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2024-10-31

まんが道」のテラさんは正しかった

アイドル界の混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、

自分の子時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツ子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。

親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして、人間性健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。

単なる暴力セックスの話では収まらなくなってきている。最近少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別格差ギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。

自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。

だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。

大学で「こども文化論」みたいな科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。月並み結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育てるべきものではなく、子供もそこで消費者すり替えられていた。そしてそれは子供自身が望んだことではなく、明らかに大人商売のために作られたものだ。

もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全もの理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。

ここで、『まんが道』(とその続編)に出てくる、テラさん実在した漫画家・寺田ヒロオ)の話を思い出す。彼が何をしたかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。「闇」扱いされてるが。

自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずお永井豪漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。

漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。

しかし私は、テラさん立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。

ただ付け加えると、テラさんは、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルト作風漫画までは否定していない。テラさんが心を割って話せる存在任侠アダルト漫画家の棚下照生だったように。

子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるもの欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。

テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心タイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見からない形で(ギャグロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。

はっきり書けば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。

近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。

それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツ子供蔓延したのは、子供事情や「時代要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人商売の都合なのだ

子供漫画社会の両輪で我々以上にますます病む前に。今一度、テラさんの突きつけた建前を、考え直す必要があると思う。

2024-10-16

anond:20241015220510

元の本読んでないけど、

ゲーム感覚修行感覚で乗り切ってた部分と、最低限やることやるけど自分時間認識させてた部分があるなぁ

残業減りつつあったけどフレックス使って基本19時退社で、だいたい20時~21時に会社出て1時間帰宅、土日休みの超サブだったから偉そうなことは言えない身分ですが

前者は、ショッピングモールとかベビザ赤本西松とか、スリング多用してたし、あえてのスリング封印もしたし、隙あればハーフスクワットしてた

忍者修行と一緒で、徐々に重くなる我が子とアラサーの筋力強化との闘い

当然落とすまでは粘らないのでいかに休憩までの時間を減らすか

20年ぐらい前だけど、イオン椅子座ろうとしても一人で待機してるおじさんが居座ってたりでこれだからじじいはって男ながらに思ったりした

脳への影響とかで今はあかんとなってるのもあるかもだけど、高い高いとか飛行機(膝やら足の裏に乗せるやつ)とかも、一石何鶏にもなってた(外部の評価↑筋力⇑我が子の機嫌⇑⇑)

他だと、奥さんが凝ってた離乳食冷凍やらせてもらって、

調合みたいな面白さと単純に食材を細かくするというちまちま作業(今でもしりしりしたりするの好き)、これは食う、これは口の中にとどまる時間が長い、嫌いっぽい? とかのも将来のネタになると思ってたし(ほぼ忘れた。こないだ好物聞いたらほうれん草って言われて急に思い出した。そういや2歳かなんかの時にほうれん草ケーキ作っってたわ)

まれときは3076gだった(自分の生年西暦の下2桁との誤差±で覚えやすかった)けど、めっちゃ大きくなって、ずり這時期が長くて、

お手本見せてみたり、もっと効率良い動きはないのか? その動きを覚えさせるには? とか

しかったけど、今思えば、四六時中面倒見てくれてた奥さんのおかげでしかないな

それでも頑張って、夜中のミルクとかおむつ替えとかできる限りやったのは自己満だけど書いときたい(やる偽善みたいな)

おぎゃあの前のほぎゃのほの前の吸息で動き出してるのとか母強すぎやろと夜中にケータイ見ながら思ったことも多々ある。だからこそ動けるときは動こうってモチベ湧いた


寝かしつけとかは散歩兼ねたり、アニメや本読みながらだったり、休日も(一人目は奥さん美容院とかそんなの以外は3人行動がほとんどだったが、2個下の二人目出来て、3-1や2-2も増えた)

第一目的子供要望だけど、2か所目はちょっとこちらの趣味にも寄せたり、聞き分けできるようになった時は社会勉強と思ってくれと思って、完全に自分趣味イベントに向かって、

詫び○○(ご飯だったりゲーセンだったり)で納得してもらったり

小さい時の寝かしつけ以外なにがあったかなぁ ベビーカーを如何に揺らさないかとか、哺乳瓶でバーテンごっこ(吸うのが弱くて穴拡張してたので結構飛び散る)とか、前者のほうに偏ってる

一緒にずっとゲーム漫画アニメの話してる大きい子供自分)を、なんか色々途中ゴタゴタしたけど、なんだかんだでついでに見守ってくれてる奥さんには頭上がらんと再認識させていただきました

これだから男は……って言われるんだろう、どうせ。でも、うちは今のバランスで一旦落ち着いた。よそはよそ)

2024-10-01

高専進学ってそんなにお得なのか?

高専卒業してからしばらく経つのだが、定期的に高専はうんぬんですごいみたいなXの投稿が流れてくる

実際のとこ世の高専卒のみなさんってその選択に満足しているのだろうか?

