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はてなキーワード: ケラケラとは

2024-02-29

飲み会行かない人

頑なに飲み会避ける人たまにいるじゃん。

忘年会新年会みたいなのだけじゃなくて、送別会みたいなのも避ける。

そういう人って普段コミュニケーションからちょっと難しいイメージがある。報連相しないとか。

そのくせ自分送別会されないのは嫌がる人多いイメージ


しか最近辞めた人がそれとは結構違ってて不思議だった。

とにかく飲み会は避けて通る。

でも仕事の上で必要コミュニケーションは取るし、別に人当たりが悪いわけではない。むしろ朗らかだし、相手意図を汲んでくれるし、人のフォローもするし、仕事できるいい人だった。部内だけじゃなく外からの評判も良かった。

でも本当に飲み会は来ない。家族いるからとかじゃなく、独身一人暮らしペットなどもいないと本人が言っていた。

まれに参加することもあるけど基本毎回不参加。参加した時は普通にニコニコしてて、誰かの話にケラケラ笑ってくれて、すごく感じのいい人だったかますます謎。

その人が辞めることになったんだけど、部で辞める人にいつも書いてる色紙をその人はお断りしたらしい。

回ってこないから、書かないのかな?誰かやってる?って比較的仲良さげな人に聞いたら、申し訳いから色紙とかプレゼントとかやめてって言われたそうな。

送別会もなかった。これも本人希望だそうだ。

それなのに、最終出社日お菓子持ってお礼まわりしてた。

そんなに関わりないような自分のところにまでご挨拶来てくれた。

「◯◯の時お世話になりました」って、多分2年くらい前のプロジェクトでの話が出て、そういえばその時お手伝いしたなあって思い出した。そんくらいのレベルなのに、フランセミルフィユくれた。いい人。甘いの好きじゃない人にはゆかりえびせんべいのやつ)だったらしい。

そういう気遣いコミュニケーションはできるのに、なんで飲み会嫌なんだろう。あと色紙も。

本当によくわからん。こういうタイプの人はどういう気持ち飲み会お断りしてるんですかね?

2024-02-20

ブラハラ

弊社はChromeを推奨されているが、とある部署増田さんはある時からマイクロソフトに切り替えていた。

それはパレスチナ問題からくるもので、グーグルがいくつかの企業出資したり協力的な姿勢を見せることへの増田さんなりの抗議活動だった。

小さい会社の上にお話し好きなのですぐに議論に。

結果増田さんの意思尊重することに。

そういう行動も大事だよねという空気に。本心はわかんないけど。

その中で1番やっかいな別の増田さんが真顔で「ブラウザーハラスメントブラハラよね」と真顔で言っていてケラケラ笑ったら怒られてしまった。

2024-01-15

トイレを開けられるイタズラをされていた。

大学生のころ、元カレがいたのだが、彼の家にお泊まりして、トイレを借りていると、彼は鍵をコインを使ってこじ開けて扉を開けてきた。

半ケツで頑張って扉を閉めようと歩く私を見て、彼はケラケラと笑っていた。

一度だけでない。何度も何度もしてきた。

私は本気で嫌がり、やめてと言ったつもりだが、複数回そのいたずらは続けられた。

そのうち飽きてやらなくなったように思う。覚えてないけど。

恐らく私が嫌がるさまを見て楽しんでいるのだ。

今でもトイレの前に人が通ると、こじ開けられるんじゃないかと怖くなる時がある。

特に他人の家のトイレを借りると。

まあその元カレとは半年で別れ、もう2年になろうとしているので、すっかり過去の話なのだが、 思い返せば元彼との関係デートDVのケがあったかもしれんな。

いや、もうあんまり覚えてないけど、まあ私視点の話だからなんとも言えないけど、 巷のデートDVチェックリストにはそれなりに当てはまるなぁ…みたいに思う。


思い出せる具体例を挙げると、上記トイレの話に加えて、

・私が傷つくことをわざと言って私が傷付くさまを楽しむ 例えば巨乳二次元キャラクターと私の身体を見比べてあからさまに馬鹿にするとか。

LINEなどの内容をすべてチェックする。その上でつまらんなどと文句をつける

ピクシブの非公開ブックマークまで見てくる

YouTube履歴を見るのは本当にやめてと何度か言ったけど結局見る。その上で変なのを見てたらからかい、そういうのがなかったらつまらんと文句を言う。


研究室で私が他の男子と楽しそうに喋っていると怒る。やめろという。やめなかったけど。

・他の男子と少し話していただけで、その男の子のことを好きだろうと言って私を責める。私が好きなのは君だから安心せいって言ってるのに。


避妊具なしでの性行為強要する。私は自衛のために低用量ピルを飲んでいた。精神的に不安定になったのはこのせいもあったと思う。

・疲れているので家に帰りたいと言っても無理やり自分の家に泊まらせる。

下着や裸の写真を送らせる

余談だが、彼はずっとオカモトゼロツーの避妊具を使用していたけれど、のちに他の人に避妊レビューをしてもらったところ、「これは非常に分厚く感じて刺激が得られないので、これを使っていたらナマでしたくなるかもしれない」と言っていたので、そのせいもあったのかもね。


・不機嫌になると、(自分馬鹿にされたと感じる、がトリガーに感じていた)、私の話を無視する、不機嫌を私に当たり散らし、私が謝り倒しても無視を続ける。

無視も、「僕は傷ついたのであなた無視しますよ」のアピールがあからさまなのだ。「つーん」とマジで口に出し、顔を反らして不機嫌そうな顔をする。


まあこんなかんじで、思い返すと結構やばいやつなので、早めに別れてよかったと思うことにします。

2023-12-09

私の2023年チバユウスケ一色だった

上島竜兵が死んだ時、特別ファンというわけでもなかったのに何故か家でオンオン泣いた。その時はわからなかったけど、私は上島竜兵が生きているだけで社会の懐の深さを勝手に感じていたんだと思う。バカがつくほど(おそらく)優しくて、優しいが故に少しポンコツでも生きていける世の中の余裕を私は彼に見出していて、だから彼の芸風を見ても辛くなることがなく、ケラケラと笑って見れたんだと思う。社会システムだけではこぼれ落ちてしまうかもしれない、とびきり優しい人は、生きているだけで社会のもの本来持ちうる懐の深さや余裕を証明していた。その人が、おそらく世の中で最も辛い自死を選んだことに完全に打ちのめされたんだと思う。

「くもってら ドーナッツ 食べたくなったけど

 あの穴は なんであいてんの? かわいいけど」

 チバユウスケが書いた「誰かが」の歌い出しには、そういう世の中にまだあるかもしれない懐の深さや暇を感じる。ドーナッツを見て「なんでこの穴空いてんだ、かわいいな」と、思える世の中にある一瞬の暇や余裕を感じる。このワンフレーズ聴くだけで元気が出る、大好きだ。「誰かが」でチバはその後、こう宣う。

「誰も教えてくれない でもわかっていることがある

 誰かが泣いてたら 抱きしめよう それだけでいい

 誰かが笑ってたら 肩を組もう それだけでいい」

 なんだよそれ。信じられないくらシンプルな話に落ち着いて、子供っぽさすらある。でもその子供っぽさに私はこの1年間、本当に随分支えられた。エブリバディ・ニーズサンバディーって言ってくれたから、駄々をこねれたこともあった。

「涙がこぼれそう」も大好き。私はこれをただの酔っ払いの曲だと思ってる。だってまりにも見覚えのある光景が多すぎるから(笑)。夜中に泥酔して、ロータリーで寝っ転がってて、転んだ拍子に口とか切ってるんだよ。立ち上がりたくねー、てかここどこだよとか思ってると男女が横でキスとかしててマジで情けなくて泣けてくる。夫くーん、ここどこ〜迎えに来て〜とか電話したくもなる。んで、気づいたら朝になってて、おっしゃ!帰るか!って。覚えがあまりにもありすぎる。

チバが死んで、多くの人がこれを追悼ソングに選んだ。でもこれは、チバが酔っ払いのことをかっこよく歌ってくれたもの。私にとってはそう。

そもそも、私はあまりうるさい曲が好きじゃない。Birthdayだってミッシェルだって学生の時にちょろっと聞いたけど、はまらなかった。なのに、youtubeディグで、民生の「世界の終わり」をみつけて、心がブルブルと震えて、アベフトシのことを知り、解散ライブ映像を見て、知りもしないバンドの聴いたことのない曲でポロポロ涙が出た。

思えば、うるさい曲を好んで聴くようになったのは、大人であることを求められるようになった社会人になってからかもしれない。

息もできない」は、世界の終わりのライブ映像を狂ったように見続ける私に、10年来のマブが「これも好きなはずだ」と教えてくれた。そして、完璧Birthdayにハマった。ほんと、今年「息もできない」を狂ったように聞いた。Aメロ文字数に比べると、Bメロ文字数は極端に少なくて、その言葉少なさを保ったままサビに駆け抜けていく。

