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はてなキーワード: 修論とは

2019-01-10

なくなれ、厄年

うちの研究室では毎年近所の神社祈祷を行っている。

扱っている内容がめちゃくちゃ科学なのに祈祷を行っているかはまあさておいて。


大抵そこそこ大きい神社に行くと、大きい看板がある。

厄年とか暗剣殺だとか災難が起こりやすい年についてリストアップされているやつだ。

これを見て「修士学生とかみんな厄年じゃんwww」みたいに思ってたんだけどさ。

いや、そうなんだよ。男は数えで25が本厄だし、女は数えで19が本厄だ。

24といえば大学院生なら必死こいて修論を書いているわけだし、女性に至っては18歳、ほとんどがセンターなり私大入試に苦しむ時期だ。

そういった課題を災難としてみなすなら分らんでもないし、過去に制定されたものから時代の流れで変質していったのも否定できない。

だが、彼らにとっちゃ一世一代、将来のかかった年なのだ。そんな節目の年を厄年扱いするのはあまり気持ちの良いものではない。


そして改めて調べてみたら、はじまり曖昧というか、根拠特にない民間伝承らしい。

経験則とする意見もあるらしいが、「受験」「就活」が二大イベントして根付いた今の社会システム的では経験へったくれもあったものではない。

伝承/信仰のすべてを蔑ろにするわけではないが、この風習だけは無くなるか改定されるべきだと思う。

2019-01-07

修論

ファイル探すために、検索窓に修論って打ったら、ネット検索結果の修論やばいとか修論終わらないとかいっぱい出てきてつらみ。

Cortanaさん眠ってほしい。

2018-12-08

史学科のゼミとか卒論とかって何やってるの

数学科事情、すごく興味深く読んだ。

「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!

ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。

ゼミで何をやっているか

いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である文系研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。

(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様勅令だったりお役所行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)

何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念方法レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキル全然違うので。江戸時代歴史なら江戸時代古文書明治期の歴史なら明治期の文書中国史なら漢文イギリス史なら当然英語古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生日本古文書の読み解き方を勉強しても時間無駄だろう。逆もまた然り。

ぶっちゃけ、「卒業論文」に大したオリジナリティはない

慌てて言えば分野による。

社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナル史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。

ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのもの要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生修士論文で初めて学会誌投稿できるレベルのもの要求されることになる。

何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語大学第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史ドイツ史やフランス史場合韓国語ドイツ語やフランス語文系学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツフランス語論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃん漢文史料は読めるよね? 現代中国語論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語アラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本アイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。

なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語韓国語選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語フランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域対応できるね! 史学語学と言われる所以だ。

あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語フランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国言語が使われていたり宗主国のお役所植民地統治担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国言語で書かれている)。さら前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである現代日本語論文はスラスラ読めても古典日本語チンプンカンプンという人も多かろう。前近代西洋征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級言語植民地支配してたヨーロッパ言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーいるか勉強簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生卒論レベルなら日本語英語or中国語でじゅうぶん、という運用大学ほとんどだと思う。

ヨーロッパ植民地についてしか述べていないのは、日本植民地場合宗主国言語習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国台湾学生あるいはそれらの国から留学生植民地時代自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)

でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。

院に進んだら何やるの

留学します。

これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国台湾フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学ゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家指導を受けたり、あるいは分野によっては語学勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガル留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。

上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系大学院なんて資産の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがき奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さん実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか

2018-11-21

anond:20181121104636

もともとは規則正しく寝てたのならそれは戻したほうが良いから、大学診療所心療内科睡眠薬貰っておいで。

修論は、必要タスクを全部書き出してごらん。「Latexインストールする」ぐらいの細かいことで良いから。

かい記述ができないところはわかってないところだからちゃんと調べたり機を見て周りの人にきいてね。

見通しが立てば自分も周囲も少し安心できるから大丈夫よ。

なにもできない

修論終わる気がしない。隔週のミーティング前にやばいと思ってオールするんだけどなにもできない。PC持ち出してカフェに行ったりしたら多少は作業できることは分かってるんだけど生活リズム的にカフェに行けない。

夜布団に入っても朝方まで寝れない、寝たと思ったら15時まで爆睡夜ご飯の準備しなきゃ、と買い出し行くにも腰が重い。結局寝て夜ご飯作って食べてで1日が終わる

教授に冷ややかな目で見られてるのを感じる

大好きだった趣味もやる気力がなくなっちゃった。何をやっても楽しくない。嘘、大好きな人と話してるときだけは楽しい

しないといけないことは明確なのに出来ない自分が嫌

昔はこんなんじゃなかった

なんにもできなくなっちゃった、たすけて

2018-10-31

教授に良く怒られるなあ

プライドが高い卑怯者」とか「小さな頭でコソコソ考えて人に迷惑をかける」「人とコミニュケーションが取れない」とか、ゆとり世代にはきついわ

言われてんの俺だけなんかな?

みんな教授が怒るのは生徒の為だと言ってるけどほんとかな?