自分高専卒業後に大学編入をして、以降は普通大卒ルートに乗って社会人になっているので、キャリア的な不満は一切ない

高専卒でそのまま働いている人たちはみんな早婚で20代で2人子供がいる人もよく見かけており、それなりに幸せそうには見える。学生時代女性に縁がなさそうだったやつも子供がいたりするので、実質男子校に5年間幽閉されても恋愛面での影響はないのかもしれない

一方で学業的の不満はたくさんある。

5年間の学生生活講義フル単要求され、受けないという選択肢がない。

きちんと出欠を取るのでサボることも難しく、それでいてどの科目も宿題があるので放課後も忙しい。高専は進級要件が厳しく全単位の平均点数が6割を超えてないと留年したりするが、自分高専は下限の学生に合わせた救済措置がある。課題プリントの点数が最終点数のn割、中間期末試験の点数の10-n割が最終点数として計算されるケースが多かった。

まあ大学講義でも似たようなシステム採用してたりしますが、編入学志望の学生大学受験関係ないことにかなり時間を割かれるので厳しいわけです

編入志望的にもう1つ苦しいのが成績決定のシステム

高専は四半期に10科目以上の講義を受講し、それぞれの最終点数平均で席次が決まる。体育や第二外国語みたいな科目の点数も席次に影響してくるので、本当に5年間学生生活コミットしないといけない。それに加えて受験科目の勉強必要なので拷問

厄介なのが、就職希望学生もいいとこの推薦が欲しいので成績ガチ勢になる。席次を上げるのが受験生活で1番苦しかった

推薦入試はこの席次の点数配分がめちゃくちゃに高いので受験までの4年間きちんと努力しないといけない。

特に苦しいのが、旧帝大などハイレベル大学そもそも一般受験を受けるために推薦が必要となるため、受験勉強に全振りすることができないところ。よく編入生は優秀なんていわれたりするが、単に受験難易度が高いか本来の適性の大学に進学できていないだけでは?と感じる。一方で地方駅弁レベル大学はそれほど受験需要が高くないので、クラスで下位の学生が数ヶ月勉強して受かってたりする。上を見るときついが、とりあえず進学したいならたしかコスパのよい選択肢かもしれない

正直、普通高校から理系進学したほうが楽だと思う

編入のペーパー試験過去問を公開している大学が少ない(特に旧帝大など)ので情報量格差が大きい。それだけでも赤本というもの存在する普通受験が羨ましい。他にも模試が定期的に開催されるので自分の適正感を測ることもできるし、お金さえかければ学習塾でみっちり対策できる。編入試験基本的に宅弁なのでね、内省力とか調査力が高くないと受験競争に勝てない

そして高専5年のうち後半の2年は無駄

高専はどこも金がない、まともな論文指導ができる教員もいないし、講義熱量教員によって露骨に違う。授業時間の半分くらい高専卒は優秀、大企業コスパよく入社するのが幸せ連呼する教授のせいでその専門科目が嫌いになった

大学図書館のような時間を忘れて学業に専念できる空間もないし、そもそも専門科目が難しくなる時期は受験生なのでそれほど授業に集中できない。編入生は在来生よりも専門科目が得意っていうのは当時から大嘘だと思っている。東大講義資料クラウド構築して〜とかやってたりするのを見ると、高専ではBASICGOTOしてましたとは言えない。

レポート作成も全部手書きだし(多分地元では今でもそうだと思う)、なにかと無駄が多い。大学はなにかと勉強するためのストレスが一切ないので楽しすぎワロタだった

あとはサークル活動もしょぼいし、恋愛模様も少ない。というか年齢層が中学卒業したてから大学4年生(専攻科)の年齢まで在籍している空間なので、校内恋愛が本当に歪で気持ち悪い。16歳と20歳恋愛していることもザラだし、学校見学にきた中3と連絡先交換して付き合ってた奴はマジでキモかった。女性が希少すぎるのでとんでもないブスが高飛車になってたりして、男女双方に悪影響すぎる。女性理系進学が推されている昨今ではあるが、自分が親ならせめて大学理系学科進学にしときなさいと伝える

社会人になってから久々に高専出身人間にあうと、みんなどこかズレてるなと感じることが多いが、いつまでもあの頃のノリで会話ができるのは嬉しかったりする。愚痴っぽくなったが、それなりに悪くはない選択だったと思っている

2024-08-18

anond:20240818012634

日本出版業界で、売上高が1億円を超えるのは30%しかない。売上高が1億円というのは、一般的食品スーパー月商よりも低い。

また、それなりに存在感のある出版社も、蓋を開けてみれば会社の規模としては小さい。例えばアニメ化作品をたくさん出している芳文社従業員数が約50名、売上高も50億円に満たない企業だ。

また、大学受験参考書で有名な赤本を出している世界思想社教学社は、従業員数が約50名、売上げが30億円程度の企業だ。

そう言う企業が自前で取次の機能を取り込むのは容易ではない。


キチガイとか理論意味不明とか言う前に、ちゃん認識してくれ。基礎知識を持ってくれよ。

2024-07-17

anond:20240717152702

はるかぜちゃんのお母さんが、息子の入った大学早稲田なのに「息子が使っていた東大赤本です。息子は無事に大学に受かりました」と嘘は確かについていないが東大に受かったかのようにミスリードしながらメルカリに出してたのを思い出した

