はてなキーワード: ロウソクとは
1人のカメラ好きとしてスマホの利便性は物凄く良い。
何なら総合力としてはデジイチ(レンズ交換式ミラーレスデジタル一眼カメラ)や360°カメラは著しく劣ると個人的には評価している。
最近のスマホカメラの画質は非常に良くなったと痛感するし、カメラ好きだからと言って常にデジイチを構えているわけではなく、何なら日常的な利用頻度はスマホカメラが最も高い。
ただやはり、カメラ専用機にはカメラ専用機の強みがあるのもまた事実で、この強みを知ってしまうとスマホカメラで日常的な撮影から入学式などの式典、アミューズメント施設での思い出記録までカバーできるなどとは口が裂けても言えない。
スマホはやはり総合力が高いだけであって、カメラ専用機のシチュエーションに合わせ特化できる仕様はカメラ専用機の強みであると言える。
従来方式のレンズ交換式デジタル一眼レフカメラ(一眼レフ)の規模縮小がカメラ業界でも決定的となったことはカメラファン界隈では「ついにこの時が来てしまったか・・・」と様々な想いが巡っている。
後継となるデジイチやミラーレスと呼ばれるレンズ交換式ミラーレスデジタル一眼カメラは今後プロシーンであってもどんどん普及していくことだろう。
いわゆる標準画角と呼ばれるフルサイズ換算35mm前後〜50mm前後(APS-C換算23mm前後〜33mm前後)をカバーできるレンズを常にデジイチへ装着しておいてシチュエーションに合わせズームを活用して撮っていくのが良い。
可能ならばレンズ内蔵の光学式手ブレ補正機能が付いているものが望ましい。
子供が生まれてからカメラに目覚める親は少なくないが、これからカメラを購入しようと考えているならば自分の子供が保育園幼稚園の年中(4歳前後)へ至っているかどうかで実は変わる。
これ何故かと言うと行動の活発さ、というかワンパクに遊ぶようになると移動距離と速度が変わるからなのだ。
イメージしやすいところで言うと、生まれたばかりの新生児やハイハイ程度しかできない乳幼児、フラフラと歩くことしかできない離乳食前後の幼児はカメラで捉えるのは簡単、当たり前ながら物理的にそう動かないので撮りやすい。
しかし年中くらいに達すると知能と同時に運動能力もそこそこ向上しはじめてカメラで追うのがちょっとずつ大変になってくるのだ。
駆け回るし、ジャングルジムみたいなのに登ったりするし、キックバイクや自転車へ乗れるようになったりする。
つまり、自分の子供があまり動かない年齢ならばじっくり撮影できることが多いため、レンズにズーム機能は必要がなく、それならばお昼寝などの暗いシチュエーションでも明るく撮影できたり、背景が美しくボケるズーム機能の無い単焦点レンズを選択したほうが安上がりなのだ。親が近寄るのでズーム機能使わないからね!
逆に子供が活発に動くようになった年齢ならば様々なシチュエーションへ対応できるようにズーム機能があったほうが都合良く、ズーム機能が無い単焦点レンズだと困ることが増えてくる。
例えばサードパーティレンズとして定番のSIGMAで単焦点レンズとズームレンズの双方の販売価格を確認すると、その両方とも約5万円からライナップしているがF値と称されるどれだけ明るく写せ、そしてボケるか?という数値を見ると同価格帯では単焦点レンズの方が有利だ。
暗いことの多いお昼寝シーンやお誕生日会でケーキに灯るロウソクを吹き消すシーンなどでは明るく写せる単焦点レンズを使いたいだろう。暗かったらそもそも写らななかったりノイズが物凄く乗るわけだし。
カメラのボディ本体が約10万円からライナップされている現状を考慮すると、レンズ1本を追加で約15万円、子供の成長に合わせて利用シーンを考慮しレンズを選択することで安上がりにカメラを始められるというのはカメラ購入で失敗したくない入門者として知っておきたい情報だ。
スマホでも同様のことが出来るものの多くの人が経験しているだろうが暗い場所でスマホ動画を撮るとノイズが物凄く乗る。
それは最新のiPhoneだろうがPixelだろうがXperia、Galaxyとか関係がなく、ナイトショット機能が搭載され始めたとは言え今度は物凄くブレるのだ。
この原因はスマホカメラへ搭載されるレンズの明るさとイメージセンサーの面積にあり、最近のスマホカメラのイメージセンサーは1インチ面積を持つこともあるがレンズ交換式カメラの入門機へ採用されやすいAPS-Cサイズのイメージセンサーは1インチセンサーと比較して約1.7倍もの物理的な面積の差がある。
イメージセンサーの面積が大きいということはそれだけ受光できる面積を稼げるということであり、単位時間あたりの受光量も増やせるということだ。
それはどういうことか?と言えば、ソフトウェアや近年流行のAIが撮影データを補完する部分を少なく出来るという意味であり、ノイズというのは撮影データの補完へ失敗した粗が出た結果なので、APS-Cサイズセンサーなどを持つレンズ交換式カメラは暗い場所でも明るく綺麗に撮りやすいことへ繋がる。
ただ撮れていれば良いのであればスマホカメラでも良い。しかし子供の表情をハッキリと残し綺麗に撮りたいのであればデジイチの強みが発揮できるのだ。