進捗管理もせずに学生放置飲み会でも他人に御構い無しで自分の好きな事をずっと話している、学科全体の修論発表直前になって焦って学生指導しだす

教授ブーメランな気するなあ

2018-10-19

実は世の中は内戦状態なのではないか

大学四年生就職先っぽいところは何とか強引に見つけたが、イマイチだったので断りたい。

もう、大学院に逃げようかと思うが、卒論すら書きたくない人間修論なんか書けるのだろうか。

また、学歴ロンダは出来る能力時間もないから出来ない。今いる大学スライドになりそうだ。

院に行く意義というのがあるかというのを考えるのは好きではないが、出来るだけ世の中を突き放してとらえたい。

親がそれなりに資産があるが、大金持ちにはなれそうにない。そういったものをどうにかしたいという気持ちがある。

皆の就活は散々な感じだった。

偏差値大学の三流学部だとこうなるのかという状況をまじまじと見せられた。

大手に行ける感じの人間はいなかったし、いたとしてもそれは業態業種が非常に過酷ものしかない。

そして、中小が基本である

そんな散々な状況を眺めて感じたのは、もはや世の中というのは内戦状態なのではないか?ということだ。

就活でまともな椅子を如何に奪うかという内戦に負けたのだ。自分も含めてだ。

椅子は限られていて、それは増えることなどない。それをマシなのを学歴やら容姿やらを使って奪い合う。

さらに規模を広げて考えることもできる。

世界中人間が儲けようと必死になっている。

しかし、人々が消費できる量や資源地理的状況などに限界が出てくる。

物理的に技術革新というのも停滞しがちになっているものもあるかもしれない。

さらに、文化というのもある程度表現には限界が出てくるはずだ。とりわけ多くの人々が心地よいと思うものには。

ネット産業を見ていれば分かるけど、数年前からネットの秩序は変わっていない。

もはや大資本が独占している。さらに、ネットネット以前からあった産業過酷競争が起きている。

最早、ありとあらゆるものが飽和状態なのではないか文化経済も。

さら恋愛だってそうかもしれない。ある一定以上の基準クリアした人間(大抵は異性)を容姿などが優れる人間が優位に獲得する。

全体のパイが増えないなかでいかに奪い合うか、搾り取るかというものを競っている内戦状態に陥っているのかもしれない。

ジェンダー云々や子育てなどのネット上での議論社会政治劣化というのもそれゆえに生まれているのではないか

そんな時代自分は生まれたようだ。それもとりわけ強くない存在である

どうにもならない。

ただ、途中までマシな状態にあるものもひどい目にいつか遭うような状況だ。

自分比較的余裕がある中で大きく物事を考えて対処していきたいし、そのチャンスがあると信じている。

2018-10-13

anond:20181010122823

周りに現象論の人が多かったですが、修論教員メインの論文に少し関わって共著で一本、博士課程の間に同じ感じでもう一、二本出しつつ博士論文までに自力のものを一つ出す、くらいが現象論で研究者として生き残れる可能性のある人の一般的道筋、という感じでした(私自身は現象論ではないので外野から見た単なる感想に近いです。 Higgs 以外何も出てこないという Nightmare scenario が現実になった今でも以前と変わらず現象論の論文が大量に出ているのは正直ちょっと謎…)。

大学にも依るのかもしれませんが、現象論に関してはD取るだけなら難しいということはないと思います(もちろんアカポスは難)。他分野と比べてどうなのかは分かりませんが。

2018-10-12

anond:20181012181047

もともと日本企業で働いていたけど、家族関係EUに来ました。

MSc日本で取っているけど、働いている中でもっと学びたいことができたので、冬学期からまずはnon-degree studentとして通っています

こっちの人は大学授業料無料なのが羨ましいけど、EU外の人にとっても日本大学に比べて格安授業料なのがありがたいですね。

私はオーストリアにいるので基本ドイツ語の授業が多いけれど、ERASMUSで他の国から学生も多いからか、英語の授業も多く、学生先生英語が通じるので助かっています

私が日本で通っていた大学にはこんなにも多くの英語講義がなかったので、日本に来る留学生はとても大変だったんだなぁと思います

中国自然科学系については詳しくわかりませんが、調査対象地域として中国をやられている方は、現地調査収集データの取扱について中国政府から色々言われることが大変だと言っていました。

生物化学実験系の分野だけかもしれませんが、オーストリア大学院生と日本大学院生を比べると、日本大学院のほうが、修論実験に対して重きをおいたカリキュラムになっているように感じますオーストリア場合は、大学院に入っても研究室にいるより授業に出ている方が長いように見受けられます。前述の通り、講義といっても学生に対してプレゼンや何かプロダクトを作ったりレポーティングにより評価することが多いので、こちらの学生の方が自分の成果を表現する能力が高くなるように感じます。一方、日本大学院ではゼミ実験が重視されているため、実験操作や実務能力に重きをおいているように感じます

私としては、今の時点でどちらが大学院のあり方として優れているかはよくわかりません。

日本からたことのない学生は、研究に対して保守的になりがちなので、あなた日本学生生活を過ごしたことがない場合、戸惑いがあるかもしれません。

私が学部生で研究室を決める際、先輩から、「いくら有名な先生研究室でも、実態は違うかもしれないから、研究室訪問をして、本当に自分がそこで一緒に研究したい人たちがいるか基準にしたほうがいい」と言われました。

