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2023-12-08

6年同棲しとった女が十数年ぶりに夢に出てきた

追記

ブクマですげー怒られててこわい。

もちろん今は隠し事してた俺も悪いって思ってるけど、あそこまでショック受けるとは思わなかったしデマがあっという間に広まって当時は冷静な判断が出来なかったんだよ。

あといくらキモいからって人の顔見て吐き真似してキモがるの本当にやめろマジで。 

【再追記

なんか二回も結婚してる設定にされてるけど一回もしてねえよw

どっちも結婚直前まで関係を深めたけど一人目は仕事が忙しくて全然会えない時期が続いて振られる、二人目はパンデミック最中に反ワクかつ中国大嫌いなネトウヨなっちゃって、色々話し合った結果価値観が合わないねって別れたんだよ。俺は中国台湾アート市場に凄い可能性を感じてるんで。

特に二人目の人は画家やってて俺のビジネスパートナーでもあり、一緒に個展企画開催したり画集出版までしたのにあんなことになって本当に残念だわ。

【再々追記

いや、なんか…久しぶりにいとこの夢見て、昔を思い出して嬉しくなって独り言感覚で走り書きしただけなのに、ここまで多くの人にマジレスさせちゃって本当にすまん。

ただ、だいぶフェイクも入ってるので支離滅裂な内容になってるだろうし、色々誤解を招く内容になってるからしょうがいか

でも中学ときからたびたび女のイジメグループターゲットになってたので、連中のような醜悪な女集団絶対現実存在するとだけは強く言っておきたい。

 

hiruhikoando ずいぶんと親族間の結束が強い親戚だなという感想華僑的な 増田 男女

俺の家系一家揃って韓国系(在日朝鮮)なので日本一般家庭とはたしかに違うかもね。

take-it “詳細を事細かに話した”=彼女にもいとこと同棲してるのを説明したと思われるのに、ブクマカにここまでフルボッコにしてるの、怖い。お前ら、何があったんだっていうか羨ましいのか。マンガみたいな青春

そう、ちゃんといとこの事情とか話して(だいぶ慌ててまくし立てた記憶があるけど)あの冷たい拒絶だから当時18歳の俺にはどうしようもなかったよ。漫画全然わからん喘息持ちの人と一緒に暮らすのを羨ましがる奴がもしいるなら、あの病気の怖さを知らんのだろうなと軽蔑する。

moeshine 元カノ側も「一時期は男という性別自体が嫌いになるくらい拗らせ」ててもおかしくないような話な気が

俺が中退してすぐ後にmixi元彼女日記見たらパイプ煙草咥えてるマッチョ彼氏と付き合ってる報告上げててその後結婚したらしいか幸せだと思うよ。

mirakukira 韓国系なら先に書けよ、キモイと言われるのも納得だわ

こういうの久しぶり。2000年代前半は色んなとこでお前チョンかよって蔑まれたけどもう慣れたわ。

あとsnegってなにってググったら確かにそれっぽい話で俺も笑ったわ。えろげー一切知らんけど。

 

 

 

 

ので色々思い出したので独り言

 

大学一年の冬に俺が二股かけて女を弄んでるっていう根も葉もない噂が学内に流れて、当時付き合ってた子に会いに行ったら、両手を口元に当てて今にも膝から崩れそうな勢いで号泣してて、取り巻きの女二人が俺に向かってアイツキモっと連呼しながら俺を見るなり口元に手を当ててオエッと吐き真似をする始末。

 

マジで

「なにこれ?」

と思って当時同じ大学に通ってて訳アリで同じアパート暮らしてた幼馴染に聞いてみたら「どうやら同学年の連中の殆どがアンタと私が付き合ってると勘違いしてるっぽいぜw」とケラケラ笑いながら言ってきて。

俺は笑い事じゃないんだが?ってガチで心底イラつきながら泣いてる彼女に詳細を事細かに話したんだけど、泣きながら

気持ち悪い」

とか言って一蹴される始末。

 

それ以来、女の

気持ち悪い」

発言と口元に手を当ててショックを受ける仕草ホントマジで無理になったんだけど、これやる奴ガチマジで漏れなく苦しんで死んでほしいしキモいのはお前の方だ馬鹿野郎感情的ストレス耐性低い奴ホント無理。

 

俺が同棲してたのは同い年のいとこの女の子で、彼女喘息持ちでしょっちゅう命の危機に曝されるほどの発作に襲われながらも、大病した旦那に先立たれ太鼓で有名な手かざし系カルトにハマった母親のせいで高校一年から病院に連れて行ってもらえなくなって、その後インフルエンザ後遺症気管支喘息にかかってマジで死にかけたりしてたらしい(喘息って拗らせると本当に死ぬので皆気を付けて)。

その現状を知った俺の両親が高3一学期にいとこを自宅に連れてきて保護入院させ、それ以降、まあ幼馴染だし長期に一緒に暮らすの小学生夏休み以来だなって高校卒業まで姉弟みたいに暮らしてて、最初ガリガリ小学校低学年くらいの体格しかなくて死ぬんじゃないか心配してたけど内心は一人っ子の俺に姉弟が出来たみたいで楽しくて、お互い絵を描くのが好きだったから無事に同じ美術大学に進学して実家を離れルームシェア状態になって以降、学校では殆どさないけど通学路とか電車内では色々家の事とかバイトや買い物のこととかで話すことがあって、その様子が同級生に噂になったらしいけど、浮気だとか二股だとか取られる発想は当時の俺には全く無くて、付き合ってた彼女がそういうデマを信じて泣かれたときマジで頭が真っ白になって未だにトラウマになってる。

付き合い始めた頃に、訳アリで同居人居るから俺の家でデートは難しいかもって何度も言ってたのにさ…。

 

ただ、その一件でスーッと恋愛感情が冷めて、一時期は女という性別自体が嫌いになるくらい拗らせた。

 

で、その件以降同学年の女子殆どに嫌われキモがられて、大学に居づらくなって2年の夏頃に中退し小さな広告代理店就職し、大学に通ういとこと社会人の俺という関係で同居生活は新たな局面を迎えるわけだが、その頃の生活は正直言って楽しかったし、いとこと疑似夫婦みたいな関係性で、結婚生活ってこんな感じなんかなあとボンヤリ思って、ならこれも悪くないな、幸せだなと思ってた。

 

「これ夫婦みたいやね」

 

って時折言うと笑いながら照れ隠しっぽくポカポカと殴る蹴るのプチ暴力を受けるのもなんか良かった。

ただ、幼馴染で照れ臭いし小柄で病弱な幼馴染のいとこを異性として見ることは中々出来なくて、振る舞いも向こうはオラオラ系姉で俺はのんびり系弟だったし、テレビ見てるときに膝に座られたり寒いときハグされてコタツに潜るくらいで限界な感じ。だけど夏場の無防備な薄着の彼女には内心ドキドキしてた。

 

でも、休日意味もなく近所の住宅街公園徘徊してその風景を渋いとかつげ義春っぽいとか寸評して携帯写真撮りながら通りかかった喫茶店飲食店写真披露目会をしつつお腹を満たしたり、ちょっと遠くにある安いスーパーまで駄弁りながら散歩がてら歩いて食料確保したり、真夏の夜に近所のビデオレンタル店に出向いてB級ホラーを始めとするビデオを借りて深夜まで鑑賞会を開いたり、中古CD屋でマニアック洋楽アルバムをディグったり一緒に古本屋で何時間立ち読みしたり。

ある年にいとこがクリスマス新年彼氏と過ごすって二週間ほど外泊してたときちょっと、いや相当寂しかったし嫉妬したっけ。いつもは俺と過ごして大晦日には近所の寺に鐘つきに行ってたのに…。

 

家事一般は、いとこが同居中に2回喘息入院してたし(入院費8万くらい取られてやばかった)よく体調崩してて心配で俺が料理を筆頭に掃除洗濯も色々やってたんだけど、金が無さすぎて給湯器が買えなかった同居一年目の冬のある日、手が霜焼けで痛くて食器洗い苦痛って言ったら黙って洗ってくれたのは未だに覚えてる。

その後コーヒーメーカー炊飯器が滅茶苦茶電気代食うってのに気付いてリサイクルショップでドリッパーと米炊き用の土鍋を買ったら劇的に電気代が安くなって、この世の覇者みたいな気分でお互いやったぜって喜んでた。

んで年明けてからリサイクルショップナショナルの古いレンジビクターテレビデオとメーカー不明コタツ買って、ナショナルレンジは今も俺が使ってるけど、あのテレビで色んな深夜番組やら映画を録画して暇なときに一緒に観たり。

 

長いようで短い6年間、あのときはほんとに楽しかったな。

 

 

忘れもしない、草なぎ剛泥酔全裸前転で世を騒がせたときに、いとこが就職先を見つけて独り立ちするからって、そのお祝いにアパート隣接の枝垂れ桜が咲く公園酒盛りしながら俺が裸になってシンゴーって叫びながらでんぐり返しをして、いとこを爆笑させたことを。

 

んで、いとこはその後良い人と結婚してお子たちにも恵まれたようで、幸せそうな姿を今もSNS確認出来る。

 

一方、俺はと言えば二度結婚に失敗してもう生涯独身でいいよって思う昨今だけど、今思うと俺、いとこのこと好きだったんだろうな。

後悔してもしょうがないけど。

2023-11-03

小学校の好きだったところ

増田出身小学校はいわゆる校庭(グラウンド)とは別に裏庭があった

裏庭には田んぼ、畑、ちょっとした雑木林飼育小屋ちょっとした池、テニスコート1面があった

 

田んぼ…6年生が先生監督下で田植えから収穫までやってた。収穫したお米は他のお米と合わせて学校行事おにぎりにして食べてた。おにぎりを作るのは朝っぱらから集められたPTAの親御さんたちだったので、大人になってから振り返ると楽しかったのと想像し得る親御さんの大変さとでちょっと複雑な気持ちになる

 

畑…4〜6年生が色んな野菜を育てていた。5年生の時はさつまいも栽培して、秋になったら1年生の子グループを作って雑木林落ち葉焼き芋をした。時間内だと全ての芋に火が通らなくて、しっかり焼けた甘い芋はみんな1年生に食べさせて自分たち微妙な芋を頑張って齧った。自分たちの芋は美味しくなかったが、1年生が美味しそうに芋を食べてたので少なくとも増田は充足感を覚えていた。この畑では教頭先生スイカを育てていて、夏になると休み時間に全校児童先生たち皆でこのスイカを食べた。夏の暑い日に外で食べたスイカは甘くて瑞々しくて美味しかった。教頭先生学芸会の時に正体がモロバレしてる謎のヒーローになる楽しい人だった(やればできる!の人みたいな明るさがあった)