綺麗に撮りたいという需要は子供の節目節目に起こるものだし、レジャーなど特別な日でも望まれることだろう。
デジイチは明るく撮れるし背景もボケてエモい動画が作れる。
何ならカメラ向けの外付けマイクとかも販売されているので発表会での合唱とかも高音質で撮れたりもする。
こういうの考えると沼になる。
カメラに目覚めた親ならば必死になるイベントの代表格である運動会や発表会。
筆者の経験から結論を示そう。
フルサイズ換算100mm前後〜450mm前後(APS-C換算70mm前後〜300mm前後)のズームレンズが最低限必要。
気をつけて欲しいのは"最低限"という部分だ。
このズームレンズの選択というのはかなり環境に依存するもので、子供が通っている保育園幼稚園学校の施設の広さによって変わってくる。
しかしながら経験則上、フルサイズ換算で100mm前後〜450mm前後未満のズームレンズじゃ絶対に倍率が足りないというのは断言できる。
スマホなんてもっての外だ。倍率足りないしブレるしデジタルズームで画質が粗くなる。
理想を言うならフルサイズ換算50mm前後〜300mm前後、フルサイズ換算150mm前後〜600mm前後をカバーできるズームレンズが2本あると幸せになれるだろう。
ただし予算がそこそこ必要なので多くの人はフルサイズ換算100mm前後〜450mm前後のズームレンズを選んでおけば何とかなる可能性が高い。
スマホやフルサイズ換算35mm前後〜50mm前後のズームレンズで何とかしようとすると間違いなく米粒のようにしか子供が写せないのでこういう機材での撮影は絶対に避けるべきだ。誰も幸せにならない。
これはカメラを始めた親ならば誰しもがぶつかる難問である。
しかしこれも筆者はある程度解決している。
伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップとキャプチャースタイルクイックリリースだ。
伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップとして代表格は「DIAGNL Ninja Camera Strap」、キャプチャースタイルクイックリリースの代表格として「PeakDesign Capture」が存在する。
ただしこれらは代表格なだけあって比較的高価な部類のカメラアクセサリーであり互換品やインスパイアされた製品が多数存在するので予算に不安があるならば互換品やインスパイア製品で良いだろう。
筆者のオススメは「HAKUBA スピードストラップ」と「FALCAM F38 Quick Release system for shoulder strap」だ。
伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップは移動するときはストラップを縮めてカメラがブラブラと振れないようにするもので、子供が急に駆け出しても対応しやしやすくなる。撮影するときはサッとストラップを伸ばして撮影へ移行できる。
キャプチャースタイルクイックリリースはカメラ本体を直ぐに三脚へ取り付けられるクイックリリースプレートを活用して身体へ身に着けられるようにしたもの。FALCAM F38 Quick Release system for shoulder strapはカメラショルダーストラップへ取り付けられるキャプチャースタイルクイックリリースで瞬時にカメラを取り出したり仕舞い込んだり出来て子供への対応が迅速に出来る。
今まで手持ちで移動したり、いちいちカメラをカバンから取り出していた親御さんが居るなら劇的に子供の対応が楽になるカメラアクセサリーなので導入を強くオススメするぞ。
カメラアクセサリーにはトップハンドルというものが存在する。形状の詳細はググってくれ。
ググった人はわかるだろうが、つまりはカメラを運び構えやすくするハンドルなのだがコレがまた子供の撮影、特に動画撮影で非常に役立つ。
スマホであっても既に子供を動画撮影した経験のある者ならばわかるだろうが、親よりも身長の低い子供を撮影する場合は中腰とならなければいけないシーンが多発する。
しかしカメラトップハンドルがあるとカメラの上部から握る形となるので腰への負担が物凄く軽減されるのだ。
たいていの人は素直に両手を下へ降ろすと手のひらは自分の膝の高さになるけれどカメラトップハンドルは手を降ろすだけで自然に膝の高さで撮影が可能となる。
いや本当にカメラトップハンドルを使ってみないと理解してもらえないのだろうけれど仰々しい見た目となる代わりに圧倒的な撮影のし易さが手に入る。
シャッターや動画撮影開始はスマホのリモートコントロールアプリかBluetoothリモコンを使うと容易に切れる。
ちなみにカメラアクセサリーとしてケージリグを導入するとカメラトップハンドルの選択肢が広がる。
まだまだ平均一般人へは普及していないと言って良い360°カメラ、事実として360°カメラの情報記録量はヤバい。
