はてなキーワード: ケラケラとは
それは間違っとるよ
ケラケラもケタケタも軽い感じの笑いやで
けら‐けら
[副]かん高い声を出して笑うさま。
けた‐けた
[副]甲高い声で軽薄にとめどなく笑うさま。
げら‐げら
[副]しまりなく、大声で笑うさま。
ディズニーって、ある程度成熟した大人の目で見たらよくできたハリボテみたいにも見えるし、
何よりも世界観に入って視野狭窄を起こす人が一定の割合で現れる場所がTDRで、みんなにとっての「夢の場所」ではないよなあって。
もちろんスタッフの人は世界観を作るためにすごく頑張っているし、清掃に頑張っている人もいるのだろうし、動線設計とかは最高によくできてると思う。ギミックも素晴らしいよ。
元増田のようなスタッフの話もいて本当に残念だけど、夢の国を作ろうとしているほとんどのスタッフは尽力している気がする。
ショーは最高。だからちゃんと見たかったけど、問題の彼女に連れてこられた日は体調悪化し過ぎてそれどころじゃないし。彼女とショーの終わりとか最初をちょっと観たけど、それで横で面白かったー!とか言い出しててショー全部をみて組み込まれた全体的な世界観やメッセージを把握して楽しめる感性が全く育ってない人だと言う事が分かって悲しくなってしまった。
結局4時間付き合わされてほぼベンチ。アトラクションは1回しか乗らなかった。
早く帰らせて欲しいけどちょっと異常者とはいえ長年の友人を放置して出ていくのも、その瞬間は憚られたんだよね。
夢の国の中に過ごす自分は「客」であり「主人公で優先されて当然」という価値観で育った人はディズニーファーストになって
一緒にいる友人が困っても、叫び回って我を通すのかなって。
ディズニー作品が訴える人間愛や平等に他者を思いやる気持ちと逆の結果になるって皮肉。
彼女は仕事で扱った物で事故があってリハビリしてて、その時からたまに発言がおかしくなってたけど
美術館にいくのも本当なら別の日の予定が、ご家族のことで外せない立ち会いが重なりました。
取りやめてもいいって言ったけど、結局は予定を早めることになって、5月なのに夜には2月下旬の寒さになったその日になりました。
一度病気をしたり不安が生じた時、気のおけない人と普通に振る舞う事がかなり精神面での助けになるのは経験上知ってたし、
本人も美術館に行きたいって事前には行ってたし、友人として何かできるをしよう。
この日も会った途端、彼女は突然予定を変えて、ディズニー行きたいと言うのを5回くらい断ったのだけど、美術館行く気でもなくなったし、
その辺でお茶して近況聞いて帰ろうかと思ったけど、もう呪われたかのようにずーっとディズニーディズニー言い続けている。
ここまで言うくらいディズニーで癒されるなら、じゃあシーに行って適当な店に入って静かにしてればいいし、行ってみるかなと。
判断間違えた。もっと前の時点でおかしいと気づくべきだった。考えたら昔からたまに失礼な事がある人だった。
我が家の家族が癌になったら死亡後の話をし始めたり、身近の人が怪我してしばらく治るのに時間かかる話をしたら障がい者認定の取り方の本を渡そうとしてきたり。
でもまあ学生時代はそこまでおかしくなかったし、家庭や仕事で大変な事が人生あると判断がおかしくなる事もあるよなって。
この人以外のディズニー好きの人たちによるディズニー語りは常に若干おかしいので、ディズニー好きの人とは身構えて距離を置いていたけれど、
この人はこの日まで一度もおかしな語りもなく、むしろディズニー好きの人ちょっと怖い人もいるからと引いた発言していたし、(結婚式場も相手の趣味と言ってたし)
私の持病についても知っていて今までも体調崩しそうな時は無理させないでくれた事が何度もある。だから信頼していた。
でもこの日は違った。本当に気持ち悪いからちょっと休みたいって伝えたら
ギャグだと思うでしょう。こういう発言が口から明瞭に出る人が世界にはいるんだよ。きっと500人くらい。その一人だった。
ディズニーきたら元気になる程度の仮病を私が使っている、と信じて私の体調について矮小化してないと出てこない発言で。びっくりした。
ちょっとめまいがしたよね。いい成人で30過ぎててプライム企業でエンジニアやってて職場に部下がいる人だよ?まあうちの会社もプライムだし部下の数は私の方が多かったけど、この後少し休暇とらざる負えなくなるし部署替えで部下いない所に移ったから今は知らない。
そんなに元気になれるなら重病が見つかった親御さんと一緒に来ればいいのに。親御さん元気になるよ。ディズニーの魔法とやらで。
世迷い言は不快なので無視して、どんなにダサくてもいいから上に着られる服が欲しいと訴えたら水避けのポンチョを差しながら「あれシー以外できたら恥ずかしいけどね」(ケラケラ)とか
他にないのか聞いてもはぐらかされる始末。高級お散歩の時間が減っちゃうから。この時点でこんなバカ置いて帰ればよかったと思う。体調悪くなると動くのが億劫だし、まともな判断が出来なかった。
もう縁は切ったからいいや。
このまま付き合いを続けて、今度は自分の命が亡くなるような事があったら許せないし私が家族に申し訳が立たない。
でもきっと彼女にとったら、私が大変な思いをするとか命を落とすとか、どうでもいいんだよ。その後も自分を擁護する発言ばかり言い回ってたから。
増田の言う通り認知症かなにかしらの疾患が出てきているのかなって思ったけど、何よりも恐怖しかないよ。
どこから見ても普通にしか見えない30代が、突然ぬいぐるみの世界で束の間自己中心的になって同行者の人生が狂うくらいのダメージを与えるの。めちゃくちゃ怖い。二度と会いたくない。
だからもう終わった話。
ディズニーランドとかシーとか好きな人はただ趣味が幼いのかなぁ、くらいに思ってたけど、そうじゃ無くて
から、好きなんだと思う。もちろん全員そうではないけど。
友人はゲートをくぐって変化。まさかの同行者がキチガイのインパクトが強すぎた。
だけど、ベンチで座ってずっと見てるとそれだけじゃないし。ストローラーでまだ歩けない子供を乗せて人にぶつかって行ったり、
馬鹿騒ぎして子供にぶつかったり、連れている女の子にぶつかったからって相手に因縁つけて喧嘩をしようとしたりする人たちが居たりして、治安が悪い。
この甘やかされた空間で勘違いした人がざっと数時間に複数回エンカウントするのは異常でしょ。やはりディズニーランドとかシーとかキチガイの巣窟だよ。
まあ甘やかされた空間という意味では匿名ダイアリーも同じかもね。
元増田が出会った人もそういう種類の人なのだろうし、昔はそんなにいなかったよ。怖い所になったなって。
体調不良は直後から発熱10日→ 診断A → 診断B →みたいなことが起きてドミノ倒しでした。丈夫な人にはわからんだろうけど。健康のジェットコースター、落ちる時は直角。気をつけてね。
お大事に、がもし私宛ならありがとう。本当大事にする。そして勘のいい増田もいい事ありますように。
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追記:
昨今【推し活】【推しのいる生活】などという言葉をよく聞くようになった。
推しがいることで日々の生活をより楽しめるようになる、といった気持ちはオタクとしては非常によく分かる。
数年前の話になるが、いまだに思い出しては複雑な気持ちになるのでこの場を借りて綴っていく。
なお特定を防ぐために商品やジャンル、会社などの具体的な情報は伏せておく。
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数年前SNSで『オーダーメイドで推しの概念グッズが作れる!』というツイートが爆発的にバズっていた。
無論私のTLにも流れてきて、元ツイやリプ欄には手ごろな価格でオーダーメイド、実用的、複数購入なら推しカプも作れるということで、称賛の嵐であった。
特段欲しいと思わなくても、数々の称賛ツイートを見ていると次第にその気にもなってきてしまう。
すると数日後、そのツイートを見たであろう友人から早速お誘いの声がかかった。ミーハーな私は二つ返事でOKした。
HPで確認してみると、SNSの影響のためか全時間完全指定の整理券制となっていた。当日向かってみると整理券をもらうために早朝からたくさんの人だかりができていた。
その多くが女性客であり、無論オタクであった。並んでいると彼女たちの推しの話やジャンルの話などが聞こえて、どんな風にグッズを作ってもらおうか、などの声が聞こえてきてとても面白かった。
