はてなキーワード: 声変わりとは
小学5年生の頃、録音された自分の声を聞いて変な声だな、低い声だなと思った記憶は有る。
それ以前は声が高かったかと考えてみても、高い声を発した記憶がない。
男は声変わりするものと思われているのかもしれないが、しない人もいるのではないかと思う。
歌を歌っても高いパートが出ないだけで、音痴では無いと思っても、
声帯が分厚いんだと想像してるけど、これって痩せることができるんだろうか。
好きなミュージシャンの曲がほとんど歌えないから、カラオケもほぼほぼ断ってる。
声が通る人とそうではない人の差は何なんだろうと思う事も有った。
こもった、というのかくぐもった声というのか、どう表現すればよいのか分からないが、
これが高い声質の人との差だと思う。
こうなってくると音の高さ=音程、音色、音の大きさの事になってくるのか。
同じ周波数で音程が一緒でも、音色の違いで通る、通らないという事になってくる。
音色とは「同じ音圧、同じ周波数であっても、その波の形が異なることで...」と言われてもピンとこない。
とめどもない話になってきた。
SNSにて『子供のいびきはおかしい』というポストを見かけ、近医の耳鼻科へ相談。
大きな病院の耳鼻咽喉科を紹介してもらい受診し、色々検査してアデノイドと扁桃腺の肥大が原因で、息の通り道が非常に狭くなっている状態、と。
命に関わるようなものではないけれど、成長期の発育面、学力、将来的な顔立ちなどに関わってくる、とのことで切除手術を希望。
子には怖い、痛い思いをさせてしまったけれど、本当によく頑張ってくれた。
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静かすぎて心配になるくらい。
夜中の無呼吸や、息苦しそうにしているのが解消されて、本当にホッとしている。
元からよく食べるタイプではあったけど、「たべやすくなった!」らしく、手術前よりも凄くご飯を食べるようになった。
(入院食が離乳食みたいなペースト状だったから、余計美味しく感じているのかもしれない)
元々お喋りではあったし、これも本人は「まえより、しゃべりやすくなった!」って言ってた。本当か?
手術の影響で少し声変わりもしたけど、喋り方とか受け答えが手術前よりもハキハキしている。
言わずもがな。緊急性が高い手術が優先のため、初回受診から手術に漕ぎ着けるまで5ヶ月が経過している。
月日が経ちすぎて、検査をもう一度しに来てください、って言われた時は白目剥いた。
言わずもがな。有給使って付き添いしてくれた夫には感謝している。
小児科じゃなくて耳鼻科入院だったので大人用ベッドだったけどそれでも狭かったようだ。
あと入院部屋はもちろん、病棟も大人しかいないから余計静かにしなきゃ、って凄く気をつかった。
「のどがいたい」と毎日の夜泣き。手術箇所が喉だから痛み止めは坐薬。
手術後1週間半してようやく夜通し寝てくれるように。
病院によって違うのかもしれないが、今回入院した病院は入院期間が1週間。
それと退院して術後診察までは色んな感染症の観点から保育園はお休み推奨、とのことで2週間は自宅保育。
胸がちょっと痛いな…。生理前だからかな。ちょうど市からマンモグラフィのクーポン来てるし行ってみよ。って行ってみたらあれよあれよ検査され、「乳がんです」って宣告された。
私の周りの人や、SNSでいる乳がん経験者 結構「痛い」って言ってる人多いので これだけは覚えていってください!
(ちなみにネックリングが痛い乳を冷やすのにちょうどいい形ってハック見つけたけど、ほんと それおかしいので病院行こうね…)
詳しい結果はまだわかってない。
なんだけど、私母を乳がんで亡くしてる。
母も40代後半で見つかって、取ったものの再発して見つかって3年後に亡くなった。
母を亡くした後は本当に寂しかった。
もともと父や兄弟と喧嘩しがちだったけど、ストッパーの母をなくして喧嘩は酷くなった。
私は家を早々に出た。
その後結婚・出産・育児(+若干の介護)を経験したが、「母が居てくれたらな」とおもうことは多かった。
母が好きなものが賑わってたら「母なら楽しんでたんだろうな」って考えたり。
そして出産・育児していくと見えてくる「こんなタイミングで乳がん分かったなんて、しんどかっただろうな」という気持ち…。
そして今。
私はあの時の闘病生活のことを考える。
正直、母の闘病は数年だ。抗がん剤治療を行ったのは多分数ヶ月だ。
でも、母と20年一緒に居たはずなのに、母の姿を思い出そうとすると その時の数年…なんなら最後の数ヶ月の姿が 一番思い出す母の姿になってしまってる。
家族写真の母は、楽しそうで若くてきれいな人なのにな。仕事も楽しそうで、新しいことを学ぶことが好きで、好きなものがあって、夫婦喧嘩もせず 苦手なことはあったけど いつもニコニコ楽しく過ごしていた大好きな母だったのに。
そして、私は今「私もそうなるんじゃないか」という恐怖がすごい。
母が今までの元気な姿じゃなく変わっていき、気持ちもふさいでいった姿は 20代の私にはしんどかった。
夫はしょうがない。そうなっても受け入れてもらおうと思う。伴侶として。
ただ、こどもに私と同じような気持ちになってほしくないって思った。
元気な、いつも楽しそうにしてる私だけを見ていてほしい。
そんな私だけを覚えておいてほしい。
そう思ってしまっている。
母もそう思ってたんだろうか…。(もう最後はそういう気力もなかっただろうけど…)
それに私は子どもがどんな大人になるのか、見るのが楽しみだった。
声変わりしたらどんなんだろう、どんな道を選ぶんだろう。楽しみにしてる。
