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はてなキーワード: 教義とは

2018-04-19

[] #54-7「誰も期待していない宗教裁判

この聖書基準に、教祖はどんどんニセ教祖を追い詰めていく。

ニセ教祖聖書を手に対抗する。

「えーと あ 我々がやっていた免罪符ランダム性についてですが 第12項によると『賭博にあたる行為を推奨していない』と書かれています なので禁止もしていない と解釈することもでき」

生活教の七戒の一つ、『営利を介した宗教活動を禁ずる』。是非が明記されていないものについては、生活教の基本信条と七戒を参考にします」

だけど、どうもニセ教祖は話についていけてない。

俺たちと同じで、聖書をマトモに読んでいなかったっぽいな。

「え それって矛盾しませんか どうして こんな曖昧表現にするんですか」

賭博抵触するもの全面的禁止すると、娯楽だったり、保険などに入ることすら広義的にはダメだとなってしまうからです。それは心身の健全さや、生活における安寧を、かえって損なうことになります


その後も応酬が続く。

あ、このあたりのやり取りは話の構成上、読み飛ばしても何ら支障はないぜ。

有償であることについてもそうですが、免罪符の中に“転生”という概念を持ち込んでいるのも看過できません。生活教は、原則として“今”を重視した体系であり、確証のない未来約束するものではないからです」

ちょっと待って 生活教は死生観について言及していない これは否定もしていないってことで 輪廻転生解釈次第では」

肯定否定もしていないものについては、基本信条と七戒を柱に考えます

「えー では 死生観については えー」

生活教の時間概念は、基本“今”とそれに直接繋がる“身近な未来”を重視しています免罪符は、そのどちらでもないですよね」

「でも 保険否定しないということは 遠い未来保証についても 否定していないのでは」

「それは“今”を生きる糧に繋がるという、可能性を考慮した場合においては、です。もし、あなた免罪符無料であるか、輪廻転生が何らかの補償約束するものであるなら話は別ですが」

「うーん うーん」

「どちらも満たせていませんよね? あなたのやり方は、確証のない未来担保にして“今”を搾取している。明らかな教義違反です」

ニセ教祖は手元の聖書現在進行形で読みつつ弁明する。

だけど、付け焼刃ではどうにもならず、教祖に「都合のよい解釈だ」と論破され続けている。

「更に、あなた免罪符販売の際、『主の降臨日』だとか『主の生誕日』記念だと言っていましたが、これもおかしい」

「え いや あるじゃないですか 世間でも期間限定の催しは 多少の開きは認められているはず それに生誕日や降臨日といったもの解釈が分かれ」

「そうじゃなくて。そもそも生活教に“主”といったもの存在しません。生活教は体系そのもの信仰しているため、神の存在を認めこそすれ、崇拝しているわけではないですし」

え、そうなの?

宗教って、大抵そういうのに祈ってるイメージなんだけど。

「え、そうなんすか?」

「そういえば、現象について説明するとき、いつも精霊がどうとかって言ってた気がする……」

信者のカジマとタイナイも、知らなかったらしい。

「まあ教祖が言ってるんだから、そうなんだろう。どっちでもいいよ」

仮にも信者名乗ってるのに、そんな反応でいいのか。


…………

こうして十数分に及ぶ応酬は終わった。

パッと見、教祖側が一方的だった形だけど、俺たちの目線では違っていた。

自治体教義を知らないから是非を判断できなかった。

そこで、傍聴していた信者投票によって判決を下すことになったんだけど、信者たちも判断できなかったんだ。

教義がどうのこうの言われても、その場で理解している人間教祖しかいなかったってわけ。

馴染みのないスポーツ観戦の、解説を聞かされているような状態だ。

みんな、大体の雰囲気で観ていた。

「んー、免罪符を売ってた人がニワカだったのは明らかだし、有罪確定っぽいよね」

「話の流れとしては、そうなんだけど、何か普通の展開過ぎて面白みに欠けない?」

生活教の信者たちは、面白半分で入信しているから、当然この期に及んでも「面白さ優先」だ。

司法国家なんて知ったことではない世界で、道理なんてもの判断基準にはならない。

そのせいで形勢は、変な方向に傾きつつあった。

「でもなあ、オイラあの免罪符にかなり金使っちゃったから、擁護したくないんだよなあ」

だけど、ここでカジマが何気なく放った言葉が、信者たちに新しい風を送り込んだ。

「……ん? 待てよ。あいつが有罪になったら、返してもらえるんじゃないか免罪符に出したお金

その可能性に気づいた信者たちは、いきり立った。

万札つぎ込んだカジマはまだ分かるけど、小銭しか出していない他の人たちまで賛同している。

みんな、自分たちで金をドブに捨てたって認識はあるけど、実のところ後悔も未練もタラタラだったんだ。

汚水まみれになってまで拾いたくないはないが、労せず拾えるなら話は別ってことか。

投票の結果、満場一致で『有罪』となりました。免罪符を売っていた者は、自治体に引き渡された後、個人的制裁を受けます

「こ 個人的制裁って なに」

みんなが、その結果に拍手をしている。

俺も同じ穴のムジナだけど、さすがについていけない。

何はともあれ、生活教の危機は去った、ってことかな。

こうして、誰も期待していない宗教裁判の幕が閉じた。


…………

これで、めでたしめでたし

……でもよかったんだけど、この話には続きがある。

なんとニセ教祖が別の宗教を立ち上げ、活動継続させたんだ。

「おい、教祖。いいのかよ、あんなことさせといて」

生活教ではない以上、私が介入できる範疇を超えています生活教は他の宗教ダメはいいませんし、改宗は迫れませんよ」

教祖他人事になった途端、こんな調子だ。

釈然としねえ。

やっぱり宗教って、くっだらねえと改めて思った。

でも、くっだらねえものほど、俺はなぜか面白がりたいのかも……とも思った。

(おわり)

2018-04-18

[] #54-6「誰も期待していない宗教裁判

異端審問』?

