はてなキーワード: コピックとは
オタクになりたい!
オタクになりたいなと思う。ツイッターを見てても思うし、友達と話してる時でも。
まあ確かに、自分はオタクだとは思う。なぜなら二次元キャラを好きだしアイドルが好きな頃もあった。二次創作もしてるし...
何より、仕事とか恋愛とかそういう”普通の人”ができること、どんなものより志向が向いているものに対して、自分は全く向いていないから。
でも、しかし、中学生頃に抱えた気持ちがいまだに全く薄れず、二十近くなった今でもまだ私はオタクになりたいと思っている。
田舎の子供だった。小学校入学と同時に違う地域から引っ越してきて、保育園からそのまま持ち上がりのような形で小学に上がってきた同級生達にうっすら疎外感を感じたまま遊んだ。運よく虐められるとか小学校六年間ぼっちで終了とかはなかったけど、みんなのノリに無理やり合わせていたとかが正しい表現かもしれない。でかい道路沿いの、都会と田舎の中間のどちらかと言えば田舎寄りで、遊ぶところも大して無く、親は仕事で周りともノリが合わない。そんな(まあ、普通にぼっちだね)子供だったので、案の定インターネットにはまり込んだ。ちっさい白色のノーパソで初音ミクの消失を聴きまくった。本当に幼少期の記憶はYouTube、3DS、着せ替えゲーム、あとマジックキャッスル(ドットの方ね。懐かし!)とかしか思い出せない。で、順当に行けば普通にオタクになる。ゆっくり実況、音楽はボカロしか聞かない、パソコンのタイピングがなぜか比較的早い、絵を描くのが好きではあったので、コピックも買ってもらった。小学校高学年から中学にかけての私は、その趣味に、...
その自分に、オタクであることについて、誇りを持っていた。インターネットだけが居場所だったしアイデンティティだった。めちゃくちゃ孤立してたわけでもないのになんでだろうとも思うが、めちゃくちゃ孤立してたわけでもなかったから気づけなかったんだろうなとも思う。
で、オタクっていうのは、固まる。中学美術部女子が教室の奥の方で腐オタトークをするように、私にもオタクの友達ができた。そこら辺からか、だんだん気付き始める。
というのも、私は全くと言っていいほど、アニメも漫画も見ないのである。
幼少期からのめり込んだのはYouTube、唯一読んだことがあるのは日常とドラゴンボール、それだけだった。
アニメを観まくり、商業BLを読み漁り、これこそオタク、女オタクの教科書みたいなオタク友達と、趣味が合わなかった。シンプルに言うとただそれだけなんだけども、
私は自分がオタクではないという烙印を押されたような気分になった。今でもそう思っている。
だってオタクが観るのはYouTubeじゃなくてニコニコ動画で、深夜アニメは録画して全部観て、たくさんの漫画を読んでいてその話で他のオタクと盛り上がれる、それをオタクと言うんだから。(今はちょっと違うだろうと思う。自分のトラウマの話をしています)私はオタクじゃなかった。
それと同時にオタクのことも少しずつ嫌いになり始めた。私個人の僻みもあるだろうけど、私が好きなもののことを他のオタク友達に話すと酷いことを言われたり、(例えば私が昔から好きなボカロpの話をしたら「まだ好きなの?」って言われたり)同じグループを推してる友達に私の好きなアイドルを「でもダンス下手だよね」って言われたりした。(トラウマすぎて涙出てきたw)こんなことみんなは言われ慣れてるのかもしれないけど、私は自分の好きなものを面と向かって小馬鹿にされたのがかなりショックで、しかもそれをパンピーじゃなく、仲間だと思っていた同じオタクに言われたもんだから、裏切られたとかではなく、ああ、私オタクじゃないんだ、って思った。逆に全然オタクじゃない、パンピーの友達の方がひどいことも言わずによく聞いてくれたと思う。
そんな感じだったので、元々早口オタクの話を聞く側の人だった私は、ますます自分の好きなものの話を他人にするのが怖くなった。もう否定されたくなかった。自分自身のことを否定されるより自分が好きなもののことを否定される方がきつかった。
で、今。私は女オタクという括りになるんだろうけど、そういうオタクへの憧れは女オタクへの憧れに変わっていった。正直満足に女オタクできてるわけじゃない。というかできてない。
誰かとぬいを持ち寄って写真撮ったり、ヌン活したり、アクスタと飯を撮る、新調したネイルの画像をあげる。私は現代のオタクに必要な『グッズが欲しい』という欲さえ持ち合わせていない。貢ぎたい欲もない、タイムライン上で名前を呼び合ったり、一生誰かとスペースしてたり。私はそのどれもクリアできていない。オタクになれない、オタクできてない、オタクとして失格。私は、オタクとして、女オタクとしてのノルマを、何一つとしてクリア出来なかった。私は女オタクにもなれずに、当然パンピーにもなれない。
じゃあ私は何の人なんだろう。私は何に属している人なんだろう。私は誰の話もわからない。誰にも私の話をわかってもらえない。私もみんなみたいに、誰かと好きなものを分かち合ってみたかった。結局何かのコミュニティに属してみたかっただけ。私はずっとひとりぼっちで...
描いた絵とか見せ合うのすごい流行ってて
私はpixivで見た緑間の絵を一生懸命模写して描いてた で、たまに自分で描いてみたりもした
写しただけだよ〜って予防線張ってても、仲いい子は皆上手い!とか天才!とか褒めてくれて すごい気持ちよかった
でも美術部の中に全然オタクじゃない(普通に漫画は読んでたと思うけど)子も一人いて、その子は多分絵を描くのが好きで美術部に入った子で
描いた絵とかたまに見せてもらったら、いつもめちゃくちゃ上手だったの覚えてる 美術の授業でもよく先生に褒められてて、廊下にクラス全員分の作品飾るときも皆〇〇ちゃんすごい!って言ってて 当然成績は5で
でもオタクじゃないから美術部の中ではちょっと浮いてて、仲間内では私の描いた絵の方が褒められてた
なんでだよってずっと思ってたけど、やっぱ仲の良い身内が描いたオタクっぽい絵の方が受けが良かったんだろうね
大人しいけど明るくて、普段は運動部の子とも仲良くしてるような子だったし
その子も私の絵のこと褒めてくれててさ 二人っきりのときに私が「〇〇ちゃんの方がすごい」みたいなこと言ったら、「いやなんでなの、すごい上手だよ、この緑間イケメンだよ」って
目がでかくて首が細くてアンバランスな緑間の絵を褒めてくれた 優しい子だった
学校ではよく喋るけど遊びに行くほどの仲ではなかった
でも高校のときも通学路が途中まで同じで、たまに朝会うとすごい嬉しかった お互い高校の話とかして、ちょっと話足りないなって思いながらまたねって別れてた
自分は高校では帰宅部で、そのときにはアニメも然程見なくなって絵も描かなくなってた
中学時代に買ったコピックを見るとあの子の絵を思い出して嬉しくなった なんか美大とか行ってすごい人になるんだろうなって勝手に思ってた
坊さんがお経を読んでる間に周りの墓石を見てたら、その子の名前が書いてあるお墓があった
名字も下の名前も珍しい子だったから、あの子の墓だとすぐに分かった
母の墓に線香を立てるとき、自分の母のことよりもその子のことで頭がいっぱいだった 手を合わせるのも忘れていて父におい、と言われた
遊びに行ったこともない仲なのに、あの子のことで頭がいっぱいで今かなり苦しい
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
.
