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はてなキーワード: ポカリとは

2019-05-30

病状?診断至急お願いしま

暑い

ひたいに手を当てると熱い

体中が少し痛い

体がだるい

食欲減(食べられはする)

ポカリ飲んだら僅かに楽になった

熱?インフル風邪熱中症?体調悪いだけ?

試験間中なのにどうして…

2019-05-28

ペットボトル再利用で、ポカリボトルお茶入れる的なことができない

なんか悪いことしてる気分になっちゃ

炭酸レモン水のボトルお茶なんかも原罪度が高い

2019-05-26

水分補給だけでいいのか?

今日の昼間、スポーツドリンクを2リットルほど一気飲みしてから野良仕事に出かけた。

めっちゃかいた。家に帰ってトイレでオシッコしたら量が少なくて、ものすごい濃い色のが出た。

こら水分補給せねばと水道水をガブ飲みしたが、なにか、深く息をするたびに胸の辺りがとても痛い。水も適量飲んだはずなので(飲み過ぎると死ぬ)、時間が経てば治るかなと放っておいたが胸の痛みが中々治まらなかった。

明日病院行こうかなと思いながら夕飯を食ったら、治った。

それで、ああ、塩分不足だ、と気が付いてペシンとオデコをはたいた。

昔、炭鉱労働者味噌携帯して舐めながら仕事してたって話を聞いたことがあるが、左様に汗をかいとき塩分にも気を使わなければならないのである

さて。

最近教育現場では熱中症対策に水分補給をといって屋外で運動する子供達に時間を決めて水分を取らせるようにしているようだ。テレビでは子供達が水飲み場に集まる様子が映し出されている。

うん、思うんだ。水分補給だけでいいのか?

かといって子供の頃から塩じょっぱいものを取らせるのも健康に悪そうだし、気になるなら粉末ポカリを水に溶かして飲ませるしかないのか。

2019-04-30

結婚して感じた10メリット

1.お金が浮く

俺は独身時代一人暮らし生活費に月12万かかっていた。結婚してからは2人で16万。1人あたり8万になった。

2.世帯年収が増える

生活費コストは下がるが世帯年収は増える。

3.何かちょっと便利

風邪引いた時にポカリ買ってきてくれたり、部屋で眼鏡なくした時に一緒に探したりしてくれる。お互い休みバラバラだと用事頼める。

4.親が喜んでくれる

5.家事が楽

分担するので一人暮らしより楽

6.手当てがついて収入があがる

会社によるけど

7.社会的に信用されやす

8.言い訳ができる

かにつけて断る言い訳ができる

6.あまり寂しさを感じない

地震エレベーターも止まってマンションから出れなくなった時に話し相手がいるというのが心強い

7.失業してもすぐには困らない

共働きから

8.一人だと出来ないことが気軽にできる

マルチゲーとか

9.子どもが作れる

2019-04-22

ポストアポカリプスってどこまで?

いま流行ってるよねポストアポカリプス

このポストアポカリプスってどのくらいまでが許容範囲なんだろう。

A. 人類の大半が死滅して都市廃墟となりごく少数の生き残りが原始的生活をしている状態

がっこうぐらしってこのくらい?

典型的ポストアポカリプスの印象だと思う。

B. 多くの人類死滅して文明は衰退したが相当数の生き残りが都市形成している状態

北斗の拳くらいを想定。

文明崩壊直後でまだ高度な機械が残ってたりする。

C. 文明崩壊してかなりの時間が経ち中世くらいまでは文明回復している

∀ガンダムくらいを想定。

文明崩壊させたもの分析して新たな文明に利用していたりする。

D. 人類絶滅してまったく別の生態系が構築され新たな支配者が生まれていたりする

けもフレあたりを想定。

あるいは猿の惑星とか?

E. 謎の怪物侵略により人類生存圏は大幅に縮小しているが文明は維持している状態

ガンパレとかマブラヴオルタとかを想定。

ポストアポカリプスというよりプレアポカリプスかも。

2019-04-19

インフルエンザになった

23歳、インフルエンザになりました。インフルになるのはこれで人生2度目。大人になってからインフルがどれだけ辛かったかちょっと書くよ。

あと今また流行り始めているらしいので皆さん予防しっかりしてください有休無駄に使わないようにしような。

いやーすこぶる辛い。何が辛いか上げてくよ。ちなみに一人暮らしな。

・高熱(38〜40度台を3日間)

熱のピークは2日前ぐらい、40度近くまで上がったかな。夜は寝て起きて寝て起きての繰り返し、寒気と関節痛でうまく寝付けないんだよこれが。しかもなぜか肌に布が擦れるだけでなんとなく不快でたまらなくて辛かった。解熱剤も効かなくていつ測っても39度台を行き来してた。ポカリはお友達、ちびちび飲んでこまめに水分補給してた。あとは冷えピタ。たまにトイレに立つんだけど、足元がふわふわして歩いてる感覚が変なのね。うまく歩けないというか。あと暑いのに寒いっていう感覚の奇妙さと気持ち悪さは体にも精神にもよくない。

