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はてなキーワード: 留守番とは

2019-02-20

白雪姫と7人の小人の共同生活

国一番美しいといわれる白雪姫

7人の小人おっさん

一つ屋根の下

しか白雪姫って

留守番中に人を入れるなものもらうなって注意されてるのに何度も同じ過ちを繰り返すし

ちょっと頭悪い

2019-02-19

anond:20190219150300

留守番してるときに来客があったらめんどくせーとかそういうのと同じじゃないの

2019-02-08

日本型労働環境は本当にこどもに厳しい

我が家共働き子育て世帯である

自分は中規模な外資IT企業に勤めていて、妻は総合病院看護師をやっている。

今年もインフルエンザが大流行しているなか、ついにうちのこどももA型インフル罹患してしまった。最低5日間の出場停止である

病児保育のための書類を揃える余裕もないので、妻と相談して交互に休もうという話になった。

アメリカ企業しか知らないが、外資企業にはSick Leaveといういわゆる病欠制度があって、これが有休とは別に一年に数日もらえる。

このSick Leaveは子どもの看病を目的としても取得できる良い制度である

妻の職場でも看病を目的とした病欠制度はあるらしいが誰も取得しないという。聞けば、年次有休が余ってしまうので先に有休を消化されてしまうのだそうだ。

このあたりの論理そもそもおかしいが、自分も今の職場に就く前は国内大手総合うんこIT企業にいたので、そのあたりの空気がわからなくもない。

また妻の病院では看護師万年人手不足状態で、頭数が余っている日はほとんどないことも休みを取りにくい空気を色濃くさせているように見える。

ただ幸いにして妻が休むことになっていた日は看護師の頭数が+1状態らしく、休むことに問題はないはずと言っていた。この際、病欠だろうが有休だろうがどっちでも良い。

さて、自分休みメール一通でさっくり取れたのだが、妻の方は休みが取れたのか取れなかったのかはっきりせず、看護師長に直接相談すると言って翌日は職場に向かった。

こどもはゾフルーザが処方され、家の中では隔離。というか一日中寝ていてくれたので大した看病もなかった。

その日の夜、およそ2時間ほどの残業をして帰ってきた妻の言葉にびっくりした。休みが取れなかったのだ。

自分もさすがに2日連続で急な調整はできなかったので、こどもを実家に託すことでことなきを得た。

が、妻の職場理解のなさに不満が募る。インフルエンザのこどもを一人で留守番させてもオッケーとでも思ってんだろうか、あの病院は。

とはいえ、妻の病院がなにも特殊なわけではなく、これは旧態依然としている日本型組織にとっては「あるある」だろう。

もし、自分がまだ国内大手総合うんこIT企業にいたら多分休みはとれていない。うんこからだ。

もう少し噛み砕いていうと、課長(奥さん主婦)から「俺の子どもが病気ときは~」と武勇伝を語られ、部長(独身)から「いきなり言われても困るよ!」とひたすら渋い顔をされるのが関の山である

ちなみにこういったことは今回が初めてではない。夫婦の取り決めで、こどもに何かあったときは、そのときに融通が利く方が対応することになっているが大半は自分職場の方があっさり調整できてしまうので自分対応している。

自分職場には「家族健康が最優先」という文化がしっかり根付いている。日本支社なので大半が日本人にも関わらず、そういった文化にしっかり染まっている。

妻の職場はあまり調整ができないし、そもそも言い出しづらそうだし、一旦仕事が始まってしまうと職場からなかなか抜け出せない。母親にとっては本当につらいことだろう。

子育てするなら外資企業に行った方がいいと思う。アメリカIT企業だけ特別なのかもしれないが。日本型労働環境根付企業や団体にいたらこども育てられないよ。

2019-02-06

エホバのK君の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190114233836

これを読んで思い出したのでちょっと書いてみる

小学生の時突然クラスメイトのK君がエホバの子になった。

K君はスポーツがよくできて、明るい子だった。その割に冷静な一言を突然放つような妙に大人びた面を見せることもあって、男子だけではなく女の子にも人気があった。自分は同じクラスになってからK君とよく遊んだ休み時間はいつも一緒だったし帰り道も途中で分かれるがいつも数人で一緒に帰りながら色々な遊びを発明していた。自分球技が苦手でチームスポーツが得意なK君に密かに憧れもしていた。