.
私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。
これで現在が万フォロワーの神絵師だったらアツい少年漫画なのだが、まっっったくそんなことはないことを先に断っておく。
ちなみに現在のフォロワー数は500以上1000以下とだけ明記しよう。
これで読む気を失くした人は実に正しい。回れ右してもっと為になる記事を読んだ方がはるかに良い。
それでも読み進める酔狂な紳士淑女たちはしばしお付き合いを願いたい。
(なお活動の内容はTwitterに絞り、pixivやskebについて言及しない。)
-----------
これはノートにシャーペンで描いた絵を写メでパシャってた頃から今に至るまでの、大して伸びてない俺の、しかし愛と劣等感と承認欲求と生きがいにまみれた記録である。
-----------
かれこれ×年前、新卒で入った会社での馬車馬労働も落ち着いた頃。
「忙しくて絵描くヒマなんか無くなっちゃったよ〜☆」というまともな人のレールに乗りかけていた自分に気づき、ゾッとなって作ったのが現在の主戦場・イラスト垢である。
絵を描くのは物心ついたころから大好きだ。中学ではお絵かき仲間と自作漫画()のノートを見せ合い、高校では漫研に入って己の井の中の蛙感を思い知らされ、美大にこそ進まなかったものの、大学でもなんやかや作ったり描いたりは続けていた。
それがなんだ、社会人になった途端に魔法が解けたようにぱったり辞めてしまうのか?ありえないだろう!気を確かに持て!!
ということでTwitterにイラスト専用垢を作り、ノートに描いたオリジナル絵(この頃は全年齢)を写メで撮って画質調整すらせず手元の影が映り込んだような状態でアップする日々が始まった。
-----------
なんか最初は気合入れて初任給で買ったコピックを使ってカラー絵なんかも上げてたが、「1日1枚更新、かつツイート数=アップした絵の枚数だったらカッコよくね?」という中学生の妄想じみたイキリで運用していたため数日で挫折、上記の通り「とりまなんか描いて上げる」感じになった。
当時は「ハッシュタグは馴れ合い」というクソダサ固定観念があったため、ただひたすら黙々と上げていればそのうち報われる的なシンデレラストーリーを思い描いていた。
そして絵を数十枚上げた頃、ようやく気付く。
当然である。当時はフォロワー数2桁、20くらい…?(お絵描き垢ということだけでフォロバしてくれた心優しい人々)だったうえ、絵もヘタクソでアナログ民である。イイネもRTもある訳がなく、ただ孤独感ばかりが募っていった。
そこでいくつかハッシュタグを使うようになる。ワンドロ(1 drawing=特定のお題に沿って1時間で絵を仕上げてUPする企画)という存在を知ったので、好きな作品のワンドロを見つけてはこれまたドヘタクソな版権絵で参加しだす。ワンドロ公式から必ず1つはイイネとRTを貰えるので、それを心の糧にしていた。
というかこの時期、アナログ民でも参加できる懐の深いワンドロに出会えていたことがマジで幸運だった。
フォロー祭り的な拡散系のタグは使わなかった。何も起きなくて落ち込むのは俺なのでね!
-----------
ともかくモチベーションが出来たことでまた同人誌作ろうかなーと思い始め、学生の頃2〜3回参加したことのあるコミティアに出ることに。この頃はまだストーリーもの?4コマ?みたいなやつとか描いてた。
衣食住ぜんぶ自分で面倒見ながら可処分時間と睡眠時間全ツッパして命からがら仕上げる、宝物のような24ページの本…!!!
そういう本が、1冊も売れないのがコミティアだよねー。
うーわしんどいな、これキッツイな……と痛感しながら座る長机(半分)で、それでも撤収する頃には「またここ座ろ☆」と思いなおす狂った思考回路と仲良ししながら活動を続けた。
社畜との両輪で参加したコミティアは2〜3回、頒布数は平均3冊くらいだったろうか。
一度だけドハマりした作品で版権モノのオンリーイベントに参加したが、ここでの頒布数は1だった。
というかその直前のコミティアで頒布数0をやらかしていたので、心機一転での二次創作だった。なのに開場から3時間経ってもガチのマジで0冊。泣かないように奥歯を噛み締めながら、列のできる両隣のサークルの合間でモーゼ状態を耐え抜いた時のことは昨日のことのように思い出せるし、こん時に比べれば大抵のことは頑張れる俺である。
でもね、閉会間際で1冊だけ売れたんだよ。
無配ペーパーを持ってってくれてたらしき人がたまたま再度通りかかり、「あ ここだ」と呟いて立ち読みし、悩んだ末に買ってくれた。
この1冊がなければ完全に心が折れて描くのを辞めてたかもしんない。
あのとき買って行ってくれた人、心より御礼申し上げます。あなたがいなければド底辺絵師が一人消えてました。(キモい)
-----------
こうして3年ほど経った頃……
「伸びねーーーー増えねーーー」
と思っていた。
当然である。
絵の読み込みにスキャナーを使うようになった程度で、別に大して上手くならない画力(描けてれば幸せ♡だったのであんま練習とかしない民)に流行りでもなんでもない変な絵である。特定の性癖があるわけでもなく、今をときめく版権絵でもない。
伸びるワケがない。
「描けてれば幸せ♡なら伸びなくてもいいのでは…」と思われる諸氏。
無理やぞ????