なんだ、そりゃ。

俺には馴染みのない言葉だったけど、それを聞いていた信者たちは色めきだった。

「おい、聞いたか? “異端審問”だってよ!」

まさか、このご時世に、こんな所で拝めるなんて!」

みんな、その場から離れるのをやめて、再び渦中に集まってくる。

俺はイマイチついていけてないけど、みんなの興奮ぶりを見ていると、ただごとじゃないのは肌で感じる。

気になって、タイナイとカジマに尋ねた。

「ねえ、異端審問って何?」

「オイラも詳しくは知らないっすけど、要は宗教テーマにした裁判って感じ」

「その目的は様々だけど、今回の場合だと免罪符を売っていたあの人を、生活教の人間ではないって証明するための裁判ってところだろうね」

なるほど、話が見えてきたぞ。

ニセ教祖のやっていたことは、そもそも生活教とは何ら関係のないことだと、その裁判で断定したいわけだ。

そうすれば教祖はもちろん、生活教の名誉も守られる。

信者たち目線では、単なる内輪モメが“異端審問”なんていう物珍しさによって、ちょっとしたエンターテイメントっぽく見えるようになる。

教祖にそんなつもりはなかったのだろうけど、結果として名誉挽回と信者の確保を両立する、ベターな回答を出したわけだ。

もちろん、信者たちにとってはどう結果が転ぼうと、構わない。

ただ、なんとなく刹那的に盛り上がればいい。

興味のない人間からすれば、心底どうでもいい。

そんな宗教裁判が、いま正に始まろうとしている。

俺のくすぶっていた野次馬根性も再燃してきた。


…………

急遽、始まった裁判は、公共体育館によって行われた。

こういうのって、あらかじめ予約しておかないと借りられない気がするんだけど。

当日に都合がつくなんて、変な力が働いてないか

いや、超常現象とか、そういう意味ではなく。

俺の疑問をよそに、裁判粛々と進む。

信者たちや俺は、“証人”という名の野次馬

裁判所みたく厳かな雰囲気もなく、みんなが同じパイプ椅子に座っている。

まるで、大人の学級会だ。

「えー……これより第一回、生活裁判を執り行います


本日、昼ごろ。免罪符を売る、生活教徒が出没。ですが、この者が、生活教を騙る人間ではないかという指摘が入ります

自治体中立的裁判官、および“執行者”として参加していた。

俺たちや当事者はともかく、自治体は完全なとばっちりだ。

異議あり 私は敬愛なる生活教徒 ライフチャンです」

生活教、教祖。彼が生活教徒ではないことを証明するものはありますか」

証明するものっつたって、信者の多くが自己申告で成立しているような、ユルい宗教だぞ。

当人生活教徒だと宣言した時点で、水掛け論にしかならない気がするけど。

生活教の基本教義が書かれた聖書、『ワーク・ライフバランス』の3ページ目をご覧ください」

聖書!?

そんなの、いつの間に作ってたんだ。

「あー、そういえば、そんなのいつも配ってた気がするっす」

「流し読みした限りでは、底辺ブロガー自己啓発みたいな感じだったから、マジメに読む気が起きなかったんだよね」

この日のためにでっちあげたとかいうわけでもなく、当初から一応あったらしい。

信者の大半は、存在すらうろ覚えだったようだけど。

(#54-7へ続く)

2018-04-13

安倍が作ったのは「靖国」と「リフレ」を教義の中心とした宗教であり、30%いるのは支持者ではなく信者なんだよ。

信者は何があっても裏切らないし、攻撃されるほどに結束は強くなる。

公明党に学んで、もっとずっと上手くやったんだね。恐ろしい恐ろしい

2018-04-12

anond:20180412195942

結婚することで救われるとは教義にありません。まずは、神を信じて神への奉仕活動を行ってください。働いて献金することもその一つです。そうすれば救われます

2018-04-06

伝統教義と人の命のどちらが大事かの議論無意味

女人禁制伝統を守るために、死人が出てしまったどうするのか、という議論が続いている。

でも、そんなことを議論しても結論が出るはずがないよね。

中東地方を見てほしい。

あの地域では21世紀の現在でも、エルサレムの地やユダヤイスラムキリストの三宗教を巡って戦争を続けている。

中東に住んでいる人たちは、昔からずっと宗教教義のために命をかけて戦い続けているのだ。

そんな状況で、日本人が「宗教と人の命のどちらが大事なの?」と問いかけたところで、失笑されるだけ。

まあ日本人は良くも悪くも平和に生きているから、呑気でいられるんだろうけどさ。

2018-04-05

大相撲土俵女人禁制中東戦争について考えてみた

4月4日、京都舞鶴で行われた大相撲地方巡業の際、土俵上であいさつ中に倒れた舞鶴市長に、周囲の女性たちが救命活動のために土俵上に上がった問題について、メディアを通じて大きな問題になっている。

医療関係者報道されている女性救急救命中、行事が「女性土俵から降りてください」と繰り返しアナウンスし続けたことが大きくクローズアップされている。

歴史ある大相撲伝統として、土俵には女性は上がることはできない「女人禁制」の原理原則からすれば当然の話である

しかし、世間はそうは受け取らなかったようである。この土俵問題を報じているヤフーニュースコメント欄をザッと読んでみても、女人禁制制度自体に対する批判が多かった。

ちなみに、私自身も個人的には大相撲土俵女人禁制には批判的だし、もっと言えば皇室男子継承についても改革するべきだと考えている。

ヤフーニューステレビ報道番組の中で言われていた批判の中で印象に残ったのは「女人禁制原則を守った結果、救急救命行為が行われずに、市長が死んでしまったらどうするのか」という論理である。21世紀の現代社会なのに、女人禁制のしきたりは時代遅れではないのか、と。

しかし私から言わせてもらえば、「女人禁制」というしきたりは、しきたりという古めかしい言葉表現される以上の意味を持つ、「思想信条」に等しいのではないか

私たち一般人から見れば女人禁制なんて、頭のおかしい考え方そのものに思えるが、大相撲関係者の人たちから見ればそれは教義と同じことなのだ。

大相撲関係者の胸の内を想像してみると、死人が出たとしても女人禁制原理原則は守るべきことなのだと!

ここで思いついたことがある。中東イスラエルパレスチナ中東戦争のことだ。

ご存じの通り、中東戦争の火元であるエルサレムにはユダヤ教イスラム教キリスト教聖地となっている。

ユダヤ教徒によって神聖存在である嘆きの壁ムハンマドがここで昇天したと信じるイスラム教徒にとっての岩のドーム、そしてキリスト教徒にとっての聖墳墓記念聖堂の3つである

