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はてなキーワード: 修論とは

2020-03-16

クズクズから脱却するには

またトラウマスイッチが入ったので吐き出す。


何事も中途半端以下、努力も才能も、納期に間に合わせる力もないクズ

そんなままこれまでの人生を生きてきた、自他ともに認めるクズクズ、それがわたし


小学校の頃はまだまじめだった。いや、真面目の皮を被って生きていけた、というのが正しい。


中学校から片鱗が出始めた。仮病を使って休む日が出てきた。

合唱コンクールピアノ伴奏で、本番にも関わらず二小節ほど停止した。

すぐ復帰はしたものの、「伴奏すら満足にできないクズ」「一生懸命練習しろカス」と揶揄された。

「こっちだって十日前に突然任されたんだから」という思いでごまかしていたのが、クズ思考だったんだと思う。


高校の頃もひどかった。文武両道を語る、自称進学校しか入れなかったのも原因の一つかもしれない。

だけれど、そうやって他責を真っ先に思いつきそれに縋るのも私がクズゆえの思考なんだと今になって自覚する。

夏休みの宿題を「明日出す」と一週間繰り返して出さなかった結果、生徒指導室行きになった。

テスト一夜漬けで、英語赤点なんてザラだった。クズなので高3になってもベクトルの基礎がボロボロで「お前、やばいぞ」と叱咤された。

そうはいっても復習もしない、中身もない、自分に甘いクズなんだから仕方ない。

部活では、インターハイの三日前に怪我をしてキャプテンに詰め寄られてキレられた。

「本気じゃないだろ」「士気が下がる」「お前来んなよ」

重々承知してるけど、体面を気にするクズから来るしかないんだ。ごめんなさい。


大学もっとひどかった。日によって代返を使うようになった。

サークルでは技術の上達しないクズ部長を任された。指導は先輩に全部投げたし、全国大会ではわたしの凡ミス奇跡的な逆転負け。

後輩を入れた以外は部室の置物として生きていた。これが本当の役立たず。

趣味小説電撃文庫に応募した。二次選考落選。それでプッツリキレて、投げ出した。

他の人たちは血のにじむ努力をしているのにさ、あーあ自分に甘いしメンタルが弱いドクズだこと。

研究室なんてひどさの塊だった。研究の報告会で、自分研究をあまり理解していない始末、教官に顔をしかめられる状態がずうっと続いた。

ゼミ論文紹介なんて、内容が大したことないのに基本的なことすら上手く説明できずひたすら燃え時間が終わった。

それを次に生かせれば良いものの、三年間ずうっと同じ感じでゼミは終わっていき。

最終的にドクターの先輩から炎上商法」「ゼミ質問で、他の人が答える部分が多いのはM2としてどうなの」と御叱りをもらった。

修論なんて、実際完成度はめちゃくちゃ低いし、追い出され枠のお情けで卒業させてもらったんじゃないかと今でも思う。

修論とは別に論文化で必要データなんかも、わたし責任もって行うべき部分を、残った人たちに押し付けて、逃げた。

社会人としては0点どころか評価フィールドに立てやしない。

正真正銘クズクズ。そうやってこれまでの人生、生きてきた。


そして社会人になって、一か月。同期を数十~百人単位でとる企業に、文字通り『潜り込んだ』。

研修で、まだボロは出ていない。と思いたい。

しかし、この思考が頭に侵食されている時点でクズクズはまだ終わっていないし深く根付いていると思う。

それが社会人になって表出して、これまでとスケールの違う規模の失敗、負債を抱えてしまうことがたまらなく怖い。


そして今日、夢を見た。今まで迷惑をかけた先生やら同期やらいろいろな人が出てきて責められる夢。

全部元をただせば自分が悪い、出るとこ出れば10:0で負けることばっかやってきたので勝手トラウマ負ってるだけなのだけれど。

実際甘えなのは分かっているが、このトラウマの数々を拭い去りたい。そして、人として多少はマシな状態になりたい。


藁をもすがる気持ちで、ここに吐き出して、書いている。

どうやったらクズから脱却できるのか、増田の誰か、教えてほしい。教えてください。頼む。

2020-02-15

東北大は史上最悪の大学

最近とつげき東北というやつがTwitter炎上?している。

それで彼を見始めたけれどまあ言い訳の酷いこと酷いこと。

詭弁煽り、都合が悪くなったらすぐ逃げる。

こんなやつがい旧帝大があることが信じられない。


昔は三番目の帝国大と言われていたようだが、いまは昔。

かつての光ファイバーをはじめとする功績は見る影もなし。

今は自殺者をもみ消すだけの哀れな大学、それが堕落した東北である


うちの会社にも東北出身の奴らがいるが、ことごとく使えない。

同じことを何度も聞き返すのはまだしも、渡した仕事がいつのまにか消えている。

「◯◯は?」と聞かないと報連相すらしやしない。

挙句こっちへくる資料が軒並みクソ。もうね、君本当に修論やら資料作ってきた?って言いたくなる。

とにかく作業効率も悪い。

あげく休みだけはしっかりとる。週休2日だけど申し訳いから1日出ますとかないの?

今まで見てきた東北大卒、みーんなそう。

大学ダメなら学生ももちろんダメだ、腐敗してるよ。


正直言って、大学レベルとしては完全に論外だと思う。

国公大とは比べるべくもないし。

GMARCHやら大東亜帝国とかのネームバリューある他の私大の方がよっぽど仕事するし熱意に溢れてる。

うちの会社学生応募も、東北大だけで弾くかもとぼやいていたくらい。


とつげき東北もはじめとして、今の東北大はもうダメだ。

旧帝大という肩書に踊らされずに、学ぶ場所を選べよ、学生諸君。そして増田

2020-02-14

温厚ゆるふわ放任主義ボスがいる研究室って、学部卒で就職する人にとっては天国のような場所だよな。

でも院進するつもりならちょっと考えたほうがいいよ。多少忙しくてもきちんと研究して成果まとめてる研究室の方がいいと思うもん。特に勉強きじゃなくてモラトリアム目当てで進学する人は、むしろにゆるふわ研に向いてない。自分で全部できるひとじゃないと、卒論修論破滅する。自由は、身を滅ぼすぞ。

