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はてなキーワード: 一学期とは

2017-09-22

【追記しました】あなた忘れ物して、気づいたときにどう感じますか。

小学生の娘がいる。

親バカ心配するほど可愛い

愛くるしく細くて制服もまだまだぶかぶかだ。

ちょっと勝ち気なくせに、実はボンヤリしてて話を聞き漏らしてたりする。正直、学習についていけてるか心配しながら一学期が終わった。

ここにきて更に心配していることがある。

二学期になって、落とし物や亡くし物、忘れ物をしない日がない。

友達からは長い休み明けはみんなそうだよー…とも言われたし、確かにそうかもと思いつつ、病気障害じゃないんだろうかと不安にもなる。

学校から持ち帰るときに、なにかを忘れる。

例えばルーティンになっている週一持ち帰る上履きや、毎日給食袋。

上履きは洗わず使えばいいし、給食袋の予備に洗った箸やマスクを持たせ、二つ持って帰るように言う。

昨日の事。

持っていった赤白帽がなく、注意した担任に「家に忘れました」と話したらしい。連絡帳にも『帽子を持たせてください』と書かれて帰宅した。

帰ってからママ、赤白帽子いれてなかったー」と、文句を言う。娘と確認して週末揃えていれたのに。

「家からは持っていったよ。着替えるときに入ってるか見た?」と聞き返した。

「あった。でも、着替えた後になかった」と、あっさり話す。

大人としては、「家に忘れた」と「学校で着替えの最中に見失った」は大違いだ。

他意はなくとも、デタラメか嘘だ…と、私は感じる。

この他にも毎日何かを「無かった」「忘れた」と話す。

一緒にでかけてもトイレの個室に鞄を置き忘れる事は、ここ数年何度もやらかしてきたし、

一向に改善されないまま小学生になり、幼稚園の頃よりずっと増えた道具に悪戦苦闘してるんだろうなと思いつつも、親としてこう毎日「何かがない」と話されると「バカなの?」と応えるようになってしまっている。

子がバカなら親もバカで、昨日は「なんで先生に『家に忘れました』なんて言うの?」と怒鳴ってしまった。

ここ一週間、私が怒りすぎてどうにかなりそうだ。書ききれないほどあり、ほとんどルーティンに持ち帰ったり、移動教室で使うものだったりする。

私が小学生の頃も忘れ物をしなかったわけではないし、その場しのぎの嘘を先生に話して事を荒立てないようにしたこともあるの。

しかし、「袋の中にあった」「気付いたらなかった」「先生に忘れたって言った」「なかったから、明日までにいれといて」となると、説教だけでなく、怒りの感情がおさまらない。

いくら可愛いはいえ、娘に向き合う気持ちにならないほどで、きっと今日般若のような顔で出迎えるに違いない。

ましてや、昨日発覚した無くしものは他にも二つあり、今日登校したら探してみるようには言った。でも、無いだろうな。

明日の準備をする時には「保護者のかたも一緒に確かめあって準備をしてください」とお便りにあるので、その通りしているんだけど。

本当に何か1つが無いと、帰宅してから言ってくる。

ここで怒らず、どう応対するのがいいんだろう。

はてなーの皆さんにお伺いしたい。

私が今まで育てた通りに育ってるのは承知で、育て方伝え方が悪かったんだろうと思う。

でも敢えて。

こんなに忘れ物してた方いますか?ご両親はどんな反応でした?

豊田議員並に怒鳴られ育ったことはありますか?その時、どんな怖さでしたか

そして、今は親にどんな思いですか?

憎いですか?(ですよね)

いたらぬ母に教えてください。

■追記(9月23日 AM7:20)

皆さま、いたらぬ母増田です。

全てのトラバブクマコメント、読みました。心から感謝します。ありがとうございます

赤白帽あったの、隣の席の子が被ってたよ!自分のかと思ったんだって返してくれた、と喜びながら帰宅しました。

そして、汗ふきタオルはお道具箱の中に置いてきちゃった…ごめんね、と話してくれました。

行きつ戻りつでも、話してくれた安堵と、こちらでも叱咤激励頂いた余韻のなかで娘の喜びを受け止めました。

数人の方が書かれたように、娘は1年生です。すみません、何度も書き直すうちに書き漏らしました。

一学期に、体育のあと制服に着替えてる途中に机から体操服を着替えて(落としたらしいが気付いてない)たらなくなったと泣きながら帰宅したことがありました。

担任にはその日伝えられたらしいのですが、連絡帳にも書いたところ、翌日に全員で持ち物確認してくださり、斜め後ろの子が持っていたということがありました。

その際には「机から落とすと、誰かが持っていってしまうかもしれないね。落とさない方がよくない?」と二人で話しました。

親として落とさないで欲しいなあという気持ちと、一年生は誰の物かを確認しないものなんだな…と、知りました。

なので、今回もいじめターゲットになっているとは考えにくいと思っています

身バレ覚悟で書きますが、娘のクラスでは生活習慣について宿題にだされることがあります

「9時までに寝ること(誰かが遅刻常習らしい)」

「筆箱の中身を確認すること(これは他の児童の物が毎日なくなると、保護者から担任への訴えたとLINEでまわってきました)」

体操服を持ってくる(昨日書いてきた宿題で、体操服を持ってきてない子が複数いたらしいです)」

クラスの誰かが何か無いと言うのがデフォルトの様(個人的には信じがたい)で、娘の困っていない気分はその日常に慣れている感もあるのかなと。

二学期が始まり落ち着くかと思いきや、忘れ物無くし物は減らず、その場しのぎの返事をする姿、無くなる理由や経過が見えない・本人も探すらしいけれど見つけられない様子に、私の苛立ちが日々増幅していまいました。

一昨日に辛くあたり叱責し、そんな自分も嫌で絶望で1人号泣しながらこちらに書きました。

長々すみません、皆さんから叩かれるだろうなと覚悟していたのに、あたたかコメントに更に泣いてしまいました。

現実としては、やはりADHDを疑っています。ここでアドバイス頂き専門機関相談しようと決めました。

主人にはここを見せてませんが、何かテストを受けさせてみてはどうかと、ここ最近の様子をみて言われたので、反対されないと思います

本人は何の事かわからずも、忘れ物しちゃだめだなと持ち物のチェックリストを書いて玄関ドアに貼っています

行く前にすること、帰宅してからすることも、細かすぎるほど書いてあり、その項目の細かさや優先順位曖昧な点が親として気がかりでした。

日々の困り事に向き合い、どう伝えるかも、私も勉強したいと思います。そして、私自身もアンガーマネジメント心療内科受診します。

経験談アイデアを書いてくださった方、お叱りを書いてくださった方、いじめ心配してくださった方、酷い私を心配してくださった方、本当にありがとうございます

支離滅裂増田ですが、何度もここを読み返しては励みにします。

娘に「ねぇ、こっそり教えて。いつタオルを置きっぱなしにしたことを思い出したの?」と寝る前に尋ねました。

「いつも、帰り道の橋を渡ってる途中に『あ!』って思い出すの。そしてヒュ~って風が吹いて目の下に線がでる感じ。」と話してくれました。

毎日?橋のとこ?」「そう」

「気付いてよかったね!」「うん」

橋を渡る頃に気付けるのなら、校門を出る前に、教室を出る前に気付けるようになるといいんだろうな…時間がかかりそうだけど。

2017-08-31

あいがもん氏の高認試験挑戦ブログ

読んだ。

私も中卒(都立高校中退である

七年前に高卒認定試験を受けている。

その時のことを思い出して、懐かしいような、こそばゆいような気持ちになった。

高認過去問題集の表紙デザイン、七年前と変わってないんだな……。

試験会場の大学、私が高認受験したところと同じかも……。

など、今まであまり身近に感じたことがなかったタレントさんに対して一気に親近感を覚えてしまった。

あい氏は今回の高認試験で、惜しくも数学のみ不合格だったようだ。

あい氏がどのように勉強されたのか、ブログ過去記事をまだ読んでいないため不明だが、高校一年生の一学期中退し、何もかもチンプンカンプン状態勉強を始めた私の場合はどのようにしたのかを僭越ながら書いておきたい。

まず私は新大久保にある教科書販売店に行き、棚にずらりと並ぶ各社の教科書の中から、最も易しそうで最もページ数が少ない「数学 I・A」の教科書を選び購入した。

そして最初から最後まで精読しつつ、すべての練習問題を解いた。

その教科書イラスト豊富で字も大きく、パンフレットなみの薄さだったので、自分でもちょっと頑張れば最後まで読めるかも……と思えたのが良かったんだと思う。

数学に対する苦手意識が強いあまり、はじめは教科書を見るだけで冷や汗が吹き出し、吐き気を催すほどだったが、一周目をなんとか終えたときは驚くほどの達成感があった。

最終的に、教科書を四周した。

四周目には、一周目であんなに苦戦していた練習問題も瞬時に解けるようになっていた(問題と答えをすべて覚えてしまったというのもあるが)。

そして高認試験の結果。

なんと数学は満点を取ってしまった(※ 自己採点による)。

しか数学勉強時間を割きすぎた結果、他の教科は準備不足となり、高認試験のもの不合格

惨憺たる結果に終わった(こういう要領の悪さが私が中卒になった原因のひとつなんだろうなー)。

というわけで、高認数学過去問題集だけだと解けないかもしれないが、教科書を使い繰り返し練習問題を解けば私のようなアホでも点数はとれたという話。

最後に。

懐かしい気持ちを思い出させてくれたかあいさん、ありがとう

2017-07-14

《追記》昨日の非正規教員増田だよ

昨日、こちらの記事を書いた非正規教員増田です。

https://anond.hatelabo.jp/20170713183630

「流れてしまうかな、誰か反応してくれるかな」と思っていたら、想像を遥かに上回る反響があった。

トラックバックコメントも、現時点で確認できるものには全て目を通させてもらいました。

全ての意見に対して返事、説明反論などをすることはできないので、どうしても補足したいと思ったことだけ書きます

寄せられた反応の中で、「事前の調べが足りなかったのでは」「さすがに抜けすぎなのでは」「大事なことをもっと確認してから契約すべきだったのでは」という類のものがあった。

もちろん、自分の調べが甘かったとは思うし、すぐに食いついてしまったな、とも思っている。

しかし、今現在記憶を持ったまま3月30日に戻れると言われたと仮定して、あの電話に「いえ、お受けできません」と答えることができるだろうかと考えると、私はおそらく今と同じ道を選ぶだろう。

3月30日というギリギリの時期にかかってきた県教委から電話は、私にとっては「学校現場に立てる!先生になれる!」という希望しかなかった。

そして、希望であると同時に「断ったらもう依頼されないかもしれない」という恐怖も含まれていた。

3月30日に依頼なんて有り得ない」という意見も多数見かけたが、指摘してくれている人もいたとおり、非正規教員の取り扱いは自治体によって大きく異なる。

私の県では、3月20日過ぎに正規教員の異動発表→非正規教員(常勤講師)への内示→それでも足りなければ非常勤時間講師を補充、という流れのようなので、私の内示だけが別に遅かったわけではないらしい(今日事務員さんに尋ねてみた)。

この一連の流れは全て県教委が司っているので、単純に個々の学校バタバタしていて手際が悪いというわけでもない。

話が逸れた。

とにかく、あのときの私にとって、積極的意味でも消極的意味でも、内示を断るという選択肢はないも同然だった。

(それに、勤務校や割り当てコマ数についてその時点で問い詰めたり交渉したりしたところで、「ではよりよい条件を提示します、ぜひ!」となるものでもないだろうと思う)

今日一学期最後の通常授業で、いくつかのクラス期末試験を返却したり夏休み課題について説明を行ったりしてきた。

担当は3時間目と5、6時間目だったが、職員朝礼に出たり教科主任と打ち合わせを行うために8時過ぎには出勤し、フリー時間には成績入力や提出物のチェックをし、6時間目のあとに行われる清掃の監視もしてきた。

返却した試験用紙を受け取るたびに上がる歓声や悲鳴を聞いたり、夏休み課題存在にげんなりする生徒をなだめたり、女子生徒とたわいない会話をしながらゴミ袋を運んだり。

「空き時間は全て勉強に費せ」もしくは「塾で働いたほうがいい」「舐められてるだけだから辞めてやれ」、頭では理解できるが、このような待遇でもやはり「学校先生」にやりがい見出し、生徒の成長に資する一員となりたいと願うのは愚かだろうか。自己責任だろうか。

もしくは、自分の大切な人(パートナーや息子娘、友人など)が「理不尽に使われていることは分かっている、しかし、それでも先生になりたい」と、私のような境遇にいたとしたら、あなたはどうするか考えてみてほしい。

馬鹿げている、さっさと辞めて次を探しなさい」または「自分で選んだんだから自己責任でしょう」と言えるだろうか。

先にも書いたが、正規非正規教員共に人事権は県教委にあるため、自分の生まれ育ったこの県で先生になるには、選択肢やとりうる策が限られすぎている。

「この会社ダメだ、ブラックから同業他社転職しよう」とはいかない。

(各学校校長独自判断で「〇〇先生(講師)、10月からウチに来て」と呼ぶのではないらしい)

学校先生になることは私の夢だったし、今でも変わらない。

正規になってもブラックだ、と言われても、「先生になりたい」という気持ちのものは揺るがない。

そしてこれは夢であると同時に、「子供たちの未来の役に立ちたい」というある種の使命感のようなものでもある。

コメントで書いてくれている人がたくさんいたが、教育未来を作る仕事だ。

よい教育なくして国や社会の発展が望めるはずがない。また、発展という光の方面だけでなく、貧困連鎖を断ち切るという役割を担うのもやはり教育(特に公教育)だろう。

自分の面倒すら自分で見られない私が「生徒の助けになりたい」など、甚だおこがましいことを言っていると思う。

しかし、この数ヶ月間生徒たちと共に過ごし、先生と呼ばれる中で、自分境遇への複雑な思いを抱きつつも、それを跳ね除けて教壇に立つ力を与えてくれたのはこれらの気持ちだったのだ。

「じゃあ一生やりがい搾取されてろ、自己責任」と言われるだろうか。

しかし、この問題はもはや、私1人がこのままやりがい搾取され続けるかそこから脱するかというだけの問題ではないし、「そんな条件を飲んだお前が悪い」と言って解決する問題などではないと思う。