中には短時間でより深く理解してもらうためにプレゼン資料まで作りこんできた猛者もいた。こういうオタクたちの推しへの情熱は聞いていてとても楽しい。さながらコミケの待機列のようだった。
私もどんな風につくってもらおうかとワクワクしながら何とか整理券をもらうことができた。
時間がくるまで友人と街をぶらぶらしながら、推しの話やジャンルの話をしつつ自分の中で解析度を高めていった。
そしてとうとう私たちの番がきた。整理券を渡して受付に通されると、個別のカウンターが並んでいた。店舗はあまり広くはなかったので、自らの推しの魅力を初対面の店舗スタッフさんに熱心にプレゼンする女性たちの姿も丸見えであった。あれが数分後の自分の姿かと思うと正直かなり恥ずかしかったが、せっかくここまで来たのだ!!私は覚悟を決めた。
私は友人と二人での来店だったので、順番にまず私から対応してもらうことになった。
事前の情報で、推しの画像やら写真があると分かりやすいと聞いていたので、さっそく用意していた画像をスタッフの女性に見せた。
「あっ!この子知ってますよ~!」と朗らかに笑う女性スタッフ。(先方が作品名を知らなかったらどうしよう…)と思っていたので自分の推しが認知されていて正直ホッとした。
一瞬、向こうが何を言ったのか本当に理解できなかった。
………ナサケナイ…ナサケナイって何……?知らない日本語だ………
聞き間違いかと思って、恐る恐る愛想笑いをしながらもう一度確認してみると元気よく盛大に大きな声で返された。
正直、私の推しは世間的にはやや知られているキャラクターではあるが、アンチも多い賛否両論のキャラクターである。実際、今までも彼が推しであることを伝える人種は信頼できるオタクのみに限られていた。まあ確かに、多少、ほんの少し、万が一は『あるかもしれない』とは思っていたが、まさかお金を払ってまで推しのグッズを作りに来たこの場で言われるとは思ってもみなかった。
あまりの想定外ぶりに半分脳が死んでいたが、目の前で推しを侮辱されるのは我慢ならず、愛想笑いをしつつも「いやいや!そんなことないですよ~!頑張り屋でカッコいい子ですよ~!」と返してみるものの、向こうは「情けない」「ダメなやつ」「ヘタレ」のなどの一点張り。
今になって思い返してみると、その女性スタッフは私が【そのダメンズぶりが好きな人】だと思っていたのかもしれない。だから彼のダメンズぶりを何度も主張してきて最終的に私に「その駄目ぶりが好きなんです~」と言わせたかったのかもしれない。
しかし何とか彼の良さを分かってもらわねば…!そうしないとグッズを作ってもらえない…!私は彼の良さを分かってもらえるように必死にプレゼンしてみたが、向こうは私の必死ぶりが面白かったのかただケラケラ笑うのみであった。自分の言葉が相手に一切伝わらない。頭の中が真っ白になって、私はとうとう何も言えなくなってしまった。
隣のカウンターの女性たちの推しへのプレゼン話が聞こえてくる。あーでもない、こーでもないと言いながらも、みんな本当に楽しそうであった。
私はなにか間違ったのだろうか。どうして私は、今日何のためにここまで来たのだろう。
何のために朝早起きして、わざわざあれだけ並んでまで整理券までもらったのだろう。
余談だが、私がこの日を迎えるまでの精神状態は最悪であった。転職活動がうまくいかず、二日前には圧迫面接を受け、面接官には人格否定までされた。だからこそ今日は推しのグッズを作ってテンションを上げて気分転換してまた頑張ろう!そう思っていた矢先の出来事であった。
そうまでしてやっとのことで迎えた今日が、なぜ今こんなことになっているのだろう……
様々な思いが走馬灯のように思い浮かび、目頭が熱くなってしまった。「……あれ?」っと思ってみると涙がポロポロとこぼれてしまっていた。まずい。これは非常にまずい。めんどくさいオタクだと思われる。いい年して恥ずかしい。みっともない。消えてしまいたい……。
そんな私の様子を見て、周囲も異変に気付いたようで他のスタッフや周りの女性たちも怪訝な顔をしてこちらを見ていた。そんな様子を見てさすがにまずいと思ったのか女性スタッフが必死に見え透いたお世辞を言ってくる。さっきまで散々情けないだのヘタレだの言っていた私の推しを、急にカッコいいだの可愛いだの持ち上げてきた。そんな様子を見て、また別の意味で泣きたくなった。
他のお客さんにも友人にも申し訳ないので、その時間は友人に譲って、私はそそくさと席を外した。正直、二度とこの場には帰りたくなかった。あんな醜態をさらしてどの面下げてまたあの場に戻れるというのだろう。もう今すぐにでも帰りたいが、友人を置いて帰るわけにもいかない。それこそ本当の自分勝手だ。どうしようかと思っていると私の様子が落ち着いたのを見計らって別の女性スタッフさんが対応してくれた。
正直、あんなことがあったというのにこの店で商品を購入するのは気が引けたが、今度の女性スタッフさんがとても良い人だったのでお詫びの意味で購入することにした。
帰り際、件の女性スタッフから謝罪があったが、私はすぐに帰りたかったので迷惑をかけたお詫びだけ言ってすぐにその場を去った。なお友人にも謝罪したが、「あんなことで取り乱すなんて情けない。一緒にいて恥ずかしかった。今日のことがあったせいでこのグッズ見るたびに思い出すじゃん」と吐き捨てるように言われた。ショックだった。
確かにせっかくの推しグッズを台無しにしたのは申し訳ないし、その怒りをぶつけたくなるのも分かる。でもあれは私だけが悪かったのだろうか、自分にもグッズを作りたいほどの推しがいるのに、なぜ私に「あんなことぐらい」なんて言葉が言えるのだろう、という想いもどうしても拭い去ることができなかった。この日を機に友人とはしばらく距離をおいた。
結局このとき作ってもらったグッズも、その後一度も使うことはなかった。友人が言った通り、【思い出す】からだ。買ったときの状態でそのままクローゼットに仕舞い込んだ。正直もう見たくもなかったし、手に取りたくもなかった。
この件を経てから、私は昨今のオタクビジネスについて思うことが多くなった。推しという夢から覚めて現実を客観視できるようになった。
今回の店も表面上はオーダーメイドとうたっているが、実際は指定された枠組みのなかで組み合わせを楽しむだけの商品である。それを私たちオタクが【自分の推し】に見立てて、勝手に盛り上がっているだけなのだ。同じ商品でも見るオタクが変われば、それはそのオタクの推しの概念グッズになるのだ。彼女たちが熱心にプレゼンしたところで、指定された枠が増えるわけでもない。スタッフはオタクたちの夢を壊さないようにただ話を合わせてくれているだけなのだ。
実際メルカリを見れば同じ商品が概念グッズでもなんでもなく、ただの普通の商品として売られていた。どんなにオタクが盛り上がっていても一般人からみれば、所詮そんなものなのだ。
一年ほどしてようやく気持ちの整理ができ、手に取ることができたので、メルカリで売却した。
企業にしてみれば、オタクほど金になる木はない。良いと思ったサービスはSNS拡散してくれて、それにつられて同じようなオタクが集まってくる。巷では、作品名やキャラクターを変えただけの似たような企画のコラボカフェ、グッズが溢れかえっている。もちろんそれて経済が潤い、ジャンルが盛り上がり、喜ぶファンがいるのだからそれ自体はとても良いことだとは思う。
しかし、それらはあくまで「ビジネスとして」ということも忘れてはいけないのだと思った。ビジネスなので、サービスの提供側は作品の理解が高いわけでも、オタクの気持ちがわかるわけでもない。当たり前だが、相手にこちらと同じ熱量、もしくは理解を期待してはいけないのだ。企業はただ売れる商品を作り、オタクの夢を壊さないようにするだけである。何故ならこの夢が壊れたとき、オタクは金を落とさなくなるからだ。そんなことを私は悟った。
苦い経験ではあったが、この件のおかげでSNSで盛り上がってるからといって深く考えもせずに突撃するようなことはしなくなった。周りではなく、純粋に自分が欲しいものだけを買うようになった。
あれから友人との付き合い方も見直した。なお転職先は無事決まったので、そこんところも大丈夫である。
こんなにバズる予定じゃなかった
