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はてなキーワード: 一学期とは

2019-06-03

anond:20190603080611

普通に動けるってそれは人それぞれでは。

私自身の経験をいえば、妊娠8ヶ月頃には骨盤が開き過ぎてしまったせいで恥骨接続部分の靭帯を傷めていたので、活発な子供達の引率など無理も無理って感じでしたけど。ま、本当に人によりますからね。

なんで担任を責めねばならんのだと私は思いますけど。だって一学期の半分で産休に入るような人事にOK出したのは教育委員会だし。先生辞令拒否ったら失業するわけで。

2019-05-20

私立高校理不尽テスト

高3の一学期中間期末試験といえば、推薦やら指定校やらを狙っている生徒たちにはとても大事もの

それなのにうちの学校ときたら、

複数クラスをまとめてレベル分けにクラスわけする

②上中下のクラスができあがる

③それぞれレベルに合った読解の問題を行う

ここまではいい。

問題は次。

定期テストは全レベル問題から一題ずつ、自分クラス以外の英文初見問題として扱う。

当たり前だけど下クラスは、上クラス問題なんて解けない。

上は中下の英文初見でも読めるかもね。

中は、中と言いながらも半分は下と同じベベルから、下クラスだろうと初見英文はしんどそう。

学んできたことを応用すりゃいい話なんだけど、すべてが応用力を試す問題じゃない。

こんな不公平でいいの?本当に疑問。

特に中学からいれさせてる親とか、クレームさないかなーとおもってる。

6年間も預けて、下クラスのやつらなんか学習についてけなくて放置されて、最終的な仕打ちがこれ?ってかんじ。

上位を伸ばすカリキュラムなせいで勉強全体的に放置されてできないままなんだから、せめて推薦で大学行かせれば救いがあると思うけど、推薦すらとらせないクソシステム

どうかしてると思わない?

2019-03-29

某有名進学校を退学した。

3/31付で高校を退学することになった。こうなったのも全て自分責任ではあるけれども、やはり割り切れない気持ちもある。自戒気持ちの整理を兼ねて駄文を垂れ流してみようと思う。お目汚しで本当に申し訳ないが良ければ読んでいただければ嬉しい。もっと言えばこれを他山の石としてくれたらもっと嬉しい。(そもそもこの年代増田は居ないだろうと思うけれども)

私が在籍していた高校完全中高一貫校卒業生の半分は有名私大に推薦で、残りは東大京大東工大旧帝大医学部に進学していて、東大進学ランキングにも毎年掲載されている。

元々私が中学受験をしたのは一回り年の離れた従兄が中学受験をして進学したのを見てそれに憧れたからだった。そして、一人で読書をする方が友達と外で遊ぶよりも好きだったり、学校ヤンチャな奴らに若干イジメられたりしていて、荒れ気味な地元公立中学に向いていなさそうだったのも理由である

小4の終わりにSAIXに入り塾通いをする中で、私はある文化系部活に憧れた。そしてその部活活動も活発な学校の中で一番偏差値の高い学校第一志望にした。(ちなみに塾内偏差値では大体55~60を上下していた。)

小6の1月。まずは滑り止め2校に難なく合格し、チャレンジ校(親は行かせたかったらしいが自分はそこまで行くつもりは無かった。)の一次に不合格。そして2月1日第一志望を受け、2日にチャレンジ校の二次を受けた後に第一志望の合格がわかり、無事に中学受験は終わった。

受験が無事に終わり、やる気が失せてしまったのだろうか。その後、学校から新年度の教材や課題が送られてくるが適当に処理してしまい、入学。憧れていた部活にも入り順風満帆に事も進むかと思っていたが、最初中間試験で大爆死してしまう。この時にしっかり勉強してれば良かったのに大して何かをするわけでもなく、学校では授業に出席するものの寝てばかり、家でもアニメと当時流行っていたお船ゲームにハマって平気で徹夜をし、小言を言われれば暴れるといったような荒んだ生活を送り、唯一まともにしていたのが部活だった。当然勉強もろくにせずに中学生活が終わった。

高校に進み進級の判定がされることで一応勉強せざるを得なくなり、一応頑張るようにはなった。しかし2学期に部活で仲良くしていた先輩達が部活から引退自分達が部の運営をしなければならなくなったことで一時的に病んでしまう。結局なんとか持ち直してギリギリで進級する。

しかし春頃から後輩との事や部の運営の事、人間関係などで悩み始め段々とマトモな思考が出来なくなっていた。(と今思い返すとそうだったんだろうと思う。)

一学期には授業にも出席出来なくて保健室にいた事も多く、学業には全く対応出来ずに酷い成績を叩き出してしまう。二学期の途中、部活引退するまではそれを引きずってしまい、その時点ではとても進級できない成績だった。

その後状態も快方に向かい勉強に専念出来るようになったことで、今までの酷い成績を挽回するべく頑張るようにすることを担任先生と話し合った。しか二学期末の試験の結果は芳しくなく、三学期には奮闘しようとはしたものの結局は上手くいかずに英語数学物理を落として原級となり、高校を退学することとなった。

今の私の経歴は高校中退、つまり中卒無職だ。在学当時から大学は目指していたので今年1年間で高卒認定を取り、大学受験を目指す。高卒認定学力なんやかんやであるようなので1年間、1年早い浪人生として⚪合塾高受験科で浪人生活を送る予定だ。なんとか頑張って中高の友人、恩師に胸を張って報告できるようになりたいと思う。

長文を書くのは久しぶりでgdgdになってしまった。本当に申し訳ない。

2019-03-06

小学校におけるムダ仕事とムダイベント

昨今話題教員ブラック労働について「さもありなん」と思う部分と「お前らわざわざ余計な仕事作ってないか?」と思う部分と両方あるので書いてみる。あくまでも個人的見解だけど。

1. ムダな「○○だより」が多すぎる。

 「学校だより」を月一回ぐらい出すのはまぁいいとして、他にわざわざ「学年だより」を作っているのを見ると「お前らアホか」と思う。まぁ 学年によって読める文章レベルが違うと言われればそうなんだけど、ほぼ保護者のために作ってるようなもんなんだから同じ学校に何人も子どもを通わせている保護者からすればただの迷惑ではないかと思う。運動会直前の号なんか「いよいよ運動会」とかいって6学年ほとんど同じ内容だ。バカげてないかしかも全部紙ベース

 なるべくまとめられるもの学校だよりに凝縮して、遠足とか社会科見学とか学年によって内容が違うものだけ「しおり」とかで内容を周知すればいいだろうと思うんだが。

2 やたらと土曜日に公開授業やイベントを入れる。

 たぶん「保護者学校の子どもたちの姿を見てもらう」のが目的なんだと思うけど、頻度が高すぎる。保護者が土・日休みとは限らないし、そんなに頻繁に学校に来られるほど暇な人ばかりではない。当然教員業務も増える。いちおうその分代休が取れる仕組みになってはいるのだが、一週間あたりの勤務時間労基法規定を越えるし、教員以外の職種だと「半日だけ働いてその分を他の日に振り替える」制度自体がないから、出勤したら他の平日に代休を取ることになる。が、そう簡単には休めない。完全になくせとは言わないけど、せいぜい一学期に一回ぐらいで良いんじゃないかと思う。

3 イベントをやるときに力を入れるところを間違えている。

 入学式卒業式などが控えているとやたらと校内の飾り付けに力を入れる。が、来賓保護者の受付やスムーズ誘導など、イベント運営基本的なところをあまり考えていない。

 いちおうイベント終了後に職員反省点を紙に書かせて集めたりするんだけど、その反省点が翌年に生かされない。卒業生や新入生の通路をきれい紙テープとか紙の花とかで飾るのはほどほどで良いから、スムーズに人を誘導して然るべき場所に然るべき人が座れるようにしようよ。

 教員というのは学校を異動することはあっても、だいたい毎年同じようなイベントをやって生きていく人種のはずなんだが、そのわりに学習能力がなさすぎないか。「あんたたちアホなの?よくそれで子ども勉強なんか教えられるね?」と思う。

 なお、入学式ときは「○○ちゃん入学おめでとう。先生たちはあなたと会うのを楽しみにしていました」みたいなメッセージカードが新入生一人一人に用意される。細やかといえば細やかだが、それを転入してきた教員やその他の職員(当然大人)に対してやるのは小さな親切大きなお世話というものだ。そんなものよりイベントスムーズ運営することの方が重要だろうと思う。

 その他にも「6年生を送る会」を3部に分けて卒業式以上の時間をかけてやるとか馬鹿馬鹿しいところを数えあげればキリがないんだけど、長くなってしまったのでこのへんにしておく。昔より保護者の目が厳しくなり、学校に期待されることが増えて教員仕事が大変になったのは分かるんだけど、上記のような現象を見ていると「あんたら自分自分の首絞めてるんじゃない?」と冷たい目付きで見てしまう。

2019-02-03

anond:20190131164910

自分もかなり似た状況で退職した。9ヶ月じゃなにもわからない、学ぶ気がないと思うかもしれないけど、

納期を守る気がある人が少ない(遅れてもペナルティがない)

コードを読める人が少ない(javaできませんと主張してもペナルティがない)

コードを読めない人が毎日「詳細設計レビュー」をしていることになっている(設計ガバガバでもペナルティがない)

・前工程の不備を見つけて報告すると「ウォーターフォール理解してない」と叱られるため、テストまで温めてから報告する必要がある

・「ボクはプログラムできないんでexcelにまとめてあった遅れ状況をpptにまとめました」みたいな人が出てくる

・↑のような人が「自分にできることを探す姿勢が立派だ!」と最も評価される

みたいな状況で、

一学期を振り返って」「先輩たちの仕事をみて学んだこと」的な作文をたくさん書かされるんだよな。

小学校総合的な学習時間とか学級活動みたいな茶番永遠に続ける。

こんなの40年続けたら脳みそ溶けると思ったし、2年とか3年続けても本当に学ぶものはないよ。

というか、新卒で3年もいたら手遅れになって転職できなくなると思う。

2019-01-03

理三受験の思い出

anond:20190102063518

こういうの書きたくなるね。自分が頑張ったことは思い入れがある。

微妙に書くところ間違えたので投稿しなおした。


小学生

関西田舎の町立小学校に通っていた。友達がみんな塾に行っていたのが楽しそうだった。

「僕も行きたい」と親に言ったことがあったが、なぜか断られた。

自分が子を持った今なら分かるが、3人目の私にお金をかける余裕がもはやなかったのだと思う。家にはアップライトピアノがあって姉が習っていたが、自分は習いたいと言ってもお茶を濁された。


父は会社勤め。ホームレス気質天才タイプ。母は専業主婦。真面目な秀才タイプ。親は教育に興味が無いわけではなかった。むしろかなり意識的独自戦略のようなものを持っていたと思う。

