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2022-11-17

anond:20221117155115

涙が止まらなくなるのは比喩じゃなくて現実にそうなんだから癇癪持ちでもあるんだろうな。あー関わりたくね。

2022-11-14

anond:20221114210139

まれつき重度の癇癪持ちでどれだけ愛情注いでも成長とともにキチガイ悪化して

いつまでも自立しないキチガイを育てることが酷いストレスになって親も精神を病んでしまった

っていう逆パターンを実際に知ってる人間から摂生してそうな小汚いこどおじこどおばが「俺・私 の親は毒親です」とか言ってても基本信じない

世の人間基本的にそうだと思う

毒親ガーとか言って燻ってないで人に誠実に生きることだね

そしたら魅力的な人間として周囲に構って貰えるようになるよ

2022-09-23

anond:20220917233739

「腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の父も、今日ばかりはトップガントムクルーズよりもカッコよく見える。」

サイエントロジーにどっぷりのトムクルーズトップガンに出るとかっこよく見えるのと似た様なもんだな。

いい対比だ。

2022-09-21

anond:20220917233739

■息子と、飲む。

いつかプリキュアキュアレモネードが変身した日にパニエを履いていた話を思い出す。

栄町コンビニは華やかはあれど、明治香りが煙たく漂う古臭い場所だった。

まるで、よっちゃんいかのような。甘酢の強さが強調された力強い雰囲気がある。私が過ごした40年前と大して変わらない空気

するめいかが持つ甘さは、そこに一切存在しない。うまい棒コンポタの煙たい臭い。それが好きな人しか受け入れられない古臭い匂いお菓子売り場に連れられた私はそんな妄言を考えていた。

カップ麺売り場の棚が、かつて持っていた世界初乾麺の威厳が薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つのは袋麺なのだろうか。

私と息子は行きつけの総菜コーナーに向かう最中に味は変わらないとの言葉を仕切りに話していた。

どの味も変わらないと。

目印的存在であった切り身魚の真空パックが売り切れてしまっても、私らは何喰っても変わらないと口にする。

おにぎりコーナーを抜けて、すぐの総菜パンデザートの棚は永遠と広がる夢のファンタジーである

私が過ごした約10余年は、まだほんの入口付近にあった。

今では5段重ねの立派なミルフィーユに生まれ変わっていたチーズケーキ。されど、心の中は小学校当時のままだという。

あぁ、中学一年生の頃に、ここの小学校プールによく入っていたなぁ。そう話す私は立派な犯罪者だった。

それでも紅潮する息子の顔はとても粋だ。私は新装の日にホットスナックを頼んで、仲良くなった店員今日一緒に飲む友人なんだ。

キザすぎるセリフ真実として話す私は最高にかっこつけで、かっこよく見える。

腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の私も、今日ばかりはトップガンマーヴェリックトム・クルーズよりもはるかにカッコよく見えることだろう。

普段は、近くにいたくもないと思える私も、なんだかきっと息子の憧れだろう。

息子が私に連れられたレジは、ホットスナックの棚に何が残っているのかもよくわからない場所だった。

入店から歩いて8分程度。大型冷凍庫の横にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。

私と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日不思議説得力を持って聞こえた。

どうしても話したかった話があるという。

私が引退した時にどうしてしたかった話なんだ。

息子が中学進学してようやく話す時がやってきた。

それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。

自信を身に宿して、私は満を持すを体現するように話を切り出した。

「私は友人の父親の話に昔、もの凄く感銘を受けたんだ。

その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。

それを話したいか今日お前をここに連れてきてるんだ。

じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。

から友人は成人した時に、父親銀座キャバクラに連れられてったらしい。

酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?

俺の奥さん美人だろう?そう言われたんだ。

その時に俺は、コイツはなんで人生成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。

友人は自分父親自分マザコンであることを突き付けられたと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。

これが人生成功者なんだって。以来、私は母さんを俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ決して母さんの悪口を私は一切言ったことがない」

その言葉を受け止める息子の瞳は、普段とは違った熱がこもっていて、80年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない息子の姿。

振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないよね。カッコつけられて、かっこいいと思わされちゃったかな。

そんな私が、私はなぜだか愛おしかった。

2022-09-17

父と、飲む。

いつかロバート秋山が成人した日にキャバクラに連れられた話を思い出す。

池袋の夜は華やかはあれど、昭和香りが煙たく漂う古臭い場所だった。

まるで、余市のような。ピートの強さが強調された力強い雰囲気がある。父が過ごした30年前と大して変わらない空気

バーボンが持つ甘さは、そこに一切存在しない。スコッチの煙たい臭い。それが好きな人しか受け入れられない古臭い匂い池袋西口に連れられた私はそんな妄言を考えていた。

新宿歌舞伎町が、かつて持っていた日本一ネオンが薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つの池袋西口なのだろうか。

父とその友人は行きつけの居酒屋に向かう最中に変わらないとの言葉を仕切りに話していた。

この街は変わらないと。

目印的存在であった池袋西口マルイ百貨店が潰れてしまっても、彼らは池袋が変わらないと口にする。

東京芸術劇場を抜けて、すぐの池袋西口公園の外側は永遠と広がる住宅街である

父が過ごしたアパートは、住宅街入口付近にあった。

今では5階建ての立派なマンションに生まれ変わっていたアパート。されど、近所の小学校は当時のままだという。

あぁ、大学回生の頃に、ここの小学校プールによく入っていたなぁ。そう話す父は立派な犯罪者だった。

それでも懐古する父の顔はとても粋だ。俺は新歓の日に池袋で飲んで、仲良くなった奴が今日一緒に飲む友人なんだ。

キザすぎるセリフ真実として話す父は最高にかっこつけで、かっこよく見える。

腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の父も、今日ばかりはトップガントムクルーズよりもカッコよく見える。

普段は、そのものになりたいと思えない父も、なんだか憧れた。

父に連れられた居酒屋は、メニューもないような、よくわからない場所だった。

池袋西口から歩いて8分程度。雑居ビルの半地下一階にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。

父と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日不思議説得力を持って聞こえた。

どうしても話したかった話があるという。

息子が成人した時にどうしてしたかった話なんだ。

お前が成人してようやく話す時がやってきた。

それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。

自信を身に宿して、父は満を持すを体現するように話を切り出した。

「俺は友人の父親の話に昔、もの凄く感銘を受けたんだ。

その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。

それを話したいか今日お前をここに連れてきてるんだ。

じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。

から友人は成人した時に、父親銀座キャバクラに連れられてったらしい。

酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?

