はてなキーワード: 水彩画とは
自分は大学生になるまで、「印刷物ではない油絵」を見たことがなかった。
自分は北関東の山里の出身だ。最寄りの駅まで車で30分、まともな蔵書のある図書館は近隣の市まで行かなければなく、一番近い美術館がどこにあるのか未だに知らない。そういう場所で生まれ育った。
両親は芸術にまるで興味がない人だった。
水彩画のような塗りしかできない自分に教師は「もっと絵に絵の具を乗せて」と言った。
今思えば、当時は教科書や本に載っている絵が油絵なのか水彩画なのかさえ気にしたことがなかった。
大学には、それなりの家庭水準で育った人が多かった。周りは皆幼い頃から音楽や美術、文学に慣れ親しんだ人ばかりだった。
そこで初めて油絵を見て、「美術の先生が言っていた油絵とはこういうものだったのか」と実感した。
歴史の教科書の絵も、偉人の肖像画も、油絵だったということを大学生にして初めて知った。
もし地元で生涯を終えていたならば、自分は油絵がどんなものかを知ることはなかっただろう。
様々な芸術を見聞きし知った今、それらに出会わない人生が「自分の人生であったかもしれない」と思うと、ときどき空恐ろしい気持ちになる。
学歴にこだわるような年齢ではなくなった今も、自分は大学へ行って良かったと心の底から思える。
姫のチークがかわいすぎる
クラシックが嫌いとかじゃなければ捨てるところのない名作。2000のほうも見るべきシーン目白押し
ずっと派手な色彩でずっと楽しい。うるさい
子供の頃は犬は飼い主に似るみたいなシーンを繰り返し観てた
ヘビがシューシュー歌うTrussst in meは必聴。実写の少年が可愛すぎる
ジャズ猫のシーンが有名だけど、スケールとアルペジオも推しておこう
1作目もいいが2作目にヴィランとして出てくるトカゲのジョアンナちゃんが最高にかわいい
歌がいい、映像美と合わせて何度も見たい
ずっと野獣のままでいいのに
人類は愚か
スティッチは犬
エルサが氷雪系最強すぎて愛おしすぎる
○ご飯
朝:なし。昼:おにぎり。おみそ汁。夜:牛丼。サラダ。豚汁。たまご。牛皿。間食:豆菓子。イカフライ。
○調子
○探しものは夏ですか
スマートフォン向けアドベンチャーゲームとして高評価だった作品をケムコADVチームと手を組んでリメイクした家庭用ハード向けの移植版を遊んだので感想。
昔お世話になっていた駄菓子屋のおばちゃんが亡くなったことを知り、久々に母方の実家へ帰省する大学生の主人公の空木恭平、そこで何故か主人亡き駄菓子屋で生活をしている謎の女子高生織原真琴と出会い、一夏の青春が始まる。
メーンヒロインとなる真琴はかなり気が強く物怖じしないが、主人公の恭平は人付き合いが苦手で知らない人に話しかけるのも苦手だし家族とすら上手く会話ができない。
しかし、真琴は真琴で考えなしに突っ走しり失敗するところがあるし、恭平には慎重に物事を下調べしたり考察を巡らせる良い点がある。
二人の凸と凹がハマっていき特別な関係値が生まれていくストーリーだ。
当初は真琴のビー玉を探すという素っ頓狂なお願いを叶えるために街を歩き回るのだけど、徐々にこの田舎町で何かが起きていることを知っていく。
神隠しや町に伝わる伝承などが雰囲気を盛り上げて行き、物語への期待度が少しづつ高まって行く。
中盤明らかにギアが変わるエピソードがあり、そこからはウジウジしていた恭平が男を魅せるシーンや、勝ち気な真琴の裏にあるもう一つの一面が見えるなどの、良きシーンで盛り上がっていく。
この辺は主要な登場人物を絞っているからこそ、やりたいことが強く伝わるし、スチル絵もしっかり用意されていて好きなシーン。
ただ、それらに至るまでの序盤のあっさり目な文量は惜しいところだ。
タメがあるからこそ、中盤のそれを覆すシーンが燃えるのだけど、そこが物足りなかった。
恭平がウジウジ、真琴がハキハキというのも、具体的なエピソードは数個で、あまり対比になっていない上、恭平は割と真琴には早々に強気な態度を取るので、そういう設定だが実態を表現する量が物足りなかった。
