はてなキーワード: センター試験とは
なんで優位かわかりますか?
産業が少ない地方はね、地方に残ろうと思ったら公務員か地銀しかないんですよ就職先が。
地方国立大卒の地元志向優秀層が行政職、警察、消防、教員どれか選ぶの。
地方国立は偏差値は低めなところも多いけど、一応5科目センターで必須とされているし
何度も言うけど、いろんな理由で地方から出られないからやむを得ず地方公務員である教員になっているの。
それなりに優秀な層がいるから、地方の公立学校はそれなりに優秀な層を育てられるの
首都圏では教育に理想があるよい学歴の人は、私立の教員になっていることが多いですよね。
首都圏ではFラン私立でも倍率も低い首都圏の公立学校の教員になれたりしてないですか?
センター試験で5科目勉強できるわけでもない、下手したら分数もできないとか言われている層の大学を出た知人が教員免許取ってたよ。
最近起きている、掛け算の順番問題とか、なんでこんなので×つくの?みたいなレベルのあほな採点
・・・・まともに教えられるんですか?
地方はこのような不幸な事情が理由で、今のところ教育レベルを維持できているけど少子化で仕事があるから、優秀層はどんどん都会に出ているよ?
高校1年生の時の友人は東大法学部に行って官僚になると言っていた。実際東大法学部に行ったことは知っているがその先は知らない。
とにかく鬼のように忙しかった。大学でもこんなに書かせなかったわというくらいレポート(課題)を書かされた。
1年生の頃は書くのに数週間を要するような重めの課題学習レポートが各季節に1回くらいあった。スケジュール構成が下手だと、締め切り前日に完徹しても終わらず、ここで15歳の高校生たちが徹夜を覚えた。それから内容はともかく既定の分量を満たす長文を書く小手先のテクニックを覚えた。
1年生の3学期は学生4-5人で協力してパワポ資料を作成し発表する授業が各教科で3回程度あった。モチベーションの異なる学生たちとどうにか形のあるものをつくるコミュニケーション力とスケジュール力と諦めを学んだ。
2年生になると上記のような重いレポートは無くなるが、代わりに物理と化学の実験レポートが毎週のように課された。それぞれ年間で50本程度書いた気がする。これを1年時のレポートのように毎回徹夜で乗り切ろうとすると週の大半を徹夜しなければならなくなり、体調を壊す。これによりそこまで重くはないがとにかく大量で締め切りが複数ある課題をとりあえずこなす能力が鍛えられた。
さらに、高校2年時に1年かけて研究テーマ設定を行い、実際に研究する活動もあった。私はこういった自分でジャンルを設定する仕事はすごく苦手なのでものすごく手抜きで出した。今思うが社会人になって今やらされている新規事業創出はまさにこれだ。今死んでいる。私には適性がない。
3年生はさすがに受験なのでこういったレポートは落ち着くいた。
もちろん上記のレポートのほかにも他教科の予復習、宿題、部活、学校行事などあった。目まぐるしい3年間だった。私は下から数えた方が早いくらい素行の悪い問題児で、色々と周りの人間に迷惑をかけながらもどうにか卒業し、大学受験は浪人した挙句予備校ではほとんど勉強しなかったが、センター試験は向いていたのか私大に滑り込んだ。
色々あってようやく社会人になった。私は小さい会社のしがない会社員である。
この高校の人は、「うちの高校は大学卒業後に入ってよかったと思える高校だ」といったことをしょっちゅう言っていた。
社会人になったが、本当かなぁ。
でも確かに、社会人になって行う仕事って、高校生の時のような課題地獄と少し似ているなぁと感じる。結局はコミュニケーション力なところ。締め切りが複数あるところ。
私の職種はまだ、いわゆる机の上のテストのお勉強ができることを評価される職種だけれど、それよりももっと、幅広い知識のアンテナとかが評価される気がする。全然ないけど。
結論はない。勉強サボってこんな昔語りをしてしまった。コーヒーのせいかな。
いい加減おべんきょうせねば。面倒くさいなぁ
西階中学校では、近年、教育委員会が、 初等幾何や整数論を教えようとしているが、教員の中には、3,40代の者が多く、昭和58年に学習指導要領から
それらは廃止されているので、我々にはそれを教える教養も能力もないという意見があがっており、しかも校長は体育の専門のため、数学については分からない
ということである。
平成9年に西階中学校で整数論を教えていた小泊教諭らに聞いても、その当時は何もやっていなかったという返答。当時在籍していた生徒全員に聞いても
実質的には、斉野平先生から幾何学のなんのテクニックも定理も教わっていないといっている。
