はてなキーワード: 感情表現とは
相手が黙っていたり、うつむいたり、急におとなしくなって微妙な表情になったりすることを、
「本当は性的に興奮しているけど恥ずかしがっておとなしくなった」と解釈する。
「おとなしくなった理由を、恥ずかしがっているか、気持ち悪くて怖くて硬直しているか、察しろ」
というふうに要求する。
女性にも表情を読めない障害者はいて、女性の性欲が弱いせいで性暴行やセクハラなどしてないだけ。
相手が聞くのにうんざりしているのに、長時間一方的に自分の話をまくしたてるのをやめない女性はいるけど、
それを男性版にすると性暴行・セクハラになってしまうということ。
相手が嫌がっているのに、その表情が読めずに、相手が嫌なことを長時間続けたりエスカレートしてしまう障害者は存在する。
そういう障害者が2割くらいいることを受け入れて、健常者側が「やめてください」という表明をできるようになったほうがいいと思う。
女性側は、気になる男性がいたら、察して欲しそうにするのではなくて自分から声をかけたほうがいいし、
アプローチを受けて嬉しいと思ったら、それも察してもらおうとするのではなく、はっきりと表明したほうがいいと思う。
恥ずかしそうにもじもじして察してもらおうとする女性が多いと、
表情が読めない人たちが「黙っているとき、恥ずかしがって喜んでいる可能性がある」と解釈して、それが性暴行に繋がる可能性がある。
だから、黙っているときはたいてい「怖くて気持ち悪くて拒絶している」と分かりやすくしてあげる必要があると思う。
それが「ユニバーサルデザイン」「フールプルーフ」的な感情表現だと思うんだよね。
物語の中には事実も虚構もあった。けれど、数学や歴史の教科書には事実しかなかった。
会話で自分を表現する方法を知らなかった私は、文章に頼ることにした。最初は散文的な詩しか書けなかった。
友人と競うように本を読み漁り、図書室にある本全てを理解しようとする勢いだった。
そんな友人は早稲田へ進学していった。
大学に入学すると文系だった私は他人の模倣で小説を書くようになった。世の中には感情表現豊かな美文が溢れていて、真似したいと思った。何なら、作品を生み出したいと思った。時には、破天荒な恋愛物語を。
狂しい程の人間関係や苦悩を描いた。
その頃漸く、難しいと思っていた新聞も読めるようになった。
社会では数字がメインで、何なら残業時間が全ての評価の指標だった。「私、本とか読まないんだよね。自己啓発書や漫画なら読むんだけど」と嘲笑う同僚、先輩。
文化や価値観の異なる人脈を得てからは、次第に活字から離れるようになった。それでも、図書館へ行きたい思いは常に抱えていた。
心躍るような英雄譚を、癒やしや共感を得られるような他人の人生を欲していた。
本なくしては、自分の生活は成り立たない。表現なしには生きていけない。なのに何故生きようとすればするほどに書籍から離れていくのだろう。
早稲田へ進学した友人は子供を生み地方の人間関係から疎遠になった。彼女の引き出した私の「本の虫」という性質は徐々に消えていく。今や、正しい日本語を使えているという自信すら無い。
それは彼女が側にいないからではなく元来の自分に戻っただけなのである。過去の残滓を拾い集めても、あの頃の輝きには届かない。
Vtuberのアバターに100個の細かな感情表現を求めてはないよ。
けど、全く動かない立ち絵より、表情をトラッキングして動くアバターの方があればより感情をくみ取りやすいと思う。
GIFで決まった表情パターンをつけてる人も見たことあるけど、あれは声(感情)と表情がほとんど乖離している印象だった。
もし動画内で声や会話の流れがなく、アバターの表情だけ見せられたら、さすがに「笑ってるな」と「無表情だな」ぐらいにしか分からないんじゃないかとは思う。
いつも見てるVtuberには普段から全く笑わず、アバターがほとんど動かない人がいるけど、たまーに笑ったりした時に動く表情に良さを感じることもある。
顔出ししてない日にコメントで「顔出してくれ」って顔出しを求められるのと、表情をトラッキングして動くアバターに求められてるものって同じじゃなかろうか。
これさ、男の性質のせいだと思われてるみたいだけど、日本とかアジアの一部地域の男がそうなだけじゃないの?