2020-02-13

誰にも言いたくない言い訳

この時間まで研究室にいても、一向に発表資料作りが進まない。修論もどきは既に渡してある(期日までに改めて提出する必要はあるが)。発表中に首をかしげられても、いくら恥をかいたり叱られたりしても、約30分壇上で堪え忍べば取り敢えずは大きな山を越えることができる。一応発表練習はしてアドバイスもいただいたので、あとはそれに応じてスライド修正すればいい。ただそれだけだ。でも、そのあと一歩の作業が進まなくて、ひとり背中丸めスマホで文を打っている。かれこれ5時間作業が止まっている。こんな時間なのに眠気はない。なんか知らないけど涙と鼻水が止まらない。たぶん、ろくに寝てないから体がおかしくなったのだろう。

から人に頼るのが下手だった。言わずもがな友達を作るのも壊滅的に下手である

から自分問題解決しようとしすぎてしまう。ストレスを溜め込みがちなのも割と自覚している。自分の嫌いなところはその他にも色々あるけれど、特に自分に甘くて他人に厳しいところ」と、「やらなければいけないことを先延ばしにする癖」は大学に入ってから悪化した気がする。

対人関係ストレス勉強が手につかなくなり、センター試験はまあまあ悲惨な成績だった。センターの結果にあわせて出願した大学に後期試験でなんとか合格した。学費を出してもらっているし、入学を決めたのは他でもない自分なので、講義はしっかり出席した。選択科目はいくつか落としたものの、卒業必要単位はしっかり取った。1年生のときは将来なりたい職業もあまり考えていなかったので、取り敢えず何となく教職課程を取った。教職科目は思いのほか興味深くて、教員になることも一度は考えた。でも決めきれず、向いていないことは薄々気付いていたものの、大学院に進学することを決めた。そして迎えた教育実習だが、これが本当につらかった。この仕事自分に向いていないとはっきり分かった。加えて実習中には色々あって、精神的に追い詰められてしまった。正直、人生で初めて死を考えたほどである。2年半経ってもこのときのことを考えようとするだけで涙が出てくるので、極力思い出さないようにしている。暫くはベッドから起きれなかったし、泣きながら親や相談センター電話した。見かねた親がはるばる新幹線でやってきて、ごみ屋敷と化した部屋を片付けてくれたこともあった。幸い研究室活動は週1のゼミのみで負担は少なかったし、大学院進学も運良く推薦をいただけたので、進学のこともなんとかなった。でもこんな調子だったのと、先生が厳しく言わないのをいいことに卒研の開始は先延ばしになっていった。徐々に体力も回復してきた頃にはかなりギリギリの時期だったが、なんとか卒論発表には間に合った。ただこの頃から先延ばし癖はどんどんひどくなっていった。

大学院に進学してから生活を振り返っても、研究にきちんと取り組んだとはお世辞にもいえない。授業やTA仕事アルバイトには人並みに取り組めていたから、おそらく自分規則や締切を考えてタスクを片付けるという作業が嫌だったのだろうと思う。卒論発表を終えたときには「修論反省いかして頑張ろう」と思っていたのに、気がつけば立派なダメ院生になっていた。趣味は楽しめていたから、たぶんただの甘えだと思う。

そんな私だが、義務教育時代は大きな問題なく過ごすことが出来ていた。未だに「どこで間違えたんだろう」なんてことを考えてしまうのは、この頃の成功体験によるものだろう。そんなこと振り返っても仕方ないが、あの頃の全能感や将来への期待感みたいなものを思い出すと、現状にひどくがっかりする。ただ、今思えば部活でもちょっと浮いた存在ではあったと思うし、友達からお祭りに誘われなくて落ち込んだこともあった(自分から誘えばいいのに)。多分、人からの悪意にはめちゃくちゃ鈍感なところがあるので、それで自分の身を守っていたのかもしれない。今はちょっと人の目が気になるようになった。

ああ、どこで間違えたんだろう。

ああ、どこでなら取り返せたんだろう。

色々思い当たる節はあるけど、悩んだときにいい子ぶらないで親や先生相談していれば、事態は変わっていたと思う。「誰にも言いたくない」というわがままは、きっと自分を苦しめる。自分ではSOSを出していると思っても、相手がそれを受け取っているとは限らない。「言わなくても気付いてくれる」というのは、ある種の甘えかもしれない。

と、誰にするわけでもない言い訳を並べている。



2020-02-05

修論失敗する人間典型

この時期になると修論出せませんでした or 不合格でしたっていう報告が相次いで

それに的外れコメントする人が多いんだけど

修論に失敗するのはほぼほぼ下記のような「試験期間になってから勉強を始めるタイプ」ばっかり

普段は授業で寝てるんだけど中間テストとか期末テストの1週間前になったら

先輩・友人から過去問入手して対策勉強だけしてテストに臨むタイプの人。

過去問外しが来て撃沈しても先生に頭を下げて追試してもらって留年を免れたりして大学院まで来ちゃった人。

修論提出1ヶ月前ぐらいにフラッと研究室に来て

「何をやればいいんですか?先輩の論文からコピペすればいいんですかね?」

っていういつものノリを発揮して撃沈する。

もう、だいたいこのパターン。何かを得るための努力の最大値が1ヶ月みたいな人。

「追試っぽいのとか、下駄を履かせるとかないんですか!?