ご飯が食べれない

今回自分発症したのはインフルエンザB型だったから、お腹の症状も同時に併発していて、ご飯を食べてもすぐに水っぽい下痢で出てきてしまう。食べなきゃ薬は飲めない、けど食べたらすぐに出てきてしまう、気持ち悪くなったらどうしようっていう悪循環で現時点で4キロ痩せました。今はくったくたに煮た味の薄いうどんを半分ほど食べて、あとはゼリーで済ませてる。それでもお腹は緩いまんまだねえ、何か対処法あったら教えて欲しい。なにぶん一人暮らしなもんで作ってくれる人もいないから、億劫になってしまって。

・咳が辛い

1番はこれ。咳が辛い。喉が痒くて手を突っ込んで掻きむしりたい気持ちになる。夜寝る時も御構い無しに、ムズムズしてきて咳をしてしまうからおちおち寝てられない。おかげで人生初の悪夢と言える悪夢を見ました。咳をすることで頭も痛いし喉も痛いし腹筋は使うしでそこらじゅうしんどい…。

・体力低下

著しいねほとんど横になってるんだけど、たまに起き上がって歩いて何かしようとするとそれだけで使うエネルギーがすごいの。歩くのもすごく遅いし、1つ1つの動作が緩慢になってしまう。若者ですらこうなんだから、おじいちゃんおばあちゃんは余計だよねえ。

・さみしい、ひま

これもある。5日間ほど隔離なのでその期間は人と会わない。誰とも会話せずにすぎる1日ってこんなに長かったっけ…って気持ちになるよ。普段時間がなくてやれてない読書とか、ゲームとかこの機会に…とか考えた時もあったけど、辛すぎてそれどころじゃない。今少し余裕が出てきたから、やろうと思えばできるけど、やっぱり自分趣味や楽しみってのは身体的・精神健康と余裕があって初めて出来ることなんだなと痛感した。体が資本ってほんとその通りですね。

こんな感じ。みんなほんと気をつけてね、マスクと手洗いうがいは必須ですよ。

ご飯が美味しか食べたいなあ。咳が止まらないよ、くるしい。

2019-04-17

ポカリ

ポカリスエットCMを見るたびに

この時代高校生じゃなくてよかったなぁと

つくづく思うのです。

2019-03-29

青春押し売り

テレビちはやふるを見た

美男美女が汗かいて笑いあって泣いて恋愛して仲間と励まし合ってさぁ!!!

そう言うの 本当にダメ

おとぎ話しか見えない。

誰もがこんな時あったよね??^ - ^

煽られている気がする。

いやぁ ないんだよ、

俺は毎日毎日パシられて、いじられて親にも言えずただただ苦痛で早く卒業たかった思い出しかなぁ!! 当然誰とも付き合ってねぇよ糞

あとポカリの、踊ってるCMやめろ。

まじで、 キラキラさせんな。

ブサイクな人がいじめられてるCM流せ。

そん時にやけになって食べまくった

ポテチと流し込んだコーラと涙が混じった味が

今でも忘れらんねぇんだ。

そういうもんだ青春てさぁ。

青春対義語考えたよ灰色の秋 略して

はいしゅうだ。

2019-03-21

風疹感染

都内30代男。風疹認定受けて、ようやく回復警鐘を兼ねて記録を残す。冗談抜きで死にかけた。

結論

妊婦の為とかもあるが、まずは自分の為に予防接種行ったほうがいいぞ…単身者孤独死リアルに目の前に来る。

特に花粉症持ちは。

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3/13:熱っぽくて、関節が痛む。花粉症酷いな…と午後半休取って帰る。地獄の始まり

3/14:熱下がった気がして、無理して会社行くも、駅までの自転車意識を失って公園の車止めに突っ込む

夕方くらいに目が覚めると「知らない天井d…あああ!痛い!肩?手?痛い?!なんなの??」鎖骨骨折左手打撲、メガネ紛失、左頬に十字傷。

3/15:退院。まだ痛い!病院出た瞬間にクシャミ!頭も痛い!あれ?背中かゆい!?目も痒い!もうなんなの?!八王子一帯燃やしに行こうかしら??

タクシーに頼り帰宅し、何とかしてパジャマに着替えるも、背中痒い??骨折怖い!スマホ写真撮るとサラミみたいな模様がが。アレ、、これは。

画像検索すると「風疹」と…マヂカヨ。

爪でかくといつもとは違う感覚。これアカンやつや…しかし手が止まらない、かろうじて無事だった右手を持ってこうとすると鎖骨に激痛。痛い!でも痒い!

ほぼ寝れずと思いきや、花粉症薬が睡眠薬となりパタリ。

3/16:起きたらシーツに血が。無意識で?あちこちに引っ掻き傷が。もう、お嫁に行けない。

かかりつけ医電話して、素人判断風疹ぽい事を告げる。昼休みにお客居なくなったら連絡スッから来いと。区の受診票があればタダだよと。

調べてみると、、

・紙

港区保健所まで取りに来い

・後日色々判定して郵送

はい。無理。

諦めて家を出る。いつもなら徒歩5分の距離だが…服痒い!

