言葉。この人は上司として信用できる人だ。

ありがとうございます、と頭を下げた。

でも、そう言われて思うのは嬉しさではなく絶望感だ。

この人はずっと裏切られなかったのだろう

この人はずっと褒めてもらえたんだろう

この人は 生まれてきたことを呪われなかったのだろう

なぜ泣くのか?情緒不安定から? わからない

話すと吐きそうになる

きっと住む世界が違うのだ

絶望している

私は自分人生絶望している

父は厳しい人で、20年程、何をしても褒めてもらえなかった

テストの点数が良くて、すごいでしょう、1位だよと言ったら怒られた

お前は自分を凄いと思ってはダメ

ロクでもない大人になると言われた

そう言われて、胸を張るのをやめた

12の夜に 遠くで踏切の音がした

髪を振り乱した母に 包丁を突きつけられて

きっかけはなんだっけ?

確か テストが出来なかった 志望校判定は ずっとE判定だった その時に

お前なんか産まなければよかった

お前のような出来損ないは殺してやる

そう言われた時にわたしは死んだ

人より仕事を抱えるのは 追われてないと自分価値を見出せないからだ

自分が惨めでないと 常に人より低くないと

自分なんて好きになれるわけがない

死ぬ勇気も 何かに依存する勇気もない

膨らんでしまった承認欲求と、認めてもらえる要素など皆無で惨めな自分を抱えて

私は 励まされました 頑張りますと笑うのだ

そして、家に帰って落ち込んで寝込む

みんな自分が好きなんだなぁと思いながら

キラキラ輝く人たちと一緒に私は今度、遊びに行く

落ち込んでる隠キャを上司気分転換に誘ってくれたのだ。やっぱりこの上司はできる人である

だがしかし、きっとまた誰とも話せずに隅っこでパズドラやって終わるんだろうな……

2019-04-29

人生を振り返る

私の体に異変が起こり始めたのは、中学生の頃だった。

眠い。とにかく眠い寝不足かと言うとそうではない。10時には寝て6時半に起きていたので、けして夜更かしはしていなかった。

授業中に居眠りが増えた。成績は良かったので、先生にはおそらく調子に乗っていると思われていたんだろう。ネチネチ言われることもあった。普通に居眠りはよくないことなので反省するけれど、一向に治らない。

私の居眠りはついに不可解な展開へ。合唱練習の途中に、立ったまま寝るようになった。隣の子にぶつかって慌てて起きて、しばらくするとまたうとうとして前の人にもたれかかって、を繰り返した。みんな優しかったので「ウケる〜」と笑ってくれたのが救いだったが、私は「やべえ」と思っていた。

仲のいい国語先生がいた。いつも私を褒めてくれた。(でもむっちゃ厳しくって同じくらい怒られた)その先生最近居眠りやばいんだよ〜、って話をした。他の先生みたいにてっきり怒られるかとおもったが、国語先生は顔色を変えて「はやく病院に行って診てもらいな!」と、印刷したWebページを見せてくれた。

そこには「ナルコレプシー/特発性過眠症」と、耳慣れない言葉が書いてあった。

結論から言うと、私はナルコレプシーではなかった。特発性過眠症の特発性、というのは原因不明みたいな意味なので、当てはまるとしたら後者ですな、と医者に言われ、薬を処方された。

発達障害ADHD)が睡眠障害を併発する。このことを知ったのは、大学生になってからADHDの診断を受けた時だ。中学生当時、このことは、まだ知られてなかったか、もしくは研究の段階だったのだと思う。だから私の居眠りは「特発性過眠症」として処理された。

まあ、ともかく、診断名がついたことで、誤解が解ける!そう思っていたのが甘かった。

居眠りをしてしまった分、積極的に授業中に発言をしたし、テスト結構対策して8割は維持していた。成績も、体育以外すべて5になった。でも、そのうちわけの「関心・意欲・態度」はずっとBだった。Aをくれたのは国語先生だけだった。

職員室で、とくはつせいカミンショーなんです、と言ってみた。「ほんとにそんな病気あるの〜」と笑われた。悲しかった。

今なら、中学生なんてガキの言うことだし、真面目に受け取られなかったんだろう、とか、成績のつけ方も決まりに従っただけで、理解されなかったわけじゃないんだろう、と思える。しかし、当時の私はそれはそれはショックで、ついにふてくされてしまった。

「頑張っても報われないじゃないか」「だったらもうこれ以上がんばりたくない」そう思うようになった。

私は、「がんばる」ことは他者から評価を得る、ということでしかなく、自己評価他人依存しすぎていた。褒められなくなったら頑張る必要もない、そう切り捨ててしまったのだ。なまじさかしらだったために。

早熟は未熟に終わる。そんな言葉をずっとあとに知ってから、私のことだ、と思った。

高校入学してその傾向は加速した。しかしまだ、1年生の前半は、部活勉強に、頑張っていた。部活合宿も楽しかったし、成績は中学に比べて落ちたけど、がんばって平均点を超えよう、なんて思ってたのだ。

秋の中間テストは、ばっちり対策をして、いい感じだった。明日は最も苦手な数学だけど、いつもより勉強たか大丈夫、そう思いながらお風呂に入っていた時だった。

部活楽しい彼氏もできた。成績は良くないけど勉強もがんばろうって思える。なんて幸せなんだろう。充実感に浸りながらふと、せっかくこんなに楽しい人生なのに、いつか終わりが来るのか、と思った。その瞬間、地獄の引き金が引かれた。

私は風呂を飛び出して、リビング晩酌をしていた父に、「死んでしまう、怖い」と泣き叫んだ。父は困惑していた。

そこから記憶は飛び飛びだった。怖い、怖い。一晩中叫んでいた。母親はいい加減にしろと怒られた。

目に入るすべてのもの死の恐怖に結びついた。窓を開けたら飛び降り死ぬ電球の紐で首をつって死ぬ。好きだったバンドポスターを見ても、メンバーが二人死んでいる。死ぬってことは全てなくなるということ。なくなるのが怖い。怖すぎる。

ほんとうにほとんどのことをどうやって乗り切ったのか、記憶がない。必死病院に行きたいと訴えて、精神安定剤を処方されてから、ましになった。たった一錠の薬にあれほど感動したことはない。

こうして私は、特発性過眠症にくわえて、パニック障害も背負うことになった。そのせいで過眠症の薬も一時中断した。もう、ここまでくると、頑張る気力もすべて削がれた。部活もやめ、勉強もしなくなった。彼氏には振られた。ギャンギャンうるさく愚痴をこぼす私に、親友は当たり前のように愛想をつかした。

高校時代は、たくさんの人に迷惑をかけた。誰にも理解されないという思いをこじらせて、奇行に走った。宿題は当然出さなかったし、私はこれでいいって思っていた。突然泣き出したり、人に迷惑をかけても、「こういう風にしか生きられないんだから仕方ないじゃん」と開き直っていた。いつも自分被害者だと思っていた。

人に迷惑をかけるメンヘラっていうのは、自分は変わらないと思っている。変えようとしても無駄から、人に迷惑をかけて生きていく。そうしてますます孤独になって、こじらせていって、それでもどこかで、こんな自分をそのまま愛してくれる人が現れてほしい、と都合のいい幻想を抱いている。

変わろう。そう思って、やっと生活が劇的に向上したのは、

もっと後の大学2年の時だった。それまでずっと、私は被害者ヅラをして生きていた。

そんなこんなで、当然受験もうまくいかなかった。ほぼうつ状態で、毎日寝るかスマホいじるか、勉強しようとノートを開いても、ノートの綴じ目を見つめるだけで平気で2時間くらい経ってた。親にためしにうけなさいと言われて受けたいわゆる早慶は、受験料と、地元から上京資金で、合計20万近く払ってもらったが……白紙で出して帰ってきた。雪の深い日だったと覚えている。

親は私が進学校に入ったこである程度頭いいものと思っていたようで、まさか滑り止めに落ちるとは考えておらずショックを受けていた。私は滑り止めは白紙で出さなかったので、普通に頭が悪かった。

私は浪人したいと親を説得した。どこかで、開き直りきれずに、また中途半端プライドを振り回して、早慶に受かろうと決めた。

なんとなく、学歴があればクソみたいな人間でも生きていける気がした。

上京して寮に入った。狭い世界で生きていた私は、自分がどれほど恵まれいるか当時わからなかったが、こうして東京に出てきたことは大きかった。

パニック発作ピークより治まりつつあったが、たまに思い出したように襲われる日々は変わらなかった。過眠症も変わらず、せっかく高い学費を払って予備校に来ているのに一日中寝ている時もあった。そして、圧倒的に集中力がなかった。みんな平気で8時間とか勉強しているのに、私は1時間と持たない。そんな自分イライラしたし、当然E判定ますます腹が立った。

ある日、英語の長文読解を説いていた時。課題文は、『アメリカにおけるADHD診断の増加』。ADHDとは…?

調べると、すごく自分に当てはまっている。これ、私のことでは?

しかし、病院で診断を受けるまでに長い時間がかかること。お金もかかること。なにより親に言い出しづらかった。

頭をひねっていると、私が過眠症の時に処方されていた薬が、かつてADHD治療に使われていることを知った。確かにあのころ、居眠りに薬は効かなかったけれど、成績がすごく上がっていたのを思い出した。これだ!

私は過眠症診断書を持って睡眠クリニックに駆け込み、無事薬をゲットした。

そこから成績はみるみる伸びた。(⇦ことわっておきますが、こういう薬の使い方はダメでした。スマドラってやつです。安易にこういうことをすると、規制されてほんとうに必要な人に処方されなくなってしまうかもしれないので、ダメです。私はたまたま睡眠ポリグラフデータ等諸々あったので処方されたので、普通の人が過眠症かもって病院に行ってもこの薬はもらえません。)

生活に余裕ができると、友達も増えた。隠れ家バーで行われる読書会とか、社交的な場にも参加するようになり、たくさんの大人相談に乗ってもらえた。地元にいた頃じゃ考えられなかったような出会いに恵まれて、少しずつまともになろうと思い始めた。けれど、そうすぐには変わらないので、一進一退を続けた。

春、私はなんとか早慶に補欠合格し、進学した。

今度こそ、人生は良くなる、と思った。

そんな期待に反して、私はうつ病を患った。友達もいたしきぼうの専攻にも進めたのに、生きていくだけで溜まり続けたストレスが爆発した。居眠り、パニックを経て、「どうせ頑張ってもどうにもならない」という無力感が次第に私を蝕んでいった。おまけに、どうがんばっても遅刻するし、レポートも出せない。だんだんすべてがプレッシャーになり、気づくと一日中ベッドで過ごしていた。電車に乗ると酔って一駅で吐いてしまう。がんばらなきゃ、がんばらなきゃ、ここまできたんだから。そう自分に言い聞かせても、からだは動かない。部屋はぐちゃぐちゃでハエが集り、三日風呂に入れなく、自分から信じられない臭いがした。ますます参っていった。

精神ますますやばい方向へ向かっていった。私は悪くない。世の中が悪い。本気でそう思うようになった。よく、ツイッターで「沼w」と笑われている、電車でさわいでいるおばさんの動画。私はあんな感じだった。だから私は、大学でみんながちしょ*とかいってるのが怖い。あの人たちの気持ちがわかってしまう。余裕がなくなってしまったのだ。

電車で隣の人の靴をわざと踏んだ。そういうことした日は家で泣いた。優しい自分になりたいのに、人に悪意をぶつけてしまう。

歯医者の予約に間に合わなかった日。受付の人に、「三十分以上の遅刻診療できません」と言われた。私は遅刻したくてしたわけじゃないのに!