俺の奥さん美人だろう?そう言われたんだ。

その時に俺は、コイツはなんで人生成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。

友人は自分父親になんてバカらしいと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。

これが人生成功者なんだって。以来、嫁さんは俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ対外的に嫁さんの悪口を俺は一切言ったことがない」

その言葉には、普段とは違った熱がこもっていて、20年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない父親の姿。

振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないのに。カッコつけられて、かっこいいと思わされた。

そんな私がなぜだか悔しかった。

2022-09-11

きょうだいについて

 人間の脳とはどうにも不便なもので、積み重ね続けているはずの明るく優しい記憶はその隙間に挟まる嫌な記憶に塗りつぶされてしまう。古来より経験から学習して危機回避するために必要仕様なのだと考えれば理解はできるのだが、現代に慣らされたわたしにとっては、ずっと自分を縛り続ける鎖のように重苦しい。

 虐待、という言葉日常的に――さまざまなニュースネット記事大学の授業、書籍なんかで――目にする。その程度に軽重はなく、そしてその辛さに貴賎はなく、当事者が辛かったと感じ、または自覚なくとも傷つき、倫理と法に照らし合わせたときにそう判じられたのなら、それは虐待になるのだろう。

 多くの人が、まずぱっと想像するのは保護者から子への虐待であろう。母から、父から扶養から祖父母から。近年では、養護者による高齢者に対する虐待問題視されている。わたしiPhoneに標準搭載された辞書によると、虐待とは「むごい取り扱いをすること」。調べれば、厚生労働省による児童虐待のページも出てくる。それによれば、児童虐待は「身体虐待」「性的虐待」「ネグレクト」「心理的虐待」の四つに定義されるらしい。なるほど、思いつく大体はさらっていそうだ。長くなるのでそれぞれの具体的な例は省略するが、暴力言葉による脅しなどが挙げられている。

 そして、本題である

 きょうだい間の虐待を知っているだろうか。

 寓話だと、シンデレラの義姉が一応それに当てはまる。義理の兄姉、弟妹、そして実のきょうだいから虐待である

 わたしは未だ、自らのそれを虐待ということに疑問を覚えている。確かに暴力があって、辛い言葉があった。けれどやっぱりきょうだいから、そして自分でも信じられないことに、生まれてこの方家族のことを明確に「嫌い」になったことがない上、いくつかの発端は自分に非がある喧嘩だった覚えがあるために、はっきりとした定義けができないのだろう。

 でもたぶん、あれは虐待だった、と言っていいのだと思う。

 わたしには、四つ上の姉がいる。はっきりとした実感では思い出せないが、間違いなくわたしは姉が好きだった。生意気だったし、変な子どもだったけれど、姉のやることをいつも真似して、遊んでほしがった記憶がある。面白いと言っていた漫画を読んで、図書館で本を借りて、拙い四コマを描いていた。女の子のお人形ミニチュアが家にあったから、それで一緒に遊んでほしかった。まあ姉は真似されるのを嫌がっていたし、あまり遊んではもらえなかった気がするが。母に諸々が露見するまで部屋も一緒で、二段ベッドの上下で眠っていた。

 ひとつ、間違いなく自分に非がある発端として思い出せるのは、借りた本のことだ。当時姉はあるシリーズ小説にはまっていて、それをわたしも読んでいた。今思うと意味が分からないのだけど、ホラー作品の影響か、知らない内に血痕が増えていたらおもしろいだろう、と、当時のわたしは考えた。ちょっとした騒ぎになることで、家族の気を引きたかったのかもしれない。馬鹿な思いつきで、抜けた歯かなんかの血液を、本のページになすりつけたのだ。

 単純に汚いし、本当に意味不明だ。弁償しろと言われたらそうすべきだし、怒られたら謝るべきだ。

 姉は怒った。当たり前だ、妹が自分の本を読んでいたと思ったら、返ってきたときに謎の薄茶けた汚れが付いていて、あまつさえそれが不衛生な血液なのだから生理的に拒絶して責められても仕方ない。

 それで、姉はわたしを蹴った。蹴って、床に置いてある座布団の上に転がして、そこで背中を踏みつけた。座布団の上だったのは一縷の優しさなのか、当時の部屋は恐ろしく汚かったので、床に放置された物ものわたし身体が潰すのを嫌がったかもわからない。とにかくそんな感じで、わたしは泣いて謝って、しばらくののちに姉は怒ったままひとまず足を退けた。本をどうしたかは覚えていない。

 そんな調子だった。二人とも通っていた小学校の校門前で、下校時刻にみぞおちを蹴られて――これは何が原因だったか忘れてしまった――動けなくなり、野次馬にじろじろ見られながらどうにか帰ったこともあった。姉はさっさと帰ってしまったので、持っていた傘を杖にして耐えていた。わざとかどうか分からないけれど、的確にみぞおちへ爪先が入って、ちょっと吐きかけた。

 ここで弁明しておくのだが、両親は見て見ぬふりをしていたわけではない。というのも、わたしたちは鍵っ子で、昼間は父母ともに家にはいなかったのだ。そういったいざこざが起こるのは大体ふたりが帰ってくるまでの時間帯だったので、そしてわたしは姉に言い含められ、かつ自分の受けているダメージの深さに無自覚だったので、親にあまり言い募ることもなかった。父母の見ている前で姉の手が出たらさすがに止められたし、姉は叱られていた。まあそれによって機嫌の悪くなった姉の言動さら悪化することもあったのだが、とにかくそういうことだった。

 契機は、特に姉の機嫌がひどい夜だった。母は父を迎えに行っていたので、両親ともいない。子どもは夕飯もお風呂も済ませて、あとは寝るだけという時間だった。

「ねえ、電気消して」と言われて、わたしは断った。前述したが、わたしたち姉妹は二段ベッドの上下で寝ていて、付け足すと姉が上段、わたしが下段だった。部屋の照明にはよくある紐が付いていて、天井の真ん中から垂れている。姉のいる上段からは手を伸ばせば届くが、わたしは一度ベッドから出ないと届かない。舌打ちが聞こえた。電気消せよ、と言われて、お姉ちゃんの方が近いんだから自分で消してよ、ともう一度断った。それで、姉は怒った。