この3つの宗教をめぐって、あの地域の人たちは50年以上も戦争を続けている。

私たち日本人から見れば、中東砂漠の中の地面を巡って殺し合いをするなんて、あの土人どもは頭がおかしいだろうとしか思えないことであるが。

しかし彼ら(ユダヤパレスチナ周辺諸国の人たち)からすれば、「教義のためなら死をも厭わない」と本気で考えている人たちが多いということだろう。

そして21世紀の現在でも、彼らは殺し合っている。

ユダヤ人やパレスチナ人の人たちも、大相撲関係者の人たちもやっていることは同じではないか

そして、私たち何も関係ない一般市民からすれば、他人思想信条を変えさせることは絶対に出来ないことなである

2018-04-04

anond:20180404184855

じゃあなんで進んでいてこれ以上戻れないはずのリベラルが、いつまでも世界統一できないのかって話になる

いろいろ理由はあるんだろうけど、一番わかりやすいのは少子化だろう

進んだコミュニティというのは再生産が成り立っておらず、そのままだと縮小してしま

なので普段バカにしてる国や田舎宗教から人口引っこ抜いて回ってるのが現状だ

リベラル教義自体ケチをつけるわけではないが、せめてそれは認めてほしい

2018-03-28

anond:20180328105527

学会員は、他の宗教から回収させるのが本人の為、と言う教義からガンガンくるよ。

積極的こちから出向かないほうがいい。連絡は彼経由で。

いかに教えが素晴らしいかを懇々と話し続ける宗教家もどれも全部嫌い。

2018-03-26

anond:20180326025146

改めて返答感謝純粋に話ができて楽しいですw

あるとすれば人の数だけ死後の世界はある。

こんな教義宗教はないけど。

コレ実は、矛盾しない余地もあると思います

生物学者のユクスキュルが提唱した『環世界』という概念をご存知でしょうか?

同じ空間認識していても、その認識者の認識機能差異によって、脳や心に創り上げられる世界千差万別で、

同じ空間認識し・生きながらにして、全く異なる世界認識し・生きているという考え方です。

まり言ってしまえばこの現世だって、人の数だけ異なる世界があるのです。

まして恐らく、あの世では現世の五感とは異なる認識機能によって観測するのだろうから、現世以上に環世界差異が大きい可能性も大。

加えて、教祖あの世観測した世界教義に記す能力と、教祖あの世世界複数あることを観測する能力はまた別ですから

例えば「あの世には野球部があったぞー!」という教義真実でも、その教義に従っていれば将来その野球部に入部できるのは真実だとしても、

あの世には野球部以外にサッカー部もあるという事実認識できたか…というのはまた別の話で、だからと言って野球部教義は嘘にはならない。

私は科学教の信徒(ともいえる)なので、ここは「ない」と断言しちゃう

この認識ならば一切口を挟む余地はないです。

実際以上に科学で判明している事を過大評価した科学事実云々ではなく、科学技術信仰のような人の信仰自体自由ですので。

この世に影響を与えてないものが、人の魂(コア)を動かす、ってところ。

これも矛盾しない余地はあると思います

先の環世界的な話でもあるのだけれど、例えば、人の認識機能3次元な訳ですが、超弦理論などでは実際には10次元だそうです。

そして、蟻の認識機能はこのうち2次元だけとも評されるように、人間認識機能もこのうち3次元だけで、

(嘘か真か、盲目数学である者ポントリャーギンは「5次元図形を視覚的に思い浮かべることができた」なんて話もありますし)

実はあの世というのはこの世の4次元目以降にすぐそこに存在し、別に魂が動かされるとかそんな大層な話ではなく、

脳による認識機能が失われて初めて認識できる環世界あの世があると考えれば、何も矛盾しないのではないのでしょうか。

それこそ、その認識機能が特異的に鋭敏な人がいたら、その人が教祖としてそうやって微かに観測できた世界教義に残した…

なんて仮定すれば、先の複数ある死後の世界を一つと錯覚した件も含めて、諸々矛盾しないことになると思います

…因みに言うまでもないとは思いますが、私も個人的宗教観などは貴方に近いです。が、ここはあくま論理的思考実験としての話ですのでw

要は「死後の世界宗教教義簡単否定できる程の認識能力材料を私達は持ち合わせているのか」って話です。

では、その時喋った私は一体誰なんでしょうか?

面白いですね。凄く興味深いですね。

ただ、麻酔は確か飛行機の飛行原理と同じく、科学的にはその原理が解明されていない事柄ですから、断定的なことはやっぱり不明でしょうね。

単純に済ますのであれば記憶を失った酔っぱらいと同じ状態なのかもしれません。

もしあえて漱石枕流っぽくロマンを追求するならば、擬似的に脳(の電気信号)を失ったことにより、

先の4次元目以降の世界観測干渉できていた…かもしれないこともあるかもしれないw

anond:20180325093327

>加えて、死後の世界大学サークルみたいに、その魂の在り方に合わせて多様な天国地獄集合体みたいなものがある

あるとすればそんなイメージになりそう。

あるとすれば人の数だけ死後の世界はある。

こんな教義宗教はないけど。

そうなるとほぼ全ての宗教適当な事しかいってないとなってしまい、

特に教祖あの世にいるなら戻ってきて、真実あの世を語らなければならない。

一方通行なら無理だけど・・無理だったんだろうな。

>でも、断言はできない。科学的には「わからない」が正解で、「ない」と断言するのは「ある」と断言する信仰と同レベルだとも思う。

私は科学教の信徒(ともいえる)なので、ここは「ない」と断言しちゃう

でも根底にある、信じてる?のは太陽信仰太陽は偉大。こっちだと「わからない」。

>例えば、天体望遠鏡観測できる遥か彼方のアンドロメダ銀河とかは、地球からはとても関与・影響はできないけれど、

時間が経てばいずれ銀河系とぶつかるコースを取っているので、影響はあるともいえる

それは科学的に、ということで。

科学が扱えるのは今のところ観測可能範囲宇宙の大きさとされてる範囲)で、

そこから先は観測予測すらできなくて、

たまたま観測範囲宇宙が平らっぽいといっても見えないその先はでこぼこになってたり、重力法則が乱れている可能性もある。だからそこでは地球科学は役に立たない。

謎の領域は残る。

>この世に関与や影響がないことに何の問題が?

この世に影響を与えてないものが、人の魂(コア)を動かす、ってところ。

それはいないと同義だと見なせるのでは?

脳の中のホムンクルスは居るのかいないのか、と同じ論法で語ってみた。

>関与できない世界のことが何故教義として残っているのかっていう矛盾

それはもとから矛盾してて、何故かと言うと直感で語る哲学みたいなものから

人が死ぬ不条理さにどうにか折り合いを付けるために、神という概念を生み出して、

それに神秘性を足したものにすぎない。だから基本は想像した教義での天国

洪水は神の怒りだとか、火山は大地の怒りだとか、伝染病悪魔所作だとか。

から死ぬ恐怖を天国ごまかす?ようになった、とおもってる。

もし、夢を見てる時はその魂のリンク作用するとかだったら、もっと別の何かが

あっていいはずだけど、今のところそれはない。寝るのは死に近い行動みたいだけど。

>それに、死後のこの世のことなんて後世の生者に任せれば別にそれで良いのでは?