2024-03-29

もう受験生でもない自分高校レベル参考書問題集いつまでも解いたりするべきなのか分かりません。

解いたりするべきだと思う以下の持論を持っているのですが、この持論が正しいかどうか全く確信が持てません。

以下から持論です。

まず、高校で習うことを理解していなければ、大学以降のより専門的なことが理解できないことがあるというのは確かだと思います

から私を含めそういう専門的なことを理解したい人は、高校レベルのことの穴を埋めるべきだと思います

それをせずに大学レベルのことの学習に手を付けても理解できることがある可能性はありますが、その理解したという感じに錯覚場合が混ざるおそれがでてくると思います

まり理解してないのに知った気になる、いわば「何がわからいかからない」状態に陥る可能性が出てくると思うのです。

そのうえで、そのような大学レベルのことを理解していないと理解できない、より高度な理論を学ぼうとすると、今度はわからないという自覚はあるが「なんでわからないのかわからない」という状態に陥ることになります

まりその高度な理論理解するのに必要なそれに比べれば相対的に基礎的な理論概念複数あることも当然考えられ、そのどれを理解してないのかがわからない、特定できない、ということが考えられるわけです。

理解しなければならないこととしては当然高校レベルの部分に穴がある可能性もあるでしょう。

しかし学ぼうとするものを見ても、その理論等の全容を見て、具体的にどんな知識必要か余すことなく把握することは意外に難しいでしょう。

単に用語意味を知らないといったことなら、その用語ネット検索で、その用語を使っている理論のなかでもっとも基礎的なものが何かということを目星をつけて、そこから学ぶという方法がとれるでしょう。

しか学術文章理解できない原因は必ずしも「単にこの言葉がわからいから」というような、わかりやす輪郭を持ったものに由来しているとは限らないと思うわけです。

大学レベル参考書(学術書)や論文を書く人は受験競争経験した人なわけですが、受験勉強で得た「考え方のひな型」のようなものが、少なからずその後の思考やそれに基づく文章に影響を与えていると私は考えます

それはもはや自覚的に認識できるものではない、無意識下にある思考の体系であるわけです。

その「枠組み」を共有していない人にとっては、より言葉を尽くさないとわからないことでも「既知の事項として」という感覚すら持たずに、その部分の言語化をせずに文章を書いている部分があると思います

特に幾何学が絡む記述は、センス=ひな型・枠組みを持つ著者自身には空気のように当たり前のことであるために記述シンプルになってる説明に対して、枠組みの無い人にはなんでそうなるのということがまるでわからないということが起こり得ます

それは著者すれば「なんかこいつすごく察しが悪いな」としか思えないほど逆に理解しがたいことです。

これは大学高校の話ではなく高校とそれ以下の話なのでたとえが悪いかもしれませんが、たとえば高校物理である部分の角度と別の部分の角度が同じという事実から式を導出することにおいて、なぜ角度が同じといえるかということの説明まではされてないみたいなことがあります

これは、角度のことについてなら、中学受験算数の難問を数多く解いてきたりその答に対する解説を見た経験が、まさに有機的に思考の枠組みとして血肉化した書き手自身には、条件反射的に当たり前のように角度が同じだと認識できるが、そうでない人には説明がないとわからない、という枠組みの有無による断絶ともいうべきことが生じているのだと考えられます

しか書き手にはすべての読者のレベル対応することは不可能ですし、そもそも「枠組み」がある当人には1+1=2のレベルで当たり前のようにしか思えない角度の同じさを説明しようという発想すら起こらないから、こうしたことが起こると思うわけです。

そしてこの枠組みは「枠組みが足りてないか理解できないのではないか」という必要性の認識に応じて選択的に必要十分なもの特定して身に着けられる、という性質のものでないわけです。

上記高校とそれ以下のレベルでの話ですが、大学とそれ以下のレベルという場合でも同じ構造問題を共有していると思います

因数分解極限値を求めるための式変形の定石や、その他証明問題などに対して定石と呼べるような解法から定石ではない解法まで、その問題をこなしてきた人たちにとってはその経験が枠組み化しています

なのでその人たち自身が見てきた高校レベル参考書では途中過程として式変形など書かれていたものが、当人研究者になって書く大学レベルの本ではその本人の主観的自明性が強すぎてその途中過程を書くような発想すら存在しないわけです。

ですから大学レベルの本を理解するには、およそ考えられるかぎりのあらゆる高校レベル以下の問題を解いて理解することを片っ端から行いその経験を積んで枠組みとする必要があると思うのです。

でなければ結局「何がわからいかからない」「なんでわからいかからない」という状況に陥ると思うわけです。

予備校講師数学アドバイスで「数3は数1Aと数2B知識がなければ理解できないというが、だからといって数1A・数2B完璧してから数3に取り掛かる必要はない。完璧は難しいのだから同時並行でよい」という趣旨のことを書いていたのを見たことがありますが、まずこれは受験勉強に関してのアドバイスであるということに注意するべきだと思います

まり点を取るためなら、完璧でない理解でも、ふわっとした理解でもパターンとそれへのあてはめとして、問題は解けてしまうということは十分考えられるからです。人口無能、あるいは中国語の部屋のようなものかもしれません。

一方で学問として理解するということにおいては、厳密に完璧理解していなければ、ただの知ったかで、それは全く理解してないのと同じ価値しかないのではと思うわけです。まさに論理として理解しているのではなく「受験で点が取れる感覚」でパターン認識としてわかった気になっているだけだと思うからです。

また、大学以降のより専門的なことが理解できれば、高校で習うことはすべて理解できる、というわけでもないと思います

先ほどの高校物理の例にあるように、高校レベルのことが当たり前になってる人が書いた大学レベル文章には、高校レベルのことは書いてないことがあるわけです。

そして、どの大学レベル理論を学ぼうとするかによっては、自分の持つ枠組みで十分にその理論理解できるということはありえます。ありとあらゆる高校レベルの枠組みを網羅している必要はないわけです。

なので、大学レベルのことは理解してるが、その大学レベル文章高校レベルのことは書いてないかもしれないので、その後大学レベルのことにしか触れなかった場合高校レベルだけど初見だと解けない問題死ぬまで解けないままであるということが起こり得ると思うわけです。

たか高校レベルから、初歩的なんだから受験生じゃなくなっても真面目にとりくむほどではないと思うかもしれません。

しかしそのように単なる初歩的なこととされるかは、意義深いこととされるかは、時代次第の相対的なことではないでしょうか。

2000年上前ならピタゴラスの定理理解することも十分意義深いことだったでしょう。

時代が進むことによって、より高度な定理理論発見され、既存定理はそれを理解するためのより初歩的なことと規定し直されるというだけです。

このような文脈での主語あくまで「人類」です。言い換えれば、人類のうち誰かひとりでも知っていたり理解していたりするようなことを全て知っているような、仮想的な知性にとっての意味付けだと言えると思います。なかば無意識的にこのような仮想的な知性と自分主語のうえで同化させてこのような「初歩的/意義深い」という価値判断をくだしているにすぎないのではないでしょうか。

あるいは「文明」を擬人化して主語においているとも言えるかもしれません。「文明」にとって、容易に理解できる初歩的なことかどうかということです。

一方実際に世界経験する主体単位は「個人」であり、わたしであり、あなたです。

ある時代にとって意義深いけれど今は初歩的なことを理解してない個人がいるならば、人類文明主語である場合、それが最先端知識=未知であるか、または既知となって間もないか、で意義深いかどうかの価値規定されていたのですから個人主語にした場合も同様に考えればよいのではないでしょうか。

まりその個人理解してないのなら、それはその個人にとって意義深いことなのだと思うのです。

大学レベルとか高校レベルとか関係なく、「自分が知らないという意味で意義深い」解ける問題を増やしていくことは、この世界現象に対する理解解像度をあげると思うのです。

から大学レベルのことには書いてない高校レベル問題の解法も赤本や難関大意図した参考書には無数にあるので、それを解き続けることには、それを飛ばし大学のことを学び始めることを通じては経験できない意義深さがあると思うのです。

まとめれば、高校レベルのことが足りないために大学レベルのことが理解できないこともあれば、大学レベルのことでは身に着けられない高校レベルのこともあるので、結局この世の中をよりよく理解する手段として高校レベルのことも大学レベルのことも等しく有効なら、まずは高校レベルのことを完璧にしなければならないのではないか、と思うわけです。

ここまでが持論の全容です。ですが世の中の成果をあげている科学者の全てがこのようなことをしているとは到底思えないので、自分の考えが合っているなどという確信は全く持てないわけです。

なので、ぜひ、反論できるところがあったら教えてください。

2024-03-27

大人になっても高校参考書を読まずにいられない一種強迫観念

小学生中学生レベル参考書はさすがに読もうと思わない。さすがに発見がないだろうことがわかるから

高校受験赤本?とかならさすがに全部初見問題解けるわけじゃないだろうし解説見ることによる発見もあるかもしれないが、所詮応用の利かないパズルの解き方知識しか思えず、また現代との学問とのつながりを感じられる内容でもなかろうから知的興味をそそられない

これが高校参考書になると物理化学でも数学でも、一つ問題集を(皮相を)完璧理解したところで、別の問題集が解ける保証など少なくとも私の一を聞いて1.5を知るのが限界な頭にはどこにもない。

から問題集を解くたびに新たな発見があると思ってる。というか現に新たな発見を繰り返してるのと、一体どれほど問題集の解き続ければ「何見てもわかりきった問題しかないな~」と小学生向けのドリル解いているときのような境地になれるのか予測するのが不可能から、なかなか高校レベル参考書から興味が離れられない。国語英語も当然そうだ。

化学とかは同じ著者が書いてる新理系化学と、化学の原点シリーズって何が違うんだ?どっちかがどっちかの内容を完全に内包してるんじゃないのか?とも思えるのだが、何か少しでも新たな発見があるのではないかという感じも捨てきれず、興味を捨てられない(なんか塾の策略にはまってる気がするなあ)係数比較法に関する小技みたいなのがその参考書独自のだったりするとわくわくしてしょうがない。

もちろんこんなの大学レベルから見れば何も難しくないことなのかもしれないが、そもそもレベルには大学以降で扱うことな理解範疇を超えてしまうので「ありがたいお経の暗記」のような状態になってしまい、知的活動というより単純労働の趣が強くなってしまう。

私がしたいのはあくま知的活動の方で、それには高校レベルが「すごく難しいが頑張れば頑張るほどちゃん理解が深まる」ぎりぎりのラインなので、そのレベルにこだわってしまう。

2023-12-12

anond:20231212170001

Wikipediaより引用

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB

夏目房之介は、赤本時代手塚漫画の達成として「コマの読み方」を変えたことを挙げている。それまでの日本漫画は、現在4コマ漫画と同じように、1ページ内で右側に配置されたコマを縦に読んで行き、次に左側に移りまた縦に読んでいく、というかたちで読まれていた。しかしこの読み方ではコマ割りの方法が大幅に制限されるため、手塚赤本時代に、上の段のコマ右から左に読んで行き、次に下の段に移りまた右から左に読む、という現在の読み方を少しずつ試み浸透させていった[116]。これに加えて、初期の手塚登場人物の絵柄をより記号化し、微妙な線の変化を用いて人物造形や表情のヴァリエーションを格段に増やした。流線や汗、擬音などの漫画的な記号も従来に比べて格段に増やしており、このような表現の幅の広さが、多数の人物が入り組む複雑な物語漫画で描くことを可能にし[117]、また絵柄の記号化を進めたことは、絵を学ばずとも記号表現を覚えることで、誰でも漫画を描くことができるという状況を作ることにもなった[118]。また物語という点において戦前漫画手塚漫画物語を隔てるものは「主人公の死」などをはじめとする悲劇性の導入であり、死やエロティシズムを作品に取り入れていったことで多様な物語世界を描くことを可能にし、以降の漫画界における物語の多様さを準備することになった[119]。

やっぱめちゃくちゃすごいんじゃね?知らんけど

2023-12-04

学歴を気にする人は毎年東大問題を解きなさい

赤本が売っている

2023-12-02

街の普通科自称進学校図書室に大学テキストはありません

一般向けの大学生がやる内容をシンプル解説した本もありません

あったとしてそれを読む生徒はいません

アホみたいに出る課題模試の解き直ししかしません

誰も受けないのに東大赤本はあります

2023-11-08

女子高生ですけど言いたいことがあります

いや女子高生じゃないんだけどさ

 

サポートセンターなどで女性名対応すると客からの当たりが激しい」みたいな話

たぶんその傾向があるのは真実だと思うけど

その一方で、ネット上ですら女性を名乗ることで優しくしてもらってるのも真実なんだよね

女性を名乗るだけで使用済み赤本が高く売れるし、質問サイトでもみんな争うようにいろいろ答えてくれる

そういう自分たち利益を得ている部分は見えてないふりをして、不利益を被ってるところばかりに着目するの

いつもどおりの女性仕草だなと悲しくなります

 

追記

仰るとおり、「優しく」っていうのはちょっと違いましたね。

訂正しま

× 女性を名乗ることで優しくしてもらってる

○ 女性を名乗ることで利益を得ている

2023-10-26

高校までの数学完璧にしないと純粋数学学んでも無駄かな?

まり高校までのあらゆるレベル参考書大学受験問題を解けるような状態にしておかなければならないとか思っている。

それはたとえば難関大赤本をぱらぱらめくるだけでも、高校数学範囲の中で可能問題設定がこれでもかというほど無数に思えるバリエーション存在することが分かるということだ。これら全てをマスターせずに専門数学を学んだところで、自分問題設定したりそれを解いたりできるようになるのかという疑問がある。高校数学ですらそれができるようになってないわけですから

また高校数学教科書から一歩出た段階の典型問題や応用問題では、解の個数を求めるときは定数分離するといいことがあるとか、二次曲線同士が接する条件は重解条件とは限らないとか、そういう定理というほどでもないいろんな考え方を身につけさせられるものだ。

専門数学を学ぶ上での記述には、そういう頭のいい筆者が高校時代に身につけた考え方など明示的に表現されてなくて、高校数学完璧にしておかないとそうした行間を補えず躓いてしまうだけなのではないかと思った。

あれ、でもそんなこと言ったらそもそも高校受験中学受験も灘や開成で出るような問題は解ける保証いかも?そこからやり直し?ってなってくる。そういえば算数中学受験問題解いてみたが全然解けない。

そもそも大学への数学シリーズで得意げに解説してる筆者たちは参考書レベルにおいて今の自分達が執筆してる位置付けのあらゆる本の内容を高校時代マスターしていたのかすら疑問なのだが。

とはいえ、難関の中高一貫から東大数学科に入った子には中高の数学自分では全く勉強した覚えがない(つまり中学受験から塾に行かずに受かってるんだろうな)という人もいるらしいし、こういう人間はいさら赤本だの中学受験算数だの解けるか確認するまでもなく解けて当たり前なのかもしれない。そしてそういう人間の一部が次代の受験業界で難問奇問を自在に作る側に回ってるのかもしれない。

とはいえやはり、高校までのレベルのいろんな問題を解く上で必要な、身につけられる考え方というもの純粋数学研究および証明に活きてくるという事例はないのだろうか。いやむしろ、その考え方を知っていたからこそひらめいたわけで、知っていなかったら証明に辿り着けなかったということが最先端数学において無いのだろうか?

その考え方を知らないパラレルワールド自分証明できてるかどうか確認する術はないので、その考え方が証明必要不可欠だったかどうかは証明しようがないんだけども。

とはいえ大学数学に臨むために中学算数から受験問題研究で徹底的に深掘りし直したなんて話聞いたこともないし、このあたりは「中高で数学自主勉強しなかった」ような人間がその道に進むのが適切なのであって、いちいちしらみつぶしにあらゆる受験問題を解いたりしないと自分では考えが浮かばないような人は、そういうことを完璧にしようとした時点で人生時間切れが迫るし、そもそもその程度の人間大学数学向いてないと見切りをつけるのも必要かもしれないな

2023-07-14

商業漫画だけでも戦前から全部把握してる人っているのかな?

全部把握してた方が安心感があるよね。全部把握してないなかで自分の好きな漫画を探しても、もしかしたら自分が把握してないなかにもっと面白い漫画があると思うと不安になる。

戦後貸本赤本時代漫画家も追うのが大変なのだそうだが、そういうのもひっくるめて全部把握してて、漫画家、出版社ジャンル正規化されたデータベース作ってる人がいたらぜひ公開してほしい。

そのなかからジャンルとかをキー検索すれば自分が好みのジャンルのなかでこの世に存在する漫画で真に自分にとって一番おもしろものちゃんと見つけられるだろう。

でもそんなことは多分ありえないんとわかってる精神的に成熟した大人は一体どうやってこのあたり割り切ってるんだろう?

俺もさすがに同人誌含めて一番おもしろもの探すってのはコミケですら「全部は回れないか優先順位つけてリストアップしてる」って人の話を聞いていくうちに割り切れるようになったけど。

商業漫画に限っても割り切るしかないのかまだまだ悩み中。足るを知るってやつってやつなんだろうか?具体的にどうすればいい?

2023-06-27

子ども中学生になったら名前を聞いたことの無い大学赤本を解かせなさい

偏差値低いと言ってあげましょう

反骨精神で成績アップだ

2023-06-12

AIイラスト流行ってるせいか

漫画イラスト描く人たちが「毎日○○したら画力は上がる」「□□を全部模写すれば画力は上がる」とか言ってて、その気持ちはわかるんだけどさ。

圧倒的に才能がない人のことを完全に蔑ろにしているのはどうかと思うんだよ。

三峯徹さんとか見てみなよ。

あれだけ情熱的に絵を描いてて、それはとても素晴らしいと思うんだけど、それでも一般受けするような絵柄ではないじゃん。

 

 

俺はさ、勉強の才能が有ったから「授業真面目に聞いて赤本やってれば旧帝大くらいなら現役で受かる」とか思ってたし、できたんだよ。

でもさ、友達は俺よりも勉強時間を取って、塾や予備校に通って、凄く頑張ってて、俺も勉強教えたけど志望校に受から地方国立大がせいぜいだったんだよ。

 

 

才能があって、努力すれば、そりゃ成功するんだけどさ。

才能の差っていうのは歴然としているんだから成功している人たちが気軽に「○○したら成功する」って言うもんじゃないと思うんだよ。

「私は○○したか画力が上がった」という体験談なら問題ないんだよ。

俺は「自分体験一般化して押し付けると本当に才能がない人はみじめになる」と言いたいだけなんだ。

2023-05-15

今時の公立小学校生は赤本を解くし中央省庁HP毎日見ている者もいる

大学入試問題を解くし

省庁のホームページを鑑賞することで、字面通りに受け取らない、書いてないことを読み取らないという一見ダブルバインドのように見えることを同時に達成している

2023-03-22

1990年大学受験したいわゆる私大バブル経験した世代だけど

ダメ時代だったなあと思う

大学予備校高校受験生たちも……なんというか、日本大学受験はまだ未開だったんだなあと50代に突入した今冷静に振り返って思う


こういうこと言いっこなしだけど当時の試験問題総合レベルは今と比較して冗談みたいに低かったと思うよ

こういうのはスポーツと同じで時代が進めば必ずどんどん洗練されてレベル高くなるもんだから仕方ないことなんだけど、

2000年代くらいかセンター過去問を戯れに見て(特に数学2B化学あたりが)明らかにやばくなってきてるのを感じて、

共通テスト突入してからハッキリとヤバいレベルに洗練されてなおかつ難度が爆上がりしててビビったもん

それにもかかわらず有名国公立の共テやセンター合格者平均得点パーセンテージが俺の時代全然変わってなくて

「ああ、AO入試とかの推薦枠が定員の3割もなかった当時と比較して、今一般入試ってもんは明白に次元の違う厳しい競争になったんだな」

と察した

俺たちの時代はさっきも言ったように大学受験界隈が本当に未開も未開で、

たとえば受験生たちがリアル

睡眠時間7時間も8時間も取るなんて怠けてたら落ちる。そういう奴は必ず負ける」

とか

「みんなが解けないようなカルト級の難問を制する者が入試を制する」

みたいなアホ丸出しなことを平気で言ってて、

しかもそれが「ハッキリとした誤り」として訂正されることが全然いくらいには正しい情報共有(そして良質な参考書が今の比じゃないほど少なかった)が難しい時代だった

そういえば赤本青本とで早稲田国語の解答がよく割れてたな

あと日本史なんかだと

法隆寺玉虫厨子の羽の使用枚数」

とか

世間胸算用初版本の値段」

とか

志賀島金印発見した農民名前

なんかを問うクソ問題マジで出題されてた


今考えれば「馬鹿じゃねーの、そんな問題に付き合ってられっか」で丸っきり相手にせず、さっさと基礎~標準問題絶対取りこぼさないよう徹底的に訓練する以外ないんだけど、

当時の受験生たちは

「いーや、あのカルト問題だって実はどこそこ社の教科書にだけはちゃん掲載されてる情報だったんだぞ?それを捨てるのは甘え。捨てる者は落ちる」

だなんて大真面目に言う者が大半だったから、みんな無駄努力無駄努力を重ね、しか予備校などの受験産業もそれを後押しした


から詐欺みたいなカリキュラム受験塾なんかを個人が立ち上げても余裕で商売になったんだろうなとも思う

例えば、

授業なんぞしないで滝行させるとか

試験マジで何も関係ないスピリチュアル書籍読ませて感想言わせて詰めて泣かすとか

……たとえそのレベルのイロモノ予備校であったとしても

(実際、こういう笑えないほどお粗末でインパクト強い受験塾は存在していて、なおかつ年間200万とかの受講料を設定していても浪人生は押し寄せていた)


ただし、狂ったように加熱していたのは私大受験だけで国公立平常運転だった

最後1989年私大と国公立両方受験した者達の合否データを示して終わろうと思う


早稲田政経× 東大文I〇 60人

早稲田政経東大文Ⅰ× 34人

上智外語× 東京外国語大〇 72人

上智外語〇 東京外国語大× 13人

中央法× 東北法〇 11人    

中央法〇 東北法× 32人

立命館法× 広島大法〇 21人

立命館法〇 広島大法× 5人


明治理工× 東北大工〇 38人   

明治理工〇 東北大工× 13人

東京理科大工× 名古屋大工〇 70人

東京理科大工名古屋大工× 51人

         

立命館理工× 九州大工〇 24人 

立命館理工〇 九州大工× 17人


追記

自分は、私大受験バブルピークは過ぎてたとはいえ1993年慶應経済「のみ」を受験して見事に現役合格したふかわりょう尊敬している。

彼は電波少年坂本ちゃん東大受験企画に呼ばれた時や内P唯一のレギュラーだった番組黎明期なんかに慶応卒をドヤる振る舞いを許容範囲披露していたが、

あんな異常な時代慶応経済に現役で受かったという事実や自負を全く表に出さな謙虚さは同世代として凄いと思う。

一方、

現役受験の年が私大受験バブルピーク年とほぼ重なっていて、結果的一浪明治大学文学部補欠繰り上がり合格した安住紳一郎は、

その浪人期間がいかに苦しく精神的にギリギリだったかをおりに触れて語り、

今でも学歴受験ネタなら大学高校中学わずやたらめったら詳しく、

なおかつ「今でも指定校推薦組を許してない」と公言してはばからないが、

あの感じはまるっと全て凄ーくわかる。

運悪くあの当時の受験地獄に晒されることになった世代の中で安住紳一郎の「二浪明治文学部補欠合格」という結果はそれでもかなりいいほうだし、

結局東京神奈川千葉のどこの私大にも受から人生捨てたような感じになった奴は腐るほどいた。

(余談だが、

私の地元というか受験可能公立高校グループのなかでは都立日比谷が1番賢かったのだが、

当時は日比谷ですら現役時に法政合格を確保できれば同級生平均より明白に良い結果だったので

「こんな大学受験しかったんなら高校入試とき大人しく法政行ってたわ」と嘆く奴が絶えなかったという笑えないエピソードがある)

2023-03-20

父と、受験と、それから

 突然ですが大学を一度でも受験した方にお聞きします。あなたは何故、大学受験しまたか?なんのために受験しまたか?それは自分がやりたいことのため、自分が学びたいことのため、あるいは自分が将来就きたい職業のため、色々あると思いますし、きっとそのほとんどが自分のためでしょう。

 さて、私はここ2,3ヶ月、現役の受験生として多くの医学部を受けさせられてきました。結果もほとんど判明しており、0勝13敗という散々たる結果でした。何故落ちてしまったのかの理由ははっきりしており、演習不足の点と共通テストで8割ほどしか取れなかった点にあると考えています。それ以外の理由として、私が心から医学部に行きたいと考えていなかったという点にあると思います

 私の医学部受験の始まりは今から9年前、中学受験のための勉強が始まったときのことです。当時小学4年生だった私は、中学受験について全くの無知でした。また私は超がつくほどの田舎で、自分の市には中高一貫校がなく、県内にも4校ほどしかないようなところで育ったため、中学受験対策塾や周りにも中学受験をする人がいない環境で育ちました。そんな環境で、何故中学受験を、しか関西の最難関校を受けることになったのか。それは、私の父です。父は関西出身で、小学生の時に中学受験に失敗しています。私の父はいつも「世の中は金」「金を得るためには学歴必要」「中高一貫校を出て医者になれ」「公立はクソ」「医者以外は人じゃない」とよく私に言い聞かせてきました。それもあってか、私は父に半ば強制される形で中学受験をすることになりました。しかし、市内には塾がなく、また父も金持ちというほどお金を持ってないらしかったため、勉強については父から教えてもらいました。私の父は口が悪く、問題を間違える度に暴言を吐き、時には私を殴ったり叩いたりしてきました。間違える自分が悪いのですが、やはり辛く、小学生ながらよく自殺未遂を起こしていました。またこのような教育体制を取る父に対し、母は反対しており、毎日喧嘩をしていました。また、両親共働きでもあったため、母の帰りが遅いと父は母の職場によく電話で怒鳴り散らしてました。今思えば物覚えの悪い私と、父とは違って要領が悪く、父ほど賢くはない母にストレスを感じていたんだと思います

 それから3年後、私は第一志望であったかつて父が落ちた中学合格してしまいました。このことおいて、私は父に感謝しており、また自分も嬉しかったです。しかし、本当の戦いはこれからでした。人は突然自由を手に入れるとろくなことを起こしません。

 私は中学校に入ってから挫折を覚えました。周りには自分より賢い人、自分でこの学校に行きたいと思って頑張ってきた人がたくさんいて、圧倒されました。自分はなんのために勉強しているのか、勉強してもこの人達には勝てない、色々思うことがありました。学校の中で私は中の下で、賢い方ではありませんでした。自分ではなんとかしようと考えており、時には友達の力も借りて、勉強したつもりでした。でも、つもりはつもりだったのです。

 学年が上がるに連れ、周りは大学学部志望を決め始めました。私は父の言いつけのもと、もちろん医学部を目指すことを決め、引き続き勉強ごっこをしていました。しかし、本当にその学部に行きたい人たちはどんどん賢くなっていきます。「やりたい」という思いは、自分のそれを大きく凌駕し、私はどんどん抜かされて行きました。そんな状況下で父は私の成績状況に不満を言うだけでした。時には周りの医学部以外を志望する私の友達馬鹿にすることもありました。自分馬鹿にされるのはなれていましたが、友達バカにされることはとてもとてもつらかったです。でも反抗すると碌な目に遭わないので、私は同調するだけでした。

 私は成績状況を打破するべく、塾に通うことにしました。入塾テストは1回目は落ちたものの、2回目は友達の力を借りて受かることができました。その塾は、学校にいる人よりも賢い人達が多く、自分井の中の蛙感がより増す結果となりました。しかし、その中でも、大量の宿題レベルの高い授業についていき、成績はなんとか現状維持することができました。

 朝5時半に起きて、6時に家を出て、2時間電車に乗って、学校で授業を受け、1時間かけて塾に行き、3時間授業を受け、1時間かけて帰り、宿題をして、2時半には寝る。こういう生活を2年続けました。そこにはこれだけやったら流石に受かるだろうという慢心もあったと思います

 話は飛んで、受験期に入ります。私は父に言われた通りの大学を受けました。父は「お前が行きたいところに行け」とよく言いましたが、半ば強制されていました。年内に2校受験し、両方落ち、共通テストを受けました。そこから毎週末に試験が入るというとんでも受験が始まりました。1週間で赤本6年をこなし、受ける。こんな生活が続きました。ときには連日受験ということもあり、死にそうでした。

 最初にも述べた通り、結果は全落ち、当然の結果でした。私は13回不合格を見た影響でメンタルがぶっ壊れ、暴言暴力を振るうようになってしまいました。反省しています。こんな状況でも父は冷たく、はじめは「受験は何があるかわからない。最後まで戦うこと」と鼓舞していましたが、「すべて親のミスでした。自由にしたらいいよ」「好きに生きろ」「お前が決めたことだからお前に責任がある」「受からなかったお前が悪い」と完全に突き放しました。

 最後不合格発表があったその日、父は1つのメールを送ってきました。タイトルは「浪人同意書」。内容は至極真っ当のことが書かれており、落ち着いてみると納得行くところもありました。でも、ボロボロになった僕にはとても堪えるものでした。父は本当に人間なのか、感情があるのか。どんな不合格よりも辛かったです。その後、父は私の前に現れ「お前には医学部は無理やった」と言って消えました。

父の敷いたレールから初めて自分脱線してしまった瞬間でした。

私は父の理想人生を歩めなかったどうしようもなく、生きている価値のない奴です。

でも、どうしようもない奴なりの、最初最後の反抗を、するときが来たのかもしれません。

2023-02-22

anond:20230222214149

いまの時期にやるなら、同じアカウント女子大赤本とかも扱うと信用度とリアリティが増すぜ👍

2023-01-29

anond:20230129190556

(今は知らんけど)早稲田法の現文って予備校とか赤本の解答がマジでバラバラ割れてる設問が当たり前だったなあ。

それでも社学や所沢とかと違ってミラクル合格全然起きないのが平常運転だったの見るに、解答が割れる設問は複数肢が正解だったor内々で没問扱いしてたのでは無いかと疑ってる。

2022-12-27

31歳だけどセックスってどうやるのか分からない

精子卵子がくっついて妊娠するのはわかるんですけど、具体的に何をどうすればいいのかがわからない。

女性の子宮に精子を入れる方法って想像もつかない。

 

というかほかの人がセックスをどうやって知るのかが気になる。参考書とか赤本みたいなのがあるの?

保健体育ではセックスの仕方を学んだ記憶はないし、理科生物選択じゃなかったから本当に分からん

AVエロ本も興味がないから見たことないし。

2022-11-24

anond:20221124145838

私は京大受かった人だけど、赤本やらなかったらまず間違いなく落ちてたよ。

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