「古文」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 古文とは

2020-05-24

anond:20200524194745

現代文はメッチャ得意だったんだけど、古文文法のものよりもあまりにも今と違う価値観で生きてる古代人の思想トレースするのが苦痛だったからずっと苦手だったな

暇を持て余した貴族の遊びをなぜテスト必死になって考えなければならないのか(反語

STEMではそういうことがほとんど無いか理系に行ったわ

anond:20200524194745

大学入って判例集とか読んでると、古い判決文の文章だったか法律文章だったかとか古文的なの多くてある程度は古文も役に立ったと思ったがなあ

まあ専門書とかじゃなくて所詮学部生が勉強のために読む方向だから専門家とかからしたらズレてるのかも知れんが。

anond:20200524194745

古文漢文は何の役にも立たないから、その感覚は正しいよ。

2020-05-21

句読点おじさん、絵文字おじさん、スタンプおじさん

おじさんの文章に対する嫌悪感を表明した文章が時々バズるけど、じゃあ若作りしたいおじさんはどう言った文体採用すべきなのか、どうすればキモがられないのか、その答えがいまだに分からない。

句読点多すぎるおじさんはなんかヤバいやつというコンセンサスが昔からあるし、絵文字センスが古いという指摘が主に風俗嬢から発信されている。そもそも絵文字ガラケー時代遺物でいま使うものではないとも。LINEかわいいスタンプを使うのも年甲斐もなくてキモいと言われがち。よく家族ライン父親が晒されている。あと古文おじさんは満場一致ヤバい

おじさんが若い人と交流を図るとき、どう言った文体ならキモがられずに済むのだろうか。例えば、キムタクが娘とラインする時にはどう言った文体を使っているのか。そういう知見がほしい。

2020-05-19

anond:20200519185903

あるある

同様に古文漢文必要性を、教養と言ったり、昭和初期以前の日本の文献を読むためとか、義務教育でやらないと分野が衰退するとか言ったりする。教養とは聞こえは良いが一体何なのか。過去日本の文献なんて読む必要がある人はどれだけいるのだろうか。義務教育でやってない分野なんて腐るほどないか

とまあ、意味不明なことを言うのが国語教師性質なのかな。

高校とき古文教師文化を大切にしない国は衰退すると言っていた(特にその因果関係は言わずに)が、これ違うよな。国に余裕がなくなった結果として文化を大切にしなくなるんだよな。今日ツイッター国語教師がその高校教師と同じことを言っていて思った。もちろんその人もツイッター因果関係は言っていなかった。

2020-05-18

 平成時代は、法ではなく、数学の答案や英作文などで、知恵をひねることが、現在の30代の東大文系卒の間でおおいに流行

   国語や法は流行らなかった。古文流行らなかったし漢文は、中国語のため、多少好かれたが、基本は嫌われた。

  他にも、養老孟司養老節とか、色々な文系先生錚々たるメンバー文系生に人気があったが、それに参加した文系生の存在

確認できない。平成時代に法に参加した奴は、脳の腐った中途半端人間のクズだし、昭和弁護士などと比べ現在弁護士裁判官悪人で何も考えていない。

   平成時代に本当に考えていたのは他にいたが、行方が分からなくなった。いずれにしても、霞が関にいる奴は人間のクズだし

その辺にいる警官は実は人の心もない暴力だけの人間のクズ

     本物の文系生の行方が分からない。

2020-05-05

anond:20200505111628

高校古文選択科目にしよう、なんて議論もつながってくるわけですな。

しか専門家翻訳だけで、海外から客を集められるような日本的雰囲気を維持できるものなんだろうか。末端にもそういう最低限の教養がないとにじみ出るものが違うと思うんだけど。

2020-04-20

anond:20200420171707

どーでもいいけど国語偏差値って古文漢文で差がつくものであって

現代文なんて出来て当たり前なイメージなんだけど

古文漢文は本読んでるだけじゃ無理だろ

2020-03-29

anond:20200329161355

droidのgoogle手書き文字入力使ってるから。日ごろから小さい字を書くので、小さいカナ文字としてご認識されがち・・・っていうか手書き文字認識で大小の区別無理ゲー古文のころみたいに小さいカナ文字候補から除外したらいいのに