それでいいとおもう。

生きているものが成すべし。

望むなら、真理への方向性くらいは示しておきたいな。

人それぞれの頭にあるもの宇宙だとしたら、子を為すというのは、

新しい宇宙誕生にも等しい、とおもう。

それが神秘の一つ。それに託したい。


さてもしこれを見てくれていたら、一つ質問したい私事がある。

私は頭蓋骨に穴を開けられる手術を受けたことがある。

当然、全身麻酔をかけたうえでだから、オペの最中は、痛みどころか意識もない。

麻酔がなぜ効くかは不明だけど、シナプス伝達を阻害・隆起しないようにしてるとか。

ところがそのオペの最中に私は突然起き上がり、周りの医師と会話をしたという。

これは病院の記録にも残っている立派な事実なのだが、私にはその記憶がない。

だって麻酔意識を断っているのだから

では、その時喋った私は一体誰なんでしょうか?

2018-03-25

anond:20180325013455

なるほど!お付き合い頂き感謝

なぜ違うかというと、どっちかは地獄に落ちるべきと思って戦ってるから、同じとこに行くのはおかしい。

これは確かにその通りだね。

ただし、あくまで「天国的なもの」と「地獄的なもの」の矛盾であって、「あの世」そのもの矛盾ではないかな。

加えて、死後の世界大学サークルみたいに、その魂の在り方に合わせて多様な天国地獄集合体みたいなものがある

…と考えれば、一概に矛盾してるとも言えないかな。

野球の方が面白いだろ!」と「サッカーの方が面白いだろ!」という人達が激突しても、

その後それぞれ野球部とサッカー部に入れば万事解決的な。

やっぱり脳が消えたら消えたままになるとおもう。

そうだね。ぶっちゃけ個人的にもその可能性の方が高いとは思う。

でも、断言はできない。科学的には「わからない」が正解で、「ない」と断言するのは「ある」と断言する信仰と同レベルだとも思う。

この世に影響を及ぼさなものが、どうしてこの世に関与できるんだろう?ここで矛盾する。

ここはもうちょっと解説をお願いしたい。

例えば、天体望遠鏡観測できる遥か彼方のアンドロメダ銀河とかは、地球からはとても関与・影響はできないけれど、

人間認識メカニズムや現状の科学が確かならば、確かに存在はすると考えられている訳だよね?

この世に関与や影響がないことに何の問題が?関与できない世界のことが何故教義として残っているのかっていう矛盾

それに、死後のこの世のことなんて後世の生者に任せれば別にそれで良いのでは?

「金を残すは下、名を残すは中、人を残すは上」なんて言うし、それこそ後世に託すのが人生の目的考える人だっている。

anond:20180324234556

お、良いね哲学的な話は大好きだ。

ただ、その話は前提条件の時点で既に問題がある。

最後の審判極楽浄土もないんなら

なんでそうだと知ってるの?一度死んでそれがないことを確認してきたの?

別に私もそれらが「ある」と主張するつもりはないし、確かに宗教教義には現代科学矛盾する怪しい所もあるけれど、

それと死後の世界的なもの存在しないのとは別の話であって、存在しないことは科学的に立証された訳でもないのだし、

それらが「ない」と断言することは「ある」と断言することと同レベル信仰なのでは?

加えて、もし仮にそれらが存在しなかったとしても、人は心の作り出した虚構世界の住人である以上、

あると信仰している人の世界においては実際に存在するに等しい訳で、それが実世界存在するか否かも枝葉末節では?

「人はパンのみにて生くるものに非ず」と本気で考えて、天命だとか使命だとかを本気で全うしようとしてる人もいるものよ。

2018-03-24

さな宗教戦争テロは再発するのか?

地下鉄サリン事件から23年が過ぎた。

23年という事は、言ってしまえば、今時の大学生以下の世代地下鉄サリン事件を知らないという事だ。
それは、オウム真理教事件も知らないという事。

先週の土曜日3月17日東京で「地下鉄サリン事件23年目の会」という会が開かれた。
オウム真理教事件被害者地下鉄サリン事件被害者及び、その親族家族が集まる会。そこに、麻原彰晃の娘・・・三女の松本麗華が来ていたらしい。
入り口には「オウム真理教及び、その後継団体関係者は入らないで下さい」と書かれていたにも関わらずいたらしい。
松本麗華は、数年前よりオウム真理教の後継団体の一つ「アレフ」と争っているという。争っている理由については非常に複雑で、この増田で書くには文字数が多くなる。
松本麗華にとっては、オウム真理教事件被害者オウム真理教及びその後継団体アレフ」の敵=「アレフ」の敵である自分の味方という考えでの参加だったのだろう。
だが、松本麗華のTwitter上での主張には明らかに麻原彰晃を正しいと思っている節が見られる。
以下に、その主張の一部や最近の行動等をまとめたサイトリンクを貼っておく。

麻原彰晃の三女、松本麗華の主張

これらの主張より、松本麗華は

と言える。
そんな中、ある「ひかりの輪」の脱会者が、「ひかりの輪」の代表である上祐について、こう証言していた

ひかりの輪脱会者の証言

さな宗教戦争

このツイートをした人物は、「アレフ」や松本麗華を擁護する様なツイートをしている。
アレフ」も「ひかりの輪」も「松本麗華」も、やっている事はスケールの小さな宗教戦争なのだろう。

教祖である麻原彰晃存在し、その麻原彰晃逮捕された事で彼らの中で神格化された。
そして・・・
麻原彰晃は無実なのに国の陰謀死刑判決を下された」と考える松本麗華派
「表面上は麻原彰晃否定しつつ、麻原彰晃教義尊重し、麻原彰晃の息子を新たな教祖にしたい」と考える「アレフ
オウム真理教を脱退した一部の幹部が脱・麻原彰晃を謳い文句に金儲けをしたい」と作った「ひかりの輪

そして、「アレフ」を脱会した信者の中には「ひかりの輪」の教義に傾倒する者もいれば、「ひかりの輪」を脱退した者の中には松本麗華や「アレフ」の教義に傾倒する者もいる。

泥沼だ、スケールの小さい宗教戦争なのに泥沼だ。
どの派閥も「麻原彰晃教義」が第一に有り、それを肯定するか否定するかで成り立っている。

きっと、原初時代キリスト教ユダヤ教イスラム教も、元々は一つだったのがこの様に分かれて今の状態にあるのだろう。
からキリスト教イスラム教ユダヤ教エルサレム聖地としているのかも知れない。

このスケールの小さな宗教戦争に、麻原彰晃オウム真理教事件の確定死刑囚死刑執行はどういう波紋を呼ぶのだろうか?