 足音を荒らげてはしごから降りてくる音に身体が強ばった。怒られるんだと思うと本当に嫌で嫌で、それでも、今日ばっかりはわたしは悪くないのだから、と頭の中で唱えていた。電気をどっちが消すかなんて、どう考えても至極どっちでもいい張り合いだ。変な意地は、それでも道理に合わないことに従いたくない一心で、そのあとに予期される出来事よりも優先されてしまった。

 ぎゅっと身体に力を入れ、壁側に背中を向ける。お腹は内蔵に直接響いて辛いので、せめて背中側ならという発想だった。ベッドから引きずりだされるのが一番怖くて、でもそうはならずに、背を向けたわたしへ、そのまま足が飛んできた。電気消せよ、消さない、の、文字だけだと死ぬほどしようもない、馬鹿みたいなやり取りをしながら、ひたすら泣いて背中を蹴られていたと思う。どれだけやってもわたしが動かないことを察したのか、姉は苛立たしげに身を引いた。そして戻り際、「絶対チクんなよ」と残してはしごを再び上がっていった。電気はそのままだったので、結局どっちが消すかなんてやっぱり大事じゃなくて、「妹が自分の言うことを聞かずに口ごたえしてくる」ということがとにかく気に食わなかったのだろう。

 ほどなくして、父と母が帰ってきた。ただいま、と言って部屋に入り、声をかけてくる母からわたしはとにかく顔を隠した。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、それでもうまく強ばった身体は動かない。異変を察知した母にどうしたのと問われても「なんでもない」で通した記憶があるが、声が震えてぼろぼろだったので、そんな嘘はあっけなくばれてしまった。

 そのあとは、わたしリビング、姉はそのまま自室にと引き離され、事情聴取が行われ、部屋はやっぱり離すべきだ、という結論に両親が落ち着いた。そのあともしばらく姉の気性は荒かったが、思春期の前半を過ぎて彼女高校に入ったあたりから本格的に落ち着いて、そんな騒動はぱったりと止んだ。ギターで頭を殴られたりだとか、背中ものを投げつけられたりだとか、怒って一瞬包丁を持ち出されたり(見せられただけだったが)だとか、壁に首を足で押さえつけられたりだとか、まあ色々あったが、そんな感じだった。

 「口ごたえするな」「使えない」「気持ち悪い」「何で生まれてきたの」――そしてまた、言葉というのは厄介で、簡単に口からこぼれるのに、言われた側はその感情まで受け取ってずっと抱えてしまう。身体に対する物理的なあれこれは間違いなく痛くて、それも勿論辛かった。でもたぶんその根本にあるのは、自分がそういう扱いをされていること、そうしてもいいと思われていること、好意や情の非対称性だったのではないかと今は考えている。お前は愛されていない、だめな人間で、嫌われていて、いない方がよかった。それの真偽はともかくとして、真正から突きつけられるには痛すぎる。身体的な暴力は衝撃的に覚えているけれど、思い出したときじわじわと首が締まっていくのは言葉のほうだ。そして、日常的に放り投げられるのにいつだって避けようがなかったのも、言葉のほうだ。

 姉はいわゆる癇癪持ちというやつで、怒ったら自分制御ができずに手が出てしまっていたのだという。でもそれが友人に向くことはなかったし、たぶん妹は格下の、彼女にとってそれをしてもいい人間だったのだろう。自分の中で、怒ったら手が出てもいいし、ひどい言葉を投げてもいいし、言うことを聞かないのはおかし存在。何なら、日常的に何を言ってもいい存在

 幼い頃から培った「この人と自分平等ではない」という意識根深い。何ならそれは今でも、姉妹揃って無自覚に残っている。実は現在姉妹間の仲はそこそこに良好だ。ただその前提に、姉は大人になったけれど、間違いなくわたしのことは下だと思っている。わたしは大きくなったけれど、姉に対して嫌に思うことがあっても諦めているし、そういうものだと思っている。そういう暗黙の了解存在しているから、比較的穏やかな日常保証されるようになった。

 でも、色々なことがぼやけてしまった幼少期の記憶の中で、ぐちゃぐちゃとした嫌なものばかりが輪郭を持ち続けて、わたしはそれを手放せない。姉と笑顔で話しながら、ふっと影がよぎるみたいに、昔のことを思い出してしまう。やっぱり、した側が覚えてなかったとしても、された側は覚えているものらしい。

 この文章は間違いなく恨み言だ。でも、これを姉にぶつけたいわけじゃない。やっぱり姉のことを嫌いになりたくなくて、でも傷ついた自分のことも認めてあげたくて、好きなものが好きでいたいだけだ。だから、取り残された感情記憶を吐き出して保っている。

 わたしは今も、生まれ育った家で姉と共に暮らしている。実家を出ようとはあまり思っていなかったのだが、最近になってふと、「この人と一緒にいたら、わたしはこの先もずっと自尊心を削られつづけるんだ」と悟って――そのうち、家を出なければならないことに気がついた。母は姉を出すと言っているものの、姉を一人暮らしさせてうまくやっていける気がしない(わたしもあまりできる自信はないけれど)ので、全員の健康を考えたらそのうちここを離れることになるのだろう。

 あのときと比べて、身体はずいぶん大きくなったし、精神成熟したところはあるはずだ。それでもわたしはまだ、自分の中にずうっと、声を殺して泣いている子どもがいるような気がしている。

特に親しくなかったけど記憶に残ってる小学校同級生

AとBという二人。

まずA。鼻をかむ時は絶対廊下に出る。休み時間なんかは別に気にならないけど、授業中で皆静かにしてる時に(特に先生に断りを入れるでもなく)勝手に席を立って廊下に出ていってしまう。そして思い切り鼻をかむ。鼻をかみ終わったら普通に席に戻ってきて普通に授業を受けていた。なぜそんなことをしていたのかは知らない。突然席を立つので気が散るな、とは思っていた。