 

ちょっとした雑木林…裏庭の端に色んな木が植えられていた。枇杷とか桑とかの果樹も生えていて、実がなったら食べてOKだったので一学期の終わり頃の時期は雑木林が人気スポットだった。この雑木林の向こう側が工事業者敷地だったせいか、捨てられたと思しきトラロープとかホースの切れっ端が転がってることがあった。5年生の時に学年の皆でこの雑木林の隅に生えてた一番大きな木と上記の廃材で秘密基地を作った(担任先生が掛け合ってくれて年度末には片付けることと他学年の子が来ても受け入れることを条件に校長先生許可してもらった)。廃材で作った適当すぎるブランコを勢いよく漕いだ増田は勢い余りすぎてすっ飛んでビターーーン!と地面に自分を叩きつけたことがあるけど今も元気に生きてる

 

飼育小屋うさぎニワトリがいて、4年生が当番制で世話をしていた。ニワトリの卵は当番の子が貰ってOKだった。増田ニワトリの卵を貰った時はさっさとTKGにして食べたのだが、これは増田きょうだいが当番をしていた時に卵を貰ってきたのを勿体ながっていつまでも食べずに残していた結果、いざ食べようと卵を割ったらヒヨコになりかけたやつが出てきた事件から学んだつもりの行動であった

 

ちょっとした池…でかめ金魚と鯉がいた。たまに野生か野良動物に魚がやられてしまうことがあって校務員さんが残念そうにその話をしていたが、小3の増田はその話を聞いた2分後くらいにはセミの抜け殻を集めて池を縁取る石の上に並べたりしていた

 

テニスコートテニスコートではあったが在校中にネットが張られたのを見たことがない。休み時間鬼ごっこ会場か教頭先生スイカ振る舞う会場にしか使われてなかった

 

政令指定都市ベッドタウンな町の公立小学校での思い出

小学校は本当に楽しかった。裏庭も好きだったけど、ちっちゃい丘みたいなのがある校庭も、閲覧席の陽当りがいい図書室も好きだった。卒業式でめちゃくちゃ泣くくらい楽しい学校生活だった

時々思い出して、あの頃はよかったな〜とノスタルジーに浸ってはもう戻れない思い出の世界なのだとちょっぴり寂しくなったりしてる

2023-09-07

anond:20230905205650

妊娠中ってことは産休なるやんけ。

今は貯金してる場合じゃないぞ。

あと小学校いったとき学童の手配今からかんがえとけ

なにしろ小学校一年生の一学期は、一学期間全部、給食すらない午前授業。

2023-07-31

小学校一年生の一学期って算数やらなかったんだろうか。

五十音全部学習するまで原理的に教科書類は読めない建前じゃん?

ほとんどの人が五十音入学時に理解してるんだとしても1人でも理解できない人がいるなら義務教育として全部五十音教える前に算数とか教科書もろに使ったことすると読める人と読めない人とで差がついちゃうじゃん。まあ授業時は極端な話教科書開かなくても理解できる大人で言えば責任者系の免許に近い授業の中身になってるのかもしれないけど、少なくとも自習での復習が無理じゃん

2022-11-23

動物園」みたいな公立校

他所ではそうそう見れないような珍獣が一堂に集ってるから動物園って言うんじゃないのか?

家庭の都合で一学期だけ通った公立中がヤバかった。


家庭科時間だけずっと机を舐める

念仏を唱え続ける奴

・机に耳なし芳一並に何かを書き込んでる奴

・授業中に3階の廊下チャリ爆速するヤンキー集団

・前の席の女子の頭5cm位まで近付いて匂いを嗅ぐ奴


転勤族で転校が多かったけどこれらを一度に見れたのは後にも先にもこの中学しかない

2022-09-22

anond:20220921152032

うーんよくできた釣りのように思えるけどなぁ

妻の親が「いま忙しくて妻を援助できないし妻にも就労意志がない」とはっきりいえばこっちに親権がくるとおもう

あとツイッターid全部スクショとって帰宅したときの家の荒れとかも写真とってヤバいとこを家庭裁判所に出せばいいとおもうな

あと一番効くのはワクチンなどの医者は誰がつれてっていってた?ってあたり

奥さん反ワクならわかりやすいよね

 

不仲だどうだといってもやることやって生まれてんだから

子どものためにも責任とれるようがんばればいいとおもう、「本当の話」ならね

欠席裁判なんだから元増田はいうほど家事できてなかったんじゃないのかね

小学生最初一学期給食がないしその後も低学年の間は15時に家帰って来るけどそこから18とか20時くらいまでの間をどう放置子にすんのって話

 

あ、2chコピペか どうりで話が古い

2022-09-13

仕事で100校近くの中高一貫校を回った私が中学受験について伝えたいこと。

前回の投稿が思わぬ反響を呼んで驚いたので第二弾を書くことにした。

こっちの方がより強く押したい話なのでこれを先に書けばよかったと後悔している。

ちなみに、私は某ベネ○セの社員ではない。申し訳ないがそんなに大手に努めていないので。

ただ、首都圏ほとんどの主要な塾は私自身が子供時代を通じて通ったことがある、

もしくは学生時代社会人を通じてアルバイトまたは正社員どちらかで働いた経験があるとだけ言っておく。

前置きが長くなってしま申し訳ない。本題に入る。

皆さんは、3年ほど4教科通塾して勉強して受験に臨むのがスタンダードな考え方だと思っていないだろうか。

まだまだそれが一般的ではあるのだが、長い目での進学を考えた時に、もっとお得なルートがあるのではないかと私は考えている。

ここからは、私の身近な実例を交え紹介していく。

中高一貫高校受験というルート

知人Aの話。Aは中学受験時、偏差値60後半のクラスに在籍していたが、

第一志望の御三家に落ち、かなりのすべり止めに進学することになってしまった。

学校の成績はほぼトップ⑩をキープしつつ、高校受験のための勉強を続行。

東京で1、2を争う公立高校に塾なしで合格した。

かなりのすべり止めとはいえ自称進学校だったため、中学までの勉強は遅くとも中三一学期までには

全科目終了していたこと、内申点のつけ方が甘い学校だったことが勝因だったようだ。

ちなみに、その子は週二回あるかないかのゆるゆる文化部で、特にクラス委員などもしていなかったが最高評価の内申がついていた。

英語+2科目受験(または英語のみ受験

教え子Bの話。その子中学受験代も抑え、かたくなに2科目受験を貫いた。ちなみに帰国子女ではない。

帰国子女じゃなくても、英語ができれば受かる学校首都圏で140校を優に超えているため、昔よりも受験選択肢が広いのだ。

最近はどの学校も生き残りをかけて英語に力を入れている、もとい、はじめからある程度英語ができる子を獲得するのに力を入れている。

学校の話だが、英語枠で入ってきた子には取り出し授業と称し帰国子女と一緒にネイティブ先生の授業がほぼマンツーマンで受けられるなど、

お客様待遇してくれるところも多い。

プリントいっぱいやる塾(名前は出さない。)等で英検準2くらいを取って筆記をできるようにしておけばかなりコスパいいのではないだろうか。

この方式での受験さらなる利点は、中学で取り出し授業の恩恵を賜り高校都立鞍替え可能ということだ。

英語特待は奨学生になれることも多いので、3年間のみの私立在籍+特待生高校都立大学国立 の流れなら長期的に見てかなりお得だと思う。

私が働いていたところもそうだったのだが、塾はいまだに同調圧力で4科目受験を進めてくるので、なかなか2科目に振り切るのは至難の業

けれど、超難関校に進学するのでは無ければ金銭的にも結構お得な方法なのではないかと思う。

上記ルート検討する人は塾の圧力に負けずに頑張ってほしい。

本当は英語試験に組み入れたいが、難関校がそれをやらないのでなんとなく入れられない学校 は多い。

学校ブランド名を買うために…という人もいるだろうが、私は私立中高一貫偏差値公立に比べかなり流動的で、暴落危険も秘めている

まりあてにならないものだと感じている。実際に、偏差値の高さだけで進学した知り合いCの学校はC在籍中に偏差値が10近く暴落し、

涙を呑んでいた。なんだかんだ、ネームバリュー認知がある都立進学校が生涯にわたって出身高校名を大事にしたい人には安全株だと個人的には思う。

2022-06-21

anond:20220621211716

わし普通に下方婚してた女性だけど

結局男性収入が低い前提で子育て保育園。夜7時)まではなんとかできても

学童がないと小学校一年生の一学期が全部午前授業)でダメになる。

で、そのへんで男性側はあまり収入が低くて親戚の間で肩身が狭いのがいやになって業界日本一会社転職して私と同格の収入を得た。

それプラス完全共稼ぎだと親同居でもなければ子育て思春期以降)がうまくまわらない(高校生までは未成年で、複雑な問題対処できない。性犯罪とか)とか

体調の悪化とか介護かいろいろ問題が出て女性側が正社員雇用で働くのをやめた

今は■があるので自由業という名目お小遣いアルバイトしつつ減らしてアーリーリタイア

翻訳とかもやってた。機械翻訳の精度があがったのでOCRとかお盆特急しかこなくなってやめた)

 

二人とも就職氷河期直前の滑り込みセーフなだけだけどね

2021-07-18

妹への性的虐待加害者の語り合いを見つけた



妹萌え板」という、実の妹への欲情を吐き出す地獄みたいな板がある。

https://itest.bbspink.com/subback/siscon

その中でも、妹への性的虐待を吐き出すこんなスレがある。

妹への懺悔告白するスレ

http://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/siscon/1612264885/

232 名無しさんピンキー[] 2021/03/12(金) 18:06:48.03 ID:p27dulJb

妹のまんこを無理矢理触った時のこれがまんこなんだなって興奮と

触られた妹のショックで悲しそうな顔

あの頃に戻って謝りたい

235 名無しさんピンキー[sage] 2021/03/20(土) 23:24:45.45 ID:???

最初ドラマの真似して寝ている妹にキスする程度だったけど、

パジャマの中に手を入れてまんこに触れたときには一線を越えた感があった

触ってるだけで妹の寝息が乱れていくのに気がついて尚更

そのうち妹にバレて険悪になったけど、親には言えないようだと分かると

躊躇なく毎晩のように悪戯するようになった

いまはお互いその頃のことは話さないけど懺悔で済むレベルじゃないな

241 名無しさんピンキー[] 2021/03/25(木) 07:45:16.18 ID:9UznB7h0

寝てるとこ、パンツずらして弄ったり、ブラつけてないの、をいいことに、乳首吸ってごめんなさい。

250 名無しさんピンキー[sage] 2021/03/30(火) 22:05:04.24 ID:???