そんなK君がある時期から急激に変わった。

ある日突然学校スーツを着て来たり、体育の時間を毎回見学するようになったり、色々な変化があった。

一番大きな変化は休み時間にみんなと遊ばなくなったのと一緒に帰らなくなった事だった。

親経由で聞いた話によると体育も休み時間に校庭で遊ぶのも帰り道に遊ぶのも全部ケガをしたらマズいからという事だった。正確には血が出るようなケガをしたらマズいという事らしかった。

K君と遊ばなくなってしばらくしたある日家に突然K君が来た。来たと行っても親と一緒だった。自分はその時一人で留守番していて、K君のお母さんは玄関エホバの事をずっと話していた。僕はK君のお母さんの話を聞き流しながらK君の様子を見ていた。

K君は笑っているように見えた。だからK君のお母さんが「じゃあね」と言って去ろうとする時に、K君に「また遊ぼうね」と言った。その瞬間K君の目からポロポロ涙が落ちた。K君が急に泣いたのでこちらは少しパニックになった。ドアを閉じてしばらく考えてみたけど頭の中の整理がつかず、とにかく気味が悪かった。

遠い昔で記憶あやふやなところも多いけど、その時の顔はよく覚えてる。泣いてるとこではなくてじっと互いを見てる時、わかりあってるという感じがした。でもなんにもわかってなかったんだと思う。

なにも知らないくせに気軽にまた遊ぼうねと言ってしまった事、今思うと悔やまれる。

2019-02-04

anond:20190204191110

まあ、このタイミングじゃなくても、子供学校のあと自宅で留守番できる年(小学校高学年ぐらい)になればフルタイムでも困らないし離婚するよね。

2019-01-27

201x年、日本では働き方改革により残業規制が行われた結果、生産性を向上させるために様々な抜け道が現れた。昼休みに与える必要があるのは食事必要な口腔部の休憩だけであり手はお留守番をしている、よって電話応対を除けば働かせられるという屁理屈がまかり通るようになった。昼休み中に働く労働者が後を絶たないことから政府加藤勝信ご飯担当大臣に任命し、

2019-01-03

anond:20190103155911

独り身じゃなくお留守番だね。えらいえらい。

2018-12-27

娘が生理になった※追記

小学生の娘が初潮になった。

自分が初めて生理経験したとき、母にナプキンのつけ方や体の仕組みなど教わり、祖母赤飯を炊いてくれたのを思い出したので、赤飯を作ることにした。

だが、これを夫に言っていいのかわからない。

娘が生理になったこと、赤飯を炊く理由

夫にはお姉さんが一人いるし、わたしもだいぶ生理がひどいので生理の辛さもわかっていると思うんだけど理解しているかと言ったらそこは男の人だし、わたしにはわからない。

こっちも生涯縁のないもの理解しろとは言えないし思ってない。

わたし危惧しているのは、娘との関係だ。

今日食卓赤飯が並ぶとする。

その時夫が「何かいいことあったの?」みたいなことを言ったらどう説明しよう。

恥ずかしいことではないと思うんだけど胸を張って言うことでもないし、適当に嘘をついてその場を切り抜けるか。

夫がそういう趣旨のことを言わないのが一番いいのだけど、いつも料理感想一言二言言ってくるので、気が気じゃない。

娘がいる方、どうやって切り抜けましたか

夫にはどうやって伝えましたか

そもそも赤飯って炊きましたか

追記

皆さまコメントありがとうございます

思っていたより反応があって驚きましたが、少しホッとしました。

返信がてら追記を。

正直な話、自分初潮が来た時のことをあまり覚えてないです。

ただ、母と祖母言葉赤飯だけは覚えていて、自分の娘にも同じように説明して赤飯を作ろうと思っていました。自分も忘れているのだから娘もいつかこの日を忘れるだろうと思っていたのですが、赤飯を炊かれて恥ずかしかたことを覚えている、それがきっかけで死ぬまで敵に回したというような意見があったので自分の楽観的な考えを改めるきっかけになりました。

娘に、今はケーキとかでお祝いしてるけど赤飯やめてケーキにする?ときいたら、赤飯がいいとの回答だったので今から買い出しに行ってきます

いつもなら留守番しているんですが、心細いのかついていくと言っているのですごくうれしいです。落ち着いたらドラッグストアに行って生理用日や薬など買いに行こうと思います

夫に今日の帰り時間を聞いたところ、飲み会で遅くなるとのことでした。安心したような残念なような、なんだかよくわからない気持ちになりました。娘の成長の日なので赤飯がどうとかではなく家族そろってご飯を食べたかったなと思ったのですが、これも楽観的な考えなのか…。帰ってきたらこっそり伝えようと思います

皆さまありがとうございました。

2018-12-10

このドラマ知りませんか?

