2023-12-09

私の2023年チバユウスケ一色だった

上島竜兵が死んだ時、特別ファンというわけでもなかったのに何故か家でオンオン泣いた。その時はわからなかったけど、私は上島竜兵が生きているだけで社会の懐の深さを勝手に感じていたんだと思う。バカがつくほど(おそらく)優しくて、優しいが故に少しポンコツでも生きていける世の中の余裕を私は彼に見出していて、だから彼の芸風を見ても辛くなることがなく、ケラケラと笑って見れたんだと思う。社会システムだけではこぼれ落ちてしまうかもしれない、とびきり優しい人は、生きているだけで社会のもの本来持ちうる懐の深さや余裕を証明していた。その人が、おそらく世の中で最も辛い自死を選んだことに完全に打ちのめされたんだと思う。

「くもってら ドーナッツ 食べたくなったけど

 あの穴は なんであいてんの? かわいいけど」

 チバユウスケが書いた「誰かが」の歌い出しには、そういう世の中にまだあるかもしれない懐の深さや暇を感じる。ドーナッツを見て「なんでこの穴空いてんだ、かわいいな」と、思える世の中にある一瞬の暇や余裕を感じる。このワンフレーズ聴くだけで元気が出る、大好きだ。「誰かが」でチバはその後、こう宣う。

「誰も教えてくれない でもわかっていることがある

 誰かが泣いてたら 抱きしめよう それだけでいい

 誰かが笑ってたら 肩を組もう それだけでいい」

 なんだよそれ。信じられないくらシンプルな話に落ち着いて、子供っぽさすらある。でもその子供っぽさに私はこの1年間、本当に随分支えられた。エブリバディ・ニーズサンバディーって言ってくれたから、駄々をこねれたこともあった。

「涙がこぼれそう」も大好き。私はこれをただの酔っ払いの曲だと思ってる。だってまりにも見覚えのある光景が多すぎるから(笑)。夜中に泥酔して、ロータリーで寝っ転がってて、転んだ拍子に口とか切ってるんだよ。立ち上がりたくねー、てかここどこだよとか思ってると男女が横でキスとかしててマジで情けなくて泣けてくる。夫くーん、ここどこ〜迎えに来て〜とか電話したくもなる。んで、気づいたら朝になってて、おっしゃ!帰るか!って。覚えがあまりにもありすぎる。

チバが死んで、多くの人がこれを追悼ソングに選んだ。でもこれは、チバが酔っ払いのことをかっこよく歌ってくれたもの。私にとってはそう。

そもそも、私はあまりうるさい曲が好きじゃない。Birthdayだってミッシェルだって学生の時にちょろっと聞いたけど、はまらなかった。なのに、youtubeディグで、民生の「世界の終わり」をみつけて、心がブルブルと震えて、アベフトシのことを知り、解散ライブ映像を見て、知りもしないバンドの聴いたことのない曲でポロポロ涙が出た。

思えば、うるさい曲を好んで聴くようになったのは、大人であることを求められるようになった社会人になってからかもしれない。

息もできない」は、世界の終わりのライブ映像を狂ったように見続ける私に、10年来のマブが「これも好きなはずだ」と教えてくれた。そして、完璧Birthdayにハマった。ほんと、今年「息もできない」を狂ったように聞いた。Aメロ文字数に比べると、Bメロ文字数は極端に少なくて、その言葉少なさを保ったままサビに駆け抜けていく。

チバユウスケが作る歌、特にbirthday以降は、すべてがシンプルな話に帰着していく。そこが好きだ。大人になったことや忙しさを盾に、正当な理由ばかりが上手くなっていく中で、取りこぼしてしまいそうになる単純なことを思い出させてくれる。歩いて家に帰る夜道、お風呂に入っている時、大音量イヤフォンからアイラブユーは最強、愛し合う姿は綺麗」とチバが叫んでくれる。

チバがインタビューで大きい愛と小さい愛の違いを問われた時の回答が好き。

「愛だけで何もかもが作られていればいいなとは思うけど。それは無理なんだよ。無理なのは知ってるんだけど、それでも愛で行こうよ、と俺は思うけどね。(中略)いろんなところにポツポツと愛があるじゃない。それがあればすごくいいことになるっていう風に思っただけ。マジックの人がいて、そこにロウソクがあってさ、パチン(指を鳴らす音)ってやったら、火がついたのよ。小さな愛って、ちょっとそれに近いっていうか。なんか“おぉ〜”と思って。違うかな(笑)。」

チバの曲は小さな指パッチンで、私を何度でもハッとさせてくれる。

ライブ、見たかったな。

「チバー!」って呼び捨てで叫んで嫌な顔されたかったな。

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