地下鉄サリン事件から23年、今年の4月東京メトロ(旧・営団地下鉄)に入社する4年生大学卒業した新入社員は、
地下鉄サリン事件の起こった年に生まれ人達だ。
地下鉄サリン事件を知らない世代が、地下鉄サリン事件の有った会社入社した時・・・果たして、同様のテロが起こった時に防げるのだろうか?
オウム真理教事件の確定死刑囚死刑が近付いていると感じられる今、「あの事件は何だったのか」もう一度考える時期に来ているのではないだろうか?

P.S 本日17時半からTBSニュースでは、麻原彰晃の娘、松本麗華に取材した内容を流すそうです。是非、ご覧になって皆さんも「あの事件は何だったのか」を考えて欲しいと思います

2018-03-20

anond:20180320130307

婚前交渉を悪とする慣習や教義を持つ宗教社会は少なくないが

彼らは叩かれても仕方ない悪ということだね

2018-03-06

anond:20180306184913

典型的な、勉強できないのに自分の言いたい方向に歴史ねじ負けたいだけの無敵の人なのかな?

山川世界史Bは私も使ったが

使っただけで、自分咀嚼理解できていない可能性はひとつも考えないのか。面白いなぁ。無敵だね。

物凄く雑に言っちゃえば、ローマ以降のキリスト教(雑だなぁ主にカトリックプロテスタントそもそも時代でも差はあるが)世界においてある時代まで、女は劣った生き物なので劣った扱いをすべき、という思想一般的で、

そういう思想キリスト教世界ベースに組み立てられた各国家社会構造に影響したのでは、という考え方があるんですよ。近代までは、宗教社会構造はとても密接に絡み付いていたから、影響を受けるのは当然と言えば当然ですし。

で、その「女は劣った生き物である」という男尊女卑世界観がどこが源泉なのかは説は色々ありますけども(月経原因説から楽園リンゴ食ったからとか存在が不浄って書いてあるとか色々)、実は東洋世界仏教儒教)でも、イスラム世界でも発生している。おまけにキリスト教仏教も、教義だけを読めば男女に救済の差はないと読むことも可能(救済に差があると読むこともできるから上記の誤解が発生したんだろうけど)。

なので、古代あたりから、「人間の発生と進化の一過程」という時代において、女は格下!的な、非モテ厨二っぽい思想流行った時期が長くあったのかもしれない、などと増田は考えているがこれはあくまでも私見感想。豊かさを他に求める侵略時代において「そういう考え」になりやすいのは、現代日本を見ていても納得感があるので、符牒は合うっちゃ合う。

でもこの私見を、ちゃんと論拠を追い示しながら説明するのは増田には荷が重すぎるので、取りあえず、山川教科書を読み直しつつ、思想史のみを抜き出した年表とか作ってみたどうでしょうか。

あとは、「フェミニズム神学」というキーワードでググっても面白いと思いますよ。この20年ぐらいでは「宗教が女を差別してきた(怒)」から学問が進んで、「そういう側面もあるけど原典ではそうじゃないよ」とか、歴史原典個別事象思想家などと照らし合わせて分析をしている人もいますベース神学なのでラジフェミみたいなおかしなのはほとんど居ない、ので比較的当たりやす学問のはず。山川Bをちゃん咀嚼できていたのなら笑。

つーかそういう学問体系もすでにあり大学カリキュラムになっているところもあるような現在進行形学問なので、元増田のように「もっとお母さんのように教えてくれ」と甘えるのも、割とズーズーしいね。と思う。

2018-02-24

anond:20180222211209

うん。めちゃくちゃ肩入れしてるよ。私はナウシカという人物が大好きだし。

そして、ナウシカは現人類に肩入れしている。ユパが好きだし、アスベルやチククも好き。クシャナクロトだって好きだ。風の谷のみんなが好きだし、トルメキア人やドルク、蟲使いも。それ以上に王蟲が好きなんだけど……。いがみ合いは嫌いだが、いがみ合ってる人物のものを嫌っているわけではない。

その好きな人々を亡くしたくないんだよ。そのためにできることは何でもするだけだ。犠牲行動を「良い」と思ってやっているわけではない。行動原理は「その相手を助けたい」だ。そのためなら瘴気の中でマスクだって取っちゃうし、周りをドルクに囲まれて死の一歩手前だろうがトリウマを助けるのが先だ。「良いかいか」で判断してるような人にこの行動はとれない。

ナウシカ墓所が現人類邪魔から消したんだよ。私もその決断同意する。「私達のように凶暴でなく、おだやかで、かしこ人間」なんていらない。少なくともそれを生かすことによって自身の愛する世界を失うことになるのなら、その障害を潰すことを厭わない。

作中の現人類の多くはこの思考同意するだろう。漫画世界ではなく、今PCを閲覧している読者の多くも、ヴ王と同様に「そんなもの人間はいえん」と思っているだろう。

王蟲は変わったけど、新人類が変わるわけがない。それもまた思い込みにすぎない。

うん、それは私の思い込みだな。新人類進化して「凶暴で、おだやかでない、バカ人間」に、現人類並みに育つ可能性はあるよ。私はそれまで待てない、と言い換えるか。それにどうせ現人類並みになるならリセットせずに今の現人類を使えばいいじゃない。そしてそのとき墓所技術は現人類にとって危なすぎるの。そこの技術が現人類のいがみ合いの種の一つになってるから。「ヒトラーと同じだ」というが、ヒトラーなら優性思想から「おだやかで賢い人間」を生かすんじゃないの。知らんけど。

墓所側が攻撃するのは当たり前のことだ。旧人類の悲願は人間性の闇を捨てることだ。現生人類死滅させたいのも当たり前だ。それが残っていては計画が水の泡になる。交渉する余地など最初からない。武力で負かして交渉テーブルに無理やり着かせる必要がある。

あ、そういうこと言っちゃうんだ。じゃあまあ墓が弱かったから仕方ないね。「交渉余地すらない。武力で負かして交渉テーブルに無理やり着かせる必要がある」と言うからには負けた旧人類と新人類は黙って消えるしかないだろ。どうもあなたは「墓所が勝った場合人類交渉余地はない」しかし「墓所が負けた場合は、墓所交渉テーブルに着かせてもらえる」と思っているようだが、そんな甘いわけがない、巨神兵裁定はおりている。そして巨神兵プログラムしたのは旧人類だ。

新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。はるかかなたの未来に生きる人類たちだ

あなた言葉には "説得力がない" んだよ。

「今」を生きるのに精いっぱいの人々にはるかかなたの未来に生きる人類を気にかけてる余裕なんかない。21世紀の現代日本ですらそうだろ。繰り返すけど、あなた物語の中の今を生きている人類に寄り添えていない。そんな人物の言説を誰が聞く?