次にB。癇癪持ちといえばいいのだろうか。何か気に入らないことがあるのか、授業中でも唐突に「やだやだやだ……」と何かを拒否しだす。普通に授業をしてただけなので傍から見てても何が嫌なのかよく分からない。エスカレートすると「い゛や゛ーーー!!」と耳をつんざくレベルの絶叫と化す。更にエスカレートすると床に仰向けになって泣き叫びながら手足をバタバタさせる。あまりにも収拾がつかないと教頭先生や校務員のおじさんが宥めにくることもあった。これは低学年の子が愚図ってるというものではなく小6になっても同じ調子だった。こうした行動が起きると授業も止まってしまうので内心ではとても面倒くさかった。同級生でBと同じ通学グループの子がいうには、Bの母親は彼の癇癪を"個性"と言っていたそうだが自分が聞いたわけじゃないので真偽は不明

小学校はいわゆる普通学級しかなかったけど、卒業して地元中学校に進学したらAは特別支援学級(〇〇学級とか呼ばれるところ)にいたので、まあそういうことかとちょっと腑に落ちたような気持ちになった。Bは地元学校にいなかったので卒業後のことは何も分からない。

2022-07-22

感情露出狂犯罪だと思う

上司癇癪持ちでその感情中学生並みに前面に出す人なんだけど、どうにかできるのこれ。

基本的に朝は不機嫌で、夕方も6割くらい不機嫌。

それを一切隠さず、新人には「朝はみんなピリピリしてるから気をつけて」などとおっしゃる。お前がおらんかったらみんなにこやかだわ。

40半ばくらいの独身男で、ここ最近記憶の衰えのためか、言ったことが言っていないことにされる頻度が増えている。

また発言がどうかしているため、やんわりと「頭どうかしてるぞ」と増田が指摘する機会が増えた。そのせいか、敵認識を強めているようで、こちらの発言曲解することも多くなってきた。

業務上のなんでもない報告に対してすら引っかかられると、もうかなりコミュニケーションをとる意欲が削がれる。

それで必要最低限にすると孤立を深め、たぶん症状は悪化する。

ごく少数の職場なので、これからずっとこいつのご機嫌うかがって介護生活かよと思うと嫌気がさすが、なんか上手い解決の手立てはあるんだろうか。

おそらくこの上司自己認識では、「自分は誰よりも会社のために働いていて、みんなに優しく、思いやりがある」みたいになってる節があって、そういう発言をたまにもらす。

自覚ないのであれば、「あまりにもネガティブ感情を出すのは、どうか本当にやめていただけませんか」ってストレートに言いたいけど、たぶんダメなんだよね。

あー、もうめんどくさー。

2022-07-03

anond:20220703132033

会社にいる松坂世代~ギリッギリ平成生まれの先輩たち大大大っ嫌いだわ。

人のプライベート詮索しまくるとか、ニヤニヤ煽るとか、病的な癇癪持ちとかそういうのしかいない。

2022-06-08

anond:20220607141101

会社にいる松坂世代~ギリッギリ平成生まれの先輩たち大大大っ嫌いだわ。

人のプライベート詮索しまくるとか、ニヤニヤ煽るとか、病的な癇癪持ちとかそういうのしかいない。

2021-12-30

兄が憎い、その他もろもろ

俺には1つ上の兄がいるんだけど、小さい頃から仲が悪かったし、もう15年くらい顔を合わせていない

兄は陽キャだが自分陰キャだったためか、まるで好みや性格が合わなかった

喧嘩も絶えなかった、といっても以下のように一方的ものだけど…

小学生とき父親から買い与えられてた月間漫画2種のうち面白い方を、兄が突然俺のだと主張し、読むなと言い張ってきた

それでもこっそり読んでいたのだが、うっかり見つかるとブチギレられて、俺は一目散に鍵のかかる部屋に逃げ込む

すんでのところで間に合ってドアに鍵をかけると、兄は罵詈雑言を浴びせながらドアを壊す勢いでこじ開けようとする、すると祖母がやってきて30分くらいかけてなだめる

というのを100回くらいやった気がする

また中高生の頃、兄の買った漫画をこっそり読んだり、(兄にゲーム機本体占有されていたので)自分ゲームソフトで遊ぶために兄の部屋に忍び込んでたところを見つかってキレられ、逃げ出す、というパターンもあった

(俺には自分の部屋を与えられなかったし、漫画を持ってなかった、だが欲しいとも思わなかった)

兄は大学卒業正社員になって、結婚して子供もいて東京暮らしてる

俺は兄より断然偏差値の高い大学に進んだけれど、その頃から人間関係がうまくいかなかったり、勉強のやる気がなくなったり将来への不安から、引きこもったのち実家暮らし派遣工場作業員として働いてるわ

当然彼女もできたことはない、友達もいない

親の庇護下にあったときは、勝手に人の部屋に入るコソ泥みたいなやつなのに何のお咎めもないため、俺は兄からまれていたし疎まれていた

俺は反抗期がなく良い子だったが、兄は中高生の頃は反抗期真っ盛りで母親とよく口論する悪い子だったと言える

だが大人になったら俺は駄目人間で兄は立派な一人前の社会人になったんだ

死にたくなるし、兄に対して(社会に対してさえ)憎しみが沸く

兄はきっと、昔と今を比べて、胸の内でガッツポーズを取っているだろう、いや、あまりに格下の存在に対し比較することさえないかもしれない

トラウマなのか都合の悪い事実もあってか、兄についての記憶は今まで思い出すことがほとんどなかった

だが暇さえあればネットに齧りついてる俺にとってこの冬休みはあまりに暇で、ふと書き出したくなったのだ

にしても、祖母や両親はいつも兄を宥めたりするだけで、俺や兄を叱ったり、何かしら対処したりということをしなかった、事なかれ主義なんだな

兄は癇癪持ちだったし(今は真人間らしいのが不思議で悔しくてならない)俺は偏屈だし、教師である父親アスペ毒親だし、同じく教師だった祖母毒親だった…母親はいくらかまともだが、父親愚痴を俺に吐き出してくるので困る