有名な先生資金調達がうまく、予算が潤沢にあるかもしれないが、学生指導を全くしない先生もいます

いい研究室が見つかるといいですね。

2018-10-10

物理科 素粒子分野の業績事情

人文系の文献の取り扱いとか業績についてちょっとだけ - dlitの殴り書き

こちらの記事賛同したので続いてみます

かに異分野の事情をお互いにわかっていたほうがみんな幸せになりますよね。パーマネントや学振採用とか。

はじめに

素粒子分野は大きく分けて

に分かれています。これらの間には超えられない壁がありまして全てをまとめるのはちょっと難しいのですがなんとか書いてみます

間違いを見つけたら教えてください。

論文事情

素粒子論文は全て英語で書かれます国内雑誌としてはPTEP(旧PTP)がありますこちらも英文です。当然どれも査読があります

業績リスト論文査読なし)には国際会議研究会の proceeding を載せたりします。

素粒子分野には論文投稿前に arXiv に載せる慣習があります

これは投稿前に業界の人たちに意見をもらい論文修正するためです。accept 後に査読済みの論文差し替えます

arXiv に載っているのは基本的投稿前/査読中/査読済み の論文及び国際会議の proceeding です。

素粒子査読をしないというのは誤解です。

論文雑誌とIF

特に素晴らしい研究Physical Review Letters (Phys. Rev. Lett) に投稿されます。IF8.839 です。

Nature や Science に投稿することはまずありません。

IFの基準業界によりかなり異なるでしょう。

おそらくは  [ 業界の人数 ] x [ 1年間に発表する論文数 ] に依存するはずです。まあ人数の少ない分野は引用数も少なくなるでしょうね。

同じ素粒子業界でもその専門ごとにかなり違うはずですが、とりあえず Inspires によると以下のように分類されています

# of citations
Renowned papers 500+
Famous papers 250-499
Very well-known papers 100-249
Well-known papers 50-99
Known papers 10-49
Less known papers 1-9
Unknown papers 0

自分確認したい人は Inspires で fin a s Masukawa などと打ってみてください。

業界事情

素粒子実験論文を出せない

素粒子実験特にエネルギー方面ではなかなか論文が出せないことがあります

理由簡単実験計画から結果が出るまで多数の歳月がかかるからです。

例えばLHC計画からヒッグス発見まで20年弱かかりました。論文の著者数は5000人を超えました。

このような事情なので「博士課程単位取得満期退学後に研究を続けて論文を出すと同時に博士を得る」というような方がたまにいらっしゃいます

博士号をもっていない素粒子実験の人に出会っても決してバカにしてはいけません。

彼らは博士号取得と同時にノーベル賞を得る人たちなのです。

素粒子理論学生論文を出せない

素粒子理論研究に入る前の勉強量が膨大です。

まず 場の量子論超対称性理論群論リー代数 あたりは三分野共通勉強すると思います

加えてそれぞれの分野の専門的教科書、例えば弦理論なら String Theory (Polchinski) 格子なら Lattice Gauge Theories (Rothe) など。

分野によっては位相幾何学微分幾何学勉強しなければなりません。共形場理論もですね。

この辺りでようやく基礎ができてきましてこのあと30年分くらいの論文を読みます

研究に入るまでの勉強時間がかかるので修論レビューになることが多いです。

当然学振は出せない・・はずだったのですが最近どうも事情が変わってきたようです。

学生の方が学振(DC1)に固執して勉強も途中に研究を始めてしまう、勉強途中のM1研究できることなんてたかが知れているので

必然的にあまり重要ではない研究に貴重な時間を費やしてしまう、というような話をぼちぼち聞くようになりました。

学振についての考え方は人によるとは思うのですが、ちょっと危うい傾向だなと私は思うことがあります

そこでちょっとお願いなのですが

学振研究者の登竜門!取れなかったらやめよう!」などとblogに書いて煽るのをやめていただけないでしょうか?

いや書いてもいいのですが主語を書いてください。「情報系では」「生物では」とかね。

理論博士号を取れない

博士号は足の裏のご飯粒」と言われて久しいですが、弦理論では博士号を取るのはまだまだ難しいと思います

まあとったところで「足の裏のご飯粒」なんですけれどもね・・・

追記

放置していてすみませんまさか今頃上がるとは思っていませんでした。

いただいた重要コメントこちらにも転載しておきます

new3 言いたいことはわかるけど、普通は「ヒッグス発見」を博論テーマにせずもうちょっと控え目な研究に留めるものでは?日本でもJ-PARCからSuper-Kにニュートリノ撃てるんだし10年に1本はさすがに少ないと思う。

どうもありがとうございます文章を少し修正いたしました。他にも間違ったところがありましたら教えてください。

niaoz 懐かしい。補足するとストリングやるなら一般相対論ベース重力理論必要/場の理論は確かに簡単じゃないけど楽しい量子力学特殊相対論(電磁気学含む)を修めたらやってみるとよいです。



kirarichang 学振出せないと思われるのは,(学振の)制度不備だよなぁ.

monopole 素粒子理論分野では修士論文書きにくいけどDC1の枠はあるので、採用者は実績によらずほぼランダムだったり有名研究室に偏ったりする。まあ論文なしでも通る可能性あるから学振気合い入れて書け

えっ!!論文なしでも通ることあるのですか!

