はてなキーワード: 通読とは
https://anond.hatelabo.jp/20200727232920
「僕の心のヤバイやつ」(僕ヤバ)がTwitterで大絶賛される点を見誤っているので解説する。
僕ヤバは、セックス以外ならどこまでも際どい行為に踏み込んでしまいそうな二人の関係性に独自性があるわけですよ。
青年誌系だとセックスしちゃうかタダのフェチ漫画になっちゃうし、少女漫画系だと際どい行為にならないので予想外の展開がなくておもしろくない。
そう、僕ヤバはどこまでやっちゃうかわからないハラハラ感がおもしろい漫画なわけだ。で、2週間に1話更新されるたびに盛り上がっている(Twitterで大絶賛)。
これは「次はどこまで過激なことをやっちゃうのか!?」という点が引きになっているから盛り上がるわけで、漫画としてのおもしろさとは別の部分。
過激なことのシチュエーションがかなりひねってある点も、次はどんなことをやるのかっていう盛り上がりの一因だと思う。
自分で解説していて思ったけど、僕ヤバは恋愛系リアリティーショーの漫画版なんじゃない?
まあだからこそ通読したらTwitterで大絶賛という熱量は感じないだろうっていうか、連載を1話1話読むひとと感想は異なってくると思うよ。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 113 | 14365 | 127.1 | 34 |
01 | 78 | 7434 | 95.3 | 44 |
02 | 35 | 2837 | 81.1 | 47 |
03 | 35 | 3782 | 108.1 | 48 |
04 | 25 | 1934 | 77.4 | 34 |
05 | 16 | 1951 | 121.9 | 46.5 |
06 | 28 | 2953 | 105.5 | 69.5 |
07 | 107 | 8911 | 83.3 | 35 |
08 | 71 | 5141 | 72.4 | 44 |
09 | 123 | 10488 | 85.3 | 46 |
10 | 229 | 18851 | 82.3 | 46 |
11 | 202 | 11968 | 59.2 | 33 |
12 | 126 | 7693 | 61.1 | 39.5 |
13 | 201 | 14401 | 71.6 | 40 |
14 | 172 | 11507 | 66.9 | 39.5 |
15 | 110 | 7055 | 64.1 | 26.5 |
16 | 166 | 10780 | 64.9 | 41.5 |
17 | 150 | 11108 | 74.1 | 42 |
18 | 126 | 10747 | 85.3 | 46 |
19 | 134 | 10689 | 79.8 | 40 |
20 | 161 | 15359 | 95.4 | 40 |
21 | 158 | 14051 | 88.9 | 32.5 |
22 | 190 | 18516 | 97.5 | 34.5 |
23 | 213 | 15802 | 74.2 | 44 |
1日 | 2969 | 238323 | 80.3 | 40 |
シュッシュ(8), 中国茶(4), 養豚(3), 竹本直一(3), ニセコ(3), 通読(3), メカニカル(3), 公明正大(3), タラコ(3), 反体制派(4), 執行部(3), 農家(17), 休業(20), 医療従事者(10), 自粛(82), 不要不急(11), 台湾(20), 国債(9), CPU(9), 自作(14), ロックダウン(11), 😷(14), 収束(17), 外出(47), クラスター(11), 給付(14), コロナ(260), 緊急事態(22), 要請(22), 医療(44), 資産(18), マスク(81), 政府(56), 新型コロナウイルス(16)
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https://anond.hatelabo.jp/20200130105418
この文章の続きだ。
時間がなかったので、このあたりは本当に真剣に勉強してた。超直前期に関しては、何日か会社を休んで取り組んだ。行政法に関しては、pdfテキストを何周もしていくうちに、相変わらず全然意味がわからない箇所が出てきたりするので、ようやくネットで調べたりもした。これはけっこう良くて、行政書士試験レベルの行政法知識に関しては、ネット上にすごくうまく説明してくれている人がたくさんいる。とても役に立った。
最後の二週間くらいから、条文素読の時間が長くなっていった。具体的には前述の通り、憲法(1条から8条まで。それから統治は全部。これだけ)と、あとは行政法だと、行政手続法・行政代執行法・行政不服審査法・行政事件訴訟法・国家賠償法。とりわけ行政手続法・行政不服審査法・行政事件訴訟法。
試験前日(11月9日)は、行政手続法・行政不服審査法・行政事件訴訟法を全部一度通読した。
ちなみに、最終的にpdfテキストは、憲法4周、民法5周、商法2周、行政法10周、基礎法学は不明、一般知識7周だけやった。これは試験勉強期間を通じた累計回数ね。
上智大学が試験会場だった。俺は昔から、試験当日はほとんど勉強しない。フレッシュな頭で試験にのぞみたいからだ。とはいえ、試験2時間くらい前に四ツ谷駅についたので、いちおう条文でも読もうかと思い、駅のところのBECKS(だっけ)で条文を少しだけ読んだ。気になる箇所だけね。
それから試験一時間くらい前に試験会場に到着して、席の場所を把握して、あとは会場建物前の階段のところでずっとストレッチをしてた。これも昔からの試験前の作法だ。長い試験中の身体のストレスを軽減するために、念入りにストレッチをする。
目の前では、行政書士試験界ではおそらく有名人なんだろうと推察される男性と女性が、なにやら撮影をしていて、ときどき通りがかった受験生に握手を求められている。
そうそう、試験会場は時計がないとのことだったので、この日のために100円ショップで腕時計を買ったんだぜ。
スタートから良い感じで順調に解いていった。過去二回の模試とは比べものにならないほど、確信を持って進めることができた。一般知識を含め、3問から5問くらい、伊藤塾の全2回の模試で出た知識が役立った。模試は完全に受けて正解だった。
15:15に途中退席して試験会場を出たけど、たぶん合格してるだろうなと思った。
合格発表日がいつかについては、スケジュールに入れていたので覚えていたものの、当日は普通に会社で仕事をしてミーティングをこなしたりしているうちにすっかり忘れていて、15:00くらいに、「あっ、そういえば合格発表確認しないと」と思ってサイトを見たら合格してた。合格してるだろうとは思っていたけど、やはり安ど感はあったね。来年また同じことをするのはちょっと嫌だったし。
その他、雑感など
・試験の難化傾向について
行政書士試験は難化が進んでると聞いていたけど、これはたぶん本当だ。20年くらい前に合格した人たちから、楽勝の試験だと聞いていたけど、想像よりはずっと勉強しないとダメだった。だいたい、昔はテキストもすげー薄いやつしか存在しなかった気がする。
上のほうにも書いたけど、模試は受けるべき。その時点での自分の状況を知ることができるから、勉強の方針を調整していけるし、何より、予想問題としての価値が思ったよりあって驚いた。
・条文を読むべきか否か
行政書士試験の勉強ブログなんかを見てると、「条文は読むべきか否か」みたいな議論があるのがわかる。こんな議論がある時点で、司法試験とは比べものにならないレベルの試験でしかないなとは思うんだけどさ。行政書士試験については、これまた上に書いたけど、憲法(1条から8条まで。それから統治は全部。これだけ)と、あとは行政法だと、行政手続法・行政代執行法・行政不服審査法・行政事件訴訟法・国家賠償法。とりわけ行政手続法・行政不服審査法・行政事件訴訟法は読むべきだ。
だってさ、これらの法律に関しては、行政書士試験の問題って条文知識そのまんまのものばっかりなんだもん。それってつまり、事前に正解が記入された解答用紙を読んで良いって言われてるようなもんじゃん。読まないでどうするの? って思う。
何も特別な対策はしてない。行政書士試験の記述式問題なんて、ふつうに行政書士試験の勉強をしていれば解ける程度のものでしかないもん。逆に、全然解けないんだったら、それは単に勉強が足りてないだけだ。お前は元々法律の勉強をしていたからだろだって? ちがうね。今回はじめて勉強した行政法についても記述式対策なんて全然してなくても問題なかったぜ。過去問を見ていると、ほんのごくまれに行政書士試験にしては難しすぎるだろってのが混ざってたりするけど、単にその年の受験生が不運だってだけの話であって、対策してどうにかなるもんじゃない。
旧司法試験を受験していたころ、早々に合格した連中が口をそろえて、「手広く勉強すべきじゃない。コアの部分をゆるぎないレベルにしておけば問題ない」みたいなことを言ってた。でも、俺は当時その意味がどうしてもうまく理解できなくて、けっこう手広く色んな本やらテキストに手を出しちゃってた。それが今回、だいぶ長い時を経て、行政書士試験を受けてやっとなんとなくその感覚を理解できた。