データバイト量が多いという意味ではなく、360°全周を撮影してしまうために撮影者の表情から周囲の環境まですべて画像・動画として収めるので、その場の空気感と言うか何と言うかあらゆるものが記録されるのだ。
これまでのカメラは前面の風景を撮影すると撮影者の表情なんてわからなかった。
別に360°すべてを残さなくとも良い。例えば巨大なモニュメントがあるとするだろう、巨大なモニュメントの全体像を写真として収めるにはある程度は巨大なモニュメントから離れて撮影する必要があるけれど360°カメラは全周を撮影するため通常のカメラよりも接近して撮影できてしまう。それを後からトリミングする。
例えば巨大なクリスマスツリーとか大鳥居とかシンデレラ城とか、通常のカメラを使っている他の観光客よりも近くで撮影できるのだ。近いので他の観光客が写したい風景を身体で隠してしまう可能性も低くなる。当然ながら子供と一緒に巨大なモニュメントを収められる。
動画撮影でも強い。近年の360°カメラはアクションカムとしての機能も有するため手ブレにも強く。アミューズメント施設で子供が四方へ駆け回るようなアトラクションとかでも子供を見失わず記録できてしまう。
迷路とか、四方にあるボタンを素早く押せとか、ボールがいっぱい入ってるトランポリンとか、そういうアトラクションで360°カメラによる動画撮影は本当に強い。
しかも後から欲しい範囲だけ切り出して360°じゃない動画にも出来る。子供だけを収め続けている動画とか作れるわけだ。
防水ケースへ360°カメラを納めればプールでも海でもスキー場でも活用可能で、今まで通常のカメラでは撮影しにくかった環境や固定された画角では収めにくかった環境でも思い出の記録が可能なので360°カメラの登場は本当にカメラに於いてのテクノロジカル・シンギュラリティと言って差し支えないと思われる。
それが学校の発表会なのか、友人との遊びなのか、結婚式なのかわからないが、いつかそんなことを言い始める日が来るのかもなと考えて日々撮りためている。
生後1日目から出せる、笑った顔も泣いた顔も、成功したときも失敗したときも出せる。
99.999%が親のエゴでやってることだけれど、それでもいつかもしかしたらと子供が言い出す日を今か今かと思って待っている。
最後に女に触れたのは、2019年の12月24日、忘年会の流れで風俗に行ったきり。
だけど、それはそれでなんともない。
あれだけメリークリ〇リスなどとのたまって嬢をク〇ニしまくってたのに、なきゃないでどうにでもなる。
あと数時間もすれば、世の恋人やただの肉体関係だけの異性同性たちが
互いの凹凸や凹凹や凸凸を舐めて舐められて擦りつけて刺激しあう時間が始まる。
だけど自分はそれがなくてもなんともない。
4,000円以上もする独りで食べる用ホールケーキを買ってきた。
それに今、ロウソクを立ててる。
前まではチ〇ポ勃ててたのにね。
では、こんな時だって言うのにこんなクソサイト見るしかやることがない皆さんたちへ、
メリー苦しみマス♪
俺の田舎にロシアのテーマパークがあって、それの思い出がとてもきらきらしいのに何で今こんなことになっちまってるんだろうという懐古話だ。
ググればWikipediaは出てくるが、写真が既に潰れたあとの廃墟画像でしかない。
でもあそこはとてもきれいな、光り輝くような場所だった。少なくとも俺の脳内では。
新潟なんて、特に冬は、毎日たいていどんより暗い。雪降るし雨降るしみぞれも降る。
関東から嫁いできた俺の母親は俺の幼少期のころからうんざりしていたようで未だに愚痴る。晴れの日が本当に少ない、寒くて暗くて気が滅入ると。
でもロシア村ではそれが反転する。
あそこでは雪が降ってる方がいい。明かりをたくさん灯すので、暗い方が映える。暗い中に白いものが舞っているのが照らされて見えるのも美しいが、施設そのものがとてもきらきらしく作られていたので明かりが灯るとそこらじゅう何もかもが輝き出しているように見えた。
教会のあのタマネギみたいなかたちの屋根、ステンドグラス、当時の俺の身長の何倍くらいあったのか、大人でも見上げるような高さの大きなクリスマスツリーに飾られた玉飾り。
反射された光が雪の地面に落ちて、なお光っている、その光景。
ロシアの伝統衣装で着飾った、完全にスラブ系の顔立ちのスタッフたち。
明るく照らされた館内に敷かれていたカーペット。
土産物のマトリョーシカの、俺の小指の一関節分くらいしかない一番小さいやつに至るまでに手描きで施された繊細な模様。
全部、とても、きらきらして綺麗だった。
ハスキー犬かひょっとしてマラミュートだったのか、でかい犬が何頭か飼われていて犬ぞり体験とかやっていた。乗りたかったが乗れなかった。時間がなくてだったか、それとも犬ぞりやるには雪が足らなかったんだったか。
マトリョーシカと、あとサンタクロースのガラス細工を買ったはずだ。ロシアのサンタは青いのだと紹介されてて、青いサンタのガラスの人形を買ったはず。深い濃い青のサンタ。どこ行っちまったかなあれは。