受付のお姉さんが差し出した手を、わたしははたき落した。お姉さんの顔は、恐怖でも驚きでもなく、ゴミを見るような目だった。

泣きながら家に帰った。精神科医には、「他害が出るなら、入院検討してもらいますが」と強い口調で言われた。

変わりたい、でも被害者のふりがやめられない。私はもうわかっていた。私は加害者だと。

発達障害の診断をしてくれたのは、別の医師だった。主治医斡旋で、専門の医師のもとに行った。

あなたはもともとすごく天真爛漫で…でもきっと、いろんなことがうまくいかなくて、自信をなくしてしまったんだろうね。もう大丈夫だよ」

その言葉は、今でも忘れられない。こんなクズに、優しくしてくれる人がいるなんて。そう思った。

私はすべてをぶちまけた。中学のこと、高校での過ち、自分の態度が悪くて人に嫌われたのに開き直ってしまたこと、部屋が汚いけど本当はともだちを呼んだりしたかった、高校の時ひとりでお弁当を食べたくなかった、大学サークルでがんばりたかった、それなのに全部自分台無しにしてしまった。

医師は、すべて受け止めてくれた。彼が主治医になって、心理検査カウンセリングを行い、新たな治療がはじまった。

発達障害向けの治療を始めて私はぐんと生活が向上した。鬱、パニック障害ともに、今では症状は寛解。居眠りだけはまだたまにしてしまうけれど、生活に支障はない。レポートも出せるようになったし、部屋もそれなりに片付いた。まあまあ安定した生活を送れるようになった。

副作用が出たので、現在は薬も飲んでいない。ひとをいたずらに傷つけることもなくなり、たくさんの友達ができて、ずっと欲しかった日々が手に入って、2年以上経つ。

この2年は、本当に幸せだった。

人に悪意を向けることもなくなった。なんか考えてもしょうがないな、と思えるようになったし、ほんとうにあの時はどうかしてたんだと思う。

自分が報われない悲劇のヒロインだと思っていた頃が恥ずかしい。

今、ことさら自分が不幸とは全く思わないけれど。新たな悩みができてきた。

この2年間で、人並みに社会生活を送れるようになり、「私もやればできる」という自信がついた。

最近、また不注意が増えた。しかも、自分がそうと気づかないうちに失敗は起こる。

バイト先で、店長に渡してと頼まれ荷物を、頼んだ人も荷物も目の前にあるのに、店長が来てからもすっかり忘れていた。思い出したのは一週間後だった。普通の人だったらしないような不注意が増えた。

出席カードを隣の人の分も回し忘れる、メールを一方には返信してもう一方には返信し忘れ、無視しているのかと怒られる、数えたらきりがないが、その全てを私は「大丈夫」だと思って行動している。だから疑いようがないうちに、ミス回避できない。普通の人はそんなミスしないから、怠けか、悪意か、そういった目で見られる。これは当たり前だと思う。

なんとかして、ミス回避したい。人にもうこれ以上迷惑をかけたくない。それが新たなプレッシャーになりはじめた。

メモをこまめにとるようにしてはいものの、一向にうまくいかない。

まあ、自分も変わるわけだから、不注意が増えたら今までとは違う対策をしなきゃいけないのはそうなのだけれど…。

考えすぎて、いったい何なら自分は確実にできるのか、確信が持てなくなってしまった。

また私は自信を失い始めている。私はできる!と思ったところから、「やっぱりできなかった」という事実はけっこうしんどい

しかも、誰にも相談できない。友達にも、ましてや彼氏なんてもってのほかADHD言い訳にしていると思われたくない。世の中、ADHD認識されたからって、それらに理解が進むわけじゃないのだ。実際、ADHDで社会を生きていくことは厄介だ。だから誰にも相談できない。私はなにもできない可能性が高い、と思って生きていくのもしんどいが、はじめからそう予防線を張っているほうがいいのかもしれない。そんなことを考える。

この間、デート中に居眠りをしてしまって、彼氏に怒られてしまった。そりゃそうだよな。寝不足自己管理問題、って認識が先にくるもの。実際その日は体調管理が悪かったので、謝って許してもらったが、これが自分でどうにかならないことが原因でも、世の中ってのは常に自分のことをみてはくれないので、さてどのようにカバーしていくか、考えなければならないのである

障害はつらいし、理不尽だけれども、これは障害があるなしではなく全ての人に言えることで、ありのまま自分を受け入れてもらうことは空想の中にしかない。ちゃんと、素材は洗って、下ごしらえをして、味をつけて、調理して、盛り付けて…そうしないと、まず食べてもらえない。

言うなればゲテモノ素材に生まれしまった私は、よっぽど才能があるとか、愛嬌があるとか、真面目であるとか、そういう味付けでいくらかマシにならないと、食べてもらえないので。

から日々、自分をどう調理しようか考えている。

世の中、努力でなんとかなるわけではないが、ある程度頑張らなければ先に進まないのは事実だ。私の今の生活にせよ、自分メンヘラからできない、と諦めていたら絶対手に入らなかった。だから、これからも私は頑張りたいと思ってる。

ただ最近ちょっと疲れている。だからって、昔みたいに「やってもどうせ報われない」と腐りたくない。

今ここで頑張って不注意を直さないと、やばいなって思いながら、ゴールがわかんなくなっちゃったからこのグダグダ文章増田に投げる。

2019-01-07

京大受験などの思い出

私も自分語りマンする。

[中学受験]

兄弟中学受験していたのと、当時わたし結構賢かったので母親の薦めで小5から塾に通い始めた。

小学校ではお勉強ができることで馬鹿にされているように感じることが度々あったけど、塾だと「勉強ができる=すごい」という価値観カルチャーショックを受けた。頭がいい人は性格が悪いみたいな偏見あるけど、勉強についていけなくなったらだんだん性格が良くなるの?そんなわけない。

小学校担任先生がお塾(笑)とかお受験(笑)とか言ってたせいか同級生から「受検頑張ってね(笑)」って書いてある年賀状をもらった。

第一志望はA判定しかもらったことがなくてあまり病まなかったけど、早く2月が来てくれ、全部終わってくれ、と思っていたことは覚えている。

受けたとこは全部受かって、地元国立大付属校に進んだ。

[高校受験]

内部進学だったのでなかったようなもん。

[大学受験]

周りに京大東大を目指す人が多かったのと、実家を早く出たかったのもあって(母が若干過干渉だったと思う)、京大を目指すことにした。

東大を目指さなかったのは、進振り不安だったのと、自由英作文が圧倒的に書けなかったのと(文才がない)、関西のほうが地元から近くてなんとなく親近感があったから。

それまで悩みがないのが悩み、みたいな人間だったのに一気に病んだ。模試は一番良くてC判定、だいたいDかE判定だった。受からないと思ってるのに一縷の望みにかけて頑張り続けないといけないのがつらかった。

[その後]

なんとか現役で合格したものの、結局大学あんまり勉強しなかった(留年もした)。大学でやりたいこと考えてから受験勉強するべきだったよな~という感じ。京大キャリアサポートルームの「留年しても病まないで」みたいなコラムちょっと前に話題になってたけど、入学してからずっと無気力、とか、病んでるから留年した人のほうが多いんじゃないかと思う。

結局、研究室に入ってから初めて試験勉強以外の勉強をしたし、その時点で身に付いているべき基礎知識がすっぽり抜けてることをめちゃくちゃ後悔した。(特に統計英語!!)

京大の良くないところはそんなに勉強しなくても卒業できることであるよ。自由ってことは全部自分責任ってことだもんね、、大学は悪くないぞ☺

高学歴を持っていることよりも、主体的自分の進路を選択してきたかのほうが圧倒的に大事だと思うし、私もこれからはがんばる。

2019-01-03

京大までの受験の思い出(失敗編)

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

https://anond.hatelabo.jp/20190102174908

ダメだった身で恐縮だけど、見てたら俺も自分語りしたくなったので。

中学受験

小学校首都圏某県の公立に通っていた。長男にはありがちだと思うが、低学年のころより通信教材をさせられたり、あちこちの塾にお試しで通わされたりしていた。

中学受験も完全に親の意思によるものである勉強別に好きではなく、塾では机に落書きをしたりしてあまり授業を聞いてなかった。だから当然成績は振るわず、ある日テストで50点をとって(自分ではそれでも上出来と思っていたのだが)ブチ切れた母の命により、それ以来は学校が終わると直帰し祖母らの監視下で勉強強要させられる日々が続いた。志望校も全て親が決め、いざ受験期になっても明日どこの学校を受けに行くのかさえ把握していなかった。

とはいえ元来陰キャ友達も少ないことから自分だけ別の中学に行くことに未練はなく、また特段この学校を受けたかった!というのもなかったため親は恨んでいない。まあクラスメートからいいねと言われるのは気分が良かったし、(勉強は嫌だけど)親に怒られるのも嫌だからしょうがないか、ぐらいのもんだったと思う。むしろ中学受験は大なり小なり「させられるもの」だと長らく思っていたので、東大編の元増田や知り合いの子供が純粋自分意志中学受験をしたというのを聞いてびっくりしているくらいだ。結局(親の)第一志望の御三家は全く歯が立たず、第三志望?くらいの中堅校(中高一貫)に入学

中学高校時代

中学に入る前後から弟が病気で入退院を繰り返すようになり、親や祖父母はそれにかかりきりになった。お陰でこっちはこれまでと打って変わって完全放任。ゆるい文化部に入って暇を持て余した俺は、当時流行っていたMMORPGメイプルストーリーとかそういうやつ)にドはまりした。当然勉強は全くせず、テストは常に一夜漬け。成績は最下位スレスレ状態が高1の終わりまで続いた。相変わらずクラス友達はなく、図書室にこもっていたお陰か現代文だけは良かったが、文筆家になる気はなかったし歴史とかの暗記系が大嫌いだったので理系選択

高2になって、見かねた親が東大生の家庭教師をつける。俺が京大へ興味をもったのは、その先生の「京大単位が空から降ってくる(けど東大単位が逃げてゆく)」という言葉だった。折しも本屋大賞だかがきっかけで森見登美彦を読み始めた俺は、自由楽園としての京大への憧れを一気に膨らませた。当時の京大ホームページアクセスすると大学京都の町並みの影絵だけがボーンとあり、それを横にスクロールしていゆくと最後入口が出てくるといった具合で、他の「普通の」大学とは違うその作りに大いにワクワクした感覚を今でも覚えている(どこかに画像が残ってないだろうか)。

同時に両親とも激務で働く姿を見ていた俺は、会社員自由のない苦痛に満ちた職業というイメージ漠然と持ち始めた。そして自由自分のやりたいことのできる職業大学教授という安直な発想から研究者(当時は「研究」が何かも知らなかった)の道を志す。そのために必要要件も何人かの研究者の略歴を見て「早慶以上で博士課程まで行けばなんとかなる」という勝手イメージを抱き、結論として「京大に入る(滑り止め早慶)」ということだけを目標に高3に突入した。

大学受験(現役)】

再び受験生となった俺は、MMOを休止し何となく予備校に通い始める。当時クラスメートたちは進度の遅い高校カリキュラムを見限り、授業中も内職して予備校の教材をやっていた。だから自分もそんなもんかと思って高校課題は真面目にやってなかったのだが、5月定期試験で相変わらず下から一桁番目の成績だった俺は担任からこっぴどく叱られる。

「お前に学校予備校勉強を並行してやるのは無理だ。予備校を辞めるか、さもなくば学校を辞めて大検を取れ」

恐れおののいた俺はとりあえず担任の教科(数学)だけ予備校を外し、そこから漸く(自分なりに)真面目に勉強をするようになった。

学科は(高校の教科で言う)物理が好き&理屈ばっかりではつまらないという理由工学部物理工学科を選択首都圏学校だったので京大志望はクラス自分一人で、ちょっと一目置かれていた(単にハブられてただけかも)。しかし当然ながら、京大試験問題は難しい。特に積み重ねと言われる数学絶望的だった。でも当時はそこまで深刻には考えてなかったように思う。物理は高3になるまで運動方程式も知らなかったけど、一歩一歩ものにできている感覚があった。化学予備校の教材が奇跡的に分かりやすかった(何せ浪人時代予備校を変えたけど、化学はこっそり現役の時の教材で勉強していたくらいだ)。当時京大では理系でも国語二次試験があって、読書趣味から現文が感覚で解けてた俺には有利だった。元増田の通り、センター数学足切りしか使われないから出来なくてもノーダメージ。あとは英語センター地理を合わせて総合力で何とか、という作戦だった。

高校である教師が言っていた。

現役生はあらゆる点で浪人生より不利だが、唯一有利な点は『落ちたことがない』ということだ。

高3の俺は正にその状態だったと思う。模試でD判定をとっても、周囲が「E判定は良い判定」とか言い合ってるのを聞いて安心していた。試験前日も風邪リスクなど考えず、噂の折田先生像がいつすげ替わるのか番を張っていた(夜になって諦めたけど)。今から見れば完全にただの馬鹿だった。

そんな根拠のない自信は、試験帰りの新幹線慶応に落ちたことを知り、補欠だった早稲田にも繰り上がりはなく、そして3月10日を迎えて完全に打ち砕かれた。後日はがきで送られてきた俺の点数は、合格最低点に(全教科計1000点満点で)80点以上足りなかった。

大学受験浪人)】

私大早慶以外にも何校か受けており、そのうち1校には辛うじて受かっていた。浪人生活はとにかく苦しいと聞く。しかし極限まで肥大化した京大-自由楽園-への憧れと、早慶未満→研究は無理→会社員自由のない人生というイメージから俺は進路に迷った。結局家族で唯一理系だった祖父の「受かった大学師事したい先生がいるならよいが、そうでないならもう一年頑張ってみては」という言葉におされ、俺は浪人生となった。