みたいな意味不明なことを言う場合も。

卒論レベルであれば先輩論文ほぼコピペみたいなものを書いて1ヶ月研究室に泊まり込んで

最終的にはお涙頂戴で卒業できるような大学もあるらしいけれど、さすがに修論はそういうのないし博論だと全く不可能

指導教員のせいにする人も多いけど、指導教員としては

研究室に来てください」

って言うくらいしかないし、それすらできんのは土俵に上がってないわけでどうしようもない。

授業料分ぐらいはしっかり指導せーよって思うような教員もいるのでなんともだけど

そもそも学生20歳すぎて数年経ってるはずなんだから自分のことは自分でしっかりやれよ、と。

個人的意見だけど、修論ってのは1年間とかの長い間取り組んできた研究内容について

最後報告書として提出するためのものであって、提出すれば修士がもらえるもんじゃない。

1年間とかの長い期間研究した行動、それによる成長に対して修士を与えるもんであって

1ヶ月前に「何したらいいっすか」みたいな感じで来ても「いや、無理じゃね?」っていうのが一般論

もちろん中には1ヶ月でスラスラ〜っと論文書き上げて修士取っていく人もいるか

「じゃぁ何ヶ月前に来たらいいんですか!」みたいな質問には答えにくいんだけど

感覚的には最低でも半年ぐらいは一つのテーマ真剣に取り組まないとなかなか修士レベルにならんよね。

なので失敗した人は心を入れ替えてここから半年間頑張って研究すれば十分修士を取れると思う。

頑張って半年後の卒業目指してくれ。

心配せんでも社会に出てから半年遅れなんて誤差にもならんぐらいどうでもいいから気にすんな。

2020-02-03

anond:20200203082400

修論はだいたい指導教官がOKだせば大丈夫

博論だと(レベルの低い論文に)ガチで反対する審査委員が稀にいる。

今日修論の発表がある。

事前に修論を提出したときには副査に「この論文じゃあ修了は認められない」と言われた。

指導教員には「まぁ、副査の先生一人で評価を決めるわけじゃないからね」と慰められはしたけれど、

本当に大丈夫なんだろうか。

投げ出したい。辞めたい。逃げてしまいたい。

2020-01-30

度重なる先延ばしの結果、最後の踏ん張りさえきかなくなった

明日修論の発表日だ。スライドの完成度は5割ほど。0じゃないだけましだけど安心してゆっくり寝られる状況じゃない。だのに、なぜか焦っていない。パニックモンスターが目を覚まさない。院試の前も卒論の時も結局、ラストスパートでちぎるようなことは起きず、人から助けられたり運が良かったりでなんとかなった。そのある意味よくない成功体験のせいだろうか、踏ん張ってしかるべき時に踏ん張れなくなった。このままだとまずいとわかっているのにからだが動かない。鬱では多分ない。楽しそうな逃避ならすぐに行動できる。ここで頑張れる人は一生頑張れるし、頑張れなかった人は一生頑張れませんって言葉は嫌いだし普通に偽だとおもうけど、院試とか卒論とか人生の大イベントで頑張らなかった自分はきっとこの先も、という予感は実際にある。

2020-01-27

これまで散々放置、日ごろのミーティングにも俺だけ呼ばれない。

なのに修論締切当日になってから指導教員面して文句だけ垂れてくる。

否定じゃなくて意見を言え。

留年したら一生かけて呪ってやる。

2020-01-14

無能がTOEIC900点取ってから人生狂った話

偏差値50無い私大文卒。卒論はまともに書いてない。

在学中にTOEICで900点取って秀才扱いされる。

英語を全く使わないメーカールート営業就職理由は金が良かったから。年500はあった。でも英語採用された。

研修期間に遊びまくり試験成績が悪かったからか地方田舎営業所に配属。

毎日上司or客先の営業を兼ねた酒の付き合いで体調と精神を崩し、1年で退職実家に帰る。

英語を使う仕事なら出来ると開き直り上京して未経験可のIT中小就職。客先出向でヘルプデスク年収200万ダウン。

上京したテンションで前職で覚えた風俗ギャンブルにハマり借金を抱える。

このままではいけないと2年後に未経験可の社内SE転職。完全にポテンシャルのみの奇跡採用年収が100上がる。

真面目になって勉強して資格試験合格

部長からやる気を買われ社会人大学院生として推薦される。学歴に自信が無かったのでロンダして転職出来るかなって二つ返事でOKする。

1ヵ月で生徒達のレベルの高さに入学を後悔。ゼミ、授業についていけず鬱になる。授業もディスカッション形式のもの的外れの事ばっかり言ってた。でもみんな優しいし気遣ってくれる、そんな出来た人間自分を比べて鬱になる。

仕事も並行して新しいプロジェクトが入る。

なんとか1年を耐えて二年次へ。

事情ゼミが変わる、と同時に実験再現性の無さから研究テーマの変更を勧められる。

新規テーマで書き始めるも仕事が忙しくなり研究さぼり始める。

なんとかそれらしい事と実験をやって中間発表を切り抜ける。

達成感からか追い込み時期にゲームをやり始める。

さすがにやばいと思いとりあえず実験だけした。

年末にまとめる予定だったが怠けて失敗。修論締切カウントダウンが始まるも全然書けない。教授からコメントに震えて返信ファイルが開けない。有休を使い果たし論文を進めるも教授から意味不明とのコメント。とりあえずyoutube見て気持ちを落ち着かせて3連休終了。

バックれたいけどセットで会社もバックれるハメになり、借金けが残って人生詰む未来が見える午前2時。

こんなの書いてるくらいなら論文進めろよ。

徹底して自己管理が出来ない人間が勢いだけで生きたら失敗した。

間違いなく将来を見据えて毎日勉強して技術力をつけてより良いところへステップアップすべきだし今時1つの会社にいるのはリスクだ的な事はわかるし俺もそうありたいけど。それって継続して努力出来る出来た人間だけであって、俺みたいな無能は目指しちゃいけなかった。

もしもうちょっと頑張れて卒業出来たなら程々の努力ちょっとずつそこそこの給料もらえるプレッシャーも少ない今の職場感謝して定時退社して遊ぶことにする。

というかもし卒業しちゃったらなんちゃってMaster of Engineeringになってもっと調子乗っちゃうんじゃないの。

俺は研究して新たな成果を見出すことに何の興味も無かったんだな多分。

勉強するのは嫌いじゃないけど。





追記

TOEICのせいみたいな書き方して風評被害すみませんでした。

自分能力以上の評価をされて鼻の下伸ばして背伸びして生きてたら人生狂ったが正しいです。

900無ければ学歴通りのそれなりのところでそれなりの仕事して今のような苦労は無かったのかなと、でもそしたら違う苦労があるんですよねたぶん。

Procrastinationの動画を教えて頂いた方ありがとうございます。締切直前になってやり始める事を繰り返してたら、最近パニックモンスターが出てくるのが遅くなった気がします。

2020-01-12

唐突にやる気がなくなってしま

学生です。論文構成とか考えたりある程度形にするまではやる気MAXで頑張れるけど、やる事が決まった瞬間に満足して遊びだして締切直前まで何もやらず、当日焦って適当成果物を提出して教授にガッカリされるというのを繰り返して2年になります

もうすぐ修論締切ですがNintendo Switchを買ってしまいました。

ポケモン世界に飛び込んでバックれる準備は出来ています

2019-12-26

無能の人

高校以前

私は比較好奇心が強い子供だったと思う.小さい頃から親になんでなんでと訪ねては疲れさせていた.小学生の頃,調べ学習が大好きだった.調べ学習時間では,その時間が始まるといてもたっても居られなくなり,先生の言うことを聞かずに行動して怒られたりしていた.