全国に数万人いる非正規教員

私を含め、その全員によって現在そして未来教育が担われている(もちろんさらに多数の正規先生がいて日々尽力されているのだが)。

そのことを知ってもらいたかった。

今回、はてな匿名ダイアリーに書いてよかったと思う。

採用試験頑張れ!」と言ってくれた方々、ありがとう

精一杯頑張ります

2016-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20160215213008

子持ちの非処女(当たり前だ)だよ。

子供は誰かに預けられて当然」と言う認識の親って同じ子持ちからしても迷惑なんだよね。

保育園病気うつされたり怪我させられるのが嫌なら仕事辞めて家に置いとけ。でなければシッター雇ってマンツーマンで見て貰え。

集団保育してりゃそんなの当たり前。

小学生一学期(4月~7月)給食ないのしってる? 毎日午前授業だよ。

とかだから?と。学童入れろよ。

学校託児所じゃなくて勉強する所。入ったばかりの一年生は長時間授業しても集中力続かないからそうなってるってだけの話。

それ以上に子供預けたきゃ金払って託児サービス買え。

保育園けが女の社会進出を妨げてるわけじゃないけど腹立つよね

anond:20160215171759

・とりあえずアパートの一室でやってる、本来は預けたくもない私立保育園に預けて見切り発車でフルタイム復帰してみたら

 顔に一生もんのひっかき傷いれられたけど、そこまで準備すればちゃんとした公立に優先で入れたよ。

保育園にあずけても病児保育ないからしょっちゅう呼出されるよ。2ヶ月くらい毎日保育園で新しいウィルスもらってくるよ。

小学生一学期(4月~7月)給食ないのしってる? 毎日午前授業だよ。

結局女に働いて欲しくない自治体(国)に住んだものの負け。待機児童〇の自治体があって希望者100%入れるってたぶん嘘か夢だとおもう。

子育ては損な仕事だ。理不尽だ。ちなみに保育園保育士さんにとってもそうだ。

 

母に感謝するより男社会でのうのうとしてる国に怒りが湧くわ。ホントに。

介護看護もしない男は全員憎い。死ねばいいなんておもわないからホントにお願いだから働いてください家庭でも。

濡れ落ち葉め。

2016-01-12

イジメは人に階級をつける

中学高校イジメられていた。

中高一環の男子校だったため、同じ人物に中高イジメられていた。

まり中学二年生に進級したての頃だった。

当時からチビでナヨナヨしてた僕は、なんていうか典型的イジメの標的にされやすタイプだったのだと思う。

反撃もできなかったし、先生や親に相談することもしなかったため、どんどんイジメエスカレートしていった。

最初のうちは肩を殴られたり、文房具教科書を奪われたりしていた。

その頃はなんていうか、薄く広くイジメられていて、クラスの半分ぐらいが僕に対して危害を加え、もう半分ぐらいが静観していた。

しかし、だんだん暴力の内容がエスカレートするにつれて、狭く深くイジメられるようになった。

そうして、中学三年に進級する頃には、一人のイジメっ子だけが残った。


まず中三になって彼が行ったのは、僕の服を着る権利を奪うことだった。

最初休み時間に何度も殴られながら無理矢理制服を脱がされた。

それも毎時間

制服はもちろん下着まで脱がされ、よくわからない踊りを踊らさせられた。

しまいには、特定の授業は全裸で受けさせられた。

特定の、とはうるさくない教師の授業はという意味だ。

制服は彼の鞄の中にしまわれ、放課後になると投げつけられる。

言葉にするのは難しいのだけれど、みんなが服を着てるのに、自分だけ服を着ていないことは、とても惨めだった。

恥ずかしくて局部を隠そうとすると、腹や顔を殴られるのも辛かった。

一学期の終わり頃には、もう全裸ルーチンワークになっていて、彼が「おい!」と大声をあげるだけで、僕は黙々と全裸になっていた。

夏休みがあけ、二学期に入ると、彼は放課後新聞部の部室にたむろするようになった。

新聞部高等部部員が三年生一人しかいなかったらしく、二学期からは、彼と彼の後輩たちだけの部屋になっただからだ。

僕は無理矢理そこに連れて行かれ、そこでもイジメられることになった。

そこで行われたのは、イジメというカテゴリというよりは、レイプに近かったのだと思う。

より性的なそれになっていったからだ。

彼が男が好きなゲイなのか、それともバイなのか、はたまた誰かをイジメるのが好きなだけなのかは、よくわからないが、

とにかく彼は僕に対して性欲をぶつけてきた。

日々の暴力全裸強制ですっかり反抗する気がなくなっていた僕は、黙々と彼の命令に従っていた。

最初フェラチオからまり、最終的にはアナルセックスまで行った。

誰にも相談できなかった。

全裸で授業を受ける僕を見て何も言わない教師に期待する方が難しい。

親は平日は夜遅くまで仕事で家にいなかったたし、休日は一日中眠っていて、まともに会話が出来なかった。

まだインターネットは普及していなかったし、個人の携帯電話なんてもちろん持っていなかった。

どうすればいいかわからなかった。

高校に進学しても、彼とは同じクラスだった。

クラス面子は変わっていたものの、僕の扱いは学年中に知れ渡っていたため、特に変化はなかった。

しかし、その頃から少しずつ、彼の態度が変わっていった。

レイプするような人間を修飾する言葉では無いかもしれないが、

優しくなった。

顕著だったのは、暴力だ。

昔は僕が反抗的な態度をとろうがとらまいが、関係なく殴ってきたのだが、

その頃の彼は僕が従順にしていれば、あまり暴力をふるわなくなっていた。

彼に始めて休日約束をさせられた。

学校外で会うのは始めてだったし、休日レイプされるのか、と思うと、とても気が重かったが、

その日は普通にゲームセンターに行って、本屋に行って、ファミレスに行って、終わりだった。

そして何より世間話をするようになった。

昨日みたテレビの話や、授業の話、そんな普通友達がするような会話を、

たびたび僕に振るようになっていた。

とは言っても、全裸強制することや、無理矢理アナルセックスをさせられる点は変わりなく、

イジメレイプは続いていた。

そんな彼との日々は高校二年生に進級したときに終わる。

キッカケは「B君」だ。

B君とは始めて同じクラスになった。

B君は僕とは違った意味有名人だった。

まず何より体が縦にも横にも大きいため目立つ。

そしてB君は柔道がとても強かったらしい。

二年生に進級し、イジメっ子がいつものように「おい!」と叫び、僕を呼ぶ。

僕はイジメっ子の元に向かい、そこで服を脱ぐ。

そんないつものルーチンワークをこなしていたら、

B君があらわれた。

B君はイジメっ子に対して「辞める気はないのか?」という感じのことを聞いた。

僕がイジメっ子にイジメられていることは学年中のみんなが知っていたため、B君も知っていたのだろう。

イジメっ子が返事をした途端、僕はB君に引っ張られ、服を着させてもらった。

それから、B君は僕を守ってくれるようになった。

授業も制服で受けられるようになり、

放課後のおぞましい性行為もB君が柔道部に匿ってくれるようになったおかげで治まった。

休日イジメっ子に呼び出されることも無くなった。

僕はB君と一緒に過ごすようになった。

B君は休日柔道で忙しいため、遊ぶ機会はあまりなかったが、

休み時間やお昼ご飯を一緒に過ごした。

しかった。

正直、僕の「自我」は中学二年生で失われ、この高校二年生になるまでずっと無かったのだと思う。

それから楽しいことは全部覚えている。

B君が体育会のわりにアニメが好きで、特にガンダムシリーズが好きだったこと。

格闘ゲームギルティギアよりもストリートファイターKOFの方が好きなことも。

カラオケではDEENを歌うことも。

B君は優しくて、強くて、格好よかった。

全部、全部、覚えている。


B君との繋がりで、ほかにも友達ができた。

みんな優しかった。

けど、やっぱりB君は特別だった。

僕はB君のことが好きになっていた。

高校三年生になり、クラス大学受験科目別で分けられ、

僕はようやくイジメっ子と別の教室になれた。

同時にB君とも別の教室になってしまったけれど、お昼休みは一緒にご飯を食べたし、

B君は部活引退して、放課後も一緒に帰るようになった。

このB君のことが好きだという気持ちを、どうやって処理すればいいのか悩んでいた。

まずもちろん、B君が男性が好きな男性なのか? という疑問を解決しないといけない。

そして、さらにその先にある

責任感の強いB君にそこまで求めても良いのか?」という疑問が一番大きかった。

好きなら好き、嫌いなら嫌いだろ? と簡単に割り切れればいいのだけれど、

なんていうかB君と僕の関係はとても危ういように感じていた。

ハッキリ言って、B君の方が立場が上のようで、ある意味では下になる。

所謂「助けるなら最後まで面倒みろよ」的な論調で、B君の自由意志が反映されない気がしていた。

仮に僕とB君が相思相愛だったとしても、

B君の無条件の信頼と好意によりかかった、僕にとって都合が良すぎる関係なんじゃないだろうか。

まり

『あのイジメっ子が僕に関係強要したことと、上からと下からという違いがあるだけで、実質同じなんじゃないろうか?』

という悩みだった。

力の暴力とはまた違った、関係暴力みたいなことを、B君に押し付けることになるんじゃないか?

僕はB君によりかかりすぎて、これ以上を求めちゃいけないんじゃないか。

イジメっ子が僕に対して無理矢理性行為強要したように、

僕もB君に対して同じことをしようとしてるんじゃないか。

結局、僕はB君に思いを告げることはなく、高校卒業した。

彼は県内大学に、僕は県外の大学にそれぞれ通うことになった。

そして、大学卒業した今でも、彼とは友達であり続けている。

たらればを言ってもしょうがないのだけれど。

イジメっ子が僕をイジメてなかったら、僕とB君は友達になっていなかった?

イジメっ子が僕に性的行為強要しなければ、そもそも僕は男性性的な魅力を感じなかった?

もちろん、イジメっ子のしたことを肯定する気はさらさら無いし、合法的に殺せるなら殺してやりたいとすら思う。

けれど、あの地獄が無ければB君とは出会えなかったし、あの地獄があったから僕はB君を好きになれたのかもしれない。

それでもつい考えてしまう、イジメっ子が存在しなくて、

僕とB君がフラット関係出会えたとき

僕は彼を好きになったのだろうか?

彼は僕を好きになってくれるのだろうか?

僕は今でもB君のことが好きです。

2016-01-05

中学一年生一学期一回目の授業で恋愛論とか教えろよ

マズローの欲求5段階説とかも

2015-10-22

anond:20151021231008

それは暫定勝者のいいぐさやで~

子供社会に出るときが来たらめっさ大変なんやで~

保育園病院病院また病院~ノロロりんご手足口~

小学校一学期給食がありません

中学校いじめ受験

高校:その子なりのあれやそれ

2015-08-14

高校時代女子高生セックス出来なかったか死にたい

女子高生セックスしたいけど、いましたら犯罪になるし、やらせてくれる子もそもそもいない。

っていうか、僕は年の離れた男に簡単にやらせるような子とはあんまりしたくない。そりゃ、目の前に裸でいたら襲っちゃうけど。

まれ変わりシステムがあるなら、死んで高校三年間をやり直したい。

今度は真面目な進学校じゃなくてそこそこの高校に進学しよう。そうすれば、勉強が頭の隅に常にある生活じゃなくて、頭の中を女の子のことだけにして青春を送れそう。

バレー部のいかにも女子高生黒髪ロングな女の子と席が隣になって、休み時間に喋ってる内にお互い意識し出して、一学期も終わりが近づくとなんだか寂しくなって終業式の日に告白してウキウキクワクの夏休みを送りたい。

初Hは彼女の部屋でなかなか上手くいかないけど、なんだかお互い幸福感に包まれながら抱き合ってお互いの体温を感じてたい。んで、次第にセックスの楽しさにお互い目覚めて毎日やりまくりの日を過ごすんだ。

花火大会の日は浴衣を着て屋台を楽しむけど、いざ花火が始まると茂みに隠れながら花火を見ながらの野外プレーを楽しむ。

いざ学校が始まると、花火大会の日の興奮がお互い忘れられず、空き教室とか体育館スリルを味わいながらセックスしたい。

冬になったら抱き合って、あったかいねウフフとかしてみたい。夏服冬服スク水ユニフォームそれぞれで着衣プレーも忘れてはいけない。着衣プレーで使って少し汚れた制服彼女に着せて一日過ごさせたい。

新学年になったら、彼女のことを好きな後輩が告白するけど、当然我が彼女は僕を選んで、二人で後輩のことを嘲笑いながらセックスしたい。

清楚でクラスのマドンナだけど、自分の前では淫乱痴女彼女を思い浮かべながらのオナニーも乙なものだろう。

卒業したらお互い別の大学に進み疎遠になって自然消滅するけど、久しぶりに彼女と会って、彼氏セックス愚痴を聞く内にラブホテルに行く流れになり、彼女にやっぱり増田君じゃなきゃダメっっっとか言わせたい。なんやかんやでよりは戻さず、彼女大学時代彼氏結婚することになり、結婚式にこっそり潜り込み高校時代彼女のハメ撮りを見ながら感傷に浸りたい。

書いてて辛くなってきた。どうせこれから好きな人出会っても、高校時代セックスしてた人なら諦めて普通に死ぬと思う。

高校時代セックス出来たかどうかの差は大きい。その後の人生でどんなことをしたって取り返せない。

童貞で成人した自分に耐え切れず、出会い系で汗臭いヤンキーアラサーに3万ぼったくられて童貞卒業する引きこもり現実なんてないんや……。

ああ死にたい

2015-07-18

報われたい

自分人生めっちゃ疲れた

色んなことに報われない人って沢山いると思うけどその中の一人に私がいて、まぁ苦労自慢ってわけではなくとりあえず整理整頓したいからここに書こうと思う。何か報われる方法があったら教えてください。

とりあえず私は報われない

保育園年中のとき お昼を食べるのがめちゃくちゃ遅くて、そしたら先生が突然わたしのデザートをとりあげて友達にあげてた。ゆるせないままだった。

なんか覚えてないけど私がその子タヒねって言ったらしくその子が来なくなって誤り行った思い出があるけど、悪いのは私じゃなくて先生じゃん?って思う。

小学校2年生の時に親が離婚した 当時私の中でしょうもない嘘をつくのが流行ってて、父が仕事から帰宅した時に「おかーさん明日出て行っちゃうだってぇ」なんてバカみたいな嘘ついてたら翌日それが本当になった。 母が言うには私の言ったことでなんか色々怖くなったかららしい。