観測範囲の外人男、バトルは好きだけど人間関係大好きだしお喋りだし感情表現ハッキリするし、女より人間好きお喋り好きなんじゃないかみたいな奴多いぞ
言語能力の発達が遅くて、女の子は幼稚園小学校と話をさせるトレーニングが行われてるけど男は女に合わせた段階ではまだ同じことができないから
発達段階に応じた会話トレーニングをされなくて、そのまま受験勉強と仕事を課されるので取り残されてるだけだと思う
外国の高校生男子とよく話すけど、同年代の日本男子よりかなーーーりまともにコミュニケーションできるよ
日本高校男子が不貞腐れてゲームしながら「今ゲームしてるからうるさい」って言ってる横で海外男子は「ママはいつも忙しいから休んでいいんだよ、僕が家事するから」って言ってるし(同い年)
日本男子に話しかけてもゲームの話する以外はイキってるだけか無言(根はいい子)みたいなのばっかりだけど、海外男子は適度に他人に話題を振るし、話しかけるし、他人を気遣うし、人好きでお喋り好きだし、自己開示して意見を言えるし、根だけじゃなくて振る舞いもいい子
こんなのめっちゃ見るで?
若い男は喋んないのがカッコいいみたいな文化が日本にはあるのかな?シャイなだけならいいんだけど、他人に優しい振る舞いをして喋るのは女だけ、男はしないのがかっこいいみたいなのはなんか全然意味わからんし違うと思うで?
優しい振る舞いができなくて気が利かなくてお喋りする能力が低いだけや
別にああいう内容の質問をする事自体にどうこういうつもりは無い
ただあの質問に対して元日本兵の爺さんが「米兵を殺してスカッとした! もっと米兵を殺してやりたかった!」とか答えてたら、それを放送できたのか気になってる
ぶっちゃけそういう人も一定数居たとは思うし、でもそう思ってたとしても今の世の中では率直にそんな話を口にはできないよね
謝罪や後悔といった感情表現しかできない世間の圧力的な物があって、それを背景にした質問ではあると思うんだよな
質問の内容ではなく、質問した側とされた側の力関係がフェアじゃないと思うんだ
櫻井翔にその自覚は無いだろうし、その事に対して責任があるとは思わない
ただ大野智に「大麻使ってどんな気分でしたか?」って質問できるか? というとまあ無理だと思うんだ
なのに元日本兵の爺さんに対してはああいう質問できちゃう、それを放送できちゃう構造にアンフェアなところはあるよなと思う
世の中的にはアンフェアでも構わないという事になるんだろうけどね
同じ監督が手がけた「イブの時間」でもSF考証はかなりいい加減だぞ
その世界のアンドロイドは外見は人間そっくりだけどまだまだ反応が機械的で感情表現もほぼ皆無、また頭上に天使の輪のようなホログラムが必ず表示されているんだけど、実はその気になればもっと人間的な言動が可能だしホログラムもその気になればいつでも消せるけど、アンドロイド達は人間達に配慮して自主的に機械っぽく振る舞っているという設定で、あの世界のアンドロイドの安全基準どうなっとんねんとひたすらツッコミ入れながら見た記憶がある
しかも見た目人間そっくりなタイプが主流なのに、そんなアンドロイドを人間のように扱う行為を揶揄する空気があって、それがあたかも社会問題であるかのように扱われているのも変だろと
私は基本的にはまったく「怒る」ということはしないのだが、でも、教育上、「怒り」はある程度は必要だと思っている人間である。なぜなら言語やロジックが分からない人間に対しては非常に有効なコミュニケーションの手段だからだ。(今回の「怒る」は大声で怒鳴る怒りを指してる。) あと、自分の考えを纏めながら書いているので、少々読みにくい文章になるかもしれない。怒らず、ご容赦頂きたい。(私なりのジョークである。)
例えば、ある人間が危機的状況に陥いったとしよう。たとえば、小さい子どもが火の中に手を入れようとしたり、道路に飛び出しそうになったりしたとしよう。そのとき咄嗟に大声で「ダメ!」と言ったとしても、それはその危機的状況から救うための「怒り」である。また、こういう危機的状況の陥いるとき、本人はなにかに夢中(たとえば、ボール遊びに夢中で道路に飛び出しそうになったとか)で危機に気づいてなかったりする場合が多く、そういった子どもに、普通に話しかけても聞かないことも多い。なにかに没頭している子どもを気づかせるために「怒り」をつかうのだ。そうすると、子どもは静止する。
