はてなキーワード: エホバの証人とは
メンタルが弱っていて、宗教に頼りたい気分になっているんだけど、「いくらなんでもこれはやめとけ」っていう宗教を教えてくれ。それを避けて選ぶから。
雑多メモ。
旧約聖書は基本的にはイスラエルの民の歴史の話だが創作を交えている。他民族からパクってきた物語もある。例えば「聖書の起源 山形孝夫著」によるとアベルとカインの話はメソポタミアの牧畜神と農耕神の闘争そっくり。ただ、最後に農耕のカインが牧畜のアベルを殺す部分が付け加えられている。当時は土地を所有する農耕民族とイスラエルの民のように土地を持たず遊牧で暮らす遊牧民との争いがあった事から血なまぐさい話が付け加えられたと思われる。
新約聖書はイエスの弟子が話を盛りまくったあげくバチカンが都合のいいように書き換えたらしいが西暦4世紀以前の新約聖書は現存せず実際にはわからない。
元エホバの証人で「ドアの向こうのカルト」という本を書いた人のPDFおすすめ。
https://jw-qa.com/kaiyaku/wp-content/uploads/2017/08/jw9_201505.pdf
ウサギはもちろん反芻しないが、どうやら始終口をもぐもぐさせているので、古代のユダヤ人には反芻していると思われていたらしい。ちなみにレビ記の規定では「反芻し、蹄が分かれるもの」が食べて良い動物であり、この規定によると、ウサギは「反芻するが、蹄が分かれていない」ので食べてはならない。イスラム教徒が豚を食べないのは有名だが、豚は反芻しないのでユダヤ人も食べてはいけない。
現在もエホバの証人の家庭ではムチでシバいているらしい。普通のクリスチャンはそんなことはしないが、真に受けてムチでシバいている家庭も中にはあるのだろう。他にもお尻ペンペンをしているという例を(直接ではないが)聞いたことがある(未就学児とかでなくて中学生とかでもである)。
野菜しか食べない人をバカにしてはいけないし、その逆もいけないという教え。当時からヴィーガンみたいなのがいて厄介だったことがうかがえる。菜食主義者であるにしろ、肉をガンガン食べる人にしろ、人間同士でさばきあってはいけないという意味である。欧米でモメている事象って既に聖書で書かれていることが多くて、延々車輪の再発明みたいなことをしていることが分かる。
ニュース記事の中で二世が"平手やベルトで叩かれた"と話していることに関してブコメで、「暴力は家庭の問題では。カルト問題とは切り離して考えないと。」というコメントを見かけたので、切り離されないよう、ここに事実を記す。
自分は割と熱心に活動していた元二世で、今は家族や組織から距離を置いている。
ニュースになっていた二世の女性は30代で、自分も同世代である。
記事の中では、
"3歳の頃から週3回、エホバの証人の集会に参加した。居眠りなどをすると家族にトイレに連れて行かれ、平手やベルトでたたかれたこともあった。"
とあるが、これは「ムチ」と呼ばれていた。
集会で行儀よくしていないとムチされるし、イタズラなどがバレてもムチされる。
どこかの子供が集会中にトイレに連れて行かれたと思ったら、トイレから叫び声が聞こえてくるということは日常茶飯事だった。
各家にはその家ごとの「ムチ棒」があり、「あそこの家のムチ棒はやばい」とか、子供同士で情報共有していた。なぜなら他所の家でイタズラしたりすると普通に他所の親からムチされたりするからだ。
回数も人それぞれだが、大抵10回程度。
かなり悪いこと(もちろん子供のイタズラレベルの範疇でだが)をやらかすと2〜30発やられる。
※ちなみに、出先で急遽ムチする必要があり、ムチに適した道具がなかった場合、「しかたない平手でやるか」ということもある。しかし全く痛くないのでこちらとしては内心(キター‼︎)と思っているのだが、痛がっていないと家に帰ってやり直しになるので、必死で痛いフリをしておくというライフハックがある。
エホバの証人はローカルルールが多く、また同じ地域でも「長老」と呼ばれる会衆のトップの意向によってやり方が違ってくるので、あくまで増田の地域、年代(1980後半〜1990年代)のことである。
学校での体罰が問題になり始めた頃(1990年代後半ごろ)から徐々にムチの文化も下火になっていったと記憶している。
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/101992647
1992年の「目ざめよ!」という小冊子の中で、「ムチが世間から批判されているがいかに聖書の根拠に基づいているか」について触れられているので読んでみて欲しい。
公共の場所でエホバの証人などという少数派宗教が勧誘するのは禁止されるべきです(棒)
公共の場所で同性愛などという性的少数者を取り扱った映画のポスターを掲示するのは禁止されるべきです(棒)
家の壁に公明党のポスター貼ってて聖教新聞とってる近所のママさん、いつもニコニコしてて親切。多人数で話してるときにコミュ障の私が言葉に詰まっていると助け舟を出してくれるのでありがたい。誰もやりたがらない面倒な係とかも積極的に引き受けてくれて、文句も言わずにチャキチャキこなす。旦那さんもお子さんも穏やかな雰囲気でいい人そう。ちなみに勧誘を受けたことはない。
公園で子どもと遊んでいたら「かわいいわね〜お子さんおいくつ?」って話しかけてきたおばさん。しばらく無難な世間話をしたあと、エホバの証人の名刺を渡して爽やかに去っていった。勧誘目的の声かけだったとしても、話自体には宗教のシュの字も圧もなく、何よりいい人オーラがすごかった。いい人に擬態しているとかじゃなく、純粋な善人感があった。
地元のお祭りにボランティアで参加してる親鸞会の人たちも、すれ違う人みんなに笑顔で挨拶して、子どもと接するときはしゃがんで目線を合わせてくれる。幸福の科学の信者だとバレた某芸能人も、テレビで見る人柄は好感が持てる。
「カルト宗教の信者」というとヤバい人・お近づきになりたくない人というイメージを抱くけど、カルト宗教を信仰してるのって心根優しい人が多い気がする。身内が宗教にハマったせいで家庭崩壊したみたいな話はよく聞くけど、外から関わるぶんには何も害はないどころか、むしろ親しくなりたい性格の人が多い。やたら攻撃的だったり、関わる人によって態度を変えたり、人の悪口や愚痴ばかり話す人よりずっといい。
(受)
次に、そういった法制化・一般化は時間がかかるので、社会から締め出すべき個別の団体でアウトのラインを引けるのか。
例示すると、順不同だが個人的にかかわり合いになりたくないとことして
○オウム(後継団体)、統一教会、立正佼成会、幸福の科学、創価学会、エホバの証人、ワールドメイト、ホームオブハート
内実よく知らんとこ
○世界救世教、崇教真光、パーフェクトリバティ、真如苑、顕正会、天理教
という感じ。
個人的には宗教法人なんて全部潰してしまっても良いと思うが、それをするとカルトは生き残る(金儲けうまいしね)けど、古来の細々とした伝統宗教は全滅するという話を聞いたことがある。
(続)