それと、アライグマの尻尾のついた、毛皮の帽子。子どもに買い与えられたものだから流石にマジモンの毛皮ではなかったはずだが、いかにもそれっぽいかたちの、そして実際ちゃんと暖かい帽子。めちゃめちゃ気に入って何年かかぶっていた。本物の毛皮のマフとかも売っていて、とても手触りが良かった。
あとなんか、キャビアとか食べた気がする。三代珍味だつって親が食わしてくれたのだが、そもそも当時えらい偏食だった俺には何がそんなに評価されている旨さなのかよくわからなかった。あんまりしょっぱくもなくて、なんかこう、変な味だったような、「なんじゃこりゃ」ってなった記憶だけがある。ボルシチも食べたんだろうが、ちょっと変わったビーフシチューみたいな感じだったような。あんまり記憶にない。
記憶にあるのは子ども3人連れでヘトヘトで食堂の長椅子(俺の向かい)に腰掛け、子どもに何か食わせながら父を待っている厚着した母親。
あとはとにかく、きらきらしてきれいな建物と土産物屋とスタッフたちの姿ばかりだ。
寒くても暗くても何も気にならなかった。毛皮は暖かく、建物は照らされ、ステンドグラスは色とりどりで輝くようだった。
電気の明かりも当然あったが雰囲気出すためかガチのロウソクも随所にけっこうあって、その小さな火の灯りがものを照らすさまが美しかった。
Wikipediaの写真は閉園後の廃墟だし、検索キーワードのサジェストは心霊がどうのこうのとかだし、今のロシアとくりゃご覧の有り様だが、
俺にとっては寒くて薄暗い中できらきら輝いている、青いサンタとアライグマの尻尾の帽子の国だったんだ。
どうしてこんなことになっちまったんだろう。
いつのまにかトイレの日ということになっていました。これが非常に不愉快なのでやめさせたいのです。
あと1週間後です。おそらくいくつかのマスコミがイベントごととして報じるでしょう。毎年嫌な気分になります。
これに同意して頂ける11月10日生まれの人や、子供、友人などが誕生日の方はぜひこの記事をブックマーク、拡散して欲しいと思います。
こういうことを書くとそれ自体がこの日をアピールしてしまうことになりとても嫌なのですが、どこかで書かないとずっとこの嫌なことが続いてしまうのです。
11月10日をイイ(11)トイレ(10)? 全然合っていない。イイは11月全てに当てはまるので11月中のいろんな日が〇〇の日とされていますが、
ゴロを合わすなら10月10日とか10月11日とかでいいだろと思うのですが、これも誰かの誕生日なのでそもそもトイレの日を作ること自体が問題です。
作ったとしてもマスコミを使ってアピールしないでいただきたい。
想像できるでしょうか、こどものお誕生日を祝ってケーキのロウソクに火をつけている横で、テレビが「今日はトイレの日です」なんて言っている場面を。
中には「トイレの日でもいいじゃないか。トイレは大切なもんだぞ。」と思う方もいると思います。
確かに大切です。でもそれは、トイレというものがもともとネガティブなものと思われているからこそ、それを見直そうという意識が美化されているのではないでしょうか。
ただ単に、普通に大切なものというのはわざわざ見直す日をアピールしたりはしません。
「お風呂の日」とか「ベッドの日」というのがあるのかどうかわかりませんが、あったとしてもそれをわざわざアピールはしないでしょう。
トイレの日というのは、ちょっと触れにくいものにあえて触れることで他の記念日にはないアピール性を持ちます。
ひどい例かもしれませんが、障碍者の自虐ギャグや小人プロレスのようなものです。こういったものを認めようという動きはありますが、
トイレの日が特にひどいのは、これをなんの関係もない11月10日生まれにかぶせてきているからです。
上記のようにゴロもあっていないし過去に大きな出来事があった日というわけでもありません。
しかし日本では「一般社団法人 日本トイレ協会」というところが勝手にトイレの日を作り、マスコミを使ってアピールしているわけです。
別にトイレをアピールするのはかまいませんが、やりたいなら人に迷惑をかけないでやってください。
自分たちだけで「俺はトイレマンだ」と言ってトイレのコスプレでもやっていてください。
いや、結構まじめな団体っぽいので、活動自体はかまわないのですが、人の誕生日を勝手にトイレの日にするのをやめてください。
団体としてはまじめなアピールなのでしょうが、マスコミはおそらくちょっと変な日だからネタにできると思っておもしろがって取り上げているのでしょう。
かなり本気で精神的被害を受けていますので、今年の状況を見つつ集団損害賠償訴訟も視野に入れています。
これをアピールしたマスコミなどもこの対象です。多くの方を傷つけています。
え、なになになに?なんなの?改まって。電話で呼ばれたからお前んち来たけどさ。とりあえず部屋に入れって?なんなのよ、もう。とりあえず入るわ。
えっ!?何?なんでこんなに人がたくさんいるの?え?誕生日おめでとう!?うわっクラッカーの音すごい。てかすごい飾り付けじゃん。マジすごい。いや確かに俺今日誕生日だけどさ、いや、え、なんなの、サプライズ?いやーびっくりした。マジで。