2020-03-16

anond:20200316094845

子曰くも子供が言ってるわけじゃないけどそれ中国古文だもんね~

豚児とか今いったら虐待風味強すぎる

2020-03-15

anond:20200315034926

わからんイタリア人古文からなー

「はなぞちりける」の「ぞ」は強調だからなくてもいいのがわかるのは日本人から

ただ英語だとくっつけただけで複合名詞化OKだ

中学校英語だとついアポストロフィーsを乱発したくなるけどな

「今朝の天気の最新のニュース」と「の」をいちいちいれたくなるのは日本人だけらしいぞ

2020-03-14

古典は本当に必要なのか

古典は本当に必要なのか」と今訊かれたら、どう答えるだろうか。(この問いを「高校で必修科目にするべきか」に矮小化して競うのはズルいなあ)

例えば、今『幸福監視国家中国』を読んでいるが、これを読むとどうも中国政府が作ろうとしているのは、ある意味儒教理想社会なのではないかと思う(明天子としての国家主席)。

社会信用システム個人の信用を数値化し、数値が低いと各種サービスが受けられなくなる。法と刑罰で縛るのではなく緩やかな制裁、不便さ生きづらさを与えることで自発的服従を引き出す(馴致)。「修身斉家治国平天下」をIT技術の力を駆使して実現しようとしている、ように俺には見える。

儒教とは民主主義とは異質な、いわば統治者統治者による統治者のための政治哲学。人には身分があるという前提の上で、礼儀正しく他人に優しくしましょうねという思想現在中国政府が目指す路線もそれで読み解ける部分が大きいのではないか(少なくとも内政に関しては)。

すなわち、支配する中国共産党と支配される中国国民という大前提の上で、高い教養と徳を兼ね備えた選ばれた君子ならぬ党執行部が、民草ならぬ国民善導仁政を施す、こういうイメージ。「天網恢恢疎にして漏らさず」というが、その天網を技術の力で人為的に構築しようとしている。その結果生まれた(生まれつつある)「監視国家」では、人々の暮らしは便利になりマナーも向上し犯罪も減ってきた。そもそも大前提に疑問を感じないのであれば、それなりに暮らしやす社会なのかもしれない。

自由平等個人からなる市民社会」を唯一絶対価値とする西洋近代から見れば、今の中国社会ディストピアしか見えないだろう。だから人権とか環境とか、相手にとって響かない言葉批判材料に持ち出してしまう。全く噛み合ってないのだ。

しかし、「君子が民草を善導する儒教社会」を念頭に置いて見るなら、(好悪は別として)それなりに理解できる。したがって噛み合った対話可能となるし、上手な付き合い方も見つけられるのではないか

以上のような推論が正しいのかは措くとしても、こういう考察ができるのは俺が漢文を読めるからだ。

勿論四書五経を精読した訳ではないが、要点はかいつまんで把握していて、必要があれば誰かに訳してもらわずとも自分で読めるからだ。

もしある人が中国中国経済に関心を持っていても(あるいはビジネス上持たざるを得なくなっても)、彼が漢文を全く読めなければどうか。影響力のある著名人が「修身斉家治国平天下を連想させる」と指摘するまでそれに気づくことはできないだろう。また、仮にそれを聞いても出典である大学』を読めなければ指摘の真意理解できず、したがってその当否も自分では判断できないことになる。

まり漢文の素養がある人は、ない人に比べてより早く、より多くの可能性を想定することができる。したがって対象への理解の程度もより深くなる可能性が高い。その知見をビジネスに生かすこともできるだろう。

要するに古典というのは、今起きていること、起こりつつあることを理解するうえで役立つ枠組みを我々に提供しているのではないか

というより話は逆で、理解の枠組みとして多く参照された作品が結果古典として残っているのではないか。たくさん引用された論文がそれだけ権威を持つように。

高校の授業が古文漢文の真価を学生に伝えられているか」は大いに疑問だし、厳しく問い直されるべきだと思う。が「古典は本当に必要なのか」と問われれば、俺は躊躇なく是と答える。

現在、そしてこの先しばらく国際社会に大きな影響を与える中国という巨大な異文化対峙した時、日本には他国にない大きなアドバンテージがある。漢字の読み書きができる、そして中国文化を受容し改変してきた伝統がある。このアドバンテージをむざむざ捨ててしまうのは愚かしいと言わざるを得ない。