その前から家の中は不穏だったし喧嘩なんてほぼ毎日。私と、双子の妹が居ようが居ないがお構いなし。結果母は鬱病になって私たち子供を連れてナチュラル家出した。夏休みの事でした

小学校四年生とき 授業でわたしのかいてたものクラスの子バカにされたかんじがして、聞いたらキレられて「殺す!」とか言われた。担任にチクったけどこの担任がすごぶるクソババアで、放課~次の授業の最初あたりまで教室で話し合いしてた。次の授業は体育で外だったんだけど、授業はじまる時にみんなに向かって「バカのせいで授業が遅れたわ」とかいっててタヒねって思った。

小学校6年生の時に母が再婚した お見合いに会員登録してめかしこんだ写真撮って女性はお目当ての男をひたすらサイトで探す方法だった。

妹たちとうわーこの人動物園飼育だって~とかこの人年収○○○円ある!とかきゃいきゃいやってたのを覚えてる。結果再婚したのは有名企業ちょっと言えないところで働いてるぶっさいくでどもりのあるクソ男だった。私と妹たちはこいつがしぬほど嫌いだった。私より一つ下の男の子がいたけどこっちは性格がすごぶる悪かった。育ちが悪いってこういうことかーなんて考えながら、めちゃくちゃ楽しかった小学校と大好きだった先生友達さよならして都会から田舎引っ越したけどそこからめっちゃ地獄現在引越し前の所で住んでるけど、もう田舎なんて一生住みたくないと思ってる。 小6の夏休み暑い友達いないし行くところもないし本当に毎日無駄だった。

転校初日クラス男子に「○○○市とか、都会じゃん!」って言われて田舎乙とか心の中でめっちゃバカにしたよ

中1 なんか友達いないわけじゃないけど二人グループ作れって言われたら残り物になるようになった。同じ時期に田舎引っ越してきた子は輪に入れてるのに自分だけ外野感。皆がやりたがらない委員会を買って出て、それが生活安全委員っていう毎週特にコレを気をつけるみたいな規則をつくってそれをクラス人間に守らせる委員会だった。

任された仕事は徹底的にやる主義だから一生懸命にやって、だから達成できなかった時はめちゃくちゃ怒った もう一人の生活安全委員全然働いてくれなくて、皆私にあんまり近寄らなくなって、話を聞いてくれる相手がいる人間を心底恨んでた。この時の担任はめちゃくちゃいい人だった。

あと学校書道大会で銀賞取った。金じゃなくて銀かよって思った。

父のところへ帰りたくて夏休みの間に泊まりに行ったけど、そこから帰ったら母の機嫌はめちゃくちゃに悪かった。たまに父と会うけどその日の母はバカみたいに機嫌悪くてほんとしょうもないクズだなぁって思ってる。

中二 クラスに絵がまぁまぁうまい子がいた。ここまで言ってなかったけど私は絵をかくのが好きで、保育園年長で絵の上手い子がかいてるの見て「いいなー」って思ってたけど小学一年生ときに「りぼん」を読んでから将来の夢は漫画家だったくらい。ちなみに小一の時に授業でかい遠足の絵が選ばれて階段の壁?に貼られてめちゃくちゃ嬉しかったのを今でも覚えてる。 で、まぁこの上手い子が担任にも贔屓されてて、私はというと特に仲のいい友達もいないしま生活安全委員やってまたもう一人が働かなくてって感じで毎日死んだ顔してた ついには泣いた 一生懸命やってるのになんでお前はやらねーんだよ何正義感ありありで立候補しといてやわねーんだよって感じ。

文化祭でうちの学校は有志のかいた絵から一枚選んでそれを全学年ででっかいモザイクアートにするんだけど、それに私と上手い子が応募した。私は賞なしで上手い子は賞もらってた。 ていうかここまで上手い子ってかいてるけどそこまで上手くない。わりとマジで

中3 家を追い出された。実父に迎えに来てもらって、1ヶ月くらい実父の彼女の家で住んでた。一晩とまってから学校に行って、ちょっと話して、先生に母から電話だよ、持ってきて欲しいものを聞きたいみたいって電話変わったら「なんで学校に来るんだよブツブツブツ」って話されて怖くて何も言わずに切った。受験生夏休みだけど補習もあって、高速で往復2000はかかる道のりを送り迎えしてもらったり服を買ってもらったりした。彼女さんはとてもいい人だったし結婚しちまえと思ったけど中国人だったから祖母と祖父が猛反対してだめらしかった

小6から、クソ義父に祝われたくなくて一切拒否してた誕生日会をこの時彼女さんと実父とで久しぶりにやった。

なんでかしらないけど父の財布からお金を盗んで色んなものを買い込んでた。お父さんごめんなさい。母にお金を使い込んでた事が帰ってからバレたとき一緒に嘘ついてくれた。きっと盗んでること知ってると思うけど何も言われなかった。

夏休み終わるちょっと前に母から謝罪を受けて戻ったけどここで戻らなきゃ良かったってずっと思ってる。

あとスケッチ会で初めて賞をもらったけど銀だった。うまい子は金だったけどぜんぜんうまくなかった。

高1 いろんな人間を説得して押し切ってデザイン系の学校に通うことにした。田舎学校はいやすぎて○○市の学校にした。といっても公立はなんか受かる自信ないし受けるの面倒だしってクソみたいな考えしてたか私立落ちこぼれ校みたいな所に入った。まぁまぁうまい子もそれなりにはいたけど皆デッサンもまともにできないようなやつばっかで引いた。いやデッサン試験でやりましたやん皆さんどうしたんですか?って感じに。

スケッチ会は選考に残って中々返されなかったから期待してたけど賞はなかった。あと体育祭Tシャツデザインも票はいくらか入ってたけど落ちた。どっちも選ばれてたのは高校でできた絵の上手い友達だった。

秋に突然母に「引っ越すから」って言われて引越し前の所へ母私妹で戻った。ちなみに離婚はしてない。離れた理由が「私(母)の病院が近いから 」って聞いてたのに母は怒ると「あんたの学校が○○市だから!!!あんたたちが○○さんと上手くやらないから!!!!」なんて暴れだした。理不尽だなぁってずっと思いつつだんまりでやりすごしていた。

高2 進路決めで揉める 私は日本画を学びたいって中3の時から思ってたけど予算的にムリとか母にいわれた。 いやアンタに手助けしてもらったら一生「あの時払ったのは私だ」って言い続けるじゃんってわかってたか就職するって嘘ついておいた。ちなみに希望は父の経営する会社

母とは話が通じない、父にはお願いしてもはぐらかされてひきとってもらえない。めちゃくちゃ辛い。体でも売ってどこかを点々としたいとか思ってる。なんか憑かれてるとか○○神宮に好かれてないとかなんか色々霊的なことで混乱した。

平日に素描担当非常勤先生にお願いして居残りでデッサンとかクロッキーをやってた。ひたすらにがんばった。木炭紙大の人物クロッキー冷房の効いた素描室で汗たらしながらかいた。がんばったけど素描の成績は、3だった。

その年のスケッチ会は、めちゃくちゃがんばろうとおもって、場所がお城だったんだけどお城がかけない私は私なりに考えて敷地内で日本家屋っぽい建物(これがべらぼうに得意な対象)をみつけてそこを描いた。担任にヘコヘコ「あともう少しなので」って期限を延ばしてもらって、出したのは最初に決まってた期限の3週間後だった。

B3のイラストボード鉛筆と水彩で一生懸命かい風景画、素描先生に「みんな人物をかかなさすぎる。君はかいたほうがいいよ」って言われて3人も入れた。結果は、賞すら取れなかった。

一番いい賞をとったのは去年佳作をとったうまい友達で、一学期努力賞(総評でいい子がえらばれるみたいな賞)に選ばれたのもその友達で、あと体験入学の手伝いに誘われたのもその友達。わたしはなにもなくて、結果を聞いた瞬間と学校からの帰りの電車で何度も何度も思い出しては泣きそうになった。なんかもうだめだとおもった。

すごい無駄時間を過ごしたなぁ なんで言われたとおりにしたしがんばったのに何も無いんだろう

もう全部やめたい 私にはなにもない

2015-05-14

連帯責任の思い出

http://suminotiger.hatenadiary.jp/entry/2015/05/13/162046

 運動系教育現場における連帯責任話題を見かけ思い出したことがあった。

 私の通った中学では体育教師が毎年四月の授業プログラムとして基礎体力トレーニングなるものを行っていた。一度の授業に参加するのは2クラス男子それぞれ15名前後ずつの計30名程度。主な内容は短距離ダッシュ、中距離走、腕立て、背筋、空気椅子手押し車アヒル歩き、馬跳び、カエル跳び、アザラシなどなど全身の筋肉を万遍なくいじめてやるメニューを45分の授業時間いっぱいかけて行う。

 特に下半身への負荷が非常に高く、体育の授業があった翌日などはホームルームの起立着席時に男子の動きが緩慢でずいぶん時間がかかっていたことをよく覚えている。非常にキツイ授業ではあったが今考えてもそのメニュー内容はシゴキというレベルではなく指導範囲内であったろうことは先に明言しておこう。

 さて、この授業には掲題にあるとおり連帯責任ルールが取り入れられていた。

 2クラス合同で行われているところが味噌で各メニューを何本か連続でこなす最後の一本になるとクラス対抗の対決要素が加えられるのだ。

 勝利条件はメニューによって様々で馬跳びのように団体競技で先にゴールしたクラスが勝利となるシンプル場合もあれば、個人がそれぞれにメニューをこなし「ノルマを達成した者が多くいたクラスの勝利」「ノルマ未達成者を多く出したクラスの敗北」という場合もあれば「最も優秀な成績を出した一人が所属するクラスが勝利」「最も悪い成績を出した一人が所属するクラスが敗北」という場合もあった。

 敗北したクラスには連帯責任で都度ペナルティが科せられる。足上げ腹筋30秒。一人でも脱落者が出た場合、もう一度全員でやり直しとなる。ただし二回目以降は有志の人間が脚にボールを挟んでやり遂げれば、未達成者が出た場合でもペナルティ完了となる救済措置が用意されていた。

 ところで、ここまで他人事のように書いてきたが、私は昔からからっきし運動が苦手で、この授業でもクラスで一番足を引っ張る役どころとなっていた。その立場から言わせてもらうと、この授業には結果的には大変救われていたと今では感謝している。

 この一学期初めの一ヶ月の授業を通して、新たに顔を会わせたクラスメイトたちは互いの運動能力の差を否が応でも理解していくこととなる。そしてそれは運動能力の高いものが自ずと中心になり作り上げていく無言のヒエラルキー的な理解ではなく、各々の能力に応じてクラスの中での役割分担を作っていく形での理解だ。私にはこれがとてもありがたかった。

 もちろん運動ダメであることには違いないので、クラスメイトからのそのような認識が変わることはない。しかしそれは明らかな足手まとい、空気のように扱うべき存在としてではなく、フォロー必要存在としての認識だ。他に助けられた時、必然私は彼らに感謝言葉を伝える必要があったし、クラスメイトは互いに声援を送りあう必要があったし、誰かが今まで出来なかったことを達成した時には素直に賞賛し合った。それだけペナルティから遠ざかったのだから当然だ。

 そうして四月を終える頃に出来上がっていたその空気というのは一年継続することとなり、私は小学生の頃に比べて運動に携わる学校時間を格段に過ごしやすくなった。

 もちろん他クラスから嘲笑を浴びて嫌な思いをすることもままあったが、中学に入る以前はそもそも団体球技をしている時に同じクラスメイト運動ができる存在に話しかけることなど出来もしなかったのだ。それに比べれば、できないなりにチームに参加し励まし合うという体験ができたのはこのうえなくありがたいことだったのだ。

 私がそのようにクラスに受け入れられ、自身も前向きに取り組むことができたのは、あの四月の連帯責任ルールのお陰であったことを私は今でも疑わない。

 私はこの一事例をもって必ずしも連帯責任制度肯定的立場をとるわけではないが、せっかくなので書いてみた。

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.01 『ぱすてるチャイム

■連載のはじめに。

 コンシューマー系のギャルゲーバブルも、そろそろはじけかけている今日この頃ですが、アリスソフトというメーカーは、良くも悪くもマイペースで、ギャルゲー(非18禁)とエロゲー18禁)の境界線を、自由気ままに闊歩しているという印象があります。そして、その分、バランス感覚に気を配っているメーカーでもあると思います。ただ、ギャルゲーエロゲーも、バブル的な市場の拡大が起こってしまった現在は、同時に多くの価値観提示されてしまった世界でもあると思うのです。まあ、エロゲー世界は元々、無秩序・無軌道反社会的で『仁義なき戦い』のような世界ではあるんですけど、それにしても価値観が乱立し過ぎてねえか、というか、既にレーベル数を、本職の美少女ゲーム誌の編集者が把握しきれない、そんな状況の中で、今後のアリスソフトを占う上でも、『ぱすてるチャイム』は興味深い作品だと思ったのですよ。ええ。

■全体を俯瞰して。

 さて、そんな昨今の状況に対して、うっかり中出ししてその後始末を考えるような、ちっともタイムリーで無い、珍妙美少女ゲームコラムの第一回のお題は、アリスソフト久々のRPGぱすてるチャイム』でございます

 もう、発売してから結構経っているので、改めて説明しなくてもいいと思うんだけど、『ぱすてるチャイム』は、育成もの恋愛SLGの要素を加えた、ダンジョン探索型のRPGです。4人の女の子達と協力して冒険していくうちに、喜怒哀楽がで悲喜こもごもイベントがあって……というのが、美少女ゲームとしての、一番メインの要素なのだけども、心配していたのは、これらの要素が、一つのゲームとして、まとまっているかどうかという点だった。とりあえず、その辺からゲーム俯瞰していくことにしましょう。

 まず、RPG部分に関しては、アリスソフト伝統的な操作体系を継承していて、かなりプレイやすシステムになっている。ただ、作り込んではあるんだけど、昔ながらの経験値稼ぎ系のゲームなので、特に最近コンシューマー系のRPGに慣れてしまっている人には、戦闘シーンが、システムに慣れてくるとすぐに単純作業になってしまうあたり、ちと辛いかも知れない。