行政書士試験に関する色々な勉強ブログを読んでいると、公務員試験のテキストに手を出している人とか、行政法の基本書に手を出してる人とかたくさんいる。でも、声を大にして言いたいけど、そんなに色々やる必要はない。総合テキストと過去問と模試問題。これを基本として、わからないところはネットで調べればじゅうぶんだ。
そんなわけで、ここまでダラダラと書いたけど、何かみんなの役に立つ内容を含んでいたとしたらうれしいよ。じゃあね。
採点結果が戻ってきた 1月31日
208点だったよ。
この文章は、20年ちかく前に、旧司法試験の択一だけは3年連続合格した、今は40過ぎの俺が、4か月ほど勉強して令和元年の行政書士試験に合格するまでの軌跡を書いたものだ。
こういう、『ある程度法律知識があるから初学者とは違うんだけど、かといってベテラン行政書士受験生でもない』微妙な位置づけの人も、世の中にはたくさんいるんではなかろうかと思ったんだ。それで、そういう人たちのお役に立てればと思って書いた次第。
最初に――俺はサラリーマンなんだけど――なんで急に行政書士試験を受けることになったのかについて書いておく。俺は副業で色々なコンサル業務をやってるわけ。んで、だんだん行政書士の独占業務の範疇にある仕事に足を踏み入れる可能性が出てきたので、いちおう今時点で合格だけはしておきたかったんだ。そういう理由。
20年ちかく前にもう少し勉強を続けていれば旧司法試験に合格したかも? とか思う日がないでもないけど、あの頃はけっこう気持ちが行き詰ってた。だって、毎晩、大学を卒業できない夢ばかり見てたんだぜ? 実際は大学なんて普通に卒業できてたのにだよ? この夢が意味することって明らかだし、やっぱりまともな状況とはいえないよね。それにその数年前からロースクールが始まって、旧司法試験の合格枠が激減するというアナウンスも出始めてたんだ。
だから、試験に人生をかけていくのはちょっとリスクとして耐えらないと思い始めた。そんな矢先、けっこう良い職場からお声がかかったから、司法試験の勉強はすっぱりやめた。司法試験の勉強をすっぱりやめたといっても、俺のサラリーマンとしての業務は法務に軸足を置いているので、完全に20年も法律から離れてたわけじゃない。でも、もっぱら仕事で使用するのは知財法ばかりなんだけどね。
そして、知らない人のために書いておくと、俺が受験していた当時の旧司法試験の科目は以下の通り。
憲法・行政法・民法・商法・基礎法学・行政書士の業務に関する一般知識等
つまりは、憲法・民法・商法・基礎法学が旧司法試験と重なってるわけ。『基礎法学』は科目としては旧司法試験に存在しないけど、重なっているどころか、旧司法試験を勉強していた奴にとっては、行政書士試験プロパーよりはるかに楽勝だ。行政書士試験プロパーだと、基礎法学は時々まるで意味不明だろうし、対策範囲もわけわからないと思う。でも、旧司法試験を受けた人間にしてみれば、全然わけがわからない問題はまずないと思うよ。ほら、急に模試で「弁論主義」とか「処分権主義」とか言われても、「はいはい、訴訟法でやったねー」ってなるでしょ。
準備する 6月24日
というわけで、俺が行政書士試験の勉強を始めたのは、手元のメモによると、2019年6月24日だ。試験日が2019年11月10日だから、150日間くらい勉強できる日はあったんだけど、途中、2週間ほど海外旅行に行ってたから、実際は126日間勉強可能だったと言える。毎日勉強してたわけじゃないけど、まあそんな感じで勉強を開始した。
行政書士のテキストはたくさん出ているけど、どの会社もその根幹にあるのは「総合テキスト」と「過去問を中心とした問題集」だ。主要な会社はどこも似たような本を出してる。俺は旧司法試験時代に伊藤塾の印象がまあまあ良かったので、伊藤塾のものにした。当時のイメージは、授業もテキストも、「WセミナーやLECは玉石混交」「伊藤塾はベストもないけどひどいものもない、どれもそこそこ良い」だったっけな。あくまで主観だけど。
次に、その足でフェデックス キンコーズに行って、二冊とも断裁して、翌日に会社のプリンターで全部pdf化した。分厚いテキストを持ち歩くのはいやだったし、pdf化してしまえば仕事中にもデスクトップで勉強できるからね。
それから、総合テキストと、それに対応する問題集の問題を順番に並べていった。例えば、テキストの「国会」部分のあとに、問題集の「国会」部分を挿入するといった感じ。あと、なんとなく直感的に問題量が少ない気がしたので、以下の伊藤塾のページから問題を全部ダウンロードして、該当箇所に挿入した。無料だし。
https://www.itojuku.co.jp/shiken/gyosei/feature/ukarugyouseisp.html
https://www.itojuku.co.jp/shiken/gyosei/feature/mgmondai.html
次に、テキストや過去問をぺらぺら眺めながら科目別に方針を考えた。以下のような感じ。
・憲法
旧司法試験の択一試験の憲法は、本番も模試もだいたいいつも16点から18点(20点満点ね)くらいだったから、まあ自信はあった。でも、さすがに20年勉強してないと色々なことを忘れてる。特に択一試験にしか出ないような部分はさっぱりだ。統治の条文知識とか。ほら、内閣はこれをして、内閣総理大臣はそれをして、天皇はあれをするとかそういうの。でも、行政書士試験のテキストと過去問を見る限り、憲法はけっこう楽そうだなあとは思った。テキストを数回読んで記憶を喚起して、あとは条文を数回読めばいけそうだな、あとは判例をどこまで確認するかだな、とまずは考えた。
・行政法
行政書士試験の点数配分を見ると、行政法が圧倒的に重要だとわかった。なにしろ行政書士試験300点満点中、行政法は112点満点だから、全体の三分の一を占めてるわけだ。にもかかわらず、行政法はまるっきり勉強したことがない。大学でも独学でも。ということは、合格には行政法の勉強がキモになるのはわかりきっていたんだけど、どういう法律なのかすら知らないので、とにかく勉強時間の半分以上を行政法に割こうと思った。
・民法
旧司法試験の択一試験の民法は、本番も模試もだいたいいつも17点から20点(20点満点ね)くらいだったから、まあ自信はあった。憲法と同じで、改めて勉強しないと色々と忘れていることは多かったけど。これもテキトーにテキストと問題集を何周かまわしたら大丈夫だろうと踏んだ。
・商法
旧司法試験の論文では、商法はさほど得意ではなかった。それに、俺が勉強をやめたあとに会社法は大改正があって、まったく知らない概念がたくさん登場していることもわかった。だって、俺が勉強してた頃には「合同会社」すら存在しなかったからね。会社法はとりわけ機関のあたりに知らないことが増えてた。会計参与とか。誰だそれ。一方で、行政書士試験における商法の占める割合は超低い。商法に本気で取り掛かるくらいなら、その時間を行政法にまわしたほうが良さそうだけど、どうなんだろうと迷った。そんなわけで、初期の段階では商法にどれだけ付き合うかは決めあぐね、とりあえず保留にした。
・基礎法学
内容もテキストの量も薄くてほっとするわー。まあ大丈夫だろう、という感想。
行政書士試験は一般知識単独での足切りがある。40%以上正解しないと、他の科目が満点でも落ちる。ということで、俺の中では行政法の次に一般知識を要注意科目と認定した。
まずは、総合テキストと問題集が混然一体となったテキスト(要するに俺がpdfで並べたやつね。以降は単に「pdfテキスト」と書く)を頭から読んだり解いたりして行った。当時のメモを読むと、2019年6月26日から勉強を開始して、2019年8月6日に1周目が終わっている。よくわからないところで立ち止まらずにどんどん進むのがコツだと思ってる。
さて、この時点での各科目の感想は以下の通り。
・憲法
とにかく懐かしい。すべてがセピア色だ。マクリーン事件! 三菱樹脂事件! いやあ、あの頃は本当に勉強がつらかったなあ。
・行政法
難しくはないんだけど、とにかくつまらん科目だなあ。pdfテキストを繰り返しやって、最後は条文素読かな。
・民法
懐かしいなあ。久しぶりに民法をやると、得意だった箇所・不得意だった箇所があらわになるなー。今でも法定地上権とか全く問題なくわかるし、連帯債務・連帯保証のあたりが大得意だったのを思い出したわ。逆に、意外なくらい意思表示のあたりがあやふやになってる。テキストだと初めのほうだし、当時は得意だって気がしてたんだけどなあ。
・商法
機関を除けば、株式会社についてはだいたいわかる。でも、ほんと機関が意味不明だ。あと、会社法はクソほど条文が多いわけだけど、行政書士試験のテキストが薄いぜ。こんなんで大丈夫なのか。でも、商法を極めるほどの時間も意味もなさそうだぞ。
・基礎法学
いや、ほんとホッとする。コーヒーブレイク扱い。
ほう。こりゃあ、どうしたもんかな。とにかく「文章理解」を間違う可能性は極めて低そうだ。あとは、「情報通信」と「個人情報保護法」はある程度やる必要があるのかな、どうなんだろう。「政治」はそんなに他の受験生に劣るとは思えない。「経済」は個人的にもともとけっこうわかる。「社会」はどうだろう。んー。
対策方法がわからないので、色々とネットで調べた結果、以下の2冊を買って、夏休みの海外旅行中の飛行機の中で読むことにした。