この努力の方向性は合ってるし言語化も腑に落ちるけど「[…]付き合うまでセックスはさせない女は、自己中気質だったり[…]」が引っかかる。女への恋愛指南としては「付き合うまで突き合うな」が鉄則だったりするし。
流石に文脈を端折りすぎたので追記。要はホテル行きますか?と打診して部屋までついてきておいて、お互いのために付き合うまでしません!と断る人をさしています。
打診しているときにこちらの性欲ギンギンなのは否定しませんが、嫌なら嫌と断るべきですし、断れずについてきてしまった人のテンションくらいは慮れますよ
増田は服を脱がすタイミングとか、オーラルとか、ノンバーバルのコミュニケーション全て含めてセックスだと思っているので、エロいこと全否定ではなくABCのここまではいいよと互いに歩み寄るコミュニケーションもできるのではないかな?と思うだけです。
特にパートナーとはいえ赤の他人にマイルールを遵守させようとする姿勢は、ことある意思決定のたびに突きつけてきそうだなと予感させるに十分かと思います。
互いにある程度の信頼関係があるうえで、ワンナイトをしてくれる女性は難しい文脈も汲み取ってくれる女の子が多い印象を持っている
ただセックスって互いの素を知るチャンスでもあると思っていて、オーガズムに達することが目的ではないと思います。
尋常じゃないくらい床上手なんだけどこの子昔苦労したのかしら?あるいは彼氏さんのことめちゃくちゃ好きだったのかな、好きな人にこれだけ尽くせるって素敵だなとか。
あるいはおとなしい子かと思ったら結構感情が激しそうなので、不満を溜め込むタイプに見えるから定期的にガス抜きが必要そうだな、とか。
逆に増田も若かりし頃今思えばセックス中の立ち回りを相手に吟味されていたんだなと思う経験があり、なんて大人な恋愛なんだと憧れて真似しています。
ドがつくほどの偏見ですね
これは増田の好みですが、性的な接触に頼らず素を開示しようとする姿勢が見えると大人の女性だなと思いますし、体に頼らずコミュニケーションを取りたくなります。
自分がどう思っているかをそれとなく伝えてくれたり、頑固だよとか、こう言う喧嘩したことあるよとか伝えてくれると信頼を感じます。
増田のようなアスペ人は対人関係に怯えています。あなたと会話をすることは苦じゃありません、嬉しいです。を伝えてくれるだけで救われるちょろい存在です。
言葉の端々にまだ女見下してるフシあってクズいけどもっと酷い輩がネットには多いので進歩として許容する感じで褒める人も出るんだと思う。1年持たずに飽きて捨てるか捨てられた後で今のクズさを自覚するの繰り返し
同様に増田ことアスペは対人関係に怯えているので、今思えば防衛行動として妬みや見下しをすることで心を守っていたのかなと思います。
正直増田も昔はドがつくほどの味噌だったのは否定しませんし、多くの人に指摘されている点は正しいです。クラッシャーしてきた人々への申し訳なさは一生残ります。
ただきちんと自分が好きになれる人ができると、そういう防御衝動は減るもんだと思います。世の苦しんでいる人々はみんなパートナー作ろう。頑張って
決して短くも楽しくもない努力の果てに孤独から脱却することができたので、色々思い出しながら書いていく。
当然のごとく彼女いない歴=ほぼ年齢
地方の貧乏家庭出身で単身上京、金も人脈もない0からのスタート
彼女ができるまでの期間はおおよそ5年
彼女ができるまでに告白した人数多分20くらい、出会った数40くらい
ファッションの改善(服装、髪型、眉)をしてカッコよくなることへの恐怖から脱却すること
恋愛関係抜きで女性と交流する機会を設ける(趣味など)ことで女性の解像度を上げること
マッチングアプリや街コンでいろんな女性と出会うことで意中のタイプを言語化
女に自分の価値を認めさせられれば、どれだけのマイナスがあっても一定の理解はしてくれる。
増田はいわゆる加害性の塊である。とにかく彼女が欲しかったのでひたすらアタックし続けた。
既存のコミュニティを破壊しまくったし、こちらに敵意がなければほぼ全ての知り合いの女に特攻した
自分がモテないのはダサくて出会う試行回数が少ないからだ=ファッションを磨いてアタックしまくればいつかは付き合えると思っていた
増田のようなアスペアタッカーではなかなか上手くいかないのはわかっていたけど、それでも孤独に耐えられるわけではないし、試行回数理論を信じるしかなかった。
でもちょっとくらいは、いつか理解のある彼女ちゃんが現れて救ってくれるんじゃないかと期待していた。
非モテのほとんどが肌で感じていると思うけど、我々男のそばに理解のある彼女ちゃんは絶対100%確実に生えてこない
不細工とか金がないとかトークが面白くないとかそれらしい理由は色々思いつくと思うんだけど、
女は「女性の解像度が低い人間に愛情を持たない」のに対し、男は「ヤレる女に愛情を持つことがある」というのが増田の考え
うざい言い回しをすると女は心でセックスをし、男は体でセックスをする。
女の発達障害持ちは穴モテの果てに男が愛情を持ってくれることはある。男は女体さえあればセックスができるし、好きでもない女にも勃つ。
一方で女は、女をわかってない男を嫌悪の対象としてそもそも近づいてこない。
AV女優の深田えいみも言っているけど、女がセックスをするときには体の快楽よりも目線や献身の気持ちに興奮する。
女性の解像度が低い非モテはセックスができない(=互いに理解し合うコミュニケーションを取れない)と判断され、そもそもパーソナルスペースに入ってこない・
というのが理解のある彼女ちゃんが存在しない仕組みなんじゃないかなと思っている
実際彼女ちゃんとセックスをしていて思うのだが、セックスってただ肉欲をぶつけるだけじゃない
無言の中でお互いに何をしてほしいか探り合う献身のコミュニケーションは確かにある。
そんなにカッコよくもセンス良くもないのに彼女が尽きない男を嫌というほど見てきたけど、そういう連中はとにかく女性のことをよく知っている。
ポジティブな方向だと、女の子にどういうことをすれば喜ぶかを常に考える。自分の性格が刺さるタイプの女の子を絞って口説いている。一言で言うとキザを通す立ち回りでモテてる男。この立ち回りは自己肯定感が低い女の子には良く刺さるけど、容姿の整った女の子相手の場合はある程度自分の容姿も整っていないといけない印象がある。
ネガティヴな方向だと、ドロドロした人間関係を把握してコミュニティの解像度を上げる、それこそ男や女のタイプを即時に把握して会話のネタにできる力。相対的に自分に力があるように見せる(マイナスを見せない)ような立ち回り。いわゆるノンバーバルが強いアルファ気質の男がよくやってる。自分の価値をわかってる若い女の子やモテる女の子はこのタイプの口説きにめっぽう弱い印象がある。一方で陰キャ寄りの子や真面目な子は恐怖して近寄りにくい気がする。
ともあれ、こうした自分の強みを理解して、うまく特攻の効く女性を口説けている男は諸々見た目や金銭で劣っていてもそれなりに理解のある彼女ちゃんを持っている。
だけど自分の素の性格が刺さる層、自分が本気になれる女性のタイプを全く見極めていなかったので、いつも2、3回目のデートで見限られていた。
大事なのは天性の身長とか、顔面偏差値といった部分ではなくて、後天的な努力の部分だと思っている。
カッコよくなろうとする男は得てして自信があるように見える。
ダサい格好から抜け出せないのは、自分がカッコよくなることに自信がないことがほとんどなんじゃないかなと思っている。
以前の増田含め多くの男性が気づいていないことだけど、女性は生きていく上で強制的に可愛くならなくてはならないという社会要請を受ける。
高校生や遅くとも大学生頃には化粧や服装をそれなりにしないと女社会から爪弾きにされる
我々男は髪の毛のセットなんてできなくても社会人になれるが、女性はある程度の化粧ができることが前提の社会に生きている。
これは経験則だけど、だから女性はカッコよくなろうとする男性に共感しやすいのではないかな。
よくいう清潔感なる意味不明ワードは、男性が自分達と同様に垢抜ける努力をしてきているかどうか、その大変さや楽しさを共感できるかどうかをはかる言葉なんじゃないかなと思っている
なので非モテはとにかくカッコよくなろう。
youtuberの紹介する大学生っぽいファッションでいいからとにかくそれっぽい服を着てみて恥ずかしさをなくす。
例えば増田は短足なので最初は黒スキニーが恥ずかしくて履けなかったけど、それに合う大きめのトップを着ることで意外とバランスが良くなることに気づき、恐怖を克服した。