もう現役のころのような希望はなかった。予備校京大クラスはそこにしかないため、満員電車を乗り継ぎ片道1時間半かけて都心の校舎に通った。中学受験ときは決まった休憩時間には遊べたが、浪人の間はあらゆる時間勉強に費やさなければならないのが本当に辛かった。趣味読書も一切禁じた。もし落ちたら奴隷のような一生しか歩めず、それだったらもう死ぬしかない。そう思いつめているせいか夜はなかなか寝付けず、自習時間や週末に眠り込んでしまうことも度々あった。クラスメートと一切話さず(結局誰一人名前も知らなかった)、昼休みは机に突っ伏していた俺は相当浮いていたと思う。

それでも振り返れば、この一年で俺の馬鹿は(お勉強の面では)だいぶ治ったと思う。物理は難度の高い問題をこなし、得点源といえる域になってきた。化学は詳しい理論(π電子とか)は理解できず丸暗記だが、現役時代と合わせて知識量はそこそこあるはず。国語感覚を廃した分析的な読みを一から勉強し、地理と合わせてセンターで大幅な特典増が見込めた。数学はやはりしんどいが、どうにか100/250点とれれば総合合格点に届く計算だった。

試験前日、俺はやっぱり眠れなかった。ホテルの有線音楽で聞いた『一年生になったら』がずっと頭の中を流れていた。興奮は当日になっても続き、寝不足による不調は感じなかったが、2日目の最後理科試験問題を開いて絶望した。物理が例年よりも簡単すぎる!差別化を図れる唯一の手段を封じられ、動揺した俺は同時に出された化学で手こずりまくった。絶望感とともに帰宅した俺は、迎えてくれた家族の態度から早慶に落ちたことを察し、今度こそ人生が終わったと泣いた。そこから3月10日までは後期(京大にはないので他所)の勉強をする気力も起きず、抜け殻同然の日々を過ごした。

ここでいつか使おうと思って、結局使えなかった話のネタを供養したい。俺は出願期間が始まって速攻で願書を出したから、京大受験番号は(学科を表す千の位+)8番だった。たしかその年の工学部の倍率は2.5倍くらいだった気がする。迎えた3月10日ホームページで見た合格者の番号は

1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 9, 11, ...

あの時同じ部屋にいたはずの10番は、今何をしているだろうか?

【その後】

結局俺は最低点には17点届いていなかった。そして死ぬだけの覚悟があるはずもなく、併願した某私大に進学した。この大学に現役で進学し、新歓の時期ばったり会った高校クラスメートの「一浪して○○大!?」という言葉が今も胸に突き刺さっている。

……とまあ、受験生を奮い立たせる目的ならこういう風にBad endで終わった方が良いのかも知れないが、どっこいこれもN年後の今では良い思い出である。あれから俺は京大とは別の国立大の院に進学し、今は民間企業への就職を控えつつ博士課程を終えようとしている。結局私大生活も十分すぎるほど自由だったし、現状研究者も中々自由が効かなそうだし、企業でも上手くマッチングすればかなりやりたいことが出来そうだった。後に残った傷といえば、森見登美彦が読めなくなったことぐらいである。

もちろんこんなのは結果論しかいから、これを読んでる受験生は悔いのないよう今の信念を貫いてほしい。しかしもし将来(受験に限らず)苦い思いをすることがあったら、それがどのようにして「良い思い出」に変わり得るかのヒントとして次の言葉を思い出してほしい。

人生には割と結果オーライな所があって、今の状態が悪いと過去の一つひとつがその原因のように思えてくるが、逆に今が良ければそれらにも意味があったんだと思えるようになるもんです。

これは今の大学である先生が仰っていた言葉だ。過去未来を決めるのでなく、未来過去意味づけるというとまるで(京大編の元増田の)「汗をかけ」へのアンチテーゼみたいだが、そうではない。大事なのはもし受験不本意な結果に終わっても、その後人生で「成功」するチャンスはまだまだ残されているよということだ。私大の院で着実に研究者への道を歩んでいる同期がいる。生涯の伴侶を見つけた後輩がいる。サークル趣味が高じてプロになった先輩がいる。俺だって京大に落ちなければ、今の研究(超絶面白い)には出会えなかっただろう。どんな道でもとにかく今が楽しいという状態にさえ持っていければ、きっと明日だって「落ちたことにも意味があった」と僻みなく言えるようになれるだろう。

全ての受験生と、かつて受験生だった皆が、新時代を迎えるこの年に「成功」出来ることを祈っている。

理三受験の思い出

anond:20190102063518

こういうの書きたくなるね。自分が頑張ったことは思い入れがある。

微妙に書くところ間違えたので投稿しなおした。


小学生

関西田舎の町立小学校に通っていた。友達がみんな塾に行っていたのが楽しそうだった。

「僕も行きたい」と親に言ったことがあったが、なぜか断られた。

自分が子を持った今なら分かるが、3人目の私にお金をかける余裕がもはやなかったのだと思う。家にはアップライトピアノがあって姉が習っていたが、自分は習いたいと言ってもお茶を濁された。


父は会社勤め。ホームレス気質天才タイプ。母は専業主婦。真面目な秀才タイプ。親は教育に興味が無いわけではなかった。むしろかなり意識的独自戦略のようなものを持っていたと思う。

小6の夏休みに入ると、「レベルの高い学校に行くとめちゃくちゃ楽しい」などと、うまいこと母に言いくるめられて中学受験を決心した。


「力の五千題」とか「自由自在」を各教科買ってきて、夏休みに二回ほど通した。なにかババのようなものを掴まされたような気もしなくもなかったが、面白かったので続けた。

からは応用問題集、冬になると過去問をやった。模試は受けなかった。「自信を失わせたくなかったから」とあとで母から聞いた。どういう意味だ。

私立を2つ受けてどちらも合格した。ちなみに、受験直後の自分感触としては98%落ちたと思っていた。未だに謎である


中学生

中高一貫校寮生活が始まった。

強制的勉強する時間毎日3時間あった。小学生の頃とは比較にならないほど学校の授業を面白く感じたので、予習・復習をやった。みんながやっていたので、ラジオ英会話を毎朝聞いて、テキストを暗記した。完璧発音テキストの会話を一人で完全再現できるようにしていた。一年イギリス人先生普通の会話ができるようになった。
中学3年生のときに、全員がZ会模試を受けることになった。はじめての模試で超わくわくした。総合で全国100番位だった。初めて自分立ち位置を知った。思ってたより良いという感覚。でも同じクラスに全国一桁台とかが普通にいた。


音楽室に個室のピアノ部屋が5台分あった。昼休みにほぼ毎日通ったので、結構弾けるようになった。今考えると異常な環境である音大かっていう。親友ピアノが超すごいやつがいた。ヤマハをずっとやってきた人で、聴いたら即弾ける、ハ長調譜面初見で見て変ロ長調で弾ける、メロディを見ると即座にステキ伴奏を思いつく、など。理解不能であるピアノをメインの楽器にするのはやめようと思った。


高校生

下宿に移り、自由になった。学校以外で勉強しなくなった。暇なので、絵を描いたり生徒会をやったりピアノの人などを誘ってバンドをやったりと、生活を広げ始めた。

授業中に予習復習などすべて授業を聞きながら終わらせたので、成績は特に落ちなかった。

こういうことを書くと、舐めてるとか自慢とか思われるわけだが、違うんだ。

自分なりに一番効率が良い方法を追求していた。授業中に寝て、家で数時間独自勉強するみたいな非効率的なことはしたくなかったのだ。

授業は120%の集中力で聞く。それでも時間が余るので、次の予習をしたり、問題の別解を考えたりしていた。家で半徹夜で何時間勉強している人たちよりも結果的に長時間勉強していたと思う。だって毎日9時から17時まで勉強していたんだもの毎日7時間くらい集中して勉強しているのに、「増田勉強せずに成績が良いな」みたいなことを言われてたのは未だに納得がいかない。


高2で東大模試を受けてみると、理三以外はすべてA判定だった。理三だけが完全にE判定だったので、「は?しばくぞ」と思った。
なんかの奨学金アメリカにただで行けた。夏休みの一月まるまるESL漬けで楽しかった。自分英語力はあんまりしたことないと気づいた。同級生アラブ皇太子とかトルコ首相の息子とかがいた。そういうのも自分には無い。


高3になって流石にクラス空気も変わり、自分放課後勉強するようになった。小学生の時は夏休みから半年でなんとかなったけど、さすがに東大一年位はやらないとやばいだろという感覚があった。

一学期にあった駿台統一模試で、英数国の三教科の偏差値が80を超えていた。一方で、本来好きな理科がボロクソだった。準備不足を痛感して夏休みに強化することにした。


・高3夏休み

化学生物だった。教科書はさすがにすべて頭に入っていたので、いよいよ応用問題週に手を出すことにした。東大過去問をちら見すると、化学の出題の半分くらいは似たような問題しか出ないことがわかったので、同じ問題を何十回も解いた。滴定とか。30分かかって6割しか正当でいなかったところから、5分で100点の回答ができるようになった。時間が余るので、初めて見る問題ゆっくり考えられて便利。生物は、問題文に答えが書いてある。

一方で、わりと大丈夫そうな主要三教科は、根本的なところをやることにした。

数学

チャート式などは数冊終わっている状態大学への数学をひたすら解く。新しい問題は、ひたすら考える。未知の問題に解法の方針を立てる練習

英語

TIME誌を定期購読していたので、毎号気になる記事を一つまるまる訳してみる。超大変。NEWSWEEKにすればよかった。のだが、一年定期購読してしまったのでやるしかない。んで、訳したあとは要約を英語で書いてみる。ラジオ英会話ビジネス英語までランクアップしていた。正直東大受験ではこのレベルリスニングスピーキングは当時必要なかったので、聞き流していた。ハマっていたのはパーソナリティの訛りを真似すること。

国語

Z会小論文をやっていた。元来文章がそんなにうまくはなかったけれど、読むのも書くのも好きだったのでこれは半ば趣味結果的200字作文に多少役に立った。


・高3秋

9月学校最後イベントがあり、燃え尽きた。勉強は2ヶ月ほどお休み。焦りはなくはないが、みんなそれで合格するやつは合格するっていう先輩の像を見てきている。今回は自分がそれをやるほか無いという感覚。流石にバンド解散した。


・高3冬

10月から2月まで5ヶ月もある。


センター試験

英語198 

数学191 まさか満点じゃないとは。世知辛い東大理系はわりとこういう感覚だと思う。

国語167 古文漢文論説は150/150。小説めっちゃ間違えた。こういうこともある。

化学100 

倫理93  一応、山川倫理用語集を3回くらい読んだ。手抜き教科のつもりが、哲学に興味が芽生えた。大学に入ってから哲学系の本をたくさん読んだ。自己形成に大きな影響を与えた。人生何が大事わからん

合計

前記749/800

後期489/500

センター試験

ようやく赤本に取り掛かった。感想は、英語簡単すぎ、数学難しすぎ、国語意外とお得、理科けっこう簡単

というわけで薄々気づいていた数学不安定さと、国語のお得さに焦点をあてる。数学が0点でも受かる謎の計画をたてる。国語最後の一ヶ月だけ、古文漢文個人先生に習った。

ちなみに東大模試は3社2回とも全部受けて、最後を除いてすべてE。でも成績は徐々に上がって最後だけはC判定だったので、本番の頃にはB判定くらいになってるんじゃない?と思っていた。


・本番

当日はなぜか20時に寝て、25時に覚醒し以後眠れないというアホなことをした。

ただ全く寝てないわけでもないし、ただ少し眠いだけなのでやるしかない。


 点数非公開時代なので自己採点

国語 60/80 ほぼできた。

数学 40?/120 難しすぎ0完6半ワロタ。。1完だと思ってたのに、弥生門を出たところで配ってた駿台の速報を見たら計算ミス発覚。かなり暗くなったが寝たらわりと忘れた。

生物 50/60 多分まあまあできた。

化学 55/60 多分ほぼ間違えてない。

英語 120/120 まじで満点じゃね?と思った。

合計 325/440 数学が0点でもギリ受かるかも?と思った。

・発表当日

赤門から会場へ向かうと、のちの上クラになる姉が向こうからやってきた「あ!○○ちゃん、受かってたよ!」

弟に「ちゃん」づけはまあしょうがないとして、俺が知るより先に結果を言うなよ。未だに恨んでるぞ。

合格してから

家賃が安いという理由三鷹寮に申し込んだのだけれど、その書類を集める際に親の年収が600万であることを知った。そりゃ無理だわ、塾もピアノも。ちなみに中高は奨学金もらってた。それでも親は教育のために借金してたんじゃないかな。決定的に計算が合わない。ちなみに三鷹寮は生活費が安すぎて家庭教師バイトだけで異常に金持ちになった。楽器を買ったり海外旅行に行ったりした。ヨーロッパまで6万円で行けた時代である。さておき、感覚としては、医者になってまともな収入がある今よりも、当時は自由に使えるお金があった。人生まじで謎である

おじさんもなぜか未だに人生謎のままに頑張ってるけど、受験生の皆さんも頑張ってね。

2018-03-13

anond:20180307150402

京大じゃないけど高3の夏の大学模試E判定から国立文学部に滑り込んだ者参上

あと2年もあるなら頑張った方が絶対後悔しないよ

2018-03-03

健康診断なんざ怖くねえ

来いよE判定健康なんて捨ててかかって来い。

野郎、ぶっ食ってやる。

私は揚げ餅が好きだ。

お菓子の揚げ餅ではなく、自分で作るやつ。

電子レンジで柔らかくした切り餅を、更に油敷いたフライパンで炒めたり、油で揚げたりしたやつ。

揚げたてに醤油つけて海苔巻いて食べた時の味と来たらもう、あらゆる料理を超越した脳天直撃の天上の味と言って良い。

この世で一番美味しい料理。それは揚げ餅。

が、当然カロリーというか、糖質・脂質・塩分の全てがヤバい成人病推進委員会推奨モノのジャンキー料理である

でも美味い。

垂涎。

垂涎の揚げ餅・・・

なお、私はバターを乗せた黒糖蒸しパンも好きだ。

スーパーで売ってる黒糖蒸しパンに一かけらのバターを乗せ、口に入れ、追い牛乳を口に含む。

駆け巡る脳内物質

至福・・・

圧倒的至福・・・

和の究極、揚げ餅。

洋の究極、黒糖蒸しパンバター

健康診断なんざ怖くねえと言ったな。

あれは嘘だ。

怖い! でも美味い!