「改訂第3版 センター試験 現代社会の点数が面白いほどとれる本」
8月の中ごろに2週間ばかり海外旅行に行っていた。旅行中は機内で「改訂第3版 センター試験 現代社会の点数が面白いほどとれる本」と「日経キーワード 2020-2021」を1度ずつ通読した。日本にいる間は、行政法を中心にpdfテキストを回していた。
手元のメモによると、9月13日までに、行政法は4周してる。憲法は3周。一般知識2周。あとの科目はこの期間は何もやっていない。
9月14日に伊藤塾の「行政書士 公開模擬試験 中間模試」を受けてみた。試験時間は3時間。俺は2時間で終えて途中退席して結果は188点。本番の合格点は180点だから、合格点はクリアした。一般知識も足切りされない程度には点数が取れていた。
この時点の進捗に関する感覚は、圧倒的に完成からはほど遠かった。それなのにあっさりと合格点が出てしまって、少し切迫感がうせたしホッとした。あとから気づくわけだけど、このときの模試はけっこう難易度が低かったと思う。そんなこととはつゆ知らず、「この調子で勉強を進めていけば全く問題なく合格する。行政法の完成度が今時点で30%って気がするから、ここを上げていけば大丈夫そう」とこのときの俺は考えた。
でも、この見通しはけっこう甘かったと後で気づく。
そうそう、このときの模試も全てpdf化して、pdfテキストの該当箇所に差し込んだ。
ひたすらpdfテキストをまわす日々 9月14日~10月18日
手元のメモによると、この期間はほとんどpdfテキストの行政法だけをやっていた。具体的には2周。つまり、この時点で行政法に関しては計6周やったことになる。
10月19日に伊藤塾の「行政書士 公開模擬試験 最終模試」を受けた。俺は2時間15分で終えて途中退席して点数は180点。喫茶ルノアールで自己採点をしながら、俺は状況のまずさにおののいた。1回目の模試よりも行政法の勉強はだいぶ進んだにもかかわらず、その行政法の点数が伸びるわけでもなく、全体としては合格点ジャストの180点しか取れなかった。
このときようやく気付いたのだけど、1回目の模試のときは、まだぜんぜん勉強が進んでいなかったので、元々持っている自分のリーガルマインドに頼って直感で勝負していたようだ。ところが2回目の模試では、勉強が多少進んだため、直感ではなく、新たに手に入れたあやふやな行政書士試験知識で解いた結果、勉強は進んだのに中途半端すぎてかえって間違いを増やした気がする。
それでまあ、各科目について以下のことを考えた。
・憲法
憲法ごときに時間を多くは使えない。pdfテキストを無理のない範囲でやり、条文素読(1条から8条まで。それから統治は全部。他はいまさら読まない)をしておけば、試験日までには状態は整うと考えた。
・行政法
行政法についてはずっと勉強し続けているわけだから、引き続きpdfテキストを繰り返しやって、最後はこちらも条文素読だな。素読対象は、行政手続法・行政代執行法・行政不服審査法・行政事件訴訟法・国家賠償法だ。地方自治法は素読は要らん! というか地方自治法に条文レベルで付き合っていられるほど時間的余裕がない!
・民法
pdfテキストをちゃんともう数回まわそう。そうすれば行政書士試験レベルの問題で間違うことはそうそうないはず。
・商法
いまさら真面目に突き詰めるほど時間を割けないので、pdfテキストを流しながら、あとは俺が全然わかってない機関だけやっておこう。
・基礎法学
「文章理解」は過去問・模試問題含め、一切やらない。どうせ解けるから。
「政治」「経済」「社会」「情報通信」はpdfテキストをまわすだけ。
「個人情報保護法」は条文は読まないことにした。問題レベルを考えると、条文を読むことは非効率的だと考えた。あと、伊藤塾の総合テキストは、主要科目はけっこう良くできている気がしたけど、行政法中の「地方自治法」とか「個人情報保護法」あたりはかなりいいかげんだ。条文の中身をただダラダラとコピーペーストしただけのテキストをなんて読む価値ないだろ。それで、「個人情報保護法」については、個人情報保護委員会が出してる、以下の「個人情報保護法ハンドブック」を何度か読んだ。
https://www.ppc.go.jp/files/pdf/kojinjouhou_handbook.pdf
続く。
この増田の使い方をいまいち知らないゆえ、違う場所に先日言及しちゃいました。田中慎弥うんぬんを書いた者です。田中氏は源氏物語を何度も通読し、川端康成、三島由紀夫らの小説を何度も完読したと言います。自分は源氏物語など読む気さえ起こりませんが、田中氏のように、古典を何度も通読。さらに川端や三島の小説を何度も完読することにより、自然と体内に「文学脳」みたいな才能が堆積されたと推測します。たとえばブログ。小説や、他人の文章を読めば読むほど(インプット)、ブログに書くネタやアイデアが次々に生まれる。(アウトプット)。逆にアウトプットが続くと、書くネタが先細る。インプットとアウトプットの関係というか、法則は重要だと思います。でなければ、工業高校出身の田中氏が芥川作家になったには、それなりのインプットがあったからこそ。と自分は確信するのです。ちなみに自分も文学賞たるもの、いつの日か獲りたいと夢見た過去がありますが、自分の中にいわゆる「文学脳」とは無縁と自覚し、あきらめています。賞へのチャレンジの勇気すらありません。一次で落ちるに違いないと。。自己満足ブログ小説で終っています。まとまりのない駄文すみません。
とはいえメールのやり取りや、書類の通読、自社製品の規制情報収集がせいぜいのところで、外人とリアルタイムで意見を交換するようなことはない。
なので、いざ外人との会話になるとサッパリだし、会議に入ると貝になり、セミナーでもちょっと込み入った話になると理解が追いつかなくなる。
そこに、Google様がリリースした(リリース自体は2月だが)Live Transcribeである。
https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/live-transcribe
巷間言われているように、精度がかなり良い。試しにWebinerでモニタの前に置いてみたところ、なるほどここはこう言っていたのか・・・と気付かされることが多数ある。
これなら外人がグワーっとしゃべっても、次々と表示される文字列をチラ見し、とりあえずキーワードだけを拾っておけば、置いてけぼりになることもなさそうだ。
自分は以前からキーワードだけを聞き取って、必死で会話についてくタイプ(TOEICもこの方法で何とかしのいでいる次第)だったので、もともとキーワードだけは聞き取れていたことが多いのだが、それにしてもAIが正確に文字起こししてくれたものが視覚情報として入ってくるのは、想像以上に大きい。
ただ、問題点はこの文字列をどこで見るかだ。手元に泥タブやPixel3を置くのももちろん良いのだが、できればチンアップした状態で聞きたい。となると、目の前に仮想現実を写すスマートグラスの出番だ。
幸いにもエプソンが出しているMoverioはAndoroidの画面を投射できるらしい。
https://epson.com/moverio-augmented-reality
こいつにPixel3を繋げば、外人と会話しながら、常に英文字幕を確認できることになる。
もっと言えば、仮にMoverioに2窓を映せるとしたら、自分の日本語での受け答えを音声認識させ、そいつをGoogle翻訳に自動で翻訳させた英文を表示させることも可能かもしれない。あとはそれを口に出して読み上げればいいだけなのだから、まさにほんやくコンニャクだ。いずれ読み上げるところも自動音声が代替するようになるだろう。
そんな時代がすぐそこまで来ていることに安心し、俺は英語を勉強するのを一切止めることにした。今後はTOEICの点数を競う時代ではなく、上記のようなガジェットをどれだけ使いこなせるかの勝負になるのではないだろうか。
余談:最近は英文書類も「みらい翻訳」で一度翻訳してから読むようにしている。理解のスピードが上がるし、英文読解で何より怖い「先入観」によるミスリードを防止できる。最近は英文メールも面倒くさくなって、一度日本文をみらい翻訳で英文翻訳させてから、アレンジして送るようにしている。
2019年の神経内科専門医試験に通ったので、勉強についてのメモをここに残しておく
専門医のレポートは3月中旬までに提出がいる。全部で10症例。
焦らずにやるのであれば1月から、ただ2週間程度で完成させたような人もいるので、このあたりは個人差があるだろう。
このレポートを見ながら面接を行うので、できるだけ簡単な症例を選んだ方がいい。あんまり特殊な症例だったり、あるいは画像と診断が合わなかったりするような症例は面接で突っ込まれる可能性があるのでやめた方がいい。心房細動があって塞栓症を起こして治療して転院しましたみたいな取り立てて特徴のない症例が良い。しかし症例報告したことがあるようなものであれば質問されても対応できる可能性が高いのでケースバイケースではある。面接については後に語る。