チバユウスケが作る歌、特にbirthday以降は、すべてがシンプルな話に帰着していく。そこが好きだ。大人になったことや忙しさを盾に、正当な理由ばかりが上手くなっていく中で、取りこぼしてしまいそうになる単純なことを思い出させてくれる。歩いて家に帰る夜道、お風呂に入っている時、大音量イヤフォンからアイラブユーは最強、愛し合う姿は綺麗」とチバが叫んでくれる。

チバがインタビューで大きい愛と小さい愛の違いを問われた時の回答が好き。

「愛だけで何もかもが作られていればいいなとは思うけど。それは無理なんだよ。無理なのは知ってるんだけど、それでも愛で行こうよ、と俺は思うけどね。(中略)いろんなところにポツポツと愛があるじゃない。それがあればすごくいいことになるっていう風に思っただけ。マジックの人がいて、そこにロウソクがあってさ、パチン(指を鳴らす音)ってやったら、火がついたのよ。小さな愛って、ちょっとそれに近いっていうか。なんか“おぉ〜”と思って。違うかな(笑)。」

チバの曲は小さな指パッチンで、私を何度でもハッとさせてくれる。

ライブ、見たかったな。

「チバー!」って呼び捨てで叫んで嫌な顔されたかったな。

2023-12-08

6年同棲しとった女が十数年ぶりに夢に出てきた

追記

ブクマですげー怒られててこわい。

もちろん今は隠し事してた俺も悪いって思ってるけど、あそこまでショック受けるとは思わなかったしデマがあっという間に広まって当時は冷静な判断が出来なかったんだよ。

あといくらキモいからって人の顔見て吐き真似してキモがるの本当にやめろマジで。 

【再追記

なんか二回も結婚してる設定にされてるけど一回もしてねえよw

どっちも結婚直前まで関係を深めたけど一人目は仕事が忙しくて全然会えない時期が続いて振られる、二人目はパンデミック最中に反ワクかつ中国大嫌いなネトウヨなっちゃって、色々話し合った結果価値観が合わないねって別れたんだよ。俺は中国台湾アート市場に凄い可能性を感じてるんで。

特に二人目の人は画家やってて俺のビジネスパートナーでもあり、一緒に個展企画開催したり画集出版までしたのにあんなことになって本当に残念だわ。

【再々追記

いや、なんか…久しぶりにいとこの夢見て、昔を思い出して嬉しくなって独り言感覚で走り書きしただけなのに、ここまで多くの人にマジレスさせちゃって本当にすまん。

ただ、だいぶフェイクも入ってるので支離滅裂な内容になってるだろうし、色々誤解を招く内容になってるからしょうがいか

でも中学ときからたびたび女のイジメグループターゲットになってたので、連中のような醜悪な女集団絶対現実存在するとだけは強く言っておきたい。

 

hiruhikoando ずいぶんと親族間の結束が強い親戚だなという感想華僑的な 増田 男女

俺の家系一家揃って韓国系(在日朝鮮)なので日本一般家庭とはたしかに違うかもね。

take-it “詳細を事細かに話した”=彼女にもいとこと同棲してるのを説明したと思われるのに、ブクマカにここまでフルボッコにしてるの、怖い。お前ら、何があったんだっていうか羨ましいのか。マンガみたいな青春

そう、ちゃんといとこの事情とか話して(だいぶ慌ててまくし立てた記憶があるけど)あの冷たい拒絶だから当時18歳の俺にはどうしようもなかったよ。漫画全然わからん喘息持ちの人と一緒に暮らすのを羨ましがる奴がもしいるなら、あの病気の怖さを知らんのだろうなと軽蔑する。

moeshine 元カノ側も「一時期は男という性別自体が嫌いになるくらい拗らせ」ててもおかしくないような話な気が

俺が中退してすぐ後にmixi元彼女日記見たらパイプ煙草咥えてるマッチョ彼氏と付き合ってる報告上げててその後結婚したらしいか幸せだと思うよ。

mirakukira 韓国系なら先に書けよ、キモイと言われるのも納得だわ

こういうの久しぶり。2000年代前半は色んなとこでお前チョンかよって蔑まれたけどもう慣れたわ。

あとsnegってなにってググったら確かにそれっぽい話で俺も笑ったわ。えろげー一切知らんけど。

 

 

 

 

ので色々思い出したので独り言

 

大学一年の冬に俺が二股かけて女を弄んでるっていう根も葉もない噂が学内に流れて、当時付き合ってた子に会いに行ったら、両手を口元に当てて今にも膝から崩れそうな勢いで号泣してて、取り巻きの女二人が俺に向かってアイツキモっと連呼しながら俺を見るなり口元に手を当ててオエッと吐き真似をする始末。

 

マジで

「なにこれ?」

と思って当時同じ大学に通ってて訳アリで同じアパート暮らしてた幼馴染に聞いてみたら「どうやら同学年の連中の殆どがアンタと私が付き合ってると勘違いしてるっぽいぜw」とケラケラ笑いながら言ってきて。

俺は笑い事じゃないんだが?ってガチで心底イラつきながら泣いてる彼女に詳細を事細かに話したんだけど、泣きながら

気持ち悪い」

とか言って一蹴される始末。

 

それ以来、女の

気持ち悪い」

発言と口元に手を当ててショックを受ける仕草ホントマジで無理になったんだけど、これやる奴ガチマジで漏れなく苦しんで死んでほしいしキモいのはお前の方だ馬鹿野郎感情的ストレス耐性低い奴ホント無理。

 

俺が同棲してたのは同い年のいとこの女の子で、彼女喘息持ちでしょっちゅう命の危機に曝されるほどの発作に襲われながらも、大病した旦那に先立たれ太鼓で有名な手かざし系カルトにハマった母親のせいで高校一年から病院に連れて行ってもらえなくなって、その後インフルエンザ後遺症気管支喘息にかかってマジで死にかけたりしてたらしい(喘息って拗らせると本当に死ぬので皆気を付けて)。

その現状を知った俺の両親が高3一学期にいとこを自宅に連れてきて保護入院させ、それ以降、まあ幼馴染だし長期に一緒に暮らすの小学生夏休み以来だなって高校卒業まで姉弟みたいに暮らしてて、最初ガリガリ小学校低学年くらいの体格しかなくて死ぬんじゃないか心配してたけど内心は一人っ子の俺に姉弟が出来たみたいで楽しくて、お互い絵を描くのが好きだったから無事に同じ美術大学に進学して実家を離れルームシェア状態になって以降、学校では殆どさないけど通学路とか電車内では色々家の事とかバイトや買い物のこととかで話すことがあって、その様子が同級生に噂になったらしいけど、浮気だとか二股だとか取られる発想は当時の俺には全く無くて、付き合ってた彼女がそういうデマを信じて泣かれたときマジで頭が真っ白になって未だにトラウマになってる。

付き合い始めた頃に、訳アリで同居人居るから俺の家でデートは難しいかもって何度も言ってたのにさ…。

 

ただ、その一件でスーッと恋愛感情が冷めて、一時期は女という性別自体が嫌いになるくらい拗らせた。

 

で、その件以降同学年の女子殆どに嫌われキモがられて、大学に居づらくなって2年の夏頃に中退し小さな広告代理店就職し、大学に通ういとこと社会人の俺という関係で同居生活は新たな局面を迎えるわけだが、その頃の生活は正直言って楽しかったし、いとこと疑似夫婦みたいな関係性で、結婚生活ってこんな感じなんかなあとボンヤリ思って、ならこれも悪くないな、幸せだなと思ってた。

 

「これ夫婦みたいやね」

 

って時折言うと笑いながら照れ隠しっぽくポカポカと殴る蹴るのプチ暴力を受けるのもなんか良かった。

ただ、幼馴染で照れ臭いし小柄で病弱な幼馴染のいとこを異性として見ることは中々出来なくて、振る舞いも向こうはオラオラ系姉で俺はのんびり系弟だったし、テレビ見てるときに膝に座られたり寒いときハグされてコタツに潜るくらいで限界な感じ。だけど夏場の無防備な薄着の彼女には内心ドキドキしてた。

 

でも、休日意味もなく近所の住宅街公園徘徊してその風景を渋いとかつげ義春っぽいとか寸評して携帯写真撮りながら通りかかった喫茶店飲食店写真披露目会をしつつお腹を満たしたり、ちょっと遠くにある安いスーパーまで駄弁りながら散歩がてら歩いて食料確保したり、真夏の夜に近所のビデオレンタル店に出向いてB級ホラーを始めとするビデオを借りて深夜まで鑑賞会を開いたり、中古CD屋でマニアック洋楽アルバムをディグったり一緒に古本屋で何時間立ち読みしたり。

ある年にいとこがクリスマス新年彼氏と過ごすって二週間ほど外泊してたときちょっと、いや相当寂しかったし嫉妬したっけ。いつもは俺と過ごして大晦日には近所の寺に鐘つきに行ってたのに…。

 