そうするうちに自分って意外とかっこいい服が着れるな?と気づき出して、ちょっとずつ幅を広げていくことができた。
おすすめはwearで自分の体格と同じ人のファッションをマネキン買いすること。大体の服はゾゾかユニクロで買える
自分と同じ体格の人をフォローしてその人を真似し続けるのが一番楽
大事なのはそれっぽいシルエットを作ることで、必ずしもオタクになる必要はない。もちろんブランドを覚え出すと面白くはなるけどね
髪の毛はちょっと高い美容院に行って相談する。増田は全く知識がなかったのでオリジナルのシャンプーを売っているような大手の美容院に行ってかっこいい髪型やセットの仕方をとにかく教えてもらった。
たいていの美容師さんはカッコよくなることを応援してくれるので、インスタでセルフセットの写真を送ればアドバイスしてくれたりする。
増田はとにかく自分のコミュニティさえも破壊しまくってアタックをし続けたけど、自分がどういう女性が好きなのかという一番肝心な部分がなかった
正直女なんてヤれればいいと思ってたし、化粧をした女の顔なんて全部同じだと思っていた。
だから自分でもやれそうな女の子、自分が話しかけても楽しそうにしてくれる女の子にひたすらアタックして玉砕してきた。
増田は極端に女を遠ざけて生きてきたので、もっと軽いところから女性を理解するべくリハビリをした。
もちろんナンパはせずに、純粋にゲームを楽しむことに専念した。
この手のトークゲームはルール上女性もコミュニケーションを積極的に取ってくれる。
また終わった後に感想戦を通して仲良くなりやすいので、とにかく女性の知り合いを増やしてSNSなどでたくさん交流した。
ここで変な気を起こしてナンパをしては下の木阿弥である。この人は増田のことが好きなのかな?とよぎる瞬間があっても絶対に色恋はせずにゲーム友達の距離感を守って修行した
この交流を通しておしゃれそうな女でも男で言うチー牛みたいなメンタルの人がいるとか、発達障害気味でコミュニケーションに難がある人がいることを知った。
女はみんな恋愛経験が豊富で、男よりも高次なコミュニケーションをしていると勝手に思い込んでいたけど、意外と自分の性別を反転させたような女の子もいるんだなと気づいたのであった。
どうしてかアスペアタッカー時代はとんでもないブスでも彼氏が過去10人いたとかいう隠れモテ(姫?)にしか会ったことがなかったので、こんなに可愛いのに彼氏いない人もいるんだと驚いた。
女性が好む日常会話の温度感とかノリを知れたのも大きかった。ちょっと小ボケを挟むとか、馴れ馴れしいくらいのノリのほうが意外と受け入れてくれる(下心が見えてるとキモがられるけど)
それなりにSNSで女性の知り合いができるようになると、日常のコミュニティでも女性の友達ができるようになってきた。
やっぱり女の子と日常会話ができるのは大きい。些細な考え方とか、女性特有の視点に理解を持っているだけで、今までと比べて格段に信用されやすくなった。
ここまでくるのに数年かかった。並行して進めていたマッチングアプリでワンナイトも経験できるようになった。
ワンナイトは狙ってやったと言うよりも、流れで数回やった。この人は帰りたくないのかな?とか、めちゃくちゃ好感度が高い今押さないといけなさそうだと感じた時に誘った。
好んでナンパやワンナイトをしたいとは思わないけど、人生経験としてやっておいて良かった気がする。
互いにある程度の信頼関係があるうえで、ワンナイトをしてくれる女性は難しい文脈も汲み取ってくれる女の子が多い印象を持っている
逆に思わせぶりな態度をとっておきながら付き合うまでセックスはさせない女は、自己中気質だったり互いに譲り合うコミュニケーションが取れないことが多いので避けるようになった。
ただ肉体のセックスができても、長期関係にはなかなか結びつかない。
ここにきて、自分はモテやすい体面を取り繕って素の自分を見せていないことに気づいた。ヤレそうな女にモテる男のよくやる立ち回りを見よう見まねで通すことだけは上手くなっていた。
なので一度自分が本気で好きになれる女性を厳選した。自分のNGをどんどん出してそれに合わない女性にいいねを送らないようにした。
ある程度写真が盛れていて、女性が好む文面やコミュニケーションが取れそうな雰囲気を出せていれば、いいねは返してくれるようになっていた。この時点で自分がほんの少しモテるようになったことを自覚した。
同時に電話を重視し始めた。相手からは自分の素に減点要素がないか、自分視点では話した時の雰囲気とか、相手の気遣いが感じられるかどうか、価値観が賛同できるかを見るようにした。
結局女の子は自分が好意を持っている男性から好意を持たれることに弱い。自分のレベルを上げてきたので、あとは自分が本気になれる子にアタックするだけだった。
電話はいい。お金がかからないというメリットももちろんあるんだけど、遅くても遠くてもコミュニケーションが取れるのが大きい。
正直電話だけでいいとさえ思っている。何度も電話して、最後に告白をする手前で1、2回会うだけでいい。しっかりと信頼関係を構築できていればプロフに書かれた数字なんてそれほど重要じゃなくなってくる。逆に女の子の外見にしても、最初から好みじゃない女の子にはいいねを送らないので可愛さが担保されている。
それに気づいた時、やっぱり男は見た目じゃなくて人間性の高さとか、女性の解像度の高さの方が重要なんだなと思った。
電話で互いに知った仲になった後は驚くくらいスムーズだった。1回目のデートはとりあえず飲んで、後日デートをして、素の自分を隠さずともケラケラ笑い合って。いつまでもこの子を幸せにしたいという気持ちが強くなった。
そうこうあって彼女ができた。
恋愛って運命的に落ちるものではなくて、互いの価値観を擦り合わせていく作業だと気づいた。
俺は昔、キョロ充だった
手助けできそうな人を探しては助けに入り、楽しそうな話題があれば首を突っ込んだ
軽快なトークとコミュ力で知らない人とも楽しく話せるイケてるやつだと思っていた
コミュ障で根暗なキモいオタクとは違う、インターネッツが得意な良いオタクのはずだった
そんな時ネットで"キョロ充"という言葉ができた。数年前くらいか
まさに俺だった
俺は影響されやすく、恥ずかしがりで、プライドだけはあるやつだったので
ゲームに出てくる村人みたいに、目の前に立ってAボタンを押されるまで俺は話さなくなった
それから周りのやつらが全員キョロ充に見えた、何にでも首を突っ込んで
なんなら全く見ず知らずの他人にすら声をかけて道を訪ねたりする
全くおかしなやつら
そして時が経ち、大人になって久しく、職場でキョロ充に出会った
顔がイケててスタイルも良く感情豊かだったから初めは気づかなかった
話に聞き耳を立てて、隙あらば会話に首を突っ込む
元キョロ充として、あーあ、やっちゃってるなという気分
みんなを巻き込んで一緒に解決しようじゃねえんだわ
キラキラした理想を語るな、だから距離をおかれてそっけない態度を取られているんだ
答えは一つ"キョロ充をやめろ"
俺はお前の味方じゃない
おこがましいとは思いつつ、この相談を受けて、アドバイスして、上手くいったら
きっとあいつは俺に相当感謝するだろう、キョロ充は恩着せがましい代わりに恩にはうるさいからな
命の恩人みたいに一生ことあるごとに感謝するだろう、あの時は助かったって
人の目をしっかり見て話し
あー嫌い嫌い、俺が成れなかったあこがれの姿を見ているみたいでムカムカするぜ
付き合ってすぐに発覚してしまった疾患だ。
すぐに払えなくなって、一部公的援助を受けながら治療をがんばってきた。
辛くて厳しい治療に耐える姿を間近で見てきて、無事に症状も落ちついてきたのが数ヶ月前だ。
完治とは言えないけれど、一旦は大丈夫、落ちついていますという寛解状態。
数ヶ月前に職場復帰も果たして、そのタイミングで素敵なおうちが見つかったので同棲をはじめた。
お互いに、はじめての異性との同棲だ。
基礎疾患があってもいいと思った。子どもができなくてもいいと思った。
例えば再発であったり、そういうことが起きたとしても、それでも一緒に住もうと決めた。
私は、それを郵便ポストから取り出したとき、あまりの衝撃でかなり動揺してしまったのだけれど、
彼はその封筒を私が渡してあけたてそれを見たとき、「何かわからない、明日電話する」と言ったのだ。