たまーにいるけどね、そういう良い意味で無敵の人。ああなれたらマジで強いしカッコいいと思う。
けどな、俺ザコキャラだから!!!絵上手くないくせに承認欲求は人一倍だから!!!豆腐メンタルで麻婆豆腐だから!!!!
とはいえなんか絵の練習はせねば、まずは気軽にできるやつ…と超絶便利サイトのポーズマニアックスを選び、1日8ポーズ、10分足らずの練習を2ヶ月ほど続けてみた(結果的にこれはやってよかった)。
けっこう思い通りの線引けてるんだけどな、やっぱ根本的にド下手なんだよな……というモヤモヤした感覚を抱きつつ活動を続ける日々を送っていた。
-----------
そんな中、「これフルアナログなのが原因では……??」と思い始める(気づくのが遅すぎるネ☆)。
俺は「誰か父さんのメールアドレス知らない?」と聞いてくる父と「ケータイでインターネットに繋いだら絶対に
高額請求が来る」と信じて疑わない母から生まれた生粋のデジタル音痴である。アナログ民を脱することなど夢のまた夢だと思っていた。
ヨドバシカメラでペンタブレットを触ってみても、「手元のペンと目の前の画面」の違和感がハンパなくて踏み切れなかった。
かといって液タブとかいう神のツールは10万フォロワー越えの神々が使うものだと考えていたので、実力的にも金銭的にも雲の上の存在だった。
かつて「描線をデジタル化するボールペン」とかいう謎な商品に目が眩み、コツコツ溜めた3万(くらい…?)で買ったことがある。
もともと速記用のペンをイラスト向けに改良したとかなんとかで「俺の求めていたものはコレだ!」と息巻いたが、レビューが全然見当たらん。なんか変だな…?と思いつつも意気揚々と購入したが、案の定まともに使えるようなものではなかった。当時の俺のPCは聞いたことねえメーカーのノパソだったため、なんかもうあらゆる意味でダメだったんだと思う。このへんの身の振り方がデジタル音痴たるゆえんである。
絵が上手くならない理由は「物を見る目があまりに歪んでいる」といまさら気づいた俺は、社畜の合間を縫ってデッサン教室の夜間クラスを探した。
死んだように寝て過ごす休日のうち気力で3時間を振り絞り、電車に乗って教室に通う。
ここで想定していたのは美大受験みたいな切磋琢磨の場だったのだが、俺が受講したのは社会人向けである。
初心者の俺が「お上手ですね〜〜」と言われるぬる〜い空間だった。
当然である。
周りは良き趣味のおばさまがた、ここは「継続的に金を落としてくださる生徒さん」の集まる場所だったのである。
もどかしさを抱えつつ、それでも評価の中に混じる「ここはもうすこーしこうした方が…」という言葉を金言のごとく握りしめ、反芻しながら目の前のモチーフを描いた。
が、爆睡と家事で精一杯だった休日のうち、この習い事というミッションはかなりハードルが高かった。
そして疲弊の色が濃くなり、仕事の繁忙期と重なって半月ほど足が遠のいていたタイミングでコロナ禍が始まった。
実は数年前にも断続的にクロッキー会に通っていた時期はあるんだが(この時は教室の遠さと値段の高さで数ヶ月で断念した)、コロナで「ぬる〜い場所」にすら集まれなくなったのは痛手だった。
-----------
一方Twitterでの活動は、そんな七転八倒をしながらもワンドロだけはコツコツ参加し続け(版権のワンドロはどれも垢が消えたのでオリジナルだけになっていた)、「いつもなんかいる人」という枠でフォローしてくれる人たちに支えられていた。
ワンドロ以外での反応は閑古鳥だが、もはやそれが普通であると納得してすっかり馴染んでいた。
UPした絵が100枚を越えたのを機に、アナログ絵をまとめた本を作った。
そしてイベントで売るついでにおっかなびっくり書店委託の申請をしてみたことがある。
規定通りに虎の子の1冊を現本として送ったが、お祈りどころか受け取りの連絡すら来なかった。
問い合わせる勇気もなく、実力の無さと壁の高さを改めて感じた。
5年以上の活動期間でフォロワー数もやっとこさ100に到達したものの、しかし現状はさほど変わらず。
がむしゃらにやってきていた俺は次第に病んでいった。
-----------
……が、余計に病んだ。
しかも「何も描かない人生なんて……俺……生きてて意味あんのか……?」と真剣に悩むレベルで、「別にTwitterに入り浸らなくても平気なんだな」と分かった一方で、「絵を描かない自分」にだけは耐えられなかった。かといって何か描いてしまえばまたムクムクと承認欲求が湧いてくるので、「俺から絵を取ったら何が残るのか」というif論の世界線にいるつもりで意識的に描くのをやめていた。
自分の手で何かを生み出さなくなった時間がヒマでヒマで仕方なく、かといって本を読むとか建設的な情報の摂取もできなくて、大好きな漫画への興味もそれなりになっちゃって、虚な瞳で哲学ニュースとカラパイアを行き来する地獄の様な日々を送っていた。
(ちなみにこの期間、無意識に熱意を注ぐようになっていた料理スキルのおかげで自炊がだいぶラクになった)
ストレスが極まって真夜中にひたすら川沿いを歩き続けたりもした。
なんとなくチャリで長旅行きてえな(学生の頃はちょいちょいやってた)などと考えていたが、やはりその場合でも気づけば「旅先で撮った写真をいい感じに分類してアップするサイトを作ってみたい」とかいう思考がスッと出てきたのでもうダメだと思った。
なんか作ってないと死ぬヤツって天才とかだけだと思ってたんだけど、大して努力もできないような凡人の中にもいるんだな、そしてそれはなんだか残酷だなあと身をもって知った。
-----------
進むも地獄、戻るも地獄な精神状態が半年近く続き、同じ地獄 -hell- なら踊らにゃソンソン…?と思い始めたある日、ネットで調べ物をしている最中にとあるバズツイを目にする。
さいわい俺はオタ活もソシャゲもしないぼっちの根暗オタクで社畜なので、好きにできる貯金くらいはある。