それなのに、私がいなくなったら、子どもは「お母さんがいなくなった子」という目でみられるんだよな…、「こういう時にお母さんがいたらな」って思いながら育っていくんだよな。私みたいに 今の私とは違った私を見ながら過ごしていくことになるんだよな…と悲しくなってしまう。
病気いやだ。
ほんと、なくなればいいのに。
母がそうだったので、私もなるのかなっていう不安はあった。
なのでがん保険には入ってた。
健康だ。
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皆さんやさしいコメントありがとうございます。元気だよという体験談も嬉しかったです。
乳がんは早期発見であればあるほど生存率は高いということがわかったので、ぜひ定期検診は行ってください。
40代からは検診メニューにも入ってくるけど、20〜30代の癌患者さんも増えてきてるようです。(AYA世代といいます)
違和感感じたら、都合つけて検診に行ってみてください。
私は去年 帰宅途中にまだ声変わりしていない男の子にハッキリとた口調で「すみません、友達の家に行こうとしてたけど迷ってしまって。LINEの交換をしそびれてしまったんです。苗字は〇〇で」と声をかけられました。
たぶん小学校4-6年生くらい。
日も暮れてきているので私は慌てて「この辺りなのは確かなの?大丈夫?その方はご存知ない」と母親モードに。
男児「歩いてたらわかるかも。奥さんはこのあたりなんですか?」
私「あの赤い屋根の家の隣だよ。一緒に探そうか?」
どこ小に通っているかなど雑談しながら私の家の前まで歩き、一緒にマンションの郵便ポストを見たがその名前はなく。
私「うちのマンションにはいないみたいだね。もう暗くなるから帰ったほうがいい。お母さんに電話できる?」
男児「奥さんの家は何階ですか?上から見たら屋根でわかるかも。家に地図はありますか?」
私「ごめん、さすがに家にはあげられないよ。地図?Googleマップ開こうか?」
男児「いやでも、地図が…屋根が…家にあげてくれれば…(ずっと必死に玄関の方に行こうとしてる)」
私「ごめん無理だよ、もう帰ってください」(道路側へと促す)
(玄関側に来るよう促される)
男児「僕、恋愛とか未経験なんです、キスだけでいいからしてくれませんか?」
この瞬間に頭を殴られたような衝撃で目の前の景気と男児の顔がグニャッと歪んだ。
自分の子のよう庇護した相手が得体のしれない気持ち悪い生き物に見えた。
これが精一杯だった。あのしつこさ、部屋まで追ってくるのでは?と走って家に入った。
ものすごく混乱したが、ターゲットが幼い女の子へと変わったら?彼は毎日学校で女の子をどんな目で見て何を考えて過ごすのか?と不安になり通報。
警察官「で相手は?小学生?はあ…でも何もされてないんでしょ?」
私「いや、これ対象が幼児になってあれだけ理路整然と話されたら家にあげてしまう。どうにか本人にまずいことだと伝える方法はないんですか?〇〇小です」
私「この状況で親として無視する人いますか?あそこの防犯カメラにも写ってますよね?」
結局その後 連絡はない。
恐ろしいのは、
・彼にとって成功体験。惜しい!次はこうしよう。と学習するだろう
中年女性の母性を逆手に取った性加害計画。小学生の男の子にここまでの方ができるのだろうか。AVなどの真似をしてるのではないか‥不安になる
数ヶ月前にケンミンSHOWで東北のウィーンが取り上げられていて思い出したので書く。
東北のウィーンでは街全体が音楽に力を入れており、特に合唱が強い。小・中・高で合唱コンクールの全国大会常連強豪校がそれぞれある。校歌を混声3部合唱にしちゃう学校もあるくらい本気だ。番組で紹介されたように、合唱サークルも多く夜の公民館では歌声がよく聴こえる。
東北のウィーンに生まれ、小学生〜中学生の時は音楽の授業といえば合唱だった。リコーダーや木琴等の楽器に触れる合奏はほとんどなかったと思う。
合唱が当たり前の環境で、合唱に関しては音楽の先生方はどの先生も本気で取り組んでいたと思う。でも、音痴で歌が下手な自分にとっては苦痛だった。
授業中に歌のテストがしょっちゅうあり、クラスメイトの前で1人で歌わされる。上手い子は褒められるが自分みたいな下手は皆の前で先生から罵倒されたり嫌味を言われることが辛かった。音楽の授業のある日は消えたくなった。クラスメイトからの白い目が怖くなった。
合唱の大会といえば、NHK合唱コンクール。通称Nコン。人数が少ない小学校だったため、4年生〜6年生は全員強制参加で練習させられていた。「Nコン金賞!!打倒!全国大会常連〇〇校!」と書かれたスローガンの前で毎日毎日練習されられたが結果は毎年銅賞(参加賞)。Nコン地区予選には全国大会常連校も勿論出場するが、めちゃくちゃ上手い。自分の学校と明らかな差があるのに、その違いを先生は説明してくれなかったし「ひたすら歌え」な練習だった。
ちょうどその頃は声変わりもしていたが、配慮もされずうまく歌えないことをよく責められた。名指しの居残り練習もよくあった。
小学校を卒業し、中学は合唱部に入らなければ回避できると思ったら大きな落とし穴があった。クラス対抗合唱コンクールだ。
合唱が当たり前の環境だったからか、クラス全員が本気になっており、歌が下手な自分を責める人間が音楽教師だけでなくクラスの女子も加わった。皆の前でヒステリックに責められ一時期は女性不信になった。歌が下手だから口パクにするともっと責められる。どうすりゃいいんだ。東北のウィーンでは音痴には人権などなく、クラスの居場所もなくなっていった。