腰とか下半身ピリピリする?!尻ポケットに手を突っ込んで掻いてる。こんなん通報されたら終わりや?!

ダメだ足りない。今なら誰も居ないし今ならワンチャン…と鼻水と涙で濡れた瞳のオッサンベルト外しかけるも、右手一本では外せず断念。おのれ八王子

検査結果は数日かかると言われるも、会社サボってるアレになるかなーて下心で依頼。

飛ぶ。

3/19:食欲ない…この3日備蓄ポカリ非常食ゼリーしか食べてない…

痒みは消えたが、トイレに行くと熱による立ち眩みが。間に合わずちょっと出る。

シャワーも入ってないから、花粉流せないし、別の意味で痒い。痛みはロキソニンで誤魔化せてるが、いつまでコレ?回復の見込みが全く立たないし、ずっと寝てるのも飽きてきて6時間ユーチューブ見てたりして、生きる意味はあるのか?風疹ウイルスと共に焼却処分した方がいいのか?と思い始める。

あっエヴァアフレコ開始だって、もうちょい死ねないな…と、ギリ生きてる感。

お腹は鳴ってるけど、動いてないから意外と平気なのと、家に火を放つ気力も無い。

でも、このまま行くと餓死出来そうな気もする。

と言う事で独り身諸君、マヂ辛いぞ、これ。今すぐ回避する為に注射方法調べたほうが良いぞ。リアル孤独死ありえる病だ、これ。

2019-01-14

夫が何事も無く元気に過ごしてるか心配

里帰り出産飛行機で一時間半の距離に。

夫は元々一人暮らしをしてたか家事食事大丈夫なのはわかってるんだけど、ここ数日体調崩してるみたいで心配

下痢嘔吐があるみたいなんだけど病院かかってくれない…。なんかそれなんらかの細菌だと思うからとりあえず病院いって欲しい。

何か体調不良はすべてポカリ飲めば治ると思ってるフシがある。ポカリは万能じゃないぞ!

重篤病気前兆だったらどうしよう…とか、高熱で動けなくなってそのまま…とかなったらどうしよう、とか通勤トラブルに巻き込まれたらどうしようとか考えてしまう。

おおー不安だ……。

人間そう簡単に死なないっしょ!って気持ちと、いや人間割と簡単死ぬよな…って気持ちがせめぎ合ってる。

私よりたっぷり長生きして欲しい。

2019-01-13

部屋を整えておくことの意味

風邪引いたのと同時に生理になった。お腹痛いししんどいしまじで最悪やった。

しかもこのタイミングインフルじゃなくてただの風邪、辛い、寝込んだ。

自炊を一切しないから家にポカリ一本と夏の残りカスみたいなアイスが一本あるだけで他なにも無かった。

友達食べ物とか買って看病するって言ってくれたけど部屋が汚すぎて人を上げられる状況じゃなかった。

もともと汚い部屋がもっと汚くなって、あー万全じゃなくなったときのために普段から生活を整えておくんだなとやっと気づいた。

というわけで治ったので部屋を片付けているがめんどくせえな。

2018-12-29

急募ポカリが飲みたい【緊急】

ポカリ死ぬほど飲みたい。

飲みたいのに家を出られない。

誰か都心デリバリーポカリ扱ってるところ教えて!

ピザとかは今ちょっと食べられないけど、冷凍庫につっこむからピザとかのデリバリーでも可。

2018-11-29

医者ポカリは飲むポカリと思ってもらっていいですよ」

俺「へぇー」

2018-11-25

ぼくが自殺を決行した話をする

今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。

当時、ぼくは20歳ニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生絶望しながら生きてきていた。

ぼくはそのとき大学中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強したことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生ほとんどを見下していたように思う。

大学に入ったときは「遊びまくれる」という意識があって、いままでの家庭内での抑圧が弾けるかのようにぼくは遊び回った。当時隆盛していたモバゲーやらGREEやらでメンヘラ漁りをしたり、ネトゲにハマったりPCゲームにハマったり映画を見たり、一般的パラサイト大学生として過ごしていた。大学ははじめのころは新鮮でおもしろいと思って通っていたが、慣れてくると結局勉強をしなければいけないことに気づきだんだん卒業後の現実が見え始め、やる気がなくなった。勉強をしてなんになると思い始めて学校に行く頻度が落ちた。卒業して働くということに絶望を感じていた。就活というもの意味がわからなかった。

「少なくとも残り38年、あるいはそれ以上、奴隷として働かなければいけない」という絶望感があった。ぼくはそこまでして生きたいと思っていなかった。好んで死にたいわけではなかったが、人生目的が本当に何もなかった。ただ言われるがまま、子ども学校に行くもんだという指令のもとに生きていた。こうした呪縛から解き放たれて自由を得た代わりに、選択肢が何もないように感じていた。「働いて、生きて、それでその後は?」「何十年も生きて、それでその後は?」「生きていれば楽しいこともあるだろう。それでその後は?」「たとえば何かしら名声を得るとして、それでその結果何が得られるのか?」という風に感じていた。すべての物事人生最後にどう意義深くなるのかを考えていた。こういう考え方は、防衛機制の知性化というらしい。

