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はてなキーワード: 修論とは

2019-04-15

研究室の損な役回り

できて2年の研究室にいるM2.

後輩が入ってきて、損な役回りばかり回ってくる。

ちょうど3年がかりの研究プロジェクトが多く回ってきた。

先生たちは「これで論文がかけるようになるまで2年後くらいだからな」と言いながら私に雑用を回す。

私はゴミのような雑用を日々こなす

次の4年が奨学金をとるための論文がかけるように、報告書のために日々費やして論文を書く時間もない。

先生冗談で「修論かけないね」と笑いながら言う。

4年なんか死ねばいいのに

得な部分ばかり吸いやがって。

死ね死ね死ね

2019-03-29

東大情理システム情報学専攻の放置&雑用系人気研究室で2年間過ごして

はじめに

 ブラック企業という言葉市民権を得てしばらく経ちますね。毎年、ブラック企業大賞なるものが発表され、だれもが聞いたことのあるような企業が名を連ねます。それに対し、ブラック研究室という言葉も有名なものの、どこの研究室ブラックだとかいった情報大学内部の学生でないとなかなか知りえないものがあります。ましてや研究室の内情は所属している学生しか分かりません。

 今回は、そんな研究室の中でも異質なケースとして、自分修士課程の2年間過ごした研究室の話をみなさんに紹介したいと思い、筆を執りました。必ずしも拘束時間が長く、人格否定を行うような研究室けが悪い環境ではないということ、メディアなどでよく見かけ、有名で人気な研究室が良い環境であるとは言えないということだけでも皆さんに覚えていただきたいです。後進の方々の研究室選びの参考に少しでもなれば幸いです。

研究室運営問題点

 初めに、研究室運営面について書いていきたいと思います

 第一に、とにかく人員が不足していたというのがあります。まず、先生(教授講師)はあまり研究室にいませんでした。先生たちは予算の獲得や大学内外の事務に追われるため、多忙になります基本的助教研究員博士課程の方が下の修士学士課程の学生の面倒を見ることになります。これだけなら普通なのですが、先生が後先考えずにどんどん仕事を受けてしまうことにより、プロジェクトに対して人間が足りていない状況が常に生じます。(先生曰く「断るの苦手なんだよね~」とのこと。)その仕事研究だけではなく、各メディア取材研究室見学など多岐にわたります自分研究室に配属されて一年は、講義を受けるほかに、(詳しくは後述しますが)研究室の立ち上げ用に物を発注したり組み立てたり、見学対応をやる日々で、ほとんど研究はしなかったように思いますさらに、月一くらいの頻度で(今はだいぶ減りましたが)先生のお友達を呼んで講演兼パーティーをやる準備や、先生の思い付きで増える仕事などに日々忙殺されていました。また、インターンアルバイトといった形で外部の学生を呼んで研究してもらうこともあり、その人達雑用をする義務はなくお金をもらいながら成果を出していたのに対し、学費を払っている学生雑用に追われるといった状況もありました。事務スタッフ教授所属している社団法人経理をさせられたり、共同研究先の企業から出向(?)の形で来てた研究員の方も、後述の巨大予算運営周りの仕事をやらされたりとひどい状況でした。

 第二に、新設の研究室で、研究を行う環境づくりをゼロから始めなければいけないことがありました。これは事前からわかっていたことではありましたが、自分想像以上の大変さでした。情報系の研究室なんて机と椅子PC発注すれば、あとは個々人の研究に応じて必要ものを買い足していくだけだろうと思っていました。しかし、先生方針で、リビングラボという生活空間研究室が融合したような形態ラボ運営することが決まっていたため、それを満たすような研究室の構築に修士最初一年は消えました。なぜ一年もこのようなことをしていたのかというと、9月ごろに先生とある巨大予算を獲得し、学生スタッフを増員するとの方針キャンパスを移動することに決まったからです。一度ゼロから作り上げた研究室をもう一度ゼロから作り上げることになりました。自分としてはキャンパス移動ですら最初に聞いていた話と違うので、とても不満に思いました。通学時間10倍以上増え、それだけでも大きな負担となりました。(授業は元のキャンパスでやることがほとんどで引っ越すわけにもいきませんでした。)

 このような状態でまともに研究が回るはずもなく、助教自分所属する学科・専攻で博士までとった唯一の人)はやめてしまいました。そこから、特任研究員の方に学生指導仕事が集中します。(本来、特任研究員助教とは違い、学生指導ではなく自分研究に専念するという名目雇用されます。)そして、社会人博士の方がその有能さゆえに研究室内の仕事を一手に引き受けこなしてくれたおかげでなんとかなっていた(?)のですが、当然彼らも自分研究は進みません。

 第三に、教授講師間でうまく連携が取れていなかったようにも感じました。二人とも物事放置・後回しにしたり散発的に進んだりと、計画性とは無縁の進行でした。ミーティングでもその場の思い付きのアイデアで話を発散させるばかりで収束には向かわず学生はどうしたらいいか当惑することが多かったです.

 さらに、二人の共感性の低さも研究室内の人間関係に大きくヒビを入れていました。特に事務の方々への接し方や飲み会の席(講師は酒を飲まないので主に教授ですが)での学生に対する発言は聞くに堪えないものがありました。(詳しくは後述)

 また、学内の期限(修論題目の提出など)を過ぎてから学生に通知したりと時間・期限に非常にルーズでした。そのことを詫びる様子もなく平然としている様子も腹が立ちました。その結果、学生事務員が期限を守らない印象を外部に与えていたのではないか懸念しています

 オーサーシップ周りに関しても不満が残りました。これは自分ではないのですが、大して面倒を見てたわけでもないのに、camera readyになって急に講師が「見るからオーサーに載せろ」と主張してくることがありました。 教授ゴーストオーサー常連からかそれには強く言わず結果的に受け入れられる形となりました。学生側としては教員陣の命令に背くわけにもいきませんしね。(この話に関しては、この研究室に限らず、分野としてそういう傾向があるのかなあと思います。他研究室の話は詳しく知りませんが。)

 このように研究室としての体を全くなしておらず、自分を含め最初3人いた同期修了出来たのは自分だけで、1人が休学、1人が留年という形になりました。(もう一人修了者はいますが、別の研究室がなくなった結果移ってきた人です。)

教授人格面との不適合

 次に、研究室の主である教授性格が合わず人間として尊敬できなかったということについて話したいと思います上司と合わないということはよくあることだと思いますが、よくあることだからこそ、記しておきます