追記

かなり記憶違いが激しかったですが、いただいた情報からすると「世にも不思議アメージングストーリー」の「感謝祭の御馳走(井戸の恩返し)」だと思いますありがとうございます

当時の自分は恐らく低学年以下の年齢だったので、夫婦硬貨など肝心な部分を勘違いして記憶していたみたいです。

何度か家族にこのドラマの話を聞いているうちに記憶がごちゃ混ぜになってました。

自体うろ覚えだったのですが、こういう質問をするときあやふやな断片情報を並べるより間違っていてもストーリーにする方が正解が出やすいっぽいので、無理やり整合性をつけてストーリーを書いてみました。

ありがとうございます!すごくスッキリしました!今度借りてみます

というか、スピルバーグ自身監督エピソードもあり、イーストウッドやスコセッシも監督してるなどかなり豪華っぽいですねこドラマ普通に面白そう。



子供時代に見た海外オムニバスドラマの一編だと思います

90年代の日曜の午後くらいに放送されていて、内容的に恐らく30分か長くても一時間くらいだったと思います

舞台は恐らくアメリカ砂漠のような荒涼とした田舎。周囲にはほとんど家もないような土地に住む夫婦の、主に奥さんの話です。

旦那さんが仕事に出かけている間、奥さんは家でお留守番

ある日奥さんは、家の近くにある掘削用の地下トンネルの中に、ホームレスか誰かが住んでいることを知る(詳しい設定や経緯は忘れたけど、トンネル有毒ガスの発生か何かで廃止されていたのだと思う)。

ホームレス可哀想に思った奥さんは掘削用のエレベーターを使って、地下に食事を届けてあげる。ホームレスは感激し、こんなに美味しい物は食べたことがない、心から感謝します、というお礼のメッセージと共に、汚れた硬貨を一枚送り返す。

短いながらも丁寧な文章と、わずかでも代金を支払おうとするホームレス姿勢に心を打たれる奥さん

田舎での寂しい生活に飽きていた奥さんは、この些細なやり取りが楽しくなり、何度も食事提供して、お礼のメッセージ硬貨がたまっていく。

だが、二人のやり取りが旦那さんにばれてしまい、旦那さんは激怒する。女房ちょっかいを出すやつは許せない、それに家には他人食事を恵むような余裕もない、お前は何を考えているんだと奥さんに怒鳴り散らす旦那さん。

ホームレスを懲らしめてやる、と銃を手に取り防毒マスクを着けて完全武装で、地下のトンネルに降りていってしまう。怒り狂う旦那さんにおびえ、悲しむ奥さんだが、もうどうすることもできない。エレベーターの前でへたり込んでしまい、ただ事が済むのを待つしかない。

しばらくして、エレベーターで地上へと帰ってきた旦那さん。だが、ただ突っ立っているだけで、あれほど怒っていたのに何も言わず微動だにしない。マスクのせいで表情もわからず、ただならぬ様子におびえながらも奥さんは何があったかを問いただすが、旦那さんは一向に口を開こうとしない。