 戦闘シーンのビジュアル基本的には静止画だけで、キャラクター台詞でメリハリをつけるというのは、作業の効率という点では好感が持てるんだけど、淡泊というか、単純作業という点を強調してしまった面も。例えば、『ファーランドストーリー』や、アリスソフトだと、『かえるにょぱにょーん』の戦闘シーンにもあった、チビキャラアニメみたいなものがあっても良かったかも知れない。まあ、筆者はそういうのがうざったい、かなりせっかちな人なので、OFFにしてしまますが、多分。

 むしろ、気になった点としては、恋愛SLG部分の方で、ゲーム時間比較して、イベント数が少ないのだ。一つ一つのイベント台詞回しなども含めて、よく練り込まれているのだが、一学期から二学期にかけて、シナリオ分岐するまでのイベントが少ない。これは、キャラ固有イベントに比べて、共通イベントが少ないからだと思うし、週末のデートイベントテキストだけで、しかも、数パターンしか無いってのも、ちょっとしかったな。しかも、キャラ固有のイベントは、見逃したら次のイベントに繋がらない……というものもあるので、フラグ立てをしくじると、本当に味気ないプレイになってしまう。まあ、普通は途中で気がついて、途中のセーブデータでやり直すのだろうけど……。

 正直、『ぱすてるチャイム』というゲームは、かなりストイックゲームだと思いました。そして、アリスソフトというメーカーもまた、ストイックなのだと、改めて思いました。確かに、『闘神都市Ⅱ』や『デアボリカ』といった、一見ロマンティックな美少女ゲームに見せかけておきながら、しっかり心にはドスが突き狂っている凶暴な名作群に比べれば、その獰猛さは幾分抑えられています。でも、アリスソフトの濃厚な持ち味は『ぱすてるチャイム』のような、ライトな娯楽作品でもきちんと健在です。深作映画に例えるなら、『闘神都市Ⅱ』や『デアボリカ』が、『仁義なき戦い』『仁義の墓場』で、『ぱすてるチャイム』は『資金強奪』ですかね?(ますます分かりません)

 ただ、プレイする側の考え方は、時代に合わせて変わるのだろうし、独自スタンスというものが、乱立する価値観の中に埋もれてしまうかも知れない……そんな懸念はあれど、筆者は、昔と変わらない毅然とした態度を維持している、このメーカーをこれからも支持していきたいと思ったのですよ。

■各シナリオ感想

 ボーイッシュを通り越して、豪快な漢気と魅力を発散する沙耶と主人公関係は、盃を交わした男同士の友情すら感じさせるのだけど、少しずつその関係性が崩れていくというか、主人公以上に、沙耶の方が、芽生えた感情制御できなくなっていくあたりの描写が、なんともいじらしくて良い良い良い。

 ミュウコレットシナリオは割と恋のさや当て的な感じなんだけど、沙耶とセレスシナリオは、グローイングアップ的な展開が強調されている。特に、H以降の関係性の描写に重きを置いている点は、好みもあるだろうけど、個人的には好感が持てる。Hが最終目的ではなく、Hも含めて、他人との関係性の中で真の強さを見つけていく描写は、アリスソフトの得意とする所でもあります。まあ、『闘神都市2』みたいな、キツイ一発……いや、ハードな展開は無いですけどね。あっても困るけど。

キャラの紹介と感想

セレス

 天然ボケで内気で弱気眼鏡っ娘エルフで、しか巨乳という、このゲームで一番えろーすなボディのナオン。おまけに、陰湿いじめに遭っていた所を助けたのがきっかけでパーティーを組むという、まるで、おおばやしみゆきのまんがのような出会いだったりもするのだ(分かりません)。どこか人生を諦め、現実から目を背けていた自分を再び見つめ直す……というのが、この娘のシナリオの特徴。得意技能スカウトで弓使い。スカウト技能が無いと、探索の時にロクに扉も開けられないので、セレスと組むにしても、組まないにしても、、主人公が1レベルだけでもスキルを取っておくとプレイが楽ですよ。

沙耶

 タイマンでは負け知らずな武闘派戦士で、剣の腕は赤銅鈴之助や隠密剣士以上(予想)、主人公に着替えを見られてもへっちゃらちゃらーな、漢気溢れる美少女である褐色の肌にスポーツブラが眩しいよ! ただ、時々男勝りな自分への不信感が見え隠れしたりもするのがやはり女の子。そんな沙耶のシナリオは、男勝りで凄腕の戦士というパプリックイメージと、一人の女の子である自分の気持ちの間で揺れ動く、というもの。展開が一番筆者のツボにストライクしたのは、別項の通り。あと、スポーツ少女なので、やっぱり引き締まったいい足してます(どこを見てますあなたは)。実家はそば屋らしい。

コレット

 赤いランドセルスパッツマニアックタマランチ会長ロリっ子ハーフエルフ主人公とは因縁めいたものがあるらしく、転校初日の初対面からフレイムアローでマトにかけるヒットマンぶりを見せる。元気いっぱいで、騒々しさと気の強さでは『仁義なき戦い』の大友勝利にも匹敵する武闘派魔法使いでもある(言い過ぎ)。戦闘時にはキリングマシーンと化して、攻撃呪文を撃ちまくるが、MPの消費も早いので気を付けよう。先の因縁と空白の時間という二つの引っかかりを少しずつ踏み越えていくのがシナリオ主題で、ラストの展開は色々な意味で驚かされますNPCステータス回復できなかったのも驚いたけど。

ミューゼル

 ヒロインなので赤毛の犬系キャラ……という訳でも無いんだろうけど、やっぱり幼なじみなのですよ。面倒見はいいし、神術が得意で、詠唱では全国2位。まさに非の打ち所のない正統派ヒロインなのだけど、持ち前の人当たりの良さは、自己主張が控えめでおとなしいということでもあるので、それが時々裏目に出たりもする。でも、武装した生徒で溢れ返っている舞弦学園が『熱笑!花沢高校』にならないのはこの娘のおかげ(かも)。やっぱりヒロインなので、シナリオはきっちり手堅くまとめられてます主人公との関係性はもちろんだけど、コレットとの友情が、描写として印象的な所が多いのだ。

あとがき

 なーんか偉そうなことを延々と書いていますけど、元々は某美少女まんが誌のゲームコラム用に買ったという名目はあれど、動機は完全にキャラ萌えなので世の中そんなものです。沙耶沙耶沙耶。『かえるにょ・ぱにょーん』だって、しっかりクリアしたさ!

 おまけに、このゲームレビューを書こうと思っていた、某美少女まんが誌のゲームコラムの方は、書く直前に打ち切られてしまって、危うくお蔵入りになるかと思っていたんだけども、捨てる神あれば拾う神あり。というか、やらんと収入が(中略)。さて、次回の『N.C.P』(←略称)のお題は……えーと、今回の原稿を書いていたら、調子に乗り過ぎて規定字数を大幅オーバーしてしまったので、『ぱすてるチャイム』の続きと、もう一本は、待望の『ベストプレープロ野球Win版』かな……すいません、うそです。まだ決めてません。では、また。[更科修一郎(FAKEOFFICE)]

2014-03-17

ラジオフラッシュバック

ラジオ聴くと何でか退廃的というか、憂鬱な気分になる。それもどのラジオを聴いても退廃的な気分になるのではなくて、ある特定ラジオ局をお昼とか夕方時間聴くと、そうなる。

なんでそうなんだろうと理由を考えてみる。

憂鬱な気分にさせるラジオ局は、全国で流れるFM系列だ。(詳細は伏せる)

お昼はおそらく東京スタジオで収録された番組で、夕方は、地元局の独自編成の番組だ。

それを聴き始めたのは中学生の頃で、その頃ボクはどこにでもいる不登校中学生だった。

まだネット環境、どころかPC環境すらなかった。その頃ボクがどうして時間を潰していたのか、謎である

おそらく新聞配達バイトをして稼いだお金で、雑誌を買い、或いは画材を買って、絵を描いていた。

そう、新聞配達バイトをしていたのだから、そこまでコミュ障ではなかった。むしろ、時には学友と遊ぶ日だってあった様な気がする。一学期に一度くらい。

とにかく様々な要因があって、ボクは中学校に行きたくなかった。

しかし、中学生であったボクは、当然に周りから言われた。

学校は?」

ボクと、ボクの家族は、不登校であることを周りに秘すべきことであると考えたので、曖昧に答えた。

曖昧に答えるというのは、精神的にあまりよくない。

嘘をついているような気分になる。

そして、その時に流れていたのが、ラジオだった。

それは、不登校中学生向けには作られていなくて、ボクはそこでも密かな疎外感を味わった。

ああ、それでか。

あの時のラジオは、ボクが一人であることを、認識させる装置だった。

そして今も、その認識を、同じような番組聴くたびに思い起こさせるんだ。

2013-06-26

大学生にとっての3000円の飲み会

って高いという衝撃。

ふらっと今から行こうぜというやつではなく、一学期ごとに定例でやってるお疲れ様会として。

出席確認とかちゃんととるやつ。

飲み放題付き3000円。相場としては安い。でも高い。不景気だもんな。

いやそりゃチェーン居酒屋なら2000円台であるのだろうけど、チェーン居酒屋は嫌なんだわ…という人が自分含め多数なので除外せざるを得ない。

かつかつの一人暮らしならキツイよな。何日分食べられるんだって話だものな。


で、そういう場合って幹事としてどうしたらいいのだろう。

なお宅飲みは不可。大多数が多少高くてもいいからおいしいものと美味しいお酒を飲みたい、と言ってる。

予算は5000円までOKという感じ。

参加する10人の中の3人が、2000円(ファミレス1000円以内がベスト)がいいと言っている人たちがいる。

定例飲み会伝統的には、やはりファミレスやチェーンだとさすがに……という雰囲気ではある。なにせ一学期に一回しかない。

しかしそのためにこの3人に、「いやごめんねーやっぱ最低でも3000円出してもらえないとキツイっすわ」と言うのも、なんだか気が引ける。

みんな仕送り格差があるとはいえ、みんなでこの3人の分を補填するという方向もできない。

仮に2000円の激安居酒屋で全員参加できるとしても、それなら参加したくないというのが残り7人。自分も実はわりとそう。

はあ。

2013-06-19

【修正】惡の華by押見修造の日付を特定してみた ※原作ネタバレ注意

修正について

夏祭り8月発言など見落としがあり、時系列を再調査して修正しました。

修正前は1996年としていましたが1995年想定に変更しています

高校編からのご指摘ありがとうございました。

また日付逆算元の祭りを特定したので、日付がより正確になったかと思われます

参照:桐生八木節まつり生中継日時

http://www.gtv.co.jp/program/special/matsuri2012/

以下本題

やけに時間の流れを意識させる記述表現が多いので、中学編の日付をほぼ特定してみました。

先ず年代1995年とした根拠は以下の通りです。

ただし作中ではしばしば時系列無視したモノも出てきます。(折りたたみ式携帯、ultrasoul、未発売の本など)

これらは作中の時期を決定づけないためのぼかしや本好きな作者のリスペクトかと思われます

また当時は第2、第4土曜日祝日となっていたようですが、作中夏休みまで土曜日と特定できる描写はなく、現代(土曜全休)との差を埋めるためかあえて避けられているようにも感じました。

このまとめのきっかけは佐伯さんに告白してから付き合えなくなるまでのスピード感が気になったことからですが、全体的に見ても濃厚な2ヶ月と半月ほどであることがわかりました。

惡の華日付1995年想定

日付は日時が確定している夏祭りから逆算しつつ、なるべく辻褄を合わせたものです

5月

曜日不確定ー4日連続して登校しているため初日は月か火、テスト一学期中間テストと予想されます

22日(月) 冒頭、テスト返却、クソムシが、佐伯体操着ゲット

23日(火) 体操着紛失バレ、返却出来ず、チャリ暴走、仲村バレ

24日(水) 放課後呼び出し、仲村と契約佐伯の胸にナイスシュート宿題作文

25日(木) 捨てる!、不審者目撃情報放課後二回目、体操着装着

一週間放課後仲村と過ごす(31日も放課後仲村と過ごしている描写であり、6月1日でちょうど一週間)

曜日確定ーデートの日について、約束した日にあさっての日曜日記述ありー

31日(水) 変態やろう、どこほっつき歩いてんの

6月

1日(木) まゆまゆの給食費、かっこよかったよ、ごめんなさーい、封印

2日(金) おはようデート約束、仲村微笑、真夜中の散歩、あさっての日曜日女子力(物理)