 初めに、衝動的な発言暴言が多く看過できないということがありました。衝動気質に相まって、酒癖の悪さがそれを助長していました。例えば、論文を提出できなかった学生に対して「負け犬じゃん」といったり、昔自死した学生に対して「勝手に死んだんじゃん」などといったことがありました。(なお、これらの発言学生職員に窘められ即座に撤回しましたが、そう思っていたという事実は消えないと思います)。その他にも配慮のない発言が多くありました。

 また、自己顕示欲の強さとマウンティング(いわゆるイキり)が挙げられます。「君たちは潤沢な資金のあって、待遇のいいこの研究室に来てラッキーだ」などといった身内へのイキりを聞いた時は、上で書いたような現状に疲弊していた自分感情を逆なでするのには十分でした。また、自分は偉く、自分が言ったことはどんな無茶でも通ると思っているきらいがあり、無茶な予算申請事務の人を疲弊させることが多くありました。それにあきれ果てた事務の人が次々とやめることがあり、その結果事務仕事が逼迫することもありました。怪しい予算の使い方をしていて、機構の人に怒られたみたいな話を聞きました。大学に目をつけられているのはいわずもがな。

 内弁慶というわけではなく、外部の人間に対しても自分を良く見せようとしていることが多く、鼻につくこともありました。自分にはこのような先生の在り方が、いわゆる口だけの軽薄な人間に感じられてしまいました。いい環境を作りたいとは口では言いつつも自分は何もせず下の人間が苦労したり(「然るべきとき然るべき場所」というアイバン・サザランド言葉をよく引用しますが、これが「然るべき場所」なら笑止です。)、自分は人脈のハブだといいつつスタッフをなかなか引っ張って来れなかったり(前の大学にいるときこの業界で悪評が立ち、人が来たがらないとの噂)とあきれかえることが多かったです。他にも「教育が最優先」と口では言いつつも後回しにしたり、下の人間に任せているようなことなどとにかく「口だけの人間」というイメージです。隔月で1回20分ほどの面談教育したということなのでしょうか。

 専門用語拡大解釈して援用することで知識人を気取るようなスタンスが多く見受けられたのも癪に障りました。例えば、「インピーダンスマッチング」という、高周波電気信号の伝送路において、入力と出力のインピーダンス電圧電流で割った値で直流回路では抵抗にあたります)を合わせるという意味言葉があります。この単語力学などでも用いられます(こういった多分野に共通する背景理論研究しようという思想を持っているのが我が学科・専攻です)が、これを特に理論的背景もなく「折り合いをつける」くらいの意味で使って、さも各分野に精通している感を醸し出すことに長けていました。他には「バウンダリーコンディション」とかもありますね。微分方程式で言うところの境界条件です。これを前提・条件みたいな意味で使います。(こちらについては検索すると若干引っ掛かりますが。)これらにツッコミを入れた学生は以降食事会に呼ばれなくなりました。自分に媚を売らない用済みな人間簡単に切り捨てるようです。こういった拡大解釈した単語を用いてアナロジーを使い、自分の分野に話を引き寄せるのは上手いなと感じていて、知識がない人を煙に巻いたうえで自分の得意技を披露するのは、非常に参考になると思いました。

研究分野との不適合

 3つ目に研究分野であるHCI研究(と研究コミュニティ)との不適合について書きたいと思います。これは研究室自体問題というより、自分との相性の問題ですが、研究に着手できなかった大きな要因のひとつです。

 そもそも自分はどちらかというと、巨大で合ったり高性能であったりするものを着実に組み上げていくのが好きで、アイデア勝負だったり、プロトタイピングといった手法だったりが受け付けなかったというのがあります(同じような人のエントリ https://swimath2.hatenablog.com/entry/2018/07/30/205255)。

 また、この研究分野は、一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ(もちろんすべての研究がそうというわけではありません)、興ざめししまったのも要因の一つです。元々内向的性格なのもあって、自我意識などに興味があり、ならば「人に興味があるということであり、工学的なアプローチで人の研究をやれるのはこの分野だろう」という薄い理由で選んだのもあって、この不適合はモチベーションに意外と大きく関わりました。学部時代の成績は良い方で(必要進振り点はそこそこの学科でしたが、コース内ではトップクラスと周りには言われていました)院試第一希望で通りましたが、勉強ができるということが研究できるというわけではないという言葉を痛感しました。ただ、この研究室を選ばなければ、自分ももっと研究が出来ていたのではないかと思い、研究室選択毎日後悔しています

なぜ回避できなかったのか?

 それではなぜ、このような大きな問題点が数多く存在しながら、この研究室に進学してしまったのでしょうか?

 第一に、自分所属していた学科は、院試卒論研究室配属より前に存在し(実質4か月で卒論を書かないといけないのです)、自分研究および研究室への適性がいまいちからないまま、修士で進学する研究室を決めなければいけないという点が挙げられます。(一応研究室に配属されてプチ研究のようなことをするのですが、研究室生活とは程遠いので参考にするのは難しいです) それに加え、卒論研究室修論研究室別にするという慣習があり、卒論配属後合わないから冬入試を受けようというのも難しいです。

 第二に、サークルの先輩(同じ研究室ではないです)にこの研究室を勧められたというのがありますサークル飲み会の時に、同じ分野で研究をしている先輩に、「この研究室はいいところだし、一期生として面倒を見てくれる」と勧められたというのがありました。当時は若く、盲目的に先輩の話を信じてしまいました。悪い噂が流れてこないなら大丈夫だろうと。それに先生記事ネット上で見たこともあり、先生研究科学雑誌を通して知っていたこともありました。学科内でも新設の研究室に関わらず人気があり、これは安パイだろうと考えていました。今考えると人気・有名だから自分にとっていい環境だろうと考えるとは愚かなことです。(ちなみに、この先輩はD取得後うちの研究室内定を蹴り、他の研究室ポストに就くそうです。)

 第三に、一番重要ともいえる点ですが、上でも書いた通り自分大学では新設の研究室で、情報が流れてこなかったというのがあります。今思えば前の大学OBの方などに話を伺うなどをすればよかったとも思いますが、学部勉強サークルに追われていてそこまで気が回らなかったし、回っていたとしてもする余裕まであったかわかりません。しかしながら、新設の研究室に進学するというのは大きなリスクはらんでいるということはもっとしっかりと自覚するべきでした。これを読んでいる方でもし新設の研究室に行くという人がいれば、もう一度自分選択をよく考え直してほしいです。