中学生の頃は,物になぜ色がついて見えるかを調べた.それを調べている時はとても楽しかった.階段状に並んだタイルの総数を考えたり,N次元空間に置かれた立方体がある視点から見える最大の面数は何か疑問に思ったりしていたこともあったっけ.

母親は欲しい本はなんでも買ってくれた.ラノベ宇宙の本を買ってもらった.雑学の本も好きだった.ブラックホールが発生してから蒸発するまでの話に私はとてもワクワクした.

私が友達なんていらないと思うようになったのは,中学生の頃,同じクラス女子が原因だった.彼女は手下にできそうな私を見つけて,私を支配下に置いた.私はそれ以来人間不信のような状態になった.

私が自尊心がないのは両親の不仲が影響しているようにも思う.父親が帰ってくるたび毎日家がピリピリしていた.母親は私が中学3年生の頃家出してしまった.その時は毎日泣いていた.学校休みがちになった.父親料理ができないから,コンビニ弁当ばかりだった.その頃,母親浮気していたと思う.私はとても寂しかった.人生は結局一人なのだと思った.

けれど,母親は結局,私を別居先のアパートにいさせてくれた.学校をサボって,会社をサボっている母親映画を見た.映画のシーンでセックス描写があったときに後ろから目隠しをされた.母の手は暖かくて,なんだか嬉しかった.

高校時代

高校受験の時は,親に経済的負担をさせるまいと,確実に合格できる公立商業高校情報処理科を受験した.

高校では友達を作らないようにしようと自分の殻にこもった.入学直後,女の子がお弁当を一緒に食べようと誘ってくれたが断った.友達になろうとしてくれた人の誘いはほとんど断っていた.

けれど,部活には入部した.商業高校だったもの科学への興味があったため科学研究部に入ったのだ.

生物ドクターを出た先生顧問だった.高校2,3年生の頃は水生生物調査が主な活動だった.部活顧問は「お前はドクターまで進学した方がいい」と助言してくれていた.

この頃も,宇宙の本を読んでいた.その本は量子力学に関する奇説を扱う本だった.この宇宙は,あらゆる状態分岐に応じて,並行して無数に存在しているという説もあった.今生きている私というのも,無数に存在する宇宙のうちの一つの認識している自我しかないのかもしれないと思った.宇宙にとって私とはエネルギーの濃淡の揺らぎ,またはセルオートマトンの点滅.私が生きていようが死んでいようがどちらも美しくなりたつ宇宙に思いを馳せた.

大学受験では,文系高校から理系大学への進学は難しかったが,やはり理学への興味が尽きなかった私は,理系へ進学することを決断した.高校では数学はIとIIしかやっていなかったため数学受験勉強は独学で行なった.私はひどく頭が悪いわけではないけど,かといって大して頭がいいわけではないから,低い偏差値大学の推薦入学だったけど,それでも苦労した.

何回か,母の前で自殺するふりをした.反抗期からか,勉強ができないストレスか.ある日,母に他の男の気配を感じた.当時の私はそれがたまらなく許せなかった.死んでやる,といって包丁を持ち出して,自分首に突き立てたりした.本当は死ぬつもりはなかったけど,別に死んでも構わないとも思っていた.

大学時代

高校で,中学生の頃いたような人間には出会わなかったので,大学では友達を作ろうと思った.

また,研究に対して大きな憧れを持っていた私は,すぐに研究室に配属を希望した.その教員は快く迎え入れてくれた.3年生の頃には,先輩の卒論を手伝うほど知識がついていた.今思えば,あの頃が最も楽しく知識を身につけていたと思う.授業でも良い点を取ろうとか考えてなかったので,授業を聞かずにオリジナル(?)のアルゴリズムを使って手書きボロノイ図を書いたりして自由に楽しんでいた.外部発表もしたし,卒業論文特に苦労もなく書き終えた.この頃,「ゲーデルエッシャーバッハ」という本に出会って,その本に魅了された.

大学院 (修士時代

いつからか,「論文を出さなければならない」,「自分は周りと比べて劣っている」,という考えにとらわれるようになった.体調的にも良くなかった.学部の頃からカフェインの大量摂取昼夜逆転生活慢性的睡眠不足運動不足栄養不足などが祟ったのである.締切前になっても全く焦りが働かなくなった自分に気付き,おかしいと思って心療内科に通院し始めた.修士論文も提出しなければいけないのに全く取りかかれなかった.学部の頃からお世話になっていた指導教員ではないO先生がそんな私を見かねて,一緒にLaTeXを書いてくれた.一応提出はできたけど,修論発表を終えた後は悔しさで泣いた.

大学院 (博士時代

それでも私は博士へ進学してしまった.修士の頃からドクターは進学しようと決めていたし,エネルギーの低くかった私は,判断を変えるほどの力がなかったのかもしれない.正直,そんな覚悟博士をやっているのは日本でも私ぐらいなのだろうと時々思う.幸い,修士から学費生活費は奨学金授業料免除アルバイトで何とかして親に頼らずにいられた.

博士の間はずっと,健康を取り戻すために時間を使ってしまった.カフェインを断ち,夜更かしを辞め,休日は一切休むことにして,睡眠を十分にとり運動もして,という生活を送った.論文よりも睡眠運動を優先した.O先生博士の間もずっとメンタリングしたりしてくれた.なんとか学会論文を2本書いたが,卒業要件でもあるジャーナル論文が完成しない.とうとう何もできないまま3年生になってしまった.

現在: 自分について考える

O先生に,成果という葉にとらわれず自分という根を大切にしなさいと教えられた.成果にばかり気を取られていると自分エネルギーが朽ちてしまうというのだ.確かに思い当たると思った.そもそも自分ってなんだっけ?と思った.ドクターには,「自分」が必要なのだ.でも私はそれがなかったのだ.目の前の成果だけしか考えていなかった.