小6の夏休みに入ると、「レベルの高い学校に行くとめちゃくちゃ楽しい」などと、うまいこと母に言いくるめられて中学受験を決心した。


「力の五千題」とか「自由自在」を各教科買ってきて、夏休みに二回ほど通した。なにかババのようなものを掴まされたような気もしなくもなかったが、面白かったので続けた。

からは応用問題集、冬になると過去問をやった。模試は受けなかった。「自信を失わせたくなかったから」とあとで母から聞いた。どういう意味だ。

私立を2つ受けてどちらも合格した。ちなみに、受験直後の自分感触としては98%落ちたと思っていた。未だに謎である


中学生

中高一貫校寮生活が始まった。

強制的勉強する時間毎日3時間あった。小学生の頃とは比較にならないほど学校の授業を面白く感じたので、予習・復習をやった。みんながやっていたので、ラジオ英会話を毎朝聞いて、テキストを暗記した。完璧発音テキストの会話を一人で完全再現できるようにしていた。一年イギリス人先生普通の会話ができるようになった。
中学3年生のときに、全員がZ会模試を受けることになった。はじめての模試で超わくわくした。総合で全国100番位だった。初めて自分立ち位置を知った。思ってたより良いという感覚。でも同じクラスに全国一桁台とかが普通にいた。


音楽室に個室のピアノ部屋が5台分あった。昼休みにほぼ毎日通ったので、結構弾けるようになった。今考えると異常な環境である音大かっていう。親友ピアノが超すごいやつがいた。ヤマハをずっとやってきた人で、聴いたら即弾ける、ハ長調譜面初見で見て変ロ長調で弾ける、メロディを見ると即座にステキ伴奏を思いつく、など。理解不能であるピアノをメインの楽器にするのはやめようと思った。


高校生

下宿に移り、自由になった。学校以外で勉強しなくなった。暇なので、絵を描いたり生徒会をやったりピアノの人などを誘ってバンドをやったりと、生活を広げ始めた。

授業中に予習復習などすべて授業を聞きながら終わらせたので、成績は特に落ちなかった。

こういうことを書くと、舐めてるとか自慢とか思われるわけだが、違うんだ。

自分なりに一番効率が良い方法を追求していた。授業中に寝て、家で数時間独自勉強するみたいな非効率的なことはしたくなかったのだ。

授業は120%の集中力で聞く。それでも時間が余るので、次の予習をしたり、問題の別解を考えたりしていた。家で半徹夜で何時間勉強している人たちよりも結果的に長時間勉強していたと思う。だって毎日9時から17時まで勉強していたんだもの毎日7時間くらい集中して勉強しているのに、「増田勉強せずに成績が良いな」みたいなことを言われてたのは未だに納得がいかない。


高2で東大模試を受けてみると、理三以外はすべてA判定だった。理三だけが完全にE判定だったので、「は?しばくぞ」と思った。
なんかの奨学金アメリカにただで行けた。夏休みの一月まるまるESL漬けで楽しかった。自分英語力はあんまりしたことないと気づいた。同級生アラブ皇太子とかトルコ首相の息子とかがいた。そういうのも自分には無い。


高3になって流石にクラス空気も変わり、自分放課後勉強するようになった。小学生の時は夏休みから半年でなんとかなったけど、さすがに東大一年位はやらないとやばいだろという感覚があった。

一学期にあった駿台統一模試で、英数国の三教科の偏差値が80を超えていた。一方で、本来好きな理科がボロクソだった。準備不足を痛感して夏休みに強化することにした。


・高3夏休み

化学生物だった。教科書はさすがにすべて頭に入っていたので、いよいよ応用問題週に手を出すことにした。東大過去問をちら見すると、化学の出題の半分くらいは似たような問題しか出ないことがわかったので、同じ問題を何十回も解いた。滴定とか。30分かかって6割しか正当でいなかったところから、5分で100点の回答ができるようになった。時間が余るので、初めて見る問題ゆっくり考えられて便利。生物は、問題文に答えが書いてある。

一方で、わりと大丈夫そうな主要三教科は、根本的なところをやることにした。

数学

チャート式などは数冊終わっている状態大学への数学をひたすら解く。新しい問題は、ひたすら考える。未知の問題に解法の方針を立てる練習

英語

TIME誌を定期購読していたので、毎号気になる記事を一つまるまる訳してみる。超大変。NEWSWEEKにすればよかった。のだが、一年定期購読してしまったのでやるしかない。んで、訳したあとは要約を英語で書いてみる。ラジオ英会話ビジネス英語までランクアップしていた。正直東大受験ではこのレベルリスニングスピーキングは当時必要なかったので、聞き流していた。ハマっていたのはパーソナリティの訛りを真似すること。

国語

Z会小論文をやっていた。元来文章がそんなにうまくはなかったけれど、読むのも書くのも好きだったのでこれは半ば趣味結果的200字作文に多少役に立った。


・高3秋

9月学校最後イベントがあり、燃え尽きた。勉強は2ヶ月ほどお休み。焦りはなくはないが、みんなそれで合格するやつは合格するっていう先輩の像を見てきている。今回は自分がそれをやるほか無いという感覚。流石にバンド解散した。


・高3冬

10月から2月まで5ヶ月もある。


センター試験

英語198 

数学191 まさか満点じゃないとは。世知辛い東大理系はわりとこういう感覚だと思う。

国語167 古文漢文論説は150/150。小説めっちゃ間違えた。こういうこともある。

化学100 

倫理93  一応、山川倫理用語集を3回くらい読んだ。手抜き教科のつもりが、哲学に興味が芽生えた。大学に入ってから哲学系の本をたくさん読んだ。自己形成に大きな影響を与えた。人生何が大事わからん

合計

前記749/800

後期489/500

センター試験

ようやく赤本に取り掛かった。感想は、英語簡単すぎ、数学難しすぎ、国語意外とお得、理科けっこう簡単

というわけで薄々気づいていた数学不安定さと、国語のお得さに焦点をあてる。数学が0点でも受かる謎の計画をたてる。国語最後の一ヶ月だけ、古文漢文個人先生に習った。

ちなみに東大模試は3社2回とも全部受けて、最後を除いてすべてE。でも成績は徐々に上がって最後だけはC判定だったので、本番の頃にはB判定くらいになってるんじゃない?と思っていた。


・本番

当日はなぜか20時に寝て、25時に覚醒し以後眠れないというアホなことをした。

ただ全く寝てないわけでもないし、ただ少し眠いだけなのでやるしかない。


 点数非公開時代なので自己採点

国語 60/80 ほぼできた。

数学 40?/120 難しすぎ0完6半ワロタ。。1完だと思ってたのに、弥生門を出たところで配ってた駿台の速報を見たら計算ミス発覚。かなり暗くなったが寝たらわりと忘れた。

生物 50/60 多分まあまあできた。

化学 55/60 多分ほぼ間違えてない。

英語 120/120 まじで満点じゃね?と思った。

合計 325/440 数学が0点でもギリ受かるかも?と思った。

・発表当日

赤門から会場へ向かうと、のちの上クラになる姉が向こうからやってきた「あ!○○ちゃん、受かってたよ!」

弟に「ちゃん」づけはまあしょうがないとして、俺が知るより先に結果を言うなよ。未だに恨んでるぞ。

合格してから

家賃が安いという理由三鷹寮に申し込んだのだけれど、その書類を集める際に親の年収が600万であることを知った。そりゃ無理だわ、塾もピアノも。ちなみに中高は奨学金もらってた。それでも親は教育のために借金してたんじゃないかな。決定的に計算が合わない。ちなみに三鷹寮は生活費が安すぎて家庭教師バイトだけで異常に金持ちになった。楽器を買ったり海外旅行に行ったりした。ヨーロッパまで6万円で行けた時代である。さておき、感覚としては、医者になってまともな収入がある今よりも、当時は自由に使えるお金があった。人生まじで謎である

おじさんもなぜか未だに人生謎のままに頑張ってるけど、受験生の皆さんも頑張ってね。

2018-09-03

木曜日SCHOOL OF LOCK

SCHOOL OF LOCKとは「ラジオの中の学校」という設定の中高生ターゲットにしたラジオ番組で、平日22:00~24:00に放送している。

8月30日放送、昔いじめられていたという高3男子の話。

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[高3男子]

自分は中2の一学期からいじめられるようになった。(おそらくハブられるとか聞こえるように悪口言われるとかいう類のいじめ

そこで夏休みの間、「いじめているやつらと距離を詰める」作成を立てた。

具体的には、遠くで自分悪口をしていたら敢えて「何はなしてんの?」と積極的に話しかけていく。

彼らが自分距離をとって、それでいじめを成立させているのであれば、

敢えて自分からガンガン距離を詰めてみよう、という作戦だ。

夏休み明け、登校に恐怖はあったが、失敗してもいいから考えたことを実行しようと思っていた。

この一歩を踏み出さなければ自分は何も変わらない、間違っても何言われてもいいからやってやろう、という気持ちだった。

しかけてみるとまず相手はびっくりして、自分から離れていく。急に話かけられてやはり相手は驚いていた。

から何回も何回も繰り返した。何回も話しかけるようにした。いつの間にかだんだん距離が縮まっていった。

1学期のときよりはクラス位置が変わっていった。

[パーソナリティ]

いじめられてつらかったとき自殺とかは考えなかった?

[高3男子]

いじめられて孤独になったときは、自分はいらないんだと感じていた。

でも死ぬのはダメだと思った。自分が亡くなっても喜ぶ人間は一人もいない。

いじめた人たちですら自分が死んだことで、喜ぶことはできないと思った。

しろ自分がもし死んだら、いじめていた人達は「人ひとりを殺した」という罪悪感で、この後の人生が壊れるのでは?と思った。

自分がいなくなったことを想像した。いじめによる自殺ニュースを見た。

自分が死んで取り返しのつかないことをしたら、いじめ人間が罪を償えるチャンスもなくなる、更生するチャンスもなくなる。

死なないで、自分がいる中で、この問題解決していこうと思った。

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聞いてたら目頭熱くなってしまった。

「聞こえるように悪口を言われる」ことに、「敢えて話かけにいく」って絶対できないやつだよね。

頭の中でそういう行動とれる自分想像して、でも実際にはそんな勇気のない自分絶望するやつだよね。

本当にできる人間がいて、それにより問題解決できるんだね。

そもそも上記の話は、別の子いじめ相談の中で出てきた話なんだけど、

の子のぐちゃぐちゃなメンタルとか(ナイフを持って家飛出し、ナイフを地面に叩き付け、自分が怖くなった、という話が聞いてて本当につらかった)

もとても印象的だった。

他にも、いじめられて学校いけない女の子との話とか、

中学生に「音楽がきらいな人っているんですか?」という純粋質問されたときサカナクション山口一郎の話とか、

とにかく全体的に色々考えさせられる回だったので是非聞いてみてほしい。

この番組、僕も学生の頃好きでよく聞いていたんだけど、久々に聞いてやっぱいいなあと思った。

2018-03-02

3rdライブ先生達に背中を押された女子高生の話をしよう

突然だが私はアイドルマスターSideMのS.E.Mというユニット担当Pだ。

自分語りのような事が苦手なタイプなので上手く話せるかわからないけれど、とにかく今消化しなければと思ったので、これまでの話と、2018年2月3日、記念すべき3rdライブ初日に起こった事、感じた事をそのままダラダラ書こうと思う。備忘録のようなものなので、見るも見ないも自己責任でお願いします。