ひとまず2年生に進級した。必修単位だけはなんとか落とさなかったが、そのほかの単位ものすごく落としていた。状況は何も変わっておらず、相変わらず特におもしろいとは感じないながらも、まだおもしろさが比較的マシなゲームや女遊びに没頭していた。しか現実逃避に過ぎないと考えてぼくは自殺を考え始めた。「死」が選択肢に入ってくると、おもしろいほど転がり落ちるのが早い。ただの堕落した大学から、終わり始めていった。

ふつう人間は、何か行動を選択するときに「死ぬ」という考えは浮かばない。「おなかすいたかコンビニに行こうかな。めんどくさいな。まぁ食わなきゃ死ぬしいいか」というふうにはならない。どんな選択でも死ぬことが関わってくる。死神に呪われているがごとく。「窓が汚れてるなぁ。窓ガラスに首を突っ込んだら死ぬだろうか」「料理はめんどくさいな。包丁を刺すのは痛いだろうなあ」と、だんだん普通の行動を取れなくなる。完全に何かしらの病気なのだが、金がないし「この状況が薬で改善されるとは思わない」と思っていた。

当たり前だが大学には行かなくなった。大学をやめてバイトだけやろうと考えた。当たり前だがうまくいくはずもない。そもそも働きたくないのだから、すぐにバイトにも行かなくなった。身分学生なだけの人間に成り下がった。ぼくは大学も行かず、バイトで貯まっていた20万円を使って、「起きる→ゲームする→眠くなると寝る→腹が減ったとき、朝や昼なら近くのスーパーに行き、夜なら近くのコンビニへ行く」という生活をしていた。ゴミは出たらそのまま放置し、いよいよ虫が出てきたときゴミ捨てをするという、現実逃避以外の何物でもない生活をしていた。

何度も「餓死しようかな」と考えて飯を抜いては「限界。無理」と考えてがっつり食べたりしていた。「3日食べない」「たくさん食う」「2日食べない」「たくさん食う」の繰り返しをしていた。この食べるという行為けが幸福だった。コンビニの同じような弁当ばかり食べていたが、ただただ「うまい」と感じていた。脱水症状手前の状態から飲むポカリは格別だった。体全体が食物を欲している中で食べるハンバーグは絶品だった。ある種中毒になっていたのだと思う。

そうした生活によって金が尽きる前に、母親が迎えに来た。ぼくが携帯電話の電源を切っていたので心配になって見に来たということだった。ぼくは「失敗した」と思うと同時にそれを拒絶した。「現実がやってきた」というふうに感じていた。未来への思考をしないようにしていたところに現実を考えなければいけないトリガーが出た。死を保留することがもうできなくなったと考えて、ぼくはすぐさま死ぬことを考えた。急いで財布だけ掴んで家を飛び出し、ネカフェに3日ほど滞在したあと、富士山樹海で首を吊るのがいいんじゃないかということで、なけなしの金をはたいてぼくは中央線に乗り込み、最後の晩餐として、いくらかの酒やお菓子食べ物ビニール紐と睡眠導入剤を買い込んで、残金がほぼないような状態で、河口湖駅へついた。そこからバス民宿方面へ向かった。民宿の予約はしていない。

ついたのは夜だった。ぼくは民宿の前の道路から少し離れたところで樹海に入った。樹海は街とは比べ物にならないほど暗く、岩は月あかりのせいか血のように光っていた。懐中電灯などというものは持ってきていない。飛び出したおかげか携帯電話も持ってきていなかったので、でたらめに移動した。引き返すつもりもなかったので、財布の中に入っていたお札や小銭を取り出して、破いて樹海の中にばらまいた。そうして移動した。怖くはあったが「動物に襲われたくない」という怖さだった。死にたいが痛いのは嫌だったからだ。樹海は暗すぎて木に紐を結びつけることができなかったので、一夜を明かさざるを得なかった。当時は雪が降る時期で、異常に寒くまともに眠れなかった。「寝たら凍死できればいいのに」「寝たら死んでいますように」と考えていて、必死で寝ようとしては起きてという繰り返して、朝を迎えた。何時だったのかは全くわからない。薄明かりで木に紐をくくりつけられるぐらいになった。

ビニール紐というのは何度も巻き付けて首に巻くとものすごく痛い。そもそも数秒耐えることもできない。睡眠導入剤や酒など飲んだが何の効果もない。意識はかなり明瞭で「死ぬ」という恐怖心と戦わなければいけなかった。「死ぬ。これから死ぬ。なぜ死ぬのか。そもそも死ぬ必要があるのか。これで本当に死ねるのか。考え直した方がいいのではないか。死ななくてもいい方法があるのではないか」と考えた。痛いし寒いし死のうという決意も薄いしで、結局ぼくは死ぬことを諦めた。

朝を迎えた樹海景色が綺麗だった。樹海の中にある道を探すと、あっけなく道が見つかった。その道をまっすぐ進むとすぐ道路にたどりついた。全然道路から離れていなかったらしい。