Ho-oTo 今時の素粒子理論院生DC1用に1本は書いてるイメージが強い。

最近は大変ですよね。指導している方もすごいと思います

kowa 素粒子系は知性の墓場だと感じてる。優秀な人材があまりに何もできなくて、消えている。魅力はわかるが、1/5000のcontributionだかでいいのだろうか

猫も杓子も素粒子目指しすぎですよね。宇宙論も。

anond:20181010083204

なんか新人は大変そうだなって。

年いったら年功序列が良くて若い頃は成果主義がいい、でも自分業界では年功序列会社ばっかり、みたいに思わないのかな。

私がその増田で話していたのは「著書」の話です。ふつう論文ではない。著書を出してる時点で既に何本か業績があるのは前提。

そんなん常識だろって思って文系キャリアパス説明しなかった私も悪かったと思うので詳しく説明します。分野によって違うけど、私の分野では、

院生時代査読つきも含めて論文を何本か出す→博士号取得→前後して博論を元にした著書を書く

というのが「最初単著」に至る流れです。

さて、学術書というのは分厚いですね? 基本的文系学術書というのは論文を何本も積み重ねてようやく書けるサイズのものです。というか博士論文の時点で学術書として出版できるくらいのボリューム要求されたりします(まあここは院によりますが、しかし薄い博論学位を取れたとしてもそんな論文は本として出版できないかマイナー出版から出版するほかないので、評価されるちゃんとした書籍を書こうと思ったらめっちゃ書き足す必要があったりして、要するに「書籍出版」を業績とみなすのも故なきことではないのです)。なので、実質的論文を何本も書いたことがないと単著なんて出せません(私の院では、博士論文の提出に際して既発表の論文数などは問われません。なので発表した論文ゼロ状態博士論文を提出することも理論的には可能なのですが、実質的にそんなの無理です。私の周囲の博士号取得者は何本も論文書いた上で博士号獲ってます)。

まり単著出してる時点で論文デビュー済みのことが多いわけです。

(ちなみにこの辺は国によって違ってて、日本だと博論は既発表論文を寄せ集めて書いても問題ないけど、たとえばドイツだと博論に既発表の論文を組み込まずに書き下ろす必要があり、なおかつ博士論文には出版必須なので、ドイツ最初単著を出した人のその時点での業績は日本基準では少なかったりします。そのへんの話はこちらのまとめを参照→https://togetter.com/li/9904

もちろん、最初の著書が新書です、みたいな人もいます院生時代研究成果をもとにした新書書いて、そのあと博士号取って分厚い単著しましたみたいな(『パンダ外交』)。むっちゃ分厚い修論書いてそれを単著にしちゃう猛者もいます小熊英二)。ただそういうのはレアケース。また、博士号取得→別のテーマ単著出版→その後に博論に基づいた単著出版という流れもありえます。こっちは割とよく見るかな。講談社選書メチエの『湾岸産油国』とかそうじゃなかったっけ。

んで、良い論文を何本も書いたり、単著出したりしてると、インテリ向け商業誌とか権威のある学術誌とかからお呼びがかかります。「お前、うちの出版社が出してる商業誌に書いてくんね?」とか「お前、うちの学会で今度組む特集号に書いてくんね?」って感じです。これが例のセンセが言ってた「招待論文」。「依頼論文」と呼ぶ業界もありますね。当たり前ですが、程度の低い研究ばっかりしてると呼ばれません。

査読がなくても良い論文が有り得るってのはそういう意味です。最近だと院生向けの紀要にも査読つきが増えてるけど、そういうマイナー誌の査読論文よりも商業誌に載った論文の方がよく読まれていたりする。当たり前だけど紀要の無査読論文とかよほど内容が良くない限りめったに読まれませんし参照もされません)

要するに、昔はどうだったかは知りませんが、最近では査読誌の論文新人登竜門として使われ、ある程度実績が増えると査読なしの論文を書く機会が増える、というのが私の周囲での割とよくあるキャリアパスです。それまでの実績がない若い人にも当然チャンスはあります

2018-10-09

anond:20181008215814

metamix 英語論文なぞいらん日本語で事足りるって話はまあいいけど、理系なら学部生ですらやらされることを文系だと教授クラスでもやらなくていいんだーフーンみたいな感想

お互いの分野で必須タスクが違うだけだろ……英語以外の外国語を読まなくていい理系はずいぶん楽ですね,って言われたらどう思うよ? 私は修論書くにあたって複数ヨーロッパ言語読んだし,東洋史だと修士でも複数の現地語+複数ヨーロッパ言語を読むのが当然みたいな分野もあるけど,理系英語だけ読んでりゃいいんだっけ? ふーん.

kyuuzyuu9yen じゃあ文系論文妥当性はどうやって担保しているのかと。仲間内でも議論はしているのか?

dot 学術言語は一理あるとも思うけど、査読有りが理系ローカルルールという言説には面食らう。記述言語査読有り無しも最終的には学術論文としての品質をどう担保するのかというところに帰結すると思うんだ。

slimebeth この問題英語査読不要理系絶対と思うなみたいな捨て台詞をいろんな人が吐いてくのに「では代わりにどういう制度方法論で研究の質を担保してるのか」を未だに誰も一言も言わないの底知れぬ闇感すごい…

本当に疑問なんだけど,こういう主張するひとたちって「まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される」っていう箇所が読めてないの? 査読つき雑誌はある,査読つきの業績は重要であるしか査読がないからといってダメであることを意味しない,ってそんなに難しい話かね.