レポート以外に経験した症例の種類と数をかく必要がある。意外にこれが時間がかかる。概ね適当でよいのだが、特殊な症例を書いていると面接で突っ込まれたりする。かといってcommon diseaseだけで書いても突っ込まれる。正直に書くのが良いが、前の病院に問い合わせなどやり出すと時間がかかるのでレポートを書いた後にやろうなどと思っていると時間がなくなるかもしれない。
GWあたりから試験勉強を始める人が多いようだが、やはり早めに行った方がいい。おすすめとしてはもうレポートが終わった段階から始めた方が良い。
試験自体は相当難しい。学会が出している過去問集、通称「青本」から始める人が多いとは思うが、ほとんどの人で初回の正答率はおそらく3割もないと思う。青本は良問だけ集まっているが、実際の過去問をやり始めると悪問も多く、初回の正答率の低さに吐きそうになる。病理、ライソゾーム病や糖原病などの先天性疾患、筋疾患、公衆衛生などの難しさは特筆すべきである。自分が普段みている疾患以外はどれもわからないことが多いだろう。私は変性疾患がメインの医局にいるのでショックがまだ少なかったが、脳血管をメインとしている友人は頭を抱えていた。結構本気の意見として、立ち直るのにも時間がかかるので早めにショックを受けた方が良い。
また、過去問は再現問題を関東だと東大、関西だと京大?が作っていてそれをどうにか手に入れるのだが、作られている解答が間違っていることがかなり多い。複数人が同じ問題の再現と解答をつくっているが、全員の答えが違うということがよくある。いちいち調べて正当を見つけていかないと行けない場合があり、それだけで1日かかったりするので、やはり始めるのは早いほうが良い。
勉強法は人によるだろうし今更説明する必要もなさそうだが、私はノートをつくって試験前に見直せるようにした。
おすすめの勉強法は、まず青本を説いてどういう問題が出るのかを把握する。
過去問は医局内などで貯められたものを手に入れて、4年分ほどやる。並行して教科書を通読して勉強する。私は2015−2017をやって、6月に入ってから2018をやった。
病理は学会のホームページに生涯学習の動画があるのでそれを見ることをお勧めする。
医学生・研修医のための神経内科学:通称「神田本」。これだけで十分である。これを数回通読して丸暗記すれば全く問題ない。ライソゾーム病や糖原病も試験にでるものだけが記載されている。神経内科ハンドブックもおすすめされることが多いが、内容が細かく量が多いので丸暗記には適さず、辞書的に使う方が良い。
神経病理インデックス 病理はこれ1冊でマクロもミクロも十分だった印象。これと学会の動画で十分だろう
他には解剖の本などがあれば良いと考えるが、特にお勧めはない。筋病理や末梢神経病理の本などは読むと理解はしやすいが、そこまで深く勉強する必要はないかもしれない。他に弱い疾患があれば適宜教科書を読むといいだろう。
本番は東大で行われる。地方民は前日に渋谷のホテルをとるのが良い。
試験自体は過去に経験してきたようなマークシートの試験と殆ど差はない。ただ一つ違うのは、試験が終わってからメモは出来ないが、少し問題を見る時間がある。問題再現を行うことが前提になっていることを向こうも把握しているのだ。なので試験時間中に問題を覚えることに躍起になる必要は実はない。
他の注意事項としては、会場の周りにコンビニなどが殆どない。このため短い昼休みに買い出しにいくのが難しいので、朝のうちに昼食を買っておいた方が良い。
終わったら抜け殻になる。
1次試験に通れば請求書が来るので払う。2次試験までは1カ月ほどある
神経診察とレポートを見ながらの、パワハラじみた面談が2つある。
神経診察の方は、基本的に内容は面談者によるので対策をしても無駄である。一応学会のホームページにある生涯学習の動画などで推奨される神経診察、MMTの取り方を覚えて、試験の時はそれを振る舞うようにするのが良い。
眼底鏡を使えるようになっておくと良いとはよく言われるが、最近は聞かれることは減っているようで、自分も使わなかった。NIHSSやMMSEなど点数化するものはなんとなくで良いので覚えておくべきと感じた。
レポートをみながらの面接は先に述べたように、不備があると突っ込まれる。なので簡単な症例が望ましい。レポートに考察を書いているが、それに対して突っ込んでくる人もいれば、それを読まずに聞いてきて考察に書いてる内容を言えばいいような人もいる。なので対策をしても無駄である。
半分は経験症例の方から聞いてくる。特殊な症例を書いているとそれに突っ込まれるかもしれないが、答えられるなら問題ない。多く見ている症例について聞いてくることが多いようで、どういう診察をするかなどが聞かれたりする。ガイドラインと違うと突っ込まれたりする、把握しておいた方が良い。
人によってはレポートも経験症例も見ずに聞きたいことを聞いてくる人もいるので結局対策しても無駄である。
2次試験も合格したら晴れて専門医だが、また金を払わさせられる。それで終わりである。
みんなも頑張ってね
私は生まれたときから母に連れられて王国会館や奉仕、大会へ出席していましたが、中学生でフェードアウトした元2世信者です。
所属していた会衆(地域ごとに集会をするJWのまとまり)の長老は、フランクながらも模範的な親権家族(家族全員がエホバの証人である家庭)で、よく成員に声を掛けて励ましていました。
長老は趣味のレジャーを楽しみながら、生活のための仕事をして奉仕や集会ではよく牧羊の活動をしている、理想的なバランスでやっていて、抑圧的でない方が務めていました。
大会ではストイックさが非常に要求される内容の話が多い中、締め付けはゆるいように感じました。
このためか、会衆の雰囲気も集会の前後の交わりで気さくに世間話をし合ったりよかったと思います。
集会の内容は子供が理解するには大変で、時間も長いため集中することなど不可能で辛かったですが、
当時バプテスマを受けていない伝道者(大会で洗礼を受けずに集会や自発的に奉仕活動に出席する立場)として活動していた私は、
奉仕に行くのはいろんな兄弟と話す機会として楽しくやっていました。校区内で知り合いに会うのは本当に嫌でしたが。
私は、エホバの証人の教義自体は信じても信じていなくもなく、特に興味はありませんでしたが、コミュニティとして居心地がよかったのでやめずに続けているという状態でした。
生まれたときからずっと一緒にいる仲間でしたから。成員に恵まれた会衆の方はこのような方もおられることでしょう。
ただ、中学生だった若い私は、集会や奉仕に費やす時間を惜しむようになりました。
勉強をしたり遊んだり…(ほぼ余暇は遊んでいましたが)その中でエホバの証人としての活動をする時間が惜しくなっていました。
もともと、集会の内容は意味不明で、個人研究(集会内ではなく自宅でJWについての勉強をすること)の頻度を兄弟に尋ねられたときも虚偽申告をしていました。
学校の勉強もありますが、学校を帰った後には結構時間があるので聖書通読の範囲と書籍研究の範囲を時間を取ってやっていますなどと答えていましたが、毎週0時間でした。
奉仕は毎週行っていましたので、奉仕報告(奉仕活動の時間や出版物の配布数を提出する)はそこそこのものを出していたと思います。
しかし、奉仕についても表紙しか読んでいないものみの塔や目覚めよ誌を「今回こんなテーマで書かれた雑誌をお渡ししていますー。よかったらあとでお読みになってくださいー」
なんてバラまいていました。子供なのでよく受け取ってもらえるので、いくつか再訪問先もありました。今思うと、家の人も子供相手に断りづらかっただけなんでしょうけども。
ある時、会衆では模範的な伝道者と見えるように行動しながら、外では世(非信者や俗世間のこと)の友達と遊んだり、普通に過ごしているし、信じていない内容を述べ告げ、
読んでもいない雑誌をおすすめするのもどうかな。これはダブルスタンダードというものだよな。と思いはじめて、奉仕に行く機会を減らしました。
土日どちらも出ていたのを、土曜日だけにしたり、今週はお休みにしたりとだんだんと。その後、テスト期間中で忙しい、あるいは体調不良を理由で集会も休む機会を増やしました。
はじめは、仲間をこれまで欺いていたことが明るみに出ていくことが怖くて、母親が集会や奉仕に出かけた後泣いたりもしました。
案の定牧羊訪問(長老が励ましにくる活動)を受けたりしましたが、はい、はいといつもどおりの愛想で返事だけしていました。やがて、完全にブッチするに至りました。
高校に進学した後も時折兄弟姉妹が顔を見せに家にやってきたり、家に置いてある出版物を見るのが嫌で、大学は県外に進学しました。それからは実家を離れて一人暮らしをしています。
会衆を離れてから、いろいろ調べていると、どうもバプテスマを受けたエホバの証人がこのように不活発になって組織を離れると、
場合によっては背教者とみなされて、家族であっても忌避すべき対象となってしまうそうです。
私はそこまで深く考えていませんでしたが、バプテスマを受けていない伝道者というちょうどいいポジションでお茶を濁していたということでしょう。
もし嫌々ながら集会や奉仕に通っていながら、ダブルスタンダードに苦しんでいる方がおられるなら、
ぜひバプテスマを受ける前に離れることをおすすめします。そうすれば、親とは断絶することなくただの子と親の関係、いたって普通の関係は続くことでしょう。
親は一緒に楽園に行けないなんて!これまでやってきたことはすべて無駄になる!