過去、祖父が商売をしていた関係で連帯保証人になり、結局逃げられてしまった事例は1度や2度ではない。
親戚のおじさんはパチンコで借金をする人で、おばさんはいつも働いていた。
私の父は借金をしなかったけれど、ほとんど働かなくて「お金がない」という理由で諦めたことが10代のことが数え切れないほどあった。
親戚がお金事情で苦労していたこと、自分がお金がなくて苦労していたこと、お金が絡むとどんな人間関係の信頼もすぐに崩れてしまうこと、
逆に、お金がありすぎても人間はすごく醜い一面があらわれてしまうこともまた、人生を通じて間近で見てきた。
どれも未成年のころに起きたことなので、自分が大きく介入することはなかったけれど、
そうしたものを見ていく中で、「何かあっときにお金に困らない人生を過ごそう」「買えないモノは買えるまで買わない」をモットーに生きてきた。
キャッシュレス化が当たり前になり、平均年収程度稼げるようになった30代前半の今でこそ、
クレジットカードで手軽に買い物はするけれど、あくまで自分で決めた予算内での買い物しか手を出さない。
がんばって貯めてきた貯金は、いざというときのお守りになっている。
お金にルーズであること、お金に困らないことをを徹底的に避けて生きてき私には、彼のその行動がまったくわからなかった。
無利息の内に返すつもりだったものが忘れてしまい、こうして封書が来ているのだろうという。
数年ずっと放置してきた結果だ。郵送物も、いつもそのまま気にせず捨てていたということだった。
彼のその無責任な行動は、自分の価値観としてはまったくもって有り得なかった。
彼が20代はかなりやんちゃだったというのは聞いていた。その話を聞いて、「当時のあなたなら付き合えない」とずっと言っていた。
でも、あくまで昔の話であり、今はもうやっていないというのが暮らしていて分かっていたから、あまり気にしていなかった。
ただ、清算できていないのは予想外だった。
それに、今現在もそれが把握できていないのも予想外だ。
もしかしたら、これだけではないかもしれないと思って、今、とりあえず調べてもらっている。
でも彼は、一緒に住んでから変わろうとしてくれる意思はものすごく感じていた。
あればあるだけ使ってしまい、大して貯金をしてこなかった彼は、私と一緒に暮らしてからは毎月数万ずつ共同での貯金もはじめてくれた。
これまで、結婚というものを一度も考えてこなかったらしい彼は、私との未来をすごく意識してくれていることも分かっていた。
いろいろ、私を考えて行動してくれることがたくさんあった。治療の間一緒にいたというのが、やっぱり彼の中で大きいのかななんて思っていた。
私が笑うと、彼は本当に嬉しそうにしてくれる。私が怒ると、ケラケラ笑いながらも頑張ってもう怒らないよう気をつけてくれる。
感謝の言葉をたくさん伝えてくれる。私が何か言うと、それだけで嬉しそうにしてくれる。私が視界に入ると、すごく幸せそうだ。
きっと、もうやらないのだと思う。返済も、してくれると思う。
自分も、これまで恋愛に興味がなかったのに、彼にたいしてはすごく幸せを感じていた。
初めてこんなに安心して横にいられる人と出会えた。落ちつく。ホッとする。
もちろん、腹が立つこともあるし、むかつくこと、理解できなところも、お互いにある。友だちに小言を言うこともある。
お互いにムリしているところはそりゃもちろんあるけれど、数年かけてチューニングしていければいい。
ふたりにとっての居心地の良さをつくっていけばいいと、思っていた。
きっと、私が勝手に、今の彼はそういうことをしていない、そういうものがないと思い込んでいたからだ。
そして、涙が出るのは、「別れることが私の頭の中に芽ばえちゃったからだ」と彼は言う。
「もうやらない。年内にすべて返す。これからは全部確認する。他にもあるかどうか調べる。別れたくない。」
彼はそう言う。多分、そうしてくれるだろう。私だって、別れたいなんて思ったことなかった。
でも、私が私の友だちだったら、多分こう言う。
「この年でお金の価値観を変えるのは難しい、ずっと同じ事で悩む、悩むなら別れた方がいいよ」。
彼が死ぬのがもし私よりもずいぶんと早いなら、今、一緒にいたい。
そう思ってはじめた2人暮らし。
そこまで覚悟して住んだのだ。好きだから。生半可な気持ちではない。
郵便物を見てすぐに「信じられない、別れます」と言えなかった。
借金という可能性からは可能な限り離れる。それが人生観だったから。
そういうことが先に分かっていれば、そもそも付き合わなかったと思う。
色んな仕事してる人の話聞くの好きだから、どういう話聞けるのかなー程度だったんだけど、
そいつが メイク直しする~とかいって、テーブルの上に鞄の中身をぶちまけた時に、(まずカフェのテーブルにファンデーションとか粉落ちるようなものばら撒くなって話なんだけど)
それを自慢げに見せてきたのね。
「客のなんだよね」っていうから
「お店に忘れちゃった感じ?早く返してあげな」っていったら
「こいつが売掛してるからそれ返すまではかえさないんだよねw」って
そっからの話なんにも入ってこなかった。
ケラケラ笑いながら話されて吐くかと思った。
何笑ってんだよ。面白くねぇよ。
なんの手続きもなく売り掛けという名の借金背負わせられるシステムもやばいし、
まるで俺凄いだろみたいに自慢して。
全部が全部こういうホストばっかりじゃないのはわかってる。いい人もいるんだと思う。中には。知らんけど。
でも、こんなのが野放しにされて、店もなんにも言わないのか?知らないのかもしれないけど、こんな奴が働いてる店って なんなんだよ。
その子がどんな思いで、頑張って日々体売って、お前のために店に来てると思うんだよ。
騙される方が悪いって 騙したお前がいなければ最初からこんなことおこってねーんだよ。
なんでそんなこと出来るんだよ。
お金があればなんでもいいのか。
ブランド物買うためなら、その子の人生がどうなってもいいっていうのか?
そもそもブランド物ってお前、そんな下らないことのために、1人の女の子をこんな目に遭わせて、なにがしたいんだよ。それで着飾って誇らしいか?
金握って 店行って、スタッフさんに案内されてる時、お前どういう表情で商品選んでんの?どういう気持ちで会計してんの?
外見だけ必死に取り繕って、中身疎かじゃ意味ないんじゃないの。
せめて黙ってろよ。
未だに思い出しても腹が立つし、悔しい。
その子が、どんな思いで日々仕事して、お金握りしめてアイツに会いに行ってるんだろうと考えると、苦しくなる。
どうせこんな書き捨てたような文章を、アイツが見るわけないし、なんとも思ってないんだろうし、
武勇伝みたいに 色んな人にこの話してんだろうけど、
ここでももう1回言っとく。
色んな仕事してる人の話聞くの好きだから、どういう話聞けるのかなー程度だったんだけど、
そいつが メイク直しする~とかいって、テーブルの上に鞄の中身をぶちまけた時に、(まずカフェのテーブルにファンデーションとか粉落ちるようなものばら撒くなって話なんだけど)
それを自慢げに見せてきたのね。
「客のなんだよね」っていうから
「お店に忘れちゃった感じ?早く返してあげな」っていったら
「こいつが売掛してるからそれ返すまではかえさないんだよねw」って
そっからの話なんにも入ってこなかった。
ケラケラ笑いながら話されて吐くかと思った。
何笑ってんだよ。面白くねぇよ。
なんの手続きもなく売り掛けという名の借金背負わせられるシステムもやばいし、
まるで俺凄いだろみたいに自慢して。
全部が全部こういうホストばっかりじゃないのはわかってる。いい人もいるんだと思う。中には。知らんけど。
でも、こんなのが野放しにされて、店もなんにも言わないのか?知らないのかもしれないけど、こんな奴が働いてる店って なんなんだよ。
その子がどんな思いで、頑張って日々体売って、お前のために店に来てると思うんだよ。
騙される方が悪いって 騙したお前がいなければ最初からこんなことおこってねーんだよ。
なんでそんなこと出来るんだよ。
お金があればなんでもいいのか。
ブランド物買うためなら、その子の人生がどうなってもいいっていうのか?
そもそもブランド物ってお前、そんな下らないことのために、1人の女の子をこんな目に遭わせて、なにがしたいんだよ。それで着飾って誇らしいか?
金握って 店行って、スタッフさんに案内されてる時、お前どういう表情で商品選んでんの?どういう気持ちで会計してんの?