自分はなんのためにドクターをやるのだろう?一瞬,救済を必要とする人や弱い立場の人のためになりたい,と思ったけど,本心からそう思っているか自信がない.ひとまずそう思うことで安心したいと思っているだけかもしれない.自分とは,ちょっとした好奇心を満たすのが好き,それだけだった.

私はなんのために生きているのだろう?私は高校生の頃からセルオートマトンの瞬きにしか過ぎない人生などに,意味を見出すことはできなかった.

死の淵に立てば,生きる意味が見出せるかもしれないと思った.服薬自殺病院巡りをして薬が準備できるのに時間がかかりそうだし,飛び降りは失敗した時が怖いと思った.死ぬときは失血死か,首吊りかどちらかにしようと思った.結局,なんとなく気が進まなくて,自殺の手筈を整えるのはできなかった.

文系先生に生きる意味相談したところ,その先生四諦八正道の考えを教えてくれた.確かに考えても意味はないのかもしれないが,考えるのをやめることは難しかった.

哲学科の先生にも訪ねた.私の考えはニヒリズムに分類されることがわかった.達成することに意味がある,後世に何か残すことに意味があると見出すのはナチュラリズム と呼ばれるものらしい.私はどうもその考えはしっくりこなかった.その先生ニヒリズムの考えを持つ中島 義道という哲学者を教えてもらったので,後でその人の本を読んでみようと思う.また,哲学の入門として,図書館にある,哲学雑誌現代思想を読んでみることを勧められた.

現代思想出会った

現代思想12月号は巨大数特集だった.2chの「一番でかい数を書いたやつが優勝」スレから始まった日本巨大数ブーム歴史や,ふぃっしゅ数小林銅蟲(パルの人)の漫画が載っていた.11月号は確か,反出生主義についてがテーマだったと思う.

まだちゃんと読んでないけれど,あぁ,私はこういうものを読みたかったのだ,と幸せを感じた.

私は毎日,贅沢ではないけれど,質素暮らしていけるだけのお金があって,現代思想とかを読めればそれだけで幸せなのだと悟ったのだ.

これからについて

諦めずにドクターを取得するのか,ドクターをやめて就職活動をするのか,決断しなければならない.

私は毎日研究室のデスクに座っては,ぼーっと研究以外のことをして時が無情に流れていくのを待っている.

こんな私が社会に適合できるのかどうかわからない.これから私は一体どうすればいいかからない.

2019-12-09

anond:20191208200514

高卒には分からない世界だろうが、博士号取得のために絶対必要になる「まともな査読付き国際(英文)学術誌に自分第一著者となって原著論文を通す」っていうのは、大学学士(下手したら修士も)でやってきた""お勉強""と全く違う能力必要とされるからなあ。

話の流れ的に工学系だと仮定するけど、修士卒を新卒で取って社内で育ててから社会人博士号取らせるというルートはもちろんあるけど、そんな社内育成なんてしち面倒くさいことしなくても初めから博士号持ってる奴を採用したほうがポテンシャル低い新卒を掴まされるリスク低いし、というのはあるはず。

下手したら修士でも、っていうのは知ってる例だと京都大学医学研究科でも原著論文どころか学会発表もせず20ページくらいの修論で修了した人を見たのでまあアレですよ。皆さんの回りにも意外とそういう人いるんじゃないですか?私は理学系の博士卒なんでそういうオボちゃん予備軍みたいな人は周りにはいなかったですが。

あっ長文書いてる途中に別増田が「外れを掴まないことが重要」って言及してくれてるな、被ってしまった。

2019-11-20

2年間の大学院生活を終えようとしている

  1. ずぶの素人大学院に入って学ぶことも、研究をすることも厳しかった。だから民間企業就職する選択は間違っていないと思う。
  2. その中で、親身に教育してくださった先生方には感謝しかない(語彙力)
  3. 大学院以外に世界が無かったから、修論が上手く進んでいないと、自己効力感とか自己肯定感が漸減し、つらかった。その時期に、他の世界があってそこでパワーチャージできていたら、どんなに楽になれただろうか。たられば。
  4. 私は、自分に対する期待値が大きすぎるのだと感じた。それで、できない自分とのギャップに苦しんだ。期待値が大きいのは、プライドが高いわけでは無い(はず)。現状の自分には価値が無いと感じていて、少しでも成長しないと自分には生きている意味がないと思っている。これまでは、これがモチベーションになって乗り越えてきた。だが、今回の大学院生活でのあれこれは、自分にとって壁が大きすぎて、モチベーション逆効果になってしまった(できない自分は生きている意味がないと思って頑張る→できない→存在意義は無い、というような)。以前、友人に指摘されてそんなはずはないと否定したが、改めて考えると当たっていた。
  5. 修論の目処がついて、ある程度自由になり、興味のある講義を聴講した。そうしたら、とても楽しかった。ただ、それは、学ぶことが好きだからというより、ある程度自由選択できる中で、興味のあるものを選ぶことができたからだと思う。
  6. スキルを身に着けたいと思っていたが、そのスキルを身につけるには相応の時間必要で、それを2年間で確保することは難しかった。いま思うと、初見ワードオンパレード毎日を良く耐えたと思う。自己効力感とか自己肯定感がすり減ったのはある意味仕方がないのかもしれないと自己肯定。
  7. とりあえず修論を仕上げて、無様でも卒業するぞい!

2019-11-08

増田

今までROM専だったんだけど欲が抑え切れなかった。日記の代わりに適当に書いていきたいところ。

今日対人の心理実験やってたら参加者さんが割とドストライクで連絡先聞きたい!とか思ったけど何も出来ず。

指導教官とか実験に参加してもらった方とよく付き合ってたらしいんだけど、どうやったらそんなアクティブになれるんですかね…。

大学院入ってから研究やらバイトやら修論実験やら学会やらで彼女を探す以前に女友達とも男友達とも遊べず若干悲しみ。

学費家賃も当たり前だけど全部自費だし他の大学院生どうやって生きていってんのか…。

たまにいる大学院学生結婚してるやつとか本当何者なんだよ…。

まぁこういうマイナス思考とかぐちぐちいうのやめないと何も始まらないんですけどね!!!!!!