4日(日) 封印解放体操着デート本屋告白、水、仲村の応援

5日(月) 公式発表、佐伯と仲村、大事に付き合っていこうね、仲村いいやつ

6日(火) 昼の給食会with山田放課後三回目、せっくすがしたい

7日(水) 佐伯欠席、木下アシスト春日プリント佐伯邸、嘘、春日の選択、学校ハナガサイタヨ

8日(木) 朝帰り佐伯バレ、別れないよ、どうしてオレを嫌いにならないの

9日(金) 春日欠席、佐伯と仲村2、説得、親バレ春日逃避行修羅場フラグ両断、補導

一ヶ月後

7月

曜日不確定ー一ヶ月後の記述夏休みからの逆算で折り合いをつけつつ勝手に日付を想定してます

10日(月) 水着回佐伯との別れ、敬語、夢、作文

11日(火) 仲村ストーカー春日、仲村宅、行けなかった、春日契約

一週間後

曜日不確定ー来週から夏休みと言ってる日も授業をしている描写などから終業日ではないと判断し、適当に日を空けましたー

18日(火) 容れ物完成、今日も遅い、もう本は必要ない

19日(水) パンツ盗難、仲村と契約2、追い詰められた佐伯アニメ作中終了予想日

20日(木) 来週から夏休みパンツ像、次の計画、ゆるせない

以降曜日・日付確定

22日(土) 夏休み突入夏休み映画特集第3弾、買い物、今幸せ?、にゃははははは、夏祭り計画、8月夏祭り夏祭りまで14日

29日(土) ガサ入れ、木下の説得、暴走佐伯春日確信火事佐伯と仲村3、追い詰められる仲村、あと一週間、計画バレ

31日(月) 火事から2日、あと5日、警察訪問親バレ2、外出禁止令、脱走未遂

8月

1日(火) あと4日、佐伯訪問佐伯独白逮捕木下激怒

4日(金) 広まる噂、学校訪問引越し、仲村来訪、追い詰められた仲村、明日全部捨てよう

5日(土) 計画、買い物2、キレイ夏祭りクソムシ事件

2013-03-08

いじめにあって先生という人から学んだこと。

なんだか最近はいじめられている人達が昔に比べればだいぶ声を上げやすい状況にあるみたいだ。

そして、大人たちは一大事と大切にあつかってくれるらしい。

純粋にすごい環境の変化だと思うし、わたしがいじめにあっていた頃こうだったらと思う。


今26歳の私が小学生だったころ、時たまだがいじめにあっていた。

暴力的ないじめではなく、からかわれたり、ものをかくされたり、落書きされたり、へんなあだ名で呼ばれたりした。

しかにやってる側からすれば、ただの冗談なのかもしれないが正直不登校にならなかったのが不思議なくらい辛かった。

小学生の時には遺書を書いて、自殺しようとしたくらいには。


まぁそんななかでも普通に担任先生たちは基本見て見ぬふりだし、ほぼ仲裁には訪れず、多少面倒になったら登場といったところ。

手厚い保護なんてあるわけがない。

しまいには小学4年生の一学期に親が二者面談で「いじめられるほうに問題があるんです(断言)」と担任に言われたりもした。

それをそのあと、その内容を直接娘に話す親もどうかと思うが。

その時に悟った、「あぁ大人も信用しちゃいけないんだ」と。


その後、わざと学級委員立候補して嫌な仕事も進んでした。

図工で市町村で賞をとり、人権作文でも賞をとったりした。

それでもいじめは変わらなかったが、担任の態度が急変した。

三学期の二者面談

「とても優秀ですばらしいお子さんですよ。みんなの見本になるべき生徒です。

 いじめてくる子は馬鹿から相手にしなくていいです。

 よく注意と指導をしておきますので。何かあればすぐにいってくださいね。」

とぬかしてきたらしい。

実際、そのあといじめが減って、先生をうまく使うことが大切だと実感しました。

というわけで、人の顔色を窺って行動する技術や人の操縦法が身に付き、内申点や上司や同僚からは常に評価の高い世渡り上手になれました。

先生たちも自分に都合のいい生徒の方がいいに決まってるからわかるけどね。

2013-01-02

高校二年生の弟が高校を中退した。おそらく僕のせいで

僕がこうした記事を書いているのは、僕の失敗をみんなに知ってもらうことで同じ失敗をおかさないでほしいと思うからだ。

時間があるかたはお付き合いいただきたい。

弟が高校を中退した。先月帰省したとき母にこう伝えられた。

我が家はいつもこういった重要な話は事後報告だ。

あと一年数ヶ月学校に通えばいいだけなのに、なんで今。特にいじめをうけていた訳でもないらしいのに…

母は疲れた様子でそんな話をして、彼の今後については時間をおいて考えるなんて言う、

甘すぎる展望を話してくれた。

からこの話を聞いたとき、僕は彼が高校をやめる理由について心当たりがあった。でもそれを母には言えなかった

彼が高校をやめるのはぼくのせいだ。

話は去年の梅雨に遡る、一学期最後テストの一月前

彼のテストの成績が振るわずにいてゲームばかりしている彼に僕は「将来の夢はなんかあるの?」と聞き

公務員」と答える彼に

「例えばものすごく成績がよくなっても公務員になりたいの?」と聞いた。

我が家はいわゆる下流の 家庭で、両親は金のことでいつもカリカリしているし

大学の学費、生活費自分でどうにかしなくてはならないそんな家庭だ。

そんな彼が自分自分の将来に希望をもつのは難しい。だからこそ彼に希望を与えたかった。

そして僕は僕が今いる会社の楽しさや、

友人が勤めるMがつくコンサルティングファーム凄さ

ガソリンスタンドじゃない方のGS収入についてなど

彼が知らないであろうことを教えた。

「君が知らないだけで世の中にはこんなにも楽しいことがあふれている」

「それなのに、君は今からそんなに小さくまとまろうとすることはないんだ」

「頑張れば君だってそういうステージにたてる。」

その話を聞いた彼はどうやら彼なりの答えをだし、そして希望を持った、やる気を出してくれた、

その時のテストでは学年でも上位の成績を叩き出した。

僕は彼はこれでやる気を出してくれたと感じ、次にこんな話をした。

お疲れ様、じゃあ次の目標国立大入学だ」

おそらく、これが不味かった。

偏差値が低い高校にやっとの思いで入学した彼にとって

この目標はあまりにも遠かったのだろう彼はやる気をなくし

またゲーム漬けの日々に少しずつもどっていった。

彼が我が家経済状況で大学入学を考えるのであれば

(そして、彼が望む進路にすすむなら)

国立大学入学すると言うのは妥当目標だった。

一年あれば東大は無理でも国立は行ける、

当時の僕と同じくらい努力すれば、だからこそ彼にすすめた。

彼ならそれができるとおもっていた。

だが、その目標成功体験、とくに学業での成功体験

ほとんどなかった彼にとってはとんでもなく難しい問題だったんだろう。

その結果彼は、自分が歩めると思った道を正攻法で歩むのを諦めざるをえないと考えた。

おそらくこんなところだろう。

彼が高校をやめた理由は他にもたくさんあると思うし、

ひょっとしたら本人はそうは感じていないかもしれない

でも僕はこう考える。

僕は彼に希望を示した、それが毒になった。

彼には、希望を実現するだけのエネルギーがなかった、

それに気づかず道を踏み外させてしまった。

希望は、劇薬だ。

僕はその処方をまちがえた。

このまとまりのない長文を読んでくれた方でこの事に気づいていないかたがいたら

ぜひ、頭のすみにおいておいてほしい。

自分善意でしたアドバイスが、こんなにも人の人生に影響を与えるんだということに。

今日僕は弟に会う、そしてこれから長い時間をかけて

彼が再起不能にならないよう、注意深く見守る。

たぶんこれがエセカウンセラー、エセコンサルタントとして、

自己満足に浸ろうとした僕ができる唯一の贖罪から

2012-03-10

[] 当たり前のことをそれが当たり前でない人に語る時のテンプレ

「結論ではなく前提を確定させるレトリック」とでも言うべきか。

これを結論だと考えているなら教育者として詰んでるけれど、内田先生はおそらくスタート地点だと考えているはず。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.php

の文章について「教育エンタ」「教師→クリエイター」 「効率→売上」に機械的に置換してみた。

微妙意味が通らなくなるけど、大体同じ論調で似たようなこと言える話がいっぱいあるな、と思いました。

大事なのは効率じゃない」とか「感じ方は人それぞれ」「唯一の正解などない」という

当たり前だけど、当たり前になってないたぐいの主張を論理的に説明したい人のテンプレとして非常に便利な文章だと思うのでみんなも読みましょう。

エンターテインメントと売上は本質的になじまない。というのは、売上というのは、「単位時間内の仕事量」を以て考量するものであるが、エンターテインメントがそのアウトカムを計測するとき時間の幅は原理的に「その人が死ぬまで」というもので、「単位時間」を切り出すことができないかである。もちろん、無理をすれば単位時間を切り出して(「1時間以内の」とか「一学期以内の」とか「卒業時までの」とか)エンターテインメントアウトカムを考量することもできないことではない。けれども、そこではじき出された数値は、エンターテインメントを受ける本人にとってもエンターテインメント機関にとっても、実は何の意味も持っていない。


しかエンターテインメント機関の質評価に際して、「単位時間内にどれほどのエンターテインメント成果を上げたか」を見るということはやろうと思えば可能である。例えば、「今年の大学入試東大に何人合格たか」とか「TOEICの全校平均スコアが何点」ということは数値的に示すことができる。だが、それをあるエンターテインメント機関エンターテインメントの質の指標だと見なすことはできない。したい人は勝手にされればよいが、それには何の意味もない。

私たち経験的に言えるのは、「難関校合格するだけの学力をもつ生徒がたくさんいる高校」は難関校合格者が多いということ、「英語ができる生徒のたくさんいる高校のTOEIC平均スコアは高い」ということであって、それは単なる同語反復に過ぎず、当該エンターテインメント機関の行っているエンターテインメントの卓越性については何も語らない。


もし、本気でエンターテインメント機関としての優秀性を難関校合格者で測定したいと思うなら(誰が思うか知らないが)、高校入学時点で複数の高校に同数の生徒をランダムに配分して、「よーいドン」でエンターテインメントして、3年後の東大合格者数やTOEICスコアを比べればいい。新薬治験と一緒であるランダムグループ分けして、こちらにはA高校のエンターテインメントをほどこし、こちらにはB高校のエンターテインメントをほどこし、3年後の同じ試験を課して学力を測定すればとりあえずエンターテインメントプログラムの限定的な効果についてはデータが手に入るだろう。でも、そんなことをしている学校日本のどこにもない。やろうという人もいない。エンターテインメント機関の質の指標をそのような数値で示すことが実は無意味なのだということをみんなほんとうは知っているかである


というのは「このエンターテインメント方法でやってみたら、うまくゆきませんでした」ということをエンターテインメントする側は絶対に言うことができないかである学校エンターテインメントの相手は生身の人間である。「出来の悪いエンターテインメントプログラムを与えたせいで、学力が劣化しました」といって放り出すわけにはゆかない。エンターテインメントにおいて「実験」は許されない。だからエンターテインメント機関の卓越性は科学的には考量不能なのである松下村塾にしても、適塾にしても、懐徳堂にしても、劇的な成功を収めた学校歴史上たくさんあるが、それが成功した理由を科学的に証明することは誰にもできない。それを証明するためには、松下村塾と同じ資質の塾生たちを集めて、吉田松陰ではない人が教えた場合アウトカム比較するしかないが、それが不可能だからである


卓越したエンターテインメント機関が卓越しているのは「卓越した資質を持った若者たちが、そこに惹きつけられて集まってきた」からである。私たちにはそれしか言えない。別に吉田松陰有為青年たちに向かって、「うちで学ぶとこんなに知力が上がり、いずれ歴史的転換点で大きな働きをして栄爵を得るでありましょう」というようなパブリシティをしたわけではないし、「他と比べて、こっちの方が学習努力費用効果がよさそうだ」と算盤を弾いて、高杉晋作伊藤博文山縣有朋が門下に参じたわけではない。そこで何が行われているのかわからないし、そこで講じられていることにどんな有用性があるのかよくわからないけれど、「なんだか知らないけれど、そこに行って学びたい」という若者たちが蝟集してくる学舎がエンターテインメント機関として結果的に高いアチーブメントを示す。私たちが知っているのはそれだけである


エンターテインメント機関の質はそこで学んだ若者たちがそれからあとなしとげた仕事の質によって見るほかない。そのときはじめて「これほど優秀な若者たちが一堂に集まった学舎はきっとすぐれたエンターテインメントプログラムを行っていたに違いない」という推論が成立するのである。あるエンターテインメント機関の質は、そこで学んだ人々のその後の生き方を見ることで事後的に測定するしかない。だが、「棺を覆いて定まる」という言葉が教えるように、ある人が「どのような評価を得たか」が確定するまでには長い時間がかかる。松下村塾の卓越性が歴史的に証明された頃には関係者は全員死亡しているので、科研費をつけることもできないし、塾長紫綬褒章を送ることもできない。そうものである。私たちがある学校の卓越性や瑕疵についてのエビデンスを得るのは、いつだって「もう遅すぎる」ようになってからなのである


からエンターテインメントアウトカム単位時間を区切って計ること(つまり「売上」を論じること)には何の意味もない。エンターテインメントを受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じエンターテインメントを受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けたエンターテインメントのおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

私が30年のクリエイター生活の経験から言えることは、エンターテインメントにおいて、クリエイターからの「働きかけ」と学ぶものが示す「成果」(もっと散文的に「入力」と「出力」と言ってもいい)の相関は「よくわからない」ということである。ある学生にとって「学びのトリガー」となったような働きかけが別の学生には何の感動も与えないということがある。こうすれば必ず学びが起動し、学生たちの知的ブレークスルーが始まる、というような「一般的な」エンターテインメント技術というもの存在しない。残念ながら。



人間は実に多様なきっかけによって心を開き、心を閉じ、学び始め、学ぶ気力を失い、成長を開始し、退行する。私たちクリエイターが言えるのは、「経験的に比較効果的な方法存在する」ということだけである。その方法さえクリエイターごとにみな違う。だからクリエイターたちが集合的に「正しい教え方」について合意形成するということは決して起こらない。

だが、まさにすべての子どもを斉一的に知性的感性的に成長させる方法存在しないという当の事実人間本質的な開放性を担保していると私は思う。それは言い換えると、あらゆる人間のあらゆる言葉、あらゆるふるまいが、子どもたちにとっては「学びのトリガー」となる可能性があるということである



やがて知的ブレークスルーを担うようになる破格にイノヴェーティヴな子ども(千人に一人くらいの確率でいる)にとって、目の前に立つクリエイターほとんどは(残念ながら)知的にはあまりインスパイアリングではない。けれども、「クリエイターが十分に知的に啓発的ではなかったためについに才能が開花しなかった天才」というようなものを私たちは想像することができない(その程度のことで萎れてしまものを私たちは「才能」とは呼ばない)。クリエイターは、しばしばその狭隘さや愚鈍によってさえ子どもの学びを起動させることができる。「なぜクリエイターたちはこれほど愚鈍なのか?」という問いはある種の子どもたちを「学校」や「エンターテインメント」についてのメタ認知に導く(彼らはいずれ「誰であれ教壇の向こうに立っていてさえいればエンターテインメント的に機能する。人は教える立場にある限り、教えることができる」という人類学的知見にたどりつくだろう)。


これほどに学びの機会が多様であるのは、自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているからである。同じクリエイターに同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのときクリエイター言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的な連続」として再編集する。必ずそうする。過去の出来事の意味現在自分の状態に基づいて、そのつど改訂されるのである。だから過去の出来事が意味の改訂を拒絶するというのは人間が成長を止めたということと同義である(それゆえ、意味の改訂を拒絶する出来事の記憶のことをフロイトは「トラウマ」と呼んで治療の対象としたのである)。


自分が何を学んだかを決定するのは私自身である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由を形成している。学びというのはそのようなしかたでダイナミックに構造化されている。学びが力動的で、時間的な現象である限り、私たちが生きる一瞬ごとに、私たちがかつて受けたエンターテインメント意味は改訂され続けているのである。私たちがかつて受けたエンターテインメント意味が振り返るごとに改訂され、そのつど深みと厚みを増し、そのつどそれまで気づかれなかった相をあらわにするということ以上にエンターテインメント的な事況というものがあるだろうか。


「売上」というのはもう変化することのない価値人間尺度からすれば「死物」としての価値)を抽象的に切り出された単位時間で除して得られるものである。そのようなものを数値的に考量したり、比較したりすることに学びにおいてどれほどの意味があるのか、もうこれ以上の言葉を継ぐ必要はないだろう。

この記事で語られている理屈は、滅茶苦茶汎用性高いと思います

政治のように決定が大事場所で、いつまでたってもこういうことをずっと述べ続ける人は

バールのようなもので投げられても文句は言えないと思いますが、

議論のスタート地点でこういう「アタリマエのこと」を考えてもいない人はもっと危険です。

アタリマエのことを、それが当たり前でない人に納得させるように語るのは非常に難しい。

この文章から学べることは多いと思います


お暇な人、良ければ細かい部分修正したり換骨奪胎して

「お前の感想けが正解じゃないんだよ2ちゃんの豚め」とか

「売り上げ厨死すべし」的な話を作ってください。

2009-07-27

誰がための「オシャレな男子」なのか?