私はどうしたらいいんだ。

2018-01-18

大学受験

最後模試E判定で、先生志望校ランク下げろよって言われて、多少凹んだけどそんなの本気にしてなくて、まあそんなこと言っても何とかなるでしょって思ってて、過去問で8割超えたこともあって、喜んだのも束の間、センター失敗して、そこでやっとほんとに私だめなんだあ、って思って、先生にもそろそろちゃんと考えろよって釘刺されて、そりゃ有名な私大から難しいのはわかってるけど、でも本気で行きたいのも事実で、周りから何度も何度も止められて、厳しいとか、危ないとか、挑戦するだけ無駄とか!わかってるよ、私なんかじゃ受からいかもしれないよ、届かないかもしれないよ、それでもやらせてよ、いくら笑われてもいいから、受ける自由を奪わないでよ、描く夢を土足で踏まないでよ、努力無駄だって言わないでよ、それぐらい行きたい、行きたい、大学に行きたい!憧れるのはもう嫌だ。夢だなんてもう言わせない。そのために涙も不安も忘れて勉強する。だから合格したい。


書き終わったら疲れた。受かっても落ちても、またここに報告する予定です。読んでくれた人ありがとう。それじゃあ勉強してきます

2017-12-14

https://anond.hatelabo.jp/20171214114359

健常者と生活上は同じとはいっても、1年に一回ぐらい検診受けないとまずいから、一応年一回は通院してる。

年一回でも通院すれば、保険の記録に残るから、バレる。

心電図取れば一発で手術したってわかるからE判定になって通院して結果知らせろと会社に言われる。

2017-09-03

初めての衝撃体験全身麻酔ポリープ除去手術した話

◼️ポリープあるってよ◼️

健康診断婦人系項目でいつからか必ずといっていいほど、ひっかかるようになり、早数年。

自宅に届く健康診断結果に、さらりと書いてある「E判定 要精密検査」に最初ビビっていたものの、ここのところはすっかりあーはいはい、またね、といった具合に慣れてしまった。

ぶっちゃけ、あの流れ作業的な中で行われる健康診断検査項目は、数値で計れるもの(体重血液、○○値みたいなもの)以外は、人によって見方が違うから専門医でない限りアテにならないと聞いたことがある。

確かに、Aという項目でひっかかって再検査してるのに、いやBの方が問題ですよ、といわれることもしばしば。

そんなこんなで、今回も右卵巣がなんやらで判定が出てしまったので、不妊治療でゆるく通っているかかりつけ医に診てもらうことに。

そしたら、まさか健康診断結果とは違う左の方が腫れてると言われるし、左腫れてるけど基準値内、周期のホルモンバランスの影響でしょう、と。。

そして、むしろ子宮内膜にポリープが3つ程あると!まじかーい!

良性のものが多いけど、妊娠を望む女性にとってやっかいものらしく、

着床障害を起こし、不妊の原因の可能性の1つらしい。個人差はあるけどとったら妊娠した、という事例もあるそうなので、ポリープを残しておく理由はない。

であれば、とってしまえ!!と思い、手術予約をとったのでした。

◼️初めての全身麻酔手術◼️

まあ、書き方おおげさなんだが、、局所麻酔経験あるのだけど、眠らされる経験は初めてなので、記念に書いておこうと思い、今に至るのである

まず、手術タイミングについて。子宮内膜の厚さが周期によって変わるため、手術時期が限られているとのこと。

生理開始から1週間後の内膜が薄くなっている時期が、ポリープがしっかり見えるのでその時期なんだとか。

手術前日、21時以降は絶飲食

しかし、仕事帰宅が間に合わず、22時前に夫が買ってきてくれた焼き鳥を食べノンアルコールビール飲んだのはここだけの話。。

水は24時頃までなら少量okとのことで飲む。なんとかなるでしょ。

当日。午前9時に自宅にて事前に処方された、痛み止めの座薬注入。

予約していた10時に病院に到着後、程なくして診察室に呼ばれる。

手術はすぐ行われるわけではなく、まずは子宮を広げる薬と布?みたいなものを入れられる。

うぅー、ちょっと痛いよ、先生。。あの、パッカーンの診療台での診察、何度やっても慣れないわ。。

そのブツが、入った状態で2時間程ベッドで休みブドウ糖の点滴も打ってもらう。

あぁ、病院のベッドで点滴なんて何年ぶりだろ。仕事大丈夫かなー(その日は金曜日で、仕事がかなり忙しい日)とか色々考えながら過ごす。

13時くらいに看護師さんが呼びに来る。

点滴つけたまま2つ隣くらいの部屋に移動し、パッカーン診察台に座らせられる。

よくテレビで見る、心電図と指にはめる脈測るものを装着し、医師が3人くらい登場。おいおい、まあまあ本格的やないか、、と心配になりながらもなされるがまま。

そして、女医さんが点滴から何かを入れ、次第に眠くなりますよーと言われたのが最後記憶となるのでした。

◼️気づいたら、、◼️

最初にいたベッドの部屋の景色。手術終わったっぽい!

意識朦朧としているんだが、下腹部の激痛と、車酔いみたいな気持ち悪さで頭がクラクラする。。

下腹部の激痛といっても、冷静に今思えば生理痛のもう少し重い時くらいの感覚なんだけど、なんせ、麻酔により本当に眠らされてショック?だったのと、何が起こったかからないプチパニックになり、思わずナースコールを押してしまった。

30分ほどで落ち着きますよ、といわれ耐え続ける。

ん?パンツがはかされて、ナプキンもつけられてる。。まじか。記憶がない。

看護師さんに聞いたけど、手術時間は15分から20分くらい。手術後車椅子でベッドまで運んでくれたというではないか

くそ記憶がない。パンツはかせてもらったことも、運ばれてきたことも。。

初めての経験の衝撃と痛みと気持ち悪さで動けないのでしばらく横になって休む。痛みがだんだん落ち着き、軽い生理痛くらいになった時看護師さんが来てくれた。

無理しないでもう少し休んでもいいですよ、と言われたが、タクシーで帰るだけだし、早く家に帰りたいし、お腹すいたし帰る準備を始める。

最後に、薬を4日分処方され、経過観察のため1週間後にまた来てください、お風呂シャワーのみで、といわれ、その日は終了。お会計20000円弱でした。

病院をでた頃はすでに16時をまわっていた。

◼️最後に◼️

今回色々調べてわかったこと。

子宮内膜ポリープ不妊の原因の一つの可能性がある、ということ。

まだ、手術終わったばかりでその効果はわからないけど、不妊治療の色々な検査をしても異常がないのに、なかなか授からなくモヤモヤしていたので、やってよかった。

1週間は断酒だけど、また頑張るかな!

ポリープとともにモヤモヤしたネガディブな感情も削ぎ落とされた、初手術体験でした。

2017-08-17

子供が感じる、褒める、褒められることの大切さ

私は、高校三年生です。

先日、模試の結果が届きました。

第一志望は惜しくもE判定だったのですが、

確実に成績が上がり、前回D判定だった大学がB判定に上がっていていたのと、初めて偏差値が70を超える教科もあり、少なからず喜びました。

しかし、結果を親に見せたところ、「この成績で第一志望に行けるの?」と言われました。良かった教科には触れられもしませんでした。

とてもショックで言葉も出ません。

褒められることを期待したことが惨めに思えました。

確かにE判定では第一志望に行けない。

でもそんなことはわかっています。とても不安です。でも、すこしくらい褒めてくれてもいいんじゃないかなと思いました。

思えば、あまり褒められた記憶がありません。小学生ときも、中学生ときも、習い事も、部活動も、勉強運動も。

褒められないと、えも言えない気持ちになります

から褒められた記憶があまりないので、人からプラス意味形容詞を使われたとき、どう対処していいのか、わかりません。

褒められたい気持ちだけでいろいろなことを頑張っているわけではないけど、すこしは褒められたい気持ちがあるので、張り合いが無いような気がします。

私がB判定を取った大学に通い、地方公務員になった従兄弟は「すごいすごい」と褒められるのに、なぜ?と思うこともあります

私が褒められるためには、第一志望の大学に行き、将来、商社や省官庁に勤めるしかないんですかね?

もう何が何だかからない。

ひとつだけ言えるなら、もしこれを読んでいらっしゃる方にお子様がいらっしゃったら、ぜひ、褒めてあげてほしいです。(上から目線申し訳ない)

褒めることの重要性は長年説かれてきていて、とても大切なことです。

「生きてるだけで褒めてくれる〜」みたいなの、ツイッター流行ったのを思い出しました。

人はみんな頑張ってるし、社会人の方々も頑張ってる。

当然、子どもも、頑張っています

「よくやった」とか、「すごい」とか。

先生や友だちから言われるのも、きっと嬉しいけど、親から言われれば、もっと嬉しいだろうと思います

散文失礼しました。題通りの文章で無くて申し訳ないです。読んでくれてありがとう

文章を書いたら、すこしスッキリしたような気がします。模試が近いです。また、頑張ろうと思います

2017-07-07

しまじろう!トリッピーのおじいちゃんが生活保護だということをTwitter拡散したらだめじゃないの!トリッピーのお父さん不信任案うけてるわよ!今日はご飯抜きです!

「はーいごめんなさい」

最近アニマル高校での成績が振るわないしまじろう

ANIMALと称される中堅大学の判定がすべて軒並みE判定だった一方

父親市長であるリッピーはアニマル医学部A判定で予備校から奨学金ももらえていて、なんだかしまじろうはトリッピーに殺意が湧いたよ。

一度お弁当にとり肉を入れてこれみよがしに食べて挑発して喧嘩になったけど空手部長のトリッピーに戦いを挑むなんてただの馬鹿であったということを思い知らされるのみであったよ。

しまじろうは日に日に彼への憎しみを募らせ彼を社会から抹殺したいという願望を抱いている自分に気づいたよ。

しまじろうはなけなしのお小遣いを叩いて探偵にトリッピー家の弱みを探る依頼をしてみたよ。

そして掴んだ情報がおじいちゃんの生活保護受給というもので、

それを知ったしまじろうは一日中キリスト感謝の祈りを捧げていたよ。

今トリッぴーのお父さんはマスコミからバッシングを受け、不信任案が可決、トリッピーは自主退学手続きを終えたよ。

2017-04-22

しまじろう!トリッピーのおじいちゃんが生活保護だということをTwitter拡散したらだめじゃないの!トリッピーのお父さん不信任案うけてるわよ!今日はご飯抜きです!