タイトルにもある通り私は現JK小学校の頃高校に上がれば自然にできると思ってた彼氏は勿論いない。ただのオタク

通っているのは中高一貫自称進学校と言われているタイプ学校偏差値釣り合わない勉強スピード、量。それに加え人間関係重要になってくる部活。(詳しく書くと知っている人にはバレそうなのでやんわり言っておく。)

中学に入ったばかりの頃はそれまでと違った環境にわくわくしつつ必死にくらいついて勉強していた。受験後の先取りもあり成績は中の上。この時既にアイマスには出会っていた。真ファン律子Pをやんわり続けていた。突然だけど初星二日目の律子ヤバかったな。その調子で2年が過ぎた。

段々あれ?と思いはじめたのは中二の冬。勉強モチベが上がらない。(この時、SideMにも出会っていた。元某サッカーアニメオタクショタコン私、ホイホイWともふもふちゃんに釣られました。かわいい。)

英語文法なんて覚えなくても教科書の例文を丸暗記で最低限必要な点数が取れる。

数学は、担当教師が某有名大卒業生プライドエベレスト質問しても何故か違う話に飛躍する。(私達の偏差値が某有名大学に間に合ってないのもあると思うが)教え方は教室満場一致でド下手という評価しかも間違いを指摘すると逆ギレ…という人間性で、単純バカな私は数学のもののやる気が削がれていた。

その他理科社会etc…もただただ暗記。理科はもともと苦手意識があったのでこの頃から少し逃げていたかもしれない。

ぼやぼやと今やってる勉強って意味なくね?と思い始めてしまっていた。

キツイな、と確信したのは中3入りたて。(ここらへんで趣味嗜好が180度変わったヒゲおじさん大好きウーマン私、本格的にS.E.M&山下次郎Pに。)

学校教育方針で、数学英語中学の間に高1の内容をほぼ終わらせる事が目標だった。

そのおかげで内容は急加速、もともと集中力も無く勉強理解人一倍時間を要する私は秒で置いて行かれた。

成績はほぼほぼ地に落ち、補習、小テストの追試常習犯夏休み3分の1を奪われるらしい特別補習はなんとか免れたものの、遅刻もしばしばしていた。

一つできなくなると全部芋づる式にできなくなるタイプなので普通にヤバかった。

担任もそういったことにとことん追い討ちをかけるような人で何度も「このまま進級する気ですか?」「あなたがこのまま高校生になれるとは思えない」と面談等で散々言われた。ちくしょう、思い出してちょっとカムカしてる。

お世辞にも信じ切れる、と言える先生には出会えていなかった。

5月頃、既にリリースされていた「ST@RTING LINE-06」を購入した。SideMのはじめての担当の曲が入ったCDだった。

キドキしながらCDケースの蓋を開け、pcに取り込み、はじめて「Study Equal Magic!」を聴いた時。

私はただただひたすら驚きで固まっていた。

こんな世界もあるのか、と単純にびっくりしたのだ。小学校私立で、受験が確定していたため、小学一年生から塾に通い受験勉強をする毎日。結局行ったのは六年間の努力虚しく落ちた第一志望では無く全く今まで知っていた校風と毛色の違った滑り止め。

それでもなんとか喰らい付こうと頑張るも突然虚無感に襲われ全く手をつけられなくなった、「それ」=辛い、という私の中のイメージが、一瞬で粉砕された気がした。

けれど、私の中に根付いた勉強から離れた習慣、実際相手をする教師、そんなもの達はなかなか簡単に私の苦手意識を振り払ってくれなかった。

成績は若干持ち直したものの、それ以上もそれ以下も無く、ずるずる引きずったまま高校に上がってしまった。

高校に上がるとついて来たのは単位。進級。受験

そんな話を新しいクラスにもまだ慣れていないような時期にされ、あまりそういった事に実感が湧かなかった。

しかし割と直ぐに嫌という程実感する事となる。

一学期勉強どころでは無く新しい環境に慣れるのに半分ぐらい要したが無事終了。

そして、2017年6月4日

グリーティングツアー東京公演、私の初めての、現地でのSideMライブ参戦だった。最高だった。生のS=Mを聞いた時、初めてCDを聞いた時の鳥肌が返って来た。夢中になってペンラ振ったし、タケノコ生やしたし、しゅくだい!わすれない!!もした。山下次郎も中島ヨシキも最高だった。産まれて来てくれてありがとう。そのあと一週間は余韻が抜けきれなかった。現地って最高だな……

悪い方に進展があったのは夏休み中盤だった。思わぬところでダメージを受けた。部活合宿だった。

はじめて思うような結果を出せず、目標を果たせなかった。追い討ちをかけるように、新学期になり練習に対する価値観の違いによる部活内の対立と、その中立的立場になってしまった事。

ぶっちゃけ死ぬかと思った勉強も、二学期になり急に難易度が上がり例の如く取り残される。受験の重圧、周りの去年とは段違いのやる気。

そんなものが一気に重なり、私は学校に行く日が少なくなった。

メンタル弱いなとか思われてても仕方ない。というか私も自分で思ってる。

学校に行けなくなったというのは朝起きて、「学校行きたくない…」と震え、結局その日一日結局動けなかった…というような感じでは無く、単純に、朝早く起きれないのだ。

精神科に行くと、精神病と診断され、自覚がないままメンヘラJK突入かよぼんやりとか思っていた。

親にもお前の気持ちが弱いから、とだけ言われ続け、午前の授業の欠課数だけ増えて行く。

科目を二つ落とせば留年、今のところあと欠席可能回数が一桁しか残っていない科目が二つ。

今年に入って朝のHRから出席した日は一日しかない。なんというか、疲れてしまったのかもしれない。

勉強に追われ、部活に追われ。大半は自分責任だとわかってても、もう考えるのも疲れていた。

さて、めちゃめちゃ長くなったが2/3。

3rdライブも、お金問題遠征はできず幕張を狙ったが落選。それ以降は実はSideM自体アニメは見ていたけれどゲームをあまり開かないぐらいには、私の中では薄れかけていた。そんな中、ギリギリで取れた3rdライブLVチケットを握りしめ、豊洲pit以来出していなかったS.E.Mのペンラと共に友人と映画館へ向かった。

そして開幕した3rdライブ。久々に見る担当の姿に感動しつつ夢中になってペンラを振った。全員揃ったのはマジで感謝しかねえ…

S.E.Mの最初の曲は、S=Mだった。やっぱり、最高に楽しかった。

恭二に唐突に求婚されたり所々爆弾を投げつけられながら、合間のトーク

次の幕に移ろうとしていた。しゅごんが話の流れを持っていく。

先生達の指導必要だな!(うろ覚え)」みたいなことを言ってたきがする。S.E.Mだ、と思って大急ぎでペンラを持ち替える。

めちゃくちゃドキドキしながら待っていた。

会場が暗転。ピンクの光がちらほら増えていく。

ドン、と太鼓の音が聞こえて、あ、と思わず声が出た。

会場からも歓声が上がる。

S.E.Mのアニメでの新曲、「From Teacher To Future!」だった。

先生が歌い出す。るいが続く。次郎ちゃんもそれに続く。そして全員でこう言った。

「君は出来る 何だって出来る

君はなれる 何にだってなれる」

瞬間私は泣き崩れていた。そこには確かに中学生の時始めて私の背中を押してくれた、あの先生達の姿があった。

それまでごちゃごちゃ考えていた事が一気に流されたような感じだった。

S.E.Mがずっと私たちに伝えようとしていた事が、本当に今更だけどその時はじめてわかった気がした。

「頑張ろう、一緒に行こう!」と言ってくれた先生達に、私はたぶん、一生感謝するだろうなと思う。大げさかもしれないけど、それぐらい、今の私はS.E.Mというユニットに救われた。

ペンライトもロクに振れないぐらいボロボロに泣いて、「がんばれ」って横でずっと支えててくれてた友達にはマジで感謝しかない。

受験休みが終わって、明後日からまた学校が始まる。ちゃんと朝から行けるか不安もあるけれど、少しでも前に進むためのエールをあの時S.E.Mから貰ったので、私はその分、頑張ろうと思う。

以上、3rdライブ先生達に背中を押された女子高生の話。

2018-02-25

いじめって、人間すし詰めにして閉鎖すると起こるならさ

小学校から高校までも、大学みたいに常に移動教室にすればいいのに。

講義コマも全員固定じゃなくて選択式にして、席は毎回自由にすればよくないか

八割ぐらいはこれで片づくと思うんだが?

一学期ごとの席替えだって、あれいじめ対策でやってるらしいじゃん。

なんでいつまでもあんな狭苦しい教室に固めてるの?

盗難だってある。いいことないだろ。

システム丸ごと変えた方がよくないか? 

2018-01-16

私小説 不登校

私は中一の途中から不登校になった。

元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉スムーズに出すことができなくなっていった。

そして中学入学環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。

そして決定打となったのは合唱コンクール「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り自分学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。

会話からまり日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テスト期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。

不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点基準数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任もっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。

この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三一学期、今まで体験たことのなかった画材出会った。油絵である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。

その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しか問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度発見した。内申点度外視し、受験時の学力テストと実技、面接入学選抜を行うという制度だ。その制度担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラス過去不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。

何はともあれ、私はその制度活用し無事志望校合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。

そしてやってくる大学受験もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。

時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係高校大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代自分メタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験合格した。

卒業制作バイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。

2017-09-22

【追記しました】あなた忘れ物して、気づいたときにどう感じますか。

小学生の娘がいる。

親バカ心配するほど可愛い

愛くるしく細くて制服もまだまだぶかぶかだ。

ちょっと勝ち気なくせに、実はボンヤリしてて話を聞き漏らしてたりする。正直、学習についていけてるか心配しながら一学期が終わった。

ここにきて更に心配していることがある。

二学期になって、落とし物や亡くし物、忘れ物をしない日がない。

友達からは長い休み明けはみんなそうだよー…とも言われたし、確かにそうかもと思いつつ、病気障害じゃないんだろうかと不安にもなる。

学校から持ち帰るときに、なにかを忘れる。

例えばルーティンになっている週一持ち帰る上履きや、毎日給食袋。

上履きは洗わず使えばいいし、給食袋の予備に洗った箸やマスクを持たせ、二つ持って帰るように言う。

昨日の事。

持っていった赤白帽がなく、注意した担任に「家に忘れました」と話したらしい。連絡帳にも『帽子を持たせてください』と書かれて帰宅した。

帰ってからママ、赤白帽子いれてなかったー」と、文句を言う。娘と確認して週末揃えていれたのに。

「家からは持っていったよ。着替えるときに入ってるか見た?」と聞き返した。

「あった。でも、着替えた後になかった」と、あっさり話す。

大人としては、「家に忘れた」と「学校で着替えの最中に見失った」は大違いだ。

他意はなくとも、デタラメか嘘だ…と、私は感じる。

この他にも毎日何かを「無かった」「忘れた」と話す。

一緒にでかけてもトイレの個室に鞄を置き忘れる事は、ここ数年何度もやらかしてきたし、

一向に改善されないまま小学生になり、幼稚園の頃よりずっと増えた道具に悪戦苦闘してるんだろうなと思いつつも、親としてこう毎日「何かがない」と話されると「バカなの?」と応えるようになってしまっている。

子がバカなら親もバカで、昨日は「なんで先生に『家に忘れました』なんて言うの?」と怒鳴ってしまった。

ここ一週間、私が怒りすぎてどうにかなりそうだ。書ききれないほどあり、ほとんどルーティンに持ち帰ったり、移動教室で使うものだったりする。

私が小学生の頃も忘れ物をしなかったわけではないし、その場しのぎの嘘を先生に話して事を荒立てないようにしたこともあるの。

しかし、「袋の中にあった」「気付いたらなかった」「先生に忘れたって言った」「なかったから、明日までにいれといて」となると、説教だけでなく、怒りの感情がおさまらない。

いくら可愛いはいえ、娘に向き合う気持ちにならないほどで、きっと今日般若のような顔で出迎えるに違いない。

ましてや、昨日発覚した無くしものは他にも二つあり、今日登校したら探してみるようには言った。でも、無いだろうな。

明日の準備をする時には「保護者のかたも一緒に確かめあって準備をしてください」とお便りにあるので、その通りしているんだけど。

本当に何か1つが無いと、帰宅してから言ってくる。

ここで怒らず、どう応対するのがいいんだろう。

はてなーの皆さんにお伺いしたい。

私が今まで育てた通りに育ってるのは承知で、育て方伝え方が悪かったんだろうと思う。

でも敢えて。

こんなに忘れ物してた方いますか?ご両親はどんな反応でした?