なんて言って泣くかもしれません。でもあなたも信じていないなら、いずれにせよ楽園に行くことはできないと分かっているじゃありませんか。
これは私の考えですが、私は永遠に生きたくはありません。
世の娯楽を楽しみ、世が作ったもので商売をしています。(もちろん、犯罪などではなくまっとうな、JWの方も使っているものやサービスを提供しています。)
この生活が幸せですし、一日一日を大切に過ごして、最後は死にたいと思います。
もちろん、永遠に会衆の成員や家族と幸せに過ごしたいと思えば、それはあなたが教義に賛同しているのですから続ければいいと思います。
「受けるより与えるほうが幸福である」だとか、「隣人を愛しなさい」だとか。
聖書を字義通り解釈して、これら聖書の原則を大切にして過ごしておられるJWの方は、普通にいい人としてこの世に幸せをもたらしてくれることでしょう。
新着エントリーを全て確認し、その日の話題になりそうな記事を厳選してブコメを書く。
誰もが思いつきそうなブコメを誰よりも先に書く。
昼は朝書いたブコメへのスター状況を確認し、他のブクマカの内容を参考にしつつ、校正を入れる。
校正の有無で集められるスターの数が大きく変わるので、この作業は慎重に行うのが秘訣だ。
昼食後も新着エントリーのチェックは欠かせない。
同時にいろんなニュースサイトをチェックして、新しいブクマを追加してゆく。
夜は、その日はてぶでもっともブコメを集めた記事を通読し、最新のトレンドを把握する。
熟練したブクマカは、大量にスターの集まった記事へも躊躇することなくブコメを書いて、スターを集める。
ここで書くべきブコメは、誰もが思いつくものではなく、独創性に富んだ内容が求められる。
いい質問だね。
まあだいたいおっしゃるとおり、しっことちがって自律で止めることはできません。立ち上がったりした拍子に体内をドバっと降下してくる感じです。
しっこより濃度が高いからシーツ・ふとん・パンツ・スカート・ストッキング・ズボン・椅子・ソファ・畳など、腰から下にあるあらゆる身の回りのものに目立つ汚れがつきがちです。(もれないナプキン?伝説ですね)
うっかり出歩いてる途中に始まると、自分が悪いんじゃないのに結果として人のものを汚したという理由で謝ることになります。
更に、ホルモンが天地ひっくりかえる時期なので頭痛、腹痛、不機嫌、貧血(めまい、ふらつき、手が震える、そんなときに包丁持って料理すると高確率で怪我をする)など人によっていろんなメダパニ的効果に陥る場合があります。
弱体耐性がある女性はうらやましいですが、実はオリンピック選手レベルにおそろしい量で運動を重ねると弱体耐性があがりすぎて生理は何年もこなくなります。
前田健じゃなくて小山健とかいう人が「つきいち!生理ちゃん」というすごくわかりやすい漫画を書いているので、一冊通読すればだいたいわかります。
https://omocoro.jp/kiji/100541/ ためしよみ
ってかほぼ全部読めるじゃんこちら https://omocoro.jp/matome/113450/
僕はアメリカの大学でComputer Scienceをundergraduateで専攻しています。
大学自体のレベルはTOEFLスコアが80あれば入れるぐらいです。
今は2年次ですが各学期に専攻のクラスを一つ以上取っている状況です。
基礎教養に当たるクラスが60単位ほどあるのでそれと並行して進めています。
中学高校とまともに学校へ通わずに、だけど高校は通信制だったので欠席分の課題を何とか終わらせ無事に卒業しました。
大学は担任に勧められるまFランに入ったのですが友達も作れず一年も続かずに退学しました。
それからフリーターしながらダラダラと生活していて、二十歳を迎えます。
高校の友達や担任とその辺りのタイミングで再開した時に自分の人生の方向性を深く考えられました。
唯一英語だけは人生のいろんな場面で触れる機会があり、それを活かしたいとも考え留学に決めました。
両親に掛ける負担は一般的な学生に比べて半端ないと思いますし、それは一生を通しても清算できません。
なのでせめて、失敗だけは絶対にしないという心構えで取り組んでいます。
話を戻します。
入学当時プログラミングに関して、僕はスッキリわかるjava入門を通読した程度で、他の知識は皆無でした。
今まで取ったコンピューターの基礎クラス2つはjavaが主で、試験は選択+プログラミング問題(これは10行に満たない簡単なもの)でした。
もう一つのソフトウェア開発はc++を用いて、後はlinuxの基本的なsyntaxを覚えました。
基本的にどの講義で習うこともネットで調べれば(geeksforgeeksなど)独学は可能で、
特に日本人なら良い日本語の書籍に恵まれているので学費のコストを考えたらUdemyでかなり節約できるだろうなと思いました。
それ以外の雑多なクラス(日本の基礎教養のカリキュラムはあまり分からないのですが、歴史や生物学、英語と理系文系関係なく取らされます。)
も新しい知識を得られる意味では楽しいと思えるのですが、それが大学を出た後にどう自分を助けてくれるのかは想像できません。
Computer Science自体のカリキュラムをざっと眺めると高水準言語からアセンブリなどの機械語に近いものを必須クラスで学び、
後はOSや機械学習、プログラミン言語のprinciples、など選択で取る流れになっています。
これはどの講義でも言える事だと思うのですが、1セメスターで一つの内容に対する深い理解を得るのって時間的に厳しい所があります。
上辺の理解でも試験対策さえすればAを取るのはそう難しくなく、そのまま次の学期に移行してしまいます。
僕が懸念しているのは、このまま卒業すると間違いなくただのジェネラリストになってしまうんじゃないかって事です。
自由時間を使って書籍なりUdemyなりで技術を身に付けるのが最善策ですが、要領よく課題と並行してやるのは難しいです。
まだコンピューターに対する理解が浅く、注力したい分野を定められていないのも不安を抱く要素なのだと理解しています。
「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!
ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。
いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である。文系の研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。
(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様の勅令だったりお役所の行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である。公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)
何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念・方法論レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキルが全然違うので。江戸時代の歴史なら江戸時代の古文書、明治期の歴史なら明治期の文書、中国史なら漢文、イギリス史なら当然英語の古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生が日本の古文書の読み解き方を勉強しても時間の無駄だろう。逆もまた然り。
慌てて言えば分野による。
社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナルな史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。
ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合、史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのものを要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生は修士論文で初めて学会誌に投稿できるレベルのものを要求されることになる。
何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語は大学で第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史やドイツ史やフランス史の場合、韓国語やドイツ語やフランス語は文系の学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツ語フランス語の論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃんと漢文の史料は読めるよね? 現代中国語の論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語やアラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語が必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本でアイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。
なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語で韓国語を選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語はフランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得を義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域に対応できるね! 史学は語学と言われる所以だ。
あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国に植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語やフランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国の言語が使われていたり宗主国のお役所に植民地統治を担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国の言語で書かれている)。さらに前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである。現代日本語の論文はスラスラ読めても古典日本語はチンプンカンプンという人も多かろう。前近代非西洋の征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級の言語+植民地支配してたヨーロッパの言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語+オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーがいるから勉強も簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語を習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまいウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国の外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生の卒論レベルなら日本語+英語or中国語でじゅうぶん、という運用の大学がほとんどだと思う。
(ヨーロッパの植民地についてしか述べていないのは、日本の植民地の場合宗主国の言語を習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本は植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国や台湾の学生あるいはそれらの国からの留学生は植民地時代の自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)
でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家に指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論や博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。
これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国や台湾、フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学のゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家に指導を受けたり、あるいは分野によっては語学の勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガルに留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。
上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系の大学院なんて資産家の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがきに奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋な感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さんの実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか。
よぉオタク、よく来たな。
そりゃタイトルにオタクなんて入ってるのにわざわざ読んでるようなのは、
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さて、attention!
そう、pixivのlogとかによくあるあれだ。オタク、よろしく頼む
.
・このエントリにはガルパライブ5thの両日ネタバレが含まれます
・一発書きなので多分誤字脱字がある(恥ずかしくて通読してない)
・なんでも大丈夫な方のみどうぞ
・無理そうな方は無理せずブラウザバックして、どうぞ。
さて、それでは話を始めます。
.
悲しむこともあったし、怒ることもあったし、楽しくなることだって、感動することだってありました。
CLANNADの汐みたいに、「泣いていいのは~」みたいなのを決めてたわけでもありません。
ただ、とにかく、何か起きても概ね因果関係を把握してしまい、Aが起きたなら結果はBだ、というように世の中を処理するようになりました。
オタクなのでアニメ見たり映画見たりするのですが、「あ、ここ泣き所だな?」みたいな所で
定まった型のような感動を味わおうとする、そんな風な性格をしています。
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さて、そんな私の過去ですが、物心ついたころから捻たタイプの百合厨でした。
わざわざ百合と銘打って検索し始めたのは少女セクト見てからのような気もしますが、
それ以前の私は女子プロレスにキャットファイト的興奮を素で覚えるような人間だったので、
嗜好としては推して知るべきといったところでしょう。
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一方で成績も悪くなく、本が好きなデブとしてオタクの例に漏れずインドア派の青春を送っていた私は吹部にそれを捧げます。
バイエル程度のピアノを履修したことのある私にとって、吹部はいい場所でした。田舎だったので周りのレベルが低く、
演奏技術として課されるノルマも相対的に低かったので、熱くなることもなく、無難な日々を過ごしていたと言えるでしょう。
感情に疎いので、コンクールの結果も概ね予想通りだなくらいの感想しかなく
――そりゃ金賞取ったら嬉しかったですし、銅賞なら悲しみもしました。でもそれはメンツやレベルで推し測ることができるものです――
ユーフォ一期一話の久美子ちゃんみたいに、「あ、皆悔しかったら泣くのか」みたいな感想を持つような人間でした。
まぁそれは今も変わってないのですが。
.
そうやって生きてきた感情の薄いオタクは、――まどマギ見て胸がいっぱいになって人生で初めて感動で泣きそうになったりしましたが――
大学受験に失敗し、ラブライブに出会います。あ、ガルパのサービス開始はオタクが大学に入ってしばらく経ってからなのでもうちょっとかかるよ。
.
高校で悪い友人に音ゲーを仕込まれたオタクは、project DIVAにのめり込みます。
extendを一日2~3時間くらいやってたのであえなく浪人。LPのあるゲームなら大丈夫やろと安易にスクフェスに手を出します。
浪人期の私にとって、スクフェスは勉強を除けば全てでした。リズムゲー、三話で現実を見るアニメ、二次創作で無限に供給される百合。
オタクがオタクたる所以がそこには三つの柱として屹立していました。ちなみにデレステのサービス開始一年前とかの話です。
オタクがラブライブを認めた理由は多岐に渡りますが、大きく三つ、曲と「演者である」というアニメの見せ方とライブです。
曲はスクフェスやってたので無限に聞き込みました。結果、メチャクチャ好きになりました。
アニメは三話が全てでした。オタクは吹部だったので、幕が上がった瞬間に、あれだけの宣伝をしたにもかかわらず客がいないその絶望に共感することができたのです。
自分たちの初めての演奏会、そんなに凄いものじゃなかったことは分かっていたけれど、やはりお客さんが少ないことに一抹の悲しみを覚えたことを。
理屈では分かっていても、目に見えて人が居ない、というのは堪えるものです。シンデレラガールズのNGお披露目回での未央ちゃんの反応も納得です。
そこを乗り越えてライブをするμ's二年生の姿に共感と誇らしさのようなものを覚えて、かつて一話切りしたアニメを見始めました。
ストーリーが死ぬほど面白かったか、と言われると人によって意見が分かれるところですが(いつもの私なら茶化してつまらなさを弄るところです)、
どうしても穂乃果ちゃんから逃げきることができず、オタクは穂乃果ちゃんのオタクになります。
普段の私からすると元気おバカ、それも主人公にハマるなんてひっくり返っても起こらないことです。
そして何気なく見てたyoutubeで、オタクはラブライブのライブ映像を目にします。
始めは何気なしにアニメのライブか、程度で見ていたのですが、オタクは気づきます。中の人がマジでパフォーマンスしていることに。
ラブライブはアニソンの例に漏れず歌唱難易度が高く、その上ライブではもともとアニメーションとして動いているダンスを再現しています。
このヤバいことを同時にやってのける凄い人たちがいる――。オタクはいよいよラブライブのオタクになりました。
しかし時は5thライブ直前、ラブライブのオタクとして日々思索するうちに、パフォーマーとしてのμ'sの中の人の体力的限界問題について考えるようになりました。
アニメ二期の流れ、μ'sが実は5周年を迎えていること、そういった諸々を鑑みたオタクは、μ'sの引退を予見し、取り乱し始めます。
結局、6thがファイナルとなった訳ですが、オタクは再受験に失敗し、μ'sが終わるという現実にも上手く対応できず、
それまで全て歌えたラブライブ楽曲も、PSYCHIC FIRE以降、把握してるかすらも怪しいまでになります。
そうして、初めてコンテンツの興隆と寿命なんてものに触れたオタクは色々な感情を整理できないままラブライブから疎遠になっていきました。
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さて、ラブライブ疎遠期のオタクですがデレステやってました。CoolP、主にかえみゆPとして性懲りもなくスマホ音ゲーに手を出し、沼に浸かる日々です。
あ、ナナシスは曲が好きです。WUGは未履修です。すまない。アイカツは一番古いOPとEDしか知りませんが適当に聞く曲が大体好きなので大丈夫そうですね。
プリパラは3Dのやべー奴だしアイドル事変も未履修ですすまない。何を書いているんだ私は。
とりあえず大学に進学し、サークルに授業に忙しいオタクは、またしても感情を動かさなくなりました。人並みの情動はあれど芯が動くことはない、そんな感じでしょうか。
二次創作百合に手を出し、癒され、適宜アニメ干渉するような生活でした。そうしてリア充と言えなくもない時期を過ごし、
他人から「ホントにヤバいやつ」扱いされぬよう感情を覚え、心の外縁でそれが機能してるようなふりすることがちょっとずつできるようになっていきました。
.