P.S.あいうの言っといて何だけど実験参加者個人的な連絡先聞いたりするのって倫理違反なんじゃとか思ってたりするんですがどうなんですかね。

2019-10-16

弟をどうすればいいか

弟がやばそうなので、どうにかしたいが、どうしたいかからないので、力を貸してほしい

・母自分弟の3家族で、全員住んでるところはバラバラ自分と弟は割と近いが、電車で2時間ほど、母と二人は新幹線で移動する距離

・母50代、自分アラサー社会人、弟20代フリーター

・弟は大学に入ってから連絡があまりなく、帰省殆どなかった

大学院に進学してからそれが顕著になり、LINEを送ってもスタンプだけは当たり前、既読すら付かないことが増えた

・きちんとやってるならいいのだが、家賃振り込み連絡が付かない、など連絡がつかないことでトラブルも多少あったらしい

就活の話もほとんどなく、どうしたものかと思っていたから某大手企業に行きたいらしく、それには自分の実力が足りないから休学して勉強したいとの要望があり、半年休学を認めることに

高校時代の夢だった漫画家への道も捨てきれず、、といった感じだったらしい

・そんな彼も今年修了だったのだけど、修論提出のときに軽くトラブルがあり、自分が弟宅まで確認しに行った(連絡つかないので)

・久しぶりに会った弟は元気ではあったが、携帯は?と聞くと部屋の中を探しだすほど、無頓着であった

指導教員の手助けもあり、なんとか修了はできたものの、就職は決まらず(指導教員からは、もう少し相談してくれればなんとかできたと思う…とは言ってもらった)

・で、やっぱり実力が足りないからもう少し勉強したい、とのことで仕送り継続要望イマココ

本人の様子を見る限り、軽く鬱っぽくなってるように見えるし、病院も…とは言ってるようだがあの様子だとなかなか行けないような気もしている

修論を見る限り、ちゃんとやることはやってるようにみえから、本当に周りにヘルプが言えないだけな気がしている

自分がなんとかしなきゃ、とは思うんだけど、大学ときにあまりかまってやれなかった負い目もあってどう接していいかからない、、、

母も転職を控えてて負担はかけさせられないし、どうしたらいいのか、似たような境遇になった人とかいませんか

2019-06-06

実験上手くいかんと、普段なんもしてないサボってる同期に腹立ててしまうな。

あかんな。

同期は担当教員実験結果で修論かけるからな。うらやましいわ。

俺は先行研究もないし、新規性も危うい研究してるからなあ。

再現性もとれんし。

2019-06-05

anond:20190605103417

いや、そうとも限らん。

俺は京大文系で院まで行ったが、学部入試は楽勝したものの、院に入るのに一浪して、入っては見たもの修論が書けずに脱落した orz

anond:20190605102835

いや俺も文系修士卒だが、修論にそこまでの能力必要だったかと言われると、そうでもないとしか

学部で入れる大学なら、そこの修士はまず余裕でいけるはずだと思うが。文系なら。

anond:20190605005758

分かる。

オレも文系修士就職組だが、こんなクソ無能人間ならそりゃ研究もモノにならんだろうとしか思わねえ。まともに修論書いた人間ならそこで培った能力をも少しスマート仕事に応用できて普通。だから、正直全体に漂う「文系修士の実務能力を全く理解してない感」からして、彼らへのヘイトをため込んだ人間による程度の低い作文にしか見えないんだよなあ…。まあ、社会学(笑)ならさもありなんという考えも否定はしないが。

2019-04-15

研究室の損な役回り

できて2年の研究室にいるM2.

後輩が入ってきて、損な役回りばかり回ってくる。

ちょうど3年がかりの研究プロジェクトが多く回ってきた。

先生たちは「これで論文がかけるようになるまで2年後くらいだからな」と言いながら私に雑用を回す。

私はゴミのような雑用を日々こなす

次の4年が奨学金をとるための論文がかけるように、報告書のために日々費やして論文を書く時間もない。

先生冗談で「修論かけないね」と笑いながら言う。

4年なんか死ねばいいのに

得な部分ばかり吸いやがって。

死ね死ね死ね

2019-03-29

東大情理システム情報学専攻の放置&雑用系人気研究室で2年間過ごして

はじめに

 ブラック企業という言葉市民権を得てしばらく経ちますね。毎年、ブラック企業大賞なるものが発表され、だれもが聞いたことのあるような企業が名を連ねます。それに対し、ブラック研究室という言葉も有名なものの、どこの研究室ブラックだとかいった情報大学内部の学生でないとなかなか知りえないものがあります。ましてや研究室の内情は所属している学生しか分かりません。

 今回は、そんな研究室の中でも異質なケースとして、自分修士課程の2年間過ごした研究室の話をみなさんに紹介したいと思い、筆を執りました。必ずしも拘束時間が長く、人格否定を行うような研究室けが悪い環境ではないということ、メディアなどでよく見かけ、有名で人気な研究室が良い環境であるとは言えないということだけでも皆さんに覚えていただきたいです。後進の方々の研究室選びの参考に少しでもなれば幸いです。

研究室運営問題点

 初めに、研究室運営面について書いていきたいと思います

 第一に、とにかく人員が不足していたというのがあります。まず、先生(教授講師)はあまり研究室にいませんでした。先生たちは予算の獲得や大学内外の事務に追われるため、多忙になります基本的助教研究員博士課程の方が下の修士学士課程の学生の面倒を見ることになります。これだけなら普通なのですが、先生が後先考えずにどんどん仕事を受けてしまうことにより、プロジェクトに対して人間が足りていない状況が常に生じます。(先生曰く「断るの苦手なんだよね~」とのこと。)その仕事研究だけではなく、各メディア取材研究室見学など多岐にわたります自分研究室に配属されて一年は、講義を受けるほかに、(詳しくは後述しますが)研究室の立ち上げ用に物を発注したり組み立てたり、見学対応をやる日々で、ほとんど研究はしなかったように思いますさらに、月一くらいの頻度で(今はだいぶ減りましたが)先生のお友達を呼んで講演兼パーティーをやる準備や、先生の思い付きで増える仕事などに日々忙殺されていました。また、インターンアルバイトといった形で外部の学生を呼んで研究してもらうこともあり、その人達雑用をする義務はなくお金をもらいながら成果を出していたのに対し、学費を払っている学生雑用に追われるといった状況もありました。事務スタッフ教授所属している社団法人経理をさせられたり、共同研究先の企業から出向(?)の形で来てた研究員の方も、後述の巨大予算運営周りの仕事をやらされたりとひどい状況でした。

 第二に、新設の研究室で、研究を行う環境づくりをゼロから始めなければいけないことがありました。これは事前からわかっていたことではありましたが、自分想像以上の大変さでした。情報系の研究室なんて机と椅子PC発注すれば、あとは個々人の研究に応じて必要ものを買い足していくだけだろうと思っていました。しかし、先生方針で、リビングラボという生活空間研究室が融合したような形態ラボ運営することが決まっていたため、それを満たすような研究室の構築に修士最初一年は消えました。なぜ一年もこのようなことをしていたのかというと、9月ごろに先生とある巨大予算を獲得し、学生スタッフを増員するとの方針キャンパスを移動することに決まったからです。一度ゼロから作り上げた研究室をもう一度ゼロから作り上げることになりました。自分としてはキャンパス移動ですら最初に聞いていた話と違うので、とても不満に思いました。通学時間10倍以上増え、それだけでも大きな負担となりました。(授業は元のキャンパスでやることがほとんどで引っ越すわけにもいきませんでした。)

 このような状態でまともに研究が回るはずもなく、助教自分所属する学科・専攻で博士までとった唯一の人)はやめてしまいました。そこから、特任研究員の方に学生指導仕事が集中します。(本来、特任研究員助教とは違い、学生指導ではなく自分研究に専念するという名目雇用されます。)そして、社会人博士の方がその有能さゆえに研究室内の仕事を一手に引き受けこなしてくれたおかげでなんとかなっていた(?)のですが、当然彼らも自分研究は進みません。

 第三に、教授講師間でうまく連携が取れていなかったようにも感じました。二人とも物事放置・後回しにしたり散発的に進んだりと、計画性とは無縁の進行でした。ミーティングでもその場の思い付きのアイデアで話を発散させるばかりで収束には向かわず学生はどうしたらいいか当惑することが多かったです.

 さらに、二人の共感性の低さも研究室内の人間関係に大きくヒビを入れていました。特に事務の方々への接し方や飲み会の席(講師は酒を飲まないので主に教授ですが)での学生に対する発言は聞くに堪えないものがありました。(詳しくは後述)

 また、学内の期限(修論題目の提出など)を過ぎてから学生に通知したりと時間・期限に非常にルーズでした。そのことを詫びる様子もなく平然としている様子も腹が立ちました。その結果、学生事務員が期限を守らない印象を外部に与えていたのではないか懸念しています

 オーサーシップ周りに関しても不満が残りました。これは自分ではないのですが、大して面倒を見てたわけでもないのに、camera readyになって急に講師が「見るからオーサーに載せろ」と主張してくることがありました。 教授ゴーストオーサー常連からかそれには強く言わず結果的に受け入れられる形となりました。学生側としては教員陣の命令に背くわけにもいきませんしね。(この話に関しては、この研究室に限らず、分野としてそういう傾向があるのかなあと思います。他研究室の話は詳しく知りませんが。)

 このように研究室としての体を全くなしておらず、自分を含め最初3人いた同期修了出来たのは自分だけで、1人が休学、1人が留年という形になりました。(もう一人修了者はいますが、別の研究室がなくなった結果移ってきた人です。)

教授人格面との不適合

 次に、研究室の主である教授性格が合わず人間として尊敬できなかったということについて話したいと思います上司と合わないということはよくあることだと思いますが、よくあることだからこそ、記しておきます

 初めに、衝動的な発言暴言が多く看過できないということがありました。衝動気質に相まって、酒癖の悪さがそれを助長していました。例えば、論文を提出できなかった学生に対して「負け犬じゃん」といったり、昔自死した学生に対して「勝手に死んだんじゃん」などといったことがありました。(なお、これらの発言学生職員に窘められ即座に撤回しましたが、そう思っていたという事実は消えないと思います)。その他にも配慮のない発言が多くありました。

 また、自己顕示欲の強さとマウンティング(いわゆるイキり)が挙げられます。「君たちは潤沢な資金のあって、待遇のいいこの研究室に来てラッキーだ」などといった身内へのイキりを聞いた時は、上で書いたような現状に疲弊していた自分感情を逆なでするのには十分でした。また、自分は偉く、自分が言ったことはどんな無茶でも通ると思っているきらいがあり、無茶な予算申請事務の人を疲弊させることが多くありました。それにあきれ果てた事務の人が次々とやめることがあり、その結果事務仕事が逼迫することもありました。怪しい予算の使い方をしていて、機構の人に怒られたみたいな話を聞きました。大学に目をつけられているのはいわずもがな。

 内弁慶というわけではなく、外部の人間に対しても自分を良く見せようとしていることが多く、鼻につくこともありました。自分にはこのような先生の在り方が、いわゆる口だけの軽薄な人間に感じられてしまいました。いい環境を作りたいとは口では言いつつも自分は何もせず下の人間が苦労したり(「然るべきとき然るべき場所」というアイバン・サザランド言葉をよく引用しますが、これが「然るべき場所」なら笑止です。)、自分は人脈のハブだといいつつスタッフをなかなか引っ張って来れなかったり(前の大学にいるときこの業界で悪評が立ち、人が来たがらないとの噂)とあきれかえることが多かったです。他にも「教育が最優先」と口では言いつつも後回しにしたり、下の人間に任せているようなことなどとにかく「口だけの人間」というイメージです。隔月で1回20分ほどの面談教育したということなのでしょうか。

 専門用語拡大解釈して援用することで知識人を気取るようなスタンスが多く見受けられたのも癪に障りました。例えば、「インピーダンスマッチング」という、高周波電気信号の伝送路において、入力と出力のインピーダンス電圧電流で割った値で直流回路では抵抗にあたります)を合わせるという意味言葉があります。この単語力学などでも用いられます(こういった多分野に共通する背景理論研究しようという思想を持っているのが我が学科・専攻です)が、これを特に理論的背景もなく「折り合いをつける」くらいの意味で使って、さも各分野に精通している感を醸し出すことに長けていました。他には「バウンダリーコンディション」とかもありますね。微分方程式で言うところの境界条件です。これを前提・条件みたいな意味で使います。(こちらについては検索すると若干引っ掛かりますが。)これらにツッコミを入れた学生は以降食事会に呼ばれなくなりました。自分に媚を売らない用済みな人間簡単に切り捨てるようです。こういった拡大解釈した単語を用いてアナロジーを使い、自分の分野に話を引き寄せるのは上手いなと感じていて、知識がない人を煙に巻いたうえで自分の得意技を披露するのは、非常に参考になると思いました。