家族全員歪んでる気がするよ

ちなみに、祖父のことは好きだったが祖母のことは嫌いだった

祖母の善人のような振る舞いが子供ながらに信用できず、小学校から帰ってきたとき出迎えてくる祖母が、もしかしたらルパンのように巧妙に変装した強盗かもしれないと妄想し、怖かった

後々になって聞かされたが、嫁である母には当たりがきつかったようだから、警戒しておいて間違ってなかったと思う

小1の頃の祖父葬式ではワンワン泣いたのだが、高1の頃の祖母葬式では一滴も涙が出なかったし、出す気もしなかった、それを陰で親族の人に指摘されたのが耳に入ったっけ

過去トラウマに向き合わなければ救われることはないだろうが、普通家族関係がわからいから、今振り返ってみても何がおかしいのか自分でわからない

こうして言葉に表すのも、子供の頃の記憶というのは妙に客観的に捉えづらくて難しい

向き合うにしたって、心が苦しくって中々できるもんじゃいね、頭を巡らせているうちに何を考えていたか忘れてしまうのも厄介だ

生きていたって何も良いことがない、そればっかり心の中で繰り返している

2021-12-26

anond:20211226143428

俺は生涯童貞だと思うし誰とも子供を残せず寂しく死ぬのだろう

父親癇癪持ちの危ない人で自分にもそれが遺伝してるのが分かるから、それも仕方ないと思う

問題は俺と血を分けたきょうだいの子供もどうも今の段階で癇癪持ち発達障害の傾向が見える事だ

晩婚化と出産年齢の高齢化で年々少しずつおかし子供が増えていってる事は分かっていたけど遂に身内にも出てしまった

俺みたいな低能クズ子供を作れないのは仕方なくても俺よりまともでマシなきょうだいおかし子供を授けるなんておかしいだろう神様

2021-11-23

第1章 俺、誕生

once a porn a time.

I am born in The bed town.

そこはベッドタウンであることだけが取り柄のしがない町であった。

しいて特産品を挙げるのならのなら、現代価値基準で言えば圧倒的な勝ち組家庭がモーレツに嵐を呼びがちな国民アニメぐらいである。

私はそんな都心に近いことだけが拠り所のそこで、そのアニメ主人公たちからは1回りぐらい下の家庭に産まれた。

十二分な中流であった。

私を産んだ時に既に母は40を超えていて、父はそこから更に2歳ほど年を取っていた。

両親の性格は今で言えば大人の発達障害、その血をかけあわせて出産適齢期を過ぎた母体から世界に飛び出した私は、当然のように見えざる発達障害を抱えていた。

物心ついた頃、テレビで見た自閉症特集で「自分はこれをギリギリ回避しただけなのだ」と子供心に嫌というほど感じたものだ。

発達障害からくる情緒不安定、また生まれつきの運動音痴リズム感の無さが幼少期の私を苦しめた。

せめて産まれたのが3月でなければ……。

持って産まれた才能と産まれた時期によって本能レベルの優劣を植え付けられた幼稚園時代、思い出せる記憶おゆうぎ会で失敗した結果泣き出して最後には小便を漏らしたことだけだ。

他の記憶はどうでもいいものと辛いものしかないので忘れてしまったが、一番辛い記憶は忘れきることが出来ていない。

小学校に上がってからは、持ち前のコミュニケーション不全と癇癪持ちにより友人を作りかけては次々に失っていった。

ただ、両親が共働き鍵っ子で、ゲーム玩具だけは持っていたため、それを目当てに厚かましい連中によく家を遊び場にされていたことを覚えている。

私にとって人と一緒に遊ぶことは食い物にされることだった。

結局彼らとの間に友情が芽生えることもなく、クラスで班分けがあると決まって彼らは本当の友人たちと群れあい、私は余り物のグループにいた。

同じグループにいる者たちは、今思えば全員が発達障害だったのだろう。

その顔つきは目がつり上がってこそいないが、うっすら自閉の色に染まっている。

スポーツは苦手だった。

ゲーム自分で遊んでも家をたまり場にしている連中よりうまく出来ないことにイライラしがちだった。

私は一人の時間にはよく図鑑を読んでいた。

それで暗記が好きな子供だと勘違いされたのか、学校教師は私に自信をつけさせようとよく電車動物名前を答えさせようとしたが、私は物についた名前に興味はなかった。

科学論理に基づいてどういう事が起きているのかが好きだったのだ。

まり物事概念のもの理屈原理が好きであったのだ。

その理由は結局の所、生まれつき物覚えが悪い自分でも、名前を覚えなくても概念だったら分かるし、テストで出るときも穴埋めの周りにヒントが沢山あるので昔の偉人名前なんかよりはずっと覚えやすいと感じたからだろう。

私の中にただ一つ人より出来ると感じられるものがいつの間にか産まれていた。

そんな私を見て、両親は中学受験を勧めた。

勉強が好きだと思ったのだろう。

それと、小学校友達がいないことも見抜かれていた。

新しい環境で、勉強の好きな同級生と一緒になれば、自閉症じみた我が子にもちゃんとした友達が出来ると信じた両親は、私を塾に通わせることにした。

塾に通うことの条件として私は大嫌いだったスイミングスクール習字教室を辞めることを提案した。

取引は成立した。

それから私は受験勉強をそれなりに頑張り、それなりに手を抜き、結局暗記が得意でないことで躓き、志望校から2段階落ちる滑り止めの私立入学した。

中学受験勉強どころか学校の授業さえ本当に真面目にやっていれば受かれるような学校だったが、親戚や両親は私を賢いと褒めてくれた。

私だけが自分いか努力しておらず、そもそも勉強自体も苦手なのかを思い知らされていた。

そして、同じく受験勉強をする塾の同級生を見ているうちに、自分が得意げにしていた「記憶力が足りない代わりとしての理解力」というも、実際は大したことがないことを嫌というほど分かっていた。