知り合いも「液タブに手が出ないならあいぱっよ」的なこと言ってたなーと思い出し、思い切って導入することに。
お絵描きソフトはいくつか試した末にProcreateを選んだ。クリスタの多機能さ()についていけなかった俺は、UIが直感的でツールとアイコンを極限まで絞ったプロクリがスッと手に馴染んだ。
ペーパーライクフィルムなるものを貼り、紙のザラザラ感を脳内で補完しながらApple Pencilで線を引く日々が始まった。
フルアナログ底辺野郎が、板切れ一枚でフルデジタル貴族に転生したのである。
-----------
それが×年前のこと。
ここから「オリジナル絵はもともと伸びにくいけど、ちょっとエッチだと訴求力が上がる」という観測結果をもとにR18に手を出す。
といっても乳首解禁程度で可愛いもんだが、方向性が定まったことで不安が少し減った。
フルデジタルで久しぶりにいつものワンドロに参加すると、反応が違う。イイネRTが3割増しといったところだろうか。(※ここでの3割増しとは3RT→4RTのような血で血を洗う話である)
デジタルのバケツ塗りになったことで、アナログだった頃の癖の強さが軽減されたのかもしれない。
やっっっっっっと俎上に登れた、と思った。
いつでもどこででも描けるiPadは社畜の俺にはピッタリで、しんどくて布団から出られない時でも通勤電車の中でも四六時中描けるようになった。
デジタル作画はワンタッチで消しゴムが使えるので描くこと自体のハードルが下がり(筆圧鬼強野郎なので消しゴムかけが大変だった)、本を買って絵の勉強を始めた。まずは骨格と筋肉から!と、教本の図解をじっくり模写する方法で自分なりに学ぼうとした。
だがデジタル音痴な上に加減も融通も効かない俺である。両手両足をやり切ったところで一度息切れしてしまった(でもこれはやってよかったと今でも思う)。
-----------
数ヶ月後、それらの勢いでオリジナルの同人誌を1冊出す。そしてサイコパスな神絵師の友人の甘言に乗って再び「書店委託」なるものに挑戦(ふつーフォロワー100人前後の人間にそういう話するか?)。
実力的には最低レベルにも達していない自覚があったので、何度もお断りされるなかでいつかOKもらえたらなーという気持ちで申請。
が、思ったよりあっさり通った。
同じような画力の低さでも、版権作品ではなく「オリジナルのエロ」という切り口だけで「まぁ…いっすよ」と言ってもらえたのかもしれない。
やるなら徹底的に!と思い、紙の本を3社に委託。そもそも30部とかしか刷ってない本を5部とか10部でも受け付けてくれるプロの仕事ぶりに、尊敬と畏敬の念しかない。
みんながわいわいしている端っこに自分の席を置いてもらえたことで、ずっと憧れていた「輪の中に入る」ことがちょびっとだけできた気がしてめちゃめちゃ嬉しかった。
そもそもド底辺の自分がなぜ身分不相応にも書店委託や電子販売なんぞを活発にやりはじめたのかといえば、
「そこでの売上が決して0冊ではない」
作品も作家も、露出しなければこの世に存在しえない。フォロワー数2桁でのたうち回っていた俺のつらさは「この世に認知されない」ことだった。
コミュ力さえあれば自力で輪を広げることも可能だが、そんな能力あったら初めからこんな苦労してねーよという話である。
ならば厚顔無恥だろうとおこがましかろうと、一方的に「俺ココにいるよ!こんな本描いたんだよ!」と嬉しそうに手を振る方が100倍マシじゃねーか。
そんで委託した本を買ってくれた誰かが、「このページのこのコマのこの乳だけはイイな」とさえ思ってくれれば俺は大往生である。
しかも誰かがその本のために払ってくれた数百円は、汗水垂らして働いたお金だったり数少ないお小遣いだったりするわけだ。
そんな嬉しいことある?
紆余曲折を経て、そういう肝の座り方と考え方を得られたのは一番の収穫だった。
とはいえピコ手もピコ手なので、委託先の売上振込最低金額に達するまでに長ーい年月を要するRTAに強制参加となる。そりゃ売上¥300だろうと申請すれば振り込んでもらえるんだが、それじゃロマンねーじゃん?
俺とあるサイトの最低金額¥5000に届くまでにマジで2年半かかったし、達成した時は三ツ矢サイダーで祝杯あげたよ(下戸)。
-----------
フルデジタルに移行したことで、イベントでの頒布数もギリギリ10冊を越えるようになる。
頒布数1も0も経験した身からすると、もはや恐いモノなんてないのだ。
1冊でも売れれば、それはすべて神の起こしてくれた奇跡なのである。
普段の活動ではオリジナルでとにかく節操なくいろいろなものを描き、月に1人とか2人とかじわじわとフォロワーを増やしていった。
ごくまれに描いた絵がなんらかの界隈のハブになっているアカウントの目に留まり、RTしてもらえることも出てきた。
その時のフォロワーの伸び率はびっくりするほどだったので、そのたびに「存在を知ってもらう」ことの生命線っぷりを痛感した。
まあとはいえタグなしの絵にはやっぱり無反応だけど、それが俺の平常運転である。
「こいつ今日も描いてんなー」と読み流してくれる誰かがそこにいるってだけで嬉しかった。
UPした絵は、300枚を越えたあたりから数えるのをやめた。
-----------
コミティアしか知らない門外漢の俺はドキドキだったが、入場者数の制限もあって全体的にまったりムードだった。
開場して10分20分、宝の地図を手に通路を行き交っていたうちの一人が立ち止まり、俺のスペースに近付いて
「新刊1冊ください」
と言い放った。
新刊1冊ください…
しんかんいっさつください…?
それって、なんらかのルートで俺のこと知って、新刊あるっぽいって分かって、サークル配置を事前にチェックして、宝の地図に印つけて、「あっココだ」って気付いて来てくれたってこと?!?!?!
つーか開場20分とかそこらだよ??あなた一般参加じゃなくてサークル参加なんじゃねーの??
シャッターサークルとか企業ブースの先頭にだって並べるはずなんじゃねーの???