宮崎県高等学校の入試問題には幾何学の簡単な問題が出るが、10年一日のようなものであり、解けなくてもいいようにされている。
また、西階中学校の男子生徒の中には、幾何学に興味を示す者もいるが、女子生徒の中には、つまらないし、そもそも先生が教えていないとして不満を持っている者が多い。
延岡高等学校の生徒に聞くと、平面図形の問題は高校でも習うが、内容はメネラウスの定理、チェバの定理だけで無内容。定理を教わるだけで問題は解かない。
スタデーサプリの先生はセンター試験に出る多少難しい平面幾何の問題を解いているが、センター試験では誰も平面幾何を選択しない。
荒れた地元から抜けだしたくて、中学受験のための勉強に明け暮れた小学生時代。(受験半年前に父がリストラにあい、経済的な余裕がなくなり公立中へ進むことになる。
それをきっかけに家庭は崩壊、母は父に「毎日ハローワークに行け」などと言い、母方の祖母は「死んで償え」と父を執拗に責めた。もう既に亡くなっていた父方の祖母の遺影を蹴っ飛ばし、何度も父の前で踏んづけて見せた。その後父は母方の祖母のお望み通り、自殺した。)
吹奏楽部に入り、夏休みのコンクール前には朝から晩まで練習、それでも力及ばず銀賞(吹奏楽コンクールにおける銀賞は全然上手くないことを意味する)だった中学時代。
部活引退後猛勉強をして偏差値60くらいの第一志望の高校に合格。両親共に偏差値40くらいの学校に通っていたので個人的には上出来だと思っている。
ギリギリで合格したこともあり、結構頑張って勉強しても全然平均点に届かない。
部活に力を入れている学校だったので、頻繁にクラスメイトが全国大会のために授業を休んでいた。
自分は自分なりに頑張っているつもりだったが、「全国大会出場」という大きな功績を残せないことが悔しかった。
大学受験はセンター試験で大失敗したので大幅に受験校を変更することになってしまったが、受験した学校は全部受かった。
父が亡くなったときの保険金で、無事大学に進学できることになった。
もちろん授業はちゃんと出ながらだけど、高校時代の悔しさを晴らすべくサークル活動に打ち込んだ。
サークル引退後はスナックでアルバイトをして100万くらい稼いで、自動車学校の費用と、学生特例で猶予してもらっていた年金の支払いに充てた。
半年くらいはスケジュールにほとんど空きがないくらい、インターンや説明会や面接の予定を入れた。
大手ばかり10社から内定が出て、その中でもいちばん人気の企業に入ることにした。
シンプルに何で私ここ入れたんだろうと思った。
圧倒的に顔採用だし、学歴フィルターもあったし、同期のほとんどは体育会系サークル出身だった。
研修が終われば関わりがなくなるしと思って泣きながら会社に行った。
1か月の研修はなんとか乗り越えた。
初日の朝から指導係に「お前は人の顔色を伺っている」という理由で泣くまで詰められ、「泣くなら帰れ」と言われた。
指導係から、一切の仕事を教えてもらえず、一日中罵倒される日々が続いた。
化粧をしないで会社に行った日があった。
疲れすぎて化粧をする気力がなかった。
家を出るときに、母に「化粧できないほど辛いってアピール?(笑)」と言われた。
辞めたかった。
30代になったら年収が1000万になるらしかったけどそんなのどうでもよくなるぐらい辞めたかった。
指導係から毎日一切仕事のことを教えてもらえず、「お前って本当に日本語が通じないよな!」と言われた日、会社の廊下で声を上げて泣いてしまった。
「人生終わったね」
会社を辞めることになりました、と母に伝えたらそう言われた。そうだと思った。特に反論はしなかった。
ハローワークの相談員に「絶対ADHDだと思う、じゃなきゃこんな無能なの説明つかないよ」と言われたので、精神科に行き、発達障害の検査を受けた。
結果は、平均よりIQは少し高いので知的障害の可能性はありません、「言語理解」「知覚推理」「ワーキングメモリー」「処理速度」も平均的でばらつきはありません、得意なことと不得意なことにやや差がありますが、発達障害とはいえないとのことだった。
次の就職先はすぐ決まった。
デザイン事務所でのデザイナー(未経験)として採用された。他県での仕事だったのでここで初めての一人暮らしが始まった。
デザインに使用するAdobeのソフトの使い方を必死で覚えた。
業界柄残業が死ぬほど多く、指導係から性的な内容の気持ち悪い手紙をもらい、社長から「雇って失敗したな」と直接言われた。
でも仕事の内容は誰かに聞けば教えてもらえたし、やりがいがあって楽しかった。
疲れて帰ってきた日は何も食べる気になれず、あばらが完全に浮き出るまで痩せた。
そういうのもあったのか、2年目のひどく暑い夏の出勤途中、倒れた。