ていうかこういうひとたち,普段査読通った論文なら無批判に盲信してるんですか? 論文批判的・懐疑的に読まれ瑕疵があれば後発の研究によって批判されたり乗り越えられたり無視されたりするものだ……というのは文理を問わぬ学問常識だと思っていたのだが,「査読がないとどうやって研究の質を担保するの?」などと吐かす一部の理系はどうやら査読を通ってさえいればアッサリと先行研究を信じてしまうらしい.どっちが権威主義なんだか.

reuteri ペレルマン査読されてないが多くの人から批判的にチェックされるでしょ?そのチェックの有無が科学にとって重要で、「学界の権威が言っているから正しい」という世界科学ではないのですよ。日本語については同意

藁人形叩かれても困るんですよねぇ.

theta 日本には日本のXX学、米国には米国のXX学、印度には印度ののXX学があって相互互換性が無いのなら、それは普遍性のある学問なのかなという疑問がある。

こういうレベル説明から始めなきゃいけないの本当に馬鹿げてると思うんだけど,日本西欧研究なら西欧諸言語の先行研究は当然追いかけているし,英語圏の日本研究者は日本語の先行研究読んでますよ.ドイツ人ドイツ研究者と日本人のドイツ史学者は同じ学問従事していて,同じ問題意識を共有している.ただ,日本西洋史研究日本歴史学という別の文脈の中にも置かれていて,そちらから影響を受けて「日本西洋史研究独自の色を出すこともあるし,アメリカでは日本研究者と東南アジア研究者が共同プロジェクト独自問題意識を深めているかもしれない.そういう意味で各国の研究には多かれ少なかれその国の事情に根ざした独自性があるわけ.そして,時には「本国」以外での研究潮流が「本国」での研究に影響を及ぼすことだってある(たとえば前世紀末から今世紀初頭にかけてのアメリカソ連研究典型的かな).日本中国学はフランス台湾中国学と微妙に違っているかもしれないけれど,それでも同じ中国学なんだ.

kingate だとして。最先端は何処よ?学術研究論文最先端批評貰う必要があるんじゃねぇの?ローカル内容でも批評貰わんと正否は出ないでしょ、総論として。で、あの学者モドキはその総論に後ろ足で砂掛けたの。

分野によるとしか言いようがないし,別に最先端複数あってもいいんじゃないかと思わなくもないが.たとえば私が研究対象にしている地域については間違いなく英語でのショボい研究蓄積なんかよりも現地語での研究最先端だけど,私は現地での最先端研究フォローしているし,現地人の使っていない資料とかも使って彼らと勝負しているつもりでいるよ(現地人だからこそ盲点になってる資料みたいなのがあるんだよなぁ).

iyochoo 国内アカデミアを重視するか、世界アカデミアを重視するか。両方の言語で書いてくれると助かる人が多いです。

世界アカデミア」なんて幻想で,各国別のアカデミアが併存してるんだよなぁ.もちろんそれらの間に橋を架ける必要はあるけれど.

(……)恐らく査読文化のないという文系の分野では、被参照数によって論文の質を予測するというように思うのですが、被参照数というのは流行研究をしている事で他の研究者が参照しやす環境がないと伸びにくい物です。ニッチな分野の研究をしているが、優れた研究であるのに査読も行われず、誰も参照してないという論文があるとして、研究を行う者はその論文を如何にして見つけて評価するのでしょう?文系研究者は、研究を開始するまでに、かなり無駄調査時間必要とするのだろうなという事を想像しますね。(……)

anond:20181009154937

ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトー想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.

そもそも査読はあるし重要だが,査読がなくても良い論文であれば評価対象たりうる,という話を少なくとも私はしていたわけで,それを「査読文化がない」と要約されても困惑するわけですが,まあ全ての論文査読を受けているわけではないという状況を「査読文化がない」と書いているのだろうと好意的解釈するとして.

当たり前ですが文系でも「レベルの高い査読誌」「査読はないがレベルの高い雑誌」「レベルの低い査読誌」「無査読紀要」ではチェックの優先順位論文の重みは違います.当たり前ですね? 査読はしていないけれど,その分野では定評がありよく読まれ雑誌,というもの存在し,たとえばそのへんの査読をつけた院生向け紀要とかよりも圧倒的に読まれる,というような状況がある中で,査読がないからといって無価値扱いするのは不当だ,という話を私はしていたわけです.

なので,ニッチだけど優れた研究をしている人は,よく読まれ媒体論文投稿すればよろしい.というか人文系研究対象って,研究水準の深化に伴ってどんどんニッチになっていく傾向があったりしますしー.

そもそも文系の多くでは被引用数を重視する文化はあまりありませーん.理由ひとつとして「正確な被引用数を測定するのが困難」というのが挙げられます.著書も業績になり得る上に各国が自国語で研究する世界において,外国語も含めた紙の本での被引用数なんて管理しきれないのでー.私も自分論文の被引用数なんて知りません.外国語で書いたやつは3ヶ国語くらいで引用されて,日本語のやつも紙の本に1回引用されたかな? でも他にも引用されてるかもしれないので,これは最低限の数字っすね.周りで被引用数なんて気にしてる人見たことないなぁ(私に指摘されて初めて自分論文他人の著書に引用されてることに気づいた先輩とかいたっけ).そもそも引用されてむっちゃdisられてても1回引用カウントするわけですよね? それ本当に論文の質の指標になるんですか?