タイトルでわかると思うが私は先日ADHDという診断を貰いストラテラを服用し始めた。そしていつものようにpixivで推しカプの作品を漁ってたら異変に気がついた。
「え……? なんで知らないカップルのいちゃいちゃを見せつけられてるの?」と思ってしまったのだ。
私は昔から空想癖が激しくて小学生の頃は授業中や休み時間、寝る前の布団の中などで少女漫画ならきらりん☆レボリューションやミルモでポン、ゲームならポケモンの世界の主人公になりきって色々と空想を繰り広げていた。内容はだいたいイケメンキャラに迫られるみたいなしょうもない内容だったと思う。そして中学生くらいになるとネットで二次創作を漁り始めた。だいたい女主人公受けの内容が多かったと思う。そしてその二次創作を元に布団の中でまた妄想…というルーティーンを繰り返していた。
自分で二次創作し始めたのはつい2年〜3年前だ。今までは布団の中の妄想で満足していたのが突然、アウトプットしたいと思うようになった。別に絵を描くのが好きというわけではなかったが、ポスターやら絵画やらが受賞したことは何度もあり、親も絵を描くのが趣味なこともあって子供の頃からコピックや水彩、油彩にアクリルガッシュ、パステルなど様々な画材を与えてくれた(別にコピックだけでよかったのだが)。今まではアナログでしか絵を描いたことがなかったが、ADHD特有の衝動性でなぜかいきなり高い液タブとクリスタを購入。そして買ってみたらびっっっくりするくらい描きやすかった。私はアナログよりデジタルが向いてる人間だったんだと知った。両親よ、ごめん。
これまたADHD特有の衝動性でスカルプターとかソッカとかモルフォとか有名所の教本を買って(ルーミスはさすがに古いらしく買わなかった)、ADHD特有の過集中で一週間程度で全ページの模写を終えた。画力は高くなった気がするが二次をするならやっぱ今風の絵柄を身に着けないとと思い、好きな作家のイラストを保存しまくって、最大公約数的な絵柄を試しに描いてみる。「おお、個性はないけど今風じゃないか?」
試しにハマってるジャンルの一枚絵を適当に描いてpixivに上げてみた。あっさり4桁ブクマ。お次は男女カプ(というより夢?おもくそ自己投影してるので)の漫画を描いてみる。これまた4桁ブクマ。
せっかくだしと思いTwitterも作って趣味の合う人とそれなりに楽しくやっていた。それから精神科に行ってADHDという診断を受けてストラテラを処方してもらった。そこまではいい。服用してから数日したら二次元にめっきり萌えなくなってしまったのだ。今までは容易に感情移入できてたのに、推しカプを見ても知らない人のイチャイチャを見せつけられてる気分になってしまう。そもそも二次創作なんて長時間作業しても読まれるときは一瞬、コスパ悪すぎるし馬鹿げてると妙に冷静になってしまった。
これが健常者の感覚なんだろうか…。妙に気分が落ち着いていて変な感覚。不思議なことに創作意欲が全く湧かない。二次元キャラに対しても「こんな意思疎通の取れない相手に今まで何恋愛感情に近いものを抱いてたんだろう…」と思ってしまう。すごく悲しかった。
Twitterのタイムラインを眺めていても全然ピンと来なくて、知らない国に来たみたいだ。
彼氏に二次創作が捗らないことを嘆いたら「正直、○○(私)の推しに嫉妬してたから俺の相手をしてくれて嬉しい」と言われてしまった。いや、二次元に嫉妬って心狭いな。
コピックで描かれたっぽいオッドアイの女の子のイラストを自分の楽曲動画のジャケットに使っている人がいた。
テレ東の弾き語りオーディションだった。歌もうまいのに絵の趣味のいいのかと思った。
まさにsyamuさんの上位互換ですね。自画自賛で「できること」を連呼する人間とは違うのだ。
しかしtiktokアカウントを検索したわけだけども、アカウント欄にpixivIDとか書いてなかった。
pixivとかfantiaとか、せめてポイピクでもいいから高解像版が見られるところを用意してほしいものだと思った。
そうじゃないとどんなに絵は上手いと思っても「正面画がお上手なんですね」と皮肉こぼしたくなってくるだろ。
(今はクリスタなら人体の3dモデル付属されてるし正面以外のアングルの複雑なポーズだからってそれほど難しいものじゃなくなってるかもしれんけど。)
一見オタク文化に通じる画風だけど本人はオタクのつもりないしオタクに向けて発信してるつもりもないんだなと痛感させられるものだった。
女がああいう絵を描く文化って初音ミクに端を発する系譜じゃなかったか。
萌え絵は少女漫画の影響を受けて発展していったものだという。また子供の頃絵を描くのが好きだった女は割合多い。しかし漫画家とかでもない女で、男性向けコンテンツの文脈をすっとばして幼少期等で触れた子供向けアニメや少女漫画等だけからそういう方向へ画風が発展していくということがあるものなのか。
公にしないだけでオタク気質はあるというよくある例に過ぎないのか。それともガラパゴス的にオタク向けに通じる画風に接近した稀な例にでくわしたということなのか。
ちょうどスモールエスに掲載されがちな画風なんだよね。あれの読者にしてもニコニコにおける初音ミクの興隆期に立ち会ってないような人はいないと思うけど。
美術系の大学に通っているけど、鉛筆デッサンを練習しなければならないと思うと死ぬほど嫌だ。
絵を描くことは好きで、小学生くらいの頃からコピックだのGペンだのに興味持ったりデジタルでやったりしてきたけど、鉛筆デッサンが本当に大嫌い。
大学受験のときに自己制作作品と鉛筆デッサンが課題だったんだけど、「イラストは上手いけどデッサンが下手」って先生に遠回しに言われたからね。わかってます。
ぶっちゃけ提出するのが鉛筆デッサンだけだったら落ちてたと思う。
ちなみに有名な美大や芸大にも興味はあった。何故選ばなかったかというと、デッサンが下手だから落ちるし、デッサンをやりたくないから。
何でこんなにデッサンが嫌いなのかというと、高校の授業で先生に「見たままを写し取るように描いてみて」って言われて、自分の見えたように描いたら「もっと反射光を入れたらリアルに見えるよ」って言われたのがデカいと思う。
発泡スチロールの立方体を、木の机の上に置いたやつを描けって言ったんじゃん。発泡スチロールにそんなに反射光入らないだろ。
「見たままを写し取る」のか「よりリアルに見えるように描く」のかどっちなのよ。