ついに焦れた奥さんが肩をゆすると、旦那さんの体はぐらりと崩れ、同時に、服の中一杯に詰まっていた硬貨マスク上着の隙間から溢れ出し、あたり一面になだれ落ちる。

驚きのあまり呆然となり腰が抜ける奥さん。その膝元に紙切れが一枚。「こんなに美味しい物は初めて食べました!これは何の肉ですか?」

・・・というドラマでした。

乾いた青空と赤い土、周囲に誰もいない中で襲い掛かる恐怖が印象に残っています

何かご存知の方がいたら教えていただけると幸いです。

2018-12-03

anond:20181203110637

マジレスすると一人で留守番させるよりは係員がいるゲームコーナーにいさせる方が余程安全安心だぞ。少なからイオンに関してはそうだ。

anond:20181203110447

普通留守番させりゃいいわけで、

わざわざ連れて行く=留守番出来ない歳の子ゲームコーナーに放置する方が危険な気が…

しかプリパラの話なら女児だよね

女児なら尚更留守番より外で放置の方が危険だろう

高学年になっても女児は一人でゲームコーナー放置危険かと

2018-11-24

もう猫が不幸でも良いか

一人暮らしで猫を飼おうか悩んでる。

猫は良いよね、可愛いし。

でも一人暮らしで飼っていい動物か言われると疑問だとずっと思ってた。

ある人は、猫は犬と違って一匹でも遊びを見つけられると言う。でもそれも猫によると思う。

例えば俺のお気に入りの猫動画チャンネルで、家に監視カメラを置いて留守番させたら一日中ニャーニャー鳴いて飼い主を求めウロついていた。

そんな可哀想なのはごめんだと思っていた。

でも最近つらいことがあり、もう猫でもいないとやっていけなさそうな気がしてきた。

から今、自分勝手になって猫を飼うべきか迷ってる。

ハットリくんが有能すぎる

パパ上とママ上がお出かけで

留守番中のケンイチ一同

宅配便がきて

包みの中を開けてみると

そこにはカステラ

一同はハットリくんの制止もきかず

早々にカステラをたいらげてしま

しかしこの宅配便は隣の家に運ばれる予定のものだった

絶対絶命のピンチ

誤配が悪いとケンイチ

ハットリくんは正直に話そうと提案するも

町中の噂になるとケンイチは拒否

困ったすえに

ハットリくんは即座に外に出て

お出かけ中のママ上とパパ上を尾行

パパ上の影の中に潜り込みパパ上の体を操り

デパート入口に仕向ける

そこで子供たちにお土産をと考えさせて

ママ上はあられの詰め合わせを提案するも

ハットリくんがまたもパパ上の体を操り

カステラの包みを取らせて買う流れに

カステラを家に持ち帰り

子供たち一同に渡すと

同大喜びで隣の家に持っていく

ハットリくん事情を話して一件落着

このエピソードを鑑賞して

ハットリくんのあまりの有能さに感動を禁じえなかったのである

2018-11-14

ペットを飼いたい

・そこそこ人に慣れる

留守番ができる(当方一人暮らし)

・部屋に放してもその辺で排泄しない

いいやついない?

2018-11-13

「もう猫は飼えないのね」

昔昔私が小学校の帰り道捨て猫を拾ってきました。私が父に怒鳴られそうになると父の足の上にごろりと横たわって庇ってくれたこともある人間をよく気にする猫でした。しか20年ほど経ち体の衰えもひどく昨年体を崩しそのまま死んでしまったため、晩年ずっと一緒だった実家の父母の落ち込みようがひどかったのを覚えています。それが、一年ほど前です。

数カ月前母から「庭に子猫がいて餌付けして中に入れてしまった」とメッセージが来ました。「お父さんは疲れたと言って寝てしまった」と。それは父が機嫌の悪いときの口癖なのでタイミングがまずいなと不安を覚えたのですが、私はもう家を出てしまい何も言える立場ではないため「もしあなた旅行に行っても預かったり留守番はできない」「里親を探すなら小さいうちに早く動け」と連絡したのを覚えています

それから数週間後でしたか、父が「この猫は嫌いだ」と家族グループメッセージを送ってきたのは。その時はまだうまく懐いていないのかなと少し心配した程度でしたが、時間が経つほど父の言葉嫌悪がはっきりと出てきてこれはまずい、と母に様子を聞きました。

父は「ここに入っちゃいけない、あれにのっちゃいけない」などまだ子猫に伝わるわけがないルール押し付けしまいには叩いたり水をかけたりしたそうでした。「うちの猫じゃないから懐かれようなんて思わない、ぐり(前の猫)は良い猫だった」と言い、しか唐突に可愛がろうとして手を出すと完全に警戒された猫に唸られ、その度に子猫を叩いていたそうです。

私は止められなかった母を詰りました。もう3ヶ月は経っていました。その間にも母は何度も旅行に出かけて、実家には父と子猫だけという状況がありました。なぜ虐待を見つけた時点で父から引き剥がさなかったのか。

母は「だってその後機嫌が治ったらトイレ掃除ご飯の準備してくれたの。ねーこってだっこして可愛がってたの(注。以前その状況で猫がやんわり嫌がってる写真が送られてきていた。今思えばあれも心配すべきだった)。お父さん感情の振れ幅があるから、今度こそ優しい方に戻ってくれると思ったの」

ブチ切れました。

私も実家にいる間父の機嫌によって変わるルールに振り回され、罵る怒鳴る突き飛ばすモラハラDVに耐えきれずこんな家に帰りたくないと泣いたら母に叱られました。母は父の機嫌がよくなるとさっきまでの重苦しい空気なんてなかったかのように振る舞います。実際忘れているそうです。そんなの気にしなければいいじゃない、なんでいつまでも忘れようとしないの、と逆に叱られました。