では「怒り」の相手が大人だとどうだろう?正直、子どもが相手よりかは、「怒り」の必要性がそこまでないと思う。なぜなら、相手は話せばわかるし、論理も通じる場合が多い。だから正直「怒り」が必要な場面があまり思い浮かばないことが多いだろう。アンガーマネジメントをしっかり行なうべき状況が多いように感じる。しかし、その怒る状況が思い浮かばないからといって、私は基本的に「怒り」は必要ないと言い切ってしまうのも恐ろしさを感じる。やはり、「怒るべき」ときに適切に怒るべきでなのだ。ある程度の感情表現は必要だと思うからだ。
また、しかしながら、大人であっても相手がやはり「言葉」や「論理」が全くつたわらない人間であって、または、相手を救う状況の「怒り」は存在するように私は思う。例えば、部下が客先でミスを犯したとしよう。それで上司が「なんてことをやったんだ!」みたいな「怒り」を表現したとしよう。そうすると、クライアントが「まぁまぁ、そんな部下もがんばってるんですよ」とフォローをする。そのような茶番だが、でも結果的に、部下を救っている。ただし、このような場合であっても「怒り」でなくても部下を救う手立ては他にもあっただろう。ただ、沢山ある選択肢の中で、「怒り」選んでいることは尊重するべきだ。
あと、「危機的状況」を救うための「怒り」もよくよく考えたら、工事現場のおっちゃんも怒鳴るのが多いように思うのは、おそらく本当にミスったら死に直結することが多いからだろう。論理的になぜ「ダメ」というのを説明して辞めてもらうより、直感的に「ダメなこと」を覚えてもらう、体に覚えこませる方法だ。論理的に考えさせると、手遅れパターンだ。その場合は、「怒り」は有効な手段である。その場合は、なぜダメかよりも、とりあえず、「ダメな行為」を覚えこませるために怒鳴るのだ。工事現場のおっちゃんの偏見が入っているが、しかし、工事現場以外にも、論理的に考えたら作業的に遅れる場合、「怒り」を表わすのは他の職業でもありうるように思うし、その時に優しい口調で諭したらたぶん、作業自体が遅れる場合、も多いにあるだろう。時間というのが大事で遅延に損害が発生るう現代において、こういうことは多いにありうることは想像に難くない。
とまあ、いくつか「怒り」のフォローをしてみた。ただ、始めにもいったが私はそこまで「怒り」を表現することは殆どない。そういう恵まれた状況だからというのもあるだろう。しかしながら、「怒り」という表現を排除するのもなんだか寂しい、ように感じるのである。喜怒哀楽は人間に備わっている表現だ。感情表現のない上司は、ハードボイルドさもあり、クールにも感じる。一方で、熱血な上司もまた、一つの個性をして否定したくないと私は考えているのである。
基地外ひとりに自分の人間性を否定されたからと言って、感情表現の練習(笑)に無駄な時間と労力を割く必要はない
あと一時的に否定されたからといって、長年の友人関係なんてそう簡単に終わらんよ
友人から家族が大変つらい目にあっている話を聞かされた。大変心配なことだ。そこですぐ「自分に何ができるだろう」と考えてる間に、少し間をおいて友人から出てきた言葉はこうだ
「あなたに話すべきじゃなかった。どうせ私がつらくても私には関係ないと思っているのだろう」「こんなに冷たい人とは思わなかった」
正しい行動はきっと「そうだね、つらいね」と同情することなのだろう。その言葉は出したが、淡々と表現したようで?「そう思ってるように感じられない」と言われてしまったのだ。長年の友人だと思って外面の良い対応をしなかったのが悪因か。諸事情があり、簡単に友人関係を切りたくない間柄なのだ。何か手を打たないといけない。
どう振舞うのが最適だったのだろう。オーバーリアクションで「なんて大変なんだ、どうしたものか。私に何かできることがあるだろうっっ!!!」とやるべきなのかな。ドラマを思い出してやれないことはなさそうだけど、どう考えても嘘っぽい。私がやられたら間違いなくしらける。
「つらい人の気持ちに寄りそう」ってのをよく聞くけど、寄り添うって何?っていつも思う。
そのつらい状況をどう解決できるかを考える方がよさそうだけど、「そうだね、つらいね」で何がよくなるのだろうか。気がまぎれる?やる気になる?