古今東西、人を説得できないと物事は変わらない。国会でどれだけ「日本を良くする法だ!」と自説の正しさ唱えたところで、党内の票をまとめられなければ法案は通らず歴史は変わらない。

その、愚かな人類と決別しようとする "新人類教" では物語の中の世界を変えられないんだよ。せいぜい数千年後にまだしぶとく生き残っている現人類が「古文書見つけた!『お前ら人類虐殺者だ』『ナウシカ悪魔だ!世界を滅ぼしたのだ!』とか書いてあるよ。新人類だってさ」と珍しがる程度だ。

現生人類のみんながナウシカに心酔してたわけではないように、人間凶悪さを誰もが喜んで従っているわけではない

そうだろうね。そしてそういう人物は、誰かを殺す心配をするまでもなく、とうに誰かに殺さているだろう、と先にも書いたよ。

ナウシカ世界は、その環境過酷さにより人々がいがみ合い、憎しみ合っている。しかしそれぞれの人は "新人類ではない" から憎悪の一方で愛も持っている。良い一面も悪い一面も持っている。これが人間だ。そういう人々の行動を変えるにはどうしたら良いか。まずは説得だ。ナウシカは数々説得してきた。しかし凶暴で賢くない人類から、説得には応じられないこともあるだろう。では説得に応じない相手はどうすれば良いのだろうか?そう "行動を起こす" のだ。あなたは「交渉する余地などない、まず武力だ」と言っているが、まずは交渉、のちに行動。

最終話近く、マニ族とクシャナ軍がにらみあっている。ユパが、ケチャ年寄り連中と一緒に必死にマニ族を説得している。だがマニの若者たちは納得しない。彼ら彼女らも "復讐は何も生まない" と理性では分かっているのだ。だが自身感情を説得しきれない。そして、この気持ちを晴らすにはトルメキア人を殺すしかない、と"行動を起こし"クシャナに襲い掛かかった。(法の整備された現代日本では許されないよ)

ここでユパも説得は通じなかったことを悟り次の手段に出る。マニ族とクシャナの間に割って入り、マニの刃を受けることで双方の連鎖を止めた。先だって左腕も犠牲にし「この片腕、わしの心のあかしだ。たのむ判ってくれ」と再度説得。単なるきれいごとではなく、自らを痛めてまで訴える人間言葉は人の心に届く。(これには先立ってマニの僧正が同じ方法でユパの命を救っており、恩返しという側面と、僧正の念がこの場に出現しマニ族を説得するという流れになっている。この通り、聞かなきゃ殴るだけが行動ではない)

ナウシカも同様に、数々の行動によって人々を説得してきた。

ナウシカは恐れでためらうことが少なく、瞬時の判断力を持っており、おおむね良い方向に作用する。(主人公補正はあるが)

  • トルメキア軍を攻撃してきたアスベルを何の迷いもなく救出に向かう。単に"声"の主を探してたらアスベルがまだ生きてて遭遇しただけなんだが、死を目前にしながらも懸命に生きようとしている人間が目の前にいれば、躊躇なく助けるのがナウシカの特徴だ。

アスベル新人類と入れ替えてみたらどうだ?と言いたそうだな。やってみようか。新人類は生き残ろうとしない。生に執着しない。あなたと同様に「人間凶悪さを発揮し蟲を殺してまで生きようとは思わない」と言い残し、ナウシカに遭遇する前に蟲に食われる。おしまい

  • 粘菌に船を飲まれ「もはやこれまで」念仏を唱えだすチヤルカを問答無用で救出。説得の末、チヤルカの信頼を得る。
  • 王蟲の信頼を得ているので大海嘯の最前線に入れ、王蟲が怒っているのではないことに気づく。
  • 清浄の地から引き返すことで"森の人"セルムの信頼を得る。あなたなら「わ~い、清浄の地だ~」ともう帰ってこないだろう。
  • 腐海侵食され絶望する残された人々に対し「私たち風の谷の民は腐海とどうにかこうにかやっていく術を知っている。今残された土地は少ないが、まだお終いではない」と解決策を示している。


説得・行動・説得・行動だ。これによりナウシカは数々の障壁を超えてきた。残念ながらあなたの思惑とは違い、最終話ではもはやナウシカを止める人はいない。ナウシカはもう辺境の一首長ではない。行動により強力な支持者を得て、民衆を説得できる力を持った。ナウシカはみんなをつなぐ糸になれた。

あなたには説得力もなければ行動力もない。だから序盤で死んでいるだろうけど、それを大目に見てこの場で

新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。はるかかなたの未来に生きる人類たちだ

と言えたとしよう。で?誰が耳を……あ!聞く耳持つ人がいたわ!墓所と守り人。ヒドラ

最後には旧人類の歩んだ道をなぞるだけだ。まったく徒労でしかない

これがあなた発言。そして墓所庭園の主『歴史は繰り返す』『お前達はその朝をこえることはできない』。そっくりだな!といってもあなたは墓の側に立って意見を出してるんだからそりゃそうか。

あなた墓所ヒドラだった場合、結局ナウシカを説得できなかったので歴史は変わらない。変えるとしたら、最後の生き残りの人々の前に現れ、今回の数々の教義を唱え、賛同者を募ってナウシカを止めてもらう必要がある。

そこにいる人々は、戦乱の世を必死に生き延び、死にたくないと願い、場合によっては人を殺めても生き延びてきた人たちである。その中でどのくらいあなた賛同者がいると思う?ナウシカを引き留めるには到底足りないと思うんだけどね。

ナウシカだって最初無垢でいたかったんだよ。でもそれだけでは自分愛する人は救えないと理解し、成長する物語だ。そしてナウシカは罪悪感や自己矛盾ちゃんと受け入れている。「人類を滅ぼしにいくのかもしれない」と自覚している。「悪魔として記憶されてもかまわぬ」と言っている。それに比べりゃ私たちなんて楽なもんだ。最後の決定をナウシカに任せちゃえるんだから。だからこそ、その決定について、ナウシカに責を負わせることはしないでおこうと思う。

あなたは、虐殺を犯したくない、無垢でいたい、と思っているようだが、一方で「まずは殴って言うことを聞かせる」と言う。あなたには矛盾があり、残虐で、勝手である。どう見ても現人類側の人間だ。