人事から「戻っても腫れ物扱いだよ」と言われていたし、復職してちゃんと健康的な生活が送れる気がしなかったので、3か月休職して辞めた。
全く、本当に全く原因が分からない。
休職直前、誰からも何も言われてないのに涙が止まらなくなったり、背中がすごく痛くなったりした。
やっと落ち着いて働けそうなところを見つけたのに、休職してしまった。休職期限が来月に迫っているが、全く回復の見込みが無いため、退職予定である。
疲れが永遠に取れない。
頑張れなくなってしまった。
https://anond.hatelabo.jp/20220419140308
関西限定とはいえ、160名しか合格できない中で選抜を受けて受かってるのに理Ⅰって合格者数多すぎてヌルゲーすぎる。
私が受験した年、校内での自己申告結果ではセンター試験数学IAの平均点は83点で、そもそも60点以下が10人もいなかった。
元増田が言ってるやつがこの10人~15人に該当しなかったのであれば、そりゃ受かるよ。
しかもこの15人の中でも全教科苦手なやつというのはいなかった。そりゃ1教科とか2教科だけ頑張ればいい奴なら受かるのは当たり前。
中高で6年もかけて勉強する時間があるのにたった2教科の試験で難易度も高くない私立大学の受験で合格できないやつがいることのほうが理解できない。
ウン年前に東京の女子御三家に通ってた理系大学進学者だけど、勝負強さというよりは単純に中高一貫校のカリキュラムの問題だと思う。
追記:数学の定期テストで1度も50点以上を取ったことがない(というかだいたい30点台を低空飛行していた)ので、落ちこぼれとはまではいかないけどまあ底辺から見た感想です。その点数でなぜか理系を受験する気になったのは今思うと肝が冷える。親もよく許したな。
自分のころは、
うちの高校は2年生で文理選択させられる。それまでは芸術しか選択科目がなかった。
で、高校1年生の夏休み以降はひたすら数学の演習を繰り返す。数IAや数IIBで中学のカリキュラムと被っている部分は飛ばすので効率よく勉強を進められる。
英語は得意だったので学校のカリキュラムはあまり覚えていないが……高1時点で高校レベルの文法学習は終わっていたと思う。自分は高校時代の単語帳だけでTOEIC900点とれたので(過去問演習はもちろんした)、単語帳もなにかいいものを使っていたはず。
高2までは古文のテキストを全文ノートに写して品詞分解したものを提出させられたり、世界史や地理でみっちり暗記させられた記憶がある。
特に中1時点で百人一首をすべて暗記させられた古文は役に立った。センター試験の古文は単語を覚えただけでほぼ満点が取れた覚えがある。
また、国公立大学の理系学部受験者がほとんどセンター試験で倫理を選択していたのだが、世界史のおかげで倫理の流れはすごく頭に入りやすかった。
大学時代に家庭教師のバイトをしてみてはじめてわかったが、公立中学・高校で漢検・英検を受験するのは、少なくない生徒にとって時間の無駄であって、自分で100%勉強できるのならよいが、特に中学生は、まだ学習のリズムも整っていないのに、受験すると内申点が上がる?からといって、わざわざ塾で補修を受けたりする。
何しろ問題形式や内容が高校・大学受験と大きく異なるので、せっかくの勉強を受験に生かせない。漢検はまだ少し役に立つかもしれないが。
で、試験が終わればせっかく覚えた英単語なんかは一瞬ですっぽ抜けていく。場当たり的なリスニング対策をするよりは毎日5分ずつでもディクテーションをしたほうがなんぼかましだ。
だいたい、難関私立中学を受験する子供は小学生のうちに漢検英検を受けているものである……というのは偏見だろうか。
高3の最初の化学の授業で先生が一言「センター試験では90点以上取るのが当たり前です」。実際物理化学は満点付近を取るのが当たり前。
今でもよく覚えているが、センター試験の英語記述で200点中198点取れたと喜んでいたら、その年、うちの生徒のほとんどが190点以上取ったらしい。ぬか喜びである。
これについては説明するのが面倒だし、自分は中1の途中で挫折したので気になった方は各自調べてみてほしい。
書いている途中から飽きていったのが伝わる文章ですまない。あと科目選択の話とか受験校選択の話とかいろいろあるがそこらへんを細かく書くと身バレしそうなのでやめておく。
昔、高校生の時にベネッセの営業が学校に来て、体育館で学年全員集めてなんかセンター模試の説明してたのよね
うちの学校は自称進学校的なところで、模試を学年全員で受けましょう! ってな感じでやってた
ベネッセの人は言うわけよ、「この模試を受ける人数はセンター試験を受ける人数と同じくらいだから、結果に信憑性がある!」って