妹(16)の風呂を覗き中…

罪悪感があるので懺悔させてください

シャンプーの泡がつたう背中から腰回りが色っぽいです

257 名無しさんピンキー[sage] 2021/04/08(木) 00:20:42.78 ID:???

妹の胸が本格的に大きくなったことに気づく

熟睡してる隙にパジャマの上からこっそり触ってみる

寝ている時に今度は手を入れて生で触ってみる

起きてる時にもふざけ合うフリして服の上から触ってみる

ふざけあうフリして服をたくしあげて脱がす

2人になると後ろからみほぐしてから脱がす

脱がしてからさら乳首つまむ

こんな感じでエスカレートしたこと懺悔しつつ思い出して抜く

279 名無しさんピンキー[] 2021/04/16(金) 13:37:55.53 ID:F4BwsJ1/

妹の着用後のパンツを毎回観賞している

生理の血がついたのとか黄色く汚れてるのとか

288 名無しさんピンキー[] 2021/05/19(水) 22:53:58.18 ID:JEO/PJyp

妹がJCからJKだったとき

親が持ってた春を細かく砕いて夕食に混ぜて

爆睡させてから触ったり舐めたりしてた

春は筋弛緩作用もあるみたいで

寝ながらも抵抗しようとしてたけど力が入らない感じだった

とはいえ、現役の中高生の体を味わえてよかった

298 名無しさんピンキー[sage] 2021/05/28(金) 00:09:53.81 ID:???

妹が小5のとき、寝ると起きないから深夜に親が来る前にパジャマボタン外して胸揉んだり舐めたりとかしてたな

1年近く続けてたから胸が大きくなったけど処女なのに乳首が黒くなってしまって申し訳なかった

299 名無しさんピンキー[sage] 2021/05/29(土) 01:08:30.20 ID:???

俺が中2妹が小5の一学期制服から着替えて部屋から出てきた妹の姿に釘付けになった

白いノースリーブニット身体にピッタリ張り付き膨らみ始めた胸のラインが露わになり頂点の色が変わってるのも見てとれた

俺は我慢できなくなって妹の部屋に面白いマンガいかと入り込み「この生地面白いな」とニットの裾に触れてだんだんと手を中に入れて乳を揉み乳首を嬲った

乳首が明らかに固くなってきたのに興奮して服を脱がせようとしたら我に返った妹に「いやっ」と突き飛ばされた

それから妹は二度とその時の服は着なかったしそれまでの無邪気な振る舞いは影を潜めた

ごめんよ妹よ

性的虐待加害者がこんなにもいる。

懺悔と言いつつ、こいつらは妹に一生の傷を負わせた、人生破壊したなんて考えちゃいない。ただの「エッチな思い出」としか思ってない。吐き気がする。

性的好奇心支配欲が強い男児にとって、妹は「好きに支配できる身近な女体」なんだろうな…

先々週にツイッターで人を募って妹を昏睡させて犯したなんて投稿もある。逮捕してほしい。

2021-04-09

新学年、新学期

長女は小学四年生に進級し、次女は新一年生になった。長女が次女の手を引き、とことこ歩いていく後ろ姿に、ちょっと感動しちゃったぜ!

それはいいけど、長女のクラス担任が、この春大学卒業したての女性教師で、昨日の初授業ですでに、クラス男子達の雑談が止まず、勉強どころじゃなかったという話を長女から聞かされ、二年前の悪夢が甦って頭痛い。

二年前、長女の担任妊娠後期女性教師で、一学期の半分までいかずに産休に入った。そして、その後を引き継いだのが担任を持つのが初めての新卒男性教師だった。

という流れが、教師スペックとか置いといてまず第一クラス生徒の保護者達の反感を買ってしまい、何かの行事保護者同士で顔を合わせれば先生への悪口大会になった。

酷いことに、妊娠中の先生がすぐ側を歩いているのに聞こえよがしに「こんな半端な時期に妊娠して担任を持つなんて非常識」と大声で言う人もいた。

妊娠中の担任は、5月遠足にはもう臨月に入る頃だったので、遠足の引率はしないことになっていたのに、一部の保護者達が結託して抗議したせいで、結局補助の先生付きで引率することになった。しかも、今度は補助がついたことも気に入らないと言い出す保護者も出る始末。

そんなこんなで、遠足が終わってほどなくして、新卒男性教師担任が引き継がれた。すると、担任若いであることが気に入らない、見た目や態度もひ弱そうで気持ち悪いし頼りない、など、まだ何もやらかしていないうちから敵意剥き出しに臨んだ保護者達だった。

初めての担任完璧クラス運営保護者対応完璧にこなすということは当然できず、なんやかんや色々トラブルは起きたけど、そこまで気にするか?ってほどの細々としたものばかりだったが、クラスLINEグループに入ってない私にまでも、「今日の何時から校長に直談判しに行くからなるべく参加するように」とかネガティブなお誘いがしばしばメールで届いていた。

しかしまあ、なんだかんだ子供達は担任小馬鹿にしつつも懐いていたし、すごく悪い事件が起きる訳でもなく、三学期になった。

最後保護者会でも、担任は何やら一組の夫婦からギャアギャア叱責されていたけど、何故なのかは私は知らない。担任学校を辞めた。

そんなことがあったので、今年もまた電話メールで今から学校に抗議に行くから出て来いと言われんのかなと思うと憂鬱になる。私、夕方から仕事なんだよ!と、毎回断ってるのだが、その度ごとに他の保護者との間の壁の厚みが増していってるのを感じる。習い事アシスタント当番で長女の同級生の親達と会うけど、昔のように話してもらえない。地味つら。

2020-09-29

英語勉強してる意味

自分専用のSwitchをようやく手に入れられたので、本体言語設定を英語にして使っている。

英語は正直得意じゃない。でも、なんとなく勉強し続けている。

中学の時の英語は”This is a pen."で始まって、

中1の一学期中間からいきなり赤点を取り、そこからずっと高3まで30点を超えることは一度もなかった。

先生放課後に開いてくれた特別補習も必死に受けたし、定期テストの時はどの科目よりも時間をかけていた。

でも、良くて30点。

他の教科はそこそこ出来ていただけに、どうしても英語が出来ないのがつらくて、ずっと泣きながら勉強していた。

これで私大とは言え、大学合格できたのが未だに不思議だ。

そして、大学に入ってから英語は、

アメリカ小学校1年生の教科書を使った授業と、

著名人インタビュー集を使った授業だった。

”an apple" ”apples"

最初のページはリンゴの絵とこの2語が書かれているだけだった。

でも、私は「自分はこの英語がやりたかったんだ!」と、この時に初めて理解した。

当時は分からなかったけど、後になって考えると、

英語は使える!」と自分理解したのだと思う。

中学の時留学生が来たのだけど、英語先生のが英語相手に通じなかったし、

英語を使う中学生の言葉先生理解できなかった。

大人になってからなら、英語だって方言あるよね。と、先生擁護もできるけど、

あの時自分は「この英語勉強しても、ああなのか。意味がない」と、無意識学校英語を切り捨ててしまったのだろう。

それが大学の”an apple" でひっくり返った。

インタビュー記事も、授業に関係ないところまで頑張って読んだ。

当然、基礎が全くできていないので、誰よりも時間がかかったけど、それでも初めて英語楽しいと思った。

そこからは独学でちまちまと絵本児童書を読んだりしている。

就職して結婚して子供が出来て。

子供英会話やってみたい!というのに合わせて、英検も受け始めた。

5級から始めて、今準2級。

2級は会話がネックすぎて今は難しそうだけど、カメの歩みでも20年以上やればここまで至れるだという実感もある。

そしてSwitch英語

あつ森留学リングフィット留学である

ぶっちゃけストーリーが進まない。でも楽しい

準2級とはいえ、初歩的な単語が未だにちゃんとわかっていない。

そして、文法もわかっていないので、単語意味は全部わかるのに、つながると何を言ってるのか全く分からん!という、愉快な事態によく陥る。

スクショを山ほど撮って、暇なときノートに写し、スマホ単語検索して「なるほどねー」なんて言っていると、

子供が「そこまでして英語って勉強したいの?好きなの?」って聞いてきた。

好きではないのかもしれない。だって、好きだったらとっくに自分英語の文とか組み立てて話せるようになってる気がする。

そこまでではない。

でも、あつ森とリングフィット英語でやってみたいと思った。

あつ森のフータさんは、英語版の方が卑屈なところがなくて好き。

リングフィットはよく見かける、”Take it away,Tipp!”

の、Tippがどうしてもわからず悩んで、ミブリさんの英語名と知って崩れ落ちるとか、

自分物理で動いているせいで、台詞スクショできなくて悶えるとか、そんなのが多い。

んで、今は何回もノート見直しいるから無理やり訳しているけど、本来は訳す必要はないんだろうなぁと、

ゲーム留学をして感じている。

脳内で訳さずに意味が分かったら、とても楽しそうだし、テンポ良くゲームが進むんだろうな。

そして、あつ森の英語があらかたわかるようになったら、他の英語ゲームもやってみたい。

でも、あつ森は言い回しが難しい!