我が子を無事私立へと送り出したと胸を撫で下ろす両親とは裏腹に、私は自分という人間の程度を思い知らされた烙印としてその学校制服へと袖を通した。

つづき https://anond.hatelabo.jp/20211124015201

2021-10-30

はーーーーーーー

子どもも五体満足で一姫二太郎、若干癇癪持ちではあるもの普通学級

何甘えてんだよって言われるかもしれないけど

自分時間が 労力が 気力が 全てが 子どものためだけに吸われていくことに

ある日突然とてつもない恐怖に襲われる

でも多分独身や子無しならそれはそれで悩んでると思うので、

今の生活に後悔はないんだけど、それでももう少し「私」を返して欲しいと叫びそうになる

学校に行ってる&在宅の仕事なので、昼間は時間結構あるはずなのに、使い方が分からなくてフリーズしてるみたいになる

それで毎日焦って夕ご飯の準備して、お迎え行って宿題見て習い事練習させてるうちに口論になってイライラして

帰って来ない旦那にもイライラして

毎日これ

早く独り立ちして欲しい

2021-10-10

職場の先輩にわりとあたりがキツい方がいて、それが最初のうちは平気だったのだがこの前ついになんかもう「あーーーーーー」ってなっちゃってなんだかその後わりとクソみたいな返事と態度を見せてしまって家に帰ってから大人げないことしちまったなと思った。誰にでも無差別ににこにこして穏やかにしてよく働く素敵な大人の私なのにそんなつまらないことでまた癇癪持ちの子どもに戻ってしまって家で恥ずかしいわなんのって布団でうわーんってゴロゴロなった。次の日汚名返上でその先輩に話しかけられるたびに弾けるような笑顔を向けてあえて質問しに行ったわ。不気味がってると嬉しいな。ほんと私負けず嫌いだな。でも私えらいわ。

2021-07-20

Quick Japan』95年3号 「いじめ紀行 第1回ゲスト 小山田圭吾の巻」 3

anond:20210721172902

4月2日

とにかく事務所に乗り込む。

QJ』赤田氏と僕とで、

まずマネージャー岡氏を説得しなければならない。

と思っていたら、「本人来ますよ」

20分後、『夕刊フジ』の地下鉄サリン事件増刊号を小脇にかかえながら、

コーネリアスはいきなり目の前に現れた。

「この対談、読み物としては

絶対面白い物になるだろうし、僕も読むけど、

自分がやるとなると……(苦笑)」

月刊ブラシ』のことは覚えていてくれたものの、

やはり引き気味のコーネリアス

しかし話をしていくうち、

お互いいじめ談義で盛り上がってしまう。

小山田さんは、いじめグループの中でも"アイデア担当"だったらしい。

僕の確信は間違ってなかった。

小山田さんもこういうのが好きなのだ

大体、昔テレビの「私のお気に入り紹介」みたいなやつで、

他の人は好きなパンとか好きな文房具とかを紹介してるのに、

一人だけアメリカ凶悪殺人犯のトレーディング・カード

紹介していたぞ。

小山田さんとのいじめ談義は、

同じ学校の奴とバカ話しているようで、凄く楽しい時間だった。

独り占めするのはもったいないので、僕がシビレた話を掲載しよう。

"いじめられっ子"は二人いた

小山田さんによれば、当時いじめられてた人は二人いた。最初に登場するのが沢田君(仮名)だ。

沢田って奴がいて。こいつはかなりエポックメーキングな男で、

転校してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に。

それはもう、学校中に衝撃が走って(笑)

だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、

もういきなり(言語障害っぽい口調で)『サワダです』とか言ってさ、

『うわ、すごい!』ってなるじゃないですか。

で、転校してきた初日に、ウンコしたんだ。

なんか学校ウンコするとかいうのは小学生にとっては重罪だってのはあるじゃないですか?

で、いきなり初日ウンコするんだけどさ、便所に行く途中にズボンが落ちてるんですよ、何か一個(笑)

そんでそれを辿って行くと、その先にパンツが落ちてるんですよ。

で、最終的に辿って行くと、トイレのドアが開けっ放しで、下半身素っ裸の沢田ウンコしてたんだ(笑)

「だから、何かほら、『ロボコン』でいう『ロボパー』が転校してきたようなもんですよ。(笑)

で、みんなとかやっぱ、そういうの慣れてないから、かなりびっくりするじゃないですか。

で、名前はもう一瞬にして知れ渡って、凄い奴が来たって(笑)ある意味スターですよ。

別に最初はいじめじゃないんだけども、とりあえず興味あるから

まあ色々トライして、話してみたりするんだけども、やっぱ会話とか通じなかったりとかするんですよ。

おまけにこいつは、体がでかいんですよ。

それで癇癪持ちっていうか、凶暴性があって……牛乳瓶とか持ち出してさ、追っかけてきたりとかするんですよ。

で、みんな『怖いな』って。ノロいから逃げるのは楽勝なんだけど、

怒らせるとかなりのパワーを持ってるし、しかもほら、ちょっとおかしいから容赦ないから、

牛乳瓶とかで殴られたりとかめちゃめちゃ痛いじゃないですか、

で、普通の奴とか牛乳瓶でまさか殴れないけど、こいつとか平気でやるのね。

それでまた、それやられると、みんなボコボコにやられるんだけど」

「僕とこいつはクラスは違ったんですけど、小学校五年ぐらいの時に、

クラブが一緒になったんですよ。土曜日に二時間ぐらい。

選択でいろんなクラブ選べるとかいうので、

僕、"太鼓クラブ"とかに入って(笑)、かなり人気のないクラブだったんですよ。

ウチの学校って、音楽時間民族舞踊みたいなやつとか、

サンサ踊り』とか、何かそういう凄い難しい踊りを取り入れてて。

僕、踊り踊るのヤだったの、すごく。

それで踊らなくていいようにするには、太鼓叩くしかなかったの。

クラスで三人とか四人ぐらいしか太鼓叩く奴はいなくて、後は全員、踊らなきゃいけないってやつで。

僕は『踊るのはキツイなー』って思って、『じゃ、太鼓の方がいいや』って。

結構太鼓が好きだったんですよ、僕。

それで太鼓クラブに入ったんですけど、するとなぜか沢田太鼓クラブにいたんですよ(笑)

本格的な付き合いはそれからなんですけど、

太鼓クラブって、もう人数が五人ぐらいしかいないんですよ、学年で。

野球部とかサッカー部とかがやっぱ人気で、そういうのは先生がついて指導とかするんだけど、

太鼓クラブって五人しかいないから、先生とか手が回らないからさ、

『五人で勝手にやってくれ』っていう感じになっちゃって。

それで音楽室の横にある狭い教室に追いやられて、そこで二時間、五人で過ごさなきゃならなかった。

五人でいても、太鼓なんか叩きゃしなくって、ただずっと遊んでるだけなんだけど。

そういう時に五人の中に一人沢田っていうのがいると、やっぱりかなり実験対象なっちゃうんですよね」

段ボール箱とかがあって、そん中に沢田を入れて、

全部グルグルガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、

『おい、沢田大丈夫か?』とか言うと、『ダイジョブ…』とか言ってんの(笑)

そこに黒板消しとかで、『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタやって、

しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、

ヤバいね』『どうしようか』とか言って、『じゃ、ここでガムテープだけ外して、

部屋の側から見ていよう』って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな……?