高校は市内ではあるものの校内合唱コンクールと部活のない進学コースの私立高校に進学。美術と音楽と書道は選択制だったため、迷わず美術を選択し音楽からようやく逃げられた。
卒業後は関西の大学に進学。ふとしたことで音楽の授業の話になり、他の学校は授業で琴や三味線、ギター演奏をしたり、クラシック音楽を聴いて作者の背景を学んでいたことを知って衝撃だった。生まれが東北のウィーンだっただけで毎日毎日合唱漬けだったが、これって異常だったんだなと初めて気付いた。
社会人になった今でも歌うことがトラウマでカラオケのお誘いは断っている。音楽そのものが嫌いになっていたが、遅ればせながらOfficial髭男dismやミスチルを聴くようになり歌詞の凄さや演奏技術を感じられるようになった。楽器演奏をやってみたくてギターの音楽教室に通い始めた。練習して曲が弾けるようになった時に「これが自分のやりたかった音楽だったんだな」と気付いて講師の前で泣いてしまった。音楽って歌うだけじゃなくて他にも色んなアプローチがあったんだね。
野球に力を入れている学校でも、全校生徒が野球をするわけではないのに、なぜ合唱だけは全員に強要しているのだろう。合唱が好きな人や得意な人はどんどん取り組めばいいが、苦手な人にまで強要しないでほしかった。授業も合唱ばかりに偏っていたが学習指導要領としては問題でないのだろうか?歌が下手で音痴な自分にはあの街は脅威だった。
音楽に力を入れるのはいいが、力を入れれば入れるほど適正のない子供の逃げ場が無くなる。自治体は偏りのないフラットな教育を子供達に提供してほしいと願わずにはいられない。
難しいのですが、私はトランス女性として自認していますが、「私は女性だ」と感じられません。身体的には男性ではないものの、女性に似た体を持つ何か、つまりトランス女性が自分の性別かもしれないと考えています。タイの細分化された性別定義を使えば、うまく表現出来るのかもしれません。
男性的な身体に対する違和感は思春期から感じており、声変わりやひげ、無駄毛、男性器の成長などの二次性徴が辛く感じられました。男性としての恋愛やセックス、ファッションについても様々な経験を積んできましたが、内向的で受け身な性格や肉体的な弱さからか、男女問わずセクハラを受けることもあり、男性としてのジェンダーに対する適合感がありませんでした。パートナー(女性)の方が力が強かったりしますし。
言語化が難しくて上手く書けませんでしたが、
こうして人生が進むにつれて、男性ではないという気持ちがますます強くなり、トランス女性として自認するようになったのだと思います。
20年前から同人やってるっていう割に、界隈のことを何も知らんのな。大手や壁のスペースにはレイヤーの売り子の一人や二人はいるのが普通の光景でしょ
俺はもう同人活動から引退してるし、コロナ以降はイベントにも出てないから最新情報は知らんけど、少なくとも俺がバリバリやってた10年前でもそれは普通の光景だったはず
で、イケメンには「お前の人生にはアニメや漫画なんて必要ねーだろ」だって? 勝手に決めつけるんじゃねーよ
「アニメや漫画は社会不適合者が最後に逃げ込むオアシスだったんだよ」だって? これまた勝手に決めつけてるんじゃねーよ
ウザいだろうが少し自分語りさせてもらおう。俺は子供の頃からスポーツも好きだったけど、同じぐらいアニメやマンガ、ゲームが好きだった。DBに星矢、勇者シリーズ、ガンダム、カプコン、SNKの格ゲー、FF、どれも大好きだった
そしてこう言っちゃなんだが、足も速くて顔もイケメンとまではいかないがまずまずで、コミュ力も高かった俺はまぁまぁ女子からモテてた。妹もいたから女子の扱いには慣れてたってのもあるだろう
そんなある日、当時大学生だった従兄弟が、たぶんふざけて俺に見せてきたものがある。従兄弟は俺にとってのオタク趣味の先輩、先生みたいなところがあって、それまでにも俺の知らない世界をいろいろと教えてくれたのだが、この時はレベルが違った
それはセラムンの薄い本だったのだけど、俺はめちゃくちゃな衝撃を受けた。もちろんエロ本ぐらいは見たことはあったが、「アニメのキャラクターがエロいことをする」というエロ同人には度肝を抜かれた。こんなものが存在するのか、存在していいのか。いったい誰がこんなのを描いたのか、などなど、混乱しながらも目が離せなかったのを覚えている
さすがに従兄弟もそれ以上は見せてくれなかったし、詳しいことも教えてくれなかった。が、その日俺は知ってしまった。エロ同人誌というものの存在を
そこから俺は自力で調べて、エロ同人についてある程度の知識を得た。だいたいは捨ててあったエロ漫画雑誌からだが、そこでエロ同人の通販というものが存在することも知った。コミケやイベントに行っても良かったのだろうが、さすがに小学生には売ってはくれないだろうと諦めかけていた矢先に、通販という手段を知れたのは僥倖だった。通販なら顔も年齢も知られる恐れがないからだ
そして同人サークルと直接やり取りをするのではなく、とらやメロンのような会社の先駆けとも言うべき存在の「LLパレス」という店があることも知った。カタログを取り寄せてみると、そこにはまさに目くるめく広がるエロ同人のパラダイスがあった
さっそくお年玉を取り崩して為替に変え、何冊かを注文してLパレに送る。一週間ほどしてからだっただろうか、送られてきたセラムン、ナコルルのエロ同人誌に俺の興奮はMAXに達した。本当に送られてくるまで、実はまだ詐欺の可能性も考えていたからだ。だがエロ同人誌は実在したのだ。ラピュタは本当にあったんだ!