外見だけ必死に取り繕って、中身疎かじゃ意味ないんじゃないの。
せめて黙ってろよ。
未だに思い出しても腹が立つし、悔しい。
その子が、どんな思いで日々仕事して、お金握りしめてアイツに会いに行ってるんだろうと考えると、苦しくなる。
どうせこんな書き捨てたような文章を、アイツが見るわけないし、なんとも思ってないんだろうし、
武勇伝みたいに 色んな人にこの話してんだろうけど、
ここでももう1回言っとく。
「息子のイヤイヤ期が来ない(3歳8ヶ月)」
その後も根気よくあの手この手でイヤイヤ期に誘導しているのだが成果が出ない。
子育てマニュアルによるとイヤイヤ期は乳幼児において自己確立に必須ターンと示されており、
故に我が子にも正常なイヤイヤ期を経て欲しいと願っている。
てかもう乳幼児ですらねぇし。
未熟児ギリの体重で産まれたから発育が遅いのは覚悟していたが、これほどとは。
最近「僕が一番」に拘るようになり、都合よく乱用したのを反省している。
「お風呂に入るよ」
「嫌だ」
「じゃぁお父ちゃんが一番に入るね」
「やだー僕が一番」
ちょろい
ついつい楽な手を使ってしまう。
ここで彼の意思をないがしろにし無理やり風呂に連れていけばイヤイヤするのかもしれない。
と思って何度かやってみた。
捕まえて無理やり服をひっぱがした。
新しい遊びと勘違いしケラケラ笑いながらフルチンで逃げ回ってるだけで効果無かった。
寝かしつけもいつまでもぐちゃぐちゃ話が終わらない。
「かくれんぼしよう、毛布をかけろ」
だの
「ずるっこじゃんけんをしよう」
最後は「じゃぁパパと僕で2人で勝つやつね」とアイコの手をだしてくれるのが日課、しかし絶対に勝たせてはくれない。
だの
「木曜日だ」
アホみたいな会話が延々と続く
ママが「いい加減に寝なさい」と怒る。
仕方がないので
「やだ、僕が一番がいい」
「じゃぁ目をつぶっておしゃべりやめなさい」
寝る、ちょろい、ちょろすぎる
はやくイヤイヤしてくれと焦る俺。
在宅勤務二年、幼稚園から帰宅し1,2時間絶叫してたのがここ一ヶ月パタリと止まった。
三時に上司に検温メールしなければならず時報代わりに使っていたのに、困る。
もしやウザくなって消したのではなかろうかと案じていたら笑い声が聞こえるようになった。
反抗期が終わったのだろう。
いいなぁ
ともかく、ウチは反抗期どころかイヤイヤ期もまだだからこの先どうなるのか。
しかし著名な心理学者によると障害を抱えているからといって他の子供と比べてはいけませんと書いてあるので比べないようにしている。
一歳半検診には連れて行ったがあまりにアホらしい内容で唖然としていたら翌日ノロゲロ。
間違いなく検診会場で食らった。
まぁノロはいずれ感染して免疫獲得しなきゃしょうがないからさっさとかかってくれるのは良いのだが。
検診内容がチープすぎる、子供のあやし方とか、どーでもいいわ。17,8のママじゃあるまいし。
誰がこんな可愛い我が子を虐待できましょうか。ありえないので結構です。
ともかく自閉症スペクトラムのチェックもほぼすべてひっかかる我が子でありこれは運命だから仕方がない。
ひらがなを教えているが飲み込みが早いのでウチの子天才だと思っていたら
ひらがなを読めているのではないのだ。
電車図鑑のページのひらがなは読める(ように見える)のに、単独ひらがなだけ見せてもまったく読めない。
絵本を音読していたのでひらがな読んでるのかと思ったら何度も読み聞かせしてるから音で覚えているだけだった。
試しに「なんでも好きなひらがなを書いてみ」と紙とペンを渡したら
ドヤ顔で「い」を書いた
次に「へ」を書いて「カシオペアのか!」
面白いのでもう一つ書かせたら、「し」
うん、あってる、わかってないだろうけど。
先日地下鉄に乗った時にヤバと思いつつもバカだから気がつくまいと思っていたらパンタグラフが無いと騒ぎ出した。
どこみてんだよ。
「地下鉄はトンネル断面を小さく、掘削コストを下げるため架線ではなく第三軌条と呼ばれる導体から受電するのです、だからパンタグラフはありません」
パンタグラフが無いと騒いでいる。実に鬱陶しい。
さらには「先日阪急で恵美須町に行った時は地下鉄なのにパンタグラフあったではないか」と。
そんなどうでもいいことは覚えんでよろしい。
「あれは相互乗り入れでパンタグラフの阪急が走れるように仕方なく架線もあるのだ、
たぶん掘削コストは余分に40億円くらいかかってるんじゃないかな、しらんけど」と説明しておいた。
京都鉄道博物館にボタンでパンタグラフを上下させるアクティビティがあるのだが30分やってる。
それが正常な子供だろう。あのコ達は正常な時期にイヤイヤ期もあったに違いない。うらやましい。
パンタグラフを上下させるためだけにJR新快速(大好き)で京都まで連れて行かされる。
誰だよこんなもん教えたの、俺だ。
息子の入館料は年パスでタダだが俺の分は980円取られる。俺電車になんの興味もないのに。
パンタグラフ上下作業に満足したらバス(バスもちょい好き)で四条大宮まで移動し嵐電に乗り(路面電車にも目がない)
車折神社で降り(嵐山まで乗らないのが通)散歩しつつ、渡月橋を渡り、
なんやかや4000円はかかってる、近所の公園で遊べばタダなのに、実に浪費。
鉄道模型のレンタルレイアウトに連れていくと阪急電車(Nゲージ、12800円)のパンタグラフを指で上げ下げしている。
いや、走らせようよ、それ家でもできるじゃん。
触りすぎて4つあるパンタグラフの3つが無くなった。
残り一つになり、己の愚行で3つ無くなったのを自覚しているようで慎重に触るようになった。
いや、触るなよ。アホなのか。
最後の一つが無くなったらどんな反応になるか楽しみ。
残り2つになったとき、息子と日本橋専門店まで交換パーツを探しに行った。
Amazonでも良いのだが物を壊したり無くした結果のOJT。
販売スタッフに聞いたところ互換性のあるパーツは無い、メーカー在庫も無いのだそうだ。
しかしどうせ最後の一つも壊すの目に見えており、ギャーギャー騒ぐであろうから
既に似たようなパンタグラフは購入済みで取り付ける算段もついている。
最後の一つが壊れ、泣き崩れていると、颯爽と修理するパパ、
流石父上、お父様、羨望を浴びる。くくく
はよ壊せ。
で、唯一イヤイヤし泣き叫ぶのがこのレンタルレイアウトから連れて帰る時だけ。
時間だから帰ると指示すると笑顔一転ブチギレモードで泣き叫ぶ。
毎度毎度「時間なのに帰るのイヤイヤしてゴメンナサイ」と反省を述べるが
翌週にはまたブチ切れる。
店にご迷惑であり、出禁食らわないように各地をローテしているが。
これだけは半年改善せず、イヤイヤの素質が無いわけではないのだ。
これではイヤイヤ期ではなくただ鉄道がチョー好きな子供ではないか。
これを食べなきゃ眠れないよねー、みたいな。
俺は小学校3年で田舎から大都会大阪に転校し方言で虐められたおかげでひねくれた人間に育ったので息子にも同じ思いをして欲しい。他意はない。
「ポップルコーンってなんだよ、だせぇな、ポップコーンだろ、バーカ」
みたいなシーンを想像すると笑える。
そして
「なんで俺はアホなお父ちゃんに育てられてしまったのだろう、ウチは世界一不幸な男の子や」
みたいな。笑える。
この程度の楽しみは子育てのオプションとして享受してよかろう。
ともかくポップルコーンを作らされる。
一人は恥ずかしいとモジモジしている、一緒に踊ってやる、意味がわからん。
ポップコーンは百均で豆を買ってくれば山盛り作っても原価10円ほどであり
業スー最高級オリーブオイルを使うが、20円もかかってないだろう。
こんなもんで満足してくれるのだから安上がりでちょろすぎる。
俺の山盛りの皿を見て「パパの方が多い」とクレーム。
「当たり前でしょ?体の大きさが違うでしょ。でも愛してるから三個分けてあげるから1個頂戴」
1個くれる。かわいいなぁ
もう一つ頂戴と頼んだら「イヤー」と断られた。
どのみち自分の分を食い終わったら俺の皿を襲撃するのだから同じだろうに。
さすがにいつもキュウリでは可哀想だ、もうすぐ4歳になるのだからイクラを食わせてもよかろう。
試しに3粒ほど食わせてみた。
なんじゃこりゃ、みたいな満面の笑顔になり
「口中へ赤玉投入せよ」みたいな顔で口をぽかーんと開けている
金魚みたいで可愛いと思った、全部食われて軍艦だけ残った、俺が食わされた。
ともかくちっともイヤイヤ期してくれない、どーすんの。
とうちゃん挫けそう
子育てマニュアルによるとイヤイヤ期は自己確立に必要な時期だのなんだの書いてある。
子育てに正解は無い、みな試行錯誤と言い訳するが、先人の知恵は素直にリスペクトすべきだろう。
だが4歳が近づいているにも関わらず反抗もイヤイヤもしない、兆候すらない、どうなってる。
イヤイヤするように指導しているがちっとも聞いてくれない。
イヤイヤ期イヤイヤ症か
イヤイヤを抑えつけて育てているつもりはない。
勿論しつこくグズることもあるがタイムアウト(一旦場所を移し一人で黙って反省させる)を数回しただけ。
三歳までは公園とか納得するまで遊ばせていた。
面倒くさいのでグズらせない戦法であったがこれが間違いだったのか。
そういうやり方はダメとはマニュアルに記載がなかったと記憶している。
まれに泣いてグズることもあるがママと違っておとうちゃんは折れる率が高いとナメてネゴってるだけで嘘泣きバレバレ。
テキトーに泣かしているとすぐに諦める。
すんごいイヤイヤ期を楽しみにしていたのに肩透かし。魔の三才児、どこにおるねん。
コンビニでアンパンマンキャンディーを買ってくれと床に寝転がって手足バタバタしたことがあった。
絵に書いたような見事なフォルム
俺はとうとう来たかと喜び記念撮影にスマホ取り出したら察して辞めやがった。
もう一回やってくれと頼んでもイヤイヤだと。
その程度のイヤイヤしか無い。
妹夫婦に息子がおり2歳年上、子育て先輩で話を聞くが、三歳で手がつけられなくなり鬱ったと聞いていた。
一度マクドナルドに行きたいとしつこくグズったときにタイムアウトを課した。
しかし相当応えたのか数日後とつぜん真面目な顔して
「パパお話があります、昨日は電車の中でマクドナルドに行きたいと泣いて困らせてごめんなさい」(原文ママ)と曰う。
それから毎日。寝しなに突然真顔になって同じセリフ。その他なにかの拍子に言い出すようになった。
俺に罪悪感持たせようという企みか。騙されんぞ。
「怒ってるわけじゃないよ、反省したのならもう終わり、今度同じことやらなきゃそれでいいんだよ。
おとうちゃんはキミの望みは可能な限りは叶えてあげる。愛してるから。だけど金銭的、物理的、教育的配慮、その他諸条件で
不可能なものは不可能だからダメはダメというからその時は察して我慢してくれ。それだけわかってくれればいいんだよ」と返す。
ともかくそんな調子で、また翌日同じように「パパ、お話があります」と来る。
なんなんだ。もう三週間続いてる。
自己主張が苦手なわけでもなく、行動を自己抑制している様子も無い。
やりたい放題やってる。
適度に言うことを聞かないが、道路に近いトコロでは手を離しちゃダメ、ひとりで出ちゃダメ
こういう言いつけはきちんと守ってくれる。
ところが公園内だと止まれというてもケラケラ笑いながら走って逃げる。
息子と2人の時にスマホを無くした事があった。
テキトーに飛び乗ったバスなので路線も会社も不明、かなり難易度の高い状況。
各所に連絡しバタバタしていると息子が最高ランクのお利口モードになった。
位置情報を調べようとネカフェに入ってゴニョゴニョしてても大人しくしてる。
バスセンターに問い合わせやら、取りに向かう移動やら、黙ってついてくる。
ってか、なんか励ましてくれてるし。
ニコニコ明るく振る舞い、危機的状況であることは理解しております、
こんな悲惨な状況でもボクは楽しんでいるので問題ありません的なオーラを出してる。
腹減った、抱っこしろ、マクドに連れていけ。ポテトを食わせろと。
わかるの?状況理解しててやってんの?すげぇんだけど。
それから二ヶ月経ってもバスに乗るたび「スマホ忘れちゃダメだよ」と注意喚起しやがる。
ともかく、現在3歳8ヶ月
どうすればイヤイヤ期してくれるのか、もう時間が無い。
ねぇねぇJクン、子供はイヤイヤ期をしなきゃならないと決まってる。
なにをいうてもイヤー、靴下履くのもイヤー、歯磨きもイヤー、お風呂もイヤー、保育園もイヤー
そういうのをやってほしいのだけど。できる?