家事一般は、いとこが同居中に2回喘息入院してたし(入院費8万くらい取られてやばかった)よく体調崩してて心配で俺が料理を筆頭に掃除洗濯も色々やってたんだけど、金が無さすぎて給湯器が買えなかった同居一年目の冬のある日、手が霜焼けで痛くて食器洗い苦痛って言ったら黙って洗ってくれたのは未だに覚えてる。

その後コーヒーメーカー炊飯器が滅茶苦茶電気代食うってのに気付いてリサイクルショップでドリッパーと米炊き用の土鍋を買ったら劇的に電気代が安くなって、この世の覇者みたいな気分でお互いやったぜって喜んでた。

んで年明けてからリサイクルショップナショナルの古いレンジビクターテレビデオとメーカー不明コタツ買って、ナショナルレンジは今も俺が使ってるけど、あのテレビで色んな深夜番組やら映画を録画して暇なときに一緒に観たり。

 

長いようで短い6年間、あのときはほんとに楽しかったな。

 

 

忘れもしない、草なぎ剛泥酔全裸前転で世を騒がせたときに、いとこが就職先を見つけて独り立ちするからって、そのお祝いにアパート隣接の枝垂れ桜が咲く公園酒盛りしながら俺が裸になってシンゴーって叫びながらでんぐり返しをして、いとこを爆笑させたことを。

 

んで、いとこはその後良い人と結婚してお子たちにも恵まれたようで、幸せそうな姿を今もSNS確認出来る。

 

一方、俺はと言えば二度結婚に失敗してもう生涯独身でいいよって思う昨今だけど、今思うと俺、いとこのこと好きだったんだろうな。

後悔してもしょうがないけど。

2023-08-28

今の奥さん結婚した、1番の理由

彼女と会うまでは、ずっと「足りない」「できない」とか思い込んでいた人生だった。

彼女は僕ととにかく違っていた。

一般には明るいと形容されるのかもしれない。情緒が安定していて、多くのことを前向きに捉えられる人だった。

どんどん惹きつけられた。生涯で1番勇気を出してアプローチしたら、なんと付き合えることになった。

かなり嬉しかった。

彼女は、一緒にどこに行っても、何をしても「幸せだね」と何かにつけて言ってくれた。彼女自身のことを「嘘が苦手なタイプだ」とよく話していた。僕もそう感じた。僕も、彼女はなんでも素直に話してくれているように感じられた。

単純に育ちがいい人なんだと思われた。

何かと勘ぐりが強い僕には、そんな彼女とのやり取り一つ一つが本当に衝撃的だった。いつでも、素直で正直で、それでいて感情的には終始しないやりとり。一緒に過ごす時間は、僕の体に染みついた皮肉さや生きづらさを少しずつ溶かしてくれた感じがした。

ある日、彼女にそんな感覚のことを伝えた。すると、彼女ケラケラと笑って「あなたって本当に面白いね。ずっと一緒にいてもわかんないことばっかりだね」と言った。

それからほどなくして、ようやく「ああ、俺はもう十分に恵まれていたじゃないか」と思えるようになった。回復できたと思った。健康な人に癒してもらう中で、暖かい気持ちのようなもの自分を満たしていいくれたんだと思った。

次の日にプロポーズした。

この人といると楽しい……とかも、もちろんそうだけど、この人と過ごせること、その毎日が本当にありがたいことに気がつけたんだ。

そして、同時にこんな幸せ時間はずっとずっと続いていく訳ではないことにも気がついた。

ありがてぇ、ありがてぇ。

感謝を込めて、彼女の肩を揉むと「あー、幸せだわ〜」と言ってもらえるんだ。何言ってやがんだ、それはコッチのセリフだよ。

結婚して20年。

僕は幸せです。

彼女とは、ずっと一緒にいたいです。

ずっと続いていく訳じゃない、この日々を大切にしなくちゃなぁ。

気に入られるように、毎日がんばるぞー。

2023-08-23

男らしくなるために

俺は逆に男らしくなろうと思った。

友人に愚痴とか弱音を吐くと、いつもニヤニヤされる。

学校生活の辛さを話すたび、嬉しそうにされるんだよ。

「お前は小せえことで悩んでていいな」と。

握力が30キロなくて、女友だちにも運動どころかゲームでさえ勝ったことない。

バイタリティの時点で敵わない、思考スピードレベルが違う気がする。

テストの点数とかで勝ってる知り合いもいない。

吉田くんのことは男性として見れない、と先んじて言われて、告白未遂に終わった。

勇気を持ち合わせてるのかも結局証明できてないし、だから恋人って架空だ。

みんな友人カテゴリには入れてくれてるらしいが、誰にでもどこか舐められてる。

「胸板薄っすw」とか背中叩きながら言われて笑いものにされる。ケラケラと。

気安いスキンシップはいいけどさ。持って生まれた骨格じゃw って返すけど。

実は傷付いてるからな。

俺は男らしくなりたい。

自慰行為…、相手がいないから代わりに自分自分を、慰める毎日から成長したい。

だけど男らしさなんて、時代に逆行した、間違った考え方に思えてる。

変わりたいのに、目指す先は足元からガラガラと崩れて。

輪郭がボヤけて。

何を、すればいいのかな。

2023-08-04

中学生の頃にパンチラハンターという遊びをしていた

悪友5人で集まって近所のショッピングセンター野球場図書館などの施設に行き、ミニスカート若い女エスカレーターに向かったら数メートル空けて尾行し、下から覗いてパンチラをハントするのだ

リーダーのS君はボットン便所市営住宅に住む貧しい家庭の子だったが、俺たちハンターは彼を慕っていた

研究熱心で、どこの店のどのポジションからパンチラが拝めるか常に研究し、情報を共有してくれていたからだ

俺たちは小汚い彼の家に集まって旧式のパソコンにS君が田んぼで拾ってきたエロ本付録CD-ROMを突っ込んで解像度の低いエロ画像を見るのも好きだった(まだインターネットは普及していなかった)

そういう戦利品がなくても彼の家はパラダイスだった

彼の女子高生の姉の下着がそこら中に干してあって見放題だったからだ

メンバーのうち二人は別の中学の生徒だった

小学校は同じだったが学区の関係で離れてしまったという経緯で、気のおけない中だったのは間違いない

ただ、やはり普段付き合う人間が違えば価値観も少しずつズレてくる

その二人は次第に「やばくねえ?」みたいな事を言いだしてパンチラハントを渋りだした

関係が切れた訳ではないが、中2に上がる頃にはハンターとして参加することはほぼなくなっていた

S君は変わらず熱心だった

靴に鏡を貼り付けて能動的にパンツをハントしたり、当時出始めでまだ低性能だったデジカメを何処から調達してきて、カバンに仕込んで盗撮するまでエスカレートしていた

俺ともう一人残ったJ君はそれをサポートする立場としてS君を支えた

良くないことだという認識はあった

しかしやめられなかった、女子にも大人にも相手にされない田舎落ちこぼれ中学生にとって、それは唯一の熱中できる遊びだったのだ

その遊びは中3の夏まで続いて、唐突に終わった

S君が亡くなったのだ

S君は父親運転するバイクに二人乗りしていて事故を起こし、増水した川に突っ込んで死んだ

その後は俺もJ君もパンチラをハントする気分にはなれなかった

いや、そもそも俺とJ君はパンチラハンター以外で絡むことはほとんどなく、クラスも遠くてお互いの家も電話番号も知らなかった

そのまま関係自然消滅してもおかしくなかったが、夏休みも終りが近づいたある日、S君の姉に呼び出されて二人でS君の家を訪ねることになった

俺とJ君は自転車で合流したものエロ画像パンチラの話しかしたことがないかほとんど無言で市営住宅に向かった

父親とS君がいなくなった市営住宅はしんとしていた

俺たちが仏壇に線香をあげるのを、高校制服を着たS君の姉が後ろで仁王立ちで見ていて、終わると

「きょうはどうもね。あとうちら引っ越すことになったから、あんたらさあ……」と言って二階に上がっていった

話が途中で途切れたのでどうしたらいいもんかJ君と顔を見合わせていると、

「これ、要るでしょ」

といって段ボール箱をかかえて戻ってきた

そこにはS君のコレクション田んぼで拾ったエロ本盗撮写真データが収められたCD-ROM、それに使ったデジカメ手鏡、巨大なノートパソコンパンチラポジションが詳細に書かれたノートが詰め込まれていた