(……)一方で世界社会学者は、インパクトファクターの高い査読付き国際学術誌に投稿している様ですね。アメリカだと、テニュアになるためには当たり前の様に要求される実績の一つですし、それが世界標準でしょう。(……)

それはアメリカ社会学者自国語で論文を書いているだけでは……?

というか,日本語圏の社会学者でも英文学術誌に投稿してる人はいますし,英文学術誌に投稿してる非英語圏の学者でも,それとは別に母国語論文書いてたりしますし.英語以外の言語での論文が載ってる社会学学術誌,探すとあちこちにありましたよー.

韓国語http://www.ksa21.or.kr/kjs/

中国語(簡体字)> http://sociology.cssn.cn/xskw/shxyj/

中国語(繁体字)> http://tsa.sinica.edu.tw/publish_01-1.php

ロシア語http://www.isras.ru/Sociologicalmagazine.html

フランス語> https://journals.openedition.org/sociologie/index.html

ポーランド語https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=240

リトアニア語> https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=1027

カタルーニャ語https://www.raco.cat/index.php/RevistaSociologia/index

ところで日本社会学会は和文雑誌の『社会学評論』以外にもちゃん英文学術誌持ってるんですよねー> https://onlinelibrary.wiley.com/journal/14756781

いやほんと,テキトー知識でよその学問分野に軽々しく口を出して,正しいこと言ってるならともかくめっちゃ的外れとか,生きてて恥ずかしくないんですかね?

death6coin “ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトー想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.”攻撃的ですねぇ

理系研究事情査読制度を知りもせず「理系研究権威主義だ! 定説にとらわれて思考が硬直している!」とかわめく連中に,これまで理系のひとはどんな目線を向けてきたっけ? 冷ややかな目線を向けて嘲笑ってきたよね.もちろんそれはまったくもって正しいよ.理系事情を知りもしないのに思い込み的外れ批判をするのは愚かな行為であり嘲笑に値する.文系に向けて似たようなことをわめく連中にも同様の態度を取らせてもらうというだけ.

zu2 琉球歴史琉球語でかける日はいつか。文化侵略ってこういうものだよな

これは本当にそう.最近だと三元社なんかが琉球諸語・日本語対訳出版物を出していたりするけど,言語復興運動家の著書とか学術誌のコラムまりで,琉球諸語で書かれた学術論文は残念ながら見たことがない.琉球諸語は最近書記法の整備とか色々進んでいるから,今後はそういう方向に期待したいよね.もちろん琉球諸語で書かれた論文査読できるひとはそう多くないと思うけれど,査読なしで論文を発表することも許されているという文系事情積極的活用して中身のしっかりした琉球諸語論文を発表していくひとが出てきたらいいなと思う.

quick_past だったら方言で書いてもいいし、絶滅言語で書いても良いのでは。

それに対しては2つの論点から応答したい.1点目に,「日本語過去の豊かな蓄積を持ち,現在も多くの学術論文生産し続けている言語である」という前提条件を忘れてもらっては困るということ.日本について研究している学者日本語論文を書くわけで,この点が方言とは違う(大阪弁研究する者のほぼ全てが標準語論文を書いているし,山形弁で書かれたヨーロッパ史の高度な研究は現段階では存在しない).

第2に.もちろん書いていいです.少数民族独自民族として生き残っていこうとするには何らかの形で文章語を持つことが(必要ではないが)望ましく,実際にヨーロッパでは人口数万人の少数民族でも自分たちの言語で書かれた学術誌を持っている場合もある(もちろんその場合,当該言語や当該言語で書かれた文学,当該民族歴史といった限られたテーマについての論文を書くので精一杯だったりするのだが.ちなみにそういう少数民族学術誌に少数言語論文を載せてる日本研究者もいる).それに,言語方言とのあいだに本質的な違いはなく,たまたま政治権力を持ち規範が整備された言語変種が「言語」とされ,「言語」と見做されなかった地域的変種が「方言」と見做されているだけ,というのが社会言語学常識であり,実際に気仙沼方言方言ではなく独自の「ケセン語」だと主張して聖書翻訳したお医者さんなんかもいる.上で書いたように,宮古語日本語バイリンガルコラムを載せている学術誌もある(コラムまりで,論文ではないけど).なのでたとえば,鹿児島大学薩摩弁を公用語にした紀要出版されてもよいと思うし,もしその紀要に優れた論文が次々に掲載されたとしたら先行研究を読むために薩摩弁を学ぶひとも出てくるかもしれない.そしてそれは,悪いことでは決してない.

abll 「過小評価しすぎ」は重言。「過小評価している」か「軽く評価しすぎ」が正しい。

きゃーお恥ずかしい.ご指摘ありがとうございます.訂正しました.

サドサドクってわめいてるけど

ネットのイキ理系が出した論文って卒論とせいぜい修論くらいでしょw

それも指導教官おんぶにだっこでなんとか書き上げたしょうもないやつw

2018-10-07

anond:20181007232903

就活教授パワーで乗り切れても修論ヘラりそうだが

中退学卒扱い入社というのもある(一定数いるらしい)のでまあなるようになるしかないですよ

2018-09-30

愚痴です。大学院生の辛いこと愚痴ます

①無給

当たり前だけど、学生なので給料はない。

好きなことやってるんだからいいだろ、なんて言われそうだけど、それってやりがい搾取じゃね?