何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、

『おかあさ〜ん』とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)それでみんな大爆笑とかしたりして」

「本人は楽しんではいないと思うんだけど、でも、そんなに嫌がってなかったんだけど。

ゴロゴロ転がしたりしたら、『ヤメロヨー』とか言ったけど」

next: anond:20210720235857

2021-07-12

毎日セックス甘えさせてくれる40代

年1セックスわがまま癇癪持ち20代

お前らならどっち選ぶ?

俺は毎日セックス甘えさせてくれる20代いるか関係ないけどさ

2021-05-27

おとうさんはやく死ね

はやく死ね

アル中とか癇癪持ちとか家に金入れないとか子供の面倒全部親戚に押し付けたとかばちゃん殴り殺したとか妻と20年近く別居してるのに離婚してないとかそういうのはマジでどうでもええ。

おめえが家を乱暴にきったなく使うから死んでほしいんだ。

容器の口開けずに電子レンジ使うところとか食べ物こぼしたらティッシュでぐちゃぐちゃ拭けばいいと思ってるところとか一人だけスリッパ履いて生活してるところとか家族で使う洋式便所で立って小便するところとか風呂場で水バシャバシャ飛ばすところとか洗濯機制限以上の服突っ込むところとか自室がバカみたいに汚いところとか。

とにかくお前と一緒に暮らしてると家が汚れる。家が嫌いになる。特にトイレトイレいくたび小便アイランド見せられて憂鬱なるわ。死ね

何度か伝えたけど全部無視したよな。自分に都合のいい話だけ耳傾けて他はすべて我関せずですか。

俺が一人暮らし始めたらお前が寄生してる実家からは出てってもらうからな。お前の老後なんぞぜってー見ねえから、裏のまいばすあたりで野垂れ死ね

2021-05-12

坂上忍が論外なのは言うまでもないんだけど、でも蓮舫議員国会答弁は本当に不愉快ではある

https://news.yahoo.co.jp/articles/4ffe1b547d5b7ae8fc6958d47f88edf2d1c2427b

繰り返すが、坂上忍は論外だし、菅さんがひどすぎて比較したら菅さんの方が圧倒的にダメというのは一切否定しない。

そのうえで言いたい。

https://youtu.be/RJpiVyKra4c?t=3328

マジで蓮舫さんの質問の仕方不愉快なんだけど。

あれ誰に向けてアピールしてんの?

なんかアメリカドラマの悪役弁護士がやってるみたいな大仰なアピールすんのやめてほしい。

態度の激しさのわりに、質問の詰め方がぬるい。 

穏やかに、そのうえで菅のボケ爺を刺すような鋭い質問をしてほしい。

菅さん前座である担当人間からツッコミを入れられるようなしょぼいフリップ用意して攻撃がそれてるのを見て雑魚かと思った。

今回は菅さんがひどすぎてさすがに蓮舫さんみたいな態度になるのもすごいわかる。

ただ、普段はもうちょっとおとなしくできへんの?癇癪持ちだった私の母親を思い出してめっちゃ気分悪い


それからはてブよ。

ksaitou 支持者も同罪 自民党 これはひどい 政治

こういうコメントやめーや。お前ら一番足引っ張ってる

2021-04-02

なんで勉強しなくてはいけないのか

などという疑問を抱く時点で後れを取っているのだ。

 自分語りをさせてもらうと、僕は幼稚園の頃から勉強ができたので、親族先生同級生からとてもとてもちやほやされた(客観的に見てどうだったかは知らん)。幼いころから勉強ができることのメリットを感じまくっていたので、勉強価値を疑うということが無かった。勉強ができること、すなわち頭が良いことこそ至上の価値があるという一種信仰を持っていた。刷り込まれていた、と言ってもいい。

それを刷り込んだのは教育に命がけだった母の影響が大きく、情緒不安定なところのある彼女は、普段聖母のような包容力を示すことがある一方で、息子が勉強を疎かにすると神罰を下すのだった。小1の頃、「三角形内角の和は180度なんだね~」と無邪気に告げたところ(褒められると思ってた)、「なんでそんなことも知らなかったの!」と、叱声とともに回し蹴りされたことは今でも根に持っている。

 なんて書くと毒親!と思われそうだけど、普段別に高圧的でもないし話もしっかり聞いてくれるしで良い人だったと思う。ただ本当に情緒不安定というか癇癪持ちだったので、飲食店での喫煙は当たり前だった当時に、隣席の喫煙者に喧嘩売って出禁になった、なんてこともある。突発的に他人喧嘩を吹っ掛けることがままあり、子供としては気が気ではなかった。ただ、その怒りも母が隠していた病気によるものでもあったのだろう。病状が悪化してついに隠せなくなっても「受験が終わるまでは」と病院に行くのを渋り、父に強制連行されてはじめて末期癌だと分かった。母は教育に命がけだったのだと、心から思う。女子大学進学率が20パーセントを切り、女性勉強なんてしなくてもいいと言われていた時代に、母はその風潮を押し切って田舎から上京し、東京理科大学に進学した。両親は小卒、上二人の兄は高卒なので、突然変異様相がある。

 母の話が長くなったが、ともあれ勉強のできる層というものは、そもそも勉強価値には疑問を抱かないものではないだろうか?もちろん面倒になってサボることはあるけれど、それは体に悪いと分かりつつ家系を食べるようなもので、勉強すべきという前提は疑いなくあるのである。疑問を抱く時点で後れを取っているというのはそういう意味だ。(なので僕の持論として、子供には就学前に漢字と九九を叩き込むことで、勉強できることで得られる優越感を早めに覚えさせることが重要)。