はーい、と快諾、いや、そこで「イヤッ!」でしょ、筋が悪い。
数時間後、「歯磨きするよ、プラレールを片付けなさい」と指示すると颯爽と片付け始めた。
全然覚えてない。アホなんだろうか。
マンション隣家の女の子が壮絶イヤイヤ、近所付き合いがないので年齢は知らないが
4歳か5歳くらい。
15時幼稚園から戻り毎日小一時間、長い時は二時間ほど絶叫ルーティン。
羨ましい。
日々泣き叫ぶ内容もクリアに聞こえるが、ママが約束のお話を聞いてくれないとかなんとか、リボンがどーとか
超絶面倒くさそう。コロナ在宅始まって一年、聞こえなかった日はほぼ無い。いいなぁ
恥を忍んで隣家にコツを伝授してもらおうか、あるいは娘さんに直接指導して貰えるなら有り難い。
このままでは息子はアイデンティティ喪失したフニャフニャ人間になってしまう。ヤバい。
育てやすい子供を自慢しているように読めるかもしれないが、正直そのとおりなのだが、
俺のたった一人の息子であり、年齢的に次はありえないので子育て全メニューを堪能したいというのもマジな気持ち。
壮絶なイヤイヤ、夫婦ともに戦い、悩み、疲弊、挫折、夫婦喧嘩、それが全て寛解したときのハレの喜び、
いずれ成人する息子に、子供の頃は手を焼いて苦労したよと、目を細めて回顧したいではないか。
このままでは子育てチョロすぎる
「なんかテキトーに飯食わしてたら大きくなったわ、キミ偏食も無かったし、ははは」てか。
子供はこういうの集めたがるよね、うふふと眺める、人の幸せってこういうのでいいんだよね。莞爾。
息子は集めた貝殻と松ぼっくりを厳選
貝殻を洗浄し渡してやった、新しい宝物なんだろう。
かわいいなぁ、うふふ、タダだし
「もしかしておとうちゃんのプレゼントのために取ってきてくれたの?」
「そうだよ、パパ大好き」
こんなんどうやったらグレてくれるのか。先が思いやられる。
ともかく貝殻はレジンで固めて保管してやる。
16歳くらいでイヤイヤ期が来たら見せてやろう。いひひひひ
毎朝、通勤時の満員電車(コロナの影響か以前より人は減ったが)でほぼ必ず、99%の確率で障害のある方や、薬でもやってんじゃないか?という人に遭遇する。
・大声で何かに怒鳴り続ける
・陽気に歌いながら車両を走り回る
・意味不明な言葉を発しながら人に絡む(ほとんどの人が関わらないように無視している)
…など、書ききれないほどの奇行を見かける。
独り言を呟いているだけや軽く歌っている程度なら構わないし気にしない。
人に絡んだり、くっついてきたり、もしや何かされるんじゃないか?と不安になる。
今朝は電車の狛犬ポジション(ドア横のハマれるスポットのこと)に立っていたら、フードを被り下を向き何かの動画を再生しながらブツブツと何か呟いている50歳くらいのおじさんが急接近してきてギュッと壁に押し寄せられた。
怖くなりその場を離れたが見事場所を取られてしまった。そしてドアのど真ん中という一番居心地が悪い場所で30分間揺られることになる。
電車を乗り換えると今度は何故か半ギレで歌いながらウロチョロしている男性と遭遇し、同車している人達も怪訝な様子。
そしてこんなことを書くと、
「障がい者を差別するな!」「障害のある人の気持ちを考えろ!」「少しくらい我慢したらどうだ」
などと批判されるのが目に見えている。
その男の子は女の子のスカートをめくったりパンツを脱がしたりとエッチな悪戯を頻繁にしていた。実際、私は女だが、1時間近く胸に顔をグリグリと押し付けられたことがある。大変不愉快で先生に助けを求めたが、半笑いで「我慢してくれ」と言われた。
周りの大人たちはパンツを脱がされ号泣していた女の子に「彼には障害があるから仕方ない」となだめていた。
それは本当に正しいのか??
本人が気をつけるということは出来ない。
それならば周りの健常者達が女の子に近づけないようにするなどの配慮をすべきではなかったのか?
このように、例えば出勤で電車に乗る必要があるのであれば会社が比較的人の少ない昼から出勤させるなどの配慮をすべきだ。
出かける用事があるのなら朝ではなく昼に予定を組むべきだ。
本人がただ電車に乗りたいだけなら親族が迷惑行為をしないよう同行し見張るべきだ。
全員が全員そうしろ、社会を変えろ、とは言わない。そんな大人が周りにいない人だっている。それは理解している。ただあまりにも遭遇率が高すぎるのだ。
この意見について批判されるのは当然だと思うし、懐が非常に狭い人間なことも自負している。
本当に「仕方ない」で済まして良いのだろうか?