てか、どんだけ好きだとしても見返りなしで週40時間以上出来ることってほぼないでしょ。

ゲームだってそんなにやったら飽きるよ。

純粋好奇心だけで活動できる人はマジですごいと思う。

②長時間拘束

さっき週40時間って言ったけど、実際のところ40時間で済んでいる院生って少数だと思う。

実験系は言わずもがな時間拘束だが、非実験系でも深夜、土日まで研究していることが美徳とされている節がある。

というか、教授になるような人は朝も夜も土日も正月関係なくバリバリ研究できるような人ばっかりなので、無意識的に学生にもそれを押しつけているように感じる。

企業時間外手当等(ないところあるだろうがゲフンゲフン)で多少は労われているだろうが、院生にはおいては全くない。睡眠負債によってごく僅かな研究成果を獲得しているだけ。

村社会

大学研究科のコースという小さな集団の中のさらに小さな研究室という集団なので、

なにもかも教授の一存で決定する。基本的教授の圧倒的権力の前に太刀打ちできない。

まり詳細には書きたくないが、我々は学位人質にされていて、修論提出直前であっても教授がNOと言ったらNOなのだ

学生には労働基準法労働組合のような盾はなく、立ち向かう術は一切ない。

上位の大学の人は知的好奇心に溢れ、自己管理能力に長けているため、こんなことは全く問題ではないのかもしれない。

しかし、私のような下位層の学生には大学院生活は辛すぎる。

私の所属する研究自体特別ブラックではないと思うが、能力知的好奇心が低いのに進学を選択してしまったばっかりにだいぶ精神をすり減らして生きている。

今が特別辛い訳ではないはずなのに、なんだか辛くてここ3日間研究室に行ってない。

研究室内の雑務大学院の講義修士中間発表、自分研究、共同研究等、仕事は膨大にあるので早く研究室に行かないといけないのに明日も行ける気がしない。

あと1年半耐え切れるだろうか…いや、耐えるという考え方自体間違っているのだろうが。

2018-09-23

大学院生の1割は消える

今年の春、僕はM2になった。同期たちも全員、進級した。

そんな中で友人の1人が、昨年度の後期からまり所属研究室ゼミに来ないという話を聞いた。

僕とは違う研究室なので「授業は来ていたのに?」と不思議に思った。

今年度から別の友人の希望で始めた自主ゼミにも来ていたから、さら不思議だった。

しかしどうやらゼミの、自分の発表の順番が来る日、だけ来ないらしい。

なるほど、進捗が無いのだな。そう思った。

お互いの研究の話をしていても、うまくいっていない事しかいたことがなかったからだ。

友人は真面目で、成績も僕などより優秀で、性格も良い。怒らないし、愚痴も言わない。

そして行き詰まったときに誰にも頼らない。

僕はすぐに友人や先生に助けを求めてしまうので、それもあまり褒められたことではないが先生にはたまに「考えよう」と追い返される

まるで質問しないのもよくないと思う。真面目なんだろうけれど。

「これくらい、1人でできなくてはいけない」と思っているのかもしれないし、先生が怖くて質問に行けないのかもしれない。

なんにせよ、想像に過ぎないが。

夏休みに入る少し前。M2修論中間発表があった。

それまでに彼は自分の順番が来る日は全て休んでいるのを聞いていたので、きっと来ないだろうと思った。

案の定、来なかった。

LINEで「元気か?」と送ってみたが既読すらつかない。

教授陣の方でも、大学に来ないことが話題になり始めたようだった。

後期が始まったが、ゼミの初回も来なかったようだ。

未だにLINE既読にならない。誰が何を送っても。

題名の通り、大学院生の1割は消えるらしい。

それは仕方のないことなのだろうか。

2018-07-27

長野オリンピックとき

長野県下の大学試験卒論修論発表のスケジュールが変更になった。

大学かは知らないけど。

いい迷惑だったわ。

2018-04-27

院やめたいのと母がしんどい

M三年目。

修論が書けない。今年に入ってからはもう頭どころか指も足も動かない。

仕事はしている。運良く研究してたことを仕事にできた。分野のことは大好きだと思う。なのに研究ができてない。

べつに修士見込みだからって雇ってもらえたわけでもない。

それでも、この2年という時間お金先生方の厚意が勿体なくて申し訳なくて、何でもいいか修士号をとらなくちゃといやいや通ってたら、ついに胃からぶっ壊れた。

電車で倒れたりもした。

戻すわ寝られないわ、勝手に涙が出てくるわ。

先生にもゼミにもどえらい迷惑をかけた。

みんなは書けるんだもんな。すごいな。

母にもう無理ですって言ってみた。

そしたら、逃げるんじゃんって。

お母さんははじめたこと途中で辞めたことないから、あんたの気持ちが分からないって。

あん結婚生活は二度も破綻させておいて、二人いる娘のうちひとりだけを連れて再婚しておいて、よく言うよなと思った)

