はてなキーワード: 源氏物語とは
(終助)
①自分の判断を強く言い切ったり,主張したりするのに用いる。「ぼくの方が正しい」「これならきっとうまくいく」「そら,やる」
②疑問詞と呼応して,反語や疑問を強めるのに用いる。やや文章語的な言い方。「一体だれがこの難問に答えられよう」
(副助)
文中の疑問詞を受けて,不定の意を表す。「だれに聞いてくれ」「なん食べ物はないか」〔の終助詞は近世以降の用法,の副助詞は中世以降の用法〕→ぞ(係助)
ぞ
(係助)〔古くは「そ」。上代から中古にかけ次第に濁音化し,「ぞ」が一般的になる〕体言・活用語の連体形・種々の助詞などに付き,取り立てて強く指示する意を表す。
①一つの物事を特に取り出して強調する。「峰高く,深き岩の中に聖入りゐたりける/源氏物語」「野中に岡だちたる所に,ただ木三つたてる/更級日記」
②文の調子を整えるのに用いる。この場合,動詞の連用形に付き,サ変動詞「する」で受ける。「折りてみば落ちしぬべき秋萩の枝もたわわに置ける白露/古今和歌集」
文末にある場合。その文を強く言い切るのに用いられる。「我をいかにせよとて捨てては昇り給ふ/竹取物語」「この西なる家には何人の住む/源氏物語」→ぞ(終助・副助)
これ面白くて、未来が自分の後ろ側にあった時代には矛盾がなかったんですよ
我々現代人は普通「未来が前、過去が後ろ」なのが当たり前だと思ってますが、昔は過去が前、未来が後ろにあったんです
全く日本独自のことではなく、古代ギリシャやソマリ語など世界の地域/言語であった/あることらしいですが https://t.co/3iG9Uaqgae pic.twitter.com/hkoAEAJjB0— 重藤小藤太 (@Kotouta_Sige1) February 18, 2024
この言説は正しいのだろうか。この場合、過去に書かれた文学などにおいてどのような用法があったかを確認すればいいだろう。というわけで『源氏物語』から「先」が未来をあらわしている箇所を引用する。
わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ行く先も頼もしげなめることと思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせ給ふ。
「私の治世もいつまで続くかわからないのだから、(光源氏が)臣下として朝廷の後見をすれば、この先も頼もしいだろうと考えて、さまざまな学問を習わせた」といったところだろうか。この「行く先」は未来を指している。
中に十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなえたる着て走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えてうつくしげなる容貌なり。
「その中で、十歳くらいに見えて、白い衣に山吹襲の着慣れた上着で走ってくる女の子は、その他の多くの子供とは違って、将来が楽しみな可愛らしい容姿をしている」といったところだろうか。この「生ひ先」も未来を指している。
我が心ながら、かかる筋に、おほけなくあるまじき心の報いに、かく、来し方行く先の例となりぬべきことはあるなめり
「自分のことながら、このような身の程知らずのあってはならない恋の報いとして、このように後にも先にも例になりそうなことが起きたのだろう」といったところだろうか。「来し方」は過去、「行く先」は未来、という時間の感覚がよく分かる。
一方で、もちろん「先」と書いて過去を指している箇所もある。
あこは知らじな。その伊予の翁よりは、先に見し人ぞ。されど、頼もしげなく頚細しとて、ふつつかなる後見まうけて、かく侮りたまふなめり。さりとも、あこはわが子にてをあれよ。この頼もし人は、行く先短かりなむ
「おまえは知らないのだろう。(姉君と私は)その伊予の老人よりも先に会っていたのだ。けれど、(姉君は私のことを)頼りなく弱々しいと思って、あのどっしりとした男を夫として、このように(私を)馬鹿にしているらしい。とはいえ、おまえは私の子でいてくれよ。あの頼もしい人は老い先短いだろうから」といったところだろうか。この箇所には二つの「先」があるが、「先に見し」は過去、「行く先」は未来を指しているのが面白い。
このあたりを見るかぎり、単に「先」といえば「過去」あるいは順序的な「前」を指しているが、「行く先」のような言い方だと「未来」になるようだ。これは現代的な感覚としてもわかるのではないだろうか。「先に〜〜する」と「この先、〜〜する」の違いだ。
ではさらに遡って中国では「先」という漢字はどのように使われてきたのだろうか。
先(拼音:xiān)是汉语一级通用规范汉字(常用字) 。此字初文始见于商代甲骨文及商代金文,古字形从止(指脚)从人,人举足则前进,表示在前面的意思。 先的基本义是走在前面,引申为时间或空间的次序在先。引申用作名词,特指祖先,又指过世的,多指长辈。
先(拼音:xiān)は、中国語の一級通用規範漢字(常用字)です。この字は商代の甲骨文と商代の金文で初めて見られ、古い字形は「止」(足を指す)と「人」から成り立っています。人が足を上げると前進することから、先は前にあることを示しています。先の基本的な意味は先頭を歩くことであり、時間や空間の順序が先にあることを意味します。名詞としても使われ、特に祖先を指し、また亡くなった人々、特に長老を指すことが多いです。
意味などを調べてみたかぎり、どうも中国語では「先」が「未来」を表すことはなさそうだ。空間的な順序では「前方」側、時間的な順序では「過去」側、で統一されているらしい。このあたりは中国語に詳しい人の解説を求む。
原義が「先頭を歩く人」で、時間的には「過去」を表すというのは、どう考えればいいだろう。イメージとしては、人々が一列に並んでいて、自分はその真ん中あたりにいる。空間的には、列の先頭の人は、自分の前方にいる。しかし、時間的には、先頭の人が先に動き、自分はその後に付いていくことになる。先祖代々が一列に並んでいるところを想像すると、その「先頭」はいちばん古い人だと考えるのが自然だろう……ということではないか。
精選版 日本国語大辞典
先・前(読み)さき
日本語の「先」には「目的地」という意味がある。たとえば「出掛け先」だとか「勤務先」のような言い方である。そして先ほどの「行く先」はまさにこの用法だろう。つまり「先」という漢字から、まず「目的地」用法が生まれ、それから「目的の地点」を「時点」にするイメージで「未来」用法が生まれた、と考えるべきかもしれない。
まとめ。
1. 日本語では「先」が「過去」を意味したり「未来」を意味したりする
3. 中国語では今でも「先」といえば「過去」だけを意味するらしい
残りの課題。
圧倒的な醜さ、頭の悪さ、一途さ、誇り高さ、純粋さで、一度セックスした源氏を夫と信じて待ち続け、困窮の極みで愛人の家に行く途中の源氏に発見され、一生面倒を見てもらえた末摘花。
さほど美しくないが家庭的で慎ましい性格で、早々に女として愛されるのを捨てて源氏を癒やして信頼を得て、源氏の子供達の育ての親として安定の人生をゲットした花散里。
等々美しくない女の中には源氏のおかげで幸せになった女も少しはいる。
バリバリ仕事ができて帝の信任も厚く、教養も身分もあり老いても美声で、登場時点で58歳とかなりの老女なのに若作りで自分の好きな華やかな装いで居続け、男好きで当代一の若いイケメンに色目を使ってセックスをして、若い頃は美女で、婆になっても自分に惚れてる爺に執着されている。
紫式部が嫌いな義理の姉モデルに作ったと言われているが、長く太く一生幸せに好きに生きられたのは凄いし、今の時代に再評価されるべきキャラでは。
源氏物語の帝みたいなかんじ?