以前から嫌いではあったんだけど、それがきっかけでデッサンに対する興味や意欲は全くなくなった。以降、授業中はやっつけで課題を終わらせ、無意味に鉛筆を削り続けたり、練り消しでフィギュアを作ったりして過ごした。だからデッサンがヘタクソなのは自業自得である。
あと、まず、他人がセッティングしたモノを興味もないのに描くのがつまらない。時間制限があるから間に合わないのも駄目だし、早く切り上げると「時間使って描き込め」と言われるのも嫌。
かと言って自分でモチーフを選んで描くのも普通に嫌い。目の前のものをそのまんま描くことになんの興味もない。
手が汚れるのも不愉快。絵の具やインクも手につくけど、乾けば紙は汚れない。でも鉛筆はずっとこすれるたびに紙を汚し続ける。
鉛筆デッサンの悪口ならいくらでも出てくるんだけど、「じゃあやらなくていいや」とはならない。避けて通ることはできない。
なぜなら、自分の希望する職種につくためには鉛筆デッサンが上手く描けることが必須だからだ。厳密に言えばちょっと違うかもしれないけど、とにかくポートフォリオに鉛筆デッサンを載せなければならない。
ちょっと聞いてほしい
去年の暮れにTwitterが凍結した。
学生の頃から10年以上使っていた、オリジナルのイラスト用アカウントだ。
その顛末を聞いてほしい。
最初はノートにシャーペンで描いた絵をケータイで撮ってアップしていた。今となってはとてもじゃないが見れたもんじゃない。けど、描いたノートをただ閉じて机にしまう日々から一歩踏み出せたようで、嬉しかった。
交流はしてみたかったが、ハッシュタグはなんだか恐くて使えないままだった。
アップした画像が50枚を越えたあたりで、「あ、コレはこのまま孤独死できるな」と思い知った。
いい絵を描く人は少しずつフォローし、タイムラインは賑やかになっていった。が、かたや僕はハッシュタグも日常ツイートも飯画像もなく、二次創作でわいわいすることもない。
ひたすらオリジナルの下手な絵をアップしていくだけのアカウントである。フォロワーが増えるはずもない。
当時の僕は、ド底辺絵師なんて生易しいものじゃなくて「この世にほぼ存在していない」アカウントだった。
ごくたまーーに見かける、絵をアップさえしていられればそれだけで自己肯定し続けられる〝最強の人〟でもなかったのだ。自分にもド下手なりに承認欲求があり、限界を迎えつつあったそれをマネジメントする必要があった。
ワンドロを知ったのはその頃である。
one drow、1時間以内で特定のお題の絵を仕上げて見せ合おうというユルい交流の一つだ。定期的な開催日時が決まっており、リアルタイムでお題の発表や作品のツイートを行う。
画力が乏しくても許してくれそうな場所を探し、おそるおそる参加してみた。
ここがとても優しく丁寧な運営であったことで、僕の世界は少しずつ広がっていった。
ワンドロのハッシュタグを辿って、同じ時間内で作品を仕上げた同志とそっと実力を見せ合う。
1時間ってすげー短いんだぜ?
最初は全然終わらなくて恥ずかしかったけど、徐々に時間配分に慣れてまともな絵を上げられるようになっていった。相変わらず下手なままだったが、中学の頃から憧れてたコピックなんかも使っちゃって毎週参加していた。
楽しかった。
ワンドロ仲間を中心に、月に1人くらいフォロワーが増えるようになっていった。
そして、ひょんなことからiPadを買った僕は、思いのほか身軽にフルアナログからフルデジタルに移行した。
フォロワーの伸びが変わったのはここからだ。数年がかりで、デジタル絵であることがある程度の共通言語として成り立っていたのだと知った。
泣いて喜んだ。
ワンドロには欠かさず参加し、10イイネ以上をもらえた絵はそっとスクショしていた。
どんな形であれ性癖を晒すのが重要なんだなぁと学び、iPad用のクリスタを導入して漫画も描いてみた。
コミティアに出したら3冊売れて、飛び上がるくらい嬉しかった。
一度だけバズったことがある。
気合を入れて描いたとある絵が、どれかのタグを辿ってフォローしている人の目に留まったらしい。
いつもは閑古鳥の通知欄に「20+」の数字を見た時、こんな世界があるのか…と呆然としてしまったことを覚えている。
この時のツイートの、右下の♡の数は、一生忘れられない3ケタになった。
もっと絵がうまくなりたい、どんどん描きたいと夢中だった。
そんなある時、ふとヘッダーを変えようと思い立った。
現時点で最高の出来になった絵を使って、その目元をトリミングした画像を設定した。
翌日。
仕事の休憩中、メールボックスに見慣れない2通の通知が来ていた。
明らかに昨日のヘッダーが原因だ。
凍結の理由は「センシティブな内容の抵触」。トリミングした画像のキャラの、ほっぺがピンク色だったからだろうか。
運営はエロ絵には敏感だと聞いていたので、細心の注意を払ったつもりだった。
甘かった。
そして僕のアカウントは凍結された。
通常であればまずは理由を通達した上でのアカウントロック、そこで改善が見られなければ永久凍結である。
だが僕の場合、ロックの通達からわずか1分後に凍結の通知が届いていた。
実質的な一発退場だった。
ロックにさえ気付けていれば、事の重大さを思い知って即画像の差し替えができただろう。
が、平日の仕事中、60秒間で全て対処するのは到底不可能だった。
迂闊な画像を使ったのは他でもない自分だ。が、やはり経緯にどうしても納得がいかない。
たくさん調べ、似たような体験談を探し(ぶっちゃけロック→即凍結のケースは見当たらなかったが)、なんとかTwitterの運営に異議申し立てを送った。
じりじりと待ち続けて3日、1週間、2週間、1ヶ月、3ヶ月、半年。
申し立ては定期的に行っていたが、結局、定型文以外の返事が返ってくることはなかった。
「あなたのアカウントはTwitterのルールに違反したため、復旧はできません。」
死刑宣告だった。
突然の凍結から、ずいぶんと時間が経っていた。待ちに待った返信は、その一言で終わった。
今僕の手元に残っているのは、フォロー・フォロワーが0になったアカウントだけ。10年間、この数字が一つ増えたり減ったりするたびに一喜一憂していたのだ。
長年使っていた馴染みのプロフィール画像だけがぼんやり残っている。
これがもしインフルエンサーとかだったら、Twitter本社に突撃して解除しました!みたいな体験談になるのだろう。
ただ、僕にはそんな実力も気力も体力もない。