そこから俺は小遣いやお年玉をやりくりして、Lパレからエロ同人を買い求め続けた。一方で俺はこんなことを友人にも話したりはしなかった。もうすぐ中学生とはいえ、こんな本を持っているなどバレたら何を言われるか分かったもんではないからだ。学校ではクラスの良きリーダーとして振る舞い、勉強にも習い事もしっかりやっていた。そしてそれは中学生になっても同じだった
しかしある日、その平穏が破られた。母親にエロ同人の存在がバレたのだ。
俺の愛したエロ同人誌はすべて捨てられた。いちおうこんな事もあろうかと、多少の対策はしてあったのだが、それも無駄だった。俺は絶望した
だが、同時に俺はあることに思い至った。「だったら自分で描いたらいいのでは?」と
自分で描ければ、仮に捨てられてもまた描けばいいだけだ。ノートに描けば、まさかそこにエロマンガが描かれてあるなど親の想像の埒外だろう。これも捨てられる可能性を低くする
そう思いついた俺はそこからひたすら絵を練習することにした。ジャンプ系は親の監視が緩く、あっても不自然ではないため、ぬ~べ~や桂正和先生のマンガを参考に美少女を練習した。拾ってきたエロマンガのキャラの身体をトレスして、顔だけ自分の描いた綾波にするとかした。そして俺は決心した。将来、俺はエロ同人作家になろう、と
高校への進学は、オナニー猿だった割には上等なところに入り込めた。何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。そしてこの頃から俺はコミケやイベントに実際に行くようになった。しかし未成年だとバレたら売ってくれないという不安、下手をしたら通報されるのではないかとさえ恐れていた。なので、俺はまぁまぁの外面をさらに磨くことにした。具体的に言うと「大人っぽくみせる服装」や身だしなみ、髪型や振る舞い、口調を意識するようになった
声変わりはしていたものの、さらに低く、大人っぽくしゃべる。僕とは言わない。私という。それまでも続けていた(親にやらされていた)習い事というのはある武道なのだけど、大人っぽい体格を目指して、絵の練習の合間に筋トレなどもするようにした。顔だけはどうにもならなかったので、イベントではサングラスを常に付けていた
もっとも、こんな微笑ましい努力など、当時のサークル関係者の皆様方にはバレバレで、「色気づいたガキがまた来たよwww でも可哀想だから売ってやるかwww」と思われていたかもしれないが(後に自分がその立場になったから分かるのだ)、通報されることなく3年間を無事に乗り切った。そして余談ながら、こうした俺の偽装の効果はクラスの女子にも及んだ。いや、クラスだけではなく部活や別学年の女子にもだった
そしていよいよ大学入試が迫ってきた。大学に入りさえすれば、ついにエロ同人作家としてデビューできる。それだけを信じて、嫌だった勉強も嫌々ながらにエロ絵の練習の合間に頑張った。おかげでまずまずの大学に入ることに成功した。親を納得させるために、ある程度の知名度があり、偏差値もまぁまぁの私立大学だ。実家からは微妙な距離で、状況次第では一人暮らしも許されるかも知れない。そんな大学だった
大学に入学した俺は、せっかくなのでマンガ部とかアニメ部とかそういうのに入ろうと思っていた。中学高校と違って、ここでは昔の俺を知る人はほとんどいない(いちおう一人だけ同じ高校出身者はいた)ので、外面を気にする必要はない。学友とオタク話に花を咲かせるというのも夢だったのだ。なんならいわゆるキモオタ的な振る舞いや言動を共有し実行したい。「デュフフ」とか「拙者は~ござるよ!」とか言い合いたい。そんな風にも思ってたのだ
そして俺はマンガ部の門を自分から叩いた。アニメ部(アニ研)も行ってみたのだが、そこはやはり批評とか分析が主で、絵を描く人はほとんどいなかったので、これは違うな、と感じてしまった。俺はアニメやマンガは当然好きだが、分析とかはあまり興味がなかったのだ
エロ同人部というのがあればベストだったのだが、残念ながらそんなものがあるはずもなく、エロとは言えマンガを描こうとしている自分には、まだマンガ部の方が合っているのではないか。そう思って俺はマンガ部の門を叩いた
・「さよーならまたいつか!」は「虎に翼」というNHK連続テレビ小説の主題歌
・「虎に翼」は、日本で初めて法曹の世界に飛び込んだ女性の困難を描いたドラマ
・そんな朝ドラの歌詞を、勝手に男性の俺の人生と重ね合わせて解釈する
・かなり邪道な解釈だと思うので、いろんな解釈ができるね~ぐらいの温度で受け取ってほしい
・男性
・女性になりたい気持ちに人生をまるまる振り回されて、気づけばもうおっさんになってしまった
・まず、事前情報なしで「さよーならまたいつか!」を聞いて、「女性が翼を得ようともがく歌」なのかと思った
・そのあと、「さよーならまたいつか!」のインタビュー記事を読んだ
米津玄師「さよーならまたいつか!」インタビュー|“キレ”のエネルギー宿した「虎に翼」主題歌
・米津玄師はこの歌詞を、「米津玄師の主観」として書いているっぽい
・米津玄師がどういうつもりでこの歌詞を書いているかはわからないけど、自分を重ね合わせて読んだら個人的に染みたので、記事を書きたくなった
・何かしらルールを守れば細かく引用していいかもしれないが、ルールを詳しく知らないので各自歌詞サイトなどを見て、後述の解釈と比較しながら読んでほしい
・俺は、すごく小さい頃から女の子になりたい気持ちを抱えていた
・いつかこの気持ちが薄らいだりして平和な時期(=春)が来るのかなとぼんやり思っているまま、大人になった。結局そんな時は来なかった
・仲良くしている女性(=燕)たちは、俺が高校生になっても、成人しても、おっさんになっても、自動的に「女性らしさ(=翼)」を持っている。素知らぬ顔で
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(※注:長くなるけどセンシティブな話なので書く)
ここでいう「女性らしさ」は、顔や体の美醜の話ではなく、生まれつきの女性ホルモン量に由来するような女性的特徴の話
例えば、脂肪が付きやすい・骨盤が太くなりやすい・声が高くなりやすい(声変わりがない)・身長が低くなりやすい・胸が大きくなりやすい・髭が生えにくい・体毛が薄くなりやすい、など
(女性ならではのセンス!みたいな話にもピリッと来てしまう。俺には女性ならではのセンスがないんだ……みたいに)
磨き上げたもの(例えば、ダイエットした結果の体型や、美容した結果の肌、勉強した結果のセンス)ではなく、生まれつきの女性的特徴に憧れがある
嗜好として理解しづらいかもしれないけど、俺個人の話なので、どうかそういうものだと理解してほしい
後天的に声を高くしたり、脂肪が付きやすいようにしたりはするものの、どうしても人工的な女性らしさは生まれつきの女性らしさとは違っていて、コンプレックス
脱線するから女性ホルモン投与の細かい話まではしないけど、女性ホルモン投与なんてそんな良いもんじゃない
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・(そんな悩み、いつかどうにかなるよと言われたけど)いつの間にか成人し、おっさんになった。どうにもならなかった(=嘘をつかれた)
・今、女性を取り巻く環境にはいろいろな困難(=土砂降り)がある。それでも、俺から見れば女性らしさ(=翼)は持っている。””俺は””女性らしさが欲しかった
・だから、「男性は〇〇でいいね」みたいなことを言われると「お前たちには女性らしさ(=翼)があるじゃん」って言いたくなってしまう。でも、そんなひどいことは言ってはいけない。土砂降りの中を飛んでいるので
・なので、奥歯を噛み締めて、口の中に血をにじませて、天に唾を吐いて、自分の顔で受け止める。(と、歌詞にはあるけど俺は受け止めきれてないかも)
・これはただの俺の恨み節なので、女性各位は俺のことは気にせず(=気儘に)生きてほしい 知らねえけど!