この主張だと「では日本古典勉強しなくていいのか?」という反論が想定されるが、それについてはまた機会を改めて考えよう。

2020-02-20

anond:20200220012929

古文、偽古語好きというのは

中学高校感覚が抜けない「学校好き」という説

ほら、中学高校くらいだと、授業で習った新しい言葉とかを

遊び半分でパクって会話の端々に混ぜることがあるだろ

授業で『枕草子』とか『方丈記』とかやると

中途半端勉強きな子(注:必ずしも成績優秀とは限らない)は

ついつい語尾に「いとをかし」とかつけて喋ってみたくなる

自分は昔、防衛大に入学したばかりの知人が手紙中で

何の必然性もないのに習ったばかりの軍事用語混ぜてるのを見たことある

多分そーいう感覚が抜けてない人なのではないか

2020-02-02

anond:20200202095559

ばっかお前

素人にも分かる文法しか使ってないレベル古文を選んで教科書に乗せてるんだから

そりゃ内容も推して知るべし

ガチの名文は技巧凝らしてあるから勉強には向かないのだよ…

古文ってレベル低くね

枕草子とか源氏平家あたりはまだしも、受験期に読まされた有象無象の大半はマジでウンコみたいな内容だった記憶がある

いちいち和歌詠むのもウザいし、そんなにうまくないし、ストーリーが色恋ばっかりでウンザリする

教養ある貴族階級ですらこんなんで喜んでたなんて人間って昔からアホだったんだなあと思うばかりで、伝統尊重しようなんて気持ちは欠片もわいてこない

まあ現代になってわざわざ娯楽として読まれるのが源氏物語くらいしかない時点でお察しではあるんだけど、とにかくレベルが低くて嫌だった

昔書かれたっていう補正抜きに純粋な話の面白さで戦える古文マジで皆無だったと思う あるんならせめてそういう文を受験生に読ますべき 

じゃなきゃ「クソみたいな恋愛小説を読まされる最悪の科目」って印象は強まるばかりなのではないか

(ちなみに俺はセンター試験古文満点だった、できないか文句を言ってるわけではない)

2020-02-01

anond:20200201091516

その点スマホが紙の本より優れているのは、

解らない箇所が出たら即座に検索できること

古文でもそんな環境あったら、

ちょっと読んでみたいとおもいました

青空文庫にないか・・・

枕草子」を読んで、英語日本語が読めない人の気持ちを知る

 古文の読解が苦手だった。

 赤点は取ったことがないし、センター試験も「これは絶対にありえないだろう」というのを消去法で排除していって残ったのをマークしていたので、それなりの成績は取れたのだけれど、古典文章を美しいものとして楽しむまでには至らなかった。

 だが、数日前からずっと昔に自分父親本棚から持って行った、現代語訳付きの「枕草子」を読み始めている。これは積読を崩したかたからでもあるし、図書館から本が届くのが遅れていて、通勤時間に読む本がなくなってしまたからだ。(本当は自分が予約ボタンを押し忘れていたため。図書館は悪くない。)

 読み始めると、読み継がれてきたものだけあって結構面白い。「お坊さんはやっぱりイケメンがいいよね」みたいなガールズトークっぽいのもあれば、「閉めなきゃいけないドアを開けっぱなしにするやつマジむかつく!」みたいなあるあるネタもある。清少納言自身キャラが立っているので、身近に感じられるのだ。

 ただ、困ったことがある。長い文章を読んでいると、意味が取り切れなくなることが結構ある。「春はあけぼの」くらいの長さなら、原文→現代語訳の順で何の問題もないのだが、何ページにもわたる長い文章を読むと息切れがしてしまって、現代語訳→原文の順にしないと、原文を楽しめないのだ。

 どうしてなのだろう、と考えた時に、次のような理由なのだと気づいた。

そもそも古文の語彙が少ない。

 高校で習ったはずの知識がすっかり抜け落ちている。「さうざうし」とか「けざやか」といった言葉も調べないと思い出せなかった。

文法知識あやふや

 どこで文章が切れるかわからず、ひどいときには語彙が少ないのでどこで単語が切れるかわからない。さら敬語現代文と比べてややこしい。

接続詞が時々省略されているので、話題が切り替わったのに気づかない。

 これは英文読解でいうとディスコースマーカーが省略されてるってやつだと思う。清少納言普段話すようにつづったためか、「ところで」「しかし」などが略され、論理的つながりが文章を読んだだけでははっきりしない。私が普段話すときも、そこまでわかりやすく話しているわけではないけれど。