新人類だってあなた救世主だとは思えないだろう。「その人は私たちのために何かをしてくれたの?」「なんだ、世界の片隅で祈ってただけか」と。

あなたは、未来を変えたいが、自分の手は汚したくないという。墓所の主はそういう役割としてプログラムされているからまだわかる。しかあなたはには自分意志があるのに、その体があるのに、先へ進もうとしない。今の自分を超えようとしない。現人類より新人類側に思いを寄せている。もしかしたらあなた旧人類のように全てに絶望しているのかもしれない。どうせ全滅するのだから何をしたって同じか?「そうではない」とこの物語は示している。

ナウシカ行為正当性を産むことができるとしたら現生人類が生き残ることではなく、火の七日間を再度起こさないと確信に値するものを示すしかない。しかし作中の現生人類がそれを示すことはないまま作品は終わってしまった。

「答え」なんか分かるわけがない、っていうか自分で考えろってことだよ。人類は再度火の七日間を起こすよ。歴史は繰り返す人類は愚かだから正統性より目の前の命を取る。

今回私が書いたことはほとんど漫画の中に描写されていることだ。あなた最後の答えを知りたいというが、まずそこに至るまでをうまく読み取れていないじゃないか。まずもう一度通して読んでみてはどうだ。

あなたは結果を重視しているが、私は現人類過程を重視している。あなたは「自然に任せよう」と思っているらしいが、あなた自然だと思っていることは実のところ人間プログラムだ。穏やかで、賢い、人工の物体だ。自然体は許されない。人も動物も全てを書き換えるつもりだ。ナウシカ方法の方がずっと自然だ。「今」を乗り越えても、凶暴で頭の悪い人類は結局は滅ぶかもしれない。でも人類は滅んでも虫や動物は生き続ける。人類は滅ぶが、世界は滅ばない。とはいえ、人類はそんな簡単には諦めないという話だ。

たとえ過去1万回同じ過ちを繰り返したとしても、諦めなければ1万1回目でクリアできてしまうのが人類だ。1万1回やったけどダメだったから諦めたのが旧人類なんだろう。現人類は1万2回目、歴史は繰り返すしかしそれがいつになるかは現人類が決めるし、現人類はその今を精いっぱい生きるの。

このあたりはどこまでいっても平行線かもしれない。だからあなたが「私はナウシカ決断同意できない」と宣言すること自体問題はない。ただ、最後決断をした人物を責めてはいけない。私は旧人類の決断が間違っていると思うが、旧人類がそれしか取る手がなかったのだということは受け入れる。旧人類を責めはしない。現人類として、その決断には従わないという意思を示すだけだ。

1万2回目の人類最後ナウシカが決める。少数の反対を除き、私を含め大多数はナウシカ最後を託した。

歴史に埋もれたできごとが間違っているわけではないが、トルメキアとドルクをクシャナとチククが再興していくことを考えると、はるかかなたの未来に生きる人類たちはナウシカを「救世主」として受け止めることになるよ。「青き衣の人」として。新人類は生に執着しないが、もし執着するほど進化したとしたら、その時は現人類選択理解し受け入れるだろう。(同時にはなし得ないのでパラドックスだが)

あなたは現人類絶望しているのだろうが、それでも旧人類の決断自分を託すんじゃなくて現人類として自分で決めよう。誰から必要とされない自分なんていなくていいと思っているかもしれないが、人の評価未来を決めることはない。

本当に絶望の淵に立っている人に「マンガでこう言ってるし」「不安絶望も背負って、それでも生きていくしかない」と諭してもまったく力にはならないだろうなとは思う。私は漫画版ナウシカから力をもらったけど、絶望中にはせいぜい現実逃避として読んでただけな気がする。ある程度元気になって、現実世界に少し救いがあったからこそ、余裕をもってああだこうだ言える今がある。

はいえ、あなたは「マンガだし」と投げ捨てず、その内容について意見を書き綴れるくらいの力があるんだから、もう一度立ち止まって読んでみてはどうですか。

2018-02-20

ケンタッキーフライドチキンが好き

俺が権威とか人がどう思うかとかに左右されずに心から思うことができる数少ない考えは俺はケンタッキーフライドチキンが好きだということだ

正確に言えば衣が好きなのだがとにかく好きだ

値段や健康とかそういうのを無視して単純にうまいかまずいかでいってこの世にこれよりうまいものがあるんだろうか?

ケンタッキーをまずいと思う人なんてこの世に存在するんだろうか?

もし強がりや嘘や教義を取り除くことが出来たとしてケンタッキー世界一うまいものと思わない人がこの世にいるんだろうか?

anond:20180220103929

教祖信者仲間がどんな間違ったことを言ってもスルー

教祖教義批判されたら真っ先に応戦

口先では違うって言っても完全に教団を守るため奮戦してるんだよなぁ

低能先生自分の行動客観視できてないから困る

2018-02-18

瞑想運動野菜というけど

瞑想というかマインドフルネスに抵抗があって、本を買って読んだりしてみてるわりに、全然実践できていない。

効き目がないと思っているわけではなくて、「まあこういう仕組みだから、こういう世の中でやると、こういう調整が効くんだろうな」と自分なりに納得もしてる。

じゃあ何がひっかかってんのかというと、自分がちゃんとした仏教徒じゃないからだ。

マインドフルネスは、宗教的要素を取り除いたとは言われるけど、きっぱりはっきり「八正道の中の正念」という概念イコールなことがあきらかだし、そもそもその宗教的要素を取り除いたっていうことに対しても「……いや、そんな勝手に取り除いていいものなのか?」っていう気持ちになってしまう。残りの八正道ノータッチでいいんだ?? ほんとに??