あまりの理不尽さにふつふつと怒りが込み上げるが、近頃は悲しさの方が上回るようになった。
でも、友達もろくにいない僕が、めいっぱい好きに動ける場所だった。
「凍結されちゃいました☆」とのたまって新しいアカウントを作ることは出来るかもしれない。
けれど、いま僕の目の前にあるのは、一つの大切な拠り所を失ったという事実のみ。
もう…ちょっと立ち直れそうにないや。
私が二次創作を始めた当初、Twitterの「ワンドロ」「ワンライ」は完全に1時間勝負だった。
企画者が公開一時間前にお題を発表して、参加者はそれに沿った絵や小説を1時間で完成させる。
遅刻はせいぜい「保存に手間取った」って言い訳が通じる15分くらいまで。例え40分で完成しても公開するのは1時間経ってから。仕事などの用事で参加できない人は後からタグを巡回する…というのが、私の知っているワンドロ・ワンライだった。
数年ぶりに「書きたい」と思う二次創作カップリングに出会った。
大手カプというわけではなかったけれどコアで一途な描き手・書き手さんたちがたくさんいて、毎週ワンドロ・ワンライ企画もやっているとのことだった。
私は勇んでワンドロ・ワンライ企画アカウントをフォローしに行った。
お題発表は1週間前(前回の企画終了後)、フライング・遅刻もOK。なんなら2時間かけた作品でも投稿して大丈夫ですよ、というのが普通になっていた。
気になって自ジャンルの他カプのワンドロ・ワンライ企画アカウントも見に行ったけれど、軒並み同じだった。他ジャンルはもしかしたら私の知っているワンドロ・ワンライのままなのかもしれないが、少なくとも自ジャンルでは違った。
思ったのは、「それってワンドロ・ワンライの意味ある?」ということだ。時間をオーバーした作品を上げるのはまぁ論外として、「お題発表を前もって行なう」というのがどうしても理解できなかった。
そもそも私の知っているワンドロ・ワンライは、「1時間でネタ出しから下書き、推敲まで完成させる」というのが目的だったはずだ。
それが1週間前にお題を発表されては、準備する時間が一週間もある。ネタを練る人もいるだろうし、ラフを描く人だっているかもしれない。でも、それでは「1時間で完成させる」というものではないんじゃないか。
「1時間じゃ完成できない」という人よ。あなたはそもそもワンドロ・ワンライ企画ではお呼びじゃないのだ。
「その時間にはどうしても参加できない」という人よ。あなたはこの企画には縁がなかっただけなのだ。
いずれにしても、「ワンドロ・ワンライ」のハッシュタグを付けて投下するのはおかしいんじゃないか。もしお題のネタを借りたいのなら「ネタお借りしました」とでも言えば良いんじゃないのか。
これが例えば「コピックで描いたイラストのアンソロジー」だった場合、コピックを使わないイラストは掲載させられない。締切を過ぎるような人の原稿は載せられない。
アンソロなら当たり前のルールが、何故ワンドロ・ワンライでは平気で破られているのか。私にはそれが本気で理解できない。
結局、自カプではワンドロ・ワンライには参加しなかった。企画アカウントはブロックして、企画に「遅刻」だの「+○分」だので参加してる人も全員ブロックした。
結果として自カプでの友達がほとんどできないぼっちになったけれど、後悔はしていない。
……とはいえ、そういうワンドロ・ワンライが広まってるってことは、今はそっちの方が主流なんだろうな。
数年二次から離れてて、最近久しぶりに新ジャンル開拓してびっくりした。今の中高生はスマホで絵を描くんだね…。
アイビスとか、サービス始まった時に試しに入れてみたことあるけど全然使い物にならないイメージだった。試しにもう1回入れて見たら、筆圧関知してくれるしブラシのカスタムできるしでさらにびっくりした。自分がスマホで描けと言われたら絶対無理やけど。
フォロワー万超のアカウントでもアイビス指描きです!とか言ってる人が普通にいるから驚いた。もともとの画力もある人なんだろうけど、ゲームのスチルみたいにキラキラして透明感あるイラストとか描いてて本当に私が使ってるスマホと同じなのか…?と疑いたくなる。
私が中高生の時は、コピックやペンタブに憧れた。最近はデジ絵を始めようと思ったらまずスマホ(アイビス)、本格的にやりたくなったらiPadとAppleペンシルが多いらしい。
楽曲自体に造詣がない音ゲープレイヤーって、音ゲーの何を楽しんでいるのだろうか?
大量に楽曲が消費されている中、他に似たような曲があっても、それぞれ曲構成などからの制作意図を区別・説明できる程まで意識的に嗜めていない人にとってゲーム中の楽曲は豚に真珠ではないのか?
言いたい放題言ってるけどさあ、音楽って素人が勉強する手だてが全然ないのよ。絵だったら「この絵は厚塗りですね」とか「この絵はアニメ塗りですね」とか「これはアクリルガッシュ(っぽい)のを使ってますね」とか「これはコピック(っぽい)のを使ってますね」って書いてあるのすぐ見つかるんだよ。なんならピクシブだって画材書く欄あるからね。音楽にはそれがない。クラシックなら学校の授業受けてたしまだわかるけど、音ゲーに主に使われるような今時の曲になるとどれがベースでどれがスネアで…とかこれがハウスでこれがトランスで…こういうところが違って…って解説すぐ出てこないじゃん。曲のジャンルのwikipediaの項目何回かトライしたけど全然わかんなかったよ。曲のキャプションにもこれとこれとこの楽器使ってますってはっきり書いてくれる人ほとんどいないじゃん。多少「ピアノの音を重視しました」とか書いてくれる人もいるけどそれでも他の楽器は?って疑問が残る。ジャンル分けも「最終的には雰囲気ですw」みたいなくそふざけた解説してるところあるしな。無知な音ゲープレイヤーが悪い(無知な音ゲープレイヤーのせいで音ゲー衰退の悪循環が生まれる)みたいな書き方してるけど悪いのは曲作ってる方だろうがよ。
腐女子やけど、高校生の時に初めて作った携帯サイトに掲示板を付けた
ただ単に当時はサイトと言ったら掲示板を付けるのがデフォルトっぽい空気を感じていたし、御多分に漏れずフォレストページでも簡単に掲示板を付けることができたからコンテンツの1つとした
ただそれだけだ
ただ紙に丸ペンとコピックで描いたの絵の写メを載せていただけだったが、なぜか掲示板には書き込みがあった
私はリア友でもない他人のサイトの掲示板に絵の感想を書き込もうなどと考えたことがなかった