ついでに主語も省略されがちだ。

 会話文にいたってはもう何が何だか。原文でも、鍵かっこの前に誰の発話かわかるように、注釈として小さな文字で書いてあるくらいだ。

当時の文化常識についての理解が浅い。

「狩衣」「衵」なんてことを言われてはっきりとイメージできる人は少ないんじゃないだろうか。そういう見かけ上の問題だけじゃなくて、単純に清少納言自分身の回りをつづった雑記的な段の、話の明確なオチというか、何でこんな話をしたのかがよくわからないこともあった。面白い話だけれど、あなたは何が言いたかったの? みたいな。

古文の長文を読解するだけの体力がない。

 短い段ならそうでもないが、何行にもわたる文章を読んでいると息切れがして、重要事実を読み飛ばししまう。目が滑り、大意をつかむことも難しい。

追記現代文の文学エッセイではそうした現象ほとんどない。理系なので、ノンフィクション大丈夫だが、法律関係文章を読解するのは苦手だ。

 とまあ、こうやってまとめていると、「結局はお前がまじめに古文の授業を受けてかなったからだろ」って話になってしまう。じゃあ、何でこれをまとめたのかっていうと、これって、「どうして英語の苦手な人が長文読解が読めないか」という問題と、ほぼ同じ原因がリストアップされているからな気がするのだ。

 ついでに言うと、日本語を読むのが苦手な人も、似たような問題があるんじゃないかって思う。そういうわけで、何らかの参考になるかなと思い、記録した次第だ。

 ところで、「枕草子」と比べると「徒然草」や「平家物語」のほうが、ずっと読みやすかった。私にとっての最大の問題は、平安時代宮廷文化に対する理解の浅さにあるようだ。

 それとも、一段当たりの長さが短いから、という単純な理由なのだろうか。

 なんにせよ、もうちょっとで読み終わるので、今度時間ができた時には、「更級日記」あたりにチャレンジしたい。

2020-01-31

anond:20200131233224

古文サボってたんで、冒頭の短歌?の意味だれか教えてくれいやくださいです・・・

2020-01-24

【横増】室町時代くらいの人と果たして会話できるのか

anond:20200124000832

このあたりの議論面白かったので横増させていただきます

論点標記の通り。素人考えです。

まず、この枝では言葉がここ500年で変化したかどうかが議論になっています。ある増田はそんなに変わっていないと言い、ある増田はいや変わっているだろと反論する。

後者増田は、時間軸だけでなく空間軸でも変化があると論じている。

私はこれらに明確に答えを出せないけれども、二人の言わんとしていることはなんとなくわかる。

しゃべり言葉は500年くらい変化がない

これはたしかにその通りで、たとえばwikipediaの「中世日本語」の項目を見ると、「この時期に古代から備わっていた特徴の多くは失われ、現在日本語にかなり近い形となった。」