え、なにこの箱?プレゼント!?いやー悪いってこんなの。俺なんにもやってないし。まあとりあえず開けてみろって?じゃあ開けるよ?…え、これ、Nintendo Switchじゃん!有機ELの最新型!これ高いよ!?みんなで出しあって買った?てなんで俺がこれ欲しがってるの知ってたんだよ?すごいな。いやーマジで嬉しいけど、もらっちゃっていいのか。
って電気消えたぞ?停電か?あ、なんか光ってる。えっこれ、ケーキ!?なんか俺の顔のデザインになってない?特注?いや、まじで泣くから。ハッピーバースデー歌うのやめてくれ。マジでやばい。
とりえあえずロウソクの火消せって?じゃあ、消すよ?フーッ。『増田くん、誕生日おめでとう!!』いや、まじで泣くから。拍手やめてくれ。この歳で人前で泣くの恥ずかしいよ。涙で前が見えない。ありがとう、みんな。ありがとう…
今日帰ったらこんなことが待っているに違いない。ただ念のため、一人用のケーキも買って帰るわ。
【追記】
お祝いありがとう😭
帰ってきたら増田やブコメのみんながサプライズで祝ってくれてて、嬉しかったよ。
ケーキも美味しいわ。みんなにも幸あれ。
Yahooの検索履歴。わざわざ調べるような事ではないとは思うけど、つい調べてしまった。
人に聞くよりはマシだと思った。もちろん記念すべき第一回目の誕生日では、そんな事は気にも止めなかった。自分が欠陥人間になってしまったのは、多分記念すべき第14回目の誕生日ぐらいからだろうか。それまでは、一年に一度訪れる、いつもとは違う特別な日という印象。食卓のド真ん中に陣取るホールケーキと、それを取り囲む家族の嬉しそうな顔。それを見るだけで、その日が訪れるのを何日も前から心待ちにしたし、歳の数だけロウソクを吹き消すという行為にも、何の疑問も持たずに全力でやる事が出来た。元凶はSNSだ。僕が中学生になると、Twitterやらmixiやらと、あれよあれよという間にSNSが発展した。それに伴い、自動的に他人の誕生日を知るようになった。今までは仲の良い友達4、5人程度の誕生日しか知らなかったのが、この突如現れた黒船によって、まだあだ名で呼ぶかどうかの瀬戸際にいる人達の誕生日まで分かるようになったのだ。そしてその度に祝う。自分が祝われたいから、祝う。これは戦闘力だ。誕生日にどれだけ多くの人から反応してもらえるかで、その人の戦闘力が表示されるようになったのだ。健全なる少年少女の内側に秘めていた『有名人になりたい症候群』を目覚めさせてしまった。そこからは地獄だった。(そんなゆるい地獄はないが)そして僕はその承認欲求のレースから早々と脱落した。ある時、ふと思ってしまった。『疲れた』そこからは早かった。『誕生日 祝う 理由』簡潔な疑問。『そもそも人の誕生日って、そんなにめでたい事か?』欠陥人間の産まれた日。
誕生日を迎えた朝、鏡で自分の顔を見る。昨日と全く一緒だった。全身を眺める。何も変わってない。人間はゆっくりと変化する。『背伸びだね』『声低くなったね』久しぶりに会う友達にそう言われて、初めて自分が変わった事に気付く。異性だと、7割増しで誇らしい。5歳になると額からツノが生えて、10歳になると背中から羽が生えるのなら、俺は今誕生日を迎えたんだなと実感する事が出来た。自分が何か明確にレベルアップした要素がないのに、年を一つ重ねてもワクワクしない。例えば、初めてハイハイ出来るようになったとか、初めて言葉が喋れるようになったとか、昨日の自分とは何か違う要素が一つでもあれば、腑に落ちるし、それを祝う理由も分かるのだ。誕生日は、自分からその事を言わなければ、誰からも気付かれることはない。自己申告なのだ。『もしかして今日誕生日でしょ?』と聞かれても、それは完全なる勘だ。一か八かで言ってみただけだ。
更に誕生日は一年に一度、生きてさえいれば確実に訪れる。それはこの世に生きる全ての人のスケジュールに刻み込まれているものだ。全員に訪れるものならば、それはもう当たり前の出来事だ。もちろん当たり前じゃない人もいる。産まれながらにして、余命宣告を受ける人も中にはいる。でもそれは少数だ。大多数の人は、何事も無く歳をとる。例えば今が戦時中で、若者の死亡率が50%を上回ってるなら、誕生日が特別なものだと感じる。現代の日本は平和で、不運な事故にでも遭わない限り、生き続ける事は出来る。勿論それはとても幸せな事だ。幸せな事ではあるが、一般的に考えると普通のことだ。100歳からだ。僕の中では、特別感が産まれるのは100歳の誕生日からなのだ。その時だけは『おお、凄えな』となる。長々と説明してきたが、もちろんこれは僕が勝手にそう思ってるだけで、今まさに誕生日を迎えて盛り上がってる家庭にお邪魔して『そんな事する必要あります?』なんて場を白けさせるつもりはない。でも100歳からなのだ。俺は100歳まで生き続ける。そしてその時が来たら、近所中に自慢する。自己申告する。俺の生命力を声高々に。祝え、祝え。100年間我慢したんだ。今日だけは祝え。
A「♪ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー」
B「……」