たった1行の文に15分以上悩むとかざらすぎる。

リングフィットは、言い回しはまだわかりやすいけど、日本語ダジャレ攻勢に慣れ過ぎて、

もしかして英語ダジャレが隠されているのか?と、変な悩み方をするのと筋肉まみれなので、

他のゲームをするときの礎にはなりにくいかなぁと、勝手に思ってる。

うん、ここまで書いていて思ったけど、子供に対するアンサーは、

英語楽しいよ!難しいけど!!」かな。

いいんだ。人生80年くらいあるなら、あと30年近くは出来るんだ。

体が弱って動けなくなったくらいに、英語古典が読めるようになってたら嬉しいな。

2020-08-07

こんなになるはずじゃなかった、高3の夏

気持ちを整理するために書きます

 ・

 ・

 ・

僕は高校3年生(男)だ。

今日も、昨日も、一昨日も、ここのところずっと、自発的勉強ほとんどしていない。

代わりに、大量のネット上の記事ブログ無料音楽漫画ヤフコメはてなブックマーク増田摂取してはひり出し、少し休んで親のいる時だけ勉強のふりをし、摂取してはひり出ししてどうにか生きている。何の知識も身につかず、自分関係ない人や物を消費していく毎日。正直、虚無感しかない。

僕は普通に大学受験をするつもりで、今のところ京大理系学部を目指している(という事になっている)。しかし、現在体たらくを続ければ、京大どころかどの大学にも落ちるレベルだ。自分の現状とその先にある未来は見えているが、理想との間にある暗い穴から僕は顔を背けている。その逃避の一環としてネットサーフィンがあり、というか増田に書いている時点でこの行為もまた逃避だろう。

起きて朝飯を食べて親が仕事に出かけたらソファーChromeを開いてネットを漁りオナニーして親が帰ってきたら夜飯を食べて寝る日々。こんな状態を望んでいない自分ネットを見る以外に何もしたくない自分綱引きをしていて、多少の誤差はあれど後者が常に勝っている状態現実からの逃避。

どうしてこうなったのか、時間を遡ってみる。

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僕が中学受験の末に今いる男子校に入ったのはだいたい6年前だった。(本命には落ちたが)東京男子御三家の一つに入れたのは嬉しく、自分の中では今でもある種の成功体験的な地位を占めている。

それから5年間やりたい放題好きに過ごしてきたのだが、特に高校生になってから、学年が上がるにつれ同級生大学受験意識する様子が目立ってきた。

高2の後半になると、東大合格を至上とし進学校の生徒のみが入れる中規模のカルト的人気を誇る塾に学年の1/4以上が入塾し、授業を聞かずに塾のテキスト自習する奴の割合も増え、英単語帳やら青チャやら重問がクラスに溢れるようになった。つまりみんな勉強を始めていた。

ここら辺から勉強していない自分と、みんな勉強しててヤバい俺も勉強しなきゃという規範齟齬が生じてきて、その齟齬を上手く埋めることができず、長じて今の状態に至るのかなあと推測したりもする。でもこの頃はその規範通り、効率が悪いにせよちゃん勉強していた。

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そうしているうちにコロナ流行りだし、安倍(どう表記するのが適当かわからない)によって休校宣言が出された。3/1くらいか

学校休校になっても、春休みが終わるまでは塾の春期講習に行ったりで勉強モチベはわりあい高く保てていた。実際に一日6~9時間くらいは勉強していたと思う。

しかし、そこからが辛かった。学校では友人と愚痴を言い合ったり馬鹿話をしたりバトミントンをしたりして、ある程度勉強ストレスが和らげられたと思うのだが、コロナの巣籠もり下では誰も話し相手がいない。

日中誰とも喋れず家で勉強をするのは、精神衛生上かなりキツかった。ちょくちょく友人とはLINEしたり電話したりしていたが、それも焼け石に水だった。

学校Google Classroomを使い始め、zoom配信動画を見ることで出席をつける形式になり、ここを先途とばかりに大量の数学演習やら長文読解やら共通テスト対策問題やらの課題を出すようになったのもキツかった。

ネット上の課題は対面で「この課題、やっとけよ~」と言われるよりも課題やらなきゃという義務感が生じにくく、タブを一つ消すだけで存在ごと消えてしまうため、期限を忘れた課題が大量に溜まり、その多さを見てやる気がなくなるという悪循環が際限なく生じてしまった。

更に、zoomGoogleClassroomを使うためにパソコンスマホを手に取る機会が増えた。それは僕の場合ネットを開きはてブ増田やアルなどの他のサイトを見る機会の増加に繋がってしまった。

こうなるともう爆発の一歩手前だった。ただし、それでも5月の初めまでは自制してなんとか勉強できていた。

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5月6日から8日の間、僕は虚無の中にいた。勉強ブッチし、カーテンを閉めて照明を一つだけ灯した薄暗い部屋の中パソコンでひたすらソク読みはてブ増田とpornhubを巡回していた三日間。それまでも週一くらいで勉強サボる日はあったが、三日連続でのそれは初めてだった。仕事をしていて日中家にいない親には特にバレず、小言を言われることもなく、要するに僕は手軽に快楽に浸って現実逃避する道を知ってしまった。

この三日間がぶち抜いた綻びから生活が徐々に崩れてきた感覚がある。

最初勉強をしないことに対する罪悪感もあったが、ネットに頭を占領されていくにつれて、頭の奥が靄がかかったようにぼんやりとしてきて物事を深く考えるのが辛くなり、そういった感情も段々と消えていった。

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6月になってリアルの登校が始まったが、コロナ前の登校に比べて頻度も授業のコマ数も内容も悪い方向に変化してしまったので、状況は大きく変わらなかった。

かに久しぶりにする生身の友人との会話は話すネタも尽きずめちゃんこ楽しかったし、3時間くらいしかない授業が終わった後は勉強モチベも高まった。

しかし、長期の家籠りで重度の出不精コミュニケーション不精と化していた僕にとっては、登校日は楽しいであると同時に疲れる日でもあり、その疲れと怠さはだいたい翌日以降も続き、勉強のやる気を阻害した。

登校日は月に数えるほどしかなかったので、リアル登校の再開によって逆に僕は勉強ができなくなっていた。

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6月後半~7月に入ると、本当に幸運なことに、友人の一人が学校のない日に一緒に勉強しようと誘ってくれるようになった。彼は通っていた中規模塾の自習室がコロナのため空かず、かといって家で勉強はできないから一緒に外でやろう、そしたらお互い良いんじゃね?とLINEしてきた。これは絶好のチャンスと思った僕はホイホイ乗っかり、感染防止対策を取った上で一緒に自習する日々が続いた。

友人と一緒にいるときは(体面を良くしたいというのもあって)だいたい6時間くらいは集中して勉強できた。そんなこんなで最初順風満帆だと思っていたのだが、段々と状況は悪化してきた。

7月2日のことだった。前日の7月1日もその友人と勉強していて、明日も午後から勉強しようぜ!と話していた。しかし、2日の朝起きると体がだるく、親が出て行った後に心の中で言い訳をしながらソファーに寝転んで午前中いっぱいスマホブログやら何やらを見てしまった。

当然ずっと寝ていると体が重く、長時間ネットを見たとき特有の頭がぼうっとする感じにもやられ、僕の頭はどこからともなく湧いてきた「今日だるいから外出は無理だな・・・」という考えに完全に支配された。まあ、事前に連絡をしておけば別に一日くらい行けない日があっても問題はないだろう。

・・・・・・問題なのは、僕が友人に夜8時まで連絡しなかったことだった。早めに「すまん。ちょっと今日は無理そうだ・・・」とLINEしておけば良かったのに、僕は夜までそれを意図的にサボってしまった。連絡しなければいけないことはわかってる、連絡せねば、という思いは強くあるのに、なぜかLINEを開いて連絡するのがひどく億劫で、僕はそれよりもソファーで丸まって現実逃避することを選んだ。

罪悪感はすごかったが、一方でなぜか「ああ、こんなもんなのか」と思っている自分もいた。

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そこから堕落は早かった。いや、その前から堕落していたのかもしれないが、もうよくわからない。友人との勉強約束は3回に1回くらいすっぽかすようになり、昼飯でも奢ってちゃんと謝ろう、と決意した頃には友人の塾の自習室が解放され、結局うやむやなまま僕と彼の勉強は終わってしまった。学校が再開したらきちんと謝りたい。

その他、自分やらかしたことを列挙してみる。

学校の登校日を2回サボる

学校課題を大量にやり残し、入学してから初めてある科目の学期成績で白点をとる

▼塾の一学期通常授業の最終講をサボる

▼塾の夏期講習(5日間)のうち3日サボる

▼親と交わした「勉強する」という約束を守らない

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こうやって家に籠って自堕落生活をある程度の期間続けていると、だんだん自分思考言い訳の仕方がわかってくる。僕の場合、「○○からやるぞ症候群」が顕著に表れた。

今日はだらけていてもしょうがないが、明日から毎日10時間勉強するぞ。そしたら受験にも間に合う。・・・から、今スマホを見てもいいんだよ」

みたいな感じだ。○○には「明日」が入ったり、「6月」とか「7月」、はては「15時」が入ったりする。

言うまでもなくこれは未来責任押し付け現実から逃避するだけで、実際に実行できるなら良いが、実行できないのなら全く意味がない。

僕は、ほとんど実行できなかった。5月には「6月からちゃん勉強する」と言い、6月には「だらけすぎた。7月からマジでやるぞ」と言い、7月には「たるんでる。8月から毎日10時間やろう」と言った。

8月7日の今も、勉強は全くしていない。

あとは、ネット断ち・スマホ断ち・ゲーム断ちも考えたが、これもほとんど続かなかった。昨年12月アンインストールしたみんはやはついこないだインストールしてしまった(またアンインストールした)し、同じく12月に押し入れに封印した3DS今日開けてしまった。マリオテニス楽しい~~~~~~~~~~~~~~~

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こんな感じで酷い暮らしをここ3ヶ月くらい送っています。高3の夏をこんな風に過ごすとは去年には考えもしなかった。こうなった要因の一つは間違いなくコロナがあって、確かに休校がなく毎日登校していたら精神もっと健全勉強ももっとできていただろう。でも、どんどん堕落の坂を転げ落ちていったのは間違いなく自分の弱い性格のせいだと思うので、あんまり環境のせいにしないようにしたい。

他にも気が滅入るようなことは沢山あって、けん玉のこととか昭和42年まれ司法浪人さんのこととかオナニーのこととか書きたいことも色々あるんだけど、疲れたのでここらで止めておきます

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よくわかんねえものを垂れ流してしまってすみません。やや自分気持ちの整理ができた気はします。「勉強しなきゃな」と。何だかんだ自分はやればできるという妙な自信はあるので、それを現実にすべく明日からコツコツと勉強を始めたいです。要するにこれも「○○からやるぞ症候群」の一種ですが、劇的な物を望みすぎると失敗するということは身に染みたので、あんまり負荷をかけないように少しづつ少しづ

やっていきたいです。どれだけの人に読まれるかわかりませんが、もう投稿したら入試終了まで見ないことにするのでブコメトラバも返せません。入試が終わったら(たぶん3月下旬)結果を書くかもしれないです。

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これ時間が経って読み返したら自意識まみれでバイアスかかりまくりで恥ずかしくなるやつだろうな。まあいいや。

頑張りますさようなら

2020-06-14

anond:20200614155057

という理由で、自分が通った高校では数学で履修してから物理に導入するという順番に組み替えられてました。そのためにも1、2年は数学の授業を多く詰め込んで2年終了時には数学の履修は終わってたと思います(物理は3年の一学期までやってた)。自分の通ってた高校独自にやってたのかどうかは知らないですが、やってやれないことはないかと。