私が家を出てからお父さんは変わった、優しくなった母は言っていたし、たまに会う程度なら父も穏やかそうでした。でも父のあれは治らないものだったんです。母は甘すぎる見通しで余計に子猫危険晒しました。

私が母のことをどれだけ傲慢なのかと言ったのと、父の機嫌が最高に悪かったため母は知人の家に子猫を預けに行きました。でも知人も1ヶ月が限度だそうです。母には拾った以上責任もってこちらで里親を探せと言ったのですが、約束があるからと数日でまた実家に戻ってしまいました。その数週間後にはまた旅行の予定だそうです。子猫がくるずっと前から計画してたから今さらキャンセルできないと。呆れた。

チェックしておいてと近所で信頼できそうな譲渡会のリンクを送った所、母から返事がなくなりました。

暫くして、「もう二度とうちでは猫は飼えないのかって、悲しくなった」と言われました。その時私は咄嗟に「もうこれ以上人も猫も巻き込むな」と言いましたが、多分猫が飼いたいんじゃなくて、ぐりがいなくなってしまったのが悲しかったんだろうなと今は思います

預かってくれた知人の家が近かったので、子猫に会わせてもらいました。人懐こくて、でも物音でぴゃっと物陰にかくれてしまう。遊び疲れると私の膝に座り微睡むのをみて、こんな可愛い子にまであんな怖い思いをさせてしまったのかと申し訳なかったです。子猫は未だに男性の低い声に怯えるそうです。父が機嫌悪いとわざと低く話すから。私もそうだから、余計に子猫自分を重ねてしまっているのだと思います

ちょろちょろと遊び回る子猫を、恐る恐るぐら、と呼び掛けるとよってきて私の顔を仰ぎ見ました。母がぐりと対になるような名をつけたんです。それで一瞬、ぐり、と呟きました。すっと出てきた言葉に余計に泣きたくなった。ぐりはもう返事をしてくれません。

子猫はぐりの代わりにはなりません。

それをちゃんとわかっておくべきだったのだと思います

ふと賃貸を探したら、部屋が空いてなくてあきらめた部屋が入居可になっていて昨日中を見せてもらいました。家賃は今とほぼ変わらなかったです。大家さんは祖父の知人で、不動産の方も丁寧に説明してくれる方でした。ペット相談可の物件、猫一匹なら連絡してくれたら大丈夫だそうです。

妹に話したら一人で突っ走りすぎだと言われました。そこまでする必要はまったくない。自分でも思います子猫にはまた知らない環境におかせてしまうことになる。父には、もう会わせたりしないつもりですが。