豊田議員並に怒鳴られ育ったことはありますか?その時、どんな怖さでしたか

そして、今は親にどんな思いですか?

憎いですか?(ですよね)

いたらぬ母に教えてください。

■追記(9月23日 AM7:20)

皆さま、いたらぬ母増田です。

全てのトラバブクマコメント、読みました。心から感謝します。ありがとうございます

赤白帽あったの、隣の席の子が被ってたよ!自分のかと思ったんだって返してくれた、と喜びながら帰宅しました。

そして、汗ふきタオルはお道具箱の中に置いてきちゃった…ごめんね、と話してくれました。

行きつ戻りつでも、話してくれた安堵と、こちらでも叱咤激励頂いた余韻のなかで娘の喜びを受け止めました。

数人の方が書かれたように、娘は1年生です。すみません、何度も書き直すうちに書き漏らしました。

一学期に、体育のあと制服に着替えてる途中に机から体操服を着替えて(落としたらしいが気付いてない)たらなくなったと泣きながら帰宅したことがありました。

担任にはその日伝えられたらしいのですが、連絡帳にも書いたところ、翌日に全員で持ち物確認してくださり、斜め後ろの子が持っていたということがありました。

その際には「机から落とすと、誰かが持っていってしまうかもしれないね。落とさない方がよくない?」と二人で話しました。

親として落とさないで欲しいなあという気持ちと、一年生は誰の物かを確認しないものなんだな…と、知りました。

なので、今回もいじめターゲットになっているとは考えにくいと思っています

身バレ覚悟で書きますが、娘のクラスでは生活習慣について宿題にだされることがあります

「9時までに寝ること(誰かが遅刻常習らしい)」

「筆箱の中身を確認すること(これは他の児童の物が毎日なくなると、保護者から担任への訴えたとLINEでまわってきました)」

体操服を持ってくる(昨日書いてきた宿題で、体操服を持ってきてない子が複数いたらしいです)」

クラスの誰かが何か無いと言うのがデフォルトの様(個人的には信じがたい)で、娘の困っていない気分はその日常に慣れている感もあるのかなと。

二学期が始まり落ち着くかと思いきや、忘れ物無くし物は減らず、その場しのぎの返事をする姿、無くなる理由や経過が見えない・本人も探すらしいけれど見つけられない様子に、私の苛立ちが日々増幅していまいました。

一昨日に辛くあたり叱責し、そんな自分も嫌で絶望で1人号泣しながらこちらに書きました。

長々すみません、皆さんから叩かれるだろうなと覚悟していたのに、あたたかコメントに更に泣いてしまいました。

現実としては、やはりADHDを疑っています。ここでアドバイス頂き専門機関相談しようと決めました。

主人にはここを見せてませんが、何かテストを受けさせてみてはどうかと、ここ最近の様子をみて言われたので、反対されないと思います

本人は何の事かわからずも、忘れ物しちゃだめだなと持ち物のチェックリストを書いて玄関ドアに貼っています

行く前にすること、帰宅してからすることも、細かすぎるほど書いてあり、その項目の細かさや優先順位曖昧な点が親として気がかりでした。

日々の困り事に向き合い、どう伝えるかも、私も勉強したいと思います。そして、私自身もアンガーマネジメント心療内科受診します。

経験談アイデアを書いてくださった方、お叱りを書いてくださった方、いじめ心配してくださった方、酷い私を心配してくださった方、本当にありがとうございます

支離滅裂増田ですが、何度もここを読み返しては励みにします。

娘に「ねぇ、こっそり教えて。いつタオルを置きっぱなしにしたことを思い出したの?」と寝る前に尋ねました。

「いつも、帰り道の橋を渡ってる途中に『あ!』って思い出すの。そしてヒュ~って風が吹いて目の下に線がでる感じ。」と話してくれました。

毎日?橋のとこ?」「そう」

「気付いてよかったね!」「うん」

橋を渡る頃に気付けるのなら、校門を出る前に、教室を出る前に気付けるようになるといいんだろうな…時間がかかりそうだけど。

2017-08-31

あいがもん氏の高認試験挑戦ブログ

読んだ。

私も中卒(都立高校中退である

七年前に高卒認定試験を受けている。

その時のことを思い出して、懐かしいような、こそばゆいような気持ちになった。

高認過去問題集の表紙デザイン、七年前と変わってないんだな……。

試験会場の大学、私が高認受験したところと同じかも……。

など、今まであまり身近に感じたことがなかったタレントさんに対して一気に親近感を覚えてしまった。

あい氏は今回の高認試験で、惜しくも数学のみ不合格だったようだ。

あい氏がどのように勉強されたのか、ブログ過去記事をまだ読んでいないため不明だが、高校一年生の一学期中退し、何もかもチンプンカンプン状態勉強を始めた私の場合はどのようにしたのかを僭越ながら書いておきたい。

まず私は新大久保にある教科書販売店に行き、棚にずらりと並ぶ各社の教科書の中から、最も易しそうで最もページ数が少ない「数学 I・A」の教科書を選び購入した。

そして最初から最後まで精読しつつ、すべての練習問題を解いた。

その教科書イラスト豊富で字も大きく、パンフレットなみの薄さだったので、自分でもちょっと頑張れば最後まで読めるかも……と思えたのが良かったんだと思う。

数学に対する苦手意識が強いあまり、はじめは教科書を見るだけで冷や汗が吹き出し、吐き気を催すほどだったが、一周目をなんとか終えたときは驚くほどの達成感があった。

最終的に、教科書を四周した。

四周目には、一周目であんなに苦戦していた練習問題も瞬時に解けるようになっていた(問題と答えをすべて覚えてしまったというのもあるが)。

そして高認試験の結果。

なんと数学は満点を取ってしまった(※ 自己採点による)。

しか数学勉強時間を割きすぎた結果、他の教科は準備不足となり、高認試験のもの不合格

惨憺たる結果に終わった(こういう要領の悪さが私が中卒になった原因のひとつなんだろうなー)。

というわけで、高認数学過去問題集だけだと解けないかもしれないが、教科書を使い繰り返し練習問題を解けば私のようなアホでも点数はとれたという話。

最後に。

懐かしい気持ちを思い出させてくれたかあいさん、ありがとう

2017-07-14

《追記》昨日の非正規教員増田だよ

昨日、こちらの記事を書いた非正規教員増田です。

https://anond.hatelabo.jp/20170713183630

「流れてしまうかな、誰か反応してくれるかな」と思っていたら、想像を遥かに上回る反響があった。

トラックバックコメントも、現時点で確認できるものには全て目を通させてもらいました。

全ての意見に対して返事、説明反論などをすることはできないので、どうしても補足したいと思ったことだけ書きます

寄せられた反応の中で、「事前の調べが足りなかったのでは」「さすがに抜けすぎなのでは」「大事なことをもっと確認してから契約すべきだったのでは」という類のものがあった。

もちろん、自分の調べが甘かったとは思うし、すぐに食いついてしまったな、とも思っている。

しかし、今現在記憶を持ったまま3月30日に戻れると言われたと仮定して、あの電話に「いえ、お受けできません」と答えることができるだろうかと考えると、私はおそらく今と同じ道を選ぶだろう。

3月30日というギリギリの時期にかかってきた県教委から電話は、私にとっては「学校現場に立てる!先生になれる!」という希望しかなかった。

そして、希望であると同時に「断ったらもう依頼されないかもしれない」という恐怖も含まれていた。

3月30日に依頼なんて有り得ない」という意見も多数見かけたが、指摘してくれている人もいたとおり、非正規教員の取り扱いは自治体によって大きく異なる。

私の県では、3月20日過ぎに正規教員の異動発表→非正規教員(常勤講師)への内示→それでも足りなければ非常勤時間講師を補充、という流れのようなので、私の内示だけが別に遅かったわけではないらしい(今日事務員さんに尋ねてみた)。

この一連の流れは全て県教委が司っているので、単純に個々の学校バタバタしていて手際が悪いというわけでもない。

話が逸れた。

とにかく、あのときの私にとって、積極的意味でも消極的意味でも、内示を断るという選択肢はないも同然だった。

(それに、勤務校や割り当てコマ数についてその時点で問い詰めたり交渉したりしたところで、「ではよりよい条件を提示します、ぜひ!」となるものでもないだろうと思う)

今日一学期最後の通常授業で、いくつかのクラス期末試験を返却したり夏休み課題について説明を行ったりしてきた。

担当は3時間目と5、6時間目だったが、職員朝礼に出たり教科主任と打ち合わせを行うために8時過ぎには出勤し、フリー時間には成績入力や提出物のチェックをし、6時間目のあとに行われる清掃の監視もしてきた。

返却した試験用紙を受け取るたびに上がる歓声や悲鳴を聞いたり、夏休み課題存在にげんなりする生徒をなだめたり、女子生徒とたわいない会話をしながらゴミ袋を運んだり。

「空き時間は全て勉強に費せ」もしくは「塾で働いたほうがいい」「舐められてるだけだから辞めてやれ」、頭では理解できるが、このような待遇でもやはり「学校先生」にやりがい見出し、生徒の成長に資する一員となりたいと願うのは愚かだろうか。自己責任だろうか。

もしくは、自分の大切な人(パートナーや息子娘、友人など)が「理不尽に使われていることは分かっている、しかし、それでも先生になりたい」と、私のような境遇にいたとしたら、あなたはどうするか考えてみてほしい。

馬鹿げている、さっさと辞めて次を探しなさい」または「自分で選んだんだから自己責任でしょう」と言えるだろうか。

先にも書いたが、正規非正規教員共に人事権は県教委にあるため、自分の生まれ育ったこの県で先生になるには、選択肢やとりうる策が限られすぎている。

「この会社ダメだ、ブラックから同業他社転職しよう」とはいかない。

(各学校校長独自判断で「〇〇先生(講師)、10月からウチに来て」と呼ぶのではないらしい)