道路に出て、ぼくは適当に歩き始めた。明らかに変なところを歩いているのに誰も話しかけることはない。それはそれでよかった。変に話しかけられても困るだけだった。道路をまっすぐ進むと甲府方面看板が出てさらにまっすぐ進むと、幸運なことにお店があって、横に公衆電話があった。あとで調べると12kmほど歩いていたらしい。何のためらいもなく110番をする。「自殺に失敗したんですけど」といって、ぼくはいろいろあって実家に帰ることになった。おまわりさんには「いろいろ人生つらいこともあるけど死ぬのはダメだよ」みたいなことを言われてぼくはひととおり泣いていた。ただ、そんな言葉で心変わりするぐらいならここまで悩んでいない。泣いて「ちゃんとした方がいい」と思ったのはほんの数瞬だった。

実家に戻ってまず思ったことは「状況が何ひとつとして良くなっていない」という絶望感がただそこにあるだけだった。死の保留が再びできて安堵していただけだった。当時の家庭環境もよくなかった。父母の仲はぼくが家を出たあとでいっそう最悪になったらしく、父は仕事に没頭しており、そもそも母と情報共有できていなかったので、ぼくが樹海に行ったことを知らないようだった。今も知らないだろう。ぼくも積極的に言うこともなかった。「自殺を図った」という言葉の上っ面では、他者にそこに至った経緯など伝わるはずもなく、その理由理解され難かった。

ぼくはそのまま自堕落生活を送った。

堕落生活で、ぼくはひたすらネット動画を見ていた。「動画を見る・起きる・夜目覚めて冷蔵庫にあるものを漁って食う・眠くなったら寝る」というクズ生活を送っていた。その一般的クズニート状態のまま1年がたって、当時の「死ぬことの怖さ」みたいな思いが風化して、ぼくは再び死ぬことに決めた。「親に迷惑をかけている」とは思っていなかった。「今まで虐待みたいなことを散々してきて育ったのだから当然の報いだろう」と思っていた。申し訳無さではなくて、この先どうすればいいのかを延々と考えていた。未来がない。「奴隷か・死ぬか」という二分的な思考の中で揺れ動いていた。いま思えば思考があまりに先鋭化しすぎているが、周りの環境がそう簡単に変わるわけでもない。むしろぼくの存在によって周りの環境がぼくの闇に引きずり込まれるように悪化し始めた。

死ねなかったのは、前回のプランが悪かったのだ」「そもそもプランをたてる暇がなかったのだ」と考えるようになっていた。「そもそもビニール紐で死ねるわけがないではないか」などと思って事前調査することにした。実際にはビニール紐ではダメで、ロープが良いのである死ぬというのは勇気というか、一大決心がいるものであるが、準備ができていないと死ぬことはできない。感情的であればあるほどめちゃくちゃなことができるが、めちゃくちゃゆえに準備不足で失敗することもある。ぼくの場合死にたい!!」という一撃の思いではなくて、ずっと心にためていた漫然とした「このまま生きていたくない」という学習無力感だったので、痛い思いもしたくなかった。

着々と準備を進めてぼくはやっぱり首吊りをすることにした。何度も首吊り選択している理由がわからいかもしれないが、首吊りリーズナブル苦痛が少ないという合理性からだ。ただし実際には苦痛は他の死に方と比べて少ないというだけで、ものすごくあることもあるし、一般的生き方での「痛い」と比べるべきものではない。基本的にはほぼすべての死に方について、死ぬほど痛い。幸運にも苦痛なく死ぬことができる人もいるはずだけど、最悪の場合永遠に苦痛を味わいながら生きることになる。

ともかく、ぼくはロープを買い、痛くないようにハンカチなども買って準備を万全にした。睡眠導入剤や酒も以前と同じく買った。

夜、ぼくは家を飛び出して近くの山に向かった。田舎だったので山には困らなかった。白昼堂々山に入って通報されたらたまったものではない。夜に行動するのは基本だった。

樹海ときと同じように外で寝た。犬の鳴き声が聞こえて不安を煽られたが、地元ということもあったのかそれはそこまで気にならなかった。今回は夏で、じゃっかんの肌寒さしかなかった。準備は万全で、今回は変に目が覚めることはなく、いったいどういう神経をしているのか、熟睡できた。

明け方ロープを準備した。ネットで調べてきたとおりにハングマンノットという結び方で、枝に結んだ。ぼくは最後の晩餐だとして、買い込んできたご飯を食べた。睡眠導入剤をすべて飲んで水やお茶を飲み、酒を飲みまくり最後ファミリーマートで買ったエクレアを食べた。食べ終わると猛烈な不安が込み上げてきた。「死ぬのか」という感情が心をとにかく揺さぶった。

ぼくは木に登った。木に登って、太い枝に立ち、丸く結んだロープ首にかけ「ジャンプすれば死ぬ」というところまで準備した。猛烈な恐怖が体を襲った。ぶるぶる震える。ジャンプする。ジャンプしさえすれば死ねる。足はとにかくすくむ。今でも怖いと思う。思い出すだけで恐怖心が現れる。

