はてなキーワード: 真夏とは
この間始めて乗ったんだが、メッチャ恐かった。
走り出した後に、意図しないタイミングで変な加減速があるんだよね。
多分、下り坂なのにスロットル全開だったりするときにある程度スピード落とすとか安全面の為の挙動だとは思うんだが、調整が杜撰な感じ。
ちょっとしたヘコみを横切るときに一時的に前輪がある程度前のめりになったらその後すぐ元に戻っても下り坂判定がされて遅れてブレーキが掛かったりするように感じた。そうすると体重が前のめりになって恐怖感が煽られる。
ちょっとした変動を敏感に拾いすぎてる気がする。
あと、意外と料金が高かった。
あれなら電動アシストのない自転車レンタルで良いかな、という感じ。
興味深い体験だったが、怖いので少し前に発表された座れるキックボードが展開されたらまた試してみたい。
電動アシスト自転車は借りる気しない。
青山吉能さん
「関係各所の皆様、そしてファンの皆さま、ご迷惑、ご心配おかけしております。 少し前にお仕事にも復帰させていただき、本日よりTwitterもゆっくり再開していきます。 宜しくお願いいたします! 」
https://x.com/Yopipi555/status/1815218444788457733
声優・青山吉能、活動再開を発表 体調不良から復帰「ご迷惑、ご心配おかけしております」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/2cda5e0d8d705fad3ea7efa2b8d4bd1d020b3214
>2020年3月、所属事務所の「81プロデュース」が体調不良による青山の活動制限を発表した。当面の間休業し、一部活動に制限を設けるとしていた。
↓
これを見た記者が、恐らく記事を書くために【青山吉能 活動休止】でネット検索
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「2020年から今日まで4年間活動休止していた」という記事が今日Yahooニュースにあがる 」
https://x.com/7VlZ3ZlzF2Bd2Zj/status/1815268669523636460
声優の青山吉能、休業&一部活動を制限 体調不良続き「療養に専念」 | ORICON NEWS
https://www.oricon.co.jp/news/2156820/full/
>青山は、アニメ『Wake Up, Girls!』の七瀬佳乃役、『恋愛暴君』のグリ役、『きかんしゃトーマス』のニア役などを務める。
>アニメ「恋愛暴君」のグリ役や「きかんしゃトーマス」のニア役などで知られる声優の青山吉能(よしの)
ちなみに「きかんしゃトーマス」のニア役を青山が担当したのは2019年~2022年の第22~第24シリーズであり
なぜ2024年のコタツ記事に現役でない役柄を持ち出したのかは不明である
【青山吉能 活動休止】でネット検索すると、コタツ記事の初期タイトルが出てくる
『声優・青山吉能、活動再開を発表 4年ぶり 体調不良から復帰』
その後記事タイトルから「4年ぶり」を消すなど姑息な路線修正を図るも
2020年に事務所が活動制限発表、はどうしても消せないらしい
なので体調不良の声優をアニメの主役に送り込む酷薄な事務所は無かったよ
真夏にコタツで記事を書かされているスポニチ記者におかれましては
【追記】
スポニチアネックス及びニュース配信先での記事が削除されました
東京の喧騒が静まりかけた夜、都知事選の熱気も冷めやらぬ中、私は取材を受けていた。窓の外では、選挙ポスターの残骸が風に揺れている。その光景を見ながら、私の中で一つの思いが膨らんでいった。
選挙。それは民主主義の心臓部だ。しかし、今回の都知事選を見ていると、その心臓が危うい鼓動を刻んでいるように感じた。有権者たちは、もはや政策を選んでいない。彼らが選んでいるのは、「自分と同じ部族」なのだ。