B「何回おなじとこ繰り返すんだお前、保留中かよ」
A「いや、どうにもタイミングが難しくてな」
B「言うてもう三回目やぞ、早くディアれよ」
A「まあとにかく誕生日おめでとう、B」
B「おう、とりあえずありがとう」
A「お前がよろこぶと思ってな、ケーキも買っておいたぞ」
B「あ、それはマジでありがたいな」
B「なんで横向きなんだよ! 奴隷が回すやつみたいなビジュアルになってんじゃねーか!」
A「それじゃBはタテ派か。見かけによらず」
B「そんなに横好きなビジュアルしてるか、俺?」
A「言われてみれば確かに、ワンダースワンもタテ向きに持ってそうな顔してるもんな」
A「さあさ、時間もアレだし、ローソクをキューッといっちゃってよ」
B「フーッってやらせろよ、一杯引っ掛けるんじゃあるまいし。まあいいや、フーッ」
A「おめでとー!!!!……あ、一本残ったな。肺活量イワシ並かよお前」
B「肺ないぞイワシ」
A「まあいいや、それじゃあ今日はここまでにして続きは明日やろうな」
B「誰がやるか、もうええわ」
レゴを使ったストップモーションの映像と、ファミコンのようなサウンドのBGM。こんな映像作品を、Youtubeで見かけたことがないだろうか。
「Rymdreglage - 8-bit trip」ーhttps://www.youtube.com/watch?v=4qsWFFuYZYI
この映像を作ったのはスウェーデンの二人組バンド、Rymdreglage。音楽と映像とゲームをこよなく愛する彼らが送り出す素晴らしい作品群は、彼らのYoutubeチャンネルにて鑑賞することができる。
彼らの作品は度々メディアに取り上げられるものの、日本語ではもちろん英語でも彼らにまつわる情報が出てこないため、かなりマイナーな存在だ。しかし、恐ろしいほどに手間がかけられた映像と音楽は、メジャーにはなりえないかもしれないけれど、誰かの心に深く刺さるかもしれない。このまま人の目に触れないのはあまりにも惜しく感じるので、勝手ながら、場末のネットコミュニティで彼らの作品を紹介することにした。
Terminator 2 - 20 years ( July 3 1991 - July 3 2011)ーhttps://www.youtube.com/watch?v=a4mWyeVitNQ
ターミネーター2の20週年を記念し作成された作品。Eテレの番組「テクネ 映像の教室」にて取り上げられた作品でもある。色付きの画用紙にターミネーター2の名場面が描かれ、溶け落ちるロウソクと積み上がる紙くずが途方もない時間を演出している。
Rymdreglage - Insert Coinーhttps://www.youtube.com/watch?v=0sNxRji1STg
アーケードゲームを題材にした作品。コインがヌルヌル動く映像を演出する様は圧巻。Rymdreglageの、ゲームへの愛に溢れる作品となっている。
Rymdreglage_Kallbrand ー https://www.youtube.com/watch?v=QcvnDNPbsOo
Rymdreglage_Kallbrand_inst ー https://www.youtube.com/watch?v=plGRtq6jVF8
80年代の様々なゲーム映像をレゴブロックで表現した作品。もしかしたら、あなたが昔遊んだことのあるゲームもあるかもしれない。本家とインストで2種類の動画が公開されているが、どちらも別の映像となっており非常に手が込んでいる。
その他にも、ユニークで面白い作品はたくさんある。よかった見てみてほしい。
Rymdreglage - Respawn ー https://www.youtube.com/watch?v=nhJj13iChCk
Rymdreglage - Old days ー https://www.youtube.com/watch?v=ohlQczU45SA
また、彼らの音楽作品はAmazonミュージックやSpotifyなどで絶賛配信中だ。
Rymdreglage公式サイトーhttps://www.rymdreglage.se/
そう呟いたのは多分六年前だか五年前だったかと思う。その時俺達は喫茶店で、世の中の悪が何かについて話していた。
その場には男の先輩が一人と女の子の後輩が二人いて、先輩は「知ってる」とぽつり。女の子二人は「しらなーい」とぽつり。
勿論、俺と先輩はその話を掘り下げたりせずに、穏当に元の話題の路線へと戻り、「やっぱ世の中気を付けて生きなきゃだめよ」みたいなことを言っていた。女の子二人はケラケラと笑っていた。
◇
何で今更になってこんなことを思い出したかというと、当時テーブルを囲んでいた後輩の女の子が先輩と付き合って、破綻して、今朝がたtwitterで僕を含めた当時の関係者に対しての呪詛を書き連ねていたからである。
多分こういうのは、よくある話なのだろう。勿論僕はその後輩に横恋慕していて、そして二人の関係とか、あるいは時折後輩の見せる刺すような発言と態度に傷を負ったりしながら生きてきたのだけれど、そんなことは些事である。一々考えるようなことじゃない。