まだ、引っ越しも本契約した訳ではないしそんなことしないで譲渡会や他の手段で私達とは縁を切ってしまう方がいいのかもとも、迷ってます

大事なのは子猫安心して生きられる場所に連れていくことなのはわかってるんですが。

2018-09-18

息子だけど、親権押し付け離婚した母親について

そういえば自分の周りに親権を押しつけて離婚した母親がいたなあと、元増田を読んでいて思い出した。

もう20年近く前の話だし、元増田の元家庭とはずいぶん環境も違う。

記憶も定かでは無いけれど、「親権押しつけて離婚した母親」がどう見えたか、息子の立場の思い出で自分語りする。

母親最後に見送ったのは私と弟だった。

私の母親は、私が10歳の夏に家を出ていった。

母親の姿を私が最後に見たのは自宅の玄関

私と弟が学童保育から帰ってきて一息ついたあと、入れ替わりで母親は家を出ていって、そのまま帰ってこなくなった。

私と弟がどこにいくのか尋ねたところ、

ちょっと買い物に出かけてくる、あんたたちも来る?」と母親は応えた。留守番をしている、と返したと思う。

まだ日が落ちる前で外は暑かったし、エアコンが効いた部屋から出たくなかった。

それが母親と面と向かって話した最後の会話だった。

その日以来、母親は帰ってこない。ずいぶん長い買い物である

父親が帰ってきたのは20時ごろだったと思う。

母がいっこうに帰ってこないから、勝手レトルトカレーを食べるか迷っていたところだった。

そこから記憶あいまいで、「お母さんは買い物に出かけている」と父親に伝えたこと、その日は結局帰ってこなかったこと、

翌日の夜に「お母さんはもう戻らないんだってさ」と父親に伝えられたことは覚えている。


日経ってから改めて、「お前たちはどうする?お母さんについてくる?」と父親に聞かれた。父と母だけで子供に見えないところでやり取りをしていたんだろう。

私と弟は、間髪入れずに「父親についていく」と伝えた。

子供ながらに、「父親は家に住んでいる、母親は家を出た」「父親仕事をしている、母親パートタイムで働いている」「母親と一緒になるのは不安しかない」と思ったから。

その日からしばらくは子供部屋ではなく、父と母親の部屋で寝ることになった。

父親には「お父さんが寂しいだろうから」なんて言ったけど、たぶん怖かったんだと思う。寝ている間に父親もいなくなったら、とかたぶんそういうことを考えてたんじゃないか

家庭事情、なぜ離婚したのか

正直なところ、離婚前後夫婦関係母親の状況について、父親に聞いたことはない。父の浮気のようなわかりやす理由があったのかも分からない。

当時は、父親の機嫌を損ねたくなかったから、そんなの聞けるわけがなかった。

私も弟も父親も、母親がいなくなって、各々で新しい日々を送ろうと四苦八苦していたし、そのうちに聞くタイミングを失ってしまった。

というかよく考えたら、父と母親の馴れ初めについてすら詳しく知らない。なにしろ私がそんなものに興味を持つ前に離婚してしまたから。

父の年齢から離婚時点の年齢を考えると33~4歳前後になるから、彼らはおそらく大学を出てすぐに結婚したんだと思う。

父は普通サラリーマン帰宅20前後母親も、私が幼稚園の頃からパート勤務をしてて18時頃の帰宅が多かった。

なにしろ大学を出てすぐ私たちを生んだわけだから我が家にも給料的には余裕が無かったはずだ。

共働きということもあって、私と弟は小学校に入るとすぐに学童保育に預けられた。

周りの友人たちの母親専業主婦ばかりだったし、いま思えばマイホームを持った落ち着いた家庭が多かった。

記憶にある限りでは、私の母親PTAなどにもほとんど参加していなかったと思う。地域での友人関係というのも無かったんじゃないか

当時は家の鍵を渡されてなかったから、学童保育から帰ったあとは玄関の前に座って、母親の帰りをぼうっと待っていたのを覚えている。

食事レトルトや総菜がほとんどだった。忙しかったんだろう。

離婚の経緯に関しては唯一、母親祖父から「あの子あんたたちを育てるのを投げ出した、だから勘当をした」という趣旨の話を聞いたことがある。

そのため、母が家を出て行った理由は、私と弟の世話に嫌気がさしたからだと思っている。

実際、当時の私と弟は問題児で、小学校でも幼稚園でも喧嘩忘れ物などの問題行動をよく起こしていた。

まり詳しく覚えていないけど、家庭でも似たような状態だったのだと思う。酷く手のかかる子供だったと思う。

そんな状態である上に、私と弟は昔から比較的父になついていた。母親から見れば「男3人と自分」という対立構造に見えるときも多かったんじゃないだろうか。

上に書いたように、父と母親のどちらにつくかのやり取りもあったから、子供目線だと「母は親権押し付けて出て行った」のではなく「僕たちは自分父親を選んだ」という意識を持っていた。

でも、こうして書いていると、やはり母親私たちと居ることが耐えられなかったんだと思う。

「買い物」に出ていく際の「あんたたちも来る?」という問いは、きっとそんな耐えられない息子たちと自分関係を確かめ意味言葉だったんだろう。

ごめんね、お母さんよりも冷房を選ぶような息子たちで。あの日暑かったからなあ。

離婚のあとのこと

断片的な記憶だけど、父親離婚届を書いているところ、書類を返送する際に「こんな男と10年以上いてくれて~~~」という趣旨手紙を添えていたことを覚えている。

父は「本当にお母さんと連絡したいと思ったら、この携帯番号にかけたらいいから」といって、母の連絡先が書かれたメモ電話機のわきに残してくれた。

何度か電話をかけた記憶はあるが、そのとき何を話したかはもう覚えていない。

しばらくは祖父母が手伝いに来てくれていたこともあり、私も弟もすぐに母親がいない生活に順応した。メモはしばらく壁に貼ってあったけど、どこかにいってしまった。

その後、母親祖父から絶縁されたらしい。

もっとも、何年かに一度は連絡がある、ないしは帰ってきていたこともあるらしいので、本当のところは知らない。

私が二十歳を過ぎたころぐらいに、祖母から母親と会うつもりはないか」と聞かれたこともあった。

ただ、そのときにはもう私も大学生だったし、妙な蒸し返し方をされるのが不気味で会うのを拒んでしまった。「会わなかったぶんのお小遣いをくれるなら考えるよ」とかなんとか適当なことを言って。