それで、どうやったかよくわからないけど、ぼくは自殺を決行した。枝からジャンプした。

しばらくするとぼくは暗闇の中にいた。そこにはものすごい多幸感があった。眠りから覚める以上の幸せがあった。何かの扉が見えて、眼の前には光があった。あとで「この世に生まれてくる」とはああいうことかというように表現できるたぐいのものだった。ぼくは目を覚ました。ぼくは何をしているんだろう。ここはどういう世界なんだろうか。不可思議感覚だった。

次の瞬間、全身に激痛が走る。人生で生きてきた中で最も痛い激痛だった。ぼくは理解した。死のうとしていたのだった。ぼくは痛さで発狂していた。ぼくは痛いのをなんとかしたいという一心で、自動的ロープから必死に首を脱出させようと試みた。痛い。とにかく脱出しなければ。痛い。ロープから首を。痛いの嫌だ。ロープに手でぶら下がれば首は締まらない。痛さが軽減した。

ぼくはロープから首を出してそのまま枝から落ちた。体がドスッと地面に落ちたがそんなことはどうでもよく、首が熱を持っていた。喉がひたすら痛かった。それどころか頭まで痛かった。どれくらいそこにいたかからなかったが、ぼくは死ねないことに深い辛さを感じていた。鋭い痛みと「死ぬことはできないのだ」という選択肢がなくなったことでぼくはずっと泣いていた。

この経験以来、ぼくは「あのとき実はすでに死んでいて、今も実は死んでいるんじゃないか」という感覚がある。いつかあるとき、今生きていることは夢だということで目が覚めて、あの飛び込んだときに戻るのではないかという感覚がわけもしれずある。当時の体験2chの関連スレにそっと書いていたが、あまりまれることもなくひっそりとスレの中に埋もれていった。基本的にみんな他人には興味が無いのだ。

どのくらいそうしていたか覚えてないが、ぼくは家に帰った。太陽はもう高くあがっていた。どのくらいぼくは首を吊っていたのか全く判然としない。数秒だったのか数時間だったのかわからない。現実的におそらく長くても十分も経っていなかったのではないかと思うが。家につくと母はぼくの首の痣にびっくりしていた。とにかくぼくは生きる選択肢を選んだ。痣は1ヶ月ほど消えなかった。

その後お寺に連れて行かれてカウンセリングを受けた。なぜお寺なのかは理解できなかったが、言われるがままについていった。自分でもカウンセリング必要だと感じていたからだ。話を聞いてて思ったのは「ありきたりな話の集合のくそくらえ」ということで、ぼくが考えていたのは「こいつは使い物にならねえ」ということと、今後の指針だった。幸いにもカウンセラーの口がそこまで達者ではなかったので、ぼくが宗教にハマることはなかった。精神的にだいぶ弱ってはいたが、ぼくが欲していたのは「現実的に機能する今後の指針」であって、よくわからんスピリチュアル的なものではなかった。ましてや自殺決行後の人に、死のうか悩んでいる人向けのカウンセリングをしたところで何の効果もないだろうと、ことここに至ってもまだ人を見下していた。逆にぼくではなく、母がスピリチュアルに頼るような人種になっていた。

自分正当化するようだが、母も別に聖人君子ではない。こうなるまでぼくは小さい頃、虐待とともに生きてきた。第三者から見ればただぼくが悪魔のように見えて、切り捨てたい汚物のようだと思うだろうが。ぼくは今になってようやく、母も祖母祖父からめちゃくちゃな教育を受け、育児嫁姑問題や父との不仲、父のめちゃくちゃさ等でストレスがたまっていたということを理解して客観的に見ることができるようになった。いわゆる毒親というやつだろう。今は遠く離れて住んでいるため、適切な距離を保てていると思う。

まぁそれは置いておき、死ぬという選択肢が消えたことで、ぼくは図書館にいって本をただ読んだり、ぐだぐだと生きていた。結局保留する癖は死ぬ目に遭っても治っておらず、相変わらず親同士は喧嘩が絶えない状態だった。ぼくはとにかくグダグダとしていた。前よりは安穏としているものの、結果的にそんなに状況が好転していないのだった。

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

「そんなに簡単意味もなく死ぬなら深く考えるのはバカバカしい」と考えた。文字通り死ぬほど悩んだ結果、ありふれた結論に達するという虚無感に、絶望ではなくて乾いた笑いが出た。「死ぬことについて死ぬほど深く考えた結果、死ぬほど深く考えるのはバカ」という結論に達した人はそうそういないだろう。つまり思考停止なのだが、死に関しては思考停止するのが「生きる上で正しい」のだった。

よくよく考えれば奴隷にならない道もあるはずだと思って、ぼくは震災から数週間経つと、金もないのに家を飛び出して都会に出た。都会に出たあとは、世間知らずと社会不適合者が混ざった状態で、その後もまぁ紆余曲折あったのだが、今は生活好転し、ふつう人間のようにして日々を暮らしている。

いま、ぼくは当時を懐かしい思い出として、あるいはいささかの教訓を含む昔話として扱うことができるようになった。

そして、こうした日々に何の意味価値もないことをはっきりと知覚しながらも、さりとて刹那的にもならず、二律背反的だが、人生意味価値があると思いながら、未来を考えて前向きに生きることができるようになったと思う。ニーチェのいうところの超人というやつらしいけど、そんな上等なものではない。現代では一般的なありふれた考え方だと思う。