2020-04-05

コロナ休校しない私立中学で、良かった

の子が、明日私立中学の入学式だ。

なんとか中学受験で潜り込めた学校だが、私立合格できて、本当に良かった。

都立に倣って、公立の小中学校は「授業をGWまで休校」らしい。

このペースだと、GWはおろか、一学期の授業再開は絶望だろう。

それもこれも、公立には「子供の命ガー」というゼロリスク厨なモンペが、学校再開に猛反対してるからだ。所謂ノイジーマイノリティ

NHK世論調査では学校再開派の保護者の方が多数派なのに、そういう保護者サイレントマジョリティなので、そういう声は学校関係者には届かない。

結局「安全サイド」の判断になり、学校休校してしまう。

疫学エビデンスだと、中学生くらいの学齢って、一番コロナの致死率が低い世代だ。

致死率がゼロとは言わないが、交通事故の致死率よりも低いだろう。

子供達の命の為に、休校を!」と叫ぶ連中は、「交通事故が怖いから、通学しさせないで!」と同時に主張しないと整合取れない。

私立保護者には、そういうエビデンス無視した感情論を持ち出すモンペは、殆ど存在しない。仮に存在してても、学校側が正しく対処してくれる。

から明日から授業を行ってくれる。

自分子供受験について、「無理して私立に行かせなくても、、」とも思ってたが、このコロナ局面で、「私立中学が、子供教育権の確保には、最善」と思い知った。

恐らく来年中学入試では、「ちゃんと授業を行ってくれる」私立中学の人気がうなぎ登りなんじゃないか

ありがとう私立中学。

2019-12-24

anond:20191223162908

小4の一学期最初の日

担任は新しく来た教員

始業式と新任式を終えホームルームも終え

最後に「起立!礼!」っやるとき

前の席の子が立ち上がったら机の上に置いてあった手提げ鞄を落とした

それを拾って椅子に載せといて姿勢を戻したら目の前に担任がいた

突然無言で殴られた

殴ったあとで「ふざけるんじゃない!」とかすごい形相で怒鳴りつけられた

初日から本性が見えた

その時の自分だけではなく1年間ほぼ毎日誰かが的になって暴力を受けた

2019-12-21

私がジャンプっていうかドラゴンボール嫌いな理由

小学校の頃、病弱で家で一学期ずっとねてるときに夢でヤジロベーに「かめはめはだー」と言われてやったけど全然出てこなくて「そりゃそうだな、まんがだもん」って思ったら起きたときくそがって思った。

2019-11-06

ありがとうペルソナ5ザ・ロイヤル

また、心を盗まれた。

言うまでもなく、ペルソナ5THE ROYALのことだ。

発売日が決定してすぐに有給を取得し、万全の体制で臨み、5連休が終わる直前にクリアした。(クリアできたのは八十稲羽の大神の力による所が大きかった)

まりにも、あまりにも素晴らしかったので、2周目に突入する前に、作中の「怪盗信者である三島のように、テキストエディタを立ち上げ、「僕らの光」を何度も流しながら、支離滅裂キモいテキストを書き散らしている

ペルソナシリーズ存在名前だけは知っていたが、普段ゲームなぞ殆どしない自分は、2016年の秋、8年ぶりに同シリーズの最新ナンバリングタイトルが出るという素晴らしいニュースがあったことすら露知らず、どうしてもやりたかったうたわれるもの二人の白皇の為に、PS4を購入して(こちらも言うまでもないほどのADVの大傑作だ)プレイし、Suaraが歌う、ボーカル付のシーンで涙を流していた。

それ以外やりたいソフトも無く、当時大学生で暇を持て余していた自分は、近場の家電量販店に行き、たまたま見つけた赤と黒ソフトを手に取っていた。

それがペルソナ5との、ひいてはペルソナシリーズ出会いだった。その世界にあまりにハマってしまったせいで、ペルソナ5通算500時間ほどプレイした。そしてペルソナ3で命の答えにたどり着き、ペルソナ4ザ・ゴールデンで霧を晴らし真実を見つけ出した。それでも飽き足らず(無印と2はまだやっていないにわかにではあるが)アニメを見て映画を見て、アリーナで闘い、ダンスを踊った。

ペルソナ5現実世界認知世界(というもう一つの現実との)と東京という「現実」にある世界の3要素が絶妙リンクしていて、ある意味残酷とすら思えるほどの没入感を与えることに成功している。

教室自分の目の前に座っている杏、竜司とともに食べた荻窪ラーメン、真と共に闘ったパレス双葉と共に食べたカレー、春と飲んだコーヒー…一緒に眠ったモルガナ…「痛み」を共有した仲間たちとの楽しくどこかくすぐったいような日々だけではない。無気力大衆、どこにでもいそうなパレスの主たちまで、確かに存在する。

そして、プレイを終えたあと、自分は確かに怪盗団であったこと、しかしこの世界には怪盗団がいないということを実感せずにはいられない。

ペルソナ5物語は、当事者になってしまった鴨志田事件から、真加入の前半は勧善懲悪的な物語であり、中盤は、大衆の期待に煽られていき、「人一倍許せないこと」があり、それを貫いていく、という怪盗団のポリシーがブレはじめ、絶頂凋落を味わう。

終盤はその大衆集合的無意識を切り口として、人々の世界のどこにでもありふれている閉塞と怠惰の中で、それでも人間には前進していく・立ち向かっていく意志希望があり、(矛盾しているが)それらを自ら選択していくエンドである

人間希望を集めて作られた」モルガナが「人間には、世界を変える力がある。今はそれをほんの少し忘れてしまっているだけ」という台詞であらわされるように、作中には「意志選択」がありふれている。

その最たるものとして、主人公獅童事件証言者として、警察に出頭し、少年院に入ってしまうことになるわけだが、「痛み」を共有した仲間たちが主人公冤罪証明する。

作品の答えが、そして作品テーマであった「真なる更生」が果たされる。彼らの「意志」はわれわれの現実にも還元され、ありふれた怠惰と閉塞の世界で、「ほんの少し」忘れていた希望意思を思い出す。

さて、ペルソナ5 THE ROYALでは、そんな「意志選択」の物語であったペルソナ5から、今回の「ROYAL」な3学期では、異なるシチュエーションで「意志選択」の物語が繰り広げられることになる

パーフェクトであった物語に、一学期から当然のように追加される新しい登場人物たち。

言うまでもなく、芳澤すみれと丸喜拓人のことだ。ネタバレになってしまうが、二人には共通点がある、「大切な人」を失ったという「痛み」を持っている点だ。丸喜拓人恋人を、芳澤すみれは、姉であった「芳澤かすみ」と自分自身「芳澤すみれである。丸喜は恋人であった留美家族が殺されたショックで、留美廃人になる。

芳澤すみれは、世界を獲ると共に誓った姉を、自らの不注意で事故に遭わせてしまい、失う。

丸喜は「彼女を救いたい」という「願い」をもって、ペルソナ覚醒させ、留美を救った代償に、留美は丸喜のことを忘れる。

すみれは「かすみになりたい」という「願い」を持ち、それを丸喜が認知を「曲解」させることで、すみれ自身を「かすみ」と認識して生きていく。その代償にすみれすみれ自身を失う。

3学期に解禁されるすみれコープにおいて、芳澤すみれは「かすみ」のように凛々とした少女ではなく、いつも姉の背中を追いかけている内気な少女として描かれる。

かすみの影から自ら脱却し自分意志で歩み始める。彼女コープで、下していた髪を再度括るシーンは、かすみの持っていた強い目が、すみれの中に宿っていた。

すみれの強さと脆さ、そして主人公や丸喜にすがってしまう点は「怪盗団」の女性にはない、どこかギャルゲーチックなトラウマの向き合い方で大変好みだっただけに、もう少し長く仲間として使いたかったという本音もある。

話しを怪盗団に戻そう。怪盗団が無意識にも願っていた願いが叶えられた世界。「幸福幻想」の中にいる怪盗団は、自分たちが「現実にいない」ということにすら気が付かない。彼らが無意識にも願っていた願いが変えられた世界モルガナは人間になり、竜司は陸上を続け、杏は志穂と共に過ごす。真や春には父がいて、双葉には母もいる。かすみかすみとして、凛々とそこにいる。ただ、主人公だけであるジョーカーは違うかのように描かれる。現実が、現実ではない感覚。彼は同じようにここが現実ではないと気がついていた明智、そしてパレスを見つけていた芳澤と協力して、元の世界へ戻ろうと調査を始める。

パレス発見したのち、戦力を増やすめにもまず、ジョーカーは一人一人一味を説得していくわけだが、改めてジョーカー精神的な意志の強さには驚嘆する。彼は問いかける「これで本当に幸せか?」自ら痛みを乗り越え、選ばなければ意味がなかったんじゃないのか?