そんなあるときガルパの配信が始まり、少ししてからオタクの好きな曲がいっぱい収録されていることを知って、オタクは徐々にガルパをやるようになります。
大体半年くらい経った頃でしょうか。オタクはキョン子、久美子を始めとするクーデレのような何か(久美子は解釈が分かれるところでしょうね)が好きなので、
奥沢君が推しになります。その一方で曲の割合はポピパとRoseliaがメインなので自然とそれを聞くようになりました。配信サービスに乗っかってたのが大きい。
オタクの音楽の趣味ですが、F、Δ、7といったマクロスが履修済み、シンフォギア(履修中)の曲が好きすぎてパチンコを打つといった具合なので、
大ヒットしたのはRoseliaでした。今も昔も推しは奥沢君ですし、バンドとしては昔のアフロ推しから一転、箱推しになりましたがそれはそれとしてRoseliaはめっちゃ好きです。
Roseliaの何が好きって、Re:bitrth dayです。バンドストーリー本編最終話からの再生の曲、何度聞いても胸が熱くなります。
dearestに似た浮遊感すら感じますし、もはやロボットアニメの最終話、主人公機覚醒シーンとかでかけた方がいいんじゃない?みたいな妄想もよくしてました。
とまあ、いつものようにオタ活に励んでいたわけですが、Roseliaのプレイリストを聞くうちに、またうっかり好きな曲が増えました。
ここでようやく登場する本題、陽だまりロードナイトです。attention含めて3500字近い何かになってきましたね。なげぇよ。
.
さておき、もともと私はこの曲のサビが大好きでした。今までのRoseliaの曲から一転、ボーカルの友希那を包むようなコーラス。
片方が主旋律で片方がハモりのはずなのですが、どうしても主旋律が二つあるように聞こえます。普段、好きな曲はある程度聞いたら歌えるようになるのですが、
この「どっちが主旋律か分からない問題」のせいでオタクは久々に一人で歌えない歌に出会いました。しかしオタクはこれはこの曲の良さだと素直に受け止めます。
それから、忙しさにかまけてRoseliaへの解釈はリサゆきメインの百合厨にそれをゆだねる日々を送っていましたが、その中でリサ姉はRoseliaの精神的支柱だという気付きを得ます。
そして友人のゆりしぃオタクから引退の報を聞きます。この友人、プロジェクト東京ドールズとガルパにめちゃんこハマっており、それはまぁゆりしぃオタクなのでした。
引退。よくあることですね。ラブライブのオタクとしてμ'sの実質的引退を経験した身としては、来るべきゆりしぃロストに向けて色々と語る友人に昔の自分を重ねつつ、
Roseliaのメンバー、中の人が一人交代するのか、位に捉えていました。オタク、FGOエンジョイ勢だったので丁度FGOでのマシュみたいなもんかな?といった感じです。
このオタク、ホント感情の動かなさが種田さんにも高橋さんにも失礼だな?ともあれゆりしぃ引退を聞いた時はそんな印象でした。心の外縁が悲しんでいる様子。
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それから暫くして、ラッキーボーイだったゆりしぃオタクの友人から吉報が届きます。ガルパライブ5thに当たったから一緒に行かね?と。いやほんとこいつ神だな?
ラブライブしか知らなかった頃と違い、大学に行くために実家を出たオタクは、物理的にライブ参戦が可能になっていました。もちろんOKの返事を出します。
もともと田舎出身の貧乏学生だったオタクにはライブ参戦という発想がそもそも無く、何もかもが初めてでした。オタクの知っているライブは、youtubeに公式が上げている
映像か、親切な友人等が貸してくれる円盤かのどちらかでした。そもそもOKした時はワンチャン黒沢さんが出るんか?みたいな印象でした。いやHPくらい見ろよ当時の私。
ラッキーボーイ友人のラッキーは流石に両日は保たず、day2が近所でLVとなりました。その時の私は「初日遠征、二日目がLVでRoselia」くらいの認識だったと思います。
許せ、リアルがごたごたしとったんや。そうしてライブの週になってようやくライブの中身を把握し、ポピパとRoseliaの聞き込みを始めます。一月前からちょいちょいやってたけどね。
その週、気の利くラッキーボーイはGiGSを読ませてくれて、Anfangを貸してくれました。おまけにAnfang付属のRoselia1stライブまで見せてくれました。ほんまいい奴やな……。
これが幾つもある今回のタイトルの原因のうち、最大のものでした。
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GiGSに載ってたのはRoseliaの中の人達が本気で楽器をやっていることの証明でした。吹部だったのでジャンルは違いますが、書いてあることは大体分かります。
全ての楽器の詳細な設定とか、横でそれの担当の奴が弄ってたな……。なんて読みながら感慨にふけりました。そしてその全てはたった一年で為されたのです。一年。
かつて私の部活にもいたのですが、途中から入部して毎日本気で練習して、最高のパフォーマンスをこなす凄い奴。横でその軌跡の一端を眺めてたからよく分かります。
Roseliaは考え得る最高の教育を、最高の形で受け取って、そして最高の形でそれを昇華したんだということを心にすっと感じました。芯に、真っすぐ感情が入ってきたのは久しぶりでした。
そして見せてもらった1stライブ。中の人たちのキャラを知るには十分でした。あいあいはぽんこつだし、くどはるはアクが強い。めぐちは良い人だし明坂さんはりんりん。
そしてゆりしぃはリサでした。まごうことなき今井リサでした。ツッコムわトークを回すわリサゆきだわでオタクはRoseliaの中の人たちにもメロメロでした。
キャラ作ってるのは知ってますが、そんなことはキャラとしてのRoseliaに、そして中の人としてのRoseliaにメロメロのオタクにはあまり関係ありません。
というか罹りたくて罹っている催眠が解けるはずないじゃないですか。そんなことより、これはパフォーマーとしてめちゃくちゃ優秀だということの裏返しだということにしましょう。
こうやってライブ数日前、私の中でRoseliaは完全にRoseliaとなりました。
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さて、ライブ当日です。一日目の遠征は最高でした。Light Delightのサビのサーチライトの演出とかほんま神だったしポピパの中の人の新曲への熱意が凄かったしでオタクは普通に楽しんでいました。
ここで、オタクはかなりの感傷に浸ります。何となく生きてきた人生とは、全力でパフォーマンスする演者による素晴らしいパフォーマンスとは、そして自分とは――。
ポプテピピックの「明日死んじゃったらどうする?」状態です。今までの情動しかない人生に比べて無限に大きな感情がやって来た。処理しきれなくてバグっていました。
そうして帰りの夜行バスの中で最後に落ちてきた風船を眺めながら、パフォーマンス、ライブとしてのラブライブをちゃんと終わらせてなかった、
ラブライブから逃げ出してしまっていたのかもしれない、というところまで何とか思考が帰ってきました。このぐちゃぐちゃと感動、感傷、とにかく感情のすべてを解くカギとして、
幕張から持って帰ってきた風船は捨てずにとっておこう、なんてことを考えていました。そう、遠征一日目はこんな感情だったのです。外縁で処理しきれることも多かった一日目でしたが、
それでもかつて心の中心に居た何かを呼ぶには十分だったのです。
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そして二日目、LVでした。始まる前からゆりしぃ引退が頭をよぎり、「今日はタダじゃ帰れないな」と気が気でなかったような思いがありました。
何事もなくライブは進み、そして陽だまりロードナイトが掛かりました。どこか冷めた自分が、「お、陽だまりロードナイトだ」と心の中で平坦に言ったような気がしています。
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声となって
表情となって
導いてくれる
やさしい人よ
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リサ姉はほんとにそんな人なんです。こんなにも長い間音楽と触れ合ってきて、歌詞のすべてが心の芯まで揺らしていたのは、人生で初めてのことでした。
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二番に入り、
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離れていても 帰る場所がある
どんな時でも 傍にいてくれた
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Aメロはリサであるゆりしぃのことなんだな、というのがさっき心にやって来た衝撃以上の共感となって、瞬時に理解できました。
たとえRoseliaのパフォーマーとしては離れることになっても、ゆりしぃにとってRoseliaは帰る場所であることができるし、
Roseliaのメンバーにとって、ゆりしぃはリサとして、ゆりしぃとしていつだってRoseliaに居たんだ、そんなことを思いました。
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太陽となって
月となって
照らしてく
つよい人よ