とあり、その細かい要件が書かれている。わかりやすい例でいうと、散々古文で苦しめられた「係り結び法則」が最終的に崩壊するのがこの時期。

私たち古文で苦しむのは、この時期に古文古文になったことが関係している。

増田はこの辺りを論点として「変化がない」と主張したのだろう。

ネットで見られる具体的な原典として大英図書館所蔵『天草平家物語』を見てみよう。

https://dglb01.ninjal.ac.jp/BL_amakusa/show.php?chapter=2&part=1

ローマ字っぽい表記で当時の言葉の「音」を知ることができる。

発音に多少違いはあるのだろうがこれ、令和を生きる私たち結構読める。

日本言葉ヒストリアを習ひ知らんと欲するひとのために世話にやはらげたる平家物語

表題に書いてある。ぜひ原典対応させて読んでみてほしい。読める。

他に、柳生徳政碑文という石に彫られた文字がある。

正長元年ヨリ

サキカンへ四カン

ウニヲ井メア

カラス


正長元年より先は、神戸四箇郷に負目あるべからず。字の流れ的にはいけなくはない。

ところが通じないのだ

ここからは2番目の増田意見に沿いながら話をする。

前段では意外に室町時代くらいの日本語ならば通じるのではないかという話をしたが、実は通じないかもという話をする。

例えば『天草平家物語

世話にやはらげたる

のところ。「世話」も「やわらげたる」も現代語でもほぼ通じそうだ。「世話」という言葉は今も使われるし、「やわらげたる」は「やわらげている」とすぐに発想できる。

ただ現代では、直接「世話にやはらげたる」の意味がわからない。

「世話」は、現代ではあれこれお手伝いするみたいな意味

ところが他に「話し言葉世俗で使う言葉」という意味がある。現代ではほぼ失われた用法だ。

まりここでは、『平家物語』を(当時の)現代語に和らげて書きましたよ、ということを示している。

現代人はこれがわからない。

まり文法は近いけれども、用いられる言葉やその意味全然異なるのだ。

方言問題、あるいは発音差異問題と絡めて、この点は500年前の人と会話を難しくする要因になる。

それでも俺は会話できると信じている

つの異なる意見が、それぞれ正しさを持っていることを見てきた。

増田ではそこまで語れれば本望で、こっからちょっと蛇足

織田信長くらいの時代の人と会話できるのか?

見てきた通り、行けそうでもあるし行けなさそうでもある。私は、それでも、いけるんじゃないか、と思っている。

なぜなら日本語には文字がある。それも、平仮名片仮名漢字もある。そして、述べてきた通り音もある。

論語』やそれこそ『平家物語』など、共通の「話題」もたくさん存在する。

これらを駆使して「会話」すれば、互いの言語感覚を調整・修正しながらコミュニケーションを取れるのではないかと思う(そして、当然と言えば当然なんだが平安人より室町人の方が格段に「会話」は簡単だと思う)。

この点は、元増田の「言語的に正しい大河ドラマ」を作ったり私たちが見て楽しめたりできる可能性を肯定する。

字幕入れたり解説入れれば、英語字幕より近い感覚を持って楽しくドラマを見られるのではないか

おわりに

俺は、俺好みの室町貴族の娘や守護大名守護代クラスの娘(前髪ぱっつんの「のじゃ」口調の姫(大人っぽくてもロリっぽくても可))が異世界転生して俺の部屋にシュワみたいにやってきた場合に備えて、室町人と対話する準備はできている。

覚悟はいいか? オレはできてる

2020-01-23

anond:20200123233932

しゃべり言葉はもう500年ぐらい大きな変化ないよ。古文でしゃべってたわけでもないし。

2020-01-21

褒め言葉として「クソ」を遣うやつをボコボコに殴り倒したい

常々「クソ」や「クッソ」に腹立たしさを覚えていた。

しか褒め言葉として「クソ」だの「クッソ」だの遣う人間も出てきて不愉快まりない。

頭の中が排泄物にまみれているのか?殴り倒して半殺しにしたくなる。

不愉快に感じている人が他にもいるのではないかと探したら

下の記事に辿り着いた。

しかし驚いたのがコメント欄

「クソ」「クッソ」を擁護しているコメントがあった。




------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

■すごく良い、を表す形容詞に「クソ」「クッソ」を付ける違和感ハンパない

https://www.odaiji.com/blog/?p=7848

わたあめ より:

マイナスを示す程度表現が強調のみ残すことは、言語史上多く見られることです。

例えば我々が普通に使う「凄く」なども、もともとは「凄惨な、おそろしい」というようなマイナス表現意味です。

こうした言語の変化に時代時代の人々も敏感でして、しばしば問題提起しておりますが、

結局浸透してしまって、後世普通に使われることが多いかと思います

「クソ〜」もその道を辿るのではないでしょうかね。

私は育ちが悪く、なかなかに許容できてしまいお恥ずかしい限りです。

ななし より:

別に言語学者でもないし、比較ら抜き言葉も目くじら立てるようなことはないんですけれど。

この一文の時点で変化する言葉に対してどうこういう資格はないというか

クソだけに目くじらたてる理由もない気がしま

時代とともに意味合いや表現は変化していっているという話ではないですか?