学校先生になることは私の夢だったし、今でも変わらない。

正規になってもブラックだ、と言われても、「先生になりたい」という気持ちのものは揺るがない。

そしてこれは夢であると同時に、「子供たちの未来の役に立ちたい」というある種の使命感のようなものでもある。

コメントで書いてくれている人がたくさんいたが、教育未来を作る仕事だ。

よい教育なくして国や社会の発展が望めるはずがない。また、発展という光の方面だけでなく、貧困連鎖を断ち切るという役割を担うのもやはり教育(特に公教育)だろう。

自分の面倒すら自分で見られない私が「生徒の助けになりたい」など、甚だおこがましいことを言っていると思う。

しかし、この数ヶ月間生徒たちと共に過ごし、先生と呼ばれる中で、自分境遇への複雑な思いを抱きつつも、それを跳ね除けて教壇に立つ力を与えてくれたのはこれらの気持ちだったのだ。

「じゃあ一生やりがい搾取されてろ、自己責任」と言われるだろうか。

しかし、この問題はもはや、私1人がこのままやりがい搾取され続けるかそこから脱するかというだけの問題ではないし、「そんな条件を飲んだお前が悪い」と言って解決する問題などではないと思う。

全国に数万人いる非正規教員

私を含め、その全員によって現在そして未来教育が担われている(もちろんさらに多数の正規先生がいて日々尽力されているのだが)。

そのことを知ってもらいたかった。

今回、はてな匿名ダイアリーに書いてよかったと思う。

採用試験頑張れ!」と言ってくれた方々、ありがとう

精一杯頑張ります

2016-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20160215213008

子持ちの非処女(当たり前だ)だよ。

子供は誰かに預けられて当然」と言う認識の親って同じ子持ちからしても迷惑なんだよね。

保育園病気うつされたり怪我させられるのが嫌なら仕事辞めて家に置いとけ。でなければシッター雇ってマンツーマンで見て貰え。

集団保育してりゃそんなの当たり前。

小学生一学期(4月~7月)給食ないのしってる? 毎日午前授業だよ。

とかだから?と。学童入れろよ。

学校託児所じゃなくて勉強する所。入ったばかりの一年生は長時間授業しても集中力続かないからそうなってるってだけの話。

それ以上に子供預けたきゃ金払って託児サービス買え。

保育園けが女の社会進出を妨げてるわけじゃないけど腹立つよね

anond:20160215171759

・とりあえずアパートの一室でやってる、本来は預けたくもない私立保育園に預けて見切り発車でフルタイム復帰してみたら

 顔に一生もんのひっかき傷いれられたけど、そこまで準備すればちゃんとした公立に優先で入れたよ。

保育園にあずけても病児保育ないからしょっちゅう呼出されるよ。2ヶ月くらい毎日保育園で新しいウィルスもらってくるよ。

小学生一学期(4月~7月)給食ないのしってる? 毎日午前授業だよ。

結局女に働いて欲しくない自治体(国)に住んだものの負け。待機児童〇の自治体があって希望者100%入れるってたぶん嘘か夢だとおもう。

子育ては損な仕事だ。理不尽だ。ちなみに保育園保育士さんにとってもそうだ。

 

母に感謝するより男社会でのうのうとしてる国に怒りが湧くわ。ホントに。

介護看護もしない男は全員憎い。死ねばいいなんておもわないからホントにお願いだから働いてください家庭でも。

濡れ落ち葉め。

2016-01-12

イジメは人に階級をつける

中学高校イジメられていた。

中高一環の男子校だったため、同じ人物に中高イジメられていた。

まり中学二年生に進級したての頃だった。

当時からチビでナヨナヨしてた僕は、なんていうか典型的イジメの標的にされやすタイプだったのだと思う。

反撃もできなかったし、先生や親に相談することもしなかったため、どんどんイジメエスカレートしていった。

最初のうちは肩を殴られたり、文房具教科書を奪われたりしていた。

その頃はなんていうか、薄く広くイジメられていて、クラスの半分ぐらいが僕に対して危害を加え、もう半分ぐらいが静観していた。

しかし、だんだん暴力の内容がエスカレートするにつれて、狭く深くイジメられるようになった。

そうして、中学三年に進級する頃には、一人のイジメっ子だけが残った。


まず中三になって彼が行ったのは、僕の服を着る権利を奪うことだった。

最初休み時間に何度も殴られながら無理矢理制服を脱がされた。

それも毎時間

制服はもちろん下着まで脱がされ、よくわからない踊りを踊らさせられた。

しまいには、特定の授業は全裸で受けさせられた。

特定の、とはうるさくない教師の授業はという意味だ。

制服は彼の鞄の中にしまわれ、放課後になると投げつけられる。

言葉にするのは難しいのだけれど、みんなが服を着てるのに、自分だけ服を着ていないことは、とても惨めだった。

恥ずかしくて局部を隠そうとすると、腹や顔を殴られるのも辛かった。

一学期の終わり頃には、もう全裸ルーチンワークになっていて、彼が「おい!」と大声をあげるだけで、僕は黙々と全裸になっていた。

夏休みがあけ、二学期に入ると、彼は放課後新聞部の部室にたむろするようになった。

新聞部高等部部員が三年生一人しかいなかったらしく、二学期からは、彼と彼の後輩たちだけの部屋になっただからだ。

僕は無理矢理そこに連れて行かれ、そこでもイジメられることになった。

そこで行われたのは、イジメというカテゴリというよりは、レイプに近かったのだと思う。

より性的なそれになっていったからだ。

彼が男が好きなゲイなのか、それともバイなのか、はたまた誰かをイジメるのが好きなだけなのかは、よくわからないが、

とにかく彼は僕に対して性欲をぶつけてきた。

日々の暴力全裸強制ですっかり反抗する気がなくなっていた僕は、黙々と彼の命令に従っていた。

最初フェラチオからまり、最終的にはアナルセックスまで行った。

誰にも相談できなかった。

全裸で授業を受ける僕を見て何も言わない教師に期待する方が難しい。

親は平日は夜遅くまで仕事で家にいなかったたし、休日は一日中眠っていて、まともに会話が出来なかった。

まだインターネットは普及していなかったし、個人の携帯電話なんてもちろん持っていなかった。

どうすればいいかわからなかった。

高校に進学しても、彼とは同じクラスだった。

クラス面子は変わっていたものの、僕の扱いは学年中に知れ渡っていたため、特に変化はなかった。

しかし、その頃から少しずつ、彼の態度が変わっていった。

レイプするような人間を修飾する言葉では無いかもしれないが、

優しくなった。

顕著だったのは、暴力だ。

昔は僕が反抗的な態度をとろうがとらまいが、関係なく殴ってきたのだが、

その頃の彼は僕が従順にしていれば、あまり暴力をふるわなくなっていた。

彼に始めて休日約束をさせられた。

学校外で会うのは始めてだったし、休日レイプされるのか、と思うと、とても気が重かったが、

その日は普通にゲームセンターに行って、本屋に行って、ファミレスに行って、終わりだった。

そして何より世間話をするようになった。

昨日みたテレビの話や、授業の話、そんな普通友達がするような会話を、

たびたび僕に振るようになっていた。

とは言っても、全裸強制することや、無理矢理アナルセックスをさせられる点は変わりなく、

イジメレイプは続いていた。

そんな彼との日々は高校二年生に進級したときに終わる。

キッカケは「B君」だ。

B君とは始めて同じクラスになった。

B君は僕とは違った意味有名人だった。

まず何より体が縦にも横にも大きいため目立つ。

そしてB君は柔道がとても強かったらしい。

二年生に進級し、イジメっ子がいつものように「おい!」と叫び、僕を呼ぶ。

僕はイジメっ子の元に向かい、そこで服を脱ぐ。

そんないつものルーチンワークをこなしていたら、

B君があらわれた。

B君はイジメっ子に対して「辞める気はないのか?」という感じのことを聞いた。

僕がイジメっ子にイジメられていることは学年中のみんなが知っていたため、B君も知っていたのだろう。

イジメっ子が返事をした途端、僕はB君に引っ張られ、服を着させてもらった。

それから、B君は僕を守ってくれるようになった。

授業も制服で受けられるようになり、

放課後のおぞましい性行為もB君が柔道部に匿ってくれるようになったおかげで治まった。

休日イジメっ子に呼び出されることも無くなった。

僕はB君と一緒に過ごすようになった。

B君は休日柔道で忙しいため、遊ぶ機会はあまりなかったが、

休み時間やお昼ご飯を一緒に過ごした。

しかった。

正直、僕の「自我」は中学二年生で失われ、この高校二年生になるまでずっと無かったのだと思う。

それから楽しいことは全部覚えている。

B君が体育会のわりにアニメが好きで、特にガンダムシリーズが好きだったこと。

格闘ゲームギルティギアよりもストリートファイターKOFの方が好きなことも。

カラオケではDEENを歌うことも。

B君は優しくて、強くて、格好よかった。

全部、全部、覚えている。


B君との繋がりで、ほかにも友達ができた。

みんな優しかった。

けど、やっぱりB君は特別だった。

僕はB君のことが好きになっていた。

高校三年生になり、クラス大学受験科目別で分けられ、

僕はようやくイジメっ子と別の教室になれた。

同時にB君とも別の教室になってしまったけれど、お昼休みは一緒にご飯を食べたし、

B君は部活引退して、放課後も一緒に帰るようになった。

このB君のことが好きだという気持ちを、どうやって処理すればいいのか悩んでいた。

まずもちろん、B君が男性が好きな男性なのか? という疑問を解決しないといけない。

そして、さらにその先にある

責任感の強いB君にそこまで求めても良いのか?」という疑問が一番大きかった。

好きなら好き、嫌いなら嫌いだろ? と簡単に割り切れればいいのだけれど、

なんていうかB君と僕の関係はとても危ういように感じていた。

ハッキリ言って、B君の方が立場が上のようで、ある意味では下になる。

所謂「助けるなら最後まで面倒みろよ」的な論調で、B君の自由意志が反映されない気がしていた。

仮に僕とB君が相思相愛だったとしても、

B君の無条件の信頼と好意によりかかった、僕にとって都合が良すぎる関係なんじゃないだろうか。

まり

『あのイジメっ子が僕に関係強要したことと、上からと下からという違いがあるだけで、実質同じなんじゃないろうか?』

という悩みだった。

力の暴力とはまた違った、関係暴力みたいなことを、B君に押し付けることになるんじゃないか?

僕はB君によりかかりすぎて、これ以上を求めちゃいけないんじゃないか。

イジメっ子が僕に対して無理矢理性行為強要したように、

僕もB君に対して同じことをしようとしてるんじゃないか。

結局、僕はB君に思いを告げることはなく、高校卒業した。

彼は県内大学に、僕は県外の大学にそれぞれ通うことになった。

そして、大学卒業した今でも、彼とは友達であり続けている。

たらればを言ってもしょうがないのだけれど。

イジメっ子が僕をイジメてなかったら、僕とB君は友達になっていなかった?

イジメっ子が僕に性的行為強要しなければ、そもそも僕は男性性的な魅力を感じなかった?