自己実現のために、信仰してない宗教教義のごく一部分だけをお気軽に使うの、自分のオシャレのためにまったくコーランも知らないのにヒジュラかぶちゃうみたいなアウト感をね……。感じてしまうんだよな~。

基本的自分が考えすぎなのはわかってるんだけど、うっかり他人重要な箇所に土足で入ってるんじゃないかって不安がどうしても残ってしまう。

写経体験みたいなものだと捉えたらどうかと言われたけど、マインドフルネス継続して行う習慣なとこがどーもな……。

運動はがんばってますスクワットちょっとずつ回数増やしてやってるのえらくないですか。

野菜お菓子の油程度ですぐ死ぬ胃腸から、気を使わなくても、自然と食べてる。

2018-02-11

とある宗教に対する信仰心がもうなくなってしまった

私の親がとある宗教信仰している。だからまれてすぐから毎週集まりに連れて行かれていた。

当然宗教教義を信じ込んだ。今も神の存在は信じている。

組織の中で嫌な事がいくつかあった。

母親が一時精神を病んでたのか、家も長らくすごく居場所が悪かった。

父は空気。そのうち父は精神科に通い始めた。精神科に行くべきなのは母親だと思ったし、なんども行けと言ったけど結局行かなかった。

宗教やめたら殺すと言われたこともあった。ずっと他の家の子たちが羨ましかった。母は家でずっと他の信者悪口を言ってた。父は怒ったけれど焼け石に水だった。そのうち父も「尊敬しろ」とか言って怒鳴るようになった。家族で毎週宗教勉強をしなきゃいけないんだけど、高校の時宿題しながら参加してたら叩かれた。私が悪かったのかもしれないし後で謝られたけれど、未だに思い出すと悲しい。

それからその宗教について毎週他の信者の方が家に来て私に宗教のことを色々教えてくれていたんだけれど、大学に行くって言った瞬間に豹変して、私が大泣きしてるのに数時間ずっと文句を言って私の母親文句まで言って帰った。その次の週からその人はもう家に来なくなった。

おばあちゃんみたいに慕ってて、その人もすごく親切にしてくれて、高校時代の私はその人をすごく信頼してたから、ショックだった。

でも大学行くなとか他人が軽々しく言っていいことじゃないし。

それでも私はまだ信者で居続けた。

独り暮らしを始めて、そこでもまた宗教がらみで嫌な事があった。

思い出したくもないから書かないというか書けないけど、本当に辛かった。やせ細って家でずっと泣いてた。家にいると涙が出て止まらなくて本当に病気になったのかと思った。

宗教活動を熱心にしてないから陰で悪口を言われたりもしたけれど、(とはいえ当時は週3で活動をしてた)私はバカだったからそういう風に言われてもちゃんと集まりに言ったり活動に参加することで信仰を示してるつもりになってた。

それから引っ越した。引っ越した先の人たちはみんな良い人だった。

今までの嫌な思い出とか、あれってやっぱり普通じゃなかったんじゃないのかと思い始めた。

そもそもこの宗教内では、この宗教をやってない人は道徳的堕落してて薬やっててアル中で嘘つきで泥棒殺人する(これはちょっと大げさだけど子供の頃は本当にこういうイメージだった)、みたいな感じなんだけど、中高の友達大学友達もごく普通に良い人達で、むしろ「愛、親切」とか言ってる宗教をずっとやってる私よりみんなずっと性格が良かった。

陰口を言うような人もいない。まあカンニングする外人友達がいるくらい。

愛の組織なんかじゃなかったんだ、って一度思うともうそ思考がぬぐえない。

まりで話を聞いている間もちょっとしたきっかけで嫌な思い出がバーーーっとよみがえって来て

そんなんじゃない!!!嘘つき!

ってつい思ってしまって、泣きそうになる。というか泣いてる。

もともと話は聞かない方だったけれどこれのせいで意図的に聞かないようにするようになった。

もう感情的限界だと思う。

真理とか人生の目的とか興味ない。

けどやめて家族から無視されるのは嫌だし、家族宗教から引き離そうとは思えない。

どうしたらいいのか分からない。

でも神が本当に愛だったらいいな、と思う。

2018-02-10

anond:20180210213449

どうしてそう排他的なんだろうな。教義のせい?もう少し寛容になれないもんかね。

2018-02-05

母の愛は無償の愛という概念っていつ生まれたんだろうな

の子供は親にとってはただの労働力だったり、売って換金する為の商品であって

無償の愛なんて概念は無かったわけだが

いつからそういう概念が生まれたんだろうか

キリスト教の影響だろうか?「無償の愛」って元々キリスト教用語だよね?

いやキリスト教教義詳しくは知らんけどさ

それが同じくキリスト教聖母伝説と結びついたんだろうか

2018-01-31

冠婚葬祭を最低限の費用で済ませるための新宗教をつくろう

欧米と比して宗教色が薄いと言われる現代日本でも、完全に宗教と決別して生きていくことは難しい。

いわゆる「冠婚葬祭」においても、近年では小規模化の傾向が見られるとは言え、有形無形の圧力により望まぬ負担を強いられることが常態化している。

そこで、出来る限りコストのかからない極めて簡素宗教を新たに用意し、それを宗教的圧力からの逃げ道にすることができないかと考えた。

簡素と言っても、冠婚葬祭を全く執り行わなければ社会的摩擦が生じ、かえってコストが増大しよう。それでは本末転倒である

なので最低限の儀式は執り行いつつ、それ以上の出費を防ぐために、「私の宗教では盛大な儀式が禁じられている」などと、宗教言い訳に使えるようにしたい。

まず宗教目的を設定しよう。

メタ目的が「宗教に関連するコストを低減する」ことであるので、「戒律を課す」「現世利益約束する」といったコストの嵩む方向性は論外である

そこで「死に対する不安を取り除く」=「死後の安楽」という点に絞る。

死後の安楽を保証するために、まず神を用意する。

神は全知である

故に神は「人の死後が安楽である」ことを知っておられる。

これを基本にしよう。

「神によって安楽がもたらされる」でないことに注意されたい。

安楽が神によってもたらされるのならば、神に対価を支払う必要性が生じてしまう。

しろ

神は無能である

とすべきだ。

無能であるが故に、神は何の行動も起こさない。

神は信徒に何も与えず、信徒は神に何も捧げない。

信徒は神に期待してはならない。

ただただ「人の死後が安楽であることを知る神が存在する」ことを信じるだけである

全知なる神は、既に信徒信心を知っている。

あらためて信心を表明したり、神へ誓いを立てたりすることは、神の全知を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである

無能なる神は、決して信徒の求めに応えることはない。

ことさら神へ祈りを捧げたり、神の名の下に騒ぎ立てたりすることは、神の無能を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである

と、このような教義を設定すれば、冠婚葬祭のたぐいを簡略化できるのはないだろうか。

結婚式

神は新郎新婦の愛を既に知っている。

よって神に愛を誓う儀式としての結婚式不要である

披露宴的なものはやっても良い。

葬式

神は死後の安楽を知っている。

よって死者のために祈る儀式としての葬式不要である

告別式的なものはやっても良い。

法事

神は死後の安楽を知っている。

よって年忌法要などは不要である

埋葬する必要もないが、埋葬した場合でも墓参りはしなくてよい。

といった具合だ。

もちろん冠婚葬祭以外でも様々なシーンで利用できるはずだ。

これを「全知無能神教」と名付けよう。

どうぞ信仰してくれ。

何の宣言許可もいらない。

あなた信仰を神は既に知っているからだ。

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