貴方古典の文にでてくるような表現を使っているのなら話は分かります

貴方の中の貴方世代言葉だって昔の人が聞いたら違和感しかならない言葉はたくさんあると思います

もうすこし変化を受け入れ寛容になられてはいかがだろうか

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------




言語過去現在未来をしっかり見ていれば

この記事否定的コメントをする理由はどこにもない。

よくぞ言ってくれた!と高評価をするのが当然。

私は配偶者の「嫁」呼称や、ら抜きも嫌いなので

管理人にそのあたりの指摘はするかも知れないが

「クソ」や「クッソ」を擁護する根拠として使う気はない。

「嫁」と「クソ」で思い出したが

ヨスという気持ち悪い男が「嫁という言葉がクソ嫌いで」云々という記事投稿していたな。

あいつもボコボコに殴り倒してやりたい一人だ。

話を戻そう。

言葉は変化する。

故に目くじらたてる理由はないという感覚が私にはさっぱりわからない。

お前だって変化した言葉を遣っていると批判してくるのがいる。

そいつらは、変化させた過去大衆から反省材料を一切得ようとしない。

したがって過去の変化に関する批判は一切なく何故か全肯定する。

変化させた大衆への疑問も抱かず華麗にスルー

その一方で、表現おかしさを指摘した人だけを責める。

アンフェアでしょそんなの。

「昔の人が聞いたら違和感しかならない言葉

↑だからその昔のバカが「変化」とやらを続けた結果、現代言語になってしまったんでしょうに。

何故、現代に生きる管理人への反論になるのか意味不明。




少 し は 昔 の バ カ た ち に も 言 及 し ろ 。




古典」の文にしたのは過去大衆だ。

そのせいで言語の断絶が起きていることは全く無視なのかい

授業に古文という科目が増える負担無視なのかい

過去バカな奴らが気紛れに変化させなければ古典の文にはなっていない。

よって「わたあめ」と「ななし」の反論は生じない。

管理人現代人なりの好ましい表現について述べている。

極論だが、もし、それぞれの時代に生きた人たちが管理人のような言語感覚を持っていたなら

古典の文なんてもの存在しない。

わたあめ」は「凄く」に言及しているがそれもお粗末。

現在「凄く」や「とても」や「素晴らしい」を良い意味として用いるのは他に選択できる言葉がないから。

「クソ」は全く違う。「クソ」を遣わずとも表現できるしそちらの方が適切。

適切な言葉選びをできていないか管理人違和感、いや不快感を示している。

雰囲気に流されて雑な言葉選びをしているバカ批判するのは正常な感覚

それなのに「言葉は生き物でちゅー」「寛容になろうよぉ」みたいに言い放つ

全体主義的かつ虚無主義的な思考停止野郎が必ず沸いてくる。

そう「わたあめ」と「ななし」のような奴らのことだ。

言語を壊している一因は「わたあめ」と「ななし」みたいな良心を履き違えた善人。

試合を観客席から眺めて「Aチームのほうが優勢だね」と言うだけの無能

過去から学んでいるようで実は「その場その時」しか見えていない愚か者

「寛容」という名の下に、見て見ぬ振りをしバカ放置しているマヌケなくせに

自分進歩的で器が大きいかのように見せ、管理人を蔑むクズ

それに全く気付いていないのが腹立たしい。

私は「わたあめ」と「ななし」のような「言葉は生き物」を盲信している人間が大嫌いだ。

こいつらみたいな人間こそ「クソ」と言われるべき。

これぞ適切な言葉選び。

「凄く」は他に選択できる言葉がないからと前述したが

しかしたら良い意味を表す言葉大衆に葬り去られたのではないかとも考えられる。

危険性」「恐れ」「疑い」などが「可能性」という言葉に上書きされている現況を見るに

十分有り得る仮説ではないだろうか。




------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

■『可能性』と『恐れ』はどう違うか?