出来る人は天然でそれができるのかもしれないけど、何かが欠落している私?は心理学を学びなおして察知してのそれっぽい行動を身に着けるのがいいのかな。大学で行動心理学と出会って、だいぶ人の心中とsとに出てくるサインから読み取って人間っぽい対応ができるようになってきた。人間社会で生きるために必死に擬態する感じで、自分はいったい何なんだろう。ADHD?等も疑ってテストしたこともあるけど、違うって判定だった。理解しない・思わないのではなく、行動として表にでないのだ。
他の男と仲良くしてるのを見てムカついて冷たい言葉をかけるみたいなこと、しなきゃいいのに。
アスペは生活や自分に必要な限度でしか人間関係に関与しようとしないから、恋人、友達、家族、生活上必要な関わり、と決めて、その分についてしか、人と付き合うことに興味を持たないんだよ。
元々人間関係より現象に興味を持つ人種なんだから人を騙すとか浮気ってのはむしろ無意味に人間関係に巻き込まれるから絶対避けたいことなんだってば。弱いよね。人間関係で何か戦ったり得たりすることはできないんだよ。人間関係を格ゲーに例えると、遺伝子レベルで格ゲーが好きな人だらけの世界で、格ゲーに興味のない私たちが勝てるわけないんだし勝ち目もないんだよ
だから、嘘ついたり浮気したりしないし、もしそう見えたなら大体本人は困っていて、人の気持ちが読めない分立ち回りも下手くそで健常者みたいにうまく感情表現もできなくて助けて欲しいんだよ。まあ分かりにくいのは申し訳ないし、割り切れないのはわかるけどさ
自分と相手を困らせないために万が一を考えて一応そう説明したんだよ
付き合うって決めた人がいたら、その人としか男女関係を望まないんだから、そこは確信していていいって本人が丁寧に説明してるなら本当にそうなんだ。それなのに嫉妬するような状況にあるのなら、それは本人にはどうしようもないことで困ってるんだって。会社の人に迷惑をかけられないけど興味のない人に声をかけられて困るから相談しているとかだったりするわけ
それを勝手に見て、本心じゃないのについ嫉妬してイライラして、君を心配してないとか君に興味ないとか他の子がかわいいとか話したくないとか言うのはやめてほしいんだよ。
そんなことを人に言うべきじゃないから、そういうことを言う時点でアレなんだけど、それでも態度では違うことを示してくれている。そこに感謝や温情があるから関係を壊したくないので言うけど、本当にやめて欲しい
健常者同士ならそれでもうまくやってるのかもしれないね…わからないけど。でもどうかお願いだから違う方法で対処して欲しい
だからあなたに興味ないって言われてしまったらさ、アスペは納得しちゃうわけ。言葉を額面通りに受け取られて困ることは言わないでほしいんだよ
人が本心とは違うことを言うことはよくあるとわかっているけど、嫉妬しただけの可能性もあると分かっていても、「この人は自分に興味がないと発話した」事実に納得しちゃうんだよ
そうなってしまうとどうなるか?
別にそれが本心なら全然いい。それならお互いに特になんの問題もないからね。私に興味を持たない人がいて、私がそう理解をして、お互いに興味のある人や物事に取り組み建設的に人生を歩みましょうね。で済む話なんだよ。
費やした時間はあるけど損切りだね。分かったなら改善するだけ。切るならお互いに早ければ早いほどよい。
「自分に興味がないとあの時言った人」って心から、100%完全に納得してるんだよ。健常者は、多分そう言われても納得はしないんだろうね。心のどこかで「そうは言ってもあんなことしてくれてるし、本当は違うだろう」「きっと本心じゃないからあの言葉は嘘なんだ」と1%も言葉を信じていないことも全然あるんだと思う。だからそんなことを言われても関係が変わらなかったりする。でもアスペにとってはそういう言葉は認識や世界観を一変させてしまうものなんだよ。
もう次の日には、この人は「かつてこのような経緯があった。自分に興味がない人」で、この人は「私と仲良しの人」って思うことになってしまう。
ずっとアスペと仲良くしていたいなら、嘘はつかないでほしい。