最後

 ブラック研究室といえば、拘束時間が長いとか日常的な人格否定などがやり玉に挙げられやすいですが、最近では放置ブラックなどという言葉も耳にする通り、劣悪な環境というのは色々な形で存在しています。また、他人にとっての良い環境自分にとっても良いとは限りません。トルストイ著作に「幸せ家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)との言葉を残しています研究室も一つのさなコミュニティであり、同じことが言えるのではないでしょうか。これから研究室に配属される人には慎重に自分の進路を考えていただきたいと思います。このエントリを通して構成員がみんな幸せになるような運営に変わってくれると嬉しいです。

 文字数制限に引っかかってしまったのでコメント追記します。長文で申し訳ないです。

2019-03-23

さなIT企業に入って4年目。

自分自身出来の良い方ではないとは思っていたが、今年の給与改定タイミング役員から、お前はもっと頑張らないといけない、と言われたり、

からちょっとした考慮漏れで、ガン詰めされたり、

自分仕事量の見積もりミスで、納期前に15時間労働を3週間続けることがあったりした。

社会人になったら大変なこともあるし、自分が好きで、小さな会社に入ったんだし、これくらい頑張らないといけないんだ、

同期や周りの先輩たちはもっともっと頑張ってるんだから自分もまだまだ頑張らないといけない、

研究室修論発表の時期のほうがよっぽど辛かったしな!これくらいは全然大丈夫大丈夫

だと思ってきたが、

先輩の丁寧な説明がなぜか頭に入ってこなくなったり、

モニタを見つめて次に何をしたらいいのか30秒くらい頭が固まったり

作業中になんでか動悸がしてきたり、

夜寝にくく朝は何故か早く起きたり、

家事が一切できなくなったり、

大好きだったゲーセンも行かなくなったり、

しまいには、27年生きてて初めて出来た、大切な相手にはずっと仕事が辛い仕事が辛いとしか言えなくなってしまった。

違うと思うけど、と思って、ついに精神科に行ったら、鬱の傾向がありますねと言われて、トラゾドンという薬とロラゼパム、という薬を出された。

大の大人が、お医者さんの前で仕事がつらいつらいと言ってボロボロ泣いてしまった。なんて情けない。

きっと世の中には私なんかより遥かに大変な働き方をしている人もいるはずで、

残業月100時間とか、200時間とかやっている人達もいるのに、

ちょっと働いたくらいで、こうなってしまった。

世間的にはい大学だと言われるところに頑張って行って、辛い就活もなんとか乗り切ったのに、こうなってしまった。

どこで間違えてしまったんだろうか。

なにが悪かったんだろうか。

誰か教えてください。

誰か助けてください。

私はどうしたらいいんだろう。

2019-03-07

修論審査通った

誰かほめてくれ

いや、ほめないでもいい

ただ無理が重なって、精神的に病んでいた中で無事提出と発表まで完遂できたおれがいたことを刻めれば良い


ひと段落したら、また地獄が始まるけれど、今だけは許してくれ。

2019-03-05

anond:20190305130446

言い方悪いけど修論ぐらいまでは真面目に審査すると全滅まではいかないけど半壊レベル

内定とかその他諸々の学生のその後の人生を案じてなぁなぁで済ませるって事例が多くて

学内政治の争いレベル卒業水準越えてるのを捻じ曲げるとはあんまり思えないんだよね

ボーダーギリギリで他の教授もうーん…これは…うーん…ちょっとなぁてとこに厳しいか反りの合わない人がビシーッと言っちゃったように見える

2019-02-27

だったら外資を受ければ良いんじゃないですか。

もう数日で3月となり、20卒の就活が始まるらしい。

はいものベンチャー企業外資系企業はそんな一斉スタートには御構い無しで秋ぐらいか就活していたし、その間に運良く内定をもらったから良いものの、「これで落とされて日系企業就活をすることになるなら、自分が今やってることは全て水泡に帰すのか...これで決まらなかったら修論を書けるだけの研究ができるのだろうか....」と10月,11月頃はヒヤヒヤしていた。

同期たちはその間、研究の進捗を猛烈に生み出していたのかは知らんが、一切就活せず、「もう3月かー就活じゃん。」と今頃になって言い出して、ES手書きで書くのは〜とか文句言ってたり、日本企業はココがダメ!みたいなツイートばかりをRTしている。

いや、それなら外資とか受ければ良かったじゃないですか。宝くじ買ってもないのに5億ほしーって言ってるのとマジで変わらん。

の癖に、「良いよなー、就職決まってて。」とか言ってくる。いや、お前らがぼーっとしてる間に無駄になるかもしれん就活してたわけじゃないですか。

なんやねんな

2019-02-25

anond:20190215153618

還暦の父はワープロ時代院生卒論修論手書きはまぬがれた時代でしたが、長文書いたあと訂正すべき箇所が見つかると直すのに非常にてまで、上から別の紙を切り張りして修正してコピー繰り返すなど苦労したそうです。老齢の教授卒論手書きグラフと表は見るだけでくらくらしました。