文量の少なさは終盤の謎が解決していくシーンでも感じられる。
序盤のビー玉探しパートで振られていた謎が解かれていくのだけど、複雑な構造の割にスムーズに話が進んでいき、それらに対する悩みもあっさりと踏み越えてしまう。
何しろ主要な登場人物が二人しかいないのだから、深く濃厚な描写を期待したくなるのだが、あらすじ感が強くもっとボリュームが欲しかった。
恭平、真琴共にそれぞれのルートでとても大きな決断をするのだけれど、覚悟の決まり方が早く、話がサクサク進んでいってしまう。
真琴の方はまあそういう性格だと割り切れるものの、恭平の方はもっと色々と策を講じても良かったんじゃないかなと思ってしまった。
ストーリーのテンポが良いのは悪いことではないのだけれど、中盤から登場するとあるSFガジェットを利用した展開は様々な活用方法が考えられるので、二人しかいない主要人物同士でそれらを議論して段取りを立てるシーンをたっぷり見たかったのは、僕の好みで一般論とは違うかもだけど、そう思えてしまうほど文量が物足りない。
勿論、ストーリーの主題はSFガジェットを利用した段取り小説ではなく、一夏の青春、一夏の恋愛なのだから、この辺は好みの問題ではある。
ただ、この二人での議論シーンがかなり薄いのは、真琴の人の話を聞かない性質がかなり理由の一つに感じられたせいで、真琴への好感度があまり上がらず、恋愛のストーリーにも乗り切れなかった。
(これこそ好みの話だけども)
田舎町の夏を文章以外にも背景絵やBGM、SEで彩っており雰囲気は抜群。
真琴の立ち絵やスチル絵は水彩画風の色塗りが決まっていてキュンとする。
そして、最終ルートで流れる主題歌のウエノレイさんのshyderはめちゃくちゃ決まっている良い曲だった。
物語の主題歌としてキチンと話の筋を踏まえた歌詞になっており、恭平と真琴の関係値を端的に歌っていて素晴らしかった。
ストーリー面でも恭平が変わっていき、真琴だけでなく家族とも新しい関係値を結んでいくシーンは情緖豊かなシーンで印象的だった。
恭平と真琴の関係がこれから前向きに進んで行くところで終わるが、アレはどうなるんだ、こっちはどうなるんだと気になるところが多く、余韻が残るエンディングが好きだ。
決してストーリーが収まっていないわけではなく、物語上の謎はある程度しっかりと解決して、あくまで二人の恋愛関係が良い意味で先が気になり、今後の二人がどうなるのかを想像する楽しみがある終わりなのが良いバランス。
また声優の佐野裕理さんのイジけた恭平の隠キャ演技がバッチリハマっており、言葉面は肯定しているが内心は不平不満たらたらな本音が見えかくれするシーンを上手に演じてくれていてとても良かった。
好みの方向性こそ違っていたものの、一夏の青春恋愛ものノベルゲームとして小さく綺麗にまとまりつつ、彼らの先に広がる未来を想像する楽しみもある良いゲームだった。
23歳、栃木県で暮らす社会人2年目の女。5月末に2年付き合ったモラハラ彼氏を振ってから、休みの日を一人で過ごすことが多くなったんだけど、やりたいことがポンポン湧き出てきて、時間が全然足りない。
職業柄、基本的に平日固定休だから、一般的な土日休みの友達とはあんまり出掛けられないんだけど、仲の良い会社の同期や上司を誘って、ここ数ヶ月は結構アクティブに過ごしてる。
●ここ数ヶ月でやったこと
味噌屋さん(厳密には、味噌屋さんが経営しているカフェ)で糀を使った調味料を作った。普段簡単な自炊しかしてないから、糀ってそこまで馴染みがなかったけど、美味しかったし健康にも良いみたいで、勉強になった。これは同期を誘って行ったな。
・川で遊ぶ
前述したワークショップの後に川で遊んだ。7月だったから山の中の涼しさと水の冷たさがちょうど良くて最高だった、自然が好きだからこういう遊びは定期的にしたい。
・美術館に行く
隣県の美術館に行って企画展を見た。元々美術館に行くのは好きだったけど、彼氏が興味ないから、休みの日にデートで行くこともなく随分とご無沙汰だったと思う。久々にゆっくり絵を見て回るのは楽しかった。また行きたい。