このロジックでよく考えたらそもそも最初から掲示板を付ける必要がなかった
なにも考えていなかった
知らん他人と絡むのは怖いからリンクページなどは絶対作らないと思った時点で掲示板をコンテンツに入れるべきじゃなかった。アホだ
なぜか私のペンネームにそっくりな名前で書き込む人もいたし(私が〇〇、相手が〇〇ぽん)、たまたま似たペンネームなのかな?と思うようにしたかったけど書き込み頻度も高い
とても穏やかな文体で決して荒らしなどではないとはわかるのだがどうしても怖かった
こんなガキの絵を褒めてくれる優しい人はたまたま娘の携帯を見てサイトを見つけたリアル私の母かな?と本気で思っていたし今でも少しはそう思ってる
まあ、リアル私の母はそんなふうに携帯サイトの掲示板を使いこなしたりできないのだけど
そして褒めてくれるのが好意だろうと、逆に怖い。だって顔も知らん人だよ?私におべっか使う必要はない
それが怖い。この気持ちに共感してくれる人を遠くから見つけることができたらとても嬉しいくらい、インターネット世論から外れた感情かなと思っている
Twitterとかでも「感想を送らないと同人作家は筆を折る」みたいな私と正反対の極論の方が大きく聞こえるからね
あと知らん他人とインターネット上で、特に私の絵を媒介して絡むのは嫌だがリアルで知らん他人と話すのは好きだ
インターネット世論で嫌われがちな絡んでくるショップ店員と話すのが大好きだ
まあそれはアパレルの販売員ではない裏方だからというのもでかいけど、美容師とか、旅行中にその辺にいる人たちとかと話すのも好きだ
でもインターネット上で私の絵を媒介して絡むのは嫌だし、リア友でも相手が私の絵を変な持ち上げ方してくると徐々に気まずくなるのもうわかったから自作の同人誌渡す時はでかい声で「絶対感想とか言わないでね!」と言う
「感想いらないなら不特定多数に絵を見せるな」みたいな極論も聞いたことあるけど、私は自分の絵も漫画も好きで並べておきたいし、サイトを作ったり新しいSNSに登録するのも好き
勿論localhostにネットには上げてない小学生の頃からの絵を全部ずらっと並べたサイトだって作ってるよ
でもコンセプトごとに厳選した絵を載せるサイトをワールドワイドウェブに置いて、自分以外の誰かが私の絵を見てる形跡を発見して、どんなふうに見たのかなって生ログのページ遷移時間から想像するのが好き
でもよく知らん他人から接触されるのはいかに相手にとっては好意であろうとまじで怖い
私は好きで趣味で描いてるだけだからこれ以上改善してどうこうとかはそんなに思わんし、技術的に悩む時はあるけどそういう時は絵の上手いリア友に相談してるから不特定多数のご意見は不要だ
好きな「趣味」という大枠の中にコアとなる好きな部分と付随する苦手な部分があるのは多くの場合に有り得ることだ
その大枠から苦手な部分を限りなく取り除いて濃厚なコアだけ味わいたいじゃん
好きなことしたいなら苦手なことも受け入れろなんて根性論今時昭和すぎるでしょ
そんなわけで私からしたら「絵」と「不特定多数のご意見・ご感想」にはなんの関わりもないよ
勝手にセットにしないでほしい
まあこれもイマジナリーエネミーを勝手に見て心が騒いでるってだけなんだけど
いくつかの携帯サイトを作った高校生時代が終わり、大学生になると有料鯖を借りてPCサイトを作るようになる
長年ねらーで同人板の影響を多分に受けていたため同人サイトとは言え連絡先が1つもないのは無責任と思っていた
そしてメールフォームや拍手は感想を送りやすいが業務連絡用と書き添えたメールアドレスのみなら感想を送りにくいらしい
私は〇〇○★yahoo.co.jp(★→@)のような表記がダサく感じて嫌だったので、しっかり@込みでメールアドレスを画像にして貼った
画像ならコピペできないし一文字一文字打ち込むのは絶対にめんどくさいからよっぽどの不具合がなければ誰も連絡を取ろうとはしないだろうと踏んだのだ
クソめんどくさい。適当にお礼を言ってスルーしたかったけど多分これが営業ってやつだろうと思った
勝手な妄想が膨らんで相手をフォローしたり相手の作品に10点入れた方がいいのかなという圧を勝手に感じた
もうそんな妄想をしてしまう自分自身が嫌だった。だからとにかく私に触れないでほしかった
この頃にはだいぶ学習できてきていたのでかなりお触り禁止感の演出ができていたのではないかと思う
大体の人が黙ってRTいいねだけしてくれるし、bioで予防線張ってるから直リプも無視し放題だ
一言感想の空リプ引リツは結構あるけどこれは割とおもしろかった
どうやら私は感想メールに返信しなきゃいけないという義務感の発生が最も嫌だったらしい
でも積極的に感想欲しがってると勘違いされたら困るから絶対に反応しないしマシュマロとかは絶対置かない
Twitter見てると前述の「感想を送らないと同人作家は筆を折る」みたいなツイートがバズるのをたまに見かけるけどどうして?
個人的にはそういう極論を持ってる人ってごく一部で、大半は感想はあったら嬉しいけどなくても別にって人、そして感想不要って人も見かけよりは多いと思ってる
私は過去の経験から「感想不要」と明記せずとも感想を送りづらい雰囲気を出すことに長けてきたと思う
でもわざわざ不要と書くのはなんか怖い
感想を欲してやまない、でも全然もらえなくてほぼ飢えてるような過激派、同ジャンルでも目立つからついついヲチってるけど、目視したわけでもないイマジナリー感想不要の人を脳内ででっち上げて「嘘つき」とか「聖人君子を気取ってる」とか罵ってるもの
こっちからしたら私が「感想ください!」って言う方が嘘だし、人の好意を受け入れられない私みたいなタイプの感想不要人が聖人君子とはとても思えないけど
本人はほしいもんはほしいって言わなきゃもらえないって発想に捉われてるみたいだけど、逆にあの攻撃性の発露こそが「感想を送りづらいお触り禁止感の演出」の極致にすら思える
私は割と詳細なウェブ性格診断みたいなのの結果を見るのが結構好きだ
感想を欲しがるのって診断結果を早く見たいような気持ちと近いのかな、と勝手に想像している
確かになんかそういうののプロが私の漫画を読んで心理分析とかしてくれるならすごく興味ある
お金払ってでも頼むと思う
そういうことなのかな?
でもインターネット上で誰かに感想を送るであろう人の大半は心理分析の素人だろうし、別に感想って大部分は心理分析じゃないし、私はいいかなあ