パンチラハンターなんでしょ。バカだね男って。あたしのパンツも何枚かあげよっか?」

と言って姉はケラケラと笑ったが、俺とJ君は感極まって号泣してしまった

5人で集まって馬鹿騒ぎしていた頃の記憶が嵐のように蘇って、情けないと思うのに涙が止まらない

もう最後には姉ももらい泣きして、三人で抱き合うみたいにして泣いた

遺品はJ君がほとんど引き取った

自転車にカゴが付いていたからだ

俺はデジカメだけ受け取って、その場でなんとなく三人の自撮り写真を撮った

しかしちょうどそれでバッテリーが切れたのか、液晶が切れて動かなくなった

充電用のケーブルは見つからなかったということで、無用の長物になってしまったが、一応持ち帰った

帰りの道中、「もう解散かな、パンチラハンター」とJ君に言ったら「いや」と低い声で否定した

J君はその数ヶ月で声変わりが急激に進んでいた

「ずっと残しとく。大人になってもずっと。増田も忘れんなよ」

その大人みたいな声が、俺の中に重々しく響いたのを覚えている

家にあるケーブルでなんとか充電できないか悪戦苦闘していた俺を見て「新しいの買ったほうが早い」と父親が新品のデジカメを買い与えてくれた

これがきっかけで俺は写真にハマり、数年後には東京の某芸術系大学写真学科に進んだ

一方J君は地元高専に入り、ソフトウェア開発の道に進んで関西大学編入

J君もS君の遺品のノートパソコン勉強したんだろうと勝手に俺は思ってる

彼とも中学を出てからはあまり関わりはなかったが、盆とか正月には地元で会って近況報告くらいはした

俺たちは氷河期世代ど真ん中で、その後の人生もうまくやれたとは思わない

Jは卒業すると地元の有名企業になんとかコネ就職

まもなく中学時代同級生の女と結婚したが、すぐに事業所縮小でリストラの憂き目にあい二年で離婚した

噂によるとその後また再婚したみたいだが、コロナ以降は一度も会っておらずどうなったかからない

俺は大学を出てからそこそこ有名な写真家に師事したが芽が出ず野に放たれた

しか写真は諦めきれず、不動産屋の広告に乗せる新築マンション写真を撮る安い仕事をもらって東京の安アパートで何とかギリギリ生きていた

仕事中、高級タワマンエントランスの長いエスカレーターをみると胸がざわついた

S君ならこのポジションをどう評価するだろう?って

父親が病を得たのをきっかけに俺は地元に戻った

地方カメラマン崩れに仕事はなく、高齢者に混じって非正規警備員をやっている

施設警備をしていると、エスカレーターの下で怪しい動きをする男の子たちを見かけることが有る

彼らもまたパンチラハンターなのだろう

「お前ら、バレバレだぞ」

いたたまれなくなって諭すと、「うっせージジイ!」と悪態をつきながら逃げていく

そう

俺はもうジジイになってしまった

J君の実家はもう取り壊されていて無くなっている

調べれは引越し先も調べがつくと思うが、あえてそうしようとは何故か思わない

今朝、夢にJ君とS君の姉が出てきた

女子高生のままのS君の姉が「あたしら結婚たから」と照れくさそうに言っていた

J君はバツが悪そうに視線彷徨わせていた

こちらは若くはなく、最後に会ったときの熊のような髭面メガネだった

証拠見せようか? ほら」

彼女はそう言ってあのデジカメを見せてきた

最近見てなかったけどこの人が持ってたのか、と夢の中の俺は思う

液晶画面には、俺が撮って一度も見ていない三人の自撮り写真が表示されていた

しかも、中央の俺が無邪気に自撮りしている後ろでJ君とSの姉が手を握って見つめ合っている

この頃から繋がってたのかよ、と夢の中の俺が思う

「そうだよ。確かめてみな」

目を覚ましてから、押入れの中身をひっくり返してあのデジカメを探した

昔は知識がなくてどうにもならなかったが、充電器などなくても記録媒体を取り出してマルチリーダーで読めばデータは吸い出せるだろう

しかし見つからなかったし、そのことで必要以上に感傷に襲われることもなかった

ただこれだけは言っておかねばならない

パンチラハンター支配され、パンチラハンターとして人生を終える増田もいる、ということを…

2023-07-15

ブサイクデブ性格が悪いことを思い知った

ある時期男は顔じゃないって友人に主張しまくった

友人は皆「やっぱり誰も相手にしないようなのは、中身もダメなんだよ」と言い張った

悔しいから、デブブサイクを選んで告白しまくった

一人と別れたらまた次、分かれたらまた次と、一人一人のブサイクと本気で向き合った

恋というものは、付き合ってみていいところが見えてきたら生まれていくと甘く見てた

「私と付き合ってくれないかな」と告白すると、返事は「ばかじゃねーの?」って言うやつと「オレのこと好きなの?なんで?なんで?」系が多かった

ばかじゃねーの?って言ってたやつも、直後「付き合ってあげてもいいよ」みたいなOKの言葉を吐いてくれた

まずデブ、「太ってたって頭の中身とは関係ないでしょ、誰にも迷惑かけないじゃない」という私の思いはすぐに裏切られた

「俺って恰幅がいいってよく言われるんだよね、強そう?あいつ見てよガリガリ ぶつかったらふっ飛んじゃうよ」

おおらかだと思ってたデブが人の悪口を言うなんて

「女は細くないとね、○○ちゃんちょっとウエスト締めたら?ご飯半分貰おうか?」

体型なんて問題ないと言っていた私の体型をデブ文句付けられるなんて

ずっとそんな感じでいちいちイラっとするような言動をする人だったので数日で別れた

別れた後「え、まだ何もしてないのに」って言葉に耳を疑った

それはそうと、他のデブも試してみなければ

そう思い次のデブアタックした

「俺の逞しい体に惚れたの?」

やっぱりデブ自分を逞しいと思ってるのかな、そう思いつつ肯定

「○○ちゃん野菜も食べなきゃ」とたこ焼きを食べてる私にポテトチップス差し出す

これはお菓子では?と質問する私に

バカだなあ、これはポ・テ・トじゃがいもだよ~その抜けたところがかわいいんだけどね」

菓子野菜だと言い放つデブバカ呼ばわりされる私

まあジャガイモでもいいけど、といいつつポテトチップスに手を伸ばした次の瞬間、デブは私のたこ焼きにマイマヨネーズたこ焼きの体積以上ぶちまけた

「○○ちゃん痩せてるから、卵も食べなさいね

私が人に迷惑をかけないと信じてたデブが、今私の昼食を台無しにし、私を太らせようとしている

でも、これはやさしさなんだと思い込もうとした

「私マヨネーズは苦手なんだ」とデブ忠告

ごめんね、と謝られてその後残りのたこ焼き入りマヨネーズを平らげてくれた

そして翌日、私とデブは昼食にスパゲッティを食べに行った

するとデブ自分の皿にマヨネーズ、続けて私の皿に・・

ウオオと焦って皿をガードする私の腕にマヨネーズ

「○○ちゃん何やってるの。バカだなあ」とケラケラ笑うデブ

一日でマヨネーズかけるなって言う事を忘れた上、勝手他人食べ物マヨネーズ、私の腕にもマヨネーズ

怒りが爆発しないように下を向いて心を落ち着け

「忘れただけかもしれない、もう一度言えばいいさ」と思い、正面を向いた私の前には食べる気を失った私のスパゲッティを抱えて食べてるデブが居た

そして数日頑張ったが無神経さと鳥頭改善する気配もなく別れ

次のデブ

それから何度かデブと付き合ったが、「デブコンプレックスで痩せたいとウジウジする割りに、解決方法アドバイスすると言い訳をするやつ」

「逞しいということに自信持ちすぎてるやつ」「デブだけどこれでいいんだという自然体のやつ」が居た性格的には「他人食べ物自分食べ物の境がないやつ」が非常に多く、「自分の味覚をみんなの味覚だと思うやつ」も多く、他人食べ物なのに、分けてもらうことを前提に選ばせたり、勝手調味料をかけたりするやつも居た

「自信を持っているデブ=ずうずうしい」の図式もできてきた

後は「彼女は痩せていてほしい」と体型上の要望が強いやつが殆どだった、面倒なのは「痩せていて欲しいが、自分と同じように食ってくれ」バカ普段以上に食えば太るわ

こんな理不尽な願望もずいぶんと投げかけられた

私はデブはおおらかで優しい人が多く、デブからもてない、デブから付き合いたくないというのはただの偏見だという考えを捨てるしかなかった

そして次にブサイク、「顔が悪くても、人の好みなんてそれぞれでしょ。キモがられてる人だって普通と変わらないはず、あんたたちがいじめっ子なのよ」という主張をしてきた私だが