・新たなコミュニティに飛び込んでみる
自宅からそう遠くないジャム屋さんの店主と仲良くなり、誘われるがまま店主の加入している絵画の会に参加させてもらった。その勢いで、私の描いた水彩画を複数点、展示会に出展した。細々とやっている展示会だったけど、現地に置かれてた感想ノートに「増田さんの水彩、色が綺麗!」とあり、社会人になってこんな風に知らない誰かから褒めてもらうことあるんだな、存外嬉しいなと思った。
・ガラスを吹く
山の中にあるガラス工房で上司と吹きガラスの体験をした。漠然と「吹いてみたいな、ガラス…」と思っているという話を仲の良い上司に伝えたら、そのまま一緒に行くことになったが、めちゃくちゃ楽しめて嬉しかった。完成してから家に届いたグラスもすごく綺麗で毎日使ってる。
・山に登る
高校時代に登山部として3年間山に登り続けて、卒業後は特に何もしてなかったけど、家にいてもやることがないので、せっかく山の近い栃木に転勤してきた訳だし…と登山を再開した。女が1人で登るには不安も多いので、とりあえず低山からお試し。ありきたりな感想でしかないが、やっぱり登頂すると達成感があって嬉しい。
突如思い立って、材料を買い集めて家で一人小鍋でぐつぐつとクラフトコーラを作った。一般的なレシピで作ったから失敗もなく、シンプルに美味しかった。でも、まだまだ改良の余地がある気がする。自分好みのクラフトコーラを追い求めていきたい。
・ナス狩りをする
同期の家が農家で、市場に出せない傷のあるナスが最終乱獲シーズンを迎えたとのことで、誘われるがまま行ってきた。山ほどナスを狩ってほっこり。小学生の時の「せいかつ」の授業みたいで面白かった。秋だし栗拾いとか、ぶどう狩りとかしたいなと思ってたけど、ナス狩りもかなり良かった。
・ろくろを回す(予定)
山の中にある陶房で陶芸体験をする予定。これは仲の良い上司とガラス吹きをした後に「次はろくろ回してえな…」「ですね…」と意気投合したので行くことに。紅葉シーズンでもあるので、今すごく楽しみにしてる。
今のところ、予定こそ立てていないけど「星が見たい」とか「焚き火したい、そんで芋とマシュマロ焼きたい」「芋煮会をやってみたい」も願望としてある。ほかには、もう少し落ち着いたものだと「連作短歌を詠みたい」「金継ぎをしてみたい」「食品サンプル作ってみたい」とか。
不思議なことに、どれもこれも彼氏と別れてから「やってみたい!」と思ったことだ。付き合っていた時は相手に合わせて、自分を押し殺してたのかなあと考えたりする。
まあ、何がともあれ自分の人生だし、やりたいこと、やりたい放題なんだから、楽しんでいこうという気持ちで日々過ごしてる。それにしても時間が足りない!まだまだ世の中にはきっと、楽しいことがたくさんあると思うのに!
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私は来年東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。
日舞を始めたくて調べていたら師匠にお中元、お歳暮を送らないといけない?月謝の1ヶ月から2ヶ月ぶん?とかでてきて「ムリムリムリムリ!!」って思った。
日舞界隈って他のダンスの習い事よりお金かかるじゃないですかー??
日本人の若者そんなにお金持ってないので無理ですよ。こんななら他のダンスの習い事やりますよ
日本画も油絵とか水彩画に比べたらたっかいお金がかかるじゃないですかー??日本画を本気でやったらクルマが買えちゃう!!
着物だって、洋装よりもはるかにお金がかかる。子供の入学式や卒業式で着物を着ようとしたら旦那に「目立って恥ずかしいから着物はやめて」と止められた話しもある。恥ずかしいってねえ。着物って私たちの民族衣裳なのに恥ずかしいって……
まぁ私もお金をそんなに使いたくないから子供の行事は洋装ですね。
私は今、手ぬぐいにハマっているのだけれども
みんな知っての通り手ぬぐいよりもハンカチやタオルやスカーフのほうがお店で売ってるしよく売れているのよ!!