仲間たちは気がつく。竜司の言葉でいうなら「あいつの言葉が正しいと思ったからなのかも」

その瞬間、幻想は打ち砕かれる。

丸喜は「みんなが幸せに暮らす」世界を作りだすことによって全てを救おうとする。そのことに気がついた時、怪盗団は今まで考えていなかった、改心することの是非を問われる。という問いにぶつかる。しかし!目を覚ました怪盗団の答えは自明である。「幸福」よりも「意志選択」を尊ぶのだ。例え、その現実幸福ものでなかったとしても。

丸喜は叫ぶ「僕は君たちも救いたいんだ」そして、共闘している明智という存在が「ジョーカーがもう一度闘いたい」という願いに丸喜が応えたことによって生まれ存在だということを明す。そして、明智は自らの存在のことを知りながらも、主人公に、自らの「意志」を貫くよう勧める。明智らしい、突き放すような言い方で。

その時、私はそうか、と少し嬉しくと思う。ジョーカーにも、きちんと願いがあり、後悔があったのかと。あまりにも強靭精神を持っているので忘れていた。私ははじめてジョーカーが真なる意味で「我々の仮面」になったような実感を得た。

そこから先はもう言うまでもなく、「歪んだ善意」と「まっすぐな意志」との対決である本来怪盗団に改心することの是非や葛藤など必要ではない。大義名分を気にしてるようでは怪盗団なんかやってないからだ。確かに今回の丸喜は根っから悪人ではないし、どこか衛宮士郎彷彿とさせるような一種正義の味方だと思う。それでも、怪盗団にとっては悪人なのだ自分の力でまだ見ぬ未来を切り開いていく障害になるものは。

ラストバトルで、ジョーカー仮面を外し、丸喜といかにも陰キャな殴り合いを行う。少し狙いすぎるきらいはあるが、その青臭さと眩しさを再度確認できただけでも、ペルソナ5THE ROYALは最高の物語であったと私は言える。

エンディングムービにおいて、丸喜はタクシー運転手として主人公を駅まで載せていくシーンがあり「大人になってから失敗しても、もう一度やり直せる。それが僕の復讐かな」(大意)丸喜も見事に未来をつかむことが出来たのだと思い、うれしくなる。

見送りの際にかすみが現れないのも、怪盗団の見送りがやけにあっさりしている所も、自らの「意志」によって、自分だけの道を歩みはじめたことの証左だろう。新幹線ホームで、「前を向いて歩けよ」という声がする。前を向くと、強い目をした「すみれ」がいる。「それでは」という挨拶だけを交わして、二人はすれ違っていく。前を向いて進む、だが、二人は同じ方向を向いていない。なんと素晴らしい別れ方だろうか。

かすみと、怪盗団と、もう一度会いたいと思わずにいられない。もう一度、ありふれた閉塞と怠惰から未来を切り開くために。そして別れをする為に。その為に何度もペルソナ5THE ROYALを周回し、そのたびに、自分自身の心の中に怪盗団があることを確認するだろう。

最後アトラスには、最高の女である芳澤かすみファントムストライカーズの参戦を、大変期待している。

2019-10-07

悔しい。

日曜日お仕事から帰宅後のお話

40代夫婦中学校2年生(都内私立男子校 中高一貫。本人が希望して入学したが、少し勉強についていくのに苦労している)の3人暮らし我が家

夕食の席で、中学校2年の息子が「学校のことで話をしたい」と言い始めた。

そして、家族会議をすることに。

議題は、彼の「学校でのこと」について。

俺に似て、ナードな息子は「運動部の奴らにイジられていて辛い」と話し始めた。

中学2年にしては、かなり小柄でちょっと太めの彼。

運動部に入っていたが、同年代の子に「辞めちゃえばいいのに」と繰り返し言われて辞めたという経験がある。

俺は運動部が憎い。

自分中学生の時も、サッカー部野球部の連中は我々のようなスクールカーストの低い人達を虐げていた。

偏見なのは100も承知だ)

坊主憎けりゃナントカだとは分かっていても、本当に気に入らない。

彼は、俺からみても、ややADD傾向。

本人の希望で、スクールカウンセラーにも相談に行っている。

カウンセリングの内容は当然だが、親も知らない。

息子は「話せる人がいるのはありがたい」と話している。

この年代で、親に話せないことがあるのは当然なので、援助希求能力を上げるためにもとても大事だと思っている。

ところで、我が家では、家族会議ときには、いつも俺が議事録をつくる。

Macメモをとりながら、Apple TV経由でリビングモニターに映しながら、問題を外在化しようと試みるのだ。

そこで、ある程度のフェイクを入れながら、下記に転記する。

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参加メンバー:息子、妻(母親)、父(父親

*息子より問題提起

学校でのことを相談したい」

「授業中など勉強しているときに、運動部でイケている感じの奴らに後ろからちょっかいを出されたりする」

進学校からか、勉強運動もできるやつは威張っている。とくに背の小さいやつをイジってくる」

家庭科の授業中に後ろから糸くずを置かれた。遠くで笑われたりする」

ちょっと気分が悪い。それが辛い。」

「体育の時間にいろいろ言われるのが辛い。たとえば、「邪魔」「動けよ」「ちゃんとやれよ」「デブ」ということを言われて、大変だと思っている。」

「いろいろ試してみた。キチンと嫌だと言ったり、おちゃらけてみたり、ちょっとキレ気味にいったり。でも、どんな風にしても馬鹿にされる」

「次回の(スクールカウンセリングで(このことを)聞こうかな、と思っている。」

>妻「Sくん(彼の仲の良い友人。自分と同じようにイジられている立場だ、とのこと)も同じような感じ?」

息子「Sくんは、教室の後ろの方の席だから(息子ほどでは)ない」

>妻「特定のひとに言われるの?」

息子「5〜6人くらい。あとから、のっかってくる人もいる」

(他にも具体例はあったが省略)

>妻「私はSくんの親とも繋がりがある。Sくんの母親相談するのはナシ?」

息子「それはSくんに悪い。話していない可能性もあるし」

息子「(あるいは)Sくんもカウンセリングに言ったら、楽になるのではないかと思う」

>妻「いつ頃からなのか?」

息子「一学期の終わりくらいから」

>妻「他にも言われている人はいるのか」

息子「Kも、デブとか言われている」

息子「カウンセリングでは言おうと思っている」

>妻「カウンセリングでは言うのはいいと思う」

>妻「結局、(前の部活)もそういったことで辞めていることもある」

息子「そうだね」

>妻「(今の部活文化部)では問題ないの?」

息子「問題ない。おんなじカテゴリーの人が多いからだと思う」

>妻「介入するべきかどうかは迷っている。でも、介入が必要なようにも感じる」

>父「両親からみると現時点でもつらそう」

>父「『イジる』というのはプロ行為素人が真似していいものではない」

>父「一般的には、本人が不快に思った時点でハラスメント

>父「あなたは、我々の助けや介入が必要だと思っているのか」

ハラスメントについて、適当PDFを探し、参考資料として共有)

 https://www.pref.shizuoka.jp/kyouiku/kk-010/documents/harasumentobousi.pdf 

息子「うーん。今の時点では、よくわからない」

>妻「学校先生には言えない状況なの?」

息子「いえない」

>妻「では、カウンセラー先生に言ってみるのがベストか」

>妻「たとえば、こちらとしては保護者会の後に、先生お話しをしてもいいとも思っている」

>妻「でも、あなたが『言ってほしいかどうか』を大事にしたい」

>妻「自分としては、どうしようと思っているのか」

子「カウンセラー先生には相談をしていきたいと思う」

>父「気になったのは、助けてほしいかという質問に対して『よくわからない』という感じ。少し不思議。もう少し詳しく聞きたい」

息子(息子の現状への認識の話)

息子「自分オンラインで仲の良いゲーム友だちもいる。まだ頼れるところもあるし、大丈夫だと思う…という感じ」

息子「(息子が)イジられなくなると、他の誰かのところに行くのではないかと思っている。先生相談できない一番の理由もそれ」

息子「奴らは次の標的を探していると思う」

息子「自分の一番の目標は誰も傷つかないこと」

息子「一番自分と仲の良いSは友達もあまりいない。心の拠り所もなさそう」

息子「だったら、自分が(ある種の)タンク役として、受けられるといいのかとも思う」

>妻「息子は、イジりに対して、反応がいいのではないか

息子「反応は良いと思う。アイツラは楽しそうにしているし」

息子「実際、格好の餌だと思う」

息子「ただ、ひとりだけ本当に嫌で…〇〇って奴」

息子「あいつの弄りは本当に嫌だったから、その人からは本当に距離を置くようにしている。物理的に。ただ、それはそれで反応を面白がって近づいてくる」

>父「自分としては、息子である貴方大事

>父「そこまでの責任を感じる必要がないと思う」

>父「自分課題他人課題を切り分けるべきではないか?」

>父「次の標的を探している→だから自分犠牲になるべきだ、というのは、ある種の過大な自己評価ではないか

>父「彼らは単に反応のよい人に触れているだけ、とも思う。ボタンを押して、反応するのが楽しいような原始的感覚

息子「(モニターをみながら)文字だけ見返すと、確かに過大評価かもしれない」

息子「でも、家庭科の授業のときに、◆◆が小声で言っていたのは『いじめるんだったら、Sとか(息子の名字)とか…』と言っていた」

息子「遠くでこちらをみて、笑っていることがある。本当に、こっちをみているかどうかはわからないが…」

息子「Sについて、責任を感じる必要はないかもしれない。でも、万が一、あるいは数%でもそういう可能性があるのは『怖い』と思う」

<話し合い中、またはその後の息子の反応や言動

(話し合いの最中から涙を流し、一時中断した。15分程度、タイムアウト

(話し合った直後)

息子「学校のことで時間をとってくれてありがとう。少し楽になったよ。助かった」

(しばらく経った後に泣きながら)

息子「なんか、いろいろと思い出して辛くなった」

息子「学校で色々言われていると『自分は消えてなくなった方がいい』と思うこともある」

息子「家でも居場所がないように感じてしまう。自分がいない方がいいようにも感じる」

<話し合い後:今後の具体策>

担任先生には、息子が話したくなるまでは言わない

定期的に、家族へ現状の報告をする

日記不快出来事+そのときにどう思ったか記載する

場合によっては両親の判断で「タオル」を投げる(両親としては現時点でもタオルを投げたい)

カウンセリング先生との面談が3日後。そこで話してみる(こちらの会議内容のコピーを持参してみる)

毎日出来事カウンセリングでの反応をみながら、適宜、話し合いを持ちたい

→息子会議とは別枠で、話し合いを適宜実施していく


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と、まあ、こんな感じになりました。

子供の抱える問題は、どこまで介入するか、とてもむずかしいなー。

悔しい。

遠くから悪口が聞こえたり、自分存在を消してしまいたいと思うなんて、ちょっと鬱だよね。

なぐりてえ。

ウチの大事な息子をそんな目に合わせた奴らのことを殴りてえ。

でも、殴ったらいけないことくらいは分かっている。

彼らにとっては本当に些細なことでも、居場所を失いそうなくらい、息子は気にしているんだ。

息子が嫌がることをしないでください。

本当にお願いします。

もっと早く気づいてあげられてたらなあ。

ごめんな、ごめんな。

ごめんな。

2019-06-03

anond:20190603080611

普通に動けるってそれは人それぞれでは。

私自身の経験をいえば、妊娠8ヶ月頃には骨盤が開き過ぎてしまったせいで恥骨接続部分の靭帯を傷めていたので、活発な子供達の引率など無理も無理って感じでしたけど。ま、本当に人によりますからね。

なんで担任を責めねばならんのだと私は思いますけど。だって一学期の半分で産休に入るような人事にOK出したのは教育委員会だし。先生辞令拒否ったら失業するわけで。

2019-05-20

私立高校理不尽テスト

高3の一学期中間期末試験といえば、推薦やら指定校やらを狙っている生徒たちにはとても大事もの

それなのにうちの学校ときたら、

複数クラスをまとめてレベル分けにクラスわけする

②上中下のクラスができあがる

③それぞれレベルに合った読解の問題を行う

ここまではいい。

問題は次。

定期テストは全レベル問題から一題ずつ、自分クラス以外の英文初見問題として扱う。

当たり前だけど下クラスは、上クラス問題なんて解けない。

上は中下の英文初見でも読めるかもね。

中は、中と言いながらも半分は下と同じベベルから、下クラスだろうと初見英文はしんどそう。

学んできたことを応用すりゃいい話なんだけど、すべてが応用力を試す問題じゃない。

こんな不公平でいいの?本当に疑問。

特に中学からいれさせてる親とか、クレームさないかなーとおもってる。

6年間も預けて、下クラスのやつらなんか学習についてけなくて放置されて、最終的な仕打ちがこれ?ってかんじ。

上位を伸ばすカリキュラムなせいで勉強全体的に放置されてできないままなんだから、せめて推薦で大学行かせれば救いがあると思うけど、推薦すらとらせないクソシステム

どうかしてると思わない?