一般的な好みで言うブサイクでなければ意味がないので、何人かにキモイ男を挙げてもらったりして選んでいった

私の知人からしたら「自分キモイと言った人と○○が付き合ってる・・・私あの子好きな人悪口言っちゃった」と不安に思ったのか

数人から謝罪と共にいろいろ奢ってもらった

それもブサイク6人目くらいまでの話だが

それはさておき、告白してみた「私と付き合ってください」

今回は個々のケースは書かず、大まかにまとめてみる

何故か酷くあわてだす人が多かったが「え?ウン」「・・・(頷くだけ)」も多かった

付き合ってみたはいいが、がっつきすぎてる人が殆ど

今日はいい?」「そろそろいい?」「俺のこと好きなんだよね、やりたい?」「どんなエッチが好きなの?」「2人の記念すべき日はいつだろうね」「いつやれるの?」

キモがられてても、普通とかわらない、その先入観は間違いだった

コミュニケーションがろくに取れない、二言目には下系か、じろじろ私を品定めしてくるだけだ

からしかったわけじゃないから徐々に親しくなっていって、恋が芽生えたらセッ○スって言う普通ルートを通ってくれない

しろ普通の会話が出来ない続かない

普通の人と変わらない」の普通の人とも付き合ったことはある

付き合うまでに親しくなり、チャンスがあればと狙い続け、付き合う前にやってしまった人も居る

普通の会話もし、仕事勉強の話もし、おいしい食事を食べ、徐々に距離を縮める

それが出来ない

それはきっと、私が付き合ってくれと言ったから、期待が膨らんだんだと

自分反省し、真面目に「今まで話したこと無かったし、少しずつ進んで行きたいんだ」「まだお互いよく知らないから」と説明した

8割のブサイクが、とたんに不機嫌になった

半分はその後ロクに口を利いてくれず、かと言って「別れるしかないのかな?」と言うと別れたくは無いらしい

うち一人は「別れる前にすることがあるだろう」だそうだ

別の数人目のブサイクは「別れなくてもいい方法があるんじゃないの?」らしい

そうだ、別れなくても、歩み寄ってくれ、距離を縮めていけたら別れなくて済むはず

数人目でそう確信した私は、それ以後は「まだやらない」と説明した後不機嫌になるブサイクに対し、仲を進展させるため、親密になるため距離を縮めようと

友人を紹介したり、いろんなところへ誘って頑張った

すると、男友達を紹介すると、「あい馬鹿そう」「偉そう」「男とちゃらちゃら遊んでるの?」

女を紹介すると「あの子はすぐやれるの?」「あの子俺の事見てたよね」

「飲みに行く時に誰か誘おう」と持ちかけると、ブサイク指名するのは全て女

数人のブサイク双生児のようにこのような同じ言動を示した

実際飲み屋で、キャバレーのように周りは全て女で、ブサイクが一人真ん中に居るような光景になることもあった

逆に友人を紹介してもらうと、その友人は女友達を呼べと騒ぎ暴れ

から私の服を覗く、彼氏ブサイクは見せ付けるようにスキンシップを求めてくる

うんざりした

「まだやらない」宣言の後、不機嫌にならないブサイクはどうだったか

結局誰とも会話は続くようにならなかった人を紹介しても話さない、2人で居てもジロジロ見てくるだけメールでは細かいところをチクチクと褒めたりけなしたり

今日耳に毛がでてたよ」「昨日眉毛整えたんだね、まぶたの上の毛がなくなってた」

分けの分からないアニメネタしか振ってこない人も居た

「やっぱり無理みたい」と振られたこともあった

結局誰とも長続きしなかった

ブサイクは今まで付き合ってきたどの普通の男とも根本的に違ってた

私はデブブサイクと付き合い続けて1年半を無駄にした

人達からの「男の趣味が悪い」というレッテルと、数人のストーカーが私に残された

友人に「だまされちゃった、デブはおおらかじゃなかったし、やさしくもなかったよ、選ばれたブサイク達はどう贔屓目に見ても普通の男とは違う常識の中で生きてたよ」と泣きつくと

「だから言ったでしょ」と優しく抱きしめてくれた

彼女は今私の親友です

2023-07-11

私自

最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分直視することから逃げてきた。

幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベル胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しか祖母毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。

私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎人間としてはかなり)知的好奇心教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。

祖母は80歳を過ぎるまで苛烈自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。

物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい名前を挙げられた女の子たちに向かい祖母を止めない母親に向かい自分にも向かった。

はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格容姿趣味人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。

肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。

私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。

土地二束三文で買える田舎町にある実家敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室ひとつ風呂台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。

母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。

母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分不手際が契機となり、怒鳴られ人格否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。

小学校5年から学校いじめの標的になった。担任女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道いじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。

家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校いじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動いちばん盛んな頃に短大に進学して、父親警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。

それから長い年月が過ぎた。

祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。

母は合わない職務鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。

私は中年になった。自分と向き合うことから逃げ続けたままで。

この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。

脳内には14歳の私が世界万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれ規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。

ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。

私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。

それは、世界でただひとり私にしかできないことだからだ。

2023-07-08

俺なりの

オンライン会議に入室した途端、ミュートし忘れたBBA

『〇〇ちゃん男みたいwwwwww』

と笑われた。

気を遣ったのか

ただ会議が始まる時間だったからなのか。

ホスト強制的ミュートし忘れBBAミューBBAにし、

いつも通り会議が始まった。

ミューBBAはそれでも画面の奥でケラケラ笑っていた。

無邪気な笑顔で。

20代前半の無個性女がある日突然イジリー岡田一歩手前の髪型になってたらウケるよな、そりゃ。

でも私イジリー岡田になりたくてなったんじゃないんだよ。

美容室で失敗されたわけでもないんだよ。

自分でハサミ入れて自分で失敗したんだよ。

喚いても泣いても時間金も髪も返ってこないんだよ。

20年前からそういう病気なんだ私は。

家にあるリカちゃん人形の全て髪型コシノジュンコヘアーに変身させ

母を絶句させたあの日からずっとそうなんだ。

母は美容師だった。

子供の頃は黙っているだけでそれなりのセンスでそれなりの髪にしてくた。

常連の客も学校友達毎日可愛い可愛いと褒めてくれた。

私は何もせずとも比較的おしゃれな子だった。

でもどこかで自分センスを試したいという気持ちがあったのだろうか。

前述のリカちゃん人形に加え、紐状のカーテン運動会などで使うセロファンで作ったポンポン

マフラーの先っちょいっぱいでてるアレ。

私にとっては全てが髪に見えた。

そして次の瞬間にはハサミを入れているのだ。

能動的にハサミを入れ始めるようになってから徐々に気づくのだが

私には全くセンスが無かった。

思い切りが良すぎる。大胆すぎる。雑。粗い。下手。

なんでこんなことしたの?もったいないよー!

母の呆れ声、友達困惑の表情、

床に散らばった残骸。その全てに後悔した。

だって全部不細工

残骸は何度掃除してもなかなか消えないし。

日経ってもひょっこり顔を出し、2度と戻らないものを思い出させる。

どうして上手にできないんだろう。

徐々に大人になるにつれ現実と向き合い、

あきらめを知った私は

大好きだったハサミを封印した。




はずだった。

20年後封印したはずの刃先は

一見成人して自立したかように見える私に向いていた。

どうして上手に勉強できないの?

どうして上手に仲直りできないの?

どうして上手に営業できないの?

どうしてどうしてどうして。

鏡の前にいるのが自分じゃないように見えた。

この頭からぶら下がってる長い何かを切れば本当の私が出てくるんじゃないのか。

本当の私ならきっとなんでも上手くやれる方法を知っている。

きっと幸せになれる。

きっと神になれる。

(髪だけに)

(は?)

この時が私の私による初めての断髪。

泣きながら母に電話した。

ありがたいことに母は結構遠くに住む私の元にすぐに飛んできてくれて

応急処置をしてくれてなんとか“外には出れる“状態にはしてくれた。

これと同じようなことが1年間で3回も起こって、

ロングヘアーがあっという間に現在ベリーイジリーショートまでなった。

いやごめん、今ググったけど岡田さんの方が全然かっこいいよ。

私こんなに綺麗じゃないし面白くもないし

イジリー以下だよ、以下。

母はこの20余年間で私がひどく衝動的で傷つきやす性格であることを

ハサミ入れたがる問題の他にも起こった数々の事件を通して

流石に熟知してくれていて、

今回応急処置の時に「大丈夫だよ、個性的にはなったけど、変じゃないよ」と言ってくれた。

でもさすがに今回ばかしはダメだったのでは。

だってイジリー以下だよ。救えなくない?