もちろん、イジメっ子のしたことを肯定する気はさらさら無いし、合法的に殺せるなら殺してやりたいとすら思う。

けれど、あの地獄が無ければB君とは出会えなかったし、あの地獄があったから僕はB君を好きになれたのかもしれない。

それでもつい考えてしまう、イジメっ子が存在しなくて、

僕とB君がフラット関係出会えたとき

僕は彼を好きになったのだろうか?

彼は僕を好きになってくれるのだろうか?

僕は今でもB君のことが好きです。

2016-01-05

中学一年生一学期一回目の授業で恋愛論とか教えろよ

マズローの欲求5段階説とかも

2015-10-22

anond:20151021231008

それは暫定勝者のいいぐさやで~

子供社会に出るときが来たらめっさ大変なんやで~

保育園病院病院また病院~ノロロりんご手足口~

小学校一学期給食がありません

中学校いじめ受験

高校:その子なりのあれやそれ

2015-08-14

高校時代女子高生セックス出来なかったか死にたい

女子高生セックスしたいけど、いましたら犯罪になるし、やらせてくれる子もそもそもいない。

っていうか、僕は年の離れた男に簡単にやらせるような子とはあんまりしたくない。そりゃ、目の前に裸でいたら襲っちゃうけど。

まれ変わりシステムがあるなら、死んで高校三年間をやり直したい。

今度は真面目な進学校じゃなくてそこそこの高校に進学しよう。そうすれば、勉強が頭の隅に常にある生活じゃなくて、頭の中を女の子のことだけにして青春を送れそう。

バレー部のいかにも女子高生黒髪ロングな女の子と席が隣になって、休み時間に喋ってる内にお互い意識し出して、一学期も終わりが近づくとなんだか寂しくなって終業式の日に告白してウキウキクワクの夏休みを送りたい。

初Hは彼女の部屋でなかなか上手くいかないけど、なんだかお互い幸福感に包まれながら抱き合ってお互いの体温を感じてたい。んで、次第にセックスの楽しさにお互い目覚めて毎日やりまくりの日を過ごすんだ。

花火大会の日は浴衣を着て屋台を楽しむけど、いざ花火が始まると茂みに隠れながら花火を見ながらの野外プレーを楽しむ。

いざ学校が始まると、花火大会の日の興奮がお互い忘れられず、空き教室とか体育館スリルを味わいながらセックスしたい。

冬になったら抱き合って、あったかいねウフフとかしてみたい。夏服冬服スク水ユニフォームそれぞれで着衣プレーも忘れてはいけない。着衣プレーで使って少し汚れた制服彼女に着せて一日過ごさせたい。

新学年になったら、彼女のことを好きな後輩が告白するけど、当然我が彼女は僕を選んで、二人で後輩のことを嘲笑いながらセックスしたい。

清楚でクラスのマドンナだけど、自分の前では淫乱痴女彼女を思い浮かべながらのオナニーも乙なものだろう。

卒業したらお互い別の大学に進み疎遠になって自然消滅するけど、久しぶりに彼女と会って、彼氏セックス愚痴を聞く内にラブホテルに行く流れになり、彼女にやっぱり増田君じゃなきゃダメっっっとか言わせたい。なんやかんやでよりは戻さず、彼女大学時代彼氏結婚することになり、結婚式にこっそり潜り込み高校時代彼女のハメ撮りを見ながら感傷に浸りたい。

書いてて辛くなってきた。どうせこれから好きな人出会っても、高校時代セックスしてた人なら諦めて普通に死ぬと思う。

高校時代セックス出来たかどうかの差は大きい。その後の人生でどんなことをしたって取り返せない。

童貞で成人した自分に耐え切れず、出会い系で汗臭いヤンキーアラサーに3万ぼったくられて童貞卒業する引きこもり現実なんてないんや……。

ああ死にたい

2015-07-18

報われたい

自分人生めっちゃ疲れた

色んなことに報われない人って沢山いると思うけどその中の一人に私がいて、まぁ苦労自慢ってわけではなくとりあえず整理整頓したいからここに書こうと思う。何か報われる方法があったら教えてください。

とりあえず私は報われない

保育園年中のとき お昼を食べるのがめちゃくちゃ遅くて、そしたら先生が突然わたしのデザートをとりあげて友達にあげてた。ゆるせないままだった。

なんか覚えてないけど私がその子タヒねって言ったらしくその子が来なくなって誤り行った思い出があるけど、悪いのは私じゃなくて先生じゃん?って思う。

小学校2年生の時に親が離婚した 当時私の中でしょうもない嘘をつくのが流行ってて、父が仕事から帰宅した時に「おかーさん明日出て行っちゃうだってぇ」なんてバカみたいな嘘ついてたら翌日それが本当になった。 母が言うには私の言ったことでなんか色々怖くなったかららしい。

その前から家の中は不穏だったし喧嘩なんてほぼ毎日。私と、双子の妹が居ようが居ないがお構いなし。結果母は鬱病になって私たち子供を連れてナチュラル家出した。夏休みの事でした

小学校四年生とき 授業でわたしのかいてたものクラスの子バカにされたかんじがして、聞いたらキレられて「殺す!」とか言われた。担任にチクったけどこの担任がすごぶるクソババアで、放課~次の授業の最初あたりまで教室で話し合いしてた。次の授業は体育で外だったんだけど、授業はじまる時にみんなに向かって「バカのせいで授業が遅れたわ」とかいっててタヒねって思った。

小学校6年生の時に母が再婚した お見合いに会員登録してめかしこんだ写真撮って女性はお目当ての男をひたすらサイトで探す方法だった。

妹たちとうわーこの人動物園飼育だって~とかこの人年収○○○円ある!とかきゃいきゃいやってたのを覚えてる。結果再婚したのは有名企業ちょっと言えないところで働いてるぶっさいくでどもりのあるクソ男だった。私と妹たちはこいつがしぬほど嫌いだった。私より一つ下の男の子がいたけどこっちは性格がすごぶる悪かった。育ちが悪いってこういうことかーなんて考えながら、めちゃくちゃ楽しかった小学校と大好きだった先生友達さよならして都会から田舎引っ越したけどそこからめっちゃ地獄現在引越し前の所で住んでるけど、もう田舎なんて一生住みたくないと思ってる。 小6の夏休み暑い友達いないし行くところもないし本当に毎日無駄だった。

転校初日クラス男子に「○○○市とか、都会じゃん!」って言われて田舎乙とか心の中でめっちゃバカにしたよ

中1 なんか友達いないわけじゃないけど二人グループ作れって言われたら残り物になるようになった。同じ時期に田舎引っ越してきた子は輪に入れてるのに自分だけ外野感。皆がやりたがらない委員会を買って出て、それが生活安全委員っていう毎週特にコレを気をつけるみたいな規則をつくってそれをクラス人間に守らせる委員会だった。

任された仕事は徹底的にやる主義だから一生懸命にやって、だから達成できなかった時はめちゃくちゃ怒った もう一人の生活安全委員全然働いてくれなくて、皆私にあんまり近寄らなくなって、話を聞いてくれる相手がいる人間を心底恨んでた。この時の担任はめちゃくちゃいい人だった。

あと学校書道大会で銀賞取った。金じゃなくて銀かよって思った。

父のところへ帰りたくて夏休みの間に泊まりに行ったけど、そこから帰ったら母の機嫌はめちゃくちゃに悪かった。たまに父と会うけどその日の母はバカみたいに機嫌悪くてほんとしょうもないクズだなぁって思ってる。

中二 クラスに絵がまぁまぁうまい子がいた。ここまで言ってなかったけど私は絵をかくのが好きで、保育園年長で絵の上手い子がかいてるの見て「いいなー」って思ってたけど小学一年生ときに「りぼん」を読んでから将来の夢は漫画家だったくらい。ちなみに小一の時に授業でかい遠足の絵が選ばれて階段の壁?に貼られてめちゃくちゃ嬉しかったのを今でも覚えてる。 で、まぁこの上手い子が担任にも贔屓されてて、私はというと特に仲のいい友達もいないしま生活安全委員やってまたもう一人が働かなくてって感じで毎日死んだ顔してた ついには泣いた 一生懸命やってるのになんでお前はやらねーんだよ何正義感ありありで立候補しといてやわねーんだよって感じ。

文化祭でうちの学校は有志のかいた絵から一枚選んでそれを全学年ででっかいモザイクアートにするんだけど、それに私と上手い子が応募した。私は賞なしで上手い子は賞もらってた。 ていうかここまで上手い子ってかいてるけどそこまで上手くない。わりとマジで

中3 家を追い出された。実父に迎えに来てもらって、1ヶ月くらい実父の彼女の家で住んでた。一晩とまってから学校に行って、ちょっと話して、先生に母から電話だよ、持ってきて欲しいものを聞きたいみたいって電話変わったら「なんで学校に来るんだよブツブツブツ」って話されて怖くて何も言わずに切った。受験生夏休みだけど補習もあって、高速で往復2000はかかる道のりを送り迎えしてもらったり服を買ってもらったりした。彼女さんはとてもいい人だったし結婚しちまえと思ったけど中国人だったから祖母と祖父が猛反対してだめらしかった

小6から、クソ義父に祝われたくなくて一切拒否してた誕生日会をこの時彼女さんと実父とで久しぶりにやった。

なんでかしらないけど父の財布からお金を盗んで色んなものを買い込んでた。お父さんごめんなさい。母にお金を使い込んでた事が帰ってからバレたとき一緒に嘘ついてくれた。きっと盗んでること知ってると思うけど何も言われなかった。

夏休み終わるちょっと前に母から謝罪を受けて戻ったけどここで戻らなきゃ良かったってずっと思ってる。

あとスケッチ会で初めて賞をもらったけど銀だった。うまい子は金だったけどぜんぜんうまくなかった。

高1 いろんな人間を説得して押し切ってデザイン系の学校に通うことにした。田舎学校はいやすぎて○○市の学校にした。といっても公立はなんか受かる自信ないし受けるの面倒だしってクソみたいな考えしてたか私立落ちこぼれ校みたいな所に入った。まぁまぁうまい子もそれなりにはいたけど皆デッサンもまともにできないようなやつばっかで引いた。いやデッサン試験でやりましたやん皆さんどうしたんですか?って感じに。

スケッチ会は選考に残って中々返されなかったから期待してたけど賞はなかった。あと体育祭Tシャツデザインも票はいくらか入ってたけど落ちた。どっちも選ばれてたのは高校でできた絵の上手い友達だった。

秋に突然母に「引っ越すから」って言われて引越し前の所へ母私妹で戻った。ちなみに離婚はしてない。離れた理由が「私(母)の病院が近いから 」って聞いてたのに母は怒ると「あんたの学校が○○市だから!!!あんたたちが○○さんと上手くやらないから!!!!」なんて暴れだした。理不尽だなぁってずっと思いつつだんまりでやりすごしていた。

高2 進路決めで揉める 私は日本画を学びたいって中3の時から思ってたけど予算的にムリとか母にいわれた。 いやアンタに手助けしてもらったら一生「あの時払ったのは私だ」って言い続けるじゃんってわかってたか就職するって嘘ついておいた。ちなみに希望は父の経営する会社