想像してほしい。あなたが投票所に立っている。目の前には候補者たちの顔が並んでいる。あなたは誰に投票するだろうか?かつては、「この人の政策が私の生活を良くしてくれる」と考えて投票したはずだ。しかし今は違う。「この人は私と同じだ」という感覚で投票する人が増えている。
まるで、政治が巨大な鏡になったかのようだ。有権者は自分の姿を映し出す鏡を探している。そして、その鏡に映る自分の姿が、たとえ歪んでいても、幼稚でも、それを受け入れようとしているのだ。
「自分のようなダメな奴が権力を握ったって、別にいいじゃないか」
人間は、不完全で、時に愚かな存在だ。だからこそ、私たちは常に成長を求めてきた。より良い自分になろうと努力してきた。しかし今、その努力を放棄しようとしている人々を目の当たりにして、私は戦慄を覚える。
そして、この現象は都知事選だけの問題ではない。国政の舞台でも、同じことが起きている。
安倍政権以降、国会は形骸化の一途を辿っている。重要な決定が、国民の代表者たちの議論を経ずに行われる。野党の声は無視され、強行採決が繰り返される。まるで、民主主義の劇場で、一人芝居が演じられているかのようだ。
そして、その劇場の観客席では、人々が無関心を装っている。「どうせ政治なんて…」という諦めの声が聞こえてくる。
しかし、それは危険な諦めだ。民主主義は、市民の参加なしには機能しない。それは、常に私たちに「より良い大人になれ」と要求する、厳しくも愛のある親のようなものだ。
他の政治体制は、市民に「考えるな、従え」と命じる。しかし民主主義だけは違う。「考えろ、議論しろ、そして決めろ」と私たちに求める。そう、民主主義は面倒くさい。だからこそ、嫌われやすい。
しかし、考えてほしい。私たちが今、この「面倒くさい」民主主義を手放したら、その先に待っているのは何だろうか?
暗い部屋で、一人、こんな思いを巡らせていると、急に寒気を覚えた。外は真夏の夜だというのに。
民主主義は今、深い眠りに落ちようとしている。そして、私たちはその眠りを誘う子守唄を、自ら口ずさんでいるのかもしれない。
こんな甘い言葉を、私たちはお互いにかけ合っている。しかし、その甘さの中に、民主主義を溶かす毒が隠されていることに、気づいている人はどれだけいるだろうか。
今、私たちに必要なのは、目覚めることだ。自分自身を、そして社会を、より良いものに変えようとする意志だ。それが、民主主義を救う唯一の道なのだから。
もう10年ぐらい前の話、平日の昼間にバイトが休みだったからてきとうに近所を散歩していると、
農道の端に立っている女性がいた。8月の終わりだってのに真夏のピークは去ってないはずなのに
袖がちぎれたパーカーを着ていた
何をするでもない、ただ畑を見つめて立っていた
変な女だなと思って、しばらくしてまたそこに
行くとやはり立っている。頭からは血を流しているしく、助けようと思ったがどんなに声をかけても反応しない
ずっと立っている
どうすればいいのか分からない俺は友人に話して、友人とその場所に行ってみることにした
そして、友人はその女を見るや近づいて、何か話したかと思えばそのまま引き返した
さらに数日後、そこに行ってみると女はどこにも
いなかった。友人に何をしたか聞いてみたら
きょとんとした顔で「あなた、死んじゃってますよ」って伝えただけだよと
驚くことにそこにあった被害者の写真はあの女ではないか。現場もあの農道だった
で、友人にそのことを伝えたら
「そんなこともあるさ」とか言うし
自転車通勤をしていて、工事中のため片側交互一車線になっている道を毎朝通っている。
先週まではあちら側とこちら側に誘導の高齢男性がひとりずつ立っていて、車や自転車を交互に通していたのだが
「?」と思ってよく見てみると、重機の陰の目立たない所に痩せた小さな高齢の女性が立っていた。ヘルメットがやけに大きい。
見た目ではかなりの高齢で、伸び放題の白髪がボサボサ、とても失礼な言い方になってしまうがショッピングバッグレディー的にも見える。