小遣い自体は実際にもらった。

大学時代、祖父母の援助で車の免許を取得させてもらった。

あとから聞いた話によると、これは母から祖父母に「息子のために使ってほしい」とあずけられたお金から出されたものとのことだった。

祖父から「残りは、いつかお前たちがいい人を見つけて結婚式をするときに渡したい」と言われた。

父と母親の間で、慰謝料だか養育費だかの金銭のやりとりがあったかについては、知らない。たぶんもう知ることもないと思う。

私のその後

離婚してすぐに一家4人ですごしていた家からは引っ越すことになった。

学校が変わったことがきっかけで、無自覚問題児から自覚のある問題児に変わった。

父親との関係とは紆余曲折あったものの、大学までは出してもらった。

その間、母親がいないことで不便した記憶というのはほとんどない。保護者参観に親が来ないことにもすぐに慣れた。

中高生ときから料理をするようになったし、親が家にいないおかげでのびのびと生活していたから、むしろ恩恵のほうが大きい。

最近になって若干面倒になってきたのは、職場の同僚や知人から

「いつ結婚するのか?」と尋ねられること。

これは母親がいなくなったこととは直接関係とは思うけど、異性と生活を共にして、家庭を持つイメージがどうしても持つことができない。

おじいちゃん、お母さん、ごめんなさい。どうも僕はあのお金をもらう気にはなれません。

母親をどう思っているか

今になって思うと、ひどく気の毒に感じている。

母親が私を生んだ年齢をすぎて数年が経つ。もし今の私が、私のような子どもを持っていたとしたら、おそらく私だって投げ出すと思う。

もっとも、母親が買い物に出かけた理由が、本当に私たちだったのかは知るよしもないんだけど。

元増田について

本当にお疲れ様でした。

自分語りをしながら、もしかしたら私も元増田の書いてるような「隠し通された子供」なのかもしれないのかなあ、なんて考えてしまいました。

ただ、いずれにせよ元増田さんの体験元増田さんだけのものですし、好き放題に増田で叩かれたり、長文で自分語りする父子家庭出身者が現れても、あまり気に病まないでください。