・社会に出て色んな人と出会ったけど、俺の悩みは何も解決しない
・「いい年して女の子になりたいとか馬鹿なこと言ってないで結婚でもしたら?」とか言われるけど、そんなことをしても幸せ(=春)じゃない
・俺はこのままグズグズしているかもしれないけど、俺が生きてる間に、俺がグズグズしてしまった原因の固定観念(=縄)ぐらいは破壊しておきたいなぁ
(少なくとも、いい年して女の子になりたいとか馬鹿なこと言ってないでとか言われない世の中にしたいなぁ)
・どうか俺以外の同じ思いの誰かは虎のようにやりたいことに突き進んでほしい がんばれよ!(=消え失せるなよ)
(ここは「俺も虎のようにやりたいことに突き進むぞ!」が本当は正しい解釈なのかもしれない。自分はそんな気持ちになれてないけど)
・また今日も「女性のここがしんどい」みたいなツイートが流れてくるけど、奥歯を噛み締めて、血をにじませて耐える(俺の苦しさはその人たちとは無関係なので)
・俺が刺さった部分が特殊だからややこしいけど、「女性が持ってないものを男性が持ってる!」っていう読み方とは真逆の読み方もできる米津玄師すげぇよね
・当たり前に才能(=翼)を持っている人へのキレと、それを羨む自分の泥っぽさと、「変えられないものを追うのやめたら?人に合わせたら?」と言う人へのキレは全人類共通だと思う
・きっと「虎に翼」の主人公にとっては男性的であることが才能(=翼)なんだろう。当時の社会的な特権の話もあるから似ているようでベクトルは違うけど
・やっぱり書いてて思ったけど、自分のこの悩み自体は理解されがたいかも。たかが容姿、たかが精神の話でごちゃごちゃと、と言われるかもな。そういう人にキレたいけど。
・米津玄師も俺から見れば才能を持ってる人に見えてるけど、こんな歌詞を書いてるんだしきっと何かしら羨むようなこともあるんだろうなぁ
・性の話って炎上しそうでコエ~~~~~とこんな場で記事書いてる俺が思うぐらいだからそんなテーマ性の朝ドラの歌詞書くってすげぇよ
トランスジェンダーつかMtF側の立場からちょっくら補足するか
別に20代30代でもホルモン治療を始めてトランスしてるのはいっぱいいるし別に珍しいことでもない
またトランスジェンダーの中では10代で始めてるのは恵まれてるとか言われるけどある程度素質が伴ってなきゃ10代で始めようが無駄
そういう人でも整形手術とかやりまくって女性の見た目になることは可能 先駆者はいっぱい居るしね
でもお金がかかるから整形しなくても問題ない層と比べれば茨の道なは確か
https://sekai-hub.com/posts/wpr-average-height-ranking-2024
※19歳の平均身長
例えばオランダの男性の平均身長は183.78cm、女性は170.36cm
日本の男性の平均身長は172.06cm、女性は158.5cm
174cmのオランダ人が居たとしてトランスしても女性も身長高いから紛れ込むことは可能
しかし同じ174cmでも日本だと女性で高身長だと限られた数しか居ないそうなると目立ってしまってバレるリスクも高い
そうなると二次性徴を止めて女性ホルモン入れて女性側の二次性徴で成長させたほうが生きやすいのは事実なんよ
二次性徴前から164cmあってもそこで身長とまっても174cmよりは遥かに生きやすい
声変わりしても女性並みの音域持ってる人は希少種だし殆どは声変わりで低くなる
訓練して出せるようにする方法もあるけど訓練が大変 誰でも簡単にできるわけじゃないからな…
手術で高くする方法もあるけど国内で有名な病院だと約72万ぐらい
高い!