2019-02-15

anond:20190214190549

まさか返信が改めて返ってくるとは、と驚いています

今まで増田でこの様な経験したことがないので……そして夜分に失礼します。案の定です。


貴方経験者といいますか、他にもその様な人がいるのですね。

そうすると、一旦定常状態に戻るなり解放された結果、より戻しが来る印象を受けます

徹夜心臓は痛くなりませんが、頭痛だったり視界が半分くらい暗転したりは来ますね。

ここ最近の追い込み時期では幻聴も併発してました。

徹夜は使う度にHP上限を削ると聞きますが、それを痛感してますね。徹夜良くない。


発表に関しては喋る方はまあいいんです。

スライド継ぎ接ぎして発表練習して軌道修正すれば、修論に書いたままで十分。

ただし質疑応答はその限りではないのですね。

副査の先生から「ここ論文引いて調べて」「ここ根拠データ必要じゃない?」と言外に修論で問い正すと宣言されている部分がありまして。

この部分に関しては出さねばなりません。

ぶっちゃけそれ以外の先端部分の開拓とかは全部投げ出したいので割と投げます。投げました。

データの精製取り直しのための実験はともかく、そこまでやってたらもちません。

書いてて気が重くなってきました。まあ適当にやって適当休みます


まあ弱々な人間なので、死ぬことはないと思います。じゃなかったら多分無理になる前に死んでるか、無理にならずに死んでると思うので。

いのちだいじに、休みながらゆっくり再起動していくこととします。


最後に、匿名の吐き出した日記に対して的確なアドバイスカウンセリングをして下さり本当にありがとうございました

吐き出すだけ出そうと思っていたから、まさかここまで親身になってくださる人がいるとは思いませんでした。

こうやって話すことで救われた部分もありますし。まだまだ増田も捨てたものではない。


名前も知らないですが、優しく善き人である貴方にも、どうか幸せが訪れますよう。

2019-02-14

anond:20190214130028

返信読みました。

ずっと同じレベルハードワークを続けていて、急にだめになる例を自分以外に1人知っています

あなたのが過労かどうかはまあ知らないんですが、おれもだめになった時「こんなん、もっと忙しい月もあったのに」という感想を持ちました。

おれは今から思えば過労でした。いろいろがんばってて、お正月休み明けたらなんかもうすべて無理になっていました。

おれのまわりのハードワーカーでは、25歳くらいから衰え始めたと述懐するセンパイは多いようです。

何にせよ一般的徹夜は不健康の極みです。徹夜明けは心臓おかしくなりませんか。

卒業要件に達してすらいないのが今の現況です。


こいつは失礼。

でも発表内容が修論印刷物よりもグレードアップしてないと即退学っていうわけじゃないんでしょう?

すでに提出したような内容を15分間とか喋って、その後立ってれば卒業可能なのではないですか。

無責任なことをいうようですが、もう適当でいいんじゃね…。

インフルエンザインフルエンザ

 