母とは話が通じない、父にはお願いしてもはぐらかされてひきとってもらえない。めちゃくちゃ辛い。体でも売ってどこかを点々としたいとか思ってる。なんか憑かれてるとか○○神宮に好かれてないとかなんか色々霊的なことで混乱した。

平日に素描担当非常勤先生にお願いして居残りでデッサンとかクロッキーをやってた。ひたすらにがんばった。木炭紙大の人物クロッキー冷房の効いた素描室で汗たらしながらかいた。がんばったけど素描の成績は、3だった。

その年のスケッチ会は、めちゃくちゃがんばろうとおもって、場所がお城だったんだけどお城がかけない私は私なりに考えて敷地内で日本家屋っぽい建物(これがべらぼうに得意な対象)をみつけてそこを描いた。担任にヘコヘコ「あともう少しなので」って期限を延ばしてもらって、出したのは最初に決まってた期限の3週間後だった。

B3のイラストボード鉛筆と水彩で一生懸命かい風景画、素描先生に「みんな人物をかかなさすぎる。君はかいたほうがいいよ」って言われて3人も入れた。結果は、賞すら取れなかった。

一番いい賞をとったのは去年佳作をとったうまい友達で、一学期努力賞(総評でいい子がえらばれるみたいな賞)に選ばれたのもその友達で、あと体験入学の手伝いに誘われたのもその友達。わたしはなにもなくて、結果を聞いた瞬間と学校からの帰りの電車で何度も何度も思い出しては泣きそうになった。なんかもうだめだとおもった。

すごい無駄時間を過ごしたなぁ なんで言われたとおりにしたしがんばったのに何も無いんだろう

もう全部やめたい 私にはなにもない

2015-05-14

連帯責任の思い出

http://suminotiger.hatenadiary.jp/entry/2015/05/13/162046

 運動系教育現場における連帯責任話題を見かけ思い出したことがあった。

 私の通った中学では体育教師が毎年四月の授業プログラムとして基礎体力トレーニングなるものを行っていた。一度の授業に参加するのは2クラス男子それぞれ15名前後ずつの計30名程度。主な内容は短距離ダッシュ、中距離走、腕立て、背筋、空気椅子手押し車アヒル歩き、馬跳び、カエル跳び、アザラシなどなど全身の筋肉を万遍なくいじめてやるメニューを45分の授業時間いっぱいかけて行う。

 特に下半身への負荷が非常に高く、体育の授業があった翌日などはホームルームの起立着席時に男子の動きが緩慢でずいぶん時間がかかっていたことをよく覚えている。非常にキツイ授業ではあったが今考えてもそのメニュー内容はシゴキというレベルではなく指導範囲内であったろうことは先に明言しておこう。

 さて、この授業には掲題にあるとおり連帯責任ルールが取り入れられていた。

 2クラス合同で行われているところが味噌で各メニューを何本か連続でこなす最後の一本になるとクラス対抗の対決要素が加えられるのだ。

 勝利条件はメニューによって様々で馬跳びのように団体競技で先にゴールしたクラスが勝利となるシンプル場合もあれば、個人がそれぞれにメニューをこなし「ノルマを達成した者が多くいたクラスの勝利」「ノルマ未達成者を多く出したクラスの敗北」という場合もあれば「最も優秀な成績を出した一人が所属するクラスが勝利」「最も悪い成績を出した一人が所属するクラスが敗北」という場合もあった。

 敗北したクラスには連帯責任で都度ペナルティが科せられる。足上げ腹筋30秒。一人でも脱落者が出た場合、もう一度全員でやり直しとなる。ただし二回目以降は有志の人間が脚にボールを挟んでやり遂げれば、未達成者が出た場合でもペナルティ完了となる救済措置が用意されていた。

 ところで、ここまで他人事のように書いてきたが、私は昔からからっきし運動が苦手で、この授業でもクラスで一番足を引っ張る役どころとなっていた。その立場から言わせてもらうと、この授業には結果的には大変救われていたと今では感謝している。

 この一学期初めの一ヶ月の授業を通して、新たに顔を会わせたクラスメイトたちは互いの運動能力の差を否が応でも理解していくこととなる。そしてそれは運動能力の高いものが自ずと中心になり作り上げていく無言のヒエラルキー的な理解ではなく、各々の能力に応じてクラスの中での役割分担を作っていく形での理解だ。私にはこれがとてもありがたかった。

 もちろん運動ダメであることには違いないので、クラスメイトからのそのような認識が変わることはない。しかしそれは明らかな足手まとい、空気のように扱うべき存在としてではなく、フォロー必要存在としての認識だ。他に助けられた時、必然私は彼らに感謝言葉を伝える必要があったし、クラスメイトは互いに声援を送りあう必要があったし、誰かが今まで出来なかったことを達成した時には素直に賞賛し合った。それだけペナルティから遠ざかったのだから当然だ。

 そうして四月を終える頃に出来上がっていたその空気というのは一年継続することとなり、私は小学生の頃に比べて運動に携わる学校時間を格段に過ごしやすくなった。

 もちろん他クラスから嘲笑を浴びて嫌な思いをすることもままあったが、中学に入る以前はそもそも団体球技をしている時に同じクラスメイト運動ができる存在に話しかけることなど出来もしなかったのだ。それに比べれば、できないなりにチームに参加し励まし合うという体験ができたのはこのうえなくありがたいことだったのだ。

 私がそのようにクラスに受け入れられ、自身も前向きに取り組むことができたのは、あの四月の連帯責任ルールのお陰であったことを私は今でも疑わない。

 私はこの一事例をもって必ずしも連帯責任制度肯定的立場をとるわけではないが、せっかくなので書いてみた。

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.01 『ぱすてるチャイム

■連載のはじめに。

 コンシューマー系のギャルゲーバブルも、そろそろはじけかけている今日この頃ですが、アリスソフトというメーカーは、良くも悪くもマイペースで、ギャルゲー(非18禁)とエロゲー18禁)の境界線を、自由気ままに闊歩しているという印象があります。そして、その分、バランス感覚に気を配っているメーカーでもあると思います。ただ、ギャルゲーエロゲーも、バブル的な市場の拡大が起こってしまった現在は、同時に多くの価値観提示されてしまった世界でもあると思うのです。まあ、エロゲー世界は元々、無秩序・無軌道反社会的で『仁義なき戦い』のような世界ではあるんですけど、それにしても価値観が乱立し過ぎてねえか、というか、既にレーベル数を、本職の美少女ゲーム誌の編集者が把握しきれない、そんな状況の中で、今後のアリスソフトを占う上でも、『ぱすてるチャイム』は興味深い作品だと思ったのですよ。ええ。

■全体を俯瞰して。

 さて、そんな昨今の状況に対して、うっかり中出ししてその後始末を考えるような、ちっともタイムリーで無い、珍妙美少女ゲームコラムの第一回のお題は、アリスソフト久々のRPGぱすてるチャイム』でございます

 もう、発売してから結構経っているので、改めて説明しなくてもいいと思うんだけど、『ぱすてるチャイム』は、育成もの恋愛SLGの要素を加えた、ダンジョン探索型のRPGです。4人の女の子達と協力して冒険していくうちに、喜怒哀楽がで悲喜こもごもイベントがあって……というのが、美少女ゲームとしての、一番メインの要素なのだけども、心配していたのは、これらの要素が、一つのゲームとして、まとまっているかどうかという点だった。とりあえず、その辺からゲーム俯瞰していくことにしましょう。

 まず、RPG部分に関しては、アリスソフト伝統的な操作体系を継承していて、かなりプレイやすシステムになっている。ただ、作り込んではあるんだけど、昔ながらの経験値稼ぎ系のゲームなので、特に最近コンシューマー系のRPGに慣れてしまっている人には、戦闘シーンが、システムに慣れてくるとすぐに単純作業になってしまうあたり、ちと辛いかも知れない。

 戦闘シーンのビジュアル基本的には静止画だけで、キャラクター台詞でメリハリをつけるというのは、作業の効率という点では好感が持てるんだけど、淡泊というか、単純作業という点を強調してしまった面も。例えば、『ファーランドストーリー』や、アリスソフトだと、『かえるにょぱにょーん』の戦闘シーンにもあった、チビキャラアニメみたいなものがあっても良かったかも知れない。まあ、筆者はそういうのがうざったい、かなりせっかちな人なので、OFFにしてしまますが、多分。

 むしろ、気になった点としては、恋愛SLG部分の方で、ゲーム時間比較して、イベント数が少ないのだ。一つ一つのイベント台詞回しなども含めて、よく練り込まれているのだが、一学期から二学期にかけて、シナリオ分岐するまでのイベントが少ない。これは、キャラ固有イベントに比べて、共通イベントが少ないからだと思うし、週末のデートイベントテキストだけで、しかも、数パターンしか無いってのも、ちょっとしかったな。しかも、キャラ固有のイベントは、見逃したら次のイベントに繋がらない……というものもあるので、フラグ立てをしくじると、本当に味気ないプレイになってしまう。まあ、普通は途中で気がついて、途中のセーブデータでやり直すのだろうけど……。

 正直、『ぱすてるチャイム』というゲームは、かなりストイックゲームだと思いました。そして、アリスソフトというメーカーもまた、ストイックなのだと、改めて思いました。確かに、『闘神都市Ⅱ』や『デアボリカ』といった、一見ロマンティックな美少女ゲームに見せかけておきながら、しっかり心にはドスが突き狂っている凶暴な名作群に比べれば、その獰猛さは幾分抑えられています。でも、アリスソフトの濃厚な持ち味は『ぱすてるチャイム』のような、ライトな娯楽作品でもきちんと健在です。深作映画に例えるなら、『闘神都市Ⅱ』や『デアボリカ』が、『仁義なき戦い』『仁義の墓場』で、『ぱすてるチャイム』は『資金強奪』ですかね?(ますます分かりません)

 ただ、プレイする側の考え方は、時代に合わせて変わるのだろうし、独自スタンスというものが、乱立する価値観の中に埋もれてしまうかも知れない……そんな懸念はあれど、筆者は、昔と変わらない毅然とした態度を維持している、このメーカーをこれからも支持していきたいと思ったのですよ。

■各シナリオ感想

 ボーイッシュを通り越して、豪快な漢気と魅力を発散する沙耶と主人公関係は、盃を交わした男同士の友情すら感じさせるのだけど、少しずつその関係性が崩れていくというか、主人公以上に、沙耶の方が、芽生えた感情制御できなくなっていくあたりの描写が、なんともいじらしくて良い良い良い。

 ミュウコレットシナリオは割と恋のさや当て的な感じなんだけど、沙耶とセレスシナリオは、グローイングアップ的な展開が強調されている。特に、H以降の関係性の描写に重きを置いている点は、好みもあるだろうけど、個人的には好感が持てる。Hが最終目的ではなく、Hも含めて、他人との関係性の中で真の強さを見つけていく描写は、アリスソフトの得意とする所でもあります。まあ、『闘神都市2』みたいな、キツイ一発……いや、ハードな展開は無いですけどね。あっても困るけど。