次の日が来るのが怖くてその日は一睡もできなかった。

みんななんて言うの、なんて思うの。

母のセンス大人になっても信じていいの。

全く姿を現しそうにない眠気を見つめていても無駄だと思ったので、

かに重くのしかかる疲労を押し除け、とりあえず朝ごはんをなんか食って

机に座ってPCを起動した。


オンライン会議に入室した途端、ミュートし忘れたBBA

『〇〇ちゃん男みたいwwwwww』

と笑われた。

気を遣ったのか

ただ会議が始まる時間だったからなのか。

ホスト強制的ミュートし忘れBBAミューBBAにし、

いつも通り会議が始まった。

ミューBBAはそれでも画面の奥でケラケラ笑っていた。

無邪気な笑顔で。

私はちょっと苦笑いをして、涙を数滴落とした。

私正直ミューBBAのこと好きで、

率直で裏表のないその人柄が信頼できると思った。

今回の発言別にわざととかじゃなくて

本当にミュート忘れてたところに思わずこぼれちゃったんだと思う。

そんなことわざとするような人じゃない。

きっと私が数時間でも寝ていれば泣いたりはしなかったかもしれない。

笑い飛ばしてたと思う。

からその場にいた数名から心配や『似合ってるよ♪』等お世辞のLINEが来て

少し元気が出た。大丈夫になった気がする。

優しさってそれぞれだな。

ミューBBAのように素直に笑い飛ばしてくれる方が時には優しさになるし

他のみんなのようにその場では一旦スルーして後からケアしてくれるのも優しさ出し

人の数だけ優しさがあるんだよね。

仕事は大変だけどこの会社の良いところだな、そう思えた。

私はどんな優しさを持ってるんだろう。

しかしたらどんな“上手さ“よりも役に立つものだったりして。







それはそれとして給料低いのと上司バカなのとこれから在宅なくなるって聞いて色々だるいんで退職しますー。

お世話になりやした〜。ペッ

2023-06-28

anond:20230628000633

今日初めて落雷を目の前で見て腰抜かすほどビビったけど17時頃街路樹剪定終わって撤収作業しとったら急に暗雲立ち込めてきて土砂降りになってきてゴロゴロ雷なりよって高いところ落ちるから避難せえ言われて車ん中で収まるの待っとったら落雷始まってめっちゃ近いやん怖いな思ってたらすぐ側の池に極太の雷落ちよってあれ腹に響くような物凄い音するし絶対地面揺れたし衝撃波みたいなん初めて浴びたし呆然としてたら同僚が雷打たれても生きとった奴結構おるんやでってほざきよって金属製品身に付けてたらそっちに雷逃げるから腰に工具一杯着けてるうちら大丈夫やなとか言ってわろてたけどだったらあんた外に出て一発打たれてみ思ったし靴も下着作業着もゲリラ豪雨でビチャビチャなってたか帰宅即全部風呂で洗ったけど今月生理キツくて慢性的に頭と腰痛いし屈む姿勢取ると痛みが悪化するからクソ大変やったし何が大丈夫やねん思ったけど今年初めて稼働させた冷房に当たりながら冷水に溶かした特濃の粉末のポカリジョッキでグビグビ飲んで落ち着いてから台所に移動して人参玉ねぎセロリをフープロで粉微塵にして冷凍しておいたのを最近お気に入り藤田金属の鉄のフライパンで飴色になるまでシュエしてソフリット作って別皿に取り置いてそのスュックをオレンジジュースバターデグラッセしてソースにして半分にレジュイールしたところに前日に香草と塩胡椒ニンニクオリーブオイルマリネして一晩置いて70度で90分湯煎した豚肩ロースを投入してソフリットフライパンに戻してソースをアロゼしながら香ばしくポワレにして同じく昨晩ヨーグルト蜂蜜を和えて裏漉ししたマッシュポテトの上に乗せたヴィアンドを作ってみじん切りにして塩もみしてバターと一緒に1分レンチンした玉ねぎパセリ賽の目に切ったトマトレモンオリーブオイルマリネしたオードブルと一緒に食べてデザート明治宇治金時練乳入りを器に崩してかき氷みたいにシャクシャク食うたけどおいちかったので今日もなんとか幸せだったけどセルフクンニ軟体開発女学院の続編を書く気にはならないし何がセルフクンニやふざけとんのか確かに中学生の頃クリ吸いされた過ぎてセルフクンニ練習してなんとか出来るようになったけど思ってたほど気持ちよくなかったし自分で書いたしょうもない下ネタケラケラ笑ってて何がおもろいねんアホちゃう

2023-06-23

桃太郎の話をセリフだけで書いてみて

桃太郎: おやっ、桃が川に流れている!

桃太郎: よし、中に誰かいるかな?開けてみよう。

おばあさん: わたしはおばあさんだよ。助けてくれてありがとう

桃太郎: おばあさん、一緒に暮らそう!お宅で何か力になれることはありますか?

おばあさん: ありがとう桃太郎。鬼がこの近くに住んでいて、村の人々を脅かしているの。助けてほしいの。

桃太郎: 分かりました!おばあさんと一緒に鬼をやっつけに行こう!

犬: わんわん!私も行くよ!力になるから頼んだぞ!

猿: おれも行くさ!一緒に戦おう!

キジ: ふん、お前たちに負けるわけにはいかない。私も行くよ!

桃太郎: 仲間が揃ったね!鬼ども、用意しろ

鬼: お前たちなんかに負けるわけない!

桃太郎: やれ!犬、鬼を噛みつけ!

犬: ガウガウ

桃太郎: 猿、鬼をからかえ!

猿: ケラケラケラ!

桃太郎: キジ、鬼をつつけ!

キジ: コケコッコー!

おばあさん: みんな、私も力を貸すわよ!鬼め、お前のやり方は許せないわ!

鬼: ばばあめ、お前なんかにやられるかよ!

おばあさん: 見くびるな!おれ!

おばあさん: しゃっくりしゃくり、鬼に向かっておばあさんのパワーを放つ!

鬼: ぐぅっ!な、何だこの力は!?

おばあさん: わしのパワーを見せつけたわね!村の人々を守るために、このおばあさんが戦うのよ!

鬼: やめてくれ!ごめんなさい!もう悪さはしません!

桃太郎: よし、鬼も改心したみたいだね。もう村の人々を脅かさないでね!

村の人々: 桃太郎ありがとう安心して暮らせるようになったよ!

桃太郎: みんな、これからも仲良く暮らしましょう!

2023-06-10

ぶつかりおじさんつけまわして、インターフォン10分間連打し続けた

途中楽しくなってきて

ケラケラ笑ってたんだけど

おじさんはなぜ扉を開けてくれなかったんだろうか

2023-05-22

魔法のiらんどとかフォレストページとか携帯イラストサイトの思い出

時折、ふと思い立ってPC画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作アナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。

私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像ソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。

もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。

そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春記憶を今、絶妙嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。

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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。

そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…

5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。

さすがに身長の高さゆえか男子女子わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから別に親は悪くないんですけど。

そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリ日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。

当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトリンクランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品一目惚れし、その方のサイト掲示板初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。

コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼け少女油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。

もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。

しばらく固まった。どう返信していいかからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルジャンプしてガッツーズしましたよ。

そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。

春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに費用がね…。

そして中学最初夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。

隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作現場だった。部屋中に飾られた素描水彩画、見たこともない大きなカルトンイーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD

やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。

ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。

うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメ漫画とかミギーイラストとか、他にもボナールとかセザンヌかいろんな画家画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。

ただね、この人近いんすよ、距離が…。

ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。

で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。

そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!

その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルチェックインしました。

そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居紅葉、月夜と和服女性モチーフに厚塗りリアルタッチ作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症ゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。

結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。

そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首タッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。

俺は限界だと思った。お前首絞めて殺すぞこの悪霊め。

帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察通報すればいいとか言い出しやがって。

で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。

その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトアクセス私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。

そしてサイト掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。

大阪カラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。

そして図々しくも来年夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。

でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中セクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。

SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくそ理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのとき快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私は来年東京就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたか感触ギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。

でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッ彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。

その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。

その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterpixiv活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。

2023-05-13

anond:20230511202451

エントリから追記

長男の怒りと次男の怒り

長男の才能は優しいところではないかと思う。おもちゃを貸したり順番を守ったりは苦手ではあるが、悪意があってやってることではない。必要以上に追撃しないし、嫌なことがあっても八つ当たりもしない。

その点、次男なんてひどい。

妻に叱られたり、iPadがうまく操作できなかったりすると、床にモノを投げつけたり、床や家具を殴って当たり散らすのだが、とき長男やパパ(自分)を殴りにいく。

不意に理不尽頭突き体当たりを食らっても、長男基本的無視である。力加減によっては

「わけわかんねぇよ、なにすんだよぉ」

困惑こそすれど、反撃しない。

極めて温厚。社会性は欠如してるけど、寝言でさえケラケラ笑う。

妻と次男は、嫌なことが積み重なると、最後に起きた嫌なことに怒りがのる。

裏ドラが乗るような感じだ。

イライラしてるときにこんなことやりやがって」

イコールイライラしてるということは腹いせする権利がある」

という無茶苦茶論理が成立してる。

さら

「ワタシが怒ってるということはお前が悪い。お前が悪いからワタシは怒ってる」

という循環論法も成立してる。

カワイソウなほうがエラい

も妻と次男のなかでは真だ。

これら、全部無茶苦茶論理ではあるが、根本的には、「お気持ちは察されるべきだ」がある。

人の世の悩みの8割は、そういうものな気がする。

「愛されるべきなのに愛されない」

評価されるべきなのに評価されない」

などなどの「~べき」論が脳内にあり、それが満たされない矛盾が、怒りとか哀しみとかに転嫁され噴出する。

長男共感力が弱いので、「共感しあって当たり前」がない。素直に喜び、素直に甘え、素直に怒る。

共感しようという意思が無いわけじゃない。

猫が獲物咥えて自慢しにきて「ほらみて!」とする感じ。無視されると「もっかいやるからほらみろ!」と次は力に訴えてくるけれど、怒りの対象は見てくれなかったという事象に向いていて、気持ちを察してもらえなかったことには向いてない。

長男ギフテッドか?