で、しまいには、お願いだから最後まで行ってくれって。

お願いだからってなんだ。

なんのお願いだ。殉死か。

奨学金借りて、これ返していくのも、こんな適当履歴を背負って生きていくのも、ぜんぶ私なんだけども。

私があきらめようとしている私を、あきらめてくれない人がいる。

だけどもう私の幸せはあきらめてほしい。

母としての幸せは、申し訳ないが私では引き取れない。

出来損なっちゃってごめんね。

別に産んでくれなくてもよかったのに。

なんでここまで来ちゃったかな。

間違えたな。

でも2年間、悪いばっかじゃなかったしな。

単純に勿体ないよな。私もそう思う。

先生ごめんなさい。

頭冷やそう。

2018-04-04

研究室つらい

4月から修士2年

去年から任されたことやってるけど進捗でなくてつらい

自分仕事が遅くてつらい

やっとできたと思ったら馬鹿ミスでやりなおしになる

自分がほんとうに無能なんだということがわかった

もっとぽんぽん進捗でると思っていた

資料つくるのも下手

れいに作れない

進捗がないか資料も何を書いたら良いのかわからない

自分なんかが研究室にいてごめんなさい

お荷物しかない

先生ごめんなさい

修論も書ける気がしない

研究室行くのもしんどい

毎朝気が重い

来年の今頃は笑っていられるのだろうか

2018-02-22

anond:20180222194249

研究者の育成と授業料免除に相関があるわけがねーだろ。あくまでも免除制度免除制度や。学費に困る人向けでしかない。

研究者って大学院とか博士課程とかポスドク必要なら大学渡り歩くから最初学歴東大問題ない。

研究者業界のことは知らないみたいだが、本気ならちゃんと調べろよ?

ああ、あとな

研究者としては修士以上ってのが普通

学部でやってる卒論は悪いがお遊びレベルだ。研究者としてやってくなら院に進んで修論博論書く。やりたい研究が別な国立大にあってどうしてもそこでしかできない

なら修士をそっちで取ればいいよ。

博士課程まで行く際にかかる費用だが「学振」ってのを申し込み生活費研究費として使う。これもある程度優秀じゃないと採用されないがな。

これも旧帝大が有利だぞ。実感としては。

2018-02-16

anond:20180215032409

学術的な著作が一本(博士論文)あって、形式的には論文3本あるので、非常勤(常勤?)講師になるには不足とは言えない。ただ留学もしてないし、研究者としての王道には乗ってないのかな。

受賞は論壇系のものばかり。博士論文が「特別優秀賞」とあるのが唯一学術受賞っぽいけど、この年の博士号取得者17人中15人が受賞してる。

http://www.u-tokyo.ac.jp/content/400064210.pdf

この資料だと、優秀な博論修論学会誌採録されるとのことだが、そのリスト三浦氏名前はない。(20頁以降参照)

私見だが「優秀な若手研究者」というより「博士号を持ってる保守論客」くらいの立ち位置では。

2018-02-08

修士論文を提出した

自分でも誇るところのないなんだよこれ,みたいな修論だけど.

教授のおかげもあり,とりあえずストーリーを組み立て,それらしいデータを付けて,形にして,

それらしい謝辞と参考文献と付録を付けて,体裁を整えた紙媒体を提出した.

この2年間,本当に情けない2年間だった.

3回生自分は,もう少し根拠のない自信のようなものを持っていたと思う.

研究室配属され自分のやりたいことのあやふやさ,相手と話すとき物事構造的に論理的に伝える技術を持ち合わせていないことに気づくまでに1年,

なんとなく教授に与えられた(教授自分要望合致しそうなものを選定してくれた)テーマと向き合い,何をして何を前もって用意しておくべきだったかに気づくのに1年,

取り組んでみて手遅れだったことに気づき,でもそれを形にしなくてはいけない1年.

4回生から全てが後手に回る研究室生活だったと思う.

今の自分は3年前の自分からしたらたぶん何をどうしたらそんな人生ルートあったんだよっていうぐらいの所にいる.

それだけ恥ずかしく,情けない.

学会発表もせず,だらだら研究室居座り「ガキ」「後輩とのコミュニケーションすらまともに取れない」と言われ続け,自分なりにアプローチをしてみても結局は自信がないからすべてのことが中途半端に終わる.修士という時間に憧れを抱いていたわけでもないけれど,自分にはできないことばっかりだなあということにやっと気がついた.

提出した論文推敲を重ねはしたが,きっといくつもミスがある.

成功体験も失敗体験もどちらも人を成長させるとかよく言うけど,おそらく今後の人生もこういうふうに仕事ミスし叱責され,失敗に目を背け,

中途半端な所で妥協して,論理的じゃない感情的言い訳をして茶を濁しながら生きていくんだろうなあ.

修士3年間で良くも悪くも自分本質的な所が少し見えた.

これからはもう学生という免罪符はなくなる.なんとか変わりたい.

2018-02-04

LaTeX使って修論書いてたら

色々パッケ追加しながら作業してたのが悪かったんだけどソースコード補遺に付けようとしたらいきなり図の配置がずれてクッッッッッソ焦った

結局,

colorパッケ使うときドライバー指定しろよな!さもなくばgraphicxとケンカして図がずれるぞっ!」ていうオチだったんだけど

TeX初心者の私は泣き出しそうになったよ

もし図がズレて困ったさんがいたら…と思ってここに記す

あとは謝辞すこしと付録適当にまとめて終いじゃーーーー!!

卒論/修論の謝辞って

声優アニメキャラ感謝を述べるみたいなおふざけも割とオッケーなもんなの?

自分場合だけど、卒論は忘れたけど修論は怒られない範囲必要最低限にしたら5行くらいで終わってしまったはず。

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