まぁ、自殺の決行がなんだとかって話だけど、何かの参考程度に受け止めてもらえれば嬉しいと思っています

追記

長すぎて最後の方の行が弾かれたのでこちらに書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20181126040934

2018-10-12

大月地獄谷遡行

2018年10月7日六甲山で最難関ルートだとされる大月地獄谷ルート(渦森橋~みよし観音)を登った。2018年台風ののちに、みよし観音を目指して登った人が他にいるかが、検索しても見つからなかったので、私のような登山素人に向けて書き残したい(これが検索でヒットするかはまた別の話)。画像はない。ちなみに天狗岩へ抜けるルートで登っている人は確認されているが、こちらの方が容易だとされているようだ。なお登っても、達成感を感じる前に、泥だらけのボロボロ服装で、おしゃれキラキラカップルと遭遇することになるので、極度のマゾヒストしかおめしない。


登った時の状態

天気 : 快晴 (気温27度)、前日早朝は雨

服装 : 破れてもいい服(長袖)、軍手トレッキングシューズ

持ち物 : 昼食(おにぎり)、補給食(ゼリー系のやつ)、ポカリお茶、参考にしたサイトコピー遭難しても少し生き延びれるようにカロリーメイトいくつか

虫除けスプレー山と高原地図等は同行者が持っていた。感謝。(逆に持ってない私がやばい)

ヘッドライトなども持っている方が良いでしょう。

主に下記のサイトを参考にさせて頂いた。呼び名などもこちから拝借している。

https://tokiwatrekking.web.fc2.com/pages/y20160813.htm

http://shousam.fc2web.com/081018ootukijigoku.html


入渓から荒神山堰堤

霊園の手前から谷に入り、沢沿いを歩いていく。

本格的な山登り荒神山第二堰堤から始まる。ここを右から高巻く。当然ながら整備されている道ではないので、一発目にしては重め。頂点付近で少し無理やり登る必要がある。腕力である

次は荒神山第三堰堤。左から高巻く。途中まではロープがあるが、道自体もそこまで険しくはないので、あくまで補助的に使う。ロープのかかっている木のうちで、少し弱くなっているところがあったので、油断は禁物。

ちなみに、ここを右から高巻くと、死にかける(体験談)。右側は急峻な上、堰堤の上端と同じ高さまで登ったのちに、ほぼ支えになるものが何もない状態トラバースしなければならない。高さ18mなので落ちるときっと楽しい

続く荒神山第四堰堤は、手前にある石積み堰堤を右から高巻くとそのまま巻道が見つかる。

紅葉谷~F2滝まで

次は紅葉谷堰堤。とうとう荒神山堰堤ゾーンを抜けて紅葉谷ゾーン左手にあるロープからかなり上に登りそして降ってくる。一部、ほぼロープに頼らなければ進めない箇所があるので注意。確かに周りを見渡せば紅葉の葉っぱが見つかる。

紅葉谷第四砂防ダムは上目からロープを頼りに越えていく。この辺りになると結構感覚をつかみ出してきていて、どうやらいけそうだと感じ始めたが、それは幻想だった。

このエリアが終わると、滝が続きハードになってくる。複数意味ハードになる。滝を登るため体力と、意味のわからないロープを信じなくてはならないため精神と。

紅葉滝は、右手手前に巻道、滝のすぐそばロープがあった。右手手前の巻道はかなり斜度が高く、その上足元が滑りやすいという有様だった。同行者のうちの一人がロープ、もう一人が巻道から登り始めたが、私はどうにももっと手前に巻道があるような気がしたため、少しためらった。しかし、結局心もとないがロープを信じて登るルートの方が簡単なようで、信じて直登することに。案外いける...だが誰がいつ設置したのかわからないロープに命を預けたという事実が残る。

タラップ付きの堰堤が現れる。ダムから出ている水量が多く、タラップの場所まで行くのに身体中がずぶ濡れになる。体温がかなり上がっていたのでそこまで気にしなかったが、普通に考えて危険であるダム自体特に問題なくタラップから登りきれば、鋼製堰堤。下をくぐるが、足元が濡れる。

大月地獄大滝に到着。実際に滝を見ようとすると、生い茂る藪を超えて行く必要があった。また、この薮の手前から巻道が......滝を見ずに巻道へ。こんな薮、進めやしない、とその時の私は思っていた。

すぐそばF2滝。巻道は見つからず、ロープを信じて直登する。できる限りロープに頼らないでいたかったが、頼らざるをえない部分がいくつか。しかロープの根元を見てみると、理解しがたいほど不安定そう......。よくもまあこれを信じれたものである。ふと自分の体が震えているのに気づく。膝が笑っている。潜在意識生命危機を感じていたのだろうか。同行者の様子を伺うと、全員足が震えていた。愚かにも山を登ろうなどとするからこうなるのだ。

最後の難所とラストスパート

次のダム二つはタラップがついており、越えるのは簡単しかし、越えた先がかなり深い池になっており素直には降りられない。滝を越えてしまった今、もう後にも引けず、無理やり脇道から池を越える。

A-7標識を越えるとF5滝。右の巻道を進むが、斜度がかなりある上に少ない木の根などを頼りに登って行く、本格的なクライミング永遠にきつい時間が続くのかと思うほど、滝のかなり上まで進むが、くだるポイントが見当たらない。途中、堰堤が下に見えたがこれもスルーしてそのまま上から抜けた。ここの滝では、左に巻道があるとされていたのだが、明らかに崩壊しており、右から行くしかなかった。

ここから少し進み、小さい滝を越えて行くと、本格的に薮ゾーン。正しい進路がどこなのか、一見しただけではわからない。無理矢理川のありそうなところを目指して進む。さらに進むと土砂崩れの影響か、川はなくなる。本当に道が分からないのだが、とにかく信じて直進し続ける。テープも見当たらず、この道は正しいのか、という自問自答を繰り返して行くと、大きなダムが見える。

このダム2016年に完成したもののようで、いくつかのサイトによると、2015年時点でみよし観音直下建設中のダムがあるという情報があったので、ここはほぼゴールに間違いない!

ということでダムを目指す。足元は雑草のみで歩きやすく、木もないので視界が晴れてくる。左手タラップがある、という案内板が見え、大きいが楽に越えられそう、と思ったのが甘かった。先の災害の影響か、左手側が完全に崩壊している。仕方なく、右手にあるステップを無理矢理腕力で登る。

この次にも似たようなダムがあるが、高さがさほどなく、そのまま越える。すると、眼前には森のみで、この先には道がないように見える。しかし、GPS確認するとどう考えても正しい場所にいる。このまま突っ込んで行くしかない、と思ったところ右手に木製の階段が!久々に見たダム以外の人工物に喜び、何を口にしているかも分からないままわめきながら階段を上っていった。

人間のいる地へ

抜けた先にあったのはJFE健康保険組合みよし観音ではなかった。もう少し右手側を進んでいればみよし観音だったようだが、未確認。とにかく人のいる地に帰ってきたのだ。泥まみれの状態で、おそらく六甲山キラキラしたイベントに行っていたであろうカップル達と出会う。そのまま下っていき、帰りはロープウェイで帰った。ロープウェイから見える木々に時々ピンクテープが括り付けられており、新たな旅の可能性を見た。

2018-09-14

siriポストポカリスはアクエリアスです」

私「OKぐ〜ぐる、ではポストアクエリアスは?」

ぐ〜るぐる「CoCo壱の7辛」

私「カレ〜は飲み物ってかw デブおつw 7辛とか無理すんなw 汗かいて腹下せばちょっと痩せるかもなwww

びゅるびゅる「単芝でそんなひどいこと言わないで」

私「名前がなんか卑猥




みつを

2018-08-11

対策すれば熱中症なんて簡単に予防できるじゃん

外大したことねーな。

ヤバかったのはノーガードで無理してた最初の数週間だけか。

こんなんポカリ飲んでちょっと休憩入れれば楽勝で回避できるわ。

ビビって損した。

騒ぎすぎでしょ

2018-08-06

ビールに含まれる水分

今年は猛暑BBQでの水分補給ビールではなくちゃんと水、ポカリ等を飲みなはれといわれている。

ここでふと気になったのが、ビールに含まれる水分ってどの位なんだろうかと。

缶にはアルコール5%としか書いていない。

水分って一体何?

2018-08-05

anond:20180805203617

どしたん?アイスポカリでも買ってきて

体調整えてね。睡眠不足とかじゃないのん

2018-08-03

ギャップ萌え

彼氏は良く舌打ちしたり、ゲーム死ねって言ってたりする。

その度に注意したら頻度が減ってきた。

暴力的な事を言う彼氏だけど、私に対して「死ね」とか「クズ」とかいう事は無い。

一線を越えることはない。

ゲームに関して暴力的なことを言ったりする割りに

重い荷物を奪うように持ってくれたり、さりげなく車道側歩いてくれたり

夜遅いと迎えに来てくれたり、これが定位置からと腕枕してくれたり、

風邪を引いたら買い物行ってゼリーポカリを買ってきて看病してくれたり、

何かあれば心配してくれたり、お弁当美味しい!ありがとう!と昼食時にLINEくれたり、

晩御飯作って食べるときに毎回「うまそー」「うまい」って言ってくれたり、

食後のお皿洗ってくれたり、

大好き!っていいながら夜は私の事を執拗いじめてきたり

もう……好き。結婚する。

2018-07-30

anond:20180730132844

抽象化ではなく符号化だろ。

「アタマが痛い、お腹が痛い、学校行きたくない」って個別事象を一括りにして「風邪ということにしよう」という符号化を人間はしている。

風邪だという符号に対して実行される行動パターンはほぼ一パターンしかない。「ポカリ飲んで教育テレビ点けていいとも見つつ寝る」だろ。

それら符号化に関しては既にAIは達成できてるんだから、後は人間側が「ポカリ飲んで教育テレビ見ていた人間風邪治療に励んでいた」と評価することだけだろ。

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