ファッションに関しても困ること無いしな
高身長だとそれが難しいんよ
あと身長高くて靴のサイズ小さい人ほぼ見たこと無いからネックでもある
急に必要になっても普通のお店だとあっても25.5まで26.5まで置いてるお店はかなり稀にしか無い
それ以上となるとネットか東京にある数店舗ぐらいしか取り扱いない
オーダーメイドという手もあるけど万吹っ飛ぶ
CRAZYCOCOっていう元CAの女性芸人がいるけどあのひと27cmだそうだ
あの深田恭子は26.5cm
別に「ブロッカー」を使ったからホルモン療法をしなきゃいけないってわけでもなくブロッカーを常用してる国の多くは「身体の性別の二次性徴を再開させるか自認してる性別のホルモンを入れるか決められる」という前提で使用してる
早急に自認してる性別のホルモンを入れなきゃいけないわけでもない
https://www.gid-mcclinic.com/under18ys/
MtFの骨盤が広くなるのはうっすら聞いたことあるけど日本語での資料は見つからないね…
英文だとそれらしきのはあった
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8247856/
あと
自分も陰謀論っぽいって思うんだけど、反トランス陣営が良く汚女装界隈(オッさんが全くパスしない・似合わない女装して馴れ合ってる界隈。当人はトランスでは無く性自認は男性が多い)をトランス女性だと表して叩き棒にしてる事が多いのでそう感じましたね。はい
これには完全同意
Twitter見てると反トランスの多くは引用にも書いてあるが「明らかに男だと判別できる奴」しか標的にしてない
今までの傾向として「風俗嬢やAVで働く女は蔑む存在だ!」みたいな感覚持ってる女が多いはずなのに「風俗店やAVで働いてる奴もTwitterで裸体を晒してる奴もfantiaやonlyfanとかで裸体を使って売ってる奴」も標的にされない
明らかに「トランス女性とはこのようなおっさんみたいな奴!こんなのが温泉や公衆浴場 女性トイレ内に入ってきたら怖いですよね!」と煽動してるだけ
実際問題Twitterみてても「トイレはだれでもトイレ」 「温泉や公衆浴場は行かない 行くんであれば部屋風呂或いは貸し切り(いわゆる家族風呂)しか入らん」って言う人が大多数
「あの子もトランスジェンダーになった」が「トランスジェンダーになりたい少女たち」に改題するんだな
勝手に育って勝手に価値を見出されて望んでいなくても収奪対象になることへの嫌悪が遥か昔からあるのだろう
昔の人なんかは初潮がきたら嫁に出されるんだからより深刻だっただろう
二次性徴が嫌な女の子にはトランスジェンダーを自称すれば女の子でいなくても済むというのは甘い誘い
男の子が女の子になるのは下位へ落ちることだが、逆はランクが上がることだと錯覚する
先天的女がいくら男を装ったところで結局下位扱いされるものだが
友達の草野球見に行ったんだけど、隣の面のグラウンドで地元少年軟式野球チームが練習してたのでそっちのほうも見てた。
大声出す時もあるけどフレンドリーな調子(頭抱えながら「〇〇~!!お前それだとランナーセーフなっちゃうよー!!!www」みたいな)。
俺子供のときに一瞬だけ野球やってたことあるんだけど、それと全然違いすぎて衝撃受けた。
20世紀がほぼ終わるような時代だったので、さすがに指導者による子供への暴力はほぼなかった。
でも、例えば警察24時とかあるいは夕方のニュースなんかでたまに流れるような、交通トラブルのドラレコ映像さながらの狂ったような大声で罵詈雑言を怒鳴り散らされるってのは毎日のようにあった。
拡声器を常に手放さずに精神疾患を疑ってしまうほど狂い散らかしてるのがデフォの指導者すらいた(周りの野球ガチ勢から聞くに、中学軟式の指導者のキチガイ率は格段に高いようだ。強くもないそこらへんの中学でも関係なしにキチガイ監督が当たり前に君臨してるような世界なんだと)。
俺はもう35歳になるけど、野球辞めて以降、リアルの生活において30代40代のオッサンが当時の少年野球レベルに発狂キレ散らかしてる場面に遭遇したことはない。
彼らはどう考えても異常者だったと思う。
それだけに、少年野球の現場から耳をつんざくようなボリュームの怒声や罵倒雑言がすっかり消え失せている現実を目の当たりにして隔世の感があった。
野球って競技はまあとにかく選手がチームメイトに対して攻撃的で容赦ないのが(中の上~上の上レベルのチームに関しては)ごくごく当たり前で、
「下手はいじめられるよね。仕方ないよね。ダサいよね。あー野球上手くて良かった!」
が界隈の"あるある"だったんだけど、その動物界チックな感じは今の時代でも変わってなかった。
まだ声変わりもしていない身長140cmくらいの少年が、練習中にミスをしたチームメイトの背中に向かって守備位置から
「おめえ、前もそれやったせいで負けたんだろ死ねよコラ」
ジャニー喜多川は児童性虐待にとどまらず、人体改造をも行っていたという話は有名だ。
BCCは、この件についても切り込んでいく責務がある。
光GENJIでデビュー予定だった木山氏による『Smapへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ―』(鹿砦社)には以下のような描写が存在する。
「ジャニーさんが注射打ってくるんだよね」 聞くと、デビューするには、ある注射を打たなければならないという。
すでにこのときには僕以外の全員がジャニーさんにそれをされていたのだ。「あれって何の注射?」
「ホルモン剤とかって本当?」「なんでホルモン剤なんか打つんだよ」
僕らは周囲の人間に聞かれないように、ひそひそと話をしたが、やはり誰もその実態を知らないまま、ジャニーさんに強制的に打たれていたようだ。
そんな不気味なウワサに恐怖を感じるようになった木山氏に、光GENJIでともにデビューする予定だった諸星和己が、こんなことを言ってきたという。
「次は木山くんだから。注射打たれる番」
このホルモン注射については、元ジャニーズJr.の平本淳也氏が1986年に上梓した『ジャニーズのすべて』(鹿砦社)の中でも克明に記されている。
ジャニーさんは少年に女性ホルモンを与えることによって、生理的、肉体的変化を求めていた。
例をあげれば郷ひろみの声。男の子が思春期となっても声変わりのしないことは当時結構騒がれた。マッチのわき毛も十代後半まで生えて来ず不思議がられていた。
トシちゃんは若い頃は体毛が薄かったのだが、二十代半ばを過ぎると胸毛が濃くなり、脛毛も多く全身毛だらけになってしまった。
この「ホルモン注射」の噂は昔からあったのだが、大きく取りざたされたのが光ゲンジの赤坂晃の成長過程が不自然だということからだった。
世界最高峰の人身売買のメッカとして国連から名指しで激怒されてたし(無論、その後も変わらない)
「人類史上最悪の性虐待事件」だって?そんな生ぬるい話じゃないだろ?