http://plaza.rakuten.co.jp/chenpitao/diary/201105220000

■「可能性」と言う言葉の使い方がおかし

https://blog.goo.ne.jp/natukikousuke/e/581d460f458ff2caf6f273ddc1adc134

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------




よく大衆必要とされる言葉用法けが残ると言うが

そんなものは嘘っぱちだ。

どうしたわけか大衆は常に好ましい選択をしているという幻想を抱いている。

また、度が過ぎた間違いなら自浄作用が起こり広がらないとも思っている。

しかしそれは単なる驕りでしかない。

絶対的な正しさが無いことを盾に「言葉は生き物」だと決め付け反省対策も考えない。

それどころか過去反省し、バカな変化の連鎖を食い止めようとする人を、

言葉は生き物でちゅー」「寛容になろうよぉ」と言って叩きのめす。

言語観点からすれば、そいつらは現代的でも進歩的でも無い。保守的でも無い。

そいつらこそ不寛容害悪のもの

つの時代大衆は、過去から何も学ばず、未来言語を託す責任考慮せず

今の雰囲気だけに流されているのは明らか。

大衆が用いれば正しさが上書きされても良いと漠然と思い込んでいることが

どれだけ危ういか気付かない。

大衆が常に好ましい選択をしているという幻想

言葉意味を調べないバカ繁殖させる。

言葉なんて時代で変わっていくんだから、どう使おうとかまわん」

こんなことを平気で言えてしまう無神経な人間に好ましい選択ができるだろうか。

こんな無神経な人間に正しさや好ましさが上書きされて未来の人はどう思うだろうか。

もういい加減「不適切言葉選び」を「言葉の変化」に擦り替えるのはやめていただきたい。

「どくせんじょう」を「どくだんじょう」に変えて意思疎通が効率化したか

教養文化水準が向上したか日本語としての趣きが増したか

よく考えてみてみろ。

「どくせんじょう」が「どくだんじょう」に置き換えられても何ら向上する要素がないなら

今を生きる我々は甘んじて「どくだんじょう」を用いながらも、

その変化とやらに疑いの目を向けるのが自然な理路でしょうに。

言葉は生き物」なんて殆ど既存の語義や用法を蹴にして息の根を止めているだけ。

言葉を作った人の思いを踏みにじる行為でもある。

言葉を半殺し」にしておいて何が「言葉は生き物」「言葉は変化する」だよカス

禄にマナーやエチケットを身に着けていない奴が無作法を諭された言い訳

マナーやエチケット時代によって変わるんだよ!頭固すぎ古臭い!」と

反発しているようにしか見えない。

しばしば表現の変化前と変化後について摩擦が起きる。

先述した記事コメント欄も似たようなもの

変化とやらは余計な争いを招く元になっている自覚あるのか?え?「わたあめ」と「ななし」さんよ。

余計な争いは他国から侵略のスキを与える事にも繋がる。

突き詰めれば「言葉は生き物」信者とは利敵行為をしている反日野郎

そりぁこんな大衆なら投票率が低いのも当然だし

小泉郵政民営化するのも当然だし

一度民主党政権になったのも当然だし

橋下や堀江チヤホヤされ続けているのも当然だし

拉致被害者を奪還できないもの当然だ。

言葉を雑に扱うバカはもちろん、それを見過ごす「わたあめ」と「ななし」みたいな鈍感な善人も

国の破壊者に成りかねない事を認識しろ!!!!!!!!!




------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

なぜ日本人思考能力がここまで幼稚になったのか。 伊藤

https://youtu.be/pwDkY3uOA_Y?t=191

特別寄稿 西部邁言葉過去からやってくる

http://asread.info/archives/428



漢書で「世(せ)論」といってみても、それは「世にはびこる論」のことで、昔の「輿論」とは異なります

輿論というのは、「社会の台(輿)にいる庶民心中に抱く常識」のことです。

そんな土台も庶民常識もなくなったのが現代社会です。

から言葉の土台も失われて、人々は目前に流れる言葉に束の間だけ唱和し、

それが流れ去れば、自分意見が何であったかさえ忘れてしまうという顛末です。



言語動物に過ぎぬ人間が、おのれの存在根拠である言葉を軽んじ壊し忘れていくというのは、

無残としか形容の為し様がありません。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------




この記事はいずれブログを作り文章を整理して再投稿する予定。

2020-01-15

anond:20200115155654

でも年取ってくると若いことセックスきんくない?お断りされるやん。そりゃあ古文単語帳で有名ならワンチャンあるけど逮捕されちゃう

2019-12-29

anond:20191229122137

古文いいよね。春はあけぼのセックスした後の朝帰りの時のぼーっとした感じって聞いてから古典がすっごく楽しくなった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん