はてなキーワード: 母語とは
このまとめに
mujisoshina 遅刻はある程度不可抗力もあるとしても、"無断"欠勤は正当化出来ないだろう。同列に扱うな。
2023/05/13
Andrion 学校で遅刻・無断欠勤する人が多くいたか思い出してみてほしい。稀少スキルではない
2023/05/13
これ読めないならもう何なら意味を取れるんだよ。
trtmfile @trtmfile
そこを求める時点で最賃の倍以上は払えよという気持ちがある。
2023-05-11 21:41:19
trtmfile @trtmfile
最低賃金レベルの労働者にこの2つを当然のように要求してくる(そして大多数の労働者がそれに生真面目に従ってる)の、
日本以外にあるんかな
2023-05-11 21:43:02
はい、
1ツイ目で「希少スキル」の内容について述べていて
2ツイ目で「それがどこで希少か」を述べてるからです。
もう一回2ツイ目を貼りますね。
trtmfile
最低賃金レベルの労働者にこの2つを当然のように要求してくる(そして大多数の労働者がそれに生真面目に従ってる)の、
日本以外にあるんかな
2023-05-11 21:43:02
はい。
ツイート主本人が、「日本では大多数の労働者がそれに従っている」と述べています。
つまりツイート主本人が、「『無断欠勤しない』と『遅刻しない』は日本では大多数の労働者が保有するスキルである」述べています。
つまりツイート主本人が、「その2スキルは”日本では”希少スキルではない」と述べています。
じゃあどこで希少スキルなのでしょうか?
日本以外にあるんかな
「日本以外」ですね!
「『無断欠勤しない』と『遅刻しない』は世界的には希少スキルである」
です。
「日本の最低賃金ラインの労働者は世界比較で非常にレベルが高い」
「日本で最低賃金帯で人を雇ってる経営者や企業はとても甘やかされている」
ってことを言っている。
この主張内容が世界的に事実なのかどうかは知りません。ここではどうでもいいことです。
問題はこの短くシンプルな主張すら適切に意味を取れないヤベー集団の能力です。
人気1位。
mujisoshina 遅刻はある程度不可抗力もあるとしても、"無断"欠勤は正当化出来ないだろう。同列に扱うな。
2023/05/13
ツイ主どう見てもそんな話してねえよ。
そういう話じゃねえよ。
お前の中のなにかの相場の話も誰もしてねえし、
そもそも日本の・日本人の常識の話じゃねえだろツイ主が言ってるのは。
ここまで読む能力が壊れてるのに当人なりの正義の怒りっぽいものにじませて
「同列に扱うな。」とか鼻息フンスフンスしてるのはくすって笑えるけど
この人の普段のブコメしらんし、個人がたまーになんかの加減で誤読するのはまあいいよ。
でもなんでそれが一位になるの?そっちが怖い。
「たまに誰かが誤読する」じゃなくて「集団の最大与党意見がただの誤読」ってその集団なんなの?
人気2位。
上で見たように
「日本では希少スキルではない」ということはツイ主本人が述べています。
すごくね?
あんなにはっきり書いてあるのにそれが読み取れてなくて、気付かなくて、誤読が修正されない。
これもこんなぶっこわれてるのに
「思い出してみてほしい。」とか気取った書き方してるのがフフッて笑える(すごいキメてるのにチャック開いてる人みたいで)んだけど
stk132 遅刻はともかく、無断欠勤はアカンよ。連絡つかないと、事故にでもあったのかと思って上役が家庭訪問することになるぞ?
同上。
お前の感覚の話とか日本の常識や相場観の話なんて誰もしてないので0点です。
(しかし日本の労働者の感覚で言えば遅刻も「ともかく」ではないやろ)
ikebukuro3 休む時に休むと言うだけで無断欠勤ではなくなるのになんで連絡したくないのか。
一方で遅刻はだいたい電車止まったり仕方ない場合が多いから本当の本当に遅刻しないのはかなり希少ではある
2023/05/13
「そーいう『なんでだよ』レベルの勤務態度や能力の労働者が世界基準ではたくさんおるし最賃で来るのはそういうのだよ」
がツイ主の主張だろ。
前はこういうのなんだかんだでブコメに数人ぐらいは
「え?人気コメおかしくね?」って言ってる正気の人がいたもんだけど
今ブコメ欄チェックしたら誤読に突っ込んでる人間がマジでゼロ。
変わってないどころか悪化している。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2145452
なんでこんな一目瞭然の事も読み取れずに誤読するのかもう全然わからないけど
たぶん1ツイート目
だけ読んで「無断欠勤が当然とは何事だー!」って頭ロックされて、続く
最低賃金レベルの労働者にこの2つを当然のように要求してくる(そして大多数の労働者がそれに生真面目に従ってる)の、日本以外にあるんかな
毎日遅刻して週3無断欠勤するやべー労働者ぐらいのわかりあえなさというか
「ゆうて俺達同じホモサピだよな!」ぐらいのギリギリの共感しか持てない。
それはしらんし調べる気力もない。
意味なくない?
たった2ツイートでも言ってる内容わかんなくなってまるで頓珍漢な話を始めて
大勢いるのに誰も「おかしいな」って気付けない集団が文字読む意味ってなに?
そういう能力の人達は端末の電源切って草野球とかハイキングとかに時間使ってた方が良くない?
2023/05/13
同じ誤読したうえで「労働者に厳しいヘルジャパン!」的なこと言ってるだけなのかな。
いつ見ても地獄。
タイトルの「94キロ超」はまだどちらとも取れるが、本文の「制限速度が時速50キロの道路をおよそ94キロ超える速度で走行」を「時速144キロ」以外の意味で読むのは無理じゃないか?
君らが言いたい内容を書くなら
「時速50キロの制限速度をおよそ94キロ超える速度で走行」か
「制限速度の時速50キロをおよそ94キロ超える速度で走行」と書く
でも実際には「速度を」ではなく「道路を」となってる
なのでその読み方は無理がある
百歩譲っても「以外の意味で読むのは無理」とはならない
94キロと超えるの間の「を」が抜けたとも読める
どっちの説でも日本語壊れてるけど
速度は94キロ超です
金かけてもいいよ
ここでいう「ラテン語」というのは古代ローマで使われていたものではなく「中世ラテン語」なんだよ。
中世ラテン語(ちゅうせいラテンご、英: medieval latin)は、中世にカトリック教会で文語として用いられたラテン語である。
現代におけるラテン語と同様、あくまでも第2言語として使用されたものである。
各使用者は必ず別の言語を母語としてもっており、そうした諸言語の特徴が、音韻・文法両面で、中世ラテン語に大きく影響している。
現代でも学術用語として似非ラテン語を使ったりするけどそれに近い。
つまり中世ラテン語としての「sectio caesarea」というのは一種の造語なんだよね。
そして、だからこそ由来がはっきりしてないわけ。
あまりにひどい。
>日本語わからず特別支援学級に。「かわいそうだから」と判断される外国人の子ども、閉ざされる学び
https://news.yahoo.co.jp/articles/cbd95a810fd9d8848b446b7c387e98865c45cc67?page=2
>「子どもが知らない間に学校で知能検査を受けさせられた。結果を解説してもらえないまま、特別支援学級をしつこく勧められた」(40代のブラジル人の母親。小2だった娘が特別支援学級に)
知能に何の問題もないのに、たまたま外国人の子どもで、日本語が分からないというだけで日本人教師から「知能が低い」と誤解され、特別支援学級を促されるケースが後を絶たないとのこと。
母語を使える環境で進学していれば普通の大学どころか、難関国立やアイビーも目指せるかもしれない子が、誤解されたまま高校へ入る程度の教育すら受けられない危険がある。
平たく言うと、アメリカの大学入試で要求される学力水準は日本の中学生レベル
https://i.imgur.com/0TPWzCA.jpg
https://i.imgur.com/V3Lwk1B.jpg
この簡単なテストと、大金払って参加したツアーで仕入れたボランティア体験談を披露する面接と、「俺は凄い男だ!」な小論文でハーバードに入れてしまう
(ちなみに日本人や中国人に限っては、このアメリカの共通テストを全科目満点取っても大半のアイビーから不合格食らいます。
ハーバードイエールプリンストンどころかコーネルブラウンに至るまで全校不合格とか全然あります。
「勉強だけじゃない!輝く課外活動が本番!」とか知ったこと言う奴いるけど、アメリカ人の場合はSAT満点取った時点で、課外活動がどんなにしょぼくとも、エッセイがウンコでも、当然のように大半のアイビーから合格貰えます)
世界大学ランキングと日本が斜陽の国であることを引き合いに出して、
東大なんてゴミ、東大なんて無能論をいやらしく笑いながら撒き散らす日本人(東大卒じゃない)は死ぬほどいるけど、
皆さん大好きハーバードの数学専攻の修士でようやく東大理学部数学科学部生レベルにギリ追いつく程度なので、
東大行けるような日本人はわざわざハーバードなんぞに行く意味が無い。
は嘘で、日本語母語者ゆえの言語障壁のおかげでずば抜けた優秀さがバレてないだけ
日東駒専レベルの学生ですら欧米比だと飛び級させたいくらい図抜けて優秀として扱われるのではという水準、
どのくらいバカかと言うとたとえば、
次回の講義までに指定テキストを300P読んでおかないといけないのに60Pだけ読んで
「俺は全て完璧に読み込んだ。完璧に理解した。今や俺は誰よりも知っている」
「東大なんて世界では論外笑」系ディスで引き合いに出されるアメリカ名門大ですらそんな痛いヤンキーみたいな奴ばかり。
ってくらいバカ
長期留学したことあるやつ、外資系大手企業なんかでアイビー、州立アイビー出身者と一緒に働いたことあるやつなら分かると思うけど
「日本の有名大学生ってそれこそ駒澤から東大まで、普通にめちゃくちゃ優秀だったんだな」
と察する。
【余談】
アメリカ基準だとギフテッドと言って差し支えないほど知能がずば抜けてる東大生がわざわざ大金叩いて低レベルなアイビーなんて行く価値はない。
世間や社会がどれだけ東大を軽んじようが、その誤魔化しようのない己の優秀さでアイビーなんぞ行かんでもその気になれば世界に羽ばたけます。
一方、入試で名前書いてとりあえず大学生の肩書きを手に入れたような日本のガチFラン大生なんかは渡米することを推奨する。
そのまま生きても、布団セールスや介護施設や携帯ショップや世界的自動車メーカー(の販売店)に就職できれば御の字みたいになるほど社会的に扱いが悪いので、
(現代日本で数少ない被差別階級という気さえする。「馬鹿や怠け者に対してはどんなに酷い言葉を投げかけても、侮辱してもいい」みたいに考える人は多いのでFラン生はヤンキーでもない限りほんとに日本ではロクな目に遭わないと思う)、
アメリカにはコミュニティカレッジという短大がある。
願書出せば誰でも入れるような、こっちで言うところのFランだ。日本人留学生でも望めば誰でも入れる。
JTCなんかそれこそ大企業の人事ですらコミュニティカレッジのレベルを知ってないから
で下手すりゃ早慶や地帝文系学生くらいの扱いに勝手に格上げされたりする(新聞社やテレビ局の採用担当なんか本気のアホばっかだからマジで騙せると思うぞ)
少なくともFラン卒業するより間違いなくいいのでコミュニティカレッジ脱出をオススメする。親が1500万円くらい用意できれば問題ない。
日本の中学高校のノリでごく普通に課題こなして学生生活を送っていれば恐らくずば抜けて優秀な学生という評価になるだろうし、
そうなったらUCLA(東大が鼻で笑われるくらい評価が高いアメリカ屈指の名門大学で、実際、日本でいう地方無名私大の学生くらいの学力の奴が集結している名門大だ!凄いだろ!UCLA、みんな英語ペラペラで凄い!)への編入はかなりの確率で狙える。
キーッス
本日は国際母語デー、日本では日刊新聞創刊の日、漱石の日、ベンガルでは言語殉教者の日となっております。
あと漱石の日は夏目漱石の誕生日とか忌日とかではなく、文学博士を辞退する旨を送った日にちなんで漱石の日とされてるそうです。
昨今では翻訳アプリも機能性が高まっており、下手な日本人よりも日本語が上手い人工知能というのが散見されるようになってきています。
もうここまで来ると『騙されないように!』というよりも、もっと俯瞰的な視点で見て『今何が起きていて、何をされそうになっているのか』を考えた方がいいのかもしれません。
とはいえ「じゃあ何もしない方がいいってことじゃん」となってしまうのも正解ではあるのですが、一つわかりやすい避け方としては『発信者が何者であるかを冷静に理解しておくこと』が大事なんだと思います。
変なアドレスから変な文面のものが送られてきたらブロックする、ってことすらも出来ない人は沢山います。
そして『なんか胡散臭い人が胡散臭い話を持ちかけてきた』ことも、なぜか信用してしまうことがあります。
だから俯瞰的に見ることが大事なんですね、“なんでわざわざ自分なのか”を考える必要性があります。
とはいえ、あまり書きすぎても訳がわからなくなるので『変な発信元から来たものは基本的に信用しなくて良くない?』でなんとか締めたいと思います。
ということで本日は【発信元確認よいか】でいきたいと思います。
こんにちは。趣味で日本語を学習している者です。元記事にブックマークコメントもしましたが、自分の思考の整理も兼ねて、改めてこの問題について考えてみたいと思います。なお、私は日本語学の専門家ではありませんが、日本語教師の資格は持っています。
まず、元増田氏が疑問を抱いていた「煙草のくさいカフェ」という表現が文法的に正しいかという問題について。私はこの表現は正しいと言えると思います。
元記事で既に言及されていましたが、「(主語+の+述語)名詞」という表現方法があり、確かにこの文法に則った表現になっています。
しかし、文法的には正しくとも、その表現を不自然に思う人は多いかもしれません。彼女氏が仰った通り「煙草くさい」と表現するのが自然であり、わざわざ格助詞を使用して煙草を強調する必要性が感じられないからです。
故に、「煙草のくさいカフェ」という表現は、文法的には間違っていないが不適切な表現であると思います。
厳密に言えば、「煙草くさい」は煙草のようなにおいがするという意味で使われる形容詞で、そこに煙草がなくても使える一方、「煙草のくさい」は存在している煙草の性質・状態がくさいという意味になっており、両者の表現内容は別物ではあります。元増田氏が、なにか臭さを感じて、原因を辿ると煙草だった、という認知をたどった場合は「煙草のくさい」という表現は許容度が上がると思います。
煙草は前提としてくさいものであり、わざわざ格助詞「の」をつける必要は無いと仰ったわけですね。この場合、問題となっているのは、果たして煙草はくさいものなのかという点でしょう。つまり、日本語の文法の問題では無いですね。この問題は、辞書には些か荷が重いでしょう。物事の捉え方、考え方の問題ですから、格助詞を調べたところで解決することはないと思います。
彼女氏が急に愛煙家になって、煙草の匂いを良しとするようになったら格助詞の使用が認められるかもしれませんね。
「煙草のくさいカフェ」という表現が文法的に正しいのであれば彼女氏に謝ってもらいたいとのお話でしたが、謝罪を求めるのはやめておいた方ががいいと思います。
文法的な正しさは普遍的なものではありません。ら抜き言葉なんかが良い例ですね。謝罪してもらえたら一時溜飲が下がるとは思いますが、不毛でしょう。
【追記】
ブックマークコメントで日本語ノンネイティブ疑惑が出ていますが、筆者は日本語を母語としています。研究ではなく学習と記したのは、日本語について何か新しい知見を生み出したわけではないからです。
△ 髪の明るい女性
○ 明るい髪の女性
△ ふざけてでいいから謝ってほしいな
○ ふざけた感じでいいから謝ってほしいな
× 完全平伏
○ 完全降伏
△ 今後付き合ってくにあたってスッキリしたい
○ 今後付き合ってくにあたってスッキリさせたい
言葉の使い方がずれているので,たぶん読んできた文章(本,新聞,ネット記事ふくむ)の絶対量が不足しているんだろう。文法的に〜とか小難しいことを考える前にインプットを増やした方がいい。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE227KZ0S2A920C2000000/
公立高校で教師をやっている。うちの学校には外国籍の生徒が多数いて、外国籍者対象の入試がある。正直、大変なことは多い。各々日本語習得のレベルも違う子たちに教える先生達の苦労は大きいし、同様の入試制度を持つどの学校の話を聞いても、カリキュラム内外の日本語指導は十分とは言えない。本当に色んな課題とか見えない問題があって、各論で話さないといけないこと多々なんだけど、面倒なのでそれはしない。
ただ、ブコメの「日本語ができないのに高校に入れる必要はない」という意見を読んで、違和感が生じた。なぜか。
一つは単純な理由で、日本人であればどんなに勉強ができなくても、あるいはしなくても高校には入れるからだ(実際外国人も定員割れてるところは入れるけど)。外国人というだけで「日本語ができるようになってから」等と言われてしまうのはおかしい。それは差別以外の何物でもない。実際に生徒を見ていても、学習意欲のない日本人生徒よりも、日本語では劣るが学習意欲の高い外国人生徒の方が、高校という場には似つかわしいと感じるときだってある。
ただ、たしかに「高校入学のための日本語学校/試験」のような制度/体制ができれば理想的だという意見には同意する。とはいえ、その実現は遠い話のことのように思える。その間にも日本語はできないけど高校で勉強したい生徒はいなくならないんだし、とりあえずは今ある学校での日本語指導体制を整えた方がいいんじゃないか、というのが一点。
もう一つは、「まずは日本語だけ勉強しといてね」というのは意外に難しいことだからだ。当然ながら、言語は内容と結びついている。マックで働くのに必要な言語と学校の学習に必要な言語は違う。学校で教科を学びながら日本語を学ばないと、いつまでたっても学習で使う日本語は覚えられない。そして一般に、学習に必要な言語の方が習得には時間がかかると言われている。「まずは日本語を」とやってたら彼らはいい大人になってしまう。
ただ、全く日本語ができない状態だと授業どころではない。そりゃそうだ。なので、現状でも入学までに日本語学校に行くのはよくあるケースだったりする。それでも、その程度の語学力では高校での学習にはやはり不十分で、そのギャップを埋めるのは「学校で」行うのが一番効率がいい。本人の努力と周りのサポートは不可欠だが。
ちなみに、こんなニュースが出てるのは文科省が高校の日本語教育に梃入れしようとしてるからだろうと推測する。この2つ目の理由のようなことはJSLカリキュラムと言われて小中では既に実践されているところもある。高校もそれに続けというノリで、何だかなあと思う節もあるが、現実的にはこの方向性で行くしかないと思っている。
あと、最後に。ブコメを見てて「入試の枠として必要なのか」「割合を上げる必要はあるのか」という意見があったが、同程度日本語ができない外国人同士でも学力は違うので、全て底辺校や特定の学校に押し付けると生徒にとっても学校にとっても不幸なことになると思う。例えば勉強のできる子は学習に必要な概念も母語でわかるので、必要なのは主に訳語になるから日本語習得も早い。そういう子はある程度学力で学校を選べる方が有意義な教育を受けられるとは思う。
海賊版サイトでfakku等によって原本から翻訳されたものが幅を利かせせているので、本来なら原本を買えば済む話なのだが、とにかく日本人側は翻訳版の再翻訳をしなければならない歪んだ状況に立たされているという話になっていた。
そういう話の流れで出たのが双龍の漫画「こういうのがいい」ってどの言語でも訳せなそうだよねという話だった(あえて言い古された「ちんちん亭」には触れない)。
もちろんこれは「こういうのがいい」の翻訳版を謳うものが出た場合は既に元の台詞回しのニュアンスが壊れているはずなので、また原本の日本語自身が独特なので、元の台詞を復元することは困難であるという含みもある。
台詞回しの一例をあげてみよう。
女:ワキガチェックしてくれたまへ
男:剃り残しがございます
女:うむむ…永久脱毛の金を稼がねば…って違うぞ違うぞぉ?臭いはどうなんじゃ
男:…なんか甘いんだが
女:スイーツだと
文章の随所において終助詞など細かく拘られていて、独特のテンポが形成されている。
ただ何より注目すべきなのは、このピンクの美少女が「違うぞぉ?」とか「どうなんじゃ」とか中性的かあるいはどちらかといえば男性的な口調でものを言っていることだろう。
この言語的倒錯が生むチャーミングさといったら一体どう翻訳すれば保存できるのだろうか。
たとえば英語圏にも男性口調とか女性口調の区別は確かにあるのかもしれないが、ただ女性に男性口調に相当する言葉を言わせる「ずらし」でそれは再現可能なのか。
上記の男口調は、俺妹にも拙者が一人称の男言葉を使う女はいるが、あの口調ともまた、それが放たれたときに読み聞きした側が感じる空気感というか味わいといったものが異なると思う。
つまり同じ言語内における言語的倒錯についても、ずらし元とずらし先の違いによってそうしたニュアンスが異なってくるのに、その各ニュアンスを別言語において再現可能なのかということだ。なかなか難しいものがあると直感される。ちなみに現代の女性が「たまえ」というだけでも面白いがそれが「たまへ」と表記されたときの独特の滑稽味もまた再現し難いだろう。
もう一例あげておこう。場面は風呂場の脱衣所で男女が裸になっているという状況だ。
女:ふいータオル貸してー
男:いいよーっておいそれ昨日使ったやつだぞ洗ったのあるよ
女:いいよ別に乾いてるし
女:むっ雄の香り
男:えっ?酸っぱい?お酢?
女:ちゃうオスメスの雄w
やや育ちの悪そうな自然体の男女カップルの会話が自然に、あるいは少し技巧的過ぎるかもしれないが、素晴らしい具合に再現されている。ちなみにネカマするならこういう本からこそ口調を見習うべきだろうとも思う。
後半の雄とお酢の畳みかけは、男の受け答えが女の意図したいことに対してあながち間違っていない(絶対酸っぱい匂いがするという意図もあったはず)という点も含めて言葉遊びとして面白い。
しかしこうした言葉遊びの翻訳は後述するが映画翻訳業界では十八番のようなもので、比較的なんとかなる類のものかもしれない。
さらに続きを見てみよう。
女:乾かして―
男:なんで至れり尽くせり体制なん
女:頼むぅいいじゃんよぅ
男:だが断る
女:えぇなんでー面白いのになー
女:でも勃起サイズアップするらしい…ってあれあれ~?復活ですかー?
男:いや刺激与えたらそりゃな?
もはや語尾の小文字と長音符の使い分けなど、この作者の文体の妙を説明するうえでは些末な類だろう。
「至れり尽くせり体制」などの日本語母語話者が談話においてしがちな咄嗟な造語はどう訳せばそのニュアンスを海外の読み手にも届けられるのか。
伏字になってない伏字も面白味があるがこれは比較的なんとかなりそうだ(相変わらず女の使う「だぜ口調」が翻訳の難所になろうが)。
男がジョジョの言葉を使っていることも注目しておきたい。誤用であるかもしれないことは作者も承知している可能性があるのであえて触れないとして、こういったものはどう訳せばいいのか。
そもそもこういった台詞は元ネタを知っているかしないかで同じ日本人でも読んだときの感覚は異なっているだろう。
結局ジョジョが世界的に有名な作品なだけあって、その言語圏で出版されているジョジョの該当セリフをそのまま引用してあげれば割とスムーズに我々が感じているニュアンスを届けてあげられるのかもしれない。
・
ある言葉が翻訳可能かについては、そもそも出版や映画の世界の翻訳技術の長年の蓄積があるのだから、薄っぺらなのは承知でこれらにも触れておく。
先述したが言葉遊びの部分を別の言語に落とし込むことは映画翻訳が得意とするところである。
その言語の音韻体系でしか成立しないだろというものもうまく落とし込まれているものである。ぴんと来ないなら参考にtedの生音声と字幕を比較してみることをおすすめする。
「ぼくのワンダフルジャーニー」の原題は"the dog"である(the objectを「遊星からの物体X」と訳すのとは似て非なる事情だと思う)。
素人目にはどうしてこんなアクロバティックな翻訳な成立するのだろうと思わずにはいられない。
逆に向こうの人にとって"the dog"という訳はどういう印象を持っているのか?個人的にはお堅い文学的な味わいすらも感じられるが、それを母語とする人にはひらがなで「いぬ」と書いた程度のニュアンスまで幅広くカバーしているのかもしれない。
「いぬ」と「ぼくのワンダフルジャーニー」なら、まずまず対応していると言えなくもない…か?
あるいは端からニュアンスを丸ごと保存しようとは翻訳家も考えないものなのかもしれない。
その文章の文体やテンポが、鑑賞者にとってのニュアンスや味わいに対して重要な要素としてどれだけ影響を与えているか、支配しているかということは弁えているものなのかもしれない。
たとえば注意書きの文章をテクニカルライターとして翻訳するにあたって、日本語の注意書き、特に箇条書きが持つ淡泊さを独特のニュアンスとして捉えその存在性を肯定することはできるかもしれないが、日本人が注意書きを読むにあたってそのニュアンスを重要としていないのと同様、そのニュアンスが保存されているかどうかにまで気配りする必要はないだろう、という具合だ。
とっくの昔に源氏物語が様々な言語に翻訳されていることも押さえておくべき事実だろう。
これもまた古文が持つ独特の味わいをどう翻訳しているのか、あるいは翻訳を放棄しているのかという話になる。
日本人の心には中等高等教育を経て古文単語に対して、仰々しさをはじめとした独特の感性が培われている。
その感性を通してこそ「変態糞中納言」は独特のギャグとして成立するわけだ。
しかし源氏物語にはギャグの要素はあったとしても重要ではないだろうし、結局助動詞とか係り結びに使う助詞が持つあのニュアンスは全部放棄しているのだろうか。
アーサー王物語時代の古英語でも使えばあるいは教養ある英語話者に似た味わいを感じてもらえるかもしれないが、これは英語圏の人間に限られる手法となってしまう。汎用的な手法を見出せないものか。
ところで海外の人が日本のアニメを字幕付きで見るということが大いに行われている。
主観になるが吹き替え版は可愛くない。仮に可愛いのだとしても、少なくともそれは日本人声優の演技とは別質のものである気がする。そのあたりにもなにがしかのニュアンスが宿っているかもしれない。
そのニュアンスは非言語的な要素が持つものであって話がずれていると言われればそれまでだし、因果関係上は先に生の動画があってその日本語が分からないから字幕をつけているというものに過ぎないわけだが、とにかく日本人声優の演技というのも、字幕の持つニュアンスを補うための日本語の音声という側面があると私は解釈している。
私なりに長々語って来たわけだが、私の関心はあくまでこうした「多言語に訳せない言語」が日本以外に諸言語にあるか、それにはどういった事情があるかなどといったことであって、巷で言われるような「日本語は難しい」的な自言語を特別視する態度は持ち合わせていない。
むしろ浅学でわずかな日本語と英語の例で比較したり考察したりすることしかできないのが嘆かわしいぐらいである。
戸田奈津子や村上春樹や、最近だと東大に40言語話せるハイパーグロットがいるらしいが、彼らに自分が「訳せない言葉」と思うものを持ち込んで翻訳をお願いし、その翻訳作業をじっくり見学したいものである。知見も深まるというものだろう。
「Tumblr、マストドンと接続へ。分散型SNS標準プロトコルを採用し、Twitterからの脱出受け入れ強化(CloseBox)」のブコメページ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.techno-edge.net/article/2022/11/22/522.html
Mastodonが実装されたとき投稿キーワード検索や引用リツイートなどの弊害を創始者のオイゲン・ロチコは問題視し実装しなかったという経緯があります。
投稿キーワード検索や引用リツイートの弊害とは何か?を現在のTwitterと比較して考えてみると興味深い気付きや、その気付きからMastodonの現状を考えてみると良いかも知れません。
今のところActivityPubネットワークを全文検索できるActivityPub互換SNSは存在しませんが全文検索できる検索サービスは存在するものの制限付きです。
仰るとおりでActivityPubプロトコルは正確性を廃してイメージだけで伝えるならばE-Mailネットワークへ近く、Mastodonを中心に流行る流行らないと議論されがちですが、実態としては物凄く極々小さなサービスであれActivityPub対応サービスが増えていくと時間と共にActivityPubネットワーク参加者が増えるという建付けになっています。
技術的な面に興味のない普通の平均的一般人からするとActivityPubネットワークはある日突然目の前に現れる巨大なネットワークになっている可能性が少なからずあります。
ちなみにActivityPubプロトコルが抱えている問題も個人が設置する小規模サーバーだと24時間動作保証がない、スパムメッセージなどを代表にE-Mailネットワークと一部同種の問題を抱えています。
逆に言えばE-Mailネットワークで用いられている解決手法を応用できるという意味でもあります。
必要リソース削減は常に必要とされるものですが、Mastodonは個人規模であればRaspberry Pi 3でも動くので思いのほか軽量です。
ただしRuby実装なのでC++実装などよりも軽いわけではありません。
むしろ「所属というアイデンティティ」を希薄化させて個々人のアイデンティティへフォーカスすることが是であるのではないか?という試みをしているものに「Fedibird」と名付けられたMastodonサーバーが存在します。
これは良い悪いではなく1つの例えとしての言葉ですが「アナタは相手が日本人だから関係性を持つのですか?」ということです。
再度言いますが、これは良い悪いという話ではございません。当然ながら「日本人であれば母語が日本語である可能性が高いし関係性を持ちやすい」と言う人も居るでしょうし「その個々人を気に入ったから関係性を持ちたいんだ所属など関係ない」と言う人も居るでしょう。
個々人の考えを尊重するからこそ良い悪いという話ではないのです。
ActivityPubプロトコルとは「ことば」です。
日本語話者同士であれば日本語で会話できるように、ActivityPubプロトコル対応SNS同士であれば別サービスとして成立しているSNSは相互に通信しあえるのです。MastodonはそのActivityPubプロトコルに対応しているミニブログSNSなのです。
ActivityPubプロトコルに対応しているWebサービスはMastodonだけではありません。
例えばYoutubeにような動画共有サービスのPeerTubeや、Instagramのような画像共有サービスのPixelFedはActivityPubプロトコルに対応しており、ミニブログSNSのMastodonのタイムラインにはPeerTubeに動画やPixelFedの画像が流れてきます。
そしてそれら動画や画像へ対してMastodonからコメントを送信することができるのです。
Mastodonのタイムラインに流れてきたPeerTube動画へコメントをすると、大本のPeerTube動画のコメント欄にはMastodonから送信されたコメントが掲載されるのです。
PeerTubeへ動画を投稿した動画主はMastodonから送信されたコメントを見てリプライします。するとMastodonでそのリプライを受け取ることが可能で、コメント主はMastodonでリプライを見ることが出来るのです。
ActivityPubプロトコルは対応しているとWebサービスの垣根を超えてコミュニケーションを取れる共通の「ことば」なのです。
そして今回その「ことば」にTumblrが対応したことで、TumblrはMastodonのほかPeerTubeやPixelFedなどともコミュニケーションが取れるようになりました。
TumblrのタイムラインにはMastodonの投稿が流れるようになり、コメントやリプライをTumblrから付けられます。
ただ実際のところ、Tumblrオリジナルの機能とActivityPubプロトコルの規格へどのように整合させるか?というのはわかってません。
理由としてはActivityPubプロトコルの規格はかなり柔軟な仕様で定められておりActivityPubプロトコルの規格には「解釈の余地」があるからです。
仕様として解釈の余地がない「厳密性」はそこまで高くないのでTumblrがどのようにActivityPubを解釈してくるか?というのも注目ポイントだったりするんですね。
もし他に何か疑問点があれば気が向いた時に答えるかも知れないので気軽にどうぞ。