「はーいごめんなさい」

最近アニマル高校での成績が振るわないしまじろう

ANIMALと称される中堅大学の判定がすべて軒並みE判定だった一方

父親市長であるリッピーはアニマル医学部A判定で予備校から奨学金ももらえていて、なんだかしまじろうはトリッピーに殺意が湧いたよ。

一度お弁当にとり肉を入れてこれみよがしに食べて挑発して喧嘩になったけど空手部長のトリッピーに戦いを挑むなんてただの馬鹿であったということを思い知らされるのみであったよ。

しまじろうは日に日に彼への憎しみを募らせ彼を社会から抹殺したいという願望を抱いている自分に気づいたよ。

しまじろうはなけなしのお小遣いを叩いて探偵にトリッピー家の弱みを探る依頼をしてみたよ。

そして掴んだ情報がおじいちゃんの生活保護受給というもので、

それを知ったしまじろうは一日中キリスト感謝の祈りを捧げていたよ。

今トリッぴーのお父さんはマスコミからバッシングを受け、不信任案が可決、トリッピーは自主退学手続きを終えたよ。

2017-02-09

浪人生

遊んで一年

棒に振る

受かる気でいた

新学期

ふたを開けると

E判定

良い判定を

見ずじまい

ダラダラ過ごし

もう2月

全落ちキメて

もう一年

2017-02-07

僕のすべての受験体験

http://anond.hatelabo.jp/20170206102543

これを読んで懐かしくなった。

すべて関西エリアの話です。

幼稚園受験

最初受験記憶はこれ。完全に親の力で決まる受験

高校までエスカレーター私立幼稚園で。周辺の3つの市くらいか金持ちが集まり、お母さんが派手な美人が多い。親が元女優プロスポーツ選手ヤクザ幹部みたいな人も多い。

受験対策というのはほぼ無いので、親の職業年収寄付金なんかで決まる。

受験でしたことと言えばちゃんと記憶にあるのは面接。多動気味だった僕は面接中にもう全身が痒くなって大暴れしたのを覚えている。一応それ以外にも先生と遊ぶ時間もあったから、そこでも見られていたんだろう。

うちは普通サラリーマン家庭だったがバブルで潤っていたこと、母方の祖父母がそれなりの中小企業社長だったこともあってか合格

袖の下も渡したらしいという話は後から聞いた。

キリスト教系だったので、様々なクリスマスハロウィンミサなんかを味わえたのはい経験

小学校受験

エスカレーターで上がれるところを、親の意向で母の母校を受験することに。(幼稚園は人気高い小学校は頭がわるいイメージの強いところだったので、50%くらいの園児が別の小学校に進学する)

受験対策として塾に通わされる。もちろん塾と言っても勉強ということではなく、マナーとかお作法とか創造力があるか、といった試験クリアするためのもの

ひたすら折り紙練習や、箸を正しく持って小豆を皿から皿へつまんで移動できるか、面接で受け答えできるかの練習

そして迎えたお受験日。事前の練習通りやったし、面接もなんとなくだがよく喋れた記憶がある。しかし、結果は不合格。後の親の感想によると、サラリーマン家庭であったことと年収

中学受験

小学校公立に入ることになった僕だが、小2から学習塾に通い出す。小3の夏期講習をきっかけに進学塾へ。

小5の終わりまでは灘クラスにいたものの、常にその中の最下位だったのでワンランク下のクラスへと変更。あと、僕自身の二度と受験したくないという意向を受けて大学までエスカレーター中学第一志望に。

エスカレーター高校までの滑り止め中学合格したものの、第一志望は不合格

正直なところ第一志望は余裕で問題を解けていたが、珍しく内申点を重視する学校だったことが仇になったんじゃないかと見ている。なんせ受験反対派の先生クラス受験のために小学校休みまくっていたので。

高校受験

先述の通りエスカレーターのため無し。

大学受験

普通にすごしていたものの、怠けまくったせいで中学受験第一志望だったところ大学がD~E判定という状態で高3を迎える。まぁ一年留年するか〜と思っていたところにネットAO入試を知り先生相談

さすが私立高校ということで当時は珍しかったAO対策室みたいなところがあり、そこの指導のおかげで、中学受験第一志望だった大学と同ランク大学合格

人生史上一番苦労していない受験

就活

元々行きたい業界は決まっていたので、ちゃんと早めに3年の夏のインターンから就活を開始。3つほどインターンに参加し、そのうちの第一志望だった会社からかなりの早期に内定をもらう。

通常の就活より相当早めのいわゆるインターン裏枠選考だったため、そこで就活終了。なのでちゃんとした就活はしないまま終わった。そして、今も最高の会社だなと思いながら働けている。

うん、やっぱりちゃんと早めに受験対策してりゃ、いい人生送れると思うんだ。

2015-06-12

結論

①下位60%の男は恋愛コスパ悪い

 単なる事実ラーメンを2万で買うようなものE判定努力してもコスパ悪いが、やりたきゃ悔いなくやればいい。20浪しても東大はいりたいとか、それはそれで否定しない。

 やらない奴は賢いと思う。人間、突っ込んだコストに拘泥しちゃって、勝負から引けなくなるミスのほうが多いから、無理な勝負は降りれる奴は賢い。

  

恋愛代替は充実してるぞ

 単なる事実メンチカツ定職が50円なら、そりゃ飛びつく。わざわざ2万のラーメンよりは、昼食ならそんなもんでいいかな。ただ、ラーメン食ってみたいってのは否定しない。

  

イケメンと比べて、ブサメン恋愛効率悪い

 単なる事実イケメンには100円でラーメンが売られて、フツメンには2k円、ブサメンには2万で売られている。イケメンがうらやましくはあるが、分相応でしかたない。

  

ネットで女叩きとか煽ってるのはブサメン、女叩きを叩いてるのは雰囲気フツメンイケメンとか雰囲気フツメン普通に恋愛楽しいしまったく昔と変わってない。

 多分そうだろうなと思ってる。自分に2万のラーメンしか売られてないならラーメン屋叩く感じかなーと。そのラーメン屋が叩かれてラーメン屋がつぶれないか心配してフツメンがいさめている。

  

  

 個人的には、自分努力フツメンブサメンなので、恋愛結婚も諦めて、二次元なり仕事なりを充実させるほうがいいなと思った。損益分岐点は分からないだろ!って批判あるが、余りにも損益分岐点から離れてたら分かるwギリギリで分からない人は当然努力したほうがいいよ。

 ものすごくドライ結論でるし、数学並みに感情ゼロでそう思ってるが。他人から見ると気に食わないひともいるらしい。

 こういう考え方がある意味論理的ドライな考えの『正解』だとは思うが、もちろん、人それぞれ結論持ってもいいと思ってる。

 でも、結構皆、流されるし、ドライ結論に飛びつくから、今後はこういう流れになるんだろうな~とは思ってる。

2014-06-18

大学生の間に私は成長したのだろうか。

大学生の間に私は成長したのだろうか。


生まれときから世界には完璧という概念存在しており
人間人間であることを放棄しない限り、人間は成長することはないと思っていたので
成長という表現を聞いたとき不快感がずっと存在しておりました。


私の頭の中は、相対評価ではなくて絶対評価であっても、小学生ときがピークでして
それから10年以上、ずっと退化するのに耐え抜くだけの時間を過ごしました。


中学受験塾という環境で過ごして、中学受験しました。

入学した学校は、とある物差しでは関西で5番目くらいの学校
希学園偏差値表で、灘が63、東大寺が61、甲陽が59、洛南(併願)が58、大阪星光が55
(当時は西大和は52、今はもう少し大きな数字だと思います)(女子神戸女学院が54)

星光の入試配点は国語120数学120理科80社会80の(傾斜)配点で、合格最低点は7割
7割というのは高い方(6割が平均的)で、得意不得意が日本一レベルだった私には無駄な難関でしかない。

母数のレベルが低いテストによる合否判定は、得意不得意が異常な私は生涯を通して最高でもE判定しか出ないシステムであり
私は当時からその仕組みが理解できたけど、まわりにいた無能たちはそれすらも理解できなくて話が通じることはありませんでした。

そしてその成績の私には、言及するには心理的抵抗が大きかったのですが、灘や甲陽の配点は国語200算数200理科100で合格最低は6割
私の心の奥底には、星光よりも灘の方が簡単ではないのか(妥協して甲陽)と思ったこともあったのですが
灘も甲陽も兵庫県で、非常に残念なことに星光は家の近所にあるという環境の違いもあったりしまして。

当時の私のテストの答案はいつも同じでして
算数は冒頭から順番にすべて正解、一番最後問題時間切れ。テストは毎週ありましたが、計算ミスもしないのですべてがその結果になります社会も冒頭から比較的には正解率が高かったのですが、正解に自信が持てないので非常に時間がかかり、100点中後半50点ほどは常に白紙での提出でした。
理科物理化学算数に同じ。生物地学は興味がなかったので社会と同じ。
国語文章問題2題が多くて、いつも片方しか読む時間がありませんでした。そして常にクラス最下位。塾全体の公開テストでも下から数人目。
公開テストは600人ほど受けていて、上から10位までは名前が公開されます。(科目ごと+3科目合計+4科目合計)
当時4科目合計で名前が載ってた人は、国際科学オリンピックメダルをとっていたり、当然のように東大医学部に行ったことまでは把握しています。
そして名前が載るのは「S1クラス」という能力クラスでの1番目のクラスばかりになるのですが、
算数時間が足りたことがあって、そのときに「H1」という平均以下のクラス所属で私の名前が載ったことがあります。

すごくどうでもいいですが、能力クラスでは定期的にクラス替えが行われるのですが、私の成績が算数クラストップ、国語クラスビリで安定していて
「H1」という所属クラスってふつうは変動するのですが、なぜか入塾時から小6の途中まですべてH1のままで動くことがありませんでした。
小5までは谷町九丁目教室ではS1からS5とH1からH3、小6からはS0からS8とH1からH6でした。つまりH1っていうのは偏差値では50以下です。
なので志望校として決定されるのは星光になるわけですね。また星光合格者の中では、私が一番下のクラス所属でした。





自分記憶力が残念なので想定外に長くなりました。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

さて、小6の3月から2年間にもなる長期間虐待の日々がはじまりました。

その結果、定期テストの前に、勉強するということもしたことがありません。

中3の時の、通知表の成績は、高校への内部進学の基準になります。

全科目の平均が60点が条件で、テストの点数そのままが通知表の点数になる科目もありますが、
平常点を用意したり、救済措置を用意して下駄を大量に用意すう教師もいます。

学年人数は200人で、毎年学校を追い出されるのは10人とか。他の学校よりも多いと思います中学受験での話を想定外に長く書いたので、少しここは省略します。


日本語を話してくれない教師への反発もあって、中3での通知表成績はビリから2番目の人(50よりは上)よりも10点くらい下です。

T野(体罰数学教師)の数学で、一番はじめて満点を達成したのは、M君ではなくて私だったりします。
名前が汚いからという減点は毎回受けていましたが。

英語のS水(中1中2での担任)も相当無能ゴミだったし、
国語の学年主任(中3での担任)もゴミだった。愛のかけらなどどこにもなかった。


テストのために勉強する、という行為はしたことがなかったですが、テスト最中中学受験時代での私の哲学をただただ耐え抜く日々でした。


そして、私の中には中学受験での自己評価をもとにした学力観というものがありまして

勉強したと言えるような時間は、授業中に教師が答える前に自分脳内で答える予習的学習テスト時間中における、問題作成者との、問題を通したコミュニケーション、その2つだけ。

私は私自身の美しい過去尊敬しており、またそう言えるためだけに命をかけております。


信じるかどうかは好きにすればいいと思いますが、勉強したと言えるような時間は上記以外には特にないまま
高校入試受験するみたいでした。(受け身)


甲陽の高校入試の配点は英語200数学200国語200理科150で、合格最低点は脅威の5割。
西大和高校入試の配点は忘れました5科目で、合格最低点は7割。

西大和高校入試数学レベルが高くても小6レベル以下の問題でびっくりしました。(過去問とかも知らない)計算用紙にポエムを書きました。(計算用紙も提出です)
そういえば、テスト最中にはテストに向かい続けるという呪縛を本当に無駄に守り耐えてきたのですが
さすがにあれなので、問題用紙に脳内ポエムを絞り出す習慣が発生していました。
私の問題用紙に書かれた脳内ポエムの絞り出し、見たことある人いるでしょうか。
その一部は高校時代にやっていたブログに模写投稿されていたりします。


といいますか、私は言葉から行動に移すような経験が一切ないと思います国語という科目が全くわからなくて、表現能力障害者しかないのです。

表現というものに、全く価値を感じる機会が今までずっとなかったのです。
(相手の意思とは関係ない)教えてくれる人間自分視点環境には存在しなかったってことです。


この世に信頼できる人間が1人もいなかった。
そうすれば、こうなります存在する存在空間の、表面結果が表現されるだけで、それだけでしょ。


伝えたいと本気で思える人間が私の前に現れることがなかった。



脱線しましたけど、西大和不合格になりました。人生初の不合格です。計算用紙になんだこの数学はアホかやるきあんのか、って書いたのが相手を激怒させたのかもしれません。

入試の科目で満点とれてるのは西大和数学人生初だと思う。(大学入試では同志社物理センター物理が満点。センター物理って小学生でもry)
(大学入試数学は私は全く訓練がされてないので、同志社レベルでさえ時間足りないです)