でも、うちの学校でセンター試験を受けるような人ってだいたい2/3くらいだったのよ
大学行かない(専門学校に行くとか)って人や、推薦で決まってるとかそう言う人も普通にいた
そもそも普通コースと特別進学コースがあって、後者はみんな大学に行くけど、前者は結構進学先はバラバラだったわけ
普通コースは正直3年の夏くらいには進路決まってる人がクラスの半分くらい居た
そう言う人たちも全員模試を受けさせるようなことをうちの学校ではしていたわけ
あれは15年くらい前。
俺の受けるセンター試験は大阪の東のほうが会場で、駅からバスに乗って行くしか方法が無かった。
普段行かない土地の路線バスの行き先なんて分かりにくいもんだよな。特に京阪バスは分かりにくい。バスターミナルでキョロキロ見てたらやっとそれらしいバスが見つかったんで、時間ギリギリなのもあったので飛び乗る。
程なくして四人組くらいの受験生と思しき集団もバスに乗ってきて「このバスってセンターの会場まで行くんですよね!?」と俺に聞く。
「はい、そうです!頑張りましょう!」当然そう応えるよな。
で、発車のエンジンが掛かって何故かピンと来た。「あ、このバス全然違う方向のバスだわ」。
ギリギリの所でバスから飛び降りた俺だったが、例の四人組は降りられない。最後部座席から俺のことを不思議そうに見ていたその内の1人の目が忘れられない。
10min後のお前には、俺がお前たちを蹴落とそうとした人間に見えているんだろう。
俺の方は慌ててタクシー乗り場でタクシー捕まえて、会場にはギリギリ間に合った。よかった。
彼らも多分間に合ってると思うけど、もし間に合ってなかったらゴメンやで。今でも悔やんでるんやで。
泣きました!僕はゲイで、年収300万で、熊本出身です。東京では九州大学という学歴はゴミで、センター試験を受けたという話をすると、貧乏なんだ(w って哀れんだ目で見られます。悔しいです。氷河期世代の区役所の公務員試験も、10回連続で面接で落とされます。東京だと、ハッテン場でカワイイ男の子とやれると思ったのに、田舎っぺは国に帰れよ、『あんたがたどこさ』でも歌えよ、ちんこなんて高尚なものではなくてうんこでもしゃぶれよ、なんて新宿二丁目で言われました。仲間だと思ったゲイは、田舎っぺの自分には冷たかったのです。あぁ、育った熊本が憎い、東京に生まれなかった自分が恨めしい、そう思って生きてきました。だから、中華人民共和国の屈強な男どもが日本を潰してくれる、そして敗戦国民の自分はカッコいい男とカップルになってアジア・アナル連合を結成し、メス豚は中国人にレイプされ尽くせれば、この東京という街は浄化されるのだと思うのです。つまり、東京に核攻撃をしてくれる日が「私の独立の日」となるのです。アイ♡解放軍、私を解き放って!
中期日程の試験に向かう電車はトンネル続きで、当時の二つ折り携帯では合格発表のウェブサイトがなかなか見られなかった、アクセスも集中していたし、なにより通信環境が悪かった。
まあそうだよね、とも思った。
センター試験は散々な出来で、第一志望はほとんど記念受験だった。
中後期は行きたいかどうかではなくて、絶対に現役で受かるかどうかで決めざるを得なかった、
どこも引っ掛からなければ死のうと思っていた。
ひと月前の記録的な大雪がまだ残っていた、
山に囲まれ、曇り空がどんよりとした小さな街で、本当になにも無いな、と思った、
入学してからしばらくして、ちょうど5月の連休の前ころに、あなたは厳正なる審査の結果、入寮選考に落選しましたという通知が第一志望の大学から来た。なんとも言えない気持ちになった。
大学で勉強や研究をするためなら、高校の教科書をしっかり完璧に理解できていれば、十分だと思う。
指定校推薦やAO入試で一流大学に入った人の、大学時代の成績が良いのも、彼らが高校の教科書レベルをしっかり身に付けているからだろう。
しかし、高校の教科書レベルを完璧に理解したとしても、かつてのセンター試験では90%以上の得点は取れるが、
センター9割の学力では、旧帝大や早慶の入試問題はまったく歯が立たないのだ。
東大や京大など日本トップレベルの大学は入試問題自体がとても難しい。
だからトップレベルの大学に一般入試で入るには、教科書レベルのことは早めに終えて、
中高一貫校では高2にまでに教科書を終えて、高3は演習をするのが普通。
成績上位者の受験勉強とは、教科書を理解するための勉強ではなく、難しい入試問題を解くための訓練なのだ。
そういう訓練を最低でも1年間はしないといけない。
しかし、上でも述べたように、そういう訓練をしてない推薦組のほうが大学での成績が良かったりする。
一流大学に入るための受験勉強は、大学入試以外では役に立っていないのが現実。