ともかく、今僕がこの文章を書いているのは、後輩の女の子が僕と先輩を含む当時の関係者にSNSで呪詛を連ねているところを見たからである。
その呪詛がどんなものだったかというと、彼女曰く、「悪を糾弾できない存在も悪だ」、とのことであった。
つまり、彼女はこう言っているわけである。当時、破壊的性向を持っていた先輩のことを僕を含む関係者は止めることができなかったし、そして、物事が落ち着くべき位置に落ち着いてなお、僕を含めた関係者は先輩のことを表立って糾弾したりするでもなく、あるいは罰したりするでもなく、淡々と日々を送っているのだと。つまり、先輩が悪であると同時に、先輩を裁くことなく静観していた、僕を含めた関係者もまた悪なのだと。
全く以てその通りだと思う。僕は悪の片棒を担いでいるのだ。物事を正しく裁こうとなど決してしなかったのである。
一応、僕は見知っている後輩らが先輩に対して好奇心なり何なりを持っているのを見咎めると、「先輩は悪人だから近付かない方がいいよ」と度々言及していた。(「悪」の具体的な内容についてはここでは伏せるが)
とは言え、一見インテリジェントで気が利いて、かつある分野において顕著な業績を収めた人物である先輩に対して、後輩たちは僕の忠告をあまり深刻には受け止めなかった。あまり僕の忠告は功を奏さなかった。後輩たちの中には、今でも先輩に連絡を取り続けている子もいるようである。まあ、それはそれで良いのだと思う。僕は別に彼女たちを悪し様に思っていないどころか、先輩にだって悪感情を持っていない。彼女たちはそれなりに幸せそうであるし、今でさえ僕は先輩と時々食事をしたり、ボードゲームに現を抜かしたりしている。
◇
スナッフフィルムについてご存知だろうか?
それは、快楽を目的とした殺人行為を撮影した映像作品のことを指している。特に、商業的意図を以て撮影されたものを指す。スナッフという言葉は、「ロウソクを吹き消す」という意味を持つ動詞であり、同時に「殺人」のスラングでもある。
勿論僕も現物を見たことはない。そもそも、「スナッフフィルムは単なる都市伝説で、実在しない」という論も根強い。
ただ僕は、二十年近く前にアングラサイトで「衝撃! 少女が公園で殺害される映像! 購入は以下のアドレスで!」的な宣伝がされていたのを見たことはある。そのサイトによれば、外国人の少女は公園で刺殺され内臓を引きずり出された後に、ガソリンによって燃やされるとのことであった。そういう宣伝を実際に目撃した人間からすると、スナッフフィルムは実在するという立場から主張するほかない。
(また、中東やロシアでの拷問や処刑の映像も広義のスナッフフィルムとみなすことができると思う)
スナッフフィルムにおいて撮影されるのは、主に少年少女である。
主なスナッフフィルムの内容は、少年少女に麻薬を与え、性的に高揚させた後で凌辱し、その後に殺害する、といったものであるそうだ。僕もよく知らない。正直この知識は既存の創作物から得たものなので、信憑性においては幾分問題があるかもしれない。
いずれにせよ、仮にスナッフフィルムが伝聞の通りに存在するのであれば、それはこの世の悪を煮詰めた存在であると思う。
それは、恐らくそれを求める人間が存在し、また、それを供給し得る人間が存在しているからだと思う。仮に、ある人物が何かを要求し、その対価としての金銭を十分に示せるとして、何者かがその要求された何かを提供できるとすれば、多くの場合そこには商業的取引が実現してしまう。可能な物事が、不可能であり続けることは難しいのである。マーフィーの法則を引くまでもない。
つまり、そのような商業的なやり取りは、人の意志を超えてしまうのだ。それが可能である限りで実現してしまう事柄に、人の意志は関係ない。そこにはある種のシステムが構築されてしまうのである。
そのようなシステムに根差しているのは、明らかに人間の欲望と暴力である。人間にとってのある種の欲望と暴力が可能である時、そこにはシステムが出来上がる。システムは、金銭と欲望達成を媒介に、暴力的に成立する。そして、人の意志とは関係なくそのシステムは自己増殖し、その体系をより確固たる存在へと変えていく。
「人々が欲望し、かつ金銭的対価を支払える事柄は、それが不可能でない限り実現する」これが、欲望と暴力のシステムにおける定言命法である。そこでは人の意志に関わらず淡々と物事が実現する。一度実現したシステムは、当事者の意志で止めることはできない。金銭を媒介に、システムは機能し続ける。
というわけで、世の中にはいわゆる悪が蔓延ることになるわけである。勿論、繰り返すようにスナッフフィルムの存在は都市伝説に過ぎない。「スナッフ」と銘打たれて販売された商品の多くが、作り物であるとも言われる。しかし、僕は「スナッフフィルムは都市伝説に過ぎない」という発言に対して、どうしても疑義を覚えてしまうのである。そう、人の意志とは関係なく機能するシステムが世の中には既に構築されており、そのシステムの内部においては、可能である事柄はすなわち実現するのである。そういった原則を振り返った時に、快楽としての殺人が不可能であると断じることが僕にはできなくなってしまうのだ。