どうにかいろいろと上手くいくようになって、元増田にとってもお子さんたちにとっても一番傷が少ない結果になるように、祈ってます

https://anond.hatelabo.jp/20180918120625

2018-09-05

ちびまる子ちゃん

作者の死がきっかけになるのもどうかと思うけど

どうしても懐かしくなってしまってアニメ見返したりまんが読み返したりしている

まる子がちょっと日常を飛び出したり身近な人の普段見ない側面を発見したりする回が楽しい

南の島編は私の永遠楽園イメージをもうずっと担っている

いつでもあの一編を読めばいやな日常から離れてキラキラした甘い南の島を味わえる感じがする

A Jolly Dayっていうまるちゃんもっと小さい時の小さい(本人には大きな)冒険譚も楽しくかわいい

まる子が夏休みに幻の洋館を見つけて探検する回も好き

先生の家に遊びに行く回もいい おばあちゃんの家に行く回も楽しい 

フランス料理食べに行く回も花輪くんちに行く回もヨッちゃん彼女が来る回もいいな

押し入れの中にベッドを作って妄想にひたる回も楽しい

まるちゃんとおねえちゃん留守番して二人でカレー作る回も好き

おねえちゃんとは母の日にもグラタンサンドイッチを作っててそれらがやけにおいしそうで

食べたいなーってずっと思いながら見しま

なんか懐かしくてほんとどんどん思い出してしま

雪見遠足いちご飴を持って行く回もいい

漫画アニメと混在した思い出

2018-09-01

猫死んじゃった

この場があるのを感謝して、書きなぐらせてもらう。

仕事から帰ったら部屋の片隅で硬くなってた。

最近便秘で入退院繰り返してたけど、便秘気味なのは前々からから深刻になってなかった。

しろ食欲もちゃんとあって、うんちもきちんと出たからほっとしていた矢先だった。

最近、土日も仕事が多くて、振替休日も私が暑さでダレきってて、一緒にぼーっと寝てるだけだったから、

明日からは久々にゆっくりできるからブラッシングしたりシーツ洗ったりして

ちゃんスキンシップとりながらゆったりいちゃいちゃ(表現キモくてごめん)しようと思ってた。

から今日の朝にシャワー浴びてるときに構え声(誤字にあらず)で鳴いてても

「あー、もう明日ゆっくり付き合うから」って邪険に扱ってて、出かけるとき

「行ってくるね」くらいしか言わなかった。遅刻しかけてバタバタしてたかちゃんと振り返りもしなかった。

いつもはもう少し丁寧に「行ってきます留守番よろしく」くらいは言ってたのに。

で、今日も遅くなってしまって、帰ってきたらいつもの通りに「帰るの遅っ」って鳴きながら出てくるはずなのに

出てこなくて、嫌な予感で部屋に入ったら、冒頭の通りだった。

かかりつけの病院が夜中も対応してくれて、取り乱して電話したけど、「とにかくすぐに連れてきなさい」って言ってくれて

キャリーに入れようとしたら硬くなってるから入れられなくて、隠れ家用においてた段ボールで運んでいった。

便秘も良くなってたし、毛づやも悪くないかたから、突然の心不全じゃないかって話だった。

慰めで言ってくれたかもしれないけど、どの時間に私が帰っててもどうしててもどうしようもなかったんじゃないかって。

健康若い猫でもたまに見られる話だって

里親ボランティアさんから我が家に来たのがちょうど10年前。

その時に推定3~4歳って言われたから、今は13~14歳しか猫エイズキャリアだったか

発症または老化での介護問題を今後いろいろ考えとかないとなあ、とは漠然と考えていた。

でも、こんないきなりのお別れは全くゼロだった。

とにかく、獣医さんで処置してもらってドライアイスもらって、家帰って

病院に連れて行くときに使った箱に入れたまま、通夜

よく見たら箱はキャットフードまとめ買いした時の箱だった。もう嫌だ。

この気候もあるから明日には火葬しないといけない。ペット葬儀会社の見当をつけた。

で、誰かに吐き出したいんだけど、友人とカニ夜中に電話するのは迷惑だし、メール送るのもなんか違うし

ここに吐き出させてもらう。

猫、ごめん。一匹で逝かせてごめん。ズボラな飼い主でごめん。

なんだよ、やっと振替休日取って三連休決めたらこれかよ。

そういえば体調崩すのも給料日直後とかボーナス直後とか変な空気読むやつだった。

私が親知らず腫らして寝込んだときは、腫れたほほにそっと肉球を添えてくれた。

合成肉が嫌いで、ウェットフードの時は見事にそれだけ残してた。

ブーツから脱ぎたての足の臭い大好きで、冬場は帰宅の都度私の足にしがみついてうっとりしてた。

カメラ嫌いで写真撮ると大体怖い顔だった。寝顔撮りまくりできるのが今っての何これ。嫌だ。

愛しさと申し訳なさとでもうぐちゃぐちゃだ。



追記2018年9月2日

コメントくださったみなさま、経験談やお悔やみや励ましの言葉ありがとうございました。

エントリでその後とお礼を書きました。

「猫死んじゃった」のあとのこれから。(お礼とかコメント返し的な)

2018-08-31

ねぇ増田君。今日うち両親いないんだ・・・

カレシとデートからさ、留守番頼めないかな?

2018-08-25

ひどい目にあってる嫁さん大体九州

近所に義両親と同居して若いお母さん方の中で唯一手が洗い物でボロボロになってる人がいる。

嫁さんが義両親の家事や子守も一手に背負い大変そうだ。

留守番旦那が気まぐれで花に水をやろうとしたみたいで窓からホースの水ビシャビシャ入れて家の中をびしょ濡れにしてたとか、子供を見てるように頼んだら二階に放置して階段ベビーサークル開けたまま下りてきたとか、旦那の糞度が凄いなと常々思っていたが、夫婦揃って九州から出てきた人だった。

Twitterフォローしてる中でも、共働き旦那家事育児ノータッチ自分の親もそうだったからそれはいいけど、実家では男の仕事だった家具組み立てみたいな力仕事も全部私なのは納得がいかないと愚痴ってた人も九州

盆の時期に旦那実家精神が削られていく耐えられないと長い間ひときわ大変そうだった人の義実家九州だった。

ヤバイなと思う。

2018-08-24

北斎さん相当終盤のループまで毎回殺されてるしそのたびにアビーちゃんはスペース奪われてるんだろうし、留守番すらまともにこなせなかった罪悪感に震えながらもういない北斎さんを待ち続けて本番までオロオロしてるんだろうなって考えると不憫すぎるな

2018-08-20

anond:20180820184700

(お留守番ぼっちご飯の時とか)食事の後片付け出来たり、おふろの湯を張ったり、ブロック塀のペンキ塗りかえたりしてくれるとめっちゃ嬉しいと思う。

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