2019-03-29

某有名進学校を退学した。

3/31付で高校を退学することになった。こうなったのも全て自分責任ではあるけれども、やはり割り切れない気持ちもある。自戒気持ちの整理を兼ねて駄文を垂れ流してみようと思う。お目汚しで本当に申し訳ないが良ければ読んでいただければ嬉しい。もっと言えばこれを他山の石としてくれたらもっと嬉しい。(そもそもこの年代増田は居ないだろうと思うけれども)

私が在籍していた高校完全中高一貫校卒業生の半分は有名私大に推薦で、残りは東大京大東工大旧帝大医学部に進学していて、東大進学ランキングにも毎年掲載されている。

元々私が中学受験をしたのは一回り年の離れた従兄が中学受験をして進学したのを見てそれに憧れたからだった。そして、一人で読書をする方が友達と外で遊ぶよりも好きだったり、学校ヤンチャな奴らに若干イジメられたりしていて、荒れ気味な地元公立中学に向いていなさそうだったのも理由である

小4の終わりにSAIXに入り塾通いをする中で、私はある文化系部活に憧れた。そしてその部活活動も活発な学校の中で一番偏差値の高い学校第一志望にした。(ちなみに塾内偏差値では大体55~60を上下していた。)

小6の1月。まずは滑り止め2校に難なく合格し、チャレンジ校(親は行かせたかったらしいが自分はそこまで行くつもりは無かった。)の一次に不合格。そして2月1日第一志望を受け、2日にチャレンジ校の二次を受けた後に第一志望の合格がわかり、無事に中学受験は終わった。

受験が無事に終わり、やる気が失せてしまったのだろうか。その後、学校から新年度の教材や課題が送られてくるが適当に処理してしまい、入学。憧れていた部活にも入り順風満帆に事も進むかと思っていたが、最初中間試験で大爆死してしまう。この時にしっかり勉強してれば良かったのに大して何かをするわけでもなく、学校では授業に出席するものの寝てばかり、家でもアニメと当時流行っていたお船ゲームにハマって平気で徹夜をし、小言を言われれば暴れるといったような荒んだ生活を送り、唯一まともにしていたのが部活だった。当然勉強もろくにせずに中学生活が終わった。

高校に進み進級の判定がされることで一応勉強せざるを得なくなり、一応頑張るようにはなった。しかし2学期に部活で仲良くしていた先輩達が部活から引退自分達が部の運営をしなければならなくなったことで一時的に病んでしまう。結局なんとか持ち直してギリギリで進級する。

しかし春頃から後輩との事や部の運営の事、人間関係などで悩み始め段々とマトモな思考が出来なくなっていた。(と今思い返すとそうだったんだろうと思う。)

一学期には授業にも出席出来なくて保健室にいた事も多く、学業には全く対応出来ずに酷い成績を叩き出してしまう。二学期の途中、部活引退するまではそれを引きずってしまい、その時点ではとても進級できない成績だった。

その後状態も快方に向かい勉強に専念出来るようになったことで、今までの酷い成績を挽回するべく頑張るようにすることを担任先生と話し合った。しか二学期末の試験の結果は芳しくなく、三学期には奮闘しようとはしたものの結局は上手くいかずに英語数学物理を落として原級となり、高校を退学することとなった。

今の私の経歴は高校中退、つまり中卒無職だ。在学当時から大学は目指していたので今年1年間で高卒認定を取り、大学受験を目指す。高卒認定学力なんやかんやであるようなので1年間、1年早い浪人生として⚪合塾高受験科で浪人生活を送る予定だ。なんとか頑張って中高の友人、恩師に胸を張って報告できるようになりたいと思う。

長文を書くのは久しぶりでgdgdになってしまった。本当に申し訳ない。

2019-03-06

小学校におけるムダ仕事とムダイベント

昨今話題教員ブラック労働について「さもありなん」と思う部分と「お前らわざわざ余計な仕事作ってないか?」と思う部分と両方あるので書いてみる。あくまでも個人的見解だけど。

1. ムダな「○○だより」が多すぎる。

 「学校だより」を月一回ぐらい出すのはまぁいいとして、他にわざわざ「学年だより」を作っているのを見ると「お前らアホか」と思う。まぁ 学年によって読める文章レベルが違うと言われればそうなんだけど、ほぼ保護者のために作ってるようなもんなんだから同じ学校に何人も子どもを通わせている保護者からすればただの迷惑ではないかと思う。運動会直前の号なんか「いよいよ運動会」とかいって6学年ほとんど同じ内容だ。バカげてないかしかも全部紙ベース

 なるべくまとめられるもの学校だよりに凝縮して、遠足とか社会科見学とか学年によって内容が違うものだけ「しおり」とかで内容を周知すればいいだろうと思うんだが。

2 やたらと土曜日に公開授業やイベントを入れる。

 たぶん「保護者学校の子どもたちの姿を見てもらう」のが目的なんだと思うけど、頻度が高すぎる。保護者が土・日休みとは限らないし、そんなに頻繁に学校に来られるほど暇な人ばかりではない。当然教員業務も増える。いちおうその分代休が取れる仕組みになってはいるのだが、一週間あたりの勤務時間労基法規定を越えるし、教員以外の職種だと「半日だけ働いてその分を他の日に振り替える」制度自体がないから、出勤したら他の平日に代休を取ることになる。が、そう簡単には休めない。完全になくせとは言わないけど、せいぜい一学期に一回ぐらいで良いんじゃないかと思う。

3 イベントをやるときに力を入れるところを間違えている。

 入学式卒業式などが控えているとやたらと校内の飾り付けに力を入れる。が、来賓保護者の受付やスムーズ誘導など、イベント運営基本的なところをあまり考えていない。

 いちおうイベント終了後に職員反省点を紙に書かせて集めたりするんだけど、その反省点が翌年に生かされない。卒業生や新入生の通路をきれい紙テープとか紙の花とかで飾るのはほどほどで良いから、スムーズに人を誘導して然るべき場所に然るべき人が座れるようにしようよ。

 教員というのは学校を異動することはあっても、だいたい毎年同じようなイベントをやって生きていく人種のはずなんだが、そのわりに学習能力がなさすぎないか。「あんたたちアホなの?よくそれで子ども勉強なんか教えられるね?」と思う。

 なお、入学式ときは「○○ちゃん入学おめでとう。先生たちはあなたと会うのを楽しみにしていました」みたいなメッセージカードが新入生一人一人に用意される。細やかといえば細やかだが、それを転入してきた教員やその他の職員(当然大人)に対してやるのは小さな親切大きなお世話というものだ。そんなものよりイベントスムーズ運営することの方が重要だろうと思う。

 その他にも「6年生を送る会」を3部に分けて卒業式以上の時間をかけてやるとか馬鹿馬鹿しいところを数えあげればキリがないんだけど、長くなってしまったのでこのへんにしておく。昔より保護者の目が厳しくなり、学校に期待されることが増えて教員仕事が大変になったのは分かるんだけど、上記のような現象を見ていると「あんたら自分自分の首絞めてるんじゃない?」と冷たい目付きで見てしまう。

2019-02-03

anond:20190131164910

自分もかなり似た状況で退職した。9ヶ月じゃなにもわからない、学ぶ気がないと思うかもしれないけど、

納期を守る気がある人が少ない(遅れてもペナルティがない)

コードを読める人が少ない(javaできませんと主張してもペナルティがない)

コードを読めない人が毎日「詳細設計レビュー」をしていることになっている(設計ガバガバでもペナルティがない)

・前工程の不備を見つけて報告すると「ウォーターフォール理解してない」と叱られるため、テストまで温めてから報告する必要がある

・「ボクはプログラムできないんでexcelにまとめてあった遅れ状況をpptにまとめました」みたいな人が出てくる

・↑のような人が「自分にできることを探す姿勢が立派だ!」と最も評価される

みたいな状況で、

一学期を振り返って」「先輩たちの仕事をみて学んだこと」的な作文をたくさん書かされるんだよな。

小学校総合的な学習時間とか学級活動みたいな茶番永遠に続ける。

こんなの40年続けたら脳みそ溶けると思ったし、2年とか3年続けても本当に学ぶものはないよ。

というか、新卒で3年もいたら手遅れになって転職できなくなると思う。

2019-01-03

理三受験の思い出

anond:20190102063518

こういうの書きたくなるね。自分が頑張ったことは思い入れがある。

微妙に書くところ間違えたので投稿しなおした。


小学生

関西田舎の町立小学校に通っていた。友達がみんな塾に行っていたのが楽しそうだった。

「僕も行きたい」と親に言ったことがあったが、なぜか断られた。

自分が子を持った今なら分かるが、3人目の私にお金をかける余裕がもはやなかったのだと思う。家にはアップライトピアノがあって姉が習っていたが、自分は習いたいと言ってもお茶を濁された。


父は会社勤め。ホームレス気質天才タイプ。母は専業主婦。真面目な秀才タイプ。親は教育に興味が無いわけではなかった。むしろかなり意識的独自戦略のようなものを持っていたと思う。