彼女が立っていたのは相方の誘導の人が見えない場所で、それでは全然役に立たない。
幹線道路ではないが、交通量はそこそこあり、事故が起きる可能性は充分ある。
しかしその現場ではその女性にお願いしなければならないほど人がいないのだろう。
派遣会社に任せていたら、想定と違う人が来ちゃった感がありありである。
それでもそこに人がいなければ工事が出来ない。切迫感はいかばかりか。
真夏に比べれば涼しいが、あの小柄な女性が、日影のない路上で一日中外に立っているのを考えるといたたまれない。
もしかしたら見た目に反してまだ若いのかもしれないし、身なりに気を遣わない性分なのかもしれないし、単に仕事をサボりたい人なのかもしれない。
もしかしたら高齢であまり健康ではないのに経済的理由で働かなければならないのかもしれない。
もしくは働く事に誇りとこだわりを持っている方なのかもしれない。
犬。お前が死んでから、もうすぐ5年が経とうとしています。5年も経つのに、いまだに私はお前を忘れることができず、毎日のようにお前の名を呼んでしまいます。
犬。お前が我が家に来た日に割と大きな地震が起こりました。段ボールに入れられたお前ごと家族みんなが外に逃げ出しましたが、お前には何のこっちゃだったと思います。あと、家に来たばかりのお前はまだ両耳が垂れていて、それを抜きにしても可愛すぎて最初は七味と名付けられる予定が満場一致で棄却されたことをお前は知らないでしょう。
犬。お前は人のズボンの裾を噛むのが好きでしたね。そのせいで私のジーンズは裾がズタボロでしたが悪い気はしませんでした。お前がポケモンの攻略本を齧り尽くしてしまった時はさすがに泣きました。けど、お前の噛み癖はいつの間にかなくなっていましたね。
犬。お前の体力が無尽蔵の頃、私を散歩に連れ出して2時間も歩きましたね。互いが互いに譲らず、時には私が折れ、時にはお前が折れてを繰り返しての長時間の散歩でした。家族は私たちが行方不明になったと言って、警察に通報する一歩手前だったそうです。
犬。お前の耳かき係は私でしたね。お前は耳が痒くなると、私の前に来てわざとらしく耳を掻き、「ん"〜〜〜〜っ」と声を上げてアピールをしていましたね。私が耳かき用のウエットティッシュを取った後、待ってましたとばかりにあぐらをかく私の股に顔を突っ込み、耳掃除をさせてくれたこと、信用されているのだと感じてちょっと嬉しかったです。
犬。お前は撫でられるのが好きな犬でした。新聞を読む人間に撫でてほしくて新聞の上に居座ったこと。人間の小脇に頭を突っ込んで味噌汁をぶちまけさせたこと。撫でてくれないと吠えてアピールをしたこと。撫でたら撫でたで「そこは違う」とガウガウしてきた時のこと。犬と一緒に生活をする際の嬉しい出来事のひとつでした。
犬。お前は人間のご飯も大好きな犬でした。けど、塩分過多になったり与えてはならない食材が使われていたので与えることはできませんでした。しかし、犬よ。お前は背後からひっそりと近づき、隙あらば飛びついて盗み食いを働きましたね。私のトーストを丸ごと一枚食べた際のお前の顔は北大路欣也のようでした。
犬。お前がMAXおデブちゃんになった時、確か18キロの大台を記録しましたね。玄関の昇り降りができず、情けなく人に助けを求める姿は可愛かったですが、さすがに太りすぎました。お前の重さに家族の腰が負け、壊れたことも今では良き思い出です。
犬。夏になるとお前の息遣いでクーラーをつけるか否かを決めてしました。例え人間が快適に過ごしていても、お前が暑そうにしたらクーラーをつける。でも、お前がいなくなった今は30℃を越えない限りはクーラーをつけません。今、これを書いている時は34℃ですがクーラーはついていません。
犬。夏にお前と散歩に行く時、人間は一度裸足になりました。お前と共に外に出る前に素足でアスファルトの熱さを感じ、お前の肉球が火傷してしまわないかを確認するためです。だからなのでしょうか。真夏の昼間に犬を散歩させている人間を見ると殺意が芽生えます。