そして、甲陽おちた場合、出願は2校しかしていないので、いく高校がないです。

けど合格してた。勉強して合格したわけではないので、何も感じなかった。

自分人生他人事で、どうでもよかった。





人は過去を美化するという表現を見かけることがあります。

この表現意図はこうです。

そんなわけがない、人間なめるな。しかしすべてを説明するのは一生かけてもできない膨大さ。情報努力して絞り、本質的情報を簡略に表現する意図がある。

人間人間であるための努力だ。

そして過去存在しない人たちから言及をそらし、内心ほくそ笑むための表現です。


人間であることを放棄した人が、人間舐めるな。

人間は、人間人間だと信じている人たちだけで暮らせばいいです。(そう信じることしかできないんです。)





脱線の方が長くなってしまいました。ごめんなさい。



高校。高3で人生で初めて、通知表に0がつきました。

英語定期テストで選択問題が初めて0問で、(授業でやった)東大京大等の英訳和訳問題のみだったのです。がんばったけど0点でした。


けど留年とかされても高校にとって迷惑になるので、卒業という形で平和に追い出されました。

中学では宿題をだす教師はいて、平常点が存在しました。
高校では宿題をだす教師はおらず、自分勉強する人たちが自分意志医学部とかにいってた。



東工大大学入試の配点は理数系が68パーセントで、合格最低点は忘れました。(ふつう東大生であれば英語国語0点にしても東工大には合格する程度の合格最低点です)
ちなみに早稲田理工は理数系67パーセント慶応理工は70パーセントです


センター試験本番は現役時が47パーセントで、物理に関しても波長って何?λってなんてよむの?らむだってなに?って思いながら知恵とセンスを絞って問題に正解してました。

浪人した時は、波長とはなにか、λがらむだってよむんだって知りました。

一切の本も読まずに、微分とか極限の解釈でただ単に考え事をしていたら、テイラー展開って表現されているもの発見されました。

数学自分問題をつくって遊ぶことしかしてなくて、浪人時代の1月も2月も一回も過去問とかやらずに

自分問題つくっては遊んでました。

(1)30!の一の位は0である。ここから始めて十の位百の位と順に左に見ていく。最初に0でない数字が現れるまでに連続していくつの0が並ぶか。
(2)(1)において最初に現れる0でない数字を求めよ。
(3)ここで「n!は10^kの倍数である」これをみたす自然数kのうち最大のものをpとしてf(n)=10^pとする。このとき以下の数の一の位の数字を求めよ。
(イ)100!÷f(100)
(ロ)100000!÷f(100000)
(4)100兆の階乗10進法で表示したときから数えて25兆番目にある数字偶数である奇数であるか調べよ。
問題を読んでほしいためこのようにしてみた
→方法論は省略して
100兆(10進法)=101101400兆(5進法)
100兆!÷10^(25兆-2)≡2^(25兆-2)×4!1!1!1!1!≡6
…□6が4の倍数なので□は奇数です



普通電卓を使用して
2の常用対数小数10位の値を求めよ。


とかに関しては、あるごりずむかいうやつっぽい。



AA>Bと同値はA>√BまたはA<-√BまたはB<0(A実数)または-√(-B)<Ai<√(-B)である。ではAA<Bは?


とかに関してはすうがくっぽい。





大学に入ってからも痛感しますが、勉強したことがないので、勉強のやりかたが全くわからない。


環境というものは目には見えない力なのです。



クソみたいな社会に適合してたまるか、という環境も世の中には存在します。

社会に適合化された言葉を使ってしまうのは屈辱でもあります。




なにが世界破綻させているのか。それは現実主義者存在です。

「数学に対する価値観は、誤答を解答として提出したのであれば死刑にすべき」

の意図している意識共通認識となれば、世界平和になるのではないかと思います共通認識共通認識における努力さえあれば、別に死刑にする必要はないです。






いつかきっと、人類が私の意図理解することができればいいなって。


おなかがすきましたね。




http://anond.hatelabo.jp/20140617174318



2013-12-21

最後全統一ではE判定

プレ模試では平均を切る。

にも関わらず、どこからか湧いてくる"なんとかなるだろう"という謎の自身。

中学受験も無理だと言われてぎりぎり滑り込んだし、

毎年赤点を大量に取り、今年こそはと担任に肩叩かれつつもぎりぎり進級してきたダメ経験のせいか

学校SNSでは"もう無理だ浪人だ"とわいわい言っても心の底ではまぁ何とかなるだろみたいな余裕がある。

しかし今回ばかりはもうダメかもしれない。ボーダー偏差値10も開きあるし。

友人が同じ志望でこの時期CやらBやら出してるの見ると彼と私で成功例失敗例のおてほんになってる気がする。

大学受験系のまとめブログの記事を読み、自分はこんなクズにはなるまいと思っていた。

今の私はまさにそれだ。

自分も彼らと同じ道を辿り来年予備校で宜しくやってることだろう。

悪運ここに極まれり。

でも、まぁぎりぎり補欠あたりですべり込めるだろう。

2012-11-18

彼氏彼女ができない理由

たぶん、彼氏彼女ができない理由の一番は、男も女も高望みなんだよね。

偏差値50の男は、女偏差値52の女を狙ってて、その女偏差値52の女は男偏差値50の男を狙ってる。

どの階層の男(女)も、自分より偏差値2くらい上の相手を捕まえようとしてる。

受験で言えば、D判定かE判定志望校を狙ってる感じ。

彼氏彼女をつくる一番の方法は、望みを下げることだよね。

自分偏差値50なら、52の異性なんて狙わないこと。

自分と同等、50の異性を狙うのも現実的じゃない。

だって偏差値50の男(女)は、偏差値52の相手を探しているんだから

48くらいの男(女)を探さないといけない。

しかし、もし自分が半分より下層にいる場合さらに問題がある。

偏差値50の人間の数に比べて、偏差値48の人間の数はずいぶんと少ない。

偏差値45の人間の数に比べて、偏差値43の人間の数はずっとずっと少ない。

格下で、しか選択肢の少ない中から、男(女)を選ばないとならない。

疲れた。

2010-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20100926224100

中学の教師になりたいので工学部ではなく教育学部を受けたい。

ほんとうに弟さんが中学校先生になりたいのであれば、教育学部を受ければいいと思う。

1年受験勉強も続かないのに、臨時教師、教師浪人で何年も耐えられるの?

増田は心配しているけれど、逃げではなく、大きな目標があるのなら耐えられる。

私も浪人したくなくて私学に行った。親には迷惑かけたが、専門の勉強面白くてしかたがない。

  

それから、個人的には国立志望のほうがつぶしが利くような気がする。

私はE判定だろうと何だろうと最後まで国立後期まで足掻いた。それも悪くない(金銭的な余裕があれば)。

2010-03-08

就活疲れた

就活疲れたわ。

就活に疲れたわ。

いや、物理的には別に対したことないんじゃけどの。

ESなんてそうそうネタが変わるわけでもないけぇ、今まで作ったヤツをちょこっといじってコピペして貼り付けるだけじゃし

説明会言うても丸の内あたりに言って2時間ばかり座っとればいいだけじゃわ。忙しいちゅうってもせいぜい1日2、3もないだろうのう。

OB訪問なんかもまぁ、ただ飯食えるボーナスステージみたいなもんじゃ

それにこの時期に他になんか忙しいことがある人なんちゅー人もおらんはずじゃしの。

筆記試験も、まぁ対策ちゅーてもほとんどが昔とった杵柄でなんとかなるレベルだしのぅ。

別に全然大変じゃないんじゃわ。。就活は。


ただね、精神的に辛いんだわ。 

俺みたいに今まで口ばっかりで未来から逃げてきた人間には。

真綿で首をしめられているようじゃ。

就活っちゅーのは受験勉強みたいにね、現状がわからんのですよ。

そりゃ高い目標持つのはね、すごい良い事だと思うんですよ。

志が高い人間にしか、大きなことは実現できませんからね。

でもね、この戦線とやらではゴールも現状もわからんのですよ

偏差値みたいな画一的な基準がないですし、

いわゆる人気企業=成功という訳でもないですしな。

学生の人気企業ランキングなんか見ても、思いっき倒産かましたJAL

つい数年前には人気企業ランキング1位なんかはいってるのみても分かる通り

単にあれは自分の今までの経験イメージでえらんどるだけですわ。

あれを鵜呑みにしとる人はつまり宗教に騙されやすい人やから注意するようにな。


でな、まぁ、キッカケを持つのはみんなそんなもんやろ。上場企業だけでも4000社あるんやからな。

そんな感じでこの戦線にね1歩足を踏み入れてみると 今まで見たことのない世界が広がっていて楽しいんですわ。

あぁーこんなこと知らなかったわ、ええ勉強になったわーなんてね。

ただ、ズブズブと足を踏み入れて行くうちに知らん間に迷宮にはいってもうてるんですわ。



就職活動ってのはよーするに自分を語れるかってことですわ。

それ以外にすることはなんもないです。

自分を語れんヤツが夢を語ろーなんちゅーのがおかしな話でな。

自分人生を振り返って今までのストーリーを組み立てるだけのお話ですわ。

でも、だからこそ今まで逃げてばっかだったの俺みたいな人間にはどうしようもなく辛いんですわ。

何が正しいのか何が間違ってるのかもようわからんくなってきてますわ。

もうね、いっそのことあんたはE判定です。やめなさい。って言ってくれた方がどれだけ気が楽になるんだろうかって思うことがありますわ。

でもこの戦線ではそうやって戦闘離脱は許されんのんですわ。

当たって砕けてみにゃわからんちゅーて 神風特攻隊のごときで皆やるんですわ。

そうやって次々と玉砕して行く中で、あれ、俺ってこんなに人間的に魅力なかったっけ・・・?

なんつーってグルグル思考がいったりきたりして自己否定され続ける。

たまらなくキツイです。

今年の夏くらいに、どっかの就活セミナー講師おっちゃんが言っとった言葉意味最近よくわかってきましたわ。

就活はサトリが大事や、と。

サトリっていう漢字は二種類の漢字がありますやろ。

覚りと悟り

これを並べて読んでみると

「覚悟」ですわ。

ケツをまくるっていうんでしょーかね。

いつになったら僕の覚悟は決まるのでしょうか。

2010-02-06

昔から死にたかった

十年以上前?また小学生かそこらだった頃の話

小学生だか中学生だかの男の子自殺した、というニュースを見た

一緒にニュースを見ていた祖母に、悲しいからお前は自殺なんてしないで頂戴ね、といわれたのを覚えてる

そのニュースで初めて自殺という死に方があるのを知った

割りと年齢の近い子の自殺だったというのも一因だったと思う

それ以来、何となく寿命を全うして逝こうと言う気になれない

A高校以外認めないという親類縁者一同からのプレッシャーの中での高校受験期(結局A高校に受かった)

センター8割取れなくて志望校E判定大学受験期(結局前期に受けた第1志望と私立は全部落ちて、後期に受かった大学に入った)

内定取れなくて6月頃まで就活していた時(同業の人からも「そこはやめたほうが…」といわれるところに内定決まった)

そう言う人生の節目じゃなくても、卒論の中間報告の前日とか、審査稿の提出の前日とか、ピアノの発表会の前日、嫌いな習字塾のあった水曜日、何故か勝ち上がっちゃった水泳大会の日…

そういう些細なことで死のうかな、と思うようになった

小学生の時のタイムカプセルが送られてきたけど「まだ生きてるの?何が楽しくて生きてるの?この先も本当に生きていて楽しいと思うの?」なんて言葉が出てきた時には笑った

早期発症の厨2病を10年以上引きずってるようなもんなのかな

小学生時代にははさみで足を切ったりしていた、中学時代にリストカットをしては見せびらかすことが学年で流行っていたのを幼稚な人たちだなと思いながら結局自分も影ではリストカットを繰り返していた。

高校時代には具体的に死ぬ方法を求めて自殺マニュアルとか自殺のコストとか南条あやとか買って、そこからネットにハマって、自傷行為を繰り返す日記をつづっている人たちの日記を読んだり、たまに掲示板なんかで全然関係ない趣味の話とかしてた