小6の夏休みに入ると、「レベルの高い学校に行くとめちゃくちゃ楽しい」などと、うまいこと母に言いくるめられて中学受験を決心した。


「力の五千題」とか「自由自在」を各教科買ってきて、夏休みに二回ほど通した。なにかババのようなものを掴まされたような気もしなくもなかったが、面白かったので続けた。

からは応用問題集、冬になると過去問をやった。模試は受けなかった。「自信を失わせたくなかったから」とあとで母から聞いた。どういう意味だ。

私立を2つ受けてどちらも合格した。ちなみに、受験直後の自分感触としては98%落ちたと思っていた。未だに謎である


中学生

中高一貫校寮生活が始まった。

強制的勉強する時間毎日3時間あった。小学生の頃とは比較にならないほど学校の授業を面白く感じたので、予習・復習をやった。みんながやっていたので、ラジオ英会話を毎朝聞いて、テキストを暗記した。完璧発音テキストの会話を一人で完全再現できるようにしていた。一年イギリス人先生普通の会話ができるようになった。
中学3年生のときに、全員がZ会模試を受けることになった。はじめての模試で超わくわくした。総合で全国100番位だった。初めて自分立ち位置を知った。思ってたより良いという感覚。でも同じクラスに全国一桁台とかが普通にいた。


音楽室に個室のピアノ部屋が5台分あった。昼休みにほぼ毎日通ったので、結構弾けるようになった。今考えると異常な環境である音大かっていう。親友ピアノが超すごいやつがいた。ヤマハをずっとやってきた人で、聴いたら即弾ける、ハ長調譜面初見で見て変ロ長調で弾ける、メロディを見ると即座にステキ伴奏を思いつく、など。理解不能であるピアノをメインの楽器にするのはやめようと思った。


高校生

下宿に移り、自由になった。学校以外で勉強しなくなった。暇なので、絵を描いたり生徒会をやったりピアノの人などを誘ってバンドをやったりと、生活を広げ始めた。

授業中に予習復習などすべて授業を聞きながら終わらせたので、成績は特に落ちなかった。

こういうことを書くと、舐めてるとか自慢とか思われるわけだが、違うんだ。

自分なりに一番効率が良い方法を追求していた。授業中に寝て、家で数時間独自勉強するみたいな非効率的なことはしたくなかったのだ。

授業は120%の集中力で聞く。それでも時間が余るので、次の予習をしたり、問題の別解を考えたりしていた。家で半徹夜で何時間勉強している人たちよりも結果的に長時間勉強していたと思う。だって毎日9時から17時まで勉強していたんだもの毎日7時間くらい集中して勉強しているのに、「増田勉強せずに成績が良いな」みたいなことを言われてたのは未だに納得がいかない。


高2で東大模試を受けてみると、理三以外はすべてA判定だった。理三だけが完全にE判定だったので、「は?しばくぞ」と思った。
なんかの奨学金アメリカにただで行けた。夏休みの一月まるまるESL漬けで楽しかった。自分英語力はあんまりしたことないと気づいた。同級生アラブ皇太子とかトルコ首相の息子とかがいた。そういうのも自分には無い。


高3になって流石にクラス空気も変わり、自分放課後勉強するようになった。小学生の時は夏休みから半年でなんとかなったけど、さすがに東大一年位はやらないとやばいだろという感覚があった。

一学期にあった駿台統一模試で、英数国の三教科の偏差値が80を超えていた。一方で、本来好きな理科がボロクソだった。準備不足を痛感して夏休みに強化することにした。


・高3夏休み

化学生物だった。教科書はさすがにすべて頭に入っていたので、いよいよ応用問題週に手を出すことにした。東大過去問をちら見すると、化学の出題の半分くらいは似たような問題しか出ないことがわかったので、同じ問題を何十回も解いた。滴定とか。30分かかって6割しか正当でいなかったところから、5分で100点の回答ができるようになった。時間が余るので、初めて見る問題ゆっくり考えられて便利。生物は、問題文に答えが書いてある。

一方で、わりと大丈夫そうな主要三教科は、根本的なところをやることにした。

数学

チャート式などは数冊終わっている状態大学への数学をひたすら解く。新しい問題は、ひたすら考える。未知の問題に解法の方針を立てる練習

英語

TIME誌を定期購読していたので、毎号気になる記事を一つまるまる訳してみる。超大変。NEWSWEEKにすればよかった。のだが、一年定期購読してしまったのでやるしかない。んで、訳したあとは要約を英語で書いてみる。ラジオ英会話ビジネス英語までランクアップしていた。正直東大受験ではこのレベルリスニングスピーキングは当時必要なかったので、聞き流していた。ハマっていたのはパーソナリティの訛りを真似すること。

国語

Z会小論文をやっていた。元来文章がそんなにうまくはなかったけれど、読むのも書くのも好きだったのでこれは半ば趣味結果的200字作文に多少役に立った。


・高3秋

9月学校最後イベントがあり、燃え尽きた。勉強は2ヶ月ほどお休み。焦りはなくはないが、みんなそれで合格するやつは合格するっていう先輩の像を見てきている。今回は自分がそれをやるほか無いという感覚。流石にバンド解散した。


・高3冬

10月から2月まで5ヶ月もある。


センター試験

英語198 

数学191 まさか満点じゃないとは。世知辛い東大理系はわりとこういう感覚だと思う。

国語167 古文漢文論説は150/150。小説めっちゃ間違えた。こういうこともある。

化学100 

倫理93  一応、山川倫理用語集を3回くらい読んだ。手抜き教科のつもりが、哲学に興味が芽生えた。大学に入ってから哲学系の本をたくさん読んだ。自己形成に大きな影響を与えた。人生何が大事わからん

合計

前記749/800

後期489/500

センター試験

ようやく赤本に取り掛かった。感想は、英語簡単すぎ、数学難しすぎ、国語意外とお得、理科けっこう簡単

というわけで薄々気づいていた数学不安定さと、国語のお得さに焦点をあてる。数学が0点でも受かる謎の計画をたてる。国語最後の一ヶ月だけ、古文漢文個人先生に習った。

ちなみに東大模試は3社2回とも全部受けて、最後を除いてすべてE。でも成績は徐々に上がって最後だけはC判定だったので、本番の頃にはB判定くらいになってるんじゃない?と思っていた。


・本番

当日はなぜか20時に寝て、25時に覚醒し以後眠れないというアホなことをした。

ただ全く寝てないわけでもないし、ただ少し眠いだけなのでやるしかない。


 点数非公開時代なので自己採点

国語 60/80 ほぼできた。

数学 40?/120 難しすぎ0完6半ワロタ。。1完だと思ってたのに、弥生門を出たところで配ってた駿台の速報を見たら計算ミス発覚。かなり暗くなったが寝たらわりと忘れた。

生物 50/60 多分まあまあできた。

化学 55/60 多分ほぼ間違えてない。

英語 120/120 まじで満点じゃね?と思った。

合計 325/440 数学が0点でもギリ受かるかも?と思った。

・発表当日

赤門から会場へ向かうと、のちの上クラになる姉が向こうからやってきた「あ!○○ちゃん、受かってたよ!」

弟に「ちゃん」づけはまあしょうがないとして、俺が知るより先に結果を言うなよ。未だに恨んでるぞ。

合格してから

家賃が安いという理由三鷹寮に申し込んだのだけれど、その書類を集める際に親の年収が600万であることを知った。そりゃ無理だわ、塾もピアノも。ちなみに中高は奨学金もらってた。それでも親は教育のために借金してたんじゃないかな。決定的に計算が合わない。ちなみに三鷹寮は生活費が安すぎて家庭教師バイトだけで異常に金持ちになった。楽器を買ったり海外旅行に行ったりした。ヨーロッパまで6万円で行けた時代である。さておき、感覚としては、医者になってまともな収入がある今よりも、当時は自由に使えるお金があった。人生まじで謎である

おじさんもなぜか未だに人生謎のままに頑張ってるけど、受験生の皆さんも頑張ってね。

2018-09-03

木曜日SCHOOL OF LOCK

SCHOOL OF LOCKとは「ラジオの中の学校」という設定の中高生ターゲットにしたラジオ番組で、平日22:00~24:00に放送している。

8月30日放送、昔いじめられていたという高3男子の話。

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[高3男子]

自分は中2の一学期からいじめられるようになった。(おそらくハブられるとか聞こえるように悪口言われるとかいう類のいじめ

そこで夏休みの間、「いじめているやつらと距離を詰める」作成を立てた。

具体的には、遠くで自分悪口をしていたら敢えて「何はなしてんの?」と積極的に話しかけていく。

彼らが自分距離をとって、それでいじめを成立させているのであれば、

敢えて自分からガンガン距離を詰めてみよう、という作戦だ。

夏休み明け、登校に恐怖はあったが、失敗してもいいから考えたことを実行しようと思っていた。

この一歩を踏み出さなければ自分は何も変わらない、間違っても何言われてもいいからやってやろう、という気持ちだった。

しかけてみるとまず相手はびっくりして、自分から離れていく。急に話かけられてやはり相手は驚いていた。

から何回も何回も繰り返した。何回も話しかけるようにした。いつの間にかだんだん距離が縮まっていった。

1学期のときよりはクラス位置が変わっていった。

[パーソナリティ]

いじめられてつらかったとき自殺とかは考えなかった?

[高3男子]

いじめられて孤独になったときは、自分はいらないんだと感じていた。

でも死ぬのはダメだと思った。自分が亡くなっても喜ぶ人間は一人もいない。

いじめた人たちですら自分が死んだことで、喜ぶことはできないと思った。

しろ自分がもし死んだら、いじめていた人達は「人ひとりを殺した」という罪悪感で、この後の人生が壊れるのでは?と思った。

自分がいなくなったことを想像した。いじめによる自殺ニュースを見た。

自分が死んで取り返しのつかないことをしたら、いじめ人間が罪を償えるチャンスもなくなる、更生するチャンスもなくなる。

死なないで、自分がいる中で、この問題解決していこうと思った。

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聞いてたら目頭熱くなってしまった。

「聞こえるように悪口を言われる」ことに、「敢えて話かけにいく」って絶対できないやつだよね。

頭の中でそういう行動とれる自分想像して、でも実際にはそんな勇気のない自分絶望するやつだよね。

本当にできる人間がいて、それにより問題解決できるんだね。

そもそも上記の話は、別の子いじめ相談の中で出てきた話なんだけど、

の子のぐちゃぐちゃなメンタルとか(ナイフを持って家飛出し、ナイフを地面に叩き付け、自分が怖くなった、という話が聞いてて本当につらかった)

もとても印象的だった。

他にも、いじめられて学校いけない女の子との話とか、

中学生に「音楽がきらいな人っているんですか?」という純粋質問されたときサカナクション山口一郎の話とか、

とにかく全体的に色々考えさせられる回だったので是非聞いてみてほしい。

この番組、僕も学生の頃好きでよく聞いていたんだけど、久々に聞いてやっぱいいなあと思った。

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