研究分野との不適合

 3つ目に研究分野であるHCI研究(と研究コミュニティ)との不適合について書きたいと思います。これは研究室自体問題というより、自分との相性の問題ですが、研究に着手できなかった大きな要因のひとつです。

 そもそも自分はどちらかというと、巨大で合ったり高性能であったりするものを着実に組み上げていくのが好きで、アイデア勝負だったり、プロトタイピングといった手法だったりが受け付けなかったというのがあります(同じような人のエントリ https://swimath2.hatenablog.com/entry/2018/07/30/205255)。

 また、この研究分野は、一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ(もちろんすべての研究がそうというわけではありません)、興ざめししまったのも要因の一つです。元々内向的性格なのもあって、自我意識などに興味があり、ならば「人に興味があるということであり、工学的なアプローチで人の研究をやれるのはこの分野だろう」という薄い理由で選んだのもあって、この不適合はモチベーションに意外と大きく関わりました。学部時代の成績は良い方で(必要進振り点はそこそこの学科でしたが、コース内ではトップクラスと周りには言われていました)院試第一希望で通りましたが、勉強ができるということが研究できるというわけではないという言葉を痛感しました。ただ、この研究室を選ばなければ、自分ももっと研究が出来ていたのではないかと思い、研究室選択毎日後悔しています

なぜ回避できなかったのか?

 それではなぜ、このような大きな問題点が数多く存在しながら、この研究室に進学してしまったのでしょうか?

 第一に、自分所属していた学科は、院試卒論研究室配属より前に存在し(実質4か月で卒論を書かないといけないのです)、自分研究および研究室への適性がいまいちからないまま、修士で進学する研究室を決めなければいけないという点が挙げられます。(一応研究室に配属されてプチ研究のようなことをするのですが、研究室生活とは程遠いので参考にするのは難しいです) それに加え、卒論研究室修論研究室別にするという慣習があり、卒論配属後合わないから冬入試を受けようというのも難しいです。

 第二に、サークルの先輩(同じ研究室ではないです)にこの研究室を勧められたというのがありますサークル飲み会の時に、同じ分野で研究をしている先輩に、「この研究室はいいところだし、一期生として面倒を見てくれる」と勧められたというのがありました。当時は若く、盲目的に先輩の話を信じてしまいました。悪い噂が流れてこないなら大丈夫だろうと。それに先生記事ネット上で見たこともあり、先生研究科学雑誌を通して知っていたこともありました。学科内でも新設の研究室に関わらず人気があり、これは安パイだろうと考えていました。今考えると人気・有名だから自分にとっていい環境だろうと考えるとは愚かなことです。(ちなみに、この先輩はD取得後うちの研究室内定を蹴り、他の研究室ポストに就くそうです。)

 第三に、一番重要ともいえる点ですが、上でも書いた通り自分大学では新設の研究室で、情報が流れてこなかったというのがあります。今思えば前の大学OBの方などに話を伺うなどをすればよかったとも思いますが、学部勉強サークルに追われていてそこまで気が回らなかったし、回っていたとしてもする余裕まであったかわかりません。しかしながら、新設の研究室に進学するというのは大きなリスクはらんでいるということはもっとしっかりと自覚するべきでした。これを読んでいる方でもし新設の研究室に行くという人がいれば、もう一度自分選択をよく考え直してほしいです。

最後

 ブラック研究室といえば、拘束時間が長いとか日常的な人格否定などがやり玉に挙げられやすいですが、最近では放置ブラックなどという言葉も耳にする通り、劣悪な環境というのは色々な形で存在しています。また、他人にとっての良い環境自分にとっても良いとは限りません。トルストイ著作に「幸せ家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)との言葉を残しています研究室も一つのさなコミュニティであり、同じことが言えるのではないでしょうか。これから研究室に配属される人には慎重に自分の進路を考えていただきたいと思います。このエントリを通して構成員がみんな幸せになるような運営に変わってくれると嬉しいです。

 文字数制限に引っかかってしまったのでコメント追記します。長文で申し訳ないです。

2019-03-23

さなIT企業に入って4年目。

自分自身出来の良い方ではないとは思っていたが、今年の給与改定タイミング役員から、お前はもっと頑張らないといけない、と言われたり、

からちょっとした考慮漏れで、ガン詰めされたり、

自分仕事量の見積もりミスで、納期前に15時間労働を3週間続けることがあったりした。

社会人になったら大変なこともあるし、自分が好きで、小さな会社に入ったんだし、これくらい頑張らないといけないんだ、

同期や周りの先輩たちはもっともっと頑張ってるんだから自分もまだまだ頑張らないといけない、

研究室修論発表の時期のほうがよっぽど辛かったしな!これくらいは全然大丈夫大丈夫

だと思ってきたが、

先輩の丁寧な説明がなぜか頭に入ってこなくなったり、

モニタを見つめて次に何をしたらいいのか30秒くらい頭が固まったり

作業中になんでか動悸がしてきたり、

夜寝にくく朝は何故か早く起きたり、

家事が一切できなくなったり、

大好きだったゲーセンも行かなくなったり、

しまいには、27年生きてて初めて出来た、大切な相手にはずっと仕事が辛い仕事が辛いとしか言えなくなってしまった。

違うと思うけど、と思って、ついに精神科に行ったら、鬱の傾向がありますねと言われて、トラゾドンという薬とロラゼパム、という薬を出された。

大の大人が、お医者さんの前で仕事がつらいつらいと言ってボロボロ泣いてしまった。なんて情けない。

きっと世の中には私なんかより遥かに大変な働き方をしている人もいるはずで、

残業月100時間とか、200時間とかやっている人達もいるのに、

ちょっと働いたくらいで、こうなってしまった。

世間的にはい大学だと言われるところに頑張って行って、辛い就活もなんとか乗り切ったのに、こうなってしまった。

どこで間違えてしまったんだろうか。

なにが悪かったんだろうか。

誰か教えてください。

誰か助けてください。

私はどうしたらいいんだろう。

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