[追記]
「BBCがやらなくても、増田が進んでやればいい」んだぜ、俺もそうだが他の誰でもそうだし、増田も例外ではない。なぜお前はやらないのか?誰にだって突き付けられとるよ。その強い言葉は増田自身にも向いとる。
おうよ、やるよ、やるやる。結果はまた増田で連絡するよ。
そして顔がかわいくて幼少期から現在までチヤホヤされてきたから
中学〜高校で30cm以上は伸びたがそれでも人権は得られていない。140台150台増田を見た後で低身長ぶるのはちょっと申し訳ないが、俺自身は自己肯定感に満ち満ちておりコンプを感じる隙はない
勃起ちんちんは約18cmあり、身長の1/10よりもデカく、中指〜手のひらよりもデカい。仮性包茎で、太さは普通。脱毛しパイパン
高身長の男に対しては「でも多分こいつ俺よりちんこ小さいだろ」で精神的に圧勝。顔の良い男、高学歴高収入の男、あらゆる男に対応可能だ
当然そいつのそれを確かめたわけではないしその実際に興味もないが、そんなことはどうでもいい。俺が俺の人生を健やかに生きるため、そこのお前は甘んじて短小レッテルを受け入れてもらいたい
男の人格形成にちんちんの大きさ、形状、包茎の具合は大きな影響があると確信している
そしてもうひとつ、男性配信者がかわいいって言われたくないとかいう話があったが俺は実際に顔がかわいいのでうれしい。さすがにもうおっさんであまりかわいくないのだが、たまにお世辞でも言われると「俺って今でもかわいいんだ!?」とうれしくなる。かっこいいと言われた経験はレアで、ちょっと恥ずかしくなる
この顔とこの低身長でたくさん良い思いをしてきたので劣等感はないし結構気に入っている。チヤホヤのエピソードをいくつか書く
・整列する時は背の順で基本的に一番前。たまに2番。前ならえで腰に手を当てる姿がもはやかわいい。だいたいの女子よりも背が低くかわいいと言われまくる
・小学校には薄かった先輩後輩という概念が現れ先輩たちからもかわいいと評判
・公立中学でヤンチャタイプ男子集団に虐められてもおかしくないのに「何かあったら教えろよ」と逆に守られる姫ポジション
・女子からも守られポジション。男子と女子が喧嘩するような場面では男女枠から超越しているので仲裁役をする
・小さくて軽くてかわいいので運動会の組体操の最後にやるデカい人間ピラミッドの一番上を任せられる
・修学旅行でデカい体格の男子たちが代わる代わる肩車してくれる。見物の前が見えなくてかわいそうだし、歩き疲れるとかわいそうだから
・新入生を体育館に集めて各部活がブースを作って紹介・勧誘する行事があり、男女合同の部活を覗くたび女子先輩たちから「キャー!かわいい!絶対うちに来て!」男子先輩は「えーと、男の子でいいんだよね?」(私服制なので見た目の即判断はむずかしい)
・体育大会はクラスごとにユニフォームを手作りして競技をする。セーラームーンや幼稚園児(黄色帽とピンク・水色のスモック)などの仮装をして写メを撮られまくる。「うちのクラスの衣装も着てみて!作ってきたの!」なども言われてファンサ対応。同学年の他クラスだけでなく先輩や後輩も集まってくる
・体育大会の朝は各クラスの体育委員が前に並んでラジオ体操のお手本役をする。体育委員だった時かわいいので朝礼台に上げられ全校生徒の視線を浴びながらラジオ体操をする。教師も黙認、むしろ偉いので褒められる
・これまで女子の方が自分より背の高い状態が基本だったのに逆転していることに違和感を感じまくる。中高の同級生と再会するとなんかお互いにソワソワする
・あらゆるバイト先でおばちゃんウケがいい。おばちゃん客も職場のお局おばちゃんもみんな優しい
・伸びた髪を放置していた時、トイレ入口ですれ違ったり洗面台で鏡越しにチラっと目が合ったりしたおっさんが飛び出て行って男子トイレであることを確認して再入場ということがまれにあった。面白がってすまない
・不思議と自分より背の高い女子からもよくモテる。大きな体してかわいいもの(=俺自身のことも含む)好きなのかわいいね的なことを言ってあげると照れまくりである。もしかすると俺よりもかわいいと言われ慣れていない
・ちんちんの大きさを自覚する。毛はかわいくないので全身脱毛しパイパンにする。小さなかわいいちんちんがとても大きくなるのでみんなびっくりする。大きすぎると痛いという言説があるが経験上このサイズは好評だ
・30過ぎて転職した先で、もういい年したおっさんなのに上司や同僚から俺だけ下の名前やあだ名にちゃん付け、君付けで呼ばれて明らかにかわいがられている
悪友5人で集まって近所のショッピングセンターや野球場や図書館などの施設に行き、ミニスカートの若い女がエスカレーターに向かったら数メートル空けて尾行し、下から覗いてパンチラをハントするのだ
リーダーのS君はボットン便所の市営住宅に住む貧しい家庭の子だったが、俺たちハンターは彼を慕っていた
研究熱心で、どこの店のどのポジションからパンチラが拝めるか常に研究し、情報を共有してくれていたからだ
俺たちは小汚い彼の家に集まって旧式のパソコンにS君が田んぼで拾ってきたエロ本の付録のCD-ROMを突っ込んで解像度の低いエロ画像を見るのも好きだった(まだインターネットは普及していなかった)
彼の女子高生の姉の下着がそこら中に干してあって見放題だったからだ
小学校は同じだったが学区の関係で離れてしまったという経緯で、気のおけない中だったのは間違いない
ただ、やはり普段付き合う人間が違えば価値観も少しずつズレてくる