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陽だまりロードナイトを聞くとき、これはリサの歌だと思ってたんですけど、ライブでここが流れたのを聞いた瞬間にその思いは少し変化しました。
Roseliaのベーシストとして、太陽のようにファンの前で、Roseliaの中で輝いてきたリサとしてのゆりしぃが、
これからはRoseliaとして表舞台に立つことはないけれどメンバーの心を照らし続けるように、Roseliaに、そしてファンの中に残り続ける。そんなことを思いました。
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この曲では、語り手が「語り掛ける相手」が居て、二回出てきますがどちらもリサを想定することができます。
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「あなたがいれば、怖くないよ」
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と
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名前を呼ぶ声
こんなにも特別な事だと
想い あふれてゆく
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です。文字通り、リサが、ゆりしぃがいればもう怖くないし、たとえそれがRoseliaのなかであってもそうでなくとも、という感情がやって来ました。
これからいなくなってしまうゆりしぃが呼んでいた誰かの名前、Roseliaのメンバーが呼んでいたゆりしぃを呼ぶ声。その一つ一つが、全て特別なものだったんだよ、と語り掛けてくるようでした。
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人に誇れる収入ではあるまいが、ワーキングプアの定義「年収200万円以下」は辛うじて上回る。下を見ればきりがない昨今、地方都市の女性派遣社員としては恵まれた待遇かも知れない。
https://anond.hatelabo.jp/20170315161240
前の記事には「5月くらいには再就職するはず」とあるのだが、一年以上経った今も、私は無職のままブラブラしている。情けないと思う一方で、当然だという気もする。
何しろ就職希望の面接に、ノーメイクで行くような非常識な女なのだ。その理由が「道々涙が止まらなくなり崩れたメイクを落とさざるを得なかった」という、年齢不相応の情緒不安定である。面接の途中で気分が悪くなって退出し、トイレまで我慢出来ずに廊下で嘔吐したこともあった。私が人事担当者なら、こんな人間は採用しないし、それを採用するような企業で働くのは私も不安だ。
どうやら私の精神は、重度の労働アレルギーになってしまったらしい。病院の先生は「軽いアルバイトから始めてみたら」と仰るのだが、やはり面接中に泣き出してしまった。
一年前の私は「自分で思っていたよりダメージを受けていた」という記事を書きながら、心のどこかで「すぐ回復する」と、やはり事態を軽く見ていた。バカは死ななきゃ治らない、というのは本当かも知れない。
このアレルギーの原因は、前の職場環境だけではなく、退職後の傷病手当と失業保険で生活していた期間にもあると思う。
傷病手当にせよ失業保険にせよ、支給額は「働いていた時の給与の何割か」という式で算出されるため、収入は激減する。
その期間中に、私の貯金は随分増えた。おかしな話だが、収入が減って、貯金は増えた。
理由は簡単。働かなくなったことで、収入以上に出費が減ったのだ。
仕事着のスーツを買わなくていい。当然クリーニング代も不要である。オフィスサンダルもパンプスも、ストッキングも要らない。通勤電車でもみくちゃにされないので、服も鞄も傷まない。
疲れて帰ってきて惣菜で夕食を済ませたり、寝坊してしまって昼はコンビニ弁当、ということもなくなった。冷凍食品も買わなくなった。残業帰りの夜道が不安でバスやタクシーを使うこともないし、楽しくもない忘年会や歓迎会の会費とも無縁だ。
娯楽にしても、平日の昼間はほとんどの施設が安価で、映画もレディースデー料金で観られる(働いていても夜の部を観れば良いのだが、私にはその余裕がなかった)。友達とたまにしていた夜の外食は、相手の職場付近でのランチに置き換えてもらった。1回あたりの話せる時間は半分になったが、2回会っても出費は夕食の半分以下だ。
通勤時間に読むための本を、無闇に買うこともなくなった。代わりに図書館に通ったり、書店で読む時間がたっぷりあるので、通読して気に入ったものだけを買う。読み終わっている本を買うの?と怪訝に思われるかも知れないが、本好きとしては極限レベルの妥協点である。
そうした出費の減少が積もり積もって、私の総支出額は激減した。
働いて得た収入の大部分を、働くために使っていた。仕事をやめる前と後の家計簿を見比べると、そういう結論に辿り着く。職を失って節約を心掛けていたにせよ、それだけで出費が半減するはずはない。
私は確かに、月の半分は自分が生きるために働いていたが、残りの半分はそうではなかった。
最近、人に食われる夢をよく見るようになった。私の内臓を食べている人は、前の派遣先の上司であったり、PCの操作を覚えようともせずに丸投げしてきた社員であったり、派遣会社の担当者であったりする。
私が自由に使えるはずの時間と体力、心の健康。それらを犠牲にした対価であるはずの雀の涙ほどの給与までもを、仕事が、彼らが貪り食ってしまった。夢の内容をそう解釈してしまうのは、私の心が病んでいるせいだろうか。
夢に出てくる人たちのことを、悪い人だとは思っていない。だからといって、私自身も生きながら内臓を食われなきゃいけないほど邪悪な人間ではないと思う。他に呪うべき相手は思い付かないけれど。
子供の頃、仕事とは誰かの役に立つことだと思っていた。その時生じる「ありがとう、助かりました」を、お金に変換したものがお給料である。「えほんがすきだから、しょうらいはさっかさんになるの!」と同じくらい、子供らしくて純粋で、現実を度外視した世界観だった。
でも、人の役に立つって、本当はこういうことなのかも知れない。
はらわたを食われる夢の中の私は、大抵そんなことを考えている。腸が滑らかに引きずり出されていく様、それが相手との間でぶらんと垂れ下がる様を、冷静に観察している。がらんどうになった胴の軽さ、残された骨の軋みを感じている。
傷病手当も、失業保険も切れた。貯金が尽きる前に、労働アレルギーを治して、また彼らに食わせるための肉をつけなければ。そう思うのだが、それを出来る自信がない。
【同日22時過ぎ 追記】
こんな文章を深夜に書いているのはおかしいと自分でも思い、一晩眠って心療内科に行ってきた。ついでに足を伸ばして博物館の特別展を見て、一旦帰宅した後、五キロのジョギングを終えてPCを起動させ、反応の数に驚愕した。
深夜の病んだ精神状態をも発信出来てしまう、インターネットは怖いツールだ。
職と収入を失ってからの一年間で、私が更に失ったものがある。前の記事に書いた「たっぷり寝て美味しいもの食べてジョギングしてプール行って本読んで映画観てカラオケに篭もる」を実践した結果、体重が少しだけ、体脂肪率は5%も落ちた。
失われた贅肉を惜しむ気持ちは勿論なく、体調に限って言えば自分史上、最も体が軽くて健やかな部類である。
心の方も、そう悪くもない。本文の通り、金はないが時間が有り余る生活を謳歌している。
あの夢は確かに不快だが、私が己の内臓を差し出すような働き方をしていたのは事実であり、夢の中=過去の私は現実=現在の私とは別人なのだ。夢は一年前の出来事を離れた所から、多少冷静に見られるようになった証のようにも思える。せっかく夢が警告してくれているのだから、次の仕事を探すときは、同じ過ちは繰り返すまい。
その冷静さのせいで、家計簿を見て凹んだりもしたが、渦巻く気持ちをネットの海に吐き捨てたら憑き物が落ちたようにスッキリした。この記事を読んで心配してくださった方、すみません。揺り戻しで自己憐憫に溺れることもあるけれど、私は元気です。
吐き出しついでに考えてみたところ、労働アレルギーを発症しているのは私の心ではなく、体のように思えてきた。
犬を「散歩に行くよ」と騙して動物病院に連れて行くと、その後「今日は本当に散歩だよ」と飼い主が誘っても、「またぶっとい注射を打たれるんでしょ?」と拒絶することがある。
あれと同じで、私の理性が「もう働けるよ、今度こそいい職場探そうよ」と呼び掛けても、動物的な部分は「また暗くて寒い場所に閉じ込められるんでしょ?」と尻尾を巻くのだ。動物だから、言葉による説得は通じず、泣いたり吐いたりして拒絶を示す。体の記憶は強固である。
労働環境はともかく、仕事の内容も職場の人も、私は結構好きだった。少なくとも理性の部分では、そう思えるようになった。あとは体が追い付いてくるのを待つだけだ。
まず来てくれるのかが心配ではあるが、時間を掛ければ大丈夫だと、先人たちが証明してくれている。それまで貯金が持つよう祈りつつ、在宅の仕事や支援制度についても調べてみようと思う。
今度こそご心配なく。死にさえしなければ生きて行ける。
ところで最寄りの書店はソファで昼寝している人がいるような大らかな雰囲気の上、店員さんには「読み終えようがレジには来る」という情報込みで顔を覚えられている。元々常連だったこともあり、いつもニコニコと対応される。
が、書店の迷惑ではないにしろ、本を買わずに読むという行為は情報の窃盗には違いない。図書館の利用にも似たような罪悪感がある。就労云々とはまた別に、早く好きなものを心置きなく買えるようになりたい。