手ぬぐいを持ってる人は手ぬぐいが好きだから持ってるんだけど、ハンカチやタオルは別にハンカチやタオルが好きじゃない人でも誰でも持っているのよ。手拭いを好きでもないのに持っているって人は剣道をやっている人とかごく限られた人なのよ。
手ぬぐいって日本のほこるべき伝統工芸品なのになんででしょうねえ?それは幼児が手拭いよりもハンカチやタオルのほうが使いやすくて手ぬぐいはでかすぎて子供には扱いづらいからじゃないかな?って思ってる
今日、本屋に行って、平出隆の『猫の客』を買おうとしたら売り切れだった
日本であまり知られていないような気がするのに、世界22か国で翻訳されているという不思議な小説だ
数年前に読んだけど、手放してしまったので、もう一度買って文体とかを見たいなと思ったの
一軒家に住む夫婦のもとにどこからか猫が毎日訪ねてくるという「飼ってない猫についての小説」だった気がする
夫婦が住む一軒家は住宅街にあって、その猫が塀を沿って、路地裏から訪ねてくるルートを幾何学的に説明していたのを覚えている
小説の地の文で風景描写や位置関係を説明するときって大体のことをぼかして書くことが多いけど、『猫の客』は路地の形状を数学の図形問題の説明文みたいに理路整然と詳しく書いてたと思う
「円の中心Oから2㎝離れたところにある点P」とまではいかないけど、誰の頭にも順序だてて考えれば同じ配置図になるように設計された文だった
昔、『猫の客』を読んだ時はその文章のくだりは想像するのが面倒で適当に読み飛ばしたんだけど、今読んだら頭に路地を浮かべることができるもんなんかねえと気になって年末で余裕があるときに試したかったんだ
だけど、売ってなかったから仕方なしに同じ平出隆著の『葉書でドナルド・エヴァンズに』を買って帰った
夭折したドナルド・エヴァンズという芸術家あてに著者がはがきサイズに収まる日記を送り続けるという変わった創りの本だった
既に亡くなっている会ったこともない芸術家宛の一方的な書簡まとめみたいな感じ
僕はドナルド・エヴァンズなんて知らんし、こういう洒落めいた文って大体つまらんもんって期待してなかったんだけど、今半分くらい読んで、かなり楽しめてしまっている
ドナルド・エヴァンズは架空の国の気候や政治を想像しながら切手を水彩画で描いて作品にしてた人なんだってさ
著者は実際にドナルド・エヴァンズの母国たるアメリカを旅しながら、生前親しかった人を訪ねて話を聞いたり、著者自身のドナルド・エヴァンズへの思いをしたためたりしているわけよ
こうやって説明する文を僕なんかが書いても面白くなさそうなのに、読んでるとなんでかわからんけどおもろい
小出しにされるドナルド・エヴァンズという人物の肖像と人生、旅行記としての楽しさ、短文の読みやすさ、ドナルド・エヴァンズをめぐる人々を追うドキュメンタリーみたいな進行がうまく絡み合ってよくまとまっていて、ページをめくる手が進んでしまう
こういう頭のよさそうな人がやっているおしゃれな文を褒めたくないけど、面白いし、どんどんドナルド・エヴァンズが好きになっていくんよ
少年時代に切手収集が共通の趣味だった親友の切手が誰かに盗まれてしまって、ドナルド・エヴァンズが親友のために切手を盗まれた記念の切手を作成してプレゼントしたエピソードとか最高かよって思っちまった
皮肉めいた冗談みたいなプレゼントを気軽に送って笑いあう関係を書かれてもないのに勝手に想像していいな、うらやましいなとか思った
こういうのを洒脱な文って言うんだろうか
なんか『葉書でドナルド・エヴァンズに』が妙に面白くて、平出隆の才能というか文がうらやましくて、増田に書きなぐっちまった
最後のほう頑張って納得してるっぽくて笑っちゃった。水彩画とかのそういうのが無くなっちゃって(あってもわざとらしくて?)悲しんでるんではないの?