まあいい。とにかく、世界においては、可能である限りで、そしてそこに人の欲望が存在し、金銭的な対価を示せる限りで、ある種の悪や暴力が必然的に実現してしまうという、悍ましいシステムができている。我々は、そのようなシステムに向き合わなければならない。そのようなシステムを糾弾し、ハックしなければならない。その在り方を上手く変更せねばならない、はずだ。
とは言えそのような決意が実現されることは稀である。何故だろう? 我々は多くの場合悪を放置し、看過するしかないのである。それが不可能であるからだろうか? 我々に内在する欲望を媒介に機能するシステムを、我々自身が変更し、打破しようとする行為は、そもそも自己矛盾的だからだろうか? よく分からない。
いずれにせよ、自身の欲望に根差したシステムに変更を加える行為は、決して簡単ではない。我々は、そのような欲望と暴力のシステムをどうしても看過せざるを得ない。
それは、スナッフフィルムに限った話ではない。ある種の極度に暴力的なコンテンツに限った話ではない。我々の身近には、その手のシステムが息づいている。我々は、日常的に、そのようなシステムに触れることになる。我々は暴力と欲望に根差したシステムに、普段から関与し、触れることになる。
例えば、不均衡なコミュニケーションもそれだ。一方の話者の力関係が他方の話者に優越しすぎたコミュニケーションは、暴力的な影絵を描く。そこには権力の不均衡が生じ、そして暴力と欲望充足を生じさせることになる。そのようなシステムが我々の日常では機能しているし、何なら我々はそのようなシステムに組み込まれている。
例えばそれは企業と個人の力関係においてそうであるし、あるいはある種の閉じたコミュニティにおいてもそうである。そのような力関係において、いわゆる弱者が欲望充足の手段とされることは珍しくない。我々の身近に、そのようなシステムは往々にして存在している。
我々はそれを看過しながらに生きている。あるいは、そのシステムを自身の一部として受け入れながらに生きている。
何故なのだろう?
週5は仕事仕事仕事仕事 ハゲんじゃない?ってくらい詰められたりする
酒飲まんとやってらんねえのでひとりで飲みに行ったり一人で飲んだり
飲んだら太るからジム飲んだら太るからジム滑車回してるハムスターみたいな毎日だねハムたろ?
服にもコスメにも食事にも家にも好きなものを好きなだけ買ったりしてきたけどお家からっぽなんもない
酒ならあるよみんなおいでってよく呼ぶけど帰っちゃうと寂しい
あとロボット掃除機と同棲してる 名前つけてるけど呼んだことない
おされなロウソクつけてもアロマ炊いても咳しても独り ゲップしても独り
うしみつ行くやつ流行り物好きなだけ
そもそもそんな年収でうpしてる飲食店毎日いけないでしょぷぷーってね
趣味は?って酒だよおつかれ
こうなると顔可愛い女子じゃない限り女でいるメリット対してないな
あーあつまんないな
まずは興味の差かな。
理工系全然わかんなかったし、数学もずっと20点くらいしか取れなかった。
機能追加とかバグ修正とかしても、記憶力が低すぎて今どこをいじってるのか覚えてられない。
途中で分かれ道(IFとか)出てくると、イチかバチかでどっちかいじって進めてた。
これはハロワの職業適性検査でわかったことだけど、能力が言語と書記能力以外壊滅的に弱かった。
数学はもちろん、空間把握能力(地図を読む力)、形態知覚(ものの形を読み取る力、展開図とか)も、手先の器用さとかも。
でも圧倒的にエンジニアが向いてない!ってんでなければ絶対にエンジニアやったほうがいいよ。
無職かライターかって究極の選択ぐらいでしか選ばないほうがいい。
ウィッチャーエンドになった
太陽の石クエストの古代の地下墓地が。フィリパと別れた後すげー迷った
エルフが呪いかかってた醜い怪物をケイアモルヘンにつれてくムービーでアプリが落ちた
ラスボスと戦う途中で1,2割体力削ったら次の場所に移動して戦うはずなのにそのイベントが起きないバグもあった
アイテム拾いたいのにロウソクをつけたりけしたりするアクションが最初から最後までうざかった
完全に意味ないし ロウソク付けたら宝がみえるようになるとかもないし ただの宝拾いの邪魔でしかない
華麗にステップしてよけて斬りつける、ができないからホントストレス
せっかくステップして敵の死角に移動しても、斬りつけるときに無駄にくるりんと回転してきるっつーモーションが入るせいで敵が体勢立て直しちゃう
ロードもクソ長いし
思ったように操作できない
オープンワールドっていうけどいけるとこいけないとこの管理甘くてそこちょっとのりこえればいけるだろとかそういうのができない
それなのに回転回避するだけで衛兵がおってくる 剣ぬいてない 眼の前で前回りしただけなのに
専門用語とか多くてまともにストーリー追ったり本とかの用語辞典を読む気にならない
まあお話としてはそれが正しいんだろう 作中キャラは当然のようにわかってるから用語説明とかあったらおかしいし
入れないドアも多いし