キャラの紹介と感想

セレス

 天然ボケで内気で弱気眼鏡っ娘エルフで、しか巨乳という、このゲームで一番えろーすなボディのナオン。おまけに、陰湿いじめに遭っていた所を助けたのがきっかけでパーティーを組むという、まるで、おおばやしみゆきのまんがのような出会いだったりもするのだ(分かりません)。どこか人生を諦め、現実から目を背けていた自分を再び見つめ直す……というのが、この娘のシナリオの特徴。得意技能スカウトで弓使い。スカウト技能が無いと、探索の時にロクに扉も開けられないので、セレスと組むにしても、組まないにしても、、主人公が1レベルだけでもスキルを取っておくとプレイが楽ですよ。

沙耶

 タイマンでは負け知らずな武闘派戦士で、剣の腕は赤銅鈴之助や隠密剣士以上(予想)、主人公に着替えを見られてもへっちゃらちゃらーな、漢気溢れる美少女である褐色の肌にスポーツブラが眩しいよ! ただ、時々男勝りな自分への不信感が見え隠れしたりもするのがやはり女の子。そんな沙耶のシナリオは、男勝りで凄腕の戦士というパプリックイメージと、一人の女の子である自分の気持ちの間で揺れ動く、というもの。展開が一番筆者のツボにストライクしたのは、別項の通り。あと、スポーツ少女なので、やっぱり引き締まったいい足してます(どこを見てますあなたは)。実家はそば屋らしい。

コレット

 赤いランドセルスパッツマニアックタマランチ会長ロリっ子ハーフエルフ主人公とは因縁めいたものがあるらしく、転校初日の初対面からフレイムアローでマトにかけるヒットマンぶりを見せる。元気いっぱいで、騒々しさと気の強さでは『仁義なき戦い』の大友勝利にも匹敵する武闘派魔法使いでもある(言い過ぎ)。戦闘時にはキリングマシーンと化して、攻撃呪文を撃ちまくるが、MPの消費も早いので気を付けよう。先の因縁と空白の時間という二つの引っかかりを少しずつ踏み越えていくのがシナリオ主題で、ラストの展開は色々な意味で驚かされますNPCステータス回復できなかったのも驚いたけど。

ミューゼル

 ヒロインなので赤毛の犬系キャラ……という訳でも無いんだろうけど、やっぱり幼なじみなのですよ。面倒見はいいし、神術が得意で、詠唱では全国2位。まさに非の打ち所のない正統派ヒロインなのだけど、持ち前の人当たりの良さは、自己主張が控えめでおとなしいということでもあるので、それが時々裏目に出たりもする。でも、武装した生徒で溢れ返っている舞弦学園が『熱笑!花沢高校』にならないのはこの娘のおかげ(かも)。やっぱりヒロインなので、シナリオはきっちり手堅くまとめられてます主人公との関係性はもちろんだけど、コレットとの友情が、描写として印象的な所が多いのだ。

あとがき

 なーんか偉そうなことを延々と書いていますけど、元々は某美少女まんが誌のゲームコラム用に買ったという名目はあれど、動機は完全にキャラ萌えなので世の中そんなものです。沙耶沙耶沙耶。『かえるにょ・ぱにょーん』だって、しっかりクリアしたさ!

 おまけに、このゲームレビューを書こうと思っていた、某美少女まんが誌のゲームコラムの方は、書く直前に打ち切られてしまって、危うくお蔵入りになるかと思っていたんだけども、捨てる神あれば拾う神あり。というか、やらんと収入が(中略)。さて、次回の『N.C.P』(←略称)のお題は……えーと、今回の原稿を書いていたら、調子に乗り過ぎて規定字数を大幅オーバーしてしまったので、『ぱすてるチャイム』の続きと、もう一本は、待望の『ベストプレープロ野球Win版』かな……すいません、うそです。まだ決めてません。では、また。[更科修一郎(FAKEOFFICE)]

2014-03-17

ラジオフラッシュバック

ラジオ聴くと何でか退廃的というか、憂鬱な気分になる。それもどのラジオを聴いても退廃的な気分になるのではなくて、ある特定ラジオ局をお昼とか夕方時間聴くと、そうなる。

なんでそうなんだろうと理由を考えてみる。

憂鬱な気分にさせるラジオ局は、全国で流れるFM系列だ。(詳細は伏せる)

お昼はおそらく東京スタジオで収録された番組で、夕方は、地元局の独自編成の番組だ。

それを聴き始めたのは中学生の頃で、その頃ボクはどこにでもいる不登校中学生だった。

まだネット環境、どころかPC環境すらなかった。その頃ボクがどうして時間を潰していたのか、謎である

おそらく新聞配達バイトをして稼いだお金で、雑誌を買い、或いは画材を買って、絵を描いていた。

そう、新聞配達バイトをしていたのだから、そこまでコミュ障ではなかった。むしろ、時には学友と遊ぶ日だってあった様な気がする。一学期に一度くらい。

とにかく様々な要因があって、ボクは中学校に行きたくなかった。

しかし、中学生であったボクは、当然に周りから言われた。

学校は?」

ボクと、ボクの家族は、不登校であることを周りに秘すべきことであると考えたので、曖昧に答えた。

曖昧に答えるというのは、精神的にあまりよくない。

嘘をついているような気分になる。

そして、その時に流れていたのが、ラジオだった。

それは、不登校中学生向けには作られていなくて、ボクはそこでも密かな疎外感を味わった。

ああ、それでか。

あの時のラジオは、ボクが一人であることを、認識させる装置だった。

そして今も、その認識を、同じような番組聴くたびに思い起こさせるんだ。

2013-06-26

大学生にとっての3000円の飲み会

って高いという衝撃。

ふらっと今から行こうぜというやつではなく、一学期ごとに定例でやってるお疲れ様会として。

出席確認とかちゃんととるやつ。

飲み放題付き3000円。相場としては安い。でも高い。不景気だもんな。

いやそりゃチェーン居酒屋なら2000円台であるのだろうけど、チェーン居酒屋は嫌なんだわ…という人が自分含め多数なので除外せざるを得ない。

かつかつの一人暮らしならキツイよな。何日分食べられるんだって話だものな。


で、そういう場合って幹事としてどうしたらいいのだろう。

なお宅飲みは不可。大多数が多少高くてもいいからおいしいものと美味しいお酒を飲みたい、と言ってる。

予算は5000円までOKという感じ。

参加する10人の中の3人が、2000円(ファミレス1000円以内がベスト)がいいと言っている人たちがいる。

定例飲み会伝統的には、やはりファミレスやチェーンだとさすがに……という雰囲気ではある。なにせ一学期に一回しかない。

しかしそのためにこの3人に、「いやごめんねーやっぱ最低でも3000円出してもらえないとキツイっすわ」と言うのも、なんだか気が引ける。

みんな仕送り格差があるとはいえ、みんなでこの3人の分を補填するという方向もできない。

仮に2000円の激安居酒屋で全員参加できるとしても、それなら参加したくないというのが残り7人。自分も実はわりとそう。

はあ。

2013-06-19

【修正】惡の華by押見修造の日付を特定してみた ※原作ネタバレ注意

修正について

夏祭り8月発言など見落としがあり、時系列を再調査して修正しました。

修正前は1996年としていましたが1995年想定に変更しています

高校編からのご指摘ありがとうございました。

また日付逆算元の祭りを特定したので、日付がより正確になったかと思われます

参照:桐生八木節まつり生中継日時

http://www.gtv.co.jp/program/special/matsuri2012/

以下本題

やけに時間の流れを意識させる記述表現が多いので、中学編の日付をほぼ特定してみました。

先ず年代1995年とした根拠は以下の通りです。

ただし作中ではしばしば時系列無視したモノも出てきます。(折りたたみ式携帯、ultrasoul、未発売の本など)

これらは作中の時期を決定づけないためのぼかしや本好きな作者のリスペクトかと思われます

また当時は第2、第4土曜日祝日となっていたようですが、作中夏休みまで土曜日と特定できる描写はなく、現代(土曜全休)との差を埋めるためかあえて避けられているようにも感じました。

このまとめのきっかけは佐伯さんに告白してから付き合えなくなるまでのスピード感が気になったことからですが、全体的に見ても濃厚な2ヶ月と半月ほどであることがわかりました。

惡の華日付1995年想定

日付は日時が確定している夏祭りから逆算しつつ、なるべく辻褄を合わせたものです

5月

曜日不確定ー4日連続して登校しているため初日は月か火、テスト一学期中間テストと予想されます

22日(月) 冒頭、テスト返却、クソムシが、佐伯体操着ゲット

23日(火) 体操着紛失バレ、返却出来ず、チャリ暴走、仲村バレ

24日(水) 放課後呼び出し、仲村と契約佐伯の胸にナイスシュート宿題作文

25日(木) 捨てる!、不審者目撃情報放課後二回目、体操着装着

一週間放課後仲村と過ごす(31日も放課後仲村と過ごしている描写であり、6月1日でちょうど一週間)

曜日確定ーデートの日について、約束した日にあさっての日曜日記述ありー

31日(水) 変態やろう、どこほっつき歩いてんの

6月

1日(木) まゆまゆの給食費、かっこよかったよ、ごめんなさーい、封印

2日(金) おはようデート約束、仲村微笑、真夜中の散歩、あさっての日曜日女子力(物理)

4日(日) 封印解放体操着デート本屋告白、水、仲村の応援

5日(月) 公式発表、佐伯と仲村、大事に付き合っていこうね、仲村いいやつ

6日(火) 昼の給食会with山田放課後三回目、せっくすがしたい

7日(水) 佐伯欠席、木下アシスト春日プリント佐伯邸、嘘、春日の選択、学校ハナガサイタヨ

8日(木) 朝帰り佐伯バレ、別れないよ、どうしてオレを嫌いにならないの

9日(金) 春日欠席、佐伯と仲村2、説得、親バレ春日逃避行修羅場フラグ両断、補導

一ヶ月後

7月

曜日不確定ー一ヶ月後の記述夏休みからの逆算で折り合いをつけつつ勝手に日付を想定してます

10日(月) 水着回佐伯との別れ、敬語、夢、作文

11日(火) 仲村ストーカー春日、仲村宅、行けなかった、春日契約

一週間後

曜日不確定ー来週から夏休みと言ってる日も授業をしている描写などから終業日ではないと判断し、適当に日を空けましたー

18日(火) 容れ物完成、今日も遅い、もう本は必要ない

19日(水) パンツ盗難、仲村と契約2、追い詰められた佐伯アニメ作中終了予想日

20日(木) 来週から夏休みパンツ像、次の計画、ゆるせない

以降曜日・日付確定

22日(土) 夏休み突入夏休み映画特集第3弾、買い物、今幸せ?、にゃははははは、夏祭り計画、8月夏祭り夏祭りまで14日

29日(土) ガサ入れ、木下の説得、暴走佐伯春日確信火事佐伯と仲村3、追い詰められる仲村、あと一週間、計画バレ

31日(月) 火事から2日、あと5日、警察訪問親バレ2、外出禁止令、脱走未遂

8月

1日(火) あと4日、佐伯訪問佐伯独白逮捕木下激怒

4日(金) 広まる噂、学校訪問引越し、仲村来訪、追い詰められた仲村、明日全部捨てよう

5日(土) 計画、買い物2、キレイ夏祭りクソムシ事件

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