小学校の先生がなかなか嫌な(婉曲表現)先生で、何かにつけて「男のくせに~~するな」「男なら~~しろ」というのが口癖だった。私はその先生が本当に嫌で、誇張や比喩ではなく学校が怖くて夜にはよく泣いていたし、割と慢性的に自殺を考えたりしていた。そんな経験があったので、私がジェンダー論や性差別に興味を持つのはごく自然な流れだった。「女性になりたい」と思ったことや、「私はもしかしたら"男性"ではないのかもしれない」と思ったこともある。今となってはそれはトラウマや思春期による揺らぎの一種であったと認識していて、性自認に関しては私はシス男性だと自認しているけれども。
私の初恋は、とある絵本のキャラクターだった。絵本や児童文学を読みながら、キャラクター同士の親密な関係(カップリング)や、窮地に陥ったキャラクター(ヒロピン)などに触れて、何かいけないものを見ている気分で、こっそり楽しんだ。同級生達の、「どの女の子がかわいい」とか、「誰とそれが付き合ってる」とか、そういう話は嫌いだった。その頃から私はフィクトセクシュアルだったと思う。
当時放送していたアニメと言えば、『幻想魔伝 最遊記』とか、『しあわせ荘のオコジョさん』とか。テレビゲームだと『テイルズシリーズ』とか。そういうのを見て育ったオタクなので、「オタクたるもの、男でもBLくらい嗜んでしかるべし!」くらいに思っていたし、今でも思ってる。ちょうどニコニコ動画が流行った世代でもあって、(今の倫理観では褒められたことではないにせよ、)「ホモネタ」でケラケラ笑うのも楽しかった。
先にオタクになったのは私よりも兄の方だった。当時の私は兄を「ホモソーシャル(という言葉は当時知らなかったが)に親和的な人」と見下していたが、兄は兄で色々と思うところがあったと今では思う。兄はあまり頭が良くないので、私のように細かく言語化したりはしないが、おそらく私たちの世代の平均的な「オタク」だと思う。美少女と美少年が好きで、百合とBLが好きで、口では「恋人欲しい」なんて言うけど、内心エロゲで満足してる。そういう人。『ガンダムSEED』が「腐女子向け」と叩かれていたのを兄も知らないはずはないが、兄はそんなSEEDに心からハマっていた。『テイルズシリーズ』については私よりも兄の方がハマっていたから、いのまたむつみの美少年絵は兄の琴線に強く触れたのだろうと思う。
兄が好んだ「ちょっとえっち」な漫画やゲームを、私は内心見下しながらも、それは常に身近にあった。エロ漫画について伊藤剛先生が『MANGAの自由 平成から令和へ』の中で、「あんまいいもんじゃないだろうという感じで、手に取ろうとはしなかった。」と語っているけど、私もそういう感じ。読まず嫌いだった。でも実際にはむしろその中にこそ多様なジェンダーとセクシュアリティが描かれていることに気付いた。セックスをパロディし、時に嘲笑うことが、セックスを相対化するのだと。
少なくとも私にとって、ジェンダーやセクシュアリティの呪いから逃げられる空間が、オタク文化だった。
2ちゃんねる(今は5ちゃんねる)というのは、今も昔も治安の悪い場所だった。大学院生から「無敵の人」まで、全く知識・知能・倫理観レベルの違う人々が同じ空間で同じ顔をして過ごしている。まともな精神じゃできない書き込みなんていくらでもあったが、それはほんのひと握りの底辺の書き込みでしかなかったのだろう。そしてそんな底辺の書き込みの一つは「女性蔑視」だった。当時の私はまだ子供で、ジェンダーとセクシュアリティの話題に興味のある子供だったから、それがどうしても許せなくて、「論破しなければいけない」ものだと思い込んでいた。今思えばそれは逆効果だったのかもしれない。私が来る日も来る日も女性蔑視的な書き込みを「論破」しても、その勢力が衰えることは無かった。昨日論破したばかりの同じような書き込みを、今日も明日も繰り返すような、そんな連中ばかりだった。
しかし、ネット空間というものが、誰もが使う表の空間に成り下がると同時に、そうしたネットの闇はあっさりと自然消滅していった。厳密に言うと消滅はしていないが、その権威はもはや見る影もなくなった。犯罪や誹謗中傷は取り締まられ、多くの暴言も各種サービスの規約によって削除されやすくなった。何よりも、そのような暴言を吐くのは、少数の異常者であることが露呈した。
私は安堵した。しかし、そんな時代になっても、「表現の自由」を掲げて「フェミ叩き」を頑張っている人達がいるらしい。私は呆れた。非実在児童ポルノ騒動の時、表に立って漫画を擁護してくれたフェミニストの人々のことを忘れたのかと。
私はほんの少し、Twitterのフェミニストの人々と繋がってみた。とても勉強になる話をたくさん聞いた。その話は納得できるものが多かった。しかし、次第に違和感を覚えてくるようになった。その違和感がなんなのか、すぐに言語化することは出来なかったが、どうも彼らは「フィクションを性的対象とする」というセクシュアリティについて、全くと言っていいほど無知で、配慮がないどころか、むしろ憎んでさえいるのだ。恥ずかしながら私自身、「エロ漫画」や「えっちな表現」というものを読まず嫌いしていた時期もあるから、他人のことは言えないのかもしれない。しかし、ジェンダー論や文学を研究している大学教授などが、そうしたセクシュアリティについて全くの無知で、研究など出来るのだろうかと心配になった。そして怖くなった。現代の「ジェンダー論」というものは、そのような前提の元に立脚しているのかと。そして「エロ漫画は女性蔑視」のような前時代に封印したはずのトンデモ言説が、再び亡霊のように復活しつつあることを。あの「非実在児童ポルノ騒動の時、表に立って漫画を擁護してくれたフェミニストの人々」ですら、彼らが味方する対象ではなかった。
結局私は苦しくなってTwitterもやめてしまった。トランプが大統領に当選した時、オバマは「国の歩みはジグザグだ」と言った。もしもわたしが第三者の立場であれば、昨今のフェミニズムの暴走も、「ミソジニーに対する反動」として呑み込む事が出来たと思う。「今はまだ無知でも、時間が解決してくれる」と、民衆の成長を待つことができたと思う。でも残念なことに私は当事者だった。私は、性差別を憎む二次元性愛者の一人だった。
とにかく怖くて仕方がない。苦しくて仕方がない。そして、憎い。ああ、これは、かつて2ちゃんねるで女性蔑視の書き込みを見た時と同じ感情だと思った。
今では私は子供ではないから、もう少しだけ冷静に論じたいと思う。でも、行動を多少抑えることは出来ても、感情それ自体を抑えることは難しい。悔しいとか情けないとか。無力感とか徒労感とか。
2ちゃんねるで女性蔑視を批判した日々は無駄だったのだろうか。実際、無駄だったのかもしれない。でも、せめて、それをした私自身のことは誇りたい。誇りに思えるだろうか。彼らをのさばらせた責任の一端は、私にもある。
昔から本当に暇な時にたまにプレイする程度のライト層なんだが、最近のコンシュマーは壮大でクリアまでに100時間プレイとかだし、要素が複雑過ぎてとっかかりにくい。
とっかかりやすさで言えばスマホゲーだが、シンプルなゲーム性の無料のものは広告が本体と言うくらいしつこく広告出てストレスがひどいし、少し凝ったものはまずガチャ課金ゲーの対人要素満載なので、無課金で暇つぶし程度にプレイしていても負け続けるだけでストレスになる。かと言って10万も20万もソシャゲに突っ込みたくはない。
Steam?積み上げられたクソの山からましなクソを探す行為をゲームと呼べるなら、Steam自体がゲームみたいなもんだが、そもそもロリコン萌豚も兼ねているので、海外基準の美男美女はブッサすぎてうけつけない。任天堂の世界を相手にしたモデルすらぶっさと思ってしまう。
結果、自分でゲームするのがひどく億劫となり、適当なユーチューバーがガチャで数十万溶かすのを見てケラケラ笑って、それで満足する体質になってしまった。
しばらく前にユーチューバーがゲームを配信する是非みたいなので増田が賑わってたが、ゲームがサブのサブの趣味程度の扱いの場合、最近のゲームは複雑すぎるか、ストレスすぎるか、金がかかりすぎる。
特に日本は市場の狭さから太客からガッツリ搾り取らざるを得ないと言う事情はあるかも知れんが、あまりにそれが露骨過ぎて暇つぶし程度に遊びたい程度の自分には居場所がない。
レトロゲーに走るのもいいが、そっちはそっちで難易度が高すぎてついていけないし、スマホでもゴリゴリのアニメ絵が3Dで動くのが当たり前になり過ぎて、今更無印PS時代のゴリゴリのポリゴンに戻れる気もしない。
2000~3000円の規模の同人エロゲーでもやってればいいんじゃないですかねと言う気はしてる。多分、本邦開発のゲームで自分にとって一番満足度の高い遊び方だろうなぁ。ただこちらも結局インディーズであるので、Steamと同じ問題ははらんでいる。
タイトルのとおり。
正確には、三歳になるまであと3週間ほどある。
パパもママも言わない。
耳は悪くない。音への反応はしっかりしてる。
人が苦手という感じでもない。
テレビで面白いシーンがあると、「お前も見てみろよ」とばかり自分や妻の手を引っ張ってくる。
そんな明るい長男なのに、自分や妻が名前を呼んでも反応しないし、お友達に呼びかけられても無視である。
その割には、「そっちはダメ!」「戻ってきて!」「買うのは一個だけだから残りのは返してきて!」という具体的な指示には従ってくれる。
喋らないのはなぜなのか?
ということを考えると、長男のコミュニケーションは、常に長男がスタートで、役割分担の入れ替わりがないことに気づいた。
弟に1歳の次男がいるんだけど、次男はモノを渡し握らせたあとに、もう一度私が手を差し出すと私の手のひらに握ったモノを返してくれる。
次男には、そういう、"いったり来たり"のコミュニケーションがある。
長男にはない。
自分がなにかを伝えたいときには自分からアクションするが、他人からの働きかけは、自分に関係するときにだけ応じるという姿勢だ。
とりあえず行動をまねてみるというのがほとんど全くない。
いまだに手づかみなのも、大人が食器をつかってるから自分も使おうという意識が希薄なのだと思う。
液状のものはスプーンを使うし、麺のようなものはフォークをつかったりするので、使えないわけではない。
純粋に、手づかみのほうが食べやすい食べ物は手づかみで食べる、スプーンのほうが食べやすい食べ物にはスプーンを使うということを徹底してるだけだ。
単語を出せば、それを親がとってくれるという成功体験がないから、喋らない。
幸か不幸か、それでなんとかなってしまっている。
長男はテレビのリモコンや、iPadをもってきて、手渡ししてくる。
「つけて」と言うまでつけなければいい。
という人がいるが、延々と泣き、悔しくて頭をぶつけるだけだ。
大人だって、必要になっても必要なスキルを覚えられない人のほうが多い。
コマンドプロンプトの画面しかなければ、コマンドプロンプトでなんとかできるようになるなんてことはない。
困った。