連休の初日に伯父の家族がやってきた。伯父には三人の子ども、つまり私のいとこが三人いるのだがその真ん中、今年14歳になる男の子がおもしろい。毎回会う度に、よくいえばオシャレな男の子に、悪く言えばケバイギャル男に変容していくのだ。その変化は普段会わない私には顕著に見える。最初はさりげない細部に変化の兆候があったのだが、このところはもう開き直ったか、私に会うときだろうとお構いなしにその変化の度合いを見せつけてくる。

思い返せば私の中学時代も、この年頃の成長というのは、まだ男子の方がその速度において男子を圧倒していた。夏休みの登校日や新学期の初日、一学期にはピンク色の亀頭をなびかせていた清純そうなあの男の子が、当時の私たち女子には想像の付かない「一夏の経験」を経て、趣味の悪い赤紫になっていたり。とにかくいろいろあるものなのである、14歳というお年頃。考えてみれば14とは中二であり、文字通り女子が中二病を患っていたそのころ、同年代の男の子性病にかかってどんどんいろいろな成熟をとげていたというわけだ。

閑話休題。案の定、一昨日も彼女は前回から一段と「イケメン」になっていたのである。それでついつい、私は言ってしまったのだ。彼の淡くそまったピンク色の乳首を横目に「自分の男の価値気づきやがって」、と。下ネタへの耐性などまるでないアットホームな伯父の一家が一挙に凍り付き、シーンと静まりかえった中にその子のち○こビンタだけが私の頬で鳴り響いたのは、言うまでもない。

折角の夏なので雄大な青い海の広がる南の島にでも行きませんか?

交通旅費などの費用は全て私が出しますので安心して下さい。まずは今月中に一度会って欲しいと思います。是非とも今年の夏は私と一緒にエンジョイしましょう!

↓続きを見る・お返事を出すにはこちら↓

http://mixi.jp/

2009-03-01

留学について思うこと

個人的には見識を広めるというのも一つの利点であることは否めない。だが、しかしながら私は文系科目で(かつ学部で)留学というのは少し反対である。

1.留学必然性はあるのか?

聞いた話によれば確かに大半の日本大学文系は行く価値のないモラトリアムかもしれない。だがそれはアメリカだって同じことだ。アメリカ人日本人に比べて勉強する、これは神話である。アメリカ人勉強しない。もし君がアメリカ人勉強しているように見えたのであればただ単に君がとてつもなく不真面目で英語能力がないだけなのではないかと私は疑う。

アメリカ人勉強する連中は大抵Pre-medやそういった専門大学院に行く連中だ。そういった連中ははじめから成績がいいし頭もいい。そして勉強しないことで発生しうる不利益大学院に行くことによって得うる利益を知っている。誰だって高給の職業に就けるのであれば努力するだろう。もし専門大学院にいけなければ彼らは可哀そうなことにみじめな職につかないといけなくなるのだから(これは彼らの専攻に関係している。そして高給の職に比べたら大抵の職業はみじめだ。労働に貴賎はなくても労働価値に違いはあるし労働賃金にも違いがあるのは事実だ。)

工学部連中勉強する。いや、勉強しない連中工学部に残ることができないと言ったほうがより正しいだろう。アメリカでは卒業するために評定平均でC、そして専攻科目ですべてC以上を取らなくてはならない。悲しいことに勉強しなければ工学部卒業できないのだ。確かに遥かに羨望に値するぐらい勉強をしないで私より良い成績を残す人はいる。だがそんな人間はめったにいないし、君はたぶんそんな人間ではない。勉強をしない連中は大抵はじめの一年目か二年目の半ばに専攻を変えてゆく。彼らにははじめに選んだ専攻に固執するだけの思いもないし所詮彼らにとっては大学なんてモラトリアムだ。

再度言おう。アメリカ人勉強するというのは神話だ。アメリカ人の中には勉強をするモノ好きもいる。そして大抵の彼らはいい成績を納めるしいい大学院に行くか有名企業就職することとなる。だが君が知っている通り大抵はしょぼい企業就職する。それは日本と同じことだ。

不幸なことにGrade Inflationは深刻である。君はもしかしたら卒業できるだけの知識はないのに卒業できてしまうかもしれない。ド田舎から来た少年少女は誠心誠意モラトリアムに励むことになるだろう。彼らは、しかしながら卒業しなければならない。しかし彼らは勉強をしない。大学は彼らから授業料を得たいし、彼らが長く大学に在籍することを望んでいる。解決方法は簡単だ。彼らに不相応な成績を与えればいい。授業の内容を簡易化し、宿題を減らし、Extra Creditを与え、そして不相応な成績を与えている。日本大学で授業の参加しなくても卒業できるように悲しいことにアメリカ大学卒業するということは考えているほど難しいものではない、もし君の母国が英語であったならば。

だが不幸なことに、まことに不幸なことに君の母国は日本語であるはずだ。もし君がアメリカで生まれて、もしくはアメリカ高校を出たりしたら少しは変わってくるのかもしれない。だが日本高校を出て大学受験をしていた君には、そして私には簡単は簡単ではないし、なかった。君がいま格闘している英語教科書...それは悲しいほどに簡単だ。そして君の語彙力は悲しいほどに乏しい、もし君が私と同じ程度の語彙力であるならば。私の高校では英語の単語帳はDB4200だったと思う。私はそれのほとんどを記憶したしTOEFLの単語帳にある単語の半数は記憶した。センター模試英語コンスタントに180以上だ。TOEFL CBTのreadingのsectionでは27/30ぐらい実力はあった。けど約束しよう。TOEFL無意味だ。SATかACTを受けろ。もし君がSATもACTの知らないのであれば留学は止めておいた方がいい。SATは君の英語能力を悲しいほどに否定し君が一流大学のいけないことを証明してくれる。SATは悲しいほどに克服するのに時間を要する。君が大学受験と併用してSATの準備をできるほど優秀か否かにかかっている。私はそれほど優秀でなかった。私の英語能力のなさはSATによって証明された。偏差値60は無意味だった。だから私はしがない大学工学部に通っているわけだが。

大学入学後君は語彙力のなさ、英会話能力のなさを思い知らされる。たぶん君は他の留学生のように英語の汚さを堂々と曝け出ししゃべることはできないであろう(非英語圏外国人英語は何を言っているかいまだに苦労する。)もし君が文系ならばそれは致命的だ。君はたぶん可能な限り多くの授業をとりたいと思うだろう。年間安くても250万以上かかる留学を少なくとも4年するわけだ。それはとても安くはない。だから君はより多くの単位を取ることになる。しかし君は文系だ。文系科目はより多くの読書課題が課される。毎日のように課さられる読書課題は君を不幸へと誘ってくれるだろう。もし君の母国が英語てあったなら...君はそうは願わずにはいられない。多くの文系科目を取れば取るほど君は多くの課題を課されるだろう。君はavoidance-avoidance conflictに陥るわけだ。

そして君は選んでしまうかもしれない。勉強しないことを。勉強をしないという選択は甘美なほどに甘い選択だ。君は最初の1年を乗り越えられれば(私のように一学期に21単位も取ったりしなければ)、君はたぶん生き残ることができるかもしれない。だが君は本当に生き残られるのか?君が1時間かけて読んだ課題を君のルームメイトはたった10分程度で読みそして授業で全く内容を触れられなかった悲しみを君は耐えれるのか?日本から来たお気楽なEchange Studentsは遊び勉強をしないで君に甘い蜜の匂いをかがせるのに?そして親切なアメリカ人は君をパーティーに誘うだろう。それは親切な心からだ。そしてパーティーを断ることのできない君は翌日悪夢現実となるのを分かっているのに?そして高校で別れた君の大好きな友達たちは日本の簡単な大学に行き、君にとてもつまらない事実を教えてくれるのに?君の懐かしい友達は簡単なモラトリアムを謳歌しているのを聞いて君は耐えられるのか?君の友達が恋人ができたと教えてくれた時に君は何をしていると思う?たぶんだが君は宿題を諦めて寝ているか諦めないで宿題と云う名の怪物に挑んでいるかだ。再度問う。君は耐えられるのか。もし君が求めているのが単なる幻想ならば日本大学に行け。それが君の幸せだ。

君は海外で働きたいと思っている。よし、考えろ。君はどんな人間就労ビザが発行されるか知っているか。どのような要綱にそってビザが発行されるか知っているか。君はしがない文系人間ビザが発行されると思っているのか。ぐぐってみよう。まずはそれからだ。私は専門家でもないから正しくないかもしれない。だが国内で調達できる人間海外から調達する必要があるのか。だったらもっと安い中国人インド人にやらせればいい話だ。文系の君を雇う必然性はない。君は安易な留学という選択をしたことに後悔したことに気づくのにはすでに遅すぎた。

2.だったらどうすればいいと君は尋ねる。 に続く。

2009-01-16

http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/20090116/1232032405

優秀な学生は学部と修士学位をとるらしいがどうやって取るのか、第三者視点から説明してみる。

ちなみに卒業に必要なのは126から128単位普通建築普通の学部と違う(通常は5年制)

要因1:アメリカ大学には夏学期がある。

通常アメリカ大学卒業するには60単位程度の一般教養工学部とかだとほとんどが物理数学系で全然一般教養ではない。)と60単位前後の専門課程で構成されている。夏学期の間に一般教養の科目をとることによって、卒業年数を減らすことができる(減らさないで自分みたいに関係ないコースをとるまくる人もいる合計190単位取得予定)。

要因2:一学期あたりに取得できる単位に制限はない。

日本人でこれをやるのはほぼ自殺行為だけど事実上一学期間に取得できる単位に上限はない(けど成績が優良でなくてはならないのは当たり前)。たとえば自分みたいに一学期に21単位とれば一年に42単位、三年で卒業できる計算。夏学期をとればたぶん2年半で卒業できる(ものすごく辛いが)。

要因3:単位制である。

要因4:修士論文研究を4年時の夏(すなわち3年が終了したあと)に始めることができる。

修士論文研究を始める時に学部制であるにもかからわず有給研究を始めることができる。でステータス大学院生になったときそのままリサーチアシスタントとして学部か教授に雇われることになるからさらにお得。

要因5:大学4年時に大学院単位を取得できる。

一定に制限はあるものの学部生のステータス大学院の授業を受けることができる。

要因6:奨学金豊富

アメリカ市民である程度優秀(たぶんこの優秀って意味日本人感覚に優秀ではない。)であるならば簡単に奨学金が出る。バイトしなくてもいい。

けどそれ相応の努力と忍耐も必要だということは認識しといたほうがいい。日本文系みたいに遊び呆けているアメリカ人はいっぱいいるけどね。(アメリカ大学生勉強するってのははっきり言って神話