そんなんじゃないと思う。

とりあえず小学生入学時点じゃ支援級とかなんじゃないだろうか。

喋りだせば早いんじゃないかとか、オムツ自然に取れるんじゃないかと思ってもいるのだけど、裏切られ続けて今に至ってる。

英単語英文を覚えてタイプしたりするけど、将来の英語の成績とはつながらないだろう。語学って、そういうものじゃない。

早く数字理解してるからって、数学必要な才能もそういうのではないと思う。記憶力がいいし法則理解は早いから、そこそこの秀才にはなれるかもと心の中で期待してるのは否定しない。

知育コンテンツが好きで勝手に覚えるということは、算数が苦行には感じないのだろうし、勉強が好きな子になればワンチャンってくらい。

2023-05-11

大学出て正社員なったけど転勤させられそうになったんで退社して結婚して今はパート扶養上限年間130万までしか収入得られない極貧で子どもが二人も居て本当に私が生まれたせいであなたたちが生まれしまって可哀想に、どうせ生まれるならもっと単位くらい稼げる資産家の家で天使聖人みたいな美人完璧母親に育てられて裕福に生きられれば幸せだったのにねとほんと常々申し訳無く思ってるんだけど、

「おかあさん、あのねえ」とかほんとこんな駄目でブサイクで60キロくらいあるババアに向かって子ども安心しきった柔らかい声で話しかけてくるので、うわ可愛いな…とびっくりする。赤ちゃんとき特有ケラケラケラって笑い方も可愛かったし、中学に上がったらこんなふうには話しかけてこないんだろうな。

2023-04-08

これから半袖Tシャツの季節がくる

半袖Tシャツって面白TシャツとかふざけTとかの笑いをとる確立したジャンルがあるんよな

笑いをとっていく、ネタに走るというところでは半袖Tシャツが世の中のあらゆる服の中でも一番突っ走ってる

はじめしゃちょーやンダホやイチロー面白Tを着てるのをYouTubeで見て、ウケてなんぼのインフルエンサーメディアが騒いでくれる有名人面白Tを着るのはいいけど

私のような一般人30代女性が夏に面白T着て外に出てもイタい大人になるだけじゃん

おしゃれには絶対にならないし

(関係ないんだけど都市ボーイズのお二人がオカルトネタとか面白系の服を着ているの見るのが好き

岸本さんがNetflixとかnocomentとかヌーとかの服を着てはやせさんがホラー漫画とかオカルト系の服着てるの好き)

私はオカルト好きだからきさらぎ駅とかこっくりさんとかのネタT着たいけど、私は幼児母親なので外出先が幼児の遊び場であることが多くてオカルトネタTシャツとか客観的に考えるとドン引きなんだよな

そういう現場こっくりさんTシャツ着ていく自分ドン引きする

あい場所には鬼滅の刃とかコナンとかのTシャツのほうがあってるわ

面白T着てて痛くないのって小学生とか中学生とかの子供なんだよな。子供がくだらない面白T着てケラケラ笑ってる遊んでいる姿は微笑ましいわ

いい年した一般人大人はおもいっきり笑いに走った面白T、ふざけT着ても痛々しくなってしま

これから暑い季節がきて、街を歩いたら面白T着た人に出会えるんだろうか

夏はTシャツ着用率が高いから他の人たちがどんなTシャツを着てるのか楽しみ

2023-04-04

子供スマホ

もうすぐ子供が5歳になる。

健やかに育ってくれてた。ありがたや。

 

一つだけ問題がある。

食事中のタブレットが止められない。

見ながら食うのが習慣化してしまった。

俺が悪い、黙らせるのにタブレットを使ったのがイカ

イカンのはわかってるが即効性があるのでついつい使ってしまう。

最悪だ、すまん。父は弱いのだ。

 

このままだと息子はアホアホスマホバカ人間になってしまう。

せめて食事中は取り上げたい。

 

取り上げるとギャーギャーうるさい。

壊れたとウソをついても

「どうせウソでしょ」

「じゃぁパパのケータイでいい」

 

最近地獄テーマの昔話がブーム

カンダタ最後どうなったのかとしつこく聞いてくる、知らんがな。龍之介の聞いてくれ。

地獄のあばれもの」もお気に入りでここひと月毎日観ている、針の山をなぎ倒していくシーンが好きらしい。

ちょっと前はGTAだった。殺戮破壊ケラケラ笑いながら観ていた。

情緒面に欠陥があるのだろう、俺の子から仕方がない。

 

ともかく、せめて食事中は取り上げたい。

 

お話しよう、大好きな鉄道クイズをしてあげる、などなど誘導策を試みたがダメ

 

しばらくシチュエーションを変えて食事をするか。

庭でBBQをするときだけは観ない。

だが毎日BBQも鬱陶しい。

 

あるいはたこ焼き巻きずしチーズフォンデュなど子供製作に参加できるようなメニューを増やすか。

 

なにかアイデアがあったら教えてくれ。

 

と、ここまで書いてふと、

そもそも食事中にスマホ観るのはイカンのか?

なんで?

一般的にはダメに決まってる議論余地なし、だろうがそこにサイエンスは無い、エビデンスはない。

しかしたら食事中に好きなだけスマホ動画を見たほうが利口で良い子になるかもしれない。

あるいはなんら影響が無いとか。

データを探してみたが無い。そりゃ無いだろう、デジタルネイティブ世代はまだ就労世代に達していない。

 

テレビ対象にした類似研究はあるが、幼児期テレビ視聴時間食事中のテレビが長期的にどのような結果となるか追跡コホートは見つからなかった。

海外研究も当たってみたが、ながら食いと肥満研究が多い。

 

ながら視聴がもたらす知能への負の研究結果も見つかるが、

一方で肯定的レポートもある

ともかく、長期的なコホートは見つからなかった。

 

で、いくつか論文は読んだが、ようするに見方にもよるんじゃね?と思い始めた。

子供大人しく座らせて食事させるためにスマホを使う、親も黙ってスマホながら食い

と、

一緒に映像を観ながらそれをテーマに話をしながら食べる、とでは違うのではないか

落っこちカンダタどうしたんだろね、もう一回チャンスあげてもいいのにね、どう思う?みたいな

受動コンテンツでありながら思考を伴う能動作業になる。

動画をただ消費するのではなくイマジネーションを広げる訓練になれば良いのではないか

 

という言い訳を思いついたのでしばらくながら食い容認する

だってウソ泣きやめさせるの面倒くさいもん

2023-03-03

ガキの頃ダーリンは外国人をあまり理解せず読んでケラケラわろてたけど、今読むと語学ネタが分かって面白い義務教育受けてれば分かるレベルだし

2023-02-13

世の中に対して怒ること

マイナカードのことで市役所電話で問い合わせたら、めちゃくちゃたらい回しにされたあげく、「調べますので少々お待ち下さい」と言われてそれでも大人しく待ってたら、どうやら保留にし忘れたようで電話の向こうの会話が筒抜けで、「どうすればいいですかね」「怒ってるの?」「いえ、私に対しては怒ってないです。世の中に対して怒ってるみたいです」とか言いながらケラケラ笑ってる声が聞こえてきて、泣きそうになった。世の中に対して怒ることはそんなに笑われるようなことなのか。そんな世の中を作っている人たちの一部である役所人間が笑っていいのか。この怒りをどこにぶつければいいのか。

2023-01-29

増田やはてぶに思想を書く理由がわからない

頭悪いことかいて皆でケラケラするならまだしも、誰も証明性のないことで言い争う理由不明

2023-01-25

【令和最新版】家庭の経済状況を測る方法

昨日、大学友達がうちに遊びに来た。

Z世代が人の家に行ったときにまずすることといえばWiーFiを繋ぐことである。これはその家の主から切り出すのが基本だが、待てない奴は自分から「WiーFiどれ?」とネットワーク選択画面を開きながら聞いてくるものである

しかしその友達は5回以上我が家を訪れているにもかかわらず、一向に繋ぎたい様子を見せることはなく、なんだったらある時はYouTubeでちいかわのアニメを見てケラケラと笑っている有り様だった。こんなしょうもないことで貴重なデータ通信量を消費していいのかと心配になり、WiーFi繋げる?と聞いたが、大丈夫!と返された。

昨日、意を決して聞いてみた。なんでうちのWiーFi頑なに繋げないの?と。

データ使い放題だから

!!!

そういうのがあるのか!