大学に入ってからは一人暮らしを始めて結構楽しくやれていたと思うのにやっぱり折に触れて死にたくなる

別に生きているのが辛いとかそう言うことは全然ない

自分人生に頑張って乗り越えられない壁は今のところなかったし、多分これからもそこまでの壁はないんじゃないかと思う

まぁ、非コミュだし、デブス喪だし、性格悪いし、どもりだけど、これまで何とかなったんだし。

でも、ただ、なんか死にたい

別にうつ病とかじゃないと思う。食べ物を食べて美味しいとかまずいとか思うし、眠くなるし、面白い映画見れば笑うし。

続きが気になるドラマとか、行きたい場所とか、食べたいものとか、世に言うところの未練もたくさんある。

長女だし両親の老後とか、祖父母の老い先だとか、あとは妹の大学受験とか就職とかも気になる。

でもやっぱり「確実に死ぬ方法がありますよ」って言われたら迷わず死ぬと思う

大学生自分」は想像できていたけど「社会人自分」は想像したことなくて、ぶっちゃけ今でも想像できない

たった二ヶ月先の自分想像できないってなんか怖いなー

何となく、今が節目なんじゃないかなと思ってる

今を乗り越えたら、多分そのまま「世間並み」を目標にしてそれなりに生きていくと思う

でも、乗り越えても大していいことなんて無いよね

2010-02-03

たぶん、人生日記という物を書くのが初めてだ。改稿変だし、チラシの裏だが書く。


一昨年の高校最後の夏休みの初めに人生で初めての受験をする事を決意した。親からは驚かれた。

その時まで自発的に勉強した事もなかったし、高校も面接だけのところを選んだし。

中学高校のクラスでも最下位に近い実力であり、何より勉強が嫌いだった。


そんな自分勉強をしようとしたのだ。

いざ「受験勉強」というのを取り込もうと思っても何をしていいかわからなかった。

今思えば当然だった。今まで勉強という事に対して真面目に取り組んだ事がなかったからだ。

中学レベルの知識すら自分にはなかった。副詞形容詞形容動詞意味すらわからなかった。

それでも参考書を買い漁り、それに書いてある内容の熟読を試み、シャーペンを走らせた。

そんな馬鹿な俺でも必死にやったお陰か、クラス定期テストで上から2番目になれた。

人達には驚かれたし、先生勉強の事で始めて褒められた。自分でもよくやったと思ったし嬉しかった。


そんな幻想に浸っていた私の優越感は全統模試によって吹き飛ばされた。ほとんど解けなかった。

学校単位で受けていたので学年の中では上位だったが、全国レベルでみると標準の下の下。驚愕した。

それでも勉強に対して諦めきれず、去年のセンターに挑むも惨敗。

私大も幾つか受けたが結局地元の俗に言うボーダーフリー大学にしか受からなかった。

号泣した。自分はこんなものだったのかと。あれだけやってこの結果かと。やっぱり俺はどこまでいっても馬鹿だと。

諦めきれなかった。だから私は両親の同意を得て浪人をして、国立を目指す事を決意した。

その時決めた。この一年間は一人で生きていこう、友達を作るのはやめよう、受験一本でやっていこう、と。


夏休みぐらいまで自分を必死に追い込み勉強した。予備校で何度も周囲に声をかけられたが見向きもしなかった。

だけど不思議とやる気はあった。自分はまだ可能性がある。まだやれる。この頃はパソコン漫画などに目も向けずひたすらに勉強を続けた。

先に大学に進学していった友人達、先輩や後輩も皆応援してくれた。お守りもたくさん貰った。とても嬉しかったしやる気もあがった。



そして夏休み終わりの記述模試。結果は去年に比べて毛が生えた程度。この頃から自分に対して失望し始めた。

勉強もし続けたがやる気がどんどん失せていった。毎日通っていた予備校自習室も徐々に行かなくなっていった。

鍵付きのタンスに封印していたパソコンを起動させて、暇をつぶす事も増えてきた。

冬も間近に迫った最後の模試の結果を見て、完全にやる気がなくなった。目の前が真っ暗になった。

その時に思った。そうか、自分には勉強は向いてないのかもしれない、と。

徐々に行かなくなった予備校はほとんど行かなくなり、家で現実逃避する日がいくらか続いた。

センター間近だというのに、周りの受験生は必死だというのに、皆が遠くで応援してくれているのに、

やる気が沸いてこない。何もしたくない。死にたい。もう生きたくない。そんな事を思ってた。


結果は惨敗。しかし、この日を境に再び勉強をし始めた。何故だかわからないけどやらなきゃいけないんだと思った。

運のいいことに、センター利用で出していた日東駒専レベルの私立(去年落ちた)が何故かA判定が出ていた。

そして今に至る。昨日それより少し上のランク入試を受けてきたがたぶん落ちてる。そしてこれからも入試が続く。

国立足切りが無く、二次比率の高い所に出したので可能性はまだある。E判定だけど。




なぁ増田よ。俺はまだ自分に対して賭けてやってもいいのかな?

俺はもうどうしたらいいんだよ。

2009-10-05

ばか

なんで私指定校推薦申しこまなかったんだ・・・

それ、第二志望だったんだけども、

いまさらになって第一志望がゆらぎだしてねぇ。

第二志望、一般だと古典ムリで英語ギリで落ちるし。

で、その指定校推薦取った人、納得できないのよね。

北大法→横国法→千葉法ところころ志望を変えて、

そのくせ、指定校推薦があるって聞いたところで、

「あ。おれとるわ」

とかいって、私大だし、学部も法学部じゃないのに申し込んだ。

しかもmarchがずっとE判定だったのよ。

で、取れちゃった。

動機が舐めすぎ。

そしてそんなの選んだんだから私がもし申し込んでたら・・・あああああ!!

って今ムカつく&苦しい&後悔してるところ。

まあ、私も2年で25日休んでたし。

それ、3回も海外行ってたからなんだけど、だから自業自得なんだけど。

だけどmarchはすべてA判定なんだよ二年の時から。

しかも、私はやりたいことがふらふらの彼とは違って超明確。

LGBT関連なんだけどもw 日本だけじゃなくて中国を中心としたアジアの。


まあいい、これから合格できる学力まで上げればいいだけの話。

お前なんかなー

大バカで進級できなくて中退しやがれ。

もし卒業できたとしても、会社で○○大学なのにつかえねえ。

って言われてリストラされやがれ。

おう、これはありえないことじゃないぜ。

実際にうちの父が・・・・orz

そしてふらふら人生決めて、ふらふらいつの間にか死ね。な。

私は、ここ入れなくても、どこかしらでやりたいことやるよ。そして花咲かしてやる。

そして、可愛い彼女もgetして・・・いろいろしてやる!!


吐き出してすっきりしたので寝る。

明日は三倍勉強しよう。

2009-03-05

陰山英男氏講演_090228 -1

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陰山英男氏講演_092028

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 ▼ 概要

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 ・「100ます計算」で有名な陰山氏の講演。

 ・P.M.1:30~2:30講演。質疑30分

 ・内容:自分経験、実践に基づき、日本教育についていろいろ。

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  ◆ 会場

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  ・大阪府狭山市さやかホール

  ・大型イベントの公演が可能な大ホール

   http://www.sayaka-hall.jp/

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  ◆ 講演者

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  ・陰山英男氏。51歳。

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E5%B1%B1%E8%8B%B1%E7%94%B7

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E3%81%BE%E3%81%99%E8%A8%88%E7%AE%97

  Amazon

  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/250-4349303-4987419?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=blended&field-keywords=%E9%99%B0%E5%B1%B1%E8%8B%B1%E7%94%B7

  ──────

  陰山 英男(かげやま ひでお、1958年 - )は、兵庫県朝来市(和田山町)出身の教育者立命館小学校校長立命館大学教育開発支援センター教授安倍首相諮問機関教育再生会議」元委員。小学館の通信添削学習『ドラゼミ』総監修者。大阪府教育委員。

  ──────

  来歴

  岡山大学法学部法学卒業学生時代は放送文化部に所属し、アナウンサーを目指すが挫折。佛教大学通信教育部にて教員免許取得。兵庫県内の小学校教員を勤める。教員時代は典型的な「でもしか先生」であったが、同僚教師の死を切っ掛けに、「命を大切にするなら、まず教師から。自分犠牲にする教育実践など意味はない」と、授業改革に目覚める。

  朝来町立(現在合併により朝来市立)山口小学校在職当時、同僚、父母なども巻き込んで基礎学力向上のためのメソッドの開発を進め、岸本裕史が提唱した百ます計算インターネット活用科学実験、そして日常の生活を見直すチェックシートの活用など、さまざまな工夫を重ねて、成果を上げる。

  また、現場教員たちの自主的な研究会学力の基礎を鍛えどの子も伸ばす研究会」に小河勝らと共に所属。広島県尾道市教育委員会による校長公募に応じて、2003年4月より、尾道市立土堂小学校文部科学省指定研究開発学校)の校長に就任。

  2006年4月より、京都市北区に開校の立命館小学校校長立命館大学教授に就任。

  2006年10月政府教育再生会議委員に就任。(2008年1月まで)

  2008年10月1日大阪府教育委員に就任。

  ──────

  ・今回のイベント主宰の初芝学園が立命館提携したので、今回の講演はそのツテらしい。

  ・この間、陰山氏の娘は東大合格した。

  「娘が東大合格した本当の理由~高3の春、E判定から始める東大受験

  http://www.amazon.co.jp/%E5%A8%98%E3%81%8C%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E3%81%AB%E5%90%88%E6%A0%BC%E3%81%97%E3%81%9F%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1~%E9%AB%983%E3%81%AE%E6%98%A5%E3%80%81E%E5%88%A4%E5%AE%9A%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%82%81%E3%82%8B%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%8F%97%E9%A8%93~-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8101%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%99%B0%E5%B1%B1-%E8%8B%B1%E7%94%B7/dp/4098250101/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1236167946&sr=8-1

  ・ポッドキャストFM ラジオ陰山英男ヒューマンラボ」 放送中。

  http://www.tfm.co.jp/podcasts/human/

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  ◆ 聴衆

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  ・最終的に300人程度は来ていたかと思う。

  ・90%以上が「初芝学園」の保護者

  ・「初芝学園」とは、あまり聞いたことがない学校だが、南大阪私立学校で、小学校高校まである一貫校らしい。

  ・入り口には「小学校」「中学校」「高校」「一般」の受付があり、住所・氏名を登録するようになっていた。

  ・同じ講演を見た人のブログがあった。

   http://gachapin101.at.webry.info/200903/article_1.html

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  ◆ 講演全体の印象

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  ・教壇に長く立ってきて、今は副校長だったり、公的機関の教育顧問だったりすることもあり、

   講演には慣れている感じだった。

  ・ざっくばらんな印象で和ませつつ、言うべきことはきちんと言う印象。

  ・プレゼン資料はパワーポイントだが、パワーポイント自体が進化していて驚いた。 

   印刷物かと思うほど解像度が高く、またビデオを貼れるので非常にわかりやすい。

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 ▼ 内容

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  ◆ 子供学習意欲について

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  ・この間の調査 http://www.jiji.com/jc/zc?k=200903/2009030100067

   で、高校生の77%が、勉強がキツイと答えている。

  ・何より子供の学習意欲が減退している。

  ・子供自己評価が低い。5~6割が「自分ダメだ」と思う。

  ・陰山氏は、1958年岡山教育学部卒業、の○○立 山口小学校に赴任、

    -> その後○○立 土堂小学校で、「陰山メソッド」を完成させる。

    -> 現在立命館小学校 副校長

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  ◆ 今後の日本について

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  ・今後、日本はもっともっと景気が悪くなる。暗い世相になる。

  ・正規雇用自体が吹き飛び、半年後には派遣どうこうの話さえ出なくなるだろう。

  ・中学生はその実態はわかっている。きれいごとしか言わない大人が多すぎるのが問題だ。

  ・この間、中学生向けの講演があったので、本音で「あなたたちの未来は暗い」と話した。

   すると、講演が終わっても、拍手が鳴りやまなかった。

   その後、中学生たちは職員室に押しかけ「百ます計算」を明日からするように求めたということだ。

  ・日本未来は暗い。教育産業も、きちんとやっていかなければならない。

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  ◆ 教育の効果について

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  ・教育の効果というものは、多くの「識者」が言うように、何年も経ってやっとわかるというものではなく、3日で変わりはじめ、数週間で必ず効果が出る。1年もあれば、ずっとはるか上にいる。

  ・高校生より中学生中学生より小学生が、教育の効果が出やすい。

  ・なぜ小学生に、あっという間に教育の効果が出るのかというと、小学生では「知識」だけでなく、「勉強のしかた」を同時に学ぶからだ。

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  ◆ 著作を読んでほしい

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  ・講演をしても、数週間で忘れてしまうので、

   本を買って、ときどき読み返してほしい。また、ポッドキャストFMラジオ)もやっているから聞いてほしい。

  -「学力は1年で伸びる」

  http://www.amazon.co.jp/%E5%AD%A6%E5%8A%9B%E3%81%AF1%E5%B9%B4%E3%81%A7%E4%BC%B8%E3%81%B3%E3%82%8B-%E6%B1%9F%E6%BE%A4-%E6%AD%A3%E6%80%9D/dp/4022504005/ref=sr_1_31?ie=UTF8&s=books&qid=1236167756&sr=8-31