2008-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20081230060518

いや、「プログラミング」という行為を学ぶのにポインタという概念は、隠せるほどのものでしかないのだから、Cは2番目でいいだろう。

ちなみにおいらはCから習った。だが、一学期目はポインタという概念使用しないで済むように習った。なので、文字型は習ったが、文字列は習わなかった。

2008-08-24

のぶなが事件簿

小学生のころ、のぶながという友達がいた。

そいつのことについて勝手に書こうかなとおもう。

いつも黄色い半ズボン姿に、Tシャツを着ていた。

ちょっと小太りな男子だった。

そんな小太り男子引き起こした、印象深い事件だ。

5年生の一学期夏休みが始まろうかという頃、

先生がある漢字テストを行った。

そのテストには、3回挑戦できる代わりに、必ず満点を取ることが要求された。

満点が取れなかった生徒には、夏休み宿題が追加された。

出題された漢字を1日1ページ。約40ページ埋めて提出すること。

なかなか凶悪な宿題だった。

のぶながはそのテストに落ちた。

そして、漢字40ページの宿題が追加された。

3人くらいしかその時落ちなかったが、このときはまだ

のぶなががあんな面白いことになるなんて、思いもしなかったよ

夏休みが終わった。

みんなが夏休みの工作とかを持って元気に登校してくる。

のぶながもやってきた。いつもの半ズボンで。

朝の会を終えて、担任がいよいよ

漢字宿題、やってきてるよなぁ。。ここ持って来て」

と言った。

結果、3人中やってきたのは1人だけだった。

のぶながもノートを持ってこなかったようだ。

忘れてきた2人は起立させられた。

担任は若干切れ気味で、「やってきてるんか?ノート忘れただけなんか?」

と凄んでいた。

今考えると、この担任も少しおかしな男だった。

男子からはキャッチボールの相手してくれたり一緒にドッチボールしてくれたりで、

けっこう人気があったが、お気に入りの女子をよく膝の上に乗っけていたり

セクハラっぽい言動もちらほらだった。

この前久々に地元に帰ったら、生徒に手を出したが断られたことに逆切れして

相手の親の車をめちゃめちゃにしたとのことで、逮捕されてた。。

この日はまだ初日ということで、つるし上げも10分も経たないうちに解かれ

2人は席に座ることができた。

2日目、3日目とプレッシャーがかかるうち、

のぶながじゃない方のやつも、ノートを持ってきた。

明らかに徹夜して書いたっぽい、目にクマができている。

のぶながは、まだ持ってきていなかった。

4日目、のぶながはまたノートをもって来なかった。

担任は、ぶちぎれた。

「やってあんのか?え?おい!」

宿題のカツアゲだ。

「やってあります」

のぶながはこの4日間、一貫してこの言葉を発し続けていた。

もともの口数の少ない、ただの小太りな男だったが、

凛とした表情で、繰り返していた。

「やってあります」

その言葉に、担任も3日は我慢できたのだが

4日目で限界が来たのだろう。

ぶちぎれ具合が半端じゃなかった。

「お前、やってへんねやろ!?おい!!」

起立したのぶながを、なぜか教室の隅に追い詰める担任。

のぶながを教室の隅のピアノのところまで、追い詰めた担任は

両手を振り上げると、のぶながの顔を両側からビンタした。

ビンタしたというか、ものすごい音を響かせながら挟み込んだというべきか。

のぶながの鼻から相当な勢いで鼻血がでてきた。

完全に静まり返った教室の中で、ぽたぽたと鼻血を出し続けるのぶなが。

担任は鼻血だらだらののぶながにティッシュを渡すと一言、


「とってこい」

のぶながはノートを取りに帰らされた。

絶対やってあるはずないのに。

そして、通常とおり1時間目の授業が開始された。。

2時間目の授業が始まる前に、担任は少しおかしなことを言い出した。

「のぶながが宿題やってあると思う人、手挙げて」

誰も、あげなかった。

「な、やっぱりそう思うだろ?」

こいつ、何がしたいんだろう。

給食時間になったが、のぶながはまだ帰ってこなかった。

家までは歩いて20分もないはずだから、明らかにおかしかった。

少し焦る担任。

同級生を数人連れて、車で捜索にでかけた。

のぶながは、家に帰れず、周りをうろうろしているところを保護された。

同級生と一緒に車に乗って帰ってきたw

この日は担任がちょっとびびってしまったらしく、

宿題は明日で良いから、ということになった。

5日目の朝。

教室は、のぶながの話題で持ち切りだった。

今日こそノート持ってくるのか、持って来てなかった場合何が起こるんだろう。

というか、担任の怒鳴り声を毎朝聞くのは最悪な気分だったので

早く終わって欲しいという声が大半だった。

のぶながは、遅刻ギリギリで学校にやってきた。

担任が教室に入り、朝の会が始まる。

「おい、今日は持ってきてるやろな?」

のぶながは平然と言い放った。

「すいません、わすれました」

した、を言い終わるかどうかの内に

担任はのぶながに内股を決めていた。

確実に一本だった。


「とってこい」


のぶながは廊下に追い出された。

実は4日目に車で帰ってきたときに、ノートはおばあちゃんの家に忘れていて、

夜持ってきてくれるみたいな話をしたらしいのだ。

だから、また取りに行かされた。

そして、1時間目の授業が始まった。。

2時間目が終わっても、3時間目が終わっても、のぶながは帰って来なかった。

そして、給食時間になり、担任は2度目の捜索に出かけた。

しかし5時間目に担任は一人で帰ってきた。

帰りの通学路にも、昨日見つかった団地の外周にも、のぶながはいなかったらしい。

のぶながは行方不明になった。

6時間目の授業も終わり、放課後になっても、以前消息は不明のまま。

帰り道にみんなでのぶながの居そうな場所に寄ってみたが、見つからず。

担任も結構焦っていたような気がする。

自業自得なのにw

一方クラスのみんなは、そんなに心配していなかった。

というか、毎朝のやり取りが面白過ぎたため、他クラスまで巻き込んで

ものすごい話題になっており、ついに失踪したことで

のぶながついにやっちまったw という感じだった。

陽の落ちた頃、担任は、警察に捜索願を出した。

夜中も警察と担任と、のぶながの親でいろいろ探していたみたいだが

翌日の朝学校に着くと、まだ見つかっていないらしいということだった。

担任は明らかに疲れている表情だったが、1時間目の授業を始めた。。

3時間目の中ごろ、いつも昼時のチャイムを鳴らす有線放送から、役場の広報が入った。

いつもは、地域の人の訃報とかが流れてくるやつだ。

でもこんな時間になぜ?

いまでも覚えている、とてもお茶目な放送だった。

こんにちは広報○○町です。

 ○○小学校の、○○のぶなが君が、現在行方不明となっています。

 黄色い半ズボンを履いた、やや太目の男の子をお見かけになった方は

 ○○町役場までご連絡ください。

 繰り返します。。」

クラスは爆笑に包まれた。

有線放送の甲斐なく、その日ものぶながは見つからなかった。

しかし、その翌日にのぶながは意外とあっさり捕獲された。

隣町のコンビニ朝ごはんを買おうとしていたところを、

なぜか親戚に発見されたのだったw

警察事情を聞かれたりして、のぶながはその次の日に帰ってきた。

しばらくの間、みんなのヒーローだった。

学校を追い出されたのぶながは、やっぱり家に帰れなかったらしい。

そして、隣の町までぷらぷら歩いて行ったとのこと。

隣の町には大きな古本屋があり、そこでやわらちゃんを全巻読破。

その後、近くのスーパーで晩御飯のかわりにソーセージ(魚肉)を買ったらしい。

夜となって、泊まるところといっても、ここは三重の片田舎

ラブホテルしかなくて、のぶながは、近鉄の高架下で一晩明かすことにした。

そして、高架下で、ダンボールを敷いて眠ろうとしたところ、

犬が近づいてきたらしい。ソーセージはその時取られたと言ってました。

そして次の日の朝、親戚に見つかり保護される。。

いろいろお騒がせな奴で、他にもいろいろな事件を起こしていましたが

このときののぶながはGJでした。今でもネタにしています。

2007-09-24

最近高校生

私の母校(公立の普通科)の話だけど、夏休みが短くなってるらしい

普通本州太平洋側のね)だったら9月1日に二学期始業だと思うんだけど、どうも8月27日には始業してたらしい

夏休みの間もお盆の週を除いて全学年一学期分の補習で平日の午前中は出校しなきゃならなかったらしい

これを伝え聞いて、何でこんなにゆとりが無くなっちゃったんだろうって思ったね

高校生ホイホイ

2007-02-01

はてな匿名ダイアリー自然状態ですね

http://anond.hatelabo.jp/20070131154754

の書き主です。TB先をDisったつもりが、私がエサになるなんて、ヒィ~。なんていうか万人の万人に対する闘争というか、自ブログでこれやっちゃってたら泣いてるし。なんだけどここではdisるなり電波飛ばすなりがお作法のようなので、迷うことなく電波飛ばしてやる。

 とり合えず志望校先に書いとく、上智大学の神学部神学科。志望動機は端的に言うと神学とラテン語両方勉強できるから。

 長くなるけど以下に志望したまでのいきさつというかグダグダと、前に書いたエントリについて書きます。

 まず先のエントリを書いたのは、向こうの書き主がうじうじしてたのでdisりたくなったから、あと受験生って立場から見てどんな大学であれ大学入ってる人がうらやましかったから、あと遊んでる子が気になるとか三流私大がなんだって自分も思ったことあるしょうのないこと気にしてるから当てこすってやろうと思ったの、ってこれなんて反省文。なのに当てこすり部分きつくして書いたもんだから(タイトル含めて)、TBもらうは、ブクマコメこんなにもらったことないというか手厳しいコメもらうとやっぱ凹むね、匿名でも。というか、TBくれた人みたいに素直に書けばよかったわけね、ほんと私は素直ではとってもない。

 あとリアル学歴云々の話がタブーであるのもよくわかった。というかTB先の人の不満というかその大元になるもに私‘も’3年曝され続けたわけですがといまさら被害者面かよ!といわれるのイヤだし、そういう後ろ向きなもの持ったままでいるのいやなので全部はいちゃう。

 にしてもたくさんTBいっぺんにもらったことないのでちょっと困惑する。

http://anond.hatelabo.jp/20070131162229

http://anond.hatelabo.jp/20070131170249

 まずはこのお二方のTBから、先に書いたように私の志望大学上智大学の神学部神学科です。試験英語世界史、現代国語のペーパテストに加えて学科での学習の適性を計る小論文面接です。あと、願書出すために司祭(神父様なり牧師様)の推薦状が必要です。受験資格キリスト教徒である必要はありませんが、その場合でも在学校の教員の推薦状がいるようです。(できれば学部、学科の教育内容について熟知してる方が望ましいと書いてありましたが、願書に)

 偏差値の方ですが各予備校ボーダーを確認すると、40後半から50前半です。例年合格最低点は学科試験の50パーセント程度です。いちよう上記の理由があって(受験者が限られる)偏差値が低いものと心得ています。

 あと、、高校二年生のときにオープンキャンパスの際ではありませんがキャンパスの方は見学しました。身近にOBが幾人かいましたのでその人たちからも大学の雰囲気などについて伺ってはいます。

 大学での講義の内容については、大学シラバス担当教官ホームページなりブログについては一通り目をとうしました。さらに大学、学科名でググって、在学生ホームページも3っほど読んでみました(というか二つはブログ)。

 予備知識については、ミッション系の学校での倫理の時間と課外活動でカトリック研究会に所属していましたし、昨年洗礼を受ける際にも勉強しましたので十分備えているつもりです。無論、一次の学科試験が終わればそのあと神父様に紹介していただいた書籍も読んでいくつもりでが。

 大学に入学後にはキリスト教倫理学日本での教会およびミッション系の学校での教育活動について学びたいと思っています。また、宗教科教員の免許習得を目指したいと思います。

 とここまで書けばOK?・・・・・・・・・・・・・・・・これじゃつまんないでしょ?あれだけきつい事書いたのに。

 これ一般の人向けの説明、予備校のチューターとかあんまし親しくない友人にはこの説明で押し通してる。正直神学部志望と言うだけで驚かれるから、無論上に書いたコトには一字一句ウソはありあません。宗教科の教員免許はとるつもりだし、日本において教会が関わってる教育活動は私が学びたいことの一つであるし、キリスト教倫理学は信者の一人としてカトリックの考え方もっと深く学びたいと思ったから。でも、上に書いたことはやりたいことの一部でしかありません。

 http://anond.hatelabo.jp/20070131174254

言葉に甘えて書かしてもらいます。自分の志望動機きちんと全部話をした相手は父親と母親あと推薦書書いてくれた神父さまの3人だけです今のところ、あとは二次の面接試験官にできる限りのことを伝えようと思います。

 というかキー打つのに少し疲れた。ごめんなさい書きかけだけどいったんうpする。あと誤解されてるのいやだから先に書くけど、私地方在住だし、Fランだの地方の中堅国立大なんて気にしてません、でも自分の選択にうじうじして割り切れてない人はどんな人だろうと嫌いです。

お昼早めに食べたので書き足します。長くなる気がするので読みにくいかも・・・・。

 まず、神学部を志望するまでになったいきさつというか、自分語りうざいって人は時間の無駄なので読まないようにね。

 上にも書いたように私は中学受験してミッション系の中高一貫校に入りました。中学受験は自分自身で決めたものでなく、母親に強く勧められて決めた物です。塾に通い始めたのは小学校5年生の三学期から、受験する子たちに比べとても遅かったと思います。もともとは、塾の進学コースでなくて補習コースからでした。小学校の算数のテストで酷い点を取ったのがきっかけです。確か比だとか単位換算?だったかな確か。でも点数はよく覚えてる、たぶん相当怒られたからだと思う。65点だった。塾行くの初めはすごく嫌だった。たったの週三回、学校終わってから8時ぐらいまでだったけど。でも、国語は得意いだった。基本的に本読むの好きだったから。6年生の5月ごろの学力テストでかなりいい点数を取って、上のクラスに上がらないかと塾の講師に薦められた。母親セールストーク真に受けたのと、たぶんその時褒められたのが相当うれしかったんだと思う、私も承諾して上のクラスに上がることになった。それから週三だった授業が週5、学校終わってからと土曜日は朝から、日曜日も私、算数と理科電気だとかの物理分野苦手だったので補習があった。きつい時あったけど、そんなにイヤではなかったと思う、今思い返してみても。ちっさいころから母親私の教育に入れ込んでた気がする。夏休みドリルとか、なかなか進まないですごく怒られたりだとかした記憶があるから、すごく嫌だった。そういうことあっての反動だと思うけど、夏以降も成績上がっていって期待されたり褒められたりするのが当時はとてもうれしかったんだと思う。秋ごろの試験で今までは考えられなかったような学校合格が見えてきて挑戦するかどうか決めないといけなくなった結局滑り止め含めて挑戦校も受けることになった。結局受けたところは全部受かった。挑戦校は受験したあと正直落ちたと思ってた。算数ぜんぜんできなかったから。合格発表のときはすごくドキドキしたし、自分の受験番号が掲示されてるのはとてもうれしかった。

 春になって、新しい制服に袖通して、晴れやかな気分で入学した。でもすぐに勉強ついていけなくなった。特に厳しかった英語と算数同様に苦手だった数学、正直できない勉強を教室で受け続ける苦痛はすごく分かってるつもりです。一年生の時から落ちこぼれですから。でも、それ以外の科目は基本的に社会であろうが理科であろうが大好きだったからそれに対しては不満持たなかった。でもほんと泣きそうだった。あの時学年でアルファベットとか負の数の入った計算学校に入る前にきちんとやってなかったの私ぐらいだと思う。意識の高い家とかだったら、入学後も勉強しないといけないのわかってるから、家で教えたり、早い人は中一から塾行ってたりするし。私結局中学一年の二学期に数学英語アカ点食らうとかすさまじいことして、落ちこぼれがこれで確定・・・・・三者面談だよいきなり、入学して一年目で、挙句英語担当外国人教師に親子ともども死ぬほど流暢な日本語で1時間近く説教されるし。大きなお世話かも知れないけど自分の娘、息子の勉強の面倒見れない人はこいう学校に入れない方がいいと思う。得るものたくさんあったし、これから書くけど勉強面では親子ともども苦労すると思うから。

 そんなこんなだったけど、三学期はがんばったのと数学先生のお情けがあったのでアカ点は免れて進級できました。2年生から本格的にクラブ活動だとか委員会活動できるようになったので、もうほんと逃げるように打ち込みました。勉強の方は試験前のできる子のノートコピー一夜漬け、平常点のある教科は稼げるだけ稼いでおくとか、あと数学とかは、はなっからアカ点救済の追試を見越してまったくやらなかったり。追試は本試とまったく同じ問題なので前日に丸暗記したし。こいうの学んだのはクラブの先輩だと委員会の先輩、中高一貫なので似たような人はどこかにいるわけで、だれそれ先生はこういった傾向の問題ばっかり出すとか、甘いから何点最悪取ってればアカはでないだとか、以下略。正直補講だとか補習のある先生テストで悪い点取ったら、委員会とかクラブに支障出るので必要悪だとも思うけど、だけどこのつけ払うために浪人するはめになったけど。友達づきあいも比較的楽しくできたと思うし、親友と呼べる子は少なくとも5人はいる。この子たちには学校の間だけじゃなくて卒業して浪人してる時も心配してメールくれたり、手紙くれたり、はてはお守りまで贈ってくれたりしてほんと感謝してる。