健康人間場合、窮地に追い込まれてもなんとか生きる道を模索するのが一般的です。

とりあえず死なないことをおすすめします。

もうすべて無理になってから、おれは治ってません。

元気が一番。

修論が無理になった

本提出はした。副査の先生査読もしてもらい貴重なご助言も賜った。

追加実験して、足りないデータを足して差し替えた後、スライド作って発表するだけ。


だけど、ここで何故か気持ちが無理になった。

モチベが出てこない。追加実験はやっているけれど一向に進まない。

ADHDのケがあると言われたら多分そうだと思うし、無気力性とか集中力のなさとかに関係してくると思う。

ただ「修論も出し終わったから週の進捗報告会も復活させます」と上からのお達しが出ていて。

データを取りつつ前にも進まなければいけない地獄しかもこれが三月末まで続くとなると改めて絶望しかまれない。

やらなきゃいけないのに、やる気が基底状態から動かないのでまずい。

まずいと感じながらもできていない時点でダメなのだけれど。


本提出前にホイホイやってた二徹三徹が出来なくなった。

日中眠気に襲われるようになり、視界が半分くらいボヤけて見えるようになった。

追加でやってる部分、あわよくば発表時に出そうと思っている部分の進捗が芳しくない。

一日十何時間実験やってて、半分泊まり込みでやっててもダメだ。

その割に本気で死のうと思う自分もいないし、かといって死ぬ気でやろうと思う自分もいない。


この前の東北大学自殺した学生とはまた違うけれど、いつ死んでもいいと思いが過ぎる。

それくらい目の前に茫漠な死が突きつけられている気がする。


支離滅裂だし、甘えだし、ここに吐き出す暇があるならさっさとなんかやれと言われるけれど。

なんか、ぼんやりとした無理に囲まれている。そんな感覚が続いている。

誰か、助けてくれ。

2019-02-12

東北大生の自殺について思うこと

ニュースによる差異こそあれ、また東北大の学生が一名亡くなったらしい。

早朝の研究から飛び降り病院で死亡が確認されたそうだ。

細かな事情は入ってこないものの、今の時期だから卒論なり修論なりが上手くいかなかったのだろう。

かくいう私も大学院生であり、本提出した修論を今必死に直している。正直提出前の二週間は研究室にほぼ泊まり込みで5回くらいは自殺しようかと思ったほどだ。

だのにこの知らせを聞いて、只々呆然とするあまりである


多分こうなる前に何段階か逃げ道はあったはずだ。それこそ休学、中退、通院など。恋人や友人なんかもいたのかもしれない。

しか差し迫った現況の前では、それらは全部無きに等しく。

視野狭窄となった当人の前には、茫洋たる死のみが広がっていたのだろう。

その上で研究棟という不確実な場所から自殺

今回ことが起こったのはせいぜい6階程度の高さである

近くには仙台城址なり八木山橋なりがあり、それを抜きにしても他の研究棟の方が立ちが高い。

その上で何故、しかも早朝を選んだのか。

当てつけか、自身の末路の見せしめか。それすら考えることが出来ないほどに思考が鈍化していたのか。

今となっては分からないが、明日は我が身という言葉が耳元からこべりついて離れない心境である


詳細な事情不明であるし、一部は闇に葬られたままとなるとは思うけれども。

さておき死を選ばざるを得なかった当学生の、冥福を祈るばかりである

2019-02-06

理系院生生活

4年のときに周りにあわせてなんとなく院進学してしまった。

このまえ修論発表終わってまぁ卒業できるだろう。

正直後悔が多い。

まり言いたくないが、選んだ研究室は良くなかった。テーマも良くなかった。研究室テーマちゃん論文出してるとこ選ぶべきだ。KAKEN調べろ。

先生は優秀ではあるが大学雑務につぶされている上、放任主義指導もあまりうまくなかった。研究室ドクター研究をしないドクターだった。

そんなだから研究の仕方がわからないまま2年間を終えようとしている。

もっとバリバリ研究するとこでやってる感味わいたかった。

もちろん自分が優秀な人間だったらよかったのだ。先生、先輩には申し訳ない。自分は口だけで中身がない人間だった。

自分driveできるような人間であればよかった。誰も悪くない、結局は自分が悪いのだ。

あと研究は思っていたより自由ものだった。思いついたことは好き勝手やっていい。

それに気づいたのは2年の後半だったから遅かった。ただそれまで研究のお作法も教わってなかったかしょうがない。

読んだ論文も2年間で5本くらいだったと思う。輪講してる研究室は真面目なとこだ。

学会も1度も出ていない。正確には成果がないので出させてもらってない。悲しい。

自分の後輩指導自分知識がないか適当になってしまった。研究室を出ていくまでに資料をまとめて渡したい。

研究室同期も言われたこしかやらない、自分では考えない奴で話しててなにも面白くなかった。彼が今後どんな人生を送るのか楽しみである

楽といえば楽な院生生活だったが意味はなかった。ただ20台前半の2年間を過ごし、修士を手に入れただけである。中身がない。

この2年間で自信をなくしてしまった。自分無能人間なのではないかと考えてしまう。無気力症候群のようなもの

からちゃんと働けるのだろうか。自分人生を生きていないような感じがするので、自分人生を取り戻したい。

この先この研究室に幸があらんことを願う。

2019-02-04

修論発表辛い

毎回発表内容を全否定される

今回も直前まで全否定されるし、能力ないとか言われる

もう辞めたいなあ

2年間なにしてたんだろ

本当死にたい 飛び込んだら楽になれるんだろうなあと思う

家族自殺者がいるから尚更死にたさが増す

辛いなあ

2019-01-22

人生仕切り直したい

24男子大学院生修論もほぼ書けてもうすぐ卒業内定もある。学歴初任給だけ見れば相当いい方だと思う。けれど、大学6年間ですっかり心をやられてしまって、とてもじゃないが働ける気がしない。寝ても覚めても不愉快趣味もろくに楽しめない生活を送ってる。自分語りして整理すれば仕切り直せるかなと思って書くことにした。

高校までは田舎優等生やってた。学校の成績はいつも1位で、生徒会長やったりもして、不満はほとんどなかった。地頭はなくて数学の難しい問題は苦手だったけど、勉強はやっただけ成果が出たから、つらいと思ったことはほとんどなかった。今思うとどうしてあんなに勉強やれてたのか分からないし、「勉強しない」っていう選択肢を知らなかっただけなんだろうな。親や先生が褒めてくれるのが気持ちよくて望まれるがままに勉強してた。大学入試も難なくクリアして、いわゆる難関大学情報系に進んだ。情報系を選んだのは、ブログ運営で少し触ったプログラミングがなんとなく面白そうだったから。当時はニュースビッグデータがもてはやされていて職に困ることもなさそうだった。

大学1年目、高校の延長で真面目に勉強してたら自然と上のほうにいた。だけど、自分の周りでは、小学生からプログラミングやってて課題で褒められるやつとか、やたらレポートの内容が濃くて授業中に取り上げられるやつとか、無難試験問題が解けるだけじゃない化け物がより目立っててかなり焦った。当時はまだギラギラしてたから、すぐにプログラミング入門書とか買って自分勉強した。幸い自学する力はあったから、大学から始めた人の中では頭ふたつ分くらい抜きん出たと思う。Twitter自分勉強した内容とか発信してかなりイキってた。ただ、自分プログラミング勉強していくのは結構しんどくて、月に何日かとにかく不快で何も手につかない日があった。自分はなんて頭が悪いんだろうとか、どうしてプログラミングを楽しめないんだろうとか、そういうことをぐるぐる考えてた。

大学2年目、先輩に誘われて一緒に小さなプロジェクトをやることになった。プロジェクト過程で、プログラミング能力の低さとTwitterでイキてったのをめちゃめちゃに叩かれて人格がかなり矯正された。不健康気味だったメンタルが更に脆くなって自信とか自尊心がなくなったけど、プログラミング能力はすごく伸びたし、なによりあのままTwitter井の中の蛙やってたらと思うとゾッとするし、トータルでは感謝してる。とはいえ、そのプロジェクトやってる間は大変だった。深夜にやってた萌えアニメを録画して起きてる間ずっとリピート再生したりしてた。今なら絶対に続けられないけど、当時は「つらいことをやめる」っていう選択肢を知らなかった。

大学3年目、自信を失ったなりに必死勉強した。優秀な人の真似をしてみたり、流行りの技術に手をつけてみたり、自分の興味は二の次でひたすら迷走した。見かねた先輩に「君、意志ある?」と言われたのは今でも鮮明に覚えてる。意志はなかった。それでも、とにかく自信を取り戻したくて、別に面白くもないことを無理やり勉強し続けた。もちろん、当時は面白いと思い込んで勉強していたわけだけど。

大学4年目、研究室に配属され快進撃が始まる。たぶん人生で一番賢い時期だったと思う。きっかけはゼミの輪読。準備のために全部の定理証明したり順序立てて説明する練習をしていたら一気に賢くなった。学校先生がしきりに言っていた「論理的思考」がどういうことなのか分かって、頭の使い方が変わった。自分が急速に成長するのがわかって、すごく嬉しくて、それまでやっていたプログラミングを全部捨てて研究にのめり込んだ。指導教員聡明な優しい方で、目の付けどころが良いと褒めてくれて更に研究が進んだ。今になって振り返ると、別に研究対象が面白かったわけではなかったと思う。一般に上手くできることは面白いし、人に褒められたら気持ち良い。ただそれだけのことだったけど、寸暇を惜しんで研究をした。眠りにつく直前まで研究のことを考えて、良いアイデアを思いついたら飛び起きてメモした。

年が明けて1月卒論は早々に完成させた。同期が卒論執筆でひいひい言ってるのを横目に、ひとりヨーロッパに飛び、トップカンファレンスポスター発表コンペで2位をもらった。賞金の300ドルiPad Pro を買う足しにした。日本に戻ると、すぐに国際学会に出すための論文を書き始めた。1か月ちょっと毎日10時間くらい研究室にこもって論文を書き続けた。2月末には30ページの英語フルペーパーが出来上がって、それがトップカンファレンスに一発で通った。割と流行りの分野だったし、近い内容の論文が同時にアクセプトされたりしていて、巡り合わせが良かったのだと思う。それでも十分に異常な成果だったし、このあたりでもう博士課程に進むことになるんだろうなと考えていた。

大学院1年目、アクセプトされた論文の諸手続きや発表準備をしながら次の研究テーマを探した。博士号をもらうには更に2本国学会論文を通す必要があって、1本目の論文技術的にも精神的にも指導教員依存していた自覚があったから、次のテーマ自分の力で見出したかった。指導教員からもしばらく迷走しなさいと言われた。たぶんここが分岐点で、ここで手厚い指導をお願いしていたら何か変わっていたかもしれない。当時の自分は、博士号取得に向けたアドバンテージを得たのを良いことに、時間たっぷり使って自力研究テーマを探そうと思った。手始めにここ30年くらいの関連研究を根こそぎリストアップしてひたすら読んだ。研究テーマを見つける最短経路ではなかったけど、一人前の研究者になるには歴史を知る必要があると思った。たぶんこれが大学生活最大のミスで、大して面白いとも思ってないくせに、何十ページもある論文をいくつもいくつも読み続けた。少しずつ、論文を読むのに飽きて、研究テーマをまとめる期限がせまって、メンタルがやられていった。