そのように当たり前に勉強をしていた層にとっては勉強する意義などそれこそ言うまでもないことだし、逆に意味などないという結論に至ることもまた自然だろう。


 以上を踏まえて、そのうえで「なぜ勉強をしなくてはいけないのか」への答えを考えてみたい。その際に大きく分けて、(1)勉強価値が分からない人(2)勉強価値自体は分かっている人、それぞれに向けた答えを用意すべきだろう。このうち(1)については書いててアホらしくなったので割愛する。一つだけ言うと、知見が広がるとか知らないことが分かるようになるとか人格陶冶されるとかいった答えはビール飲めない人にキレやらコクやら説明するぐらい無意味

2)勉強価値自体は分かっている人向け

 重要なのはそもそもの問い「なんで勉強しないといけないのか」は多義的だということ。

 すなわち(1)「なんで勉強(なんてものを)しないといけないの?」(2)「なんで(こんな)勉強しないといけないの?」の二つ。

(1)なんで勉強(なんてものを)しないといけないの?

 これは勉強のもの存在意義に疑問を呈していることになるのだが、発問者が勉強価値は分かっているという前提を踏まえると、「大切なのはわかってるけど生理的に無理」という状態である。こういう状態ときは発問者に勉強の楽しさに立ち返らせるか、あるいはもう休ませるほかない。

(2)なんで(こんな)勉強しないといけないの?

 この問いに関しては、「こんな」の意味内容によってさらに二つに分けられる。「こんな」が勉強方法を指す場合と、勉強対象を指す場合である

 前者の場合暗記が代表例だろう。暗記にうんざりして勉強が嫌になるというのは一般的だと思う。それに対し僕なりに思うのは、九九を覚えていなくて計算できるか?単語を覚えてなくて文章読めるか?年号覚えてなくて歴史の流れ分かるか?ということ。数学公式なんかがいちばん分かりやすいけど、暗記は発展的応用的な問題に取り組む際の補助ツールなわけで、全部一瞬で足し算出来たり文脈からあるいは語形成から意味を正確に読み解けるような天才でもないなら寧ろ感謝するべき。全く勉強方法というものは凡人でもなんとかついていけるように先人が遺してくれた財産なわけで、そのありがたみをかみしめましょう。

最後後者代表例はよく槍玉にあがる古文漢文。僕は古文漢文大好きなので、純粋に読んでて楽しいとか、一般教養としてとか言いたくもなるけど、まあ不要だと思うならやらなくてもいいんじゃない?友人に古文漢文を一切勉強せず東大行った奴いるし。ただ彼は数学化学河合偏差70超えてるような人間だったけど。ちなみに今になってやっとけばよかったと勉強している。


結局ずば抜けた能力のある人間なら、古文漢文やらなくていいし暗記にも頼らなくていいし、あるいは家柄が凄ければ内閣立法府だと思っているような馬鹿でも総理大臣になれるわけだし、勉強なんてしなくても良いと思うんだけど、家柄が並みで親が資本家でもなくスポーツ芸術の才能も無くずば抜けた頭脳も無い凡人にとって救いになるのは勉強だよねってだけの話だった。

2021-03-22

障害者に責はないけどまわりのせいでって話

別に障害者本人に何かされたわけじゃないけど、周りのせいで被害こうむったって話。

ショッピングモール増田は対一で嫌なことされたからまぁ分かるんだけど(たまたまイカれた客が障害もってたってだけとも言えるけど)

障害者本人には責任ないけど、イカれた保育士イカれた障害者保護者のせいで、障害者にまつわる嫌な思いしたって話。

もうはるか昔の話になるけど、保育園でずっと知的障害持つ子の世話させられてた。

その時はまだ特別学級とか田舎の方ということもあってあんまり普及してなくて、保育園ならなおさら普通に20人にも満たないクラスに、知的障害持つ子がふたりと、たぶん発達障害だろうなって子がひとりいた。

自分は割と発育早くて、身長も大きいし、他の子より聞き分けも良くて、先生から何かと頼りにされることが多かった。

から、その3人の世話を任されること(押し付けられること)が多々あった。

一番重度の知的障害を持つH君は、会話もままならず、顔もなんか変で体も小さくて、周りの人とのコミュニケーションが取れなかった。

から庭遊びの時とか、いつも手を繋がされてふたり放置された。

の子が縄跳びとか竹馬とか追いかけっこしてるとき自分はH君と黙々と砂遊びしたり、園庭をぐるぐる散歩することしか出来なかった。

もう1人の知的障害を持つFちゃんは、癇癪が酷くて、自分のままならない事があると奇声をあげて泣きながら、とにかく周りの人もものも叩きまくった。

工作なんかは他人の倍時間がかかるので、手先の器用だった自分がいつもお手伝いとして投入されていた。この時間があれば、もっと絵を書き込んだり、工作も丁寧に出来るのになと思いながら、たまに癇癪おこされて頭ぶっ叩かれながら卒園までお役目は続いた。

発達障害のN君も癇癪持ちな上、ワガママ暴力的。お昼寝の時間になるとこっちの布団に潜り込み、陰部を触ったり、キスしてきたりとなんかこれはこれで大層ヤバい子だった。

布団を離してくれというと、泣きわめいて先生を蹴るので、「我慢してね」と言われて長らく園児による園児へのセクハラを受けながら過ごした。

自分灰色保育園生活はこんな感じだったけど、いずれも障害者人達には何も責任はないと思う。(むかしは本人達が嫌いでしょうがなかったが)

今思えば、スケープゴート差し出してクラスの安定をはかろうとしていたバカ保育士や、そもそも園に通わせていた保護者がむしろ加害者であると思っている。

でもその時の嫌な思い出が原体験としてはつよすぎて、未だになんか障害者とは関わりたくないんだよね。

どんだけ強いかといえば、あんな子持つぐらいなら子供いらないなと思うぐらい。

時代もあったし、保育士保護者の苦労も鑑みることはできるから、結局誰のせいだったのかとかはもうよく分からない。

ただ、障害者本人には責任ないけど、なんか障害者嫌だなって思うようになってしまったって話。

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