  -「家庭力―子ども学力向上と幸せのために親ができること 」

  http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E5%8A%9B%E2%80%95%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E5%AD%A6%E5%8A%9B%E5%90%91%E4%B8%8A%E3%81%A8%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E8%A6%AA%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E9%99%B0%E5%B1%B1-%E8%8B%B1%E7%94%B7/dp/4391136031

  -ポッドキャストFM ラジオ陰山英男ヒューマンラボ

  http://www.tfm.co.jp/podcasts/human/

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  ◆ 土堂小学校

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  ・6年前に公立・土堂小学校校長として様々な試行を行った。

  ・1学年150人という、かなり大きな学校で、これだけの人数の成績を上げるのは、通常非常に困難なのだが・・・。

  ・結果、偏差値65以上が全校の20%、全校平均平均知能指数117という、驚異的な結果となり、

   卒業後、多くが進学校に進学、子供たちの可能性は大きく広がった。

  ・知能が高くなる、ということは、子供たちの可能性・選択肢が広がることだ。

   「陰山メソッドは「生きる力」にならない」などと言う「識者」がいるが、馬鹿馬鹿しい話だ。

  ・「100ます計算馬鹿になる」などという本を読んでみたが、くだらない話ばかりでまるで話にもならない。

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  ◆ 知能指数とは

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  ・知能指数とは、エンジンの回転数のようなものだ。

   適切な環境さえ与えてやれば、どんどん回転数は上がる。

  ・「生活習慣が全て!」と言っても良いほど生活習慣は大切だ。

   生活習慣だけで、知能はどんどん上がっていく。

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  ◆ 今私(陰山)がしている、脳によい生活習慣

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  ・脳が発達する生活習慣がある。

  ・今、私がしている、脳によい生活習慣とは

  ・ごはん(米)の代わりに、キャベツを食べる。

  ・1日40分歩く。

   -> ちょっと早く歩き、心拍数100程度にする。走るほどでなく、ぶらぶら歩くのでもなく、ちょっと負荷をかける程度が望ましい。

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  ◆ 日本人ライフスタイルについて

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  ・実は、子供学力だけでなく、大人の学力も低下している。

  ・日本人ライフスタイルを、脳力が高くなるようにしなくてはならない。

  ・2000年では1人あたりのGDPが3位 -> 2006年には18位に低下。生産性が落ちている。

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  ◆ フィンランドメソッドについて

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  ・今流行フィンランドメソッドについて。

  ・フィンランド見学に行き、直接見て、いろいろと話を聞いた。

  ・これなら、世界で知能が一番高いのは当たり前だと感じた。

  ・とにかく教科書が難しい!フィンランド小学校1年生の教科書は、日本でいえば小学校4~5年レベルだ。

  ・当然、落ちこぼれる子も出てくる。だが、多くの教員や原則無料教育によりそれをクリアしている。

  ・1クラス23人に教員が3人、その他、テキストを用意したり、学校事務を行う補助要員がクラスに1人いる。

   これだけいれば、さすがに簡単には落ちこぼれは出ない。

  ・小学校から大学まで、全て教育費は無料教科書ノート鉛筆等文具も無料

   要するに教育に一切、費用は必要ない。

  ・当然、社会的には膨大なコストがかかっている。

  ・日本でそれを行うには、かなりの意識の改革が必要だろう。

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  ◆ 日本教育の強みとは

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  ・日本教育予算は、先進国中最低。

  ・しかし、それでさえ、なぜか2000年以前は、かなりの成績を収めていた。

  ・なぜか? 私は「系統だった学習指導要領」にあると思っている。

  ・各国を見て回ったが、「系統だった学習指導要領」があるのは日本だけだった。

   これが日本の貧弱な教育環境において、日本子供にかなりの知能を与えていた原因かと思う。

  ・だが、その優れた学習指導要領も、2000年以降ゆらぎ、その結果、学力の低下が起きたのではないか。

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  ◆ グローバリズム教育

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  ・教育グローバル化が始まった。

  ・国境を越えて、優秀な人間世界を巡る時代が始まった。

  ・グローバル時代に、知能の力がないのは、子供達の未来を閉ざしてしまうことになる。

  ・10年前、アジアから米国への留学生日本人がいちばん多かった。

  ・現在は、インド中国韓国日本台湾 の順になってしまった。

  ・しかも、日本人は10年前より留学生は減っているのだ!

  ・なぜか?日本人留学しようとしても、基礎学力が足りず、入学できないのである。

  -ここで中国小学校での英語教育風景ビデオが入る。

  ・あまりに驚いたので、「我々見学者のために、特区の小学校を回っているのか?」と聞いたら、これは中国ではすべての小学校で行われている、と言われた。

  ・中国小学校では、小6では英語の授業は英語で受ける。

  ・小学校卒業時の英語目標は、「日常生活に、実用的に活用できるレベル」である。

  ・低学年で週に5時間、高学年では4時間英語の授業を受ける。

  ・日本の現状は、小学校では、今はそもそも英語の授業は行われていない。(ローマ字ならある)

  ・次の指導要領で英語の授業が入ることが決まったが、週にたったの1時間、しかも目的は「異文化理解」である。

   中国レベルとは比較にならない。

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  ◆ 子供の伸びる家

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  ・今、住宅メーカーと共同で、「子供が伸びる家」の研究を行っている。

  ・学習は「生活習慣がすべて」と言えるほど、生活習慣は大事なので、「子供の伸びる家」はそれを考えて作っている。

  ・とりあえず今の家で考えるというと・・・

   1/ダイニングに長机(田舎公民館に置いてあるような安物)を置く。

   -> ごはんを食べて、親が見ている横ですぐに勉強ができるように。食卓でやると、食事中に片付けなくてはならず、片付けるのが面倒。

   -> 長机は横に長く、奥行きが短いので、奥のほうがとりづらいということがない。横に長く置いておくほうが手が届きやすい。

   2/畳の間があったほうがいい。子供ごろごろできるのと、寝るときに、ベッドは落っこちるので、畳にフトンのほうが安眠できるので。

   -> ぐっすり眠れるのが、とにかく一番!「睡眠力」と名付けたいくらい。

   3/リビング本棚を置き、辞書図鑑などを置く。また、どの部屋にも辞書図鑑があるようにする。

   -> なぜか?それは、「わからない」 -> 「わかる」の時間が短いほど脳への定着が強く、結果として知能が上がるからだ。

     「後で調べとく」ではダメで、「今わからない事は今調べられる」ような体制を作っておくのがよい。

   4/親の手伝いや部屋の掃除子供の知能を高める。イモの皮むきができる子のほうが、できない子よりも知能が高くなる。

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  ◆ 東大と親の収入について

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  ・結果的に言うと、東大普通の家庭から行っている子も多い。

  ・なぜ「親の収入が低いと合格しない」などという神話が出来たかというと、

   昔の東大は、とんでもない高収入の親がたまにいたので、彼らが平均値をぐっと上げていた。

  ・また、10年ほど前に、中高一貫校では中学高校の内容を前倒しで教えてよいことになったので、中高一貫の私立高校が有利となった。

  ・しかし、実は東大は、あまりそういう子を取りたくない。

  ・そこで、東大は、年収400万円以下の家庭は、授業料無料になっている。

  ・実は東大東京出身の子が多く、東京ローカル学校とも言える。

  ・現在東大は地方の公立高校を回り、優秀な生徒を狙っている。

  ・教育再生会議で言っていたが、小さい頃から外の風に当たらず、知識だけを植え付けられた子は、

   好奇心が育っていないので、大学で新しい研究などできるわけがない。

   東大はそう考えている。

  ・子供たちの脳をすり減らさない教育が求められている。

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  ◆ 虫食い学力について

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  ・近年、目立ってきたのは「虫食い学力」である。

  ・「虫食い学力」とは、計算漢字などの基礎を徹底していないため、知識や技能が虫食い状態となり、結果、それが上級の学年に進んだときに致命的な弱点となり、理解を妨げることである。

  ・中学生に小学1年レベル計算をさせると、○-7、○-8を間違える子がけっこういる。

  ・漢字について、6年生では3割の児童しか、指導要領漢字全部を覚えていない。

  ・割合、分数の計算を理解していない子がかなりいる。

  ・上級の学年は、それらの知識が前提となるので、そこがネックとなり、ついていけなくなる。

  ・この場合、親や先生が叱責しても激励しても、何の意味もない。どこを理解していないのか、まずプロの目できちんと見ないと駄目である。 一人一人、テストの1つ1つの問題を細かく見ていき、何を理解していないかを見つけていく。

  ・中高一貫校でもこの虫食い学力問題はある。

  ・中学生に100ます計算をさせると、方程式などの難しい問題も解けるようになる。

   やはり基礎的な計算力が足りていなかったと考えられる。

  ・塾経営者と話した時、この虫食い学力問題が話題になった。受験専門の塾では基礎、基本の徹底をやらないので、こういった基礎のついてない子は伸びず、大きな問題となっている。

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  ◆ 100ます計算について

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  ・100ます計算は、私が思いついたものではない。

  ・「計算の反復練習」という、本来しんどい、つまらないものを、面白く取り組めるための1つの手段だ。

  ・毎日、同じ問題をやる。あっという間に記録は上がっていく。

   実は、違う問題でも、同じ問題でも、計算力向上の効果は全く変わらない。

    -> 褒めてもらえる -> 自信がつく -> やる気が出る。

  ・9ヶ月で知能指数が9ポイント上がる。

  ・学力偏差値は、4ポイント上がる。

  ・不思議なことに、100ますを続けると、もっと深いところで学力が上がっていく。

   授業もやりやすくなる。

  ・特に日本の子の、学習の最も妨げとなるのは「学力コンプレックス」である。

  ・日本の子は、褒められて育てられていない。たいがいの場合は「おまえは駄目だ」と言われて育つ。

   それにより、何においても自信のない子が非常に多い。

  ・100ます計算は、大人でもだいたい2分はかかる。

  ・それを、小一でも、1ヶ月ほどで1分45秒を切るようになる。

  ・大人を負かすほどの計算力がつき、褒められる。結果、自信のかたまりのようになり、

   「学力コンプレックス」とは無縁の「成長モード」に入り、学習スムーズに行える。

  ・方程式も、100ます計算でできるようになる。

  ・「同じ事を3日連続でやる」のが大事である。

   -何日間同じことをすると、記憶が定着するか?のグラフ

  ・3日間同じ事をすると、記憶はよく定着する。

   それ以下ではすぐ忘れてしまう。それ以上やってもあまりスコアは伸びない。

  ・よって、計算漢字英単語も、記憶を定着させたい場合は、「3日連続で同じ事をする」が有効である。

  ・1日10分でもよい。それで頭の回転を上げることができる。

  ・「自信」 -> 「成長モード」が大事である。

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  ◆ 「睡眠力」と「朝ご飯」について

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  ・「睡眠力」を育てるのは、非常に重要である。

  ・知能開発の7割は「早寝」「早起き」「朝ご飯」の生活習慣により決定してしまう。

   -睡眠時間記憶定着のグラフ

  ・睡眠時間はやはり7~9時間がいちばん良い。

  ・9時間以上の寝過ぎは、睡眠の質が悪い。

  ・「ぐっすり眠る」のは能力スキルと言ってもよい。

  ・朝ご飯をとにかく「しっかりとる」こと。

   -グラフ睡眠導入時間・朝食の食材数。

  ・子供は、P.M.8:00~9:00までに寝ると、一番知能指数が高くなる。

  ・朝食の食材の数が少ないと、知能指数が低い。

  ・朝ご飯を食べていないと、非常に知能指数が低い。

  ・朝ご飯を食べずに登校するグループに、朝食を取らせるようにしたところ、知能指数は6ポイント上がった。

  ・手っ取り早く言えば、「朝は湯気の出るおかずを食べさせてください」ということ。

  ●パン+ジャム+牛乳だけではダメ。脳に必要なアミノ酸がとれないから。

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  *なお、文中「グラフ」の統計は、大きな学校に協力してもらい、厳密にとったもので、

   サンプル数等も有効な範囲であり、いいかげんなものではない。

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  ◆ TV・ゲームケータイについて

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   -記憶とTV視聴時間グラフ

  ・TVは1日2時間まではOK。できれば1時間程度に。

  ・TVを1日5時間以上見ている子は、必ずイライラしている。

   睡眠時間減、神経が高ぶって睡眠が浅くなるので。

  ・ゲームは1日30分程度ならOK。

  ・ケータイも、子供にとってメリットはほとんどない。

   なるべく子供からディスプレイは遠ざけること。

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  ◆ 読書は知能を高める

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  ・読書は知能を

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