翌年2月下宿クローゼットに大きな穴が空いた。もう1文字論文を読みたくない、研究テーマもろくにまとまらない、どうしたら良いんだって頭を抱えて家にこもってるところに、知り合いかしょうもない説教めいたメッセージが届いて目の前が真っ白になった。机を目一杯殴って立ち上がって、自分が座ってたゴツいオフィスチェアーをクローゼットめがけてぶん投げた。木が割れるすごい音がして、クローゼットに人の顔くらいの穴が空いた。そうするしか自分を守る方法は無かったと思うけど、引越しのことを思うと気が重い。そこまで追い詰められても、まだ教員相談しなかった。初期の成果が異次元すぎて、それに見合う研究者にならなければいけないと思っていた。

大学院2年目の5月自力学振申請書を書き上げた。めぼしい研究から無理やり話を広げてそれらしい展望でっち上げた。内心、その研究面白いとも有力な結果に結び付くとも思っていなかったけど、とにかく研究の段階を前に進めないと精神がもたなかった。指導教員コメントをもらいながら、5000字くらいある申請書を10回書き直した。申請書を書いた後は、修士論文の影もちらついていたから、申請書に書いてある内容に沿って研究を進めることにした。もともと愛着情熱もないテーマなのに、行き詰まって、読みたくもない論文を読み込んで、理論改善して、というのを繰り返す日々が続いた。折れた足で無理やり走っているような気がした。足の骨を折ったことはないけれど。

8月、ようやく研究が形になってきて指導教員ミーティングをした。それまでも月に1、2回は簡単ミーティングはしていたけど、理論も含めてしっかりと方針説明するのは初めてだった。自分メモを前に映して30分話して、色々と質問された後、この方針は厳しいねというような話が始まった。先行研究の流れを十分に汲んでおらず眉唾モノとのことで、一番近い先行研究改善する方針提案してもらった。教員からすれば僕の研究はいわば初稿、それを足がかりにして研究を広げれば良いと思って話をするのは当然だけど、僕からすると1年半の集大成が30分で水の泡になったわけで、たぶん致命傷だったと思う。事態の原因が自分研究の進め方にあったことは理解していたし、現実問題として修士論文を書かなければいけないので、そこから2週間くらいは騙し騙し提案してもらった研究を続けた。

8月末のある朝、起きたら研究をやめていた。あの朝の感覚説明するのはすごく難しいのだけど、とにかく、自分の中の何かが壊れて研究をやめていた。研究をしたくてもできないなんてレベルの話ではなくて、きれいさっぱり研究をやめていた。研究をしなくてもなんとも思わないし、すごく不思議感覚だった。そこから10月まで毎日ゲームをした。あんなに遊んだのは人生で初めてだった。途中、指導教員に「もう研究できません」といったメールを書いたところ、とても優しく対応してくださった。返信の言葉は適切でとても暖かく、もう数ヶ月早く同じ言葉を聞いていればさぞ励みになっただろうと思いながらゲームをした。成果にも指導教員にも恵まれていたし、とても貴重な機会を棒に振ったなと思った。

10月、指導教員ミーティングをした。1ヶ月半ゲームをして療養したので、もしかしたら研究ができるかもしれない、という淡い期待を持って臨んだ。8月わずかな進捗とその後の顛末を報告して、全く新しい研究テーマでやってみましょうということになった。参考文献を教えてもらって読み始めたが、アブストを半分過ぎたあたりで胃腸ギリギリ痛んで吐きそうになった。指導教員に「もう無理です、すみません」と泣きついて1本目の成果で修士論文を書くことを許してもらった。その後、就活をして内定をもらった。大学での成果を振り回して精一杯の虚勢をはったので、さぞ優秀な学生に見えたと思う。会社内定と同じくらいの時期に、学振内定通知も届いた。申請書に書いた展望はまるっと没になっているが、一体どんな素質を見出されたのだろう。

そうして今に至る。研究ではそれぐらいの挫折はよくあることだよ、とも言われたけど、それを乗り越えられるほどの情熱や興味はなかった。というか、乗り越えて平気な顔で研究を続ける人の方が狂ってると思う。努力は夢中に勝てないというやつ。何か夢中になれるもの出会いたいと思うけど、何かに夢中になりたいって言いながら年を取るんだと思う。何をやったとしても、上達するにはどこかで自分に負荷をかけて頑張らないといけない。そこで夢中でいるための気力を大学の6年間で全部使い果たしてしまった感じがする。つらいことや興味のないことを頑張りすぎた。

社会に出て働くわけだし、流石に関連技術勉強しなければと思うのだけど、ひたすらつまらない。以前の自分なら、会社評価されそうな技術を喜んで勉強したと思うのだけど、そういうギラギラした熱意は失われてしまった。たぶん研究に全部持っていかれた。どの分野もどの技術もつまらない。物事の細部や深い意味に立ち入りたいという欲求が一切湧いてこない。自分知的好奇心の乏しい人間であることを痛感する。この状態で働き始めて、仕事を続けられる気がしない。毎日少しずつ自分が衰えていくのが分かってとても怖い。何か努力をしなければと思うけど、何をしてもつまらなくて30分ともたない。何も努力していないから、手放しで遊ぶこともできない。人生どん詰まり状態。早く仕切り直したい。

2019-01-10

なくなれ、厄年

うちの研究室では毎年近所の神社祈祷を行っている。

扱っている内容がめちゃくちゃ科学なのに祈祷を行っているかはまあさておいて。


大抵そこそこ大きい神社に行くと、大きい看板がある。

厄年とか暗剣殺だとか災難が起こりやすい年についてリストアップされているやつだ。

これを見て「修士学生とかみんな厄年じゃんwww」みたいに思ってたんだけどさ。

いや、そうなんだよ。男は数えで25が本厄だし、女は数えで19が本厄だ。

24といえば大学院生なら必死こいて修論を書いているわけだし、女性に至っては18歳、ほとんどがセンターなり私大入試に苦しむ時期だ。

そういった課題を災難としてみなすなら分らんでもないし、過去に制定されたものから時代の流れで変質していったのも否定できない。

だが、彼らにとっちゃ一世一代、将来のかかった年なのだ。そんな節目の年を厄年扱いするのはあまり気持ちの良いものではない。


そして改めて調べてみたら、はじまり曖昧というか、根拠特にない民間伝承らしい。

経験則とする意見もあるらしいが、「受験」「就活」が二大イベントして根付いた今の社会システム的では経験へったくれもあったものではない。

伝承/信仰のすべてを蔑ろにするわけではないが、この風習だけは無くなるか改定されるべきだと思う。

2019-01-07

修論

ファイル探すために、検索窓に修論って打ったら、ネット検索結果の修論やばいとか修論終わらないとかいっぱい出てきてつらみ。

Cortanaさん眠ってほしい。

2018-12-08

史学科のゼミとか卒論とかって何やってるの

数学科事情、すごく興味深く読んだ。

「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!

ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。

ゼミで何をやっているか

いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である文系研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。

(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様勅令だったりお役所行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)

何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念方法レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキル全然違うので。江戸時代歴史なら江戸時代古文書明治期の歴史なら明治期の文書中国史なら漢文イギリス史なら当然英語古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生日本古文書の読み解き方を勉強しても時間無駄だろう。逆もまた然り。

ぶっちゃけ、「卒業論文」に大したオリジナリティはない

慌てて言えば分野による。

社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナル史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。

ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのもの要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生修士論文で初めて学会誌投稿できるレベルのもの要求されることになる。

何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語大学第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史ドイツ史やフランス史場合韓国語ドイツ語やフランス語文系学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツフランス語論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃん漢文史料は読めるよね? 現代中国語論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語アラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本アイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。

なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語韓国語選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語フランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域対応できるね! 史学語学と言われる所以だ。

あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語フランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国言語が使われていたり宗主国のお役所植民地統治担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国言語で書かれている)。さら前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである現代日本語論文はスラスラ読めても古典日本語チンプンカンプンという人も多かろう。前近代西洋征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級言語植民地支配してたヨーロッパ言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーいるか勉強簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生卒論レベルなら日本語英語or中国語でじゅうぶん、という運用大学ほとんどだと思う。

ヨーロッパ植民地についてしか述べていないのは、日本植民地場合宗主国言語習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国台湾学生あるいはそれらの国から留学生植民地時代自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)

でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。

院に進んだら何やるの

留学します。

これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国台湾フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学ゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家指導を受けたり、あるいは分野によっては語学勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガル留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。

上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系大学院なんて資産の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがき奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さん実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか

2018-11-21

anond:20181121104636

もともとは規則正しく寝てたのならそれは戻したほうが良いから、大学診療所心療内科睡眠薬貰っておいで。

修論は、必要タスクを全部書き出してごらん。「Latexインストールする」ぐらいの細かいことで良いから。

かい記述ができないところはわかってないところだからちゃんと調べたり機を見て周りの人にきいてね。

見通しが立てば自分も周囲も少し安心できるから大丈夫よ。

なにもできない

修論終わる気がしない。隔週のミーティング前にやばいと思ってオールするんだけどなにもできない。PC持ち出してカフェに行ったりしたら多少は作業できることは分かってるんだけど生活リズム的にカフェに行けない。

夜布団に入っても朝方まで寝れない、寝たと思ったら15時まで爆睡夜ご飯の準備しなきゃ、と買い出し行くにも腰が重い。結局寝て夜ご飯作って食べてで1日が終わる

教授に冷ややかな目で見られてるのを感じる

大好きだった趣味もやる気力がなくなっちゃった。何をやっても楽しくない。嘘、大好きな人と話してるときだけは楽しい

しないといけないことは明確なのに出来ない自分が嫌

昔はこんなんじゃなかった

なんにもできなくなっちゃった、たすけて

2018-10-31

教授に良く怒られるなあ

プライドが高い卑怯者」とか「小さな頭でコソコソ考えて人に迷惑をかける」「人とコミニュケーションが取れない」とか、ゆとり世代にはきついわ

言われてんの俺だけなんかな?

みんな教授が怒るのは生徒の為だと言ってるけどほんとかな?

進捗管理もせずに学生放置飲み会でも他人に御構い無しで自分の好きな事をずっと話している、学科全体の修論発表直前になって焦って学生指導しだす

教授ブーメランな気するなあ

2018-10-13

anond:20181010122823

周りに現象論の人が多かったですが、修論教員メインの論文に少し関わって共著で一本、博士課程の間に同じ感じでもう一、二本出しつつ博士論文までに自力のものを一つ出す、くらいが現象論で研究者として生き残れる可能性のある人の一般的道筋、という感じでした(私自身は現象論ではないので外野から見た単なる感想に近いです。 Higgs 以外何も出てこないという Nightmare scenario が現実になった今でも以前と変わらず現象論の論文が大量に出ているのは正直ちょっと謎…)。

大学にも依るのかもしれませんが、現象論に関してはD取るだけなら難しいということはないと思います(もちろんアカポスは難)。他分野と比べてどうなのかは分かりませんが。

2018-10-12

anond:20181012181047

もともと日本企業で働いていたけど、家族関係EUに来ました。

MSc日本で取っているけど、働いている中でもっと学びたいことができたので、冬学期からまずはnon-degree studentとして通っています

こっちの人は大学授業料無料なのが羨ましいけど、EU外の人にとっても日本大学に比べて格安授業料なのがありがたいですね。

私はオーストリアにいるので基本ドイツ語の授業が多いけれど、ERASMUSで他の国から学生も多いからか、英語の授業も多く、学生先生英語が通じるので助かっています

私が日本で通っていた大学にはこんなにも多くの英語講義がなかったので、日本に来る留学生はとても大変だったんだなぁと思います

中国自然科学系については詳しくわかりませんが、調査対象地域として中国をやられている方は、現地調査収集データの取扱について中国政府から色々言われることが大変だと言っていました。

生物化学実験系の分野だけかもしれませんが、オーストリア大学院生と日本大学院生を比べると、日本大学院のほうが、修論実験に対して重きをおいたカリキュラムになっているように感じますオーストリア場合は、大学院に入っても研究室にいるより授業に出ている方が長いように見受けられます。前述の通り、講義といっても学生に対してプレゼンや何かプロダクトを作ったりレポーティングにより評価することが多いので、こちらの学生の方が自分の成果を表現する能力が高くなるように感じます。一方、日本大学院ではゼミ実験が重視されているため、実験操作や実務能力に重きをおいているように感じます