犬。お前は人間がサッカー観戦している時、誰からも相手にされないと分かると骨っ子をカジカジしたり、ふて寝をしていましたね。そして、ゴールが決まり人間が盛り上がると共に声を上げて暴れ回りました。多分、お前は意味が分かっていなかったと思いますが、お前のその反応は間違っていません。あと、人間はチャンスシーンになるとお前のおててを握ってお祈りをしていました。
犬。私が就職で一人暮らしを始めた頃、毎日のようにお前の写真をせがみました。やっぱり犬のいない生活は寂しいと思ったのです。あと、お前のご飯は私がお金を出していました。でもお前はそのことも知らず、毎日2食のご飯をモリモリと食べていましたね。ちなみに、1ヶ月5000円でした。
犬。お前はケツのポリープが爆発して手術をしましたね。手術の際にケツ毛を刈られ、結果として毛根も刈られて死ぬまで毛は生えてきませんでしたね。
犬。お前は私が帰省しても歓迎のひとつもしませんでしたね。最初の頃は私を不審者と見做し、吠え散らかしていましたが歳を重ねるごとに吠えることはなくなりました。けど、私を見るたびに「だれ?!」という顔をされたことは未だに納得していません。
犬。お前が死ぬ1週間ほど前、家族から連絡が来ました。お前がもう余命僅かであると知らされて、車を飛ばして会いにいったことを覚えていますか。半年ぶりに会ったお前の頭が車のシフトレバーほどの小ささになったことに私は驚き、こんなにも年老いたのかと愕然としました。以前のお前の頭は、少なくとも手のひらでは収まりきらないくらい大きかった。それがもうこんなに小さいなんて。
犬。お前は死ぬ前に何も食べられなくなっていたみたいですね。私がお前に会うために帰った日、千と千尋の神隠しで千が竜の姿になったハクにしたように、人間が口を開け、口の中にご飯を入れることでしかご飯を食べられませんでした。それだけ、お前は弱っていたんですね。
犬。お前が死んだのは、私がお前に会いに行ってから3日経った日でした。お前が死んだ時、私は仕事をしていました。社用車の中で一人で泣きました。社会人になって初めて泣きました。人生の半分以上を共に過ごした犬でした。語り尽くせないほどの思い出がたくさんあります。今もスマホのフォルダにはお前の写真がたくさんあります。なのに、お前の葬式に立ち会えなかったことを今でもすごく後悔しています。
犬。死ぬ前のお前と最後の挨拶はしたけれど、死んだ後の最期のお別れを言えずに骨となったお前と対面した私を許してください。
犬。お前が死んだ後、夢を見ました。死んだはずのお前が、みんなが集まる部屋にやってくる夢です。私が「お前、死んだはずじゃ」と言うと、お前はまるで自分が死んだことに気づいていなかったのか、「そうだったわ。俺、死んでたわ」みたいな顔をして私の前から立ち去る夢です。目が覚めた後、私は悲しくて泣きました。
犬。お前が死んでから何度も他のコーギーを見てはお前に似ているかどうかの話をしてしまいます。新しく迎え入れようかとも思いました。でも、私はお前がいい。新しく迎え入れるとしても、お前がいい。お前でなければ駄目なのです。お前でなければ、迎え入れることなどできません。お前の代わりはいない。だから、お前のケージがあったところには、今もお前の仏壇が置かれています。お前が寂しくないように、誰かが何かしらのお裾分けをしています。お前の大好きなお菓子も、生前は食べられなかったポテチもチョコレートもケーキも置いています。死んだ後なら、何を食べても問題はないでしょう。
犬。お前がいなくなって、人間はお出かけしてもすぐに帰って来たり、毎日早起きをしたり、悪天候の日も外に出る必要はなくなりました。お前の抜け毛で服がとんでもなく汚くなることも、お前の襲撃に怯えながらご飯を食べることも、床に雑誌や新聞を置いても良くなりました。でも、お前がいないと寂しい。やっぱりお前がいないと寂しいよ。5年が経つ今でも、お前に会いたい。