 色々得たし楽しかったんだけど、私中学卒業して同じ高校に行くかどうかはかなりなやんだ。学校勉強に正直付いていける気がしなかったから。ここでもネックになったのが英語数学中学三年生ごろから数学高校の内容になってたし、英検の準二級全員で受けさせられたし、ほんと私一人だけ落ちるんじゃないかと心配した。それにクラブのほうも高校生と一緒に練習するようになったんだけど、高校クラブの顧問が最悪のことに私の数学担当の教師だったの、ほんといちいちいやみ言ってくるしクラブ中三でやめちゃった。あと、公立の高校進学しようかと悩んでて親に行ったら当然止められるし、挙句そこそこのレベル高校ですら受かるわけないって言われた。うん、なんか前にTB送った人と似てる気がするからなんか突っかかりたくなったんだと思う。なんかすごいそのころイライラしてて友達とも仲悪くなった。というよりも、クラブやめないように説得してくれたり、苦手な勉強手伝ってあげるだとかの気遣いがすごく負担に感じられたから、今思えばすごく身勝手

 心理的な負担がたたって、拒食症気味になるは不眠、貧血リスカはしなかったけど、内科で自律神経失調症って診断されてお薬もらう、でも病人扱いされるのイヤだったし薬いっさい飲まなかった。学校休むこと多くなって母親と延々喧嘩した。喧嘩するのイヤで、遅刻上等というか重役出勤して、保健室入りびたり、おしゃべりしたり本読んだり、保健室の本読み飽きたら、図書室こっそり行って本読ましてもらったりした。図書委員で司書さんにかわいがってもらっていたので、あと好きな科目の授業だけでることはあった。でもその授業に出るとその後の授業にも必然的にでないといけなくなるのでなるだけいやな数学英語の授業サボれるような時に教室行くようにしてた。当時は体の状態ほんと悪かったのもあるけど病弱で押し通してた。でこのプチ不登校というかメンヘルというかは、中三の一学期おしまい。担任と父親と校長面談して高校に進学することになった。夏休み英語数学の補講つきだったけど。中三はこのまま終わった。数学の時間は一番前の窓辺だったけど授業一切聴いてなかったし、英語は授業中いろんな子にあてる先生だったけど、私には一切当てることなかった。まあなんです、自堕落の生活はそれはそれですごく苦しいです。精神的にきつい人は無理する必要ないと思うし、そういう人に向けての「がんばれ」は善意からのものであるのはわかるけどほんときついし、ただ相手を追い込むだけなのは身をもって体験した。やめよう、ねほんと自分で自分で追い込んでるワケだし、そっとしてあげるのがいいと思う、個人的には。

 高校に入って気分一新、クラスもたまたまメンバーががらっと変ったので勉強の方も立て直して結句がんばった。高一のときは成績真ん中ぐらい。相変らず数学の点数は悪かったけどね。だってIAまともにできてないの??Bなんてできるわけがない。三角関数とか言われても三角比からわかりません、下手すると因数分解もやばひぃ。でもまあ、そこそこがんばった。でそこそこ勉強やろうって子達とも友達になってこのまま高2、高3と勉強すればよかったんだけど、よりにもよって文化祭の委員に巻き込まれ、こういうイベントというか企画して実行するのってすごく好きだから入れ込んじゃってほぼ高2のときの気力やら何やらを吸い取られ、そのあとすぐに修学旅行あって遊びほうけて、高三春先の模試でみんな頭が受験生になってるのにボーっとしてて気づいてたら最後の模試の成績表が手元にあってE判定にわれに返って、勉強始めたら年明けすぐにセンター試験卒業式で二次試験不合格でなんか終わってしまってた。高校まではこんな感じ。

 で自分の将来について考え始めたのは、中学3年生の時のグダグダから、なんかやったらめったら本読んだんだけど、どの本から影響を受けただとかは当然はっきりはわかんないし、父親にしろ母親にしろと喧嘩するたびに将来どうするんだって言葉を投げつけられたりしながら考えてるのもあるのではっきりは自分でもやっぱしわかんない。なので、自分が意識できてる原因だとかきっかけだとかしかかけない。

 今でももっているのだけど私の志望は国際政治勉強したい、これは基本的には変ってない。これがどうして神学部志望になるかは自分でも少し不思議に思うけど、自分の進路確認するためにも長くなると思うけど書いていきます。

 影響を与えた本というか、色々悩んでた時期に図書室にあったマーガレット・サッチャー自伝を読んだのがある意味国際政治勉強してみたいと思ったきっかけだと思います。ほんとはもっとあるとも思うのですが、少なくとも当時の私はサッチャー生き方にかなり心動かされた。あと家の父親が学校勉強はできる必要ないけど、本と新聞だけはよく読んどけ、あとは好きに遊んでろ、って言っていたのも下地になっているとは思います。中学受験の頃から社会科はとても好きでしたし、中学校に入ってからも基本的に得意科目だったし、好きでした。あと、カトリック研究会に入ったのも社会化の先生が国際化の世の中だしわざわざミッション系の学校に通っているのだし、キリスト教のこと勉強するのもいいのじゃないのかと授業中に紹介されたのがきっかけだったし、当時はクリスチャンになるなんて思ってもいなかった。カルチャースタディーぐらいのつもりだったのに。

 中三ぐらいからなんとなく国際的な仕事となんか勘違いしてつんつんしてる子が抱きそうなゆるい願望から始まったわけですが、一度これと思ったら結構こだわってしまうタイプなので、図書室の政治だとかあと関係ありそうな新書だとかはその当時かなり読みました。

 当時読んだ中で心に残っているのは、アルビントフラーの「第三の波」と「戦争と平和」がかなりよかった。あと父親の書斎にもぐって文芸春秋バックナンバー読んだり、あと小室直樹とかいわゆるオヤジビジネスマンが読みそうな本をかなりがりがりと読んで、父親に生意気だとか結婚できなくなるとか、ガキがグダグダぬかすなとか言われてむくれる。全共闘崩れで心情左翼でそのくせ、根が女性蔑視だし、オヤジだし封建的だと反発して、日曜の朝だとかにやってる報道番組のたびに父親と喧嘩するようになる。朝まで生テレビならぬ、朝から生焼け討論。この当時母親あきれかえって口出しせず、弟は朝から難しい話すんなって愚痴ってました。小さな政府安全保障上の懸案の解決になぜか固執してた。当然ながら小泉首相は支持してた。ついでだから書くけど、安倍政権は支持してない。

 父親とのdisりっこもあったんだけど、当時読んだ文言春秋北朝鮮問題について扱った記事が引き金になって、安全保障論とか本格的に勉強したくなる。たしか、この記事「希望の国のエクソダス」とか巻末で連載されてた頃の記事だと思う。確かミサイル開発、核開発、麻薬だとか拉致についても書いてあったと思う。(調べたら1998年の記事みたい、読んだのはたぶん2001年ごろ)

 あと、2001年は私にとって大きな年だと思ってる。その年の4月に小泉政権になって、9月にはワールドトレードセンタービルはなくなってたし。12月には不審船事件もあった。かなり短絡的だあったことは今から思えばそうだけど、当時何度も何度も繰り返しハリウッドのそれこそCGじゃないかと思うような映像見せ付けられて、そのすぐ後に日本国籍不明とは言え外国船に実弾を打ち込む有様見せられて危機感を抱かない方がどうかしてると思う。で当時の私は防衛庁国家二種試験を受けて、安全保障についてかかわりのある仕事につこうと考えるようになった。当時から、防衛庁防衛省になると思ってたし、外交分野でも安全保障に関する必要性は増すと思ってた。なので、それを扱える人材の受容も増すとまで考えてた。その頃からネット使い始めてたので、検索して安全保障論できそうな大学探して志望校にしてた。きちっと決まったのが高二の時、国立大と私立一校ずつ当然両方とも受けます。第二志望と第三志望ですから。なのでこの時点ではまったく神学とかは考えに入ってすらいなかった。後すごいたまたまなんだけど、TBくれた人のTB先の江畑健介さんは知ってます、書籍も二冊ほど手元にあった気が・・・・・頭の上がチャーミングな方ですよね。

 そんなこんななんだけど、人より志望校早くに決まってたはずなのに上で書いたように学園生活をまんぴつしすぎて、現役の時は不合格でした。センターボーダーマイナス40点だったと思う。

 で当時はホンと凹んだのと父親に口ばっかし達者だし、考えに偏りがあるから反省しろといわれていたのですが、ほんと反省できました。同じ大学の後期試験を受けたのですが、志望動機などについての面接があったのですが、面接官は3人、一人は英語での面接担当、後でググッたりして調べたら、英語の授業の教官で結構右より、英語帝国主義論?みたいのこといってた気がする。とり合えずアメリカに媚媚するのが嫌いな人。もう一人は国際政治学が専門、残念なんだけど調べてもどなただかがいまだにわかんない。質疑応答主にした人だったのだけど、東アジアの地域安全保障について将来貢献したいしそのためにこの大学勉強したいといったらいたく気に入ってくれた気がする。そんでもってもう一人が一年次の導入の講義担当教官国際関係学国際法が主な研究領域かな?というかこの人によりにもよって大学面接で噛み付いてしまったんです。ほんと、センターの成績たいしてよくないから点数稼がないといけないのに、NGOだとかNPO、ようするに国境無き医師団のような活動についてはどのように考えるかと聴かれて、その役割過大評価する必要はない的なことをいってしまって、前の二人の面接官とは4,5回内容についてどんどん突っ込んだ質問が出てそれに答えって感じでうまくいってたのに、その質問いついては私が一回答えてそれでおしまい。一瞬にして部屋の空気が凍りついたというか、すごく不機嫌そうでした三人目の教官、なんか残り二人の教官のアチャーという空気も感じられ、いたたまれなくなったのか、少しの沈黙のあと、真ん中の教官におずおずとこれで終了ですといわれて退出しました。

 そのあと、校舎出て携帯取り出して即カトリック研究会で面倒見てもらってた神父様に電話して洗礼受けたいってなきながら電話してた。何というか懺悔ってこういうことを言うんだなというか、父親にも言われてたし自分でも少し先鋭化しすぎてたのもわかってたけど、自分の根拠のないプライドと自信はここで崩壊。ほんと帰りの電車で周りドン引きするのかまわずおお泣きしてました。情けないやら、悔しいやら、後悔やらほんとなんかよくわかんない感情。で上に間違って昨年と書いてたけどもう年越してるから一昨年です。なんか今までちゃんとしてこなかったことやらに反省して、他人に頼っちゃダメだとこの期に及んでまだ我をはって、周り止めるのかまわず自宅浪人した。うん、馬鹿なのわかってる。自分でも。

 まだ、一浪の時は自分で自分の責任で周りに頼らずがんばんないとなんてこだわってた。ほんと死ぬ気でやった。そこでわかったのは自分は自分の習慣なり感情なり欲望を完全に意志によってコントロールほど強くないってこと、正直自分自身をマネージメントできるのは一握りの人間だけだし、ほんとの意味で賢い人はこういうことできるんだろうな。あと、自分がいかに多くのもに頼らざるえないかも身にしみてわかった。家族にしろ気を使ってくれたし、教会に行くようになったけどそこの人たちにも励まされたし、友達にも心配してもらったし。自分で何か一人でやりきったというのは、ある年齢ぐらいまではそれでいいし自身を持つためにも必要だと思うけど、大人になるには捨てないといけないものだと思う。やれるだけやって大学受けて落ちた時は頭真っ白、センター英語いまいちの点数しか取れなかったのが敗因といえば敗因ですが、言い訳にはならないと思う。一発勝負なのははなっから分かってたワケだし、テンパってぐずぐずになるのはやっぱし演習が足ってなかったわけだし。

 で、正直地元国立試験終わってから出願できる大学考えてたんだけど、父親にもう一年やれその代わり予備校にも行って最善尽くせって言われた。ほんと贅沢だと思う。心配かけてるし。すぐに予備校に入るしたくして、昨年できてなかった数学といまだに苦手意識のあった英語がんばった。成績も一浪の時に比べたら少ししかあがってないけど、やることはやってきた。というか試験もうすぐだからこういうことは合格してから書けとか言われそうですね。というかあとは第一志望に受かれば万事OKなわけですが、上智の神学科に志望変った理由を書いてもう終わりにします。というかほんと長いね。相当フラストレーションたまってるんだ、わたし。

 神学部に志望が変った理由を端的に述べると、2001年にもってた危機感というかそういうものが変質したからだと思う。当時は隣の危ない国のことがかなり気になっていたけど正直それは些細な問題でもっとまずい物というか大変なことが起きそうだなと、予備校行きつつも読書はしてきてつもりだしなるだけいろんなところにアンテナ張ってきたつもりなのだけど、正直言うとまだぜんぜんはっきりしないでもなんかとってもまずい気がする。これじゃほんとただの電波だよな。なんか色んな人が色んな場所から変化が起きる起きるというけど言ってる当人たちもなんかよくいまいち分かってないみたいだし、そのなんだかよく分からない変化に対して自分の価値観だとか行動規範を固めたいのが一点。

 もう一つはキリスト教自他が宗教改革というかたちで大きく変化したけど‘その変化’自体を知りたいというか、いろいろアプローチの仕方は考えてみてるけど、たぶんこの先起こる大きな変化と同じぐらい大きな変化であると思っているので、そのとき生きてた人たちがどうやって考えて行動してたか知りたいから。

 なんだか長々と書いてて本題の部分が短いしあいまいでごめんなさい。

 でもう少し、前のエントリーはきつい当てこすりにしても、正直過去を後悔してぐずぐず言うのはあまり建設的ではないと思う。そんなことしてたら私後悔しっぱなしで持たなくなるし、やれることをやれるだけ、他人に頼りながら少しずつでもやるしかないと思う。

 長くなったけどこれでおしまい。かける機会をもらえたことに感謝。時間少なくなってるのでこれで切り上げます。読んで下さってありがとうございます。

 

 

 

 

 

 
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