私としては、今の時点でどちらが大学院のあり方として優れているかはよくわかりません。

日本からたことのない学生は、研究に対して保守的になりがちなので、あなた日本学生生活を過ごしたことがない場合、戸惑いがあるかもしれません。

私が学部生で研究室を決める際、先輩から、「いくら有名な先生研究室でも、実態は違うかもしれないから、研究室訪問をして、本当に自分がそこで一緒に研究したい人たちがいるか基準にしたほうがいい」と言われました。

有名な先生資金調達がうまく、予算が潤沢にあるかもしれないが、学生指導を全くしない先生もいます

いい研究室が見つかるといいですね。

2018-10-10

物理科 素粒子分野の業績事情

人文系の文献の取り扱いとか業績についてちょっとだけ - dlitの殴り書き

こちらの記事賛同したので続いてみます

かに異分野の事情をお互いにわかっていたほうがみんな幸せになりますよね。パーマネントや学振採用とか。

はじめに

素粒子分野は大きく分けて

に分かれています。これらの間には超えられない壁がありまして全てをまとめるのはちょっと難しいのですがなんとか書いてみます

間違いを見つけたら教えてください。

論文事情

素粒子論文は全て英語で書かれます国内雑誌としてはPTEP(旧PTP)がありますこちらも英文です。当然どれも査読があります

業績リスト論文査読なし)には国際会議研究会の proceeding を載せたりします。

素粒子分野には論文投稿前に arXiv に載せる慣習があります

これは投稿前に業界の人たちに意見をもらい論文修正するためです。accept 後に査読済みの論文差し替えます

arXiv に載っているのは基本的投稿前/査読中/査読済み の論文及び国際会議の proceeding です。

素粒子査読をしないというのは誤解です。

論文雑誌とIF

特に素晴らしい研究Physical Review Letters (Phys. Rev. Lett) に投稿されます。IF8.839 です。

Nature や Science に投稿することはまずありません。

IFの基準業界によりかなり異なるでしょう。

おそらくは  [ 業界の人数 ] x [ 1年間に発表する論文数 ] に依存するはずです。まあ人数の少ない分野は引用数も少なくなるでしょうね。

同じ素粒子業界でもその専門ごとにかなり違うはずですが、とりあえず Inspires によると以下のように分類されています

# of citations
Renowned papers 500+
Famous papers 250-499
Very well-known papers 100-249
Well-known papers 50-99
Known papers 10-49
Less known papers 1-9
Unknown papers 0

自分確認したい人は Inspires で fin a s Masukawa などと打ってみてください。

業界事情

素粒子実験論文を出せない

素粒子実験特にエネルギー方面ではなかなか論文が出せないことがあります

理由簡単実験計画から結果が出るまで多数の歳月がかかるからです。

例えばLHC計画からヒッグス発見まで20年弱かかりました。論文の著者数は5000人を超えました。

このような事情なので「博士課程単位取得満期退学後に研究を続けて論文を出すと同時に博士を得る」というような方がたまにいらっしゃいます

博士号をもっていない素粒子実験の人に出会っても決してバカにしてはいけません。

彼らは博士号取得と同時にノーベル賞を得る人たちなのです。

素粒子理論学生論文を出せない

素粒子理論研究に入る前の勉強量が膨大です。

まず 場の量子論超対称性理論群論リー代数 あたりは三分野共通勉強すると思います

加えてそれぞれの分野の専門的教科書、例えば弦理論なら String Theory (Polchinski) 格子なら Lattice Gauge Theories (Rothe) など。

分野によっては位相幾何学微分幾何学勉強しなければなりません。共形場理論もですね。

この辺りでようやく基礎ができてきましてこのあと30年分くらいの論文を読みます

研究に入るまでの勉強時間がかかるので修論レビューになることが多いです。

当然学振は出せない・・はずだったのですが最近どうも事情が変わってきたようです。

学生の方が学振(DC1)に固執して勉強も途中に研究を始めてしまう、勉強途中のM1研究できることなんてたかが知れているので

必然的にあまり重要ではない研究に貴重な時間を費やしてしまう、というような話をぼちぼち聞くようになりました。

学振についての考え方は人によるとは思うのですが、ちょっと危うい傾向だなと私は思うことがあります

そこでちょっとお願いなのですが

学振研究者の登竜門!取れなかったらやめよう!」などとblogに書いて煽るのをやめていただけないでしょうか?

いや書いてもいいのですが主語を書いてください。「情報系では」「生物では」とかね。

理論博士号を取れない

博士号は足の裏のご飯粒」と言われて久しいですが、弦理論では博士号を取るのはまだまだ難しいと思います

まあとったところで「足の裏のご飯粒」なんですけれどもね・・・

追記

放置していてすみませんまさか今頃上がるとは思っていませんでした。

いただいた重要コメントこちらにも転載しておきます

new3 言いたいことはわかるけど、普通は「ヒッグス発見」を博論テーマにせずもうちょっと控え目な研究に留めるものでは?日本でもJ-PARCからSuper-Kにニュートリノ撃てるんだし10年に1本はさすがに少ないと思う。

どうもありがとうございます文章を少し修正いたしました。他にも間違ったところがありましたら教えてください。

niaoz 懐かしい。補足するとストリングやるなら一般相対論ベース重力理論必要/場の理論は確かに簡単じゃないけど楽しい量子力学特殊相対論(電磁気学含む)を修めたらやってみるとよいです。



kirarichang 学振出せないと思われるのは,(学振の)制度不備だよなぁ.

monopole 素粒子理論分野では修士論文書きにくいけどDC1の枠はあるので、採用者は実績によらずほぼランダムだったり有名研究室に偏ったりする。まあ論文なしでも通る可能性あるから学振気合い入れて書け

えっ!!論文なしでも通ることあるのですか!

Ho-oTo 今時の素粒子理論院生DC1用に1本は書いてるイメージが強い。

最近は大変ですよね。指導している方もすごいと思います

kowa 素粒子系は知性の墓場だと感じてる。優秀な人材があまりに何もできなくて、消えている。魅力はわかるが、1/5000のcontributionだかでいいのだろうか

猫も杓子も素粒子目指しすぎですよね。宇宙論も。

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