その二人は次第に「やばくねえ?」みたいな事を言いだしてパンチラハントを渋りだした
関係が切れた訳ではないが、中2に上がる頃にはハンターとして参加することはほぼなくなっていた
S君は変わらず熱心だった
靴に鏡を貼り付けて能動的にパンツをハントしたり、当時出始めでまだ低性能だったデジカメを何処からか調達してきて、カバンに仕込んで盗撮するまでエスカレートしていた
俺ともう一人残ったJ君はそれをサポートする立場としてS君を支えた
良くないことだという認識はあった
しかしやめられなかった、女子にも大人にも相手にされない田舎の落ちこぼれの中学生にとって、それは唯一の熱中できる遊びだったのだ
その遊びは中3の夏まで続いて、唐突に終わった
S君が亡くなったのだ
S君は父親が運転するバイクに二人乗りしていて事故を起こし、増水した川に突っ込んで死んだ
その後は俺もJ君もパンチラをハントする気分にはなれなかった
いや、そもそも俺とJ君はパンチラハンター以外で絡むことはほとんどなく、クラスも遠くてお互いの家も電話番号も知らなかった
そのまま関係が自然消滅してもおかしくなかったが、夏休みも終りが近づいたある日、S君の姉に呼び出されて二人でS君の家を訪ねることになった
俺とJ君は自転車で合流したもののエロ画像とパンチラの話しかしたことがないからほとんど無言で市営住宅に向かった
俺たちが仏壇に線香をあげるのを、高校の制服を着たS君の姉が後ろで仁王立ちで見ていて、終わると
「きょうはどうもね。あとうちら引っ越すことになったから、あんたらさあ……」と言って二階に上がっていった
話が途中で途切れたのでどうしたらいいもんかJ君と顔を見合わせていると、
「これ、要るでしょ」
といって段ボール箱をかかえて戻ってきた
そこにはS君のコレクションの田んぼで拾ったエロ本や盗撮写真のデータが収められたCD-ROM、それに使ったデジカメ、手鏡、巨大なノートパソコン、パンチラポジションが詳細に書かれたノートが詰め込まれていた
「パンチラハンターなんでしょ。バカだね男って。あたしのパンツも何枚かあげよっか?」
と言って姉はケラケラと笑ったが、俺とJ君は感極まって号泣してしまった
5人で集まって馬鹿騒ぎしていた頃の記憶が嵐のように蘇って、情けないと思うのに涙が止まらない
もう最後には姉ももらい泣きして、三人で抱き合うみたいにして泣いた
遺品はJ君がほとんど引き取った
俺はデジカメだけ受け取って、その場でなんとなく三人の自撮り写真を撮った
しかしちょうどそれでバッテリーが切れたのか、液晶が切れて動かなくなった
充電用のケーブルは見つからなかったということで、無用の長物になってしまったが、一応持ち帰った
帰りの道中、「もう解散かな、パンチラハンター」とJ君に言ったら「いや」と低い声で否定した
J君はその数ヶ月で声変わりが急激に進んでいた
その大人みたいな声が、俺の中に重々しく響いたのを覚えている
家にあるケーブルでなんとか充電できないかと悪戦苦闘していた俺を見て「新しいの買ったほうが早い」と父親が新品のデジカメを買い与えてくれた
これがきっかけで俺は写真にハマり、数年後には東京の某芸術系大学の写真学科に進んだ
一方J君は地元の高専に入り、ソフトウェア開発の道に進んで関西の大学に編入
J君もS君の遺品のノートパソコンで勉強したんだろうと勝手に俺は思ってる
彼とも中学を出てからはあまり関わりはなかったが、盆とか正月には地元で会って近況報告くらいはした
俺たちは氷河期世代ど真ん中で、その後の人生もうまくやれたとは思わない
まもなく中学時代の同級生の女と結婚したが、すぐに事業所縮小でリストラの憂き目にあい二年で離婚した
噂によるとその後また再婚したみたいだが、コロナ以降は一度も会っておらずどうなったかわからない
俺は大学を出てからそこそこ有名な写真家に師事したが芽が出ず野に放たれた
しかし写真は諦めきれず、不動産屋の広告に乗せる新築マンションの写真を撮る安い仕事をもらって東京の安アパートで何とかギリギリ生きていた
仕事中、高級タワマンのエントランスの長いエスカレーターをみると胸がざわついた
地方でカメラマン崩れに仕事はなく、高齢者に混じって非正規の警備員をやっている
施設警備をしていると、エスカレーターの下で怪しい動きをする男の子たちを見かけることが有る
「お前ら、バレバレだぞ」
いたたまれなくなって諭すと、「うっせージジイ!」と悪態をつきながら逃げていく
そう
J君の実家はもう取り壊されていて無くなっている
調べれは引越し先も調べがつくと思うが、あえてそうしようとは何故か思わない
今朝、夢にJ君とS君の姉が出てきた
女子高生のままのS君の姉が「あたしら結婚したから」と照れくさそうに言っていた
こちらは若くはなく、最後に会ったときの熊のような髭面メガネだった
「証拠見せようか? ほら」
最近見てなかったけどこの人が持ってたのか、と夢の中の俺は思う
液晶画面には、俺が撮って一度も見ていない三人の自撮り写真が表示されていた
しかも、中央の俺が無邪気に自撮りしている後ろでJ君とSの姉が手を握って見つめ合っている
この頃から繋がってたのかよ、と夢の中の俺が思う
「そうだよ。確かめてみな」
目を覚ましてから、押入れの中身をひっくり返してあのデジカメを探した
昔は知識がなくてどうにもならなかったが、充電器などなくても記録媒体を取り出してマルチリーダーで読めばデータは吸い出せるだろう
しかし見つからなかったし、そのことで必要以上に感傷に襲われることもなかった
ただこれだけは言っておかねばならない