昔(80年代〜90年代中盤ごろまで?)はポスターやらレコードのジャケットやらノベライズ版の表紙やらのアニメグッズは、本編に携わったクリエイターによって本編とは違う雰囲気の絵が描かれることが多かった。
自分はロボアニメくらいしか知らないんだけど水彩画が描かれていることが多かったね。安彦良和とか湖川友謙や美樹本晴彦がキャラクターデザインを担当した作品の高年齢層向けのグッズ(LD、レコード、小説版の表紙)などは。
要するにセル画風じゃないことが多かった。
最近もそういう「キャラクターデザイナーによるアニメ風に描かれていないアニメグッズ」もないわけじゃないんだけどあくまでも「アニメ風に描かれていないアニメグッズ」を念頭に置いた企画であることが多くて、そういう企画じゃない普通のグッズにまで描かれていることは少ないような。
80年代のクリエイターがなんでアニメ本編と同じような塗りでグッズ用の絵を描かなかったのかはわからない。でも最近のあんまそういう絵がグッズ用に描かれなくなったのは技術の進歩により、「本編でもキャラクターデザイナーとしてやりたいことを比較的高い水準で表現できるようになったから」じゃないのかな。技術的にも人気的にも色んな画風の作品ができるようになったし。
まじか……まじなのか……
とか、まずそこなのか……
夕立が、象を洗うかのような強さでさっと降ってあがっていった。この俳句から浮かぶ情景にどこかノスタルジーを感じるっていうか、そういうのがまずわかんないのか……
子供のころプールの帰りに、数メートル先は土砂降りで自分の立ってるところはまったく地面が濡れてもいなかったっていうのを見たことがあるが、そういう子供の頃の記憶とか、不思議な感覚で残っていたりしないか?実は実際には無くて、夢だったのかなとか思うような、そんな水彩画のような記憶。
別に雨に限らず、些細なことがとても印象に残っていたり、情景を浮かべるだけで味わい深い感覚って、ない?
いわゆる「読後感」とかいうものだけど、その俳句、おれは読んですぐ「うまいなぁ」って思ったわ。特に俳句を嗜んだりはしてないけどさ。
わからんならわからんで仕方の無いことかもしれんが、いい俳句だと思うぞおれは。選ばれてるのがよくわかる。こういうの作ろうと思ってもなかなか出来ないよほんと。
なんの知識も経験のない素人が日本画に手を出そうとすると、古来より連綿と受け継がれてきた天然の鉱石を粉末状に砕いた顔料を買いそろえないといけないところでまずめんどくさいと思う
水干絵具を乳鉢で溶いたり、絵皿の上で膠液を練り混ぜるのも面倒くさい
日本画調絵具という角皿に入れられた固形の絵の具なら手軽に使える
日本画に使える和紙は高いだろうし、筆も洋画を書くような筆じゃなくて日本画用の絵筆があるし、もちろん日本画用の絵筆を買いそろえるのも面倒くさい。通販は良し悪しがわからないし
本格的な日本画について調べれば調べるほどなんの知識もない経験のない素人にはハードルが高いと感じる
日本画教室というものがあればいいけれどそんなものは近所で見たことはない
定年退職して暇な老人なら、それなりに時間やお金をかけて本格的に始めてもいいかと思えるけど
働き盛りの社会人はあまり余裕がなく美大生レベルで日本画制作にお金や時間なんてかけられないのである。
そうやって、若い人は普通のポップなイラスト制作や水彩画やデジタル画に流れてゆく
日本画は美しい。素晴らしい。
しかし、一般人にとって日本画を始めるにはハードルが高過ぎ。長い伝統を持つ日本画の技法を受け継げるのは美大生か暇な高齢者くらいのものだろう
同僚女性が、おしゃれから降りていて、それが無敵に見えて羨ましくもあるが、同時にあれは許されるのだろうか?と疑問に思う。
彼女は10年前の、大学生だった時に買った服を大切に着ていて、その昔懐かしい雰囲気の服が職場では浮いている。ボアのついたショートパンツ、水彩画みたいなシフォンのミニスカート、ツインニット。トナカイと雪の結晶柄のパステルブルーのセーターは彼女のお気に入りで、冬場はよく登場する。ああ、昔こんなの流行っていたな、と彼女を見るたびに時間の流れに想いを馳せてしまう。
髪の毛も伸ばしっぱなしで、高確率で寝癖がついている。化粧も、マスクをするからと辞めてしまったらしい。日焼け止めもならないと話していたので、顔は冬場でもどことなく日焼けしているし、そばかすがある。
おしゃれは金がかかる。手間もかかる。時間もかかる。「この服好きだから着たいなあ」という思考と予算とTPO、あとは「いやいや30超えたらミニスカートなんか履かないでしょ」みたいな内なる声や世間の抑圧と、折り合いをつけていく戦いである。服以外にも髪型や化粧など、付随するものにも気を配らねばならない。そこを降りた彼女は、朝はたっぷり寝れるし、被服費もかからないしと満足げである。
でも一方で、時代から取り残された亡霊みたいな姿に自分がなったらと思うと寒気がする。彼女なりの選択なので悪く言いたくはないが、そういう服装や髪型は、世間から許されるのだろうか。ダイバーシティだからと尊重すべきか、「もっとTPOにあった格好したら?」と言うべきか。判別つかないまま、一年が過ぎた。