この友達というのは親が病院をやっていて実家が太いため、ちいかわの件では自分は心の中で、こいつは月に20GBぐらい契約しているから余裕があるのだろう、と思っていた。そこが想像力限界で、とはいえWiーFiを繋げるに越したことはないだろう、と思っていた。

しかしそんなことはなかった。スマホにWiーFiを繋げなくてもいい世界というのがあったのだ。我が家NURO光接続するよりも四方を駆け巡る5G電波を拾ったほうが快適ということである

俺はこの一件から現代っ子の育ちの違いはWiーFiに対する価値観で測れる部分があると考えた。

中流家庭は格安SIMの月1桁GBでしのいでいるためすぐ「低速かかった」とか言うし、人の家に行ったらまずWiーFiを繋げにかかる。

ちょっと階級が上がると月2桁GB契約していたり特定サービス通信量は加算されないプラン契約しているため人の家に上がっても相手から切り出されるまで別にWiーFiを繋げなくてもいいやという顔をするし、低速かかった、なんてことは言わない。

上流家庭は使い放題プランである。この層は平気で外でYouTubeTikTokを視聴し、インスタライブを行い、動画ストーリーを躊躇なく投稿する。

下層階級はどうか。彼らはよくわからないSIM契約し、そこらへんの怪しいフリーWiーFiを拾っている。動作のもったりしたイヤホンジャック付きのよくわからないAndroid端末で読み込みの遅い画面を眺めている。

昔は人の家庭の経済状況を測るには子の礼儀作法を見ていたようだが、令和のそれはWiーFiに現れる。

「わが子から育ちの良さをにじみ出させたい!」と思っている親御さんは心に留めておくといいだろう。そして使い放題プラン契約しよう。それができないのであれば、残念ながらその家庭からはにじみ出るものはないということである

2022-12-28

久々に会った親友と話が上手く噛み合わない

 社会人になってから、なかなか休みが合わなくて、ずっと会えていなかった親友と久しぶりに会ってきた。

  

 彼女は昔と変わらない笑顔で「久々ー!」と手を振りながら駆け寄ってきたから、わたしも嬉しくて手を振りながらはしゃいだ。

 「やばい、いつぶり?」「確か3月最後、やばくない?」「そんな経つ!?

 肩でどつきあいながら、足は自然と馴染みのカフェへ向かっている。きっとお互いに、早く話がしたかたからだ。

  

 ランチドリンクの注文を済ませると、謎に「お久しぶりでございます」とかしこまった挨拶をして、近況報告会が始まった。

 …はずなのだが、何だかいまいち話が盛り上がらない。お互いに相手の話に上手く共感できない。

 あんなに一緒にいて楽しくて楽しくて仕方のなかった親友と久しぶりに会えて、積もる話もあるというのに、どこか、何かが違う気がしてならない。

 そして、わたしがそう感じるのは、今回が初めてではなかった。

  

  

 高校1年生のとき部活の入部説明会出会った彼女とは、今や8年目の付き合いとなる。

  

 クラスこそ違ったものの、オタク趣味や物の考え方、価値観など、話が合う点が多く、彼女とはすぐに仲良くなった。

 同じ運動部部員として、切磋琢磨する中で絆が芽生えた。合宿中には、他の部員を起こさない程度にひそひそと眠れるまで小声で話すことで、より仲が深まった。部活終わりには決まって駅近くの本屋に寄って、漫画の新巻を指差しては「これ面白かった」だの「この作者好き」だの「こういうの好きそうだよね」だのと語らった。休みの日には学校最寄りのカフェで落ち合って、ジュースサンドイッチを頼んで何時間もくだらない話をした。当時わたしが好きだったアイドル誕生日には、ホールケーキを買ってきて、教室で細やかにお祝いしながら完食した。

 彼女と過ごして楽しかった・面白かった出来事は、挙げ出したらきりがない。彼女わたし高校生活を語る上で欠かせない、かけがえのない存在だし、誰よりも同じ時間を共にし、誰よりも笑い合った親友だと自信を持って言える。

  

  

 高校卒業後は別々の大学に進学をしたが、月に1回程度はカフェに集まって、近況報告会をした。

 ひと月ぶりに会っても、昨日も会っていたかのように話し出しては、ケラケラと笑い合って何時間も過ごせるのがわたしたちだった。お互いに時間割もアルバイトシフトバラバラだったけれど、休みを合わせて何度も遊んだ

 学校のこと、アルバイトのこと、趣味のこと、日々のこと、家のこと、恋愛のこと。文字通り『何でも話せる仲』だった彼女わたしは、会えばいつだって話題には困らなかったし、どんな話にも「わかる」「それな」と言って頷き合っていた。

  

  

 「何かが違う気がする」そんな違和感を感じ始たのは、大学3年の頃だった。コロナ禍になって、誰とも気軽に会えない日々が続き、半年以上ぶりにようやく彼女と対面で会ったときだ。

  

 これには少し心当たりがある。コロナ禍で、彼女と会えなかった時期に、わたしには大きな転機があった。アルバイト先で恋人が出来たのだ。

 お恥ずかしながら、わたし大学3年になるまで恋人いたことがなかった。人生で初めての恋人。浮かれるなという方が難しくて、わたしの興味関心は恋人で持ちきりになってしまったのだ。これまで興味のあった漫画アイドルといった物事は、わたしの頭からすっぽりと抜け落ちてしまった。

  

 おかげで、彼女と会ったときに、話せる話題わたしには「恋人のこと」しかなかった。もちろん、だからといって彼女と何も話せない訳ではなく、彼女恋人に関することで話せることもあったし(彼女にも一時期彼氏がいた)、大学レポート課題やばいよね、多いよね、そんなありきたりな愚痴はお互いに共感できた。彼女継続して好んでいる漫画ゲームの話もよく聞いて、彼女は今そういうジャンルにハマってるんだなあと笑いながら相槌を打っていた。

  

 だけど、どこか、高校生のときように手を叩いて、心の底から「わかる」「それな」と言って笑っていたときとは、やっぱり違うような気がしていた。

  

  

 大学4年となり、就活卒論に追われる日々が続き、また2人で会えたのは大学卒業後の3月末だった。それぞれの就職予定の会社上、お互いの休みが合いそうもないことは分かっていたから、社会人になる前に会いたかったのだ。

  

 近況を話してみると、彼女は変わらず、漫画ゲームが好きなようで、最近ハマっている作品の話をたくさんしてくれた。何の情報も追えていないわたしは、どの作品も知らなくて、ただひたすらに新鮮な気持ちで聞くばかりだった。そしてわたしも、変わらず恋人のことで頭の中が持ちきりだったから、触り程度に恋人との話をした。なんだか、お互いに別世界の話をしているようだった。

  

 そのあとは社会人生活不安だねえと言い合っては頷き、卒論を書き上げたことによる解放感を分かち合ったりして、その日は解散した。

  

  

  

 そして、今日だ。

 社会人生活に慣れ、ようやく時間を合わせて会うことはできたが、話し始めてみると、いよいよお互いの話が噛み合わなくなってきた。

  

 まず、彼女漫画ゲームが好きなこと(新しく音楽アーティストにもハマっていた)。そして、わたし恋人のことをよく考えているのに、変わりはなかった。お互いの話にお互い「そうなんだねえ」と、なんてことない相槌を打つほかない。

  

 それなら社会人1年目、仕事の話はどうか。

 職種が違うため、業務に関する話で彼女共感できないことについては当然だから仕方ないとして、それ以外の些細なこと、例えば通勤一つとっても話は上手く噛み合わなかった。

 電車で片道1時間半の通勤をしている彼女と、車で片道20分の通勤をするわたし。「疲れているときの帰りの電車が辛いか課金して特急乗ってるんだ」と話す彼女に、わたし理解はできても、心から共感してあげられない。そして彼女もきっと「混む道路を迂回できる裏道を見つけると通勤楽になって楽しいんだ」と言われたところで、理解はできても、共感はできなかったと思う。

  

 それに、わたし社会人になると同時に一人暮らしとなり、家のことに興味を持ち始めた。自炊楽しい食器にこだわりたい、インテリアにこだわりたい。休みの日はそんな日々の暮らしを楽しんでいる。

 一方、彼女実家住みで、最近ネイルに凝り始めた。自分に合う色はこんな色、こんなビーズが可愛くて好み、こんなデザインに憧れる。今日休みの日に行うネイルのことを、とっても楽しそうに語ってくれた。

  

  

 彼女の話を聞くのは、好きだ。彼女が楽しそうなら嬉しいし、もっと聞きたいと思う。

 けれど、わたしが今彼女の話にしてあげられるのは、あくまでも理解しかなくて、共感とは少し違うのだ。

  

 だから、なんだか、昔ほど話は盛り上がらなくて、昔ほど「わかる」「それな」と声を上げて笑うことも少なくて、今日不思議時間を過ごしていた。いつもは夜遅くまで一緒に居るのに、18時半なんて早い時間解散してしまった。

  

  

 今日彼女と会えたこと、すごく嬉しかった。

 けれど、前のようにたくさん笑い合うことができなくて、寂しいような気持ちも強くある。彼女が遠く離れた存在になってしまったような感覚がある。

 大人になると、こういうことが起こるものなのだろうか。

  

 今日撮った写真カメラロールで振り返ると、カフェわたしアイスコーヒーを、彼女メロンソーダを頼んでいる写真が一枚ある。

 高校生の頃から、注文するドリンクは変わっていないのにな。

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